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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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修士レベルの教員?
文部科学省は、大学4年間で単位を取れれば教員免許が取れる現行制度を変更し、新卒者の免許を2種類に分け、正規教員として本格的に教壇に立つには教職大学院修了など修士課程レベルの免許取得を求める新制度の検討を始めたという。

はぁ?・・・・である。(笑)
なんともピントのずれた話ではなかろうか?
大学院を出なければ正規教員にはしないということに何の意味があるんだろう?
「修士レベル」ってどんなレベルなんだろう?
教員の不祥事の原因は、その個人の資質の問題である。
つまり、人格の問題だとおもうのだが、修士課程を修了すると人格的に問題ないというのだろうか?
小中学校の教員に「学者」は必要だろうか?
それより教員の人間性、人格のほうが大事じゃないか?

今から25年以上も前のこと・・・・
私が教育実習に行った中学校で、ある若い教師が奇声をあげながら生徒たちを廊下に並べて叱り飛ばしていた。
その声が尋常ではないのである。
男性教諭だが・・・女性教師でもあれほどまではヒステリックにはならないだろうというくらいの奇声をあげていた。
他の生徒に聞いたら「あの先生は、いつもあんな調子です」と言う。
生徒の前では言うわけにはいかなかったが・・・キチガイだと思った。
あんなヒステリックな指導では生徒たちが言うことをきくわけがない。
ああいうキチガイを教員として採用することがおかしいと思うのだが、多分、採用試験の成績が良かったというだけで採用されたのだろう。

修士レベル・・・などということより、採用基準の見直しの方が大事ではないか?
ペーパーテストの成績より、人格者をどう採用するか・・・を考えるべきではないだろうか?
一番いいのは、大学を出てすぐの「学生」を採用するのではなく、一度社会に出た人間を採用するようにした方がいいと思うのである。
問題がある人物なら前職の職場に問い合わせればすぐわかる。
だいたい、大学を出てそのまま教師になった人間が生徒の就職の相談に乗ったりすることがおかしい。
自分は世間に一度も出ていないのである。
世間知らずなのである。
世間知らずが生徒の相談に乗ってもいい結果が出るとは思えないのだが・・・・
一度世間に出た教員が相談に乗った方が的確なアドバイスが出来るんじゃないか?

学校で教える内容(勉強)は、教科書に載っているのである。
その教科書を使って教えるわけだから、本人の知識の有無(採用試験の成績)より、教え方の上手下手のほうが大事だろう。
他人に対して面倒見がいいか悪いか・・・・
子供たちが1日の大半を接する「大人」は、学校の教師なのである。
・・・であるから、人格者でなくてはならないと思うのである。
問題は、その「人格」の善し悪しをどうやって計るか・・・である。
これは数字に表れるわけではないから優劣を決めるのは難しい。
それを考えるのが文科省のエリート官僚の仕事だと思うのだが・・・

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エッセイ | 22:40:17 | Comments(0)
シルビアさん亡くなる
『別れても好きな人』という歌で有名な、ロス・インディオス&シルビアの女性ボーカリストのシルビアさんが10月28日に肺がんで亡くなったそうだ。
享年52歳・・・・
拙者より2歳年上だったのかぁ~と初めて知る。
同世代となると尚更複雑な気持ちである。
ある意味ショックである。

彼女には一度だけお会いしたことがある。
もう何年前になるだろうか・・・かなり前のことだ・・・
我が町で初めてのクルージングが企画された。
豪華客船を借り切って、我が町の港を出港し、太平洋上をウロウロして(笑)、翌朝、港に戻ってくるという企画だった。
あれは12月だったろうか?
我が町のそうそうたる顔触れが参加し、市長さんも乗船した。
拙者も当時の青年会議所のメンバーを誘って乗船したと思うのだが、誰が一緒だったのか記憶にない。(笑)
確か、年末だったので、委員会の忘年会を兼ねて、この企画に参加したように思う。
この時の我が委員会には女性メンバーがいたので、例年のようなコンパニオンを入れてのお座敷での忘年会ではない忘年会を企画せねばと考えた結果が、このクルージングへの参加だったと思う。
当然、こういう取りまとめは拙者がやったのだが・・・何人参加したのか全く記憶に残っていない。(笑)
この時に、船上でのイベント歌手として、シルビアさんが乗船していた。
が・・・これまた、彼女のステージを覚えていない。
1泊2日のクルージングだが、基本的には暇なので、全てのイベントには参加していたはずである。
間違っても部屋で寝ていたなんてことはなかったはずなのだが・・・・記憶にない。
彼女が何の歌を歌ったのかも憶えていない・・・・
が・・・
ステージが終わった後、彼女がバーラウンジにいたのは良く覚えている。
マネージャーと思われる方と何か話をしながら飲んでいた。
その姿は何故か鮮やかに記憶に残っているのである。
何でだろう?
軽く挨拶を交わしたことも覚えている。

シルビアさんの訃報を知って、当時の彼女の姿を思い出した。
たった1回、ほんのちょっとだけ会った人なのだが・・・
なぜか、あのバーラウンジにいた姿だけは記憶に残っている。
亡くなったのかぁ~
身内でもなく、友人でもなく、知人でもないのだが・・・
なんとも寂しい・・・・・

日記 | 22:05:25 | Comments(0)
冗談が通じない?
今日はお昼から法人会の広報委員会。
いつものように、昼食をいただきながらの会議である。

DSCF1233_convert_20110303174634.jpg

これまた、いつものように御膳の写真を撮る。
ホテルの女性従業員に「そういえば、いつもお写真を撮っていますよねぇ~」と笑われた。
で・・・・
「そう、記録です!こうやって写真に残っちゃうとなると、いいものを出さなくちゃって思うでしょ?」とからかったのだが・・・
あっさりと、無視された・・・(笑)
あのぉ~・・・これ、冗談なんですけど・・・
冗談が通じなかったかぁ~?
拙者が期待していた応えは・・・・
「もう少し予算を増やして頂ければ、もっと豪華なお昼が出せますよ」・・・・である。(笑)
こう切り返していただけると、それを引き継いで事務局の“アサヒさん”に「もっと昼食の予算を増やしてよぉ~」とからかうことが出来たのだが・・・
拙者の冗談に切り返してもらえなかったため、シラァ~と話が終わってしまった。
失敗である。
最近、どうも冗談に対する切り返しができる人って少ないような気がするんだよねぇ~
コミュニケーションが下手なのか?
それとも拙者の冗談が下手なのか?(笑)

日記 | 17:40:19 | Comments(0)
閨閥
閨閥―新特権階級の系譜 (講談社文庫)閨閥―新特権階級の系譜 (講談社文庫)
(1993/10)
神 一行

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序章 日本は特権閨閥によって支配されている
  能力主義から身分主義への逆行
  上流階層を結びつける閨閥の法則
  驚くべき支配者家系の連結
  名門の“ものさし”は天皇家との距離で決まる
  正田家を軸とする“現代の華族”たち
  旧華族家は支配階層の“血の連鎖”の役目
  閨閥・世襲議員に壟断された政界
  特定の家系が日本を支配する
  財界にはびこる“世襲社長”
  特権閨閥の弊害

第1部 政界編

第1章 政界官界を網羅する宮沢喜一家
 エリート官僚・政治家を輩出する名門一族
  “天下人”になれなかった二つの理由
  “ポスト大平”争いでも好機を棄てた
  父・裕が築いた名門小川一族との縁
  鈴木善幸家との閨閥で“総理見習い”に

第2章 竹下登・総理への階段と血族
 “閨閥政権”を誕生させた竹下・金丸の天下盗り戦略
  “竹下金丸政権”19年目の結実
  “おしん政治家”竹下登の素性
  “竹下後見人”金丸信の素性
  竹下・金丸家の“血の結合”
  竹中工務店をスポンサーに持つ竹下閨閥

第3章 政界名門閨閥を誇る安倍晋太郎家
 政財界から皇室まで連なる“華麗なる一族”
  もし“後見人”岸信介が生きていれば
  “名門御曹司”の隠された悲しい秘密
  “閨閥選挙”の奢りで3回目に落選
  ウシオ電機・森永製菓と姻戚関係に
  皇室の遠戚安西家とも“血の連鎖”

第4章 中曽根康弘家にみる閨閥の効用
 “大鹿島”と結びついて名門閨閥入りした中曽根家
  『黄金の神と恋の射手』鹿島家との血縁
  小学校のときから仕組まれていた“その時”
  中曽根が平泉渉に示した“身内の情”
  豊田・石橋家とも繋がる実力閨閥

第5章 鈴木善幸家にみる“血の結合”戦略
 漁師の倅から皇室の親族となった鈴木家の野望
  権力とは一種の麻薬、一度美酒を味わうとより拡大へと・・・・
  一介の陣笠代議士を初入閣させた田中角栄
  大蔵官僚・政界実力者を一族に入れた巧妙なる戦略結婚
  吉田茂の孫・麻生太郎に三女が嫁いで皇室の親族へ

第6章 大平正芳家にみる閨閥の効用
 農家の倅から歴代宰相家の仲間入りをした大平一族
  王侯将相イズクンゾ種アランヤ
  上原一族との婚姻で総理になった男
  庶民派大平と池田勇人との“出会い”
  娘婿・森田一の果たした役割

第7章 知的エリート集団で固めた福田赳夫家
 “超学歴エリート”福田赳夫の傲慢と悲哀
  顔のイメージで損をした政治家
  超エリート同士、福田・岸の邂逅
  超エリートゆえの福田の強さと脆さ
  桜内家と大蔵官僚の知的集団閨閥

第8章 最高閨閥の一角を占める三木武夫家
 最小派閥の領袖が総理大臣になれた理由
  三木政権を誕生させた“三つの理由”
  芸術的ともいわれた「椎名裁定」のインチキ性
  バルカン政治家・三木武夫の“政界遊泳術”
  森財閥の娘を嫁にして最高閨閥の一員に

第9章 閨閥なき田中角栄家の悲劇
 日本の上流階層へ挑んだ田中角栄の孤独
  戦後政界史をドラスチックに塗りかえた男
  “地獄と天国”田中と福田の育ち方
  逆転した宿敵・福田赳夫との出世レース
  田中政権が倒れた本当の理由

第10章 長州人脈の最高峰に君臨した岸・佐藤家
 日本の最高閨閥の要に位置する“兄弟宰相”
  “兄弟総理”を産んだ長州の土地柄
  歴代宰相の系譜につながる佐藤家
  スパルタ教育で“三兄弟”を育てた母・茂世
  最高閨閥を築きあげた岸・佐藤の子どもたち

第11章 苦労人宰相・池田勇人家の戦略的閨閥
 宏池会の派祖・池田勇人の強運なる人生
  日本型出世のパターンとは
  鈍才・落第・大病から這い上がった男
  池田が初入閣できた本当の理由
  “宰相の女婿”に選ばれた池田行彦

第12章 超政治エリート家系・鳩山家
 政・財・教育界に根を張る“日本の名門”
  “音羽御殿”に住む直系4代のエリート家族
  衆議院議長、総理大臣を輩出した優性遺伝家系
  “日本の大富豪”石橋家と繋がった鳩山威一郎

第13章 保守本流の始祖・吉田茂家
 娘・和子が完成した“皇室の親族”家系
  直系跡絶え「戦後は遠くなりにけり」
  大久保利通の孫娘と結婚したワンマン宰相
  娘・和子と麻生財閥との結婚
  孫娘・信子により皇室の親族へ

第2部 財界編

第1章 皇后美智子さまの生家・正田家
 日本の名門地図を塗りかえた“新家族”の誕生
  日本で一番出世した家門の憂鬱
  文化勲章受章者を2人も出した“知的エリート家系”
  ご成婚後、日本一の閨閥集団を形成した正田家
  “新華族”を取り囲む名門11家系

第2章 新ロイヤル家系となった小和田家と川嶋家
 開かれた皇室の象徴となった皇太子妃と秋篠宮妃
  皇太子妃誕生の背景
  開かれた皇室を実践した2人のシンデレラ
  スーパー・レディ・雅子さまの素顔
  スーパー・レディ・を生んだ小和田家
  紀子さまの実家・川嶋家

第3章 日本の最高最大閨閥・安西家
 8人の総理を係累に持ち天皇外戚となった“昭和の貴族”
  東京ガス副社長に昇格した安西家の若殿
  安西家繁栄の礎となった森コンツェルン
  佐藤栄作家と結ばれ“宰相の家”となった兄・浩家
  正田家と縁組“天皇家の外戚”となった弟・正夫家の閨閥

第4章 “日本生命”創設者・弘世家
 関西一の名門閨閥を誇る華麗なる系譜
  “日生王国”に君臨する弘世現会長は犬山城主の末裔
  創業者・弘世助三郎にみる“明治の偉業”
  旧皇族・鳥井・松下まで繋いだ弘世現の三姉妹
  旧皇族家と二重に結ばれることで“超名門”となった弘世・西川家

第5章 “経営の神様”松下家の閨閥形式
 華族の血を入れて“関西名門閨閥”となった松下一族
  衣食足りて則ち栄辱を知る
  三洋電機“井植三兄弟”との恩讐閨閥
  旧華族の仲間入りをした閨閥の形成
  弘世・佐治家に繋がる関西名門閨閥へ

第6章 超優良企業トヨタ・豊田家
 “世界のトヨタ”に秘める豊田家の愛情ドラマ
  大同族会社を誇る偉大なる“田舎企業”
  自動車企業は喜一郎の“道楽”から始まった
  番頭政治と“三井との愛憎”の系譜
  豊田4家の分散支配と実力閨閥

第7章 “日本の大富豪”大正製薬・上原家
 堀田家・大平家を軸として一代で“天皇家遠戚”名家を築く
  時の政権を誕生させた“女傑”上原小枝の実力
  お手伝い女房と丁稚亭主が築いた大正製薬
  堀田家・大平家からの女婿がトップに君臨
  天皇家とも遠戚となり最高閨閥に仲間入り

第8章 日本の建設業界に君臨する“大鹿島”
 “婿取り戦略”で繁栄した華麗なる鹿島一族
  田中角栄が駆けつけた“大鹿島”の威力
  三代目精一から“婿取り戦略”が始まった
  三姉妹の女婿はいずれも名家、東大出身
  平泉渉・中曽根康弘まで広がる政界閨閥

第9章 西武グループ“総帥”・堤家
 堤清二・義明の秘められた“血の抗争”
  「英雄色を好む」創設者・堤康次郎の“怪物の業”
  “西武の恩人”川崎文の悲劇
  身を挺して“愛人志願”をした青山操
  操と恒子“女の闘い”が生んだ二代目の確執

第10章 “東急王国”総帥・五島家
 久原財閥との結合で築いた財界新興閨閥
  「領地なき殿様」五島家のアキレス腱
  創設者・五島慶太の素性
  38歳で大東急の“総帥見習い”となった二代目昇
  久原財閥との“血の結合”で大閨閥へ

第11章 「味の素」創業家系・鈴木家
 財界名門にふさわしい豪華なる“閨閥山脈”
  世襲当主・三郎助「君臨すれども統治せず」
  「味の素」の基を築いた母・ナカと二代目三郎助
  本家・三郎助家の巧妙なる婿取り戦略
  “鈴木八兄弟”のたぐいまれなる燦然たる経歴

