■プロフィール

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
教習所
ここ何ヶ月も腰痛を理由に車を運転していない親父・・・・
久し振りに車を運転したいが、運転の仕方を忘れたと言う。
一時停止の時はN(ニュートラル)にギア―をいれるのかどうかで悩んだりする。
おい、おい・・・・
そこで、運転の練習をするから助手席に乗ってくれというのである。
危なくてそんなことできるか!
我が家の車は教習所の車とは違うのである。
助手席にブレーキペダルが付いていないのである。
「ブレーキ!ブレーキを踏め!!」と叫んでも、親父がブレーキを踏んでくれなけりゃどうしようもない。
親父の運転の車に同乗するなんて自殺行為である。
もういい加減、車の運転は諦めて、これからはタクシーを利用してくれるといいのだが・・・・
とにかく頑固。
言う事を聞かない。
「老いては子に従え」という言葉は親父の辞書にはない。
困った時だけ息子を頼りにする。
今まで何度繰り返したことか・・・
拙者の忠告を聞かず、強引にやった挙句大失敗・・・
「失敗したぁ~」を連発し、その後は、「お前の方で何とかしてくれ」・・・である。
無視すりゃ、「お前は冷たい奴だ」となじり、自分は被害者意識丸出しで騒ぎ立てる。
始末に負えぬ男である。
会社を廃業したのも実はこれが大元の理由である。
間違った判断ばかりする癖に権力の座から降りない、自分の判断ミスを反省しない、失敗の責任を転嫁する・・・・
ちょうど、取引先からいじめられていた時で、その対応でも間違った判断をしていたのである。
これでは会社は倒産しかねないので、拙者が強引に廃業に持ち込んだのである。

今回のことも同様である。
だいたい、判断力と記憶力が衰えているにもかかわらず車を運転すると言う。
もし万が一、人を轢いたらどうする気なんだろうか?
「いやぁ~失敗したぁ~」では済まされないのであるが、何度言っても言う事を聞かない。
「バカは死ななきゃ直らない」そのものである。
というわけで・・・どうしてもと言うなら・・・と、教習所へ連れて行った。
ここでペーパードライバーのための「自由教習」を受けさせる。
4時間のコースで、1日に2時間しか車には乗れない。
早速、構内を1時間走り、その後、路上を1時間走る。
本人は「感覚を取り戻した」とご満悦の様子。
残り2時間は・・・・受ける必要はないと言う。
折角なんだから明日も2時間運転してみたら・・・と言っても言う事を聞かない。
仕方がないので次回の予約は行なわず、今日の2時間で「自由教習」は終了ということにしてもらった。
2万1000円も払ったのに・・・もったいない・・・

親父が教習中、拙者は読書をして待つ・・・・
しかし、教習所も暇である。
生徒がほとんどいない。
閑散としている。
これでやっていけるのだろうかと思うほどだが・・・
ちょうどシーズンオフの時期なのかも・・・・
やっぱり、高校生などの学生の卒業時期である春休みがシーズンなのかな?

教習所の帰り・・・・
「俺が運転しようか?」と調子に乗った親父に言われたが拒否!
まだ死にとうないわい!
変に自信を付けてしまった親父・・・・
「あとは野となれ山となれ」・・・である。
“半ボケ老人”を抱えると本当に大変である。

スポンサーサイト
日記 | 00:00:08 | Comments(0)
ルソンの霧
ルソンの霧―見習士官敗残記 (1971年)ルソンの霧―見習士官敗残記 (1971年)
(1971)
石田 徳

商品詳細を見る


遭難

マニラ

北上・南下

前線へ

戦闘

対峙

山中彷徨

敗戦を知る

屈辱

故国へ

筆者は熊本の予備士官学校の士官候補生・・・・
卒業を待たず南方総軍へ配属されフィリピンへ送られる。
彼ら士官候補生は小隊長要員・・・・
卒業まで待っていたのでは、南方の戦場への輸送が出来なくなるからだったという。
小隊長は通常、部下約50人を指揮して戦うが、敵弾に当たる確率も一番大きかった。
このため多くの小隊長要員が必要とされたわけである。
つまりは“消耗品”である。
戦局が悪化して、果たして無事にたどり着けるか分からないフィリピンンへ“未完成”の彼らを送るというのだからひどい話である。
フィリピンでは第14方面軍の教育隊に配属となる。
山下奉文司令官直属の“虎の子”として、ルソン島北部の山岳地帯で戦うことになる。
ウグ山で捜索第16連隊の指揮下に入り闘うが、その後は“お決まり”の山岳地帯の彷徨である。
本書は北部ルソンで戦った一見習士官の体験記である。



今年の読書:46冊目




読書 | 10:32:12 | Comments(0)
万死に値する罪である
厚生労働省の文書偽造事件で、被告から押収したフロッピーディスクのデータを捜査に有利な内容に改ざんしたとして、証拠隠滅の疑いで、大阪地検特捜部の主任検事・前田恒彦を最高検察庁が逮捕した。
まさかの証拠の改ざん・・・・
あってはならぬことである。
これがまかり通れば、どんな証拠も訴追側である検察の有利な証拠に「でっち上げ」る事が出来るのだから、どいつもこいつも有罪になってしまう。
いやぁ~とんでもないことをしてくれたものである。
大阪地検の特捜部の「エース」、「エリート」と呼ばれる43歳・・・・
ハッキリ言って、馬鹿である。
「間違って改ざんしてしまった」と言っているようだが・・・
改ざんした理由が「間違って」のわけがあるまい。
そういう時だけエリートから凡人になってしまうという、そういう根性が気に入らぬ。
エリートが、こんな初歩的なミスを犯すわけはないのである。
だから、エリートと呼ばれるんじゃないか?
今日、昨日、検事になった新人とは違うだろう?

「あいた口がふさがらない」とはまさしくこの事だが・・・・
そういう言葉で済ませてしまってはいけない。
これは検察の根幹を揺るがす大事件である。
万死に値する罪を犯したのである。
「証拠隠滅」などと軽々しく扱われては困る。
まさしくこれは「国家反逆罪」である。
死刑になってもいいくらいの罪である。

これからが大変である。
今までの裁判は大丈夫だったのだろうか?
えん罪があるのではないか?
これからの裁判では検察側のやることは全て信用されなくなるのではないか?
厳罰に処されていい者が厳罰に処されなくなるかもしれない・・・
アホ建築士の姉歯事件以来の、「その職業」「その資格」自体の信用性を根底から揺るがす大事件である。

太平洋戦争時にも「エリート」と呼ばれた「参謀たち」がどれほど多くの愚かな判断、命令を下したか。
そもそも「エリート」なんていう言葉で呼ばれるようになったら危ないと思うべきである。
彼等参謀の愚かな判断のため、多くの兵士が無駄に命を失ったのである。
エリートではない「ド素人」ですら立てないようなお粗末な作戦や計画を立てて・・・
そして彼らの多くは戦後、その罪を問われることもなく余生を送ったのである。
「エリート」ほど信用できないものはないと私は思っている。
まともな人は「エリート」とは呼ばれない人に多いと私は思っている。
今回の件も同様・・・・
やっぱりねぇ~・・・・である。
43歳になっても善悪の区別がつかない者を「エリート」と呼んでいいのだろうか?
死んで詫びを入れてもらうしかないな・・・これは・・・

エッセイ | 20:30:28 | Comments(0)
ビルマ軍医戦記
ビルマ軍医戦記―地獄の戦場 狼兵団の戦い (光人社NF文庫)ビルマ軍医戦記―地獄の戦場 狼兵団の戦い (光人社NF文庫)
(2005/03)
三島 四郎

