FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

県歴史館へ行く
親父が水戸にある「茨城県歴史館」へ行きたいという。
自分で長距離を運転するのが不安になってきたようだ。
いい傾向である。(笑)

仕方がない・・・付き合うか・・・(笑)
ということで水戸に向かう。
今回の特別展のテーマは・・・
『佐竹氏と正宗寺~常陸北部の禅宗文化~』である。
う~ん・・・あまり興味ないんですけど・・・・(笑)
展示品は書状と掛軸と肖像画・・・・
薄暗くてよく見えないし・・・・(笑)
展示品保護のため薄暗くしているのはわかるが、説明文も字が小さいし暗いし、で読みづらい。
こういう展示の仕方を見ると、拙者は無性に腹が立つのである。
自分たちだけが分かればいいという開催者側の自己満足の展示・・・・
年寄りの人にも読めるように、もう少し文字を大きくすべきではないか?
展示品の説明文のところだけにピンポイントで照明を当ててやって読みやすくすべきではないか?
子供でも分かるように漢字には振り仮名を振ったらどうだ?
どうも、見学者の立場を考えていないとしか思えない。

こんなもの・・・面白くないわい!!(笑)

「資料紹介展」は『茨城の常磐炭田』・・・・
1階展示室の隅っこに、ほんのわずか展示されているだけ・・・・極めてお粗末・・・
が・・・しかし・・・
これが意外や意外・・・なかなかいい内容だった。(笑)

その昔、親父の実家のすぐ脇に、炭鉱があった。
そこから国鉄の駅まで線路があって、蒸気機関車が1日に1~2往復、石炭を運んでいた。
拙者が小学生になるかどうかという頃のことである。
おじいちゃんの家は、高台にあり、そこから線路が良く見える。
お昼頃、汽笛が鳴ると、庭に飛び出し、蒸気機関車に手を振った。
ある日、機関士が気が付いて手を振ってくれたことがある。
この時の嬉しさは今もって忘れられない。
手を振ったのは機関士だが、蒸気機関車が手を振ってくれたような気がして嬉しかった。
あの時の機関士の姿も目に焼き付いている。
この思い出のおかげで、拙者は電車に乗っている時、土手などで手を振る小さな子供がいる時には手を振り返してあげることにしている。(大笑)
ある時、拙者が車内から手を振るのに気が付いて、大喜びで飛び跳ねて手を振ってくれた小さな子供がいた。
う~ん・・・この子は、電車が手を振ってくれた・・・と感じただろうなぁ~
それでいい・・・
「変なおじちゃんが手を振っている」と思わないところがかわいい。(大笑)

おばあちゃんとの買い物は、炭鉱の人達がよく利用していた「供給所」と呼ばれる、今でいうスーパーだった。
買い物かごを持って、おばあちゃんと手をつないでよく買い物に行ったものである。
あの頃の懐かしい思い出が蘇り、古写真の前から離れがたい・・・・
この常磐炭田は歴史が古い。
ここで産出された石炭は、この間、水戸藩士の“シミズくん”と一緒に行った「反射炉」の燃料としても使われていたそうである。
いやぁ~そういう繋がりがあったとは・・・感激である!
あの反射炉にも使われていたのか!
無料の配布資料があったので、“シミズくん”の分と2部もらう。

親父が帰り際、今回の特別展の図録が欲しいという。
帰宅してから、よ~く読んでみたいというのだが・・・
そういう図録は作られていない。
毎回のことであるが、茨城県はケチである。(笑)
貧乏なのかもしれない・・・(笑)
茨城県には図録を買うような“勉強家”はいないのか?
立派なものでなくてもいいから、何か小冊子ぐらいのものを作ってもいいと思うのだが・・・
展示品の説明文が読みづらいんだから・・・・
「また、今回も図録を作ってねぇのかぁ~」と親父と二人で文句を言いながら歴史館を出る。

そうだ・・・そう言えば、館内のどこかにアンケート用紙があったような気がする・・・
次回以降、これからはアンケート用紙にガンガン文句を書いてやろう!
陰でブツブツ言っていても仕方がない・・・(笑)

