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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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弔問
午後、“ウメちゃん”の義理のお母さんのところへ弔問に行く。
拙者がマニラにいた時に、彼からメールで義父が亡くなったという連絡があった。
以前から入院していて、「時間の問題」と言われていたが、まさか拙者が海外にいる時にお亡くなりになるとは・・・
葬儀には間に合わない。
こういう時って、海外にいると不便である。
駆け付けるに駆け付けられない・・・・
お亡くなりなった義父の御自宅には毎年タケノコ掘りにお邪魔している。
そのたびに“おばさん”にお世話になっているので、弔問に行かねば・・・・
こういうのは大の苦手なのだが・・・・

二人暮らしなので、御主人を亡くされたあと“おばさん”は一人住まい・・・・
葬儀を終えて一段落だが、親戚も帰ってしまうとさぞかし寂しいのではないだろうか?
で・・・お線香をあげた後、しばし雑談・・・・

が・・・・
“おばさん”が、「うちの娘の嫁ぎ先が材木屋さんでね。この娘の旦那さんという人がね・・・」と拙者に説明するのである
あれ??
「おばさん・・・その旦那の友達なんですけど・・僕・・・」(笑)
「あら!そうだった!そうよねぇ~」(大笑)
“ウメちゃん”のことを説明されてもねぇ~・・・・
“おじさん”が亡くなって、どうも気が動転しているのか・・・
「なんで、僕が“おばさん”と知り合ったかと言うと、“ウメちゃん”の友達だからです!」(笑)
「あら、そうだった!それでタケノコ掘りに来てたんだっけね~」
「そうです、だから娘さんの旦那さんの事はよ~く知ってます!」(笑)
「なんで、あたしがスズキさんのことを知っているのかと思ったら、そう、そう、娘の旦那の友達だからなんだっけ~」
「です・・・そうです!」
二人で大笑い。

笑うことで少しでも気が紛れてくれたなら有難い・・・と思いながら帰る。

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日記 | 19:44:46 | Comments(0)
戦艦対戦艦
戦艦対戦艦 (新戦史シリーズ)戦艦対戦艦 (新戦史シリーズ)
(1994/01)
三野 正洋

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第1章 戦艦というもの
1 「戦艦」とはどのような艦種か
2 「巡洋戦艦」とはどのような艦種か
3 <ドレッドノート>の誕生とその後の建艦競争
4 ワシントン条約と海軍休日
5 戦艦の“身体検査”

第2章 大海獣の死闘(その1)
1 日露戦争の海戦
2 第一次世界大戦の海戦

第3章 大海獣の死闘(その2)
1 各国の戦艦とその数
2 第二次世界大戦の海戦

第4章 実戦から見た戦艦の防御力
1 戦艦の防御力
2 12隻の実例

第5章 3つの項目とその検討
1 ソ連海軍とその戦艦の実力
2 ドイツ海軍のポケット戦艦の実力
3 <大和>対アイオワ級の能力の比較

第6章 戦艦81隻の履歴
1 81隻の選択条件
2 各国戦艦の履歴

第7章 最優秀戦艦と最高殊勲戦艦
1 第一次大戦中の最優秀戦艦は?
2 第二次大戦中の最高殊勲戦艦は?

第8章 現在の戦艦
1 第二次大戦後の戦艦の活動
2 実物の戦艦を見るには



今年の読書:8冊目



読書 | 03:07:28 | Comments(0)
「1冊10分」で読める速読術
「1冊10分」で読める速読術 (知的生きかた文庫)「1冊10分」で読める速読術 (知的生きかた文庫)
(2010/03/20)
佐々木 豊文

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はじめに~
「速読脳」の作り方
拾い読みでも飛ばし読みでもない本当の速読
読めば読むほど、自分自身が変化する

1章 
速く、深く、大量に読むノウハウ
あなたの常識を引っ繰り返す「1冊10分」の速読術!!
1ページ3秒、本1冊を10分で読む!
「目の使い方」にすべてのカギがある
今こそ「速読脳」が必要な理由
「本を読まない人はサルである!」
デキる人はなぜ多読家なのか?
何かひとつスーパーパワーを持てるとしたら?
本で情報力」、判断力、先見力、人間力を高める!
社員の「速読脳」を積極開発しているキャノン
読書には、能力そのものを変える力がある
天才・偉人たちの本の読み方・生かし方
私たちは、読書で「自分を作り直す」ことができる
「考える力」は、読書からしか生まれない!

2章
誰でも成功する「速読トレーニング」
この方法で、あっという間に本1冊が頭に入る!
今すぐ多読、速読を始めよう!
手の届くところにいっぱい本を置け
スピード社会で求められる「速く読む力」
「本の読み方」で「脳の使い方」も変わる!
読書が苦手な人は、両目でしっかり読めていない
「視覚能力」と「視覚機能」を同時に鍛える!
「速読脳開発プログラム」はこうして生まれた!
すべての文字を高速で読み、しかもしっかり理解する
本を1冊10分で読むための「3つのステップ」

第1ステップ・2000字/分読書をマスターする
文字を追う速度を上げるトレーニング
正確に行を追うトレーニング
(ポイント)速読トレーニングに適した本は?

第2ステップ・「情報読み」をマスターする
「欲しい情報」を手に入れるテクニック
「要点」だけを素早くつかむ技術
「視野」を広げるための眼筋トレーニング
「漢字」と「カタカナ」だけを追う速読法
仕事ができる人は新聞・雑誌のここを見る!
「情報読み」だけで満足してはいけない
(ポイント)トレーニングを継続するコツ

第3ステップ・「速読脳」を開発する!
まずは「5つの視覚機能」を徹底的に鍛える!
瞬時に行末と次の行頭を読む―F1フォーマット

「速読眼」は「視野」を広げる!
新しい情報がどんどん目に飛び込んでくる!
視覚開発は運動能力も向上させる
実感、脳全体が活性化!
「交通標識を一瞬で理解するように」読む
「速読」は、頭をよくする最高の「脳トレ」

3章
暗記力200%アップのこの方法
読んだ内容を、頭にしっかり残す記憶術
せっかく読んだ本を忘れない法
誰でも、何歳からでも記憶力は伸ばせる
ポイントは「覚え方」と「思い出し方」
「思い出す力」を強化する3つのポイント
「エピソード化」して記憶する!
年を取れば取るほど「記憶容量」は大きくなる
覚える読書と楽しむ読書
「速く」読めるから「何度も」読める
同じ分野の本を同時並行で読む
記憶を“反復”するときの3つのポイント
読書メモは取らない
左右両脳を使いながら読む方法
“自分に都合のいい”読み方をしない
必ず「簡単な本」」から読み始める

4章
生き方に差がつく7つの読解力
人生が“圧倒的有利”になる読書生活の方法
読解力をさらに高める!7つのポイント
どっしりした気分が読書効果を上げる
「集中力」をいかに持続させるか
瞑想のすすめ―本はリラックスして読め
「見る」ことは「考える」ことではない
読書にいい食べ物、悪い食べ物
砂糖や牛乳が読書を妨げる―これだけの理由
伝統的な日本食は読書力を高める!



「速読法」「速読術」とは何年経っても魅力的な言葉である。
だから何十年経っても似たり寄ったりの本が本屋に並ぶのだろう。
で・・・「1冊10分」で・・・の文字に引っ掛かって本書を購入。(笑)
が・・・これを読むのにかなりの時間を要した。(笑)
で・・・読み終わって・・・思い返しても何が書かれていたのか思い出せない。
こりゃ、速読以前の問題である。



今年の読書:7冊目



読書 | 01:28:42 | Comments(0)
激論!
今回の関係者が一同に介しての夕食。
明日は帰国であるから、「さよならパーティー」という感じなのだが・・・

ひょんなことから“ホンマさん”と大激論となる。
回りの方々には申し訳ないとは思ったが・・・・
売り言葉に買い言葉である。
ましてや、今日のコレヒドール島での横柄な態度にも頭に来ていたし・・・・
それ以前の数年来の不満も溜まっていたし・・・・
止まらない!(笑)

彼女は曙光会の事務局長である。
以前の“コンドウ会長”、“ヤマシタ事務局長”の生還者が引退した後、戦没者遺児が跡を継ぐとして会の運営を引き継いだが・・・・
当初の趣旨とかなり脱線しているような気がしていたので、なおさらのことである。
拙者は青年会議所時代もかなりの強硬派である。
それまでは生還者と遺族、遺族同士が情報交換をしたりして親睦をはかるという楽しい「おしゃべりをする」親睦会だったのが、彼女が事務局長になってからは軍歌を歌うカラオケ大会になってしまい、うるさくておしゃべりどころではなくなってしまった。
「あなたも歌いなさいよ!」と煽るのもほどほどにしろと毎回の不満が溜まっていた。
どうもみんなの事より自分の趣味に走っている感がある。
軍歌を歌ってはしゃぐって、どういうことよ・・・遺族が・・・
個人の趣味で軍歌を歌うのは構わないが、会としてはどうなのよ?
拙者はこういうのは納得いかないのだ。

他の会員から「事務局長には“それなりの”人物がなるべきではないか?」とやんわりと、事務局長に不適だと言われたそうで彼女は憤慨していたが・・・
そこに間が悪いというか、マニラに出発直前にある会員から事務局長には拙者がいいのではないかと言われたという。
「あ、そういうわけなんだ!そういうことで話が出来ているんだ!だから私を責めるんだ!じゃぁ、あんたが事務局長をやったらいいわよ!やりなさいよ!」と勝手に思い込んで騒ぎだしたのには驚いた。
拙者はそんな話は聞いたこともない。
だいたい、自分の戦友会の事務局をやっているだけで精一杯である。
他の組織の事務局長など引き受ける余裕はないし・・・その気もない。
他の会員とそういう話もしたことはない。

ただ、組織を私物化する態度は許せない。
だから、ついつい突っ込みたくなるのが拙者の悪い癖でもある。
この手のオバタリアンは、突っ込みを入れると数十倍になってお返しの反撃をしてくる。(笑)
だからみんなは余計なことは言わず黙っている。
それでは助長させてしまうではないか?

そもそもの激論のきっかけは会の決算である。
彼女は「会計監査で忙しい、大変なんだ」とことさら、さも大変なような話を自慢げに語る。
拙者も戦友会の会計監査を控えて忙しいが、そんなことは事務局長である以上当然のことである。
淡々と事を処理して行くべきであって、ことさら騒いで自己アピールをする必要はあるまい?
そういう自己アピールをする態度が鼻につくのである。(笑)
ましてや、親睦会なんだから大した会計監査じゃあるまい。
やらなくてもいいのではないかとすら思うのである。
カラオケ大会に化した会である。
さも大した会のような顔をして会計監査なんて笑ってしまう。
ところで、監査をする監査役は総会で決議されていない。
誰からも承認されていない監査役が監査しても意味はないんじゃないか?
と・・・「なに言ってるのよ!ちゃんと監査役がいるのよ!私が頼んで監査役をやってもらっているんだから!あんた、ちゃんと決算書見ていないの?なによ、あんた~」と言う。
「あなたが頼んだだけで会員は承認してませんよね?総会で決議してないでしょ?」
「あんたとは付き合いが短いから知らないけど、あの人たちとは付き合いが長いから信用できる人たちなんだからね!」
カチィ~ン・・・である。
あんたとは付き合いが短い?
だから信用できないが、監査役は信用できる人物だというのか?
よく言うよなぁ~
今まで、何かとトラブルが発生すると「あんたが何とかしなさいよ!」と拙者に押しつけて逃げてきたくせに・・・
もう、腹の虫がおさまらねぇぞ!(大笑)

拙者は短気で血の気が多い方なので・・・
こうなると徹底的にやっつけたくなるのである。
相手も負けん気が強いからまくしたてる・・・・
収拾がつかない・・・・
周りの人は・・・・利口なので絶対仲裁には入らない。(笑)

4月に曙光会の大会がある。
毎年参加してお手伝いをしているが、今回は出欠の通知をまだ出していない。
あの「カラオケ大会」がどうも引っかかるのである。
カラオケを聴きに、わざわざ1泊2日の会合に何万円も使って行くべきだろうか・・・
今まで親しくしてきた生還者も次々とお亡くなりになり、もう、拙者がお手伝いする必要もないだろうし・・・
と、迷っていたが・・・
今回の激論でほぼ腹が決まった・・・
もう参加するのはやめよう。(大笑)
こんな利己的で横柄で強引な人物が事務局長をしているような会には関わるのはやめよう・・・・

旅行 | 22:53:09 | Comments(0)
コレヒドール島観光(4)
続いて向かったのが、「マリンタ・トンネル」である。
日本軍がこの島を攻略した時には米軍が立てこもり、大戦末期、米軍に攻略された時には日本軍がここに立てこもり、最後には自爆して果てたという場所である。

DSCF2680_convert_20110602203646.jpg

ここでは見学者が一つの団体となって内部を見学することになっている。
すでに先着の一団が見学中だったので、我々のバスの他、あとから到着してきたバスの乗客がトンネルの前で、しばし待たされた。
と・・・・
ちょうどアメリカ人の観光客が説明板の写真を撮ろうとカメラを構えている前を“エトウさん”が横切ろうとした。
おっと!「エトウさん!ちょっと止まって!」と叫んだが間に合わず・・・完璧に撮影の邪魔をしてしまった。(笑)
いやぁ~申し訳ない!すみませ~ん!と謝る。
と・・・・
“ホンマさん”が「エクスキュ~ズミ~!ナインティ・ツ~・イヤーズ・オールド!ナインティ~ツ~・イヤ~!!アハハ・・・」と得意の(?)英語を叫びながら目の前を横切って行った・・・・
アハハ、アハハ・・・と笑いながらは結構なのですが・・・そのあとが大変・・・
しばらくして、先ほどのご高齢のアメリカ人観光客が突然拙者に声をかけてきた。
「ちょっとお尋ねしますが・・・わたしのワイフがどうしても聞いて来てくれというので・・・あの女性は、さっき92歳と言っていましたが、私のワイフが言うには、92歳にしては若すぎるというのです。とても92歳には見えないですし、私もそう思います。本当にあの女性は92歳なのですか?」
ギョェ~!!!
何たることぞ!“愕然”という言葉はこのためにあるような言葉である!
「いや、あの女性は78歳で、むこうの男の人が92歳です」
「やっぱり!アハハ・・そうですよねぇ~どう見ても92歳には見えませんよねぇ~」
「ええ、すみません・・・あの女性は、あの男の人が92歳だという意味で“92歳!”って言っていました」
「いやぁ~わかりました!うちのワイフが不思議がっていたものですから・・・すみません!」(笑)
いやぁ~参ったぁ~
突然の英語の質問で冷や汗が出たぞ!