商品詳細を見る


プロローグ~白骨街道

第1章 赤紙が来た日
故郷からの旅立ち
雪の日の惨劇
二等兵の次の位
兵隊検査
軍医予備員
応召
見習士官の入営

第2章 魔のバシー海峡
灼熱の船倉で
月夜の甲板
台湾の蟻
高雄出港
サンフェルナンド
マニラ出港
シンガポール

第3章 インパールの落武者
泰緬鉄道
「椰子憲兵だ!」
鉄道の分岐点
モールメンの炎
ペグー兵站宿舎
チャウタンの杜陰にて
ペグー進出前夜

第4章 軍医の宣撫工作
野戦病院開設
ピー屋の往診
ビルマ独立の歌
日の丸食堂
適性の美女

第5章 修羅の日々
診療また診療
槍の実地練習
白木の墓標
黄金のパゴダ
敵情偵察
司令官の逃亡

第6章 運命の選択
闇のラングーン街道
ワウ渡河点
初めての野営
転進の毎日
ビリンという町
飛び交う蛍
南方の風物詩

第7章 濁流滔々の河
ふたたびピリンへ
工兵隊への転属
夢のような大作戦
乾期は平原、雨期は沼
保身の術
俺もただの人
鞭を振る憲兵

第8章 炎の中の青春
原隊復帰
綺麗な見習士官
兵士たちの証言
患者護送
倒れる一歩手前
旗を焼く煙



今年の読書:45冊目



読書 | 12:31:26 | Comments(0)
横須賀海軍航空隊始末記
横須賀海軍航空隊始末記―医務科員の見た海軍航空のメッカ (光人社NF文庫)横須賀海軍航空隊始末記―医務科員の見た海軍航空のメッカ (光人社NF文庫)
(2002/12)
神田 恭一

商品詳細を見る


第1章 海軍航空の中枢へ
北村少尉、零戦に死す
あこがれの隊門
医務科分隊の素顔
第一救助隊用意!
一式陸攻よ眠れ

第2章 衛生兵曹の気概
新品下士官の真情
巨艦「武蔵」に想う
九九艦爆に祈りを

第3章 戦勢傾くなかで
志願兵徴募の旅
除倦覚醒剤ヒロポン
墜落炎上事故の夜

第4章 戦友逝く
予防注射の明暗
索敵飛行も空しく
焦燥感のゆえに
堀越兵曹かえらず

第5章 決戦に備えて
泣き笑い病室日記
高野飛曹長も特攻へ
搭乗員たちの返礼
霞ヶ浦分遣隊
飛行船兵舎の怪

第6章 搭乗員を救え
変貌する航空隊
荒れくるう海を
三宅島救難作業
かさなった不運

第7章 防空戦闘の日々
いたましき錯誤
漂着遺体のふしぎ
予備学生もまた
予科練の高熱病

第8章 空襲警報のもと
病室も大地下壕へ
執拗なるグラマン
偽病薬イタミン
犬塚大尉、秋水に殉ず
不可解なる雰囲気

第9章 伝統消ゆ
8月15日の衝撃
陸軍機遭難の周辺
残留要員の憂鬱
索漠たる焼け野原
わが横空との決別



今年の読書:44冊目



読書 | 11:42:32 | Comments(0)
パラオを去る
午前1時過ぎの飛行機で帰国の途につく。
夜、チェックアウト・・・・・
荷物を持ってホテルのロビーに行ったら、ある日本人グループの人間が何か大声で騒いでいる。
どうも東北地方の某テレビ局の人間らしい。(・・・という噂で、本人達に確認したわけではない)
どうやらスタッフの一人が仕事上でミスを犯したらしい。
それを上司が怒鳴りつけている。(上司と言っても拙者より年下に見えるが・・・)
その小言がしつこいのである。
ホテルのロビーで、他にも客がいるというのに・・・大声で・・・ネチネチと・・・・
まぁ~どう見ても“イジメ“にしか見えない・・・・
聞いているこちらが胸くそが悪くなるくらいである。
いい加減にしろ!・・・と怒鳴りたくなったが・・・・我慢、我慢・・・・
団長以下、仲間達に迷惑をかけられない。
これが一人旅だったら、何とでもなるのだが・・・・

送迎車に乗って空港へ・・・・
他のツアー客と一緒の大型観光バスである。
空港に酋長の親戚の家族が見送りに来てくれていた!
いやぁ~嬉しいものである。
更に、少し遅れて、“ジョン上級曹長”のグループも到着。
「おお!又会いましたね~同じ飛行機なのかな?」と言われる。
彼等はグアムで乗り換えてアメリカ本土へ・・・・
我々はグアムで乗り換えて日本へ向かう。
「グアムまで一緒ですね」

搭乗口で待っている間、ジョンさんたちのグループに顔を出し挨拶。
元第1海兵師団の衛生兵だった“おじいちゃん”に、「どうか体に気をつけて長生きして下さい」と片言英語で話しかけたら・・・・反応がない!
あれ?通じない・・・・ん?文法を間違えたか?単語を間違えたか?
ドドッと冷や汗!
すると、隣りに座っていた人が“おじいさん”の耳元で、拙者が言った言葉を繰り返してくれた。
おお!拙者の英語は間違っていなかったようである!
どうやら耳が遠くて聞こえなかっただけらしい。(笑)
「おお!ありがとう!」と元衛生兵は答えてくれた。
わずか、これだけの“ふれあい”だが・・・とてつもなく嬉しい。

帰りの飛行機は、来る時と同じで、途中のヤップ島を経由する。
またもや機内のセキュリティ・チェックである。
今回は我々は機内に残るグループだったので、どんなチェックをするのか見てみた。

DSC07334_convert_20101202111746.jpg

たいしたチェックをしているわけではなさそうである。
う~ん・・・・どうなんだろう・・・・・これ・・・(笑)
時間の無駄なような気がしないでもないが・・・

来た時と同様に、グアムで乗り換え・・・・午前10時ごろ成田に到着。
スーツケースをガラガラと転がして家に帰るのも面倒だ。(笑)
空港の宅配便を使って、スーツケースだけ送ってみることにする。
海外には何度も行っているが、宅配便を使って自宅にスーツケースを送るというのは初めてである。(笑)
結構、便利なものである。
手荷物一つのいうのは身軽でいい!
ならば・・・・ということで・・・・
靖国神社にお参りに行くことにした。
靖国の英霊に旅の報告をしてから帰宅する。

旅行 | 10:50:10 | Comments(0)
コロール島(5)
「ドーナッツ屋」さんの脇の道の坂を真っすぐ下りて行ってみる。
多分・・・この方向に海があると思うのだ。
地図なんかないから勘だけに頼る。

まもなく、海岸に出る。
船着き場のような場所があり、その先は行き止まり。

DSC_1836_convert_20101201144826.jpg

先の方を見ると・・・おや?
海の向こうに見えるのは・・・どこかで見たことのある景色・・・・
昨日訪れた「Tドック」ではないか?
な~んとなく位置関係がわかってきたぞ・・・

DSC_1837_convert_20101201145153.jpg

近くの民家の軒下に座っていた人のよさそうな“おばさん”に挨拶。
「この“はしけ”は昔、日本軍が使っていたものではないですか?知りませんか?」
「これは、最近、コンクリートで整備されたんだよ~昔は石だけでひどかったけど綺麗になったんですよ~日本軍のじゃないですよ~」
「え~と・・・そうじゃなくて、このコンクリートは最近でしょ?その下!この下の部分は昔のですよね?」
「そう、昔のものの上にコンクリートが乗ったの」
「その昔の部分は戦時中のものではないですか?」
「そう、このコンクリートの下の部分は戦争の時だから・・・日本軍のだと思いますよ~」
おお、やっぱりそうか・・・勘が当ったぞ。(笑)
「戦時中の歴史を調べているんだ」と話したら、この“おばちゃん”にも感心された。(笑)
すぐ側はマングローブの林である。
戦時中も今と同じようにマングローブがあったのなら、舟艇の秘匿基地としてうってつけだったのではないか?
近くには「Tドック」もあるし・・・・

この“おばちゃん“の隣りに目つきの悪い腕にイレズミをいれた、どこから見てもヤクザにしか見えない(笑)“おっさん”が座っていた。
この人のよさそうな“おばさん”の御主人なのだろうか?
ハッキリ言って・・・不釣り合いである。(笑)
この“おっさん”が何か言いだしたのだが・・・全く聞きとれない!
何度も聞き直して、ようやくわかったのは・・・ワニ!(笑)
ワニがどうとかこうとか言っているのだが・・・何だろ?
身振り手振りで写真を撮れと言う。
仕方がない・・・逆らうと怖そうなので、ワニのいる場所まで連れて行ってもらい、写したくもないワニの写真を撮る。(大笑)

DSC07325_convert_20101201152442.jpg(ワニ!)