第12章 「三井財閥」創業家・三井家
 日本最大の大財閥を形成した三井一族の変遷
  世界の大富豪ロスチャイルド家に匹敵した三井財閥
  三井家の源流は関白太政大臣藤原道長?
  三井11家と豪華絢爛たる閨閥絵巻
  純粋培養で貴族化する三井一族の血の系譜

第13章 「三菱財閥」創業家・岩崎家
 大財閥“三菱王国”を築いた岩崎一族の系譜
  財閥解体、財閥家族追放で裸同然となった岩崎一族
  明治維新・西南戦争で大儲けした“政商”岩崎弥太郎
  女婿から2人もの総理大臣を出した弥太郎の実力
  “6代目当主”岩崎寛弥は三菱銀行取締役

第14章 「住友財閥」創業家・住友家
 別子銅山から財閥を築いた住友一族の変遷
  番頭経営に徹した住友財閥
  始祖・家祖・業祖の3人がいる住友家のルーツ
  徳大寺・西園寺の公爵家をバックに超豪華閨閥を形成
  三井・三菱・浅野・安田の旧財閥を取り込む“血の連鎖(リング)”



今年の読書:55冊目



読書 | 10:45:22 | Comments(0)
サボ島沖海戦
サボ島沖海戦 (文庫版航空戦史シリーズ (45))サボ島沖海戦 (文庫版航空戦史シリーズ (45))
(1984/08)
リチャード・F・ニューカム

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1 夢魔の島・ソロモン
2 三川中将に軍命くだる
3 米軍ツラギに上陸
4 三川艦隊出撃、サボ島へ
5 望楼作戦
6 鉄底海峡
7 ガダルカナル上陸の日
8 怖さ知らずのフレッディー
9 運命の夜
10 全軍突撃せよ!
11 キャンベラを血祭りに
12 4分間の勝負
13 警報もむなしく
14 誤算と混乱の続出
15 悲風惨たり
16 艦底での戦い
17 クインシーの最期
18 アストリアの悲劇
19 帝国海軍伝統の夜戦
20 戦いの去った暗い海で
21 悲しい日曜日
22 重巡「加古」沈む
23 偽られた真相
24 ボード大佐自決す
25 極秘・キング書簡
26 歴史は証言する

(附録)
Ⅰ サボ島沖海戦における日米両軍死傷者数一覧表
Ⅱ サボ島沖海戦時におけるフレッチャー機動部隊の勢力一覧表
Ⅲ 望楼作戦における輸送船団護衛駆逐艦一覧表
Ⅳ サボ島沖海戦における日米両軍戦力一覧表
Ⅴ 参考文献

回想記(1)・・・・三川軍一
回想記(2)・・・・大前敏一
訳者あとがき
目的を忘れた日本艦隊・・・・多賀一史



今年の読書:54冊目



読書 | 17:26:25 | Comments(0)
靖国神社に報告
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あ~あ~・・・機内食にも飽きたぞ~(笑)
約6時間30分のフライト・・・・
いやぁ~疲れるぅ~

午前7時30分、成田に到着。
ここで成田組は解散。
各自それぞれ帰途につく。

拙者はトイレに向かい、手荷物に入れておいた電動シェイバーで髭を剃り、顔を洗い・・・・
で・・・喫煙所へ・・・・(笑)
いつもは到着すると真っすぐ帰途につくが、早朝である。
時間はたっぷりある。
こういう時じゃ出来ないので・・・空港内を“散策”する。(笑)

で・・・ふと、思い立った!
どうせ時間があるんだから・・・靖国神社にお参りに行こう!
ガダルカナル島から帰って来た報告をしておきましょう。
ということで・・・靖国神社に向かう。

DSCF1232_convert_20110302121635.jpg

11時前に到着。
早速参拝して帰国のご報告。
いつものように遊就館内の喫茶に行き、お昼を食べる。
ここの店員さんは拙者の顔を覚えていてくれていて、にこやかに応対してくれた。
「今朝、ガダルカナル島から帰って来たところなんですよ~(笑)成田からまっすぐご報告のお参りにきたんですよ」と言ったらキョトンとされた。(大笑)
「ガダルカナルってどこにあるのかわからないでしょ?」(大笑)
「いえ・・・あの・・・ご苦労様です」(笑)

上野に向かい・・・・ようやく帰宅する。
疲れたぁ~(笑)
いやぁ~それにしても、昨晩は飛行機の中にいたんだよなぁ~
なんか・・・信じられない気分である。

旅行 | 12:02:56 | Comments(0)
それはおかしいでしょ?
DSCF1228_convert_20110302111436.jpg DSCF1229_convert_20110302115936.jpg

約8時間かかって・・・(笑)
午後8時半過ぎ、ようやくシンガポール空港に到着!
あ~退屈だったぁ~
本当に、誰なんだよ~!こんな行程を考えたのは!
8時間以上もタバコを吸うのを我慢できるんだから、禁煙すればいいと我ながら思ったりするのだが・・・
でも、やっぱりタバコが吸いたい!(笑)
出発時とは別の喫煙所を捜す。

で・・・ここで乗り換えだが・・・
待ち時間が約3時間ほどある。(涙)
いやぁ~退屈だぁ~

ふと・・・気が付いたことが・・・・
そういえば、ブリスベンのホテルにチェックインした時にデポジットとして拙者のクレジットカードを使用したのだが・・・
あれの処理はどうしたんだろうか?
うっかり確認するのを忘れていた・・・・
そこで、添乗員に確認したのだが・・・
「あ、あれですか、私は知りません。現地のガイドがやったことですから」と言う。
そんな・・・馬鹿な・・・
「添乗員として確認するのが当然じゃないの?きちんと破棄処分をしたという確認はとらなかったの?」
「・・・・」
「もし、悪用されたらどうするの?何かの間違いで請求されたら自動的に私の口座から全員の宿泊代が引き下ろされちゃうんじゃないの?」
「あ~そういうことを心配されているんですかぁ~。多分大丈夫じゃないですか?」
「多分?」
「・・・・」
「多分って何?」
「そういうことは滅多にないでしょう」
「滅多にってことは、有り得るってことだよね?その時には責任を取ってもらえますよね?」
「・・・・・」
「だいたい俺のクレジットカードを使っておいて、そんなことで・・・というのはおかしいんじゃないか?」
「・・・・」

だいたい、団体旅行だというのに参加者のクレジットカードを使ってデポジットを払うっていうのはどういうことよ。
大手旅行会社なら、添乗員なりガイドなりが会社のクレジットカードを持っているんじゃないの?
旅行会社側でデポジットは対応するべきじゃないの?
どうもわからん・・・・
JTBといえども現地のホテルに信用されていないということか?
だから、参加者個人のクレジットカードを使うのか?(笑)
個人のクレジットカードで責任を持つんだったら、個人旅行と同じだから、なにもJTBに頼まなくても良かったんじゃないか?(大笑)

さすがに、短気な拙者は完璧に頭に血が上ってしまった!
「そんなことを心配しているんですかぁ~」という小馬鹿にした返答には頭に来た。
ついつい大声を出してしまった。(大人げないが・・・)
だいたい対応が悪い。
「うっかりしていました。すみません。あとでホテルに確認して帰国後報告します」と言えば済むことである。
それでなければ嘘でもいいから「破棄するように指示を出してありますが、再度確認しておきます」で済むことである。
素人の拙者でもわかることがプロ(金銭をもらっている)の添乗員に出来ないのか?
「そんなことを心配するなんて気の小さい人ね」と言わんばかりの言い方には腹が立つ。

福岡組の方々とは、この空港でお別れである。
コーヒーラウンジでコーヒーを頂きながら少々雑談・・・・
さらに時間があるので、ここで一応解散ということで、あとは各自自由行動、それぞれが搭乗口に向かうということで別れる。
で・・・・拙者は喫煙所に・・・走る!(笑)

午後11時55分発、成田行きに乗る・・・・

旅行 | 20:09:05 | Comments(1)
ブリスベン観光
DSCF1180_convert_20110228172005.jpg(ホリデイ・イン)

朝食後、時間があったので、宿泊先のホリデイ・インの周辺を散策する。

DSCF1181_convert_20110228173321.jpg(信号機!)

この信号機・・・・
歩行者用のものと自転車用のものが別々になっているのが珍しい。
ということは・・・
歩行者は赤でも自転車が青ということもあり得るということなんだろうか?(笑)
何だかよくわからんが・・・・
とにかく自転車用のものがあるということは、それだけ自転車に乗っている人が多いということか?

DSCF1179_convert_20110228174002.jpg(公衆電話)

公衆電話は、結構洒落たデザインだと思う。

DSCF1177_convert_20110228174456.jpg DSCF1183_convert_20110228174741.jpg

ホテルをチェックアウトしてバスで観光・・・・
何という名前なのか知らないが・・・(笑)
ブリスベンの小高い丘へ行く。
ここから町の全体を見学・・・・ただ、それだけ・・・(笑)

DSCF1191_convert_20110228175427.jpg

ブリスベンという町は、結構、平らな場所なんだ~ということが分かる。(笑)
ガイドの話によると、このブリスベンはイギリスで犯罪を犯した罪人の流刑地だったとか・・・・
ということは、ここの住民は犯罪者の子孫ということか?(大笑)
無実の罪で送られた人もいたそうだから、必ずしもそうとは言えないんだろうけど・・・・

続いて向かったのが「ローン・パイン」というところで、ここでコアラを見るんだそうだ。(笑)
お金を払えば、コアラを抱いて写真も撮ってくれるとか・・・・
まぁ、50歳の中年のやることではないなぁ・・・・(笑)

DSCF1199_convert_20110228180503.jpg

コアラの奴・・・・寝てばかりいて全然動かない・・・・(大笑)
本当に、こいつはコアラなのか?
「ナマケモノ」ではないのか?(笑)

ようやく「動いている」コアラを発見!

DSCF1211_convert_20110228181119.jpg DSCF1213_convert_20110228181420.jpg

コアラねぇ~・・・・
こいつのどこが可愛いんだろう????(笑)

さて・・・園内で各自自由行動となり、集合時間に集合場所に戻ってくること・・・とのことだが・・・
こういうのが一番危ない。(笑)
というわけで、拙者は園内をくまなく歩き回り、皆さんがどのあたりを散策しているのか、行動範囲を把握することにする。

その間、自分の「見学」もしっかり行なう。(笑)
お~!テレビでは見たことがあるけど、実物を見るのは初めて・・・というカンガルーを見る。
ピョンピョン飛び跳ねているのかと思ったら・・・・みんな大人しい。(笑)
が・・・ジッと、こちらを見られると飛びかかられるんじゃあるまいかと少々不安になったりする。(笑)

DSCF1217_convert_20110228182259.jpg

ここには色鮮やかな鳥もいる。
それにしても、この鮮やかな色は何だろう?
誰がこういう配色を決めたんだろうか?
神様か?(笑)

DSCF1215_convert_20110228182859.jpg

案の定、集合時間に1名が遅れる。
それから添乗員やガイドが騒ぐんだから・・・・彼らの神経がわからない。(笑)
拙者は園内の喫煙所でタバコを吸って一休み。
この喫煙所は園内通路の要衝にあるので、だいたいここを通過する仲間には、あと何分で集合時間ですよ~と声をかけていたのだが・・・・
こういうことをしておかないと、「迷子」「遅刻者」が何名出るかわからないのである。(笑)
拙者はトラブルを未然に食い止めることを考えるのだが、ガイドというのはトラブルが発生してから対処することを考える人種らしい。(笑)

昼食は園内の中にある温室のような建物の食堂で簡単なバイキング(笑)

DSCF1225_convert_20110301002206.jpg DSCF1224_convert_20110301002457.jpg

JTBの予約席のカードがテーブルにあったところから推測すると・・・・
どうして、シンガポールを経由して、更にブリスベンを経由してガダルカナル島へ行くという極めて常識外れの遠回りをする事になったのか・・・・その理由がわかるというものである。
つまり、旅行社としては、どこかで観光をどうしても入れたかったのだろう。
というわけで・・・このブリスベンで「強制的」に半日観光をする事になったのではあるまいか?(笑)
巡拝慰霊だけをしてさっさと帰られたのでは旅行社としてはメリットがないのだろう。
加えて10人以上(?)の団体でないと旅行の手配が出来ないと言われたというが、実際はそんなことはあるまい。
団体としてこういう場所へ連れてくることができないと旅行社としてはメリットが出ないというだけのことではないだろうか?
つまり、うまくJTBにしてやられたということだろう。(大笑)

食後、時間があったので売店を覗いてみる。
運良くステッカーを見つけたので自分用のお土産をゲット!
これで旅の思い出をスーツケースに貼ることが出来る。(笑)
日本人の女性店員がいたが、愛想がないのが残念であった。(大笑)

午後2時40分発シンガポール行きの便に乗るため空港に向かう。
あ~あ~また長時間のフライトか・・・・うんざりである。

DSCF1226_convert_20110301004224.jpg(ブリスベン空港)

旅行 | 17:13:55 | Comments(0)
ブリスベンへ向かう
今日は、ついにガダルカナル島とお別れする日である。
長いようで、あっという間であった。

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飛行機は午後の便。
午前中の予定は現地の学校訪問・・・・
「ボコナ小学校」

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この屋内運動場は、今回のこの遺族会がその昔、資金援助をして建設されたものだという。
小学生の割にはかなり大きいなと思い、彼らに話しかけてみたら8年生だというから日本で言う中学生らしい。
小・中一貫教育らしい。

DSCF1122_convert_20110204224549.jpg(小学生たち)

突然の訪問であったが、先生方に出てきていただき、“お土産”のプレゼント。
急遽、子どもたちによる歓迎の合唱・・・・(笑)

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次に向かったのは、初日にも訪れた「川口支隊の慰霊碑」
ここに最後にお参りしてお別れを告げる。

ホテルに戻って帰国の準備等、自由行動。

14:45分発、ソロモン航空700便に乗るため空港へ。
12時半ごろ空港着。
搭乗手続きまで時間がある。
さすがに少し腹が減って来た。
空港内の隅っこの方に軽食を売っているらしい店が見えたが、みんなから離れて買いに行くわけにもいくまい。
チェックイン後、搭乗口あたりにも何か食べるものは売っているだろうと思い、我慢して読書をして時間を潰す。
と・・・いきなり後ろから肩を叩かれた!
振り向いたら、“ジョンさん”ではないか!
2人の“ジョンさん”が見送りに来てくれたのである。
心臓がとまるほど驚いた!
感謝、感謝である。

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まもなくしてチエックイン・・・・
搭乗口に到着したら、小さなお土産屋さんはあったが、食べ物は何も売っていなかった。
飲み物だけはあったので、コーラを買って飲むことで空腹を紛らわす。
やっぱり、さっき、無理しても何か買うべきだったなと後悔する。(笑)

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DSCF1168_convert_20110204233957.jpg(機内食はサンドイッチ)

