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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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妹のコンサートに行く
以前、「広尾」には一度だけ行った事がある。
直ぐ近くの「有栖川宮記念公園」に行った事がある・・・
で・・・コンサートの会場はその直ぐ隣りらしい。
この会場・・・どうも老人ホームのような場所らしいのだが、オープンスペースなのだそうで、誰でも入れるとか・・・・
どうも妹の話はイマイチわからないのである。
老人ホームで演奏するのかと思ったら、そうではないらしい。
オープンスペースって何よ?
カタカナは意味がわからん。
天井がないのか?(笑)

一度来たことがある場所だから大丈夫と思ったら・・・・
地下鉄を降りて地上に出たら外は真っ暗・・・
日が沈んでいた・・・
え~と・・・どっちに歩けばいいのかな?(大笑)
得意の迷子である!(大笑)

ドイツ大使館の脇の坂道を上って、ようやく到着・・・
う~・・・息が切れて苦しい・・・・
運動不足を痛感する。
で・・・どう見てもここは「老人ホーム」・・・・
今は「介護施設」って言うのか?
この施設の玄関はわかるが・・・・
どこにオープンスペースとかと言う場所の入口があるのやら・・・ウロウロ・・・
どうも人が集まっているあたりがそうではないかと向かってみる。
ここはどう表現したらいいんだろう・・・
介護施設に隣接する食堂?(大笑)

“会場”には4人掛けのテーブルがズラリ・・・
拙者は一人だから、このテーブルに座ったのでは他のお客さんに申し訳ないだろうから・・・
と・・・他のテーブルを探したら2人掛けのテーブルは最前列のみ。
あらら・・・かぶりつき?(大笑)

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妹の友人の“エミちゃん”が歌を歌い、妹がピアノの伴奏というコンサート。
クリスマスソング等の歌を聴く。
いつも演奏だけだから、こういう歌もいい。

途中で、いきなり誰かが拙者の脇に座った!
誰かと思ったら・・・・ニヤッと笑った姪っ子である。
今日は子供達は誰も来ないはずだが・・・
バイトを終えて駆けつけたという。
おかげで“アベック”で演奏を聴くこととなる。(笑)

更に途中で、ギタリストの蓮見さんが飛び入り出演。
声楽の“エミちゃん”とのコンサートは初めてのようで、こちらも聴いててハラハラ・・・
変なところで間を取ったり・・・・(笑)
どうもぎこちなさがある。
“エミちゃん”の歌を聴くのは何十年ぶりだろうか?
妹の結婚式の時に唄ってくれたのを聴いたのが最後である。
いいなぁ~こんな風に気持ちよく唄えたら・・・と思う。
最近、拙者は声が出なくなりカラオケも歌えない。
歌が歌えるって、うらやましい。
蓮見さんとの演奏は、もう何度もやっているだけに息がぴったりと合っている。
こちらは安心して聴けるようになった。
よし、誉めてつかわそう。
かなりレベルを上げたね。(笑)

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第一部が終わり、休憩時間に、「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」と拙者を呼ぶ声が・・・・
妹とは全く違う声・・・・
誰?(笑)
と・・・美人の奥様が目の前に・・・・
甥っ子の同級生の母親である。(笑)
今回のコンサートの企画は彼女がやったらしい。
その昔、甥っ子と彼の友人2人を連れて九州へ旅行に連れて行ってあげたことがある。
そのときの一人が彼女の息子・・・・
子供を預かるときに一度お会いしただけである。
さすがに「お兄ちゃん!」と呼ばれて戸惑った。(笑)

「何を飲みます?私がご馳走しますから」と言う。
いや、いや、それでは申し訳ない・・・・
「駄目です!お兄ちゃん!私が払いますから!お金を出さないでください!」と叱られる。(大笑)
拙者は・・・あなたの兄ではないのですけど・・・
周囲から笑われる・・・
エ~ン・・・勘弁してよぉ~
「お兄ちゃん」と言いながら・・・なんで拙者を尻に敷くのかね?(大笑)