人のよさそうな“おばさん”と、怖い“おっさん”に挨拶して立ち去る。
“おっさん”は何か延々とワニの自慢話らしいことを言っているが・・・何を言っているのかはわからない。(笑)

近くの集落の中を通りながら戦跡らしきものを捜したが・・・・何もなし。

しばらく歩くと・・・日本の神社にあるような「灯篭」を見つけた。
何でこんなところにポツンと1基だけ建っているのだろう?

DSC_1846_convert_20101201163132.jpg

更に歩くと・・・
昨日訪れた博物館に辿り着いた。
ほぉ~・・・ホテルからそれほど遠くないところにあっったんだ~
方向音痴でも、だんだん地理がわかってきたぞ・・・(笑)

DSC_1847_convert_20101201163620.jpg(博物館)

暑くて溜まらん!!
途中のお店でミネラルウォーターを買って、教会の前にある東屋で休憩!
この教会のある場所に古いコンクリート製の階段があったので、もしかしてこの階段は日本統治時代の遺跡かも・・・などと思ったりする。
こうやってベンチに座って一人、ボケェ~とするのもいいものである。

DSC_1851_convert_20101201165139.jpg(教会の前)

更にどんどん歩く・・・・(笑)
洒落た建物が見えてきた。
何だろうと思ったら高校だった。(笑)
この高校の名前・・・「Mindszenty」高校というらしいが・・・この名前、どう発音するんだろう?(笑)
「マインズゼンティー・ハイスクール」でいいのかなぁ?
緩やかな坂道を登り、さすがに疲れてきた。
この先は、これといって何もないかも・・・・
時刻は2時半・・・・
ここでUターンしてホテルに戻ることにする。

DSC_1853_convert_20101201173738.jpg(高校)

ブラブラ・・・と30分ほど歩いてホテルに到着!
う~ん・・・今日は、いい運動をしたぞ~!
暑かったけど・・・気持ちがいい。

DSC_1862_convert_20101201174015.jpg(ホテル)

ホテル到着後・・・暇である!(笑)
地下にあるスポーツジムへ行きマッサージを受けることにする。
マッサージ嬢は中国人の若い女の子だった。
どこから来たのかと訊くので日本だと答えたら驚かれた。
「英語が上手なので日本人ではないと思った」と言う。(笑)
発音が綺麗な英語を話すと、やたらと誉められる。
おかしい・・・拙者は英語が大の苦手なのに・・・・(笑)
やたらと“ヨイショ”されたが・・・悪い気はしないものである。
お世辞だとわかっていても嬉しいものである。(大笑)
拙者は結構、単純な男である・・・・(笑)
気分よくマッサージをしてもらい・・・・気分爽快!
今日は充実した一日であった。
満足、満足。

夕方、団長たちが戻ってきた。
今晩の夕食は、現地旅行社の社長の案内で、先日昼食を食べたところと同じレストランへ行く。

旅行 | 17:40:25 | Comments(0)
コロール島(4)
Uターンして、キョロキョロと戦争遺跡がないかどうかを捜しながら歩く・・・
と・・・ある民家の基礎部分が目に入った。
コンクリートでできているが・・・これは戦時中の遺物だろうか?
結構、当時のものの上に家を建ててしまうということはよくあることである。
コンクリートのトーチカの上に家を建てれば家の基礎は完璧!(笑)
これも、それと同類か?

DSC_1806_convert_20101201101915.jpg DSC_1807_convert_20101201102143.jpg

裁判所の近くまで戻ってきたら、更にコンクリートの建造物を発見。
こういうのは車に乗っていたのでは見つけられない。
やはり自分の足で歩かねば・・・・
どうも地下壕の出入り口のようである。
出入り口は閉鎖されているが、位置からいって道路の下を通って裁判所(旧南洋庁庁舎)の地下に繋がっているのではあるまいか?

DSC_1810_convert_20101201102812.jpg

「パラオ高校」で、用務員の“おばさん”みたいな人がいたので、この近くに戦時中の日本軍の遺物がないかどうか尋ねてみたら、何もないという。
校門は昔の日本統治時代のものらしいとのこと。
それ以外は無いという。
で・・・敷地内の立ち入りの許可を得て敷地内を歩いてみたら・・・あった!
どうも日本人のお墓らしい。
それにしても学校の中にド~ンと残っているというのも面白い。

DSC_1816_convert_20101201103710.jpg

墓石の文字はほとんど欠けていて読めないのだが・・・・
多分・・・「従三位勲三等 横田郷助○○」と読める。
戦前か、戦中か、昔、ここに住んでいた人なんだろうなぁ~
従三位勲三等・・・って書いてあるんだから偉い人だったんだろうなぁ~
何をした人なんだろう?
一礼してお参りとする。

DSC_1823_convert_20101201104317.jpg

確かに“おばちゃん”の言うように、校門は日本風な気がする。(笑)
更に歩くと・・・「パラオ・コミュニティ・カレッジ」(パラオ短期大学)のところに銅像を発見!
パラオには「ユニバーシティ」(大学)はない。
短大までしかないので、酋長の親戚の娘は日本の大学に留学したいと言っていた。
この銅像は・・・誰だろう?
「プリンス」って書いてあるから・・・王子様?(笑)

DSC_1829_convert_20101201105239.jpg

さすがに暑い!
腕が焼けてヒリヒリ痛むので、木陰に入り、ミネラルウォーターを飲みながら休憩。
こんなに暑いのなら長袖を着ておくべきだったと後悔。

拙者が宿泊しているホテルの所まで来た。
時刻は午後1時を過ぎた・・・・
腹は減ったが・・・何を食べたいという気もない。
ホテルの裏の「ドーナッツ屋」さんに入ることにした。
で・・・ドーナッツとコーヒーを頼む。
お店の“おばちゃん”が何か説明してくれたのだが、よくわからない。
どうも「セット」のことを話しているようで・・・何度か聞いてようやく解った。
ドーナッツ2個とコーヒーのセットが得だとういうことらしい。
しかし、拙者はドーナッツは1個だけ食べれば十分なのである。(笑)
「セットの方がお得ですけど・・・」
「ドーナッツは1個でいいんだ」
「じゃぁ、1個食べて、1個はホテルに持って帰ったら?」
う~ん・・・まだまだ歩き続けるので、ドーナッツを持って歩きたくはない・・・(笑)
「セットじゃなくていいから、ドーナッツ1個とコーヒーね」
“おばちゃん”から怪訝な顔で言われてしまった。
「ドーナッツ1個とコーヒーじゃ高いんだけどねぇ~」

DSC07324_convert_20101201133331.jpg DSC07323_convert_20101201133528.jpg

食後、お店の目の前の建物について“おばちゃん”に尋ねてみた。
昨晩、食事の帰りにこのあたりを歩いた時、“カゲヤマ団長“が、この建物は日本統治時代の料亭の跡だと言っていたからだ。
しかし、“おばちゃん”は日本には関係のない建物だという。
昔、映画館だった建物だという。
そういわれれば、料亭というより映画館という感じである。

DSC_1752_convert_20101201134328.jpg

昔、日本の料亭があった跡に、戦後、映画館を建てたということなんだろう。
他に日本軍に関するものが何か残っていないか尋ねたら、「ペリリュー島には行ったか?」と言われた。
日本軍といえばペリリュー島・・・ということで有名なのだろう。
このあたりには何も残っていないという。
拙者が戦跡を調査して歩いていると話したら、やたらと感心されてしまった。(笑)
ついつい調子に乗って世間話・・・・(笑)
最初は怪訝そうな顔をしていた“おばちゃん”は店を出るときはニコニコして送り出してくれた。

