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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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激闘戦車戦
激闘戦車戦―鋼鉄のエース列伝 (光人社NF文庫)激闘戦車戦―鋼鉄のエース列伝 (光人社NF文庫)
(1999/09)
土門 周平、入江 忠国 他

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第1部 日中戦争篇 土門周平
 青史を飾る初陣の時
 上海を駆ける
 酒井兵団長の硬骨
 一番槍初陣録
 豪勇・西住戦車隊長
 南京攻略の立役者
 大陸の覇王
 感激新たなり
 ノモンハンの雄
 快速追撃隊
 三羽烏功名記

第2部 太平洋戦争篇 入江忠国
 奇蹟の挺進隊
 サムライ戦車隊長
 栄光の日々
 シンガポール陥つ
 南十字星の戦場
 要塞陥落の波紋
 宿敵を倒した頭脳戦術
 洛陽に残る功名
 太平洋の防波堤
 戦車特攻に死す
 ルソン持久戦始末
 非情なる運命
 本土決戦前夜(1)
 本土決戦前夜(2)
 最後の戦い



我が戦友会関係者のお名前を発見して驚くと共に、嬉しかった。
名前が出てきた方の中で、今もご存命なのは・・・戦車第6連隊の指宿さんぐらいかなぁ~
寂しくなっちゃったなぁ~


今年の読書:67冊目



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読書 | 14:08:22 | Comments(0)
連合艦隊戦訓48
連合艦隊戦訓48―戦訓から学ぶ発想の転換 (光人社NF文庫)連合艦隊戦訓48―戦訓から学ぶ発想の転換 (光人社NF文庫)
(1996/04)
佐藤 和正

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1 見逃した石油タンク
2 指揮官の適材適所<南雲忠一>
3 早期避退した機動部隊
4 待ちぼうけの潜水艦隊
5 兵は拙速を尊ぶ
6 人心掌握
7 油断の帝都空襲
8 ミニ・ミッドウェー
9 ミッドウェーの悲劇を予告
10 兵力は集中すべし
11 帷幄の指揮官と実戦指揮官
12 楽観気運と機密の漏洩
13 偽電にひっかかる
14 不用意な索敵計画の変更
15 欠けていた空母の防御法
16 被害対策の不備
17 戦場心理ー2つの誤報事件
18 海戦と隊形
19 「鈴谷」のフェイント航法
20 敢闘精神
21 敵機をケムに巻く
22 奇蹟のキスカ撤収作戦<木村昌福>
23 捨て身の操艦法
24 兵とは詭道きどうなり
25 船団護衛のMVP
26 部下統率の判断
27 レイテ沖反転の動機
28 独戦艦ザイドリッツの戦訓
29 「利根」の戦闘判断
30 人命救助で戦力低下!
31 非情命令が艦を救う
32 遭難者に対応する2つの顔
33 捕虜への報復
34 非戦闘員を逃がす人情艦長
35 戦いの中の人間愛
36 私心を交えぬ配慮<山本五十六>
37 無欲が生んだ統率力<小沢治三郎>
38 海軍を硬直化した軍令承行令
39 危機に臨んで泰然<東郷平八郎>
40 巨艦「大和」無用の戦訓
41 ダバオ誤報事件
42 手痛い誤報の余波
43 不信の代償
44 過ぎたるは及ばず
45 潜望鏡の誤認事件
46 危機脱出のジグザグ運動
47 窮すれど通ぜず
48 成功した指揮官更迭



今年の読書:66冊目






読書 | 13:45:04 | Comments(0)
三ノ丸の土塁
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三ノ丸の土塁

江戸時代の城郭は、幾重にも濠ほりや石垣、土塁で囲まれていた。
三ノ丸、二ノ丸と城内を区切るのは石垣と濠である。
「三ノ丸」と西曲輪くるわを区切っているのは、この背後にあるような土塁と濠だった。
石垣は多く残っているが、土塁がそのままの形で残っているのはこの付近だけである。
他の場所の土塁は、明治以降に石垣に変わったり、切り崩されていたりした。
ここの緑地帯は江戸時代には濠だった。
幕末の「藩士屋敷絵図」によると、濠の幅は8間半(約15m)となっているから、歩道の一部も濠だったことになる。
深さは5尺(約1.5m)だった。
このような土塁と濠は、江戸時代にはここから南へ、西小倉小学校下から、田町のはずれまで続いていた。
また、この付近に三ノ丸から西曲輪に出入りする田町口門があった。
その内側(中学校側)には門番屋敷があったように記されている。
この土塁の内側は高級武士の屋敷が立ち並び、曲輪には武士と町人が混住していた。

