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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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山口・福岡の旅(6)
午後2時という遅い昼食を終え・・・・一服・・・・
今日は福岡に移動して博多に宿泊する予定。
まだ博多に行くには、ちょっと早い。
どこか、その辺をブラブラしてみようかとホテルのロビーに置いてあった観光パンフレットを見てみたら・・・
あらら・・・児玉源太郎の銅像があるってか?(笑)
行かねばなるまい!
児玉源太郎生誕の地もあるってか?(笑)
児玉源太郎って徳山の出身だったんだぁ~
行かねばなるまい!(笑)
いいものを見つけた!
現地で資料を入手しないとわからないものもあるから、資料収集は必須である。

場所は駅の向こう側のようなので、とりあえず駅のコインロッカーにカバンを預け、ブラブラと出かけることにした。
で・・・問題は、このマップである。(笑)
観光用のイラストマップ・・・・
イラストマップって、どこでもそうだが、表示位置が正確ではない。
ざっくりとした位置しか示していないので、おおよその見当をつけて歩くしかない。

で・・・こっちのほうだろうと方向だけを決めて歩いていたら・・・
あら?
マップには載っていない“史跡”があるではないか!
ちゃんと標石や説明板も立てているんだから、こういうものもマップには載せておいてもらいたいものである。

260_convert_20120513212000.jpg(奈古屋蔵人屋敷跡)

山口銀行徳山支店の脇に「奈古屋蔵人(なごやくらんど)屋敷跡」の碑が・・・
この人・・・徳山藩の家老らしい。
ん・・・・知らない・・・(笑)

斜向かいの徳山市役所に銅像を発見!(笑)
野村恒造という人の銅像だが、側碑の碑文が文字が薄れていて、よく読めない。
貴族院議員などを歴任した政治家らしい。

273_convert_20120513212932.jpg(本城三儒屋敷跡)

更に10分ほど歩くと、道路の分離帯のところに何かの標石と説明板が・・・
道を渡って行ってみると・・・
「本城三儒屋敷跡」だそうだ・・・・
本城家から三代にわたって偉い儒学者が出たので、「本城三儒」と名付けたそうである。
ん・・・本城家って・・・誰?(笑)

さて・・・お目当ての児玉源太郎の生誕地跡・・・
観光イラストマップを見ても、どのあたりなのかはっきりとは分からない・・・(涙)
“町内”をグルグル回ってようやく見つけた!
どの道に面しているかをハッキリ明示してくれないと困るんだよねぇ~
裏道に面しているのかと思い、一本、裏の道を散々探し回ってしまったじゃないか!(笑)

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ようやく辿り着いた児玉源太郎生誕の地・・・すなわち「児玉家屋敷跡」は、駐車場になっていた!
で・・・産湯の井戸と記念碑が駐車場の奥に・・・
敷地内に入っていいのやら悪いのやら迷うところであるが、説明板が建っているんだから、入ってもいいんだろうと判断して敷地内に侵入・・・(大笑)
本当に、こういう時には迷うんだよねぇ~
不審者と間違えられたら嫌だし・・・・

ここでUターンして、駅に向かって戻ることにする。

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途中で、「福原元(ふくはらもとたけ)幽閉の地」の標石と説明板に出会う。
この人・・・徳山藩主の息子で、長州藩の家老を務めた人らしい・・・
ふ~ん・・・知らないなぁ~(笑)
博学の水戸藩士“シミズくん”ならば知っているのだろうが・・・(笑)

289_convert_20120513215613.jpg 290_convert_20120513215744.jpg

市役所まで戻ってきた。
今頃気付いたのだが・・・市役所前の通りの中央分離帯に花が植えてあった。
あら・・・綺麗なこと・・・
ということで、パチリ!
で・・・徳山税務署の前も花で飾られていたので、これも綺麗だなぁ~と・・・パチリ!
道行くOLに「何してんの?このオッサン?」という顔で睨まれた・・・(汗)
別にあなたのスカートの中を撮ろうって言うんじゃないんですよ・・・
花を撮りたいからカメラを持ち出したのでして・・・
と・・・あらぬ疑いをかけられそうな気がしてドキドキである。
ちょっとタイミングが悪かったか・・・・(大笑)

次に向かったのが・・・お楽しみの児玉源太郎の銅像があるという「児玉公園」・・・・
さて・・・どんな銅像なのだろう?
ワクワクである!(笑)

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公園の隅に銅像が!(喜)
この銅像は、台湾の国立博物館にあるもののレプリカだそうだが・・・・
先月、台湾に行って特別に見せてもらった実物のほうは、かなり劣化していて顔も何もよくわからなかった。
ほぉ~こういう銅像だったのかと感無量である!

この公園の奥に「児玉神社」がある。
児玉源太郎を祀っている神社だそうだ。

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この神社の周囲の石碑・顕彰碑などを見ているうち、時刻は3時となる。
そろそろ駅へ戻ろうか・・・・

322_convert_20120513224426.jpg(徳山駅在来線口)

連絡通路を通って駅の反対側の新幹線口へ向かい、駅前の喫茶店で一服・・・・
新幹線口の前は閑散としている。(笑)
どういうわけか、新幹線口の駅前が開発が進まず閑散としているという町は多い。
更には、最近は駅前で喫茶店を見つけるのも難しくなった。
スターバックスやらドトールがあれば良いほうである。
“純喫茶”のような昔ながらの喫茶店を見つけるのは困難な時代となったが・・・
ここに1軒だけ・・・昔ながらの「タバコも吸える」(大笑)、喫茶店が・・・!
嬉しいなぁ~落ち着くなぁ~
ということで、ここで一服した後、午後4時発の新幹線「こだま」で博多に向かう。

323_convert_20120513224829.jpg(徳山駅新幹線口)

が・・・
車内に若いオニイチャンのグループが・・・
こいつらが、またうるさいのなんのって・・・馬鹿話に馬鹿笑い、加えて大はしゃぎ・・・
貸切じゃねぇだろう!
直ぐ近くなら、文句を言ってもいいが・・・
少し離れているから始末が悪い。
わざわざ向こうまで行って文句を言うのもねぇ~
博多までの1時間半・・・こいつらのドンチャン騒ぎに付き合わされることになる。

昔なら、「てめぇら静かにしろ!」と凄んだものだが・・・
歳を取っちゃったせいか・・・その元気がない・・・(大笑)
情けない・・・
歳は取りたくないもんだ・・・(大笑)

午後5時半、終点・博多駅に到着し、駅前のホテルにチェックイン・・・・
以前何度か泊まったホテルは満室のため予約が取れなかった。
で・・・初めて泊まるホテルだが・・・
レストランが・・・ない!
うっかり、そこまで調べていなかった。(笑)
フロントで尋ねたら居酒屋風の店が地下階にあるだけとのこと。
博多の駅前なので、周囲にはそれなりにたくさんの飲食店があるが・・・
どこを見ても居酒屋しか目に付かない。
なんで居酒屋ばかりなんだ?
落ち着いて一人で食事が出来そうな店が見当たらない!
というわけで・・・午後6時半、直ぐ近くの別のホテルのレストランに食事に出かけることにした。
ホテル内のイタリアンレストラン・・・
今度は高級過ぎて・・・落ち着きすぎて、逆に落ち着かない・・・(大笑)
うまくいかないものである。

旅行 | 14:46:46 | Comments(0)
回天発射訓練基地跡
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回天発射場跡

人間魚雷「回天」は太平洋戦争末期、戦局の劣勢を挽回しようと空からの「神風特別攻撃隊」とほぼ同じ時期に戦場に登場した。
この発射場は、93式魚雷試験発射のためのもので昭和12年に開設された。
それ以前の発射試験は呉市大入(だいにゅう)の発射場で行っていたが、大遠距離射線を備えたこの発射場が完成し、以後ここから発射した。
昭和19年9月1日、この地に回天基地が開設され回天の操縦訓練が開始された。
回天の訓練は、ここから発射場横の海面に運ばれ、熟練度に従って直線往復、島の半周、一周、停泊艦襲撃、航行艦襲撃等と搭乗員は猛訓練に明け暮れたのである。
その訓練は終戦の日、昭和20年8月15日まで続けられた。

(説明板より)

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回天発射訓練基地跡

この回天発射訓練基地跡は、昭和14年(1939)に建設された「九三式酸素魚雷」の発射試験場を、人間魚雷回天の発射訓練に活用したものです。
「九三式酸素魚雷」は、昭和8年(当時の日本暦2593)に製作されたもので、長さ8.5m、直径61cmで、速力は50ノット(およそ90km)で、世界で最も優れた兵器のひとつでした。
この魚雷の発射試験は、魚雷を調整工場(現大津島小学校地)からトロッコに乗せて、トンネル(隋道)を通って、ケーソン(鉄やコンクリート製の箱)で構築された発射台まで運び、天井クレーンで台の穴から海面に降ろして行われていました。
昭和19年9月5日から、この施設を利用して回天の発射訓練に使用することになりましたが、「九三式酸素魚雷」を改良して人が乗れるようにした回天は、長さ14.75m、直径1mあり従来の穴から降ろせないので、別にクレーン(起重機)を設置して、突堤から海面に降ろしました。
(今もクレーンの支柱跡が残っています。)
ここを起点として発射訓練が行われ、馬島回りのコースや大津島回りのコースなどがありました。
なおトンネルは当時のもので、長さ247m、入口の幅3.5m、高さ4mで、中央部の複線で広くなっている所には、当時を回想する7枚の大きな写真が展示されています。

周南市都市整備課

(説明板より)