午後5時過ぎ、ブリスベン空港に到着。
日本との時差はプラス1時間である。
空港から市内のホテルに向かう時には外は真っ暗なので、ブリスベンがどんなところなのか全く分からない。(笑)

ホテルにチェックインの手続き・・・
現地ガイドが「どなたかクレジットカードを提示して下さい!どなたか!早く!」と騒いでいるが、誰も応じない・・・
実質的な団体の責任者は誰なのか・・・・こういう時に困ってしまうのである。
団長、副団長は、便宜上の役職名・・・いざというときの責任者は誰なのかわからない。
「ガイドがクレジットカードって騒いでいますよ」と言ったのだが反応が鈍い。
ガイドは、まだ大声で騒いでいる。
これじゃいつまでたってもチェックインが出来ないではないか・・・
仕方がないので、拙者が自分のクレジットカードを提出してデポジットの手続きをしたが・・・・
団体旅行なのにデポジットが必要なのか?
多少の疑問が残るが・・・・(これが後にモメることとなった)

とにかくチェックインして、ホテル内のレストランで夕食。

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レストランは個室で食事というわけではなく、また貸し切りではないので、他にもオーストラリア人の客がいたのだが・・・
我が日本人団体は・・・・うるさい・・・(笑)
とにかく声が大きい。
さすがに、他の客から睨まれたりしたが・・・・どうしようもない。
なんでもかんでも「よかばい!」の福岡県人である。(大笑)
周囲の事なんか目には入らぬらしい。
普通の声で普通に話してくれればいいのだが・・・・

食事中、参加者から、今回のこの旅だけでサヨナラじゃなくて、日本に戻ってから一度みんなであつまりませんかという話が出た。
来年早々にでも、福岡県の温泉で集まって「写真交換会」でもやろうということになる。
大いに結構なことである。
拙者もできれば参加したいと思う。

食後、解散・・・・
“セキ会長”に「酒でも飲みに行きましょう」と誘われ、2人で夜の街に出かけるが・・・
ホテルの周囲は閑散としている。
ようやく見つけた店も若者の溜まり場らしく音楽がうるさくて、とても会話ができる状態じゃない。
結局、ホテルの周囲をうろついただけで、ホテル内のバーラウンジで酒を飲むことにする。
水割りとおつまみを頼むが・・・・
どうも何となくオーストラリア人の英語って聞き取りづらいんだよね。
結局は、拙者の語学力の無さによるものだろうけど・・・(大笑)
どうもこの若いバーテンは「さっきレストランで食事をしていた方々ですね」と言っているようである。
はい、はい、うるさくて迷惑をおかけしました・・・・だから憶えてるんでしょ?(笑)

水割りをそれぞれ2杯程度飲んで、お開きとなる。

ガダルカナル到着直後から数日間は、拙者は飲酒をしなかった。
それは、マラリア予防の薬を飲むためで、飲む間隔は1週間に1錠・・・・
ガダルカナル到着当日に1錠飲んで、成田に到着後1錠飲む計算である。
薬の処方箋には飲酒は避けるように、また、グレープフルーツジュースは飲まないようにと書かれていたので順守したのだが・・・
他の参加者の中には薬を飲むのに平気でバンバンお酒を飲む人たちがいたのには驚いた。
「あなたはお酒は飲めないのですか?」などと言われたが、そうではない。
薬を飲むために我慢していただけである。
薬を飲んでから数日たっているから、もう飲んでも大丈夫だろうということで、昨日から飲酒を解禁したのである。

“セキ会長”さんに御馳走になったせいもあり・・・(笑)
いい気分で部屋に戻る。

旅行 | 21:57:38 | Comments(0)
拙者が通訳?
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今日のお昼は“お蕎麦”である。
高齢者(失礼!)は、これは大喜びだろう。(笑)

今回の旅は、とにかく忙しい・・・・
予定をカットしたり、とにかく慌ただしさがどことなくある。
というのも・・・この季節は雨季の為、午後になると雨が降ることが多いそうなのだ。
雨(スコール)が降ると、ちょっと奥地に入るとぬかるんで車が走れなくなりかねない。
ということで、天気が良いうちにドンドン回れ・・・ということになる。
雲行き次第では、予定を変更して、さほど重要ではない場所は飛ばして次の場所へ・・・となる。
特に“セキ会長”は、この天気には特に御執心。
多分、以前ひどい目に会ったのだろう。(笑)
「雲行きが怪しいので、そこに行くのはとりやめましょう」「早く次の場所に移動しましょう」となる。

午後の予定は、雲行きが怪しいので、ゴルフ場での慰霊祭を早々とやってしまおうということになる。
日程表では「新飛行場跡」となっているが・・・・
日本軍には「新飛行場」なんてなかったはずだから、米軍が作った新飛行場の跡のことではないだろうか?
ここで拙者の同室の“ヤマグチさん”のお父さんが亡くなっているらしい。

このゴルフ場の駐車場のフェンスの所に祭壇を設けて読経・・・慰霊祭を執り行う。

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雨がパラパラと降ってきたが、大したことがなかったのは英霊の御加護か?
この時、周囲には地元の人たちがグルリと我々を取り巻いていたのだが・・・
その中の一人が「イスラムか?」と話しかけてきた。
「イスラム?」
どこからイスラムなんて言葉が出てきたのやら・・・(笑)
日本から戦没者の慰霊に来たのだということと、彼のお父さんがこのあたりで亡くなったのでお参りしている・・・ということを話す。
なぜか「え?日本?」と驚く。
日の丸の旗をフェンスの所に飾っているんだけどなぁ~
あれが日本の国旗だということが分からないんだろうか?
こりゃ、重大な問題だぞ・・・・
経済大国だとか、ODAで国際貢献しているとか・・・と言っていても単なる自己満足か?
日本は一般人には全然有名じゃないのか?
太平洋戦争の話をしたら、それは分かっていたようだ。(笑)
「ここに昔、滑走路があった」と言う。
そんなこんなで少しおしゃべり。

慰霊祭が終わり・・・・お決まりの(?)“バラマキ”・・・・・
拙者はこのお菓子やら何やらの“バラマキ”が好きではない。
とにかく近くにいる現地人にただ渡すだけ。
もらう側は何が何だかわからないが、もらえるものはもらおうと集まってくる。
これでは意味はないのではないか?
ことさら「ありがたく思え」という態度で渡す必要はないが・・・・
先ほどの「イスラム教か?」の発言でもわかるように、我々が何者で何をしているのか周囲の現地人は知らないのである。
ここは多少の説明はすべきではないだろうか?
どこの遺族会でも大なり小なりみんな同じことをする。
自己満足といえば自己満足・・・・
配った遺族は「良い事をした」と思っても、現地の人とのコミュニケーションにはなってはいないと思う。
だから拙者はこの“バラマキ”は好きではない。
かといって、拙者にはこれを批判したり止めさせる権利はない。
遺族は遺族の思いでやっていることだから・・・・
拙者は傍観者に徹することにしている。

続いて向かったのはアメリカの記念碑がある場所。
それは丘の上にあり、小さな公園のようになっている。
入口には管理人がいてちゃんと管理されていて、綺麗に清掃管理されている。
日本の慰霊碑とは大違い。
アメリカは戦勝国で日本は敗戦国だからか?

ここは遺族にはあまり興味がない場所であろうが・・・・
なぜか30分以上もここに留まる。
いくつもの石碑にはガダルカナルの戦史が英文で刻まれていたので、拙者はとにかくこの英文を全部撮影する。
日本に帰って訳してみようと思う。
本来の慰霊碑・記念碑はこうあってしかるべきだと思う。
日本のものは空疎な簡単な一文しか刻まない。
これでは意味がなかろう。
ここでどんな戦闘があったのか、どういう部隊が関わったのか、何人ぐらいが亡くなったのか・・・
そういうものを刻んで後世に伝えるのが本当ではないだろうか?
日本は日本側の立場で、米国は米国の立場で、それぞれ刻めばいい。
日本のやることはお粗末であり、自己満足だけのものである。
お金をかけた割には意味がない・・・・

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DSCF1074_convert_20110204201550.jpg(記念碑から見た景色)

今日の巡拝慰霊はこれで終了・・・・
ホテルに戻る。

今晩はガダルカナル島最後の夜ということで、何年にもわたり今まで遺族会がお世話になって来た方々を招いての夕食会。
5つのテーブルに分かれ、各テーブルに“お客さん”が一人ずつ座るという。
参加者は、好きなテーブルに自由に・・・とのことなのだが・・・
こうなると、問題は通訳。(笑)
通訳する人が足りないというか、いないのである。
英語が話せるのは添乗員くらい・・・
そこで何故か拙者が駆り出された。(大笑)
何かとんでもなく勘違いをされているようで・・・
拙者は英語が苦手だというのに・・・・

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拙者はとりあえず「戦史研究家」のテーブルに座り、“ジョンさん”の通訳を担当する。
が・・・当然、拙者の通訳はシドロモドロである。(大笑)

離れたテーブルには“ダニエル”と息子の“ブランドン君”が座っていたが、通訳がいないので手持無沙汰な様子。
途中から彼らのテーブルに行き、おしゃべりをする。
父親の“ダニエル”の話では、息子が家に帰って母親に「日本人の友達が出来た。日本人と戦って勝ったんだ」と威張って報告したという。
お母さんから「大人と戦ったら死んじゃうよ」と言われたら「僕は強いから大丈夫」と答えたとか。
「小学校を卒業したら日本語を勉強する」と言ったとか。
いやぁ~嬉しい話ではないか。
“ダニエル”からは「最初の日よりずいぶん英語が話せるようになったじゃないか」とからかわれる。
“ブランドン君”には3歳ぐらいの妹がいるらしい。
「お~それじゃ、お兄ちゃんじゃないか~。妹は可愛いだろう?」と言ったら、“ブランドン君”大いに照れる。(大笑)
しばらく“ダニエル”親子とおしゃべりをして、ようやく自分のテーブルに戻って食事をし始めたら・・・
「食べているどころじゃないですよ!通訳!通訳!」と駆り出される。
え?拙者は参加者の一員なのにまともに食事もさせてもらえないのか?(大笑)

食事会も終わり、続いて、ホテルの砂浜で“盆踊り”と“灯篭流し”のイベント。

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灯篭を流すのは午後9時。
この時間にちょうど海流が沖に向かうのだそうだ。
しかし、波打ち際に置いても流れないそうで、ある程度沖まで持って行かないと、沖に向かう海流に乗らないとのこと。
誰か、参加者の中でパンツ1枚になって海には入ってくれ・・・などと言われたが・・・(笑)
地元の方が胸まで浸かり、灯篭を浜辺から離れた沖の方まで持って行ってくれた。
また、添乗員も水着を持ってきているとのことで、ビキニ姿で海に入って手伝ってくれた。
おかげで、灯篭は無事に沖に向かう。

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しかし・・・真っ暗な中で写真を撮るというのは難しい・・・
毎度のことながらカメラの使い方がよくわからない。(笑)

この灯篭流しを見送っている最中、真っ暗闇の中で外人から声をかけられた。
「タイの方ですか?」と言う。
タイ?何で・・・タイ?
真っ暗なのでお互いの顔も良く見えないのだから仕方がないが・・・(笑)
彼が言うには、彼はタイに在住しているオーストラリア人で、タイでは満月の夜に、この「灯篭流し」のようなことをするので、タイ人のグループがここでもやっているのかと思って声をかけたという。
いや、いや、我々は日本人の慰霊団で・・・・とお答えするが・・・
さて・・・「灯篭流し」って英語でなんて言うんだ?
参った・・・・説明できない・・・(汗)
真っ暗だから身振り手振りは通用しない・・・・またもやシドロモドロの英会話である。(大笑)

続いて盆踊り!
拙者に声をかけた“部外者”のオーストラリア人も無理やり盆踊りの輪の中に連れ込まれた。
「その人は違いますよ!関係ない人ですよ!」と言っても聞く耳持たず・・・「よかばい!」の一言。(笑)
盆踊りは・・・・やっぱり恐れていた通り、炭坑節!
「掘って~掘って~また掘ってぇ~」である。
練習をしてもしなくても同じである。(大笑)

全てのイベントが終了して解散。
参加者の一部は夕食会場に戻って“飲み会”をするらしい。
“セキ会長“から戦史研究家の“ジョン”さんと2人でバーラウンジに行くので、よかったら一緒に来てくれと誘われたので同席させてもらう。
で・・・会長は英語が話せない。
“ジョンさん”は日本語は話せない。
お互い言葉がわからないのだが、以前からの巡拝慰霊で顔なじみだそうで・・・
お互いに再会を喜び合い、前回の時の想い出話をする。
英語と日本語の間に挟まれて、お互いの話を聞いていると、ちゃんと話が噛み合っているんだから不思議だ。(大笑)
ちょっと難しい話は拙者が“通訳”をさせられたが・・・
相変わらずのシドロモドロの“通訳”である。
誠にお粗末・・・・
こういう時に役に立ちたいのだが、能力不足のため自己嫌悪に陥る・・・
肝心なところで役に立たない・・・・
基本的に拙者には語学の才能がないのではあるまいか?

ビールを1杯づつ飲んで・・・解散!