帰宅後、“シミズくん”に連絡・・・・
常磐炭鉱の資料を受け取りに来てもらったついでに、一緒に夕食を外食する。

日記 | 17:47:39 | Comments(0)
目撃者が語る日本史 2・26事件
2.26事件 青年将校の蹶起から鎮圧、処刑まで (目撃者が語る昭和史)2.26事件 青年将校の蹶起から鎮圧、処刑まで (目撃者が語る昭和史)
(1989/05)
義井 博

商品詳細を見る


監修のことば 猪瀬直樹

2・26事件再検討の素材 義井 博

第1章 蹶起
機関銃下に牧野邸炎上      当時歩兵第1連隊一等兵 黒沢元晴
鈴木閣下、一命を頂戴・・・」 当時歩兵第3連隊第6中隊曹長( 旧姓・堂込)佐々木喜市
首相官邸に尊皇義軍旗      当時歩兵第1連隊機関銃隊上等兵 倉友音吉
青森連隊の呼応計画       当時青森連隊大尉 末松太平
政界刷新費、500万円     当時石原産業社長 石原廣一郎

第2章 遭難
包囲下の首相官邸        当時岡田啓介首相秘書官 福田 耕
父、是清を語る         高橋利一
「天皇の命令でやれッ・・・!」 当時陸軍省軍事課歩兵少佐 片倉 衷
“重大決意”を迫られた陸相   当時川島陸軍大臣秘書官 小松光彦
山王ホテル、恐怖の4日間    当時山王ホテル支配人 竹内清次郎

第3章 鎮圧
乱れ飛んだ前夜の怪情報    当時憲兵曹長・特務班長 小坂慶助
銃剣の中で帰順説得      当時陸軍少佐・第1師団増援参謀 桜井徳太郎
品川沖に艦隊の示威出動    当時海軍省軍務局第1課・主務局員 高田利種
警視庁占拠隊長との対決    当時警視庁特別警備隊長 岡崎英城
奉勅命令と石原莞爾の勇断   当時陸軍省勤務 松村秀逸
2・26事件と海軍      元海軍中将 福留 繁
兵に告ぐ!歴史的大放送のうら 当時陸軍少佐・陸軍省新聞班長 大久保弘一

第4章 処刑
軍事法廷、なみだの判決 当時第10師団法務部長 伊藤章信
代々木原頭に銃声空しく 当時歩兵第57連隊大尉 山之口甫
2・26事件、軍獄秘話 当時東京陸軍刑務所長 塚本定吉

第5章 記者たちの見た2・26事件
2・26反乱将校と涙の訣別 当時電通記者 宇多武次
目撃した2・26事件    当時週刊『時局新聞』編集長 秋月俊一郎
反乱将校との対決      当時朝日新聞主筆 緒方竹虎
反乱軍本拠に単身取材    当時同盟通信社会部記者 斎藤正躬
終結、その瞬間       当時時事新報記者 岡村敬一

第6章 背景
インタビュー・事件の真相を衝く 元陸軍大将 荒木貞夫
2・26事件の発端、相沢事件  当時陸軍省軍務局政策班長・中佐 池田純久
犠牲者顕彰にわが生涯を     河野寿元大尉実兄・仏心会会長 河野 司
(座談会) 2・26事件をしのんで 『週刊読売』編集部
  読売新聞社新聞監事委員会副委員長 鴇沢幸治
  読売新聞社編集局次長兼政治部長 古田徳次郎
  ラジオ東京編成総務 鈴木恒治
  読売新聞社出版局総務 和田副治
  読売新聞社写真部嘱託 影山光洋
(座談会)2・26事件の謎を解く
  元陸軍大尉 大蔵栄一
  民間側参加者 古賀 斌
  元戒厳参謀長 安井藤治
  元総理秘書官 迫水久恒
  元総理大臣 岡田啓介


