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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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中津の旅(3)
周囲を散策・・・・

「お囲山(かこいやま)」と呼ばれる中津城を守る土塁跡があった。
さらにその先には、「広津口」と呼ばれた城下町の城戸口(木戸口)があった場所に出遭う。
ここに城下への出入りを監視した見附番所があったらしい。

写真の向こう側、横に走る道路の向こう側の家があるあるあたりは、説明板の地図によれば、当時は濠だったようである。

DSCF2192_convert_20110508201410.jpg(広津口跡)

今度は、北の方へ適当に歩いてみた。
観光マップのイラストでは、どこをどう歩いていいのか正確な道順がわからない。
だいたい、向こうの方だろうと適当に歩いてみたら・・・あら・・・石垣が・・・
「中津城西門跡」に出遭う。(笑)

DSCF2194_convert_20110508204903.jpg

さらに歩いて行くと中津城に辿り着いた。
中津城は昨日見たので、石垣を見ながら昨日は歩かなかった道を捜して歩いてみたら、お「大手門跡」に出遭った。
時刻は2時を過ぎている。
さすがにお腹がペコペコだが・・・・周囲に食事が出来そうな場所がない!!!(笑)
そういえば・・・福沢諭吉記念館の駐車場わきにレストランがあったよな・・・・
というわけで、昨日に引き続き、福沢諭吉記念館へ向かう。

DSCF2226_convert_20110508205931.jpg

無事に食事も済ませ、満足なり・・・・
が・・・雨が降り出して来たのには参った。(笑)
しかし、グッドタイミングで雨宿りである。

ここからは・・・昨日と同様に寺町の方へ向かってみる。
昨日は、夕方遅く、暗い中で、史料館の方に案内してもらったので写真が撮れなかった。
今日は、雨空だが、なんとか写真が撮れるだろう。

まずは「浄安寺(じょうあんじ)」・・・・
ここには富士紡績の和田豊治の墓がある。
続いて「円応寺(えんおうじ)」・・・・
ここには「富永章一郎氏解剖記念碑」という碑がある。
富永という人は医学の研究家だったそうで、自分が死ぬ時に死体の解剖を申し出たそうだ。
とにかく中津は医学に関した史跡が多い。
また、「河童の墓」というのもある。
この寺の住職が3匹の河童の頭目を仏の道に入らせ、修業をさせたらしい・・・(笑)
戒名を授けたら、お礼に寺を火災から守ったのだそうだ。
ここには山川東林(やまかわとうりん)という儒学者の墓もあるそうだが、墓所を捜し歩いたが、どこにあるのか分からなかった。

DSCF2237_convert_20110508211949.jpg(河童の墓)

続いて「合元寺(ごうがんじ)」・・・・
黒田如水が前領主の宇都宮鎮房(しげふさ)を中津城で謀殺した時、城から脱出した鎮房の部下が、この寺に立て籠って戦い全滅したという。
その時の血しぶきが塀にかかったが、何度塗りかえしても血の色が消えないので、結局、塀を赤く染めたという話がある有名なお寺だそうだ。

DSCF2245_convert_20110508213102.jpg(合元寺)

さらにブラブラ歩き・・・
次は「大法寺(だいほうじ)」・・・・
ここには大石良雄が奉納したという灯篭があった。
他に由井正雪が植えたという塩釜桜があるというが・・・どれだかわからなかった。(笑)

最後は「東林寺」・・・・
ここには儒学者、蘭医、国学者の先人の墓があると説明板に書いてあるのだが、それがどこにあるのかサッパリわからず退散する。(笑)

駅まで戻って来たのは午後5時である。
このへんで中津の散歩を終了し、ホテルに戻ることにする。

今晩も部屋の中での食事。

DSCF2266_convert_20110508231215.jpg

さて・・・明日の予定はどうしようか・・・
そうだ!別府の“ヤスダさん”に会いに行ってみるかぁ~!
というわけで、早速、お電話をしてみる。
「中津に来ているんですけど・・・」
特急に乗れば1時間ぐらいで別府に着くだろう。
「おいで!おいで!お昼前においでよ!お昼を一緒に食べましょう!」とのこと。
いやぁ~嬉しいお言葉!
初めてお会いしたのは・・・・3年前だったか・・・
久し振りの再会である。

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旅行 | 19:45:27 | Comments(0)
中津の旅(2)
昨晩、ホテルで観光マップを見ていたら、駅前に「島田虎之助誕生の地」の碑があると書いてある。
へぇ~全然気が付かなかった・・・・(笑)
島田虎之助は剣豪で、東京のどこかにお墓があったなぁ~
写真を撮った記憶がある。
誕生の地の石碑も撮りたいものだと思い、朝食後駅に行ってみたら・・・あった!
が・・・「説明板」は設置されていない。
駅前の緑地帯にポツンと石碑が建っているのみ。
あ~なんということか・・・もったいない・・・有名人なのに・・・
もっと顕彰すればいいのに・・・・

DSCF2154_convert_20110506221435.jpg

今日は終日、中津の観光をすることにする。
中津の町は観光するにはそれほど広い町ではなさそうなので、全て徒歩で移動することにした。
なにせ、熊本でタクシーを使いすぎて運動不足である。
ここは、少し歩き回りたい。(笑)

DSCF2162_convert_20110506223947.jpg(村上医家史料館)

