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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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屋根の修復完了!
今日は、朝から“ウメちゃん”の職人たちがやって来て、屋根瓦の修復作業。
瓦屋さんじゃないんだけど・・・やってくれる。
現在、瓦屋さんに頼んだら、とんでもない金額を請求されるか、はたまたいつまで待たされるかわからない。

“ウメちゃん”のところで、今回の震災で解体した家の瓦や、瓦屋根から別のものにリフォームした時に出た瓦を集めていていて、我が家の瓦に合致するものがあったので、それを流用して修復する。
また、棟瓦が一部崩れていたが、これは材料の入手が困難で、プロの瓦屋さん以外では修復は難しい。
で・・・棟瓦が一体化された簡単に施工できるものを見つけてきた。
これなら遠目には従来の棟瓦との差はわからない。
これでいいんじゃないか?・・・・安いし・・・・(笑)
というわけで・・・施工の“実験台”になることにした。
我が家でうまくいけば、他のお客さんにこれを売り込んでもいいんじゃないか?

約6時間ほどで屋根瓦の修復が完了する。
バッチリ!・・・・である。

残るは・・・崩壊した塀の修復だが・・・
これは・・・いいやぁ~
当分の間は、このまま放置しておこう。(笑)

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日記 | 22:01:30 | Comments(0)
生きている二・二六
生きている2・26生きている2・26
(1987/02)
池田 俊彦

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著者は、決起に参加した歩兵第1連隊の将校。
裁判で死刑を免れて生き残った数少ない将校の一人である。
「生き残った」という負い目がヒシヒシと伝わる書である。
陸軍士官学校同期の林八郎少尉は銃殺刑に処せられている。
同期の林少尉を思う気持ちが本書全体に流れている・・・・
林少尉を処刑した銃殺隊員が、やはり同期の“進藤先生”だった。
私の大学時代の恩師である。
自分が生き残り、同期の林少尉が処刑されたというのはなんとも辛い思いだったろう。
同期生を射殺する“進藤先生”も辛かっただろう。
今は亡き“進藤先生”を思いだした・・・・

彼らが言う「昭和維新」とは何だったのか・・・
2・26事件は起こすべきクーデターだったのだろうか?
筆者の言葉を借りれば、この事件により、処刑された同志は人物的にも立派な人が多かったという。
皇道派と呼ばれる高邁な思想を持つ人たちは、この事件により失脚させられたという。
ファッショ的思想を持つ幕僚に陸軍は主導権を握られてしまい、その批判勢力の皇道派は一掃されてしまった。
それが後々の「太平洋戦争」に繋がっていく・・・と言っていいかもしれない。
そう考えると、2・26事件は起こすべきではなかったということになるが、これは結果論である。
「昭和維新」の精神は間違っていないと筆者は言う。
「これは武力に訴えて革命を行うことではなく、青年が正義にもって、不義を許さず、弱者を助ける暖かい心を持つことである」というのだが・・・
この言葉には矛盾がある。
実際に武力を持って決起したからである。
太平洋戦争後、改めて「昭和維新」というのを考えた時に・・・ということなのだろうが・・・
難しい・・・
気持ちはわからないでもないが・・・う~ん・・・・と唸るしかないか・・・
生前、祖父がこの事件に参加するように求められたというが、結局断ったという。
どうして参加しなかったのか・・・その理由を尋ねたが答えてはくれなかった。
「参加していたら、俺は、今こうして生きてはおらんよ」としか言ってくれなかった。
なんとなく、分かる気がする・・・・祖父の気持ち・・・
精神は、気持ちは、わかるが・・・決起はねぇ~・・・・こういう人は多かったのではないか?

2・26事件を単なる“事件”として認識していいかどうか・・・・
後世の我々は、それをもう少し考えた方がいいかもしれない。



序章

第1章 獗起
官邸突入
首相見逃す

第2章 軍法会議
わが半生
裁判始まる
審理進む
近づく求刑の日
判決下る
遺書

第3章 長い歳月の中で
出所後の日々
戦後を生きる
観音の慰霊像
11月20日事件
事件と共に
22の十字架

第4章 回顧と反省
奇妙な話



今年の読書:43冊目



読書 | 20:58:47 | Comments(0)