まもなく、ゲートが開けられ、入場となる。
ここの入場券は乗船券とは別に渡されていて、これを無くすと大変なことになるので拙者が3人分預かっていた。
なにせ、トンネル内を見学しながら向こう側へ抜けて、バスに乗るので、このトンネルに入場できないと向こう側に行けなくなるのである。(笑)

お二人に入場券を渡す。
で・・・“ホンマさん”を先頭にゲートに向かったら、係員に止められた!(笑)
チケットを見せろと言われているのに応じないのである。
「チケット?後ろ!後ろ!」と日本語で叫んでいる。
後ろ・・・って、拙者の事か?
立てた親指を拙者に向けて「後ろだって言ってるでしょ!」と、まぁ、相変わらず横柄な態度・・・
「チケットを出して下さい!」
「チケット?そんなものないわよ!」
「さっき渡したでしょ!」
「もらってないわよ!そんなもの!」
人をかき分け・・・“ホンマさん”のもとへ・・・
「さっき渡したんだから、どこかにあるでしょ?」
ポケットの中やらカバンの中を探しまくって、ようやく見つかる。
「これ?あ~これ・・・チケットなの?これが・・・ふん!」
「ほら!」と係員にチケットを差し出す・・・またまた横柄な・・・・
参ったなぁ~
謝るのは拙者の仕事かよ・・・・「すみませんねぇ~」
後ろに並んだ人たちの冷たい視線・・・・
91歳の“エトウさん”は意外や意外(失礼!)全く手がかからない。
当初は、“エトウさん”が御高齢なので手がかかって大変だろうと予想していた。
だからこの観光に付いて来たのだが・・・・
まさか、“エトウさん”より若い“ホンマさん”のほうが手がかかるとは・・・

と・・・先ほどのアメリカ人と目が合った。
「え~・・・この人はやっぱり92歳でした!」と“ホンマさん”を指さしたら、「そのようだねぇ~アハハ・・・」と大笑い。
へへへ・・・ジョークが通じたみたい・・・(笑)

DSCF2681_convert_20110602214751.jpg DSCF2682_convert_20110602215645.jpg

トンネルの中は真っ暗・・・・
係員に案内されながら少しずつ前進する。
トンネルの左右にはムカデの足のように更にトンネルがあるのだが、そのトンネルを利用してジオラマや映像スクリーンが設置されている。
その位置まで前進して、アナウンスを聞いたり映像を見たりして、また係員に従って少し前進するといった具合。
ゆっくり進むので見終わるまでに30分はかかるのである。
で・・・真っ暗だから、お二人がどこへ行ってしまったのか不明・・・(笑)
勝手には動けないので、この人の群れの中に埋まってしまっているのだろうと後ろを付いて歩く。(笑)

DSCF2683_convert_20110602215939.jpg(日本軍のジオラマ)

DSCF2686_convert_20110602220403.jpg
(トンネルの支線・・・今も崩れたまま瓦礫が残っている)

DSCF2690_convert_20110602220839.jpg(見学終了!)

ここからバスに乗って船着き場へ・・・・
これでコレヒドール島の観光は終了である。
バスの運転手とガイドと握手してお別れ・・・・
いろいろとおしゃべりができて本当に良かった。
彼らの親切に感謝、感謝である。
今回はガイド、フィリピン人や外国人観光客に嫌な思いをさせられずに楽しく観光が出来たが、まさか身内の傍若無人さに不愉快な思いをさせられるとは思わなかった。
世の中うまくいかないものである・・・・(笑)

帰りの船の中では・・・疲れがドッと出て、コックリ、コックリ、舟を漕ぐ・・・・(笑)

港には“ステラさん”が迎えに来てくれていた。
実は、彼女と帰りの迎えについて何の打合せもしていなかったのである。
「まさか迎えに来てるんでしょ?どうなってんの?もし、来ていなかったらどうするの!あんたが何とかしてくれないとね!そういう時は!」と“ホンマさん”が騒いでいたので、これで本当に迎えが来ていなかったら、どうしようかと思っていたので助かった。(大笑)
そもそも“ホンマさん”がコレヒドール観光をすると企画して、そのあとに拙者が便乗したのだから、「どうなってるの?」と言われても拙者は知らないし、何の責任もないのであるが・・・
そういうことは全く関係なく、責任を人に押しつける人だからなぁ~・・・この人は・・・・

“ステラさん”の送迎ワゴン車でホテルに直行。
これからマニラ東方へ行ったグループとホテルで合流して夕食会である。

旅行 | 15:21:22 | Comments(0)
コレヒドール島観光(3)
バスに乗り、続いて向かったのは「クロケット砲台」である。
ここは6年前にも来たところ。
前回来た時に撮影できなかった場所の写真撮影をしたかったので、ガイドさんに案内されて砲台を見に行った皆さんとは別行動を取り一人で周囲を散策する。
と・・・バスの運転手が、この戦跡について説明をしてくれた。(笑)

DSCF2623_convert_20110531210938.jpg

ガイドの説明を受けながら移動する皆さんの先回りをして撮影したり、移動した後、誰もいないところを見計らって撮影しに行ったりと、皆さんと全く正反対の行動をする。
こうしないと、“観光客”が邪魔で撮影が出来ないのだ。(笑)
と・・・“エトウさん”と、かち合う・・・
91歳のカメラマンも拙者と同じ考えのようで・・・二人で大笑い。

次に向かった砲台では、我が日本人組と一部の外国人はバスから降りなかった。
もう、暑くて暑くて・・・・バテ気味の御様子。
ガイドに率いられて他の乗客が砲台を見学に行っている間、拙者はバスの運転手と木陰でタバコを吸いながら雑談をする。(だんだん英語が話せるようになって来たぞ!)
タバコを吸い終わりバスに戻ったら、“ホンマさん”から「あの人、知り合いなの?」と尋ねられる。
「知り合いのわけないでしょぉ~。バスの運転手さんですよ」
「あら、そう・・・ずいぶん楽しそうに話していたから知り合いかと思った」
「はぁ?」
コレヒドールに知り合いなんかいるわけがない。(笑)

次の大砲のところでは、さすがに殆どの人がバスを降りない。
こうなると、へそ曲がりの拙者は降りたくなるのだ。(大笑)
コレヒドール島を占領した時、日本兵たちがこの大砲の前で万歳している写真かフィルムかが確か今でも残っていたと思う。結構、そういう意味で有名な大砲である。

DSCF2628_convert_20110531212404.jpg

次は、某所(昼食を取った場所の近く?)でトイレ休憩を兼ねた休憩となる。

DSCF2637_convert_20110531215011.jpg

この間、拙者はガイドさんに話しかけ、おしゃべりをする。
実は、ある作戦を考えていたのである。(笑)
以前ここに来た時には散々日本軍の悪口を言われ、からかわれ、馬鹿にされて不愉快な思いをした。
この後の行程は、まもなく日本軍の慰霊碑のある場所に行くはずである。
前回は5分程度しか見学時間をもらえず、しかも乗客からは「暑くて降りる気はないから、こんなところで止まる必要はない」とヤジを飛ばされた。
この時、“親日派”の乗客が助け船を出してくれてギリギリまで時間稼ぎをしてくれたおかげで、なんとか5分以上見学することが出来た。
あの時の“親日派乗客”の親切は忘れられない思い出である。
なんとか5分以内で・・・と、走り回って見学したが、見切れなかった。
今回はあのようなことは避けたい・・・・
というわけで・・・ガイドさんと親しくなろうと考えたわけである。(笑)
親しくなったら少しは便宜を図ってくれて、ちょっとは長い時間をくれるかな?・・・・という作戦である。(大笑)

“エトウさん”がフィリピン戦の生還者で91歳であるということを話す。
と・・・ガイドさんが、もう随分前にコレヒドール島で戦ったという日本人がここに来たことがあるという話をしてくれた。
そなんこんなの雑談を少々・・・・
明日、日本に帰るという最終日になって、ようやく拙者の英語に“エンジン”がかかる。(遅いんだよなぁ~)

次に向かったのは、フィリピンの慰霊碑(記念碑?)がある場所。
6年前にはここに、こんなものがあったかなぁ~
訪れた記憶がない・・・・
この6年の間に新たに出来た施設か?

ここでバスを降りて見学(参拝?)となったが・・・・
“ホンマさん”一人だけがバスから降りない。
「暑いし・・・こんなところ関係ないから降りないわよ!」と言う。
「あの、ここはフィリピンの慰霊碑ですから、降りて敬意を示した方がいいですよ」
「なんで降りなくちゃならないのよ!私は関係ないから!」
「日本人としてそれはマズイでしょ?相手に敬意を払わないと・・・次は日本の慰霊碑の場所に行くんですから・・・自分のところだけ慰霊をするのかって白い目で見られちゃいますから降りましょうよ」
「私は身体障害者の認定を受けてるから、その時はそう言ってやるわよ!私は歩けません!」
カチィ~ン!である。
短気な拙者は・・・遂に頭に血が上ってしまった。
よりによって、身体障害者だから????(初耳である)
そういうことを理由に持ち出すとは・・・・
「それなら、他の乗客から何か言われたら自分で説明しなさいよ!俺は助けないからね!」

91歳の“エトウさん”は暑い中、みんなと一緒に詣でているというのに・・・・
何という横柄な態度か・・・・
日本人がフィリピンの慰霊碑(記念碑)に敬意を示さないでは失礼だろう。
次は日本の慰霊碑の場所に行くのである。
お互いに相手国の戦没者に敬意を表すというのがマナーではないか?

DSCF2642_convert_20110531230813.jpg

フィリピンの記念碑(慰霊碑)の周囲にはフィリピン人の戦いについて戦前のものから、ずらりと説明の碑が建ち並んでいる。
こういう歴史を伝えようとするところがアメリカやフィリピンの記念碑(慰霊碑)の特徴である。
これに対して日本のものには、こういうものはまずないに等しい。
「鎮魂」「慰霊」等の2文字程度。
どういう戦争があって、どのくらいの人が亡くなったのかという記載もない。
日本は敗戦国だから自国の戦史を記録してはいけないというのか?
それとも日本人は歴史を軽んずる国民性なのか?
拙者はどうしても納得できないのである。

フィリピンの記念碑(慰霊碑)を“エトウさん”を案内しながら見学してバスに戻る。
“ホンマさん”はバスの中にポツンと一人で座っていた。
目立つ・・・・

次は日本の慰霊碑のある広場・・・・
案の定、“ホンマさん”は真っ先に降りて慰霊碑のもとへ・・・・
いくらなんでも、この態度の差は露骨である。(怒)
ここでの自由行動時間は6年前とは雲泥の差でタップリと取って頂けた。
いやぁ~ありがたい!
慰霊碑の他に、前回撮影できなかった大砲などの写真を撮影できた。
で・・・今度はガイドさんが個人的に拙者に話しかけて来てくれて、戦史の話などで話が弾む。
いやぁ~これまた感謝、感謝である。

DSCF2654_convert_20110531232728.jpg DSCF2663_convert_20110531233006.jpg

まもなく・・・声高らかに、般若心経が・・・・
“ホンマさん”が慰霊碑の前に座り込んで大声で般若心経を唱え出したのである!
周囲の外人さんたちは奇異な目で見ながら立ち去っていく・・・・
“私は慰霊をしているんだ!”と言わんばかりの、これ見よがしの行為・・・・
拙者はこういうのは好きではないので・・・無視する。
慰霊は、静かに首を垂れるだけでもいいではないか?
何もみんなに聞こえるようにお経などをあげる必要はあるまい。
だいたい・・・あなたのお父さんはここで戦死したわけでもないのだから・・・・

こういう鼻につく慰霊って・・・ムカツクんだよねぇ~(怒)

旅行 | 13:02:21 | Comments(0)
コレヒドール島観光(2)
DSCF2519_convert_20110529115438.jpg

我々3人は3号車に乗った・・・・
で、この車のガイドさん・・・
とにかくテンポのいいしゃべり方で話してくれるのだが、速過ぎて何を言っているのかよくわからない。(笑)
他の乗客は理解できるんだろうけど・・・・英語の苦手な拙者は半分も理解できていない。(大笑)
と・・・彼が我々に気がついた・・・
「そちらの方3人は・・・日本人の方ですね?」
そうだと頷いたらニコリと笑って・・・・そこからがわからねぇんだよなぁ~(笑)
「5名以上集まれば日本語のバスが出るのですが、残念ながら3名ですから・・・ナントカカントカ・・・」
「日本人の方にはちょっとキツイジョークを言いますが、ご勘弁を・・・ナントカカントカ・・・」
ナントカカントカ・・・言ってるんだけど、そこのところが・・・よくわからんのである。(笑)
車内でドッと笑いが出たので、多分、何かジョークを言ったんだろうが・・・

博物館の場所でかなりタップリと見学時間を取ってくれたのでありがたい。
早速、博物館を見学したいところだが、我慢して、この建物の裏手にあるモニュメントにお二人を案内する。
誰もが真っ先に博物館へ行くので館内が混雑する。
だから、最初に外を見学してから・・・とすれば、その頃には館内は空いていて見学しやすくなるのである。

DSCF2521_convert_20110529130947.jpg

このモニュメントは、日本海軍の戦艦武蔵のモニュメントだと何かで聞いたか見たような記憶があるのだが・・・
モニュメントの周辺にはそのような銘板は見当たらなかった。

コレヒドール島は「おたまじゃくし」のような形をした島なのであるが、ここからその「おたまじゃくし」の尻尾の部分が良く見える。(笑)

DSCF2522_convert_20110529131705.jpg

マニラから大して離れていないと思うのだが、ここコレヒドール島は猛暑である。
暑い、暑い・・・
博物館内を見学することにする。

DSCF2552_convert_20110529132503.jpg

館内の展示物は6年前に来た時とレイアウトが変わっているような気がしたが・・・
あの時は混雑していたのか、時間に余裕がなかったのか、展示物に関して記憶がない。(笑)
今回は、結構時間的にも精神的にも余裕があったので、じっくりと見学をする。
で・・・気が付いたらお二人の姿が見当たらない・・・・
まぁ、いいやぁ~

館内の見学を終えて外に出て、近くの廃墟などを見に行く。

DSCF2573_convert_20110529133307.jpg DSCF2580_convert_20110529134009.jpg

ここで意外にも鶏の親子に出会った。(笑)
いやぁ~可愛い、可愛い・・・親鳥の後ろをチョコチョコとついて歩いている雛たち・・・
野生の鶏なのかな?

