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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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回天発進
回天発進―わが出発は遂に訪れず (光人社NF文庫)回天発進―わが出発は遂に訪れず (光人社NF文庫)
(2000/02)
重本 俊一

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第1章 戦艦激突
1 嵐の前
2 まさに孤立無援
3 輸送船火だるま
4 轟々たる砲声
5 敵影追跡
6 船団全滅の憂き目

第2章 東京急行
1 仰ぎ見る直衛機
2 無人の関所
3 苦肉の策
4 世界一の魚雷
5 ドラム缶輸送
6 静かなる進撃
7 水雷戦隊の雄
8 乗るなら駆逐艦
9 救助が関の山

第3章 消耗惨敗
 1 飛行場争奪
 2 問題は輸送手段
 3 駆逐艦の墓場
 4 全力総出動
 5 兵法の第一義
 6 軍司令官の後ろ姿
 7 飛行場は火の海
 8 総攻撃挫折
 9 南太平洋海戦
10 成功の算なし

第4章 業火の海
 1 選ばれた戦士
 2 沛然たる豪雨
 3 揚陸作業用意
 4 全軍突撃せよ
 5 夜戦たけなわ
 6 記録すべき瞬間
 7 完璧な砲雷撃
 8 めぐまれた幸運
 9 僚艦を救え
10 壮絶なる海没
11 戦場心理
12 喪失艦24隻

第5章 憤死の場
 1 篠つく雨
 2 落日のソロモン
 3 艦も人も入渠修理
 4 不吉な予感
 5 嘘から出たまこと
 6 戦闘航行不能
 7 魚雷か機雷か
 8 対空戦闘準備
 9 機密書類処分
10 運命は不可解
11 轟沈そして漂流
12 退艦準備
13 愛艦を離れ
14 哀れなる姿
15 機銃員の奮戦
16 密林の島
17 フェアウェイ島
18 短命の生涯
19 荘厳なる臨終
20 アンウィン島
21 生存者収容
22 浮遊物発見
23 真紅の砲煙
24 山本長官戦死か
25 戦い敗れて

第6章 憂国の至情
1 太平洋遊泳
2 人間魚雷
3 急速潜航40秒
4 特殊工事
5 搭載設備と構造
6 2人の創始者
7 夜間も潜航
8 油断は禁物
9 4人の特攻隊員

第7章 菊水の旗のもと
 1 ウルシーの灯
 2 艦長の心くばり
 3 期友への負い目
 4 最後の手段
 5 壮絶な男の別れ
 6 菊水隊
 7 最も長い一日
 8 余念なき搭乗員
 9 訣別の盃
10 厳粛なる儀式
11 出発します
12 爆発の火柱
13 読経なき通夜
14 戦果報告

第8章 われら金剛隊
 1 漂流者救助
 2 ベストを尽くすべし
 3 童顔の薩摩隼人
 4 弔い合戦
 5 4人の若人たち
 6 軍医長の一喝
 7 生涯最大の賭け
 8 不屈の闘志
 9 予期せぬ奇蹟
10 雑煮餅
11 赤道祭
12 結ばれた唇
13 涙と苦悩の時
14 突入の閃光
15 航行艦を襲え

エピローグ
1 犠牲的精神の花
2 哀しき乗艦の最後

副題の「わが出発は遂に訪れず」を見ると、著者は人間魚雷回天の搭乗員かと思ってしまうのだが、実のところは搭乗員ではない。
一見すると勘違いを起こしやすい副題である。
本書の前半部分は、駆逐艦「親潮」の航海士だった著者の体験談である。
主にガダルカナル戦に従事した体験談で占められている。
後半は、駆逐艦から潜水艦に転じ、伊号第47潜水艦の航海長としての体験談である。
この時に、回天特別攻撃隊菊水隊、金剛隊の出撃に関わっている。



今年の読書:21冊目



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読書 | 23:36:18 | Comments(0)
故郷に帰れない?
震災被害者が県境を越えて避難所や親せき宅などに身を寄せると、あとで自分の県内の仮設住宅に入居できなくなる恐れがあるのだそうだ。
つまり、福島県の被災者が茨城県の用意した避難施設や親せき宅に移ると、福島県の仮設住宅には移動できないということらしい。

これは、災害救助法を所管する厚生労働省が「仮設」間の移動を認めていないからなのだという。
そんな馬鹿な・・・と言いたくなる。
「移動を認めない」という条文を法律の中に作ってあるのだろうか?
憲法違反にもなりかねないという気がしないでもない。
が・・・反面・・・・
この仮設住宅は嫌だ、あっちの仮設住宅の方が最新型だからあっちがいい・・・などという我儘を規制するために設けられたのかもしれない。
法律を作るのも、運用するのも、それを利用するのも人間である。
つまり人間の質の問題ということになる。

福島県は観光庁の支援策を利用して茨城県など他県のホテルや旅館に被災者を誘導する施策を打ち出したが、地元に仮設住宅が出来ても、そこへは移動できない、故郷に戻れないとなるかもしれないと被災者が二の足を踏んでいるらしい。
その気持ちもわからないでもないが・・・・
金のためなら故郷を棄てて東京にさっさと行くくせに、こういう時は何が何でも地元に残りたいなどというのも・・・ねぇ~・・・・と突っ込みを入れたくなる気がしないでもない。(笑)

福島県が(もしくは観光庁か?)が借り上げるホテルや旅館は3食付きで5000円なのだそうだ。
これは当然公費で借りるので被災者には負担はないが・・・・
3食付きで5000円では、いくらなんでもひどすぎる気がする。
これじゃホテルや旅館が可哀そうである。
しかもいつまで住み続けるのかハッキリしないんだから。
5000円ではホテルや旅館の善意にすがるにしては酷過ぎないか?
なんでもかんでも「被災者なんだから・・・」と特別な配慮を求めるのもいかがなものか?

最近では復旧工事関係者の宿泊が多くなって被災者の希望に沿った部屋の確保は難しくなっているという。
当然だろう。
3食付きで5000円ではねぇ~・・・・
本来は宿泊施設側の希望する料金で借り上げてやるべきだろう。
事情が事情だから、正規料金より気持ち安くしてもらうが利益はちゃんと確保してもらう。
で・・・税金はキチッと支払ってもらって国の予算にも貢献して頂く。
そうしないと、被災者も悲惨、宿泊施設側も悲惨となるのではないか?

ここぞとばかり、我儘を言う被災者も多いだろう。
基本的に「戒厳令」が日本には存在していないことが全ての問題である。
非常事態の「戒厳令」によって、平時の法律の停止、または柔軟な運用をすることで、「故郷に帰れないかも」なんていうくだらない問題は起らないのではあるまいか?

エッセイ | 13:55:49 | Comments(0)
妹のライブ
西荻窪の駅を降りる・・・・
大学生時代、何度かここを訪れているはずだが・・・27年も経つと記憶が完全に消えている。(笑)
駅前ってこんな感じだっけ?
まだ時間に余裕があったので駅周辺をウロウロしてみたが、全く記憶にない街並みである。
27年の間に変わったのか?
それとも、そもそも記憶に何も残っていないのか?
大学時代・・・“猛者”だった拙者は「寸志」と書いた熨斗を付けた一升瓶を片手にこの駅に降り宴会場へ向かった。(笑)
駅前と辻々には学ランを着た後輩たちが立ち並び「オッス!ご苦労様です!オッス!」と挨拶をしてくる。
その中を「おお、御苦労!」と返事をしながら一升瓶を片手に肩で風を切って歩いていた。(大笑)
今考えると・・・恐ろしく異様な光景である・・・(汗)
どう見ても学生というよりヤクザである。(笑)
たしか・・西荻窪だったような気がするんだけどなぁ~
荻窪だったかなぁ~
27年も経つと西荻窪も荻窪も区別がつかなくなっているほどボケてしまっている自分がいる。
歳は取りたくねぇもんだぁ~
あの頃が懐かしい・・・・
勢いがあったんだよなぁ~

ピアノを弾く妹が最近、プロのギタリストと一緒になってライブをするようになった。
音大を出てピアノを教えていたが、自分の子供たちにも追い越され・・・(大笑)
もう、クラシックから足を洗って引退しようとしていたら、新しい道を示されたようで・・・・
半プロみたいな演奏家になったらしい。(笑)
とにかく聴きに来てくれというので出掛けてきたわけだが・・・
拙者は音楽のことは全くわからない。
うまいんだか下手なんだか・・・(笑)
お金を取るんだから、そこそこうまいんだろうねぇ~まさか・・・・
妹の知り合いもかなり来ていたようである。
当然、音大出身者が多いので、その目(耳?)は厳しいから、かなりのプレッシャーだろう。(笑)
参ったのは、演奏の合間のおしゃべり・・・MCっていうのかな?
う~ん・・・PTAのオバチャンの井戸端会議じゃないんだけど・・・・と突っ込みたくなる。(笑)
正直言って聴くに堪えられないので・・・(笑)
下を向いていた。
ライブが終わって妹に「なんでお兄ちゃんはずっと下を向いていたのよ!」と怒られた。(大笑)
だって仕方がないじゃん・・・聴いているこっちが恥かしくなっちゃったんだもん!(大笑)

日記 | 22:48:38 | Comments(2)
27年ぶりの井の頭公園
今日は、妹の「ライブ」を聴きに上京する。
ライブは夕方なので、それまで時間を潰すことにしたが・・・・
どこへ行こうか決めないまま上京してしまった。
ライブは西荻窪・・・
近くで時間潰し・・・と考えて、思い立ったのが吉祥寺・・・・(笑)
井の頭公園にでも行ってみるか・・・
ということで、井の頭公園に向かう。

この公園・・・・久し振りである。
初めて来たのは、高校を卒業して、東京の予備校に通っていた浪人時代。
18歳の“浪士”だったわけだ。(大笑)
高校の後輩の女の子が拙者に会いに上京し、初めてデートをした場所である。
が・・・どこを、どう歩いたのやら何を話したのやら全く覚えていない。
公園の景色すら記憶に残っていない。
行ったことは確かなのだが・・・・
この井の頭公園でデートをするとアベックは別れることになるという話を聞いたのはずっと後のことである。
たしかに・・・拙者と彼女は結ばれることはなかった。
だから・・・今も、拙者は独身なのだ。(笑)
2度目に来たのは大学1年の時のこと。
入学早々、同級生と来たのだが、これまた公園の記憶がない。
記憶にある景色は、公園の入り口の狭い路地。
夜だったと思う。
何かの祭りを見に来たのかもしれない・・・・
この狭い路地で、同じ予備校に通っていた女の子とすれ違った。
口をきいたこともないし名前も知らないが、可愛い子だったのでよく覚えていた。
彼女はどこの大学に合格したのだろう・・・と思ったことを覚えている。
人ごみの中ですれ違った彼女の横顔が今も脳裏に焼き付いている。
彼女はどうしているだろうか?
彼女も51才なんだろうねぇ~今では・・・
3回目に来たのは大学4年生の時のこと。
大学の後輩と二人で体育祭をさぼって、ここに来たような記憶がある。
男二人で・・・ボートに乗って弁当を食べた記憶がある。
今思えば、男二人でボートに乗るなんて汗顔の至りである。(みっともない・・・笑)
が・・やはり公園の景色は全く記憶がない。
彼は現在、奈良県の大和郡山市に住んでいる。
平成19年に大和郡山市の郡山城を訪れた時に彼のことを思い出したが・・・
彼の住所も電話番号もメモしてこなかったので連絡を取ることが出来なかった。
眼と鼻の先に来ているのに会えなかったのは今でも残念である。

