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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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トランペットを寄贈する
夕方、“ウメちゃん”のところにトランペットを持って行く。
彼の中学生の娘が吹奏楽部に入っているそうで・・・
今年は何やら入部者が多くて、80人ぐらいいるとかいないとか・・・
で・・・問題は楽器・・・
学校が所有している楽器には限りがある。
そうなると・・・担当の音楽の先生が自腹を切って楽器を購入するのが、当たり前の世界なのだそうだ。
そして、先生が購入した楽器を子供達に貸し出して、なんとかかんとかするらしい。
が・・・しかし・・・
この先生が他の学校へ転勤となると、貸していた楽器をみんな引き上げてしまうから、また楽器が足りなくなるという。
「いやはや大変だねぇ~それは・・・」なんて、先日話していたのだが・・・

ん?
そういえば・・・拙者の家にはトランペットがある。
といっても・・・拙者が買ったものではないが・・・
だいたい拙者は楽譜が読めない・・・(大笑)
だから演奏なんか出来るわけがない。
当然、楽器なぞ買うわけがない。(笑)

このトランペット・・・・
実は拙者のものではなく、25~26年前に友人から預かったものなのである。(笑)
高校時代の友人の“イノウエくん”は、母子家庭で育ったのだが、パソコンとトランペットを母親に内緒で手に入れたらしい。
で・・・この度、引越しをすることになり、引越しの時にこれらが母親に見つかると無駄遣いをしたと怒られると言って・・・・突然、拙者の家にパソコンとトランペットを持ち込んできて「預かってくれ」と頼みに来た。
それはいいが・・・いつまで預かればいいのかと聞いたが、あとで取りに来るとしか言わない。
更に困ったことに、何度尋ねても彼は引越し先を教えてくれない。
住所も電話番号も・・・である。
「それではこちらから連絡できないじゃないか!」
「大丈夫、必要なときはこちらから連絡するから・・・とにかく預かっておいてくれ」の一点張り。
で・・・とうとう25年以上も経ってしまったのである。(唖然)
しかも、その間、一度も彼は拙者に連絡をしてこない。
今では生きてるのやら死んでいるのやら・・わからないのである。

これらを預かってから数年後、たぶん20年ほど前のことだと思う・・・・
地元の大企業の下請け会社の社長を集めた会議があり、親父がその会議に出かけていった。
すると、その会議の受付係に“イノウエくん”がいたと言う。
この大企業に入社して庶務課に配属になっていたらしい。
が・・・彼は拙者の親父が受付の手続きをするときに失礼な態度を取ったらしい。
帰宅した親父がカンカンになって怒った。
「なんだ、あの野郎は!礼儀を知らねぇ奴だ!お前の同級生だよな!」
「親父の顔を覚えてないんじゃないの?」
「いや、ちゃんと知ってたぞ!お前のことを聞いてきたから・・・」
「あれ?じゃぁ、親父のことを覚えていたんだ~」
「問題はその言い方だよ!俺に向かってアゴで挨拶しやがって!息子は元気なの?・・・だぞ!何様のつもりをしてるんだ!あの言い方!誰に向かって言ってるんだ?あの野郎・・・確か俺の会社でバイトしてただろ?それでいて、俺に向かってアゴを突き出して、オッ!っていう挨拶の仕方だぞ!下請けだからって馬鹿にしてるんじゃないのか?」と、もう手の付けようもないほどのお怒りである。
あ~あ~やっちゃったぁ~
馬鹿だねぇ~あいつも・・・
大企業に就職できたからって、決して「あなた」が「大企業」なわけではないのである。(笑)
個人的には偉くも何ともないのである。
所詮はサラリーマンなんだから・・・
それに対して、相手は下請け中小企業とはいえ経営者である。
しかも、学生時代にバイトをさせてもらった会社の社長である。
さらには、その社長は同級生の父親である!(笑)
その相手にアゴで挨拶したらマズイだろ~
そんなこともわからないようでは、大企業に就職して「のぼせ上がっている」と言われても仕方があるまい。

いずれにせよ、拙者の親父に会って、拙者のことは思い出したはずである。
で・・・預けたパソコンとトランペットも思い出しただろう・・・
ということで、彼からの連絡を待ったが・・・その後、約20年以上も何の音沙汰もなし・・・である。
う~ん・・・
もう・・・いいんじゃないか?(笑)
“時効”だろう?(大笑)
ということで・・・このトランペット・・・・
持ち主の“イノウエくん”には無断で寄付することにしたのである!(大笑)
預かってから25年以上も連絡ないし・・・
連絡先は知らないし・・・・
どっちかと言うと、保管料をいただきたいくらいだし・・・・(笑)
加えて、その昔、我が親父に失礼な態度を取ったことだし・・・(大笑)

実は、パソコンの方は数年前に勝手に処分してしまったのである。(笑)
25年前のパソコンじゃ古すぎて今では使い物にはならんだろう?
それにブラウン管のモニターが大きくて邪魔だし・・・(笑)
しかし、トランペットのほうは、そういうわけにはいくまいと保管し続けたが・・・
中学校の吹奏楽部では楽器が不足してるって言うし・・・
どうせ、このまま保管しているより、子供達に“有効利用”してもらったほうがいいんじゃないの?(笑)

というわけで・・・寄贈!

004_convert_20111106212628.jpg

25年以上も前に預かった時の状態で“放置”していたので、ケースの蓋を開けるまで不安だったが・・・(笑)
外見は、錆も見られず一応ピカピカである。
あとは・・・内部か?(笑)
果たして、ちゃんと音が出るかどうか・・・(大笑)
とにかく、担当の先生に渡して確認してもらってくれと“ウメちゃん”の娘に手渡す。

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日記 | 20:16:36 | Comments(0)
蚊!
2階の拙者の部屋から階下の茶の間に行ったら、すごいことになっていた!
部屋中に霞がかかっておるのである!
濛々たる煙・・・
なんだ?
どうしたんだ?

思わずキッチンのほうに目が行ったが・・・
煙の元は・・・蚊取り線香だった・・・(笑)

「蚊に刺された・・・」と親父が言う。
夏じゃないのに蚊に刺されたと文句を言うが、程よい涼しさだと蚊も過ごし易いんじゃないか?(笑)
だから夏でも炎天下より、夕方とか夜なんかに飛び回っているんじゃないのか?
「夏でもねぇのに、今頃、刺しやがって!」と親父はお怒りである。
う~ん・・・よくわからん・・・
夏なら刺されても仕方が無いが、秋に刺されるのは気に入らぬということか?(笑)
騙まし討ちに遭ったという気分なのだろうか?

それにしても・・・すごい煙である。
「え?ケムい?どこが?・・・俺には見えねぇけど・・・」と親父。
「目が悪いんじゃねぇの?すごいよ、これ・・・」
「おお、目が悪いよ俺は・・・見えねぇもんは見えねぇ」
「苦しくない?これ・・・」
「なにが?」
「すごいよ、この煙・・・眼がショボショボするんだけど・・・」
「別になんとも無いけど・・・そんなにすごいのか?」
あらら・・・である。

蚊に刺された仕返しに、殺してやろうと部屋を閉め切ってジャンジャン蚊取り線香を炊いているのだそうで・・・(大笑)
その煙の中に座り込んで親父はテレビを見ているのである。
もう、こうなると、蚊取り線香で親父は「燻製状態」である。(大笑)

「これじゃ、蚊が死ぬ前に親父の方が死ぬんじゃねぇの?」
「・・・・・」

わからん・・・年寄りのやることは・・・わからん・・・

日記 | 15:38:57 | Comments(0)
米軍が記録したガダルカナルの戦い
米軍が記録したガダルカナルの戦い米軍が記録したガダルカナルの戦い
(1995/09)
平塚 柾緒

商品詳細を見る


第1部 米軍のガダルカナル島上陸
(総論)悲劇の島「餓島」
挫折した日本の米豪遮断作戦
 空母対空母の初対決・珊瑚海海戦
 大本営「MO作戦」を中止
米軍、ガダルカナルに奇襲上陸
 日本軍守備隊はなぜ沈黙しているのか
 設営隊員の証言
米北方部隊ツラギ泊地に進攻
 ガブツ、タナンボコ守備隊の玉砕
 ガ島の残置諜者「沿岸監視義勇隊」

第2部 「飢餓」の序曲
勝利をおさめた第一次ソロモン海戦
一木支隊、悲劇のUターン
 完成したヘンダーソン飛行場
 全滅した一木支隊第一梯団
第二次ソロモン海戦
川口支隊のガ島上陸
 失敗した川口支隊の総攻撃
 飢餓戦のはじまり

第3部 惨敗した最後の総攻撃
飛行場奪回、密林迂回へ背水の決断
 サボ島沖夜戦と火砲揚陸作戦
川口少将の敵前解任とその前後
第二師団の総攻撃、軍旗と共の銃剣突撃も空しく
 軍旗を処分して連隊長自決
 (私のガ島戦記)死線を越えて
 (私のガ島戦記)敵の幕舎を通り抜けて
 (私のガ島戦記)密林迂回作戦に参加して
陸軍の総攻撃に呼応した海上決戦・南太平洋海戦

第4部 死の島からの退却
深刻化するガ島の「餓島」化
 第三次ソロモン海戦に勝利は得たが
 ルンガ沖夜戦と海軍のガ島奪回中止
 (ある将校のガ島日記)飢餓と病魔のガ島最終戦
 (私のガ島戦記)鬼になっても祖国の地を
 (私のガ島戦記)生への執念で奇蹟の生還
涙のうちに承諾した「天皇の命令」
 (私のガ島戦記)ガ島撤退援護作戦
米軍に捕獲された日本軍兵器
 (50年目の戦場)死の島「ガ島」への旅



今年の読書:74冊目



読書 | 13:19:25 | Comments(0)
旧烏山病院
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旧烏山病院(烏山和紙会館)

この建物は、地元の実業家数名により大正12年に開業した旧烏山病院の建物です。
その後、地元の伝統工芸品・烏山和紙の程村紙が昭和45年に烏山町重要無形文化財(当時)に指定されたことを機に、烏山和紙会館として再生され現在に至っています。
構造は、木骨モルタル造二階建て、切妻屋根の擬洋風建築物です。
縦長の上げ下げ窓や半円形のドーマー窓など、大正後期から昭和初期に流行したドイツ表現派建築の影響が見られます。
また、重厚な玄関ポーチの上部に左右対称に描かれた10個の連円が重なる鏝絵や換気口のディテールなど、豊かなデザイン性も感じられます。
江戸期以降の古びた木造家屋が多い町並みの中に建てられた擬洋風建築物は、新しい時代の予感を誘ったものと思われます。

【豆知識】
■擬洋風建築物
幕末から明治前期にかけて、大工の棟梁達などが、伝統的な日本建築に洋風の意匠を取り入れて造った建物。
■ドイツ表現派
ルネッサンス、バロック、新古典様式と連なる西洋建築様式の系譜。
このような様式にとらわれない新しい芸術思潮が1920年代以降ドイツで興り、日本へは、大正末期から昭和初期にかけて導入されました。

(説明板より)


より大きな地図で 旧烏山病院 を表示




史跡 | 20:57:37 | Comments(0)
ドライブ!
お昼・・・
拙者を「爺(ジジイ)」呼ばわりした失礼な後輩(笑)の“シミズくん”から電話・・・
「お昼でも一緒に食べませんか?」とのこと。
おお!ちょうど暇だった・・・(いや、いつも暇なのだが・・・)
ということで、昼食を一緒に外食することにしたが・・・・

どうも、おかしい・・・
今日はとても天気がいいのである!
ポカポカ陽気なのである!
にもかかわらず・・・「ドライブに行きませんか?」というお誘いではない・・・
どうもシックリとしない・・・違和感を感じる。(笑)

本当はドライブに行きたいのに拙者に気を使って遠慮しているのだろうか?
こちらから電話をして確認しようと思った途端、再度“シミズくん”から電話が入った。
「もし、お時間があったら、烏山方面にでも、ついでにドライブしませんか?」
ほら!やっぱり!勘が当ったぞ!(大笑)
今日みたいな日は・・・そうこなくっちゃ!