DSCF2582_convert_20110529140505.jpg

さて、お二人さんはどこへ行ってしまったのやらと周辺を探してみたら、“エトウさん”を見つけた!(笑)
91歳の御高齢にも関わらず、あちこち歩き回りながら一眼レフカメラでパチパチ写真を撮りまくっている。
この炎天下に大したものだと驚く・・・
“エトウさん”にお尋ねしたら、写真を撮るのが趣味なのだそうだ。
好きなことをするとなると・・・アドレナリンが放出され・・・(大笑)・・・疲れ知らずとなるのかも。
“ホンマさん”は少し離れた木陰の中に座り込んでいた。

「どのバスでもいいから早く乗っちゃいましょうよ!」と“ホンマさん”
そういうわけにはいくまい。我々は3号車に乗って来たのである。途中で別のバスに乗ったらガイドさんに迷惑をかけるんじゃないか?そうじゃなくとも我々3人の日本人は目立つんだから・・・
「あれ?あの日本人たちはどこへ行ったの?」と大騒ぎにでもなったら日本人として恥かしいではないか?
とにかく3号車が迎えに来るまで待つように言う。

まもなく3号車が来たので乗り込む。
ガイドさんは交代したらしく別の方だったが、この人の英語は非常に聞きやすい英語なので助かった。
おかげで半分ぐらいは理解できそうである。(それでも半分かい! 大笑)

車内でガイドさんの説明を通訳してあげたが、そのたびに“ホンマさん”が「そう言っているわねぇ~」を連発する。
つまり、私も英語は理解できますというアピールなんだろう。
ならば、無理して通訳してあげる必要はないようなので通訳するのをやめる。
次の訪問地でバスを降りたら、“エトウさん”が「ガイドが何か説明してくれているようだが、何を言っているのかこっちはさっぱりわからんから困るねぇ~」と言う。
あらら・・・“ホンマさん”は説明してあげなかったのか?
ガイドが何を話しているのか理解できるなら隣りに座っている“エトウさん”に説明してあげればいいのに・・・
拙者から、いままでのところガイドが説明した内容を要約して伝える。

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降りたところは灯台がある丘・・・・
そう言えば6年前にもここに来たことがある。
その時のガイドが散々日本兵を馬鹿にした言い方をしていたので、ここに来た時に何人もの乗客から同情の声をかけられた場所だ・・・(笑)
あの時の思い出がよみがえって来た。
みなさん、拙者を気遣って声をかけて来てくれた・・・嬉しかったなぁ~
あの時の親切な方々は今はどうされているだろうか・・・
ここにはお土産屋さんがいくつもある。
で・・・スーツケースに貼るステッカーが売ってないものかと各店を覗きこみ尋ねたが、そういうものはないと言われてしまった。
なんとも残念である。
コレヒドールのステッカーが貼りたいのになぁ~(笑)

ふと突然変なことを思いだした!
和歌山県の歩兵第61連隊・・・・(笑)
たしか、コレヒドール島攻略戦に参加した部隊だ。
当時の写真を見た覚えがある。
たしか、給水塔の丘を攻略する時の写真である。
あの給水塔はどこにあるんだろう?(笑)
今も残っているのだろうか?
そして、コレヒドール島内を走っている日本軍の九七式中戦車の写真・・・・
あれはどこの所属か・・・我が戦車第2師団の戦車第7連隊のものだろうか・・・
あの写真が撮影された場所はどこなんだろう?
マニアックなことを思い出してしまった・・・(笑)

コレヒドール島は2回目の訪問だが、方向音痴であることも手伝い、島内の事はどこに何があるのかさっぱり頭に入っていない。
周遊バスで移動するからなおさらのことである。
島内にはホテルが1軒あり宿泊できるというから、1泊2日でここを散策すれば、わかるかもしれない・・・
いつか、やってみようか・・・と思う。

旅行 | 11:44:23 | Comments(0)
コレヒドール島観光(1)
今日は今回の旅行の「予備日」だが、用事は全て昨日までに終了した。
みんなは、「よかった、よかった」と喜んでいたが・・・
確かに、現地に来てからバタバタと手配しての“陳情”だから、その割には大成功ということになるんだろうけど・・・
でも、結局は、自己満足の世界という気がしないでもない。
相手は金をばら撒いているわけだし、それに対抗しえたかというと疑問である。
かといって、相手と同じ手は使いたくはない。
純粋さを失ってしまう。
我々の“気持ち”がどこまで相手に通じたか・・・・
それを汲んで、彼らが動いてくれるか・・・
これは彼らの良識に頼るしかない。

で・・・今日は、何もないというので「観光」ということになる。
我がグループは2つに分かれることになったようである。
生還者の“エトウさん”と遺族の“ホンマ”さんの2人はコレヒドール観光に行くという。
その他の人は、生還した海軍の軍医さんと一緒にマニラ東方地区の戦跡を回るという。
で・・・あなたはどうするの?と尋ねられたが、拙者は観光なんて考えていなかったので何の予定もない。
マニラ周辺で行きたいところもないし・・・・
91歳のおじいさんと74歳のおばちゃんの2人旅というのは危ないような気がする。(笑)
英語なんて出来ないんだろうから・・・・
ここは少しは英語が話せる拙者が同行した方がいいだろうということで、お二人に同行してコレヒドール島観光へ行くことにした。(笑)

コレヒドール島は2回目の訪問となる。
初めて行ったのは平成15年だから・・・6年前の事・・・・
島内周遊バスのガイドに散々日本兵を揶揄する言い方をされ不愉快な思いをした。
今回はどうなるんだろう・・・という不安がよぎる・・・・

ガイドの“ステラさん”に港まで送ってもらい、チケットを購入してもらう。
ここからは、我々3人だけで行動しなくてはならない。
「2人だけで大丈夫だろうかと思ったけど、あなたが一緒なら安心だわ」と言われ責任重大。(大笑)

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船着き場に、どこかで見たことがあるものが“停泊”していた・・・・
水上レストランである。
今から30年も前の事・・・・
香港の水上レストランで食事をしたことがあった。
水上レストランは、当然、水上に浮かんでいるので・・・・微妙に揺れるのである。
おかげで“船酔い”になり、吐きそうになって食事どころではなかった。
脂汗をかきながら必死に耐えたことを思い出す。
まさか、あの香港の水上レストランを持って来たんじゃないだろうな?(笑)

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10時過ぎ・・・乗船開始・・・・
そんなに慌てることもないのに、拙者の注意を振り切って、2人はさっさとボートに乗り込む。
あらら・・・
予想通り・・・先に乗り込んだ“ホンマさん”が座席を間違えて座ったようで、係員から移動するよう注意されていた。
座席は一応指定席になっている。
係員のおばちゃんに注意されたのに腹を立て文句タラタラ・・・・
「なんだっていいのよ!いざとなったら日本語で騒げば相手は引き下がるんだから!」と言う。
あのね・・・そういう考え方は間違ってるんじゃない?
先が思いやられる・・・・
拙者が大嫌いな“団塊の世代”の少し上の世代だが・・・
こういうオバタリアンは結構多い・・・・(涙)

約2時間弱でコレヒドール島に到着する。
以前より時間がかかっているような気がしないでもない。(笑)
時刻はお昼を過ぎている。
この島内観光ツアーには昼食が付いている。
船着き場近くでバイキングの昼食をとる。

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さて・・・以前は、周遊バスがズラッと並んでいて、英語のバス、タガログ語のバス、日本語のバス・・・とあったのだが、6年ぶりに来たら、そういうバスが待っていない。
あれれ・・・これからどうしたらいいんだろ?(笑)
アナウンスによると、「これから来るバスに乗ってくれ」と言っているようなのだが、やってくるバスには昼食をとりに来た先に島に着いていた人達のバスばかり・・・・
「ねぇ、どうなってんの?どれに乗ればいいのよ!」と“ホンマさん”が騒ぐ。
こういう時は・・・・
同じボートに乗って来た人達の動向を見て行動すればいい。(大笑)
先に昼食を取っていた他のツアーの人達がバスに乗り込み出発して行く中、しばし食後の休憩をとる。

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この休憩中のことである。
桟橋の近くの木の根元に“ホンマさん”がうずくまり、何かし始めた。
と・・・煙が・・・・
ギョェ~・・・お線香をあげている!
「あなたもこっちに来なさいよ!」と言われたが・・・断る!

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そのうち般若心経を唱え始めた・・・・(汗)
周囲の外国人たちが怪訝そうな眼で見ている・・・・
マズイよなぁ~
ここコレヒドール島は独立して管理されている地域のはずである。
観光ツアーのボートに乗らなければ勝手に上陸は出来ないという場所のはずだから、当然管理者というのがいるはずである。
そこの承諾も得ずに、お線香に火をつけて・・・というのは、いかがなものであろうか?
しかも、日本の慰霊碑にあげるならまだしも、何の関係もない桟橋の木の根元となると益々マズいんじゃないか?
近くに監視員(レインジャー)がいたので、彼に注意されるかもしれない。
と言うわけで・・・拙者は現場から少し離れて、この監視員との間に位置することにした。
彼がこちらに歩いてきたら、拙者から説明をして時間稼ぎをしようと思ったのである。
監視員も困ってしまったに違いない。
こちらに来るのではなく、反対側に向かい、近くにあるトイレの建物の陰に隠れてしまった。(笑)
見える場所にいなければ、見なかったということになるから・・・・
どこからかクレームが来ても知らなかったということにするつもりなのかもしれない。

まもなく“エトウさん”が来て、「どうしてこっちに来なかったの?」と言うので理由を話したら納得してくれた。
「あ、そりゃ、マズかったなぁ」
「念のため、お線香の火を消して痕跡を残さないようにしておいてください」と頼む。
“ホンマさん”は・・・・・
「慰霊をして何が悪いの?いざとなったら日本語でまくしたてれば大丈夫よ!なに言ってんの!」である・・・
無神経を通り過ぎて横暴である。
日本兵のせいで反日感情が残っているんじゃなくて、戦後にやって来るこういう日本人のせいで反日感情が作られるんじゃなかろうかとさえ思ってしまう。
参るんだよなぁ~・・・・こういうオバチャン・・・・

とにかく大事には至らなかったので良かった・・・・
まもなく誰も乗っていないバスが到着したので、運転手に日本語のガイドの乗っているバスがあるかどうか尋ねたら、そういうバスは今日はない・・・とのことだった。
しかたがない・・・英語のガイドのバスに乗るか・・・・
ということで、このバスに乗って島内観光に出発する。

旅行 | 10:42:04 | Comments(0)
日本大使館へ行く
今日は日本大使館訪問である。
事前の話では、パスポート以外の身分を証明できるものを持参してくるようにとのお達しがあったとか・・・
そんな馬鹿な・・・である。
パスポートで身分は十分証明できるではないか?
だいたい、パスポートは外務省が発行している証明書なんだから・・・(笑)
顔写真付きの身分が証明できるもの・・・と言われたら運転免許証ぐらいしかないが、フィリピンに運転免許証なんて持ってくるわけがない。
更には、「先住民」も同様に身分を証明できるものを持参の事とのこと。
山奥に住んでいる「先住民」全員がパスポートや運転免許証を持っているとは思えない。
これは「大使館の嫌がらせか?」と騒然とした。
我々とは面談したくないということなのか?

DSCF2471_convert_20110525103355.jpg(マニラの日本大使館前)

午前10時、マニラの日本大使館に到着。
ゲートで身分の確認と手荷物のチェック。
問題の身分証明に関しては、女性書記官が丁寧に対応して下さり、思ったようなトラブルは起らなかった。
拙者は身分の証明代わりに名刺の提出で済んだし、「先住民」たちは入館の書類に名前を記入するだけで済んだようだ。

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参加者は日本側は、我々の他に後から加わった元海軍軍医(確か92歳だったと思う)と介添えの方。
先住民は、東ミンドロ州のハヌノオマンギャン族とイフガオ州のイゴロット族の9名。
報道機関は、NHKと日本の週刊誌、現地日本語新聞の記者たち。
面談に応じて下さったのは、公使兼総領事と二等書記官である。
リーダーの“カメイさん”から陳情を行い、続いて戦友(生還者)から各自話をする。
通訳をして下さった現地在住の日本人の方も意見や要望を述べたが・・・
どうも少々感情的になっている感じ。
端で聞いていると、みなさん、“詰問“しているような感じに聞こえてしまう。
「先住民」からも、先祖の骨が無くなるということが、民族としてどういう意味を持つのか等の説明があり、この盗難と日本兵の遺骨収集に相関関係があるという話が出る。
で・・・最後に・・・振られた・・・(笑)
“カワムラさん”から「あなたからも何か話をして」と突然の御指名。(笑)
拙者は戦友会の事務局長としてというよりは、生還者の孫として、お話しをさせていただく。
遺骨収集は厚生労働省の所管だろうが、その遺骨をフィリピンから持ち出す、また日本に持ち込むということに関しては外務省の所管のはずである。
そういう意味からは、外務省(大使館)は無関係とは言えない。
現在、日本兵の遺骨と称してフィリピン人の骨が持ち出されている疑いがあるので、これは国際問題に発展しかねないと思っていただき、そういう観点からもこの遺骨収集事業に対しては関心をもって対応して頂きたい・・・
という趣旨の要望を伝えた。

会談後、他の職員の方から「お茶を用意してますので召しあがってください」との申し出があった。
お気遣いに感謝である。
「先住民」たちにも声をかけ、「これ、日本のお茶だ。飲んでみろ」と勧める。(笑)

公使が2時間近くもこの会談のために時間を割いて下さったというのは異例のことらしい。
感謝、感謝である。
戦争でフィリピン人に迷惑をかけたあげく、更に戦後65年も経って、今度は盗骨で迷惑をかけたのでは日本人として恥かしいことである。
現在の遺骨収集のやり方が是正されるまでは、遺骨収集は中断すべきであろう。
大使館の方にも理解して頂けたらありがたい。
この面談を傍聴していた他の大使館員の方と少し雑談などをしたが、好印象を受けた。
相手からも好印象を得られていたら嬉しいが・・・・どうだろう・・・

大使館を辞して、昼食は日本食のレストランへ・・・・
そう、そう、以前、“フジイさん”と2人旅をした時にも、ここで食事をしたことを思い出した。

日本人というのはどうしても一ヶ所に固まる習性があるのだろうか?(笑)
テーブルに着いても、日本人と「先住民」と真っ二つに分かれてしまう。
これでは意味がないのではないか?
ということで・・・拙者は「先住民」と並んで座ることにした。(笑)
「こっちに来たら?」と“ホンマおばちゃん”から言われたが・・・・
上座に日本人、下座に「先住民」では・・・ねぇ・・・
まぁ、フィリピンには上座も下座もないだろうけど・・・拙者としてはなんとも違和感を覚えるのである。
だから・・・みんなのところには行かない!(大笑)

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我々日本人は、ウドンと寿司の定食。
「先住民」は、これは無理だろうということで、焼肉定食か海老フライ定食とした。
みなさん、日本食を初めて食べるという人が多いので大騒ぎ。(笑)
箸がうまく使えず、スプーンに替える人もいれば、無理してなんとか箸を使って食べようと悪戦苦闘する人もいる。
が・・・「日本食を初めて食べたが、これは美味しい」とみんな大喜び。
よかった。

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拙者は彼らとおしゃべりしながら食事する。
「ここまで何時間かかった?」
「10時間くらいかな?」
「10時間!そんなに遠いのか?どうやって来たんだ?」
「船に乗って、バスに乗って、歩いて・・・」
「はぁ?・・・」
「今度は是非うちの村に来てよ」
「いや、断る・・・10時間もかかるんじゃ断る。俺は嫌だ!遠すぎる!」と言ったら大爆笑。

東ミンドロ州から参加した「先住民」のリーダーからは嬉しい言葉をいただいた。
我々と行動を共に出来て、まず会えないであろう日本大使館の総領事にも会えたのが嬉しかったという。
そして、自分たちのはなしを聞いてもらえて嬉しかったと言う。
で・・・「こういうふうに一緒になにかをするということが本当の友好だよね」と言うのである。
拙者も同感である。

「だから、うちの村に遊びに来てよ」と言う・・・・
だ・か・ら・・・・「嫌だ!遠い!」・・・・またまた大笑い。

イフガオ族のリーダーからも「是非、うちの村にも遊びに来てくれ。歓迎するから」と言われたが・・・
イフガオは拙者がよく訪れる山岳地帯の更に北の山奥にある。
おおよその場所は知っているが・・・
10時間どころじゃない・・・勘弁してくれぇ~(笑)

食後・・・解散!
彼ら「先住民」とは、ここでお別れである。
彼らにとって今回のマニラでの体験がいい思い出になってくれるとありがたい。

旅行 | 10:12:02 | Comments(0)
陳情(2)
時刻は午後3時・・・・・
今度は「情報局」へ向かう。

ここで責任者の方が名刺を差し出して来たので、拙者も名刺をお渡しして挨拶する。
おお、先日作った英文の名刺が役に立ったぞ。(笑)
この名刺は、スリガオ海峡海戦記念式典でお世話になった翻訳家の“フルサワさん”にも相談に乗ってもらって作った苦心の作なのである。(笑)
毎度のことながら、彼女には感謝しきれない。

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なんで「情報局」に陳情なのか・・・よくわからない。
とにかく拙者は頭数が多ければ多いほどいいというだけで参加しただけであるから・・・(笑)
趣旨を知っているようで良く知らないのである。
先方から「で・・・我々にどうしろと?」と質問が出てもねぇ~
拙者は・・・知らない。(大笑)

とにかく“情報”として現在の日本の遺骨収集事業の問題について知っていて欲しい・・・・としか言いようがないだろうなぁ~

どうも通訳を頼んだ現地日本人との打合せもキチンとされていないようで・・・
かなりこの人にも迷惑をかけているような感じ・・・
どうも気持ちばかりが先走っているという感は否めない。
が・・・拙者は“お付き合い”で参加しているだけなので、どうのこうのと言える立場ではない。
う~ん・・・自己満足・・・って感じかなぁ~・・・これ・・・
これでは、あのしたたかな、遺骨収集をしている某NPOには対抗できないんじゃなかろうか?