で・・・今回が4回目の訪問・・・27年ぶりである。
公園の中をスーツ姿でウロウロ歩き回る、その姿は異様だったかも・・・(笑)
いくら歩き回っても何の記憶もない・・・・
拙者はかなり頭が悪いのだろう。
普通は、何かしら一つくらい思いだしてもいいはずなのだが・・・
池があることくらいしか記憶がない。
公園がどういうレイアウトなのかも記憶にないのだから重症である。

DSCF2788_convert_20110720212808.jpg

今回、絶対過去には行っていない場所・・・井の頭自然文化園の中の彫刻園へ行ってみる。
ここは井の頭公園のはずれにあるので、絶対行ったことはないはずである。
行ってみたら、やたらと家族連れが多い。
どうも動物園みたいな感じになっているようなのだ。
拙者が興味があるのは彫刻の方・・・・
園内に孔子、加藤清正、日蓮などの銅像がある。
また、野口雨情の書斎である「童心亭」が移築されている。
おお、意外にも充実した時間を過ごせた。(笑)

帰る途中、喫茶店で一服・・・・
店を出る時に、お店のマスターから「お仕事ご苦労様です」と声を掛けられた。
う~ん・・・なんだろ・・・これ?
拙者は私服の警官じゃないんだけど・・・(大笑)

まだ、時間があったので、駅前の古書店を覗いてみる。
で・・・これは水戸藩士の“シミズくん”にいいんじゃないか~という古書を見つけたので、早速お土産として購入する。
ついでに、自分用に2冊ほど購入・・・・いきなりカバンが重くなった・・・・(笑)
危うく、今日、上京した目的を忘れるところだった。
急いで西荻窪へ向かう。

日記 | 20:38:02 | Comments(0)
基準って何だ?
厚生労働省は、通常時は年間50ミリシーベルトと定めている原発作業員の被爆線量の上限を当面の間、撤廃する方針を固めたという。
つまり、規制する基準を無くすということである。
じゃぁ、今までの基準は何だったのだ?・・・・と言いたくなる。
上限を無くしても人体には大丈夫なのか?
今までの基準が間違っていましたというなら少しは理解できるが・・・
上限撤廃はないでしょ。
いくら被爆してもいいなら、放射能漏れで騒ぐ必要はないはずである。

原発の作業に従事できる人は全国で7万人しかいないそうである。
規定の被爆線量を超えると、その人は原発作業に関わることは出来なくなる。
現在の福島原発での作業だけですぐに人材が枯渇してしまうということになる。
そこで経済産業省が厚生労働省に特例的な措置を要請して、この方針が固まったらしい。

頭のよい人は考える事が違う。(笑)
背に腹変えられないなら基準も何もかも撤廃だというのだから・・・・
「官僚」と呼ばれるエリートが考えた揚句の結論がこれか?
こんな安易な方針は小学生にでもできることである。
作業者の健康について厚生労働省はどう考えているんだろう?

しかも、労働組合関係者が大人しいのも不思議でならない。
抗議しないのか?
得意のデモ行進をしないのか?
政府与党は、市民運動家と労働者をバックにした旧社会党の残党の集まりだと思うのだが・・・
何も言わないの????
許しちゃうの?
唖然・・・である。

戦時中も、戦後も、人間の考え方というのは変わっていないらしい。
つまり・・・“戦争”から何も勉強をしていないのである。
戦時中、米軍の反撃時期は○年○月頃であろう・・・と予測していたが・・・・
その予測の基準になっていたのは、自分たちの都合によるものであった。
つまり、米軍の反撃に対する我々の防御の準備が進まず、その頃にならないと、防御が完了しないので・・・
こちらの準備が整うまでは米軍は反撃してこないということにしようという呆れる“予測”だったのである。
これでは戦争に勝てるわけがない。
あの頃と変わっていない・・・・エリートの考えることは愚かである。
自分の都合に合わせていいのか?

ならば・・・
捨てるのはもったいないし、売り上げも減るから賞味期限を改ざんしてもいいということになるのではないか?
あの賞味期限改ざん事件の騒ぎは何だったのだ?
賞味期限という“基準”を勝手に誤魔化したことを散々マスコミは批判したはずだが・・・

“基準”とはなんぞや・・・・

エッセイ | 14:59:19 | Comments(0)
山下奉文 昭和の悲劇
山下奉文―昭和の悲劇 (文春文庫)山下奉文―昭和の悲劇 (文春文庫)
(2008/04/10)
福田 和也

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一 英雄
大杉のもとに宿った二つの運命
徹底した合理主義が生んだ「特攻の思想」
貧困を眺めながら育った少年期

二 組織
何故、皇道派に加担したのか
山下・パーシバル会談の真相
保田與重郎の山下観

三 粛清
疑わしきは罰す
「死んだ兵隊のために動いてはナラン」
「恐怖」によってかろうじて保たれていた中立
井伏鱒二の筆による「マレーの虎」の横顔

四 敗北
セクショナリズムの病弊
大西瀧治郎の2000万人特攻論
退却と飢餓
屈辱に満ちた降伏調印式
終焉の地ロス・バニョス

五 余滴
大宮・青葉園の記念館
歩兵第3連隊に集った青年将校たち
連隊長・山下大佐に対する兵士の思い
山下が悩み続けた心の痛手
組織人ゆえの酷薄さだったのか



今年の読書:20冊目



読書 | 14:10:04 | Comments(0)
義援金をどうしよう?
我が母校の大学から同窓会の茨城支部に義援金が送られて来たと支部長からお電話をいただいた。
拙者は昨年から副支部長に就任したが、支部長からお電話をいただいたのは初めてのこと。
義援金をもらったが、どう分配すべきかという相談の電話・・・・
なかなか難しい問題である。

拙者の意見は・・・・
まず、支部の会合に毎回参加されている会員の中で被害に遭っている方がおられるか・・・
おられれば、その方に最優先に差し上げればいい。
そういう方が一人しかおられなければ、その方に全額渡してもいいのではないかとさえ思っている。
なにも、茨城県出身の卒業生全員に“平等”に分配する必要はないのではないか?
義援金を受け取れる“資格”を、どう決めるか・・・
当然悩むところであるが、拙者の基準は明快なのである。
支部のために貢献している人、支部の集まりに参加している人にその権利を与えるべきである。
支部に渡された義援金なんだから当然ではないか?
なにも“平等”に分ける必要はない。
支部の会合に顔を出さない人にまで渡す必要はない。
拙者は“極論”をぶち上げる性格なので、ついつい“自信を持って”言っちゃったけど・・・(笑)
筋から言ったら、絶対、そうだと思うんだよなぁ~
たとえ、あとから、一部の人だけがもらったと批判を受けても毅然たる態度を取るべきだと思うんだよなぁ~
「じゃぁ、あなたは支部のため今まで何をしてきたのか?」と反論すべきである。(笑)

具体的にどうするかは後日、改めて決めるとして・・・・
取りあえず、支部の役員、会員の被害状況の情報収集に当たることにしようということで電話を切る。

日記 | 11:15:00 | Comments(0)
案内状を送る
来月、靖国神社で我が戦車第二師団の永代神楽祭が開催される。
毎年、同じ日に開催されるので、知っている会員が、それぞれ自主的に集まっていたという感じだった。
いつものメンバーで・・・というのも年が経つにつれてなかなか難しくなる。
ということで・・・近年は、拙者が往復はがきで神楽祭の案内を送るようにした。
今年は範囲を福島県から静岡県在住の会員までに拡大したが、それでも30名である。
このうち何人参加されるか・・・
参加されないだろうな~と分かっている方々にも一応案内状をお送りする。
この出欠確認の葉書は近況の確認も兼ねるようにしているのである。

さて・・・何通、回答が返ってくるか・・・
楽しみでもあり、不安でもある。




日記 | 10:26:24 | Comments(0)
中野正剛自決の謎
中野正剛自決の謎中野正剛自決の謎
(1996/09)
渡辺 行男

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暁の検挙
東方会員一斉検挙
町村証言の虚実
「国政変乱の罪」

憲政擁護運動で気を吐く
生い立ち
儕輩を睥睨する
犬養・尾崎を称える
憲政擁護運動の展開

首相官邸の大評定
松阪検事総長
首相官邸日本間で
「東条総理機密記録」の中味
松阪総長、抵抗す
「造言蜚語、人心惑乱でやれぬのか」
東京憲兵隊へ

中野を釈放せよ
思想部検事の戸惑い
小林予審判事の苦悩
伊藤博文の『憲法義解(ぎげ)』
「中野さん、あなたは釈放されます」
更ニ一層ノ楼ニ上ル
自刃

「陳述無茶」の謎
「万事休す」
自決をめぐる諸説
憲兵隊で何があったのか

政界遍歴
新聞記者から政界へ
革新倶楽部へ入る
犬養との訣別

三百万円事件と露探嫌疑
事件の発端
陸軍機密費をあばく
宇垣陸相の反撃
政友会の反撃
左脚切断
満州某重大事件を追及

国民同盟結成
逓信政務次官
政民協力内閣構想と民政党脱党
国民同盟を結成

東方会に拠る
国民同盟脱退
全体主義への傾斜
独・伊を訪問
社大党との合同をはかる

大政翼賛会総務となる
議員を辞職
大政翼賛会総務
南進論を唱える

「茶坊主だまれ!」
翼賛選挙
「天下一人を以て興る」
鳩山邸での盟約
大荒れ代議士会
「茶坊主だまれ!」
重臣工作
軽井沢へ押し出す
重臣の東条排斥工作

二・二六事件電話傍受メモ
匂坂資料との出会い
電話傍受メモ
雪の朝の決起
北「給養アルカ」
中野正剛電話傍受メモ
広田弘毅に大命降下
軍部大臣の現役武官制復活
緊迫の傍受記録
北一輝と中野正剛

「中野正剛捜査復命書」の怪
怪文書の謎
報告復命書
タワリツシ818号
中野の視察行動

終章
自決の謎
屈辱の淵より
細川日記の謎
結語

中野正剛の息子さんは大学の教授・・・・
その大学に私は通っていた。
学部が違うので直接指導を受けたことはないが、4年生の時に大学の改革案の件で中野先生と大激論を戦わしたことがある。
当時、先生は教授陣の大学改革の委員会の委員長をされていた。
私は学生側の大学改革の担当者であった。
我が大学は将来を見越してどう改革すべきかで激論を戦わした。
あの時のことが思い出される。
この議論の時、たった一度しかお会いしたことがないが・・・・
その時、仲介してくれた友人から「中野正剛の息子さんだ」ということを聞かされた。
が・・・「中野正剛」って何をした人なのか、どんな人なのか知らなかった。
憲兵隊に捕まって釈放された後、自殺した人ということしか知らなかった。
憲兵隊に捕まったくらいだから左翼思想の持ち主なのだろうと思っていた。
しかし、どうもそうではないらしい。
本書を読んでみて初めて知ったが・・・・左なのか右なのか良くわからない人だ。
ある意味、私と共通する部分があるような気がする。
中野先生からお父様である正剛についてお話を伺ってみたかった。
先生は2年ほど前に他界したと聞く。
残念である・・・・
あの中野先生との議論は、一種の「根回し」である。
本命は学長との議論で、学長室でお茶をいただきながら2人で激論を戦わした。
結局、私の改革案が了承されたが、学生から出た案ではマズイということで、「学長案」として教授会で諮られることになり、私が改革案を作成した。
教授会ではスムーズに改革案が採択されたという。
それもそのはずだ・・・事前に委員長である中野先生と激論を戦わしていたのだから・・・(笑)
「学長案」を見て、中野先生は誰がこの案を作成したのか気付いたかもしれない。
学長はなぜ教授会で改革案がスムーズに承認されたのか不思議に思ったかもしれない。(笑)
中野先生には初対面にも関わらず、かなりの「暴言」を吐いたので、さぞかし不愉快だったろうと思っていたが、仲介してくれた友人からは「先生が、うちの大学にああいう猛者がいるとは驚いた・・・とすごく喜んでいたよ」と言われた。
評価されたことが嬉しかったが、その後、とうとう会わず仕舞い。
あの時、もう一度お会いしてお礼を言っておくべきだったと今になって後悔している。
中野正剛の自決については憲兵による謀殺説、リンチの後遺症による死亡説もあったように記憶しているが・・・・
結局、その自決の真相は本書でもわからない。
推測の域を出ない・・・・
自殺(自決)というのは、そういうものなのかもしれない。



