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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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済州島の旅(9)
ホテルに戻り、玄関の「喫煙所」で一服・・・
このツアーでタバコを吸うのは拙者と“タマノさん”の二人だけ。
タバコを一緒に吸うというのは、いいコミュニケーションになるんだけどねぇ~(大笑)

そうだ・・・思い出した・・・
昨晩、ホテルの売店で、このお店のオバチャンに客を連れて来て欲しいと頼まれたんだっけ!(笑)
通路の一番奥にある店なので客が誰も来てくれないから、ツアーの仲間を連れて来てくれと両手を合わせて拝まれたのである。(大笑)
というわけで・・・“タマノさん”を誘って、お店に連れて行きオバチャンに紹介する。
(拙者はポン引きか?)(笑)

さて、拙者は暇である・・・
済州島も今晩が最後・・・
ホテルの周囲を散策しよう。
バスに乗って移動ばかりで、ホテルの周囲を全然知らないというのも面白くない。

で・・・まずは、ホテルを出て、右に歩く・・・・
行けるところまで行ってみる・・・
と・・・途中で、すれ違った初老のオヤジに日本語で「こんばんは!」と声をかけられた!
ん?ポン引きのオヤジか?
と・・・睨めたら・・・
あら・・・同じツアーの“ヨコヤマさん”!!
あっ・・・失礼しました~(大汗)
道が暗くてお顔が良く見えなかったのである。(大笑)
“ヨコヤマさん”は、この先のスーパーに買い物に行って来たと言う。
「で・・・どこへ行くの?」
「はぁ、ただの散歩です!」(笑)

ホテルを中心に縦の道、横の道と歩いてみるが面白くない。
今度は、左、左、左と角を曲がれば、元の位置に戻るだろうと歩いてみる。
が・・・あれ?
ここはどこ?(笑)
見たことない道だぞ・・・
じゃぁ、右、右、右?
いや、右、左、左・・・か?
適当に道を曲がっているうち、ついに迷子になっちまった!(汗)
周囲は真っ暗である・・・・
あらら・・・

現地ガイドは、「済州島は国際的な観光地を目指しています」などと言っていたが・・・
どこが国際的なんだ!
見渡してもハングル文字しか見当たらない・・・
おい、おい、英語の表記はどこかにないのか?
この町には通りの名前を記した標識はないのか?
市街マップは?
現在地はここです・・・みたいな地図看板はないのかね?

マイッタァ~
文明の利器・・・タブレットは部屋に置いてきてしまったのである。
もし、持ち歩いて引ったくりにでも遭ったら大変だと思い置いてきてしまった!
あれがあれば現在地がわかるんだが・・・
しかし、ホテル名もハングルで表示されるから、どっちみちホテルの場所はわからず、使い物にはならなかったかも。(笑)

しかし、それにしても参ったぞ・・・・
完璧に方向感覚が麻痺してしまった!
大通りに出れば、何か看板があるだろうと思って大通りに出たら何もない・・・
大通りなんかに出ちゃったから、益々わからなくなった。
来た道を戻ろうにも、どこをどう曲がったのやら思い出せない!(大汗)

たしか・・・マネキン人形があったお店の角を曲がったような・・・
行ってみると、商店街のショーウィンドーにはシャッターが下り、店の看板も電気が消えている。
さて・・・どのお店だったか・・・?????
時間が経つに連れ、ドンドンお店の電気が消えていく・・・・
ヒェ~わからねぇ~

と・・・ビルとビルの間から、我がホテルのマークが見えた!
おお!
あっちの方角か!(大笑)
全く別の方角に向かって歩いていたことに気がつく。(恥)
やっぱり宿泊するホテルは高層で、てっぺんにホテルのマークや名前の看板があるホテルに限るねぇ~(大笑)

方角がわかったので、その方角へ向かうが・・・
近づけば近づくほど、今度は周囲のビルに遮られてホテルの建物が見えなくなる・・・・
で・・・またもや・・・迷子・・・(大笑)

おい、おい、今晩中にホテルに戻れるか?(大汗)

1時間以上も歩き続け、ようやくホテルに戻れた!
喉もカラカラ・・・汗びっしょりである!(大笑)

