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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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総会
我が会の慰霊祭後、本日宿泊予定のホテルに移動して総会・・・・
と言っても、参加者は拙者を含めて5名である。(笑)
他の方々はみなさん日帰りで帰られた。

我が会は、他の戦友会とは少し趣が違うのかもしれないが、戦没者の慰霊に力を入れてきた組織だそうで・・・
師団規模だと、お互いに一面識もないのである。
その“見知らぬ“人たちが集まるのは、戦死した戦友や自分の親の慰霊のためだけ。
このため、戦友が何人か一緒にいれば総会や懇親会には参加するが・・・ということになる。
残念ながら年々次々とお亡くなりになられる方が多くなり・・・・
総会や懇親会に参加しても知っている人はいないし・・・・ということで参加者は激減。
本来の慰霊祭すら高齢のため参加できないぐらいなのだから仕方がない。
が・・・やるべきことはやらねばならない。(笑)

総会と言っても5名だし・・・
司会進行は拙者の役目なので、総会兼懇親会ということで同時進行とする。
戦没者ならびに戦後の物故会員に対して黙祷を捧げた後、着座・・・・
会長から挨拶をもらい・・・・
昨年度の決算報告と監査報告は拙者が行なう。
その他、話し合いを必要とする事項なども拙者からさせてもらうので・・・・
会長挨拶以外は、全て拙者がしゃべり続けるというお恥ずかしい総会である。(大笑)
が・・・やっぱり会計などお金のことはキチンと報告せねば・・・
それと、今回の「士魂会」との一件の報告・・・・
この会との交流から弾みを付け、将来的には各戦車部隊の戦友や遺族の方々と交流を持ち、日本陸軍の戦車部隊をひとつにとりまとめて、戦友会等の組織が解散してしまい、組織だって慰霊祭が出来なくなった各慰霊祭を復活・企画して、お互いに参加し、少しでも「慰霊」が続けられるように考えていたことをご披露する。
が・・・最初からあのようにつまづいたのでは・・・・ねぇ~(笑)
壮大な計画もオジャン!(笑)

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今回の参加者(宿泊者)は5名・・・・
そのうち生還者は2名・・・・
最高齢者は“イズミヤさん”の92歳である。
「来年はどうなるか分からないよ」とおっしゃっていたが、今年もお元気で参加された。
嬉しい限りである。
が・・・この先はどうなるか・・・・
「総会」が会長と拙者の2人だけの打合せで終わってしまうような日が来るのか・・・
それでも、慰霊祭は出来るだけ永く続けていこうと思う。
戦没者のことを忘れてしまったのでは失礼だ。
バチが当たる・・・・
拙者はそう思うのである。

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日記 | 20:39:46 | Comments(0)
慰霊祭
例大祭終了後、直ちに我が戦車第二師団の慰霊碑の前で慰霊祭を挙行する。
“マエダ会長”は比島観音奉賛会の役員を兼任しているので、そちらが優先・・・・
というわけで、テーブルの設置から焼香台、供物、椅子の設置は全て拙者一人で行なわなければならない。
毎年のことではあるが・・・なにかと忙しい・・・(笑)
用意が出来たら、参列者の方々には着座して頂き、僧侶を待つ・・・
僧侶が到着したら、拙者が司会をして慰霊祭の開催となる。
特に式次第があるわけではない・・・・行き当たりばったりの司会である。(笑)
更に記録用の写真も撮らねばならない。
あれやこれやを短時間で処理しなくてはならないので頭の中は大混乱となるのだが、ミスをするわけにはいかないというこの緊張感!
毎度のことながら、この緊張感がたまらないのである。(笑)

今年の参加者は事前の連絡では拙者を含めて11名であったが、同伴者が2名追加となり、合計13名での慰霊祭となる。
同伴者も加わって頂いたことで人数が増えて格好がつき、ありがたいことである。
特に中学生のお孫さんが参列してくれたのは嬉しかった。
彼は、何が何だか分からず“おじいちゃん”に付いて来たのだろうけど・・・
彼の思い出の中にこの慰霊祭が残ってくれたら有難い。

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今回の慰霊祭には戦車第11連隊戦友会(士魂会)の事務局長さんも参加される予定だったが・・・
結局、不参加・・・・
事の始まりは、今年の1月に靖国神社の会報に我が戦友会が年始の挨拶の広告を出したことに始まる。
この広告を見たこの事務局長さんが「今でも戦友会が活動しているのですか」と我が会長に連絡してきたのである。
そもそも戦車第11連隊は我が戦車第2師団の隷下の部隊だったが、途中で、この部隊だけが北千島へ派遣されて分かれてしまった。
現地で終戦を迎えたが、終戦のドサクサに紛れてソ連軍が上陸し、終戦後にもかかわらず戦闘を強いられたのである。
残る我が戦車第2師団はその後、フィリピンのルソン島で米軍と戦いながら現地で終戦を迎えた。
戦った場所は違うが、もとは同じであるから・・・
お互いの戦友会も会員が減ってさびしい状態なので、これからはお互いに行き来しようではないかという話に発展した。
ここ比島観音境内にはフィリピン戦に関係した慰霊碑がずらりと並んでいるが、この境内敷地外にはフィリピン戦とは無関係の部隊の慰霊碑がたくさん建立されていて、その中に戦車第11連隊の「士魂碑」もある。
まずは初めてのことなので、先方には我が戦友会の慰霊祭に参加して頂き、我が戦友会でも先方の慰霊碑のお参りをしてお互い交流をしようということで、我が会から先方の慰霊碑にお花を供えさせていただいた。

