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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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お土産の大人買い?
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ホテルの朝食は・・・「フグ雑炊」!
拙者は洋食党なのだが、今回は特別である。
昨日チェックインの際、フロントの女の子のご推薦をいただいた。
朝から雑炊というのもなぁ~とは思ったが、限定20食か25食で、「是非!」と言うので頼んでみたのである。
で・・・これがなかなか美味しい!
いやぁ~満足!満足!(笑)

ホテルをチェックアウトして・・・・
今日は半日だけ下関を観光して、午後には福岡県北九州市の小倉に移動する予定。
下関なんて、たいして見るところはないだろうからと、1泊2日にしたのが間違いだった。
まだまだ見ていないところがある。
今日は歩いて・・・というわけにはいかない。
時間がもったいない・・・急がねば!

が・・・その前に、お土産を買わねば!(大笑)
戦友会の“おじいちゃん”“おばあちゃん”や遺族会の方等々にお土産を送らねば・・・
これは拙者の旅行の「恒例行事」である。(笑)
昨日、下関に到着したときに駅構内のお土産屋さんを覗いて、目星は付けておいた。
昨晩は、ホテルの部屋で一筆箋に「お手紙書き」である。
で・・・まずは、駅構内のお土産屋さんへ・・・
「あら、昨日来た方ですよね?」
「はい、昨日は下見です(笑)・・・・これ、15箱ください。宅配便で送れますよね?」
「送るんですか?」
「はい、全国各地に・・・」
「え?別々のところにですか・・・宅配便代がかなりかかると思いますけど・・・」
「はい、わかってますよ・・・いつものことですから(笑)」
レジのところの机を借りて送り状を書きまくる。
見かねて店員さんも手伝ってくれる。(笑)

「この手紙をそれぞれの箱に貼って送ってくださいね」
「いいですけど・・・あらら・・・こんなに・・・」
「手紙を付けないと、何でお土産が送られてきたのかわからないんですよ。みなさんお年寄りだから(笑)」
「全国各地に送るんですよね?」
「うん、愛知県でしょ、奈良県でしょ、大阪府でしょ・・・・」
店員さんも宅配便の料金表を見るのに大忙し・・・(笑)

「これ・・・かなり料金がかかりますけど・・・いいんですか?」
「はい、いつものことです」
「はぁ?いつもこんなに買うんですか?」
「これでも今回は少ないほうです(笑)」
「へぇ~」
「え?15箱も買う人って珍しいですか?」
「まず、いませんねぇ~(笑)」

実は・・・おじいちゃん達や知人の住所は持参してきたのだが、一部の友人達の住所が書いてある手帳を忘れてきてしまったのである!(大笑)
そのため今回はお土産を送る先が少ないのである。
通常なら、こんなものでは済まなかったりするのである。(笑)

「あのぉ~お支払いはカードでしょうか?現金でしょうか?」
「へぇ?どちらでもいいですけど・・・カードよりは現金のほうがいいですか?」
「そりゃもちろん現金のほうがいいです!(大笑)」と女子店員。
「でしょうねぇ~(大笑)」

「それにしてもねぇ~・・・」とこの店員さんは、さっきから呆れている。
「そんなに珍しいですかね?」
「はぁ~」
「この人は、92歳でしょ、この人は90歳、この人は・・・88歳かな?」
「へぇ~」
「みなさんご高齢ですからね~楽しみがないでしょ?そこへ突然宅急便が!・・・って、これ、楽しいでしょ?」
「そりゃそうですけど・・・ねぇ~・・・」

今回は下関だし・・・奮発して「フグの一夜干し」!
昨晩、同じ製品ではないとは思うが、どういうものか夕食の時に食べてみて、これなら高齢者にも大丈夫だろうということで、これに決めた。
中国産のものはちょっと安いが、中国産では申し訳ない。(笑)
やっぱり、ちょっと高くても国産じゃないとね!(笑)
結局・・・もう1回、旅行ができるくらいのお金がかかってしまった!(大笑)
生前、母から「お前は経済観念がない」とよく言われたが・・・
確かに・・・ない・・・(笑)

拙者にとってはお金の問題ではない。
楽しければ、それでいいのである。(笑)
以前、お送りしたある方からは・・・
「こんな美味しいものを息子夫婦なんかには食べさせたくないので、ばあさんと二人でコッソリ頂いています」というお礼状をいただき大笑いした。
もう、その様子が目に浮かぶようである。(笑)
これが楽しんだよねぇ~
こうなると・・・辞められなくなるのである。(大笑)
これは病気である・・・・

これがいつまでも続くわけではない・・・・
みなさんご高齢である・・・・
毎年、何人かがお亡くなりになる。
そのうち、お土産を送ってあげたくても、送る相手がいなくなるだろう。
そう思うと、今しかない・・・と思うのである。

さんざん、おしゃべりしながらお土産の発送手続きを済ませ・・・・
タクシー乗り場に急ぐ。
今日は半日しか時間がないのである!
タクシーを利用して素早く移動せねば!(笑)

旅行 | 10:27:08 | Comments(0)
天保製長州砲
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天保製長州砲

幕末、開門海峡での6次にわたる攘夷戦は、元治元年(1864)8月、長州藩兵と英・仏・蘭・米4カ国連合艦隊との交戦をもって終結したが、同時にこれは明治維新の具体的始動につながった。
この歴史的事件で下関海岸砲台に装備された長州藩の青銅砲は、すべて戦利品として外国に運び去られ国内から姿を消していた。
1966年春、渡欧中の作家古川薫氏がパリ・アンヴァリッド軍事博物館に保管されている攘夷戦長州砲を発見、以来返還運動が進められたが実現困難なところ、郷土出身の外務大臣安倍晋太郎氏の努力とフランス政府の好意によって1984年6月、貸与の形で里帰りを見るに至った。
この機会に下関東ロータリークラブでは、フランス政府の了解を得、創立20周年記念事業として、これを原寸大かつ精密に模造し下関市に寄贈した。
同長州砲は天保15年(1844)萩藩の鋳砲家郡司喜平治信安の手になるもので、幕末日本人の対外危機感を象徴する歴史的逸品である。
鎖国に眠っていた日本史がようやく世界史に組み入れられる瞬間を目撃したこの物言わぬ証人を、海峡のほとりへ永久に安置しようとするのは、歴史に富むこの地の発展と世界平和を祈念する趣旨にほかならない。

(説明板より)


史跡 | 20:49:40 | Comments(0)
長州砲
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長州砲(八十斤加農かのん砲)

文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃しました(攘夷戦)。
翌年8月、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため下関にやってきました。
海峡の最も狭い所に築かれたこの壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を果たしましたが、連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊されました。
外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕へと転換し、明治維新を実現する原動力となりました。
長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて損害を与えるものでしたが、連合艦隊の新しい大砲は距離・威力ともはるかにすぐれたものでした。
この大砲は、幕末に数多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型(下関市立長府博物館蔵)を参考に、原寸大に復元したレプリカ(FRP製)です。
砲身に刻まれた文字は、パリのアンヴァリッド軍事博物館が所蔵している、これとほぼ同型の長州製青銅砲の砲身を模刻しています。

下関市 【監修/古川 薫(直木賞作家)】

(説明板より)


史跡 | 19:29:53 | Comments(0)
平家の一杯水
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平家の一杯水

寿永4年(1185)3月24日、源義経を総大将とする源氏と平知盛が率いる平家は、最後の一戦を壇ノ浦でくりひろげました。
開戦当初は、東向きの流れに乗った平家が有利に戦っていました。
やがて、潮の流れが西向きに変わり始めると、源氏方は反撃を始めました。
潮流に乗った源氏は、平家の船を操る水夫かこと舵取りを弓矢で狙いました。
こぎ手を失った平家の船は潮の流れに引き込まれ、完全に自由を失いました。
そうなると、勝敗はもうはっきりしています。
平家方のある者は捕らえられ、または海に沈み、または傷を受けてようやく岸にたどり着いた者もありました。
そのうちの一人の平家の武将は、全身にひどい傷を受け海に落ちましたが、命がけで泳ぎ岸にたどり着きました。
その武将は傷の痛みと疲れで喉がカラカラに渇ききっていました。
あたりを見渡すとわずかな水たまりを見つけたので、武将は痛む体を引きずって水たまりに近づき、その水を手のひらにすくい喉をうるおしました。
その水の美味しいこと、武将にとっては命の水とも思えるものでした。
あまりの美味しさに夢中になって二度目を口にしたところ、大きくむせて吐き出してしまいました。
不思議なことに真水は塩水に変わっていた、といわれています。

(説明板より)


史跡 | 19:11:47 | Comments(0)
前田砲台跡
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前田砲台跡

「前田砲台」は外国船来航などにより緊張が高まった幕末に、長州藩が諸外国の排除を目的とした攘夷戦争に備えて十数ケ所に設置した砲台のひとつです。
開門海峡に面した茶臼山山麓の標高10mほどに設置された低台場と標高16mほどに設置された高台場からなり、青銅製の大砲(長州砲)20門を設置した中心的軍事施設でした。
文久3(1863)年5月、長州藩は攘夷(諸外国の排除)を決行し、関門海峡を通過する米仏蘭の艦船に対し、海峡沿に設置した砲台や軍艦から三度にわたり砲撃を加えました。
しかし、翌6月には、米軍艦が報復措置として長州藩の軍艦を砲撃、沈没させたのに続き、仏軍が前田砲台(低台場)を攻撃、破壊しました。
この攻撃後、低台場の補修と高台場の急造がなされ、前田砲台は補強されましたが、翌元治元(1864)年8月5日、英米仏蘭の四国連合艦隊が集結し、再度関門海峡沿いの砲台に対して砲撃を加えました。
この激しい攻撃により、長州藩は大敗を喫し、前田砲台は連合軍に占領されました。
砲台関係施設はことごとく焼き払われ、設置された大砲は、すべて戦利品として接収されました。
この四国連合艦隊による砲撃事件は、下関戦争とも呼ばれ、長州藩において尊皇攘夷から開国を主張する勢力が台頭する契機となり、ひいては、明治維新以降の日本の近代化へ続く大きな転換期の端緒として、極めて重要な意味を持ちます。
また、その主要な舞台としての役割を果たした「前田砲台跡」もまた、重要な価値を持っているといえます。
「前田砲台跡」は平成11年~14年に、山口県教育委員会により、発掘調査が実施されました。
調査の結果、大砲の具体的設置状況は不明であるものの土塁、排水溝、大砲設置平坦面および作業ヤードと考えられる後背平坦面等、砲台施設の一部が検出されました。
また、激しい戦闘の様子を物語るように、低台場では四国連合軍の艦船から打ち込まれたものと考えられる砲弾が、地中にめり込む形で発見され、また、両台場とも占領後に焼き払われたことを示すように、焼土の堆積が確認されました。
この発掘調査の成果と、連合艦隊占領時に英国軍により作成された測量記録の対比から、「前田砲台」の具体的な構造が明らかとなりました。
なお、連合軍により接収された大砲(長州砲)の1門が120年後の昭和59(1984)年、永久貸与の形でフランスの軍事博物館から下関市に里帰りしました。
現在、市立長府博物館に展示されています。
また、壇浦砲台が設置された関門橋付近のみもすそ川公園には、筒先を関門海峡に向けた長州砲のレプリカが並んでいます。

