■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
早朝の訪問客
今日、静岡の“カメイさん”が、我が町に来る・・・・
息子さんが、我が町に住んでいるそうで、息子さん家族に会いに初めて来るのだそうだ。
縁とは不思議なものである。
息子さんが我が町に住んでいるとはねぇ~

折角来るなら、会いましょう・・・ということになった。
予定到着時間はお昼・・・ならば、昼食を一緒に食べましょう!

と・・・午前7時・・・拙者の携帯に電話・・・
常磐自動車道は、どこのインターで降りればいいのかとの問い合わせ・・・

で・・・8時前・・・・
今度は、拙者の家はどこかという問い合わせ・・・
ん?今・・・どこにいるの?
尋ねたら、拙者の家のすぐ近くまで来ているという!(笑)
お昼に来ると思ったら・・・もう来ちゃったの!(驚)
こちらは半分、寝ぼけている・・・(大笑)

買ったばかりの新車を運転して、奥さんと一緒にやって来た・・・・
もう、そろそろ70歳になると思うのだが・・・
よく一人で静岡から車を運転してきたものだと感心・・・
拙者には、そういうことは無理!(笑)
買ったばかりの車で、ナビの使い方もわからないと言う。
で・・・業者に設定してもらったはいいが、途中で、どこかをいじってしまったらしい・・・(大笑)
おかげでワケがわからなくなってしまったそうだ。(大笑)
ナビがあるのに役立たず・・・
迷ってしまい、あちこちをグルグルと走りまくっていたらしい・・・

ということは・・・ナビが正常に使えていたら、何時に我が家に到着したんだ?(大汗)

奥様とは初対面・・・
ご主人が、夜、寝られなかったらしく、予定を早めて午前0時には家を出る事になってしまったとか。(笑)
それで、早々と到着してしまったらしい。(大笑)
奥様は車の中で一睡も出来なかったとこぼす。
我が家に上がってもらい、奥様には仮眠を取っていただく。(笑)
で・・・我々2人は・・・おしゃべり!

例のフィリピンでの遺骨収集と空援隊の問題・・・・
いくら話してもキリが無い・・・(笑)

おしゃべりをしているうち・・・お昼!
なんと長時間、話をしていたのだろうか?(笑)
“カメイさん”と日本で会うことは滅多にない。
会っても、ゆっくり会話する時間も余裕も無い・・・・
で・・・不思議なことに・・・・
拙者がフィリピンに行っているときに、偶然、現地で会うことのほうが多い。
お互いに連絡を取り合っていないのに、なぜか、バッタリと会うのである。(大笑)
だから、彼とおしゃべりをするのは、いつもフィリピンのホテルのコーヒーラウンジ・・・
いやぁ~日本でこんなにおしゃべりをしたのは初めてである。(大笑)

近所のレストランに案内して、3人で食事・・・・

朝、息子さんに電話をしたら、まだ寝てると言われたという。(大笑)
当然である・・・・
今日は土曜日・・・ゆっくりしたいはずである。(笑)
「息子さんより、息子さんのお嫁さんがかわいそうでしょ?そんなに早く行ったら・・・片付け物で、今頃、大騒ぎですよ・・多分・・・」
「あ・・・そうかぁ~・・・ちょっと早かったかな?」
「ちょっと?早かったかな?・・・早いでしょぉ~8時前では・・・」(大笑)
さすがは団塊の世代である・・・マイペース・・・(大笑)

息子さんの住んでいる場所は・・・・どうもハッキリとは教えてくれない。
が・・・どうも、我が家のすぐ近くのようである。
“カメイさん”は気さくな人だから・・・多分、息子さんに口止めされているのだろう。(笑)
余計なことは言うなって・・・(大笑)
大手企業に勤めるサラリーマンは、余計な人間関係を作りたがらない人が多いから・・・
そうに違いない・・・(笑)

この後は適当に時間を潰してから息子さんの家に行くという。
これといって案内する場所がなく、申し訳なし・・・・
寝不足で、さっぱり頭が働いていなかった・・・・(大笑)

スポンサーサイト
日記 | 13:28:47 | Comments(0)
アジサイに水遣り
毎日、晴天が続く・・・
夕方になって曇るから、雨でも降ってくれるのかと思いきや・・・降らない・・・
ヤバイ・・・
何がヤバイって・・・母のお墓に置いてきたアジサイの鉢・・・
鉢だから水をやらねば枯れてしまう。
折角育てたアジサイ・・・ここで枯らしてなるものか・・・(大笑)

ついに、意を決して・・・(笑)
母のお墓へ水遣りに行くことにした。(大笑)
自動車道を走り、山の中を走り・・・1時間!

母の墓に到着・・・・
幸いにも、アジサイの花は枯れてはいなかった!
葉の一部は枯れ始めていたけど・・・(大笑)
ペットボトルに入れてきた水をたっぷり注いであげる。

お墓には、23日に拙者が供えた花とは別の花が供えてあった。
ん?誰かお参りに来てくれたんだ~
もしかして、母の妹の叔母ちゃんかな?
23日の命日に墓参りに行けないと言っていたので、そのあと来てくれたのかな?
このアジサイの鉢植えを見て笑ったかも・・・(汗)

日記 | 13:19:01 | Comments(0)
親父とドライブ
そういえば、最近、親父を外に連れ出していない・・・
たまには外の空気に触れさせねばなるまい!(笑)

というわけで・・・・
「かすみがうら市郷土資料館」に連れて行くことにした。(笑)
この郷土資料館・・・
お城の形をした小さな郷土資料館なのだが、毎年、面白い企画展を開催しているので、拙者と親父のお気に入りの資料館なのである。
今回の企画展は『常陸平氏~平清盛の祖先の地 茨城県~』である。
拙者は、平清盛には興味なぞ無いが・・・・(笑)
親父が大いに乗り気になったので連れて行くことにした。

資料館の一室で企画展が開催されていた。
“郷土史同好会”というようなグループであろう・・・・
年寄り連中が来ていて、あ~でもねぇ、こ~でもねぇと得意げに語っている。
うるさくて仕方がない・・・・
貸切じゃないんだから、もう少し他の見学者に気を使えよ・・・と言いたくなる。
まさか、親父の目の前で、年寄り連中に説教するわけにもいかぬ・・・我慢(笑)


そうでなくても、興味がほとんどないのに・・・
うるさくて気が散り、益々理解が出来ぬ!(怒)
もう、こうなると、自分の頭の悪さを棚にあげての八つ当たりである!(大笑)

帰りに資料を購入することにした。
今回の企画展の冊子・・・・
と・・・昨年と一昨年の企画展の冊子・・・・
こういう冊子をちゃんと作っているところが、この資料館の素晴らしいところである!
茨城県立歴史館と比べたら雲泥の差・・・
規模も大きく、予算も多いはずだが、こういう冊子一つ作らないんだから、県立歴史館は、格好ばかりでお粗末である。
こちらは市が運営している小さな小さな資料館である。
それでいて、面白いテーマの企画展を開催し冊子も作成するんだから大したものである。
これは資料館のスタッフの“能力”の差であるまいか?
拙者は、この資料館を大いに応援したい!(笑)

で・・・一昨年の企画展・・・平成21年度、第32回の特別展は・・・
『かすみがうら市の幕末群像~新選組・天狗党の人物列伝~』
これは、親父と一緒に見に来た記憶がある。
が・・・冊子が売り切れていて購入できなかったと記憶している。
後日、追加で印刷したのだろうか?(笑)
嬉しくなって、購入!(大笑)

昨年の企画展は・・・
『水戸街道を行く~賑わう稲吉宿と恋物語~』
これは見た覚えが無い・・・
ということは、昨年は親父とここへは来ていないということか・・・
え?2年ぶりに来たの?
そんなに来ていなかったっけ?(笑)
この特別展は見ていないが、冊子を購入・・・・

で、これら3種類の冊子・・・
親父の分と拙者の分、そして水戸藩士の“シミズくん”へのお土産として、それぞれ3冊ずつ購入する(大笑)

この「かすみがうら市郷土資料館」を訪問するドライブ・・・・
毎回、一日がかりのドライブとなる。
親父がついでに「予科練平和記念館」へも行きたいという。
親父は予科練出身だから・・・わからないでもないが・・・

お昼となったので、途中、ラーメン屋を見つけて入る。
店内に入って、気が付いた・・・・
このお店・・・2年前に入った店だ・・・(大笑)
店の中に入って初めて気が付くんだから、拙者の記憶力の悪さは天下一品である!(大笑)

親父は胃がんで胃の殆どを摘出してから、食事がほとんど取れない。
まぁ~胃が殆ど無いんだから無理はないだろうが・・・
で・・・いつも頭を悩ませるのが、外食・・・・
殆ど食べないから無駄になるのである。
毎度のことなのに、今回もそう・・・
ラーメンを頼んでおきながら、出てきたら・・・「こんなには食えない!」と文句を言う。(汗)
御椀を別にもらい、食べられる分だけ小分けにして、残りは拙者が食べる。
親父はラーメンを3口くらい食べて・・・終わり・・・
“残飯整理”は拙者の役・・・
「おまえ、よく食えるなぁ~」と言う。
「こんなに残したら店の人に失礼だろ!」
「あ・・・そうか・・・」
「だから、外食はしないほうがいいんじゃないのって言っただろ?」
コンビニで、おにぎり1個ぐらい買って済ませればいいものを、毎回、量が多いと文句を言いながら外食である。
親父との食事は本当に頭を悩ます。(涙)

食後・・・「予科練平和記念館」へ・・・・
ここは、拙者の大嫌いな記念館である!(笑)
なにせ、展示品の説明文の文字が小さい!
加えて白地に灰色の文字だったりする。
これじゃ文字が見えないじゃないか!(怒)
薄暗い部屋に、小さな文字だったり・・・・
透明なガラス板に白文字・・・後ろが透けて文字が見づらかったり・・・
とにかく“最低”の展示の仕方なのである。
ここを見学するたび、イライラしてくるのである!(怒)
この歳になってもメガネをかけないでもいいくらい視力のいい拙者ですら読めないのである!
これでは高齢者は全然読めないのではないか?
デザインばかり凝った、格好ばかりつけた資料館である!
デザイナーにいくら払ったのか・・・
読んでもらう、理解してもらう・・・という基本的姿勢に欠けている!(怒)
日本全国、いろいろな博物館、資料館を見学しているが、その中でも最低の部類に入る資料館である!(怒)

「おれがいた兵舎は、どのあたりかなぁ?」と当時の予科練の配置図を見ながら親父・・・
「これ・・・兵舎だけど・・・神社の近く」
「ん?神社ねぇ~そんなのあったっけかなぁ~」
「じゃぁ、こっちの兵舎かな?川みたいなのが流れている近く・・・」
「あ~川・・・川ねぇ~そういえば、そういうの、あったかもなぁ~」
不鮮明な配置図を見ながらだから、よくわからんのだろうが・・・
それにしても、拙者の記憶力の悪さは親父譲りのような気がしてきた・・・(大笑)

帰りにアンケート用紙に記入・・・
前回、ここに来た時に書くのを忘れていたので、今回は・・・書く!
「何を書いてるんだ?」と親父・・・
「文句だよ!文句!」
「文句?」
「文字が小さくて読めないって!文句をたっぷり書いてるんだ!」
さすがの親父も苦笑・・・・
どうせ改善をする気はないだろうが・・・
これからは、ここに来るたびに書いてやる!(大笑)

さらにもう一箇所くらい見て帰ろう・・・と言っていた親父だが、どうも疲れてしまったらしい。(笑)
まっすぐ家に帰りたいというので・・・帰宅!(笑)

で・・・時間が出来たので、お土産の冊子を“シミズくん”に届けに行く。
で・・・ついでに、一緒に夕食を食べに出かける。(笑)

で・・・何を見てきたかって?・・・特別展?
三歩以上歩いたから・・・もう忘れた!(大笑)
報告にならない・・・相変わらずである。(大笑)