とにかく無事にミーティングを終える。

今日の“公式事業”はこれで終わり。
夕食は、私費で日本から駆け付けてくれたNHK記者がセッティングしてくれた。
感謝、感謝である。

旅行 | 21:05:54 | Comments(0)
陳情と記者会見
全ては“カメイさん”がセッティングしているので、拙者は言われるままに行動するのみ。
今日は、フィリピン政府機関へ“陳情”に行くという。

ケソン市にある「大統領府先住民族委員会」へ行く。
現地在住の日本人の方が、通訳として同行。
この方は大統領とも親しい関係なのだそうだ。
マスコミ関係では日本からNHKと週刊誌の記者が、現地のマスコミでは日本語新聞の日本人記者が同行。
それに先祖の骨を盗まれた被害者である「先住民族」が2地区から8名参加。
“陳情団”としては13名となる。

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陳情の趣旨は・・・・
現在の日本が行なっている遺骨収集方法では、日本兵の骨に現地人の骨が混ざっている可能性が高いということ。
そして、「協力費」と称する金銭の支給が、金欲しさの墓荒らしに繋がっているということ。
フィリピン人の骨を金銭で売り飛ばしている可能性がある。
先祖の骨を盗まれたという被害者が「先住民」の中に多数いるということ。
大まかに言うとこういう問題が現在発生しているということを現地機関も知って欲しい、できればフィリピン側からも現在の遺骨収集方法を是正するよう声を上げてもらいたい・・・ということである。
「先住民族委員会」はフィリピンの先住民の権利の保護などをしている政府機関。
大統領府の直属機関なので、要望書を大統領に渡してくれるようお願いする。

DSCF2422_convert_20110524115757.jpg(先住民族委員会)

約1時間の面談後・・・・
場所を変えて昼食をとるらしいが、昼食と記者会見を一緒にやるというセッティングらしい。
昼食会場はすぐ近くだというので、拙者は「先住民」と一緒に徒歩で向かうことにした。
他の日本人は車で移動である。
で・・・会場に着いたら・・・・現地のマスコミがカメラを構えて待っていた!
ギョェ~!!!
バチバチとフラッシュ攻め!
なんで拙者の写真を撮るの?(大笑)

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で・・・おかしいことに気がついたらしい・・・・(笑)
「あれ?あなただけ?他の人は?」と質問が出た。
「この後、車に乗って来るよ。それまで待ってて!」
「元日本兵の方がいると聞いてますが・・・」
「ああ、91歳と87歳の人がいますよ。今から来ますから待ってて下さい」
ドッとため息と苦笑が湧いた。
どうも拙者を「元日本兵」と勘違いしたらしい・・・(大笑)
「車って・・・どれ?」
「あの車かなぁ~」と言ったら一斉にカメラを向けた!
が・・・間違い・・・・
「ゴメ~ン!あれは違うわぁ~・・・え~と・・・あ、あの車だ!」
またまた失笑を買ってしまった。(大笑)

まもなく車がやって来て、玄関まで乗りつけようとした。
いや、いや、それじゃマズイ・・・
手前から歩いて来てもらわないと、カメラマンにとってはいい写真が撮れまい。
彼らは、「元日本兵」のおじいちゃんたちを撮影したいのだ。
手前で車を止めて、“カワムラさん”“エトウさん”には御苦労でも歩いて登場してもらう。
ん?なんで拙者がコーディネイトしてるんだろう?(笑)

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DSCF2436_convert_20110524200717.jpg

記者会見場は大混雑・・・・
彼らの目的は元日本兵たちへの取材のようである。
テーブルに各自の名札が置いてあったが、席に着く時に、拙者は一番隅に移動した。
遺族のオバチャン・・・“ホンマさん”が「真ん中に座りなさいよ!なんでそっちなんかに行くのよ!」と言ってきた。
どうも、お解りではないようだ・・・
この名札の順に座ってしまうと、日本人が真ん中に集中してしまい、先住民のみなさんが隅に座ることになってしまうのである。
これでは、日本人は“上”で先住民たちは“下”というイメージを記者たちに与えてしまう。
この陳情は、日本人も先住民も対等に・・・ということでなくてはならないと思うのである。
で・・・拙者はわざと一番端に座ることにした。
こうすることで、バランスも良くなるだろう。
自分が目立たないと気が済まない・・・という人にはわかるまい・・・

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そのうち、食事が記者たちのテーブルに運ばれてきた。
彼らは食事をしながら質問をしてくる。
おい、おい、なんだよ・・・その態度・・・・
どう見ても、タダで食事が出来るから集まったとしか思えない。(笑)
隣りに座っている先住民と「なんであいつらだけ飯を食っているんだ?」とおしゃべりをする。
受け答えをするのはテーブルの中心に座っている“カメイさん”や“カワムラさん”である。
末席の拙者は・・・関係ない。(大笑)
こういう時に隅に座っているのは便利である。
コソコソと雑談をして暇つぶしが出来る。(笑)
そのうち、我々のテーブルにも食事が運ばれてきた。
が・・・みなさん、食べるどころではない。(笑)
しかし・・・拙者は・・・食べる!(笑)
どうせ隅っこに座っているんだし・・・カメラにも写るまい!
隣りの先住民にも「食べようぜ!」と声をかけ、隅っこの我々3人は・・・一心不乱に食事・・・・
しっかりデザートまで頂く。(大笑)

記者会見も終えたら、またもや記者たちが押し寄せ質問攻めである。
さんざん飯を食ってから質問かよ・・・・飯を食う前に質問を済ませておけよ!(笑)

一人の記者が拙者に声をかけてきた。
最初は何を言われたのか分からなかったが・・・
名刺を渡して来て、何やら言っているのだが、あまりにも丁寧に話すから逆に分かりづらかった。
彼は共同通信の記者だった。
元日本兵に対する質問だそうで・・・
「ああ、じゃぁ、俺が直接聞いてあげるよ」と拙者が通訳を買って出て、2人の生還者に質問する。
で・・・答えを英語に訳して彼に伝える。
「戦時中はフィリピンのどこで戦っていたのですか?」等々・・・・
通訳できなかったのは、日本軍の部隊名である。
これは、拙者の知識不足で英訳できなかった。(涙)
戦っていた地名に関しては彼も知らない地名らしかったので、略図を書いて教えてあげる。
考えてみれば・・・彼は極めて効率の良いインタビューをしている。
ある意味、“利口”である。
他の記者たちは、押し合いへしあいしながら、直接、英語での質問である。
通訳が間に合わない。(笑)
こちらは拙者が記者の“代理”として日本語での質問だから全部答えてくれる。(笑)

ようやく“お開き”ということになり、会場から外に出る。
さっきの共同通信の記者が、わざわざ丁寧にお礼のあいさつをしてくれた。
「もし、追加で質問があったらホテルに来ていいよ」とホテルの部屋番号を教えてあげる。

で・・・ここで問題・・・
この記者会見の食事代は、我々が払うのだそうだが、リーダーの“カメイさん”がペソの持ち合わせがないという。(笑)
予算をかなりオーバーしたらしい。(大笑)
あんなに大勢の記者たちに食われたら・・・・そうなるだろうねぇ~
拙者は毎回フィリピンに来るたびに多めに両替しているので、かなりの“軍資金”をペソで持ってきていた。
ここで役に立たねばねぇ・・・・ということで、足りない分は拙者が負担することにする。

旅行 | 11:15:09 | Comments(0)
マニラに行く
昨日、いつものように出発ギリギリで大慌てで旅行の準備をし、成田に向かい、いつものホテルに前泊する。

今日は、成田空港で同行する人達と待ち合わせ。
同行者は以前から知っている人達なので簡単に会えるだろうと思っていたら・・・
待てど暮らせど時間が過ぎても待ち合わせ場所に誰も現れない。
いくらなんでもおかしい・・・と思い、周囲を歩き回ったら・・・
なんと!待ち合わせ場所から離れた場所にかたまっていた!
「なんで、こんなところにいるんですか?捜しちゃいましたよ!」
「今来たの?」
「もう30分近く待ってましたよ!」
「どこで?」
「待ち合わせ場所の、あそこで!」
「私たちも30分も前からここにいたけど・・・」
「だって、ここは待ち合わせ場所じゃないですよね?」
「あそこは目立つから・・・」

わからん・・・目立つ場所にいなかったら待ち合わせにならんじゃないか?
陰に隠れるようにいたのでは待ち合わせにならないのではないか?

「さぁ、揃ったから行きましょうか~」と言われたのには参った。
それでは拙者が遅刻したみたいではないか?

今回のこの旅の参加者は、生還者2名、遺族1名と拙者の4名である。

マニラに到着して前日に到着していた“カメイさん”と合流。
で・・・“カメイさん”からの報告では、大統領との面会は不可能になったとのこと。(笑)
ん?じゃぁ、拙者は何しに来たのかな?(笑)
取りあえず、フィリピン政府関係者や日本大使館とのアポを取っている最中だという。
拙者は、ただのお付き合いで来ただけだから・・・・
ダメならダメで適当に時間を潰せばいい・・・くらいに思っておこう。

ホテルは、拙者が定宿にしているホテルに拙者以外の3名が宿泊する。
拙者は、“カメイさん”に付き合って、安宿に一緒に泊まることになる。
出来る事なら、拙者も慣れている定宿のホテルに泊まりたいのだが・・・
“カメイさん”の話では、遠方から現地人たちを招いて、このホテルに一緒に宿泊するので、自分一人では心細いらしい。
「まさか、通訳をしてくれっていうことじゃないでしょうねぇ?」と言ったら、ニヤッと笑ったので図星だった。
どうも拙者が英語が話せると思っているご様子・・・
買いかぶりである。
拙者は英語は苦手なんだけど・・・タガログ語も全然知らないんですけど・・・
イメージとは恐ろしい。(笑)
とにかく一緒なら安心だ・・・というなら一緒に泊まりましょう。
お役に立つのであれば・・・

定宿のホテルで簡単に打合せをして、みんなと別れてチェックインのため荷物を持って安宿へ向かう。
徒歩で10分もかからない近い場所にそのホテルはあった。
建物は古く薄暗いが部屋は広くキッチンも付いている。
寝るだけなら十分である。
しかも値段が安い。(笑)
1泊の宿泊料が拙者の定宿の半額以下である。

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夕食は、定宿のホテルのレストランで・・・・
拙者は旅先で滅多に酒を飲むということはない。
今回も酒を飲む気は全くなかったのだが・・・
生還者の“エトウさん”(91歳)が日本酒を持ちこんできていて、どうぞ・・・と勧められたのでは断れない。
で・・・ビールで乾杯、日本酒をチビチビとやっているうち・・・・ガクッ・・・といきなりきた。
それまで元気におしゃべりしていたのだが・・・途端に睡魔が襲ってきたのである。
とにかく目が開かない!
意識が朦朧として言葉が出ない・・・
椅子に座っているのも苦しい・・・
ついにテーブルに突っ伏してしまった。
「大丈夫?」と言われても、返事が出来ない・・・・

その昔・・・27年ほど前にインドに行った時にぶっ倒れたのと同じ感じである。
あの時は睡眠不足と過労が原因だった。
今回もあの時と同じ感じ・・・・
思考は通常通りだが、体がいうことをきかない。

で・・・87歳と91歳の生還者に肩を借りて・・・エレベーターに乗り・・・(大笑)
お二人の部屋で休ませてもらう。
で・・・爆睡!!!
1時間ほど寝たら、元に戻った・・・・やっぱり過労だったようである。(笑)
27年ぶりの“ぶっ倒れ”だった。
ガイドの“ステラさん”が気を利かせて、このホテルに部屋を取ってくれたという。
が・・・そうなると“カメイさん”のほうはどうしようか・・・荷物も置きっぱなしだし・・・(笑)
お二人の生還者には「このまま泊まって、荷物は明日取りに行けば?」と言われたが、そうもいかない。
夜道をトボトボと安宿に向かう。
安宿に着いたら、現地人たちもチェックインし終わったようで、ミーティング中だった。
早速、挨拶をしてミーティングに参加。
ミーティング後、荷物をまとめて、今度は夜道を定宿へ戻る。
夜道は危ないと言われたが・・・
へぇ?そうかな?(笑)
来る時は、そんな感じはしなかったけどなぁ~(笑)
スーツケースをガラガラ転がして定宿に向かい無事に到着。
期せずして定宿に泊まることになった・・・・
これは誰のおかげ?(笑)
英霊のおかげか?(笑)

旅行 | 22:16:22 | Comments(0)
告別式
今日は“タコちゃん”のお父さんの告別式である。
昨日の通夜式に引き続き、今日も参列する。

いつも思うことだが・・・
葬儀の場は“社交”の場でもある。
こういう時ぐらいにしか顔を合わせる事がないという人と久し振りに話が出来る。
が・・・
中学校の同級生となると、そうそう葬儀に顔を出す友人も少ない。
式場で会ったのは“コバヤシくん”だけである。
彼とは中学時代は同じ剣道部だった。
久し振りにおしゃべりをする。

で・・・いつもの如く・・・・
全然記憶のない方から挨拶をされる。(笑)
参った・・・知らない・・・
相手は拙者の事を知っているのだろうが、拙者には全く記憶がないのである。
適当に会釈をして済ませる。
葬儀のいいところは、こういうところかもしれない。
そうそうダラダラとおしゃべりすることはない。
よほど親しい仲間というなら別だろうが・・・
そうでない場合は、軽く会釈するだけで事足りる。
会釈で済めば、拙者が相手を知らないということはバレずに済む。(笑)

しかし・・・気になるなぁ~
あの人・・・誰なんだろう???

もうひとり、年配の女性が挨拶して来た。
久し振り・・・という親しげな感じで「本当にありがとうねぇ~わざわざ来てくれて」と言われた。
親族席にいる人だから・・・“タコちゃん”の叔母さんか?
20年以上も前に、そういえば、彼の自宅で“叔母さん”という人に会ったような記憶がある。
多分、お会いしたのは1回だけだと思うのだが・・・・
拙者はお顔を全く覚えていない。
が・・・この叔母さんが、あの叔母さんならば・・・
この叔母さんはかなり記憶力の良い人ということになろう。
ある意味うらやましい・・・

今回の葬儀はある意味タイミングが良かった。
明日に成田に前泊して、明後日フィリピンに向かうのである。
これがもう少し早い出発だったら、この葬儀に参列できなかったのだから・・・

日記 | 21:54:04 | Comments(0)
通夜式
午後6時から“タコちゃん”のお父さんの通夜式・・・・
“タコちゃん”とは小学校、中学校と同級。
高校も同じ高校だった。
奥さんは同じ高校の同級生・・・・
最後に会ったのは、彼の結婚式だから・・・・もう何年だろう?
20年以上ぶりか?