コンサートも無事に終わり・・・解散!
各自バラバラ・・・・
妹とは一瞬話をしただけで終わる。(笑)
毎度のように聴きに来ているので、なぜか拙者は“有名人”(大笑)
お客さんから挨拶されるが・・・・どなたなのか・・・覚えていない。(汗)
多分、妹の知り合いなのだろう・・・なぁ~
「ステージ・ママ」という言葉は聞いた事があるが、拙者は「ステージ・兄」?(笑)

ママはママで、この後いろいろあるらしい。
姪っ子は、このあと少し時間があるというので、どこか近くで夕食を一緒に食べることにする。
広尾の町をブラブラ・・・・
スペイン料理の店に入ってみる。
一人ではこういうところには入れない。
そんな勇気はない・・・・
女子大生と同伴ならばこそ・・・である。(大笑)

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値段も結構なお値段でしたが、味も結構いい味・・・美味しかった。(笑)

タバコを一服していたら・・・
そこに若い女性2人組が入って来た。
「なにこれ?タバコの臭いがするわよね?私、タバコの臭いを嗅ぐと気分が悪くなるんだよねぇ~」と延々と嫌味を言う。
入店の時に、店員から「喫煙席しか空いてませんけどいいですか?」と聞かれて喫煙席に座ったんだろ?
喫煙席に座っておきながら、なんだ、その嫌味ったらしい言い方は!
カチン!
拙者は短気なのである。
文句をつけてやろうかと思ったが・・・
しまった・・・姪っ子が一緒である。
う~ん・・・我慢せねばなるまい・・・・
延々と嫌味を言い続けるこの馬鹿女どもらにムカムカしながら・・・我慢、我慢・・・

喫煙席に座ってタバコを吸って何が悪い?
タバコの臭いが嫌いなら禁煙席に座ればいい。
禁煙席が満席なら店に入るのをやめればいい。
嫌味をタラタラ言いながら相手のタバコを遠慮させようなんて、何という横暴であろうか!
相手が女でも容赦はしねぇぞ!(怒)
拙者は頭に血が上るとヤクザと変わらなくなってしまうのである。(大笑)
マズイ・・・姪っ子の前で“大変身”するわけにはいかぬ。(大笑)
チクショォ~(涙)
それより、お前らの化粧の臭いのほうをどうにかしろと言いたい!
食事が不味くなる!
「化粧の臭いプンプン、厚化粧の人の席」という席を別に設けてもらいたいものである!

(ブログに書いてストレス発散・・・・とは情けない・・・トホホ)

こういうイライラしている時にタイミング悪く妹からメールが・・・
「今日のコンサートどうだった?」
「練習不足だ!」と返信したら・・・・その後、音沙汰なし・・・
ん?ちょっとキツかったか?
イライラしていたところなのでついつい八つ当たりをしてしまった・・・(笑)

食事を終えて、陰険な女どもらを睨みつけ・・・(大笑)・・・店を出る。
地下鉄の改札で姪っ子と別れ、拙者は今日の宿泊場所のホテルに向かう。

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日記 | 22:06:16 | Comments(0)
池月発祥伝説の地
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池月(いけづき)発祥伝説の由来