旅行 | 19:15:52 | Comments(0)
東部方面慰霊巡拝
今日はガダルカナル島の東部方面へ慰霊巡拝に行く。
朝食を取って・・・・
毎度、毎度、食事の度に写真を撮るので参加者の皆さんから笑われるのだが・・・(笑)
だって、これも・・・旅の記録なんだもん!
旅から帰ってくると・・・さて、現地では何を食べていたんだろう?・・・って、忘れているんだよね~
だから、記録として残しておくのです!(笑)
たいして大事な記録ではないのですが・・・(大笑)

DSCF0881_convert_20110131175513.jpg DSCF0883_convert_20110131180443.jpg

最初に向かったのが「テテレ・ビーチ」
この「テテレ海岸」は、米軍が上陸した海岸の一つだそうだ。

DSCF0894_convert_20110201203218.jpg(テテレ・ビーチ)

「タイボ岬」は一木支隊や川口支隊が上陸した場所だが、陸路では現地には行けないそうで、船で海上から向かうしかないのだそうだ。
というわけで・・・この「テテレ・ビーチ」から遠くにわずかに見える「タイボ岬」を見るだけとなる。
現地に行けないというのは何とも残念・・・・

DSCF0898_convert_20110201220818.jpg(遠くに見えるのがタイボ岬)

ここから少し内陸部に入ったところに米軍の水陸両用トラックの残骸が30台近く放置されている。

DSCF0908_convert_20110201203911.jpg(米軍の水陸両用トラック)

この敷地内に小屋がある。
この土地の持ち主の小屋で、これらの米軍の遺棄車輛の監視小屋も兼ねているのかな?
ここにいた人達と、ちょっと会話を交わす。
彼らが英文で書かれた資料を見せてくれたのだが・・・
どうも話によると、この海岸に上陸した米兵の一人が戦後、ここに来て、この資料をくれたのだという。
その人は、この人だ・・・と写真まで見せてくれたが・・・
彼らの説明がイマイチわからない。
ここに上陸した米軍は全滅して、この人は唯一の生き残りなのだと言っている(・・・ように聞こえる)。
おかしい・・・
上陸した米軍が全滅するような激しい戦闘がここで行われたのか?
どのくらいの兵力が上陸したのか知らないが・・・・
一人を除いて全ての米兵が戦死したなんて信じられないんですけど・・・
もしかしたら、自分の小隊なり分隊が全滅して、自分一人が生き残ったという意味かも・・・
いや、いや、当時は誰も死んでいないが、戦後、仲間はみんな死んでしまい、今生き残っているのは自分一人だ・・・という意味かも。
とにかく戦後ここにやって来た元米兵がそう言っていたのだと現地の人が言っているようなのだが、彼らが元米兵の話を聞き間違えている可能性はある。
いやいや、彼らの話を拙者が聞き違えている可能性のほうが大かも・・・・(大笑)
拙者は英語が大の苦手だからなぁ~(笑)
そんな話を少しして、バスに戻って次の場所へ・・・・

次は「テナル」という場所・・・・
ここには学校なのか教会なのか、その敷地内に「一木支隊」の慰霊碑がある。
一木支隊は歩兵第28連隊を基幹とした部隊なので、我々福岡の歩兵第124連隊の遺族会とは直接関係はないと思うが、ここで慰霊祭をすることとなる。
皆さんが慰霊碑の廻りを掃除して祭壇を準備している間、拙者は怠けて・・・(笑)
すぐ目の前にある民家の住人たちの所へ行く。
バスに乗っていきなり現れた集団に怪訝そうな顔をしていたからである。
彼らに挨拶し、日本から戦没者の慰霊に来た団体であることを伝える。
こういうのは拙者がやるようなことではないかもしれないが・・・
周囲にいる現地人に何の挨拶もせず、言葉もかけずに・・・というのは、いかがなものだろうかと思うのである。
拙者が彼らの立場だったら「なんだ、こいつら・・」と思うだろう。
どういう団体で、何しに来たのかを話しておけば、相手も嫌な顔はしないだろう。
「あ~日本から来たんですかぁ~」と彼らもにこやかに応えてくれた。
これで・・・よし。(笑)

DSCF0925_convert_20110201220016.jpg(一木支隊の慰霊碑前で慰霊祭)

次に向かったのは「イル川」という場所。
この川の河口付近で一木支隊がほぼ壊滅した。
その近くに「一木支隊奮戦之地」碑が建っている。
みなさんが慰霊の準備をしている間、拙者はまたもや怠けて(笑)海岸へ出てみる。
お世話係をしてくれている“ダニエルさん”と、彼の息子の“ブランドン君”(8歳)も同行。
“ブランドン君”は、かなりの甘えん坊かな?(笑)
ずっと慰霊団に父親と同行してくれているが、父親にピッタリくっ付いて離れない。(笑)
人見知り屋さんでもあるのだろう、参加者が声をかけても恥ずかしがって父親の後ろに隠れてしまう。
まぁ、無理もないかも知れない・・・・
爺さま、婆さまの(失礼!)の慰霊団にずっと付き合うのも退屈だろう・・・と思い・・・・
海岸の木の下に落ちていた松ボックリのような実を“ブランドン君”に「グレネェ~ド!!(手榴弾だぁ!)」と投げつけたら“乗って”きた。(笑)
途端に、戦争ごっこである!
「バババ・・・ドドド・・・バキュ~ン、バキュ~ン!」
近くに落ちていた木の枝を銃に見立てて戦争ごっこ!(笑)
拙者はこの枝を軍刀に見立てて「突撃!」

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イル川の河口付近で“銃撃戦”と“チャンバラ”ゴッコ・・・
このイル川は日本軍は「中川」と名付けていたが、米軍側は「アリゲータークリーク」と呼んでいた場所で、一木支隊が進撃を阻まれて全滅した場所。
海岸に一木支隊の兵の死体が累々と横たわっている写真は有名である。
そういうところで“戦争ゴッコ”とは不謹慎かも・・・と、思ったが・・・・止められない。(笑)
他の参加者はまだ海岸に来ていないので、まぁ、いいだろう・・・
さすがに運動不足の50歳中年男にとって、海岸の砂浜を走るというのはキツイ・・・
が・・・“ブランドン君”は大いに楽しんでくれたようなので良かった。
いつか彼が大人になった時に、拙者とここで戦争ごっこをしたことを思い出してくれたら有難い。
拙者のことは忘れても・・・日本人と遊んだことを思い出してくれたらそれでいい。
なぜ、ここで戦争ごっこをしたのか・・・・
この場所がどういう場所なのか・・・大人になって理解してくれたらありがたい。

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まもなく、鎮魂碑のところで慰霊をするというので戻る。
その後、参加者は海岸へ・・・・
拙者は鎮魂碑の場所に残り、拙者とは入れ違いとなる。
おかげで写真が撮りやすい。

次に向かったのは「ムカデ高地」・・・・
空港のすぐ近くの南側にある高地であるが、「ムカデ」と名付けられたのは、ムカデのようなクネクネとした形の高地だから・・・ということらしい。
ここに第2師団と川口支隊などが突撃をした。
ここに第2師団の慰霊碑がある。

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この第2師団の慰霊碑から少し離れたところに、以前、川口支隊の慰霊碑があったという。
現在はホニアラ市内に移転し、今は台座の部分が残っているだけ。
ここで慰霊祭を執り行う。

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DSCF1003_convert_20110203135111.jpg(ムカデ高地の一部)

手元に詳細な地図がないので、自分がどのあたりにいるのかがわからないが・・・・
丘の斜面を突撃した日本兵が死体の山を築いたという場所はどのあたりなのだろう・・・
以前、“シミズくん”と宇都宮へ史跡巡りに行った時、偶然、那須少将のお墓に出遭ったが・・・
その那須少将が戦死したのはこのあたりだろうか?

午前中の巡拝慰霊はここで終わり。
一旦、ホテルに戻り昼食をとる。

先ほど、イル川でバスに乗り込む時に“ブランドン君”に「お前は敵だからバスには乗せない。ここでバイバイ~!(笑)」
とからかったら、今度は拙者がバスから締め出された。(大笑)
おい、おい、勘弁しろよぉ~(笑)
参加者からは「なんであの子はあなただけには懐いてるんでしょう?」と質問されたが・・・・
戦争ごっこをしてましたとは答えられない。(笑)

旅行 | 17:48:48 | Comments(0)
戦争博物館
ようやく「ビサレ教会」を出発し・・・(笑)
次に向かったのが、「タンベア」というところにある第2師団の慰霊碑。
どうもここは、先に“通過した”という「カミンボ」の近くらしい。

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(第二師団勇会が建立した『ガ島戦没者慰霊碑』)

この慰霊碑は、ここにあったホテルの敷地内に建てられたものだそうだが・・・
今は、そのホテルは消滅していてプールだけが残っているのみ。
倒産したのか?

DSCF0778_convert_20110130225735.jpg(ホテル跡)

次に向かったのは、「戦争博物館」
「博物館」というから、どんなところだろうと思っていたら・・・・
「館」とは言っているが建物はない。(笑)
野外に兵器類が展示されているだけだった。(笑)
「博物館好き」の拙者としては、興奮の場所であるが・・・
他の参加者にはあまり興味のない場所だろうなぁ~

DSCF0788_convert_20110130234908.jpg
(昭和15年大阪造兵廠製 九六式15センチ榴弾砲)

こういう大砲がいくつも残っているのには驚いた。
日本軍は重火器の陸揚げが出来なかったので、大した武器はなかったと思っていたのだが・・・
重砲がいくつも残っているとは・・・
いや、重くて動かせなかったから残ったのかもしれない。
動かせるものはジャングルの中を移動したのだろうから、戦闘で破壊されてしまっているのかも・・・

この他に、九七式戦車の砲塔部分だけがあったり、何の飛行機かわからない翼などの部分やエンジンなどや、多分、日本軍のものだと思うが水上機のフロート部分とかが乱雑に説明板も無く置かれていた。
ちょっと期待はずれで物足りない気もしたが、少なくともこの重砲は凄い。

次に向かったのが、「タサファロング」という海岸・・・・
ここに、かの“有名”な日本の輸送船「鬼怒川丸」の残骸がある。
ガダルカナルへの物資輸送を行う輸送船は米軍の航空機の攻撃にさらされ、撃沈されるくらいならばと、海岸に乗り上げたのである。
その中の1隻が「鬼怒川丸」である。
戦後の写真ではかなりしっかりとその船体が残っていて、結構、有名な写真だが、今では、ほんの一部分が海面から顔を出している程度・・・・
船体のほとんどが消え去ってしまっていた。

DSCF0853_convert_20110131002447.jpg(鬼怒川丸の残骸)

この近くに桟橋の残骸のようなものが見えたので、そこへ行ってみる。
ちょうど現地の人達が何やら魚をさばいていた。
と・・・・
その中の一人の女性が「日本人ですか?」と日本語で話しかけてきたのには驚いた!(大笑)
話をしたところ、彼女は以前、2年ほど日本にいたことがあるという。
それにしても上手な日本語にはビックリした。
何をしているのかと尋ねたら、バーベキューの準備をしているという。

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ん?この魚を焼いて食べるのか?
やっぱり、こっちではバーベキューは魚か・・・・(笑)
地元の人と、日本から戦没者の慰霊に来たんだという話などを少しして別れる。

次に向かったのが・・・・
さて、これが・・・どこなのか・・・わからない。(大笑)
きちんと説明をしてくれる人がいないので、多分、何度も来ている人は知っているんだろうけど・・・
こちらは何が何だかわからず「連れて行かれる」という感じ。
バスから降りて、どこかの村の林の奥に向かって歩く。(笑)

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ここに慰霊碑があったが、部隊関係ではなく、福島県の方2人の名前が刻まれた個人の慰霊碑だった。
どうも亡き“ウエムラ事務局長”さんが、生前、この個人慰霊碑の建立のお手伝いをしたらしいので、それでここに来たらしい。
ここで慰霊祭を行ったが、この時に、ここまでくっついて来た村の子供の中の一人が、我々と一緒に手を合わせて神妙にしている姿には驚いた。
大したものである。
日本人の子どもでもここまでキチンとしたお参りが出来る子は少ないと思う。
いやぁ~感心した。

DSCF0870_convert_20110131005630.jpg(村の子供)

午後4時半・・・・今日の巡拝慰霊はこれで終了!
ホテルに戻る。

DSCF0880_convert_20110131012506.jpg(夕食)

夕食後、会長の部屋に集まり、明晩行なう“灯篭流し”の灯篭の組立の手伝いをする。

旅行 | 21:58:22 | Comments(0)
西部方面慰霊巡拝
DSCF0688_convert_20110130120743.jpg(朝食)

今日はガダルカナル島の西部方面への慰霊巡拝。
昨日の件もあるので、添乗員さんには、予定が急遽変更した時には必ず早目に教えてくれるよう頼む。
なにせ、こちらは初めての訪問である。
日程表に書かれている訪問先を順番通りに訪問すると思っているのだが・・・・
実際には、その時の気分(?)で、コロコロと変わるだろう。
そうなると、あとで、いったいどこへ行ったのかさっぱり分からなくなるのである。
何度も来ていて分かっている人は分かっているが、初めての参加で地名や場所や位置関係を知らない人は知らない・・・
結局、下手をすると、何も分からないままで終わってしまう。
これを極力避けるためにも、日程表のスケジュールに変更があったら教えてくれるよう頼む。

まずは、アウステン山へ行き慰霊・・・・
先日と良く似た場所なので、さて、さて、先日行った場所との関係がよくわからない。
とにかく目印がないから困ったものだ。
昔は慰霊碑があったらしいのだが・・・・よくわからない。

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DSCF0695_convert_20110130115031.jpg(空港方向を望遠で撮影)

次に向かったのが、「丸山道」
この道は第2師団(仙台で編成)の師団長である丸山政男中将の名を取って名付けられた道。
米軍によって占領された飛行場(日本軍名はルンガ飛行場、米軍名はヘンダーソン飛行場)を攻撃するため、ジャングルの中に迂回路を切り開いて進撃した・・・その道である。
白い三角形の“標柱”がその目印らしい。

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その次に向かったのが、「水無し川」と呼ばれているところにある「ママラ野戦病院」跡である。
確かに水の全く流れていない石ころだらけの川を歩いて向かったが、ご高齢者は歩くのも大変。
途中で、しっかりした木の枝を見つけて杖代わりにと差し上げる。

DSCF0722_convert_20110130133031.jpg(水無し川)
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この川のすぐ脇にあったという「野戦病院跡」の前で慰霊祭を行う。
参加者の中に、ここで伯父さんが亡くなったらしいという方がおられたので、この方を中心にしての慰霊である。
この奥には“洞窟“があるというので、よじ登って見に行ってみる。
確かに・・・あるにはあったが・・・かなり小さくて狭い洞窟だった。
ついつい洞窟の中が野戦病院というイメージを持つが、もし、ここが本当に野戦病院だとしたら、実際はそうではなかっただろう。
多くの傷病兵は洞窟の中ではなく、この周辺に横になっているだけ・・・という状態だったのではないだろうか?
そんな気がする・・・・
もっと広範囲にこのあたりを見てみれば何か遺品のようなものが見つかるかも知れないと思ったが、時間もないし、団体行動なので諦める。

次が・・・「セキロウ」という場所・・・
この頃には、当初の旅程の訪問の順番は滅茶苦茶!(笑)
事前に、添乗員さんに変更箇所を知らせてくれるように頼んでおいて良かったが、それでもボケ~としていたら、どこに連れて行かれたのかは分からない。(笑)

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この橋のすぐ向こうは海岸だという。
ここは“セキ会長”のお兄さんが亡くなられた場所だという。
この先の海岸には撤収作戦の為、撤退する兵士を収容する船が来ていたらしいのだが、“セキ会長“のお兄さんは、ここで力尽きてしまったという。
あともう少しのところまで来ていたのに・・・・
海岸まで100mもないだろうという。
このことを伝えた生還者も辛かっただろう。
自分が歩くのがやっとで、とても他人の面倒までは見られなかったのだろうから・・・
それにしても残念無念である。
あと・・・もうちょっと・・・だったのに・・・・
そういう方々は多かったんだろうなぁ~

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河川敷で慰霊祭を執り行う。

その後、しばらくバスは走り続けるが・・・どこに向かっているのかはわからない。
予定では「カミンボ」というところに行くはずなのだが・・・
しかし、添乗員の話では「カミンボ」は通過したという。
「カミンボ」は歩兵第124連隊の岡連隊長の率いる舟艇部隊(約1000名)が上陸した地点。
同じ川口支隊の本隊とは別に、舟艇による移動を主張して独自に行動したところ、支隊主力とは飛行場を挟んで反対側の、しかも島の最西北端に上陸してしまったのである。
これにより、川口支隊は兵力を分散してしまった。
岡部隊は、この「カミンボ」から飛行場を目指して進撃したわけなので、いわば岡部隊の出発地点というわけだが・・・・
歩兵第124連隊の遺族会の皆さんは関心はないのだろうか?
通過しちゃったのなら仕方がない・・・・