今年の読書:19冊目



読書 | 08:13:22 | Comments(0)
伯父さんの告別式
今日は伯父さんの告別式である。
朝5時半起床は、さすがにキツイ・・・・
急いで身支度をして斎場へ向かう。

午前8時前、斎場に到着。
葬儀社の“旧姓スケガワさん”が「私が担当します」と挨拶に来た。
もしかして拙者の親戚の葬儀ということで自分から担当を申し出たのではなかろうか?
ありがたいことである。
彼女はバタバタと飛び回っているので、私語を交わす機会は殆どなかったが・・・・
40年ぶりに再開した友人に面倒を見てもらうというのは嬉しいものである。

焼骨中、別室で待機・・・となるが・・・・
親戚の中のある叔父は、相変わらず大声で馬鹿笑い。
昔からそうなのだが、この人は、場所やその場の雰囲気、自分の立場をまったく考えない人なのである。
親父はムッとしていたが、一言もなくいるので安心するとともに寂しくもある。
昔の親父ならば「こういう場所で馬鹿笑いをしている奴があるか!」と怒鳴っただろうし、それがきっかけで親戚中で喧嘩騒ぎとなったはずである。
が・・・親父も弱くなったというか大人しくなったものである。
今回は何も言わず“我慢“しているようである。
まぁ、今まで何十年も親戚の全員から総スカンを喰らっているわけだから・・・・仕方がないかも。

ちょうど、その時に、水戸藩士の“シミズくん”から携帯に電話。
本来なら葬儀中だから「迷惑」となるのだろうが、拙者にとっては「助け舟」である。(笑)
その場から立ち去る口実が出来た。
感謝、感謝である。
馬鹿笑いを聞いているのは拙者も我慢が出来ぬ。

1時半より告別式・・・・
今日も参列者は思った以上に少ない・・・・
う~ん・・・ちょっと寂しいなぁ~
その代り、従兄弟(従姉妹)達が結構集まった。
親同士が険悪だと従兄弟同士の付き合いも無くなるものである。
何十年ぶりかの再会である。
が・・・その“溝”を埋めるのは簡単ではない。
それぞれの親の“監視”の下での会話であるから、会話が弾む従兄弟(従姉妹)の数は少ない。
親から何を吹きこまれたのかは知らないが険悪さのある従兄弟(従姉妹)もいる。
あ~あ~こういう“親戚”とは縁を切りたいものである。

日記 | 23:18:42 | Comments(0)
40年ぶりの再会
通夜式が終わり解散・・・・
葬祭場のロビーで、この葬儀社の女性従業員から声をかけられた。
しかも、拙者のフルネームで・・・である。
拙者のフルネームを知っているって・・・どういうこと?(笑)
さすがに驚いた。

と・・・彼女が、「昔、近所に住んでいた“スケガワ”です」と言うのである。
「“スケガワさん”?・・・そういえば近所に住んでいた人がいたけど・・・」
「その“スケガワ”です。子供の時はよく遊んでもらって・・・お世話になりました」と言う。
ギョェ~!!40年ぶりの再会?
よく拙者の顔と名前を覚えてくれていたものである。

彼女は我が家の近くの社宅に住んでいた女の子。
年齢は同じだったかなぁ~
小学生の時に彼女の家に遊びに行ったことがあるのは覚えているが、一緒に遊んだ覚えがない。(笑)
あの頃は、拙者は「いじめっ子」だったはずだから、遊んであげるより苛めていたほうが多かったのではないだろうか?(大笑)
彼女の家のお母さんかおばあさんが、宗教にのめり込んでいて、まもなく忽然と姿を消したのである。
拙者が小学6年生ぐらいの頃だったような気がする。
母に尋ねたら、宗教にのめり込んでしまい、財産を失って夜逃げした・・・というような話を聞いた記憶がある。
ショックだった。
子供心に、宗教とは怖いものだと思ったことは記憶にある。
宗教なんかに関わると財産を失ってしまうらしい・・・・
拙者が今まで宗教というものと一線を画して来たのは、この時の記憶のせいである。

それにしても、驚いた・・・・
40年ぶりかぁ~
名札の名字が変わっていたので、“スケガワ”は旧姓であろう・・・
結婚しているんだ・・・
よかった・・・
本当に良かった・・・・
40年ぶりの再会も嬉しいが、彼女が無事でいることが嬉しかった・・・・

日記 | 22:33:07 | Comments(0)
伯父さんの通夜式
今日は伯父さんの通夜式である。
午前中、“キタミ先生“のところへ行き歯の治療・・・・
午後3時に伯父さん宅に集合・・・
で・・・3時前には来ないでくれと従兄に言われたのがちょっと気になる。(笑)

少し早目に家を出て伯父さん宅へ向かうが、車を自宅の前には停められまい。
一昨日、住宅街の中にある伯父さんの家に弔問に行ったが、この時は大丈夫だったが、今日は出棺である。
当然、霊柩車が来るだろうから、拙者の車を停めていたのでは邪魔になる。
というわけで・・・一昨日確認しておいた近くのコンビニの駐車場に車を停めることを思いついた。
が・・・勝手にコッソリと車を停めておくというのは気が引ける。
コンビニの店長に事情を話して、少しの間、店の裏の邪魔にならないところに車を置かせてもらう許可をもらう。
当然、お礼代わりに飲み物などをちょっと購入する。(笑)

自宅を訪問したら・・・やっぱりである・・・
叔父さん伯母さんたち親戚は既に全員勢揃いしていた。
つまり、指示された時間ピッタリに行って、これである。
テーブルの上の様子を見ると、どうもかなり早い時間にみんなは集まっていた感じである。
やっぱりね・・・
我々を一番最後にするため、3時集合としたらしい。
これで、「3時前には来ないでくれ」の理由は明白である。

叔父さんの枕元には拙者が持参した花籠が一つ・・・・
相変わらず、他の親戚は何も持参して来なかったらしい。
喪主と拙者の花籠2つだけが枕元に供えられているというなんととも淋しい景色・・・・・

出棺をして、葬儀場へ移動・・・・
6時から通夜式・・・・
参列者が殆どいないという、なんとも閑散とした通夜式だった。

伯父は元警察官。
機動隊の隊長や、警察署の副署長などを歴任した人で、警部で退官している。
サラリーマンの葬儀って、こんなに寂しいものなのだろうか?
長男の従兄も警察官だが・・・・
つい先日、警部補で定年退職したばかりだという。
伯父は、まるで息子の定年退職を待ってから旅立ったような形である。
やっぱり、定年退職してしまうと、こういう感じなのかなぁ~
これが現職ならば参列者はもっと多いのだろうか?
いや、職業柄、仕事を休んで葬儀に来るということは難しいだろうから、警察官の華族の葬儀ってこんなものなのかもしれない。
会社の経営者である我々は、葬儀といえば、同じ経営者同士か、関係所属関係者の葬儀に出ることが多いので、とにかく葬儀は盛大で、参列者が会場に入りきれないほど・・・というのが普通である。
だから、そういうのが当たり前だと思っていたのだが・・・
ある意味、拍子抜け・・・である。
我が母が亡くなった時は、既に会社は廃業していたので、特にこれといって訃報の通知を回さなかったが・・・
思ったよりかなりの人数の参列者が来て下さった。
300名はいただろう。
親父は「廃業していなければもっと集まったはずだ」とぶつぶつ言っていたが・・・
“ウメちゃん”にも「廃業したのに、こんなに大勢の人が集まるとは思わなかった。お母さんの人徳だね。」と言われたことを思いだす。
通夜式は、親類の指名焼香がない簡素なもので、しかも参列者が殆どいなかったので簡単に終わった。

日記 | 22:06:09 | Comments(0)
なぜか、志村けん
昨晩・・・変な夢を見た。(笑)

拙者は自宅に向かってタクシーに乗っている。
隣りをふと見たら・・・・なぜかタレントの「志村けん」さんが乗っていた。
何で一緒に乗っているんだろう?(笑)
間もなく2軒続きの長屋の、手前の1軒の前でタクシーが止まり、「志村けん」が車から降りる。
「どうも~それじゃぁ~!」とニコニコと笑いながら拙者に挨拶するのである。
はぁ~・・・・・拙者は彼を送って来たのか?
「それじゃぁ~!またねぇ~!」と答えるが・・・・
内心・・・へぇ~長屋に住んでいたのかと驚く。(笑)
と・・・・その長屋から若くてとんでもなく美人の女の子が笑顔で出迎えに出て来た。
あらら・・・すごい美人と住んでいるんだぁ~
「志村けん」さんは、途端に不機嫌な顔で拙者のほうを振り返った。
あっ、バレちゃマズイのね~(笑)
週刊誌にでもバレたらマズイんだろうなぁ~
芸能人って大変だなぁ~
彼女に気が付かなかったような顔をして彼に手を振ってタクシーを走らせる。
が・・・
すぐ目の前の角に我が家があった。
あれ?・・・こんなに近いの?
ん?同じ町内会?
町内会会長の拙者は全然知らなかったぞ・・・同じ町内に「志村けん」さんが住んでいたなんて・・・(笑)
これは、どう扱えばいいんだろう?
「町内会に入りませんか?」と誘うべきか・・・
いや、町内会に入ったら“彼女”と住んでいることがバレちゃうよなぁ~(笑)
・・・・などと思った瞬間・・・・夢から覚めた!(笑)
なんでこんな夢を見たのだろう?
変な夢・・・・

日記 | 01:28:56 | Comments(0)
伯父さん宅を弔問
お寺の告別式から戻り、今度は親父の兄(伯父さん)の自宅へ親父を連れて弔問に向かう。
取りあえず住所は聞いていたので、グーグルの地図で場所を確認・・・・
車のナビを設定して、出発・・・・

手ぶらで弔問というのも、如何なものかと思い・・・・花屋さんに立ち寄り、お供え用に花籠を作ってもらう。
こういう弔問の礼儀作法というのを拙者は知らない。
だいたい、親父がそういうことをしない人なのである。
だから教えてくれる人がいないのだから仕方がないが・・・・
今更、世間知らずの親父を責めても仕方がない・・・・
自分で勉強するしかない。
で・・・花屋の“おばさん”に相談をして、花籠を持参することにした。
案外、お花を持参して弔問する人は少ないので、ご霊前の花が少なくて淋しいことがあるから・・・というのである。

住宅団地の中の家を探すというのはなかなか大変で・・・・
1本、道を間違って行ったり来たりしたが、なんとか無事に到着できた。(笑)
同居している長男である従兄と会うのも何十年振りか・・・・
親父同士が仲が悪いと従兄弟同士の交流も出来ないのである。
花を持参して来て正解だった!
花屋の“おばさん”の言うとお、伯父さんの枕元には花籠が1つだけ供えられているという淋しい状態・・・
従兄が「おお!やっぱり従兄弟同士だよなぁ~、花の選び方が同じだよ!いやぁ~ありがとう!」と喜んでくれた。
花を持ってきて良かった・・・・
少しは枕元が飾られる。
が・・・他の親戚は何も持ってこなかったのだろうか?
うちの親父だけを除け者にして、兄弟姉妹で温泉旅行やゴルフコンペなどを毎年やっていたらしいが・・・
そういう付き合いをしていながら、花も供えないのか?