久し振りの再会だが・・・・
彼の顔を見た途端、不覚にも涙が出て来てしまい何も話せない・・・・
久々の再会が御父さんのお葬式というのは辛い・・・・

奥さんからは「ずいぶん丸くなったんじゃない?」と言われてしまった。(笑)
へぇ?そんなに太ったか?

彼のお父さんは「小鳥店」をやっていた。
拙者が小学1年の頃、「手乗り文鳥」の雛を2羽買った。
確か、雛では育てるのが大変だと言われたような気がする。
が・・・小心者の拙者は「大人の」鳥は怖いので・・・「赤ちゃん」を選んだのだと思う。
で・・・1羽じゃ可哀相なので、2羽ねだったと記憶している。
この「赤ちゃん」への餌やりは、茶杓のようなもので餌を口の中に入れてやらねばならない。
その餌のやり方を丁寧に教えてくれたのが彼のお父さん・・・・
ピーピー鳴く「赤ちゃん」を宥めながら、よく餌をやったものである。
そのうち、大きくなって、手にも乗るが、肩にも乗るし、頭にも乗るようになった。
頭に乗せて遊んでいたら、ウンチをされたことを覚えている。(笑)
何か生温かいな・・・と思ったら頭にウンチをされて参った。
散々説教したが・・・・通じるわけはない・・・・

あの頃の思い出が次々に浮かんで来て、涙が出てくる。
あの時の小鳥屋の「おじちゃん」が亡くなってしまったのである。
82歳・・・・
もうそんなになるのか・・・
44年ほど前の思い出である・・・・

“タコちゃん”とは、小学5年生の時に同級になって知りあったから・・・
彼より彼のお父さんとの出会いの方が早い。
彼のお母さんは、小学6年か中学の時に亡くなったと思う。
小学5年、6年と、よく彼の家に遊びに行って入り浸っていたような気がする。
彼は一人っ子なので寂しかったのだろう・・・・
拙者が帰ろうとするとよく引きとめられて困ったことを覚えている。

お母さんは病気か何かで亡くなったと思うのだが・・・
当時、お葬式に行ったという記憶がない。
どうしてなのか・・・拙者は何をしていたんだろう?

一人っ子で寂しがり屋の“タコちゃん”・・・・
ついにお父さんも亡くなってしまった・・・・
そう思うと益々涙が出てくるのである。
参った・・・
あまり昔を思い出さないように・・・と思っても・・・駄目だ。

せめてもの救いは奥さんと娘さんという家族を持っていること。
「自分が一人っ子で寂しい思いをしたから結婚もしないし子どもも作らない」と言っていた彼だが、結局、結婚して子供を作った。
が・・・子どもは娘一人だけ・・・・
世の中うまくいかないものである。

しかし・・・こういう時は家族がいるといいよなぁ~
拙者の場合は、親父が死んだら一人ぼっちとなる。
「喪主」は拙者一人・・・・
支えてくれる妻はいないのである。(笑)
いやぁ~寂しいなぁ~
と・・・思っても、いまさら仕方がない。(笑)
これが拙者の選んだ道なのだ。

日記 | 20:04:00 | Comments(0)
英文の名刺を作る
午前中、法人会を通じて申し込んだ健康診断を受診。
2年ぶりの受診である。
バリウムを飲んだので、下剤を飲んでトイレ待ち・・・・
そういえば、前回も苦労したような・・・(大笑)
下剤を飲んでしまうと、いつどうなるか分からないので、おちおち外出できないのが“玉にキズ”である。

夜、今度のフィリピン行きのための準備をする。
で・・・思い立ったのが、名刺!
いつも海外で外国人と挨拶するのに名刺を持っていないので苦労する。
メールアドレスを尋ねられたり・・・・
住所を尋ねられた時は最悪である。
英文ではどう表記するんだっけ?・・・・とモタモタしてしまうのである。
名刺があれば、それを渡せば済むことである。

が・・・日本語で作られた名刺では、彼らに渡しても用をなさない。
今回は英文の名刺を作って持って行った方がよかろう。
というわけで取り掛かったが・・・
さて・・・英語の苦手な拙者のことである。
え~と・・・「戦友会」って英語で何て言うんだ???
「事務局長」って・・・何て言うんだ???
辞書を片手に散々悩む。(大笑)

とにかく舌を噛むような難しい発音の単語は使いたくない・・・(大笑)
自己紹介なんてまともにしたことがない。
だから英語では何て言えばいいのか知らない。(笑)
しかし、名刺には戦友会の肩書を入れておいた方が良いだろう。

何時間もかけてようやく完成!
まぁ、これで意味は通じるだろう・・・・

で・・・更に心配事が・・・
名刺を渡したら、メールや手紙が届いたのでは困る。(大笑)
英文なんて読んでもわからないし・・・
英文で返事を書くなんて、とんでもないことである。(笑)
名刺は渡すけど連絡はしないでね・・・というのが正直な気持ちである。
なら・・・名刺なんて作らなくてもいいんじゃないかということになるのだが・・・(大笑)

出来上がれば出来上がったなりに心配事が増えてしまった・・・・

日記 | 23:23:32 | Comments(0)
99歳
今日は、日立法人会の“イソザキ会長”のお母さんの通夜式である。
で・・・青年部会の副部会長でもあるし・・・親会の理事でもあるので、通夜式に参列する。
会長のお母さんは99歳でお亡くなりになったという。
99歳!!
あともう1年で100歳・・・・
いやぁ~御家族はどういう思いだろうか・・・
たとえ何歳であっても親に旅立たれるというのは辛いだろうなぁ~

今は亡き我が母が、仮に99歳まで生きたとしても、やっぱり別れるのは辛いだろうなぁ~
・・・と、ふと思った・・・・

で・・・通夜式・・・・
昨日の慣れないボウリングなんていう“過激な運動”をしてしまったため、筋肉痛でどうしようもない。(笑)
太もも、膝はガクガク・・・右手の指にも力が入らず、ガクガクである。
まともに焼香ができるだろうか・・・と心配するほどである。(笑)

普段、全く運動していない人が運動するとこういうことになる・・・
反省、反省・・・と言いながら・・・
でもやっぱり運動をしようという気は起らない。(笑)

日記 | 23:21:34 | Comments(0)
ボウリング大会
今日は、(社)茨城県法人会連合会青年部会連絡協議会(・・・なんとも長い名称だ・・・)の単位会対抗ボウリング大会である。
参加単位会は8法人会の青年部会、参加者は71名。
で・・・会場は・・・・つくば・・・
我が「日立法人会青年部会」からは拙者を含めて4名の参加である。

DSCF2391_convert_20110512225645.jpg(ルールの説明)

で・・・個人戦と団体戦だが・・・
団体戦は各単位会の上位4人のスコア―の合計だという・・・
ゲゲッ!
我が法人会は4人しか参加していないのである。
参加人数が8法人会の中で一番少ないのである。
一番多いのは土浦法人会の14名。
ゲゲッ~一番参加人数の少ない我がチームに合わせたのか?
こりゃまいったぞ・・・・
上位4人って・・・俺たちの場合・・全員のスコアーってことじゃないか・・・

で・・拙者の第1球は・・・ガーター!
これをクリアー出来ず、第2巡目・・・・も・・・ガーター!(大笑)
あれ???
ボウリングってどうやるんだっけ??

かなり御無沙汰しているのである。
最後にやったのは・・・業界の青年部の親睦ボウリング大会でスーツ姿でやったときだったかな?(笑)
あの時はストライクの連続でみんなから驚かれたのだが・・・
あれはいつの事だったか・・・
確か東京の高輪プリンスホテルかどこかの中にあるボウリング場で、この時に首相になったばかりの小泉さんが堤さんと会談のため来ていたのに出食わしたんだよなぁ~
あれは・・・いつだっけ?
あれからボウリングなんてやってないからなぁ~

スコア―は2ゲームの合計で競う。
1ゲーム目は結局100チョット・・・・(笑)
で・・・続く2ゲーム目は155!
我ながら感心、感心・・・良くやったと誉めてあげたい。

2時間弱のゲームも終了し、表彰式!!
我がチームは・・・・8位!!
「おおぉ~!!8位だぁ~!」と喜んだのは拙者だけ・・・・
あれ?何でみんなは喜ばないんだろう?
「どうしたの?みんな・・8位ですよ!やったね!8位!」
「そうだよ・・・8位・・・ビリね・・・」
「ビリ?なんで?」
「8チーム出ていて8位ということはビリだろうがぁ~!」
「あれ???そうか・・・8位って・・・ビリということか・・・」
拙者はすっかり忘れいていた・・・(大笑)
全部で8法人会なのである。
71名も参加していたので使用したレーンは18レーン・・・・
つまり18チームの中で8位だと勘違いしていたのである!(大笑)
そうだよねぇ~単位会対抗だから・・・8チームってことか・・・
みんなは大喜びしている拙者を見てふざけていると思っていたらしい。
実は本気で喜んでいたのだが・・・・・

ビリかぁ・・・

1ゲーム目のスコア―がもう少し良かったら、ビリにはならずに済んだのに・・・
あ~あのガーターの連続が足を引っ張っちまったなぁ~

日記 | 22:34:17 | Comments(0)
硫黄島
硫黄島―太平洋戦争死闘記 (光人社NF文庫)硫黄島―太平洋戦争死闘記 (光人社NF文庫)
(2006/10)
リチャード・F. ニューカム

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第1章 運命の島
栗林兵団
史上最大の敵前上陸
水際無抵抗作戦
第58機動部隊の本土攻撃
輸送船団の北進
開かれた砲門

第2章 決死の上陸
2月19日午前8時59分
血に染まった砂浜
戦車の支援を頼む
混乱する上陸海岸
戦死者無数
タコツボで震える海兵隊

第3章 摺鉢山の死闘
厚地大佐の堅陣
御楯特別攻撃隊
もうすぐ死ぬでしょう
摺鉢山頂の星条旗
嵐の前の静寂

第4章 栗林兵団の最後
地獄の2週間
屏風山の要塞
死の突撃
攻めあぐむ海兵隊
陥落の後にくるもの

(付)
硫黄島攻防戦史
米指揮系統
日本軍指揮系統
両軍損害表



今年の読書:6冊目



読書 | 01:14:59 | Comments(0)
博多の旅
午後の飛行機に乗るので、午前中、どこかを散策しよう。
ホテルをチェックアウトして、タクシーで「東公園」に向かう。

この公園内に日蓮上人の大きな銅像がある。
そのすぐそばには・・・小さな東郷平八郎の銅像もある。(笑)

DSCF2302_convert_20110510173736.jpg

続いて同じ東公園内にある、これまた大きな亀山上皇の銅像を見に行く。

DSCF2321_convert_20110510174157.jpg

行ってみて分かったのだが・・・上皇は福岡県議会の議事堂を後ろから見ているという位置になる。
上皇様から見られていたのでは、いいかげんな議事は出来まい・・・と思わず苦笑する。

しかし、それにしても、天気のせいか、カメラのせいか、拙者の腕前が悪いのか・・・良い写真が撮れない。
どうも気に入らない。
カメラが悪いに違いない。(大笑)
新しいの買おうかなぁ~これも、買ってそれほど使っていないのだが・・・どうも気に入らないんだよなぁ~

このちょっと広い公園内を散策・・・・
ここに昔は招魂社があったらしい。
碑を見つけた!
招魂社は後に福岡護国神社となり、その後移転して別の場所にある今の福岡県護国神社に合祀されたらしい。

DSCF2324_convert_20110510175405.jpg(招魂社跡)

なんだかんだと、1時間も公園内を散策する。

続いて向かったのは「筥崎宮」・・・・
どんなところなのか知らないが、有名みたいだから行ってみる。(笑)
境内を散策・・・・
蒙古軍船の碇石(いかりいし)なんていうものが置いてあった。
文化財だそうである。
境内の裏手に行ってみたら、皇紀2600年を記念して歩兵第24連隊が奉納した灯篭があった。
おお!これはこれは・・・と写真を撮る。
こういうのに感激する人間なんて拙者くらいかも知れないなぁ~(笑)

DSCF2370_convert_20110510182152.jpg(筥崎宮)

どうも拙者は境内の脇の方から入ったらしい・・・・
正面は・・・こっちか?(笑)

長い参道の両脇に骨董市が並んでいた。
いやぁ~かなりの出店である。
これを見ながらブラブラ・・・・

DSCF2390_convert_20110510182652.jpg

「八幡宮」という鳥居のところまで来た。
この側に近衛歩兵第2連隊の碑を見つけた!
おお、偶然とはいえ、感激である。
で・・・この「八幡宮」って何だろ?
「筥崎宮」とは関係がないのかな?
よくわからない・・・・

で・・・・時刻は午後1時・・・・
そろそろ空港へ行かねば・・・・
で・・・ここから空港へはどうやって行けばいいんだろう?(大笑)
やっちまったぁ~
何も考えずに歩いたもんだから・・・
マズイ・・・こんなところで迷子とは・・・・
地下鉄に乗ればすぐなんだろうが、その地下鉄がどこにあるのかわからない。(笑)
タクシーが通りかかるのを待つしかない・・・・
飛行機の時間も気になるが、とにかく待つしかない・・・・
まもなく、運良くタクシーが通りかかったので助かった!

