FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

懲役2年6ヶ月?
生後2か月の長女を虐待死させた25歳の母親に判決が下った。
求刑懲役7年に対し、懲役2年6ヶ月だという。
いやはや、人間の命も安くなったものである。
それとも、生後2か月の赤ん坊だから安いのか?

こういう女は死刑にしてしまえ!
・・・と言いたいところだが、そうもいくまい。
我が子を虐待死させるなんて言語道断である。
(ちなみに、他人の子ならいいとは言ってはいないよ・・・笑)
そもそも、子供を産む“資格”がない人間なのである。
こういう場合は・・・懲役ではなく避妊手術を施すべきである。
二度と子供が産めない体にして社会に戻すべきである。
ついでに、保育士などには就職できないように制限もすべきである。

懲役2年6ヶ月は軽い刑だという気はするが・・・
2年6ヶ月も我々の税金でこの女に飯を食わせるのか?
それも嫌だなぁ~
こういう女の食事代を我々が持つの????
即刻手術を施して社会に戻した方がいいんじゃないの?

判決後、裁判官は「長女が生きた意味をよく考えて、新しい生活を送ってください」と諭したという。
“よく考える”能力がないから我が子を虐待したのではないか?
“新しい生活”をするなら、二度と子供が産めない体になって新しい生活をすべきである。
それぐらいの代償は払わせるべきだと思う。

スポンサーサイト



エッセイ | 22:32:26 | Comments(2)
新井白石の墓
DSCF2912_convert_20110816153834.jpg

東京都指定史跡
新井白石墓
所在地 中野区上高田1-2-9
指定 大正8年10月

江戸中期の朱子学者、政治家。
名は君美(きんみ)、通称勘解由(かげゆ)、白石は号。
木下順庵に朱子学を学び、その推挙により甲府の徳川綱豊(のちの家宣)の儒臣となり、宝永6年(1709)家宣が将軍になると幕臣として、間部詮房(まなべあきふさ)とともに家宣を補佐。
正徳の治を開き、教学と政治の一致につとめた。
武家諸法度改訂、貨幣改鋳、海舶互市新令の施行、儀式典礼の整備などはそのおもな事績である。
享保元年(1716)引退。
学者として特にすぐれ合理性と実証を重んじ、朱子学的思考と実践の結合した合理主義者であり、日本古代史に合理的解釈を試み、外国事情にも意を用いた。
主著「藩翰譜(はんかんふ)」「読史余論(どくしよろん)」「西洋紀聞(せいようきぶん)」「采覧異言(さいらんいげん)」「折りたく柴の記」など。

平成10年3月
東京都教育委員会

(説明板より)


より大きな地図で 新井白石の墓 を表示


史跡 | 14:42:17 | Comments(0)
河竹黙阿弥の墓所
DSCF2904_convert_20110816125723.jpg

河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の墓所

江戸時代末から明治の中頃に活躍した大劇作家、河竹黙阿弥(本姓吉村、二代河竹新七、1816~1893)の墓所が、当寺の墓所入口にあります。
黙阿弥は、鼠小僧(ねずみこぞう)次郎吉を義賊にした作品をはじめ、「三人吉三(さんにんきちざ)」や「白波(しらなみ)五人男」などの盗賊を主人公とした生世話(きぜわ)狂言で、世相を写実的に描く近代演劇への道をひらきました。
しかし、幕府が写実的傾向を禁じて勧善懲悪(かんぜんちょうあく)を奨励したため、黙阿弥は作風の転換を強いられ、その後、幕末・維新期の激動する社会のなかで、江戸時代後期の歌舞伎の創作法を整理・集大成し、「真の江戸演劇の大問屋」と坪内逍遥(つぼうちしょうよう)に評される仕事をなしとげました。
黙阿弥の作品は、4代市川小団次(こだんじ)をはじめとする歴代の名優によって演じられました。
明治41年、当寺が移転したとき黙阿弥の墓も浅草から移されました。

昭和57年2月
中野区教育委員会

(説明板より)


より大きな地図で 河竹黙阿弥の墓所 を表示


史跡 | 12:52:13 | Comments(0)
“シミズくん”と上京
偶然にも・・・・
水戸藩士の“シミズくん”が所用で上京するという。
で・・・拙者も明日の「みたま祭り」のため、今日中には上京しなければならない。
ならば・・・ということで、早々と一緒に上京することにした。

“シミズくん”は午後から用事があるというので、午前中、中野周辺を散策することにする。
散策と言っても・・・・お墓巡りである。(笑)

