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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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評伝 高野長英
評伝高野長英―1804-50評伝高野長英―1804-50
(2007/11)
鶴見 俊輔

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1 水沢の人
安倍・清原両氏と水沢の地
水沢人の気位の高さ
日本人神学生ベデロ・スカイ岐部
岐部神父の東北布教
キリシタンの迫害
ローマ法王あての奥羽信徒の手紙
寿庵とカルヴァリョ神父
当地に数多い隠れキリシタン
かくし念仏とキリスト教の交流する場
日本最初の社会学原論を書いたキリスト者・山崎為徳
長英の生涯をたどる手法

2 留守家臣団 1804~20
気候の変異と不作
凶作・飢饉の原因としての冷害
南部藩の政策失敗と飢饉
凶作・飢饉・流民
高野長英誕生と留守家臣団
高野家と後藤家
長英誕生地に諸説あり
後藤家の系図
高野家の系図
実兄湛斎とともに江戸へ

3 蘭学社中 1820~25
大都会江戸でのとまどい
蘭学の開拓と発達
杉田玄白と大槻玄沢
玄白の養子・伯元
伯元の塾を退き、吉田長叔に入門
兄・後藤湛斎の気性
湛斎の病と死
養父・高野玄斎に会えず
町人・久米吉を支え、自ら中間奉公
久米吉をうらまず
恩師・吉田長叔の死と、その後の吉田塾
長崎行の計画と含み
オランダ書の翻訳力と読書力

4 西方の人 1825~31
シーボルトの鳴滝塾に入る
シーボルトの略歴と彼の門人たち
最初の塾頭・美馬順三
謹厳なる塾頭・岡研介
シーボルトのための弁明につくす塾頭・高良斎
事件後、塾を支えた戸塚静海
長英、入門後ただちに頭角をあらわす
長英のオランダ語力のめざましさ
シーボルトからの資格「証明書」授与
長英の卒業論文「鯨および捕鯨について」
シーボルトの大著『ニッポン』を支えた長英のオランダ語論文
長英のオランダ語訳の流儀
間宮林蔵、高橋景保の絡むシーボルト事件
養父・高野玄斎の没
水沢に戻る決断とそのゆらぎ
水沢には戻らぬ決心
玄斎の娘千越あての手紙
5年ぶり、江戸に帰る
郷里への意識と母の江戸呼びよせ

5 無人島 1831~39
小笠原貞頼と小笠原諸島
貞頼の子孫たちの渡海
ヨーロッパ文献・漂民報告・林子平の言及
無量寿寺と住職順宣・順道父子
漂流者からの聞き書写本
住職父子の渡航計画への大きな覚悟
『小笠原嶋要覧』中の順宣の伝記
小人目付・小笠原貢蔵自筆手控の中の順宣像
目付・鳥居耀蔵の政治的決断基準
モリソン号への砲撃と、崋山『慎機論』・長英『夢物語』
崋山らの逮捕と長英の自首
崋山へのきびしい取り調べと長英に関する風説
小冊子『夢物語』の力
ロバート・モリソンとその息子
幕府の海外認識への提案
文化交流に役立った7人の漂流者
長英の『蛮社遭厄小記』にみられる蘭学史
「善く戦ふて上刑に服する」
尚歯会に出席し、生涯の岐路に
裁判の判決がくだり、長英は永牢に
小笠原渡航志願者たちの悲しい結末
外国人移住者への幕府の対応
明治初年の政府調査団と領土問題
「小笠原島兇徒嘯聚衆事件」
日本の大衆思想史における小笠原諸島

6 脱獄 1830~44
江戸開業時代の長英の評判
長英の飢饉政策の書『二物考』『避疫要法』
長英の達意の文章
長英獄中手記に描かれた先輩・小関三英像
崋山の姿勢と政治観
崋山と長英における生き方の違い
崋山への救援の動き
長英の囚人たちとのつきあい
牢の種別―揚り座敷、揚り屋、大牢、百姓牢、無宿牢
5年にわたる大牢のひどい暮らし
長英の獄中漢詩
念頭をはなれぬ老母の姿
脱獄の道をえらぶ
牢内雑役夫・非人栄蔵との経緯