より大きな地図で 回天発射訓練基地跡 を表示


史跡 | 13:44:55 | Comments(0)
山口・福岡の旅(5)
休憩所のオバサンと楽しい会話をして・・・さぁてぇ~港に戻ろうかなと、休憩所を出て坂道を降りる。
と・・・途中で坂道を登ってくる、ご年配のご夫婦と出会う。
「記念館はまだこの先ですか?」とオバサン。
ご主人は、多分脳梗塞か何かをされたのではなかろうか、杖を突いて半身が不自由な感じ・・・・
息を切らして、身をかがめて一休み中だった。
「この坂の更に先の坂道をもう少し登りますが・・・」
「え~じゃぁ、ちょっと無理だわぁ~お父さん!ここで戻りましょう!これ以上は無理だから!」とオバサン。
結局、このご夫婦は、坂道の途中で引き返すこととなった。
え~、ここまで来て、もったいない・・・・
「記念館に車椅子があるかどうか聞いてきましょうか?車椅子があれば登れるでしょうし・・・僕が押してあげますから・・・」
「いやぁ~諦めますから、いいですよ」
「そうですかぁ?ここまで折角来たのに・・・」
「ご親切にどうもありがとうございます。でも、もう結構ですから・・・」とおっしゃるので、あまりお節介を押し付けても迷惑だと思い坂を降りることにした。

次に向かったのは、人間魚雷「回天」発射訓練基地跡・・・
トンネルを抜けて向こう側に行くと、その訓練基地の建物がある。

240_convert_20120511175227.jpg 243_convert_20120511175427.jpg

どうもここは、釣り場になっているらしい・・・
2人ほど釣り客が釣り糸を垂らしていた。
う~ん・・・写真を撮るのに・・・邪魔だ・・・(笑)

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港に戻り、待合所を覗いてみたら、無料で貸し出しの車椅子が置いてあった。
あらら・・・
そこへ、先ほどのご夫婦が・・・
「ここに車椅子がありました~!どうですか?これで行ってみますか?押してあげますけど・・・」
「いやぁ~度々すみません。でも、もう諦めました~」
で・・・このご夫妻と、待合所でおしゃべり。
高速艇の出港する時間まで、まだしばらくある・・・
と・・・そこへ、拙者より年上の夫婦がやってきた・・・
「行ったの?行かなかった?もう少し行けば着いただろ?行けばよかったのに・・・俺は見てきたけどね」と、この男の人が言う。
「あの坂では行けるわけないでしょ!あそこまでが限界よ」とオバサン。
あらら・・・
もしかして・・・息子さん?
うそぉ~息子さん夫婦も一緒だったの?
で・・・体の不自由な親をほったらかしにして自分達だけで記念館に行ってたの?
唖然である。
こやつ・・・拙者の嫌いな団塊の世代か?
「いやぁ~うちの親父が世話になったみたいで・・・」と言われりゃ、「いやぁ~余計なお節介をしてすみません・・・」と、そこから会話が始まるというものであるが・・・
ご両親とおしゃべりしていても、半分睨むように拙者を見て、フンと横を向かれちゃ話にならぬ。
コミュニケーションの取れない奴だ・・・
団塊の世代だな・・・

それでも・・・この老夫婦との会話は弾む。
平日に旅行とは、優雅な生活をしてますねぇ~と笑われる。
「引退する歳じゃないですよね?」と言われたので、「廃業して、貯金を崩して生活してます」と答えたら、「いやぁ~かなりの資産家で・・・」と言われてしまった。(笑)
そうじゃないんだけどなぁ~
でも、無理もないか・・・普通の人では考えられない行動をしているんだから・・・

時刻は昼を過ぎている・・・
腹が減って溜まらん・・・
この島には食堂が1軒あるそうだが、平日は閉店していると無料休憩所のオバサンが言っていた。
日曜など観光客が多いときにしか開けないのだそうだ・・・
なんという不便な島か・・・・(涙)
あ~腹が減って死にそうだ・・・(笑)
山に登ったから尚更である。

ちょうどこの午後は2時間に1本しか出ない帰りの高速艇に乗り、徳山港へ戻る。

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高速艇から見た大津島・・・・
写真の左の山に登った・・・ネクタイ締めて、ジャケット姿で・・・しかも革靴で・・・(大笑)

港に着き、先ほどの老夫婦とお別れ・・・・
「いろいろと気を遣ってもらってすみませんでした。お気をつけて旅を続けて下さいね」と言われる。
う~ん・・・なんとなく“フーテンの寅さん”になった気分・・・(大笑)
「いやぁ~余計なお節介ばかりしまして失礼しました」とご挨拶して船を下りる。
息子さんは・・・無表情・・・・
この世代だな・・・・日本を駄目にしたのは・・・(笑)

ホテルに戻って、預かってもらっていたカバンを受け取り・・・
ん?どうせだから、ここのレストランで食事をするか・・・
と思ったら・・・既にオーダーストップの時間。
それでも、係りの人が厨房と交渉して、和食の定食なら提供できるというので、お願いする。
いやぁ~わがまま言ってすみません!

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値段の割には豪華な定食!大満足である!
「和食しかなくて、すみません」と担当の女の子。
「いやぁ~大津島に行ってきたんですけどね。食べるところがなくて、危うく餓死するところでしたぁ~。いやぁ~これで死なずに済みました」と言ったら笑われた・・・(笑)

旅行 | 12:29:27 | Comments(0)
魚雷見張所跡
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魚雷見張所跡

回天基地が建設される前、すでに大津島では九三式酸素魚雷の試験発射場や整備工場が整備されていました。
この魚雷見張所跡は発射試験場から発射されたものを見張るために造られたものです。

大津島観光協会

(説明板より)


より大きな地図で 魚雷見張所跡 を表示


史跡 | 11:29:33 | Comments(0)
回天推進装置の一部
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回天推進装置の一部

「回天」の推進部―93式魚雷(高圧酸素を燃焼に使用したため、航跡の殆ど出ない優れたものであった)の燃焼室及びシリンダー部並びに推進軸である。
「回天」を甲板に積んだ潜水艦は水深100メートル位まで潜入するので、その水圧に耐えるために、技術陣も改良に非常に苦心した。
燃焼室には石油を噴霧状態で送り高圧酸素で燃焼させ、そこに海水を噴射すると高圧の水蒸気を含む混合気ができ、ピストンを駆動しプロペラを回転させる機構である。
燃焼室で点火しないと、高圧酸素と石油ガスの混合気がそのまま送られ、たちまちシリンダーで爆発を起こし、エンジン部は破壊される。
その他、操縦系統の万全を期する等、整備関係員の苦労も大きく、必死の努力がなされた。

(注)
このエンジン部分は、終戦時、海中投棄されていたものを、防府市野島の漁業者が引き上げ、航空自衛隊防府北基地に収容されていたものを当記念館が譲り受けた。

昭和63年10月

(説明板より)


より大きな地図で 回天推進装置の一部 を表示


史跡 | 10:11:36 | Comments(0)
山口・福岡の旅(4)
今日は予備日・・・・
なにせ“コンドウさん”は90歳・・・
当日になって体調が優れないということもあり得る。
ということで、2日間を用意しておいた。
当初の予定の昨日、もしお会いできなければ、岩国周辺を散策して徳山に移動・・・
今日、お会いしようと思ったが、予定通り昨日お会いすることができた。
で・・・今日は・・・・
大津島へ行ってみよう!
以前から行ってみたかった場所である。
ここには人間魚雷「回天」の訓練基地跡がある。

午前8時30分チェックアウト
このホテルになぜ宿泊したかというと・・・・
大津島行きのフェリー乗り場に一番近いホテルだからなのである。(笑)
実は当初から行く気満々・・・だったのである。(大笑)

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大津島行きの乗り場のところに、人間魚雷「回天」のレプリカが展示されてあった。
どうも映画に使われたものらしい。
で・・・この乗り場、案内表示が分かりづらい。
反対側の建物が乗船券売り場のようで、他の観光客もちょっと迷っていたようである。

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高速艇で約20分で大津島に到着。

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「ようこそ回天の島へ」の看板が目立つが・・・・
周囲は閑散としている。
あらら・・・である。
他の数名の観光客と行動を共にする気はないので、わざと別の場所を散策して時間をずらすことにする。

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山の中腹の坂道を登って、「回天記念館」へ向かう。
このコンクリートの側壁は当時からあったものらしい。
なだらかな坂ではあるが・・・・なだらかなるゆえに、ちょっとキツイ・・・
この微妙な坂道が結構、運動不足の身には堪えるのである。(笑)
途中にある、休憩所「養浩館」で、缶ジュースを買い、一服。
ここには「回天」特攻隊員の写真などが展示されていた。

再び緩やかな坂道を登り・・・・ようやく「回天記念館」に到着。
内部は特攻隊員の遺影を除き撮影可能とのこと。

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記念館のある丘を降り、隣の山を登ってみることにした。
頂上まで600mとの案内板・・・・
600mならば大した事はなかろうと登り始めたが・・・
ゲゲッ・・・意外にもキツイ坂道・・・
運動不足の身には堪える・・・
来週、ルソン島北部の山岳地帯に入り、祖父の陣地跡まで登る予定でいるのだが・・・
この程度の山で顎を出しているようでは・・・・ヤバイ・・・(汗)
今までの不摂生を後悔しても、時既に遅しである。

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頂上までの600mを登るのに約20分・・・・頂上に至る。
頂上には・・・なにもない。(笑)
「ホーホケキョ!」・・・と、綺麗な声で鳴く鳥が・・・ウグイス?
「おお!君、なかなか上手だよ。うまいねぇ~」と声をかけてやる。
と・・・褒められて調子に乗ったのか、更に何度も「ホ~ホケキョ!」・・・
ん?人間の言葉が通じるのか?(大笑)
こちらも負けじと口笛で「ホーホケキョ!」をやろうとしたが・・・・
息が切れているに加えて、口がカラカラに渇いていて口笛が吹けない。
「ホーホーホー」とかすれた音・・・
それを聞いて拙者を馬鹿にしているのか「ケキョ、ケキョ、ケキョ!」と鳴かれる。
チクショウ!ウグイスに馬鹿にされた!
しばし、頂上でウグイスと遊ぶ・・・(大笑)

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(頂上から見た景色)