平成20年12月 下関市

「前田砲台跡」を世界遺産に!
下関市は、平成19年12月、九州・山口の6県10市と共同で、世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書「九州・山口の近代化産業遺産群ーー非西洋世界における近代化の先駆けーー」を文化庁に提出しました。
平成20年9月には、「九州・山口の近代化産業遺産群」が文化審議会文化財分科会世界文化遺産特別委員会における調査・審議の結果、「世界遺産暫定一覧表記載文化資産」とされました。
「前田砲台跡」は、当該資産の構成資産の一つであり、下関市は、「前田砲台跡」が世界遺産に登録されることを目指しています。

(説明板より)


史跡 | 18:40:53 | Comments(0)
長府から下関まで歩く!
下関から長府までタクシーで来たは良いが・・・・
さて、どうやって帰ろうか?
タクシーを捉まえたくても、タクシーが見当たらない・・・(笑)
国道を走るバスは、どうも終点が下関駅のようだから、これに乗れば迷うことなく下関にいけるのだろうが、拙者はバスに乗るのは好きではない。

いっそ、歩いてみようかと歩き出したら、「下関まで8km」の標識を見つけた。
8kmかぁ~・・・・たいして遠くはないだろう。
歩いて歩けないことはない距離だろう。
なにせ、以前、自分の町の駅から隣り駅まで歩いたことがある。
1時間ぴったりで会議会場である駅前のホテルに着いたから・・・
たぶん、大丈夫だろうと歩くことにした。
まぁ~1時間もあればホテルに戻れるだろう。

15分ほど歩いたら、「関門医療センター」という国立病院の前に碑が建っているのを発見!
「軍令部総長伏見宮博恭王殿下飛行御上陸記念碑」と書いてある。

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この碑は、海軍軍令部総長の伏見宮殿下が、昭和9年3月14日に、この地に飛行機で着水し、ここから下関へ陸路で向かったとか。
どうも海軍志願兵の徴募状況の視察だったらしい。
当時としては、なかなか派手なことをしたもんだ・・・

こういう碑に出遭うというのは徒歩でなければねぇ~
車に乗って移動したのでは、見過ごしてしまう。(笑)

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海岸沿いの国道をテクテク歩くが・・・
歩道を歩いている人なんかいない!
スーツ姿で、テクテク歩いている拙者って何者?(笑)
車に乗っている人は不思議に思うだろうなぁ~
で・・・時刻は5時40分・・・
あれ?おかしい・・・もう40分も経っているのか?
関門橋が遠くに見える。
タクシーであの下を通った時に、おおよそあの橋が長府から下関までの中間地点だと思っていたのだが・・・あれ?間違ってた?
まもなく歩き出して1時間・・・で・・・まだ半分も行っていないということは・・・
以前に隣り駅まで歩いたあの距離は、8kmではなく、4kmぐらいだったのか?
しまった!完璧に勘違いをしていた!
8kmぐらいの距離を1時間で歩いたと思い込んでいたが、そうじゃないらしい・・・(笑)
が・・・いまさらバスに乗るなんて拙者のプライドが許さぬ。(大笑)
このまま歩くことにする。

途中で「前田砲台跡」という看板を見つける。
拙者が歩いている道路の向こう側・・・・
国道は片側2車線で中央分離帯がある。
車の途切れるのを見計らって、急いで渡り砲台跡へ・・・・
ここで車に轢かれたら馬鹿である。
たぶん・・・必死の形相だったに違いない・・・(笑)
そこは・・・何もない空き地・・・・
詳しい説明板があったので良いが、これがなかったらただの分譲住宅地の空き地である。(笑)
この土地は個人の所有地らしく、地主のご好意で敷地の一部だけに立ち入ることができる。
あ~この空き地に大砲のレプリカをズラリと並ばせたら、いい観光スポットになるのだが・・・
でも、ダメか・・・目の前のビル・・・邪魔である。
この周辺の土地を買い取っておかなかったのは下関市の失策だな。(大笑)

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さらに歩くと・・・
平家の一杯水」の碑と出遭う。
なんだろう?平家の一杯水って・・・
説明板によれば平家と源氏の壇ノ浦の合戦の話の中にでてくるらしい・・・
平家?源氏?・・・・興味がない・・・(笑)

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時刻は6時である・・・・
あれ?歩き出してもう1時間も経っている。(笑)
開門橋はまだ先のほうに見える・・・いつまでたっても辿り着かない・・・(大笑)
おかしいなぁ~
時間の読みを恐ろしく間違っている。
数字に弱いというより、まともに計算ができない・・・と言って良いかも・・・(笑)

しばらく歩くと・・・道路際に「壇之浦古戦場」の看板が・・・・
しかも、日本語と英語のほかに韓国語で書かれている。
こんなところに韓国人が来るのか?
ここが壇の浦?・・・・古戦場?
だいたい、壇の浦の合戦って・・・どんな合戦なのか知らないのである。
興味がないというのは恐ろしいことである。(大笑)

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午後6時20分・・・「みもすそ川公園」に到着。
ここに、「長州砲」のレプリカがズラリと並んでいた。
ここでようやく灰皿を見つけたので・・・(大笑)・・・・一服!
あ~疲れたぁ~

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この公園をもう少し進むと、銅像がある。
源義経と平知盛の銅像だが・・・平知盛って・・・誰?(笑)
参ったなぁ~全然解らない・・・

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碑文によれば・・・
寿永4年(1185)3月24日、平知盛が率いる平家軍と源義経が率いる源氏軍が、ここ壇の浦で合戦をしたそうで・・・・
最初は平家が優勢だったが、潮の流れが変わり、形勢が逆転・・・・
二位の尼は8歳になる安徳天皇を抱いて入水・・・・
その後を追って平知盛も海峡に身を投げて平家一門は滅亡したのだそうだ。
で・・・・
この銅像は・・・・
向かって左が、平教経の攻撃をかわすため船から船へと「八艘はっそう飛び」をする源義経・・・
で・・・向かって右が、平知盛である。
ん?「八艘飛び」をする源義経はいいが・・・そういうことであれば相手は平教経の銅像であるべきではないか?(笑)
まぁ、どうでもいいやぁ~
お互いの総大将ということで建てたんだろうから・・・(笑)

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開門橋の向こうに見えるのが福岡県北九州市の門司・・・・
小高い山は・・・門司城跡だと思う。
今から11年前の平成12年に、後輩の“オダクラ君”と、あの山に登り、頂上の門司城跡から開門橋を眺めた。
今度は、橋の向こう側に行ってみたいものだ・・・などと、その時に思ったものだが、まさか11年後に実現するとは・・・・感動である。(喜)

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開門橋の真下を通過!
時刻は午後6時40分!
いやぁ~長府から1時間40分歩いてようやくここまで来たかぁ~
ということは・・・あと1時間は歩かねばならないということだな・・・(涙)

この橋・・・そして真下から見る、このアングル・・・・懐かしい・・・
今から21年前の1990年・・・拙者はこの橋の下を船に乗って通過したのである。
日本青年会議所の洋上スクールに茨城ブロック代表として一人で参加した。
韓国の釜山に向かって東京の晴海ふ頭を出発。
なんという客船だったか・・・豪華客船でこの橋の下を通過したのである。
あれは午前中だったと思う・・・
甲板に出ていたんだから・・・
右舷方向・・・つまり下関の海岸から、たぶん下関の青年会議所のメンバーだろう・・・この橋を通過する時に壮行の花火を数発打ち上げてくれた。
昼間だったせいか、大きな音と煙しか見えなかったが・・・(笑)
ん?ちゃんと許可を取ったのか?・・・まさか無断で打ち上げたんじゃあるまいな・・・などと仲間と笑ったことを思い出す。
甲板から見上げた橋の裏・・・・今でも目に焼きついている。
船のマストがぶつかるんじゃないか・・・手を伸ばせば届くんじゃないかと思った。
青年会議所のメンバーだろう、モーターボート数隻が客船と併走・・・
「おい、おい、あぶねぇぞ~!」とみんなで手を振って離れるように合図したら、何を思ったか、大喜びで旗を振り、手を振り返してきた。(笑)
「おい、おい、全然話が通じてねぇぞ」と大笑い。
「あとで船の航行を妨害したって、警察に捕まるんじゃないか?」とまたまた大笑いしたことを思い出す。
懐かしい思い出である。
あの時の「壮行」の友情は21年経っても忘れられない。
感動的な出来事だった・・・・
あの時、我々約500人を見送ってくれたメンバーたちは今どうしているんだろうか?
ふと思い出した・・・・

まもなく、あっという間に日が落ちて・・・真っ暗・・・
あらら・・・懐中電灯なんか持っていないんですけど・・・・(大笑)

歩き始めて2時間たったが、下関駅には到達しない。
「下関まで8km」の「下関」は駅じゃなくて市役所までの距離だろうと気がついた。(笑)
下関市役所は駅からかなり離れている・・・・
まだまだ歩かねばならんのか・・・

途中、コーヒーが飲みたいなぁ~、どこか喫茶店で一服したいなぁ~と思ったが・・・・
一度、腰を下ろしたら二度と立ち上がれないような気がして諦める。(大笑)
まさかの“地獄の行軍”になろうとは・・・
「8km」を甘く見たのがいけなかった。

結局、10km以上は歩いたか?12kmくらいは歩いたか?(大笑)
ようやくホテルに到着!
フロントの人に長府から歩いて戻ってきたと話したら呆れられた。(大笑)
結局、長府から2時間30分ほどかかった。
いやぁ~疲れたが・・・・
これは後々いい思い出として残るに違いない!(笑)
何十年後かに、またここに来る機会があって・・・昔、ここを歩いたんだよなぁ~なんて思い出すことになるかもしれないなぁ~
これが旅のいいところである。