さて・・・ここから今度は海の方へ向かってみるか・・・

旅行 | 16:10:08 | Comments(2)
コロール島(3)
今日は橋を渡って、パラオで一番大きい島・・・「バベルダオブ島」の北端までドライブするという。
ゲゲッ・・・・
あの昨日の運転を見ていたら、とてもじゃないが一緒に車に乗る気は起らない。(笑)
とてもじゃないが、命を預けたくはない・・・(大笑)
団長たちは何度もここに来ているが、拙者は初めてである。
コロール島を少し歩きまわりたい。
ということで・・・今日は皆さんと別行動をさせて頂くことにする。

ドライブに出発する皆さんを見送った後、ホテルを出発!
一人でテクテクと徒歩で散策!!
ホテルの目の前がコロール島のメイン道路なので、この道路沿いをまずは延々と歩いてみようか・・・と歩きだす。
球場の近くに日本軍の特二式内火艇が置いてあるとのことなので、まずは、そこを目標とする。
球場は消防署の近くにあるとのこと。

DSC_1755_convert_20101129164248.jpg DSC_1756_convert_20101129164851.jpg

消防署と警察署が同じ場所にあった。
消防車もパトカーも日本製の車輛だった。
で・・・この奥の方に戦車があるらしい・・・・
ポツンと“放置”された感じで特二式内火艇が置かれてあった。
その近くを散策したら、どうも地下壕らしきコンクリート製の半地下建造物がいくつかあった。

DSC_1763_convert_20101129165803.jpg(特二式内火艇)

DSC_1782_convert_20101129172943.jpg

すぐ近くには貯水槽らしきコンクリートの円柱の建造物もある。
どうも民家の目の前なので、念のため住民に許可を得ようと思ったら、小学生の少年が一人しかいない。
彼に敷地内に立ち入っていいか、写真を撮っていいかを尋ねてOKをもらう。
小学生に許可をもらうというのもおかしな話だが、無断で立ち入るよりはいいだろう。

DSC_1788_convert_20101129174121.jpg

近くの東屋で休憩。
先ほどの少年と、近所の青年がやって来て拙者の横に座るが・・・・何も言わない。
なにが面白くて拙者の隣りに座っているのだろう?(笑)
「歳はいくつだ?」と話しかけたら、流暢な英語でペラペラしゃべりだした!
話しかけたこっちがシドロモドロである。(笑)
学校で習ったパラオの歴史について話をしてくれるのだが・・・わからねぇ~
しまったぁ~
昨日訪れた博物館で、ちゃんと見学していれば少しはパラオの歴史について知識を得ていただろうに・・・
ろくに見学もせず、さっさと出てきてしまったツケをここで払わねばならなくなった。(笑)
で・・・さらに少年の話しは続く・・・・

「学校をサボって友達と2人で昼寝をした場所がある。涼しくて気持ちのいい場所なんだ。日本軍のもので、コンクリートでできている。案内しようか?」
「あそこにある奴だろ?見たよ」
「中に入って見たのか?」
「中には入ってない」
「案内しようか?涼しくて気持ちいいよ」
う~ん・・・服が汚れそうなのでやめよう・・・(笑)
「いや、案内してくれなくていいよ」
「案内したいんだけど・・・」
「いや、結構だ、案内しなくていい」(笑)

「僕の部屋は夜になると時々ガタガタって揺れるんだ」
「揺れるのか?ガタガタって?」
「そう、突然、揺れるんだ!」
へぇ~何だろ・・・それ・・・
「仕方がないんだよね。僕の家は昔日本軍の病院があった場所なんだ」
「へぇ?日本軍の病院?君の家が?」
「そう、だから夜に揺れても仕方がないんだよね~日本の兵隊がたくさん来て揺らすんだと思う」
オイ、オイ・・・・
いやにあっさりと言うじゃねぇかぁ~(笑)
それ・・・怖いだろ~
え?幽霊が出るってこと????
本人はケロッとして言うんだから驚く。(笑)

もうひとりの青年は、拙者への質問攻めである。
「何時来たのか?」「何しに来たのか?」「ペリリュー島には行ったか?」「今度、日本軍のいた場所に車で案内してやる」等々・・・・
で・・・「お前は軍人か?」である。(笑)
どこへ行っても、この質問はよくされる。
どうも拙者は軍人に見えるらしい。
祖父の血を引いているからかなぁ~

話は30分以上も続いた・・・・
いやはや英会話はもうたくさんである。(大笑)
そろそろ立ち去ろうとしたら・・・・
「あれは、お前の仲間か?」と青年が指さした。
・・・と、その方向を見たら・・・ワゴン車からアメリカ人たちが降りてきた。
ありゃ!ペリリュー島で会ったジョン上級曹長のグループではないか!
「おお!友達だ!アメリカの元海兵隊の連中だよ」
今度はいつ来るんだと聞くので、多分来年・・・と答える。
来年来たら、またここに来るから、ここで会おう・・・ということで別れを告げる。

で・・・今度はジョン上級曹長へご挨拶。
「お~い!ジョンさん!」
「あれ~何でここにいるの?一人?」
「そう、一人で散歩!」
他の参加者達からも、「又会ったねぇ~!」と声をかけられる。
英会話から逃げようと思ったのに・・・また英語を話さねばならんのか・・・(トホホ・・・である)
拙者は3分間以上英語会話をすると“カラータイマー”が点滅するのである。(ウルトラマンか?)
早く逃げ出さねば!・・・・ということで、みんなに別れを告げる。(大笑)

道に沿って歩く・・・・
この道路の脇に「日の丸」が描かれた記念碑のようなものが建っていた。
この道路が日本の援助で整備された道路であることを示しているらしい。

DSC07315_convert_20101129192458.jpg

教育省(文部省)の建物の前には、台湾がこの建物の太陽光発電システムの援助をしたという大きな看板が建っていた。
パラオに対して台湾はかなり経済援助をしているらしい。
話によると、パラオは台湾を一つの国として認めているからだとか・・・
その御礼で・・・ということなのだろうか?

DSC_1796_convert_20101129193745.jpg(教育省)

更に歩く・・・・
ちょっと目立つ白い建物が見えてきた。
この建物は、日本が統治していた時の「南洋庁」の庁舎。
現在は裁判所として使われている。
残念ながら、今日はお休みのようでドアが閉まっていた。
内部が見られるものなら見てみたかったなぁ~
こういうデザインの建物ってなぜだか好きなんだよなぁ~(笑)

DSC_1798_convert_20101129200226.jpg(旧・南洋庁庁舎)


より大きな地図で 旧・南洋庁庁舎 を表示


更に歩く途中で、近所の犬が吠えながら飛び出してきた!
ギョェ~!!
危うく足をかまれそうになる。
心臓が止まりそうなほどビックリしたぞぉ!
この野郎!俺様に吠えるとはいい度胸だ!・・・と・・・拙者も犬に吠える。
誰か他の人が見たら馬鹿だと思っただろう。(大笑)
なんとか無事に猛犬の攻撃をかわし先に進む。
が・・・時刻はまもなく12時・・・・
しかし、周囲には食事が出来そうな場所がない!
う~ん・・・戻るかぁ~