というわけで、ホテル内の売店へ飲み物を買いに行ったら、“タマノさん”がお店のオバチャンとおしゃべりしていた。
拙者の顔を見るなり、このオバチャンが騒ぎ出した。
なにごと?
「ちょうどあなたの話をしていたところよ!」
グッドタイミング・・・だったらしい・・・(笑)
「いいお客さんを紹介してくれたから、あなたにプレゼントを渡してくれと頼んでいたところよ~」と言う。
ん?売り物のポーチを拙者にくれるって?(笑)
「あなた、タバコ吸うの?」
「はい、吸いますよ」
「何を吸うの?」
「マイルドセブンのエクストラ・ライト」
「3ミリね・・・韓国のマイルドセブン・・・これもあげる!」
「いや、いや、オバチャン、それじゃ悪いって~。ジュースを買いに来ただけだから・・・」
「ジュース?何、飲む?」
「コカコーラを買おうかなって・・・」
「コカコーラね・・・これもあげる!飲んで!」
「いやいや、あれ?・・・それじゃ悪いから・・・お金を払うから~」
「いいの、いいの、いいお客さんを紹介してくれて本当にアリガトね~何か御礼をしないと気が済まないの」

“タマノさんを見たら、大きな布バックがパンパンになるほど日本へのお土産を買ったようである。
「ゲッ・・・タマノさん、こんなに買ったの?」
「いや、この半分ぐらい・・・半分はオバチャンからのプレゼント・・・」(大笑)
「うそぉ~」(大笑)
「いやぁ~オバチャンと話が盛り上がっちゃってねぇ~」
「え?1時間もここにいたんですか?」
「そうなるかなぁ~」(笑)

どうせ、他にはお客は来ないから、閉店まで店でタバコを吸ってジュースを飲んで、おしゃべりしていってくれと言う。(笑)
で・・・オバチャンの身の上話・・・
なにせ、少女時代に日本へ密入国したところから話は始まるから・・・長い・・・(大笑)
このオバチャンの気前の良さはどこから来るのか・・・・(笑)
ネットでも有名らしく、昨日は、日本人の女の子達がネットでオバチャンのことを知った・・・とお店にやってきたとか。
「ネットって何のことだかわからないんだけどね。あたしのことが書いてあるって・・・」と笑う。

普通ならば、たったこれっぽっちしか買わないのかと嫌な顔をされるはずだが・・・・
拙者は昨晩、ジュースを2本しか買っていないのだし・・・・
「お客さんを連れてきたよ~」って言っても、ツアー客全員を連れて行ったわけではなく、たった一人だけだし・・・(笑)
「その気持ちが嬉しい」と言われても、こんなにタダでいただいたのでは・・・
不思議なオバチャンである。(笑)
こんな気さくな、商売抜きで感謝してくれる人も珍しい・・・・

またまた不思議な“韓国人”に会ってしまった。(大笑)
大学教授夫妻といい、このオバチャンといい、拙者の知っている韓国人とはかなり違う・・・
おかしい・・・
済州島の韓国人は人種が違うのか?(大笑)

閉店の時間となり、オバチャンとはお別れ・・・・
我々は明日の便で帰国するので・・・本当のお別れである。
店の外まで出て、両手を合わせて拝まれる。(大笑)
思わず・・・「また来るからぁ~!」と言ってしまった。
拙者は韓国が嫌いなんだけどなぁ~(大笑)

オバチャンの思い出として・・・もらった品を写真に撮って残すことにする。
パチリ・・・

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このタバコは・・・もったいなくて吸えないなぁ~(大笑)

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旅行 | 15:20:02 | Comments(2)
済州島の旅(8)
次に向かったのは、松岳山海岸(ソンアクサン)にある人間魚雷「回天」の秘匿壕。
ここは、観光名所でもあるらしい・・・
現地ガイドが、何とかって言う韓流ドラマのラストシーンを、ここで撮影したという話をする。
やたらと韓流ドラマの話を持ち出すのだが・・・
拙者にはさっぱりわからない。
見たことがないのだ。(大笑)
テレビをつけておいて、韓国語の声がしたら、さっさとチャンネルを変えてしまうのである。
これはもう反射神経と言っていいほどなのである。(笑)
生理的に受け付けないんだよね~
だから韓国のドラマなんか見たことないし・・・俳優も知らない・・・
ドラマに熱狂している日本のオバタリアンは韓国へロケ地を見に来るのだろう。
だから現地ガイドさんも「この韓国のドラマ・・・知ってますよね?」と必ず、話に出てくる。
残念でした・・・知りません!(大笑)