日記 | 09:45:01 | Comments(0)
『ネイビーシールズ』を見に行く
今日はお天気もいいので、どうしようかと迷ったが・・・
予定通り映画館へ行く事にした。
天気が良いのに建物の中、しかも真っ暗な中で映画を見るなんてもったいないような気もしたのだが・・・(笑)
思ったときが吉日である!
何があっても行かねばなるまい!やらねばなるまい!決めたんだから!・・・などと、まるで野田総理のような決意の下、映画館に向かう・・・・(大笑)

今回見たのは・・・『ネイビーシールズ』

img076_convert_20120626202717.jpg

「ネービーシールズ」とは、米海軍の特殊部隊のことである。
“NAVY”は「海軍」
“SEALS”の由来は?
“SKY(空)”、“SEA(海)”、“LAND(陸)”から敵地に侵入して戦う部隊だから・・・ということのようで・・・・
それぞれの頭文字SE,A,L・・・から取って名付けられたというが、これに「Seal(アザラシ)」を掛けているとも言われている。

それにしても、アメリカという国は特殊部隊が好きな国である。
グリーンベレーや、デルタフォースやら、空軍特殊部隊やら海兵隊特殊部隊やら・・・
いざというときに、どの部隊を使えばいいのか混乱するんじゃあるまいか?(大笑)

で・・・
この映画の最大の特徴は・・・
本物のシールズの隊員が出演しているということ。
俳優が演じているのではなく、本物の隊員が“俳優を演じて”(?)いるのだそうだ。
どの人も俳優に見えるのだが、俳優ではないという。
しかも、本物の兵器も登場・・・
本物の原子力潜水艦まで出てくるんだから驚きである。
更には実弾射撃・・・
空砲ではなく、本当に実弾を撃っているんだそうだ。
じゃぁ、ドキュメンタリー映画か・・・というと、そうじゃない。
ちゃんと架空のストーリーがあって、それにあわせて隊員が演じているという。
違和感が無い・・・・
演技では素人のはずの隊員が、セリフも違和感無く演技ができてしまうということは・・・
それじゃ、プロの俳優って何?・・・という気がしないでもない。(大笑)

現役隊員が出演し、実弾を撃ちまくる・・・という前評判を見て見ることにしたが・・・
期待を裏切るような内容ではなかった。
“本物”が出てくるのから、マニアックな人には興味津々の映画ではなかろうか?
淡々と任務を遂行していくという感じで、奇抜な展開が無いところが逆に良い。
まぁ娯楽映画としては可でもなく不可でもない・・という印象・・・(笑)
途中で、ちょっと寝ちゃったので・・・(大笑)、ストーリーは良くわからない・・・(大笑)

日記 | 21:37:39 | Comments(0)
EV急速充電器の争い
電気自動車(EV)は充電しなければなりません。(大笑)
この充電をするのに必要なのが「充電器」・・・・
で・・・この「急速充電器」の規格をめぐって各国の間で何やらもめているという。
わかりやすくいうと・・・
プラグの形を巡る闘争ということか?

日本は独自開発した「チャデモ」方式というのを使用している。
技術的にも先行していて、すでに世界で約1500台が普及しているという。
これに対して、後発の米国とドイツが「コンボ」という規格を持ち出してきた。
更には、あの中国が“名称不明”の「中国方式」を持ち出しているという。

国際的に統一した規格のほうが便利といえば便利だが・・・
相変わらず日本はマヌケである。
米国・ドイツは中国に対して「統一規格」を積極的に働きかけているという。
またもや、あの大東亜戦争の時と同じように、日本を包囲せんとしているのである!(大笑)

米国・ドイツ・中国が統一規格を作ってしまうと、日本の規格では海外へのEVの輸出に支障をきたすのは明白である。
中国は、なんでもいいから、兎に角、自己主張をしてゴネる国民性である。
(・・・と拙者は思っている)
うまく主張が通れば、儲けもの・・・
ダメでも、その間の駆け引きで何らかのメリットを得ようとする。
したたかな連中である。

対して日本は・・・・
EVは走行距離が短いのがネック・・・
インフラの整備がさっぱり進んでいない。

ここは中国が普段やっているように、既成事実を作ることを国家戦略とすべきである。
他国の顔色など伺わず・・・
ジャンジャン車を作って輸出して、海外のインフラ整備を進める。
日本国政府が後押しして「既成事実」を作ってしまうべきである。
韓国が竹島を“実行支配”しているように・・・後から何を言われようと、先にやっちゃったもの勝ち・・・
「いまさら変えられません」というところまで推し進めるべきである。

「国際規格」もしくは「国際標準」というのは聞こえが良いが、実際は大したものではない。(笑)
拙者の業界でも、以前、国際規格を作るための国際会議がもたれた・・・
日本の規格で物を作ったほうが高品質の部品が作れるので、日本のJIS規格を基本に国際規格を作るべきだとしたのだが・・・
結局は、米国とEU諸国に結託されてしまい、日本は惨敗!
彼らは日本の高品質の基準に従ったのでは物が作れないのである。
で・・・自分達の得意とする分野の基準は、おそろしく、いい加減な「国際規格」とし・・・
日本が得意とする分野の規格は、怖ろしくというか常識はずれの厳しい「基準」として規格を成立させた。
東京で開催された報告会で、この報告を受けた拙者は、完璧に頭に血が上った・・・(大笑)
業界の大御所・・・ジジイたち・・・先方に行って接待でも受けたのか?
ケロッとした顔で「残念ながら日本は惨敗でした」と言うんだから呆れる。
やられちゃったなぁ~
大会社の社長といっても所詮はサラリーマンである。
自分の任期が終われば・・・そのあとは関係ない・・・
オーナー社長とは“立ち位置”が違う・・・
こういう大会社の社長連中が国際規格を決める会議に出ても勝てるわけがない。
あ~あ~最悪である。

同様のことが、この急速充電器の国際規格でも起こるだろう。
「各国が協力して統一規格を開発すべきだ」と日本の「チャデモ協議会」の会長が発言しているが・・・
この会長は、日産自動車の最高執行責任者である。
本気で「各国が協力して」・・・なんて思ってないでしょうね?(大笑)
これが“本音”だったらお粗末である。
国家戦略としてガンガン押し捲っていかねば勝てぬ。
「協力して」などという寝言を言っているようでは国際競争には勝てぬ!
そういう綺麗事で済まされる問題ではない。
将来の日本のEVの輸出にも影響が出る・・・
強いては日本の将来の景気にも影響を与える問題である。

最悪・・・国際規格制定で日本が負けた場合の対策も考えておくべきである。
簡単に言えば・・・コンセントの形が違うというのと同じであるから・・・
今のコンセントの形が各国で違っているのと同じ・・・
で・・・我々は、そこに「アダプター」を付けて海外で使用しているわけである。
同じように、アダプターで対処することを念頭にあれば、何とかなるのではなかろうか?
問題は、「黄色い猿に主導権を握らせてたまるか」という欧米白人と戦い・・・
言った者勝ち、やった者勝ち・・・の中国共産主義者と戦うという根性が日本人にあるかどうか・・・である!(大笑)
主導権を握れず後手後手に回っていたのでは、日本経済の再生、復活、成長は見込めまい。

エッセイ | 11:05:01 | Comments(0)
歴史群像2011年6月号
歴史群像 2011年 06月号 [雑誌]歴史群像 2011年 06月号 [雑誌]
(2011/05/06)
不明

商品詳細を見る


NEWS TOPICS 1
甦った幕末の鶴ヶ城
  会津若松の空に映える赤瓦

NEWS TOPICS 2
桶狭間の戦いに新説!
  地図と文書から読み解いた戦いの実相

戦国の城
越中 高岡城

銘艦STORY
巡洋戦艦から転身を果たした“洋上の貴婦人”
レキシントン

日の丸の翼 №22
航空撃滅戦に求められた“技術の粋”
陸軍一〇〇式司令部偵察機(キ46)

戦史の名画を読む
アフリカ先住民に撃滅されたイギリス近代軍
イサンドルワナの戦い

歴史群像フォトギャラリー
ジミー・ドゥーリトル
  東京初空襲を成功させた“飛行機野郎”

本能寺への道
炙り出された明智光秀の素顔

激突!珊瑚海海戦
  『恥辱の日』のあとに
  「MO」作戦の起源
  回り出した「時計の針」
  “ポイント・バターカップ”への道程
  ツラギ空襲
  すれ違い
  『祥鳳』撃沈
  グッバイ“レディ・レックス”
  「痛み分け」の中身

オデッサ包囲戦
 ルーマニア軍が演じた70日の死闘

ドイツ山岳猟兵の足跡
 戦場に咲いた“エーデルワイス”

各国陸軍の教範を読む
第18回 捜索と攻撃 その10 ソ連軍Ⅱ

聖ヨハネ騎士団
キリスト教国家の尖兵から国際医療組織へ

コンパス作戦
イタリア軍を翻弄した英国流戦車運用の妙

忘れられた戦跡
テニアン島を往く

インタビュー
空母『瑞鶴』噴進砲員 川内 勝
  武勲艦・空母『瑞鶴』
  苦闘のマリアナ沖海戦
  新兵器「噴進砲」の砲員に
  空前絶後の艦隊決戦
  空母『瑞鶴』の最期

近代軍事学の道標 第7回
フリードリッヒ大王

フリードリヒ大王の戦争
PARTⅡ 七年戦争 コリーンの戦い

エジプト革命史 
「英雄」の世紀から「民衆」の時代へ



今年の読書:49冊目



読書 | 02:22:37 | Comments(0)
熱い視線?
夕方、水戸藩士“シミズくん”とお茶を飲む予定だったが、急遽、彼の体調がすぐれなくなったようで・・・
クラクラするというので、会うのは中止となった。
で・・・時間が出来てしまったので・・・・
コンビニで買い物をしようと思っていたのを変更して、いつものスーパーへ買い物に行く。

レジに並んで・・・・自分の番が来た・・・・
と・・そのとき、レジの女の子が怖ろしいことを口走ったのである!(大笑)

「熱い視線を感じて振り返ったら、目が合ったのでビックリしましたよぉ~!」
「はぁ?熱い視線?」
「そう、熱い視線・・・」
「え?・・・俺、熱い視線なんか送ってないけど・・・」
「いえ、熱い視線でした!熱い視線を感じたんですよぉ~!」
「・・・・」(大汗)
「びっくりしましたよ」
「それは、何かの勘違いだと思うんですけど・・・」(こっちのほうがビックリするわい!)(大汗)

なんということを言うのかね~彼女・・・
拙者の後ろにはズラッとお客さんが並んでいるっていうのに・・・・(大汗)

「熱い視線・・・背中に感じましたもん!」
「してねぇって!」(大笑)

あ・・・“シミズくん”じゃないけど・・・クラクラしてきた・・・(大笑)

日記 | 21:08:21 | Comments(0)
母の命日
今日は、母の命日である。
いつ死んだんだっけ?
どうも、記憶が年々悪くなってる・・・・
平成19年だっけ?
今年、5年目?
あ~よくわからない・・・(涙)
大体ねぇ~
死んで2年目に「三回忌」なんかをやるから、わからなくなるんだよな。(笑)
「二回忌」がなくて「三回忌」だから、計算ができなくなるんだよ・・・
そうじゃなくても数字が苦手なんだからさぁ~
え~と・・・そうなると「七回忌」は6年目の来年ってことかな?(笑)

それにしても、あっという間だな・・・もう5年も経ったの?