この頂上の近くに「魚雷見張所」跡の廃墟がある。

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ここを見て、山を降りることにする。
で・・・疲れたので・・・・(笑)
休憩所に立ち寄り、またもや缶ジュースを・・・
ちょうど休憩所のオバサンがいたので、このオバサンとおしゃべり。
あれやこれやで大いに話が盛り上がる。

山の頂上まで登ってきたという話をしたら・・・
「ケムシ・・・大丈夫でしたか?」と言う。
「え?ケムシ?」
「ええ、木の枝から落ちてくるんですけど・・・大丈夫でしたか?」
「ゲゲッ!うそ~!知らなかったぁ!」(大笑)
そう言われると、首筋がなにかモゾモゾとする気がするが・・・気のせいか?(大笑)

ここには自衛隊の新入隊員が研修に来るそうである。
携帯食糧を持って来るそうだが・・・
引率の上官が缶詰の蓋を開けてやって、懇切丁寧に面倒を見るのだそうである。(唖然・・・)
「今の子供は、そこまでしてもらわないと駄目なんですかねぇ~」とオバサン。
もしかして、小学校の遠足よりレベルが低いのではないか?・・・・それ・・・
「そんなことで国が守れるんですかねぇ~って思っちゃいますよ。あれを見たら・・・」とオバサン。
でしょうねぇ~
同世代で「回天」に搭乗して散っていた人達とは大違い・・・・
缶詰の蓋を上官に開けてもらうなんて・・・大丈夫かねぇ~そんなことで・・・・
それを英霊達が見たら何と思うだろうか?
背筋が寒くなる・・・・

と・・・売店内に資料らしき本が・・・・
あら!あるじゃない!資料!
実は、「回天記念館」には、この手の資料の販売はされていない。
オバサンに尋ねたら、市の施設なので販売行為はできないのだとか・・・
うそぉ~
偶然見つけて感激!早速購入する。
「オバチャン!駄目だよぉ~入口にに大きく“資料集を売ってます!”って書いて貼っておかないとぉ~」(笑)
「すみませんねぇ~商売っ気がないもので・・・」(笑)
拙者は、どこへ行っても「お節介なコンサルタント」である。(大笑)

旅行 | 09:15:02 | Comments(0)
ゆる旅のススメ
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ゆる旅とは
気ままにブラつくヒマつぶしの旅のことである。

ルール

1 大金をつかわない。
2 疲れるような事はしない。
3 何かを得ようと期待しない。
4 行列のできる店に行かない。
5 朝早くから行動しない。




これはなかなかいい!
特に4番!
行列のできる店に行かない・・・当然ですよ!(笑)




看板・標識・標語など | 17:38:52 | Comments(2)
旧伊藤博文邸
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旧伊藤博文邸
(平成5年山口県指定有形文化財・通称 伊藤公記念館)

本館は、初代内閣総理大臣・伊藤博文公が自ら基本設計をしたもので、当時の山口県知事・渡辺融(とおる)、貴族院議員・室田義文(むろたよしふみ)両氏が監督となり、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が2万1,291円38銭で請け負いました。
洋館木造モルタル2階建て延床面積293平方メートルの本館は、公の遠祖・林淡路守通起(はやしあわじのかみみちおき)の没後300年にあたり、公が施主となり、林家及び伊藤家の一族を招いて法要を行うために建てられたものです。
工事は、明治42年3月に着工、翌年5月に完成しましたが、工事中の明治42年10月26日、公はハルビン(現・中華人民共和国東北地区)駅頭で凶弾に倒れ、完成した館を見ることはできませんでした。
しかし、公の意思を継いだ嗣子・博邦(ひろくに)公により、明治43年11月13日に300年の法要が行われました。
その後、明治45年に山口県が伊藤家より寄贈を受けて管理をしていましたが、昭和27年に当時の大和村が無償で払い下げを受け、公の遺品や書などを展示する施設として一般公開していました。
平成5年には県指定有形文化財に指定されましたが、建物の老朽化により大和町は平成14年7月から保存修理工事を着工し、軸部等の部分修理や屋根の葺き替え、車寄せ部分を明治43年建築当初の姿に復し、平成16年2月に竣工しました。

(説明板より)


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史跡 | 16:15:49 | Comments(0)
伊藤公生家
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伊藤公生家

天保12年(1841)9月2日、この地で生まれた伊藤公は、6歳までをこの家で過ごした。
当時は約207坪(684㎡)の敷地の中に、母屋や納屋、土蔵などがあったが、敷地のほとんどが畑として使われていたため、母屋は30坪(100㎡)ほどの粗末なものだったと伝えられている。
この生家は、公一家が萩へ移り住んだ翌年の嘉永3年(1850)に暴風雨により倒壊したが、大正8年(1919)「伊藤公爵遺跡保存会」によって復元された。
しかし、この生家も老朽化したため、伊藤公生誕150年にあたる平成3年(1991)本町は「ふるさと創生事業」の一つとして、もともと公の生家のあったこの場所に建物の移転と復元を行った。

光市

(説明板より)



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史跡 | 15:14:41 | Comments(0)
慰霊碑
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碑文

この碑は、昭和20年8月14日の空襲によって殉職した、旧海軍工廠職員、動員学徒738人ならびに人間魚雷回天特別攻撃隊員の、尊い犠牲を追悼して建立した。

昭和20年7月24日、光市沖における対空戦により、惜しくも祖国に殉じた旧海軍駆逐艦「樺」および「萩」の乗員38人の御霊を追悼し、ここに合祀した。

光市民は、この地に永眠したこれら殉職者の霊やすかれと祈るとともに、世界の恒久平和を願うものである。

光市

(碑文より)


より大きな地図で 慰霊碑 を表示


史跡 | 13:58:46 | Comments(0)
回天の碑
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回天の碑

碑文

太平洋戦争末期の昭和19年11月25日 人間魚雷「回天」光基地が 光市のこの地に開設された
「回天」とは海中を潜り敵艦に体当たりする一人乗りの人間魚雷のことである
祖国 日本を守るため 潜水艦に搭載されて南太平洋に出撃した
「回天」に搭乗した若者は 再び生きてこの地に還ることはなかった

  わたしたちは祈る
 あなたがたの御魂が
ふるさと光に安らぐことを
  わたしたちは誓う
 未来の子どもたちへ
平和の志を、確かに伝えることを

光基地戦没者

岡山 至   金井行雄  河合不死男
市川尊継   斉藤達雄  堀田耕之祐
田中二郎   田辺 晋  新野守夫
浦佐登一   岩崎静也  田中金之助
熊田孝一   釜野義則  猪熊房蔵
菅原今朝松  梅下政男  赤近忠三
亀田武雄   坂本 茂  伊東祐之
森 正夫   高沢喜一郎 吉田 洸
荒木七五三一 藤原 昇  樽井辰雄
寺西 亨   池淵信夫  横尾喜三郎
八木悌二   久家 稔  富永一喜
安部英雄   柳谷秀正  河田直好
海老原清三郎 水知創一  島田 昌
松田光雄   北村十二郎 矢崎美仁
柿崎 實   阿部福平  三好 守
古川七郎   恵美須忠吉 阪本宣道
山口重雄   成瀬謙治  和田 稔
前田 肇   上西徳英  光市出身・八木 寛
小林富三雄  佐野 元  光市出身・仁科関夫

伊号第370潜水艦 藤川 進 以下 79名
伊号第361潜水艦 松浦正治 以下 76名
伊号第165潜水艦 大野保四 以下104名
  第18号輸送艦 白龍隊    114名
          大槻 勝 以下148名

(碑文より)


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史跡 | 12:08:17 | Comments(0)
岩国徴古館
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岩国徴古館の建物の概説

当館は、物資統制下の戦時中に、旧藩主吉川家が「郷土に博物館を」という目的で建てた建物で、昭和17年(1942)9月27日起工、同20年(1945)3月10日竣工。
設計は佐藤武夫。
施工は株式会社池田組。
佐藤武夫(1899~1972)は名古屋に生れ、岩国中学校を卒業して早稲田大学で建築学を専攻し、同大学の教授となり、建築音響学の分野を開拓した。
又、日本建築学会の会長を勤め、芸術院賞を受賞した。
当館は、佐藤武夫が学究心を燃やして初めて手がけた作品で、当時、建築学界に新しい感覚で受け入れられたヨーロッパの古典主義様式を基本にして、佐藤の建築家としての才気を表したものである。
特に、展示室内部の下部が広がった列柱や、木製の階段の形態などに、物資の乏しい戦時下の建築とは思えない豊かさを感じさせる。

岩国徴古館

(説明板より)


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建物 | 11:47:13 | Comments(0)
山口・博多の旅(3)
今日は光市に在住の瀧上大隊(独立歩兵第356大隊)の“コンドウさん”にお会いする日である。
当初は、お昼まで、ここ岩国に滞在して午前中を史跡巡り・観光に使おうと思っていたのだが・・・
“コンドウさん”から「お昼を一緒に食べましょう」とのお誘いを頂いた。
これは断るわけには行くまい。(笑)
となると・・・岩国から光までは在来線で1時間はかかるから、11時前には岩国駅を出発しなくてはならない。
そうなると・・・観光に使える時間は1時間あるかどうか・・・・である。
参ったなぁ~と思っても仕方がない。
“コンドウさん”が優先である。

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(ホテルの部屋から見た錦帯橋)

午前9時にホテルをチェックアウトして、荷物をフロントで預かってもらい、観光に出かける。
昨日に引き続き、またもや300円を出して錦帯橋を渡る。(笑)

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拙者以外に、この橋を渡っている人は・・・・いない・・・
なんとなく恥かしいというか、何というか・・・落ち着かぬ。(笑)

とにかく、1時間しか余裕がないので、どこか1箇所だけ見て光駅へ移動することにする。
岩国城は時間的に無理だろうから、吉川史料館を見学しようと思って行って見たら・・・
あら!今日は閉館日!
なんとタイミングの悪いことか・・・
近くの徴古館は幸いにも開館していたので、ここを見学することにした。
入館料は無料・・・・
ちょうど、『幕末の動乱と岩国』という企画展が開催されていたので、これを見学する。
観覧者は・・・拙者一人・・・
平日だから仕方がないか?(笑)