DSC_1803_convert_20101129201156.jpg

道路を渡り、反対側に出て、今度は反対車線側の歩道を元来た方向へ戻ることにした。

旅行 | 15:46:35 | Comments(0)
コロール島(2)
島内を“カゲヤマ団長”の運転で走り回るのだが・・・・
ここで一つの問題がある。
それは、団長は運転しながら何かを見つけると、すぐにその場でブレーキを踏んで車を停めるのである。(笑)
アメリカ大使館前・・・・
門に何か書いてある・・・
「ありゃぁ、何だ?何て書いてあるんだ?」と急停車!
後続の車に追突されそうになる。
後部座席に乗っているのは拙者と“ヤナギサワさん”・・・・
追突されて真っ先に被害を受けるのは我々である。
しかも、大使館の門の真ん前に急停車したのだから、警備員が注目するのは当然!
「出して!車を早く出して!行って!行って!」と拙者。
「李下に冠を正さず」という言葉を知らないのだろうか?(笑)
今月は9月である・・・・
あの“9・11”のテロがあった時期である。
当然、どこの国のアメリカ大使館も神経をとがらせるであろう時期ではあるまいか?
そういう時に、大使館の真ん前に4人乗りの車が急停車したら・・・・どんな誤解を受けるかわかったもんじゃない!
「大使館の門の真ん前に車を停めちゃ駄目ですよ!」
「ふ~ん・・・で・・・なんて書いてあったの?」
「中に入る時は身分証明書を提示してくれって書いてあっただけです!」
「あ・・・そう・・・」

しばらく走って・・・・またもや急停車!
後ろを振り返ったら・・・トレーラーがクラクションを鳴らして突っ込んでくる!!!
ギョェ~!!!
「出して!止まらないで!早く出して!早く!早く!」
しかし、解っているのか解っていないのか・・・団長は悠然としている・・・
「う~ん・・・あれは何だ?」・・・と、よそ見をしているのである。
スレスレでトレーラーがかわしてくれた。
ペリリュー島では滅多に車が走っていないからいいが、ここコロール島ではそれなりに車が走っているのである。
しかし・・・こんな調子の運転を日本でもしているのだろうか?
恐るべし・・・団長・・・・
寿命が10年どころじゃない、20年は縮まったぞ~!

次に向かったところは、日本軍の戦車などが置いてある場所だという。
その場所に行ったら・・・あった!
特二式内火艇と呼ばれる日本軍の水陸両用戦車。
建物の残骸は、どうも日本軍の通信施設だったらしい。
奥の方にも25ミリ対空機銃などもあるようである。
さっそく車から降りて写真を撮っていたら、敷地の奥から現地人がやって来て何やら文句を言っている。
話を聞いたら、無断立ち入り禁止だそうで、写真撮影も禁止だという。
「看板に書いてあるだろう!」と言われて、ようやく気がついた。
「オ~!アイムソ~リー!」

DSC_1690_convert_20101127120905.jpg

話によると、入場券が必要とのこと。
その券は空港内で買うんだという・・・・
そんなアホな・・・
ここからわざわざ空港まで行ってなどいられない。
カメラを取り上げられるんじゃないかという剣幕だったが事なきを得た。
じゃぁ、帰ろうということで退散。
団長の話によれば、以前は、お金なんか取られることもなく無料で自由に見学できたという。

次に向かったのは、ペリリュー島へ増援部隊を送る時に出発した場所だという。
ちょうど橋が架かっているあたりから出発したのではないかという。

DSC_1703_convert_20101127122014.jpg DSC_1702_convert_20101127122225.jpg

周囲を散策してみたが、これといった戦跡はない。
地形的に1000名ほどが集まって出陣できなくはない広さの場所ではある。
また、すぐ脇は入り江になって船を留める事が出来る地形・・・・
ここなら大発に乗りこんで・・・ということは可能だろう。
ここが出発地だという証拠は何も残っていないが、「推定」出発地としていいだろう。

次に「エピソン博物館」を見学する。
日本で言うところの郷土博物館といったところだろうか。
戦時中のことに関する展示も僅かだがあった。

DSC_1723_convert_20101127123730.jpg DSC_1716_convert_20101127163425.jpg

それほど大きな博物館なので、あっという間に見学は終了。
2階はミュージアムショップになっていたので、そこで本を買う。
ペリリュー戦に関する本が欲しかったが、残念ながら置いてはなかった。
そういう本は発刊されていないのだろうか?
取りあえず、戦時中の事が少し書かれているように思える(英語なのでよくわからないが・・・笑)本を買うことにした。
で・・・団長と“ヤナギサワさん”は何が面白いのか、じっくりと見学しているらしく展示場にいる。
拙者は外に一旦出てタバコを吸う。
“シラカタさん”は、興味がないということで先にホテルに徒歩で向かったらしい。
この地方の民族(民俗)や文化とかには全く興味のない拙者にとっては10分も見れば終わってしまうような内容なのだが・・・
団長一行は、なかなか博物館から出てこない。(笑)
不思議なことに団長は時間には几帳面で、5時にならないとホテルには行こうとはしないらしい。
早めにホテルにチェックインしてもいいと思うのだが・・・・
それまで時間を潰す気らしい。
1時間近く粘って、ようやく移動ということになった。
待つのも大変である。(笑)

と・・・突然、思いついたらしく「T(ティー)ドック」へ行こう」と団長が言う。
Tドックってなんだろ?
行ってみたら波止場のような場所。
日本海軍が使用していたらしく、「海軍が作ったプール」と言われているものがあった。

DSC_1727_convert_20101127191655.jpg

ここは日本海軍の水上機基地だと団長が話していたが、地元の青年に尋ねてみたら、水上機基地ではないという。
まぁ、どちらが正しいかはわからないが、いずれにせよ日本軍がいた場所であることは確からしい。
ここを見学後、ホテルに向かいチェックイン。

今晩の夕食は市内にある日本レストランで・・・・
お世話になっている地元の人を招いての食事会だという。
どうもペリリュー島の酋長の弟さん家族らしい。
会話は当然、全て英語なので大変である。(笑)
“カゲヤマ団長”の通訳は、“シラカタさん”が当ったが、大変である。
とにかく言いたいことを言うのは構わないが、「おい、通訳しろ」であるから、難しい日本語を使われたのでは、英語に訳せない。(笑)
いやはやご苦労様である。

夕食のメニューは各自好きなもの・・・というので、拙者はカツ丼を頼んだ。
まさかパラオでカツ丼が食べられるとは思ってもみなかった!(笑)

DSC07281_convert_20101127192930.jpg

お招きしたご家族はお父さん、お母さん、娘さん2人の4名。
本来は夕食会であるから、定食か何かにすればいいのだろうが・・・・拙者は・・・どんぶり!(笑)
拙者がカツ丼が好物だと話したら、お父さんが「私も好物なんですよ」とのこと。
ここから話が弾んじゃった!(笑)
上の娘さんはワゴン車を運転して港まで迎えに来てくれた方。
下の娘さんは高校生とのことで、将来は日本に留学したいとのこと。
ならば、是非、我が母校へ来給え!・・・・という話で、この子とも話が盛り上がった。
結構、何とかかんとか英語が通じたので助かったが・・・
やっぱり勉強不足は否めないなぁ~(涙)

お父さんからは、今度拙者が一人でパラオに来ることがあっても、家族でサポートしてやるから安心しろと言われる。
いやぁ~ありがたいお言葉である。
恐縮、恐縮。

旅行 | 14:42:32 | Comments(0)
コロール島(1)
午前、ホテルをチェックアウトして、迎えのバンに乗り港に向かう。
まもなく、チャーターしたボートがやってきた!

DSC_1600_convert_20101126121007.jpg

DSC_1609_convert_20101126121420.jpg
(さらば!ペリリュー島!)