DSCF2909_convert_20110816104859.jpg

源通寺には、「河竹黙阿弥」という人のお墓がある。
で・・・この人・・・誰?
博学の“シミズくん”は御存じだが、拙者は全く知らない・・・・
「元の黙阿弥」っていう言葉は知ってるけど・・・(大笑)
この河竹黙阿弥っていう人は、歌舞伎の作家らしい。
作家の坪内逍遥がこの人を「日本のシェークスピア」と称したという。
そのくらい有名な人らしいが・・・・知らない・・・(笑)

ちなみに、この源通寺は、長野県松本の深志城(のちの松本城)城主・小笠原長時の息子、長隆が出家して創建した寺だそうだ。
小笠原長時は武田信玄と戦い敗死、息子の長隆は出家して坊さんになったらしい。
で・・・この長隆は101歳まで生きたという話である。
当時で101歳まで生きるとは化け物である。(大笑)
この寺は何度も移転を繰り返し、最終的にここ中野に落ち着いたらしい。

続いて・・・高徳寺・・・・

DSCF2916_convert_20110816111941.jpg

ここには新井白石の墓がある。
「新井白石ね・・・この人は知ってる・・・学者だよね?」
「朱子学者です」
「ほぉ・・・」(よく知らないから・・・ほぉ~である・・・笑)

墓所内に「加藤家の墓」というのがあった。

DSCF2914_convert_20110816113426.jpg

「加藤さん?・・・誰?」
「長門裕之の一族のお墓・・・」
「俳優の長門裕之って本当は加藤っていうの?」
いやはや芸能人っていうのは、よくわからない。
芸名の方が有名なんだから、当然、長門家の墓なのかなって思っちゃうでしょ?(笑)
加藤家ねぇ~
この一族は、代々芸能人の家系だという。
博学の“シミズくん”はよくご存じだが・・・拙者は芸能界にも興味がないので、さっぱりわからない。(笑)
分からないことばかりである。

墓誌を見てみたら・・・確かに・・・
今年の5月21日に77歳で亡くなられた長門裕之の名が「芸名」として刻されていた。
本名は「加藤晃」という。
で・・・平成21年に亡くなられた奥さんの南田洋子の名も刻されている。
その他、芸名・加藤勢津子、芸名・マキノ智子、芸名・沢村國太郎などの名があるが・・・
当然、“シミズくん”は御存じだが、拙者は全く知らない。
しかし、拙者より一回りほど年下の“シミズくん”が、こういう昔の俳優の事を知っているというのは不思議である。
おかしい・・・こいつは年齢を詐称しているのではあるまいか?(笑)

とにかく、この「加藤家」はすごい家系なのだそうだ・・・(笑)

万昌院・・・・

DSCF2925_convert_20110816120054.jpg

ここには赤穂浪士に殺された吉良上野介や浮世絵師の歌川豊国、作家の林芙美子の墓がある。
が・・・このお寺・・・・
境内に幼稚園があって、寺の入口にはガードマンがいる。(笑)
子供たちの安全の為であろう・・・・
このガードマンに境内の立ち入りの許可をもらい、お墓の写真撮影の許可を求めたら、ダメだという。
幼稚園児を撮影したのでは不味かろうが・・・
墓地内の墓石はいいんじゃないかと思ったが、撮影禁止なのだそうだ。
誠に残念であるが、従わねばならない。
墓所内を散策して、各お墓を“見学”する。

今日もまた暑くてたまらん・・・・
帰り道、喫茶店に立ち寄り、軽くお茶を飲んで、東中野駅で“シミズくん”とはお別れ・・・・
いやぁ~結構充実した時間が過ごせた。
この東中野駅には年に2回、三笠宮殿下との会合で降りる・・・
その時にいつも立ち寄る喫茶店があるので、そこでお昼を食べ、上野に向かい戻る。

日記 | 10:39:57 | Comments(0)
産経新聞政治部秘史
産経新聞政治部秘史産経新聞政治部秘史
(2001/06)
楠田 實

商品詳細を見る



戦後日本政治史とジャーナリスト魂
志に燃えた集団

第1部 占領から独立へ
吉田~鳩山時代(1946~1956年)