できれば、この出発地点から慰霊巡拝を始めてくれると、戦史と合わせながら回れるので、理解しやすいのだが・・・
それを望むのは贅沢というものか・・・
ご遺族にとっては自分の家族の慰霊がメインなのであって、戦史や戦跡には興味はないのだろうから・・・

そのうち、添乗員さんから「エスペランス岬で慰霊をされる方はおられますか?」との問いがあった。
そこでお亡くなりになっている遺族はいないので、「いませ~ん!」ということになったが・・・
ん?
何か変だと気が付く。
エスペランス岬も、一応、コースに含まれているが・・・まさか・・・
で・・・尋ねてみたら・・・
「慰霊をする人はいないというので通過しました」と言う。
へぇ!うそ!
「エスペランス岬」は、ガダルカナル島から日本軍が撤退する時の撤収地点だった場所である。
ここの海岸に日本軍の駆逐艦がやって来て、餓死寸前の兵士たちを収容したという“有名”な場所である。
慰霊祭をしないからと言って、通過されたのでは困る。
拙者にとっては、パリに行ってエッフェル塔を見ないで帰ってくるようなものである。(笑)
他の遺族からは異論は出なかったが・・・それはそうかもしれない・・・・
撤収した場所なんて関係ないのである。
ご家族は戦死してしまったのだから、そんな場所を見ても仕方がないということだろう。
戦跡と戦史の勉強と、慰霊を兼ねる拙者としては残念なのだが・・・・
しかたがない・・・いつか、一人でまた来るしかないかぁ・・・
これが遺族会などの団体と一緒に行動した場合の一番不便なところである。
「慰霊団」ではなく、「戦跡訪問団」ならば、こういうことはないのだろうが・・・・

次に向かったのが、「ビサレ教会」
なんでここに向かったのかは知らない。(笑)
ここでお昼を食べるらしい。
この教会の敷地内で“おにぎり弁当”を食べる。

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この教会には“看護学校”も併設されているらしい。
今日は、偶然にもその学生さんたちの“卒業式”だという。
「少し見学しましょう!」と添乗員さんに言われ、何だかわからないが見学する羽目となる。
別に、式典で我々が紹介されるわけでもないし・・・・
我々が祝辞を述べるわけでもないし・・・(笑)
ただ、勝手に敷地内に入り込んで・・・見学とは・・・
拙者は全然興味がないので、周辺を散策して時間を潰すことにした。(笑)
ここで卒業式の見学に時間を潰すより、戦跡の散策に時間を使いたいところである。

DSCF0766_convert_20110130171456.jpg(卒業式)

すぐ目の前の海岸は砂ではなくてサンゴの残骸(死骸?)でできた“砂浜”だった。

DSCF0764_convert_20110130171801.jpg

旅行 | 11:44:26 | Comments(0)
ホニアラを散策
さて、ホテルに到着して・・・
添乗員が「5時にロビーに集合して下さい。それまでは自由時間です」と言う。
一旦、部屋に行き、同室の“ヤマグチさん”に確認したら、確かに「5時」って言ってた・・・と言う。
ん?
どうもおかしい・・・
今は午後2時半過ぎ・・・5時まで自由時間?
日程表では、15時から博物館と植物園の見学となっている。
5時に集合して博物館が見学できるんだろうか?
博物館は5時に閉館するのではないだろうか?
植物園に至っては、博物館の見学後では真っ暗になってしまい、何も見えないのではないだろうか?(笑)
15時の間違いではないだろうか?
さすがに不安になって、15時・・・つまり午後3時にロビーに行ってみたが誰も集合していない!
あれれ・・・
添乗員の部屋に電話をしたが・・・出ない・・・
だめだこりゃ!

午後4時、添乗員から部屋に電話がかかって来た。
「もしかして、5時じゃなくて15時の間違いだったのではないですか?」と尋ねたところ・・・
「いえ、私はちゃんと5時と言いました。5時なんですけど、今日は残念ながら博物館も植物園も休みだそうなので、夕食の7時まで自由時間となります」と言う。
え?休館?
ホントかなぁ~(笑)
どうも言い訳が疑わしい・・・(笑)
JTBのマニュアルには「間違っても客には謝るな」と書いてあるのだろうか?(大笑)

いずれにせよ、仕方がない・・・・
午後7時まで暇なので、一人で町をブラブラ歩いてみる事にする。
見知らぬ街を一人で歩くなんて危険極まりないが・・・(笑)
拙者はそういうのが好きなんだから仕方がない。

基本的に拙者は方向音痴だから・・・・(笑)
ホテルの前のメインの道路をただただ歩くだけにする。
ホテルを出て左に向かって延々と30分歩いて・・・往復1時間・・・
ホテルの前を通過して、更に15分ほど歩けば往復30分・・・
合計1時間半の散策をする事にした。
「どこまで行く」ではなく「何分間歩く」という時間で管理した方がいい。

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途中で花の写真をパチリ!

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市場はすごい人だかりである!
中ではどんなものを売っているのだろうかと気になるところであるが・・・
さすがにこの中を歩くという勇気はなかった・・・(大笑)

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バス停にもひとだかり・・・・
バス停はあるが時刻表や路線図のようなものは見当たらない。
で・・・バスであるが・・・・
ワンボックスカーである!
こんな小さな車に何人乗るというのか?(笑)
次々とワンボックスカーが到着する。
微妙に行き先が違うんだろうか?(笑)

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そろそろ30分歩いたし・・・繁華街(?)も切れちゃったようだから引き返そうか・・・
ということで、道路を渡って中央分離帯まできたが、交通量が思ったより多く、向こう側へ渡れない!
ゲゲゲッ!
謎の東洋人が中央分離帯で立ち往生!!(笑)
あ~目立つなぁ~これ・・・・みっともねぇなぁ~・・・これ・・・
だいたい、信号というのを見かけない。
どうも道路を横切るというのはないようで・・・
車はロータリーのところまで走って、ロータリーでぐるりと回って反対車線に乗って、しばらく戻ってから左折する・・・という感じである。
だから十字路というのが見当たらない。
当然、歩行者用の信号なんていうものも無い。
前後左右をキョロキョロしながら道を渡らねば危なくて仕方がない。
日本は歩行者優先だが、こっちはどうなのかわからないもんね。
車に轢かれるほうが悪い・・・と言われるかもしれないし・・・(笑)

途中で、いくつかの商店に入ってみる。
どの店も雑貨を扱っていて、電化製品から洋服、おもちゃまで何でもゴチャゴチャと置いてある。
拙者が欲しいのは・・・ステッカー!(笑)
スーツケースに貼ろうと思って捜しているのだが、どこにも売っていない。
「ガダルカナルとかソロモンとかって名前が入っているステッカーは置いてないですか?」と尋ねるのだが、そういうものは“存在”しないらしいのだ。
明らかに「お土産屋さん」というものが見当たらないんだからしょうがないか・・・
「お土産屋さん」ならあるかもしれないが、住民相手の商店だからなぁ~(笑)

昔はスーツケースにステッカーを貼る人が多かったと思うが、最近は見かけない。
カバンを大事にしているせいなのか、それともレンタルだからなのか・・・(笑)
だいたい、スーツケースなど色が多少違っているくらいで、どれもこれも似たり寄ったりである。
空港で見つけるのには・・・・ステッカーをベタベタ貼ってあると目立つのですぐ見つかる。
しかも、こんな目立つカバンを間違えたり盗んだりするやつはいまい?(笑)
さらに、このステッカーが、いい思い出になるのだ。
この間、ペリリュー島でヒビが入ってしまったスーツケースには30年前に泊まったバンコクやクアラルンプール、シンガポールなどで宿泊したホテルのステッカーが貼ってある。
今もこれらのホテルがあるかどうかは知らないが・・・30年前の貴重な記念なのだ。
今回の新しいスーツケースにも貼りたいんだよねぇ~(笑)
何軒も店を尋ね歩いたが、結局、ステッカーは入手できなかった・・・残念・・・

道端でタバコを売っている“おばちゃん”がいた。
タバコは箱ではなく、1本、1本、ばら売りである。(笑)
いくらなんだろう?
試しに買ってみようかと思ったが、拙者の英語が通じないと困るので・・・やめた。(大笑)
結構、気が小さいのである・・・・(大笑)

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海岸を背にして道路の向こう側を見ると、かなり高い丘が連なっている。
多分、戦時中はあのあたりはジャングルだったのではないかと思う。
だとすると・・・あそこを登るのはかなりキツイよなぁ~
この海岸線に沿った道路がある周辺だけが僅かに開けていたぐらいだったのではないだろうか?
戦後間もない頃にここを訪れていたら、印象はかなり違ったものだろうなぁ~などと思いながら歩く。

ホテルの前を通過して更に歩く。
途中で、変な“おじさん”から声をかけられる。(笑)
怪しげな謎の東洋人が一人で歩いていることに興味をもったらしい。(大笑)
結局、この“おじさん”と英語で話しながらしばらく歩く破目になる・・・・
話が噛み合っているのかどうかは知らないが・・・(笑)
しばらく、おしゃべりしながら(・・・と言っても拙者は戦時中の話しかできないが・・)歩いたんだから、少しは成長したか?

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間もなく道路際の街並みも途絶え、寂しい景色になって来た。(笑)
しかも、日が落ち始めたし・・・・
ここでホテルに引き返すことにする。
時刻は夕方6時・・・・

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部屋に備え付けのコーヒーを飲んで一服・・・・
同室の“ヤマグチさん”はコーヒーを飲まないので毎日、このコーヒーを一人占め!(笑)
コーヒーとミルクと砂糖が一緒になっているというインスタントコーヒーである。

DSCF0687_convert_20110125175755.jpg(夕食)

夕食後、“盆踊り”の練習をするという。
盆踊り?
みなさん、浴衣や団扇を持参してきているという。
副団長の“フジさん”の話では、「出発直前に突然思いついたので、あなたには連絡しませんでした」とのこと。
いやはや、連絡をいただなくて良かった。
浴衣なんかもってないから、わざわざ買うはめになるところだ。
“知らぬが仏”はありがたい。

ホテルのロビーで輪になって“盆踊り”の練習・・・・
歌は“フジさん”が用意した歌を歌って・・・とのことだが、聞いたこともない歌なんだから一度や二度聞かされても歌えるわけがない。
踊りはどうしても“炭坑節”になってしまう。
「掘って~掘って~また掘って~」・・・である。
“セキ会長”から「慰霊なんだから炭坑節はマズイ」との指示が出たが・・・誰も耳を貸さない。(笑)
で・・・あ~でもねぇ、こ~でもねぇと大騒ぎ(・・・というか、大はしゃぎ)
しかし、場所が、場所ですから・・・あまり騒いでは迷惑だろうと思うのだが・・・
どうも福岡の人は他人のことには気を使わない県民性らしい。(呆)
マイペースである・・・・
マイペースも、度が過ぎると迷惑なのだが・・・

結局、どう踊るのか・・・も決まらず・・・・騒ぐだけ騒いで解散となる。(大笑)

日記 | 20:33:15 | Comments(0)
東京ベイ・洋上慰霊
昼食後、再びボートに乗り、今度は周辺の島々を巡るらしい。
ツラギ島を出発してまもなく見えてきたのがカブツ島とタナンボコ島。

DSCF0588_convert_20110118100652.jpg(左:カブツ島、右:タナンボコ島)

DSCF0589_convert_20110118101007.jpg

両方の島の間には、島を結ぶ橋が架かっていたようで、その橋脚だけが残っている。
その手前には何かの船の残骸らしきものが水面から顔をのぞかせていた。
このカブツ島には、横浜航空隊の水上機部隊が駐屯していた。
一緒に駐屯していた第84警備隊の一部を合わせて約340名の兵力。
昭和17年8月、米軍はガダルカナル島に上陸すると同時に、ツラギ島、カブツ島、タナンボコ島にも上陸。
ここカブツ島、タナンボコ島の守備隊は徹底抗戦をして全滅した。
しかし・・・こんな小さな島で「徹底抗戦」って言っても・・・ねぇ~
隠れるようなところがあったのだろうか?
半日もしないうちに占領されてしまうような気もするが・・・
2~3日は頑張ったようである。

DSCF0591_convert_20110118102809.jpg(カブツ島の横浜航空隊水上機基地跡)

この2つの島は今は人は住んでいないらしい。
あ~出来れば上陸して島の中を散策したいなぁ~
無人島のようだが、個人所有の島なのだろうか?
頼めば上陸させてもらえるのだろうか?


より大きな地図で カブツ島横浜航空隊水上機基地跡 を表示

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洋上から、カブツ島、タナンボコ島を“見学”して、続いて向かったのは・・・どこかの入り江。(笑)
どうも、この辺りは「トウキョウ・ベイ」と言うらしい。
どうして「トウキョウ・ベイ(東京湾)」と呼ばれるのか知らないが、現地人が名付けたのだろう。

この湾の中に、船の残骸があった。
話によると、米軍の輸送船の残骸とのこと。

DSCF0599_convert_20110118104737.jpg(米軍の輸送船?)