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ところがである・・・・
この三ヶ根山頂に来るのに、ヒッチハイクで来るというのである。
おい、おい、それでは何時に着くか分からんじゃないか?
会長の話によれば、送迎バスがあるので、それに乗って来て欲しいと言ったところ、送迎が終わった後に来るつもりだそうで、ヒッチハイクで行くと言い張ったようである。
ヒッチハイクなどで来れる場所ではないのは重々承知のことだと思うのだが・・・
(自分の会の慰霊碑があるのだから過去に何度も来て知っているはずである)
ヒッチハイクと言えば、それでは申し訳ないからと、こちらが迎えに出ると思ったのかもしれない。
しかし、我が会長は例大祭の受付担当、拙者は戦友会の受付担当で動けない。
とてもじゃないが山の下まで迎えに行く余裕はないのである。
それを伝えても承知しないらしい。
加えて到着時間がどうなるかわからないと言いだしたそうで、こちらの慰霊祭が終わった頃に来るような話をし出したという。
あれ?それでは慰霊祭に参加するという話はどこへ行ったのか?
更に決定打が・・・・
弔辞を用意したので、それを慰霊祭で読み上げさせてもらいたいというのである。
弔辞・・・すなわち「追悼の言葉」は、我が会の会長の役目なので、そういうわけにはいかない。
その中で戦車11連隊の話も織り込むので、それで了承してもらいたいと会長から話したそうだが、納得されない。
「出番を作ってくれないなら、わざわざ行く必要はないから行くのはやめた」と捨て台詞を吐いたらしいのである。
かなり自己顕示欲の強い方のようである。
何時に行くかわからない、迎えに来ないならヒッチハイクで行くから慰霊祭が終わる頃到着するだろう、弔辞を読むという出番を作ってくれないなら行かない・・・・とは、なんという我儘だろう。
相手に敬意を表するなら、相手の慰霊祭、当然、比島観音例大祭の開会前には現地に到着するのが礼儀ではないか?
同じ“事務局長”として呆れるほかはない。
そもそも事務局長とは縁の下の力持ちではなくてはならないと拙者は思うのである。
自己主張をして自分が目立つことより、会をうまくとりまとめて運営することが、その職務だと思うのである。
当然、他の会との交流に関しても、うまくやっていくことを考えるのが事務局長の役目であろう。
が・・・
「曙光会」といい、「士魂会」といい、どうしてこれらの会の事務局長は我儘で自己中心で自己顕示欲が強いのだろうか?
例の「曙光会」の事務局長の“ホンマさん”はお父さんが戦死された「遺児」である。
「士魂会」の事務局長さんも「遺児」である。
こう言っては失礼だが、「遺児」だからなのか、それとも世代的に問題があるのか?
更に驚いたことに、当日、この戦友会の会員数名(かなりのご高齢な方と女性)が来ていて、自分達の慰霊碑の参拝をし、我が会長に挨拶して帰って行ったという。
拙者のところには挨拶に来なかったので分からなかったが・・・
会長の話によれば、事務局長から「代わりに行って自分のところの慰霊碑をお参りして来てくれ」と言われてきたが、我が会とのいきさつは全く知らないとのことだったという。
あらら・・・なんという非常識・・・・
自分より年長者の会員に命令しておいて自分は行かないとは・・・事務局長にあるまじき行為ではないか?
こういうことでは、お父さんという方がどの程度の人物かと疑われてしまうのではなかろうか?
「息子を見れば親が分かる」・・・・・
戦死した父親の顔に泥を塗ってはいまいか?
呆れたお方である・・・・
我が会が用意したお花は無駄金を使ったことになったが、こちらはこちらで筋を通し礼を尽くしたのだから、それで良しとしようと会長と話し合う。

日記 | 12:56:15 | Comments(0)
比島観音例大祭に参列
今日は三ヶ根山にある比島観音の例大祭。
例年通り同じ行動パターンである。
豊橋駅から大垣行きの各駅停車に乗って三ヶ根駅へ・・・・
駅を降りて、送迎バスの担当者に挨拶して駅の売店でコーヒーを飲んで一服・・・
今年は我が戦友会からの参加者は少ない。
稲垣会長御存命の時は、大阪組が乗ってくる上りの列車の到着を待って合流し、送迎バスに乗って向かったが・・・・
稲垣会長が亡くなってからは、「大坂組」というグループでの参加者がいなくなり、みなさんバラバラ。
待っていてもキリがないので・・・・そろそろバスに乗ろうかと思ったら・・・
この間、一緒にマニラに行った“エトウさん”と出会う。
いやぁ~マニラではお世話になりましたぁ~・・・一緒に送迎バスに乗り三ヶ根山へ向かう。