まず、最初に向かったのが、「村上医家史料館」である。
中津には2つの「医家史料館」がある。
ここの史料館の職員にもご説明を受けて見学する。
ここも10分もあれば見終わってしまうような史料館なのだが・・・(笑)
ここの女性職員の方が、これまた昨日の「大江医家史料館」の職員の方と同様親切な方で・・・
「お時間、大丈夫ですか?」と何度も時間を気にされながら説明をして下さった。
普通の観光客は説明を断るか、少し聞いただけで帰っていくという。
ところが、拙者は・・・・なんだかんだと・・・1時間半もここにいたのである!(大笑)

拙者は、通常ならば、「ボランティアガイド」の説明は出来るだけ受けないようにしている。
というのも・・・ご説明を受けていると、他の場所を見学する時間が無くなってしまうからなのである。
が・・・ここ、中津ではタップリと時間を取っておいたので・・・
これも何かの縁・・・ということで御説明を受けることにした。
この方は、教育委員会の嘱託でこの史料館を担当しているとのこと。
「まだまだ勉強中なんですけど・・・」と言いながら丁寧かつ細かい説明をしてくれる。
いやはや、よく頭に入っているもんだと感心する。
拙者などは足下にも及ばない・・・(当然だが・・・笑)
こういう話は、是非とも水戸藩士の“シミズくん”に聞かせてやりたいものだ。
彼は博学だから、専門的な会話も弾むだろう。
拙者では“ど素人“過ぎて申し訳ない。
「大江医家史料館へ行かれましたか?」と尋ねられたので昨日訪れた話をしたら、「あそこの担当者もマニアックというくらい詳しいでしょ?」と笑っておられた。
確かに・・・・おっしゃる通りである。(笑)
今日も楽しい時間を過ごさせていただき、大満足である。
感激、感激・・・・

次に向かったのは、「中津市歴史民俗資料館」
時刻は、ちょうどお昼だが・・・まぁ、いいやぁ~
ここは慶応義塾の塾長を務めた小幡篤次郎と歯科医第1号の小幡英之助の生誕の地でもある。
資料館には人影もなく・・・入館無料らしいので、勝手に内部を見学する。
で・・・ミシ、ミシと2階から降りてきたら、1階に職員の方がいるのが見えた。
多分、驚くだろうなと思って・・・足音を忍ばせ(笑)・・・降りていったら・・・
「ウワッ!」と驚かれてしまった。(大笑)
やっぱりねぇ~(大笑)
「すみません、気が付きませんで・・・」と職員の方。
「いや、こちらこそ、勝手に見学させて頂いてまして・・・」とご挨拶。
もしかしたら、この方は館長さんだったかも知れない。
この方も、また親切な方で・・・・
「大江医家史料館とか村上医家史料館とかも見られましたか?」とおっしゃるので、さきほど1時間半もおしゃべりして来たところですとお話しして大笑い。
御丁寧にもお見送りをいただき資料館を辞する。

DSCF2164_convert_20110506230400.jpg(中津市歴史民俗資料館)

しかし・・・どうして中津の史料館の方々はこうもフレンドリーで親切なのだろうか?
横浜の某有名資料館なんぞは無愛想で、拙者を見下したような態度で扱ったぞ。
一気にこの町に好感を持ってしまった。(笑)

ここから更に西の方へ延々と歩いてみる。
「自性寺」という寺に到着する。

DSCF2167_convert_20110506230758.jpg

ここの墓所に「田原淳碑」というのがある。
田原淳という人は心臓の刺激伝達系を発見したという有名な医者らしい。
この碑は・・・もしかしたらお墓?・・・よくわからないけど・・・
「説明板」が設置されていないのが残念・・・
ついでに、墓所内を散策。
目の前に大きなお墓が・・・・
「陸軍大尉、猫橋芳朗」という方のお墓である。
碑文を読んでみたら・・・なんと!
特別攻撃隊第42振武隊の隊長として部下9名を率いて沖縄へ特攻し戦死した方のお墓であった。
享年23歳・・・・
ここでお会いしたのも何かの縁・・・ということでお参りさせていただく。

DSCF2176_convert_20110506231937.jpg

ここに、どうも有名な方の古いお墓があった。
説明板も設置されていたが、設置者は明記されていないのでお寺が作ったものか?
この文章が面白い。
「法性寺の基外(きがい)和尚の墓」という。
ここ自性寺の前には、ここに法性寺という寺があったらしい。
中津小笠原3代藩主長胤(ながたね)公は好色乱行の度が過ぎる方だったそうで、基外和尚は断食をしてそれをいましめたが、遂に断食14日目に憤死してしまったという。
で・・・幕府は、中津小笠原の領地を没収し、長胤を小倉へ送り、長胤は小倉の配所で43歳で死んだという。
ここまでの説明はいいのだが・・・・
最後にこの一文が書かれている・・・・
「この当時、水戸黄門は来ていません」
なんだろ・・・これ????
どういう意味だろう・・・いきなり・・・水戸黄門・・・(笑)
茨城県人の拙者としては気になる一文である。
もしかして、テレビドラマの「水戸黄門」にこの一件が取り上げられたのかな?

時刻は1時・・・・
腹が減ってきたが、このまま散策を続けることにする。

旅行 | 10:03:07 | Comments(0)