彼の車に乗って、我が家の近所で昼食を食べてから出発!
彼は和紙を買いに行きたいのだそうだ。
で・・・和紙の産地の烏山と言うところへ行く。
拙者は、15年以上も前に一度行った事がある。

001_convert_20111104203030.jpg(烏山和紙会館)

烏山和紙会館・・・・
以前、烏山に来たときに、ここに来たかどうか・・・記憶がない・・・
ここで和紙を買うらしい。
“シミズくん”は何やら和紙に絵を描くそうな。
和紙に描くのだから水墨画か?
彼は何だかんだ言っても多才である。
文章は書くし、毛筆で書なども書くし、水墨画も描く・・・・
う~ん・・・どう考えてみても拙者より彼の方が「爺(ジジイ)」ではないかと思うのだが・・・(大笑)

用件は済んだが、このまま真っ直ぐ帰宅するのはもったいない。
何処か1箇所ぐらい立ち寄ってから帰ろうということで、「山あげ会館」という施設を訪問した。
で・・・入館したら・・・
係員がシアターの見学を半強制的に勧める。
「山あげ」というのは・・・この烏山のお祭りらしい。
神輿というより山車といったものだろう・・・車輪がついているから・・・
各町ごとにあって、持ち回りで祭りを仕切るらしい。
で・・・このお祭りの映像とか、“カラクリ人形の劇場”とかを“ほとんど強制的に”見せられる。(笑)
で・・・これが終ったら・・・・おしまい!
あとは何もないのである。
資料といえば、お祭りの様子の写真パネルのみ・・・・
あらら・・・このシアターを見るだけの施設だったのね・・・(大笑)
併設している土産物コーナーでお土産をちょっと買って外に出る。

このシアターを見ていて気がついた・・・・
「ここ栃木県の烏山では・・・」というナレーションがあったのである!
烏山は栃木県だったのか!(大笑)
どうも拙者は地理が苦手で・・・・
ちょっと山を越しただけという意識しかないので、茨城県かと思っていたら、隣りの栃木県だった・・(大笑)
間抜けである。

夕方となり薄暗くなってきた。
郷土資料館にも行きたかったのだが、こちらは断念・・・・
帰宅することにする。

“シミズくん”のおかげで、今日は充実した一日が送れた。
しかも、彼の運転だし・・・・
途中の和菓子屋で彼に買ってもらった(笑)和菓子を車内で食べながらのドライブ・・・楽チンであった。(大笑)
感謝、感謝である。

日記 | 20:19:40 | Comments(0)
告別式と通夜式と・・・
午後1時から“イトウさん”宅の告別式・・・・
多分、指名焼香はないだろとは思うが、万が一ということもあると思い、通路側に座って、いつでも出て行けるように準備する。
が・・・結局、町内会の指名焼香はなかった。
そういえば、我が母の葬儀の時はどうだったのだろうか?
町内会の会長に指名焼香をお願いしたかどうか・・・全然記憶が無いのである。
まぁ、昔と違って今は、町内会なんてそんなものである。(笑)
が・・・一応、真面目に待機(笑)する。
普通、司会者など会場の係の人が指名焼香者の確認を行うが、場合によっては、いきなり名前を呼ばれる可能性もないとは言えまい。
通夜式の時に抜かしてしまったので、告別式で加えたとか・・・
この時に、拙者が出ていかなかったら、町内会の恥ということになるからねぇ~
99%呼ばれることはなかろうが・・・・一応、参列する。

告別式の前に、スクリーンに「在りし日」の姿が映し出された。
殆どが、飲み会、海外旅行、国内旅行等々の写真が次から次へと・・・・
生前、交流のあった方には思い出深い光景ということになるのだろうが・・・
拙者のように交流のなかった人間にとっては、大変失礼な言い方になるが、遊びの写真ばかりでは、「遊び人だったのか?」というイメージを受けかねないのではなかろうか?(笑)
こういう“イベント”も良し悪しという気がしないでもない。
が・・・式場内では、かなりのすすり泣く“音”が聞こえた。
告別式などで、すすり泣く“音”が聞こえるというのは滅多にない。
これだけ多くの方が泣くというのだから、故人の人柄がわかるというものだ。
弔辞も4名ほどが行なったが・・・
皆さん、途中から泣き出してしまうのだから、故人は存在感のある方だったのだろう。

さて・・・拙者が死んだらどうなんだろう?
誰か泣いてくれる人がいるだろうか?
無理だな・・・(大笑)

告別式が終り、一度帰宅して、親父の夕食の買い物をして、再び礼服に着替え・・・
今度は、お菓子屋の“タケダくん”のお母さんの通夜式に出かける。
こちらは、“ウメちゃん”と一緒・・・・
“タケダくん”は青年会議所の後輩であるが、親しく話をしたという記憶はない。
親しかったわけではないが、以前、酒の席で会ったことがあったので・・・ということで参列することにした。
拙者の場合、自分の家の葬儀の時にお香典を貰ったかどうかというのは関係はない。
お香典をもらっているかどうかで、行くか行かないか決める人もいるようだが・・・
親を、特に母親を失うというのは寂しいものである。
参列してあげることで、少しでも葬儀が盛大になってくれたら・・・と思うのである。
式場では青年会議所のOB連中に会う。
葬儀の場が「再会の場」というのは、いかがなものかという気もしないが、「再会の場」というのは事実である。
もう、葬儀の場でしか会うことがないという人が多い。
驚くことに、そういう葬儀に全く顔を出さない人もいる。
仕事が忙しいのかもしれないが・・・
なんとなく寂しい人間関係だよなぁ~と思う。

元衆議院議員の“オカベちゃん”を見かける。
遅く来て、早く帰って行った・・・・・
あらら・・・
同じ青年会議所の仲間なのだが、誰とも会話をしようという気がないらしい。
これでは、選挙に落選しても仕方がないかも・・・・
少しは、みんなとおしゃべりすれば良いのに・・・
現職の国会議員じゃないんだから、そんなに忙しくもないと思うのだが・・・
もったいないなぁ~と思うのである・・・・

青年会議所の現役メンバーなどは全く面識がないので、誰がメンバーなのかわからない。
昔は、独特の雰囲気があって、すぐにメンバーだとわかったのだが・・・
今は、髪の毛はボサボサか、髪の毛が寝癖のように逆立っていて・・・(笑)
そこに加えて、無精ひげ・・・となると・・・どこにでもいる“アンチャン”である。
昔は、我々はどちらかというと「ダンディー」だったんだけどなぁ~(笑)
更に礼服には必ず青年会議所のバッチを付けて参列したものである。
自分が会員だということがわかるようにするというのと、会員として式に参列しているのだということを表わすためである。
が・・・今の連中はそういうことをしないらしい。
だからなおさら判らない。
理事長ですら、目立たないんだから・・・・・唖然である。
根本的なところで資質が落ちてしまっているという証拠ではあるまいか?
中途で退会した拙者に挨拶しないのはわかるが、OBに会釈も挨拶しないというのは考えられない。
レベルが下がったなぁ~・・・・

式後、“ウメちゃん”と一緒に外食。
その後、彼の事務所に行き、彼からの“お願い”の打ち合わせをする。
彼が卒業した大学の雑誌に研究室の教授から投稿の依頼をされたらしいのだが・・・・
理数系の彼のこと・・・文章が書けないと言うので、そのアドバイスと原稿の原案作成である。

今日は葬儀、葬儀で忙しい一日だった。
最後は、原稿のミーティングとは・・・(笑)
ある意味、充実した一日だったかな?

日記 | 16:53:42 | Comments(0)
母の従兄?
夜・・・“カジヤマさん”という方から突然の電話・・・・
相手はご年配の方のようで、話の内容が良くわからない。
何を言っているのだろうか・・・???

ようやく電話をかけてきた経緯を説明してくださった。
この方は、どうも整体師の“オヌマさん”のところに通っているらしい。
で・・・その時・・・
「俺の叔父が三笠宮殿下の御補導係の中隊長をしていて、昔はよく会合に行っていたらしいが、今はどうなっているのかわからない」と話したそうである。
と・・・“オヌマさん”から・・・
「今はお孫さんが後を継いで会合に出ているそうですよ。そのお孫さん(拙者のこと)はよく知っていますよ」と言われてビックリしたという。
「世の中狭いねぇ~」と言うのである。
たしかに、そうである。
で・・・この方は・・・拙者の母の従兄になるのだとか・・・
15年ほど前に一度だけ母に会ったことがあるという。
「いやぁ~懐かしいなぁ~」と言う。
何が懐かしいのかは・・・拙者にはわからない・・・(笑)

「あんたのお母さんにお線香をあげに行きたいところだが、歩くのも大変な状態なので失礼するけど・・・」と言う。
母が既に亡くなっている事はご存知のようである。
その直後に「この間、靖国神社に行ってきてね~」とも言うのである。(笑)
靖国神社に行けるのに、線香をあげには行けない・・・とは、矛盾していないか?(大笑)
そのときは歩けたが・・・ということか?
でも、整体院へは行けるんだから・・・(笑)
まぁ、どうでもいいことである。
ご高齢者は時としてこういう矛盾したことを言うものである。(大笑)
戦友会で慣れているから、気にもならないが・・・・思わず笑ってしまった。

「俺はね、叔父、つまり、あんたの爺さんの姉の息子でね。うちの母親はよぉけぇ子供を生んでね~(笑)、で、その6番目・・・他の兄弟は・・・あ、そりゃどうでもいいが・・・」と話が始まった。
こりゃ、ヤバイ!
慌ててメモ用紙を用意して、家系図を描きながら話を伺う。
ボ~ッとして聞いていたら何が何だかわからなくなる。
××の子供の××がどうのこうの、××の嫁ぎ先の××がどうのこうの・・・(大笑)
わからんって!(笑)
しまいには、田舎の地名までが飛び出すから、どうにもこうにも・・・である。
あ~地図までは用意していないぞぉ~(大笑)

「・・・でねぇ、養子に出されたっちゅうか、自分で出て行ったっちゅうかぁ~・・・それで俺は姓が違うんだけどね・・・」
ええい!どっちなんだぁ~(笑)

「それでね、俺の電話番号ね、***の****だから。え~と、昼ごろはいつも家に居るからね。いや、昼じゃなくても俺は暇だからいるなぁ~いつでもいるから・・・」
はぁ?
拙者にどうしろと言うのでしょうか?(笑)
暇だったら電話をくれってことなのでしょうか?
でも・・・拙者からは何の用もないんですけど・・・(大笑)

で・・・
「いやぁ~懐かしいなぁ~」を連発される。
え~ん・・・(涙)・・・拙者は全然懐かしくないんですけど・・・・(大笑)

結局用件は・・・よくわからないが・・・(笑)
拙者のことを“オヌマさん”から聞いて、一度話をしてみたかった・・・ということなのだろう。
最後の頃になって、ようやく拙者に電話をかけてきたということが解った次第である。(大笑)

戦友会で多くの“おじいちゃん”たちとおしゃべりしていたから良かったが・・・
もし、こういう経験をしていなかったら・・・と思うと、戦友会の経験は無駄ではないと改めて思った。

母はこの“従兄”とのやり取りをあの世から見て笑っていただろうなぁ~(笑)

日記 | 22:48:11 | Comments(0)
出棺と通夜式
昨日は“イトウさん”宅の出棺の日を勘違いしてしまったが・・・
まさか、今日は大丈夫だろう。

郵便局で郵便年金の手続きをしていたら時間が無くなった!
「出棺に立ち会わないといけないから」ということで、とりあえず用件を中断する。
まもなく午後3時30分、急いで“イトウさん”宅に向かう。
が・・・町内の人は誰一人集まっていない・・・・
あれれ?
まさか昨日の失敗でへそを曲げたわけではあるまいな?(汗)
一人で、門の外にたたずんでいたら、奥さんがやってきた。
「あの~、出棺の時に会長さんからお見送りの言葉とお礼の言葉をお願いします」と言う。
はぁ?
何だろうそれ・・・
棺を送り出すときに、町内会長が見送りの言葉を言うのか?
ん?何ていえばいいんだ?(汗)
「いってらっしゃい!」はおかしいだろし・・・「バンザイ!」と言うわけにもいくまいし・・・(笑)
そもそも町内会長が挨拶するなんて聞いたことも無い。
拙者の母の出棺のときにもそんなことはなかったはず・・・なのだが・・・
町内の“長老”がいれば尋ねられるのだが、まだ誰も来ていない。
「それは、どういうことなんでしょうか?初めて聞く話なんですけど・・・」
「え~と・・・葬儀社の人がそう言うんですよ」
「葬儀社が?」
「ちょっと係の人を呼んできますね。直接聞いてみてください」と言って奥さんは葬儀社の人を連れてきた。
で・・・その人・・・何事かという感じで怪訝な顔をして拙者を見るのである。(笑)
「あの、町内会長が出棺の時に何か言えということですが・・・」
「え?そうじゃないですよ!集まっている町内の人達に喪主の方から、お礼の挨拶をしてくださいって言ったんですよ」
「あら・・・そうなの?」と奥さん・・・
「でしょ?何だかおかしいなぁ~と思ったんですよね」と拙者。(笑)
あ~心臓が止まるくらい焦ったぞ~(冷汗!)