何十年ぶりかで従兄弟同士でおしゃべりをする。
伯父さんともおしゃべりをしたかったなぁ~と亡骸を見て思う。

で・・・葬儀の予定の確認・・・・
出棺の時の集合時間等を確認したが、どうも従兄の歯切れが悪い。
どうも他の親戚に気兼ねをしているような気がする。
つまり、うちの親父が来たのでは面白くないらしい。
で・・・出来るだけ一緒にいる時間を短くしたいという感じが伺われる。
“仲良しグループ”だけで、早目に集まり楽しくやろう・・・ということなのだろう。
当初言われた集合時間が一転二転・・・・
この時間の前には絶対来ないでくれというのだから怪しい・・・(笑)
まぁなんと我が親父の哀れなことよ・・・・

日記 | 23:43:11 | Comments(0)
お寺のお葬式
今日はお寺の住職のお母さんの告別式。
一般の方のお葬式は、葬祭場にお坊さんを呼んで・・・というのが普通だろう。
が・・・お寺の家族が亡くなった場合はどうなのだろう?
お寺で告別式・・・・初めての経験である。
こういう場所での“しきたり”って何か特別なものがあるのだろうか?
いやはや、心細い次第である。
告別式に参列するのは、拙者だけ・・・親父は留守番・・・

お寺の本堂の前にテントが張られ椅子席が設けられていたが、ここは御高齢な方々の席と考えるのが常識だろう。
その他の方々はお寺の境内にいくつかのグループに分かれてたむろしていた。
が・・・田舎のことである・・・・
集まったお年寄りの中に、必ずと言っていいほど“その場の雰囲気”を理解しない“不届き者”がいるものである。
この“ジジイ”・・・・
読経中にもかかわらず、知人を見かけるたびに大声で話しかけ、大声で談笑するのである。
誰か、注意をすればいいものを・・・と思うのだが、誰も注意をしない・・・・
話しかけられた人も迷惑そうな顔をして適当にあしらうだけ。
で・・・相手にされないと思うと、この“ジジイ”は更に別の知人を探して声をかけ、大声で談笑するのである。
傍若無人とは、このことである。
一体、何しに来たのか・・・と言いたくなる。
こういう常識のない人の子や孫も同じようなタイプなのだろうか?
「おお!」などと大声で、ふんぞり返って、どこかの大臣みたいな偉そうな態度で談笑するのだから目障りで仕方がない。
さすがに我慢しきれなくなり、注意してやろうと思ったら、サッと別な場所へ行かれてしまった。
まさか、見ず知らずの人を追い駆けてまで注意することはあるまいと思い諦めたが・・・
かなり離れた所でからでも、この“ジジイ”の大声が耳に入る。
耳障りなことこの上ない・・・・

お寺の葬儀では、本来の喪主である住職と、周辺のお寺から集まった同じ宗派のお坊さんたちがお経をあげているようである。
「・・・である」というのは、テントの屋根が邪魔で本堂の中が見えないので、どういう状況なのかがわからないのである。
自分の母親にお経をあげる住職の気持ちってどういうものなのだろうか?
読経の途中で感極まって涙を流すというわけにはいかないからツライだろうなぁ~
拙者には出来ないなぁ~
お寺の息子に生れなくて良かった・・・などと、つい思う・・・・

読経が終わり、焼香となる・・・・
“喪主”として住職の奥さんが焼香台の近くに座っていたので挨拶する。
本堂の中は親戚や檀家の代表の方などが入っているようで、拙者のような一般参列者は外・・・・
で・・・本堂の奥の方に祭壇があるので、亡くなった“おばあさん”の遺影を拝むことが出来なかった。
こういうところが葬祭場と雰囲気が違うところか・・・・

とにかく無事に“お役目”を終え帰宅する。

日記 | 23:05:09 | Comments(0)
城東歴史散歩
『城東歴史散歩』
坂田暁風 著
茨城新聞社出版局・平成13年発行

第1章 町名考
1 城東地区の町名
2 旧町名とその由来
3 現在の城東地区
   若宮(1丁目、2丁目)
   東台(1丁目、2丁目)
   柵町(1丁目~3丁目)
   東桜川
   城東(1丁目~5丁目)

第2章 寺院と神社の顛末
1 寺院
   1 蒼龍寺(新寺町)
   2 円通寺(細谷)
   3 宝鏡院(細谷門前町)
   4 宝蔵院(細谷)
   5 天界寺(細谷)
   6 妙法寺(細谷)
   7 大乗院(細谷)
   8 観音寺(川崎南袋町)
   9 威徳院・弁財天(蓮池町)
  10 その他の中小寺院
       自性院(御中間町)
       天性院(新町一町目)
       観音院(新町二町目)
       蓮光院(新町四町目)
       圓壽院(新町四町目)
       悉地院(花畑)
       赤沼不動尊(赤沼町)
       光圓寺(鍛冶町)
       普門院(鍛冶町)
       宝珠院(十軒町)
       密蔵院(通八町目)
       金剛院(通九町目)
       宝壽院(通九町目)
       大雲寺(通十町目)
       開墓や由緒、所在など不詳の中小寺院

2 神社
    1 八幡宮(細谷)
    2 三宝荒神(赤沼)
    3 秋葉神社(細谷本郷)
    4 合祀 新町八坂神社・天聖院稲荷神社(東桜川)
    5 水雷神社・稲荷神社(蓮池町)
    6 国見明神(新町)
    7 伏見稲荷社(五町矢場)

第3章 城東の人物
 1 望月五郎左衛門恒隆―藩政功労者
 2 松波勘十郎良利―宝永改革立役者
 3 和田平助正勝―剣聖
 4 新町の佐與女―貞婦
 5 小宮山楓軒―学者、民政家
 6 大内清衛門利貞―蝦夷地探検家
 7 戸田忠太夫忠敞―幕末尊攘派執政
 8 福地政次郎廣延―神勢館館長
 9 黒沢忠三郎勝筭―桜田門外の変烈士
10 大関和七郎増美―桜田門外の変烈士
11 広岡子之次郎政則―桜田門外の変烈士
12 有賀半弥重信―東禅寺事件浪士
13 服部正義―初代水戸市長
14 佐野竹之助光明―桜田門外の変烈士
15 清水正健―水戸学の大家
16 石河幹明―言論人、福沢諭吉門人
17 高橋義雄―デパートの父、茶人
18 渡辺治―近代新聞の父、衆議院議員
19 永井道明―日本学校体操の父
20 横山大観―日本画家
21 天谷毅―水戸彰考館館長
22 塩沢昌貞―第二代早稲田大学総長
23 白石庄次郎―陸軍大佐、下市水泳場長
24 遠山助之―私学「同攻塾」塾長
25 常陸山谷右衛門―角聖
26 横山信毅―実業界の大番頭
27 西野元―政財界の重鎮、貴族院議員
28 鈴木重礼―東北帝国大学教授
29 庄司又男―県経済界の財政通、下市東部水泳場長
30 山崎猛―衆議院議長、運輸大臣
31 荷見安―日本農業界の大御所
32 森元治郎―衆議院議員
城東地区の主な町別人物一覧抄

第4章 城東の事蹟・旧蹟
 1 那珂川舟運の河岸
   ①三九郎河岸(島河岸)
   ②中河岸(赤沼河岸、江幡河岸、善左衛門河岸、後に石田河岸)
   ③村山河岸(清三郎河岸、内匠河岸)
   ④紋兵衛河岸(紋左衛門河岸)
   ⑤舟番所
 2 新舟渡
 3 藩の御花畑
 4 藩の馬場(馬乗馬場)
 5 鉄砲場(鉄砲矢場)
 6 赤沼牢屋敷
 7 新蔵(雑穀御蔵)
 8 絵図「蟻城」
 9 盗人善次郎解体供養之碑
10 神勢館・五町矢場
11 細谷村鋳銭座
12 水戸藩徒刑場
13 獄中詩『鴬谷集』
14 蒼龍学校
15 東部水泳場(水府流水術)
16 寿橋



今年の読書:18冊目



読書 | 00:03:32 | Comments(0)
連続して訃報
新聞の「お悔やみ欄」で、母のお墓のあるお寺の住職のお母さんが亡くなったことを知る。
住職は母が若い時小学校の教師をしていた時の教え子・・・
で・・・その教え子である住職のお母さんが亡くなった。
92歳・・・・
一度だけ、お寺の留守番をしていたこの“おばあちゃん”とおしゃべりをしたことがある。
90歳を越しているとは気がつかなかった。
よく考えてみたら・・・そういう年齢だろうなぁ・・・
そのくらい声に力のあるおばあちゃんだった。
お悔やみに行かねば・・・・

夜・・・・親父の弟である叔父から電話・・・・
親父は、もう何十年も親戚づきあいが全くない。
その兄弟から電話ということは・・・・悔みの話だろうと思ったら、当たった・・・・
親父の一番上の兄が亡くなったという。
で・・・兄弟姉妹はみんな弔問に行って来たという・・・
おい、おい、・・・・
相変わらず親父を仲間はずれにしている。
まぁ~この兄弟のやることは、さっぱりわからぬ。
親父は兄貴が亡くなったという訃報で気が動転して、わけがわからない・・・・
だいたい何十年も絶縁状態だったので、自分の兄貴がどこに住んでいるのかも知らない。
弔問に行きたくても、他の兄弟は、自分たちだけでコッソリ弔問に行って、帰って来てから訃報の連絡をしてきたのである。
もう、既にみんなで弔問に行って来たから、行きたければ自分一人で行ってくれと言う。
おい、おい、・・・・呆れる話である。
まぁ、親父の自業自得であるが・・・・哀れである。
結局、拙者が明日、親父を連れて弔問に行くことにする。

日記 | 20:21:23 | Comments(0)
市長選
今年は、我が市の市長選の年・・・・
が・・・毎度のことながら、選挙にはならない。(笑)
現職が引退して・・・立候補者は?・・・となっても、誰も名乗りを上げない。
ある意味不思議な町なのだ。
普通なら、市会議員の中から、市長に立候補してもおかしくない・・・という人の名前が挙がって来てもいいと思うのだが・・・
町の中は・・・シ~ン・・・(笑)
何の盛り上がりもない。