東京から妹と中2の姪が墓参りに来てくれた。
4人で楽しいお墓参り・・・である。

今回は、アジサイの鉢をお墓に持っていく。
このアジサイ・・・・
生前、母が育てていたアジサイの枝を折って、拙者が鉢に挿して育てたもの。(笑)
挿し木から育てることが出来るとか何とか、母から聞いたような覚えがあったので、やってみた。
で・・・うまく、根付き・・・花も咲くようになった。
というわけで・・・お墓に供える生花のほかに、この鉢も供えてやろう。
お墓に鉢植えを置くなんて、おかしいかもしれないが・・・(大笑)
大切なのは気持ちですよ。

母は喜んでいるか、「何?この枝ぶり」と呆れているか・・・わからないけど・・・(大笑)

日記 | 11:58:02 | Comments(0)
8万人が行方不明!
昨年1年間で、全国で行方がわからなくなり、警察に届け出がされている人が8万1643人いるという。
8万人以上もの人間が“行方不明”なのだそうだ。
しかも、昨年と比べると988人も増えているという。
8万人というと・・・軽く4個師団から5個師団の兵力が消滅したのと同じだなぁ~
この行方不明者の中には、昨年の震災で行方不明になっている5131人も含まれているという。
まぁ、この震災での“行方不明”は、本当の行方不明だから仕方がないとしても・・・
その他の行方不明ってどういうものなのだろう。

この行方不明者の6割以上が男性・・・
まぁ、それはそれとしていいが・・・
年齢別では、10代が1万8161人で最多なのだそうである!
10代って未成年者だよね?
つまりは・・・“家出”ってことかい?
2万人弱の未成年者が家出して“行方不明”とは呆れる。

一体、保護者は何をしているんだと言うのは簡単だが・・・
昔なら、子供の交友関係ですぐに見つけることができたのだろうが今は“ネット”の時代である。
見ず知らず同士でもネットで知り合い、交流を持ってしまうから、親も把握できない。
しかも、子供達の中にはネットで知り合った友人こそが“本物の友人”という思い込みが存在している。
こういう“友人”を頼り家出をされては、見つけ出すのも難しい・・・
いっそ、子供にGPSでも埋め込むしか対策はないかも・・・(笑)
困った時代になったものだ・・・

大人なら、“行方不明”も自己責任である。
借金取りから逃げるために雲隠れ・・・という場合もある。
しかし、子供の“行方不明”はマズイだろう。
仮に家庭環境に問題があっての家出だとしても・・・・

全国に防犯カメラ(監視カメラ)を網羅して、顔の認識ソフトで検索でもするか?
そうすると・・・
日本人に成りすましているような連中にとっては素性がバレそうなので反発が出るだろうなぁ~
いわゆる「プライバシーの侵害」という奴だが・・・
町を歩いていて、知られては困るというのは、よほど、後ろめたいことをしているからではなかろうか?
普通に生活している人にとっては、別に何の問題もあるまい?

行方不明者の中でも、子供達をなんとか探し出す手立てはないものだろうか?

エッセイ | 09:58:08 | Comments(0)
小会社に変更!
先日、税務会計事務所から我が社の定款について提言があった・・・・
我が社は、昭和28年に設立されたのだが・・・・
この時、我が社は「大企業」と同じ定款で会社を設立している。
その後、会社法が改正になっているが、そのままの状態が続いている。

で・・・現状は・・・・
会社は、あってもないようなもの・・・(大笑)
無いようで、実は、ある・・・(大笑)

会社法に基づき改正したほうがいいのではないかとの指摘・・・
つまり、「大企業」並みの定款から「小企業」の定款へ変更したほうがいいんじゃないかという。

一番大きいのは、役員の問題・・・
現行では、役員に欠員が出ると、誰か新たに選任しなくてはならないことになっている。
特に、現行では監査役をおくことになっているので、“小企業”にすれば、これを廃止できるそうだ。
株式譲渡に関して大企業並みに制限を設けていないので、これに対する制限を設けることで、大企業並みの“企業”から“小企業”へ変更となるらしい。

どうせ、「会社」といっても、親父と拙者だけだしねぇ~
これから「大企業」にしようなんて、思っていないんだから・・・(大笑)
何のことやら、よくわからんが・・・大企業並みではなく、“小企業”のほうに変更したほうがよさそうである。

とにかく、親父がこの世を去った後、拙者一人でも大丈夫な状態にしておいたほうがいい。
面倒くさくないほうがいい・・・(大笑)
役員は2名で、のちに拙者だけになっても大丈夫なのは“小企業”にすることだそうだ。
役員の補充選任の必要はないし、監査役も置かなくても済むように改定したほうが、後々楽だろう。
株主総会も、親父と拙者だけで済む・・・(大笑)

ということで、変更することにした。

で・・・法務局へ会社の印鑑証明を取りに出かける。
従来の会社法に従うと、毎年、印鑑証明を取って役員変更か何かの書類を提出していたみたい・・・
「みたい」・・・とは、拙者には全く記憶がないのである。
なんとも、いい加減な「会社役員」である。(大笑)
「毎年、印鑑証明を取りに行ってもらってますよ」と担当者は言うのだが・・・
昨年、法務局に行った記憶が全く無い!(大笑)
もう、何十年も行っていないような気がするのだが、拙者は、どうも毎年行っているらしい・・・(大笑)
ボケもここまでくると、大したものである。
今回の定款改正を行うと、10年間は届出を出す必要はないようである。
毎年かかる経費と、10年に1回かかる経費には大した差は無いので、手間が省けるというだけのことだが・・・
毎年行っていることすら記憶に残らないとなると、10年に1回しか行かなくなった場合、どうなるんだろう?
「法務局って、どこにあるの?」ということになるかもしれない。(笑)
いいのかな?・・・・変なところで悩む・・・・

とにかく、印鑑証明を取ってきて、担当者に渡す・・・・
これで、拙者の“仕事”は完了!
あとは・・・税務会計事務所に任せる・・・
だから、記憶に残らないんだろうなぁ~(大笑)

日記 | 11:17:36 | Comments(0)
鋼鉄の最精鋭部隊
鋼鉄の最精鋭部隊―千葉戦車学校・騎兵学校 (日本陸軍の機甲部隊)鋼鉄の最精鋭部隊―千葉戦車学校・騎兵学校 (日本陸軍の機甲部隊)
(2008/10)
菊池 俊吉、北川 誠司 他

商品詳細を見る


オリジナル・プリントで見る九七式中戦車
 千葉戦車学校の九七式中戦車
 九七式中戦車の初期生産型
 千葉戦車学校の戦車群
 機関を一斉始動する戦車中隊

戦中の対外宣伝誌『FRONT』と撮影者・菊池俊吉(北川誠司)
 昭和の写真の先駆者たち
 日本陸軍とソ連
 陸軍参謀本部の主導で
 一流の資材を揃えて
 少ない戦車の写真
 『FRONT』の効果

やっていることは、我々となにも変わらない
~不肖・宮嶋、菊池俊吉の写真を語る(宮嶋茂樹)
 『FRONT』とカメラマン
 菊池さんの写真とカメラ
 菊池さんの絵心
 戦車の事情も透けて見える
 カメラマンとして見て
 最後にひと言

PART1
千葉陸軍戦車学校
  昭和16年秋、東方社『FRONT』のための撮影

戦車の大集団による機動演習
中戦車小隊の降坂機動
小隊縦列と車長の肖像
冠水地における徒渉の状況

PART2
千葉陸軍戦車学校2
  昭和16年秋、歩戦協同訓練

雨中の歩戦共同訓練
試製一式砲戦車(ホイ)と一式自走砲原型の通過
九七式中戦車の突進

PART3
陸軍騎兵学校(習志野騎兵学校)
  昭和16年秋

軽戦車と自動二輪車の連携
泥濘地を通過する軽装甲車
機動九〇式野砲の牽引
九五式、九七式の超堤シーン

写真撮影地の背景について(北川誠司)
千葉陸軍戦車学校の歴史
 戦車学校以前~長かった初期の戦車研究
 戦車学校の成立と教育の概要
 千葉陸軍戦車学校として
 終戦まで
陸軍騎兵学校の歴史
 創設期~明治期
 機械化部隊の助走~大正期
 機械化部隊への脱皮~昭和初期
 大陸での戦いに
 戦車兵教育の更なる強化
 戦局に応じて

高荷義之×富岡吉勝流写真鑑賞術のススメ
 千葉戦車学校の“合成”写真
 防盾と砲架の隙間の微妙なカタチ
 車長用パノラマ潜望鏡の謎
 カラオケ軍歌の薦め(長い前フリ)
 ここで本題。砲と防盾の色は?
 ボルトを外すと浸水する?
 試作砲戦車が2両も写ってた
 『日本の戦車』の図面のこと
 黄色い分割線にギモンあり
 軍装品にも注目すべし
 九七式軽装甲車と九五式軽戦車
 裏話的なものも少々



昭和16年・・・
日米開戦を目の前にして外国向け宣伝を目的としたグラフ誌が創刊されたという。
その名は『FRONT』・・・・
このグラフ誌のために多くのスタッフが各地の軍施設を取材・撮影したという。
その中の一人に菊池俊吉という報道写真出身のカメラマンがいた。
この菊池カメラマンが千葉戦車学校と習志野騎兵学校で撮影した機甲部隊の写真・・・
戦災や戦後の混乱から免れて保管されていたこのオリジナル・ネガからプリントした写真をもとに、この「写真集」は構成されている。

貴重な写真である・・・・
それにしても、外国向けに、こういう戦車の写真を堂々と見せても良かったのだろうか?
「どうだ!すごいだろぉ~!」と言うわけか・・・(笑)

この『FRONT』のために撮影された写真・・・・
ただの記録写真というだけではなく、戦後の日本の写真表現やグラフィックデザインに多大な影響を与えたという。
ということは、戦車マニアだけではなく、写真撮影を趣味にする人にも参考になる写真ということか・・・


今年の読書:48冊目



読書 | 02:57:23 | Comments(0)
闇権力の執行人
闇権力の執行人 (講談社プラスアルファ文庫)闇権力の執行人 (講談社プラスアルファ文庫)
(2007/09/20)
鈴木 宗男

商品詳細を見る


はじめに~「闇権力」に近づきすぎた自分との決別

序章 外務官僚の素顔
 「受けた恩は水に流し、かけた情けは倍付けに」
 対ロ外交責任者の「幼児プレー」
 外務官僚の「恭順のポーズ」
 不正蓄財組織「ルーブル委員会」
 原資はKGB資金
 ユーロを使う「うま味」
 外交官はなぜ家を4軒買えるのか
 外務官僚が書いた大河小説
 住居手当は290万円
 バカンスでも支払われる手当
 年間807万円の「在外勤務手当」
 X資金と「腐敗と欲望の王国」
 カンヌやニースで「健康管理休暇」
 飯倉公館に眠る8000本の高級ワイン
 在外公館派遣制度という究極の無駄
 権力の奥深くで

第1章 改革の敵
 地方票は小泉批判に
 小泉総理を首班指名したわけ
 「禊を済ませてから出てこい」
 候補者選定の裏側
 日本をダメにする小泉改革
 サラリーマン増税を行う前に
 役人が政治家をコントロールするシステム
 「鈴木宗男対応マニュアル」漏洩は外務公務員法違反
 外務省の亀裂
 外務官僚が怖れる「爆弾質問」
 共産党とつながる外務官僚
 法律に定められた「武器」
 プーチン大統領の依頼
 確信犯の暴走
 新党のフロンティア精神
 個人情報保護法から除外すべき人たち

第2章 疑惑の裏側
 メディア・バッシングのきっかけ
 外務省のすり替え
 外務省に取り込まれるNGO
 紛争地におけるNGOの条件
 邪悪なシナリオ
 「闇権力の秘密」が洩れるリスク
 漏洩した文書を作成したロシア課長
 司法による行政への介入
 外務省の守秘義務違反
 「ムネオハウス」の真実
 「醜い女はいない。ウオトカの量が少ないだけだ」
 ロシア支援委員会の闇
 ロシアに渡った情報スペシャリスト
 「殴打事件」の診断書はかすり傷
 疑惑はすぐに晴れるはずだった
 異端分子を見つける「踏み絵」
 民主党にレクチャーした人物
 「闇権力」が使う典型的な手口
 極秘文書を権力闘争の道具に
 国益を最大に毀損した愚行
 「名誉と尊厳」を知る外交とは
 イランへのODAが北朝鮮のミサイルに

第3章 高級官僚の夜の顔 
 農水相の横ヤリ
 アルマジロになった局長
 「クソと味噌のあわせ汁」
 一転してバッシングの中心に
 武装ゲリラとノンキャリア
 情報源のないキャリア官僚の群れ
 テレビに映るための人質出迎え
 人質を歩かせてキルギス入りした理由
 大使とアカエフ大統領「疑惑の会談」
 外交特権でポルノ本を持ち込んだために
 自分で作ったルールを変更して大使に
 「スクール」が隠すスキャンダル
 「闇権力」の手先
 官房機密費と外相狙い
 袴田教授の「怪文書」
 600万円を1億円に膨らませた手口