空港で軽く昼食を食べ、チェックイン。
荷物の中に文庫本を入れたまま預けてしまったのに気が付く。
さすがに疲れが出てくると思考力が急激に落ちるのである。
機内で暇を持て余すので・・・・空港内の本屋でわざわざ本を買うはめになる。
トホホ・・・である。

無事に羽田に着いて・・・上野駅に向かい・・・無事に帰宅する。

旅行 | 17:26:29 | Comments(0)
フィリピン大統領に会いに行く?
博多のホテルにまだいる時の事である。
そろそろチェックアウトしようかな・・・と思った矢先、携帯電話が鳴った。
電話の主は“カメイさん”・・・
“カメイさん”が拙者に電話をしてくるというのは滅多にないことである。
で・・・用件は・・・・

22日からフィリピンへ行くのだが、同行できないか?・・・というもの。
どうも有志数名で出掛けるらしい。
用件を聞いて驚いた。
フィリピン大統領に会えたら会う予定だという。
まだアポは取れていないが・・・ということなのだが・・・
内容は、例の遺骨収集で問題のある行為をしている某NPO法人に関しての陳情だという。
つまり、フィリピン人の骨を日本兵の遺骨だと称して遺骨収集をしている実態を知って欲しいということらしい。
この“陳情団”には、先祖の墓を荒らされ骨を盗まれた現地人たちも参加するのだそうだ。
できれば是非同行してくれとのこと。
拙者が同行しても何の役にも立たないが・・・
急な話で、現地に行く人がいないので、一人でも多く・・・ということならば・・・と了承する。

とにかく今は九州を旅行中である。
帰宅して親父にも話さねばなるまいし、飛行機の手配もせねばなるまい。
当然、旅費その他の経費は自腹である。
そういうことを最初から知っていたら、九州旅行をしなかったのに・・・と思っても後の祭りである。(笑)
今日は旅行の最終日・・・・
午後の便で帰宅するのである。

旅行 | 10:11:55 | Comments(0)
戦友に再会!
DSCF2267_convert_20110508233442.jpg DSCF2268_convert_20110508233652.jpg

午前10時の特急で別府に向かう。

途中、車窓から雪景色が見える。
あれれ?こっちのほうでは昨日の雨が雪になっていたのか?
別府駅に降りたら・・・・これがすごい強風!
駅から“ヤスダさん”宅へ歩いて向かうが、風に押されてなかなか前に進めない。
まぁ~なんと情けないことか・・・
散々強風に煽られる。(笑)

さて・・・3年ぶりの訪問であるが・・・・
道順を憶えているようで実は憶えていないことに気が付いた。(大笑)
何番目の交差点を曲がるんだっけ?
マズイ・・・・これでは辿りつけない・・・
方向音痴のくせに、一度行ったことがあるからと舐めてかかったのが間違いだった。
で・・・多分、このあたりだろうと曲がって適当に歩く。
と・・・その道は、最初に訪問した時に間違って通った道だった。
どうして正しい道順ではなく、間違って迷子になった道順を拙者の体は記憶しているんだろうか?(笑)
おかげで、最初に訪問した時と同じルートで遠回りして・・・ようやく到着する。(笑)

“ヤスダさん”は我が戦車師団の本部で電話交換手をしていた女性軍属。
今年88歳になるという。
同居している娘さんが博多に出かけていて3日間不在とのこと。
“お留守番”をしているので、お昼を一緒に食べましょうということなのだそうだ。
久し振りに近況報告などをしながらおしゃべりに花が咲く。
一時、体調を崩したそうで、そのころ気も弱くなり、拙者に「これが最後となると思います」という手紙を送ってきたが、お孫さんに子どもが出来たそうで、曾孫が出来たら途端に元気が戻って来たというから大笑い。
気の持ちようとはそういうものである。
お孫さんが赤ちゃんを連れて会いに来てくれるのが楽しみなのだそうだ。

“ヤスダさん”とお会いするのは、これが2回目なのだが・・・・
ずいぶん昔から知っているような感じ・・・・
もう何年も付き合っているというか、自分のおばあさんのような感じなので、かしこまらずにおしゃべりができるのである。
なんでこうなるんだろう?
同じ戦友会の“戦友”同士だからか?(大笑)

午後から出かける用事があると言っていたが、外は強風・・・・
体重80キロの拙者でさえ風に煽られてフラフラしたくらいだから、今日は外には出ない方がいいとアドバイスした。
88歳のご老人では、間違いなく転ぶに違いない。
怪我をしたら大変である。
娘さんは3日間帰って来ないんだから・・・・
「そうねぇ~やめておいたほうが良さそうだねぇ~」
「もし、転んで骨でも折ったら大ごとですから・・・出掛けるのはやめた方がいいですよ」と先方にキャンセルの電話をかけさせる。

まもなく、お客さんがやって来た。
「じゃぁ、そろそろ失礼します」と言ったら、「それほど大事なお客さんじゃないから帰らないで待っていてくれ」とのこと。
で・・・茶の間でお客さん(おばさん2人)と4人でおしゃべりとなる。
しかも拙者を紹介する時に「こちらは私の大事なお客さんでね。茨城から会いに来てくれた戦友会の戦友なの~」と紹介されたのには苦笑した。
で・・・例の如く・・・・
「戦争に行かれたんですか?お若く見えますけど・・・」と驚かれた。
そりゃそうだ、どう見てもこのおばさん2人より拙者の方が年下である。(大笑)

まもなくお客さんが帰り・・・
そうだ、思い出した!
以前読んだ本に、この近くに「友永丈市」の誕生地があると書かれていたと記憶していたので、尋ねてみたら目と鼻の先にあるという。
ミッドウェー海戦で戦死した飛行隊長である。
「そういえば、そういう名前の偉い人の碑が建っていたと思うけど・・・へぇ~海軍のパイロットさんなんですかぁ~」とのこと。
早速帰りに寄ってみようということで、家を出る。
外は吹雪!!
「危ないから家の中にいてください」と言ったのだが、道路のところまで見送られて、友永中佐の生誕地の方向を教えてもらい、お別れする。
で・・・あっち?
角を曲がったら・・・・すぐ目の前に碑が建っていた。
本当に「目と鼻の先」だった。(大笑)

時刻は3時過ぎ・・・・・

まっすぐ駅に向かい、別府駅前で喫茶店を探すが見つからず、駅周辺をウロウロしたあげく結局駅構内のコーヒーショップでコーヒーを飲み一服する。
別府駅からこんどは博多へ引き返す。
別府から博多まで特急で約2時間の旅。
今晩は博多に泊まるのである。

旅行 | 23:31:28 | Comments(0)
中津の旅(3)
周囲を散策・・・・

「お囲山(かこいやま)」と呼ばれる中津城を守る土塁跡があった。
さらにその先には、「広津口」と呼ばれた城下町の城戸口(木戸口)があった場所に出遭う。
ここに城下への出入りを監視した見附番所があったらしい。

写真の向こう側、横に走る道路の向こう側の家があるあるあたりは、説明板の地図によれば、当時は濠だったようである。

DSCF2192_convert_20110508201410.jpg(広津口跡)

今度は、北の方へ適当に歩いてみた。
観光マップのイラストでは、どこをどう歩いていいのか正確な道順がわからない。
だいたい、向こうの方だろうと適当に歩いてみたら・・・あら・・・石垣が・・・
「中津城西門跡」に出遭う。(笑)

DSCF2194_convert_20110508204903.jpg

さらに歩いて行くと中津城に辿り着いた。
中津城は昨日見たので、石垣を見ながら昨日は歩かなかった道を捜して歩いてみたら、お「大手門跡」に出遭った。
時刻は2時を過ぎている。
さすがにお腹がペコペコだが・・・・周囲に食事が出来そうな場所がない!!!(笑)
そういえば・・・福沢諭吉記念館の駐車場わきにレストランがあったよな・・・・
というわけで、昨日に引き続き、福沢諭吉記念館へ向かう。

DSCF2226_convert_20110508205931.jpg

無事に食事も済ませ、満足なり・・・・
が・・・雨が降り出して来たのには参った。(笑)
しかし、グッドタイミングで雨宿りである。

ここからは・・・昨日と同様に寺町の方へ向かってみる。
昨日は、夕方遅く、暗い中で、史料館の方に案内してもらったので写真が撮れなかった。
今日は、雨空だが、なんとか写真が撮れるだろう。

まずは「浄安寺(じょうあんじ)」・・・・
ここには富士紡績の和田豊治の墓がある。
続いて「円応寺(えんおうじ)」・・・・
ここには「富永章一郎氏解剖記念碑」という碑がある。
富永という人は医学の研究家だったそうで、自分が死ぬ時に死体の解剖を申し出たそうだ。
とにかく中津は医学に関した史跡が多い。
また、「河童の墓」というのもある。
この寺の住職が3匹の河童の頭目を仏の道に入らせ、修業をさせたらしい・・・(笑)
戒名を授けたら、お礼に寺を火災から守ったのだそうだ。
ここには山川東林(やまかわとうりん)という儒学者の墓もあるそうだが、墓所を捜し歩いたが、どこにあるのか分からなかった。

DSCF2237_convert_20110508211949.jpg(河童の墓)

続いて「合元寺(ごうがんじ)」・・・・
黒田如水が前領主の宇都宮鎮房(しげふさ)を中津城で謀殺した時、城から脱出した鎮房の部下が、この寺に立て籠って戦い全滅したという。
その時の血しぶきが塀にかかったが、何度塗りかえしても血の色が消えないので、結局、塀を赤く染めたという話がある有名なお寺だそうだ。

DSCF2245_convert_20110508213102.jpg(合元寺)

さらにブラブラ歩き・・・
次は「大法寺(だいほうじ)」・・・・
ここには大石良雄が奉納したという灯篭があった。
他に由井正雪が植えたという塩釜桜があるというが・・・どれだかわからなかった。(笑)

最後は「東林寺」・・・・
ここには儒学者、蘭医、国学者の先人の墓があると説明板に書いてあるのだが、それがどこにあるのかサッパリわからず退散する。(笑)

駅まで戻って来たのは午後5時である。
このへんで中津の散歩を終了し、ホテルに戻ることにする。

今晩も部屋の中での食事。

DSCF2266_convert_20110508231215.jpg

さて・・・明日の予定はどうしようか・・・
そうだ!別府の“ヤスダさん”に会いに行ってみるかぁ~!
というわけで、早速、お電話をしてみる。
「中津に来ているんですけど・・・」
特急に乗れば1時間ぐらいで別府に着くだろう。
「おいで!おいで!お昼前においでよ!お昼を一緒に食べましょう!」とのこと。
いやぁ~嬉しいお言葉!
初めてお会いしたのは・・・・3年前だったか・・・
久し振りの再会である。

旅行 | 19:45:27 | Comments(0)
中津の旅(2)
昨晩、ホテルで観光マップを見ていたら、駅前に「島田虎之助誕生の地」の碑があると書いてある。
へぇ~全然気が付かなかった・・・・(笑)
島田虎之助は剣豪で、東京のどこかにお墓があったなぁ~
写真を撮った記憶がある。
誕生の地の石碑も撮りたいものだと思い、朝食後駅に行ってみたら・・・あった!
が・・・「説明板」は設置されていない。
駅前の緑地帯にポツンと石碑が建っているのみ。
あ~なんということか・・・もったいない・・・有名人なのに・・・
もっと顕彰すればいいのに・・・・

DSCF2154_convert_20110506221435.jpg

今日は終日、中津の観光をすることにする。
中津の町は観光するにはそれほど広い町ではなさそうなので、全て徒歩で移動することにした。
なにせ、熊本でタクシーを使いすぎて運動不足である。
ここは、少し歩き回りたい。(笑)

DSCF2162_convert_20110506223947.jpg(村上医家史料館)

まず、最初に向かったのが、「村上医家史料館」である。
中津には2つの「医家史料館」がある。
ここの史料館の職員にもご説明を受けて見学する。
ここも10分もあれば見終わってしまうような史料館なのだが・・・(笑)
ここの女性職員の方が、これまた昨日の「大江医家史料館」の職員の方と同様親切な方で・・・
「お時間、大丈夫ですか?」と何度も時間を気にされながら説明をして下さった。
普通の観光客は説明を断るか、少し聞いただけで帰っていくという。
ところが、拙者は・・・・なんだかんだと・・・1時間半もここにいたのである!(大笑)

拙者は、通常ならば、「ボランティアガイド」の説明は出来るだけ受けないようにしている。
というのも・・・ご説明を受けていると、他の場所を見学する時間が無くなってしまうからなのである。
が・・・ここ、中津ではタップリと時間を取っておいたので・・・
これも何かの縁・・・ということで御説明を受けることにした。
この方は、教育委員会の嘱託でこの史料館を担当しているとのこと。
「まだまだ勉強中なんですけど・・・」と言いながら丁寧かつ細かい説明をしてくれる。
いやはや、よく頭に入っているもんだと感心する。
拙者などは足下にも及ばない・・・(当然だが・・・笑)
こういう話は、是非とも水戸藩士の“シミズくん”に聞かせてやりたいものだ。
彼は博学だから、専門的な会話も弾むだろう。
拙者では“ど素人“過ぎて申し訳ない。
「大江医家史料館へ行かれましたか?」と尋ねられたので昨日訪れた話をしたら、「あそこの担当者もマニアックというくらい詳しいでしょ?」と笑っておられた。
確かに・・・・おっしゃる通りである。(笑)
今日も楽しい時間を過ごさせていただき、大満足である。
感激、感激・・・・

次に向かったのは、「中津市歴史民俗資料館」
時刻は、ちょうどお昼だが・・・まぁ、いいやぁ~
ここは慶応義塾の塾長を務めた小幡篤次郎と歯科医第1号の小幡英之助の生誕の地でもある。
資料館には人影もなく・・・入館無料らしいので、勝手に内部を見学する。
で・・・ミシ、ミシと2階から降りてきたら、1階に職員の方がいるのが見えた。
多分、驚くだろうなと思って・・・足音を忍ばせ(笑)・・・降りていったら・・・
「ウワッ!」と驚かれてしまった。(大笑)
やっぱりねぇ~(大笑)
「すみません、気が付きませんで・・・」と職員の方。
「いや、こちらこそ、勝手に見学させて頂いてまして・・・」とご挨拶。
もしかしたら、この方は館長さんだったかも知れない。
この方も、また親切な方で・・・・
「大江医家史料館とか村上医家史料館とかも見られましたか?」とおっしゃるので、さきほど1時間半もおしゃべりして来たところですとお話しして大笑い。
御丁寧にもお見送りをいただき資料館を辞する。

DSCF2164_convert_20110506230400.jpg(中津市歴史民俗資料館)

しかし・・・どうして中津の史料館の方々はこうもフレンドリーで親切なのだろうか?
横浜の某有名資料館なんぞは無愛想で、拙者を見下したような態度で扱ったぞ。
一気にこの町に好感を持ってしまった。(笑)

ここから更に西の方へ延々と歩いてみる。
「自性寺」という寺に到着する。

DSCF2167_convert_20110506230758.jpg

ここの墓所に「田原淳碑」というのがある。
田原淳という人は心臓の刺激伝達系を発見したという有名な医者らしい。
この碑は・・・もしかしたらお墓?・・・よくわからないけど・・・
「説明板」が設置されていないのが残念・・・
ついでに、墓所内を散策。
目の前に大きなお墓が・・・・
「陸軍大尉、猫橋芳朗」という方のお墓である。
碑文を読んでみたら・・・なんと!
特別攻撃隊第42振武隊の隊長として部下9名を率いて沖縄へ特攻し戦死した方のお墓であった。
享年23歳・・・・
ここでお会いしたのも何かの縁・・・ということでお参りさせていただく。

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ここに、どうも有名な方の古いお墓があった。
説明板も設置されていたが、設置者は明記されていないのでお寺が作ったものか?
この文章が面白い。
「法性寺の基外(きがい)和尚の墓」という。
ここ自性寺の前には、ここに法性寺という寺があったらしい。
中津小笠原3代藩主長胤(ながたね)公は好色乱行の度が過ぎる方だったそうで、基外和尚は断食をしてそれをいましめたが、遂に断食14日目に憤死してしまったという。
で・・・幕府は、中津小笠原の領地を没収し、長胤を小倉へ送り、長胤は小倉の配所で43歳で死んだという。
ここまでの説明はいいのだが・・・・
最後にこの一文が書かれている・・・・
「この当時、水戸黄門は来ていません」
なんだろ・・・これ????
どういう意味だろう・・・いきなり・・・水戸黄門・・・(笑)
茨城県人の拙者としては気になる一文である。
もしかして、テレビドラマの「水戸黄門」にこの一件が取り上げられたのかな?

時刻は1時・・・・
腹が減ってきたが、このまま散策を続けることにする。

旅行 | 10:03:07 | Comments(0)
中津の旅(1)
朝食後、各自解散・・・・
拙者はこれから中津に向かって移動する。
タクシーで駅まで行って、そこから電車で移動予定だったが、車で来た“ツキジ”さんが、博多駅まで乗せて行ってくれるというので、お言葉に甘えて乗せてもらうことにする。
他の参加者を見送り、出発しようとした寸前、高速バスに乗り遅れて戻って来た“キタジマ”さんが合流。
3人でのドライブとなる。(笑)
が・・・男2人に女性1人・・・・
明らかに拙者は“お邪魔虫”(大笑)
「拙者がいなけりゃアベックでの楽しいドライブになったのにねぇ~」と大笑い。

博多駅から中津まで特急で移動。
12時過ぎ、中津に到着。
まずは、荷物をコインロッカーに入れて、観光案内所で地図を入手。
駅前に福沢諭吉の銅像が建っているのでパチリ!