で・・・立候補届け出最終日の今日を迎えた。
立候補者は1名・・・市の副市長・・・・
はい、決まりですねぇ~・・・・である。
毎度のことながら市役所の中から市長が出る。
元職員ならば行政のことは詳しいから、大きなミスを犯す危険はない。
が・・・改革もない。(笑)
しかも、我が町は大手企業の日立製作所の城下町である。
城下町といっても、活気あふれる城下町ならいいけど・・・そうではない。(笑)
殆どが、“親方日の丸”なので、大手企業様のご意向次第で右にでも左にでも動く。
“下請け根性”丸出しの市民レベルだから、何だかんだ陰で文句を言っても、表には出さない。
一般市民や市会議員の中から市長になろうなんていう人は出ない。
常に大手企業様の顔色伺い、顔色次第・・・である。
結局、無難な市役所職員の中から・・・ということになるわけなのだろう。

で・・・この立候補者・・・・
夕方から我が町内の講演で演説をするという。
なぜならば、我が町内の人なのだ。(笑)
親父いわく・・・「お前、町内会会長として壇上に上がって何か一言挨拶しなくちゃならんのじゃないか?」と。
アホか・・・(笑)
なんで町内会会長が挨拶しなくちゃならんのだ?
必ずしも支持者とは限るまい?(笑)
しかし、演説会に町内会長が来ていなかったとなると何かとマズイだろう。(笑)
拙者は目立つので・・・(笑)・・・すぐバレる。
取りあえず、顔を出すことにする。

立候補者の挨拶は「他に誰も出る人がいなかったので仕方なく・・・」というもの。
まぁ、地元だから冗談で言ったんでしょうが・・・
「地元だと皆さん昔からの顔見知りなので、何を偉そうなことを言っていると言われそうでやりずらい」と笑う。
確かに・・・それは言えるよねぇ~(笑)
司会者が「あと30分以内に他に立候補の届け出がなければ、当選が確定します!」と気勢を挙げる。
無投票というのも活気がなくて面白くないなぁ~(笑)
30分かぁ~・・・・今から選挙管理委員会に行って立候補の届け出をしてきちゃおうかなぁ~(大笑)
締め切り5分前ぐらいで、突然の対抗馬の出現!
大波乱!青天の霹靂!(大笑)
しかし・・・町内会会長が立候補しちゃマズイよな・・・
同じ町内会の中で会長と住民の一騎打ちでは、町内会の内紛みたいになっちゃうもんなぁ~(大笑)
と・・・そんな馬鹿なことを考えていたら・・・・
人ごみの中から“ヒロツグさん”夫婦が出てきた。
あれ!お久し振りです!
彼は青年会議所当時の先輩・・・・当時は一緒に委員長、副委員長のコンビを組んで活動したが、よく怒鳴り合いの喧嘩もした仲である。
全く別の町に住んでいる人が、何故・・・と思ったら・・・・
立候補者は奥さんの義理の伯父さんらしい。
それで応援に来ているという。
なのに・・・・
「あれ?なんで市長選に立候補しないんだ?」と“ヒロツグさん”
「はぁ?何言ってるんですか?」
「だって、暇だろ?毎日・・・市長に立候補すればいいのに・・・あと30分で締め切られちゃうよ~」と言う。
あのね・・・奥さんの前でよくもそんなことを言うもんだ・・・(唖然)

息子さんも同行していた。
高校生だという・・・
へぇ~・・・・拙者がお宅をお邪魔した頃はまだ赤ん坊でビービー泣いていたが・・・
もう高校生になったのかぁ~
月日が流れるのは早いものである。
息子はなかなかの好青年・・・・多分、母親に似たんだろうなぁ~(大笑)
「今からでも遅くないから市長に立候補しろよぉ~」と散々みんなのいる前で言われた。
これは拙者に対する“嫌がらせ”だよね?(笑)
ならば、ここは反撃してやろうと・・・・
息子に、「その昔、君のお父さんはねぇ~」と彼の悪行の数々を・・・(笑)
チラリとだけバラしてやった!(大笑)

日記 | 13:56:33 | Comments(0)
上海東亜同文書院
上海 東亜同文書院―日中を架けんとした男たち上海 東亜同文書院―日中を架けんとした男たち
(1993/12)
栗田 尚弥

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序章 東亜同文書院のトポス

第1章 荒尾 精
1 西郷と靖献派―荒尾精の青春
2 漢口楽善堂
3 亜細亜人民たるものの大義

第2章 根津 一
1 荒尾精の<貿易富国論>
2 血気の青年将校
3 日清貿易研究所
4 根津精神

第3章 近衛篤磨
1 中江兆民と近衛篤磨
2 貴族の職分
3 留学
4 東亜同文会
5 国民同盟会

第4章 山田良政
1 南京同文書院
2 革命騒動
3 王照救出
4 アジアへの「脱藩」
5 人道ノ犠牲

第5章 水野梅暁
1 東亜同文書院第1期生
2 門衛学生
3 湖南の志士僧
4 支那人のことは支那人に
5 夢と現実

第6章 石射猪太郎
1 大旅行
2 書院外交官
3 満州へ
4 戦う東亜局長
5 外交の理念

第7章 米内山庸夫
1 「上海雑記」
2 青春の日々
3 北京文化渉猟
4 革命の嵐の中で
5 「民族の生存」権
6 日本研究へ

第8章 学園闘争の人々
1 上海の光と影
2 学園闘争
3 中華学生部
4 だれからの指示もなく

第9章 中山 優
1 虹橋路校舎炎上
2 修業証書
3 中国の統一―世界史の必然
4 近衛文麿のブレインとして
5 「王道ブロック」の夢と挫折
6 満州国特命全権公使

東亜同文書院関係略年表



今年の読書:17冊目



読書 | 11:29:52 | Comments(0)
敗軍の名将
敗軍の名将 (徳間文庫―日本宰相伝)敗軍の名将 (徳間文庫―日本宰相伝)
(1998/04)
三好 徹

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生きて虜囚・・・・東条英機

議政壇上に死す・・・・加藤高明

無欲の宰相・・・・若槻礼次郎

反逆の血・・・・田中義一

影なき宰相・・・・斉藤実

銃声の下で・・・・岡田啓介

萬歳に唱和せず・・・・広田弘毅

敗軍の将・・・・鈴木貫太郎

歴代宰相一覧



今年の読書:16冊目



読書 | 20:40:27 | Comments(0)
避難して下さい?
家電量販店に買い物に行く・・・・
先日の「軍馬慰霊祭」の時に撮影した写真を人数分プリントして“オビカワさん”に送るのに、用紙が足りなくなったために買いに行くのである。
この量販店・・・震災前から外壁塗装か何かのために、建物の周囲はかなりの高さに組まれた足場で囲まれていた。

で・・・プリント用紙を持って、レジのところへ行って差し出した途端・・・
来た!・・・・ド~ン、ドシン、ガタガタガタ・・・・!!!!
かなり大きな余震である!
震度6か?(笑)
レジの女の子は顔面蒼白・・・・顔が引きつっている・・・(笑)
拙者が「おおぉ~来たねぇ~かなり大きいねぇ~」と話しかけても、彼女は顔をひきつらせて返事もしない・・・
と・・・「ただちに、落ち着いて店の外に避難して下さい」と館内放送が流れた・・・・
ん?なんだ?外に避難して下さい?
それは危ないんじゃないか?
あの高い足場が崩れたら・・・・
あの足場の下敷きになるくらいなら、店内にいた方が安全ではあるまいか?(笑)
というわけで・・・拙者はレジの前から動かなかったのだが・・・
揺れが治まっても、レジの女の子はムッとしている・・・・
客の拙者が逃げなかったので、自分も逃げ出せなかった・・・ということで怒っているのかな?(大笑)

確かにかなり大きな地震だったけど・・・・
それほど騒ぐほどでもないと思うのだが・・・・
精神的に弱い人間が多いんだねぇ~・・・このくらいのことで叫んだり、血相変えて飛びだしたりするんだから・・・
それより、外の足場が危ないとは思わないのだろうか?
「外へ出てください」の放送も放送だが、考えなしに飛び出していく客も客である。

日記 | 23:56:21 | Comments(0)
義援金?
今日は、日立駅前の大通りで、青年会議所のメンバーがもちつき大会を開くそうだ。
例年、市が主催している「さくらまつり」は震災のため中止となったそうで・・・・
青年会議所の連中が搗いたモチを配布して義援金を集めるというメールが“オザワくん”から届いたので、行ってみる。

駅前通りは歩行者天国になっていたが人影はまばらである・・・
親子でキャッチボールをしている馬鹿がいる。
歩行者天国でキャッチボールをするとは非常識だと思うのだが・・・・
こういう非常識な親に育てられたのでは子供はまともに育つわけがないな・・・・

青年会議所のメンバーの中に水戸藩士の“シミズくん”を発見・・・
からかったら、「新聞記者が来ているんですから余計なことは言わないでください」と注意された。(笑)
暴言と失言の多い拙者にポロッとしゃべられてはマズイらしい。(笑)

早速、搗きたての餅を頂く。
「で・・・いくらなの?」と白々しく募金箱を抱えているメンバーに声をかける。(笑)
「いくらということはないです。お気持ちで結構ですので、募金をお願いします」
「おお、わかった。じゃぁ、1円ね」と、募金箱に1円玉を1個だけ入れる。
と・・・嫌な顔をされた・・・(大笑)
「あれ?いくらでもいいって言ったよね?1円でもいいんだよね?」
「はぁ・・・まぁ・・・」
「じゃ、1円ね・・・じゃぁね~」
「エッ・・・・」
帰るふりをして、「冗談だよぉ~」と言って財布の中の小銭を追加で入れたが・・・・
いくら入れたのやら・・・・(笑)
500円玉も入っていたから・・・・800円以上は入れちゃったかな?
で・・・気がついた!
拙者はコインパーキングに駐車したのである!
ここで100円玉をみんな入れたのでは、車を駐車場から出せない!!
しまった!やっちまったぁ~!!

だいたい、「お気持ちで結構です」というくらい迷惑なものはない。
拙者にとっての“気持ち”は1円なのである。
この「義援金」・・・・どこへ持って行くのか聞かなかったけど・・・
多分、日本赤十字あたりに渡すんだろう?
なおさら1円しか出す気は起らないな・・・・
拙者は日本赤十字を信用していないのだ。(笑)

その昔・・・青年会議所の役員として日赤の献血のボランティアを担当したことがある。
茨城県は献血率が全国的にもワーストの順位に入っているので、呼び込みを頑張ってくれと頼まれた。
が・・・彼らはお昼になると休憩してしまうのである。
献血をしてくれる人は昼休みを利用して来てくれるのに、その時間に自分たちも食事に出かけてしてしまうのだ。
「お昼時間をずらしてもらえませんか?」と言ったが、「規則ですからダメです」とそっけない。
「お昼を食べるなとは言いませんけど、1時間ぐらいずらせないですか?」
「規則ですから・・・」
「12時ちょうどに昼飯を食わなければならないという規則なんですか?」
「・・・・・」
「12時から1時にかけてが献血してくれる人が一番多く集まるんですよ。お昼は1時からでもいいんじゃないんですか?」
「でも、規則ですから・・・・」
カチ~ン!!なんだ、この野郎!
・・・と喧嘩になった。
それ以来、拙者は個人的に日赤の献血活動には協力しないことにしたのである。
本気で血液を集めようとしない連中のために、なんで我々が協力しなくてはならないのだ?
こちらは昼飯抜きである。
テントに残って、やってくる献血者に「午後1時までお休みです」をお知らせし、「せっかく昼休み時間を利用して来たのに・・・1時からじゃ仕事が始まってしまうじゃないか・・・何考えてんの?」と文句を言われ、ひたすら謝る。
で・・・当の日赤の連中は食事のため不在・・・・
なんで、俺たちが怒られなくっちゃならんのだ?