本書は、2・26事件に関わった各層の方々の証言を集めた本である。
どうも、過去に発行された「人物往来」に掲載されたものを主に集めて構成したものらしい。
今となってはもう皆さん鬼籍に入られておられるだろうから、二度と聞けないお話ばかり。
そういう点では貴重な証言録であると言える。
生前の祖父の話によると・・・
当時祖父は留守第1師団の副官として、この決起した将校たちの処刑に携わったという。
副官だったから細々したことをやったのだろう。
遺体を遺族に引き渡すのも担当したと言っていた。
ある意味“犯罪者”ともいえる反乱軍の遺体をちゃんと遺族に引き渡したのだろうか・・・と祖父の発言に少し疑問を持っていたが、本書に、テントを張って、そこで遺族に引き渡した話が載っていた。
祖父の名前は出ていないが、やっぱりちゃんと引き渡していたんだと再確認できて嬉しかった。

本書には河野寿元大尉のお兄さんである河野司さんの記事も掲載されていた。
河野氏とは、昔、一度だけお電話でお話しをしたことがある。
2・26事件慰霊碑にお参りした時に名刺を置いて帰ったので、お電話をくださったのである。
が・・・その後、私から連絡をしなかったために、とうとうそのままとなってしまった。
河野氏は平成2年にお亡くなりになったらしい。
ということは・・・21年以上前にお電話でお話ししたということになる。
祖父が亡くなったのが平成3年である。
しかし、祖父に河野司さんと電話で話をしたという報告をした記憶がない。
どうしてだろう・・・・
なぜか、一度だけしか電話で話したことのない河野氏の声は今も耳に残っている。

本書には決起部隊側として、主に歩兵第1連隊の方々の記事が載っているが、他の部隊の方の記事・証言がないのが残念である。
我が戦友会の宮澤さんはこの時、近衛歩兵第3連隊の初年兵として決起に参加していた。
初年兵だったから何が何だか分からぬまま参加したので処罰はされなかったそうである。
本書が発行された後、多くの関係者から投書が出版社に寄せられたのではあるまいか?
続編として、更に多くの方の証言を載せた本を出版してもらいたかったなぁ~と思う。

本書の記述の中で大きな問題が一つある。
最後の部分・・・「対談、2・26事件の謎を解く」である。
これは「改造」という本に昭和26年に掲載されたものを転載したらしい。
この座談会に、岡田啓介元首相が参加されているようになっているが、御子息の手紙では、座談会当時は起居出来ない状態だったので座談会に参加しているわけがないという。
元総理秘書官の迫水氏が、あたかも岡田元首相が参加していたように取り繕ったようである。
これは編集部の希望だったのではないかという。
その希望を聞き入れて、迫水氏が岡田元総理に口頭で話を聞き、それを書いたものを渡し、編集部が適当に対談の中に取り込んで、あたかも対談に参加していたように装ったのである。
これはとんでもないことである。
対談に参加していない人物をあたかも参加しているように装うとは・・・
この「改造」の編集部の常識を疑わざるを得ない。
こういう“ウソ”が一つでもあると、全ての証言が疑われてしまうというのがわからないのだろうか?
幸いにも本書では、岡田元総理の御子息のこの指摘と、岡田元首相が対談内で発言したとされる一部の発言の取り消しを求める指摘を併記して、この対談記事を掲載しているので、他の記事への信ぴょう性を疑う声を抑えることが出来るだろう。
その点では、本書を出版した新人物往来社の良識が見えて好感が持てる。
多分、こういう但し書きを付けてでも、貴重な対談証言なので掲載したのだろう。
確かに貴重な証言集である。



今年の読書:45冊目



読書 | 10:42:04 | Comments(0)
突然の来訪者
ピンポ~ン!
突然、我が家のチャイムが鳴った・・・・
インターフォンから「福岡の“ヒラノ”です」との声・・・
福岡の“ヒラノさん”????
一瞬、福岡から来た行商人の訪問販売かと思った。(大笑)
が・・・拙者の名前を出して来たので・・・・あれ?
拙者が知っている“ヒラノさん”って福岡在住の戦没者遺族の中におられるが・・・
まさか・・・
と・・・外に出たら・・・
やっぱりそうだった!