さすがに疲れたので、夕食はホテルの1階にある居酒屋で済ませることにした。

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「今日はよく頑張って歩きました」ということで・・・自分にご褒美。(大笑)
定食の他にフグの一夜干しを追加で注文する。
なかなか出てこないなと思ったら、店の女の子が「新人に焼かせたら失敗したので、今、ベテランが焼き直してますので、もう少し待っていてください」と言うので大笑い。
この一夜干し・・・肉厚で、なかなか美味である。
これを食べたら、あんな薄っぺらい「フグ刺し」なんて食べる気がしない。(笑)

旅行 | 17:11:59 | Comments(0)
集童場場長室
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集童場しゅうどうじょう場長じょうちょう

集童場は、長府藩士福田扇馬ふくだせんまが文久2年(1862)、南之浜の自宅に開いた私塾 桜柳亭おうりゅうていを母体とし、元治元年(1864)3月、藩士熊野則之くまののりゆきが中心となり、古江小路ふるえしょうじの益田宅を集童場と命名。
身分の別なく広く藩内年少の子弟(10~17才位)の教育を行ったいわば長府の松下村塾しょうかそんじゅくとも言われた。
総督そうとく(場長) 熊野則之
総監そうかん(相談役) 福原和勝
教授 福田扇馬
   熊野九郎
   金子四郎
設立当時は三十数人で発足したが、1年後には百数十人にも増えた。
慶応元年(1865)2月、裏侍町にあった旧藩校敬業館けいぎょうかん跡に移転、名実とも長府藩の学校となったのである。
さらに明治2年(1869)藩校敬業館に併合され明治5年2月まで存続した。
集童場で学んだ子弟は、乃木希典のぎまれすけをはじめいずれも明治・大正時代に様々な分野で活躍した。
この建物は、古江小路に在った集童場の場長室を昭和3年(1928)、所有者伊藤氏から寄贈を受けここに移転保存したものである。

平成5年3月
下関市教育委員会

(説明板より)

史跡 | 16:46:41 | Comments(0)
覚苑寺本堂
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下関市指定有形文化財(建造物)
覚苑寺本堂
昭和61年5月10日 指定

法輪山覚苑寺は、元禄11年(1698)に創建された黄檗宗おうばくしゅう寺院で、開基は黄檗宗に帰依した長府藩3代藩主毛利綱元。
開山は、綱元が宇治の黄檗山萬福寺から招いた悦山禅師である。
この建物は、周防三田尻(現・防府市)にあった黄檗宗寺院の海蔵醍醐寺の本堂として寛政6年(1794)に建立されたもので、明治8年(1875)、廃寺となっていた海蔵醍醐寺から覚苑寺に移築され、以後、当寺の本堂(大雄宝院だいおうほうでん)として利用されている。
構造形式は、桁行けたゆき三間、梁間はりま三間で一重裳階もこし付の吹放し。
屋根は入母屋いりもや造の本瓦葺。
基壇は乱石積で、正面に石階六級を設け、礎石は花崗岩切石上に石造角形礎盤いしづくりかくがたそばんを置く。
軸部は総て面取角柱めんとりかくばしらを使用し、柱頭は粽ちまき形、足元は丸面となっており、身舎もやは飛貫ひかん・頭貫懸鼻とうかんかけはな付・台輪だいわ、中央間四面及び両脇間を虹梁こうりょうで繋ぎ、裳階は地覆じふく・腰貫こしぬき・飛貫・頭貫・台輪で構成されている。
組物は身舎柱上及び大瓶束たいへいずか上に禅宗様出三斗でみつど笹繰付と出桁、裳階柱上及び中備大斗肘木なかぞなえだいとひじき内外は木鼻きばな付となっている。
軒は二軒繋垂木で、妻飾つまかざりは破風はふ板、眉欠まゆかき、化粧棟木に鰭ひれ付かぶら懸魚げぎょを施している。
この建築様式は、本市に遺例の少ない江戸時代の黄檗宗寺院の典型的な特徴を示しており、建築史的な価値が高い。

下関市教育委員会

(説明板より)


史跡 | 16:44:43 | Comments(0)
長門鋳銭所跡
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国指定史跡「長門鋳銭所跡ながとちゅうせんしょあと
指定年月日 昭和4年12月17日

長門鋳銭所は、奈良・平安時代に長門鋳銭司ながとちゅうぜんしという機関が置かれ、銭貨の鋳造を行った工房跡です。
長府地区の西側を限る、准堤峰じゅんていほう(標高176m)東南麓斜面に位置し、鋳銭峰いせんほうや火除け道などの銭貨鋳造を物語る地名呼称も残っています。
現在の黄檗宗おうばくしゅう法輪山ほうりんざん覚苑寺かくおんじ一帯の約1万4千㎡が史跡として国の指定を受けています。
遺跡の発見は、江戸時代の寛永年間(1624~1643年)にまで遡り、現在まで、数度にわたる発掘や調査が行われています。
これらにより、奈良時代の「和同開珎わどうかいちん(ほう)や鋳型いがた、坩堝るつぼ、鞴ふいごの羽口はぐちなどの銭貨鋳造用具のほか、銭貨鋳造に伴う副産物である銅滓どうさい等が多数出土し、古代銭貨鋳造の事実を明らかにしています。
「和同開珎」の鋳造は、和銅元年(708年)催鋳銭使さいじゅせんしという官職が置かれ、始まりますが、長門鋳銭所の明確な操業時期は分かっていません。
また、長門鋳銭所は、天長2年(825年)には廃され、周防国(山口市鋳銭司すぜんじ)に移ったとされています。
「和同開珎」の鋳造記録が残る、近江国(滋賀県)・河内国(大阪府)・播磨国(兵庫県)などの鋳銭司のうち、工房の場所が特定できるのは、現在のところ長門国のみです。
長門鋳銭所跡からの出土品のうち、下関市立長府博物館および(財)辰馬考古資料館(兵庫県西宮市)蔵品は国の重要文化財に指定されています。

山口県教育委員会
下関市教育委員会

(説明板より)


史跡 | 15:08:01 | Comments(0)
吉岡家長屋
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(山口県下関市)

吉岡家長屋(長府宮の内町)
下関市指定有形文化財
指定年月日 昭和52年2月16日

建物の所在位置は 江戸時代中期の長府屋敷割図に大久保五郎左衛門の屋敷地として記録されている
なお 大久保家は長府藩馬廻として藩の要職に就いていた。
間口三間(5.45メートル)奥行六間(10.91メートル)もこの建物一棟は長屋として用いられたものらしく 建築年は不詳であるが 外観や構造は文化・文政期(江戸時代後期)の特徴をよく残している
また大壁を厚く堅固にした造りなどから城下町特有の防衛的性格が窺える

平成8年3月31日
城下町長府まちづくり協議会
長府観光協会

(説明板より)

建物 | 14:30:22 | Comments(0)
長府毛利邸
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長府毛利邸(長府惣社町)

長府毛利邸は、長府毛利家14代当主の毛利元敏公が、東京から帰住するため、この地を選んで建てた邸宅で、明治31年(1898)に起工し、明治36年6月2日に完成した後、大正8年(1919)まで長府毛利家の本邸として使用されました。
その間、明治35年11月には、明治天皇が、熊本で行われた陸軍大演習を御視察の際、当邸を行在所として使用され、一部の部屋は当時のまま残されていて、往時を偲ばせてくれます。
また津軽家に嫁がれ、常陸宮華子妃殿下の御生母となられた久子様(元敏公のお孫さんにあたる)も、この御屋敷で幼少時代を過ごされています。
邸内にある庭園は、池泉回遊式で苔・石・池・楓・灯籠等配置の妙は、新緑や紅葉の季節に一段と映え、しっとりとした日本庭園のたたずまいを感じさせてくれます。

(説明板より)


史跡 | 14:12:20 | Comments(0)
長府を歩く
次に向かったのは、「長府毛利邸」である。
タクシーで通った時に、やたら立派な入口なのが目立っていたので・・・入ってみることにした。(笑)

098_convert_20110930192921.jpg(長府毛利邸の入口)

さすがは、立派なお屋敷である。
邸内を見学・・・お客さんは拙者一人・・・・
20分ほど見学して外に出て一服していたら、お客さんがゾロゾロとやってきた。
団体客なのか・・・2~3人や4~5人の小グループで次々とやってくる。
その殆どは、オバちゃんたちである。(笑)
いいタイミングで見学できたことに感謝。
ほんの僅かの差である。
この人たちと一緒になったら、邸内の写真が撮れなかっただろう。(笑)
自動販売機で買った缶ジュースで喉を潤して次に向かう。

次は・・・「覚苑寺」である。
ここには狩野芳崖の銅像と乃木希典の銅像がある。
で・・・・観光イラストマップを見て、ルートを頭に入れて歩くが・・・・あれ?
どうもおかしい・・・・
ドンドン山のほうへ坂道を登っていく感じ・・・
しかも道は狭い・・・・
一応、有名なお寺さんなんだろうから、途中に「覚苑寺は、こっち!」みたいな看板が出ててもよさそうなものなのだが、それも見当たらない。
おかしい・・・
嫌な胸騒ぎ・・・(笑)
もう一度、イラストマップを確認して、さらに別の観光マップとも比較してみたら・・・
ありゃ~やっぱり道を間違えていた!(大笑)
観光マップというのは不正確だから困る。
こんな大まかな絵だから間違えてしまうんだ・・・と自分の方向音痴を棚に上げてマップに文句を言う。
(一人旅は、ついつい独り言が多くなるのである・・・笑)
仕方がない・・・来た道をトボトボと引き返すことにする。
あ~すごい時間のロスをしてしまった!
時刻は、まもなく3時である。
日が暮れる前に、あと何箇所かを廻りたいというのに・・・(涙)

今度は無事に迷わず到着し、お目当ての銅像を撮影する。

127_convert_20110930200917.jpg(狩野芳崖先生像)

で・・・狩野芳崖っていう人は・・・何をした人?(笑)
知らないんだけど・・・・たぶん偉い人なんだろう。(笑)

157_convert_20110930204020.jpg(乃木神社)

その次に向かったのが、「乃木神社」である。
ここにも乃木大将の銅像がある。
「乃木神社」というのは全国どこにでも、いくつもあるのかというと、そういうわけではない。
北海道の函館、栃木県の西那須野、東京の赤坂、京都の桃山御陵の近く、そしてこの長府と四国の善通寺の6箇所にしかないと神社の由緒書に書かれていた。
ん?函館?
昨年、函館に行ったのだが・・・乃木神社なんてどこにあったんだろう?
しまった!見落としていたか!(ショックである)
東京と京都の「乃木神社」には行っているので、ここを含めて6箇所のうち半分の3箇所をお参りしたことになる。(函館で見落としたのは・・・痛い!)