一事が万事・・・・であるから・・・・
義援金もどうなるか分かったものではない。
管理費だの人件費だのに使われてしまうんじゃないのか?
義援金ともなれば、正確な金額などこちら側が確認することは出来ないのだから、少しくらい着服や横領等をしても誰も気がつくまい?
1000億も集まったら、そのうちの1億や2億を着服しても誰も気がつくまい?(笑)
だから・・・正直な気持ちは・・・日赤に渡す義援金なら1円で十分なのである。
が・・・青年会議所のメンバーには申し訳ないので、まさか1円というわけにもいかない・・・・
仕方がないので、少し多く入れたが・・・気持ちはスッキリしない。
義援金ではなく、「東北の被災地へ救援物資を運ぶので、そのガソリン代をカンパしてください」と言われれば気持ちよく1千円でも入れたんだけど・・・(1千円じゃ・・・セコイか?・・・笑)

近くの居酒屋では、外に椅子とテーブルを出して開店していた。
そこにメールをくれた“オザワくん”などが集まっていたので、そこに加わり、日向ぼっこしながらおしゃべりをする。
拙者は車で来たので、酒を飲むわけにはいかない・・・ウーロン茶で付き合う。(笑)

帰りに花屋に立ち寄り、花の苗を買って鉢に植えて、崩落した塀のところに並べる。(笑)
崩れて基礎部分だけが残る塀というのも、寂しいものである。
花で飾ってやろう・・・・(笑)

日記 | 22:45:20 | Comments(0)
白団
白団(パイダン)―台湾軍をつくった日本軍将校たち白団(パイダン)―台湾軍をつくった日本軍将校たち
(1995/06)
中村 祐悦

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プロローグ バナナ船に潜んで密航した日本将校団

第1章 蒋介石への報恩のために
1 占領軍の臨検を逃れて結集した17名
2 潰走する国民政府軍とアメリカの失望
3 ある日本軍将官の冒険的な支援活動
4 金門島の防衛戦とマスコミ報道
5 「三国志」と密航秘話
6 終戦直後の蒋介石と岡村寧次
7 蒋介石による対日寛大政策
8 岡村寧次の戦犯無罪

第2章 大陸反攻のキーパーソンズ
1 円山での短期教育開始と陸海空聯合演習
2 朝鮮戦争とアメリカの再介入
3 蒋介石の「日本軍に学べ」
4 GHQに取り調べられた岡村寧次
5 影で支えた男たち―①富士倶楽部
6 影で支えた男たち―②神戸招商局
7 米国軍事顧問団と地下に潜行した「白団」

第3章 「白団」その教育の実際
1 円山軍官訓練団時代(1950~1952)
2 石牌実践学社時代(1952~1964)
3 陸軍指揮参謀大学時代(1965~1968)
4 湖口模範師団教育
5 動員教育と整備
6 海・空軍教育

第4章 無名英雄たちの足跡と台湾
1 大陸反攻作戦とJ・F・ダレス来台
2 日本軍システムの浸透と対日感情
3 戒厳令下をともに生きて

エピローグ 数奇な運命をたどる美麗島



今年の読書:15冊目



読書 | 10:02:28 | Comments(0)
戦没馬慰霊祭
ホテルをチェックアウトして、靖国神社に向かう。
今年の参加者はどのくらい集まるだろう。
特に拙者が関係している騎兵第14連隊・・・・
もしかしたら誰も参加しないのではあるまいか・・・という不安がよぎる。
なにせ、あれほど元気だった“ヒルマさん”までが、突然この世を去ってしまったのであるから・・・

会場に到着し、しばらく待っていたら、ようやく顔見知りの“仲間たち”が集まってきた。
いやぁ~よかったぁ~
しかし、世話役の“オビカワさん”が歩行器を使ってやってきたのには驚いた。
昨年までは杖をついて歩いておられたが・・・
ついに歩行が不自由になって、「“こんなもの”を使って歩かないかんようになったわい!」と言う。(笑)
万が一転ぶといけないので、今回は初めて娘さん同伴での参加・・・・
急に弱っちゃったのかぁ~
寂しい限りである・・・が・・・お声はいつもと同じで元気!
結局、最終的には拙者を含めて7名が集まった。
いやぁ~良かったぁ~

DSCF2778_convert_20110708212921.jpg

慰霊祭後、いつものように偕行社へ移動して食事会。
いつも記念写真の撮影を担当されていた“イチカワさん”は歩けなくなってしまったということで、今年も不参加。
というわけで・・・拙者が写真撮影係を引き継ぐ。
来年も、こうやってみなさん集まれるだろうか・・・と、ふと、また、不安がよぎる。
楽しい会なのだが・・・それだけに、先々を考えると寂しくなる。

DSCF2780_convert_20110708213752.jpg

食事会を終え、東京駅発3時40分発の高速バスで帰宅する。

夜・・・大きな余震が来る。
拙者は2階にいるせいなのか、かなり大きな揺れに感じた。
こりゃ、やばいかも・・・と、階下の親父のところへ行ってみると・・・
親父が布団から出て、モタモタと寝間着から洋服に着替えているところだった・・・
う~ん・・・遅いなぁ~・・・それでは・・・(笑)
着替えが終わらぬうちに揺れが収まった。
う~ん・・・これは、今後の課題だな・・・・
着替えをさせずに外に連れ出すには、拙者はもっと早い段階で階下に降りなければならないなぁ~
一応、寝るときは、今のところ洋服を着たままで寝ている。
何時でも外に出られるように・・・であるが・・・
服を着たまま寝るのって・・・結構きついんだよなぁ~
その昔・・・アメリカでボディガードをしていた時は、1ヶ月ほど服を着たま寝るという生活を続けていたことがある。
あの頃は若かったから平気だったが・・・・
さすがに50歳ともなると・・・・疲れる・・・
歳を取っちゃったなぁ~(大笑)

日記 | 21:16:44 | Comments(0)
またもや不愉快な・・・
明日は靖国神社で「戦没馬慰霊祭」が開催される。
例年ならば、「比島観音例大祭」後、適当に3日ほど旅をして時間を潰した後、東京入りをして参加をするのであるが・・・
今年は余震が続いているため、一旦、自宅に戻った。
で・・・午後、上京のため、駅前のバス会社営業所へ行き、この間のように高速バスのチケットの予約をする。
今回は、窓口の女性社員はこの間の人とは別の人・・・・
おお、助かった・・・と思ったら・・・
「で・・・座席の予約は2時間前なんですけど」
「え~・・・ですから今日の午後4時45分発のバスの予約をしたいんですけど・・・」
「だから・・・2時間前なんですよね。買えるのは・・・」
「え?2時間前でしょ?今、午後2時ですけど・・・4時45分のは買えるんじゃないでしょうか?」
「あ・・・そう、4時45分・・・で・・・座席は1つしか残ってませんけど」
「一人ですから、それでかまいません」
「で・・・帰りは?」
「帰りは時間が決まっていないので結構です」
「往復で買うとお得ですけど」
「いや、時間が決められないのでいいです」
「ふ~ん・・・4時45分ね・・・で・・・何人?」
「一人です・・・」
あ~頭に来るなぁ~・・・このつっけんどんな口のきき方!!
この女もかよ!
女性社員が2人とも口のきき方が出来ないっていうのは、これは会社の社員教育がなっていないからだろう。
それとも大会社に勤めていると、のぼせあがっているのか?
頭に来るんだよなぁ~
この横柄な口のきき方・・・・
拙者はこの会社の社長を知っている。
社長になる前から知っている・・・
ここから直接社長に電話してやろうか?
ひとを小馬鹿にしたような口のきき方をしやがって・・・・
またまた今回も不愉快な思いをさせられた。

日記 | 20:55:18 | Comments(0)
お墓の様子を見に行く
今日は震災後初めて、お墓の様子を親父と見に行くことにする。
どんなことになっているやら・・・・

まずは、亡き母のお墓・・・
なんと!お墓が“あさって”の方を向いている。
さすがに倒壊は免れていた。
周囲のお墓は倒壊していたり、土台がずれていたりしているが、我が母のお墓は大丈夫だった。
大したものである。
かなり母が踏ん張って耐えたのであろう。(大笑)

DSCF2750_convert_20110708155741.jpg

続いて祖父母たち歴代のご先祖様のお墓にお参りに行く。
祖父母・伯父伯母のお墓は木で出来た柱なのだが、これは倒れずにいた。
これまた大したものである。

DSCF2765_convert_20110708161226.jpg

25代にわたる歴代のご先祖様の名を記した墓誌は完全に倒壊・・・・
あらら・・・・
歴代のご先祖様のお墓は全て“土饅頭”・・・・
どの土饅頭が誰なのか拙者はさっぱりわからない。
が・・・この土饅頭のところがスポンと凹んでいる。
昔は丸い樽のようなお棺に入れて座ったままで埋めたのだろう。
その部分が多分崩れて土が落ちてしまったに違いない。
丸く凹んでいるんだから、その下に御先祖様が眠っているのは間違いない。
この凹んだ部分を見ると、今まで以上にここに御先祖様がいるのだという気が実感として湧いてくる。
不思議なものである。

この歴代の土饅頭の中に一つだけ石で造った土饅頭がある。
たしか・・・ひいおじいちゃんか・・・そのまたお父さんか・・・・よく知らないのだが・・・・(笑)
このおじいちゃんは当時かなりのハイカラな人だったらしく、当時、土葬が普通だという時に、生前に自分で石の土饅頭を造ってお墓を用意していた人である。
このおじいちゃんのお墓は全くびくともしていないし凹んでもいない。
大したものである。
先見の明があったと言えば言えるかもしれないが・・・・惜しいのは、石の土饅頭に自分の名を刻んでいなかったことである。(大笑)
これは、本人よりも遺体を墓に入れた子孫に問題があるかも・・・
おかげで、子孫の拙者は、この人が何代前のご先祖様なのか知らないのだ。
やはり、ここまでやったら名前は刻んでおくべきだったろうなぁ~(笑)

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この墓所の隅に、小さな観音さまがある。
これは、拙者の祖父が建てたもので、フィリピンのルソン島北部の山岳地帯にあるサラクサク峠で、祖父の指揮下で戦って亡くなった部下たちをお祀りしている観音様である。
これは台座の所から離れ下に落ちていた。
が・・・なぜか立っているのである。(笑)
横倒しになっていて良いはずなのに、台座からピョンと飛び降りたように立っているのである。
誰かが先にここに来ていて、その時に起こしたのだろうか?

