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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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戦いいまだ終わらず
戦い いまだ終わらず戦い いまだ終わらず
(2009/12/08)
久山 忍

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本書はペリリュー島で戦い続け生還した土田喜代一という上等兵を取材して久山忍という人が書いた本である。
土田氏が直接書いたものではないが、内容は本人が書いたような感じに仕上がっているので、非常に読みやすい。
著者の久山氏は自分を表に出さず、うまく土田氏の体験談をまとめてあげたという感じなので、非常に好感が持てる本であった。
ペリリュー島には陸海軍合わせて1万人程度の将兵がいたが、ここを4万名を超える米軍が上陸し戦闘となる。
小島なので、3日もあれば陥落するだろうという米軍の目論みは大いにはずれ、日本軍は2ヵ月半も持ちこたえた。
昭和19年に島は米軍の手に落ち、日本軍は玉砕したが、それでもまだいくらかの日本兵が生き残り抗戦。
昭和20年8月に終戦となっても、それを信じず、必ず援軍が来ると信じて抗戦を続け・・・昭和22年を迎える。
この時に生き残っていたのは陸海軍合わせて34名である。
終戦後も2年近く潜み続けていたのである。
この34名の中の一人が海軍の土田氏である。
ペリリュー島には昨年、実際に訪問し、ジャングルの中を歩き回ったので、本書を読んでいても、あ~あのあたりかなぁ、あの洞窟の事かなぁと思いだされて話が理解しやすかった。
昭和22年に“帰順”する、いきさつは手に汗を握るシーンである。
“終戦を知らず”隠れ潜んでいたのではない。
“終戦”を信じず、必ず援軍が来ると信じていたのである。
このため“帰順”させるのには、想像以上の困難を伴っている。
凄まじいと言えば凄まじい。
この精神力はどこから来るのだろうか?
帰順した34名の中に、森嶋さんという方がおられる。
我が町の出身で、この方の甥に当る人を私は存じ上げている。
この森嶋さんに関する記述も面白かった。
こんどお会いしたら、この本の事を教えてあげようかなと思う。
森嶋さんの伯父さんはすでに鬼籍に入られている。
生還した34名で「三十四会(みとしかい)」という会を作っていたそうだが、現在、生存している方は一人か二人ではなかろうかという噂を聞いたことがある。
本書が発行されたのが平成21年なので、土田氏は貴重な証言者だ。
貴重な証言をまとめてくださった著者に感謝である。


まえがき
ペリリュー島
戦況

序文

第1章 ペリリュー島
旋盤工
召集
軍隊
見張り科
サイパン島へ
テニアン島へ
B24捕捉
ペリリュー島へ
定期便
敵機?捕捉
水戸第2連隊
陣地構築
西洋ほうれん草
砲撃
情報
接近
米軍到来
艦砲射撃
上陸前日

第2章 戦闘の記録
第1海兵師団
上陸開始
中川大佐
西浜の戦い
オレンジビーチ
作戦変更
橋頭堡
砲弾
出撃
水を求めて
戦車隊
千明大隊の夜襲
棒地雷
かめさぶろう
水汲み
地上戦
富田大隊の戦闘
潜伏
富山の攻防
善戦と敗北
天山の戦い
東山の戦闘
北地区の戦闘
逆上陸
遠藤中佐
北地区の攻防
北地区の終焉
水府山の戦闘
南征山の抗戦
大山の防戦
サクラ、サクラ
最後の攻撃
戦闘終結

第3章 生存への道(昭和19年9月~昭和20年4月)
洞窟生活
敵遭遇
三原兵長
海軍鍾乳洞の戦闘
幽霊
合流
木の上
あたらしい潜み場所
食料争奪戦
ナバ
米軍幕舎

第4章 壕の生活(昭和20年4月~昭和22年3月)
工兵隊壕
戦友たち
娯楽
捜索
ターザンたち
移住計画
糧は敵に
島の生活あれこれ
発砲

第5章 帰順までの記録(昭和22年3月~5月)
澄川少将

決心
脱壕
米軍基地
澄川少将
アンガウル島
会議
名案
急送
作戦実行
呼びかけ
呼応
壕内へ
成功
帰順
内地へ

あとがき



今年の読書:49冊目



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読書 | 12:33:28 | Comments(0)