池月とは「宇治川先陣物語」にある名馬の名である。
治承4年8月(1180)頼朝、相洲石橋山の合戦に敗れて安房に逃れこの地の豪族、千葉常胤(つねたね)、上総介広常(かずさのすけひろつね)、等の参向を得再挙して鎌倉に向ふの途次こゝ千束郷の大池に宿営し八幡丸の丘を本陣として近隣諸豪の参陣を待つ、折からの皓月(こうげつ)池水に映るを賞でつる折ふし何處方よりか一頭の野馬、頼朝の陣所に向かって飛来り嘶(いなな)く声、天地をふるはすばかりであった。
郎党之を捕へて頼朝に献ずるに馬体あくまで逞(たくま)しく青き毛並に白き斑点を浮べ恰も池に映る月影の如くであった為之を池月と命名して自らの料馬とする。
頼朝先に磨墨(するすみ)を得、今またこゝに池月を得たるは之れ征平の軍すでに成るの吉兆として勇気百倍し来れりと云ふ。
士卒之を伝へて征旗を高く揚げ歎声やまざりしとか。
当八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と稱するはこの故事による。
寿永3年春(1184)頼朝木曽義仲を京師に攻む。
義仲宇治、勢田の両橋を徹し河中に乱杭逆茂木を設けて寄手の渡を阻まんとす、この時鎌倉出陣に際し各々頼朝に乞ふて賜りたる名馬二頭の中、梶原景季(かげすえ)は磨墨に、佐々木高綱は池月に打ちまたがり共に先陣を争った。
史書に云ふ宇治川先陣争いである。
池月一代の晴れの場所でこの一番乗りの功名が今に至るまで名馬の誉れを伝へてゐる。
この池月の誕生地が当八幡であって即ち池月発祥伝説の起こりである。
古くより里人の間に語り継がれ大井町線の駅名に(今の北千束駅)、又町会名にもなってゐたが、今はない。
遠き治承の昔より光芒すでに八百秋、時代の変遷と共にこの伝説の忘失を惜しみ誌して後世に伝へんとする。

尚磨墨を葬せし磨墨塚は南馬込に現存する。
氏子青年有志による池月太鼓は即ちこの伝説を太鼓に托したものであり毎年9月の祭日に奉納されてゐる。

  池月の
      蹄(ひづめ)の音か
                撥(ばち)の冴(さ)え

平成4年3月
千束八幡神社
洗足風致協会

(説明板より)


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史跡 | 21:05:03 | Comments(0)
留魂祠
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留魂祠(りゅうこんし)

一、祭神 南洲西郷隆盛先生
一、例祭 毎年9月24日

由緒

明治維新の英傑、西郷南洲(隆盛)勝海舟の両先生は、大政奉還後の江戸城の明け渡し交渉によって、江戸の町を戦火より救われ、首都東京の基を築かれたことでも著名ですが勝先生は、晩年、この洗足池畔(せんぞくいけはん)に洗足軒と呼ぶ別邸を設けられ、南洲先生と日本の将来について歓談されたと伝えられます。
南洲先生はその後、明治10(1877)年の西南戦役により、故郷鹿児島において子弟3千余と共に逝去されましたが、これを惜しまれた勝先生は、追慕のため南洲先生の漢詩を建碑(けんぴ)されさらに明治16(1883)年、その魂魄(こんぱく)を招祠して留魂祠を建立せられました。
留魂祠の名は、漢詩「獄中有感(ごくちゅうかんあり)」の「願留魂魄護皇城(ねがわくはこんぱくをとどめてこうじょうをまもらん)」に由来するものです。
この留魂祠は、もと東京南葛飾郡大木村木下川(現、葛飾区東四ツ木1-5-9)の薬妙寺境内にありましたが、勝先生の御遺志により、大正2(1913)年、石碑とともに現在の地へ移されました。
右隣には勝先生御夫妻の奥津城(おくつき)(御墓所)があり、維新の両雄は、いまもなほ相並んで我国の将来を見守っておられるのです。

南洲会

(説明板より)


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史跡 | 20:30:01 | Comments(0)
勝海舟夫妻の墓
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大田区文化財
勝海舟夫妻の墓

勝海舟、諱(いみな)は義邦、初め麟太郎(りんたろう)、後に安房または、安芳と改め、海舟と号した。
文政6年(1823)江戸に生れる。
幕臣として万延元年(1860)咸臨丸(かんりんまる)で渡米、海軍奉行となり明治元年(1868)江戸開城に尽力する。
維新後は海軍卿、伯爵、枢密顧問官(すうみつこもんかん)などを歴任し、漢詩、書を好み、高橋泥舟(たかはしでいしゅう)・山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)とともに幕末三舟と称せられた。
洗足池やその周辺の風光を愛し、明治32年(1899)没後遺言によりこの地に葬られた。