第4章 腐臭が流れ出す場所
 週刊誌のスキャンダル隠蔽のために
 東郷氏が口にした「取引」
 反日デモを招いた張本人
 外務省の情報統制
 「詫び状」がいつのまにか「圧力」に
 女性家庭教師と昼も夜も
 必ず1000ドル渡す理由
 便宜供与のいい加減ぶり
 大使館の「政治部長」
 警察幹部の耳打ち
 「アメリカンスクール」の中枢にある腐敗
 知りすぎてしまったよそ者は
 女性テレビ記者二人が鉢合わせ

第5章 派閥と政治家の汚れたカネ
 1億円を「憶えていない」という神経
 「迂回献金」=「指定献金」のカラクリ
 「闇権力」を生む制度
 検察捜査の不可思議な動き
 検察が描くシナリオ
 検察調書の恐るべき魔力
 国会議員を別件逮捕する検察
 「5億円はほかの先生が使ってしまいました」

第6章 恐怖の国策捜査
 最長の拘置生活、437日
 ホテルのスイートルームで
 動物園の檻
 独房の毎日
 調べることのない「取り調べ」
 「出たいと思ったら負けだ」
 娘から届いたメール
 死者を出した国策捜査
 週刊誌の記事をネタに尋問
 「別件逮捕ですね」
 利用された釧路事務所
 見込み捜査の誤謬
 「疑惑の綜合商社」
 アフリカ外交が重要な理由
 何もしない政治家が「いい政治家」
 現職検事も「無理筋」と指摘
 国策捜査の目的と生け贄のヒツジ
 検察の「隠されたもう一つの事情」
 検察の裏金疑惑隠し
 検察をたたくと鈴木宗男事件の情報は
 「世論に押されてやりました」
 検察と官邸の密接な関係
 アメリカに逆らった政治家は
 あらかじめ狙いを定めた「悪役」
 強大な権限と完全な身分保障
 「司法改革」を掲げる大臣は

第7章 騙されたメディア
 「闇権力」のリークの仕方
 外務省の共産党シンパの動き
 信用させたあとにニセ情報を
 民間人閣僚の危険
 文書流出でロシアは
 「国民の知る権利」を奪う「闇権力」
 検察担当記者の「闇」
 「朝日新聞」と「読売新聞」の代理戦争
 オフレコ懇談会で福田官房長官は
 国策捜査を阻止するために

終章 日ロ首脳会談の真実
 領土問題解決への画期的な合意
 「クリル(北方領土)の話をしよう」
 「八方塞がり」外交の原因
 外務省が犯した六つの過失
 小泉外交の悲劇
 プーチンはマンモスと一緒か
 外務官僚の基礎体力
 小泉総理の風邪の不思議
 前総理のタイムリーヒット
 国際版「鈴木宗男対応マニュアル」
 「闇権力の執行人」との直接対決

おわりに~「闇権力」を倒す国民の英知

解説 「私たちを罠に嵌めた人々」 佐藤優
  「特命交渉」の実態
  「国賊キャンペーン」を展開した輩
  総会屋の上を行く学者
  外務官僚が隠蔽している事実
  「幼児プレー」を暴露されたくらいでは
  大使の捨て台詞
  「上海総領事館自殺事件」の情報を洩らした人物
  庶民が打ちひしがれる本の中身
  外務官僚が使った禁じ手
  自己保身のためにリークした改竄文書
  拘置所独房で考えついた結論
  ロシアの選挙に近づく日本人の感覚
  日本の「闇権力」の裏と表を



今年の読書:47冊目



読書 | 02:09:07 | Comments(0)
事後処理
会長と朝食をとりながら会務の打ち合わせ・・・・
え~と・・・昨晩は何の話をしていたんだっけ?
酔った席での打ち合わせは頭に残らない・・・・(大笑)
一から打ち合わせのし直しである。(大笑)

会長とはホテルで別れ・・・
拙者は、今日も靖国神社へ・・・
玉串料や寸志をお送りいただいた会員の方々にお土産を買わねばならぬのだ。(笑)
昨日は忙しくてお土産を買う余裕がなかったのである。

お土産を買って・・・帰宅・・・・
これから礼状を書き、宅急便で各地に送る。
正直言って・・・これが面倒で嫌いなのだが・・・・(笑)
事後処理をキッチリやらなければ「完了」とは言えない。
わかっちゃいるけど・・・である。(大笑)

ドドッと疲れが出ちゃうんだよねぇ~(笑)

日記 | 19:09:29 | Comments(0)
慰霊祭
今日は、我が戦友会の慰霊祭の日・・・・
今年は靖国神社で開催である。

前日には上京して前泊。
集合時間より前に現地入りして「受け入れ」態勢を整えておかねばならない。
常磐線は、よく人身事故でダイヤが乱れる。
死にたけりゃ別の方法で死ねばいいものを、安易に電車に飛び込むのである。(汗)
こんなバカに付き合わされて、到着が遅れては一大事・・・・
前泊しておけば、まず大丈夫なので、前泊!
危機管理である。

慰霊祭、総会、懇親会、宿泊・・・・全部、拙者が一人でこなさねばならない。
ところが、期待の“助っ人”、賛助会員が・・・・遅刻・・・・(唖然・・・)
“お手伝い”をする人は、集合時間前に来るのは当たり前と拙者は思っているのだが・・・
残念ながら、時間キッカリに到着するつもりだった様子・・・
しかも、その時間を間違えたのか、他の用事のせいなのか・・・まもなく開会だというのに姿が見えない・・・
こちらから電話をして、初めて、言い訳が出たんだから・・・時間を間違えたんだろう。(大笑)

昇殿参拝して慰霊祭をやっている最中に、ようやく駆けつけてきた。(笑)
まぁ、来てくれただけでもありがたいと思うべきか・・・
今の“若い”人間は・・・よくわからん。

慰霊祭後、靖国会館で総会・・・・
ここは基本的に参拝者の休憩所であるので、“会議”を開催するのであれば有料となる。
で・・・考えたのがお茶菓子・・・・
お茶菓子を用意して、お茶を飲みながら“雑談”・・・・
つまり、総会をやっているのではなく、お茶を飲んで休憩しているついでに、総会の内容の“おしゃべり”をするという屁理屈をこねて・・・・ここを無料で借りることが出来た。(大笑)
この手配も拙者の仕事・・・・
で・・・昨日、地元のお菓子屋さんでお茶菓子を購入して持参してきた。
荷物が多くなるので面倒くさいのだが・・・仕方がない・・・(大笑)

慰霊祭には岡山から“戦友”が来てくださっていた。
初めてお会いする方である。
ご高齢なので一人で来るはずはなかろうと思っていたら、やっぱり娘さん夫婦と一緒だった。
慰霊祭を終えたら帰るとおっしゃる。
いや、いや、折角ですから娘さん御夫婦も御一緒にと、総会への参加をお勧めして参加していただく。
娘さんに気を使ってお帰りになるつもりだったのだろう。
娘さんのほうも、“戦友会”に気を使って、別の場所で時間つぶしをされていたようである。
お気遣いは・・・無用!(大笑)
そういうこともあろうかと・・・お菓子も2人分、多めに買っておいたのである!(喜)
気楽に参加していただきたい!

今回の慰霊祭・・・・参加者は10名・・・・
総会は飛び入りのご家族を含めて12名・・・・
激減である。
一昔前なら観光バス1台分は充分に集まったのだが・・・
そういう頃には、拙者の出番は・・・ない!(笑)
拙者が首を突っ込まなくても充分やっていけたのである。
が・・・その後、ドンドン参加者が減り、企画運営する人もいなくなった。
そういう“グッドタイミング”で拙者が関わるようになったのだから、これも何かの縁だろう。
「お前が何とかしろ」という英霊の導きか?(笑)
しかし、来年はどうなることやら・・・ちょっと心配である。(涙)

総会で配布する資料・・・式次第から参加者名簿、決算書、等々は拙者が作成して準備した。
で・・・総会の司会進行、総会の議長役もぜ~んぶ、拙者が一人で務める。
青年会議所で経験を積んできたから、こういうのは苦ではない。(笑)
このくらいのことは一人でも何とかこなせる。
そういう意味では、青年会議所に入ったのは良かったと今でも思っている。
もし、この経験を積んでいなかったら・・・たぶん、いくら頼まれても無理だったろう。
が・・・願わくば、もう一人くらい、JC(青年会議所)経験者がいてくれると、参加者にもっと気配りが出来て助かるのだが・・・と思うのだが・・・無理かなぁ~(笑)
今のJCの連中はレベルが低いからなぁ~(大笑)

総会を無事に終了し・・・・
続いて、今度は、献納の桜の木へのプレートの取り付けをみんなで行う。
これは、昭和31年に我が戦友会が靖国神社に桜の木を献納したようなのだが、昨年、この木に取り付けられていたプレートが紛失していることに気がついた。
2年程前には確かに設置されていたのだが・・・
そこで、拙者の近所の銘板屋さんに頼んで再作製をしたのである。
これを取り付けるのを、今回の総会にイベントとして加えたのである。(笑)

148_convert_20120729153823.jpg 152_convert_20120729154131.jpg

再作製のプレートには、今回の設置日も刻んでおいた。
これで、平成24年の現在でも、我が戦友会は健在なり!・・・とアピールできる。(大笑)
最後の最後まで粘りに粘って戦った英霊達に顔がたつというものである。(大笑)

過去のプレートの表示によれば、献納した桜の木は「147番」の木である。
が・・・その木は、どこを探しても見当たらない。
で・・・この間まで、このプレートが取り付けられていた木は「153番」の桜の木なのである!
おかしい・・・(大笑)
これは拙者の想像だが・・・
多分、昭和31年に植えた木は、その後、枯れてしまったのではなかろうか?
それで、別の木に、このプレートを付けていたのではあるまいか?
いずれにせよ、無い木に取り付けるわけにもいかないので、以前の木「153番」に「147番」のプレートを取り付けることにした。
ペンチに皮膜付きの針金も用意してきた。
針金は皮膜付きのもの・・・・風雨にさらされて早々と錆びて切れてもらっては困る。(笑)
皮膜が付いていれば、かなり長持ちするだろう?
なにせ細かいことにも気を配らねば・・・ねぇ~

それにしても、木の育ちが悪いよなぁ~
貧弱な桜の木・・・である。
この土地・・・栄養がないのか、手入れが悪いのか・・・(笑)
桜の木なんて、あっという間に大木になるのに・・・・
我が家の隣の公園の桜の木・・・・
拙者が高校生の時に苗木が植えられたが、今では抱えられないほどの幹周りの大木に成長しているのである。
靖国神社の桜・・・・それから比べたらお粗末である。

総会は、この“式典”で終了・・・・解散!

続いて、近くのホテルに移動して懇親会・・・だが・・・
参加者は拙者を含めて、たったの4名・・・・(大笑)
旅館の大宴会場にずらりとお膳が並んだころが懐かしい・・・・(涙)
たった4人だけの懇親会・・・というより、単なる“飲み食い会”・・・(大笑)
意外にも大いに話が弾み、楽しい“懇親会”となる。
なにせ、年に1回しか会わないという、親しく話をしたことが無いにもかかわらず、なぜか話が弾むんだから不思議である。(大笑)

懇親会も無事終了し・・・・
今晩、ホテルに宿泊するのは、拙者と名古屋から参加した会長の2人だけ・・・(大笑)
ツインの部屋を用意しておいたので、部屋の中で、会務に関して打ち合わせ・・・
が・・・酔っ払っているので・・・結局、話にならない・・・(大笑)

拙者が会長と会って話をするのも、年に1回程度なので、あ~でもねぇ、こ~でもねぇの雑談で盛り上がる。(大笑)

日記 | 14:26:49 | Comments(0)
弔旗
昨日、所用で上京して一泊・・・・
今日は、まっすぐ帰宅するのも、もったいないと、上野公園を散策・・・
どこか、美術館でも見学しようかと思ったのだが、平日だというのに混雑している。
人混みに押されながら見学をするのは嫌だという我儘が頭をもたげ・・・(笑)
結局、どこにも立ち寄らず、ブラブラ・・・・

と・・・
国立科学博物館の前にきたら・・・
あら?
国旗が・・・
あれ?
今日は何かの祝日だっけ?