200_convert_20120715123714.jpg

202_convert_20120715123454.jpg

ここの海岸に、いくつもの横穴が掘られている。
これが人間魚雷「回天」の秘匿壕跡である。
ここに回天部隊が配備されることになっていたようだが、幸か不幸か、配備前に終戦を迎えたので、実際にここに「回天」が収められてはいなかったようである。
人間魚雷「回天」より特攻艇「震洋」のほうが配備が早かった・・・ということになる。

この洞窟を間近で見ようと、興味津々の年配者3名ほどが海岸へ降りていった。
現地ガイドが、「立ち入り禁止になっているから止めたほうがいい」と言ったが・・・行ってしまった。(笑)
拙者は、タバコを吸うほうが最優先・・・・
実戦配備されていなかった基地跡なら見に行っても仕方があるまいし・・・
立ち入り禁止というのであれば、下手にトラブルは起こしたくない。

駐車場から秘匿壕跡を見て・・・タバコを吸いながら他の参加者と雑談・・・
教授の奥様がアイスを買ってきて差し入れしてくださった。
いやぁ~感謝、感謝、かたじけない・・・
初日は雨が降り、この2泊3日のツアーの天気が気になっていたが・・・
幸いにも今日は雨に遭わず、曇り空でなんとか持ちこたえている。
が・・・少々暑い・・・
グッドタイミングのアイスに感謝・・である。

まもなく、壕を見に行った方々が戻ってきた・・・・
「立ち入り禁止にはなっていなかった」と言う。
あ・・・ガイドに騙された・・・(笑)
ツアーでは、こういうことはよくあることである。
特になぜか女性ガイドに多い・・・・(笑)
一方的に強引に言うのだが、これが間違っていたり、いい加減だったりするのである。
これはフィリピンでも経験済み・・・
壕のところまで行かれては時間がロスするということで、行かせないための「立ち入り禁止」との警告だったかも知れない。(うがった見かたかもしれないが・・・)(笑)

今日の見学は、これで終了!
時刻は午後5時半を過ぎた・・・・
市内に戻り(多分・・・)、夕食・・・・
今日は焼肉らしい・・・・
本日一日、ご案内役を務めてくださった教授ご夫妻を招いて一緒に食事をする。

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より大きな地図で 人間魚雷「回天」秘匿壕跡 を表示


旅行 | 14:57:56 | Comments(0)
済州島の旅(7)
次に向かったのは「アルトル飛行場跡」・・・・
ここは日本海軍の済州島海軍航空基地跡である。

最初に訪れたのは「通信施設壕」と呼ばれている場所である。
さきほどの海岸から30分弱ほど車で走ったところにある。
時刻は午後4時半・・・・

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出入り口らしきコンクリートの半円の筒状のものが2基、平行に並んでいる。
これがV字型もしくはU字型に繋がっていて、その中心に5本の煙突のようなものが見える。
草木に覆われていて煙突なのか柱なのかは、わからないが・・・
「これが通信施設と思われます」との教授の説明。
これに対して拙者は疑問を呈したところ「そうですか?」とあっさりと尋ねてくる。
「どちらかというと、燃料庫のような気がしますが・・・」
「そうですか・・・燃料庫ねぇ~・・・そういう可能性もあるかな?」
「煙突のようなものが5本あるでしょ?あれが気になるんですよ。揮発性の高い燃料のガス抜きの煙突の可能性もあるのではないでしょうか?」
「そう、私も、それがわからないんですよ。あの5本の煙突みたいなのが何か・・・」
「ですよね?アンテナならば5本も横並びに建てないと思うんですよね」
「燃料貯蔵庫ねぇ~・・・・一応、私の調査では通信設備・・・ということにしていますが・・・」
「いや、私も確証はないんですけどね。もしかしたら・・ということで・・・。とりあえず通信設備ということで今のところはいいんじゃないでしょうか?」
写真家の“ヤスジマさん”は、かなり戦跡を巡り本も出版されているが、彼も確証が持てないと言う。
とりあえず、教授の説でいいだろうということになる。

それにしても驚いた・・・・
拙者が教授の説に疑問を言ったことに対する教授の対応・・・
拙者が今までに会ったことのある韓国人なら「何を言うか!私は専門家です!あなたなんかにわかるはずがない!これは間違いないんだ!」という具合に、強い自己主張と日本人に対する侮蔑を混ぜた反応を示すだろうから、同じような対応をしてくるものと覚悟していたのだが・・・
あれ?・・・拍子抜けである。
「なるほどねぇ~」と言われちゃっては、ガクッ・・・である。(笑)
拙者の「韓国人観」とは、かなり違った人なので驚いた。(大笑)
拙者は韓国人は好きではないが・・・(大笑)・・・この人は別だな・・・
非常に常識・良識のある方とお見受けした・・・・
いやぁ~参った・・・脱帽である。(笑)