途中、船上から海岸砲を見学する。

DSC_1623_convert_20101126121940.jpg

ペリリュー島を出発して1時間で到着・・・・
が・・・出発した時とは違う港に入った・・・
ん?ここはどこ???
コロール島の隣りのマラカル島ではないかと思う。
パラオ本島の島々は橋でつながっているので、1つの島かと勘違いを起こしやすい。

DSC_1630_convert_20101126122535.jpg

迎えの車は、ペリリュー島のオバック酋長の一族の娘さんらしい。
らしい・・・というのは、正式に詳しく紹介されなかったので、よくわからないのだ。
団長や“シラカタさん”はよく御存じの方らしい。
ということは・・・旅行社のスタッフというわけではないということか・・・?
長年の交流で個人的にサポートしてくれているという感じなのかな?(笑)
よくわからんが・・・

レストランで昼食。
ここの料理はボリュームがありすぎるのである。
一人、一品でも多すぎるというボリュームである。
それぞれ一品づつ頼んで分け合って食べる。

DSC07275_convert_20101126123516.jpg(昼食)

迎えに来てくれた娘さんは用事があるので、島内観光の案内は出来ないという。
そこで、車を1台レストランの駐車場に用意しておいてくれた。
これを使ってくれとのこと。

DSC07280_convert_20101126124207.jpg

ナンバーは日本のもののようだが・・・ちと、怪しいナンバーである。(大笑)

この車を“カゲヤマ団長”が運転して島内観光することとなる。
まず、最初に向かったのが、アラカベサン島にある「パラオ・パシフィック・リゾート」ホテル。
このホテルは東急グループが経営している高級リゾートホテルなのだそうだ。
かなり値段が高いらしいが・・・
今度一人で来たら泊まってみたいなぁ~(笑)
このホテルのすぐ隣に日本大使館(領事館?)がある。
う~ん・・・なんだろ・・・この小ささは・・・
どこから見ても民家にしか見えないんだけど・・・(笑)

DSC07278_convert_20101126124937.jpg

このホテルのプライベートビーチの所が、日本海軍の水上機の基地跡。

DSC_1648_convert_20101126130100.jpg

DSC_1652_convert_20101126130912.jpg(ホテルのプライベートビーチ)


より大きな地図で 日本軍水上機基地 を表示

次は・・・橋を渡りコロール島に戻って、「海軍墓地」に向かう。
ここは日本海軍の墓地らしい・・・・
慰霊碑がいくつか建立されている。
お線香をあげてお参りする。

DSC_1678_convert_20101126132400.jpg(海軍墓地)

旅行 | 12:03:50 | Comments(3)
ペリリュー島(8)
DSC07241_convert_20101126094539.jpg(昼食)

昼食後、午後の戦跡巡りに出発する。

DSC07242_convert_20101126101110.jpg
(酋長から借りた日本製軽ワゴン車が移動手段です)

まず、「某所」へ向かい、ジャングル内のコンクリート製の戦跡を見学・・・・
さらに島の南部の「某所」へ向かい、ここのトーチカを見学。
これは群馬県高崎の歩兵第15連隊第3大隊の守備陣地。
かなりしっかりしたトーチカで、上手にカモフラージュされている。
この部隊はこの地で玉砕している。

DSC_1557_convert_20101126102727.jpg(トーチカ)

DSC07256_convert_20101126103237.jpg(内部)

かなりのハイレベルなトーチカには驚いた。
こりゃ、すごい。
優先的に資材の供給を受けて構築したのだろう。
作りもなかなか素晴らしい。
これを作ったのは工兵隊だろうか・・・・すばらしい出来栄えに感激。

このすぐ近くに、同じようにカモフラージュされた半地下式の発電設備らしきものを見つける。

DSC_1571_convert_20101126104003.jpg

さて、そのうち、どこをどう走っているのかわからなくなった。
わかっているのは“団長”と“シラカタさん”だけ・・・・
地図を持っていないので現在位置すらわからない。
これには参った。
島の南の方であることだけはわかるのだが・・・・
どうも自分の足で歩かないとわからない。
初めて来たのだから無理もないが・・・・
とにかく、どこなのか分からないが写真だけは撮っておくことにする。(笑)

DSC07266_convert_20101126113124.jpg
(一の字半島にある「スイミング・ホール)
井戸のように見えるこれが、いわば「プール」なのだそうで・・・・
へぇ~つまらねぇ~と思ったら、ペリリュー島では有名な観光スポット・遊び場所なのだそうだ。(笑)

DSC_1580_convert_20101126105845.jpg
(ここは一の字半島の「ハネムーン・ビーチ」だったかな?)

DSC_1582_convert_20101126110140.jpg
(一の字半島と呼ばれた部分の端のほうか?あ~わからない!)

地形的に言って、この近くにトーチカがあってもよさそうなものである。
というわけで・・・単独で奥の方を探索してみたら・・・
やっぱり勘が当った!
珊瑚礁の岩でカモフラージュされたトーチカを見つけた!

午後の戦跡巡りを終えてホテルに戻る。

途中、墓地に立ち寄り、慰霊碑を参拝する。

これで今日の行動は終了!
今日でペリリュー島の滞在は最後・・・・
明日はコロール島に戻るのである。
振り返ってみると、あっという間だったなぁ~
なんだかわけがわからないうちに終わってしまった感がある。
1度来たくらいじゃ駄目だな・・・(笑)
何度か来ないと、よくわからないが・・・・何度も来るほどの余裕が取れるかどうか・・・
拙者にとっては時間よりもカネの問題である。(大笑)
どうも「消化不良」気味の戦跡巡りだったが・・・
オプショナルツアーの「戦跡巡り1日ツアー」よりは、かなり充実した内容であることは間違いない。(笑)
団長以下、皆さんのおかげである。
感謝、感謝。

DSC07270_convert_20101126115440.jpg(夕食)

旅行 | 15:36:30 | Comments(0)
ペリリュー島(7)
今日の朝食はパンケーキでした。
ん?ホットケーキ?(笑)

DSC07163_convert_20101107140425.jpg(朝食)

今日は、午前中、“ジョンさん”たちのツアーと合同で現地調査に入るという。
以前、(多分・・・)彼が調査に入った時に日本兵の遺骨を見つけたというので、その現場を教えてもらうということだそうだ。

アメリカ組の宿泊しているホテルに向かう。
ホテルの前でアメリカ組を待っている時に「レインジャー」に声をかけられた。
ゴッツイ体格の男で真黒いサングラスをかけている。
プロレスラーかマフィアの用心棒のような男である。
「レインジャー」とは、戦跡などの遺跡を監視している連中で、勝手に触ったり持ちかえったりしないよう監視しているらしいが、制服は着ていない。
普段着なので、誰が「レインジャー」なのか、わからないという。
誰に監視されているか分からないので、我々は車をジャングルの中に隠して行動しているのである。(笑)
車上狙い防止と、我々の行動をあまり詮索されたくないというのが理由。
で・・・この男・・・
拙者に「お前がリーダーか?」と声をかけてきた。
「いや、あの人がリーダーだ」と“カゲヤマ団長”を指す。
「政府の人間か?」
「いや、俺たちは民間人だ」
ちなみに“団長”は英語が全くできないので“シラカタさん”が通訳をする。
で・・彼が言うには・・・
「お前らが酋長の車を乗り回して島のあちこちに行っていることは知っている。ここの島には法律があり、戦跡の見学をするのはいいが、触ったり持ちかえったりしてはいけない。わかっているか?」という忠告である。
“団長”も“シラカタさん”もこの島には何十回と来て調査をしているので先刻承知である。
ん?何をいまさら・・・そんなことを偉そうに言っているのか?
ニコリともせず、やたらと凄んでいるのである。
この男とは、既に何度も会っていて、拙者は挨拶してるんだけどなぁ~(笑)
基本的に、拙者は誰にでも挨拶することにしている。
何かあれば挨拶した時に声をかけてくるだろうと思ってやっているのだが・・・
こいつには何回挨拶しただろうか?
ここに到着して何日経つ?今頃何を言っているのやら・・・・
もしかしたら、誰かに「ちゃんと忠告しておいたのか?」とかと責められて、形だけ、とにかく忠告しておこうということなのか?
それとも現地のガイドを同行させずに動き回っているので、怪しいと見たか。
日本政府の職員が遺骨収集の事前調査に勝手に入ったとでも思ったか?
とにかく我々はトラブルを避けるためかなり神経を使って調査をしているので落ち度はないはず。
現地の戦跡を調査するには各自、許可証の取得が義務付けられているが、我々はそれも取得済みである。
仮に無許可でジャングル内に立ち入ったら忠告では済まない。
許可証を持っているから問題はないはずである。
彼も、言うだけ言って立ち去った。

アメリカ組と一緒に「某所」へ向かう。
アメリカ組は、衛生兵の従軍経験者の“おじいちゃん”は高齢ということで“お留守番”。(笑)
アメリカ人5名、日本人4名の合計9名でジャングルの奥地に入る。