この奥さん・・・気が動転していたのかもしれないが・・・どうもよくわからない人なのである。
拙者は、暫く前にポストに「何度もお邪魔していますがお留守のようなので・・・」ということで、会費徴収のお手紙を入れておいたのである。
しかし、その後、なしのつぶてである。
町内会長が誰なのかも知らないと言っているという。
で・・・お会いした時に「お手紙は見てくださいましたか?」と尋ねたところ、ポストの中は見ていないと言う。
普通、家に帰ってきたら、ポストの中を確認するだろう?
何日間もポストの中を確認せず放置しているというのが信じられない・・・・
この間、回覧板が町内を回ったが、滞りなく発信元である拙者のもとに戻ってきているのである。
ポストに入れられた回覧板が次の家に回るということは、ポストを見ているはずだと思うのだが・・・
手紙には拙者が町内会長であることと、拙者の携帯番号を書き、都合のいい日にお伺いしますので連絡を下さいと書いておいた。
しかし・・・どうも完全に無視されていたようである・・・(唖然)

ようやく町内の人が集まってきたが・・・それぞれがバラバラに、しかも遠巻きに立っている。
「最後に喪主からの挨拶があるので私の近くに集まってください」と言ったのだが、モタモタして動かない。
そのうち・・・出棺・・・
ところが・・・“サトウのおばさん”が、おしゃべりをやめない!
それにつられて、女性陣は、しまいには笑い声まで立てる始末・・・
不謹慎だろう~それ・・・

棺が霊柩車に収められて、喪主が挨拶に来たが・・・・
拙者だけに挨拶・・・・
ほらね、こういうことになるから皆さん拙者の近くに集まってって言ったのに!
皆がバラバラに散らばっていたら喪主もどちらを向いて挨拶していいか困るだろうって言っておいたのになぁ~
参ったなぁ~これ・・・
そして、クラクションを1回鳴らして霊柩車が動き出した。
こういうときは合掌して見送るものだと拙者は思うのだが・・・
チラリと女性陣を見たら・・・誰も合掌していない・・・(唖然)
立ち話をし続けている・・・・
あのね・・・それじゃ、お見送りにならないんじゃないの?(怒)
拙者の母の出棺のときも、こういうふうだったのだろうか・・・この人達・・・
とにかく“オバタリアン”は・・・困る!

霊柩車が行ってしまってから、みんなが拙者のもとに集まってきた。
今頃では遅いんだよなぁ~・・・なに・・・これ・・・
とりあえず、町内会長である拙者からお集まりいただいたお礼を述べて解散する。
どうも、ビシッとしないんだよなぁ~
どうもだらけているんだよなぁ~
こういう時にビシッとしないのって、拙者は嫌いなんだよなぁ~

通夜式は6時から・・・・
礼服に着替えて、車を運転して家を出てまもなく・・・・
拙者の行く手を横切った人がいた!
車を止めたら・・・その人物が近づいてきて車のドアを開けようとするのである!
誰?
よく見たら・・・元市役所職員の“ヒルタさん”だった。
真っ暗な中、黒い礼服を着ているから分からなかった。(笑)
「おお!車に乗せていってくれ!」
ドアを開けたら勝手に乗り込んできた・・・(唖然~)
で・・・
「指名焼香の話、聞いてる?」
「いえ、頼まれていませんけど・・・」
「あ、そう、じゃぁ、聞いてあげるよ」
「いや、そういう余計なことはしなくていいですよ」
「なんで?心の準備っていうのが必要だろ?」
「いや、突然、指名されても対応できますから大丈夫です」

弔問の時に拙者は通夜式にも告別式にも私が出ますから・・・とご家族には伝えておいた。
出棺のときにも改めて同じ事を伝えておいた。
で・・・そのときのお返事は「そうですか」・・・である。
指名焼香を頼むのであれば、その時に言ってくるはずである。
指名焼香は、その家族の方針で決めるのであるから、こちらから「町内会長を指名焼香のリストに入れてないのか?」と聞くのは失礼だろう?
「どうなってますか?」と聞かれたら、嫌々ながらリストに加えるしかなかろう?
相手からしたらいい迷惑であろう。

葬儀には二種類あると拙者は思う。
亡くなったご本人の人間関係を重視したものにするか、それとも遺族の人間関係のほうを重視するかである。
戦友会の2代目会長、3代目会長がお亡くなりになった時に拙者は事務局長として、それぞれ山形県、大阪府に駆けつけた。
が・・・どちらの葬儀でも戦友会の指名焼香はなかった・・・・
喪主の会社関係者などがメインであり、父親が会長をしていた戦友会などは無視である。
これは仕方が無いことである。
その家の“方針”なんだろうから・・・
我々がとやかく言うことではないと思う。
今回も同様で、町内会会長を指名焼香に加えるかどうかは遺族の判断である。
こちらから押し売りのようなことをしては失礼だと思うのである。
拙者の母の場合は・・・・
母の友人達を中心に指名焼香をしてもらった。
商工会議所の会頭や、それなりの肩書きを持っている人達も参列してくれたが、失礼かとは思ったが、拙者は無視して指名焼香に加えなかった。
母と親しかった人、指名焼香してもらって母が喜ぶであろう人だけに限定したのである。
ある意味、慣習を破ったかもしれないが・・・拙者は亡くなった人の気持ちの方を重視したい。

そういうことを車内で説明したのだが・・・
“ヒルタさん”は式場に到着するなり、「どうなっているか聞いてくるから!」と言う。
なんと・・・車内での拙者の話を聞いていなかったのか?
「余計な押し売りをしたら相手に迷惑を掛けますからやめてください!」と押さえつける。(大笑)

で・・・通夜式・・・
“突然の指名焼香”もなく、無事に町内会長の拙者は「一般焼香者」の列に並び・・・・任務完了!(笑)

日記 | 21:46:45 | Comments(0)
ドジを踏んだ!
早朝、昨晩作成した「訃報」を各地区の回覧板担当者に届けに行く。
回覧板の担当者は半年毎の持ち回り。
運悪く、今月から担当者が変更となっているため、今年後期の担当者の家がわからない。(涙)
まず、隣の地区の会計の“コバヤシさん”のところへ行き、教えてもらうことにする。
彼女は若いが、拙者よりも前から町内会の役をしているので物知りである。
で・・・ついでに会からのお香典も用意してもらう。
テキパキとその場で処理してくれるので助かる。

で・・・地図を見ながら・・・(笑)・・・回覧板原稿を配り歩く。

今日も昨日に引き続き庭師の“エバトさん”が来ているので、一緒に作業・・・・
で・・・午後3時半・・・・
「出棺」の時刻になるので、“イトウ家”の前に集合したのだが・・・
どうも様子がおかしい・・・
霊柩車が来ていないのである。
どうもおかしい・・・・
いつまで経っても霊柩車が来ない・・・
確か、昨日渡された「日程表」には「25日、15時30分に出棺」って書いてあったよな?
どうも心配なので自宅に戻り用紙を持ってみんなのところへ戻る。

用紙には26日の通夜式と27日の告別式の日程が書かれている。
で・・・26日の通夜式の欄に「10月25日15時00分、納棺」と書かれている。
その下に「15時30分、出棺」・・・・
「間違いないよね?15時30分って聞いてたし・・・」と皆さんも言う。
「そうそう、25日の15時30分って書いてあるし、そう聞いてるし・・・」と“クロサワさん”が言う。
しかし、出棺だというのに霊柩車が来ていないというのはおかしいだろう。

「自宅に上がって、聞いてきたら?」という声もあったが、まさか、「出棺はまだですか?」と言うのもおかしいだろ?(笑)
で・・・・もう一度、よく見て気がついた!
もしかして、納棺は10月25日15時00分で・・・
出棺は明日の15時30分という意味ではなかろうか?
状況からして、そうとしか思えない。
まもなく4時である。
出棺の時間がこんなに遅くなる事はあり得ないし、だいたい霊柩車が来ていないというのがおかしい。

我々は、納棺というのは、出棺する直前にするものと思っている。
だから、納棺が25日の15時00分なら、30分後の15時30分に出棺するものと思っていたのだが・・・
もしかして今日は納棺だけをして、明日出棺するという意味ではなかろうか?
出棺後の予定は、16時に式場入り、18時通夜式・・・と続いているのだ。
この部分は、明日の26日の日程である。

やっちまった!間違えた!
「みなさん、申し訳ございません!日程表の解釈を間違えてしまいました!出棺は明日です!」
「別に会長さんが誤ることはないわよ。だって、これ、どう見ても25日でしょ?」
「いや、下に続く部分を見てみると通夜式の日程になってますから・・・明日でしょ?」
「そう言われれば、なんで今日、出棺するんだろうとは思っていたけど・・・」と“ヒルタ”さんの奥さん。
「間違いなさそうだな、霊柩車が来てないし・・・」と“スガワラさん”
と喧々諤々・・・
「いやぁ~ドジ踏んじゃったぁ~すみませんねぇ~」
「いやぁ~こりゃ仕方が無いよ、誰もが今日だって思っていたんだから・・・」
「というわけで・・・解散!明日の3時半に集合をお願いします!すみません!」
「まぁ、いいんじゃないの、こうやって町内の人が顔を合わせる機会が1回増えたんだから・・・」と“ヤマナカさん”

いやぁ~やっちゃったぁ~(笑)
しかし、どこの葬儀社なのかしらないけど・・・
25日の予定と26日の予定を混ぜて書くってどういうことよ?
自分の“読みの甘さ”を棚に上げて責めちゃうけど・・・(大笑)

日記 | 16:10:13 | Comments(0)
町内の訃報!
夕方・・・・
ピンポ~ン!
突然近所の“スガワラさん”のおばちゃんが来た。
何事かと思ったら、町内会の“イトウさん”のご主人が亡くなったという!
このところ町内会の会費の徴収に“イトウさん”宅を何回訪問してもお留守なので困っていたのだが・・・
どうやら入院していたようである。

で・・・「どうしましょうか?会長さん・・・」との事・・・
ゲゲッ!
いつも「シゲちゃん!」と拙者を呼んでいる小母さんが、こういうときには「会長さん」と呼ぶのである。(笑)
拙者は今年初めて町内会の役員になったのである。
しかも・・・いきなり会長様である。(笑)
知るわけが無い・・・
「今まではどうしてたんでしょうか?」
「さぁ~・・・どうしてたっけ・・・いずれにせよ、会長さんは大変ですよ・・これから・・・」
ギョェ~!
何が大変なのか・・・わからんが・・・・(汗)

とにかく、今、ご遺体が自宅に戻ってきたそうだ・・・という。
え~と・・・“クロサワさん”のご主人に相談してみようか?
ということで・・・今度は2人して“クロサワさん”宅へ・・・
玄関先で“クロサワさん”のオバさんに用件を伝える。
「おと~さぁ~ん!会長さんが来ましたよぉ~・・・ちょっと!来て~!」
この家には、拙者が幼い頃よく遊びに来ていたので・・・
ここの小母さんも、拙者のことを今でも「シゲちゃん!」と呼んでいるのに、なぜか今回は「会長さん」である。
で・・・お父さん・・・つまり小父さんも・・・
「これは、これは、会長さん・・・ご苦労様・・・・」には参った・・・
あのね・・・どうしちゃったの・・・みんな・・・

“クロサワさん”の小父さんも小母さんも「会長さん、大変だねぇ~」と言う。
が・・・何が大変なのかがわからない・・・(笑)
具体的な話が何も無いのだ。
なんで会長は大変なんだ?