第1部の関連年表

大スクープをめぐる秘話(久保田正明)
   締め切り後につかんだ特ダネ、吉田・鳩山会談
   造船疑獄大詰め、佐藤・池田逮捕報道
   吉田内閣総辞職で号外
   鳩山内閣の超目玉、一万田蔵相をスクープ
   空前絶後、パーフェクトの組閣予想
   日ソ交渉とダレス国務長官の脅し
   松本全権大使からの依頼
吉田と鳩山の素顔(野村忠夫)
   新聞記者嫌いの吉田首相への接近
   鳩山復帰への情熱、再起への執念
   大蔵省四谷時代の俊英たち
かくして、東京裁判は終わった(内藤 男)
   東条正眼と天皇証人喚問問題
   特ダネか、提灯記事か
講和条約と日米安保条約の発効前夜(正木 毅)
   講和の地ならし
   強気の吉田のまさかの行動
実現せずに終わった「緒方総理」(岩瀬 繁)
   吉田後継としての期待
   「巨星落つ」
秘密主義の吉田、開けっぴろげの鳩山(岩瀬 繁)
   命がけの追っかけ
   吉田不人気と鳩山ブーム
河野派担当を放棄した理由(楠田 實)

第2部 55年体制のころ
石橋~池田~佐藤時代(1956~1972年)

第2部の関連年表

1 保守合同の時代
三木武吉の執念(楠田 實)
   30年来の怨念を捨てた2人の政治家
   三木のジイさん、最後の遊説

2 石橋時代
岸・石橋の決戦前夜(吉村克己)
   2、3位連合で三木・池田の握手
   悲運の短命政権

3 岸時代
岸首相のお国入り(鈴木良夫)
   釈然としなかった「三悪追放」
   「次は栄作じゃのう」
安保条約改定前夜の真実(松平吉弘)
   例のない大スクープ
   「制限された集団的自衛権は合憲」
   記事にするなと懇願された事前協議
「安保」とは何だったのか(鈴木康允)
   「安保」の幕開け
   “オイコラ警察”と安保国民会議の国会突入
   社会党分裂、民社党結成
   「安保」と「三池」
   “アンポハンタイ”と“声なき声”
   ハガチー事件と樺美智子事件
   マッチ・ポンプのように思えた報道
   「三池」も終わった―逃した特ダネ
全学連、テロ、共産党―激動の渦中で(俵孝太郎)
   西尾末広との縁
   春日一幸の妾宅と金丸信
   西尾の社民批判、再統一論
   浅沼稲次郎、刺殺の瞬間
   死線を彷徨した河上丈太郎
   全学連のころ
   学生運動の前歴者
   共産党代議士への陣中見舞い
本気で純情だった河野一郎(松平吉弘)
口笛を吹く川島正次郎(新井 誠)
   大野伴睦の号泣
   「日本のフーシェ」

4 池田時代
産経独占の「三党公開演説・討論会」(林 建彦)
   浅沼刺殺事件で中止の公開討論会
   “外ヅラ”の江田、“内ヅラ”の山幸
   実現の陰に田中角栄
去るも地獄、残るも地獄―「三池」のリストラ(江本嘉幸)
   「死ぬ覚悟」のピケ
   政策転換闘争の結末
構造改革論を抹殺した「第20回社会党大会」(林 建彦)
   55年体制と社会党の岐路
   退けられた構造改革論
   前尾幹事長の江田書記長論
   劇薬に過ぎた江田ビジョン
社会党自滅の第一歩(鈴木良夫)
   「江田ビジョン」が敗れた日
   車中で密談、自社対決の舞台裏
国会解散で見せた前尾幹事長の良識(林 建彦)
   写真部記者が気づいた「池田はやせた」
   解散めぐり正反対報道の産経と朝日
   「前尾に一目おいている池田」との世評を実感
池田対佐藤の壮絶なる総裁選(林 建彦)
   池田を銀座の安キャバレーに誘う
   飛んだ実弾は10億円以上とも
   辛くも池田三選
調整役に徹した川島副総裁(小畑伸一)
   柔和な笑顔に参る
   岸に訣別し、川島派を結成
   田中角栄と川島
   オリンピック開会式で最後を飾る
   「池田は明日辞めるよ」
   差し止めになった池田辞任の特ダネ
   「せっかくの情報をなぜ書かないのか」
   吉田と川島、「トボケた爺さんはどっちだ」
藤山政権構想、潰える(新井 誠)
   家屋敷を売り払って戦った総裁選
   まさに諸葛孔明の“秋風五丈原”
オリンピック政変(山根卓二)
   幻の特ダネ「池田辞任」
   「間違ったら辞表を出せ」