7 同好の士 1844~49
同郷の蘭学者・大槻俊斎を訪ねる
俊斎、閉門を命じられる
漢方医の加藤宗俊・尚歯会の遠藤勝助らを訪ねる
長英の門人・水村玄銅宅を訪ねる
玄銅の兄・高野隆仙宅にかくまわれる
捕まった隆仙、口をわらず
長英、知人の多い上州で過ごす
上州と無宿者
鍋屋旅館の「瑞皐」の間、沢渡温泉の「穴小屋」
長英塾の太忠宗禎、上州の蘭学を育む
長英に重んじられた門人・高橋景作
代官・根岸権之助、長英をかくまうか
高橋景作日記の空白の意味
文珠院にかくまわれる
景作の5代末裔当主を訪ねる
赤岩の名医・湯本俊斎宅に「長英の間」
長英への援助者・柳田鼎蔵
長英滞在の言いつたえをもつ家々
直江津の大肝煎・福永七兵衛にかくまわれる
実母に会って後、仙台・福島へ
米沢の侍医・堀内忠寛宅の土蔵にかくまわれる
忠寛の門人・高橋家膳宅にかくまわれる
長英、江戸に戻る
『知彼一助』における対欧米国防策
長英、宇和島藩領に入る
蘭書の授業と砲台作成計画
学識の反映された司書の仕事
長英の西洋哲学史記述
金比羅神社詣で
長英の翻訳論と思索の方法論
長英の「学則」に見られる思想
宇和島での暮らしぶり
江戸からの危急を告げる飛脚
広島を経て、再び宇和島藩の援護の下に
シーボルトの忠実な助手・二宮敬作
敬作の血縁者たち
宇和島の社会的気風
長英に同行した百姓・市次郎の証言
長英につかえた誠意の人・若党昌次郎
長英を助けた蘭医・山崎玄庵の受難
名古屋の蘭学者・小沢長次郎宅にかくまわれる
長次郎の曾孫・小沢武男を訪ねる
「CA趣味の会」と長英記念碑

8 無籍者の死 1849~50
人相を変えて、江戸に帰る
長英最後の日に、妻子を助けた内田弥太郎・松下寿酔
青山百人町の家で、捕方におそわれる
事件への幕府の正式発表
妻わきと3人の子への処置
長英の遺骨は不明

9 よみがえる長英
明治初年、蘭学者たちが長英資料を収集
自由民権運動の活動家・藤田茂吉の長英像
河竹黙阿弥の芝居『夢物語蘆生容画』
長英像を理想化する黙阿弥脚本
抗議をうけて、芝居興行打ち切り
内務省官吏・後藤新平からの抗議
高野長運、長英事蹟研究を決意する
講談世界で語りつがれる長英伝説
真山青果の戯曲『玄朴と長英』に託されたもの
記録の辺境にある人物

高野長英主要著作
高野長英年譜



今年の読書:13冊目



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読書 | 22:46:31 | Comments(0)
町内会名簿の配布
今日は、新たに出来上がった町内会の名簿の配布のため出掛ける。
この名簿を配布は、新年度の役員の発表も兼ねているのである。
本来は、町内会会長が自分で作成して、人数分コピーをとって配布するらしいのだが・・・
幸いにも、会計の“コバヤシさん”は印刷屋さんなのである。(笑)
わざわざ拙者がコピーして、あとからコピー代を請求するより・・・
“コバヤシさん”に作成からコピーまでやってもらった方が早い。
本業なんだから・・・しかも会計だし・・・
ということで、“コバヤシさん”に作成してもらい人数分受け取り、各地区の自治委員に配布に歩く。
といっても・・・誰がどこに住んでいるのか・・・知らない。(大笑)
住宅地図を頼りに1軒、1軒訪ね歩く。
まぁ、これも勉強である。(笑)
身近な地域を知るいい機会である。
会長就任の1番最初の仕事は・・・・無事終了!(大笑)


日記 | 20:24:25 | Comments(0)