次に向かったのが、「掩体壕」のある場所・・・・
「掩体壕」は、コンクリートで造られたもので、この中に航空機を入れて敵の銃爆撃から機体を守る施設・・・
このアルトル飛行場には、今でも19個もの掩体壕が残っているという。

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畑の中の狭い農道を行ったり来たりして、バスの車窓から掩体壕を見る。
“ヤスジマさん”は以前、ここへ来て、一人で全部の掩体壕を見て回ったという。
「かなり時間がかかりましたよぉ~」と笑う。
そうだろうねぇ~
こう点在していたのでは・・・・

ここは畑や空き地になっているが、韓国空軍の土地だそうである。
以前、ここに飛行場(韓国空軍基地?)を造るということで、これら日本軍の遺跡を取り払うという話が持ち上がったという。
この時に、貴重な戦争遺産・歴史遺産を保存すべきだということで取り壊しの反対運動をしたのが教授たちだという。
おかげで、今でも日本軍の戦跡が、そのまま保存されている。
“日帝時代”の遺産は見るのも嫌だとばかり、壊したがる韓国人の中で、歴史遺産として位置づけ、保存しようと言うのだから大したものである。
その見解は大いに正しい!(喜)
日本統治時代の韓国総督府の建物を壊した連中とは大違いである。
あの歴史的価値のある建物を壊すんだから・・・・愚かである。
ちなみに、台湾では、当時の台湾総督府の建物は現在も維持されている。
教授のような常識のある韓国人に会えて良かった・・・と思う。

バスの中で見るばかりでは・・・ということで、1箇所だけバスを降りて内部を見学することになった。
へぇ~・・・である。
かなり天井が低い・・・
「これで飛行機が入ったかねぇ~?」と参加者達・・・
「う~ん・・・かなり埋もれているんじゃないんでしょうか?」(笑)

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次に向かったのは、すぐ近くにある「給水塔」・・・・
「各地の類似した戦跡のものと比較して、これは給水塔の跡だろうと判断しました」と教授。
なんと謙虚な言い方なんだろう・・・・(笑)

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180_convert_20120714230853.jpg(飛行場跡)

周囲を見ていて、どうしても気になる場所がある・・・・
小高い丘に見えるが・・・どうも怪しい・・・(笑)
拙者の勘が、そう言うのである・・・
と・・・教授が、地下施設へ案内すると言って歩き出した。
「戦闘指揮所壕ではないか」と言っていたと思うが・・・
向かった先は、やっぱり拙者が怪しいと睨んでいた丘だった。(大喜)

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この施設は戦闘指揮所の退避壕かもしれない。
以前、ペリリュー島へ行った時に同様の形状の壕に入ったことがある。
ペリリュー島の飛行場の戦闘指揮所の建物のすぐ近くにあったので、これも同様の目的で作られたものではなかろうか?
規模は若干違うが、内部の形状等はほぼ同じである。
ペリリュー島のもののほうには出入り口に鉄の扉が付いていたと記憶している。
ペリリュー島の壕と同じ形状であることを教授に伝える。

187_convert_20120714232608.jpg(入り口) 190_convert_20120714232725.jpg(内部)

続いて、ここから少し離れた場所へバスで移動・・・・
ここは弾薬庫があった場所で、終戦後、米軍の手により爆破されたという。
で・・・火山のクレーターのように陥没している。

195_convert_20120714233348.jpg 198_convert_20120714233500.jpg

ここは旧日本軍の弾薬庫という歴史的場所というより、島民虐殺の現場というほうが有名な歴史的場所のようである。
島民虐殺の慰霊碑が建ち、なぜか、日本語の説明碑も建っている。

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(説明碑)
ここは、太平洋戦争当時、済州島民の強制動員によって造られた島内最大の弾薬庫であったが、戦争が終わると米軍により爆破され陥没した跡地である。
その後、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると内務部の治安局は、日本植民地統治下で我が民族を抑圧していた旧予備検束法を悪用して要注意人物や不審分子を逮捕・拘束し、拘禁者を処刑するようにと各警察局に指示を送った。
これに従い、モスルポ警察署管内でも344人を予備検束し、監視していた。
そしてモスルポ駐屯の政府軍は同年7月16日頃に20人、8月20日に193人など、210人以上を法的手続きもなしに集団虐殺・埋葬し、遺族に遺体を引き渡さずに民間人の出入りを統制していたが、1956年の春にようやく遺骸発掘が許された、すさまじい歴史の現場である。
(碑文より)