134_convert_20120729133049.jpg

よく見たら・・・・・
黒いリボンが国旗の上に・・・・
竿頭の金色の玉も黒い布で包まれている・・・・
あ・・・
弔旗か・・・・
寛仁殿下がお亡くなりになったので、それにたいする弔意を表しているのか・・・

あれ?今日はご葬儀?
よく“記帳”ということが行われるが・・・
あれは、どこでやっているんだろう?
行くべきか?
折角、東京にいるんだし・・・・
さて、拙者の場合は、三笠宮邸まで行って“記帳”すべきだろうか?
が・・・どうも、そういうのは拙者の性に合わない。
「記帳に行ってきたんですか?」と他人から質問されることが考えられるから、一応、行っておいたほうがいいのだろうが・・・
しかし、どうもそういう“取って付けた”ような行動は性に合わない。
こう言っては失礼だが、ミーハーみたいで嫌なのだ。
「記帳に行ってきた」ことを、さも誇らしげに自慢するような連中がいる。
同類にはなりたくない・・・
震災も同様で、“援助”に行っているようで、実は物見遊山に近い連中も多い。
「行ってきたんだよぉ~震災地!凄い状態だった~」と行って見てきたことが嬉しいらしい。
わざわざ“援助”に行くくらい、自分は“心優しい”んだと、売り込んでいるようにしか見えない・・・・という人もいる。
どうも、そういうのは好きじゃない・・・・

どうしようかなぁ~・・・・と悩んだあげく・・・行くのはやめる。
この弔旗に一礼をすることで、勘弁していただこう。
すみません・・・へそ曲がりで・・・・

日記 | 13:25:06 | Comments(0)
歴史群像2012年6月号
歴史群像 2012年 06月号 [雑誌]歴史群像 2012年 06月号 [雑誌]
(2012/05/07)
不明

商品詳細を見る


探訪 ポナペ島
 様々な顔を持つポナペ
 太平洋最大の遺跡と西欧統治時代
 今も残る日本統治と戦争の痕跡
 スタン・ガジュダ・コレクション

日の丸の翼 №28
連合艦隊の便利屋
海軍 零式水上偵察機(E13A1)

戦国の城
常陸 笠間城

歴史群像フォトギャラリー
海南島攻略
 援蒋ルート遮断
 太平洋戦争の出発点

戦史の名画をよむ
イタリア統一時に甦った“中世の栄光”
レニャーノの戦い

銘艦STORY
世界で最後に建造された巡洋戦艦
フッド
 新艦種「巡洋戦艦」
 空前の巨艦、就役す
 「世界でもっとも美しい軍艦」

戦略分析
ガダルカナル撤退作戦
 日本軍の兵力増強と戦局の緊迫化
   方面軍の新設と陸軍航空隊の本格投入
   ガ島への輸送船団の壊滅
   ブナ方面の戦局の急迫
   『南太平洋方面作戦陸海軍中央協定』
   第8方面軍のさらなる増強
 国力造成と作戦用兵の相克
   日本の戦争経済と民需用船腹の関係
   船舶問題の端緒
   陸軍省と参謀本部のミゾ
   第一次船舶増徴問題
 田中作戦部長の乱心
   第二次船舶増徴問題
   鉄拳の応酬
   バカヤロー事件
 ガ島撤退の決定
   四面楚歌の陸軍統帥部
   大本営の方針転換
   大晦日の御前会議
   「ケ号」作戦の発動
 遅すぎた兵力増強と主導権の喪失
   対立する政府と統帥部

「戦国大名」の戦争を解き明かす!!
永禄十二年 武田軍炎の関東侵攻

イタリア戦線「最後の大障壁」
ゴシック・ラインを越えて

シリア紛争史
アサド政権が歩んだ激動の40年

奮戦!幕府歩兵隊
洋式調練によって鍛えられた実力部隊

データで読む朝鮮戦争補給戦
仁川上陸の舞台裏

CG彩色でよみがえる日米機動部隊
ミッドウェー海戦

インタビュー
空母『加賀』艦攻搭乗員
前田 武

西洋戦史研究
「軍事革命」の時代

各国陸軍の教範を読む
第24回 防御その1 ドイツ軍Ⅰ

ドイツ国防軍を支えた“影の集団”
特殊部隊 ブランデンブルク
 防諜機関の設立と発展
 アプヴェーア直属の実力執行部隊
 ブランデンブルク部隊の創設
 西方電撃戦での隠れた活躍
 ブランデンブルク部隊の装備
 変質する部隊の任務
 装甲擲弾兵師団への編制替え
 ブランデンブルク部隊の最期
 師団章が証明したドイツ最高の部隊



今年の読書:46冊目



読書 | 10:12:50 | Comments(0)
政治の勉強会?
今日は地元で「政治の勉強会」(?)・・・・
“ウメちゃん”が誘われて、勉強会のチケットを無理やり2枚買わされたという。(大笑)
じゃぁ、そのうちの1枚は拙者が買ってあげるよ~(笑)
ということで・・・一緒に「勉強会」に行く事にした。

「勉強会」・・・・
何を勉強するのか・・・拙者は何も知らない。(大笑)
ただ、元総理大臣である安倍晋三さんが講師として来るらしい。
どうも、よくわからんが・・・それ・・・勉強会じゃなくて安倍さんの講演会じゃないの?

会場はホテル・・・・
約500人ほどを集める予定なんだとか・・・(笑)
ホテルの入り口には、青年会議所のOBやら現役メンバー(?)やらが、なにやらよくわからんバッジを付けて“お出迎え”・・・・
なんだろ・・・この異様な雰囲気・・・(大笑)
“ウメちゃん”と苦笑・・・・

会場で、大きな来賓のリボンを付けた“オカベちゃん”と会う。
彼は“小泉チルドレン”・・・(笑)
小泉ブームに乗って衆議院議員に当選したが、その後、すぐに自民党の惨敗とともに議席を失い、結局、政界を“引退”した。
(引退というほど活躍はしていなかったと思うんだけど・・・とりあえず引退だそうだ)(笑)
と・・・彼が拙者を見つけ・・・声をかけてきた・・・
「なんだよぉ~!俺の選挙のときには全然手伝ってくれなかったくせに!ここには来たんだぁ~!」
大勢の人がいるロビーで、大声で・・・である。
周囲は爆笑!
カチィ~ン!
このやろう!大衆の面前で恥をかかせてくれたな!
たとえ先輩であっても許せん!(怒)
口うるさいからと拙者をのけ者にしたのはそっちだろ!
“仲良しグループ”だけで周囲を固めて、選挙に負けたのは自分の責任だろ?
滅茶苦茶文句を言ってやろうかと思ったが・・・・やめた・・・
下手すると取っ組み合いの喧嘩になりかねない。(大笑)
で・・・ひと言・・・・
「ん?選挙に出てたの?シラナカッタァ~。教えてくれれば手伝ってあげたのにぃ~」(大笑)

開会に先立ち、国歌斉唱!
拙者のすぐ後ろに座っていたオヤジが・・・「国歌斉唱かよ~」と愚痴った・・・
なぬ?
国歌を歌いたくねぇって?
てめぇ、どこの国の人間だ!・・・と後ろを振り返り睨めつける。(笑)
が・・・このオヤジ・・・ケロケロとしているのには参った。
こんなバカが集まってくるようじゃ・・・ダメだな・・・・

続いて、先ごろお亡くなりになられた寛仁殿下に対し黙祷を捧げるとのこと。
決して悪いことじゃないが・・・
なんとも、取って付けたようで、違和感を覚える。
寛仁殿下とどういう関係?
知ってるのかな?・・・・みなさん・・・・

“オカベちゃん”が議席を失った後、わが町の自民党支部の支部長は不在だった。
ようやく“イシカワくん”という次期立候補者が支部長に就任したらしい。
で・・・新支部長のご挨拶・・・・
続いて、自民党の県会議員、市会議員等々・・・“先生方”のご紹介・・・・
ん?この会合は“勉強会”ではなく“自民党の支部総会”なのか?
わからん・・・・
拙者は自民党員ではないんですけど・・・(汗)

自民党選出の新人候補者の“お披露目”式なのか?
じゃぁ、後援会の集まりかと思ったら、後援会はまだ出来ていないと言う・・・
わからん・・・(笑)

ようやく安倍元総理の登場!
“案内役”として先導するのは“ミズニワさん”(大笑)
こういう目立つことが好きだよなぁ~・・・と“ウメちゃん”と顔を見合わせ、唖然・・・・
PTA会長の時に口先ばかりで、結局何もやらなかったという人である。(大笑)
肩書きと“格好付け”が最優先という、こういう人は案外多い・・・
裏方に徹することを至上の喜びとする(笑)、“ウメちゃん”や拙者とは気が合わない。(大笑)

安倍元総理の“講演会”・・・・
会場は、ほぼ満杯・・・
デジカメ取り出してパチパチ・・・・
う~ん・・・安倍さんは単なる“客寄せパンダ”か・・・・
集まった人は“イシカワくん”などよりも安倍元総理を見に来たミーハーか・・・
さすがに同類と思われたくなかったのでデジカメを取り出すのをやめる。(大笑)

安倍元総理のお話は、なかなかお上手・・・・さすがだなぁ~と思う。
総理の座を途中で投げ出したという批判の声もあるが・・・
拙者は心情的には安倍さんには好感を持っている。
が・・・開口一番、子供の頃からの持病で総理の座を途中で投げ出さざるを得なかったという“言い訳”には首を傾げざるを得ない。
子供の頃からの持病が原因なら、最初から総理という激務に就くべきではなかったのでは?(笑)
政治家の話は、聴衆を“楽しませる”ということに主眼が置かれていると思う。
だから・・・勉強にはならない・・・(大笑)
拙者は安部元総理を警護するSPの“立ち位置”のほうに興味があって、話をまともに聞いていなかった。(大笑)

なんだか主旨の良くわからない“勉強会”を終えて・・・・(大笑)
“ウメちゃん”と食事に出かけ、ついでに酒も飲み・・・帰宅する。
我々のような“裏方大好き人間”は、たまには“外気”に触れねばならぬ。
そういう意味では、充実した夜であった。(大笑)

日記 | 11:09:50 | Comments(0)
寛仁殿下ご逝去
2階の自分の部屋から茶の間に降りたら、茶の間にいた親父が言った・・・
「三笠宮がお亡くなりになったらしいぞ」
ガ~ン!
ショックである!
ガクッと腰が抜けるほどのショックである。

そうだよなぁ~殿下はもう96歳だから・・・・
お亡くなりになられても仕方がないよなぁ~
テレビを見ていたらニュースが流れたらしい。
拙者はテレビを見ていなかったので全然知らない。
と・・・・
「若かったんだな・・・三笠宮様・・・」と親父・・・
ん?
若い?
「いや、三笠宮殿下は96歳だけど・・・」
「いや、若かったな・・・」
「三笠宮崇仁(たかひと)殿下だよ、いつも俺が殿下って言ってるのは・・・」
「崇仁だったかなぁ~・・・・よくわからんが、髭を生やしている三笠宮様だぞ」
「じゃぁ、息子さんのほうだ!」

崇仁殿下ではなく、息子さんのほうの寛仁(ともひと)殿下がお亡くなりになられたのか!
こう言っては本当に申し訳ないが、ショックが幾分和らいだ・・・
が・・・いやぁ~参ったなぁ~
崇仁殿下のお気持ちを察すると・・・これは堪らん・・・・
子供に先に旅立たれたのでは・・・・

三笠宮崇仁殿下には息子さんが3人おられるが・・・・
三男の高円宮は平成14年に47歳で急死されている。
たしか、このご不幸から間もない時に、戦友会で殿下にお会いしたが・・・・
余計な気遣いを嫌う方なので、仰々しいお悔やみの言葉を述べるのもいかがなものかと迷ったものである。
ご心痛はいかばかりかと、こっちが泣きたい思いだったが、殿下は毅然とした、いつもと同じご様子・・・
なおさら、殿下のご心中を思うと、こっちが辛かった・・・

で・・・今度はご長男の寛仁殿下か・・・
96歳の殿下のショックは、いかばかりか・・・
いくらなんでも、こういう仕打ちってあるのだろうか?
不謹慎な言い方かもしれないが、神も仏もないのだろうか?
96歳の殿下を、そこまで苦しめることはないんじゃないか?
息子さん2人を先に奪うとは・・・・
いくらなんでも、そりゃねぇだろう!(怒)
神様というのが実際にいるのなら、ちょっと文句を言いたいものである!