別荘洗足軒(現在は大森六中)で次の歌をよまれた。

  千束(せんぞく)村の別墅(べっしょ)に
                 楓樹数株を植ゑて
 うゑをかば よしや人こそ 訪はずとも
   秋はにしきを 織りいだすらむ
 染めいずる 此の山かげの 紅葉は
   残す心の にしきとも見よ
                 (飛川歌集より)

昭和49年2月2日指定
大田区教育委員会

(説明板より)


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史跡 | 19:45:14 | Comments(0)
勝海舟別邸跡
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勝海舟別邸(洗足軒)跡

勝海舟(1823~99)の別邸は戦後まもなく焼失しましたが、茅葺の農家風の建物でした。
鳥羽・伏見の戦い(1868)で幕府軍が敗れると、徳川慶喜より幕府側の代表として任じられた海舟は、官軍の参謀西郷隆盛(南洲)と会見するため、官軍の本陣が置かれた池上本門寺に赴きました。
その会見により江戸城は平和的に開けわたされ、江戸の町は戦禍を免れたのです。
海舟は江戸庶民の大恩人と言えるでしょう。
その際、通り掛った洗足池の深山の趣のある自然に感嘆し、池畔の茶屋で休息したことが縁となり、農学者津田仙(津田塾大学創始者、梅子の父)の仲立ちで土地を求めました。
明治24年(1891)自ら洗足軒と名付けた別邸を建築し次のような歌を詠んでいます。

 池のもに 月影清き今宵しも
        浮世の塵の跡だにもなし

晩年海舟は晴耕雨読の生活の中で、かえで、さくら、松、秋の草々などを移し植え次のようにも詠んでいます。

 うゑをかば よしや人こそ訪はずとも
         秋はにしきを織りいだすらむ

明治32年(1899)77歳で没しましたが、『富士を見ながら土に入りたい』との思いから、生前より別邸背後の丘に墓所を造りました。
石塔の『海舟』の文字は徳川慶喜の筆と伝えられています。
当初は海舟一人の墓所でしたが、後に妻たみも合祀され、大田区の史跡に指定されています。

平成11年3月
海舟没後百年を記念して
社団法人 千束風致協会

(説明板より)


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史跡 | 19:20:19 | Comments(0)
日蓮上人袈裟掛けの松
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日蓮上人袈裟掛けの松 由来

弘安5年9月(1282年)日蓮上人が身延山から常陸国(茨城県)に湯治に向かう途中、日蓮に帰依していた池上宗仲の館(池上本門寺)を訪れる前、千束池の畔で休息し傍の松に袈裟をかけ池の水で足を洗ったと伝えられる。
この言い伝えから、この松を袈裟掛けの松と称することとなり、また千束池を洗足池とも称されるようになったといわれる。
天保期(1830~1843年)の「嘉陵紀行」によれば、初代の袈裟掛けの松は「枝四面におおい長さ幹囲み三合がかり、高さ五丈あり」程あったと記されている。
なお現在ある松は三代目であると伝えられる。

御松庵

社団法人 洗足風致協会

(説明板より)


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史跡 | 19:05:35 | Comments(0)
史跡めぐり
さて・・・
“シミズくん”を無事、見送ったし・・・・
夕方まで時間を潰さねば・・・・

ということで、史跡めぐりをすることにした。
浜松町まで戻り、山手線で五反田へ・・・・
そこで東急池上線に乗り換え「洗足池」に行ってみることにする。
羽田空港から約1時間である。