10時・・・・
再び錦帯橋を渡ってホテルに戻り、預けておいたカバンを受け取りタクシーで岩国駅へ・・・・
ここから下関行きの山陽本線に乗って光駅へ移動する。

120_convert_20120506222131.jpg(岩国駅のホーム)

なんとも閑散としたホームである。
本当に電車は来るのだろうか?(大笑)
米海兵隊の岩国基地の米軍機が駅の直ぐ近くを飛行する。
その爆音のうるさいこと・・・・
基地がある町に住んでいる人は、この騒音を毎日聞かされるのか?
いやはや、これは迷惑だろうなぁ~
沖縄の基地移転問題・・・なるほど分からぬでもないなぁ~

1時間後・・・光駅に到着。
昨日のうちに到着時間を知らせておいたので、“コンドウさん”が改札口までお出迎え。
初対面なのに、拙者の人相特徴を教えておくのを忘れいていた。
「じゃぁ、駅でお会いしましょう!」なんて簡単に約束していたので、昨晩、慌てて再度確認のお電話を差上げて、拙者の人相特徴を伝えておいた。
いやはや何ともマヌケなことよ。(笑)
“コンドウさん”は90歳・・・・
改札口におられたご老人は一人だけだったので、すぐに分かった。(大笑)

娘さんの運転する車で迎えに来てくれたという。
早速、食事に出かける。
本来は、午後にご自宅へ伺ってインタビューをするのを常としているのだが・・・・
自宅に来られても困るということで、外でお会いすることになった。
しかも昼食を一緒に・・・ということで、事前に娘さんが食事場所を探して予定を組んでくれたという。
いやはや、なんとも大掛かりなこととなってしまい申し訳なし。

食事をしながら、おしゃべり・・・・
話はもっぱら娘さんからの質問・・・
戦友会のことや、拙者のことばかり・・・
あらら・・・拙者がインタビューされてばかりでは、主客転倒である。(笑)

毎年、こうやって各地の戦友を訪問して戦時中の体験談などを聞かせていただき、それを戦友会の会報に載せるのだが・・・・
“コンドウさん”は、あまり戦時中の話はしたくなさそうである。
以前、お手紙を頂いたときには、いろいろと書いてきてくださったのだが・・・
歳を取るに従って意識が変わってしまったのかも。
拙者はジャーナリストじゃないので、本人がしゃべりたくないことは無理して聞き出さないことにしている。
話したいことだけを話していただくだけでいい。
インタビューのようでインタビューになっていない。(笑)
もし、拙者がジャーナリストだったら失格である。
いつも、面談した方の写真を撮らせてもらい、会報に掲載するのだが、「ご勘弁ください」とのことなので諦める。
簡単な資料も頂いたが、これも会報への転載は「勘弁して下さい」とのこと。
全て・・・ダメ・・・・
となると・・・次回の会報には何を書けばいいのか・・・(大笑)
まぁ、これもいいだろう。
無理はしないほうがいい。
お会いして、たわいのない雑談でもいい。
戦友会の事務局長さんが会いに来てくれた・・・久しぶりの来訪者・・・ということだけで喜んでもらえたら、それでいいということにしよう。(笑)

昔、拙者は初対面の人とは口がきけない性格だったのである。
が・・・戦友会に入ってからは、なぜか、以前より初対面の方とも気軽におしゃべりができるようになった。
不思議なことなのだが・・・
今まで避けて通っていた初対面の方と会うのが、今では逆に楽しくて仕方がないのである。
が・・・これは、あくまでも戦友だけに限ってであるが・・・(笑)
なぜか従軍経験者とは気が合うんだよなぁ~(大笑)

「さて、それでは、出かけますか?」と“コンドウさん”
はぁ?話もそこそこに、出かけるって・・・どこへ?
「ドライブに行きましょう!」と言う。
何もない町ですが・・・と言いながら、市内を案内するという。
これもまた、ありがたい話である。

「何もない町なんですけどね・・・慰霊碑が何処かにあったくらいで・・・回天の碑だったかな?」
「え?そこ!そこに行きたいです!」
「え?そんなもんでもいいですか?」
“コンドウサン”には教えていなかったのだが、拙者は記念碑巡りが好きなのである!(大笑)

光市には戦時中「光海軍工廠」という軍需工場があった。
ここでは「人間魚雷・回天」を作っていたので、その慰霊碑があるという話を聞いたことがある。
そこへ連れて行ってもらう。
「たしか、あのあたりに、そんな碑があったような・・」と娘さんと話しながら記念碑を探してドライブ。

125_convert_20120506230618.jpg(回天の碑)

続いて、どこかの工場の前にある慰霊碑・・・・
「何の慰霊碑か知らないけど、たしか、このあたりに慰霊碑があったような気がする」と案内してくださった。
拙者としては、もうワクワクである。(大笑)

更に、もう少し足を伸ばして・・・・
「伊藤公記念公園」へ・・・
ここは伊藤博文の記念公園で、生家や記念館がある。

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ここはかなり辺鄙な場所にあり、交通の便が悪い。
以前から行って見たいなとは思っていたが・・・・
まさか連れて行っていただけるとは望外の喜び!(喜)
「外で待っていますから、どうぞ見学してきてください」と言われ、一人で資料館を見学・・・
ありがたいことは、ありがたいのだが、外で待たせて、自分だけが悠々と見学というわけにも行かない。
どうも落ち着かぬ。(大笑)
ここには伊藤博文の銅像がある。

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が・・・他にも、もう1体、丘の上のほうにあるらしい。
しかし・・・まさか、90歳の方を丘の上まで登らすわけにもいくまい。
かといって、待っていてもらうというのも申し訳ない・・・・
ということで、もう1体の銅像の写真を撮るのは諦める。
いつか、一人でまた来るしかない・・・・

“コンドウさん”宅近くの海水浴場にも連れて行ってもらう。
松林の鬱蒼と茂る浜辺・・・・
わが町の海水浴場とは雰囲気が雲泥の差・・・
やっぱり松林があるのとないのでは雰囲気が大違い。
松林があると・・・いいねぇ~
我が町の海水浴場と違って、ここは内海のせいか、波がない・・・
静かな湖のような海水浴場である。

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「わざわざお連れしてお見せするほどの場所ではないのですが・・・こんなものしかなくて・・・」とおっしゃる。
「いや、いや、大いに参考になります。私が市長になった暁にはわが町の海水浴場に松の木を植えましょう!」と冗談を放つ。(大笑)

「で・・・今日はどこにお泊りで?」と尋ねられ・・・・
正直に「徳山駅前のホテルです」と答えたのがいけなかった。(笑)
「それじゃ、ホテルまでお送りします」とおっしゃる。
ここから徳山までは、かなりの距離だと思うのだが・・・
結局、お言葉に甘えて・・・・駅前のホテルまで送ってもらい、お別れする。
結局、インタビューなどは、そっちのけで、大いに観光を楽しんでしまった・・・・
いやはや、申し訳なし・・・
拙者はいったい何しに行ったのやら・・である。
ご迷惑をお掛けにお邪魔したような気がしないでもないなぁ・・・・(笑)

今日のホテルは、夕食付き・・・・
期待以上の豪華な夕食だった。(喜)

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旅行 | 09:16:25 | Comments(2)
巌流ゆかりの柳
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巌流ゆかりの柳

佐々木巌流小次郎は宮本武蔵との勝負に敗れましたが、小次郎の『つばめ返し』の剣法は天下無双であったということです。
吉川英治氏は小説『宮本武蔵』のなかで、岩国で生まれた小次郎は、母から家伝の長光の刀(一名物干し竿)を授かり、この辺りの柳とつばめを相手に独りで工夫し、努力を重ね、遂に『つばめ返し』の術を編み出したと記しています。

(説明板より)


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史跡 | 20:45:40 | Comments(0)
槍倒し松
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槍倒し松(やりこかしまつ)

この松は、岩国武士の負けず嫌いを表徴する有名な槍倒し松です。
昔諸国の大名が他藩の城下を通るときは行列の槍を倒すのが礼儀となっていたのですが、大藩が小藩の城下を通るときは、儀礼を守らず槍を立てたまま威風堂々と通ったものです。
岩国藩が6万石の小藩であるため岩国の武士達はこれを見て憤慨し、そこでかなり成長した横枝のはった松の木をわざと橋の頭に植え、大藩といえどもどうしても槍を倒さなければ通ることができないようにしたものです。
今では昭和10年(1935年)の河川改修工事により道路や人家が堤防の上に移りましたが元は川辺りにあって、ここの石段が坂道になっていましたから大名が槍を倒して坂を登るのを見て岩国武士達は溜飲を下げていたということです。
昭和19年(1944年)頃、この地方に発生した松喰虫によって、この松も昭和27年(1952年)8月残念ながら枯れてしまいました。
この松は初代の松の実から自生した直系の松を昭和43年(1968年)2月15日三代目槍倒し松として吉香公園から移したものです。

樹齢 300年
樹の高さ 14.5メートル
幹の周囲 3.7メートル
樹冠の面積 323平方メートル

昭和29年1月 岩国保勝会

(説明板より)


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史跡 | 19:11:13 | Comments(2)
香川家長屋門
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山口県指定文化財
建造物 香川家長屋門 1棟
指定年月日 昭和41年6月10日 山口県有形文化財
管理団体 岩国市

説明

香川家長屋門は岩国藩家老香川氏の表門で今から270年余前香川正恒が建造したもので建築面積123.14平方メートル江戸時代の武家門造の典型として城下町岩国をしのぶ好個の資料であります。
香川家は初め芸州(広島県)八木城主で吉川広家が岩国に移封された当時客分から家老に取り立てられた名門であり、かの歴史的に有名な陰徳太平記は正恒の父正矩苦心の作で正恒の弟景継が大成したものであります。
その他香川家からは為政者あるいは歌人の優れた人物が輩出しています。
この長屋門は昭和30年1月25日山口県指定文化財顕彰規定により指定されていましたがその後昭和40年山口県文化財保護条例が制定され同41年6月10日山口県有形文化財の指定を受けました。
なお、この建造物は当主香川晃氏から昭和30年10月25日、岩国市に寄贈されております。