この由緒書を求めたときのこと・・・
「神社の由緒書って置いてないですか?」
「ありますけど・・・有料ですが・・・いいですか?」
「はい・・・」
「本当に申し訳ないんですけどね・・・有料で・・・」
確か20円だったか50円だったと思う・・・ん?20円だったかな?(笑)
「以前は無料で置いていたんですけど、境内に捨てていく人が多いので有料にしたんですよ」とのこと。
ん?捨てていく?
「もらっておきながら捨てるの?」
「そう、その・・・そのあたり・・・すぐそこで、目の前でポイッて捨てる人も多いんですよ。それで有料にすれば、そういう人は減るだろうって・・・本当にすみませんねぇ~」とおっしゃる。
「いや、有料にして正解ですよ!有料にすべきですよ。印刷代だってかかっているんだから!」
とんでもない連中がいたものである。
捨てるなら家に持ち帰ってから捨てればいいものを、境内に捨てていくとは失礼である!
こういう常識のない奴らにお参りに来られるのでは乃木さんも迷惑だろう。
怪しからん!(怒)
今の日本人は怪しからん!

168_convert_20110930204432.jpg(乃木夫妻像)

ここには小さいながら、宝物館というのがある。
この宝物館・・・普段は電気が消えているが、人間の動きを感知して電灯が点く仕掛けになってるそうだ。
見学者は拙者一人・・・・
館内に入り、展示物を見ていると・・・拙者が動かないので・・・(笑)
そのうち、いきなり電灯が切れて館内が真っ暗となる。(大笑)
仕方がないので、館内をウロチョロしてセンサーに感知してもらい(笑)・・・電気を点けて元の位置に戻って、再度、展示品を見学する。
この繰り返しをしながらの見学である。(大笑)
まぁ、見学者が拙者一人だから、こういうことになるのだろうが・・・
どこかに隠しカメラでもあったら、拙者の動きは奇妙なものに映っているだろうなぁ~と思ったら思わず笑ってしまった。(笑)

ここからは・・・どうしようか・・・
特に目的地があるわけでもないので、とりあえず海岸沿いの国道を目指して歩くことにする。

途中・・・「忌宮神社」という神社に立ち寄る。
第14代天皇である仲哀ちゅうあい天皇に関係のある神社らしいが・・・興味がないから(笑)・・・ピンとこない。
う~ん・・・こういうときに水戸藩士の“シミズくん”が一緒だったらなぁ~と思う。(笑)
この神社は仲哀天皇が7年間、皇居を置いた豊浦宮の跡だそうだ。

この神社の境内になるのだろうか、隣に長府市立図書館があり、その一角に「蚕種渡来の地」記念碑というのが建っている。

210_convert_20110930214032.jpg(「蚕種渡来之地」記念碑)

中国の秦の始皇11世の子孫が日本に来て帰化し、ちょうどここ豊浦宮に滞在していた仲哀天皇に蚕種(カイコの卵)を献上したのが、わが国の養蚕の始まりと言われているそうである。

この境内には、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇に仕えた武内宿祢たけのうちすくねが植えたというイチョウの木があった。
宿祢・・・ねぇ~・・・どこかで聞いたことがあるような名だが・・・(笑)
こういうのは、“シミズくん”じゃなくて、最近古代史にはまっているらしい、不動産屋の“オザワくん”に聞いたほうがいいか?(大笑)
いずれにせよ・・・昔からずっと生き続けているの?・・・このイチョウ・・・

218_convert_20110930215140.jpg(宿祢すくねの銀杏いちょう

221_convert_20110930215421.jpg(忌宮神社)

境内の中をグルグル歩き回っていたら・・・方向がわからなくなってしまった。(大笑)
え~と・・・・これから、どっちに向かって歩けばいいんだ?
あまり当てにならないイラストマップで確認しながら(笑)・・・国道に向かって歩く。
と・・・途中で「維新発祥の地」の記念碑に出会う。
ここで、高杉晋作が挙兵したので「維新発祥の地」ということらしい・・・・

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この碑は、長府観光協会・長府自治連合会・下関長府ライオンズクラブによって建立されたらしい。

さて・・・時刻は午後4時50分・・・まもなく5時である。
史跡めぐりも、このくらいが限界か・・・・
ホテルに戻ることにする。

旅行 | 13:21:54 | Comments(0)
功山寺仏殿
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国宝(建造物)
功山寺仏殿
桁行三間、梁間三間、一重もこし入母屋造、檜皮葺
指定年月日 昭和28年11月14日

鎌倉時代末期の唐様(禅宗様)建築様式の典型的な建造物です。
床は四半瓦敷しはんかわらしき、礎石と柱の間に木製の礎盤を入れ柱は上下部分が細く粽ちまき型になっています。
見事な曲線美を見せる檜皮葺、入母屋造の屋根を支えている化粧棰けしょうたるき天井中央より放射状に配置され、扇棰おうぎたるきとも呼ばれています。
また、二重屋根の内部の組み上がりの高さが異なった箇所を補うために海老紅梁えびこうりょう(梁と同意)が用いられています。
さらに前面両角には釣鐘つりがね型の特徴をもった花頭窓かとうまどを有するなど、わが国最古の禅寺様式がよく残されており、鎌倉の円覚寺舎利殿同様、寺院建築史上、貴重な建造物です。
この仏殿は、内陣柱上部に「此堂元應二年卯月五日柱立」の墨書があることから、西暦1320年に建てられたものとみられています。
功山寺はもと臨済宗・長福寺と呼ばれていましたが、毛利秀元により曹洞宗・笑山寺と改称、さらに慶安3年(1650)秀元の没後、戒名(功山玄誉大居士)をもって功山寺と改称しています。

平成5年7月

山口県教育委員会
下関市教育委員会

(説明版より)



史跡 | 12:24:50 | Comments(0)
功山寺山門
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下関市指定文化財(建造物)
功山寺山門
指定年月日 昭和45年3月4日

この壮大な二重櫓造りの功山寺山門は、安永2年(1773)長府藩主 10代 毛利芳の命により建立(再建)されたものです。
山門(三門)とは、本堂へ入るのに通らねばならない門、三解脱門さんげだつもん(空くう・無相むそう・無作むさ)にたとえ、その略からといわれています。
禅宗の門にみられる三間三戸二重門さんけんさんこにじゅうもん
二階楼上に釈迦・十六羅漢を置くのが普通ですが、この櫓の中には市指定文化財(彫刻)の二十八部衆立像が、国宝の仏殿の中から移されて安置されています。
建築様式の特色として、土間に自然石の礎石(礎盤)を並べ、本柱4本と控柱8本で支えられた重厚な門、入母屋造り、本瓦で葺かれた屋根は見事な反りを見せています。
また、櫓を支えている太い12本の柱は全て円柱で柱の上部を僅かに円く削り込み、その下部先端は急に細めた粽ちまき型となっています。
山門の建築資材は、これまでに度々修理が施されていますが、その箇所を除いて、すべて欅けやきの素木を用いて建てられています。
木鼻きばな等の彫刻物、および組物を含め簡素な中にも重厚さを秘めた功山寺の山門は、この時代の禅宗様式を今に伝える貴重な文化財です。

下関市教育委員会

(説明版より)

史跡 | 11:45:09 | Comments(0)
下関へ行く
今日から大好きな「ぶらり旅」・・・・
ホテルをチェックアウトして、山口県の下関に向かう。

博多駅から新幹線で小倉まで行き、小倉駅で鹿児島本線に乗り換えて下関駅に向かう。
博多駅から小倉駅までは1駅で、時間にして20分弱で到着する。
で・・・車内アナウンスによると、小倉の次に新下関駅に止まるのだそうだ・・・
あれ?新下関?
拙者は下関に行くのだが、降りる駅は・・・・
在来線の下関駅?それとも新幹線の新下関駅?
自分がどこへ行くのかよくわかっていない。(笑)

とりあえず、当初の予定通りに動くことにして、下関駅で下車。
駅構内の食堂で昼食を食べ、駅前のホテルに向かう。
チェックインには早い時間だが、荷物を預かってもらうためである。

無事に荷物を預かってもらい・・・さぁ!史跡めぐりに向かうぞ!(笑)
まずは・・・タクシーを使って長府まで行く。

史跡めぐりの一発目は「功山寺」である。

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時刻は午後1時少し前である。
ここには高杉晋作の騎馬像がある。
この銅像の写真を撮るのが、ここを訪れた目的である。
これで、拙者のHPも充実するぞ~(笑)
お楽しみは後に残して、まずは裏手の墓地に・・・
ここには坂本龍馬の親友の三吉慎蔵、龍馬を支援した豊永長吉、長府藩家老の三吉周亮、室町時代の大名の大内義長のお墓がある。
キチンとした説明版も設置され、どの墓石がその人のお墓なのかも略図で示されており、なかなかよく整備されている。
こうしていただくと助かる。
が・・・拙者はこの方々のことは良く知らない・・・(笑)
だいたい、坂本龍馬はテロリストだと拙者は思っているので・・・(大笑)
さほど興味がないのである。
坂本龍馬の親友なんて・・・誰?それ?・・・・である。
大内義長ねぇ~・・・・何をした人?(笑)
こういうときに、“歩く歴史辞典”の水戸藩士“シミズくん”がいてくれたらなぁ~(笑)
あの男・・・ポケットサイズにして持ち歩けないものか・・・(大笑)

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お目当ての高杉晋作の銅像の写真を撮る。
「高杉晋作回天義挙像」・・・・揮毫は元総理大臣の岸信介である。
う~ん・・・銅像としてはあまりいい出来ではないような気がするが・・・
顔がイマイチ・・・(笑)
続いて、隣接する「下関市立長府博物館」を見学する。
古くて小さな博物館だが、拙者はこういう建物は好きである。
が・・・暑い!
客は拙者一人・・・節電のためか、扇風機が1台だけ回っているが・・・
そこから離れなければ見学できない。
離れると・・・暑い・・・汗が止まらない。(笑)
不便なことであるが、汗をかきかき見学するというのもいい。
扇子を持ってくるのを忘れたのは大失敗であった。(笑)

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この博物館の敷地内に「万骨塔」というのがある。
全国各地の石を持ち寄って造られた勤皇の志の慰霊塔なのだそうである。
で・・・我が茨城県は・・・?
あった!