例大祭会場に到着し、“エトウさん”と別れ、例大祭の受付を担当している我が戦友会会長の“マエダさん”と挨拶し、拙者は例年通り戦友会の受付場所に陣取る。
この時、マニラに一緒に行った“ホンマさん”を見かけたが、敢えて無視する。
と言うのも・・・・
実は帰国後すぐに“アベ”という年配の方から電話をいただいた。
一面識もない方である。
「あんた、マニラで会計監査について何だかんだと言ったそうだね?」といきなりである・・・・
更に、「仕事は何をしてるの?」「あんたに会計監査のことが分かるの?」という失礼な物言い・・・
面と向かっての話ならば、短気な拙者はプッチン切れただろう。
しかし、電話ということもあるし、ご年配のようなので失礼のないよう言葉には注意をしてお話しさせていただく。
続いて自分は政府の税制などの諮問委員もやっていたのだと自慢話。
自分は政府に依頼されたくらいの偉い人間なんだぞと言いたいのだろう。
自分の経歴を自慢して拙者を抑えつけようという態度・・・・よくいる「ケチな男」である。
よく聞く「有識者」と呼ばれる「御用学者」・・・政府の飼い犬である。
どこも偉くはないだろう・・・所詮、官僚のいいなりになる人物しか選ばれないんだから・・・・
そのうち・・・
「あんたは何も分かっていない!曙光会というのは高尚な目的に向かって活動している団体なのだ!よ~く、そこのところを理解したうえで口をきいてもらいたい」と言う。
ほぉ~カラオケ歌ってどんちゃん騒ぎをする団体が「高尚な目的」を実践している団体と言うのか?
カラオケのドンチャン騒ぎが「高尚」なのか?
昨年の北海道大会でも、札幌護国神社にお参りもせず解散・・・・
お参りに行ったのは拙者だけである。
今年の静岡大会でも、静岡県護国神社にはお参りに行く予定は入っておらず、市内観光をして解散する予定になっている。
そこにはフィリピンで玉砕した部隊の慰霊碑があるというのにお参りにもいかないのか?
それがフィリピン戦の遺族の集まりのすることなのか?
「我が組織は、思想的にも右でもないし左でもない。政治的にも無色の団体である!そこのところはちゃんと理解してもらいたい!」と言う。
ほぉ~カラオケで軍歌を歌ってはしゃいでいるのは「右」ではないと言うのか?
笑止千万である。
「左」ではないことは確かだが、「右」ではないと言い切れるか?
馬鹿じゃあるまいか・・・このオヤジ・・・・
さすがにムカムカ腹が立って来た・・・・
「で・・・“ホンマさん”にねじ込んでくれと言われて電話してきたんですか?」と尋ねたら相手はシドロモドロになった。(笑)
なんという汚い手を使ってきたものか・・・帰国早々・・・・
「あんたから、あの人にガツンと言って下さい」と頼まれたのだろう。
面識もなく、彼女との議論の内容も知らない癖に、電話でねじ込んでくるこのオヤジもオヤジである。
まさしく「類は友を呼ぶ」である。
文句があるなら自分で電話をかけてくればいいことである。
他人を使って、ねじ込んでくるとは・・・・腹の虫が収まらぬ。
この電話で、拙者の気持ちは決まった。
金輪際、曙光会には参加をしないことにする。
こんな人間が事務局長などをしている団体には参加する気は起らない。
で・・・・顔を合わせた時に人を使ってねじ込んできたことを責めてやろうと思ったのだが、例大祭の会場で喧嘩をしたのでは申し訳ない・・・・
こういうときは・・・・無視するに限る。
が・・・顔を見るとムカつくんだよなぁ~

例大祭の参加者は例年減り続けている感じ・・・・
この先どうなるやら・・・と言う気がしないでもない。
今回は、この間のマニラでの遺骨収集に関する陳情活動の報告を“カメイさん”と“カワムラさん”がおこなった。

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毎年参加していると、毎回、何人かの遺族から声をかけられる。
過去に戦没者の資料収集など調査を依頼されお手伝いしてあげた方々である。
が・・・年に1回、もしくは何年に1回しかお会いしないので・・・
「その節は大変お世話になりました」と声を掛けられて挨拶されても、顔も覚えていないし名前も思い出せない・・・・
何のお世話をしたんだっけ?(笑)
どうしてこうも記憶力が悪いのか・・・・
なんとも情けないお話である。

日記 | 10:41:06 | Comments(0)