“ヒラノさん”とは5年ほど前に手紙のやり取りをしたことがあるのみ。
お会いしたことはない。
初対面である。
いやぁ~驚いた!
被災に遭われたそうなので・・・と様子を見に来て下さったのである。
で・・・お土産まで持参で・・・・
「わざわざおいで下さったのですか?」
「いやぁ~花巻のほうへ行ったついでに寄ってみただけですから・・・」とおっしゃる。
それは・・・・“ついで”とは言えないんじゃないだろうか?(笑)
花巻と我が家は、とんでもなく離れているし、途中下車をするルートでもない。
車で来たのかと思ったら、電車だというんだから、“わざわざ”ではなかろうか?

考えてみれば、九州の人からすれば、岩手も宮城も福島も、そして我が茨城も同じようなものなのかもしれない。(笑)
“すぐ近く”という感覚かも・・・・
拙者も、福岡を訪問した“ついで”に、大分の戦友に会いに行ったり、お昼に福岡県の久留米にいながら、長崎駅前で友人と夕食の待ち合わせをしたり・・・という“ついで”をしたことがあるから・・・(笑)
それと同じ感覚かもしれない。

それにしても驚いた。
とにかく家に上がってもらって、ゆっくりおしゃべりでも・・・とお誘いしたが、すぐに帰るからと固辞される。
結局、5分にも満たない立ち話で終わる。
いやぁ~申し訳ない・・・
わざわざ来て下さったのに・・・・
どうしても立ち話でいいと言われ・・・・なんとも困った・・・・
お土産を置いて、さっさと帰ってしまわれた・・・・

とっさのことなので、こちらも気が動転していた。
“ヒラノさん”が立ち去った後になって、だんだん思い出して来た。(笑)
どこの部隊の御遺族だっけ・・・・
戦死したお父さんは、拙者の祖父が指揮を執ったサラクサク峠で配属された部隊の一人だった・・・・
あ・・・思い出した・・・
が・・・時、すでに遅し・・・である。
参ったぁ~

一日中、落ちつかない・・・・
折角来て下さったのに、5分にも満たない立ち話で帰してしまった・・・・
もっと強引に引き止めるべきではなかったか・・・
今更悩んでも仕方がないことだが・・・
判断をミスったか?

日記 | 11:53:31 | Comments(2)
常識としての軍事学
常識としての軍事学 (中公新書ラクレ)常識としての軍事学 (中公新書ラクレ)
(2005/01)
潮 匡人

商品詳細を見る


まえがき
「軍」とは上に旗を立てた車
「有事」は元々、祭事だった

第1部 軍事は日常にあふれている

第1章 軍事って、そういうことだったのか
セーラー服と機関銃
なぜ軍服はかっこいいのか
大使館を海兵隊が警備する理由

第2章 軍事がビジネス・シーンを動かしてきた
インターネット網は誰が何のために作ったか
電子メールは米軍に傍受されている
カー・ナビも天気予報も軍事の産物
コンピュータは軍隊が開発した
日本経済再生の鍵は軍事にあった

第3章 軍隊というグローバル・スタンダード
伝統文化は掛け替えのないもの
軍隊はみな同じ顔を持っている
ここがヘンだよ自衛隊
軍隊が生んだ互換性と標準化
「NO」と言わない空軍将校
軍隊で出世する条件とは

第2部 反軍思想と自衛隊の戦力

第4章 軍事が近代化を生んだ
目から鱗を落とそう
戦争が近代資本主義を生んだ
「軍国主義とピューリタニズムは兄弟」
戦国時代は平和だった
古代、軍務は直接税だった
軍事とは本来、聖なるもの

第5章 足してはいけない、戦力の世界
「戦力なき自衛隊」の誕生
海上自衛隊は強いが、陸上、航空は弱い?
『防衛白書』に騙されるな
ミリタリー・ルックも戦力向上策
軍事パレードで戦力を計る
戦力の計算方法を考える

第6章 どう違う、陸上戦力、海上戦力、航空戦力
本当は弱い北朝鮮
「人命尊重第一」が生んだ悲劇
階級呼称が異なる理由
航空戦力の秘密
可動率が戦力を左右する
軍事学の辞書に「制空権」はない
航空戦力は四次元の世界