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観音様の台座の中を覗いてみたら、軍刀の部品が納められていた。
これは祖父が昭和55年ごろに遺骨収集団を案内して現地に行って来た時に持ち帰って来たものである。
たしか・・・これは“中村副官”の軍刀の部品だと祖父は言っていた。
中村副官は祖父が可愛がっていた部下の一人で、祖父の“身代わり”で祖父の目の前で戦死したらしい。
その遺体を丁寧に埋葬したらしく、その場所を探して掘りかえしてみたが、中村副官の遺骨は見つからなかったという。
そのかわり、その場所で見つかったのが、この軍刀の一部・・・・
この地区で戦死した将校は中村副官しかいないから中村のものだ・・・と祖父は言っていた。
一緒に埋葬した軍刀の一部は見つかったのに、遺骨が見つからなかったことを祖父は残念がっていた。
あの時、中村副官を埋めた場所を詳しく聞いておけば、今なら拙者が現地を掘って探してあげるのに・・・
失敗した・・・祖父に地図を書いておいてもらえば良かったと今、後悔している。
この軍刀の一部は「観音像の下に埋めた」と祖父は言っていたが・・・
今回の地震でわかった・・・・
「埋めた」のではなく、「台座に納めた」のである。(笑)
祖父が亡くなって20年目に、祖父から聞いていた中村副官の軍刀の一部に御目にかかれるとは・・・
感激である!!
地震は必ずしも悪いことだとは限らないかも・・・(笑)

続いて、親父のご先祖様の方の墓地の様子を見に向かう。
親父の方の墓所は・・・
壊滅状態であった!
これにはビックリである。
やはり地盤の関係なのだろう・・・・全ての墓石が崩壊していた・・・・

DSCF2776_convert_20110708171119.jpg

手の施しようがないとは、まさしく、このことである。
あ~あ~・・・・としか言いようがない・・・・

日記 | 15:45:24 | Comments(0)
帝国陸軍の最後 2決戦篇
帝国陸軍の最後〈2〉決戦篇 (光人社NF文庫)帝国陸軍の最後〈2〉決戦篇 (光人社NF文庫)
(1998/02)
伊藤 正徳

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第1章 ああガダルカナル島 

  1 いまも伏す白骨2万(敗戦の墓地ガダルカナル島)
  2 ガ島飛行場に仰天(米は「望楼作戦」を急推進)
  3 陸軍に初耳の新作戦(真相を米軍の上陸で知る)
  4 反攻は1年半も早し(敵情判断を誤ったわが大本営)
  5 天皇、戦局を深憂さる(統帥部は逆に楽観上奏)
  6 ガ島死線へ突っ込む(危うし一木支隊9百名)
  7 軍旗を焼いて自決す(“これより無敵”の米海兵
  8 敵制空権下を急航(川口兵団に“必勝の信念”)
  9 強敵軽視の「総攻撃」(四勇士みごとに密林を踏破す)
 10 夜襲、心臓部を突く(成功の寸前に無念の退却)
 11 あと一押しで陥落(敵胆奪う田村隊の飛行場突入)
 12 せっかくの大戦果を見棄てた(荷揚げ船団撃滅の好機を逸す)
 13 河畔に彼我の反撃戦(米軍も“攻勢”の旗を巻く)

第2章 日米決戦の第1号

  1 敗将の報告を無視(自重論の二見参謀長を左遷す)
  2 夜だけの“ネスミ輸送”(駆逐艦で決戦兵力は送れない)
  3 “煙たい参謀長”の敬遠?(ガ島戦にも幕僚専政があった)
  4 艦砲による焼夷弾攻撃(飛行場を破滅の寸前に追い込む)
  5 得意の大夜襲再演(自信あふれる仙台の第2師団)
  6 総攻撃の直前に「罷免」(電話口で馘になった川口少将)
  7 暗夜に敗将は消え去る(司令部を怒らした敵戦力の評価)
  8 助太刀友軍を抑制(ジャワ戦先陣の仕返し)
  9 早まてり「バンザイ」(“飛行場占領”は一瞬の夢)
 10 軍旗も将も未帰還(豪雨、鮮血を洗う最前線)
 11 敵の準備は遥かに密(日本軍の再夜襲も水泡に帰す)
 12 「夜襲師団」の名折れ(日露戦にはかくも周到に戦った)
 13 反戦一中佐の抵抗(ガ島第三次攻撃を前に)
 14 息の根を断つ「魔の海」(万余の将兵に飢餓が迫る)
 15 絶望の餓兵を置き去りに(司令部に眼前の危機せまる)
 16 米国には“肉弾”はない(お陰で日本軍は壊滅をまぬがる)
 17 頼む船団も無一物(われに千倍の敵の補給力)

第3章 敗れて退くまで

  1 少将同士の乱闘騒ぎ(ガ島敗戦に大本営逆上)
  2 ひと筋光る戦友愛(主食・ヤシの実も取り尽くす)
  3 時遅し“不敗の布陣”「第8方面軍」に今村中将登場す)
  4 ガ島の敵空軍は30倍に(飛行場造り、能率が段違い)
  5 海軍の“深夜タクシー”(猛爆下に必死で米を運ぶ)
  6 切り込み爆破を反復(苦肉の“加圧防衛”が奏功)
  7 特別食で“猛兵飼育”(奇観、かみ合う両軍陣地)
  8 残兵「ギフ」に戦う(3週間も大軍を悩ました記録)
  9 少尉ただ一人、軍旗と共に生還(ときにガ島撤退最後の日)
 10 “ガ島撤退”への開眼(2ヵ月早く一少佐の力説)
 11 源田実曰く、「勝算なし」(三宅坂も“撤退”に踏み切る)
 12 撤退の詔勅伝達(1万の将兵ようやく後退)
 13 “新攻勢”かと敵の警戒(戦線を支配した7百名の補充兵)
 14 「地獄」の脱出可能か(海軍に“苦闘最後の大役)
 15 1万3千みな撤退(ニミッツ提督、感嘆の声)
 16 奪還を果たさず「転進」(日米の第一次決戦終わる)

第4章 苦闘ニューギニア戦

  1 除幕に「世界一の猛闘」(舞台はニューギニアへ)
  2 “砲弾の網”でつつむ(日本軍に対するこ攻法の定石)
  3 “断じてブナを取れ”(猛将にきびしい総軍命令)
  4 最後の抗戦は8人の将兵(元日に玉砕、ブナを失う)
  5 我に倍する敵の損害(安田、自決を前に作戦遺書)
  6 ギルワ、理想の備え(死地に戦意揚がる前線)
  7 指揮官残って自決(ギルワ撤退成功の夜に)
  8 年頭の新戦場に希望(難関の海峡突破を強行)
  9 山岳潜行に勝機を逸す(時遅くワウ攻略を果たし得ず)
 10 丸裸でダ海峡横断(被撃沈3分の1を覚悟)
 11 “反跳爆撃”の新戦術(第81号作戦は全敗)
 12 “道路作戦”に踏み切る(突貫工事、中央山脈越え)
 13 強兵も道造りに専念(竣工2百キロで敵の妨害)
 14 補給力の悲しい限度(わがウイバリ攻勢ならず)
 15 陽動、10日間の力闘(3万にいどむ勇兵1千)
 16 敵前患者を運ぶ船舶工兵(大山脈の踏破に劣らぬ脱出行)
 17 “イモ掘り夜襲”反覆(海峡関門の攻防戦はじまる
 18 “逆上陸”で幕営に突入(静岡の漁民も輸送に懸命協力)
 19 暁の敵襲に、百機失う(陸空軍立ち直りの矢先を撃たる)
 20 中隊、両師団を救う(大任果たし、「歓喜嶺」に散る)

第5章 遠海出征軍の宿命

  1 高峰サラワケットの踏破(“マラソン北本”の先導で)
  2 “蛙飛び”の新戦法(わが軍の意表に出る先回り上陸)
  3 ソロモンは島伝いに(ブーゲンビル島の防衛)
  4 ラバウルを見棄てる(大出血を避けたマ大将)
  5 健脚部隊が大活躍(二度の山越えに戦友愛)
  6 今村、後退を拒否す(道遠き現地軍への指揮)
  7 “水郷地獄”を乗っ切る(2千キロを踏破した勇将猛卒)
  8 比島奪還戦の本拠(米、一足飛びに良湾確保)
  9 「海軍記念日」に敵襲(ビアク島、回天の猛抵抗)
 10 「大和」「武蔵」を急回航(ビアク増援の望み成るや否や)
 11 米将、更迭を命ぜられる(葛目隊の月余の戦いは勇ましかった)
 12 全兵団はじめて集まる(話題に富むアイタペ戦)
 13 進むも死、退くも死(熟慮5昼夜の後に“攻撃作戦”へ)
 14 良将が最後の要請(担送補給で決戦に臨む)
 15 安達将軍、川中島に敗る(日本軍の戦力はまったく尽き果てた)
 16 補給難に戦局を失う(“玉砕線”守る孤島遠征軍)

第6章 ビルマ線は勝ちつつあり

  1 「ビルマ反攻」の恐れ(突如、御前会議に持ち出す)
  2 現実に驚く大本営(インド進攻作戦は棚上げ)
  3 敵背をつく一大隊(決戦をひかえて適時に痛打)
  4 英印軍を包囲撃滅(年間を通じて唯一の快勝)
  5 初対面の敵の“立体攻勢”(ウィンゲート英将の「空挺旅団」)
  6 ビルマ決戦へ増強(非常手段で道路つくり)
  7 ビルマに向かう突貫工事(越境鉄道を大戦場に急設す)
  8 働く外人捕虜5万(悪疫患者を撃って問題)
  9 伝統“ビンタ”の悲劇(浜田少将の厳戒も及ばず)
 10 昔は“捕虜優遇”の国(今は「国際将軍」の引責自決)
 11 米英に劣らぬ工兵魂(「戦場に架ける橋」の真相はこうだ)

第7章 大陸打通作戦

  1 「大陸打通」の大作戦(B29基地占領を画策す)
  2 “勝利ニュース”提供(大本営苦心の打通作戦)
  3 頼みの綱“陸路直通”(南方本拠と東京とを汽車で結ぶ)
  4 汽笛一声、黄河を渡る(幸先よき大陸打通作戦)
  5 大敵走らす9勇士(覇王城に富士川の戦例)
  6 死守の許昌城を抜く(つぎは「洛陽」か、撃滅の完遂か)
  7 古都「洛陽」に入城す(京漢線打通なって祝杯)
  8 肝を冷やした蒋総統(“横山戦法”の訓練と効果)
  9 空は米軍の受け持ち(地上の支那軍は3百万に達した)
 10 “むしろ重慶に行け(日露戦争に匹敵する軍容)
 11 軍議一決して打通戦へ(横山司令官は重慶攻略戦を制止す)
 12 力抜けした包囲陣(虚々実々の主力撃滅戦)
 13 南支に「旅順戦」の縮図?(軍紀厳正、長沙入城を禁ず)
 14 毎夜、決死隊の予行(1時間で米軍飛行場を占領す)
 15 師団長らまず重傷(衝陽の第二次突撃も失敗す)
 16 古豪連隊長の活躍(“旅順攻め”の縮図を展開)
 17 善戦の敵も遂に開城(自己保全のために友軍を見殺し)
 18 両都市同時に攻略(敵の主力は影を潜めてしまった)
 19 騎兵戦に有終の完勝(「大陸打通」ここに達成す)