殿下に最後にお会いした時に、殿下は寛仁殿下を非常に誉めておられた。
「父親の私が言うのも何ですが、寛仁は大した男だと思います」とおっしゃっていた。
それを思い出したら涙が出てきた・・・

寛仁殿下は、癌の手術など合計16回もされているという。
ツライと思うんだよなぁ~
これは何度も手術というのを経験したことがない人ではわからないかもしれない。
拙者も多少は経験しているからわかるんだが・・・精神的に参っちゃうんだよね・・・
が・・・・常に前向き、積極的・・・
その生き方にはお父様の崇仁殿下も脱帽だと・・・・
そうおっしゃられていたが・・・なんとも残念!

崇仁殿下のお体が心配だ・・・
百合子妃殿下も89歳になられるから、妃殿下も心配だ・・・
殿下、妃殿下、どうか倒れないで下さいと祈ることしか拙者には出来ない・・・

日記 | 23:02:45 | Comments(2)
マタハリ
マタハリ (中公文庫)マタハリ (中公文庫)
(1989/02)
秋本 典子、マッシモ グリッランディ 他

商品詳細を見る


 1 死を待つ獄舎

 2 束の間の仕合せ

 3 家族の崩壊

 4 マック・レオド大尉

 5 地獄の儀式

 6 パリへ向かう

 7 霧のなかの出会い

 8 サロメの踊り

 9 エスヴルの城

10 軽やかなギャロップ

11 見知らぬ賛美者

12 スパイという因果な稼業

13 悪夢

14 運命の電報

15 恐るべき告発

16 むなしい弁護

17 軍法会議

18 暁の処刑

訳者あとがき



「マタハリ」と聞くと、即、「美人女スパイ」と頭に浮かぶ・・・・
そのくらい有名な「世紀の女スパイ」・・・・
しかし、具体的にどこまで知られているかと言うと・・・怪しいものである。
「美人スパイ」としか思い浮かばない。
その伝記が本書である。
第一次世界大戦において、ドイツのスパイとして活動した罪でフランスで処刑された。
が・・・彼女はフランス人ではなく、オランダ人である。
そもそもはダンサーである。
舞踏家といってもいいかもしれないが・・・
その彼女のダンスが“妖艶”だということで大人気・・・・
翻訳本なので、どうもそのあたりがハッキリしないのだが、私の受け取った感覚では“ストリッパー”とほとんど同じだったのではあるまいか・・・という印象を受ける。
当時としては、かなりの“露出度”で踊っていたようである。
その彼女が、何ゆえにドイツのスパイになったのか・・・
ここがまたよくわからない・・・
人気ダンサーが、だんだん落ち目になっていく・・・
歳を取り、“妖艶”にも翳りが出てくる・・・・
“色気”も・・・だろう。
“女の武器”にも錆が出始める・・・と言っていいかもしれない。
で・・・ドイツのスパイ?
どうもピンと来ない。
しかも、どれほどのことをしたのかと言っても、そうそう大したことはしていない感じなのである。
落ち目になったダンサーが注目を浴びたかっただけなのか?
誰かに縋りたい・・・の、その相手が、たまたまドイツだったのか?
彼女は夫に捨てられパリに行き、ダンサーとして注目を浴びる・・・
「マタハリ」の由来はインドネシアのジャワに行ったことがあるので、その名を考えたようで・・・
ジャワの踊り子?インド舞踊の新人?・・・・
いずれにせよ、経歴詐称か、ハッタリ・・・である。
が・・・ダンスは本当に観客を魅了する素晴らしいダンスだったらしい。
実力はあったんだろうが・・・
どこで歯車が違ったのか、ボタンを掛け違ったのか・・・・
最期が銃殺刑とは・・・・
読後感は・・・ため息・・・・
哀れさしか感じられない・・・・
なんと不幸な人生か・・・と言うのは簡単だが、単純に“不幸”とも言い難い。
ある種の“強欲”が、招いた結果ともいえるし・・・
最大の不幸は、彼女がダンサーとして後世に名が残ったのではなく、“女スパイ”として名が残ってしまったことではなかろうか・・・・
本人は不本意だろうなぁ~


今年の読書:45冊目



読書 | 20:18:04 | Comments(0)
旅行社と打ち合わせ
ホテルをチェックアウトして新橋駅へ・・・・
当初の予定より早い時間に新橋駅前でガダルカナル島の遺族“ハタナカさん”と待ち合わせ。
当初より前泊を予定していて正解だった。

新橋駅前のビルの喫茶店で、11月のガダルカナル島の巡拝旅行の打ち合わせをする。

“ハタナカさん”は福岡の人だが、所用で上京していた。
で・・・帰宅の前に、直接会って打ち合わせをしようと言うことになり、今回の会合となったのである。
若いときには東京で働いていたそうで、その時からの馴染みの蕎麦屋があるというので、そこで昼食をご馳走になる。
感謝である!(笑)

133_convert_20120728205226.jpg

食事後、東京九段にある旅行社へ二人で向かう。
今まで、拙者が仲介役として旅行社と打ち合わせをし、旅程の原案作りをしていたが、細かい質問等は旅行社の担当者と直接話をしたほうが良かろう・・・・
基本的には、できるだけ安く・・・というのが希望だが、これがなかなか難しい。
出来るだけ短期間で回りたい・・・というのも飛行機の便数の問題でなかなか難しい。
なにせ燃油サーチャージもいくらになるのか、まだハッキリしない状況なのである。
しかも、不思議なことに、大手旅行会社に丸投げするツアーと料金的に大して差がない・・・・
オーストラリアなどの余計な場所の滞在が2泊くらい含まれたり、余計な観光が含まれていて・・・なのだから、なぜ大して料金に差が出ないのかがわからない。
本来なら余計なところに立ち寄るほうが、かなり高くなっていいはずなのだが・・・
“ハタナカさん”が事前に準備してきた質問事項を旅行社に投げかけてもらい、それを参考に更に旅程を組みなおすことにして打ち合わせを終える。
実際にツアーの企画を考えると、なんだかんだと細かいことで頭が痛くなる。(笑)
参加者それぞれの“価値観”の違いもあるから、調整するのが大変である。

基本的には旅費を安くするためには添乗員を付けない方がいい。
そうなると・・・個人の責任で全て移動をしなくてはならない。
が・・・参加予定者のなかにトラブルメーカーとなり得る人達がいる・・・(笑)
持ち込んではいけないものを持ち込んでしまう人・・・(大笑)
空港で問題を起こしても、添乗員はいないから自分で対処してもらうしかない。
が・・・年配者なので、自分では対処できない。
となると・・・拙者が対応するしかないか?
ならば、拙者の言うことを聞いてくれないと困るのだが、「大丈夫ばい!」と言って受け付けない。
前回もそれで揉めたんだから・・・今回は・・・と思うのだが・・・多分、反省はしていないだろう。
そういう人が参加するとなると・・・
オーストラリアの経由は避けたい・・・・(笑)
食料品の持込が厳しいのである。
それを説明しても、多分、インスタントラーメンやら何やらと持ち込んじゃうんだろうなぁ~
ああいう人は・・・
で・・・空港職員に取上げられて大騒ぎ・・・
英語が話せないから・・・拙者が呼ばれて対応させられることになるだろう・・・・
あ~・・・いやだ・・・(大笑)

計画段階で・・・疲れる・・・(大笑)

「現地に行けば何とかなるばい!」という安易な考え方を持っている方がいる。
前回訪問したときに知り合った人を頼りに、現地でのことは、そこへ任せれば安くなるだろうという考え方・・・
拙者はこの考え方には反対なのである。
往復の航空券だけを旅行社で手配して、現地のホテルや車、ガイドは、前回会った人を頼りに直接手配すれば安いだろうというが・・・
上手くいかなかったときの責任は、全て自己責任となる。
そのせいで、現地で巡拝慰霊の目的が達せられなかったとしても、日本へ帰国する便に乗り遅れたとしても、全て自己責任である。
旅行社も誰も責める事は出来ない・・・・
が・・・多分、そういうことは思っていないだろう。
旅行社に責任を押し付けるか、現地のホテルに責任を押し付けるか・・・
最終的には拙者が責められることになるかな?(大笑)
とにかく、前回の旅行で、参加者の個性がわかっているだけに・・・・恐い・・・(大笑)
僅かな金銭をケチって、大失敗となったらバカである。(大笑)
何しに行ったのか、わからなくなる。

というわけで・・・現地で手配する件は全て却下!(笑)
旅行社でも、そのほうが良いと言う。
当然、旅行社を通して現地で手配するのがマナーだろう。
航空券、ホテル、現地での車とドライバー、ガイドの手配など、メインとなる部分は同じ旅行社を通しておいたほうがいい。
何かアクシデントがあっても、対応してもらえる。
これを個別にやると、いざとなった時には誰も対応してくれない可能性がある。

とにかく、自分勝手に動きかねない方々が参加予定者の中にいるので・・・(笑)
一番、神経を使うところである。
予測して計画をせねば・・・
予想外でした・・・は通用しない。(大笑)

とにかく無事に打ち合わせを終えて、“ハタナカさん”と別れる・・・・
たったこれだけの用事で上京とは・・・と言えなくもないが・・・(大笑)
この、顔を合わせて話をするというのが大事だと思うのである。
メールでの打ち合わせもしているが、やっぱり顔を合わせて話し合うというのは基本だと思うのである。
充実した一日だった・・・(喜)

日記 | 19:44:06 | Comments(0)
逆さ門
109_convert_20120728142127.jpg

仙台市指定有形文化財(昭和61年12月20日指定)
荘厳寺山門

三間一戸の薬医門(やくいもん)で切妻造本瓦葺(きりづまづくりほんかわらぶき)の堂々たる門である。
江戸時代初期の上級武家門として数少ない遺構である。
寛文(かんぶん)事件で知られる仙台藩奉行(家老)原田甲斐宗輔(かいむねすけ)の片平町にあった屋敷門を移築したものと伝えられ、逆臣の門ということで、「逆さ門」とも呼ばれていた。
老朽化のため、平成5年と6年の2ヵ年にわたり解体修理工事を行った。
その際、柱材の上下を逆さに、左右の位置を交換して立て直した「門」であることが判明、「逆さ門」のいわれが明らかとなった。

平成10年7月 仙台市教育委員会

(説明板より)

原田甲斐邸薬医門(俗称「逆門」の由来
万治3年(1660)伊達家騒動により綱宗が隠居したが、その後甲斐一門一族の処刑がなされた。
勿論、六親九族七世に及んだ処刑によって事件に関係のない幼い子供迄も無実の罪を背負いながら死んで行った。
そして甲斐ゆかりの全てのものは完全に破壊されたが、最後に一番堅牢な薬医門が唯一つだけ残った。
巨木をはめ込みに組み立てた薬医門は取り壊しにかかったが、解体作業の人夫は不慮の事故で怪我をしたり又は夭死するものさえ出たと伝えている。
このため解体を取り止め焼却されることになったが、その晩から夜毎に子供の泣き声が聞こえて来たという。
恐らくは楔をはずしたために軋む音が聞こえたのかもしれない。
当時、荘厳寺の住職は名僧知識として世に誉れ高く伊達家の厚い信任を得ていた。
この聖人はひそかに、原田甲斐一門の迷える霊を供養して、唯一の名残である四脚門を功徳山・荘厳寺に「悪を善に転じて」移建することを推進して許されてから逆さに移建した。
そのため世に「逆門」として言い伝えられ、現在に至った原田甲斐一族の唯一の名残である。