小倉北区役所

(説明板より)


史跡 | 13:32:14 | Comments(0)
歩兵第十四連隊跡地を歩く
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ホテルの部屋から見た景色・・・・
目の前の公園は「勝山公園」といい、昔、ここに歩兵第14連隊があった。

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目を左に転じる・・・
橋の近くのマンションのような建物がある場所あたりが、大阪造兵工廠小倉兵器製造所があった場所。

ホテルをチェックアウトして、荷物をフロントに預かってもらい出発!
今日は、この歩兵第14連隊跡地を散策してみることにする。
まずは、跡地に建っている市立文学館へ行ってみる。
台風が近づいているからなのだろう。
今日は昨日とは一転して曇天・・・雨もチラチラ降り出した。
こういうときは・・・建物内での見学がいい。(笑)

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市立文学館は、市立中央図書館に併設されている資料館。
余り大きくない資料館だが、小倉出身の作家や文学者の資料が展示されている。
面白いのは手書きの原稿。
字の丁寧な人もいれば、そうでもない人もいる。
その人の性格が現れているかも・・・・(笑)
昔は、原稿といえば手書きだが、今はどうだろう?
パソコンを使って原稿を書いたのでは、読みやすいだろうが、こういう「資料」にはなりえないのではないだろうか?
そうなると、こういう「文学館」なんていうものも成り立たなくなるかも・・・・
便利になったのはいいが、面白くなくなってしまったかもしれないなぁ~(笑)

文学館を出て・・・ふと思った・・・
どこかに「歩兵第14連隊跡」なんていう碑が建っていてもいいんじゃないか?(笑)
もしかしたら、どこかにあるんじゃなかろうか?
というわけで、あるのかないのかわからないにもかかわらず、連隊跡碑の探索をすることにした。
まず、最初は・・・あのあたりかなぁ~
あのあたりならありそうだよなぁ~・・・と近づいていったら・・・あった!
一発で見つけ!
この勘の素晴らしさ!感動モノである!(喜)
長年の経験の賜物という奴である。

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「歩兵第十四連隊跡之碑」・・・昭和8年に建立されたものなので、碑文が劣化していて読みづらかったが何とか書き写す。(笑)

このあとは、小雨の降る中、傘を差して周囲の散策に移る・・・・

603_convert_20111016122144.jpg(思永中学校)

思永中学校のあたりは、歩兵第14連隊兵営に隣接していた「小倉兵器支廠」があったあたりだろう。

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このあたりが、兵営の北の端かな?

周囲を一周するといっても、かなりの距離がある。
この兵営の隣には練兵場があったが、今はビルなどが立ち並んでいて、その面影はない。
これはどこでも似たり寄ったり・・・・
練兵場跡は、平坦な広場ということもあって、戦後は農地に転用され、その後、住宅地へと変わる例が多い。
さて、ここにも記念碑のようなものがあるかどうか・・・・
時刻はお昼・・・
“柳の下にドジョウが2匹”いるかどうか・・・・(笑)
あまり散策に時間を取り過ぎて帰りの飛行機に間に合わなくなるといけないので、練兵場跡周辺の散策はあきらめホテルに戻る。
ホテルのフロントに預けておいたカバンを受け取り小倉駅へ・・・
小倉から新幹線で博多へ行き、地下鉄に乗り換えて福岡空港へ向かう。

時刻はまもなく2時・・・・
チェックインを済ませ、遅い昼食をとることにする。
何気なく入ったレストラン・・・
席に座って気がついた!
今年の2月にもこのお店のこの席に座って食事をしたんだっけ!(笑)
席についてから思い出すんだから、いかに記憶力の悪い男か・・・我ながら呆れる。

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そうだ・・・後輩の“オダクラくん”にお土産を買ってあげるのを忘れていた!
「今、小倉にいるよ~」と電話だけしてお土産をあげなかったら申し訳ないだろう(笑)
震災のときにも何かと気遣ってくれて助けてもらったしねぇ~
急いでお土産を空港内の売店で買い、彼に連絡・・・・
駅まで迎えに出てくれるという。
あら・・・申し訳ない・・・(笑)

結局、たいした土産ではないのだが、それを餌に駅まで迎えに来させてしまった・・・
お土産は逆に迷惑だったかな?(大笑)
駅から真っ直ぐ自宅には戻らす、途中、ファミリーレストランに寄り一緒に夕食を食べながら雑談。
帰宅したときには、真っ暗・・・・すでに親父は寝ていた・・・・(大笑)

旅行 | 11:21:43 | Comments(0)