第3部 諜報戦に対する世界の常識、日本の非常識

第7章 敵を知り、己を知れば、百戦危うからず
コンビニのPOSシステムも軍隊から生まれた
軍隊はこうして情報を見積もっている
偵察衛星はどこまで見える?
テポドン発射は探知できない
大使館は秘密のスパイ組織

第8章 CIAが秘密工作員を使う事情
日朝国交「正常化」がもたらすもの
何から何までやりたい放題
大使館の位置と規模で分かる国際関係
世界一有名な秘密工作員

第9章 秘密工作員はどのような職業に偽装するか
イラクでの情報収集体制は万全か
日本人外交官殺害事件で見過ごされたこと
日本は諜報戦でも「専守防衛」
秘密工作員の「肩書き」の定番とは
CIA工作員が米国マスコミに「就職」できない理由
日本人ジャーナリストが標的となる可能性

第4部 新しい時代におけるわが国の戦略

第10章 現代戦争の主役は誰か
アフガン戦争とは何だったのか
アフガンに撒かれた「実弾」とは
イラク戦争の主役は特殊部隊だった
本当は誰がフセインを捕獲したのか
「あのときを境に世界は変わった」

第11章 戦略的思考とは何か
戦略と戦術はどう違うのか
「目的はパリ、目標はフランス軍」
防衛白書が述べる「わが国の特性」
専守防衛を非難したジョン・ロック
守るべき日本の國體とは何か

第12章 防衛庁・自衛隊はこう変わる
防衛庁と自衛隊は、どこが違う?
リーダーとスタッフの違い
統合幕僚長が新設される理由
勇猛果敢、支離滅裂って誰のこと?
防衛力から戦力へ

放課後の質問コーナー



今年の読書:44冊目



読書 | 22:58:56 | Comments(0)
恒例の墓参り
今日は中学時代の同級生の“サトウくん”の命日である。
例年通り、今年も墓参りに行く。
で・・・例年通り、お墓にはタバコが2本と缶コーヒーが供えられていた。
花は・・・ない。
多分、日曜日の昨日にでもお参りに来たのだろう。
彼が死んで35年経つ・・・・
その間、この“墓参り客”に出会ったことがない。
一体誰なんだろう・・・・
多分、拙者と同じ同級生ではないかと思うのだが・・・



日記 | 11:37:16 | Comments(0)
屋根の修復完了!
今日は、朝から“ウメちゃん”の職人たちがやって来て、屋根瓦の修復作業。
瓦屋さんじゃないんだけど・・・やってくれる。
現在、瓦屋さんに頼んだら、とんでもない金額を請求されるか、はたまたいつまで待たされるかわからない。

“ウメちゃん”のところで、今回の震災で解体した家の瓦や、瓦屋根から別のものにリフォームした時に出た瓦を集めていていて、我が家の瓦に合致するものがあったので、それを流用して修復する。
また、棟瓦が一部崩れていたが、これは材料の入手が困難で、プロの瓦屋さん以外では修復は難しい。
で・・・棟瓦が一体化された簡単に施工できるものを見つけてきた。
これなら遠目には従来の棟瓦との差はわからない。
これでいいんじゃないか?・・・・安いし・・・・(笑)
というわけで・・・施工の“実験台”になることにした。
我が家でうまくいけば、他のお客さんにこれを売り込んでもいいんじゃないか?

約6時間ほどで屋根瓦の修復が完了する。
バッチリ!・・・・である。

残るは・・・崩壊した塀の修復だが・・・
これは・・・いいやぁ~
当分の間は、このまま放置しておこう。(笑)

日記 | 22:01:30 | Comments(0)
生きている二・二六
生きている2・26生きている2・26
(1987/02)
池田 俊彦

商品詳細を見る


著者は、決起に参加した歩兵第1連隊の将校。
裁判で死刑を免れて生き残った数少ない将校の一人である。
「生き残った」という負い目がヒシヒシと伝わる書である。
陸軍士官学校同期の林八郎少尉は銃殺刑に処せられている。
同期の林少尉を思う気持ちが本書全体に流れている・・・・
林少尉を処刑した銃殺隊員が、やはり同期の“進藤先生”だった。
私の大学時代の恩師である。
自分が生き残り、同期の林少尉が処刑されたというのはなんとも辛い思いだったろう。
同期生を射殺する“進藤先生”も辛かっただろう。
今は亡き“進藤先生”を思いだした・・・・