とにかく、今日中に“イトウさん”宅へ挨拶に行かねばなるまい。
回覧板でまわす時間的余裕は無い。
会長自ら・・・町内の我が区の各会員宅を訪問して、午後8時に集合して、区内の会員はまとまって弔問に行く事を伝える。

午後8時・・・全員が集まったかと思ったら、一人いない・・・
同級生の“コバヤシくん”である。
彼一人を待っているわけにも行かないので、先に弔問・・・

町内の皆さんはお亡くなりになった“イトウさん”とは旧知の仲だが、拙者は初対面である。
お線香を上げ・・・葬儀の打ち合わせ・・・と思っていたら、いつまでたってもみんなが雑談・・・
ようやく、用件に入ったが・・・
葬儀関係は葬儀社に任せるので町内会のお手伝いは不要との事。
葬儀日程表をいただき、外に出て、町内会の皆さんに改めて確認のご報告。
「出棺は明日午後3時半ですから、よろしくお願いします!」
「出棺?」
なんと、ベテランさんが変な質問を・・・・ボケちゃったの?(笑)
「え~・・・町内で、出棺のお見送りをします!」
「あ・・・お見送りね・・・」
「そうです、3時半ですよ!3時半!」

で・・・ふと、周囲を見たら・・・一人いない・・・
遅れて到着した“コバヤシ君”である。
「あれ?さっき、いたよね?」
「あ~コバヤシさん?コバヤシさんは先に帰りましたよ。葬儀日程の紙をもらって・・・」
なんという奴か!
相変わらずのマイペースである!
彼は昨年、町内会の会長をしていたのである!
前会長が、遅く来て先に帰るとは何事か!(怒)
“大先輩”方が集まっているというのに・・・・
相変わらず自分勝手な男である!

「では、会長さん、ご苦労さんだけど、町内への回覧よろしくね!」と、みんな解散・・・
ゲゲッ・・・今から町内回覧用の訃報のお知らせを作成しなくてはならない!(汗)
我が町内は4つの区に分かれている。
で・・・“イトウさん”は我が区の会員なので我が区の会員だけが弔問・・・・
このあと我が区も含めて他の区の人には葬儀日程を回覧しなくてはならない。
で・・・訃報の通知・・・雛形は無い・・・(涙)
親父に相談をしたが、まったく頼りにならない・・・
自分で考えて作るか・・・
パソコンに向かい、急いで作成・・・・
と・・・あれ?
喪主の名前を聞くのを忘れた・・・(笑)
“イトウさん”宅を再度訪問・・・・

作成した「訃報」を今度はコンビニに行ってコピー!
とりあえず完成!(笑)
で・・・これを、明朝一番に各区の回覧板担当者に配布すればいいだけ・・・
だが・・・この各担当者がどこに住んでいるのか、拙者は知らないのである!(大笑)
どうすんの?これ・・・
総会の席でお会いしただけで、どこに住んでいるのかまでは知らない・・・
仕方が無い・・・一軒一軒訪ね歩くかぁ~(大笑)

「会長さん、大変ですねぇ~」の意味はこのことなのか?
確かに、ご高齢者では、いきなりの訃報通知を作成するのは難しいだろうなぁ~
パソコンもワープロも使えないとなると・・・手書きだからなぁ~
それをコピーして、各担当者宅へ持参するなんていうのは、お年寄りでは大変であろう。
しかも担当者は毎年、持ち回りで半年毎に変わるのである!(笑)

「会長さん、指名焼香があるでしょうから大変ですよ~」とも言われたが・・・・
指名焼香って、そんなに大変かな?(笑)
何度か経験したことがあるが、確かに緊張はするが・・・大変・・・と言うほどではないのでは?

さて・・・町内のみんなは「大変ですねぇ~」と口々に言ってくるのだが・・・
何が大変なのか・・・まだわかっていない・・・(笑)

拙者は“鈍い”のだろうか?
なんか・・すごいドジを踏みそうで・・・怖い・・・(大汗)

日記 | 23:31:26 | Comments(0)
本居宣長の生涯
本居宣長の生涯―その学の軌跡本居宣長の生涯―その学の軌跡
(1999/02/15)
岩田 隆

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序章 本書の目論見―「はしがき」に代えて

第1章 男児出生―水分の神の申し子

第2章 志学元服―幼少期の修学と教養

第3章 平安憧憬―『経籍』と『都考抜書』

第4章 青春彷徨―和歌・空想・現実

第5章 儒師景山―契沖学に開眼

第6章 私有自楽―歌学・漢学・医学

第7章 嶺松院会―歌会・講釈・著述

第8章 『紫文要領』―「もののあわれ論」

第9章 県居大人―「松坂の一夜」

第10章 『記伝』起稿―「天地初発之時」

第11章 学派形成―『草庵集玉箒』

第12章 古道宣言―『直霊』(「直毘霊」)

第13章 学的交流―士清・尚賢・久老

第14章 弟子道磨―美わしき子弟

第15章 書斎鈴屋―四畳半の自由空間

第16章 論難応酬―「議論ハ益多く候事也」

第17章 自画自賛―「敷島の大和心を」

第18章 五人扶持―古学的治政論

第19章 古学普及―尾張出講と諸国門人

第20章 春庭失明―老いたる父の苦悩

第21章 著述出版―「何事にもせよ著述を」

第22章 『記伝』完成―古学の百科全書エンサイクロペディア

第23章 御前講義―和歌山出講と上洛

第24章 遺言奥墓―「千世のすみか」

終章 『宇比山踏』を読む―古学とその方法論



題名からして、本居宣長の伝記ということになるのだが・・・
これが副題にあるように“その学・・・”というのがミソ・・・
ここが他の伝記とは大きく違うところである。
本書の記述の多くが、本居宣長の著作や文書からの抄出によって構成されている。
このため・・・わかりづらい・・・(笑)
いや、参った・・・
本居宣長の書いたものに触れながら・・・だから、その内容は素晴らしいのだが・・・・
なんとも読みづらい。
多少なりとも「原書に触れる」というのが苦にならない人向きの本ではなかろうか?


今年の読書:73冊目



読書 | 00:55:48 | Comments(0)
急に便秘?(笑)
この間、市の大腸検査の申し込みをしたところ、先日、その検査キットが郵送されてきた。
で・・・この検査・・・
検査キットのスティックで、ウンチの表面をなぞるように削り取り、ケースに収納して提出するのだそうだ。
大便の表面に血液が付いているかどうかで大腸ポリープだか大腸癌がわかるらしい。
で・・・・これを2日間連続して採取して、2日間分2本を3日目に提出する。
3日以内に提出しないといけないのだそうである。

拙者は毎日、快調快便である!(笑)
何ということはないと思っていたが・・・
う~ん・・・・
ウンチを便器の中に落とすのではなく、紙の上に落として・・・・という作業を想像した途端・・・
便秘!(大笑)
あれ?なんで止まっちゃったんだろう?
大腸が活動を停止してしまったらしい。
ウンでもなければスンでもない・・・・
参ったぞ・・・
2日間連続して採取しなくてはならないと言うのに・・・・
我が大腸・小腸はかなり神経質のようである。
精神的なことに左右されやすく出来ているらしい。

やっとのこと、一昨日と昨日の2日間で採取できた。
いつもは朝食後すぐに“お通じ”があるのに、2日間とも午後になってようやく・・・なのである。(笑)

そうそう、“お通じ”で思い出したが・・・
この“お通じ”という言葉を初めて聞いたのは小学6年生の時である。
病院に入院していたら、看護婦さんが「今日はお通じはありましたか?」と尋ねてきた。
お通じ?・・・お通じって何だろう?
全く意味のわからない言葉だったが、そこは素直な性格の子である・・・・(大笑)
看護婦さんの言うことには何でも「はい!」と答えた。
ところが毎日同じ質問をしてくるのである。
さすがに、これには困った。
「今日もお通じがありましたか?」
毎日、“お通じ”というのがあるのか?
“お通じ”とはなんだろう?
これはかなり重要なことなのかもしれない。
知らないまま適当に「はい」と答え続けていいものやら・・・(大笑)
で・・・数日後・・・看護婦さんに尋ねた。
「あのぉ~お通じって何?」
「え?知らないで答えていたの?」
「はい!」
「え~と・・・ウンチのこと・・・」
「ウンチ?」
「ウンチが出ましたかって聞いてたんだけど・・・」
「なんだぁ~ウンチかぁ~。ウンチならウンチが出ましたかって聞いてよぉ~」
看護婦さんと大笑いしたことを思い出す。

昨日、採取後早速提出しようと思ったら・・・・受付時間は午後3時までとのこと。
用意が出来たのは午後2時50分・・・
これでは間に合わない。
だいたい何で午後3時に受付を終了しちゃうかなぁ~
というわけで・・・3日目の今日は必ず提出に行かねばならない。
提出先は「メディカルセンター」
出かけるとき、ふと、名刺のことが一瞬頭をよぎった。
検査キットの提出に、名刺を持っていく必要はないのだが・・・(笑)

このセンターには、拙者の幼馴染だった“メグミちゃん”の伯母さんが勤めている。
伯母さんと言っても、なぜか“メグミちゃん”とは歳がほとんど同じ人である。
彼女の家はかなり複雑な家庭環境だったようである。
すぐ近所に住んでいた“メグミちゃん”とは幼稚園か、それ以前から仲良かったような気がする。
彼女は確か、拙者より3つか4つ年上だったと思う。
病気で1年か2年、学校へ行けず、学年では拙者より2級上だが、年齢はもっと上だった気がする。
ある日、テレビを見ていたら「スター誕生」という番組に彼女が出ていたのにビックリした。
似ている人だと思ったら、彼女だった・・・・
確か・・・後にピンクレディとしてデビューする女の子2人が出ていた頃だったと思う。
さぁ、翌日の学校は大騒ぎである。
大勢の冷やかしの視線を背に受けて登校してきた彼女の後姿が今も眼に焼きついている。
拙者が中学1年、彼女が中学3年の時の事である。
これが彼女を見かけた最後・・・である。

彼女と最後に口をきいたのは小学3年生の頃だろう。
同居していたおじいさんが習字の教室を開いていて、そこに拙者は通っていた。
赤い墨で手直しされるのだが、この「赤い墨」で一度でいいから字を書いてみたいと思ったものである。(笑)
彼女の一家はその後、いつの間にか転居してしまった。
お別れの挨拶をした記憶が拙者には無い・・・・どういうわけか・・・

20年以上も前、健康診断で訪れたメディカルセンターで彼女の伯母さんから声をかけられた。
拙者は伯母さんのことは覚えていないが、相手は覚えていたのである。
その時に、“メグミちゃん”が“いろいろあって”、かなり苦労しているという話を聞いた。
そして、10年ほど前にまた伯母さんと偶然会った・・・・この時が最後であるが・・・
その時には「元気でやっている」とだけ教えてもらった。
「会いたいなぁ~宜しく伝えてください」とは言ったものの名刺を渡してなかったのは失敗だった。
たぶん、その時の“思い”があったのだろう・・・・
ふと、名刺・・・と頭に浮かんだのだろう。

ところが、メディカルセンターに到着して・・・気が付いた・・・
名刺を持ってくるのを忘れた!(汗)
しかし、ここにはかなりの職員が勤務している。
拙者は、この伯母さんのお名前を知らない・・・「メグミちゃんの伯母さん」としか知らないのである。
偶然に会うということ以外には会うことはない・・・・
まぁ、そうそうバッタリとタイミングよく会うことはあるまいから・・・まぁいいかぁ~と建物に入る。

で・・・検査キットの提出場所を職員の方に聞いていた時・・・・
偶然にも、“メグミちゃんの伯母さん”が廊下をこちらに向かって歩いて来たのである!
うそ!(驚)
なんという偶然だろう!
このタイミング!!