岩国市教育委員会

(説明板より)


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史跡 | 18:53:06 | Comments(0)
岩国城跡旧天守台
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岩国城跡旧天守台について

岩国城は、江戸時代には珍しく、山上に築かれた近世城郭である。
この城郭は、毛利氏の一族、吉川広家(きっかわひろいえ)が慶長8年(1603)に着工、同13年に完成したが、元和(げんな)元年(1615)一国一城令により破却された。
城郭の中心となる天守台は、古式穴太積み(こしきあのうづみ)と呼ばれる石積みを基本としながらも、戦国時代に、地方独自の石積みの技術が加わった形で造られた構造物である。
天守台の石垣は、大きめの石と、すき間に詰めた小さめの石からなり、隅部の角石(すみいし)には算木(さんぎ)積みの技法が見られる。
その隅部には、反(そ)りはなく、ほぼ直線上の稜線に仕上げられており、見かけの美しさよりも構造力学上の安全性に重点を置いた造りになっている。
これにより、戦国武将吉川氏の石垣の力強さを垣間見ることができる。

(説明板より)


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史跡 | 17:32:05 | Comments(0)
岩国城
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岩国城天守閣由来

岩国城は、吉川家17代の広家公が慶長5年岩国に移封されてより建設が計画され、先ず最初に山麓に平生の居館を構え、ついで横山の要害を城と呼び、山麓の館を土居と称した。
岩国城は、慶長8年、二宮佐渡が鍬初めを行ない築城奉行に松岡安右ヱ門、祖式九右ヱ門、吉田宗右ヱ門等を任用し、5年の歳月を要して慶長13年(西暦1608年)に山頂の要害はことごとく完成し城藩制が定められた。

●築城当時の岩国城の規模
城山の尾根沿いに長さ180米、横に108米~54米、石垣の高さ5.4米、天守閣は桃山風の南蛮造りと言われ、四層五階で本丸の北隅にそびえていた。
この外に矢倉5棟、折り回し大門2門、埋門1門、井戸2掘があった。
横山側の前方を大手とし、御庄後方を搦手として錦川を隔てて北方に安芸境をにらんでいた。
元和元年(西暦1615年)6月、徳川幕府の一国一城の制により取り壊しにあった。
その後城跡は石垣の一部を残し荒涼たること約360年にして昭和36年3月復元工事に着手し、昭和37年3月に竣工したものである。

(説明板より抜粋)


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史跡 | 16:10:01 | Comments(0)
山口・福岡の旅(2)
一応、ロープーウェイ乗り場へ行って見たら、山頂行きの最終便が出るという。
が・・・岩国城の内部の見学は時間的に不可能とのこと。
5時の最終下りの便には間に合うようにと何度も念を押される。(笑)
時刻は4時過ぎ。
岩国城のところまで行って戻ってくる分には最終の下りの便には間に合うらしいので行ってみることにした。

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ロープーウェイの山頂駅から岩国城までは徒歩で約10分とのこと。
お城のほうから団体客がゾロゾロと降りてくる中を、拙者は一人、城に向かう。(笑)
緩やかな上り坂の山道を登り・・・岩国城へ・・・

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内部は資料館になっているらしいが、当然、閉館時間である・・・・
外観だけを見る・・・
と・・・そのとき携帯電話が鳴った・・・
誰かと思ったら税務会計事務所の“フクシマくん”からである。
会社の決算の日程打ち合わせの電話だった。(笑)
拙者の会社は実質廃業して従業員は誰もいないし何の仕事もしていないが、一応、名前だけは生きている。(笑)
工場の建物を他社に貸しているので、一応、これが現在の“事業”かな?(笑)
というわけで、公式にはまだ存在している会社なので決算がある。
それをいつやろうかとの電話・・・
「今、どこですか?」
「え~と・・・山口県!」
「はぁ?今回は山口ですかぁ?(笑)」
「そういえば、いつも俺が旅行中に電話をしてきてない?」
「そういえば、そうですよねぇ~前に電話した時もどこかを旅行中でしたよね?(笑)」
なぜか、この“フクシマくん”からの電話は、いつも拙者が旅行中にかかってくるのである。
不思議なタイミングである。(大笑)

岩国城の写真を撮って、坂道を降り、ロープーウェイの頂上駅に向かう。
早目に行ってないとね。
最終便に乗り遅れたら大変である。
こんな山頂に置き去りにされたら堪ったもんじゃない!(笑)
野宿は嫌じゃ!(大笑)

092_convert_20120503230323.jpg(頂上駅)

頂上駅からの見晴らしはいい・・・・
無理して来た甲斐があった。
川が大きく蛇行しているとは知らなかった・・・・
ず~っと向こうに、岩国の米軍基地が見え、米軍機が離陸しているのが見えた。

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無事に最終のロープーウェイに乗り“下界”へ降り(笑)、帰途につく。
が・・・途中のアイスクリーム屋で甘酒を売っていたのを発見!
向こうのアイスクリーム屋は若いお兄ちゃんが呼び込みをしている。
こっちのアイスクリーム屋は若いお姉ちゃんが呼び込みをしている。
たとえ“スケベ中年オヤジ”と言われようとも、若いお姉ちゃんのいる店に立ち寄るのは人情というものである!(大笑)
店先で甘酒をすすりながら一休み・・・
と・・・まもなく学校帰りの女子高生らしき集団がやって来た。
さすがにアイスクリーム屋の店先で甘酒をすすっているのは気がひける・・・(大笑)
急いで退散する。(大笑)

再び錦帯橋を渡り、ホテルに戻る。
ロビーに一列に並んだ従業員から「お帰りなさいませ!」と言われるのは照れくさい・・・(笑)
拙者はそれほど偉くはないのだが・・・(大笑)
で・・・今度は、ホテル内の売店でお土産を買うことにした。
お店のオバチャンとあ~でもねぇ、こ~でもねぇと世間話をしながらの“お買い物”・・・・
こういう旅先での会話が楽しいのである。
こういう会話は相手が“オバチャン”でなくては弾まない。
悲しいかな・・・若い女の子は会話が下手である。(笑)
お土産を宅急便で送る手配をして“オバチャン”とはお別れ・・・・

さて・・・今晩の夕食・・・・
ここはホテルと言っても温泉旅館のようなホテルである。
団体客が多いようで、通常は夕食付きの宿泊である。
が・・・拙者は、夕食なしの怖ろしく狭いシングルルーム・・・・(笑)
ホテルの周囲にはこれと言った食事のできそうな場所もないようだし・・・
というわけで、ホテル内で食事をすることにした。

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売店の“オバチャン”に勧められ、中華レストランで夕食・・・・
が・・・店内には客が誰もいない・・・(笑)
そりゃそうだ・・・お客は団体客ばかり・・・みなさん宴会場でお食事なんだろう。
一人で中華というと、コースは頼めないから一品料理とならざるを得ない。
で・・・焼きそば・・・・
質素な夕食となる・・・(大笑)

それにしても不思議なもので・・・・
ここ2週間ばかり胃が痛くてどうしようもなかったのである。
滅多に胃薬を飲まないのだが、何年ぶりかで胃薬を服用・・・
しかし、一箱全部飲んでも胃痛は治らない。
この痛み・・・・
以前、胃潰瘍を起こしたときに似た痛みである。
参ったなぁ~と思いながら旅に出たが・・・
食事中、気が付いた・・・
あれ?痛みが消えている!(大笑)

あの胃の痛みはストレスか?(笑)
旅に出たらケロッと治ってしまった。
旅とは素晴らしい効用があると改めて実感しながら・・・焼きそばを食べる。(大笑)

で・・・午後7時過ぎ・・・・
他の客は宴会中だろうと・・・大浴場に向かう。
思ったとおり!(喜)
大浴場には誰もいない!
貸し切りだぁ~!(喜)
露天風呂も・・・貸し切りだぁ~!(大喜)
ラッキー!

旅行 | 15:22:18 | Comments(0)
吉香神社
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国指定重要文化財
吉香神社

本殿
拝殿及び弊殿 3棟
神門
鳥居 1基
付 棟札 2枚
指定年月日 平成16年12月10日
所有者 宗教法人 吉香神社

吉香神社は岩国藩主吉川氏歴代の神霊を祀る神社で、現社殿は、享保13年(1728)横山の白山神社内に造営され、明治18年(1885)に旧城跡の現在地に移築されたものです。
鳥居、神門、拝殿及び弊殿、本殿が南から北に一直線に並んだ構成となっています。
神門は、小型の四脚門で冠木中央に吉川家家紋があり、拝殿は、入母屋造妻入りで背面に弊殿が張り出し、本殿は三間社流造で正面に軒唐破風、千鳥破風が付されています。
いずれも軸部から小屋組まで当初形式をよく保持しており、充実した細部を備えた丁寧なつくりとなっています。
特に本殿と拝殿および弊殿は独特な形式で複雑な架構と屋根形式を巧みにまとめていて、独自性が認められます。
全国的にも数少ない祖霊を祀る神社建築で、全体に岩国藩大工の質の高い技術が窺え、地方における江戸中期の優品として、高い価値が認められます。

岩国市教育委員会

(説明板より)


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史跡 | 14:39:06 | Comments(1)
吉川経家弔魂碑
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吉川経家弔魂碑