更に入り江の奥に入っていくと、水面からチョットだけ船の残骸が顔を出している場所がある。
これが日本海軍の駆逐艦「菊月」の残骸である。

DSCF0609_convert_20110118110349.jpg(駆逐艦菊月の残骸)

どうも米軍の航空機の攻撃を受けて、ここに擱座したらしい。
「生存者はいたのでしょうか?」との質問を受けたが・・・
この座礁擱座した様子からすると、乗組員は島に上陸で来た可能性があるような気がする。
米軍機の攻撃を受けて沈没を免れるため、わざと海岸に乗り上げたのではないだろうか?
そんな気がする・・・・
ここでボートを停止して、洋上から慰霊を行う。


より大きな地図で 駆逐艦菊月の残骸 を表示

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DSCF0616_convert_20110118111016.jpg(東京ベイ)

船上では副団長で僧侶の“フジさん”が、しきりに「さぁ、歌でも歌いましょう!」と言う。(笑)
御自身で歌詞カードまで作って配布する熱の入れようである。
かなり歌の好きな方のようである。(笑)
“フジさん”は確か予科練の出身で、拙者の親父より2期ぐらい後輩の方。
当然、戦地には行っていないと思う。

帰りのボートの中・・・
みなさん、お疲れのようで・・・寝ている!(大笑)
拙者は舷側に立ち、風を受けながら海を見続ける・・・・
座席に座っていては寝てしまいそうである。
もったいない!
この景色を目に焼き付けておかねば・・・(笑)

途中・・・イルカの群れを発見!
3頭ぐらいのイルカとすれ違った!
が・・・一瞬のことなので写真が撮れなかった。
並行してくれたら撮れたんだけどなぁ~
残念である。(笑)

DSCF0632_convert_20110118113551.jpg(戦艦比叡沈没地点)

船長が「ここが戦艦比叡の沈没地点だ」と言って船を停めた。
ここが・・・って言われてもねぇ~(笑)
海の上じゃ、どこなのかわからない。(笑)
ここでも洋上慰霊を行う。
船の形が見えりゃ、あ~ここかぁ~ということになるのだろうが・・・
かなり深いんだろうなぁ~
浮標があるわけでもないので・・・とにかく、ここだと言うんだからここなんだろう。(笑)
「戦艦には何人ぐらい乗っていたのですか?」との質問を受けたが・・・
正直言って、戦艦比叡のことは全くと言っていいほど知らない。(笑)
なにせ、事前に勉強なんかしてこなかったんだもん!(大笑)
戦艦山城が1500名ぐらいだったはずだから、同じくらいだろうと答えたが・・・
“戦史研究家”との肩書を付けられてしまっている割にはいい加減である。(悲)
なさけない・・・・・

午後2時過ぎ、無事にボート乗り場に帰着。
ホテルに向かう。

旅行 | 19:18:34 | Comments(0)
ツラギ島巡拝慰霊
DSCF0489_convert_20110116103526.jpg

朝食後、今日は離島方面の巡拝慰霊に向かう。
高速船をチャーターしての慰霊だという。
これには驚いた。
ガダルカナル島の慰霊といったら、ガダルカナル島だけで、船をチャーターしてまで他の島まで行くとは思ってもみなかった。
しかも、特にこの慰霊団に参加されている遺族とは関係がないにも関わらず・・・である。
ある意味、戦跡に興味のある拙者としてはラッキーである。

ガダルカナル島と対岸のツラギ島の間の海峡にはサボ島という島がある。
そのためこの海峡で惹起した海戦は「サボ島沖海戦」とか「ソロモン海戦」と呼ばれている。

DSCF0491_convert_20110116113757.jpg(チャーター船)

この海峡(水道)の波は静か・・・・
快適な航行である。
対岸のツラギ島まで約1時間半だという。

DSCF0498_convert_20110116121825.jpg(海から見たガダルカナル島)

DSCF0510_convert_20110116130504.jpg(サボ島)

実際に海に出てみると、その海峡の狭さには驚かされる。
こんな狭い所で日米の軍艦が戦闘をしたのか?
砲撃と魚雷攻撃・・・・
右へ左へと廻り込みながら・・・・
よくお互いにぶつからなかったものだと思う。
座礁の心配もあったと思うのだが・・・
逆にこの狭い範囲内での戦闘だったから双方の被害も大きかったのだろう。
何度も海戦が惹起し、その都度、何隻もの軍艦がこの海に沈んだのである。
そのため、ここは「鉄底海峡」とも呼ばれている。

現地人船長が、「このあたりに日本海軍の戦艦霧島が沈んでいる」と言って船を停めてくれたので、船上から洋上慰霊を行う。

DSCF0506_convert_20110116121439.jpg

ガダルカナル島を出発して1時間半後、ツラギ島に到着する。
のどかな小さな島である。
そもそも、ここに日本軍が陣地を築いたことから、例のガダルカナル島の争奪戦が始まったのである。
ここには第84警備隊の約400名が駐屯した。
拙者の記憶だと・・・(笑)
たしか、ここに日本軍の基地があるのを米軍が偵察機で偵察したついでに、ガダルカナル島に日本軍が滑走路を建設中だったのを偶然見つけた・・・というのが発端だったと思う。

DSCF0525_convert_20110116140010.jpg(ツラギ島)

ここに上陸し、まずは、第84警備隊の英霊の慰霊をする。

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(第84警備隊本部があったというツラギ港)

DSCF0534_convert_20110116142241.jpg

米軍がこの島に上陸した時に、第84警備隊が立て籠って徹底抗戦した「208高地」で慰霊祭をする。
この「208高地」には特に慰霊碑などはないが、慰霊の目印にと、事前にホテルの“ヤマガタさん”が手配した「三角標柱」が設置されていた。


より大きな地図で ツラギ島208高地 を表示

この後、島の向こう側に日本軍の横穴があるというので、そこへ向かう。
島の反対側には集落があった。
このツラギ島には戦前にはソロモン政庁が置かれていたという。
よくもこんな小さな島に「政庁」を置いたものである。
ここが言わば・・・「首都」???
対岸のガダルカナル島のほうが大きな島なんだけどなぁ~(笑)
こっちの島の方が戦前は人口が多かったのだろうか?

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DSCF0548_convert_20110116144650.jpg(途中で村の人をパチリ!)

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日本軍の横穴を2カ所ほど見学して戻る。
いやはや暑い暑い・・・・
ミネラルウォーターをがぶ飲みしながら歩く・・・

“セキ会長”を含め数人は途中で歩くのを断念して「208高地」の切り通しの日陰で待機。
高齢者にとっては、この暑さの中を歩くのは辛いだろう。
ボートの中でミネラルウォーターを配られたが船の中に置いてきてしまったというので、拙者が持参したものを差し上げる。
この間のペリリュー島での教訓を生かし・・・(笑)
拙者はリュックの中にミネラルウォーターのペットボトルを3本ほど入れているのだ。(笑)
一緒に誰か若い者が付き添っていたほうがいいかな・・・と思ったが、戦跡の誘惑に負けて・・・会長さん達を“置き去り”にしてきた。(笑)
戻る途中、“残置組”を拾って、ボートが停泊している「ツラギ・ホリデー・イン」に向かう。

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笑ってしまうが・・・これが、ホリデー・イン??(笑)
ここのスロープは日本軍の水上機用のものだったという話だが・・・・本当かどうかは知らない。(笑)

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今日の昼食はサンドイッチのお弁当である。

日記 | 10:30:58 | Comments(0)
アウステン山方面巡拝慰霊
午後からアウステン山方面の慰霊にマイクロバスに乗って出発する。
最初に向かったのは、日本の平和記念碑・・・・
これは日本政府が作ったものではないらしい。
結構ここは地元の若者の“溜まり場”になっているそうで、落書きしたり悪さをされるらしい。
で・・・記念碑の銘板は取り外され無くなっていた。
何て書いてあったのやら気になるところである。

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DSCF0427_convert_20110112224806.jpg(記念碑から見た景色)


より大きな地図で 日本の平和記念碑 を表示


ここもアウステン山の一部らしいのだが・・・・山という気がしない・・・(笑)
次に向かったのが亡き“ウエムラ事務局長さん”が好きだった場所・・・とのこと。

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途中の道は最悪の状態になっていた。
とてもじゃないが車は走れない。
結局、途中から徒歩で、その丘に向かう。

DSCF0444_convert_20110112230140.jpg(丘から見た景色)

この丘から遠くにルンガ飛行場(米軍名:ヘンダーソン飛行場)が良く見える。
ここがアウステン山だという。
山という気がしないが・・・
この丘(山?)のすぐ左隣りの丘に日本軍の洞窟があるという。
どうも監視哨の洞窟だったらしい。
“アベさん”が一人でその場所へ向かって行ってしまった。
この方は以前も来ているとのことで、とにかく勝手に単独行動を取ってしまう。
拙者もその洞窟を見に行ってみたいのだが、まさか一緒に勝手な行動をするわけにもいかず、泣く泣く皆さんと一緒の場所に残る。
こういうところが団体行動の不便な所である。
公式に二手に分かれてもいいという指示が出れば助かるのだが・・・・
どういうわけか、拙者の知っている限り、遺族会とか慰霊団という団体はリーダーがいるようでいない。
リーダーを高齢者の方にお願いしてしまうせいなのか、御自身が“名誉職”のリーダーと思っておられるのか・・・
うまく仕切る人がいないというのが、こういう慰霊団の欠点のような気がする。
団長が指示を出すのか、副団長なのか、それとも旅行社の添乗員なのか・・・・わからない・・・
この丘は“ウエムラさん”が好きだった場所だと過去に参加した参加者が言いだしたためか、ここで娘さんが散骨をする事になった。

次に向かったのが、「バラナ部落」・・・・
ここの酋長さんと“ウエムラさん”は仲が良かったらしく、慰霊や遺骨収集では大変お世話になったらしい。
しかし、その酋長さんもお亡くなりになられ、今は息子の“ウィリーさん”が酋長をしているとか。
この部落を表敬訪問するらしい。

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どうも集会所のような大きな建物の中で、持参して来たお土産の贈呈式をするらしい。
この遺族会の昔からの長いお付き合いがあってのことだと思うので、部外者の拙者は同席をせず建物の外で待つことにした。
この巡拝慰霊には、午前中に会ったオーストラリア人の2人の戦史研究家と1人の女性も同行してくれた。
2人とも“ジョンさん”なので、拙者は内心勝手に“年取っているジョンさん”と“若いジョンさん”と名付ける。(笑)
“年取ってるジョンさん”はコンピューター会社の社長さんで趣味でガダルカナルの戦史を研究している研究家。
“若いジョンさん”は元オーストラリア空軍の軍情報部に勤務していた戦史研究家である。
外で待っている間、この“若いジョンさん”とおしゃべりする。
彼の話によれば、ここは「ギフ高地」だという。
残念ながら戦跡は何も残っていないらしい。
この「ギフ」の名前の由来は、ここで戦った日本兵の出身地が岐阜県だったからだとか、日本軍の技術者の部隊が戦った場所なので「技夫(ぎふ)」から「ギフ高地」と名付けられたとか、何かそういうことを言っているのだが・・・
情ないことに、早口の彼の英語が聞き取れず、そう断言しているのか、それとも、そういう噂だけどそうなのかと拙者に尋ねているのか・・・わからない。(涙)
一緒にいた女性は、なんと日本語で挨拶して来た。
何をしている方なのかをお尋ねしたら、唯の主婦だと答えられてしまい参った・・・(笑)
どうも御主人が大使館に務めているとのこと。
拙者の尋ね方がまずかったか・・・・どういう関係で同行してくれているのかが知りたかったのだが・・・(笑)
「主婦です」と言われてしまっては、それ以上返す言葉がない。(笑)
この方は、以前、日本に住んでいたことがあるので日本語が片言話せるという。
が・・・通訳をしてくれるわけではない。(笑)
なので・・・彼女とは日本語で話し、“若いジョンさん”とは英語で話す羽目になる。
あ~頭の中がゴチャゴチャだ!(大笑)

続いて、この部落の裏にある丘に行くらしい。
どうもそこに日本軍の慰霊碑があるらしい。
というわけで・・・村人と一緒に丘に向かう。

DSCF0464_convert_20110112235447.jpg


より大きな地図で 岡部隊奮戦の地碑 を表示


この丘の頂上に「慰霊 岡部隊奮戦之地」の慰霊碑が建っている。
ここが、いわゆる「ギフ高地」なのだろう。
ここは歩兵第124連隊(岡・部隊)の第2大隊(西畑・部隊)が玉砕した場所らしい。
ここで慰霊祭を挙行する。

DSCF0479_convert_20110113002042.jpg

慰霊祭を終え・・・もう、一服してもいいかなぁ~と思い、タバコを吸い始めたら・・・・
“年取ったジョンさん”が「ノ―スモーキング!ノースモーキング!」と言う。
ん?
タバコを吸っちゃ駄目?
すると、なぜか彼はニヤニヤしているのである。
彼が言うのを直訳すると・・・・
「タバコは体に悪いから吸うな。だから俺はタバコは吸わない。でも本当は昔付き合っていた彼女がタバコを吸うので吸っていたが、次に付き合った彼女はタバコが嫌いだというのでタバコをやめただけ。付き合う女性に合わせてタバコをやめただけなんだけどね」という話らしい。(多分・・・・)
つまり・・・彼の「ノ―スモーキング!」はジョークだったらしい。
ジョークかと聞いたら笑って「タバコを吸ってもいいよ」とのこと。
あのね・・・英語が良くわからない拙者にジョークを言うのはやめてよぉ~
あ~怒られたのかと思ってビックリしたぞ。(大笑)

しかし、ここでタバコを吸ったのは拙者の不覚であった。
同行して来た現地人が拙者のタバコを虎視眈々と狙っていたのである!
「1本、タバコをくれ」としつこく要求するのだ。
仕方がないので1本あげたら、こいつめ、他の奴らに「こいつはタバコを持っているぞ」と現地語で(多分・・・)教えたらしい。
次々とタバコを欲しがる連中がやってくる。
拙者が日本から持ってきたのは1カートン(10箱)だけ。
これをヘビースモーカーの拙者はチビチビと吸っているわけで・・・(笑)
そんなにみんなに配ったら帰国前にタバコが無くなってしまうではないか!
失敗したぁ~
彼らの前でタバコを吸うんじゃなかったと後悔しても後の祭・・・・(涙)
命の次に貴重なタバコを数本失う。(大笑)

当初の予定では、この後、この高地に隣接している「ケオ高地」「ベラバウル高地」というところへ行く予定になっていたが、急遽キャンセルとなる。
理由は知らない。
多分”セキ会長さん”が「行かなくてもいいだろう」と言ったのだろう。(笑)

今日の慰霊はこれで終了。
ホテルに戻ることとなる。

この岡部隊の慰霊碑のところに“ウエムラさん”の散骨した残りの骨を埋める予定だったらしいが、酋長さんから自分の父親の墓に一緒に埋めたいという申し出があったとか。
仲の良かった2人が隣同士に眠ることが出来るならそれもいいかもしれない。
ふと・・・以前、内モンゴルの砂漠に散骨してきた亡き伯父のことを思い出した。
メールと電話だけのお付き合いで、毎回同行を求められていながら、とうとう実現せず、お会いすることがなかった“ウエムラ事務局長さん”とも、ここでお別れである。

DSCF0487_convert_20110113005522.jpg(夕食)

レストランには他に日本人のグループが来ていた。
どうも「全国ソロモン会」の会長さんの“御一行様”らしい。
会長さんに御挨拶したのだが・・・
一緒の方々はどういう方々なのかは知らないが、シラァ~ッとした冷ややかな印象を受けた。
日本人はどうもこういうところがある。
海外で日本人に出会うと、ことさら“敵愾心”を燃やすという人種がいるのである。(笑)
これがフィリピンで女性連れの日本人に会ったというなら、拙者も冷ややかな視線で相手を見るが・・・(笑)
同じ慰霊で来た同士ではないか?
そう冷ややかな目で見なくてもいいんじゃないのかねぇ~
いかにも「うちのほうが本家本元だ」と言わんばかりに見えるんですけど・・・ねぇ。(笑)
正直言って、拙者はこの冷ややかな視線には気分が悪かった。

旅行 | 22:09:08 | Comments(0)
川口支隊慰霊碑
DSCF0422_convert_20110112214646.jpg

川口支隊
歩兵第124連隊 鎮魂碑

昭和17年8月末以来6箇月にわたり祖国日本を遠く離れたこの南溟の地で優勢な連合国軍の猛攻の下 撃つに弾無く食うに糧無く 極限状態の惨状はまさに言語に絶するものであった
その犠牲となった 川口支隊3179柱の御霊の安らけきを祈りここに鎮魂の碑を捧ぐ

平成5年9月吉日建之
福岡ホニアラ会


より大きな地図で 川口支隊慰霊碑 を表示


史跡 | 19:42:58 | Comments(0)
川口支隊の慰霊祭
午前7時、ホテルのレストランが開くと同時に朝食!
よくぞ早起き出来たものぞ・・・日本時間では午前5時だぞ。(笑)