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まず、観光する前に腹ごなしをせねば・・・
近くの商店街に行き昼食を食べる。

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さて、最初に中津城へ向かう。
中津城の敷地内に銅像が・・・・
日本歯科医師第1号の小幡英之助の銅像。
へぇ~日本で歯科医師の第1号とはねぇ~すごい人がいたもんだ!

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天守閣の中は資料館となっている。
ここを見学後、城の周囲を散策する。
天守閣のすぐ側にある「奥平神社」は修復中のためブルーシートで覆われていた。

なんだかんだで1時間半もこのお城の周囲の“観光”で時間が潰れる。

続いて向かったのが、「福沢公園」
ここに福澤記念館があるが、運の悪いことに工事中のため見学ができなかった。
福沢諭吉の銅像もあるのだが、天気がイマイチ・・・気に入るような写真が撮れなかった。
もう一度、来いということか?(笑)

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時刻は4時・・・・
この「福沢公園」のすぐ近くに「増田宋太郎生誕の地」がある。
西南戦争の時の中津隊隊長だそうだ・・・・よく知らないけど・・・(笑)
生誕の地は石碑が建っているだけの目立たない公園だった。

DSCF2141_convert_20110504210637.jpg(増田宋太郎生誕の地)

次に向かったのが「大江医家史料館」
10分もあれば見学が終わってしまうような史料館だが・・・・
職員の方が案内して下さった。
で・・・おしゃべりの拙者のことである・・・
あ~でもねぇ、こ~でもねぇとおしゃべりしているうちに1時間近く経ってしまったのである。
この職員の方が、また博識なものだから尚更話が弾んでしまった。
時刻は5時を過ぎていた。
すでに閉館時間を過ぎている!(笑)
と・・・近くの寺町を案内して下さるという。
「鍵をかけて帰る用意をしますから待っていてください」と言われ、外で待つ。
わざわざ寺町の各お寺の説明などをして頂きながら駅に向かう。
自転車で通勤されているようだが、自転車を押しながらだから大変だったろう。
本当ならば、自転車に乗って、サァ~ッと帰宅できるのにねぇ~
拙者にお付き合いいただき申し訳なし!
感謝、感謝である。
こういう人との触れ合いが、いい思い出として残るのである。
感激!(笑)

駅まで戻り、コインロッカーからカバンを取り、駅近くのホテルに向かいチェックイン。
もう、外は日が落ちて真っ暗。
ホテル周辺は人影もなく閑散としている。

このホテルは夕食付である。
で・・・その夕食は部屋まで持ってきてくれるというのだから有難い。
テレビを見ながら食事・・・・
食堂などで一人で食べるよりこのほうが落ち着く。(笑)

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旅行 | 10:06:29 | Comments(0)
写真交換会
午後3時、福岡県うきは市の「うきは駅」に到着。
小さな田舎駅である。(笑)
以前、この路線を使ったことがあるような・・・
太刀洗に行った時、この路線を使ったかな?
いや、似ているけど違うかも・・・・
どうしてこうも記憶力が悪いのか・・・(笑)

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小さな駅舎を出ると、タクシーが1台だけ客待ちをしていた。
助かった!
タクシーに乗り、本日会合予定の原鶴温泉まで行く。

今日は、昨年ガダルカナルに一緒に慰霊巡拝に行った福岡の歩兵第124連隊のご遺族の方々とお会いする。
現地で、今回の旅行だけではなく、帰国後も一度みんなで集まろうという話になり、それぞれが現地で撮った写真の「写真交換会」と称して集まることになったのである。
福岡空港まで迎えに出て下さるというお話しをいただいたが、ただ羽田と福岡を往復するだけじゃもったいないので、拙者はついでに九州を旅行することにした。
「旅行のついで」か「会合のついで」か・・・・どっちがメインなのかわからない、いつもの「ぶらり旅」である。

本日宿泊予定のホテルに到着、みなさんと再会。
ガダルカナル島から帰国してあっという間に月日が過ぎた。
写真交換であるが、実は拙者は用意して来なかった。
みなさんにお渡しするような写真がないのである。(笑)
基本的に拙者の撮影は、ホームページ用かブログ用・・・・
出来るだけお顔がはっきり写らないようにと、遠くからとか、後ろから撮影していたのである。(笑)
メインはあくまでも記録写真・・・・
とても差し上げられるような代物ではない。
後ろ姿の写真をもらってもねぇ~(笑)
そういう意味では、拙者は「写真交換会」に参加する資格はない。(大笑)

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「写真交換会」の後は懇親会・・・・
ガダルカナル島で初めて会った方々ばかりであるが、仲間に入れていただき感謝である。
自分でも不思議なのだが、拙者は昔から人見知りするタイプで、知り合いが全くいない場などには絶対顔を出さないタイプなのである。
ところが、どういうわけか最近はその人見知りも薄れて来て、平気でこういう会合にも顔を出せるようになった。
これがまた嬉しいのである。
自分のコンプレックスを少しでも乗り越えられたという、このことが嬉しくてたまらない。
そういう機会を与えて下さった皆さんに感謝である。

懇親会は、ただの懇親会ではなく、遺族会の今後の活動の話もすべきではないかという意見が“ツキジさん”から提案され、懇親会が思わぬ方向へ向かい紛糾する。
この遺族会「福岡ホニアラ会」は実質、すでに解散しているのである。
今回は有志による巡拝慰霊だったわけで、そこに拙者も加わったのである。
今後の会の活動って言ってもねぇ・・・・
それは解散する前に考えるべきで・・・
今回の会合にはガダルカナル島への慰霊巡拝に参加されなかった旧会員の方々も参加されていた。
行きたくても行けなかった方への報告会も兼ねての懇親会だと思ったのだが、どうも話の方向が変わってしまったようである。
“ツキジさん”の思いもわかる・・・・
「ただ慰霊をするだけじゃなくて現地での遺骨収集もしてこそ、本当の慰霊と言えるのではないか!」と檄を飛ばす。
「昨年お亡くなりになった事務局長さんの遺志をどう継ぐのか?」
すでに遺族会は解散していて、結論が出ているだけに難しい・・・・
気持ちはわかるが、「遺族会」としては何も出来ないだろう。
少人数でも有志でやる人がいれば・・・という程度が精一杯ではないだろうか?
生意気にも、いくつかの戦友会、遺族会に関わっている拙者から、経験談を参考までにご披露させていただく。

議論は2次会にまで及ぶ・・・・
会長の部屋で・・・ということになったが、“セキ会長”が拙者に声をかけてきて・・・
「どこか外に出て呑みに行きましょう」とおっしゃるのである。(笑)
いいのかなぁ~抜け出しちゃって・・・・(大笑)

フロントで温泉街の適当なスナックを紹介してもらい、2人して浴衣姿で出掛ける。
いやぁ~2月だということをすっかり忘れていた。
浴衣だけでは・・・寒い・・・(笑)
「う~寒い!寒い!」と言いながら飲み屋街に向かうが、閑散としていてお客さんは誰もいない・・・
紹介されたスナックは“おばさん”2人でやっている店。
貸し切りとなる。(大笑)
“セキ会長”さんとはガダルカナルで初めてお会いしたが、なぜか気が合うというか・・・楽しい。
会長も拙者が遠方から参加したので気遣ってくれているのだろうが・・・
世間話やら何やらで難しい話は抜きに大いに語り、カラオケを歌う。
・・・といっても歌ったのは会長さんで、拙者は専ら聞き役。(笑)

大いに飲んで、会長さんに御馳走になりホテルに戻ったら・・・
“ツキジさん”に怒られた。(笑)
「どこに行っていたんですか!散々捜していたんですよ!」
2次会も大いに議論を戦わしていたらしい。
で・・・途中から会長と一緒に参加したが・・・・
これからどうするかの結論は出ない。
拙者は参考意見程度に留める。
これは遺族のそれぞれの考え方があるので、こうでなければならない・・・という押し付けになってはいけないと思うのである。

2次会もお開きになり、各自部屋に戻る。
タバコを吸うのは拙者だけなので、廊下にある灰皿の前に座って、たびたび“一服”・・・・
“ツキジさん”から我が戦車第二師団と共同で慰霊が出来ないかとの打診があった。
が・・・これは無理・・・
一つには、こちらの遺族会は歩兵部隊であり、我が方は戦車部隊で、共通点がない。
二つ目は、こちらはガダルカナル島で戦ったが、我が部隊はフィリピンである。
同じフィリピンで戦ったというならまだしも、戦場が全く違う。
これでは我が戦友会の会員にも説明のしようがない。
「同じ日本人じゃないですか!」と言われたが、そうそう簡単な話ではない。
“会”として動くのは無理である。
戦車第二師団の戦友会事務局長ではあるが、個人的には協力できるが、組織だってというのは無理な話だし筋違いだと思う。
「すでに遺族会は解散しているんですから、今までの遺族会をどう発展させるのではなく、新たに別の組織を立ち上げた方がいいんじゃないでしょうか?」と意見をさせて頂く。

思いが強いだけに空回りしている感がある。
正しいことをするのだから・・・という一方的な考え方は、拙者が知っている団塊の世代に多い。
たとえ正しいことでも、各自それぞれ事情というものがある。
誰もがガダルカナルまで行って遺骨を拾って慰霊祭をするなんてことはできない。
それをしなくては「慰霊とは言えない」と言ったらもめるのは当然で・・・・
事前に根回しをしておくべきだと思うのだが・・・

多かれ少なかれ、どこの戦友会でも遺族会でもこういう問題でもめるのである。

次回は9月に福岡で慰霊祭があるので、その時にまたお会いしたいと思う。
少し冷却期間があれば、また落ち着いた考えも出てくるだろう。
今回は、議論ばかりになり、親睦を期待して来た人には不満が残る会合だったかもしれないなぁ~
拙者は会長さんと呑みに行って楽しかったけど・・・・

旅行 | 20:23:06 | Comments(0)
熊本旅行(5)
今日は、午前中、熊本市内を観光する。
で・・・昨日閉館だった「小泉八雲旧居」へ行く。

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ガイドの方の説明を頂き、結構楽しいおしゃべりが出来た。
写真をブログやホームページに載せるには教育委員会の許可が必要とのこと。
後日、その時が来たら教育委員会へ問い合わせてみたいと思う。
ガイドをしてくれた係の方に拙者のホームページのアドレスをお教えして是非参考までに見てくれるよう頼む。

続いて向かったのは「徳富記念公園」
ここには徳富蘇峰と徳富蘆花兄弟が住んでいた邸宅があり、その隣りには「徳富記念館」という資料館もある。
この場所は「大江義塾」の跡でもある。

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記念館を見学。
お客さんは拙者一人。
まもなく職員の方がコーヒーを持ってきてくれた。
普段はこういうことはないとのことだが、「よろしかったらどうぞ」とのこと。
いやぁ~こういうところでコーヒーをいただくなんて初めてのことである。
恐縮、恐縮・・・である。
更に「お時間があるのなら館長からご説明をさせて頂きたいのですが・・」とのお申し出・・・
これまた恐縮である。(笑)
館長さんから直々にご説明を頂くなんて・・・・申し訳ない。
拙者は徳富蘇峰や徳富蘆花のことも全く知識がないのである。
館長さんの丁寧なご説明を受け感激。
充実した1時間弱の時間を過ごすことが出来た。
感謝、感謝である。

あっという間にお昼・・・・熊本駅に行く。
これから福岡へ移動である。
お昼御飯は・・・・稲荷寿司を買って、列車の中で食べることにする。(笑)

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旅行 | 08:36:18 | Comments(0)
戦友に会いに行く
さて、お昼は・・・・
タクシーの運転手さんお勧めのお店に向かってもらったが、残念ながら定休日!(笑)
このまま熊本市内に戻るのも・・どうか・・・・

実は、昨日、宇土にお住まいの戦友宅にお電話をして、御自宅を訪問する約束をしている。
熊本から電車で行ってもいいのだが・・・・
面倒臭がり屋の性格が頭をもたげ・・・・このままタクシーで向かうことにする。(笑)

移動途中、運転手さんお勧めの「ドライブイン・レストラン」で昼食をとる。
好物の「カツ丼」を頼む。

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時刻は12時半。
戦友宅をお訪ねするのは午後2時・・・・
少し時間があるので、そのまま「宇土城跡」へ向かうことにする。

「宇土」というのは「うど」ではなく「うと」と濁らないらしい。
なんとも発音しづらい・・・(笑)
「松阪」も同様で、「まつざか」ではなく「まつさか」らしい。
これに匹敵するほどの発音のしづらさである。

で・・・「宇土城跡」・・・・
タクシーの運転手さんは宇土の方ではないので、宇土城跡がどこにあるのか知らないという。(笑)
「宇土城?宇土城ってどこにあるんですか?」って尋ねられてもねぇ~
拙者も初めて来たんだから・・・・知らない!(笑)

あのあたりではなかろうか・・・と適当に走り回る。
運転手さんは料金を気にしていたが、客の拙者は全然気にしていないんだから、おかしなドライブである。(大笑)

やっと見つけた「宇土城跡」・・・・
「ここが宇土城跡なんですか?」と運転手さんが呆れてた。(笑)
ただの公園である・・・・

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ここに小西行長の銅像が建っている。
この宇土城の城主である。
遺構として当時の石垣が一部残っていた。

案内板によると、この近くに「史跡宇土城」というのがあるらしい。
これまたややっこしい名前を付けたものである。
「史跡宇土城」は中世の宇土城らしい。
こちらの宇土城は「城山」とも言うらしく「宇土城(城山)」と記されている。
なんとかならんかね?ややっこしい・・・・・(笑)

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時刻は午後1時40分・・・・
ちょうどいい時間である。
宇土駅でタクシーを降りて、戦友から指定された地元のタクシーに乗り換え戦友宅へ向かう。
戦友は我が戦友会の戦車第6連隊の“マツモト”さん。
以前、お電話でお話しした時に、フィリピンでの従軍体験は話したくないとおっしゃっていた。
が・・・
「熊本に来ているんですけど~」とお電話をしたら「じゃぁ、遊びにおいで」と快く招いて下さった。
太平洋戦争開戦時からの歴戦の勇士である。
午後2時に到着したのだが、到着早々、どこかに電話をされた。
まもなく「うな重」の出前が・・・・
「あれ?お昼はまだだったのですか?」と尋ねたら「一緒に食べようと思って待っていた」と言う。
お昼にお邪魔しては申し訳ないと2時にしたのに・・・・(笑)
さぞかしお腹を空かしていたのでは?
逆にご迷惑をおかけしてしまった。
お昼御飯は済ませてきたが、ありがたく「うな重」を頂戴する。(笑)

お話しは軍隊に入って中国戦線で戦った頃がメイン。
本人がお話ししたいことだけを聞くと言うのが拙者のスタイルである。
こちらからは質問はしないことにしている。
事前に資料なども用意してお話しして下さるが、この資料が・・・すごい!(笑)
よくも、こういうものを残していましたねぇ~という資料である。
ご高齢なので1時間程度のお話しで・・・と思っていたが、“マツモトさん”は疲れ知らずでおしゃべりが弾む。

あっと間に外が暗くなってしまった!
まもなくお孫さんが帰宅。
「おじいちゃんが戦友が来るって大喜びだったんですよ」と言われる。
そう言われると嬉しいものである。
「お若く見えますが・・・あなたも戦争に行ったのですか?」の質問には参った。(笑)
「いや、行ってませんけど・・・」
「ですよね~・・・で・・・戦友なんですか?おじいちゃんがそう言ってるんですけど・・・」
「はぁ?戦友・・・まぁ、どういえばいいか・・・」
すると、“マツモトさん”が「ん?戦友だよ!スズキさんは戦友!俺の戦友だよ」と言う。(大笑)
「え~・・・だそうです。そう、戦友だとおっしゃるなら、戦友なんでしょう・・・ねぇ」と大笑い。

さすがに夕食時になって来たので、これ以上お邪魔しては申し訳ない。
このへんで・・・ということでタクシーを呼んでもらう。

ホテルに戻り、ホテルの周囲を散策して夕食場所を捜す。
2日目ともなると、さすがの方向音痴も、おおよその周囲の様子がわかるようになる。(大笑)

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旅行 | 21:31:14 | Comments(0)
熊本旅行(4)
朝食は、昨晩、街を歩き回った時に偶然見つけた喫茶店でモーニングセット・・・・
そのすぐ近くに「小楠堂跡」という史跡があった。
横井小楠の旧居跡だが、今は白い標柱のみが建つコインパーキングになっていた。

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さて・・・今日もタクシーを使って走り回ろう!(笑)
まず最初に向かったのは、「熊本県護国神社」である。
ここにはお参りせねば!