天下統一を目指す織田信長は、天正8年(1580)6月、羽柴秀吉をつかわして鳥取城攻めを開始した。
鳥取城主山名豊国は、城内の多数の意見を無視して秀吉に降伏し、城外に脱出した。
豊国の家臣達は吉川元春に城将の派遣を要請し、元春は石見国温泉津福光城主吉川経家に命じて城督とした。
天正9年3月、経家が入城し城内を調査したところ、貯蔵された食料がわずか3カ月分位しかなく、食料の補給を図ったが、城内に搬入しようとする輸送船は、すべて秀吉軍に捕獲された。
時日が経過するに従って餓死する者が続出し、その惨状は言語に絶した。
開城の条件として、城兵全員の救助を誓約し10月25日「天下を争う織田・毛利両家の二つの御弓矢の場で切腹する自分を名誉に思う」という遺書をしたため、城内広間において35才の命を断った。
その子孫は岩国藩に仕え、藩政に貢献した。
その英魂を弔うため、昭和14年弔魂碑が建立され、礎石に鳥取城の石12個が使用されている。
なおこの場所は、江戸時代にその吉川氏の屋敷のあった所である。

(説明板より)


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史跡 | 13:50:33 | Comments(0)
旧岩国藩家老 吉川氏屋敷跡
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旧岩国藩家老 吉川氏屋敷跡

駿河(するが)(静岡)を拠点として活動していた吉川(きっかわ)氏は、正和2年(1313)、吉川経高(つねたか)の代に弟たちとともに安芸(あき)(広島)に拠点を移した。
これが安芸吉川氏であり、後の初代岩国藩主吉川広家(ひろいえ)はその直系にあたる。
それに対し、吉川経高とともに安芸に移った弟の一人、吉川経茂(つねしげ)は、後に石見(いわみ)(島根)に領土を得て移り住んだため、石見吉川氏と呼ばれている。

天正9年(1581)、織田信長の命により中国地方に進出した羽柴秀吉は、鳥取城へ軍を進めた。
このとき、鳥取城主であった山名豊国(やまなとよくに)は、羽柴秀吉に降伏しようとしたが、降伏を望まない家臣の中村春続(はるつぐ)・森下道誉(どうよ)が、山名豊国を城外へ追い出し、安芸の吉川元春(もとはる)に城将の派遣を願った。
それをうけた吉川元春は、石見吉川氏10代目にあたる吉川経家(つねいえ)を鳥取城へ派遣することとした。
部下とともに入城し、決死の覚悟で守る吉川経家に対し、羽柴秀吉は、2万の大軍を率い、三里四方にわたる大規模な包囲網をしき、また、織田軍による外部からの輸送の遮断によって、鳥取城を兵糧攻めすることとした。
悪条件の中、吉川経家は抵抗を続けよく守ったが、時とともに鳥取城内には餓死者も増え、これ以上の抵抗は死者を増やすだけであると判断し、責任者以外の城兵の助命を条件に開城条約を結ぶことを決意した。
羽柴秀吉側の提示した条件は、主君山名豊国を追い出して今回の戦いの原因を作った中村春続・森下道誉ほか数名の切腹を求める一方、吉川経家をはじめ、安芸から派遣された城兵の命は助けるというものであった。
これに対し吉川経家は、主君山名豊国に対しては不忠であったが、毛利氏や吉川氏に対し功績のあった中村春続・森下道誉の2名の助命と、派遣されたとはいえ、城将となった責任として吉川経家自身の切腹を願い出た。
双方の意見が分かれ、羽柴秀吉としても、吉川経家のような義にあつい人物を殺すにしのびず説得を続けたが、合意には至らず、結局、吉川経家の切腹を認め、吉川経家も中村春続らの切腹を受け入れることとした。
天正9年10月25日、経家は自刃し、35歳の若さでこの世を去った。
そして、鳥取城は開城し、条約を守った羽柴秀吉によって多くの城兵はそ命を救われることとなった。

吉川経家の子経実(つねざね)は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、吉川広家に従って岩国に入り、その後は代々岩国藩の家老を務めた。
この地は家老として仕えた石見吉川氏の屋敷地であった場所であり、江戸中期頃建築された長屋が遺構として残っていたが、老朽化により平成23年に解体された。

平成23年3月 岩国市教育委員会

(説明板より)


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史跡 | 12:22:58 | Comments(0)
錦帯橋
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名勝 錦帯橋

世界に誇る名橋錦帯橋は延宝元年(1673)、第三代岩国藩主吉川広嘉によって創建されました。
それまでの橋は、錦川の洪水のたびに流されていましたが、広嘉の斬新な発想と藩の技術者のたゆまぬ努力によって現在の橋の形が作り出されました。
長年美しい姿を誇っていましたが、昭和25年9月、当地方を襲ったキジア台風により惜しくも流出しました。
その後、昭和28年1月再建され、現在の橋は、平成13年度から平成15年度にかけて行われた工事により架替えられたものです。
橋の長さは、橋面にそって210m、直線で193.3m、幅5m、橋脚の高さ6.64mとなっています。
錦帯橋といえば周囲の景観と調和した美しい姿が特徴ですが、木組みのアーチや橋脚、その橋脚を支える敷石等の技術は、現代の土木工学においても通用する技術であると言われ、当時の岩国藩の技術の高さを裏付けるもので、その匠の技は今日まで脈々と伝えられています。

(説明板より)


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史跡 | 11:03:36 | Comments(2)
山口・福岡の旅(1)
今日から福岡へ出かける。
ガダルカナル島で戦った川口支隊の遺族の方々と11月の現地慰霊巡拝の打ち合わせに行く。
普通ならば羽田から飛行機で往復すれば簡単なのだが・・・・
それでは何とも、もったいない・・・・
ただ福岡を往復するだけじゃねぇ~
というわけで・・・山口県光市に在住の戦友・・・“コンドウさん”に会いに行く事にした。
“コンドウさん”とは、お手紙のやり取りをしたことはあるが、お会いしたことはない。
折角の機会である・・・
直接お会いして、おしゃべりをしよう。

というわけで・・・飛行機で行くのはやめて・・・新幹線で行く事にした。
時間はかかるが、やむを得ない。

昨日、午前8時51分発の特急の指定席を予約しておいた。
もしかして、寝坊をするかも・・・と思ったからだが・・・
意外にも早起きをした。
普段は絶対早起きなどはできないのに・・・
どうも旅に出るとなると早起きが出来るようである。(大笑)

7時44分発の特急に切り替えて上京。
東京駅から「のぞみ」で広島まで・・・
広島駅から在来線に乗り換えて岩国駅に向かう。
今日は岩国に宿泊することにしたのである。
折角ですから・・・・錦帯橋と岩国城でも見ようかなと・・・(笑)

午後3時、岩国駅に到着。

002_convert_20120501175829.jpg(岩国駅)

岩国駅からタクシーで錦帯橋の目の前に建つホテルに向かい、チェックイン。
早速、出かけようと思ったら、「今からお茶をお持ちします」とのこと。
いや、いや、拙者には時間が無いというのに・・・(笑)
お茶が届くまで部屋で待ったため、時間をロスしてしまった。
もう夕方の4時間近である。
ホテルの従業員に、「岩国城に行かれるのなら4時のロープーウェイに乗らないと間に合いませんよ」と言われる。
それで行ったとしても、岩国城の中を見学するのは無理だろうとのこと。
しかし、行くだけ行ってみなければ気が済まない。(笑)

008_convert_20120501215600.jpg

錦帯橋・・・・300円の通行料を払って渡る。
有料とは知らなかった。(笑)
ロープーウェイとセットの通行券も販売しているそうだが、時間的に怪しい(笑)時間なので、ロープーウェイのチケットは乗り場の窓口で買ってくれと言われる。
錦帯橋・・・・
想像していたほど、すごいという気がしない・・・(笑)
ただの橋である。
形は独特であるし、作るのも難しいのだろうし、建造費も高いのだろうが・・・
でも・・・普通の橋にしか思えない・・・なぜなのか?(笑)
期待が大きすぎたからか?(大笑)

012_convert_20120501220343.jpg

向こうの山の頂上に岩国城が見える。
あらら・・・ずいぶん遠い・・・
時間的に、もう間に合わないだろう。
この橋・・・・見た目は格好がいいのだが・・・とにかく歩きづらい・・・
やはり実際に歩いてみないと分からぬものである。

錦帯橋を渡り、突き当たりに公園が・・・
そこに銅像があった。
『吉川広嘉』という人の銅像・・・・
岩国藩三代目の藩主で錦帯橋の創健者らしい。

014_convert_20120501224155.jpg

急いでロープーウェイ乗り場に行っても、もう間に合いそうもないので、周囲を散策しながら向かうことにする。
途中で「吉川経家弔魂碑」と出会う。
吉川経家・・・・ねぇ~
どこかで聞いたことがあるような・・・・
で・・・ここを立ち去って、暫くしてから思い出した!
昔、鳥取城へ行った時に銅像を見たぞ!
あの人かぁ~
マヌケである・・・・暫く経たないと思い出せないとは・・・

途中、2体ほど銅像を発見!
ロープーウェイよりも銅像のほうが最優先!(笑)
更には「佐々木小次郎」の銅像も見つけた!(喜)
佐々木小次郎って岩国の出身なのか?