“メグミちゃん”の近況を聞く。
一時期、水商売の世界で苦労をしていたらしいが、今ではブライダル関係のお店を経営していて県内で幸せに暮らしているという。
子供も成人して頑張って働いているとか・・・
「いやぁ~会いたいなぁ~宜しく伝えてください」と言ったものの・・・
名刺!名刺を忘れてきているので、立ち話の中で拙者の連絡先を教えることが出来なかった。
大失敗である!(涙)
なんで、名刺を忘れちゃったかなぁ~
この伯母さんも60歳前後だろうから・・・まもなく定年退職になるだろう。
そうなると、もう会うことはない・・・
今回が最後のチャンスかも知れなかったのに・・・・
たぶん、“メグミちゃん”とは再会することはないんだろうなぁ~
そういう運命なのかもしれない・・・・

日記 | 11:04:06 | Comments(0)
松本清張展
『松本清張展』
~清張文学との新たな邂逅~<(図録)/strong>
松本清張生誕100年記念巡回展

企画・構成
北九州市立松本清張記念館
編集・発行
松本清張生誕100年記念事業実行委員会
北九州市立松本清張記念館
2010年 第2刷発行

Ⅰ思索と創作の城
◎絶筆(「神々の乱心」「江戸綺談 甲州霊嶽党」)
(座談会)松本清張と菊池寛(再録)
    井上ひさし・平岡敏夫・山田有策

Ⅱ小倉時代の松本清張―(作家誕生)まで
仮構された前半生―松本清張の小倉時代 小林慎也
清張文学の土壌(大正期)
  少年時代
  給仕時代
印刷所時代
朝日新聞社時代
  歯車のネジ―(社員)松本清張
  家長として―松本清張のもう一つの(素顔)
  泥砂の中―(旅人)清張
軍隊時代―衛生兵体験と朝鮮体験
(作家)誕生―芥川賞受賞前後
◎こころを通わせた人びと
○松本清張とその時代―松本清張年譜

Ⅲ清張文学の世界―旺盛な探究心とたゆまぬ挑戦―
「点と線」
松本清張「点と線」 赤塚正幸
◎清張小説の魅力と映像化
「火の路」
(対談)清張古代史の現在を検証する(再録)
   門脇禎二・森浩一
◎歴史・時代小説の醍醐味
『日本の黒い霧』
『日本の黒い霧』はなぜ書かれたか 藤井忠俊
○松本清張主要作品系統図

松本清張の精神を受け継ぐ記念館―松本清張記念館10年の歩み

主な展示資料一覧



今年の読書:72冊目



読書 | 23:53:43 | Comments(0)
癌の診断・・・ねぇ
今日、庭師の“エバトさん”が庭木の剪定に来た。
が・・・
到着早々、自宅から呼び出しの電話・・・
奥さんのほうの親戚で不幸があったとの事。
とりあえず午前中で作業をやめて帰ることとなる。

で・・・10時の休憩時間・・・・
お茶を飲みながらおしゃべりをしていたら、“エバトさん”がしきりに母の死因について聞いてくる。
あれ?
以前に詳しく話したはずだが・・・
と・・・
「実は、この間、病院で検査したら前立腺癌らしきものが見つかったんですよ・・・」と言う。
で・・・病院名を聞いたら、唖然・・・
拙者の大嫌いな、市内で一番大きな総合病院である。(笑)
「来年の1月ごろまで様子を見ましょうというんですけどね~心配することは無いって医者は言うんですけどねぇ~」
「来年の1月?・・・なんで?」
「心配することは無いって言うんですよ。たぶん大丈夫じゃないかって」
「たぶん?」

この病院に不信感を拙者は持っている。
医者個人というより病院の姿勢に問題があると拙者は思っている。

拙者の親父は胃癌が見つかったときに医者からこう言われた・・・・
「まだ小さいので、5年ぐらい経ったらまた来てください」
馬鹿か?
早期発見、早期治療が基本じゃないのか?
癌が発見されたのに5年後に来てくださいでは早期治療になるまい?
癌があまりにも小さいので取り除く手術が出来ないのだろうか?
この病院の医者にはそういう技能がないのだろうか?
それで、親父を別の病院へ行かせて、即、癌の摘出手術をさせたのである。
親父はこの時点で胃の3分の2を摘出した。
“小さい”と言われていて・・・これである。
が・・・医者から「二度と病院に来る必要はありません」と言われたと言って、手術後、親父は一度も通院していない。(大笑)
抗癌治療もしていないし、薬も飲んでいない。(笑)
で・・・もう5年も生きている・・・(大笑)
あの時、うちの町のあの病院の医者の言う通り「5年後」を信じて放置していたら、たぶん手遅れになって、今頃親父は墓の下であろう。

拙者の高校時代の同級生もこの病院で癌で死んだ。
最初は胃癌だったらしいが、手術後、骨に転移して全身に癌が広がり・・・死んだ。
転移したということは、癌細胞を完璧に取り除いていなかったのか、手遅れだったからではなかろうか?
どうもこの病院の姿勢が信用できない。
早期発見、早期治療をしないのであれば、健康診断なんて不要である。
末期的症状になってから治療を行うならカネも稼げるしね。
“売り上げ”重視なのではなかろうか?
癌が発見されても「もう少し様子を見ましょう」と時間を稼ぎ、手遅れになってから、最先端の高価な医療機器を使って、いかにも治すようなふりをしてカネを稼ぐ。
家族には助かるような幻想を抱かせてカネを巻き上げる。
早期発見、早期治療をしたのでは、あっさりと完治してしまうから、カネが稼げないのだろう。
そう思いたくなるほど、この病院は信用できない。
この病院に癌で入院して生きて還って来た人を見たことが無い。(笑)

拙者の女友達もこの病院で癌で死んだ。
たしか・・・42歳だったと思う。
若いから進行が早かったのか、発見が遅かったのか、それとも彼女のことだからグズグズしていて早く治療をしなかった可能性もあるが・・・・
いずれにせよ、生きて還ってはこなかった。

拙者の母もこの病院で癌が見つかったが・・・
この時、医者が「すぐに手術をしましょう」と言ったという。
癌が見つかっても「もう少し様子を見ましょう」という病院が、すぐに手術の準備をするというのだから、これは手遅れなのではないかと拙者は思った。
で・・・母に尋ねたのである。
「もし死ぬとしたら、この病院で死ぬのがいいか、東京の大学病院で死ぬのがいいか、後悔しないとしたらどちらだ?」
母は東京の大学病院を選び・・・手術から1年半後にこの世を去った。
しかし、死ぬ直前まで好きなゴルフができたのだから、この判断は正解だったと思っている。
地元のこの病院に入っていたら、病棟に閉じ込められたまま寂しい最期を迎えたに違いない。
死んだ高校の友人は「病棟に見舞いには来ないほうがいい。地獄のような悲惨な場所だから見ないほうがいい」と言っていたから・・・・・

“エバトさん”にはあまり詳細に話すわけにはいかないので、かいつまんで話したが・・・
それでも「脅かさないで下さいよ~」と言う。
いや、いや、脅しているわけではないのだが・・・
「やっぱり、他の病院でも一度検査してもらって、その意見も聞いたほうがいいんじゃないでしょうか?」
「でも医者が心配しなくていいって言ってるし・・・」
「そうですか?念のためって・・・あるでしょ?」
「う~ん・・・癌が見つかったのに来年に・・・というのも気にはなるんですけどね・・・」
「でしょ?」

でも、たぶん医者の言う通りにしちゃうんだろうなぁ~・・・・この人・・・
手遅れにならなければいいのだが・・・・
拙者にはそれ以上のことを言う権利はない。

日記 | 11:33:45 | Comments(0)
姪のピアノコンサートに行く
今日は、姪のピアノコンサート。
ホテルをチェックアウトして、会場に向かうが・・・
初めて行くコンサートホールなので、行き方を知らない。(大笑)
どうも原宿あたりにあるようなのだが・・・(笑)

地下鉄の駅を降りてから暫く歩く・・・・
周囲はブティックって言うの?
洋服のお店が並んでいるが・・・お客さんは一人も見当たらない。
どの店も店員がポツンといるか、全く店員の姿が見えない・・・・
かなり高級な洋服を扱っているのだろうが・・・これで商売になるのだろうか?
こういうお店で扱っている高級な服は原価がかなり安いのだろうか?(笑)
地代やテナント料も高いと思うんだよなぁ~
払えるのかねぇ~・・・と余計な心配・・・(笑)

コンサートは午後から・・・
その前に食事をしておこうとお店を探したが、見つからない・・・・
ようやく1軒、見つけたのでそこで昼食をとることにした。
と・・・そこへ、妹の嫁ぎ先の“おかあさん”が一人で入ってきた。
「あれ!おかあさん!お久しぶりです!」
「あらぁ~おにいさん!来てたんですか!」
一緒に食事をしながら、久しぶりに“おかあさん”とおしゃべりをする。
「おにいさん、たまにはうちに泊まっていってくださいよ。子供達も喜びますから」と言われたが・・・
子供達が小さなときはいいが、もうそれぞれ部活だったり勉強だったりレッスンだったりで忙しいだろう。
伯父ちゃんの面倒なんて見るどころではないに違いない。
下手に訪問したら逆に迷惑だろう。(笑)
気を使って泊まるくらいなら、ホテルに泊まったほうが気が楽である。

コンサートには妹夫婦も来ていた。
妻のライブに、子供達のコンサート・・・・
毎度の事ながらパパは大変である。(大笑)
改めて独身っていいなぁ~!(大笑)

コンサート後、お茶でも飲もうと妹に誘われたが・・・・
ここからが大変・・・・
会場には、何人もの妹の知人が来ているので・・・・
妹はあっちこっちの“奥様方”へご挨拶とおしゃべり・・・・
もう終るかなぁ~と待っていると、今度は別の人とおしゃべり・・・・
女ってどうしてこうなんだろうか?
何十年ぶりの再会というわけでもあるまいに・・・
拙者は短気である・・・
帰ろう!(笑)
これでは、いつになったらお茶が飲めるかわかったもんじゃない!

というわけで・・・妹をすっぽかして(笑)・・・上野駅に向かう。
一応、妹の携帯に留守番電話を入れてはおいたが・・・(笑)
気がついたらお兄ちゃんは行方不明・・・姿が見えない・・・
というのは、いつものことである。

5時発の特急に間に合いそうなので、親父の夕食用に駅弁を買って乗り込む。

日記 | 10:51:52 | Comments(0)
友人の写真展
今日は友人の写真展を見るため東京に行く。
明日は姪っ子のピアノのコンサートなので、それに合わせて前日の今日、写真展の観覧を予定に入れたのである。

先日、友人の“コニシくん”から葉書が届いた。
『鶴を待つ~タンチョウの里にて~』という写真展の案内だった。
彼の個展らしい・・・・
いつの間に彼は写真家になったの?(笑)

27年前・・・・
アメリカのシアトルで、夏休みの短期留学で来ていた彼と知り合った。
拙者は半年ほどシアトルに居たが、彼は1ヶ月程度の短期滞在。
彼と行動を共にしたのは、3回~4回程度・・・・
彼が帰国するまでの1ヶ月間という短期間に、その程度しか会っていないのだが、なぜか27年間も友人関係が続いている。
平均すると1週間に1回程度だから、それほど濃密な付き合いをしていたというわけではないと思うのだが・・・
彼は確か大学の夏休みを利用してアメリカに来ていたと思う。
で・・・卒業後、フジテレビ系列の会社に就職。
その後、帰国した拙者は彼がプロデュースしたイベントに数回参加するため上京したことがある。
その後は年賀状のやり取りだけ・・・・
10年以上ものブランクの後、久しぶりに再会したのは、拙者が廃業した直後だったと思う。
だから・・・5年ほど前だと思うのだが・・・記憶があいまい・・・
その時に、シアトル時代の思い出話などが出たが・・・・
彼の記憶と拙者の記憶が合致しないことが多すぎて愕然としたことを覚えている。
彼が覚えている拙者とのエピソードは、ことごとく拙者の記憶には無いのである。(笑)
「そんなこと・・・あったっけ?」
「なに言うてますのぉ~」と京都の大学出身の彼は言う。
あんなことや、こんなことがありました・・・と彼は言うのだが・・・
全く記憶に無い!(大笑)
どうも若い時から拙者は健忘症だったらしい・・・・
おかげで、まったく会話が成り立たない。
そういうこともあり、その後は疎遠になってしまったが、年賀状のやり取りは続けていた。
考えてみると、「年賀状を交換する」という習慣は大事だと思う。
わずか数回しか会ったことのない人との交友関係が27年間も続くのは年賀状のおかげである。
これは現代のメールの交換ではあり得ないと思う。
現在、メールのやり取りをしている人達と、果たしてこれから20年以上30年近くの交友関係が続くかというと甚だ疑問である。
(拙者が70歳を過ぎても、交流しているだろうか?)
安易な手法だけに、安易に人間関係も切れてしまうのではなかろうか?