089_convert_20110929113018.jpg 088_convert_20110929113200.jpg

何だかんだで時刻は2時・・・・
1時間もここにいたことになる。
さぁ~・・・
ここから観光マップ等を参考に少し長府の町の中を散策することにする。

旅行 | 10:07:03 | Comments(2)
ガダルカナル島慰霊祭
今日はお昼の12時からガダルカナル島の慰霊祭・・・・
昨晩、“アベさん”たちは早めの11時には現地に行って草刈などをして準備をすると言っていた。
11時ちょっと前に行けばいいから朝はノンビリできるな・・・と思いボーッとしていたら・・・ありゃ!
遅刻しそうである!(笑)
慰霊祭は慰霊碑のある旧陸軍墓地で開催される。
が・・・拙者は一度もそこには行ったことがない。
昨晩“ハタナカさん”に場所を教えてもらっていたが・・・・
地図を見てみたら、3年前に博多に来た時にブラブラと歩いたことのある場所の近く。
あ~あの辺りかぁ~と思ったのが間違い・・・・気が緩んでしまっていた。
ん?間に合うか?よく考えてみたら、あのあたりは・・・かなりここからは遠いんじゃないか?(笑)
急いでホテルを出て、タクシーをひろい、旧陸軍墓地に向かう。
すでに“アベさん”達は仕事を終えていた。(笑)
「お~!ずいぶん遅い出勤で~!」とからかわれる。
10時には来て掃除をしていたと言う。
いやぁ~申し訳ございません!(汗)

慰霊祭には、今は解散している旧遺族会の方々がお集まりになっていた。
特に受付名簿というのはない。
30人ぐらいは参加していたのではないだろうか?
昨年一緒にガダルカナル島へ慰霊に行った方々も来ていたので久々のご挨拶。
一度しかお会いしていない方々ばかりだが、なぜかお懐かしい。(笑)

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この慰霊祭には拙者は初参列・・・
ガダルカナル島に一緒に慰霊に行ったという縁で、今回初めて参列させていただいた。
が・・・慰霊祭の案内は文書ではなく、口頭・・・
1月に福岡で集まったときに「例年のように9月13日に行いますから」という話しか聞いていない。
案内状が届いたわけではなく、「口コミ」である。(笑)

口コミで参集する慰霊祭では先々が思いやられる気がする。
慰霊祭には参列された方々から「ご霊前」が供えられる。
拙者も少しだが「寸志」をお供えさせていただいた。
これらのお供えはかなりの金額になると思うが・・・これが翌年の慰霊祭の供物等の購入に使われるらしい。
ならば、往復はがきでの案内状を出す余裕もあるような気がするのだが・・・
慰霊祭は“ヤスモトさん”という方が個人的に世話役を買って出て仕切っているようである。
加えて誰か一人、年に1回の慰霊祭の案内を作成する人がいればいと思うのだが・・・
拙者は部外者だから下手に口を出すわけにはいかない。
もったいないなぁ~と思うのである。
口コミでこれだけ人が集まるが、みなさんそこそこの高齢者である。(失礼ながら・・・笑)
先々を考えると、やはり後の人へ引き継ぐことも考えて文書での案内をしたほうがいいと思う。
文書で出しておけば、場合によってはご家族が代理として参列してくれるかもしれないし・・・
拙者のように直接の関係者ではない、ちょっとした縁で知り合った者も参列しやすい。
文書での連絡ではないので、このあとの食事会に関しても誘われている人もいれば誘われていない人も出ているようで・・・・
“アベさん”や“ハタナカさん”は食事会の案内を受けていないらしい・・・
こういうことでは下手をすると感情的なしこりを残しかねないのではなかろうか?
戦友会の事務局長をしている拙者としてはなんとも歯がゆい・・・・(笑)

拙者の場合、事前に“ヤスモトさん”からお電話で昼食会の案内は頂いていた。
「浜崎っていうところでやりますが、そこは旅館なので当日そのまま泊まる事もできますが、どうしますか?」との電話だった。
浜崎ってどこなのか知らなかったので、博多駅前のホテルを取るから・・・ということで宿泊は遠慮し、食事会だけに参加させてもらうことにしていた。

慰霊祭後・・・旅館からバスが迎えに来て、食事会に参加する方々だけがバスに乗り移動。
高速道路を走り・・・1時間・・・・
と・・・「唐津30km」の標識が目に入った。
唐津??
まもなく「唐津20km」・・・そして「唐津市街」・・・
ん?ここは佐賀県か?
近くに座っていた“セキ会長”に尋ねたら、佐賀県の唐津のすぐ隣町が浜崎だという。
なんたることぞ!
そうだと知っていたら旅館に泊まることにしたのに・・・(涙)
唐津城に11年ぶりに再訪問できたのになぁ~
それに、唐津には確か、我が戦車第2師団傘下の戦車第7連隊の伊藤中隊長の顕彰碑があると聞いたことがある。
唐津の近くに来るとわかっていればお寺の場所を調べてもきたのに・・・・残念!
伊藤中隊長は独身で戦死したらしく、戦後は遺族として妹さんが慰霊をしていたらしい。
が・・・その妹さんもかなり前にお亡くなりになったと聞いている。
顕彰碑はどうなっているだろうか・・・
お参りしてあげたかったなぁ~近くまで来たんだから・・・

030_convert_20110927205101.jpg(旅館・魚半)

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食事会では、特に自己紹介も何もなく、ただ周囲の人と食事をして雑談するだけ。
ん?いいのかな?拙者は部外者なんだけど・・・自己紹介しなくて・・・・
偶然か、拙者の周りは、昨年一緒にガダルカナル島に行った人たちばかりだったので会話には事欠かなかった。(笑)

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イカの刺身・・・まだ、生きている!(笑)
これは“セキ会長”が自腹で振舞ってくれたもの。
感謝!感謝!
いやぁ~甘くておいしい!!(喜)

食事会もお開きの時間となり・・・・
宿泊組の見送りを受けて日帰り組は送迎バスで最寄の駅へ・・・・

032_convert_20110927205522.jpg(浜崎駅)

ここから約1時間かけて博多に戻ることになる。(トホホ・・・である)
面白いことに2人ペアーで切符を買うと料金が少し安くなるという。
というわけで・・ガダルカナルで同室だった“ヤマグチさん”に頼みペアーで切符を買ってもらう。

日帰り組で拙者が知っている方は“ホサカ夫妻”と“ヤマグチさん”しかいなかったが、車内では他の方々とも少しおしゃべりができて楽しかった。

で・・・博多駅で解散・・・
拙者はホテルに向かうが・・・・ありゃ!
出口を間違えたらしい・・・・得意の迷子となる・・・(大笑)
かなり遠回りをしてホテルに到達。

もう外に出る気は失せた・・・(大笑)
夕食はホテルの1階にある居酒屋でとることにする。

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旅行 | 15:57:02 | Comments(0)
福岡へ行く
羽田空港午後2時発のANAで福岡に行く。
明日はガダルカナル戦の慰霊祭・・・・
今日は前泊である。

毎度のことながら・・・・(笑)
飛行機の乗り方がわからない・・・(笑)
今年の2月にも羽田から飛行機に乗っているのに、もう乗り方を忘れてしまっている。
拙者はかなり頭が悪いようである。
で・・・カウンターの女の子に乗り方を聞いて・・・無事搭乗・・・・

約2時間弱で福岡空港に到着。
たしか・・・あのあたりに喫煙所があったよなぁ・・・と、タバコを吸いに行く。
飛行機の乗り方は覚えられないのに、喫煙所の場所はキッチリと覚えている。
こうなると・・・頭が悪いのか良いのかわからない。(大笑)

空港から地下鉄でJR博多駅へ・・・・
2月にも宿泊した駅前のホテルにチェックイン。

今晩は、昨年一緒にガダルカナル島へ慰霊に行った“アベさん”のお宅にお邪魔して食事会の予定。
釣った魚を食べさせてあげるから・・・とのお誘いを頂いているのである。
この食事会には、他にも何人かが参加するようであるが拙者は知らない。
そのうちのお一人、“キタジマさん”と博多駅で待ち合わせして一緒に行くことにする。
彼女は遺族会の元事務局長さんの娘さん。
拙者と同い年である。
が・・・誕生日は彼女のほうが数ヶ月早いので・・・「姉さん」である。(笑)
それを彼女は持ち出して・・・拙者をいじめるのである。(大笑)
どう見ても拙者のほうが老けているのだが・・・弟扱いである。(笑)

鹿児島本線で約1時間弱・・・“アベさん”宅のある駅に到着。
駅には“アベさん”と“ハタナカさん”がお迎えに来てくれていた。
ガダルカナル島以来の再会である。

“アベさん”宅に到着して・・・・ワイワイとおしゃべり大会。
結局、この食事会は4名なのだそうだ・・・
で・・・“キタジマさん”も“ハタナカさん”も今晩はここに泊まるとのこと。
一緒に泊まったら・・・と“キタジマさん”にも言われたが、すでにホテルにチェックインしているし・・・無理!(笑)

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“アベさん”が釣ったお魚は・・・・
名前を聞いたが・・・知らない・・・(大笑)
拙者は海の近くに住んでいるが、魚のことは全く知らない。
だいたい、マグロとカツオの区別がつかないくらい無知である。(笑)
(ちなみに、イカとタコの区別だけはつく・・・)
が・・・名前なんてどうでもいい・・・おいしい!(笑)
続いて出てきたのが・・・イノシシの肉・・・
裏の山に罠をかけておいたら、罠にかかっていたのだそうだ。(大笑)
ここは・・どういう場所なんだろう?(大笑)
このイノシシ肉をジュージュー焼いて食べる。
これまたおいしい!

