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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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ゆる旅のススメ
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ゆる旅とは
気ままにブラつくヒマつぶしの旅のことである。

ルール

1 大金をつかわない。
2 疲れるような事はしない。
3 何かを得ようと期待しない。
4 行列のできる店に行かない。
5 朝早くから行動しない。




これはなかなかいい!
特に4番!
行列のできる店に行かない・・・当然ですよ!(笑)




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看板・標識・標語など | 17:38:52 | Comments(2)
旧伊藤博文邸
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旧伊藤博文邸
(平成5年山口県指定有形文化財・通称 伊藤公記念館)

本館は、初代内閣総理大臣・伊藤博文公が自ら基本設計をしたもので、当時の山口県知事・渡辺融(とおる)、貴族院議員・室田義文(むろたよしふみ)両氏が監督となり、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が2万1,291円38銭で請け負いました。
洋館木造モルタル2階建て延床面積293平方メートルの本館は、公の遠祖・林淡路守通起(はやしあわじのかみみちおき)の没後300年にあたり、公が施主となり、林家及び伊藤家の一族を招いて法要を行うために建てられたものです。
工事は、明治42年3月に着工、翌年5月に完成しましたが、工事中の明治42年10月26日、公はハルビン(現・中華人民共和国東北地区)駅頭で凶弾に倒れ、完成した館を見ることはできませんでした。
しかし、公の意思を継いだ嗣子・博邦(ひろくに)公により、明治43年11月13日に300年の法要が行われました。
その後、明治45年に山口県が伊藤家より寄贈を受けて管理をしていましたが、昭和27年に当時の大和村が無償で払い下げを受け、公の遺品や書などを展示する施設として一般公開していました。
平成5年には県指定有形文化財に指定されましたが、建物の老朽化により大和町は平成14年7月から保存修理工事を着工し、軸部等の部分修理や屋根の葺き替え、車寄せ部分を明治43年建築当初の姿に復し、平成16年2月に竣工しました。

(説明板より)


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史跡 | 16:15:49 | Comments(0)
伊藤公生家
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伊藤公生家

天保12年(1841)9月2日、この地で生まれた伊藤公は、6歳までをこの家で過ごした。
当時は約207坪(684㎡)の敷地の中に、母屋や納屋、土蔵などがあったが、敷地のほとんどが畑として使われていたため、母屋は30坪(100㎡)ほどの粗末なものだったと伝えられている。
この生家は、公一家が萩へ移り住んだ翌年の嘉永3年(1850)に暴風雨により倒壊したが、大正8年(1919)「伊藤公爵遺跡保存会」によって復元された。
しかし、この生家も老朽化したため、伊藤公生誕150年にあたる平成3年(1991)本町は「ふるさと創生事業」の一つとして、もともと公の生家のあったこの場所に建物の移転と復元を行った。

光市

(説明板より)



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史跡 | 15:14:41 | Comments(0)
慰霊碑
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碑文

この碑は、昭和20年8月14日の空襲によって殉職した、旧海軍工廠職員、動員学徒738人ならびに人間魚雷回天特別攻撃隊員の、尊い犠牲を追悼して建立した。

昭和20年7月24日、光市沖における対空戦により、惜しくも祖国に殉じた旧海軍駆逐艦「樺」および「萩」の乗員38人の御霊を追悼し、ここに合祀した。

光市民は、この地に永眠したこれら殉職者の霊やすかれと祈るとともに、世界の恒久平和を願うものである。

光市

(碑文より)


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史跡 | 13:58:46 | Comments(0)
回天の碑
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回天の碑

碑文

太平洋戦争末期の昭和19年11月25日 人間魚雷「回天」光基地が 光市のこの地に開設された
「回天」とは海中を潜り敵艦に体当たりする一人乗りの人間魚雷のことである
祖国 日本を守るため 潜水艦に搭載されて南太平洋に出撃した
「回天」に搭乗した若者は 再び生きてこの地に還ることはなかった