039_convert_20120501224708.jpg

「吉香神社」のところでも銅像を見っけ!(喜)
この銅像・・・「田中穂積先生胸像」と書いてある。
田中穂積?・・・・どこかで聞いたことがある名である。
そうだ!今度は直ぐに思い出せた。(笑)
以前、佐世保の旧海軍墓地に行った時に、この人のお墓を見た覚えがある。
確か海軍の軍楽隊の隊長などをしていた人で、軍歌を作曲した偉い人だったと思う。

059_convert_20120501225945.jpg

あらぁ~ここで銅像にお会いできるとは!
感激である。
全国、色々なところをブラブラ旅していて良かったと思う。
これだから「ぶらり旅」は止められない。(大笑)

旅行 | 10:42:28 | Comments(0)
秘録 陸軍中野学校
秘録・陸軍中野学校 (新潮文庫)秘録・陸軍中野学校 (新潮文庫)
(2003/07)
畠山 清行

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第1編 諜報戦の内幕
 戦争とスパイ
 講和に負けた日本
 英国領事館を狙う
 破れなかった紫暗号

第2編 陸軍中野学校の「秘密教育」
 兵務局分室と海狼艦隊
 後方勤務要員養成所
 謀略は『誠』なり
 背広服の忍者たち
 二つの中野学校
 異国の土と化す運命
 陸軍省襲撃さる

第3編 開戦前夜の南方工作
 淡路町謀略事務所
 マレーの虎『ハリマオ』
 戦雲南に流れて
 排日中心地のスパイ領事館
 覆面の南方企業調査会

第4編 日米開戦と対外工作
 開戦秘匿の『寿』無電
 真珠湾に吹いた神風
 大演習と碧眼の女スパイ
 サイゴンの偽放送
 北方工作ツンドラの鬼

第5編 戦慄の国内工作
 狙われた吉田茂
 吉田邸に二人の女スパイ
 ヨハンセン工作班
 近衛上奏文の行方
 原爆と殺人光線
 謀略兵器生産工場
 キャノン機関と中野学校

(小伝)作家・畠山清行

その後の陸軍中野学校(編者解説)



「陸軍中野学校」とは、昭和13年に創設さrた、諜報謀略活動を任務とする“秘密戦士”の養成所である。
諜報謀略に関する話というのは、なかなか表にはでてこないものであるが、本書は昭和40年代に著者が発表したものを、編者の保阪正康氏が再編集して文庫本化したものである。
本書には実名で登場する“スパイ”、または仮名で証言する“スパイ”が登場し、日本軍の諜報活動について貴重な証言を行っている。
さらに、中野学校出身者の話ばかりではなく、その周辺にも話が及んでいる。
その一つが、藤原岩市氏の「F機関」・・・・
インド独立工作の一環としてインド国民軍を創設した。
確か、1983年のことだったと思うが、この藤原さんの謦咳に一度だけ触れたことがある。
あの時のことは今でも忘れられない。
すでにお亡くなりになっているものと思っていたら、お元気でおられたことに驚いた。
氏は、それから3年後の1986年に77歳で亡くなられたという。
懐かしいお名前に久しぶりに触れられて嬉しかった。
氏の眼光鋭い眼差しと、背筋のピンと張った後姿は今でも目に焼きついている。

本書の中で、中野学校とは直接関係はないが、奇妙な(?)記述が見られた。
元大本営参謀の辻政信の失踪の真相について書かれた部分である。
戦後の1961年に、当時参議院議員だった辻政信は、単身、ラオスへ行ったまま消息を絶った。
その後、全く消息が掴めず、死亡宣告が出されていて、今でも氏の最期は謎となっている。
が・・・本書では、ラオスから中国へ向かったところ、中国の監獄に送り込まれて、昭和44年に監獄内で病死したという。
これは香港にある情報機関からの情報で、かなりの信憑性があるといわれているそうだが・・・
私には初耳の話だった。
これが本当なら、大問題であろう。
果たして本当かどうか・・・・永遠に確認は取れないだろう。
それが“特殊工作”、諜報謀略の世界である。

終戦時、中野学校は解体され、“工作員”たちは“地下”にもぐった・・・・
戦後、各界で活躍した人も多いという。
現在もその“血”が受け継がれているかどうかは分からない。
それが表に出る事は無い。
表に出る時は「失敗」した時だけである。
今も我々の知らないところで国のため活躍している人がいると思いたい・・・・



今年の読書:36冊目




読書 | 23:44:27 | Comments(0)
予定キャンセル!
昨日、旅行社から6月のハワイ行きの申し込み書類が届いた。
6月にミッドウェィ島で、ミッドウェイ海戦70周年記念日米合同慰霊祭が開催される。
それに参加しないかとのお誘いを受けて、参加することにしたのだが・・・・
日本側からの参加者は、僅か3名・・・・
そのうち2名は予科練出身者。
従軍経験が無いのは拙者だけである。(笑)

それでも行こうという事で、予科練出身の“ワキタさん”が、米国側と連絡を取り合って、旅行の手配をしてくれていたのだが・・・
元米太平洋軍司令官の副官であるギャーリー元中佐から連絡が入り、ハワイからミッドウェイ島への特別チャーター便の運行が出来ないとのこと。
6月は、ミッドウェイ島のアホウドリの卵が孵って、雛が怖ろしいほど島に溢れかえる時期・・・・
何十万羽というアホウドリが島一面にいるのである。
で・・・このアホウドリの親(かなり大きい)を、離着陸時にエンジンに吸い込む危険があるということで、運行が中止になったという。
何をいまさら・・・という気がしないでもないが・・・(笑)
前回訪れたときも、別に問題はなかったと思うのだが・・・・
まぁ、それが理由というなら仕方がないでしょ・・・

“ワキタさん”からは、「こうなっては何の用事もないが、骨休めということで、ハワイに行く事にしますか?」との問い合わせのメールが届いた。
何の用事もないのに8日間もハワイに滞在する気はもうとうない・・・(大笑)
あんな退屈な場所のどこがいいのか、拙者にはさっぱりわからない。
正直言って、ハワイに行きたがる人の気が全く理解できない。
どこがいいんだろう?(大笑)

式典がないなら行かない・・・・ということで、旅行はキャンセルとした。

さて・・・6月の予定が空いちゃったぞ~(大笑)
どうしようかなぁ~
どこか他の国に行こうかなぁ~
いや、これが「旅行のし過ぎ!」という“天の声”による阻止ということならば、6月は大人しく国内にいたほうがいいのか?
迷うところである。(大笑)
“運命”に逆らわないように生きるというのも難しいものである。(大笑)

日記 | 15:40:18 | Comments(0)
失敗した?
楽しみにしていた北朝鮮の“ミサイル”・・・・(大笑)
どうやら打ち上げに失敗したらしい。(唖然)
これで、防衛省も胸を撫で下ろしただろう。
迎撃ミサイルの発射ボタンを押さなくて済んだのだから・・・・(笑)

が・・・どうも世間は何だかんだと騒いでいる様子・・・・

あれほど“言い訳”を考える時間を与えられていたというのにもかかわらず・・・
どうも日本政府のやること言うことはお粗末なようである。
で・・・反発を受けているご様子。

事前に「予告」されていて、これなんだから・・・当然か?
予告なしだったら・・・・と想像しただけで背筋が寒くなるという事なのだろう。

まず、米国の衛星が“ミサイル”の発射と思われる“熱源”を感知したらしい。
が・・・この“熱源”が、本来のミサイルのものなのか、それとも別のミサイルなのか区別がつかないという“余計な”言い訳が情報として流れた・・・・

米国と韓国は“ミサイル”の発射を確認したと公表したが、日本政府は“確認中”ということで、発射は“未確認”としたらしい。
韓国よりも国民への報告が遅れたことに不満を述べる人もいるようだが・・・
仮に日本のイージス艦や日本国内にある自衛隊のレーダーが感知したとしても、これを公表するわけにはいくまい。
“感知”したと公表したら、特に日本の国内にあるレーダーの探知能力がわかってしまう。
こちらの“手の内”を見せるわけにはいかない。
独自には感知できないことにしているほうが対外的には得策である。
だから正直なところは言えないのは当然だが、それにしても“未確認”は、言い訳としては、お粗末な“誤魔化し”方である。
思った通り、慎重を期していたことを理由にしたようだが・・・下手な言い訳である。
「自衛隊は感知したのか?」と尋ねられたら「国家機密に関わるから教えられない」と突っ撥ねればいい。
「アメリカからの情報」として終始一貫して、自衛隊の能力を隠してもいい。
そして、誤報だったら、米軍のせいにすればいい・・・・(笑)

“ミサイル”の発射は、早々と「失敗」としたようだが・・・
どうも腑に落ちない・・・
素直に「失敗」と言っていいかどうか・・・・
北朝鮮としては、他国からの圧力で「発射」を取り止めることは出来ない。
とにかく「発射」しなくては格好がつかない・・・
かとって、本当に飛ばしたらマズイことになる・・・
ということで、妥協案として、発射をするが、同時に自爆させる・・・という取り決めがあってもおかしくはない。
自爆能力を持っていることを他国に証明できれば、何かの手違いでミサイルが“暴発”することを食い止める手段を持っていることを他国にアピールすることにもなるだろう。
裏取引として、わざと自爆させたという可能性も否定できないのではないか?

もしくは、韓国による迎撃・・・・
発射してまもなく、韓国の領空・領海を犯している可能性もあるのではないか?
そこで米国と韓国が協力してか、韓国の独断でか・・・韓国が迎撃して撃墜した可能性も否定できない。
が・・・撃墜されたとなると北朝鮮も格好がつかないから・・・
「失敗」ということで目をつぶる・・・
1950年に勃発した「朝鮮戦争」は“終結”していない。
60年近く「休戦」状態のままであり、実は朝鮮戦争は続いているのである。
そこでミサイルを撃墜したと公表したら・・・・マズイから・・・
韓国、北朝鮮とも、知らん顔を決め込んで「失敗」ということにしている可能性もあるのではないか?
2年前の韓国のコルベット艦が沈没(撃沈?)した犯人は北朝鮮ということになっている(本当かどうかは知らないけれど・・・)が、それならば、これで“おあいこ”ということになる。
北朝鮮は何も言えないだろうし、撃墜されたなら尚更抗議はできない。
格好がつかない・・・・

北朝鮮は、“ハッタリ”でも何でもいいから、格好をつけたがっているだけではないだろうか?
そこそこに顔を潰さない程度の妥協となると・・・・
この「失敗」しかないのではないか?