彼らが言う「昭和維新」とは何だったのか・・・
2・26事件は起こすべきクーデターだったのだろうか?
筆者の言葉を借りれば、この事件により、処刑された同志は人物的にも立派な人が多かったという。
皇道派と呼ばれる高邁な思想を持つ人たちは、この事件により失脚させられたという。
ファッショ的思想を持つ幕僚に陸軍は主導権を握られてしまい、その批判勢力の皇道派は一掃されてしまった。
それが後々の「太平洋戦争」に繋がっていく・・・と言っていいかもしれない。
そう考えると、2・26事件は起こすべきではなかったということになるが、これは結果論である。
「昭和維新」の精神は間違っていないと筆者は言う。
「これは武力に訴えて革命を行うことではなく、青年が正義にもって、不義を許さず、弱者を助ける暖かい心を持つことである」というのだが・・・
この言葉には矛盾がある。
実際に武力を持って決起したからである。
太平洋戦争後、改めて「昭和維新」というのを考えた時に・・・ということなのだろうが・・・
難しい・・・
気持ちはわからないでもないが・・・う~ん・・・・と唸るしかないか・・・
生前、祖父がこの事件に参加するように求められたというが、結局断ったという。
どうして参加しなかったのか・・・その理由を尋ねたが答えてはくれなかった。
「参加していたら、俺は、今こうして生きてはおらんよ」としか言ってくれなかった。
なんとなく、分かる気がする・・・・祖父の気持ち・・・
精神は、気持ちは、わかるが・・・決起はねぇ~・・・・こういう人は多かったのではないか?

2・26事件を単なる“事件”として認識していいかどうか・・・・
後世の我々は、それをもう少し考えた方がいいかもしれない。



序章

第1章 獗起
官邸突入
首相見逃す

第2章 軍法会議
わが半生
裁判始まる
審理進む
近づく求刑の日
判決下る
遺書

第3章 長い歳月の中で
出所後の日々
戦後を生きる
観音の慰霊像
11月20日事件
事件と共に
22の十字架

第4章 回顧と反省
奇妙な話



今年の読書:43冊目



読書 | 20:58:47 | Comments(0)
今日もお中元が届く
今日もお中元が届く・・・・
今度も戦友会の会員・・・・“フジイさん”からである。
以前、一緒に2人でミンダナオ島へ行った“おじいちゃん”である。

この間、自転車に乗っていてひっくり返って怪我をして入院したことは娘さんとお電話でお話しをして知っていたが・・・
その後、どうしているかな~と思ったら、娘さんから転居の葉書が届いた。
“フジイさん”はずっと一人暮らしを続けていたが、怪我をしたことをきっかけに、娘さん御家族が同居することになったようである。

で・・・・お中元のお礼の電話を入れる。
お中元は娘さんが“フジイさん”の名前で送ってくれたようである。
娘さんにお礼と御無沙汰のご挨拶をして・・・“フジイさん”に電話を代わってもらう。
思ったより元気なお声なので安心した。
怪我の方も大したことはなく、取りあえず日常生活には支障はないらしい。
御高齢だから完璧に元に戻るというわけにはいかないが、寝たきりにはなっていないという報告に安心した。
が・・・突然・・・
「いやぁ~フィリピンにはもう、行けないよぉ。無理だなぁ~こうなっちゃぁ~」と言うのである。
へっ?拙者は何も言ってませんけど・・・
「いやぁ~・・・フィリピン・・・無理だなぁ~」
あのぉ~・・・もしもし・・・・
そういうことを突然言われては、電話の側にいる娘さんが勘違いするんじゃないでしょうか?(笑)
なにか・・・拙者が無理やりフィリピンへ行こうと誘っているように聞こえちゃうんじゃないでしょうか?(笑)
参ったなぁ~勘弁してよぉ~“フジイさん”!!
娘さんがお父さんを睨んでいる姿が目に浮かぶんですけど・・・(大笑)

日記 | 22:52:13 | Comments(0)
前のページ