南青山2丁目のギャラリーに向かう・・・・
彼が常駐しているわけではないので、彼には会えまいが、折角のご案内であるから・・・・
しかし、それにしても個展とはたいしたものだ。
まだ彼は“業界”にいるはずだが、いつの間に写真家になってしまったんだろう?(笑)
ギャラリーにはいくつものお花が飾られていた。
“業界”関係らしき会社からのものもあるが、女性からの個人のものもある。
あ~そうかぁ~こういう時にはお祝いの花を贈るのかぁ~
世間のことを全然知らなかった・・・・

ギャラリーに展示されていた「ごあいさつ」には、彼は25年前にタンチョウ鶴に魅せられてから、毎年北海道にタンチョウ鶴の写真を撮りに行っていたそうで・・・
その25年間の集大成が、今回の写真展になったらしい。
彼にそういう趣味があったとは知らなかった。
5年ほど前に最後に会ったときに、そういう話を聞いいたかな?
相変わらず物覚えが悪い・・・・(笑)

写真はなかなかのものだった。
へぇ~・・・・
拙者は「戦跡」の写真を「記録」という形でしか撮っていない。
間違っても芸術作品としては撮っていないから(撮る能力もないし・・・)、こういう芸術的写真がうらやましい。(笑)

ギャラリーにはお客は拙者一人だったが、まもなく若い女性2人組がやってきた。
スタイルのいい美人さんである。
どうも彼の知り合いらしい。
“業界人”?(笑)
プロデューサーをしていると、こういう美人ともお知り合いになれるのか?(妬)
うらやましい限りである・・・(妬!)
いつか彼に会う機会があったら、からかってやろうかと、ふと思う・・・・(大笑)

ギャラリーの方が、夕方には“コニシさん”が来る予定になっていますが・・・と言う。
それは知らなかった・・・・
そういうことなら事前に連絡をしておけばよかったか・・・
すでに他の予定を入れてしまっていたので、夕方までは待てない。
来訪者カードに何かコメントを書いておいてくださいというので、「見に来たよ~!」と書いておいた。(笑)
夕方・・・“コニシくん”から携帯に電話・・・
「わざわざ見に来てくれたんですか!会いたかったなぁ~今晩、空いてないんですか?残念だなぁ~」と言う。
彼は“業界人”だから、昼も夜もなく不規則に忙しいだろうからと、わざと事前には連絡をしておかなかったのである。
う~ん・・・裏目に出ちゃったか?(笑)
事前に連絡しておくべきだったか・・・

まぁ、いつかまた機会はあるだろう・・・

そうだ、彼がタンチョウ鶴の写真なら・・・
拙者は、昨年ミッドウェイ島へ行った時に撮影したアホウドリの写真でも送ってやろうか?(笑)
アホウドリ・・・拙者らしい“響き”ではないか?(大笑)

日記 | 23:37:23 | Comments(0)
バレバレ・・・・
今日は、“ウメちゃん”と歯科医の“シラトさん”と飲みに行く日・・・・
というわけで・・・・
親父の夕食のおかずを買いにコンビニに行く。

と・・・お店のオバチャン・・・
「あっ、今日は出かけるんだぁ~」
「あれ?なんで分かるの?」
「内容を見るとね・・・わかる」
「あれ?そう?」
「魚の煮付けが1パックだけでしょ?で・・・お饅頭を買ってるから、これはお父さんの食後のデザートでしょ?で・・・煙草を買ってるから、これは飲みに行く準備だな・・・と・・・」
「さすがだねぇ~バレた?(大笑)」
「お父さんを留守番にして、おいしいものを食べに行くんだぁ~」
「へへへ・・・・参ったなぁ~(笑)」
「バレバレ・・・(笑)」

なんて拙者は単純なんだろうか?
バレバレである・・・・(大笑)

日記 | 17:35:08 | Comments(0)
比島従軍記
比島従軍記比島従軍記
(1993/07)
根本 勝

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第1章 比島従軍とその片々
 赴任
 諜報無線W・A・T局捕獲討伐
 マニラの無線探査
 危機迫るバギオ
 米軍リンガエン湾上陸
 空腹と山下道路
 作戦参謀の一喝
 防空壕掘りと空襲
 長浜憲兵隊司令官の思い出
 バギオ、スパイ団の検挙
 戦後初代大統領ロハスを語る
 バギオ撤退
 ゲリラ討伐戦
 転進先発隊の道
 飢餓戦線と病魔
 悲惨な邦人の逃避行
 警戦隊と籾収集
 終戦

第2章 降伏特使行
 特使任命
 北警戦隊の焼死事件を聞く
 山下る山下大将
 特使壮行と監獄
 全滅の島レイテ
 遂に見つけたサマール島放浪部隊
 マステバ島の投降部隊
 山の戦友よいずこ。ロンブロン・ミンドロ島
 残虐の島パラワン

第3章 虜囚記
 1.レイテ島パロ捕虜収容所
    転々する収容所
    演劇
    文芸
    吟詠
    相撲
    講演
    やくざの人々
    先輩
    幽霊騒ぎ
    収容所長
    赤裸々な人間像
    さらばレイテ島
 2.カランバン捕虜収容所
    柵越しの既決囚
    またもや戦犯容疑者の檻
    呪わしい戦犯
    天長節
    短歌同好「不凋花会」
    端午の節句
    幕舎演芸
    掲示板特集
     (1)P・W型(性格)
     (2)いろは歌留多かるたPW百態
     (3)PW生活風刺川柳
     (4)ゲレンゲレン節
     (5)私の詩
    戦犯明暗
    復員記

第4章 虜囚徒然記
    1、犯罪実話「仙台兵営井戸の女白骨」
    2、歌と時流
    3、偶感
    4、「復員憲兵の手記」の記事に駁す
    5、漢詩集

第5章 わが虜囚の歌

第6章 著者の比島における行動概要と比島全地図



著者は元憲兵・・・
憲兵は軍内部の警察組織である。
「取り締まり」を主な任務とする憲兵も、大戦末期のフィリピンでは「警戦隊」として実戦部隊的な役割を担うことになる。
終戦後、「憲兵」というだけで戦犯として処刑される人達もいた。
憲兵といえば「悪名高き・・・」という文字が頭に付いてしまうのだが、その職務からしてやむをえないかもしれない。
敵のスパイの摘発ともなればなおさらである。
しかし、著者は運良く戦犯としての汚名を着せられることなく生還した。
幸運である・・・
著者は終戦時、降伏する山下将軍と一緒にいたという貴重な体験の持ち主。
その後、特使として降伏勧告のため、まだ残留している日本兵を説得する任にもあたっている。
これらの体験談も貴重なものである。
捕虜収容所内での出来事・・・・
多くの戦記ものにも書かれてはいるが・・・
終戦後、一夜にして手のひらを返した朝鮮人の行動や、軍隊の階級が崩壊した中でヤクザが幅を利かしていたという具体的な話は貴重な「証言」である。
なかなかこういう具体的な話にお目にかかることはない。


今年の読書:71冊目



読書 | 03:27:23 | Comments(0)
筋肉痛!
今日は朝から筋肉痛である。
昨日の草刈が原因である。(笑)
内股と右手・・・・
しゃがんで草を刈っていただけで、内股がこんなに筋肉痛になろうとは・・・
普段の運動不足を痛感する。
で・・・
痛いついでに、今日も我が家の庭の草刈をすることにした。(笑)
こういうときは・・・少し体を痛めつけたほうが逆にいいのではないか?(笑)

日記 | 19:23:49 | Comments(0)
町内の草刈作業
今日は町内の草刈作業・・・
朝8時に、近くの公園に集合して、公園の草刈をするのである。
昨晩というか・・・今朝、寝たのは、いつもと同じ午前3時・・・・
4時間ほどの睡眠で、草刈作業に参加ということになる。(笑)

この作業・・・実は拙者は初参加である。
年に何回かあるのだが、前回は、拙者は東京に行っていて不参加。
で・・・その前は・・・無視!(笑)
だいたい、この作業を主催をしている団体がよくわからない。
「一斉清掃のお知らせ」というのがポストに入ってくるのだが・・・
主催は「桜川をよくする会」という会となっている。
しかし、会長名も住所も電話番号も記載されていない。
誰が責任者なのかわからないのである。(笑)
この一斉清掃の時は、わが町内では川沿いの公園の草刈をするというのが、昔からの恒例となっているらしい。

この主催をしている会がどんな会なのか知らないが・・・だからといって参加しないわけにはいかないようである。
先日も町内の“ヒルタさん”から「こういうことには町内会会長は積極的に参加するように」と釘を刺されているのである。(笑)

8時10分前には現地に到着。
世話役の“コバヤシくん”や“サトウさん”いた。
この作業が何なのか尋ねてみても要領を得ない。
とにかく「市役所のほうから頼まれて役を引き受けているだけ」なのだそうだ。
ということは・・・「桜川をよくする会」というのは実体がない会ということではあるまいか?
どうもわが市の「市民団体」というのは、よくわからん・・・

一生懸命草を刈っていたら、町内の“サトウのおばさん”から「そんなに丁寧にやらなくてもいいのに~」と声をかけられた。
一応、拙者は町内会の会長だし・・・ここは率先してやらねば・・・ねぇ~
「綺麗好きなんですねぇ~」といわれて唖然・・・
「いやぁ~別に綺麗好きなんかじゃないですよ」
「ご自宅の中もさぞかしキチンとされているんでしょう?」
「え?自宅?・・・いや、もうゴミ屋敷みたいに散らかってますよ」
「ご自宅の玄関先なんかにも花を飾ってキチンとして、すごいなぁ~と思っていたんですよ」
「いや、いや、もう玄関先も雑草がすごくてみっともない状態で・・・」
「女の方が住んでいるのかなと思うくらい綺麗にお花を飾って・・・」
「いやぁ~もう適当に植えたり並べたりしているだけでして・・」
「綺麗好きだから草を刈るのも丁寧なんですね~?」
誉められているのか嫌味を言われているのか・・・わからん・・・(大笑)

草刈を始めて50分後・・・・
“ヒルタさん”が、しきりに「いやぁ~綺麗になった!綺麗になった!」といい始めた。
これは独り言ではない・・・
「綺麗になった」は「もう作業をやめようよ」という意思表示に違いない。(笑)
案の定・・・
「おい、今、何時だ?」と拙者に声をかけてきた。
「8時50分ですけど・・・」
「8時50分だとさ!8時50分だけど・・・」と世話役の“コバヤシくん”に話しかける。
彼は拙者の中学のときの同級生で、同じ剣道部員。
だが・・・性格が合わないので全く仲良くない・・・(大笑)
で・・“コバヤシくん”は、この“ヒルタさん”の意図がわかっていない。(大笑)
「あ、8時50分ですか・・・では、このへんで休憩にしましょうか?」
「休憩?」
「休憩ですよね?」
「え~・・・かなり綺麗になったしねぇ・・・まもなく9時だし・・・」
「そうですね・・・それじゃ、ここで一旦、休憩にしましょうか?」