いやぁ~申し訳ない!
最高の食事会に招いてもらっちゃった!(笑)
感謝、感謝である。

来年、有志でガダルカナル島へまた行こうか・・・などと、おしゃべりしているうち、あっという間に時間が過ぎてしまった。
時刻は午後11時・・・博多に戻らねば・・・
“アベさん”の奥さんに駅まで送ってもらう。
いやぁ~本当に申し訳ない!こんな時間に車を運転してもらって・・・恐縮、恐縮である。
ちょうど博多行きの野電車がホームに到着!
グッドタイミングで博多に戻る。

旅行 | 15:12:27 | Comments(0)
海軍の昭和史
海軍の昭和史―提督と新聞記者 (光人社NF文庫)海軍の昭和史―提督と新聞記者 (光人社NF文庫)
(1999/02)
杉本 健

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第1章 月明の海軍省

第2章 ワシントンからロンドンへ

第3章 5・15事件と2・26事件

第4章 海相・米内光政

第5章 山本五十六の遺書

第6章 米内内閣誕生

第7章 「危機」の中の三国同盟

第8章 開戦派の擡頭

第9章 嶋田繁太郎と豊田副武

第10章 真珠湾前後

第11章 朝日新聞とゾルゲ事件

第12章 黒潮会の夕映え

第13章 孤影・井上成美と石川信吾



今年の読書:65冊目



読書 | 23:30:46 | Comments(0)
〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊
“玉砕”の軍隊、“生還”の軍隊―日米兵士が見た太平洋戦争 (講談社選書メチエ)“玉砕”の軍隊、“生還”の軍隊―日米兵士が見た太平洋戦争 (講談社選書メチエ)
(2001/01)
河野 仁

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序章 戦争と死
   「戦争の世紀」
   戦争の産業化
   総力戦と徴兵制
   「人間としての兵士」
   戦闘の社会学と「戦闘意欲」の問題
   第1次集団説(プライマリー・グループ・セオリー)
   「アメリカの兵士」
   分析的二元主義
   戦闘の歴史社会学

第1章 軍隊と社会
1 「動員社会ニッポン」の成立
   対外的脅威と軍事的合理性の追求
   近代的動員システムへの転換過程
   海防論と「国家防衛」
   幕末諸隊と身分制の崩壊
   洋式兵制と動員社会化の進展
   四民平等と「国民皆兵」
   動員社会化の進展
   動員システムと青年教育の統合
   青年訓練所から青年学校へ
   青年学校の誕生
2 志願社会アメリカ
   「志願社会」成立の歴史的経路
   「自由」か「平等」か
   民兵制の伝統
   南北戦争時の徴兵制
   第一次世界大戦と選抜徴兵制
   市民主導の「軍事教練運動」
   国防法の制定と予備兵力動員体制の整備
   志願社会と選抜徴兵制
   第二次世界大戦と平時徴兵制

第2章 市民から兵士へ
1 日本兵の誕生ー入営までの社会経過
   徴兵検査以前の「社会化」過程
   学校教育と動員の制度化
   入隊前の職歴と徴兵期間の生活保障
   徴兵検査
   籤外志願
   志願兵
   村民総出の入営祝い
   「入営」の社会過程
   陰膳をして待つ母
   入営・出征儀礼と象徴的相互作用
2 日本兵の兵営生活と訓練
   兵営生活の構造
   内務班生活ー兵営生活のインフォーマルな構造
   規律と制裁
   私的制裁の機能
   員数主義と「規範の逆転」
   一期の検閲
   幹部候補生
   甲種幹部候補生(甲幹)
   乙種幹部候補生(乙幹)
   下士官候補生
   「一選抜の上等兵」と満期除隊
   「兵長」新設
3 アメリカ兵の誕生ー入営までの社会過程
   「1ドル」欲しさに州兵志願
   州兵への志願と大恐慌
   州兵志願と「移民社会」の背景
   ROTCへの志願
   海兵隊への志願
   徴兵
   戦時の徴兵と結婚ラッシュ
4 アメリカ兵の兵営生活と訓練
   州兵部隊の兵営生活
   164連隊将兵の兵営生活と訓練
   132連隊将兵の兵営生活と訓練
   ルイジアナ大演習
   海兵隊員の兵営生活と訓練
   規律
   兵営生活のインフォーマルな構造
   米軍の兵営家族主義
   戦場へ

第3章 戦場の日本軍兵士たち
1 戦闘動員
   戦闘動員の過程
   中国戦線への戦闘動員
   砲火の洗礼
   ある「一等兵」の戦闘
   輸送船の撃沈
   第38師団の戦闘動員
   一木支隊の戦闘動員
2 戦闘組織と戦術
   戦闘組織
   戦闘組織の変化
   戦術
3 戦闘意欲
   戦闘意欲を構成するさまざまな要因
   「天皇制イデオロギー」と戦闘意欲
   家族愛・郷土愛と名誉
   「殺すか殺されるか」ー自己保存の欲求
   復讐心と人種偏見
   連帯感
   戦闘意欲の重層性と二元モデル
   恐怖心への対処
   心理的防衛機制と戦場への適応
   恐怖心への積極的な対処法
   「バンザイ突撃」の実相
   熊大隊の「バンザイ突撃」
   「玉砕思想」の潜在的機能
4 指揮と統率
   「第一次集団の絆」形成とリーダーシップ
   「印象操作」の重要性
   統率の失敗と「第一次集団の絆」
   権威の葛藤
   直接的反抗戦略
   間接的反抗戦略
   服従戦略
   玉砕行動とリーダーシップ
5 「玉砕」の思想
   捕虜観
   POW
   「生きるため」の戦い
   玉砕「神話」の崩壊

第4章 戦場の米軍兵士たち
1 戦闘動員
   164連隊の戦闘動員
   132連隊の戦闘動員
   海兵隊の戦闘動員
   砲火の洗礼
   親友の戦死
   上陸初日の「長い一日」
2 戦闘
   最初の戦闘
   戦場への適応
   実践的訓練
   戦場への心理的適応と「バック・フィーバー」
   道徳的葛藤
   発砲率「25%」
   戦場での将校任命
   防御陣地戦術
   偵察
   食事
   夜間行動禁止
   暗号と合言葉
   「コフィン・コーナー」の戦闘と「バンザイ突撃」
   舌戦
3 戦闘意欲
   米軍兵士の戦闘意欲
   『アメリカの兵士』研究の知見
   復讐心
   連帯感
   任務の達成
   愛する家族や恋人への思い
   イデオロギー
4 指揮と統率
   統率の原則
   統率の失敗
   権威の葛藤
   その他の戦略と「委譲」戦略
   恐怖心への対処
   恐怖心への受動的対処と能動的対処
5 生還の思想
   捕虜観
   死生観

第5章 玉砕の軍隊と生還の軍隊
1 玉砕と生還の思想と行動
   玉砕の思想と行動
   玉砕規範の確立
   「投降」ー玉砕規範からの逸脱
   「人命軽視」の思想
   平等な軍隊と自由な軍隊
2 帰還兵の共通点
   「命の大切さ」の認識
   PTSD(心的外傷後ストレス症候群)
   回顧録と心的外傷の「癒し」
   戦友会の「セラピー」機能
   文化衝突と文化融合



読み始めたところ、まるで卒業論文みたいだなぁ~と思ったのだが、それもそのはず・・・
筆者が米国留学中に書いた博士論文が基礎となっているのである。
その論文を一般向けにわかりやすく書き直したそうだが・・・・
やっぱり博士論文の匂いはかなり残っていた。〈笑)
だから、最初のうちは、ちょっと読みづらいかもしれない。
しかし、ここを抜けると(慣れると?)・・・後半は結構読みやすくなる。
従軍経験者の貴重なインタビュー調査などから考証された、かなり的確な分析をしておられる。
政治的または思想的な偏った匂いは全くない。
日本軍と米軍を対比して、「軍隊」について書かれているのだが、両国の兵士の証言も興味深いところ。
そこから意外な面も出てきて、知っていたつもりの私も、なるほどねぇ~と感心したり驚いたりという部分もあって読み応えがあった。


今年の読書:64冊目



読書 | 15:53:26 | Comments(0)
睡魔!
今日は一日、ひどい日だった・・・・
とにかく朝から眠くて仕方がない・・・・
昨晩というか今朝の就寝時間は午前3時・・・・(笑)
いつもと変わらぬ時間に寝たのに・・・眠い!
とにかく、眠い!
あくびばかりが出て仕方がない。

明後日から福岡に行く。
ガダルカナル島の慰霊祭に参列するためだが・・・・
例によって例の如く、ついでに旅をする予定。
福岡行きの準備を土曜日の今日、行おうとしたのに・・・
眠くてそれどころではない。
思い切って昼寝をしたが・・・それでもダメ・・・・
寝不足が解消されたかと思ったが、全然効果なし。

タバコは朝、最後の2本を吸っちゃった・・・(笑)
タバコを買いに行かねば・・・と思いながら、眠いし、外は暑いし・・で、とうとう夕方まで一服もせずに終わる。
ん?このヘビースモーカーが・・・?(笑)
タバコが吸えないとなれば、吸わないでもいられるんじゃないか?(大笑)
それにしてもおかしいよなぁ~
タバコを吸っていないんだから、脳にはいつもより多くの酸素が取り入れられているはずである。(大笑)
それなのに眠いとはどういうわけか?