DSC07171_convert_20101107143943.jpg(ジャングルの中を歩く)

“日本軍”と“米軍”がお互いに道を譲ったり気遣ったりしながら和気あいあいとして歩く。
英霊は不思議な光景だと思っただろうなぁ~
途中、途中で“ジョン上級曹長”からここで戦った海兵隊の戦史の説明を聞く。
勿論、英語だから完璧にはわからなかったけど・・・(笑)
途中で、興味津々のアメリカ人参加者が崖を登って近くの洞穴を覗きに行ったりする。
が・・・行ったはいいが、崖を降りるのにひと苦労している。
他人事とは言え(笑)、最後尾を歩く拙者はハラハラものである。
転落事故でも起こされたら拙者が助けねばならんのだろうから・・・・(笑)
こんな体の大きなアメリカ人は担げない!(大笑)

あるアメリカ人が「これ、何だ?」と言う。
「ん?それ・・・手榴弾だよ」
「手榴弾?」
「そう、日本軍のグレネ―ド」
「オオ!グレネード!!」
手榴弾と言ったらびっくりして他の人を呼んで見せていた。
へ?そんなに珍しいかな?
米軍のものとは形が違うので、まさかこれが日本軍の手榴弾とは思わなかったのだろう。
何かの部品と思ったのか?
そこらじゅうにゴロゴロしているんだけど・・・・(笑)

ようやく“現場”に到着。
遺骨は野ざらし状態だった。
教えてもらわないと見落としてしまうような場所にあった。
サンゴで出来た岩と人間の骨が同色なのでわかりづらい。
崖の上に大腿骨、その崖の下に頭蓋骨・・・・
頭蓋骨は2つあるようである。
地形を見ると、自然の崖を利用したよく出来た陣地である。
更にここから100mほど奥地にもう1体の骨があるという。
話によれば、うつ伏せ状態の完全な形で残っているとか。
100mというと近い感じもするが、崖をよじ登り、下り、またよじ登り・・・で100mというのはかなりの距離である。
時間的に難しいし、拙者を含めた“ド素人”を連れては転落事故の可能性もあるということだろう、そこへ行くのはやめにしたらしい。
次回、機会があったら、捜すということにして戻ることになった。
今回発見した御遺骨の収集はできない。
触ってはいけないことになっているので、位置の確認のみ。
現在、現地の規則のせいで日本政府の遺骨収集も出来ない状態なので、いつかそれが解除され、遺骨の収集が可能になるまで“封印”ということにする。
ご英霊には申し訳ないけど・・・・帰ります。

崖を登るのはそれほど難しくはないが・・・
降りるのはかなり大変なのである。
“シラカタさん”から「3点保持で降りて下さい!3点保持!」と声をかけられたが・・・・
「え?3点保持って・・・何?」(笑)
「え~と・・・3点保持ですよ!」と崖下から“シラカタさん”
「ん?俺、3点保持していない?しているつもりなんだけど・・・してない?」
「全然してません!危ないですよ!3点保持しながら降りて!」
3点保持って、両手と片足、もしくは両足と片手の“3点”がどこかに触っていればいいんじゃなかったっけ?
ちゃんとやっていたつもりなんだけど・・・
「いいえ!2点保持でした!」(笑)
崖下から見ていてかなり拙者の動きは危なっかしく見えていたらしい。(大笑)
いやぁ~すまん!すまん!

アメリカ組とは現地で解散。
我々は「某所」の洞穴陣地を調査して帰る事にする。

DSC07186_convert_20101107165107.jpg
(ビール瓶、食器、軍靴、防毒マスクの缶など。この靴を履いていた人はどういう人だったのだろう?)

毎度のことながら、ジャングルの中は湿気が高く汗でビショビショである。
ちょうどこの時期はペリリュー島が玉砕した時期と同じ。
よくもこういう気候の中で日本兵は戦ったものだと感心する。
拙者のような“ひ弱な”日本人では無理だろうなぁ~(笑)
昔の人は偉かったと思う。
大したものだと思う。

「某所」を出てきたところで、2名の外人に会う。
なにやらテントらしきものを準備していて立て看板を立てている。
なんだろう?
“団長”が何をしているのか聞いてこいというので、仕方がない(笑)、拙者が聞きに行く。
彼等はイギリスから来た爆発物処理チームの一員だそうだ。
が・・・この人の英語が早口!(笑)
「英会話の教材テープ」を2倍速で聞いているような感じ。(大笑)
わからねぇ~!!
何とかかんとか聞きとれた話によると・・・・(笑)
しばらく前からペリリュー島に滞在して処理活動をしているという。
すでに6000発の爆発物を処理済みで、今からこの地区の処理をするのでその準備をしているのだそうだ。
どうもボランティア活動のような民間組織らしいが、物腰や言葉づかいからして退役軍人だろう。
爆発物処理活動の資金は寄付で賄っていて、今回はイギリスとニュージーランドが出してくれているらしい。
日本は資金の援助をしてくれないとかなんとか言っていた。(・・・と思う)(笑)
爆発物が多いから気をつけて歩いてくれとのこと。
ブービートラップ(罠)も仕掛けられているから・・・と言われてビックリ!
「ブービートラップ?」
「イエス!ブービートラップ!」
しかし、時すでに遅しである。
我々は今さっき、そこから出てきたばかりなんだから~(笑)
それじゃね!・・・ということで別れる。

お昼までにはまだ時間があったので、“イチハシ先生”の勤めているペリリュー小学校に寄ってみる。
ちょうどスクールバスに子供を乗せている人がいたので尋ねたら、先生ではなく送迎係の職員なので“イチハシ先生”のことは知らないという。
スクールバス(ワンボックスワゴン車)の中を見たら、どう見ても小学生には見えない。
チャイルドシートに座ってシートベルトを着けてもらい、拙者を見てキョトンとしている。(笑)
幼稚園児のようだ。
小学校では小学校へあがる前の年齢の子供も預かっているらしい。
幼稚園も併設ということか?(笑)
それにしても、チャイルドシートにちゃんと乗せるとは大したもんである。
大いに感心してしまった。
日本ではどうなんだろうか?

教室の前に生徒がいたので声をかけて“イチハシ先生”のいる場所を尋ねる。
もうこうなったら、勝手に学校の敷地内を歩き回る。(笑)
「図書室にいる!」
「図書室ってどこ?」
「あっち!」
「あっちって・・・どこ?」
「そこ!」
「わからねぇなぁ~・・・案内してよ~!」と騒いでいたら・・・先生に見つかった!(笑)
用件を話して、“イチハシ先生”のいる場所まで案内してもらう。
子供たちにケラケラ笑われて格好が悪い。(笑)

先生はちょうど授業時間ではなく、給食の時間まで時間が空いているという。
学校の近くにある戦跡を案内してもらうことにした。
そこにはコンクリート製の建物が・・・
どうも通信所だったらしい建物のようである。

DSC07190_convert_20101107171125.jpg DSC07199_convert_20101107180304.jpg

ここは個人の所有地だが、先生の顔が利いて内部まで見学できた。
内部に入ったらいやぁ~かなり大きな立派な建物である。
何人の日本兵がここで働いていたのだろう?