会話を聞いていて・・・じれったいことこの上ない・・・・(笑)
“ヒルタさん”は元市役所職員だけあって、肝心なところは蚊の鳴くような声で、はっきりとは言わない。(大笑)
昔からマイペースな“コバヤシくん”は、周囲の雰囲気が読めないところにもってきて、さらに皆を仕切るということができない。
小さな声で「休憩にしましょうかねぇ~」とつぶやくのみ・・・・
おい、おい、誰かはっきりと大声で「休憩にしましょう!」とか「終わりにしましょう!」とか言えよ~

「町内会会長、どうしましょうか?」と言われれば、拙者が仕切ってあげるんだけど・・・(笑)
拙者に言ってこないのなら、わざわざ、こっちから出しゃばることではない。

「休憩にしましょうかねぇ~休憩に・・・」と独り言を繰り返している人を相手にしていられない。
拙者は短気なのである。(大笑)
さっさと作業をやめて休憩することにした。
市役所からは、この日の作業のため、軍手と飲み物が配布されている。
それを開始時間までに現地に運ぶのが、どうも世話役さんの仕事らしい。
それだけを頼まれているから・・・集まった人を仕切るというところまではいかないようである。
一体全体、この作業の責任者は誰なんだ?(笑)

ベンチに座り、“サトウのおばさん”と再びおしゃべりをしているうちに、ようやく皆さんが集まって“休憩”となる。
と・・・ここで“ヒルタさん”が一席ぶった・・・
「こういう作業の時だけ集まるんじゃなくて、普段からこの公園の清掃や整備をして、普段からこの公園に顔を出し、お互いのコミュニケーションをとるというのが町内会として大事なことではないだろうか?」
さすがは元市役所職員である。
言うことが違う。
こういうときは声が大きくなるが・・・・
誰も反応を示さない・・・(大笑)
それもそうだ・・・だいたい、この公園の維持管理を町内会が任されているとは聞いていない。
たぶん、町内に元市役所職員がいるから、こういう作業にも駆り出されているだけの話で、実のところ誰もこの作業を好きでやっているわけではなさそうである。
その証拠に町内会の会員全員が集まってきているわけではないのである。(笑)
公園の目の前に住んでいる一部の人と、町内会の人ではないが、この公園でゲートボールをしているお年寄りのグループだけが集まったに過ぎない。
参加者の中から「蚊に刺されるしねぇ~」の声が上がったことで話が別の方向へ転じてしまい、“ヒルタさん”の提言は無視された。(大笑)

まもなく・・・
「では・・・お疲れ様でした!」と帰る人が出て・・・
「はい、お疲れ様でしたぁ~・・・それじゃ、私も帰ろうかなぁ~」と次々と帰っていく。
ん?休憩だったのではないか?
あれ?・・・自然解散?(大笑)
帰っちゃっていいの?

どうも、この草刈・・・格好だけのようで・・・(笑)
とりあえず、やりました・・・というパフォーマンスが重要で、どこまで綺麗にするかは問題ではないらしい。(大笑)
まぁ、「市民」のやることなんて、こんなものだろう。

日記 | 19:30:30 | Comments(2)
われ、八甲田山より生還す
『われ、八甲田山より生還す』
~弘前隊・福島大尉の記録~

高木勉 著
サンケイ出版 昭和53年7月4日 15刷
800円

Ⅰ 出発
黒溝台勝利に名を残す
  酷寒に強かった東北師団
  勝敗決する突撃
周到緻密な準備
  刻々強まる露西亜の圧力
  雪中戦闘の調査に没頭
  岩木山で予備訓練的雪中行軍実施
  綿密、卓抜な調査報告を提出
前代未聞の大計画スタート
  軍の常識こえる行動日程
  師団司令部に出頭
  実施結果は天皇へ上奏と決定
  適切な隊員への指示と関係方面への連絡
  歩兵第31聯隊雪中行軍人名表

Ⅱ 白龍制覇
第1日
  厳重な装備チェック
  新雪を踏みしめながら行軍開始
  実戦さながらの訓練混える
  初日で28キロ踏破
  行軍中の研究項目
  行く先々の力を借りる
第2日
  軍靴ではふんばり効かず
  カメラの設置に30分かかる
  岩木山訓練の経験いかす
  寒風の中に立往生
  靴下に唐辛子をまぶして凍傷防止
  福島式協力依頼法
  雪中行軍の履物・脚絆
第3日
  第一の難所・岩嶽森に挑む
  全員、雪の塊と化す
  住民の心づくしで士気回復
  用意の綱で腰を結び合う
  歩きながら間食
第4日
  兎を銃で仕止めて凱歌
  気象激変の兆しに緊張
  5聯隊との連絡、事前交流の事実なし
第5日
  猛地吹雪の中、難所・犬吠峠をめざす
  「前の者の足跡を見失うな!」
  転落者続出
  けがの一隊員帰営さす
  隠れキリシタン村の歓待
第6日
  行軍開始以来のごちそう
  三本木到着
第7日
  初の晴天に恵まる
  最大の難所・八甲田を前にする

Ⅲ 魔の山
第8日
  いよいよ八甲田の内ぶところへ
  目標は田代温泉
  案内人の経験とカンだけが頼り
  手足をこすれ、足踏みをつづけろ
  一致協力の露営設営
  仮眠が許されない夜
  生死の境をさまよう隊員
  病人、故障者続出のピンチ
第9日
  餅も水も凍りつく
  幽鬼さながら田茂木野に着く
第10日
  5聯隊遭難の報に驚く
  帰営急ぐ
  喜びの青森到着
  一時は福島隊も安否を気づかわれた
第11日以降
  梵珠山系踏破の予定を変更
  第12日
  「萬歳」の歓迎で弘前に帰営

Ⅳ 雪中行軍成功と福島隊
賛辞相次ぐ
  5聯隊遭難悲報の陰に壮挙消えかかる
  斉藤碧山の警世大論陣
  嚮導を使った理由
  第4旅団副官に抜擢
調査研究報告
  雪中長征成功のカギ
  酷寒対策に万全を期す
  “水筒にブランデー”は隊長と医官だけ
  間食はみだりに用いさせぬ事
  母親のような細心な注意
  食事と寝床に隊員の苦労をしのぶ
  詳細な“足”の研究
  1日の行程24キロ以内におさえる
  必死の舎営作業
  貴重な露営研究
  乃木将軍を感心させた地図作製
  綿密な気象観測
  白眉は軍事目的調査
  ユニークな土着の知恵発掘

Ⅴ 消えた史実
宴のあと
  左遷の噂もあった山形行き
  参謀本部からの誘い
  強く上官をいさめる
  ついに日露戦争に出動
  黒溝台に散る
壮挙の遺したもの
  合理精神が生んだ快挙
  山間に生きる人たちにも貴重な資料
  自衛隊が体験雪中行軍
  最新装備も役に立たず
『新田・八甲田』のフィクション部分
  二隊の行動目的は違っていた
  青森隊に指揮の乱れも計画不備もなかった
  弘前隊は青森隊の遭難者と出会ってはいない
  青森隊の遭難を目撃したというただ一人の証人
利根川べりに眠る
  伯父・福島泰蔵
  伯父の足跡をたどって八甲田へ
  多数の遺族と会う
  「このことは絶対いえないぞ」



かの有名な「八甲田山雪中行軍」の話であるが・・・・
ここに書かれているのは、多数の遭難者を出したほうではなく、無事に任務を完遂して帰還した弘前連隊の福島大尉の部隊の話である。
著者は、この福島大尉の甥・・・・
新田次郎の小説や、その原作をもとにした映画で、遭難をした「青森隊」がクローズアップされたが、おかげで「弘前隊」の偉業が忘れられてしまっているような気がする。
そういうこともあって福島大尉の甥が執筆したようである。
小説にはフィクションが混じっているのだが、世間の人は全てを事実(史実)と捉えてしまう。
その点を最後の章で明らかにしている。
福島大尉の「弘前隊」は、その任務を完遂したが、尋常ではない苦労をしてのことで、本書を読んでみるとそのすごさがわかる。
感動ものである。
さすがだと思うのは指揮官の福島大尉の緻密さである。
こういう指揮官がいたればこそ・・・といえる。
つい、我が祖父のことを思い出してしまった。
福島大尉は日露戦争において40歳で戦死した。
なんとも残念・・・・
こういう人が、長生きしてもっと上にあがってくれていたらなぁ~と思う。
気になるのが、「このことは絶対話せない」と弘前隊の37名が口を閉ざして墓場まで持っていってしまった「ある事」・・・・
いったい何だったのだろうか?
永遠の謎である。
本書は八甲田山雪中行軍の実態を知る好著である。



今年の読書:70冊目



読書 | 00:08:52 | Comments(0)
ツイッター?
先日、妹から「お兄ちゃんもツイッターをやったら?」と電話で言われた。
何?ツイッターって?
ツイッターとは「つぶやき」だという話を聞いたことはあるが・・・
WEB上でブツブツとつぶやくのか?(笑)
「あ~おもしろくねぇ~」とか「あ~退屈だぁ~」とか?
文字数は140文字以内だという。
かなり短い・・・
ということは、簡潔な言葉で内容を凝縮しなくてはならない。
が・・・なかなか難しいだろう。
そうなると・・・「言葉が足りない」という問題が生じる。
つまり誤解が生じる可能性も高いということになるのではないか?
となると・・・「つぶやき」しかない。
「あ~退屈だぁ~」「あ~疲れたぁ~」のレベルと言うことになるんじゃあるまいか?
詩や俳句や川柳を書くって言うなら話しは別だが・・・(笑)

最近、町の中を歩いていると、ちょっと“頭のおかしい人”に出会うことがある。
ブツブツと一人で何かをしゃべっていたり、ヘラヘラ笑いながら歩いている人がいる。
これを「つぶやき」または「ツイッター」とすると・・・(笑)
この人に近づいて、「そうですよねぇ~」なんて話しかける奴は100%いないだろう。
「変な人・・・気持ちが悪い・・・」と避けて通るのが普通である。
他人の「独り言」「つぶやき」に付き合う奴なんておかしいと思うんだけど・・・(笑)
どうもツイッターとなると、それがおかしいとは思わないようだ。

で・・・「フォローをする」という言葉が出てくるのだが、これの意味がまたまたわからない。(笑)
「フォロー」という言葉を聞くと拙者は「助ける」「補佐をする」というイメージを持つのである。
となると・・・他人の「独り言」「つぶやき」を「助けてやる」のか?
よくわからん・・・・

水戸藩士の“シミズくん”はツイッターをやっているそうで・・・
それに我が愚妹が「フォロー」したそうである。
もう何のことやらさっぱりわからん!(笑)
拙者はカタカナ文字が苦手である。(笑)

ホームページ(ウェブサイト)を公開していると、いろんな人からメールをいただく。
が・・・呆れるようなメールも多い。
いきなり「ちょっと教えてほしいんですけど~これ、わかりますか~」・・・・
たった1行か2行で書いてくる奴がいる。
お前、誰なんだよ!
誰に向かってメールを書いてるんだ?
中には用件がわからないものもある。
独り言なのか、自慢話なのか・・・結局何が言いたいの?拙者に何の用事があるの?
困った奴らが多い。
何しろ書き方が雑である。
雑でもいいと思っている。
それを「コミュニケーション」って言って憚らないんだから恐れ入る。
どこが「コミュニケーション」なんだか・・・拙者には理解できない。

自分の名前も住所も相手にはわからないから、何を書いてもいいと思っているようだが・・・
書き手の「レベル」が知れる。
お粗末なのは、「是非お会いして直接お話をしたい」というメール・・・・
その前に、あんたがどこに住んでいるかを書けって言いたいんだよねぇ~(笑)
自分の住んでいる場所を教えずに拙者に会いたいって言われてもねぇ~
北海道や沖縄だったら、そうそう容易には会いには行けないんですけど・・・・

この「ブログ」は「日記」である。
他人に公開している日記である。
そもそも拙者が廃業したときに、その後拙者がどうしているのかとよく尋ねられた。
いちいち、夫々に同じ話をするのは面倒である。
ということで・・・「ブログ」をやることにしたのである。
日記を書いて公開することで、それを見てくれりゃわかるだろう?(笑)
そもそものきっかけはその程度のもの・・・・
それがいつの間にか5年も続いてしまっている。(笑)

さて・・・・ツイッター・・・ねぇ~
いまさら、そんなものに手を出す必要があるのか・・・・

今晩は水戸藩士の“シミズくん”と外食・・・・
「ツイッターって何だ?」と尋ねたら・・・
「年寄りには理解はむずかしいでしょうが・・・」とか、「年寄りには無理でしょうが・・・」とか、拙者を“年寄り”呼ばわりをしたのである!
なんという後輩か!(笑)

“シミズくん”はツイッターに「ツイート」すると、140文字に収まらないので、いくにも分けて書いているんだとか・・・
それじゃ意味ないジャン!(笑)
ブログにしたほうがいいんじゃないか?