どうやら・・・弾薬庫跡のこの陥没した穴に、島民を虐殺して埋めたらしい・・・
あらら・・・である。

時刻は午後5時半・・・・
なぜかまだ明るい・・・(笑)

もう1ヶ所、今度は人間魚雷「回天」の基地跡を見に行く。


より大きな地図で 済州島海軍航空基地跡(アルトル飛行場跡) を表示


旅行 | 13:09:55 | Comments(2)
済州島の旅(6)
さて、次に向かったのは「高山里水月峰(コサンリ・スウォルボン)」の海岸・・・
ここは日本軍の特攻艇・震洋の基地があった場所だそうである。
配備されていたのは第120震洋隊。
通称は小野部隊、総員191名、震洋5型が26隻配備されていたといわれている。

127_convert_20120714093643.jpg(水月峰)

130_convert_20120714094226.jpg

「水月峰」を左に見て・・・海岸線を歩いていく・・・
と・・・・
海岸の崖のところにコンクリート製の施設が・・・

133_convert_20120714095842.jpg

132_convert_20120714100340.jpg

現地には説明板が立てられていたが、ハングルと英語・・・
内容は、ここに特攻艇の基地があったという話だけで、このコンクリート製の設備が何であるかは書かれてはいない。
教授の話によれば、発電設備か何かではなかろうかと言う。
看板に使用されている写真のうち、集合写真は、小野部隊の写真で、宿泊所として使用していた高山里小学校の前で昭和20年5月に撮影されたものとされている。

この2つの“設備”は、内部で繋がっているようには見えず、それぞれが独立している形となっている。
気になるのが“ハの字”形に空いている四角い穴・・・・
これ・・・なんだろう?
監視哨の窓にしてはおかしな形である。
やはり“発電設備”というのが妥当な線か?

134_convert_20120714101129.jpg 136_convert_20120714101254.jpg(内部)

ここを見学して、再び「水月峰」のところまで戻る。
ここの“岬”(?)の側面にいくつもの横穴が掘られている。
これが震洋艇の秘匿壕である。
この坑道は10箇所あったとされている。
その一部をここで見ることが出来る。

その壕のすぐ近くに説明板が建っている。
こちらはハングルと英語と日本語の三ヶ国語で書かれていた。
が・・・内容は「スウォル峰の火山礫屑岩の堆積構造」についてだった・・・(大笑)
天然記念物なのだそうだ。
壕のすぐ目の前にあるので、震洋艇の壕についてかと思ったのだが・・・
価値観の違いというものであろう・・・
が・・・考えてみると、天然記念物の横っ腹に穴を開けちゃったということになるか・・・(大笑)
いやぁ~こりゃ失礼・・・だが・・・
当時としては仕方がなかったか・・・

142_convert_20120714105012.jpg 
144_convert_20120714105204.jpg

ここで、ちょっとお時間を頂いて、この秘匿壕を見に行く。
他の人はなぜかあまり興味がないようで付いて来ない。(汗)
興味津々、何でも見てやろう・・・という年配者2名と一緒に見に行く。(大笑)

149_convert_20120714110023.jpg(壕の内部)

壕の入り口はかなり埋没していたが、内部を覗いてみたら、かなりシッカリと造ってある。
拙者としては全部の壕を見たかったが・・・
他の人をあまり待たせるのも申し訳ないので、二人の年配者に声をかけ2箇所だけ覗き込んで戻ることにした。

次は、海軍の飛行場跡へ向かう・・・・

このツアーの引率をしてくださっている写真家の“ヤスジマさん”と意外なことで話が合う。
彼は拙者より1歳年上・・・・
で・・・以前、写真家の“エナリ先生”と一緒にパプアニューギニアへ行った話をしたところ、なんと、最初は“ヤスジマさん”が誘われていたそうなのである!(笑)
彼が断ったので、拙者が誘われ、一緒に同行したということが、初めてわかった。(大笑)
「え~!僕が断ったら、あなたに話が行ったんですか!」と大笑い。
いやぁ~世の中って狭いねぇ~(大笑)
共通の話題で大いに話が弾む。
写真家の世界の話もいろいろ聞かせていただいた。