(説明石碑・碑文より)

逆門の謂れある山門の史蹟
寛文事件と云われた伊達騒動、怨親二つに裂けた敵味方の争憂の中で、、当代の家老職に在った原田甲斐の守は一切の責めを負うて死んだ。
その怨親二つに裂けた多くの犠牲者を弔う意が深く秘められているのが、この山門であると思う。
当代荘厳寺の住職は伊達藩の信望も深く許しを得て、悪を逆さにして善であると云う其の意を以って原田甲斐邸の屋敷の門を荘厳寺に逆に移建し其の霊を弔ったと云う。
其の門の側に石地蔵尊三体の立つ姿に気付く者は少い。
此の地蔵さん門を弔う形に座っているのである。
当時原田甲斐邸より此の逆門を潜って脱出し生還を企った者の幾人かは助かったが、多くは此の山門の処で斬殺されたと云う。
赤児の死体のみでも門のまわりに十七遺体を数えたと云うから其の死体は累々と重なり山をなしたことであったろうかと相像する。
其の犠牲者を弔った面影が残る地蔵さんである。

第二十八世住職 聖誉一阿哲園謹書

(説明石碑・碑文より)


より大きな地図で 逆さ門 を表示


史跡 | 19:19:58 | Comments(0)
仙台へドライブ(4)
次に向かったのが「荘厳寺」・・・・
ここに「逆さ門」というのがあるので、それを見に行くという。
この門・・・
伊達騒動の原田甲斐の屋敷門を移築したものだという。

105_convert_20120728135941.jpg

原田という人は“悪い”人だったようで・・・(良くは知らないんだけど・・・)(笑)
この人の屋敷門の柱を上下逆さまにすることで、「悪から善に替える」という意味を持ったらしい。
で・・・このお寺にこの門を移築して、原田一族の霊を弔うということになったらしい。

“シミズくん”と違って拙者は知識がないから、どうも、さっぱりわからんのだが・・・
とにかく、そんないわれがある有名な門なのだそうだ。(笑)

ここを見学して・・・・

帰りに、一箇所だけ、拙者の我儘を通してもらい、支倉常長の銅像に立ち寄ってもらう。
以前ここに来た時、夕方で暗くなってしまい、いい写真が撮れなかったのである。(涙)
というわけで・・・再度、どうしても写真を撮り直したかったのである。

125_convert_20120728140750.jpg

時刻は午後1時・・・・

今回の史跡巡り、拙者の都合で、ここまで!(笑)
本来ならば、日が暮れるギリギリまで史跡巡りをして帰宅したいところなのだが、本日中に上京しなくてはならない。
ということで・・・早めに切り上げて帰途につくことにした。
“シミズくん”には申し訳ないのだが・・・・

帰宅途中に「白石城」に寄ってみようかという案もあったが・・・
今回はこれも断念し・・・いつか、そのうち・・・ということにする。

途中で、遅い昼食・・・・ラーメンを食べ・・・帰宅。

今回の旅行中に、モデムが届いていたので、モデムを交換・・・
故障したモデムと交換するのだが、故障したモデムは便利なことに宅配業者が持って行ってくれるという。
拙者は、すぐに上京しなくてはならないので、宅配業者へ渡すのを親父に頼み、特急に飛び乗り東京へ・・・

いやぁ~かなりハードな一日だった。(大笑)

が・・・2日間、運転をし続けた“シミズくん”のほうが、ハードだったかも・・・(笑)
いやぁ~御苦労様!感謝、感謝である!

旅行 | 18:40:39 | Comments(0)
細谷地蔵
099_convert_20120725190338.jpg

細谷地蔵
~細谷十太夫(1845~1907)と『烏組(からすぐみ)』~

諱(いみな)は直英、武一郎とも称し、鴉仙(あせん)と号した。
1868年の戊辰戦争の際、仙台藩の大番士であった十太夫は密偵として二本松にいたが、5月1日の白河城攻防戦の敗戦を聞くや官軍と戦うため須賀川で民兵を募集、博徒、侠客等57人が集まった。
『衝撃隊』と名付けたが、黒装束をまとっていたことから『烏組』と呼ばれるようになり、後には実際に烏を連れ歩いたといわれ、隊旗にも烏を描いた。
槍と刀を武器に夜襲を得意とし、30余戦ことごとく勝利を収めたといいその勇猛果敢な戦いぶりは、『細谷からすと十六ささげ なけりゃ官軍高枕』とまでうたわれ恐れられた。
戦争は、官軍の勝利に終わり、烏組も翌年には解隊となったが、十太夫はその後も陸軍少尉として西南戦争に従軍、また県吏員、牡鹿郡大衡道開拓場長として士族授産事業にかかわり、さらに日清戦争にも軍夫千人長として参加するなど多方面に活躍した。
晩年は、仏門に入りかねて敬慕していた林子平の墓所・ここ龍雲院の住職となった。
墓は、本堂西側にある、この座像はその十太夫の姿であり『細谷地蔵』という。

(説明板より)


より大きな地図で 細谷地蔵 を表示





史跡 | 17:02:03 | Comments(0)
林子平の墓
094_convert_20120725180222.jpg

国指定史跡
林子平の墓
昭和17年7月21日指定

林子平は江戸時代後半、「三国通覧図説」「海国兵談」などを著わして海防の必要を説いたわが国海防の先覚者であったが、人心をまどわすとして寛政4年幕府から罰せられ、幽閉された。
「親もなし妻なし子なし版木なし金もなければしにたくもなし」ととよんで自ら六無斎と号した。
寛政5年6月21日病没し、竜雲院に葬られたが、罪人のため墓碑を建てることはできなかった。
天保13年にようやくゆるされ、甥の珍平によって、この墓碑が建てられた。

仙台市教育委員会

(説明板より)


より大きな地図で 林子平の墓 を表示


史跡 | 16:00:44 | Comments(0)
仙台へドライブ(3)
ホテルをチェックアウトして、今日も史跡巡りに出発!
朝食は・・・昨日、立ち寄ったファミレスで食べることにした。(笑)
まぁ~芸がないといえば芸がないが・・・
一度入ったことがある店は、なんとなく気軽に入りやすい。
新たに店を探すのは面倒である。(笑)

モーニングセットを食べた後、向かったのは・・・・
近くにある「仙台文学館」・・・
昨日、この前を通過したときに、「北斎漫画展」というのをやっていることを知り、ちょっと見てみたいと思ったのである。
拙者の“気まぐれ”である。(大笑)

079_convert_20120724120930.jpg(仙台文学館)

拙者は葛飾北斎が好きなわけでもなく、“漫画”が好きなわけでもない。
以前、東京の元浅草のお寺で北斎の銅像の写真を撮り、住職の案内でお墓参りをさせていただいたことがある。
ただ、それだけのこと・・・(笑)
拙者は、どうも銅像に出会っていないと、その人物に興味や親近感が持てない性格らしい・・・(大笑)
ある意味・・・病気?(笑)

img078_convert_20120724125205.jpg

『北斎漫画展』は、北斎生誕250周年を記念した特別展だった。
134点の再摺作品や51点の版木が展示・・・・
北斎の絵も素晴らしいと思うが・・・
拙者は、その絵を版木に彫った人が凄いと思う。(笑)
細い線、細かい線、文字・・・よく彫ったものだと感心する。
と、同時に摺った人も凄い・・・濃淡をうまく出さねばなるまい?
う~ん・・・北斎より、その“絵”を忠実に作品化する職人のほうが凄いんじゃあるまいか?(大笑)
“名も知れぬ”職人達の技・・・
そっちのほうに興味が行ってしまった。(大笑)

ついでに・・・(笑)・・・常設展も見学・・・
仙台にゆかりの作家たち・・・・
「井上ひさし」という人がメインのような気がしたが・・・
この人のことは、以前、テレビでチラリと見たことがあるが、どんな作品を書いた人なのか全然知らない。(笑)
「伊集院静」「俵万智」という名前だけは聞いたことがある作家などに関する展示があったが、その他の方々は申し訳ないが作品どころか名前すら知らない。
それにしても、“ゆかり”の作家って、こんなにいるんだぁ~
うらやましい限りである。

わが町の場合、どうなんだろう?
『ある町の高い煙突』を書いた新田次郎くらいしか思い浮かばない。
一人じゃダメか・・・・
我が町に「文学館」なんか造れないな・・・(大笑)
拙者は、どうしても“街づくり”を考えてしまうのである。
郷土博物館や科学館はあるが、美術館や文学館は・・・ない・・・
う~ん・・・文化レベルが低い・・・
こうなったら、“シミズくん”や拙者が作家になって、のちのち、わが町に「文学館」を造らねばなるまい!(大笑)
・・と・・・妄想を思い浮かべながら見学をする。(大笑)

時刻は11時半・・・・

次に向かったのは、“シミズくん”が希望する「龍雲院」・・・お寺である・・・(笑)
ここに「林子平」の墓があるという!
おお!林子平!知ってるよぉ~(笑)
銅像の写真・・・撮ったもんね~(大笑)

080_convert_20120724132732.jpg

林子平・・・・
「親なし、妻なし、子なし、版木なし、金もなければ、死に度もなし」と言い、“六無斎”と号したという。
う~ん・・・拙者の場合は・・・親父が生きてるから・・・
「妻なし、子なし、仕事なし、金もなければ、死にたくもなし」ということで、“五無斎”と号しようかな?(大笑)
林子平は「寛政の三奇人」の一人である。
“三奇人”とは、林子平、高山彦九郎、蒲生君平・・・の3人を指す。
3人とも銅像の写真・・・撮ったもんねぇ~(笑)
福岡県久留米市にある高山彦九郎のお墓にも行ったことあるもんねぇ~(笑)
これで三奇人のうち2人のお墓参りをしたことになる!
“シミズくん”に感謝!

ここには万城目先生の墓もある・・・・
「万城目って誰?」
「“りんごの歌”の作曲者・・・知らない?」と“シミズくん”
“りんごの歌”?
「リンゴの花がぁ~咲ぁいてぇ~いるぅ~」とは違うよな?
あっ・・あれは「みかんの花が咲いている~」か・・・・
頭の中がゴチャゴチャである。

“シミズくん”は「博学」だが、拙者は「薄学」である。(大笑)
同じ「はくがく」でも、ちょっと字が違う・・・(大笑)

101_convert_20120724142639.jpg
(作曲家 万城目 正の墓)

また、ここには細谷十太夫の墓もあるという。
益々わからねぇ~(笑)
“シミズくん”はご存知のご様子・・・・
この人・・・隠密だったそうで・・・明治時代に、このお寺の住職になったそうだ。
「細谷地蔵」という、この人の石像も建っていた。(銅像ゲット!)
これで、拙者の記憶に残るぞ・・・(笑)

103_convert_20120724150144.jpg
(細谷十太夫の墓)