DSCF0405_convert_20110112171933.jpg(朝食)

まずは、今日は昨日訪れた「川口支隊慰霊碑」の前で慰霊祭を執り行う。
日本大使館からも大使が参列してくれるとか・・・・
テントやら椅子やらの準備はホテルの日本人責任者の“ヤマガタさん”が手配して現地の人が準備してくれた。
我々は、少し早目に行って大使が来られる前に慰霊碑の廻りの準備をする。
「誰か何人か早目に行って手伝って下さい」とのことだが、「何人か」ではなく「全員」で行こうということになる。(当然である)(笑)

DSCF0416_convert_20110112173325.jpg

御遺族の方々が、遺影やお供え物を並べ、日の丸の旗や鯉のぼりなどで慰霊碑を飾る。
拙者は以前、三笠宮殿下からいただいた菊の御紋入りの“恩賜のタバコ”をお供えする。

日本の慰霊碑の横にはアメリカの記念碑(慰霊碑)もある。
これを無視するわけにはいくまい・・・・
日本人は日本の慰霊碑だけをお参りして米軍の慰霊碑には敬意を表しなかったなどと現地人に言われたのでは日本の恥である。
拙者はいつもそうしているので・・・
ここもお参りすべきだろうと、みんなに並んでもらったが・・・
副団長で僧侶である“フジさん”がいくら呼んでもこちらに来ない。
一応、アメリカの記念碑には一礼をするだけにしようということにしたが・・・
で・・誰が号令をかけるのか・・・
誰も号令をかけようとしないので、僭越ながら拙者が号令をかける。
「気をつけ!礼っ!」・・・・
どうしても拙者は軍隊式になってしまうのだ。(笑)
で・・・一礼して、敬意を表して解散しようとしたら・・・
“フジさん”がやって来て「それでは、お経をあげましょう」と言って読経がはじまった。
あらら・・・
やり直し?
さっきの“一礼”は何?
だいたい、アメリカ兵の霊にお経をあげてもねぇ~
どうなんだろう・・・これ・・・
“一礼”するだけでいいと思うんだけどなぁ~
完璧にタイミングを外している・・・(笑)
駄目だ・・・こりゃ・・・・

慰霊祭には研究の為ガダルカナル島に来ていた筑波大学の学生も飛び入り参加してくれた。
現地のオーストラリア人戦史研究家お二人・・・
どちらも“ジョンさん”というのだが・・・・
この方々を含めた現地の方々も参列して下さった。

DSCF0424_convert_20110112175915.jpg

慰霊祭が終わって、ホテルに戻る。
昼はホテルのレストランでとり、その後慰霊巡拝に出かける予定。
時間にかなり余裕があったので、慰霊祭の時にトランペットを吹いてくれた地元の警察官と、毎回この慰霊団のお世話をし続けているという“ダニエルさん”にコーラを御馳走してロビーでおしゃべりする。
正直言って、拙者はあまり英語は話したくない。
海外へ行っても出来るだけ“外人”との会話は避ける。(笑)
どうしてもやむを得ない時以外は会話をしないのだが・・・・
そういうことでは、いつまでたっても英語が話せるようにはならないよなぁ~(笑)
ということで・・・彼等に話しかけて、拙者の「英会話のお勉強」に付き合ってもらう。(大笑)
しかし・・・なかなかしゃべれないし、相手の話も聞きとれない・・・(涙)
トランペットを吹いてくれた警察官は、警察の吹奏楽を担当している警官らしい。
いわば、”軍楽隊”みたいなものか?
メンバーは30人ぐらいいるそうだが、今回、彼が一人で参加してくれたそうである。
で・・・普通の警官としての仕事は・・・
忙しいようだったら、交通警察の仕事をやることもあるとか・・・
驚いたことに、毎日仕事があるわけじゃないそうで、週に何日かしか仕事は無いらしい。
(・・・と言っているように聞こえた)(笑)
“ダニエルさん”からは「毎日話していれば、そのうち話せるようになるよ。2週間くらいここにいたら?」とからかわれる。

12時、ホテルのレストランで昼食。

DSCF0425_convert_20110112212306.jpg(昼食)

旅行 | 17:11:49 | Comments(0)
ガダルカナル島に到着
朝食?・・・ん?・・・・昼食?
わけがわからなくなってきた・・・

DSCF0347_convert_20110107194815.jpg
DSCF0350_convert_20110107195452.jpg(途中の景色・環礁が美しい)
DSCF0365_convert_20110107195937.jpg(ガダルカナル島上空)


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午後1時半、ガダルカナル島のホニアラ空港に到着。
飛行時間は約3時間。
日本との時差はプラス2時間である。
あ~もう時差なんて何が何だか・・・
日本時間にマイナス1時間して、プラス1時間して、その次はプラス2時間・・・・
え~と・・・ところで、日本時間は何時?
時計の針を廻すのにも一苦労である。(笑)

この空港が、その昔、“ヘンダーソン飛行場”と呼ばれた飛行場跡なのだろう。
この飛行場の争奪戦で日米が死闘を演じた。

DSCF0370_convert_20110107200510.jpg(滑走路)
DSCF0374_convert_20110107200853.jpg(空港ターミナル)

到着後、まずは日本大使館へ表敬訪問・・・・
大使館はビルの中にあるらしい・・・
間借りしてるの?(笑)

DSCF0379_convert_20110107201555.jpg(日本大使館が入っているビル)

慰霊団の代表者数名が大使に挨拶に行き、残る我々は祭壇のある部屋で待つ。
大使館内にこのような祭壇があるのはガダルカナル島だからなのだろうか?
それとも他の大使館にも常設されているのだろうか?
他の日本大使館には行ったことがないので知らないが・・・
へぇ~・・・である。

DSCF0384_convert_20110107202056.jpg

代表者たちが戻って来て・・・「挨拶してきましたから・・」との報告。
ん?
大使は、この部屋には来ないのか?
大使が顔を出しに来るものだと思っていたのだが・・・
すぐ隣の部屋に我々がいるのに、顔を出してくれないのか?
ふ~ん・・・
何のために我々はこの部屋で待っていたのだろう?
祭壇にお線香をあげて、みんなで祭壇の前で記念写真を撮って・・・終わり!
あっけない表敬訪問であった。(笑)

続いて、大使館のすぐ近くにある『川口支隊 歩兵第124連隊慰霊碑』を参拝に行く。
碑は小さな公園のようなところにある。

DSCF0386_convert_20110107205809.jpg

落ち葉などを取り除き、軽く清掃をして参拝。

ここには日本軍の大砲などが展示されていた。
DSCF0390_convert_20110107211016.jpg

今日の予定は以上で終了。
午後5時半ごろ、ホテルにチェックイン

DSCF0392_convert_20110107211336.jpg(拙者が泊まった部屋)

夕食まで自由行動・・・・
で・・・夕食・・・・
ホテル内のレストランのため、他にもお客さんがいたので、「自己紹介」などの時間は無し。
まぁ、適当に隣り同士の方と話をしながら・・・・それが自己紹介となる。
現地で参加者の名簿等資料の配布を受け・・・・驚いた。
拙者は「特別参加者」ということになっていて「戦史研究家」ということになっているのである!(笑)
へぇ?いつの間に「戦史研究家」なんていう肩書になっちゃったんだろう?
拙者は、そんなことは一言も言っていないのだが・・・・
どうも今年お亡くなりになられた遺族会の事務局長さんの資料に、そのようにメモしてあったらしい。
「ガダルカナル戦にはお詳しいのでしょう?あとで説明して下さい」などと言われる始末。
ゲゲッ、拙者は、詳しくないんだけど・・・・
事前に読んだ本の内容もすっかり忘れいているんですけど・・・
しかも、事前に資料なんか作って来なかったし・・・・(笑)
現地を見てみなくちゃわからないだろうし、一度来ただけではどうせ頭にも入らないだろうし・・・
とにかく、どんな所なのか見てから、日本に帰って勉強した方が頭に入ると思って何も調べて来なかったのである。(笑)
つまり・・・拙者はただの「便乗者」なのである。(笑)

夕食はバイキング・・・・
食事の時間に、現地の子供たちがレストラン脇のホールでダンスを披露してくれた。

DSCF0399_convert_20110107213706.jpg DSCF0400_convert_20110107213933.jpg

旅行 | 19:32:12 | Comments(0)
ようやくブリスベンに到着
日本時間で午前4時過ぎに朝食の機内サービス・・・・
う~ん・・・調子が狂っちまうなぁ~・・・これ・・・・

拙者は、旅客機を「旅客機」とは呼びたくない。
これは「輸送機」である。
ギューギューに押し込まれて、餌を与えられながら移動する輸送機である!
豚や牛などの家畜の輸送とたいして変りはない。
なにが「快適な空の旅をお楽しみください」だ・・・・(笑)

DSCF0333_convert_20110107173655.jpg(朝食)


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午前7時過ぎ、シンガポールから約8時間弱でオーストラリアのブリスベンに到着する。
あ~!!!なんと時間のかかることか!(笑)
誰なんだよぉ~こんなコースを考えたのはぁ~!!(涙)
日本との時差はプラス1時間である。
空港の建物の外でタバコが吸えるというので、外に出て一服・・・(笑)

DSCF0335_convert_20110107174302.jpg(空港の外)

空港内で旗を持った「サーフ・レスキュー」の人形がいくつも見かける。
何だろ・・・・これ?
何の意味なんだろ?(笑)
拙者はサーフィンなんかやらないからわからない。

DSCF0337_convert_20110107174846.jpg

ここから今度はガダルカナル島のホニアラへ乗り換えである。
成田で乗せた荷物を持って、ソロモン空港のカウンターへ行き搭乗手続きをする。

DSCF0341_convert_20110107175737.jpg(空港内)

午前9時30分発、ソロモン航空701便でガダルカナル島に向かう。

DSCF0342_convert_20110107180056.jpg
DSCF0344_convert_20110107180519.jpg(ブリスベン空港)

旅行 | 17:28:10 | Comments(0)
ガダルカナル島へ行く
昨晩は京成成田近くのホテルに前泊。
早朝、ホテルから成田空港へ向かう。

今日からガダルカナル島へ巡拝慰霊に向かうのである。
慰霊団は福岡県の歩兵第124連隊の遺族・・・・
それに拙者も“何故か”(笑)加わる。
どうして、そういうことになったのか、正直言って拙者にもよくわからないのだが・・・
声がかかったのも何かの縁というものであろう。

慰霊団は福岡空港から出発。
成田空港からは拙者の他にご夫婦が1組参加される。
というわけで・・・・携帯電話でやり取りしながら空港で待ち合わせする。

一面識もないのだが、うまく待ち合わせに成功!
携帯電話というのは便利なものであるとつくづく感心した。(笑)

11時30分発のシンガポール航空637便にてシンガポール空港に向かう。
福岡空港から出発した慰霊団とここで落ち合うことになっている。
で・・・合流後、今度はオーストラリアのブリスベンへ向かい、そこで又乗り換えてガダルカナル島のホニアラに向かうのである。
ご一緒の“ホサカ夫妻”ともお話ししたのだが・・・・
誰がこんな遠回りのルートを考えたのやら・・・
ガダルカナル島への直行便はないが、少なくとも成田発の夜の便で真っすぐポートモレスビーとかオーストラリアへ行けたのではないか?
その方が早く着くんじゃないか?

DSCF0324_convert_20110105233001.jpg(機内食)

現地時間の午後6時・・・・シンガポール空港に到着。
日本との時差はマイナス1時間である。
飛行時間は約7時間30分・・・・・
いやぁ~こんなに長く乗るのも辛いものがある。(笑)


より大きな地図で シンガポール・チャンギ国際空港 を表示

福岡組は先発でシンガポールに到着しており、市内に出て観光と夕食をとって空港に戻ってくる予定。
で・・・我々成田組3名は・・・・・
ただただ空港内でポツ~ンと彼らを待ち続けるという予定になっている。
なにせ、こっちには添乗員がいないのである!
強いて言えば・・・拙者が添乗員なのである!(大笑)
あ~暇だぁ~(笑)

ブリスベン行きの便の中でも機内食は出るのだろうが・・・・
ちょっと、ここで腹ごしらえしておいたほうがいいのではないかということで空港内のレストランで3人で食事をする事にした。

DSCF0326_convert_20110105234140.jpg DSCF0327_convert_20110105234421.jpg

今から30年も前に一度だけシンガポールに来たことがある。
が・・・空港は新しくなったんでしょうねぇ~(笑)
広い!
旅行日程表には、待ち合わせの時に迷子にならないように・・・と注意書きが書かれていた。(笑)
ターミナルが3つあるらしく、ブリスベン行きに乗るには、スカイトレインというターミナル間を移動する“電車”(?)に乗らなければならないようだ。
日程表では我々の成田からの便はターミナル2に到着して、ブリスベン行きの便はターミナル3から出発するらしい。
が・・・現地で自分で確認しろとのこと・・・(笑)
なんだか・・・よくわからない。
ターミナルビルが3つ、独立して離れているのかというと、そういう感じでもなさそうなのである。
どうも空港ビルの形がわからぬ。(笑)
自分が今いるのはターミナル3じゃないか?
到着は2じゃなくて3じゃないか?
あれ?
生来の方向音痴である・・・・自分の現在位置がわからない。(笑)

いずれにせよ、ブリスベン行きのゲートに向かって行けばいいのだろう。
スカイトレインに乗ってゲートのある場所まで移動するが、乗客は我々3名しかいないので心細い。
それもそのはず、9時15分発の飛行機なのだ。
こんなに早く搭乗口に行く乗客がいるわけがない。(笑)

DSCF0329_convert_20110106000618.jpg(スカイトレイン内部)

うまく喫煙所を見つけたので、ようやくタバコが吸える。(ラッキー!)
とにかく搭乗口まで来ていれば、あとは3人別行動をとっても大丈夫だろう。

午後8時過ぎ、福岡組が搭乗口に到着して無事に合流する。
なにせ、日本人の高齢者(失礼!)のグループは、このグループぐらいだからすぐわかった。(大笑)
自己紹介は現地に着いてからということで、なんとなく適当に搭乗時間まで時間を潰す。

午後9時15分発、シンガポール航空235便でブリスベンに向かう。
現地到着は明日の朝・・・・つまり、機内泊である。

DSCF0332_convert_20110106001234.jpg

真夜中の機内食サービス・・・・
空港で食事しておいて正解だった。(笑)

旅行 | 23:07:45 | Comments(0)
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モンゴル投資に30億円超!
150億円が動いたスルガ事件
元防衛大臣“側近”も事情聴取
“火薬庫”」すなわち“宝の山”
金、レアメタル採掘の“陥穽”
星野仙一や寺尾聡も株購入
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病巣は抉り出されるか

NHK大河「龍馬伝」の虚実を洗う ~秦郁彦~
猛暑とともに龍馬熱は去りぬ。
頻出する土下座シーン。
仰天の奇想、支離滅裂の架空劇・・・・歴史家はかく観た。

経費節約か、平和志向か
あちこちから出た苦情

まぁ~NHKのやることだから・・・こんなもんでしょう。
私はだから大河ドラマは見ないのです。(笑)

「大逆事件」から百年
元祖・肉食系男子、大杉栄の「恋」と「革命」 ~中森明夫~

閉塞している21世紀ニッポン。
“草食系”の若者よ、今こそ伝説のアナーキストに学べ!