  わたしたちは祈る
 あなたがたの御魂が
ふるさと光に安らぐことを
  わたしたちは誓う
 未来の子どもたちへ
平和の志を、確かに伝えることを

光基地戦没者

岡山 至   金井行雄  河合不死男
市川尊継   斉藤達雄  堀田耕之祐
田中二郎   田辺 晋  新野守夫
浦佐登一   岩崎静也  田中金之助
熊田孝一   釜野義則  猪熊房蔵
菅原今朝松  梅下政男  赤近忠三
亀田武雄   坂本 茂  伊東祐之
森 正夫   高沢喜一郎 吉田 洸
荒木七五三一 藤原 昇  樽井辰雄
寺西 亨   池淵信夫  横尾喜三郎
八木悌二   久家 稔  富永一喜
安部英雄   柳谷秀正  河田直好
海老原清三郎 水知創一  島田 昌
松田光雄   北村十二郎 矢崎美仁
柿崎 實   阿部福平  三好 守
古川七郎   恵美須忠吉 阪本宣道
山口重雄   成瀬謙治  和田 稔
前田 肇   上西徳英  光市出身・八木 寛
小林富三雄  佐野 元  光市出身・仁科関夫

伊号第370潜水艦 藤川 進 以下 79名
伊号第361潜水艦 松浦正治 以下 76名
伊号第165潜水艦 大野保四 以下104名
  第18号輸送艦 白龍隊    114名
          大槻 勝 以下148名

(碑文より)


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史跡 | 12:08:17 | Comments(0)
岩国徴古館
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岩国徴古館の建物の概説

当館は、物資統制下の戦時中に、旧藩主吉川家が「郷土に博物館を」という目的で建てた建物で、昭和17年(1942)9月27日起工、同20年(1945)3月10日竣工。
設計は佐藤武夫。
施工は株式会社池田組。
佐藤武夫(1899~1972)は名古屋に生れ、岩国中学校を卒業して早稲田大学で建築学を専攻し、同大学の教授となり、建築音響学の分野を開拓した。
又、日本建築学会の会長を勤め、芸術院賞を受賞した。
当館は、佐藤武夫が学究心を燃やして初めて手がけた作品で、当時、建築学界に新しい感覚で受け入れられたヨーロッパの古典主義様式を基本にして、佐藤の建築家としての才気を表したものである。
特に、展示室内部の下部が広がった列柱や、木製の階段の形態などに、物資の乏しい戦時下の建築とは思えない豊かさを感じさせる。

岩国徴古館

(説明板より)


より大きな地図で 岩国徴古館 を表示


建物 | 11:47:13 | Comments(0)
山口・博多の旅(3)
今日は光市に在住の瀧上大隊(独立歩兵第356大隊)の“コンドウさん”にお会いする日である。
当初は、お昼まで、ここ岩国に滞在して午前中を史跡巡り・観光に使おうと思っていたのだが・・・
“コンドウさん”から「お昼を一緒に食べましょう」とのお誘いを頂いた。
これは断るわけには行くまい。(笑)
となると・・・岩国から光までは在来線で1時間はかかるから、11時前には岩国駅を出発しなくてはならない。
そうなると・・・観光に使える時間は1時間あるかどうか・・・・である。
参ったなぁ~と思っても仕方がない。
“コンドウさん”が優先である。

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(ホテルの部屋から見た錦帯橋)

午前9時にホテルをチェックアウトして、荷物をフロントで預かってもらい、観光に出かける。
昨日に引き続き、またもや300円を出して錦帯橋を渡る。(笑)

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拙者以外に、この橋を渡っている人は・・・・いない・・・
なんとなく恥かしいというか、何というか・・・落ち着かぬ。(笑)