5 佐藤時代
「忍耐と試練のはじまり」―日韓国交正常化(野美山薫)
   最初からきびしく対立した日韓農相会談
   20年ぶりの君が代
大詰めの日韓交渉―ソウルから報道の1年(林 建彦)
   歴史的声明に影響を与えた同行記者団
   韓国批准国会と若き李東元外相
   「日・韓61年目のつきあい」
弁明しない政治家、佐藤栄作(千田 恒)
生涯政治記者が佐藤首相にあてた一通の書簡(楠田 實)
沖縄返還報道の一断面(佐久間芳夫)
   日本の姿勢とアメリカの評価
   「『核抜き』の方向へ―日本の主張、実現強まる」
   愛知訪米を境に、積極姿勢へ
足して二で割る“伴睦流”で決まった沖縄返還日「(阿部 穆)
この国のかたち」を求めていた時代(村上圭三)
   「土地対策もあのときやっておいたら」
   連載企画「都市創造」
   『日本列島改造論』に警告
   本四連絡橋のその後
慎太郎“新党”一面をかざる―夕刊フジ創刊(山崎幸雄)
三木武夫、打ち首覚悟の造反(荻野明巳)
   毀誉褒貶にさらされた政治家
   佐藤・重宗体制に対する“果たし状”
   重宗の懇願を一蹴した三木の迫力
   喧嘩両成敗の動き
   三木と保利の激しい綱引き
   憲政史上初の革保連立議長の誕生
佐藤政権、後味の悪い幕切れ(山根卓二)
   “黒い霧”と「政治家」
   鹿内新体制と“改革”
   大学紛争と発刊1万号企画
   “角福戦争”がスタート

第3部 「三角大福中」のころ
田中~三木~福田時代(1972~1987年)

第3部の関連年表

1 田中時代
田中政権、つまずきの第一歩(山根卓二)
   “田中ブーム”の勢いにのって
   連載「革新自治体」誕生の舞台裏
日中国交正常化の取材てん末記(阿部 穆)
   「行けばなんとかなるさ」の田中、沈黙の大平
   「天皇陛下によろしく」と周恩来
日本が中東の「友好国」になった日(那部吉正)
   三木副総裁が特使に
   鯨岡メモで特ダネ
福田赳夫を陰で支えた「愛宕会」(佐沢利和)
   聴きしに勝る明るさ
   福田家の朝食
   人柄に惚れ込んだ労組幹部
   「これで日本は大丈夫だ」
「だまれ、男らしい新聞だ」―田中退陣報道と政治部長(阿部 穆)

2 三木時代
三木首相、戦後初の首脳会議へ―ランブイエ・サミット(阿部 穆)
「椎名裁定」の大舞台(岩瀬 繁)
   “神に祈る気持ち”で出した裁定
   三木に対する評価が変わった1本の電話
   舞台裏に産経OB
「椎名裁定」の回想(藤田義郎)

3 福田時代以降
大平首相の死から―政治部長時代の回想(阿部 穆)
   大平首相の死
   大韓航空機撃墜報道に朝日のいいがかり
   自民・新自クの連立を抜く
中曽根の才能(相川二元)
   公明党の衆院進出を促した記事
   「中曽根は冷たい」といわれる理由
   中曽根の英語力
   「永田町はせまいところ」と知る
   一貫している中曽根政治
付録 産経新聞社の沿革と回想録

1 数奇な生い立ち
草創期
   新聞統合、合併を経て誕生
   経営難に陥った世界日報
体制固めのとき
   政治部初代部長はだれか
   寄せ集めなるも、少数精鋭
   目まぐるしく変わった首脳陣     
取材の布陣
   野武士の集団といわれた時代
   合併前から“同じ釜のメシ”だった時事新報
草創期の政治部長を語る
   杉本時代
政治記者の哀歓
   つかみそこねた特ダネ
   車は使い放題
   安月給と国会手当
   「原稿より健康」
2 多様な援軍
時事新報と産経新聞の人脈(野村忠夫)
   拙速のそしりは承知で第1号発行
   給料は最低だが情熱では負けず
   「産経時事」となり新体制に
「産経時事」のころの悲喜劇(今井久夫)
   紙の割り当てと産経ビルをねらった前久さん
   二人のキャップ
   “西尾・平野の対立”を抜く
   半分の特ダネ
大阪新聞政経部の消滅前夜(大森 浩)
   よく売れた大阪新聞
   鮮やかに思い出す大麻唯男

3 追想の記
政治部初年兵の記者生活(西巻 昭)
   山本保と共に
   越中島(保安庁)のころ
大正世代は言論ハングリー(加藤嘉行)
東都知事の思い出(増田善郎)
   迷いに迷って秘書に
   「笑って答えず」
東西人事交流の第一陣(俵孝太郎)
蒋介石との記者会見(沖野 三)
人材確保、育成に努める(阿部 穆)
秘書の目から見た水野成夫(村上 宏)
“水野一座”のドサまわり(岩瀬 繁)



今年の読書:46冊目



読書 | 01:11:06 | Comments(0)