結局、一日中あくびが止まらない・・・・
どうしちゃったんだろ?・・・・これ・・・病気?(笑)

日記 | 22:15:42 | Comments(2)
緊急出動(笑)
今日は、朝から頭が働いていない。
う~ん・・・今日は水曜日だっけ?木曜日だっけ?
カレンダーを見ても・・・今日が何曜日かなんてわからない。
だいたい、今日が何日なのかが分かっていないのである。(大笑)
変化のない、自堕落な生活を送っているとこういうことになる。

で・・・携帯電話をふと見たら・・・
9月9日(金)と表示されている・・・
ん?金曜日?
今日は金曜日なのか?
いつの間にそんなに月日が過ぎたんだ?(大笑)

ヤバイ!
12日から福岡に行くというのに・・・・お金を下ろしていない!
拙者はATMなどという機械を使ったことがないので使い方を知らない。(笑)
いつも窓口に伝票を渡して下ろすのである。
だから・・・絶対、今日、お金を下ろさないと・・・・大変なことになる。(大笑)
急いでお金を下ろしに行く。

さて・・・旅行の準備は明日からの土日を使ってやればいいとのんびりと構えていたら・・・
午後9時半・・・・
珍しくこんな遅い時間に“ウメちゃん”からの電話・・・・
「お礼状の書き方が分からないんだけど、なにか参考になるようなもの持っていない?」との問い合わせ。
「お礼状?」
明日の高校の文化祭にかき氷機をPTAが借りたらしいのだが、返す時にPTA会長名のお礼状を付けて返すことになったらしいのである。
で・・・そのお礼状がどうしてもうまく書けないという。(笑)
「今だよ、こんな時間になってから担当の父兄がお礼状を書いてくれって言って来てさぁ~」とボヤク・・・(笑)
「で・・・いつまで?」
「ん?今日中!」
「はぁ?」
「だろ?信じられねえだろ?」
「ネットに例文か何かが載ってるんじゃないの?」
「おお、ネットねぇ~・・・・ネットかぁ~・・・例文を加工してかぁ~・・・」(笑)
「ん?ダメ?出来ない?(笑)じゃ・・・行くよ!そっちに!」(大笑)
さすがは理数系の“ウメちゃん”である!
文章を書くのが大の苦手なのだ。
しかし、よくそれで大学院で論文なんか書けたよなぁ~(笑)
難しい数式を並べれば通っちゃうのか?(大笑)

というわけで・・・夜の9時半に「緊急出動」である。
こういう緊急出動って・・・好きなんだよねぇ~俺・・・(笑)

「コーヒー飲む?」と“ウメちゃん”
「ちょうど飲みたいと思っていたところに電話をもらったからねぇ~。これ、以心伝心?(笑)」
“ウメちゃん”の会社で、拙者がパソコンを使って、チャチャチャ~ッと「お礼状」の“叩き台”を書く。
で・・・あ~でもねぇ、こ~でもねぇという“ウメちゃん”の愚痴交じりの話を聞いて・・・(大笑)
それを組み込んで修正・・・・
拙者はあまりかしこまった文章を書くのは苦手なので、サラリと・・・(笑)
どうせ、後で何か言われても、責任を取るのは“ウメちゃん”だし・・・(大笑)
拙者は結構、無責任なのである。(笑)

「そのかき氷機っていうのがさぁ~・・・とんでもなく重くてさぁ~・・・大人でも持ち運ぶのが大変な奴なのよ」と“ウメちゃん”
ほぉ~そうですかぁ~
「では・・・重くて運ぶのにも苦労するようなかき氷機を貸していただきましてありがとうございました・・・と・・・」
「それがさぁ~電動式じゃなくて手動式の奴でさぁ~」
ほぉ~手動式?今時ねぇ~
「え~と・・・手動式の古い型の運ぶのにも苦労する重いかき氷機を貸していただきましてありがとうございました・・・と・・・」
「あれ?何書いてんの?」
「ん?・・・今、ウメちゃんが言ったことだけど・・・」
「おい、やめろよぉ~そういうの書くの・・・」
「え?正直に書いたんだけど・・・」(大笑)

「で・・・最後に・・・○○高校PTA会長・・・と入れて・・・」
「うん、うん、・・・」
「で・・・その下に、“隣りの××高校卒業生代筆”・・・と入れる・・・と・・・」
「ん?なに、それ?」
「ん?代筆したから・・・俺の名前も入れておこうかなぁ~と思って・・・さぁ」(笑)
「なんで、自分の高校を売り込むの?なに、その“代筆”って・・・」
「ダメ?」
「ダメに決まってるでしょ!」

さんざん、ふざけながら書いたので、完成するまでに1時間もかかってしまった。(笑)
我々は馬鹿である。(笑)
こんな夜遅く・・・
サッサと片づければいいものを・・・(大笑)
で・・・プリントアウトして、名前の部分だけは自筆で名前を書いてもらい、封筒に入れて完成!
はい、ご苦労様でした!(笑)

日記 | 22:40:06 | Comments(0)
執筆に着手!
祖父について・・・・
“お染”さんからも背中を押されていることだし・・・・
こりゃ、真剣に取りかからねばならんな・・・と、ようやく重い腰を上げ・・・(笑)

本日より・・・執筆に着手した!
が・・・・(笑)
ようやく書けたのは、400字詰め原稿用紙で2枚弱・・・・(大笑)
あれ?何で筆が進まないんだろう?
自分でも不思議なのだが、どうしても文章が書けないのである。
おかしい・・・・
このブログなんて、適当なことを長々と書いているのに、「原稿」となった途端に・・・ピタリ・・・・
書けない!(涙)

これは気持ちの問題なんだろうと思うのだが・・・・
参ったなぁ~
これじゃ、構想20年・・・は何だったのだろうか?
頭の中にはキッチリと入っているはずなんだがなぁ~

普通は、出だしは快調・・・途中で行き詰るんじゃないの?
最初の1ページ目から行き詰ったのでは先が思いやられるなぁ~
参った・・・これほど文才がないとは・・・・参った・・・

日記 | 00:52:45 | Comments(2)
贅沢な日本人
FAO(国連食糧農業機)は、干ばつや内戦の影響で飢饉に見舞われている東アフリカのソマリアでは、今後4ヶ月の間に約75万人が餓死する恐れがあると発表したという。

75万人とは、大げさな・・・という気がしないでもないが・・・・
そのデーターは本当だろうかという気がしないでもないが・・・
でも、かなりの数の餓死者が出る可能性はあるのだろう。

それに比べて、この日本は何だろう・・・
放射能、放射能と大騒ぎ・・・
ちょっとでも基準値を上回ると、死ぬような騒ぎである。
4ヶ月以内に放射能で死ぬというのか?
ソマリアでは4ヶ月以内に餓死するのだぞ・・・
肉が汚染された、野菜が汚染された、米が汚染されたと騒ぐが・・・
それを食べると即、死に至るのか?
癌になる可能性が高くなるというが、間違いなく癌で死ぬとは限るまい?
その前に交通事故で死ぬかもしれないし、インフルエンザで死ぬかもしれないのである。
たいそう日本人は潔癖症な国民になったものである。
食べ物を粗末にして・・・・
4ヶ月以内に餓死する人達が聞いたらどう思うだろうか?
ソマリア南部のベイ地域では、5歳以下の子供の58%が深刻な栄養失調に陥っているという。
ということは・・・4ヶ月以内に餓死する可能性がある子供たちということだろう。
何の根拠に基づいた基準か、よくわからない基準をちょっと超したくらいで食べ物を棄てている日本人・・・
いいのかねぇ~

どうも日本人は贅沢に慣れてしまっているような気がする。
天災に遭っても、原発事故に遭っても、今までと同じ生活を求めようとする。
しかも、それを「誰かが何とかしてくれ」というのだから呆れる。

世の中には4ヶ月以内に餓死する可能性のある人がいるのだ。
子供たちにとっては誰のせいでもない・・・・
干ばつと内戦は子供たちのせいではないのである。
にもかかわらず・・・餓死するのである・・・・まもなく・・・・

それを考えたら、4ヶ月後も生きている可能性が極めて高い現状に感謝すべきではないか?
どうして日本人はここまで愚かになってしまったのだろう?

エッセイ | 22:44:53 | Comments(0)
太平洋島嶼戦
歴史群像アーカイブ18 太平洋島嶼戦歴史群像アーカイブ18 太平洋島嶼戦
(2011/02/09)
不明

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沖縄に見る両用戦メカニズム
上陸作戦
(河津幸英)2004年12月号所収
   タラワから始まった米軍独自の上陸作戦
   水際防御を打ち破ったマリアナ諸島上陸作戦
   硫黄島・沖縄攻略で完成した上陸作戦
   作戦の立案から事前砲爆撃まで
   全艇発進せよ!分刻みの上陸計画
   
沖縄上陸作戦で使用された主要艦艇
(河津幸英)歴史群像太平洋戦史シリーズ『沖縄決戦』所収

白兵突撃を破砕する“火力の盾”
最終防護射撃
(樋口隆晴)2008年10月号所収
  異星人との戦い
  静粛夜襲
  米軍の防御戦術
  最終防護射撃

敗因は“水際撃滅”のみに非ず
【検証】日本陸軍の対上陸戦術
(樋口隆晴)2009年8月号所収
   「あ号」教育と対上陸作戦
   水際撃滅主義
   太平洋の陣地帯陣地
   水際撃滅主義の崩壊
   後退配備
   砂の城

玉砕ハ許サズ!
栗林忠道の硫黄島防御戦術
(樋口隆晴)2006年12月号所収
   日本陸軍の限界
   硫黄島防衛の本質
   最後ノ一兵ニ至ル迄

米軍、対日反攻作戦の序曲
ガダルカナル海兵隊戦記
(白石 光)2008年10月号所収
   アメリカ軍反攻の狼煙
      コロ湾の陽炎
      “ウオッチタワー”始動
      コースト・ウォッチャー
      「他人様の女房のベッドに・・・・」
      “シュー・ストリング”作戦
   海兵隊、ガダルカナルに上陸
      Dデイの情景
      “トージョー・アイス・カンパニー”
   戦う海兵隊
      第一次マタニカウ戦
      “アリゲーター・クリーク”の凱旋
   激闘の果てに
      死闘!!“ブラディ・リッジ”
      南十字星の下に

Column
日本軍の動静を探ったコースト・ウォッチャー
(文=白石 光)

EXTRA NOTE ①
中部ソロモン諸島の戦い(白石 光)
   消耗戦と二軸攻勢の始まり
   ガ島戦以降のソロモン諸島の戦い

環礁の小島をめぐる水際の死闘
激突!タラワ攻防戦
(瀬戸利春)2007年4月号所収
   日本海軍―中部太平洋の防備強化
      海軍の対米戦略とマーシャル航空要塞
      米軍のマキン奇襲
      タラワ築城と「陸戦のプロ」派遣
   海兵隊―中部太平洋での反攻
      米軍の対日プランと海兵隊の戦術
      「ガルバニック」作戦
   米軍来寇
      ギルバート沖航空戦
      上陸開始
      地獄の始まり
      損害が続出するレッド1ビーチ
      確保された海岸堡
      日米双方の問題点
   タラワ玉砕
      ベチオ島、陥落
      タラワ戦の残したもの

EXTRA NOTE ①
マーシャル諸島攻略戦(白石 光)
   “マーシャル・バリアー”への挑戦
   「フリントロック」作戦
   「キャッチポール」作戦

水際に消えた絶対国防圏構想
サイパン防衛戦
(若松和樹)2002年4月号所収
   強襲上陸
   最終決戦場
   東京へのクロスロード
   対着上陸戦術
   審判の日
   海岸堡への突撃
   絶対国防圏崩壊
   玉、砕ける
   終わりの始まり