旅行 | 11:58:46 | Comments(0)
仙台東照宮
070_convert_20120724095905.jpg

東照宮由緒

御祭神 徳川家康公
例祭 4月11日

仙台藩2代藩主伊達忠宗(だてただむね)公は、徳川幕府への尊崇・感謝の標として、慶安2年(1649)5月28日、3代将軍徳川家光公に東照大権現の仙台勧請(かんじょう)を願い出て許しを受け、同年8月17日普請始(ふしんはじめ)(着工式)を行った。
この地は玉手崎(たまてざき)とよばれ、天正19年(1591)10月、徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終へて江戸へ戻る途中、藩祖伊達政宗公と宿陣された所で、祭神縁(ゆか)りの場所として社地に選ばれたという。
尚、この地にあった天神社は東隣に移され、寛文7年榴岡に移された(現在の榴岡天満宮)。
社殿が完成したのは、着工以来5年後の承応3年(1654)である。
同年3月16、17日に造営落成御遷座(ごせんざ)の儀式が荘厳(そうごん)に行われた。
造営に当った人足58万3千675人、大工12万9千967人、材木2万4千730本、総工費小判2万2千496両を要した。
諸国に材を求め、一流の工匠が工事に携(たずさ)わる等、仙台藩総力をあげての大事業であり、伊達文化の粋を結集したものであった。
以後、伊達家の守護神として尊崇され、明暦元年(1655)より毎年9月17日を祭典日と定め、藩主在国の年には城下18ヶ町に命じ神輿渡御(みこしとぎょ)の先駆として山鉾を出さしめ、藩内最大の祭礼であった。
この祭を仙台祭と称し、江戸時代末期まで盛大に行われた。
昭和10年8月6日早朝、失火により弊拝殿(へいはいでん)が焼失し、貴重な文化財が烏有(うゆう)に帰したが、昭和39年11月17日、氏子崇敬者の協力により原形に復興された。
本殿・唐門(からもん)・透塀(すきべい)・随身門(ずいしんもん)・石燈籠(とうろう)・石鳥居(とりい)は国指定重要文化財に、手水舎(てみずや)は県指定有形文化財に、それぞれ指定されている。
昭和53年6月、唐門・透塀の大修理が竣工、昭和55年6月には本殿の修復工事が完了して、創建時の荘厳華麗(かれい)な姿に復元された。

境内社 古峰神社
境内地 9千700坪
鎮座地 仙台市東照宮1丁目6番地1号
東照宮社務所

(説明板より)

073_convert_20120724103516.jpg

重要文化財 唐門・透塀
昭和28年3月31日指定

唐門は一間一戸向唐門、銅瓦葺。
正面円柱、背面角柱、花崗岩の礎盤の上に立つ。
天井と垂木の間、蟇股、扉の綿板に金箔を押す。
蟇股に牡丹の花、扉の綿板には紗綾形模様を彫り出し、鳳凰、麒麟、唐獅子の浮彫を付ける。
鳳凰は動乱の世を鎮める名君の象徴で、牡丹は富貴善美を表わしている。
彫刻部分に生彩色を施し、破風板、木口等要所に飾金具を取り付けた、形態均衡をえた流麗な門である。
透塀は一周延長四十四間(79.4メートル)、銅瓦葺。
花崗岩の基壇上に土台を廻し、角柱を建て、腰長押、内法長押を付す。
襷文、連子窓は黒漆喰。
長押には飾金具を付ける。

弊拝殿
弊拝殿は御神前に弊帛や献上物を捧げ、祭祀を行う為の社殿である。
大きさは三間二間、背面に一間一間の弊殿を設け、屋根は入母屋造銅瓦葺。
軸部は頭貫・長押・板壁の和様で桟唐戸が付く。
創建当初の弊拝殿は昭和10年8月6日、失火で焼失し、現在の社殿は昭和39年11月に、氏子崇敬者の尽力により原形に復興された建物である。

(説明板より)

076_convert_20120724110300.jpg

県指定有形文化財
昭和39年9月4日指定
手水舎(てみずや) 附水盤

承応3年(1654)造。
木造、欅材、木地呂塗。
屋根切妻造銅瓦葺。
水盤は備前国大島産の花崗岩で出来ています。
手水舎は参拝の前に口と手を水で洗い、心身(しんしん)を清めるところです。

(説明板より)


より大きな地図で 仙台東照宮 を表示


史跡 | 15:55:31 | Comments(0)
政岡廟
052_convert_20120723222421.jpg(三沢初子の墓)

仙台市指定史跡
三沢初子の墓など
昭和47年2月1日指定

三沢初子の墓
三沢初子は尼子氏の重臣三沢清長の娘で、後に3代藩主綱宗の側室となり、亀千代(4代綱村)を生む。
貞享3年48才で没す。
法名 浄眼院殿了岳日巖大姉
寛文事件(伊達騒動)の時には、12年にわたり幼君亀千代を守って辛労した。
歌舞伎「先代萩」の政岡は、三沢初子をモデルにしたものと言われている。
明治初期までは本殿、唐門、拝殿があったが伊達家の祭祀が神式に改められて撤去された。
徳川振姫の墓
徳川振姫は姫路城主池田輝政の娘で、2代将軍徳川秀忠の養女となり、後に2代藩主忠宗の正室となる。
万治2年53才で没す。
法名 孝勝院殿秀岸日訊大姉
稲葉氏仙姫の墓
稲葉氏仙姫は小田原城主稲葉正則の娘で、後に4代藩主綱村の正室となる。
宝永3年48才で没す。
法名 万寿寺殿宝蓮浄晃尼大姉

本山孝勝寺

(説明板より)


より大きな地図で 三沢初子の墓(政岡廟) を表示


史跡 | 14:37:57 | Comments(0)
歩兵第4連隊兵舎
024_convert_20120723231555.jpg

仙台市指定有形文化財
昭和53年6月16日指定
旧第四連隊兵舎

明治7年(1874)に造営された兵舎建築で、宮城県内に現存する洋風建築では最古のもの。
瓦葺寄棟(かわらぶきよせむね)造り木造2階建で、漆喰(しっくい)塗りの大壁、建物角隅にはコーナーストーン、ガラス入り上下窓、出入口のポーチには洋風円柱、雲形の彫刻を有する階段等の特徴を持つ。
これらは明治6年完成の名古屋第六連隊兵舎と似ていることから、当時の兵舎建築の基準に則ったものと考えられる。
終戦まで60年間にわたり旧陸軍の兵舎として使用された後、終戦から昭和31年までは米軍が駐留、その後、昭和50年まで東北管区警察学校等に使用された。
内部はその都度改造されているが、昭和53年文化財に指定された後、明治37年の状態に復元された。
なお、同様の兵舎が7棟残されていたが、これ以外の兵舎や本部等の建物は榴岡公園整備のため昭和52年2月に取り壊された。

(説明板より)

026_convert_20120723233135.jpg 028_convert_20120723233320.jpg



より大きな地図で 歩兵第4連隊兵舎 を表示


史跡 | 13:13:12 | Comments(0)
仙台へドライブ(2)
次に向かったのは・・・「仙台市歴史民俗資料館」
この建物は、旧日本陸軍歩兵第4連隊の兵舎だった建物である。
前回仙台に来た時に時間がなくて訪れることができなかった場所である。
いやぁ~申し訳ないねぇ~拙者の我儘を聞いていただいて・・・
早速、館内を見学する。

023_convert_20120723152211.jpg

042_convert_20120723152429.jpg

約30分ほどかけて見学・・・時刻は午後3時半を過ぎた。

次は、ここから徒歩で「政岡廟」へ行こうということになる。
「政岡廟」って何だ?(笑)
相変わらず歴史に疎い・・・・
「政岡の墓を見に行きましょう」と“シミズくん”
「政岡?どこかで聞いたことがあるような・・・」(笑)
「三沢初子ですよ。ほら・・・」
「あ~!三沢初子ね!」・・・と言っても、よくは知らない・・・(大笑)
たしか、昔、東京の目黒を“ぶらり旅”していたときに、どこかの寺に三沢初子の銅像があって、それを写真に撮ったことを覚えているだけである。
何をした人かは・・・さっぱり・・・知らん!(笑)
誰の娘で、誰と結婚して、誰の母だとかという難しい話はどうも苦手なのである。
その点、“シミズくん”は大したものである。
そういうことをよく覚えている。
どういう脳味噌なのか不思議で仕方がない。(大笑)
あの銅像の人のお墓がこんなところにあるのかぁ~という“感動”だけで同行・・・・(大笑)

048_convert_20120723221926.jpg

廟所は門が閉まっていて、中には入れない。
道の反対側に「案内所」というのがあったが不在・・・・
連絡先に電話をしてみたら、管理者のお寺の方が門を開けに来てくれるという!
いやぁ~とんでもない手間をおかけしてしまった!(笑)

まもなくお寺のお坊さんがやってきて門を開けてくれた。
しかも、解説までしてくださった。
いやぁ~申し訳ございません・・・・
拙者には良くわからないが・・・(笑)
“シミズくん”は話の内容が良くわかるので、かなり会話が弾む・・・

051_convert_20120723222246.jpg(廟所)

052_convert_20120723222421.jpg(三澤氏初子之墓)

10分ほど、お話をうかがいながら墓所を見学し、お参りさせていただく。
感謝、感謝である。

時刻は午後4時・・・・

「仙台市歴史民俗博物館」近くの駐車場に車を停めていたので、そこまで戻る。
博物館で購入した『仙台の戦争遺跡』という冊子によると、この近くに『歩兵第4連隊跡』の碑があるらしいので、これを探しながら戻ることにした。
この碑は、是非写真に収めたい!(笑)
今度は拙者の希望で・・・ということになる。
うまいことにお互いの希望が交互・・・となるので、こういう旅は楽しい!(喜)

公園内に『連隊碑』を見つけ!(大喜)

057_convert_20120723223209.jpg

歩兵第4連隊は明治8年に編制された歴史の古い部隊である。
だいたい、西南戦争に参加したんだから・・・古い・・・(笑)
その後、日清・日露戦争、満州事変、日中戦争、そして大東亜戦争に参加する。
日米開戦時にはジャワ島の攻略に向かっている。
その後、一部はガダルカナル島でも戦っている。
あ~・・・以前、拙者が訪れた、あのガダルカナル島でも戦っていたのかと感無量・・・・
その後はビルマ方面で戦い、連隊本部はサイゴンで終戦を迎え、軍旗を現地で奉焼している。

さて・・・今度は“シミズくん”の番である・・・(笑)

「東照宮」!(笑)
へぇ~・・・仙台にも東照宮ってあったの?(笑)
知らないというのは怖ろしいものである・・・な~んにも知らない・・・(笑)
だから楽しい・・・とも言える。

065_convert_20120723225718.jpg

まもなく午後5時・・・・
昼食が早目だったので腹が空いて堪らん!(大笑)
ホテルにチェックイン前に、途中のファミレスで軽く食事・・・
(と言っても・・・ハンバーグ定食!)(笑)

今日の史跡巡りは、ここまで・・・・
ファミレスでおしゃべりして、ゆっくり休んでからホテルに向かう。

チェックイン後、夕食に・・・・
先ほど食事をしたばかりだが・・・夕食は別である。(大笑)
当初は「牛タン定食」でも食べたいものだと思っていたが、市街地まで行って食事をするのが面倒になった。
雨が降り出したのである。(笑)
そこで・・・“シミズくん”持参のアイパッドで近くのレストランを見つけて出かける。

レストランは・・・ハンバーグが主体のお店だった。(大笑)
先ほどハンバーグは食べたばかりである。
またもやハンバーグでは芸がない。
ということで・・・贅沢にもステーキにした。(大笑)

さんざん見て回り、贅沢な夕食を食べ・・・幸せである。
しかも車の運転は“シミズくん”だし・・・拙者は楽チン!(笑)
誘ってくれた“シミズくん”に感謝である。

旅行 | 12:17:05 | Comments(0)
懸造跡
005_convert_20120722220709.jpg

003_convert_20120722220818.jpg(説明板より)

懸造跡(かけづくりあと)

懸造(かけづくり)建物は、仙台城本丸東辺の艮櫓(うしとらやぐら)と巽櫓(たつみやぐら)の間に位置している。
現在の土居晩翠歌碑の南東付近と推定される。
崖に突き出した数奇屋風(すきやふう)書院造りの建物で、『仙台城及び江戸上屋敷主要建物姿絵図』でそのようすを知ることができる。
構造は京都の清水寺(きよみずでら)本道の舞台に類似している。
初代藩主伊達政宗の頃より記録にある建物で、眺望を活かして賓客(ひんきゃく)の接待に使われた。
安永4年(1775年)の記録によれば、長さ9間半(約19m)、横3間(約6m)の規模であった。
懸造は伊達家の建物に特徴的で、戦国時代に伊達氏の居城があった米沢城の庭園にも「御かけつくり」と称する建物があったと伝えられている。


より大きな地図で 懸造跡 を表示


史跡 | 11:04:51 | Comments(0)
次のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。