我が愚昧は「シミズさんのツイッターは勉強になる。まともなツイッターが少ない中で、貴重な存在だ」と言う。
だから拙者にも“参戦”しろと言うのだが・・・・
う~ん・・・気が乗らねぇなぁ~

ツイッターをやると交友範囲が広がるとか・・・
相手の交友関係もわかるので、意外なところで知り合いに会うから面白いとか・・・
いろいろあるそうだが・・・
あくまでもそれはウェブ上でのことで、本当の交友関係は違うんじゃないか?
どうもバーチャル的なものに毒されてはいまいか?
そして肝心の人間関係・・・直接、顔を合わせての人間関係が疎かになってはいまいか?
小さな子供がウルトラマンになりきって遊んでいるのは結構なことである。
空想の中、仮想の世界の中で大いに遊びたまえ。
しかし、本気でウルトラマンになりきっている大人がいたら・・・これは馬鹿である。(大笑)

こんなことを言っているから「ジジイ呼ばわり」されちゃうのか?

日記 | 12:11:27 | Comments(0)
大腸癌検査?
市の健康推進課というところから大腸癌検診の申し込みの封書が届いた。
なんだ・・・これ?
こういうものが過去に届いたという記憶はないのだが・・・

どうも市では無料で大腸癌の検診をしてくれるのだそうで・・・
へぇ~・・・である。
震災の復興でお金がかなりかかって大変だと思うのだが、そういうときに無料で・・・
へぇ~たいしたものだ・・・
大丈夫かね?(笑)

どうして大腸癌の検診・・・なんだろう?
我が市民が大腸癌で大量に死んでいるというわけでもあるまいに・・・(笑)
わからんが・・・
とにかく検診を勧められたんだから、申し込んでおくことにする。
なんて拙者は素直なんだろうか?(大笑)

日記 | 12:27:36 | Comments(0)
妹のライブ
今日は妹のライブを聴きに東京へ行く。
今回は“カジさん”ご夫妻をご招待。
奥様にお会いするのは8年ぶりぐらいではなかろうか?
妹へのお花まで用意していただき恐縮である。
いつも、ご馳走になりっぱなしなので今回ご招待したのだが・・・
逆に散財させてしまったかな・・・・申し訳なし。

今回の場所は赤坂・・・
拙者は案内役なのだが・・・・一度も行ったことがない。(笑)
ちゃんと辿り着けるかと不安・・・・
なんとか無事に到着したが、早目に到着したため、会場内で開場まで座って待っているというわけにはいかないそうで・・・(笑)
お店の人に“追い出され”・・・(笑)、仕方がないので周辺を散策して時間を潰す。

妹のピアノと“ハスミさん”のギターは何度も聴いている。
今回のお目当ては、実は藤舎さんの篠笛なのである。
藤舎さん・・・本名はジャネットさん・・・・
米国人で、経済評論家・コンサルタント・起業家の“オオマエケンイチさん”の奥様である。
この篠笛とのコラボがいいんだなぁ~(喜)

ギタリストの“ハスミさん”から新しく出た彼のCDを頂戴する。
購入しようかと思っていたのだが、「いつもお世話になっているから」とプレゼントされてしまった。
いやはや申し訳なし。
感謝、感謝・・・・

妹の嫁ぎ先のお姉さんに何年か振りでお会いする。
姪っ子が生まれたころにお会いしたのが最後だろうから・・・17~18年ぐらいになるだろうか?
従妹にも会った。
彼女と会うのは何年振りだろう?(笑)
とにかく、久しぶりに合う顔ばかり・・・(大笑)
覚えているのは小学生の時に一緒に花火大会を見に行ったのが最後である。
その後会っていない訳はないはずだが・・・
祖父母の葬式やらで会っていると思うし、母が入院しているときにお見舞いに来てくれたような気もする。
どうも記憶力が悪い・・・・
そうなると、最後に会ったのは4年ほど前ということになると思うのだが・・・
いずれにせよ、言葉を交わすのは何十年ぶりということになる。

1部、2部通して、何だかんだで10時頃になってしまった。
妹達は打ち上げかな?
妹達のこの後の行動までは拙者は知らない。(笑)
拙者は“カジさん”ご夫妻と上野駅まで行き、お別れ。
満足してもらえたかな?
「こういう生の演奏を聴いたのは初めて」とおっしゃってくださったので、ありがたかった。
今日は、久しぶりに充実した日が過ごせた。
“カジさん”ご夫妻に感謝、感謝である。

日記 | 18:16:38 | Comments(0)
靴磨き
出かけるときになって慌てるのが革靴の靴磨き・・・である。
埃まみれの薄汚れた革靴を慌てて磨いてから出かけることが常である。
帰宅後に磨いておけば、急に出かけるときには磨かなくて済むものをと思うのだが、生来の怠け者である・・・ついつい靴磨きをサボってしまう。

今履いている革靴は平成20年6月15日に購入したものである。
もう3年も履いて、かなりくたびれている革靴である。
なぜ購入した日まで覚えているのかと言うと・・・・
この日は大阪の護国神社で慰霊祭があった。
で・・・慰霊祭後、脱いだ靴を探したのだが私の靴が見当たらない。
最後に残ったのは見知らぬ一足の革靴・・・
しかも、サイズがちょっと小さい・・・
当日はうちの戦友会だけではなく、他にも所要で来ていた人たちがいたので、どうもその中の一人が間違って私の靴を履いて行ってしまったようだ。
仕方がないので、残されたサイズの小さな靴を履いて、靴を購入に出かけたのである。
しかし、見知らぬ土地で靴屋を探すのは大変だった。
ようやく見つけた靴屋は若者向けの靴しか置いてなかったが、偶然、一種類だけビジネスシューズが置いてあったので、デザインも何も関係なく購入した。
それが、今履いている靴である。

とりあえず・・・で購入した靴を3年も履いているのだから“物持ちがいい”と思われやすいが、本当は改めて靴を買いに行くのが面倒くさくて、そのうちズルズルと今日に至ったというのが真相である。

この革靴に靴墨を塗って磨いている時に、いつも思い出すのが我が社のパート従業員の言葉である。
「専務はいつもきちんと磨いた靴を履いていますよねぇ。いつも感心して見ているんですよ。うちの息子はいつも汚い靴を履いて会社に行っているから、今度、専務を見習うように言おうかなと思っているんですよ。やっぱり足元がキチンとしている人は違いますねぇ~」と誉められてドキッとした。
従業員は経営者の足元まで観察しているのか・・・と・・・
いつも靴を磨いているのではなく、たまたまなのである。
当時は月に1回は東京へ出張していたので、そのときに磨いていただけのことである。
私の靴を誉めてくれたこのパート従業員は、その後まもなく癌を患ってこの世を去った・・・・
今でも靴を磨くたびに彼女の言葉を思い出す。

私が革靴を初めて買ったのは小学6年生の時である。
当時、親父と一緒に夜間、工場の見回りをしていた。
(今思えば、小学生に工場の巡回をさせるんだから、児童福祉法違反である・・・笑)
親父の後ろをついて懐中電灯を持って工場内を巡回した。
そのときの親父の革靴のカツ、カツ、カツという音が、なんともたまらなく好きだった。
早く俺も革靴を履いて親父と同じ靴音をたてて歩きたいと、小遣いを叩いて買ったのが最初である。

初めて買った革靴に靴墨を塗ったが、小学生のことである・・・靴の磨き方など知らない。
そのままにして、布で拭き取ることもしなかったので、靴は光沢がない・・・
しかも、触れば手が真っ黒になるし、履けばズボンの裾が真っ黒になり、悲惨な目に遭った。
靴墨を塗った後、布で拭いて磨くということを知ったのは、それからずいぶん後のことである。

よく出張で東京に行った時には、路上の靴磨き屋さんに靴を磨いてもらった。

あれは・・・新宿駅・・・・
あの当時、一足200円か250円が靴磨きの相場という時代に、一足1000円の看板を出していた靴磨きのオジサンがいた。
何かの間違いではないかと、いつも気になっていたのだが、靴磨き代が1000円って、どんなものなのだろうかと面白半分、思い切って、このオジサンに靴を磨いてもらったことがある。
通常、靴磨きは10分か15分もあれば終わってしまうのだが、さすがに1000円の靴磨きは違った。
片方だけで15分、両足で30分もかけての靴磨きには驚いた。
私の薄汚れた靴はピカピカ!
今でもあの時の感動は忘れられない。
「一足1000円」の看板を出していることだけのことはあると感心したものである。
このオジサンの話によれば、戦後の既得権で警察から路上での靴磨きの許可を得ているが、これは一代限りだという。
この権利は他人はもとより自分の子供にも譲ることができないのだそうだ。
「昔は、このあたりに一杯靴磨きがいたんだけどねぇ~今では、俺ぐらいしか残っていないんだよ。みんな死んだりして辞めちゃったからねぇ~」と言っていた。
数年後、その場所に行ってみたら、この靴磨きのオジサンの姿は見当たらなかった。
辞めちゃったんだろうか・・・・死んじゃったんだろうか・・・
さびしい思いをしたのを記憶している。
もう20年以上も昔のことである。

昔は上野駅の構内にも靴磨きの人がいた。
東京へ出張して地下鉄銀座線を利用して移動するときには、まず最初にここに立ち寄り、靴を磨いてもらってから会議に出かけたものである。
その後、上野駅構内がリニューアルされるにあたって、この靴磨きコーナーが撤去された。
もう10年ぐらい前のことだったと思う。
弟の結婚披露宴に出るため、親父とお袋を連れて上野駅に降り立った。
「そうだ・・・靴を磨いてから行こう!」ということで、親父を誘って靴を磨いてもらうことにした。
いつもお会いする“おばちゃん”と世間話をしながら靴を磨いてもらう。
そのとき、「今日が営業最後の日なんですよ」と言われ驚いた。
なんという偶然か、最後の日に靴を磨いてもらったのである。
この“おばちゃん”には何度も靴を磨いてもらっていたので、顔なじみである。
「で・・・この後は、どこで仕事をするの?駅の近くですか?」
「それが、今後のことは全くわからないんですよ」
「じゃぁ、もう会えない?」
「そうですね・・・いつも利用してもらっていたのにねぇ~」
いやぁ~ショックだった・・・
靴を磨いてもらった後、親父が「お前は知らない人とよくおしゃべりができるなぁ~」と呆れていた。
あの“おばちゃん”も、どうしているのかなぁ~
上野駅の“おばちゃん”のことも思い出す。

どうして「靴磨き」を追い出すのだろうか・・・・
こういう商売も必要な商売だし、生活費を稼ぐための選択肢の一つであっていいのではないか?
生活費を稼ぐ=会社に勤める・・・では、選択肢がない。
これでは会社に勤められなければ生きていけなくなるということになる。
これでは日本の経済がよくなるわけがない。
靴磨きで稼いで子供を育て上げた人もいるのだ。
靴磨きという選択肢を奪うのは得策じゃないと思うのである。
人それぞれに向き不向きっていうのがあるんだから・・・
会社勤めが苦手な人はどうやって食っていけばいいのだ?
世の中・・・間違っとる!
靴を磨くたびにそう思う・・・・

エッセイ | 02:04:25 | Comments(0)

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