戦略の過誤が招いた海兵隊の敗北
ペリリュー島攻防戦
(瀬戸利春)2009年8月号所収
   陸軍の中部太平洋島嶼部への派遣
   米軍ペリリュー攻略を決定
   ペリリュー守備隊の防衛準備
   米軍の上陸
   初日の戦闘
   ペリリュー玉砕
   その後のペリリュー
   最後に

Column
アンガウル島の戦い―9月17日~10月19日―
(文=瀬戸利春)

EXTRA NOTE ③
「ラバウル孤立化」に見る島嶼戦の実相(瀬戸利春)
   要地ラバウル
   島嶼戦
   ラバウルの孤立化

米兵たちの硫黄島
(白石 光)2006年12月号所収
   硫黄島攻略の前奏
      B29のための硫黄島
      攻略の主役・三つの海兵師団
      怒り狂う「ハウリング・マッド」
      不満足だった事前の制圧行動
   激戦と化した上陸作戦
      海兵兄弟たちのDデイ
      吹き荒れる鋼鉄の嵐
      過熱するホット・ロック
      翻る星条旗
   戦いの終焉
      「ハロー、ベイカーエイブル・ナイナー」
      「海兵隊讃歌」と爆音と

EXTRA NOTE ④
日米両軍の火力比較(樋口隆晴)

鉄火の矛、血土の盾
沖縄1945
(若松和樹)2000年夏秋月号所収
   乱世(みだりゆ)の始まり
   「アイスバーグ」接近
   前哨戦
   4月馬鹿の海岸
   前線の死闘
   混乱の序曲
   魔犬の顎―嘉数対戦車戦―
   修羅の高地
   大攻勢
   最終防衛線
   煉獄は南へ



今年の読書:63冊目



読書 | 12:22:33 | Comments(0)
ファミリーコンサート
今日は東京で妹家族の「ファミリーコンサート」
彼らにとっては初めての試みである。(笑)

コンサートの売り上げの一部と当日の募金は、今回の震災の義援金として寄付するという、いわゆるチャリティコンサートである。
が・・・ただ、義援金としてどこかの知らない組織にポンと渡すのは嫌なのだそうだ。
そういうところは兄である拙者に似ているかも・・・(笑)
ピンポイントで渡したいので・・・ということで、出身地の日立市役所に渡すことになった。
日立市役所の担当者にもお話をしたらしい。
かなり、しっかりした好人物だそうで、このコンサートに当たっては、わざわざ丁寧なお手紙まで下さったそうである。
へぇ~そんなしっかりした職員が我が市役所にいたとは驚きである。(笑)

会場は原宿・・・
午後からのコンサートなので、お昼は「竹下通り」の入り口にあるレストランで一人で食べる。
ここには1年ぶり2回目の訪問である。
オーナーも拙者のことを覚えていてくれて大いに話が盛り上がる。(笑)

コンサートは、近くのホールで・・・・
収容人数は50名ほどらしいが満席である。
オープニングの挨拶は、まったく演奏なんてできない・・・パパ・・・(大笑)
おお、パパにもついに出番を与えたか。(大笑)
あとは・・・妹と大学1年と中学2年の姪がピアノを、高校2年の甥がチェロを演奏する。
これに「特別出演」で、ギタリストの蓮見昭夫さんが加わり・・・・
さらに同じく「特別出演」でジャネットさんが篠笛を演奏・・・
彼女はアメリカ人で、大前研一さんの奥様である。
ジャネットさんにもご挨拶させていただいたが、流暢な日本語を話される。
蓮見さんとは、以前から妹のライブで顔なじみ・・・・

「ファミリーコンサート」の割には豪華である。(笑)
おかげで申し込みが多く、当初は1回だけの公演予定だったが、1部と2部に分けて2回行うことになったそうである。

子供たちの演奏には、もう不安はないが・・・
日立市に義援金を届けるということで、まさか、拙者にマイクを振ってくるんじゃあるまいな・・・と、そっちのほうが恐怖であった。(大笑)
マイクを渡されたら「へっ?日立市?たいしたことないですよ~」って言っちゃうもんね。(大笑)
それじゃダメじゃん!
チラシにも日立市に義援金を送るって明記してるんだから・・・(大笑)
拙者の「失言」で義援金が集まらなかったら、子供たちから何を言われるかわかったもんじゃない。(笑)
幸い、拙者の出番はなく・・・・助かった。

演奏は、それぞれ素晴らしかったが(こういうのを手前味噌って言うの?笑)、篠笛は初めて聴いた。
なかなか味のある音色である。
で・・・最高なのは、ギターとチェロと篠笛のコラボ・・・・
これはよかった!(笑)

あっという間に1部が終わる。
このあとの2部も聴いていかないかと言われたが・・・
ちょうど今帰れば、家で留守番している親父に駅弁を買ってやれる。(大笑)
今日の夕食は駅弁だ!(笑)
ということで、2部のほうは遠慮させてもらい、上野駅に向かう。

日記 | 11:16:58 | Comments(0)
バレバレ?
昨晩は、本来ならば“ウメちゃん”と会う約束だったが、急遽、クラブのホステスを“接待”(笑)することになりドタキャンしてしまった。
申し訳ないので、今日、彼の会社に顔を出す。(笑)

「いやぁ~昨日はすみませんでしたぁ~ドタキャンして・・・・実はね・・・」
どうも拙者は隠し事が苦手なのである。
だから昨晩の一件を報告したのだが・・・・
すると“ウメちゃん”が腹を抱えて大笑い。
「やっぱりねぇ~そういうことじゃないかと思ったんだよねぇ~(大笑)」
「あれ?なんで?」
「急用ができましたってさぁ~、どうもおかしいなと・・・これは女だなって、ピンときたんだよねぇ~」
「うそぉ~!」
「俺との約束より優先するのって、女しかないでしょ?(大笑)」
「あれ?バレてた?」
「バレバレ~」
「おかしいなぁ~何でバレちゃったんだろ?そんなに嬉しそうな声してた?」
「してた!してた!急用という割には嬉しそうな声してた!(大笑)」
「うそぉ~」
「単純なんだもんなぁ~、すぐわかるよ!(大笑)」
「ゲゲッ・・・」

彼が腹を抱えて笑うなんて滅多にないことだから、図星だったんだろうなぁ~
マイッタァ~
そんなに拙者は単純なのか?(笑)
下手な言い訳や嘘をつかなくてよかった。(汗)

日記 | 10:42:39 | Comments(0)
拉致された!(笑)
夕方・・・・
先日お邪魔したクラブのホステス2人と夕食・・・・
この間、支社長や副支社長を連れて飲みに行った時、食事をおごるかどうかで彼女たちとジャンケンをしたのである。
で・・・拙者が負けて・・・食事をおごることになった。(大笑)
実は拙者はジャンケンが非常に弱いのである。(大笑)

で・・・彼女たちの都合に合わせたら急遽、今日、食事をすることになった。
実は“ウメちゃん”との約束があったのだが、こちらはドタキャンとした。(笑)

先日楽しく飲ませていただいたお礼も兼ねての食事会という気持ちもあるからいいのだが・・・
彼女たちとは、もう15年以上も前からの知り合いであるが、一緒に食事をしたのは初めてである。
本当に拙者が夕食をご馳走するのかと彼女たちは半信半疑・・・
ええぃ!武士に二言はないわい!(笑)
ジャンケンに負けちゃったんだから仕方があるまい?(笑)

出勤前の彼女たちと食事をしながらおしゃべりしていたら・・・・
彼女たちの携帯に同時にメールが入った・・・
「ん?同時って・・・どういうこと?」
それはお店からのメールで・・・・
「今日はお客さんの予約が少ないので、各自、“同伴”でお客さんを連れてきて」というメール・・・
彼女たちの目が・・・キラリ!(笑)
「おい、おい、うそだろ!」(汗)

結局・・・食事だけでは済まなくなり・・・・“同伴”で店に連れて行かれた・・・(大笑)
これは拉致である!
拙者は、ホステスたちに拉致されたのである!(大笑)

「今日は仏滅だよね?ぜったい仏滅だよね?これ・・・」
「え?今日は大安でしょ?」
手帳のカレンダーを見たら、確かに「大安」だった・・・・
「あなたたちには大安でしょうけど!俺にとっては仏滅なの!」
「ですよねぇ~ゴメンネェ~(笑)でも、グッドタイミング!大安だよね~、私たちはラッキーだわぁ!」
「まさか、拉致されるとは・・・」
「ホントだよねぇ~、これ、拉致だよねぇ~(笑)」
「自分たちが拉致しておいてよく言うよなぁ~(笑)」

人間・・・ジャンケンに弱いとロクなことはない・・・教訓にしよう。(大笑)

日記 | 11:01:35 | Comments(0)
焼き魚が届く
“アライちゃん”から電話・・・・
今から自分が釣ってきた川魚を届けてくれるという。

以前会ったときに、今度釣ってきた魚を届けてくれると言われた。
が・・・・
へそ曲がりの拙者である・・・・
「ナマでは持ってこないでね。ちゃんと焼いて持ってきてよ」
「おい、何だよぉ~。焼くのなんて簡単だろう?内臓はちゃんと取り除いてやるから、自分で焼けよ」と言われた。(笑)
が・・・焼くのは面倒くさい・・・(大笑)
「絶対、焼いてないと受け取らないから!」と、とんでもねぇ我儘を言ったら・・・
今日!なんと!
串で刺して炭火で焼いた魚を持ってきてくれたのである!(大笑)

いやぁ~申し訳ないねぇ~(大笑)
「全然、申し訳ないという顔をしていない・・・」とバレバレ・・・・

彼は拙者より年上であるから・・・先輩である。(笑)
その先輩に向かって「焼いてから持って来い」とは暴言であるが・・・・(大笑)
こういう暴言は昔からである。
彼が青年会議所の理事長の時に、拙者は筆頭の副理事長だった。
で・・・就任早々・・・・
「理事長に万が一のことがあった場合は、筆頭副理事長の私が指揮を取る」と公言して失笑を買ったことがある。
任期途中で“アライちゃん”が死んだ場合は・・・と言ったのも同然だから当然だ。(大笑)
組織の運営や方針では、彼とはよくぶつかった。
副理事長は補佐役ではあるが「イエスマン」ではない。
だから・・・ぶつかる・・・

にもかかわらず、こうして、わざわざ魚焼いて持ってきてくれるのだから感謝、感謝である。
「果報者」とは拙者のためにある言葉のような気がする。(大笑)

日記 | 10:23:14 | Comments(0)
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