とにかく、1時間しか余裕がないので、どこか1箇所だけ見て光駅へ移動することにする。
岩国城は時間的に無理だろうから、吉川史料館を見学しようと思って行って見たら・・・
あら!今日は閉館日!
なんとタイミングの悪いことか・・・
近くの徴古館は幸いにも開館していたので、ここを見学することにした。
入館料は無料・・・・
ちょうど、『幕末の動乱と岩国』という企画展が開催されていたので、これを見学する。
観覧者は・・・拙者一人・・・
平日だから仕方がないか?(笑)

10時・・・・
再び錦帯橋を渡ってホテルに戻り、預けておいたカバンを受け取りタクシーで岩国駅へ・・・・
ここから下関行きの山陽本線に乗って光駅へ移動する。

120_convert_20120506222131.jpg(岩国駅のホーム)

なんとも閑散としたホームである。
本当に電車は来るのだろうか?(大笑)
米海兵隊の岩国基地の米軍機が駅の直ぐ近くを飛行する。
その爆音のうるさいこと・・・・
基地がある町に住んでいる人は、この騒音を毎日聞かされるのか?
いやはや、これは迷惑だろうなぁ~
沖縄の基地移転問題・・・なるほど分からぬでもないなぁ~

1時間後・・・光駅に到着。
昨日のうちに到着時間を知らせておいたので、“コンドウさん”が改札口までお出迎え。
初対面なのに、拙者の人相特徴を教えておくのを忘れいていた。
「じゃぁ、駅でお会いしましょう!」なんて簡単に約束していたので、昨晩、慌てて再度確認のお電話を差上げて、拙者の人相特徴を伝えておいた。
いやはや何ともマヌケなことよ。(笑)
“コンドウさん”は90歳・・・・
改札口におられたご老人は一人だけだったので、すぐに分かった。(大笑)

娘さんの運転する車で迎えに来てくれたという。
早速、食事に出かける。
本来は、午後にご自宅へ伺ってインタビューをするのを常としているのだが・・・・
自宅に来られても困るということで、外でお会いすることになった。
しかも昼食を一緒に・・・ということで、事前に娘さんが食事場所を探して予定を組んでくれたという。
いやはや、なんとも大掛かりなこととなってしまい申し訳なし。

食事をしながら、おしゃべり・・・・
話はもっぱら娘さんからの質問・・・
戦友会のことや、拙者のことばかり・・・
あらら・・・拙者がインタビューされてばかりでは、主客転倒である。(笑)

毎年、こうやって各地の戦友を訪問して戦時中の体験談などを聞かせていただき、それを戦友会の会報に載せるのだが・・・・
“コンドウさん”は、あまり戦時中の話はしたくなさそうである。
以前、お手紙を頂いたときには、いろいろと書いてきてくださったのだが・・・
歳を取るに従って意識が変わってしまったのかも。
拙者はジャーナリストじゃないので、本人がしゃべりたくないことは無理して聞き出さないことにしている。
話したいことだけを話していただくだけでいい。
インタビューのようでインタビューになっていない。(笑)
もし、拙者がジャーナリストだったら失格である。
いつも、面談した方の写真を撮らせてもらい、会報に掲載するのだが、「ご勘弁ください」とのことなので諦める。
簡単な資料も頂いたが、これも会報への転載は「勘弁して下さい」とのこと。
全て・・・ダメ・・・・
となると・・・次回の会報には何を書けばいいのか・・・(大笑)
まぁ、これもいいだろう。
無理はしないほうがいい。
お会いして、たわいのない雑談でもいい。
戦友会の事務局長さんが会いに来てくれた・・・久しぶりの来訪者・・・ということだけで喜んでもらえたら、それでいいということにしよう。(笑)

昔、拙者は初対面の人とは口がきけない性格だったのである。
が・・・戦友会に入ってからは、なぜか、以前より初対面の方とも気軽におしゃべりができるようになった。
不思議なことなのだが・・・
今まで避けて通っていた初対面の方と会うのが、今では逆に楽しくて仕方がないのである。
が・・・これは、あくまでも戦友だけに限ってであるが・・・(笑)
なぜか従軍経験者とは気が合うんだよなぁ~(大笑)