もうお一人は、“ヨネヤマさん”・・・・
防衛省の職員で、出張先のソウルから合流された方。
拙者と同い年である。
彼は防衛研究所に勤めているという。
あらら・・・拙者は時々、防衛研究所に行きますけど・・・(笑)
拙者は1階に行くが、彼は2階いるという・・・あらら・・・奇遇ですねぇ~(大笑)
これまた、世の中って狭いねぇ~・・・・である。


より大きな地図で 第120震洋隊基地跡 を表示

旅行 | 12:20:18 | Comments(0)
済州島の旅(5)
市内に戻り(多分・・・)レストランで昼食・・・
これは何と言う料理なんだろう・・・
よく知らないけど・・・・
テーブルに小鉢が並ぶが、これで4人前・・・
正直言って・・・足りない・・・(笑)
この小鉢を4人で突くんだから、腹一杯食べるというわけにはいかない。(笑)

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味は決して悪くないのだが、馴染めないのが、金属製の箸・・・・
箸が金属製というのは、どうも抵抗がある。
この箸で食べ物を口に入れても味気ないような気がして、どうも好きになれない。

食事後、次に向かったのは「戦争歴史平和博物館」・・・・
「済州島平和博物館」とも言い、「カマオルム地下要塞」とも言う。
ハッキリしろ!・・・と言いたいが・・・(大笑)
ここは日本軍の第111師団歩兵第244連隊の駐屯地跡である。
歩兵第244連隊は昭和19年8月に高知で編成された部隊である。
ここ釜岳(カマオルム)というところに洞窟陣地を造ったが、まもなく終戦を迎えた。
現在の館長が、このカマオルム一帯を買い取り、この陣地跡を保存、復元し、ここに博物館を建てたのだそうだ。

125_convert_20120712223655.jpg(博物館)

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(館長さんから説明を受ける)

082_convert_20120712224906.jpg 083_convert_20120712225027.jpg

展示館内を見学・・・・
当初は、太平洋戦争関係のものだけしか展示していなかったそうだが、それでは反日に偏ってしまい、本来の平和の教育としては問題があるだろうということで、最近はそれ以外のものも展示するようにしたと言う。
あくまでも「戦争」というものを考えてもらいたいということなんだ・・・という。
誠に納得できる話である。
韓国人の中にもこういう人がいるのかと感心した。

日本からは以前から他にも見学者が来ているようで、寄せ書きなどを残している。
我々も寄せ書きを書いてくれるよう頼まれたので、拙者も書いたが・・・・
これを日本人による“懺悔”や“謝罪”という扱いをされないことを望む。(笑)

086_convert_20120712230056.jpg

これは2010年11月に起きた「延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件」の時に、北朝鮮から撃ち込まれた砲弾の残骸だという。
形からして・・・・普通の大砲の砲弾ではなく、ロケット弾のような気がするが・・・
こういう最近のものも展示している。
それにしても、よくこういうものを入手できたもんだと、参加者一同が驚嘆していた。
北朝鮮からの砲撃の証拠品だからなぁ~
よく個人でやっている博物館に提供してくれたものである。
また、変に反日感情を煽るような展示館ではないので好感が持てた。(笑)

078_convert_20120712231036.jpg

カマオルムの地下要塞は、こんな感じです・・・という模型・・・
まるで蟻の巣のようである。

外へ出て・・・山の斜面に作られた地下壕入り口に向かう。
途中、斜面にいくつかの洞窟陣地の出入り口らしい穴が木々の合間に見えたが、こちらは中には入れないようである。
見学できる洞窟陣地は1つのみ・・・・

089_convert_20120713212602.jpg(陣地入り口)

090_convert_20120713213147.jpg


地下坑道はご丁寧に板で屋根と壁が作られていて、雰囲気は・・・イマイチ・・・
板壁のない部分を触ってみると、土は砂礫のようなボロボロした“土”である。
どうも火山灰か火山の溶岩、火山砂礫で出来ている山のようである。
これなら短期間で掘ることは出来るだろうが、強度としては、どうだったのだろう・・・
ドカン!・・・と砲弾が落ちた途端にバラバラと土が崩れ落ちるのではあるまいか?(汗)
こうなると、実際に本土決戦が行なわれた場合、どこまで持ちこたえられたか疑問である。