今年の読書:14冊目



読書 | 22:52:18 | Comments(0)
真っすぐ帰宅・・・・
朝風呂・・・温泉に入って・・・・
みんなで一緒に朝食を食べる。
92歳の“イズミヤさん”から長寿の秘訣を伝授してもらう。(笑)
それは、呼吸法・・・
息を吸って、へその下あたりに溜める気持ちで・・・・って・・・どうやるの?
息が背中をぐるっと回るように・・・・って、どういうこと?(笑)
この“イズミヤさん”の説明がなんとも難しいのである。
が・・・92歳が言うことなんだから間違いはないんだろうねぇ~
「息をする」ことと「呼吸」は違うんだそうで・・・
「息」とは、その文字を分解すると、自分の「自」と「心」に分けられる。
ただ空気を吸うことではだめなのだそうで、そこは、自らの心で・・・空気を取り入れなければならないそうだ。
朝食後・・・「はい、やってみて」と言われ、練習を行なう。(笑)
実は、この話・・・昨晩から続いていて・・・・
1泊2泊・・・呼吸法の話と訓練となる。(大笑)
「“イズミヤさん”の言うとおりにやってみたら、指先がピリピリっと来ましたよ」
「ほぉ、ピリピリっと来ましたか?」
「はい、ピリピリっと・・・酸素が指先まで送られたのですかねぇ?」
「おお~そうなればしめたものですよ。それを続けてください」
「はい・・・」
「“気”をね・・・このヘソの下のところに溜めてね・・・」
「ヘソの下に・・・溜める?」
「そう、ここに溜めにゃいかんのですよ~」
「溜まったんだか・・・溜まってねぇんだかぁ~・・・わからないんですけど・・・」
「アハハ・・・・」
貴重なご講義を受けて、ゆっくりして・・・・
午前10時過ぎ、チェックアウト・・・・
皆さんとお別れ。

例年なら、このまま、どこかを数日ぶらぶらと旅するのだが・・・
さすがに今回はそういう気が起こらない。
余震が続いているし・・・
親父を一人で留守番させているし・・・
再度大きな地震が起きて家に数日帰れなくなった・・・なんてことになったら大変である。
今回は真っすぐ帰宅することにする。

東京まで戦友の“マツナガさん”と一緒。
東京駅でお別れして、拙者は妹の家に向かう。
震災以来、さんざん心配をかけていたので、元気なお兄様の姿を見せてやろう・・・(大笑)
というより・・・妹宅で夕食をいただき栄養を補給して帰ろうという算段である。(大笑)
夕食をいただき、近況を報告して、再び東京駅に戻り、高速バスで帰宅する。
帰宅は夜10時を過ぎていたので、親父は既に寝ていた。
美味しいものを食べ、温泉に入り・・・大いにリフレッシュした。
が・・・親父は一人でポツンと留守番・・・(笑)
拙者だけがこんな良い思いをして、よくバチが当たらないものだと思う。
(もしかしたら、バチが当たっていることに気が付いてないのかも・・・大笑)

日記 | 20:54:52 | Comments(0)
総会
我が会の慰霊祭後、本日宿泊予定のホテルに移動して総会・・・・
と言っても、参加者は拙者を含めて5名である。(笑)
他の方々はみなさん日帰りで帰られた。

我が会は、他の戦友会とは少し趣が違うのかもしれないが、戦没者の慰霊に力を入れてきた組織だそうで・・・
師団規模だと、お互いに一面識もないのである。
その“見知らぬ“人たちが集まるのは、戦死した戦友や自分の親の慰霊のためだけ。
このため、戦友が何人か一緒にいれば総会や懇親会には参加するが・・・ということになる。
残念ながら年々次々とお亡くなりになられる方が多くなり・・・・
総会や懇親会に参加しても知っている人はいないし・・・・ということで参加者は激減。
本来の慰霊祭すら高齢のため参加できないぐらいなのだから仕方がない。
が・・・やるべきことはやらねばならない。(笑)

総会と言っても5名だし・・・
司会進行は拙者の役目なので、総会兼懇親会ということで同時進行とする。
戦没者ならびに戦後の物故会員に対して黙祷を捧げた後、着座・・・・
会長から挨拶をもらい・・・・
昨年度の決算報告と監査報告は拙者が行なう。
その他、話し合いを必要とする事項なども拙者からさせてもらうので・・・・
会長挨拶以外は、全て拙者がしゃべり続けるというお恥ずかしい総会である。(大笑)
が・・・やっぱり会計などお金のことはキチンと報告せねば・・・
それと、今回の「士魂会」との一件の報告・・・・
この会との交流から弾みを付け、将来的には各戦車部隊の戦友や遺族の方々と交流を持ち、日本陸軍の戦車部隊をひとつにとりまとめて、戦友会等の組織が解散してしまい、組織だって慰霊祭が出来なくなった各慰霊祭を復活・企画して、お互いに参加し、少しでも「慰霊」が続けられるように考えていたことをご披露する。
が・・・最初からあのようにつまづいたのでは・・・・ねぇ~(笑)
壮大な計画もオジャン!(笑)

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今回の参加者(宿泊者)は5名・・・・
そのうち生還者は2名・・・・
最高齢者は“イズミヤさん”の92歳である。
「来年はどうなるか分からないよ」とおっしゃっていたが、今年もお元気で参加された。
嬉しい限りである。
が・・・この先はどうなるか・・・・
「総会」が会長と拙者の2人だけの打合せで終わってしまうような日が来るのか・・・
それでも、慰霊祭は出来るだけ永く続けていこうと思う。
戦没者のことを忘れてしまったのでは失礼だ。
バチが当たる・・・・
拙者はそう思うのである。

日記 | 20:39:46 | Comments(0)
慰霊祭
例大祭終了後、直ちに我が戦車第二師団の慰霊碑の前で慰霊祭を挙行する。
“マエダ会長”は比島観音奉賛会の役員を兼任しているので、そちらが優先・・・・
というわけで、テーブルの設置から焼香台、供物、椅子の設置は全て拙者一人で行なわなければならない。
毎年のことではあるが・・・なにかと忙しい・・・(笑)
用意が出来たら、参列者の方々には着座して頂き、僧侶を待つ・・・
僧侶が到着したら、拙者が司会をして慰霊祭の開催となる。
特に式次第があるわけではない・・・・行き当たりばったりの司会である。(笑)
更に記録用の写真も撮らねばならない。
あれやこれやを短時間で処理しなくてはならないので頭の中は大混乱となるのだが、ミスをするわけにはいかないというこの緊張感!
毎度のことながら、この緊張感がたまらないのである。(笑)

今年の参加者は事前の連絡では拙者を含めて11名であったが、同伴者が2名追加となり、合計13名での慰霊祭となる。
同伴者も加わって頂いたことで人数が増えて格好がつき、ありがたいことである。
特に中学生のお孫さんが参列してくれたのは嬉しかった。
彼は、何が何だか分からず“おじいちゃん”に付いて来たのだろうけど・・・
彼の思い出の中にこの慰霊祭が残ってくれたら有難い。

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今回の慰霊祭には戦車第11連隊戦友会(士魂会)の事務局長さんも参加される予定だったが・・・
結局、不参加・・・・
事の始まりは、今年の1月に靖国神社の会報に我が戦友会が年始の挨拶の広告を出したことに始まる。
この広告を見たこの事務局長さんが「今でも戦友会が活動しているのですか」と我が会長に連絡してきたのである。
そもそも戦車第11連隊は我が戦車第2師団の隷下の部隊だったが、途中で、この部隊だけが北千島へ派遣されて分かれてしまった。
現地で終戦を迎えたが、終戦のドサクサに紛れてソ連軍が上陸し、終戦後にもかかわらず戦闘を強いられたのである。
残る我が戦車第2師団はその後、フィリピンのルソン島で米軍と戦いながら現地で終戦を迎えた。
戦った場所は違うが、もとは同じであるから・・・
お互いの戦友会も会員が減ってさびしい状態なので、これからはお互いに行き来しようではないかという話に発展した。
ここ比島観音境内にはフィリピン戦に関係した慰霊碑がずらりと並んでいるが、この境内敷地外にはフィリピン戦とは無関係の部隊の慰霊碑がたくさん建立されていて、その中に戦車第11連隊の「士魂碑」もある。
まずは初めてのことなので、先方には我が戦友会の慰霊祭に参加して頂き、我が戦友会でも先方の慰霊碑のお参りをしてお互い交流をしようということで、我が会から先方の慰霊碑にお花を供えさせていただいた。

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ところがである・・・・
この三ヶ根山頂に来るのに、ヒッチハイクで来るというのである。
おい、おい、それでは何時に着くか分からんじゃないか?
会長の話によれば、送迎バスがあるので、それに乗って来て欲しいと言ったところ、送迎が終わった後に来るつもりだそうで、ヒッチハイクで行くと言い張ったようである。
ヒッチハイクなどで来れる場所ではないのは重々承知のことだと思うのだが・・・
(自分の会の慰霊碑があるのだから過去に何度も来て知っているはずである)
ヒッチハイクと言えば、それでは申し訳ないからと、こちらが迎えに出ると思ったのかもしれない。
しかし、我が会長は例大祭の受付担当、拙者は戦友会の受付担当で動けない。
とてもじゃないが山の下まで迎えに行く余裕はないのである。
それを伝えても承知しないらしい。
加えて到着時間がどうなるかわからないと言いだしたそうで、こちらの慰霊祭が終わった頃に来るような話をし出したという。
あれ?それでは慰霊祭に参加するという話はどこへ行ったのか?
更に決定打が・・・・
弔辞を用意したので、それを慰霊祭で読み上げさせてもらいたいというのである。
弔辞・・・すなわち「追悼の言葉」は、我が会の会長の役目なので、そういうわけにはいかない。
その中で戦車11連隊の話も織り込むので、それで了承してもらいたいと会長から話したそうだが、納得されない。
「出番を作ってくれないなら、わざわざ行く必要はないから行くのはやめた」と捨て台詞を吐いたらしいのである。
かなり自己顕示欲の強い方のようである。
何時に行くかわからない、迎えに来ないならヒッチハイクで行くから慰霊祭が終わる頃到着するだろう、弔辞を読むという出番を作ってくれないなら行かない・・・・とは、なんという我儘だろう。
相手に敬意を表するなら、相手の慰霊祭、当然、比島観音例大祭の開会前には現地に到着するのが礼儀ではないか?
同じ“事務局長”として呆れるほかはない。
そもそも事務局長とは縁の下の力持ちではなくてはならないと拙者は思うのである。
自己主張をして自分が目立つことより、会をうまくとりまとめて運営することが、その職務だと思うのである。
当然、他の会との交流に関しても、うまくやっていくことを考えるのが事務局長の役目であろう。
が・・・
「曙光会」といい、「士魂会」といい、どうしてこれらの会の事務局長は我儘で自己中心で自己顕示欲が強いのだろうか?
例の「曙光会」の事務局長の“ホンマさん”はお父さんが戦死された「遺児」である。
「士魂会」の事務局長さんも「遺児」である。
こう言っては失礼だが、「遺児」だからなのか、それとも世代的に問題があるのか?
更に驚いたことに、当日、この戦友会の会員数名(かなりのご高齢な方と女性)が来ていて、自分達の慰霊碑の参拝をし、我が会長に挨拶して帰って行ったという。
拙者のところには挨拶に来なかったので分からなかったが・・・
会長の話によれば、事務局長から「代わりに行って自分のところの慰霊碑をお参りして来てくれ」と言われてきたが、我が会とのいきさつは全く知らないとのことだったという。
あらら・・・なんという非常識・・・・
自分より年長者の会員に命令しておいて自分は行かないとは・・・事務局長にあるまじき行為ではないか?
こういうことでは、お父さんという方がどの程度の人物かと疑われてしまうのではなかろうか?
「息子を見れば親が分かる」・・・・・
戦死した父親の顔に泥を塗ってはいまいか?
呆れたお方である・・・・
我が会が用意したお花は無駄金を使ったことになったが、こちらはこちらで筋を通し礼を尽くしたのだから、それで良しとしようと会長と話し合う。

日記 | 12:56:15 | Comments(0)
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