問題は・・・・日本である。
警報が発せられなかった・・・
確認が遅く、情報の開示が1時間近く経ってからである。
怪しからんと人は言う・・・・
政府は、発射に失敗したから日本領空内には来ないので警報を発しなかったと言っているようだが・・・
(やっぱり、その言い訳を持ち出してきたか・・・笑)
正直言って、警報を発したからって、どうなるものでもないのである。
日本には防空壕も、核シェルターもないのである。
無いということは・・・避難したくても避難する場所が無いのである。(笑)

まずは、建築基準法でも改定して、建造物には必ず地下室か、防空壕か核シェルターを併設する義務を負わすべきだろう。
その上で、警報を発し、10分以内に地下に避難させて、警報解除まで待機させる。
こういう避難場所の用意が無いままでは、警報は何の意味も無い。
警報を受けても、国民は、ただただ、オロオロとするだけである。
「気をつけてくださ~い!」って言われてもねぇ~(笑)
ならば・・・「知らぬが仏」のほうがいいかも・・・(大笑)

警報があったの、なかったの、遅かったの・・・というのは実はどうでもいい事なのである。
政府は下手な言い訳よりも、避難の仕方、避難場所をどうするかを考えるべきではなかろうか?
今回の件は、いいキッカケだと思うんだけど・・・・
多分、シェルターを造るという話には発展しないだろうなぁ~

エッセイ | 09:54:53 | Comments(0)
英語ブートキャンプ
加藤大尉の英語ブートキャンプ加藤大尉の英語ブートキャンプ
(2008/06/17)
加藤 喬

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1 英語ブートキャンプにようこそ
   (加藤教官の軍隊式英会話)

2 ブートキャンプで鍛えようー1
   (ドリルサージャントには逆らえない)

3 ブートキャンプで鍛えようー2
   (行進歌を一緒に歌おう)

4 ブートキャンプで鍛えようー3
   (地獄の催涙ガス室体験)

5 ブートキャンプで鍛えようー4
   (初の実弾射撃訓練)

6 エアボーンスクールで鍛えようー1
   (地上1メートルの高さから降下?)

7 エアボーンスクールで鍛えようー2
   (34フィートの降下訓練塔から飛び降りる)

8 エアボーンスクールで鍛えようー3
   (本物の飛行機から初降下)

9 国防総省DLI体験入学ー1
   (63週間で外国語を完全にマスターする)

10 国防総省DLI体験入学ー2
   (「習っていません」は通用しない)

やめたくなったら読む話(1)

11 士官クラブに行ってみようー1
   (レストランを予約する)

12 士官クラブに行ってみようー2
   (料理を注文する)

やめたくなったら読む話(2)

13 基地で迷ってしまったら
   (I am lost を使ってピンチを切り抜ける)

14 基地で許可を得るには
   (戦車に乗って記念写真を撮ろう)

15 基地に忘れものをしたら
   (遺失物係に電話する)

英語上達のコツ(1)

16 海軍サバイバル訓練で鍛えようー1
   (水没したヘリからの脱出訓練)

17 海軍サバイバル訓練で鍛えようー2
   (酸素マスクを外すとどうなる?)

18 海軍サバイバル訓練で鍛えようー3
   (装備を着けたままで泳ぐ)

英語上達のコツ(2)

19 超音速ジェット搭乗訓練ー1
   (完全武装のサムライ)

20 超音速ジェット搭乗訓練ー2
   (F/A-18戦闘機を操縦する!)

21 超音速ジェット搭乗訓練ー3
   (初の超音速飛行を祝うパーティで・・・・)

やめたくなったら読む話(3)

22 初めての射撃訓練ー1
   (安全マナーを身につける)

23 初めての射撃訓練ー2
   (銃が故障したら)

24 軍法会議を通訳する
   (正確で分かりやすい言葉を選ぶ)

25 アラスカでの冬季訓練ー1
   (凍傷から身を守る)

26 アラスカでの冬季訓練ー2
   (ワナを仕掛ける)

あとがきにかえて



著者は元アメリカ陸軍の大尉・・・
日本人であるが、米軍に入隊したらしい・・・
本書を著した時は、米国防総省外国語学校日本語部長という肩書き・・・
米軍人に日本語を教えていた人だが、そのやり方をそのまま、日本人に英語を教えるという手法として使った本というわけではなさそうである。
内容は、読者が米軍に入隊したら・・・と想定して話が進む。
軍事に興味のある人は、結構おもしろく読めるのではないかと思う。
私は米軍人とも接する機会があるので、本書に出てくる専門用語は勉強になった。
反面、「こんにちは、ごきげんいかがですか?」レベルの“英会話”の勉強には不適かもしれない。
それでも、“読み物”としては面白いとは思うが・・・
専門用語は、発音を知らない言葉も多いので、電子手帳のネイティブ発音機能を使って、発音を確認しながら読んだので、かなり時間がかかってしまったが・・・大いに勉強になった。
驚くべきことは、米軍の語学学校では63週間で外国語をマスターさせるという。
こちらは何年かかっても身につかない・・・・(笑)
どんな教育方法なのか、もっと詳細に知りたかった。


今年の読書:35冊目



読書 | 00:02:33 | Comments(0)
お若い声ですが・・・
熊本にお住まいの“マツモトさん”の娘さんからお電話・・・・
「実は・・・」と切り出され・・・一瞬、血の気が引いた・・・・
昨年、“マツモトさん”宅を訪問して、会報に載せる記事のためインタビューをした。
当時92歳・・・93歳になる直前だったと思う・・・・
まさか・・・亡くなったのか?
ドキ~ン・・・である。
この手の「実は・・・」のお電話ほど心臓に悪いものはない。

で・・・次の言葉で少し安心・・・・
「家の中で転んで足を怪我して、今、入院中なんですけど・・・」
あ~よかった!(笑)
怪我して入院しているのに「よかった」とはおかしな話だが・・・
生きているのなら・・・・よかった・・・である。

で・・・先日、送った会報のお礼を言ってくれと頼まれたので電話して来たという。
あ~そういうわけですかぁ~
拙者のお粗末なインタビュー記事だが、喜んでくれていると言う。

と・・・
「あのぉ~ずいぶん、お声がお若いようですが・・・」と娘さん。
「はい、若いですけど・・・」と拙者・・・
「あのぉ~うちの父は94歳なんですけど・・・・」と娘さん。

あ~又だ!(大笑)
昨年、お宅を訪問したときも、“マツモトさん”は家族に「戦友が会いに来てくれる」と喜んで報告したらしい。
訪問したときには、ご家族の中でお孫さんだけにしかお会いできなかったが、拙者が、どうみても自分の祖父と同じ年代には見えなかったそうで・・・(当たり前だが・・・笑)
「戦争に行ったんですか?」と質問されて大笑い。
「おじいちゃんが戦友が来るって言っていたから、90歳ぐらいの人が来ると思っていたんですけど・・・」と言う。
当然そう思うだろうなぁ~(大笑)
今回も、「戦友の鈴木さんに連絡してくれ」と娘さんに頼んだのだろう。(笑)
94歳の父親の戦友ならば、同じ年代と思い込むのは当然である。
ところが、声が若い・・・(笑)
普通なら・・・「父に代わります」とか「祖父に代わります」と電話を代わるはずが、一向に代わらない・・・
それで、おかしいと思って「ずいぶんお声が若いようですが・・・・」の質問になったようである。(大笑)
あ~あ~またやられちゃった・・・・(笑)
“マツモトさん”は何故か拙者を「戦友」と呼ぶのである。
我々の間では通用しても、ご家族には理解できないよなぁ~・・・これ・・・・(大笑)
娘さんとお互いに大笑いである。

入院中の“マツモトさん”・・・・
稚拙な拙者の会報を気に入ってくれたらしく、入院している他の患者さんにも会報を回覧して読んでもらっているのだそうだ。(笑)
「すごく上機嫌なんですよ」と娘さん・・・・
いやぁ~お粗末な会報でお恥かしい・・・・が、反面、嬉しいものである。
喜んでもらえたなら、こんな嬉しい事はない。
熊本まで会いに行った甲斐があったというものである。

日記 | 20:59:49 | Comments(0)
迎撃する?
さぁ~・・・そろそろ北朝鮮の“ミサイル”の発射は秒読み段階に入ったかな?(笑)
これに対して、我が自衛隊は迎撃体制を整えたようだが・・・
多分・・・
迎撃ミサイルは発射しないと、拙者は思うのである。

もし、迎撃ミサイルを発射して当たらなかったら、大騒ぎとなる。
世界中の笑い者になるどころではなく、ミサイル防衛に対する国民(特に左翼)の反発が高まるだろう。
防衛予算は益々削られてしまうかもしれない。

ということで・・・多分、発射ボタンは押さないと思う・・・(大笑)

で・・・上層部の偉い人達は、「発射しなかった」言い訳を考えている最中ではあるまいか?(大笑)
機器に問題があり・・・では、マズイ・・・・
部下が上官の命令に従わずボタンを押さなかった・・・では、これもマズイ・・・
一番妥当なのは、北朝鮮のミサイル発射の情報が掴めなかった・・・
気がついたら、すでに手遅れだったから迎撃しなかった・・・
こういう“言い訳”は、ありそうである。
これなら、さほど誰も傷つかないだろう。
悪いのは、米軍・・・と米国に責任を負わせちゃう。(大笑)

まず最初に、米軍の早期警戒衛星が、北朝鮮のミサイル発射を確認する。
が・・・その情報が正確に届かなかった・・・ということにしちゃう・・・(笑)
不正確な情報だったので確認しているうちにタイミングを外した・・・ということにしちゃう・・・
これからは日米の情報交換のシステムの改善に努めます・・・とか何とか言って誤魔化しちゃう。(大笑)

もしくは・・・
コンピューターのシステムのせいにしちゃおうか?
ミサイルの着弾地点の計算がうまくできなかった・・・とか・・・・
コンピューターの予測では、着弾点が日本の「排他的経済水域」の境界線ギリギリだったので様子を見てました・・・とか・・・(笑)
「本来は台湾が迎撃すべきじゃないのぉ~?」と、台湾のせいにしちゃうとか・・・

いずれにせよ、迎撃はしないだろう・・・・
所詮、官僚のやることである。
自衛官といえども、役人、サラリーマンである。
“失敗”を極端に嫌がる“人種”であるから・・・・
一にも二にも自己保身・・・・
だから・・・・やらないだろう・・・・(大笑)

楽しみだなぁ~
北朝鮮の“ミサイル”の発射!(大笑)

エッセイ | 16:17:22 | Comments(0)
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