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タクシーを待たせて、参拝・・・・
運転手さんには「1時間ぐらい待ってもらうようになると思いますが・・・」とは言っておいたのだが・・・
拙者の話を本気にはしていなかったようで・・・(笑)
この護国神社には結構慰霊碑があるので、その撮影と、読みづらい碑文は全文メモ帳に書き写す。
この作業に結構手間取ってしまった。
毎度のことながら、こういう碑文には困ったものである。
写真に撮って、あとで読めれば簡単なのだが、文字が薄れていたり・・・となると、写真に撮ったのでは読めない。
指でなぞりながらメモするしかない。
また、碑のすぐ近くに植樹されてしまい、どの角度から挑戦してもカメラに収まらない・・・というものもある。
こうなると、木の枝と慰霊碑の隙間に頭を突っ込んで一文字づつ読んでメモするしかない。
碑文とは本来、読んでもらうためのものではないだろうか?
読みづらい状況にしておくというのは如何なものかと思う。
まぁ、管理ができていないのは慰霊碑を建立した戦友会や遺族会が解散しているためなんだろうけど・・・・

さすがに長時間にわたり待たされた運転手さん・・・・音を上げた・・・(大笑)
「まだ、かかりますか?」
「いやぁ~申し訳ない!」
当初の予想通り1時間もかかってしまった。
料金メーターを止めて待っているので、不安になるのも当然である。

さて・・・「貸切りってことで、走り廻りたいんですけど・・・いいですか?」と言ったら安心してくれた。(笑)

まさか神社の参拝に1時間もかかるとは思っていなかったらしい。
ましてや慰霊碑の碑文なんかを書き写しているんだから・・・・
そりゃ、呆れるよなぁ~(笑)

「上熊本駅」前で夏目漱石の銅像の写真を撮影・・・・
続いて向かったのが、「浄池廟」という加藤清正のお墓がある場所。

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ここをお参りして、続いて向かったのがこの裏手にある高台・・・・
「本妙寺公園」にある加藤清正の銅像の撮影!
う~ん・・・大きすぎる・・・高すぎる・・・・いいアングルが取れない・・・(涙)

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続いて「霊巌洞(れいがんどう)」へ行く。
宮本武蔵が五輪書を書いた場所だそうで・・・・運転手さんのお勧め・・・・(笑)
ここからは遠いかと思ったが、さほどではなさそうなのでドライブすることにする。
途中・・・変な(笑)銅像を発見!

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これ・・・宮本武蔵の銅像なんだそうだ。(大笑)
「勝ち運を呼ぶ武蔵像」と名付けられている。
この像がある「岩戸の里公園」の中に霊巌寺がある。
霊巌寺から山の奥の方へ入っていくと霊巌洞があるので、タクシーを待たせて行ってくる。
途中に五百羅漢がある。
有名なんだそうだが・・・・500体あるかどうかは知らない。(笑)

DSCF1814_convert_20110426144408.jpg(五百羅漢)

まもなく、「霊巌洞」に到着・・・
ここで武蔵が五輪書を書いたのか?
そういえば、水戸藩士の“シミズくん”が最近、物書きをしている。
う~ん・・・こういうところに籠って物を書かねばいいものが書けまい・・・と少しからかってやろうとメールを送ろうとしたら・・・圏外で携帯が使えなかった。
そうだ・・・ここは山の中だっけ・・・と苦笑する。

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他に観光客もいないので、しばらくこの洞窟の中でボ~ッと過ごす。(笑)
帰り道、大学生だろうか、若い男女のグループと出会う。
道が狭いのですれ違うことが出来ないので、道を譲ってやる。
男の子たちは「すみませ~ん、ありがとうございます」と挨拶して通り過ぎたが・・・・
問題は女の子たちである!
拙者の顔を見てフン!とそっぽを向いて通り過ぎた!(怒)
最近の女は・・・・何なんだ!
本来なら年下のお前たちが道を譲るというのが筋だろう!
あの態度には頭に来た!
ああいう女がいずれ子どもを産んで育てるっていうんだから、まともな子どもが育つわけがない!
挨拶しなくても会釈ぐらいはしろって言うんだ。
あ~頭に来たぞ!!
腹の虫がおさまらん!
若いなぁ~俺も・・・ガキを相手に本気で腹を立てるんだから・・・と思わず苦笑する。(大笑)

旅行 | 09:42:58 | Comments(0)
熊本旅行(3)
時刻は12時なのだが・・・
タクシーの運転手さんには申し訳ないが、もう少しお付き合いして頂く。(笑)

「武蔵塚」には宮本武蔵の銅像と墓がある。
目的はこの写真を撮るだけ。(笑)

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どうせお昼も過ぎちゃったことだし・・・・
このままタクシーを乗り回してしまおう!
運転手さんもお腹が空いているだろうとは思うけど、意外にも「いいですよ~」というので、お言葉に甘えることにした。
次に向かったのは「立田自然公園」・・・・
ここは「泰勝寺」跡で、細川家の墓や宮本武蔵の供養塔がある。

DSCF1512_convert_20110422224728.jpg(細川家墓所)

DSCF1526_convert_20110422225039.jpg(立田自然公園)

さて、午後1時を過ぎてしまった。
ここから、「武蔵塚」駅まで行って電車で熊本市内に向かおうと思ったのだが・・・・
腹が減って、電車に乗るのが面倒くさくなった。(笑)
ここから20分もあれば熊本市内に行けるとのことなので、このままタクシーを乗り回すことにする。(笑)

次に向かったのが、「水前寺公園」
ここでえタクシーの運転手さんとお別れ。
ここにある「出水神社」の参道沿いにある食堂で遅い昼食をとる。

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“馬刺し”に“辛子レンコン”、“だご汁”などの熊本名物の定食である!
豪華な昼食!!(笑)

昼食後、「水前寺公園」内を散策する。

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公園内で「細川忠利公像」を見つけたが・・・・
その隣りに新しい銅像の台座が作られている。
さて・・・誰の銅像が新しく出来るのだろう?
気になるところである。
それを知るには・・・・何年後かに(笑)またここに来なければならないということだな・・・(笑)

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出水神社を参拝して・・・・・時刻は3時。
おやつの時間である!
遅い昼食をとっても、おやつはおやつ・・・・
茶店で「望月」という銘菓とお抹茶のセットを食べる。
これ、なかなか美味なり。(笑)

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普段の行動パターンでは、ここからテクテク歩いて熊本市内に行くのだが・・・・
タクシーを使い始めると、なかなかいつもの調子には戻れない。(笑)
またもやタクシーをつかまえて、「小泉八雲熊本旧居」へ向かう。
が・・・今日は閉館日。(大笑)
内部の見学が出来ない。(涙)
仕方がないので、ここからテクテク歩いて「熊本城」の方へ向かう。
「熊本城」には確か平成12年に“オダクラくん”と一緒に行ったことがある。
10年ぶりぐらいの再訪問であるが、ここを見学し始めたらキリがないので、今回は泣く泣くパスする。
今回はタクシーを使って時間短縮を図ったが、それでも他の史跡が見切れないのだ。

「熊本城」近くにある「高橋公園」に向かう。
ここには「横井小楠をめぐる維新群像」の銅像がある。
平成12に年にもここの写真を撮ったが、不出来だったので、今回改めて撮影し直す。

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ここに、以前は「熊本城」内にあった「谷千城像」が移転されていた。
また、この他に第7代熊本市長の高橋守雄氏の胸像もあった。

ここから坂をテクテク上り・・・・
「NHK熊本文化センター」の近くにある「千葉城公園」を覗いてみる。
説明板によれば、林桜園(はやし・おうえん)という思想家の家塾「原道館」があった跡らしい。
林桜園ねぇ~・・・・・知らない・・・(笑)

さらにテクテク・・・・
「熊本西年金事務所」のところに「宮本武蔵旧居跡」の白い標柱があったのだが・・・
川の側・・・フェンスの外側にあるのである!
これじゃ、標柱の説明文が読みづらいじゃないか!
どういう神経をしてるんだろう?

DSCF1630_convert_20110424135135.jpg(宮本武蔵旧居跡)

続いて、「夏目漱石旧居」に向かう。
ここは5番目の家だったらしく、今も残っているが生憎閉館日だった。(大笑)
このすぐ近くに「宮部鼎蔵邸」跡の碑が住宅の間に建っていた。

DSCF1637_convert_20110424140019.jpg(宮部鼎蔵邸跡)

このすぐ近くの「熊本中央高校」に「清正公井」という井戸と「横井小楠先生生誕の地」の標柱が経っている。
が・・・井戸のほうにはこれといった説明板もなく・・・・
「横井小楠先生生誕の地碑」は校内にあり、説明文が読めない。
役立たずの史跡である。
この向かい側が、「佐々友房生誕の地」・・・・
説明板がある。
「熊本中央高校」の周囲をぐるりと回ってみたら、「佐々布遠先生」の胸像があった。
どうもこの学校の設立者のようである。
で・・・隣りに「熊本中央女子高等学校」の石碑が・・・・
女子???
ここは中央高校ではないか?
どうもよくわからない・・・・
ウロウロ、キョロキョロしていたら、パトカーがやって来た!(大笑)
急いで退散!(笑)

テクテク歩いて「熊本城」の「長塀」のところまで戻る。
時刻は午後5時20分。
碑が暮れはじめ、日差しが眩しく感じる。

更に進んで、「三角公園」のところに向かう。
ここに加藤清正の銅像がある。
平成12年にもこの銅像を撮影したが、逆光のため、いい写真が撮れなかったので再度来てみたのだが・・・
今回も夕方のため逆光・・・・(笑)
韓国人らしき旅行者のグループが写真を撮って大騒ぎしていた。
彼らの撮影の合間に、とにかく撮影してみる。
今回もいい写真は撮れそうもないが・・・
すぐ近くに「林市蔵」の銅像があった。
以前もここにあっただろうか?
記憶にない。
「林市蔵」ねぇ~・・・・どこかで聞いたことがある名である。
そう、そう、大阪でこの人の銅像の写真を撮ったことを思い出した。(笑)

DSCF1673_convert_20110424173526.jpg(清正公像)

時刻は午後5時半・・・・
そろそろホテルに向かうかぁ~・・・とテクテク歩いてホテルへ・・・・
途中で喫茶店に入ってコーヒーを飲みたいところなのだが、なかなか喫茶店が見つからない。(笑)
ホテルにチェックインして、フロントで喫茶店を紹介してもらう。
拙者は、どこへ行ってもホテルの周辺を散策することにしているが、フロントで教えてもらった喫茶店は、なんと、拙者がウロウロ歩きまわったその先にあった。(笑)
「ありゃぁ~この手前までは行ったのになぁ~ここで曲がらずもう少し真っすぐ歩けば良かったんだぁ~」
フロントの女の子に笑われる。

教えてもらった喫茶店に行き、コーヒーの他に、ついでに夕食も済ませてホテルに戻る。

旅行 | 22:04:13 | Comments(0)
熊本旅行(2)
朝食後、ホテルをチェックアウトして、タクシーを呼んでもらい菊池神社に向かう。
で・・・
「菊池温泉」街に入ったようだが・・・イメージと全然違う・・・
教えてもらわないと、ここが「温泉街」とは気がつかないという景色・・・
普通の町である。(笑)

DSCF1313_convert_20110421122325.jpg

タクシーには待っていてもらい、長い石段を延々と登る。
毎度のことながら、運動不足を痛感する。

DSCF1315_convert_20110421122937.jpg(菊池神社)

この菊池神社がある場所は、「菊池城」の跡らしいが、「菊池本城本丸跡」の石柱があるのみ。
ここの「歴史館」を見学。
ここには菊池一族の資料の他に、松尾敬宇中佐の遺品が展示されている。
松尾中佐は太平洋戦争の時に特殊潜航艇でオーストラリアのシドニー軍港に突入して戦死された方である。
境内で「菊池武時」像と「松尾敬宇」像を見っけ!(笑)
これらの銅像は、小さなものであるが・・・・
菊池神社のある高台(山?)の麓の公園にある「菊池武光」像はかなり大きい・・・
が・・・逆光!(涙)

DSCF1359_convert_20110421130204.jpg

約1時間ほど、タクシーを待たせたまま(笑)、菊池神社周辺を散策。
続いてタクシーで「花房飛行場跡」へ向かう。
この飛行場跡は「菊池飛行場」または「花房飛行場」と呼ばれた陸軍の飛行場である。
が・・・今は滑走路などは残ってはいない。
タクシーの運転手さんに尋ねたが全く知らないという。
まぁ、仕方がない、当然だろうなぁ~
拙者が事前に調べておいた資料をもとに、このあたりだろうという場所へ向かう。

DSCF1380_convert_20110421134557.jpg

少し迷ったが、住宅街の中に慰霊碑を発見。
隊門もある・・・・
拙者が碑文の撮影をしている間、運転手さんが隣りの保育園の先生たちとおしゃべりしていた。
どうも拙者のことを話しているらしいのが、かすかに聞こえてきた。
そのうち、園長先生がやって来た。
どうも園長先生を呼んで来てくれたらしい。
園長先生が資料を持参して来てくれて、それをくださった。
この園長先生が熱心にこの飛行場跡の遺跡の保存運動をしているそうなのだ。
で・・・この資料を作ったという。
いやぁ~感激である!
少し、立ち話をして・・・・
さぁ!それでは、この資料に基づいて周辺を走り回りましょうかぁ~
周辺の住宅地内に「高架給水塔」や「格納庫」「弾薬庫」等の戦争遺跡が点在している。
これには運転手さんも驚く。
「へぇ~こんなものが残っているんですねぇ~知らなかったなぁ~」
で・・・あっちこっちでタクシーを停めては、写真撮影に走り回る拙者に呆れていた。(大笑)

この飛行場跡の住宅地内を1時間以上もグルグル走り回る。
運転手さんも唖然・・・である。

さて、時刻は・・・まもなくお昼であるが・・・・
昼食に時間を取られるのはもったいない。(笑)
この後、引き続いて「武蔵塚」へ向かうことにする。

旅行 | 12:18:55 | Comments(0)
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