093_convert_20120713213732.jpg

097_convert_20120713213932.jpg 099_convert_20120713214051.jpg

縦横に坑道が走り迷路のようである。
一部の坑道には日本兵の人形を置き、当時の雰囲気を表している部分もある。
細かい点は別として・・・まぁ、なかなかよく工夫をされている。

約10分ほど、地下要塞内を見学し、外に出て、今度は山頂に向かう。
標高は141mだという。

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頂上で、済州大学の教授から説明を受ける。
が・・・拙者はみんなから離れて写真撮影!
先生には申し訳ないが、説明は全く聞いていない。(笑)
とにかく団体行動は写真が撮りづらい。
誰かしらが必ず写真に写ってしまうのである。(涙)
写真に写らないようにと気を使ってくれる人は、まず皆無と言って良い。
拙者としては、人間を入れたくないので、みんなが一箇所に集まって説明を聞いているときがチャンス!
この時に撮らねばと周囲を一人で走り回る。(大笑)

104_convert_20120713220359.jpg(山頂から見た景色)

120_convert_20120713221140.jpg

このあたりに高射砲陣地があったという・・・・
陣地跡のすぐ後ろの斜面に横穴が・・・
退避壕にしては、斜め下に下りていく感じで掘られている。
なんで斜め下に向かって掘られているんだろう?
弾薬庫だとしたら、弾薬箱を持ってこの斜面を登ってくるのは、かなりキツイ気がするが・・・

116_convert_20120713222329.jpg

時刻は3時半・・・
ここを約1時間強ほど見学したことになる。
館長さんの見送りを受けて、次の訪問地へ向かう。

次に向かうのは、当初、このツアーの訪問地として予定にはない場所・・・
教授が、ここから近いからということで案内してくれるという。

今回の旅にも拙者はドコモのタブレットそ持参してきた。
今回も「マップ」は使えるので、現在地はわかるが・・・・
なんと!
地名等の表記は全てハングル文字である!
読めねぇ~!(怒)
なにこれ・・・
この地図はグーグル・マップか?
他の国の地図は主だった地名はカタカナが併記されている。
が・・・中国と韓国は、日本語の併記がない。
どういうことよ!
中国は漢字だから何となくわかるが・・・
韓国!・・・てめぇふざけるんじゃねぇぞ・・・と言いたくなる。(大笑)
現在地はマークが点滅するからわかるが、地名は完璧に理解不能である。
ハングル文字を知らないお前が悪い・・・と言うことか?
便利なはずが、不便である!
このタブレット・・・日本で買ったけど・・・韓国製?



より大きな地図で カマオルム地下要塞 を表示

旅行 | 11:24:54 | Comments(0)
済州島の旅(4)
今日は済州大学の教授ご夫妻が案内役をしてくださる。
教授は拙者と同世代の方のようである。
で・・・奥様が若くてお美しい!(感動!)(笑)
どこかのモデルさんか芸能人か?・・・と思うほど・・・
最初は秘書か旅行社のガイドさんかと思ったが、奥様と聞いてビックリ!
こんな美人の奥さんをもらうなんて・・・うらやましい。(大笑)
お二人とも日本語が話せるので会話にはそれほど不自由はしない。

最初に向かったのが「済州4.3平和公園」・・・・
戦後、韓国で起こった現地住民虐殺事件の犠牲者を追悼する場所らしい。

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記念館の内部は、日本語の話せる説明員が案内してくれた。

記念館の中には戦時中の資料も若干展示されていた。
日本軍に関しては、ほんの1コーナーだけだったけど・・・・(笑)

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展示されている機銃は明らかに日本軍のものではない・・・
イメージとして展示されたのだろうが、資料的価値は全くないと言っていいだろう。

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パネルの写真は、日本軍の戦車部隊のものであるが・・・
写真が「裏焼き」されて使用されている。
つまり、ネガの裏と表を逆にして焼いてしまっているのである。
あらら・・・何と雑な・・・
説明文は、ハングルと英語であるが、英文によれば、7万名の日本兵がこの済州島に駐屯していたと書かれているだけ。
この写真がどこの部隊のものかは書かれていない。
済州島に本土決戦を目的とした日本軍を貼り付けたのは、沖縄攻略後、米軍が沖縄から直接九州を攻めるかもしれないし、沖縄から済州島へ進攻し、済州島を基地として九州を攻めるのかもしれない、ということでの配備だったらしい。