以前から、気になっていたのだが、ここには勝海舟のお墓があるのだそうだ。

駅の直ぐ前に池が・・・
へぇ~「洗足池」って、本当に池がある場所なんだ~(笑)
さて・・・どっちに向かって歩けばいいんだ?
地図を見ながら歩く・・・・
東京の地図はいつも拙者の鞄の中に入っているのだが、場所によってはそれほど詳細じゃないので、大して役に立たないことも多いけど・・・(笑)
やっぱり“アイ・パッド”とかっていう奴が必要か?(大笑)

途中、「御松庵」というところを見つける。
この真正面が勝海舟別邸跡(洗足軒)だそうで、説明板が建っていた。
この「御松庵」には、説明板によれば、日蓮上人袈裟掛けの松というのがあるのだそうだ。
急遽、寄り道をすることにする。(笑)

041_convert_20111209115936.jpg(御松庵)

さて、お目当ての「勝海舟の墓」は、近くの公園の中にあった。
あ~これが、勝海舟と奥さんのお墓かぁ~
結構立派なお墓である。

056_convert_20111209120558.jpg(勝海舟墓所入口)

このお墓の直ぐ脇に「留魂祠」というのがある。
西郷隆盛が祭神だそうで、「西郷隆盛留魂碑」というのが建っている。
これは知らなかった・・・・へぇ~である。

072_convert_20111209121218.jpg(留魂祠)

折角だから・・・洗足池を一周散策することにする。(笑)

073_convert_20111209121932.jpg(洗足池)

池畔に「千束八幡神社」というのがあった。
ここに馬の銅像が・・・・
「池月」という名馬だそうだ。
『宇治川先陣物語』っていうのに出てくる名馬だそうだが・・・知らん・・・(笑)
あ~こういうときに“歩く歴史辞典”の“シミズくん”が一緒だったらなぁ~
話が簡単なのだが・・・・

083_convert_20111209122515.jpg(名馬「池月」)

時刻は午後1時半・・・・
まだ時間があるので・・・
五反田まで戻って山手線で品川へ・・・・
ここで横須賀線・久里浜行きに乗り換えて、「西大井」に行ってみることにした。

このあたりに確か、伊藤博文のお墓があるはずである。

駅を出て歩き出したが・・・ここでアクシデント!
出た!遂に出た!
得意の“方向音痴”!!
住宅街の中で迷ってしまった。
地図を持っているというのに道に迷うんだから重症である。(大笑)
こうなるから、住宅街って嫌いなんだよなぁ~(怒)
他人の家の門柱の番地表示や電信柱の番地表示を確認しながら歩いていたのだが・・・
よ~く、地図を見たら、どんどん目的地から離れていくではないか!(大笑)
あれ?
なんで?
4丁目の隣りは5丁目ではないのか?・・・
なんで6丁目に来ちゃっているんだ?・・・といった調子である。

だいたい現在自分がどこに立っているのかがわかっていないんだから困ったものだ。
GPSが必要だな・・・これ・・・(笑)

ようやく目的地に到着したが、立派な門が・・・
しかも閉まっていて中には入れない・・・
なんで?
有名人のお墓なのに・・・
門の隙間から中を覗くと、お墓らしきものが見える。
門には表札が・・・・どうも個人の敷地らしい。
せっかく苦労して来たのになぁ~
塀の隙間から写真を撮るだけで諦める。
塀にへばりついていたら、道行く人に怪訝な顔で見られてしまった。(大笑)

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時刻はまもなく午後3時・・・・
ちょうどいい時間かな?
上野に戻って、ホテルにチェックインしてから、妹のコンサート会場である「広尾」に向かう。

日記 | 18:48:12 | Comments(2)
子守です。(笑)
今日は、夕方、東京で妹のライブ・・・
今回は音大時代の声楽科の友人が歌を歌い、妹が伴奏というライブらしい。(コンサートか?)
で・・・午後に家を出て上京すれば十分間に合うのだが・・・・