「僕は性の遊びを覚えた」
そこいらの“肉”じゃない

本当に「教養」は役に立つのか ~里見清一~
「教養」とは、世界の森羅万象から本質を抽出する能力の謂いではないのか?
が、それは常識とどう違うのか?

「あった方がいい、くらいのもの」
神は細部に宿り給う
神業的教養か、暴力か

「第三国定住」って何?
難民流入にどうする日本 ~深山沙衣子~

ミャンマー人難民の受け入れが始まった。
キャンプで長く避難生活を送ってきた彼らは、どのような思いで日本行きを決めたのか。

第三国定住
難民キャンプ、潜入
カレン族は日本軍に弾圧された
民主主義の国だから日本に行く
成功は未知数、だが継続が必要

トリックスター・白洲次郎
“幻の映像”が物語るもの ~北康利~


昭和25年の世評
政争の具「憲法調査会」
新憲法制定の裏側で
白洲の憲法改正案



今年の読書:53冊目



読書 | 23:08:30 | Comments(0)
デート?
なんとか昨日のうちに旅行の準備のおおよそは出来た。

今日は東京へ行き、姪っ子のピアノのコンサートを聴きに行かねばならない。
なにせ、“おじちゃん”としては、姪や甥の頼み事は最優先なのである。(笑)

朝の特急に飛び乗って東京へ・・・・

コンサート会場である音楽大学のホールに到着。
で・・・コンサートが始まり・・・・
コンサートの最後に姪が登場!
はぁ?
あれ?
ピアノのコンサートじゃなかったっけ?
拙者は正直言って、このコンサートがどういうものなのか、内容も何も全然知らないで来ているのだ。

ん?
何でオーケストラを従えてるんだ?(笑)

DSCF0318_convert_20110102224305.jpg

あらら・・・・
あら、凄いこと・・・・(大笑)
聴いているこっちが緊張するわぁ~

コンサートを終えて、妹家族と夕食に出かけるが・・・・
なんと!
甥っ子は、ガールフレンドと、これからデートだという!!
なぬ???
偉大なる“おじちゃん”が、わざわざ田舎から出てきたというのに・・・なんと・・・
デートだと!!
ショックである!(笑)
あ~ショックだぁ~!!
昔は、ヨチヨチと拙者の後をついて歩いていた甥っ子が・・・・
生意気にも彼女とデートとは何事ぞ!
本人をからかったら、拙者が来るということを知らなかったという。
なんと!
来ることを知っていたらデートの予定なんか入れなかったという。(笑)
仕方があるまい・・・・
甥っ子は“彼女”と二人で食事に出かけ、拙者は“残った”(笑)家族と食事に出かけ、最終の特急で帰宅する。

それにしても・・・・
う~ん・・・・
拙者も「彼女とのデートがあるからお前たちに会う時間は無い」と言ってみたい!
が・・・悲しいかな・・・・有り得ない・・・(大笑)

日記 | 22:04:18 | Comments(0)
旅行の準備
16日からガダルカナルへ向かう・・・・
で・・・
毎度のことながら・・・・
旅行の準備は全くしていない!(大笑)
しかも・・・明日は東京へ姪のピアノのコンサートを聴きに行かねばならぬのだ!
ということは、明日は旅の準備は出来ないから、今日中に準備を完了せねばならない。
ヒェ~ッ・・・である。

今回もドタバタドタバタしながら旅行の準備をする。

日記 | 21:54:26 | Comments(0)
ソロモン海戦
ソロモン海戦 (文庫版新戦史シリーズ (82))ソロモン海戦 (文庫版新戦史シリーズ (82))
(1996/01)
遠藤 昭

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第1部 ソロモンの戦い

1 発端
    瑞兆
    航空接敵地区
    空の要塞
    なぜ、ガ島に飛行場を
    ガダルカナル島
    ガ島攻防戦とは
    ガ島攻防戦の概要
2 初動作戦
    X・Y船団出撃
    勝敗を決めた2週間
    第一次ソロモン海戦
    戦闘
    二方面作戦
    ガ島の状況
    一木支隊
3 第二次ソロモン海戦
    連合艦隊の出動
    <龍驤>沈没す
    攻撃隊発進
    <金龍丸>被爆、大火災
    相互不信
4 川口支隊の総攻撃
    川口支隊の出撃
    第一次輸送の失敗
    舟艇機動の提案
    川口支隊の戦歴
    舟艇機動部隊出撃す
    その後の舟艇機動
    川口支隊の飛行場攻撃
5 高速船団輸送
    青葉支隊の投入
    重火器の輸送
    人多く、物資少なし
    サボ島沖夜戦
    第二次総攻撃計画
    戦艦のガ島砲撃
    高速船団の突入
6 南太平洋海戦
    その後の輸送
    第17軍の第二次総攻撃
    米軍司令官の更迭
    南太平洋海戦
    第二次攻撃隊発進
7 第三次ソロモン海戦
    補給合戦
    第1会戦
    <比叡>の孤独な戦い
    海戦第3日
    <霧島>の戦い
    船団壊滅す
    その後のガ島

第2部 戦艦<比叡>の戦い

1 日本の高速戦艦
    生まれた時は一等巡洋艦
    弩級艦と超弩級艦の時代へ
    国産第1号超弩級艦<比叡>
    練習戦艦へ格下げ
    巡洋戦艦の高速化
    近代的高速戦艦の誕生
    空母と高速戦艦の機動部隊
    日本海軍部隊の再編成
2 戦闘指揮システム
    艦載砲の運用
    前檣楼の構造
    夜間魚雷攻撃部隊に高速戦艦を配す
    射撃指揮機構
    各部署の名称
    弾火薬庫と揚弾薬装置
3 軍艦の防御機構
    戦列艦の戦い
    装甲鈑による直接防御
    被雷対策には間接防御
    浸水を防ぐ支水隔壁
4 連絡・通信システム
    艦内通信手段
    意外に有用、単純素朴な伝声管
    伝令・電話空気伝送器
    電源故障に弱かった電気通信器
5 操艦・操舵システム
    艦船の舵とは
    舵取り機構その各種
    テレ・モーターによる操舵装置
    電動油圧式の舵取り機械
    撤去されていた人力操舵装置
    曳航式応急舵

第3部 勝利の可能性

1 幻の<大和>ありせば
2 仮空海戦記
3 白鷹神社



今年の読書:52冊目



読書 | 20:45:14 | Comments(0)
国税局長の講演会
今日は午後から県法連の国税局長の講演会。
我が法人会から何人か行かねばならないので・・・・
当然、暇な拙者も参加することにした。
会場は水戸。
この間、講演会が開かれたホテルである。
あの時は道に迷ったが、今度はちゃんと行ける自信がある。
が・・・東京から自宅へ戻り、それから車を運転して行ったのでは間に合わない可能性がある。
というわけで・・・ホテルをチェックアウト後、上野駅から直接水戸駅へ向かうことにした。

お昼に水戸駅に到着。
さて・・・昼食はどこでとろうか・・・
散々迷ったあげく、結局、駅ビルの中の店で食べることにした。
最初からそうすればいいのだが・・・優柔不断な男は散々迷ってうろつき回り、結局、時間を無駄にするのである。(笑)

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食後、駅からタクシーで会場へ向かう。
今回は遅刻せず、開会定刻前に間に合った。(笑)

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この講演会は「税を知る週間」の記念講演会
主催は茨城県税務連絡協議会なのだそうだ・・・・
この協議会は税理士会、納貯連、青色申告会、法人会、間税会、酒造組合、卸売酒販組合、小売酒販組合で構成されているらしい。
ということは・・・法人会以外の会の方々もお集まりになっているということだろう。
法人会単独でないのなら、無理して来なくても良かったかも・・・・(笑)
講師は関東信越国税局長の原信造で、演題は『社会構造の変化と税務行政』である。
各種統計を使ったわかりやすいお話。
これだけの資料を短時間で説明できるのだろうかと思っていたが、ピタリと時間内に収めたのだからすごい方だ。
変な所に感心してしまった。(笑)
日本の景気回復の一つの手段として、若い人の給料を上げる事・・・という説には拙者も賛成である。
消費力の少ない高齢者より、若い人に多くの給料を支払うことの方が消費を拡大させることができる。
それによって、景気も回復するという。
しかし、現実にはなかなか難しいだろう。(笑)
少しでも安く作る為、人件費を減らしているのだから・・・
日本在住の外国人労働者では祖国への送金に使われるだけで消費は拡大しない。
更には海外へ工場を進出させているわけだから・・・
さて、さて、日本人の若者の給料を引き上げるなんて実際できるかどうか・・・
これが出来れば確かに景気は回復する可能性はあるとは思うが・・・
あとは、「経営者」の考え方次第だよなぁ~
特に「大企業」の経営者・・・・
我々中小企業の経営者より、大企業の経営者の物事の考え方で決まるよなぁ~

我が法人会からは、珍しく“シミズ広報委員長”が来ていたので、帰りは委員長の車に乗せてもらい帰宅する。
いやぁ~ありがたし!
感謝!感謝!

日記 | 17:47:33 | Comments(0)
「歩一の跡」碑
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歩兵第一聯隊 碑誌

當公園一帯は江戸時代長州藩毛利侯の下屋敷であった
明治7年歩兵第1聯隊がここに創設され以来67年間東京および近縣の郷土部隊として明治大正昭和に亘って駐屯しこの門をくぐった人々は夥しい数にのぼる
乃木将軍は第2代の聯隊長であった
ここに出身者有志相集って本碑を建てて永くその跡を留める

昭和38年秋

(碑文より)



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赤坂檜町(あかさかひのきちょう)

古くは今井村のうちでしたが、寛永(1624年~1644年)以後、萩(長州)藩毛利家、松江藩松平家、山家(やまや)藩谷家(たにけ)の屋敷地となり、幕末まで大きな変化はありませんでした。
萩藩毛利家屋敷は元治元年(1864年)、幕府と萩藩が対立したため、召し上げとなっています。
町の北部に麻布(あざぶ)今井町(いまいちょう)年貢町屋がありました。
これはかつての今井村の百姓家に由来すると思われ、承応3年(1654年)頃にはこの町屋が今井村と呼ばれ、中心的な位置をしめていたようです。
明治5年(1872年)、麻布今井町年貢町屋と武家地を合併して、「赤坂檜町」となりました。
町名は毛利家邸内に檜が多く、檜屋敷(ひのきやしき)と呼ばれていたことに由来します。
明治になって、町内の南東部三分の二は陸軍省用地となり東京鎮台(ちんだい)歩兵営がおかれ、後に歩兵第一連隊となりました。
西部は明治20年(1887年)頃は、空き地や畑だったようで、明治末頃までには大部分が住宅地となり、北東隅(すみ)には、わずかに商店がありました。
戦後は、歩兵第一連隊が進駐軍に接収されハーディバラックスという兵舎となりました。
昭和37年、アメリカから敷地が返還され、跡地には平成12年まで防衛庁が置かれていました。

(説明板より)


史跡 | 23:28:15 | Comments(0)
御観兵榎
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御観兵榎について

この外苑の敷地は、もと陸軍の青山練兵場で、明治天皇の御台臨のもとにしばしば観兵式が行われ、なかでも明治23年(1890)2月11日の憲法発布観兵式や、明治39年(1906)4月30日の日露戦役凱旋観兵式などは、特に盛大でありました。
聖徳記念絵画館の壁画「凱旋観兵式」(小林万吾画)にその時の様子が描かれており、当時の盛儀が偲ばれます。
明治天皇がご観兵される時は、いつもこの榎の西前方に御座所が設けられたので、この榎を「御観兵榎」と命名し永く保存しておりましたが、平成7年(1995)9月17日老令(樹齢200余年)の為台風12号余波の強風により倒木しました。
遺木の一部は聖徳記念絵画館内に名木「ひとつばたご」の遺木と共に保存されております。
平成8年(1996)1月、初代御観兵榎の自然実生木(推定樹齢60年)を苑内より移植し、「二代目御観兵榎」として植え継ぎました。

平成8年1月吉日 明治神宮外苑

「初代御観兵榎」
 にれ科えのき属、樹齢200余年と推定される。
           幹廻り、2.2メートル 高さ、9メートル 
           枝張り、16メートル
碑石 石材は伊豫(愛媛県) 青石、天然石
題字 東郷平八郎書
明治38年日本海海戦においてロシアバルチック艦隊を壊滅させた、当時の連合艦隊司令長官 東郷神社の祭神

(説明板より)


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史跡 | 18:10:50 | Comments(0)
「明治神宮外苑の記」碑
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明治神宮外苑の記

石碑の題字 「明治神宮外苑之記」
       明治神宮奉賛会 総裁 閑院宮載仁(ことひと)親王殿下の篆書(てんしょ)
撰文 明治神宮奉賛会 会長 徳川家達(いえさと)
石材 東北仙台産の板石
   高・地表4メートル 幅・1.8メートル 厚・0.36メートル

碑文の大意

明治45年(1912)7月30日に、明治天皇(第122代の天皇・今の天皇の曽祖父)、大正3年(1914)4月11日には、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)がお亡くなりになりました。
これを伝え聞いた国民の間から、御二方の御神霊をお祀りして、御遺徳を永遠に追慕し、敬仰(けいぎょう)申し上げたいという機運が高まり、その真心が実って、大正9年(1920)11月1日、代々木の地に、明治神宮の御創建となったのであります。
明治の時代は、日本の歴史を通じて、政治・経済・文化・スポーツ等の各方面において、驚くべき躍進を遂げ、近代国家としての基盤が確立されましたが、その原動力となられた明治天皇の偉大な御事蹟と御聖徳の数々を、永く後世に伝えたいものと、明治神宮外苑の造営が進められることになりました。
これがため、明治神宮奉賛会が設けられ、天皇が御在世中、しばしば陸軍観兵式を行わせられ、又、御葬儀がとり行われた旧青山練兵場の現在地に、皇室の御下賜金をはじめとして、ひろく全国民の献金と、真心のこもった労働奉仕により十余年の年月をかけて、大正15年(1926)10月に、明治神宮外苑は完成しました。
苑内には、天皇・皇后御二方の御一代の御事蹟を、有名画家が描いた80枚の大壁画が掲げられている白亜の殿堂、聖徳記念絵画館を中心に、野球場、競技場その他多くの優れた運動施設が設けられ、御仁徳をお偲びしつつ、青少年の心身鍛錬の場として、或は遊歩を楽しむ人々の憩いの苑として、崇高森厳(すうこうしんげん)の気漲(みなぎ)る内苑と相俟(ま)って造成されたもので、永く後世に残されるものであります。
外苑造成工事全く成り、奉賛会より明治神宮に奉献するに当り、事情の概要を記し、後の世の人々に伝えるものであります。

大正15年10月
明治神宮奉賛会 会長 徳川家達

(説明板より)


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史跡 | 16:22:23 | Comments(0)
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