終戦後、朝鮮半島はソ連が占領した北朝鮮と米軍が管理した南朝鮮とに分かれる。
南朝鮮(韓国)は米軍の軍政下に置かれていた。
1947年(昭和22年)に南北を統一した自主独立国家樹立を訴えるデモが行なわれたが、この時に警官の発砲により死者が出た。
これが、そもそものこの事件の発端である。
この事件に対してゼネストが全島にわたって行なわれ、これに対して米軍政当局は、警官と右翼青年団を済州島へ送り込み、島民を弾圧する。
いわゆる「白色テロ」である。
1948年(昭和23年)には、北朝鮮を除いて南朝鮮だけの単独選挙を行なうことになったが、これに反対する左翼の島民が武装蜂起した。
この日が4月3日・・・「4.3事件」と名付けられたいわれである。
この武装蜂起は軍、警察、右翼青年団が短期間で鎮圧したが、左翼島民はゲリラ戦に転じる。
8月15日の大韓民国成立後、更に弾圧には拍車がかかり・・・・
「朝鮮労働党」の党員狩りが行なわれるが、勢い余ってか、多くの島民が虐殺された。
完全に鎮圧されたのは1957年(昭和32年)だと言われている。
この間の犠牲者は3万人とも8万人とも言われているようだが、どうも実数はハッキリしないらしい。
今もって“行方不明”のままの人も多いという。
全島の各地で虐殺事件が起こったのだから無理もないか・・・

女性などは輪姦したあげくに殺害したというんだから凄まじい弾圧である。
本来は朝鮮労働党(左翼)の党員狩りだったのだろうが、疑わしい島民(疑わしくなくても?)は片っ端から虐殺していったという。
本土(朝鮮半島)から島へ来た“よそ者”だから出来たのかもしれないが・・・
これは国民性ではなかろうか?
日本人は、こういう虐殺って出来ない国民のような気がする。
日本軍の「南京大虐殺」だって、本当はどうなのかわからない。
血だと思うんだよなぁ~・・・血!
こういう“虐殺”って言うのを聞くと、韓国人や中国人は、姿かたちは似てるけど、日本人とは異質のもののような気がしてならない。

この事件後、済州島から日本へ密入国した島民も多く、特に大阪周辺に“避難”して、その後、「在日韓国人」として日本に住みついた人も多いという。
だから、関西地区には在日韓国人が多いと言われるのは、そのせいなのかもしれない。

韓国政府はこの事件への謝罪を長年行なっていなかったが、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の時に初めて正式に謝罪したという。
で・・・この記念館と平和公園が事件の補償の一環として作られたそうである。

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1948年(昭和23年)に11名の島民が虐殺された洞くつを再現したジオラマ・・・・
彼らは“討伐隊”により、窒息死させられたという。
首を絞められて殺されたということか?

館内の見学を終え外に出る・・・・
時間配分をどうするか・・・ガイドさんから相談されたので、折角来たんだから、少しこの公園を散策する時間を作ってくれるよう頼む。
広大な公園なので、ご高齢者は歩くのが大変・・・・
申し訳ないが、拙者は一人で飛び回り・・・見学!(笑)
とにかく時間がそれほどないので、急いで回らねば!

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遠くに見えるのが、先ほどいた記念館。
手前の噴水のように見えるのが、「慰霊塔」・・・・

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遠くに見える半円形の建造物・・・・
「慰霊祭壇」と「位牌奉安所」である。
どこかの新興宗教団体の建物っていう感じがするんだよなぁ~
日本の新興宗教団体は韓国人がやっているのだろうか?
なんか・・・似たような“匂い”を感じるんだよなぁ~

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「位牌奉安所」には、地域別、村別に約1万4千の位牌が安置されている。

出発予定時間には待ち合わせ場所の駐車場のところまで戻ってきたが、他の方々はまだ来ない。
ちょうど、済州大学の教授と二人っきりだったので、自己紹介を兼ねておしゃべり・・・
日本語が上手な方だが、さすがに「戦友会」の意味が良くわからないようなので、ご説明をする。
また、日本軍の組織等、軍事的な質問をいただいたが、何とか説明できた。(笑)

072_convert_20120709180703.jpg(案内板)

皆さん、三々五々集まり、時刻はちょうど12時・・・お昼である。
今から昼食をとりに・・・出発!


より大きな地図で 済州4.3平和公園記念館 を表示


旅行 | 10:51:34 | Comments(0)