「さて、それでは、出かけますか?」と“コンドウさん”
はぁ?話もそこそこに、出かけるって・・・どこへ?
「ドライブに行きましょう!」と言う。
何もない町ですが・・・と言いながら、市内を案内するという。
これもまた、ありがたい話である。

「何もない町なんですけどね・・・慰霊碑が何処かにあったくらいで・・・回天の碑だったかな?」
「え?そこ!そこに行きたいです!」
「え?そんなもんでもいいですか?」
“コンドウサン”には教えていなかったのだが、拙者は記念碑巡りが好きなのである!(大笑)

光市には戦時中「光海軍工廠」という軍需工場があった。
ここでは「人間魚雷・回天」を作っていたので、その慰霊碑があるという話を聞いたことがある。
そこへ連れて行ってもらう。
「たしか、あのあたりに、そんな碑があったような・・」と娘さんと話しながら記念碑を探してドライブ。

125_convert_20120506230618.jpg(回天の碑)

続いて、どこかの工場の前にある慰霊碑・・・・
「何の慰霊碑か知らないけど、たしか、このあたりに慰霊碑があったような気がする」と案内してくださった。
拙者としては、もうワクワクである。(大笑)

更に、もう少し足を伸ばして・・・・
「伊藤公記念公園」へ・・・
ここは伊藤博文の記念公園で、生家や記念館がある。

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ここはかなり辺鄙な場所にあり、交通の便が悪い。
以前から行って見たいなとは思っていたが・・・・
まさか連れて行っていただけるとは望外の喜び!(喜)
「外で待っていますから、どうぞ見学してきてください」と言われ、一人で資料館を見学・・・
ありがたいことは、ありがたいのだが、外で待たせて、自分だけが悠々と見学というわけにも行かない。
どうも落ち着かぬ。(大笑)
ここには伊藤博文の銅像がある。

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が・・・他にも、もう1体、丘の上のほうにあるらしい。
しかし・・・まさか、90歳の方を丘の上まで登らすわけにもいくまい。
かといって、待っていてもらうというのも申し訳ない・・・・
ということで、もう1体の銅像の写真を撮るのは諦める。
いつか、一人でまた来るしかない・・・・

“コンドウさん”宅近くの海水浴場にも連れて行ってもらう。
松林の鬱蒼と茂る浜辺・・・・
わが町の海水浴場とは雰囲気が雲泥の差・・・
やっぱり松林があるのとないのでは雰囲気が大違い。
松林があると・・・いいねぇ~
我が町の海水浴場と違って、ここは内海のせいか、波がない・・・
静かな湖のような海水浴場である。

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「わざわざお連れしてお見せするほどの場所ではないのですが・・・こんなものしかなくて・・・」とおっしゃる。
「いや、いや、大いに参考になります。私が市長になった暁にはわが町の海水浴場に松の木を植えましょう!」と冗談を放つ。(大笑)

「で・・・今日はどこにお泊りで?」と尋ねられ・・・・
正直に「徳山駅前のホテルです」と答えたのがいけなかった。(笑)
「それじゃ、ホテルまでお送りします」とおっしゃる。
ここから徳山までは、かなりの距離だと思うのだが・・・
結局、お言葉に甘えて・・・・駅前のホテルまで送ってもらい、お別れする。
結局、インタビューなどは、そっちのけで、大いに観光を楽しんでしまった・・・・
いやはや、申し訳なし・・・
拙者はいったい何しに行ったのやら・・である。
ご迷惑をお掛けにお邪魔したような気がしないでもないなぁ・・・・(笑)

今日のホテルは、夕食付き・・・・
期待以上の豪華な夕食だった。(喜)

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旅行 | 09:16:25 | Comments(2)