なんと、今日、水戸藩士の“シミズくん”は恩師と一緒に飛行機で山形県に行くのだという。
が・・・飛行機の乗り方がわからないという。
ツイッターなんていう新しいことをしている割には文明の利器に乗れないというのは不思議な話である。
たぶん、水戸藩士としては鉄の塊が空を飛ぶというのが理解できないのだろう。(笑)
だから今まで飛行機に乗ったことがないに違いない。

というわけで・・・・(笑)
先輩である拙者が、羽田空港までお供することとなった。
簡単に言うと・・・ガイドである。(大笑)
朝早い電車に乗るのは苦手だが可愛い(?)後輩のためである・・・早起きした。

無事に特急列車の中で合流・・・・
実は、拙者も怪しいもので・・・国内線の乗り方ってよく知らないのだ。(大笑)
毎度のことながら、空港に着くと・・・
「しまった!パスポートを忘れてきた!」と血の気が引くのである。(笑)
よく考えてみれば、国内線にはパスポートは必要ないのだが・・・
どうも飛行機に乗るにはパスポートが必要と・・・頭に刷り込まれているらしい。

常磐線は、ちょくちょく人身事故で遅れることがある。
余裕を持って早めに上京・・・・
通勤快速のほうで人身事故があったらしく、上野駅を目前して徐行運転となる。
やっぱり早めの特急にしておいて正解である。
危機管理の勝利である。(笑)

羽田空港へは浜松町からモノレールを利用する。
“シミズくん”はモノレールに乗ったことがないと言う。(笑)
さすがは水戸藩士である!
生きている時代が違う。(大笑)

羽田空港で、早めに食事・・・・
ガイド代と言うことで・・・(笑)・・・“シミズくん”にご馳走になる。(大笑)
今生の別れとなるやも知れぬ最後の食事会である・・・(?)

「で・・・どうやって乗ればいいんですか?」と“シミズくん”
「ん?ネットで申し込んだやつをプリントアウトしたでしょ?」
「はい」
「そこのバーコードみたいなのを機械にかざすだけでいいんだわ」
「あ~スキップとか何とかっていう奴?」
「座席は既に指定してあるよね?だからスキップとか何とかっていって、カウンターに行かずにそのまま乗れるんだわ」
・・・・と、知ったようなことを言っているが、実は拙者もよく知らない。(大笑)

「スキップって言っても、スキップしながらゲートを通過するわけじゃないからね。それをやったら馬鹿だから・・・気をつけてね」
「わかってますって!」

検査場のX線の機械のところでは、大きく息を吸って息を止めるように・・・・とアドバイスしようかと思ったが・・・やめた。(笑)

拙者は飛行機に乗る時には検査場で腕時計から財布から金属類は総て上着のポケットに入れて、その上着を機械に通すことにしている。
このほうが簡単なので、それを“伝授”する。

恩師の先生も同じ飛行機なのだが・・・
待ち合わせ場所とか待ち合わせ時間を決めていないらしい。
「先生とは、まぁ、同じ飛行機なんだから搭乗口のところで会えるだろう。」
「搭乗口って何ですか?」
「ゲゲッ・・・」
極めて初歩的な質問である。
「搭乗口って・・・搭乗口だけど・・・」
「階段を登って乗るんですか?」
「う~ん・・・知らん!」(笑)

「この後は、どうするんですか?」
「俺?当然、君が乗った飛行機が離陸に失敗して墜落するのを見届けてから帰るよ」(大笑)

検査場に消える“シミズくん”を見送って・・・・
拙者は喫煙所へ・・・(大笑)
まもなく彼から無事に搭乗口に辿り着いたと携帯電話に報告が入る。
おお!オメデトウ!(大笑)

飛行機に乗るだけなのだが大変な騒ぎである。(大笑)
いずれにせよ、一安心、一安心・・・・
よかった、よかった・・・・
無事に「子守」の任務を完了した。(笑)

日記 | 17:35:22 | Comments(0)