ちょうど給食の時間になったので学校へ戻り給食を見学する。

DSC07233_convert_20101107180749.jpg(ペリリュー小学校)

DSC07236_convert_20101107181019.jpg(1年生の給食)

小学1年生は、“外国人”を見て・・・キョトン!!(大笑)
2年生、3年生は声をかけると恥かしがるが、4年生ぐらいになると結構興味津々で話をしてくる。
片言英語で質問すると流暢な英語で逆襲され、英語の出来ないこっちは答えられないという情ないことも起きる。(大笑)
子供はどこの国でも可愛いものである。
パラオでは小学校と中学校が一緒だそうだ。
1年生から8年生までいる。
日本とは違い6・3制ではない。
一貫して8年らしい。
日本も小学校、中学校と校舎を分けず小中一貫でもいいんじゃないかなぁ~(笑)
で・・その上はハイスクールだが、ペリリュー島には高校はないようだ。
パラオ本島へ行くことになるらしい。

ちょっとだけ給食風景を見学して、校長先生に挨拶して辞し、ホテルに戻る。

旅行 | 14:00:13 | Comments(0)
ペリリュー島(6)
DSC07161_convert_20101107003926.jpg(昼食)

午後からの予定であるが・・・
JICAの職員が戦跡を見にペリリュー島に来るという。
これに“イチハシ先生”も同行するそうで、案内役として“カゲヤマ団長”が引率するという。
はぁ~・・・・
で・・・みんなで一緒に廻ろうということらしいのだが、どうも既に行った場所にもう一度行くことになるらしい。
正直言って・・・時間がもったいないなぁ~
どうせ、また、まともに写真も撮れないんだろうし・・・・
拙者としては昨日行けなかった「某所」に行きたいのだが・・・
そこには日本軍の戦車の残骸があるのだが、誰にも知られていない場所である。
拙者は戦車師団の戦友会の事務局長なので、戦車とは縁があるということで今回この調査旅行に同行したのである。
が・・・ダウンしてしまい、本来の目的を達成していない!
できることなら、行ってみたいのである。
“シラカタさん”“ヨコハマさん”も昨日の調査で見つけられなかった戦車の残骸を見つけたいとのことなので、是非とも連れて行ってくれと頼んで、我々3人は別行動を取ることにした。
“ヤナギサワさん”が“団長“に同行してくれたので助かった。
“団長“一人だけ・・・では申し訳ないからねぇ~

食後、JICAのグループと一緒に2台の車で移動。
途中で我々3人は降ろしてもらい、徒歩で「某所」に向かう。

DSC_1473_convert_20101106231254.jpg(九五式軽戦車の残骸)

ジャングルの中に日本軍の九五式軽戦車の残骸があった。
横転している状態のようで、ほとんどが土の中に埋もれてしまっている。
多分、掘りだせば、丸々一台分の戦車がその姿を現すに違いない。
戦闘中に横転したというよりも、戦後、ブルドーザーか何かで押されてここに捨てられたという可能性が高い気がする。
なぜならば、終戦直後に米軍が撮った写真の中で横転している日本軍の戦車の写真を見たことがないからである。
ということは、車内に遺体を残したまま、ここに“捨てられた”可能性もある。
是非とも掘り出して内部を確認したいのだが、手を触れてはならないのでそれは出来ない。
この周辺にはこの戦車の他、多分他の戦車のものであろう車輪が土の中からあちこちに顔を出していた。
同一車両のものか、別の車輛のものか区別がつかないが・・・
複数の戦車の残骸があるようだ。
その戦車の残骸の数の確認が昨日の目的だったが、昔、“シラカタさん”が見つけた戦車の残骸が見当たらないとのこと。
今日はその再調査も兼ねての調査である。
が・・・ジャングルの中の捜索は難しい。
数メートルずれると見つからないのである。
僅か数メートルなのに見落としてしまう。
で・・・真っすぐ歩いて、右に折れ、また右に折れて真っすぐ歩き・・・とジグザグに歩いてみたのだが・・・
生来の方向音痴・・・・
そのうち、わけがわからなくなり・・・
おお!見つけた!・・・と思ったら、いつのまにか元の場所・・・(大笑)
あれぇ~????
ん?拙者はどっちに向かってどう歩いていたのやら・・・・
この他、いくつもの戦車以外の残骸を見つける。
どうも、ここは“戦場清掃“時の廃棄場になっていたようである。
散々3人で探しまわったが、とうとう“幻の戦車”の残骸は見つからなかった。
草に覆われてしまったのか、それとも数年のうちに土に埋もれてしまったのか・・・
それともすぐ目の前にあったのに見逃していたのか・・・
ジャングル内での探索は難しい。

そろそろ合流する時刻だということで調査は中断。
JICA組のいる場所まで徒歩で向かう。
が・・・暑い!
とんでもなく暑い!(笑)
大した距離ではないのだが・・・暑さのせいでバテ気味になる。

調査の際は、乗ってきた車は他の人にわからないよう、道路際には止めず、ジャングルの奥に隠している。
というわけで、先に“シラカタさん”が確認のため横道に入っていく。
“ヨコハマさん”は今日の夕方、コロール島に一人で向かうと言う。
我々より一足先に帰国の途につく。
ちょうど、日本人観光客のペリリュー戦跡ツアーが来ているので、その帰りのボートに便乗するという。
で・・・どうやってホテルに帰るかだが・・・(笑)
この島は、滅多に車が走っていない。
しかし、運よく偶然、トラックが通りかかったので、ヒッチハイクでホテルに向かった。
ドライバーが「お前は乗らないのか?」と言うので、「俺は乗らない。行っていいぞ」と言ったら怪訝な顔をされた。
そりゃそうだ・・・
ジャングルの中の道路際にポツンと一人で残ってどうするんだ・・・と思うのは当然だ。
右を見ても左を見ても民家はない・・・ジャングルだけなんだから・・・(笑)

ジャングルから、かなり奥に入ったところに車が乗り捨てて(笑)あった。
ここでしばらく待っていたらJICA組がジャングルから出てきた。
彼らの戦跡の見学もここで終わり。
ご苦労様という事で彼らと別れ、我々は車でホテルに一旦戻る。

かなり早い時間に戻ったので、アメリカから来たグループの宿泊先に遊びに行く。
彼らの宿泊先は「北波止場」の目の前のホテル。
すでにアメリカ組はホテルに戻っていてくつろいでいた。
ホテルのベランダで“ジョン上級曹長”にビールを御馳走になり、みなさんと談笑。
・・・といっても、片言英語なので四苦八苦。(笑)
相変わらず英語は駄目だ・・・・(涙)
“ジョンさん”が、拙者のことをみんなに紹介して下さった。
「2年前に、この人と一緒に硫黄島に行ったんだよ」
「え?2年前じゃなくて去年ですよ」
「去年?そうかぁ~去年だったかぁ~(笑)」
彼等は6人のツアーで、その中にペリリュー戦に参加された方が一人おられた。
オレンジビーチから上陸した海兵第1師団に海軍から配属になっていた衛生兵だという。
当時の写真や、海兵第1師団の戦史の本などを見せてもらう。
この“おじいちゃん”・・・・
確か、17歳で従軍したと言っていた・・・・
ペリリュー島の戦闘が軍隊に入って最初の戦闘だったとか・・・・
そこまではわかったが・・・あとはよくわからない・・・・(笑)
そのうち、「うちに遊びに来い」とかなんとか言っているようだ・・・・
へっ?なんで拙者がアメリカまで会いに行かねばならんのか?(笑)
どこでそういう話になっちゃったんだろう?(大笑)

ちょうど、夕方になり、パラオ本島に戻るボートが港から出ていく。
日本人戦跡訪問ツアーに混じって“ヨコハマさん”も乗船していた。
無事に合流したようだ。
手を振ってお互いに別れの挨拶!
偶然にも見送れてよかった。
が・・・仲間と途中で別れるというのはなんとも寂しいものである。
なぜだかわからないが、特に港での別れというのは寂しさが格別である・・・

DSC07162_convert_20101106225802.jpg(夕食)

旅行 | 22:22:13 | Comments(0)
ペリリュー島(5)
昨日、アメリカから「ミリタリー・ヒストリカル・ツアー」の一行がペリリューに到着した。
引率は“ジョン上級曹長”・・・・
昨年の「グアム・硫黄島戦跡ツアー」でお世話になった方だ。
いやぁ~懐かしいなぁ~
どこかで再会できるかなと思うと嬉しい。

今朝、急遽、合同慰霊祭の話が舞い込む。
彼等が「大山」の海兵隊記念碑の前で慰霊祭をするので、日本側として参加してほしいとのこと。
食事を済ませて急いで現地に向かう事となる。

DSC07125_convert_20101106123917.jpg(朝食・フレンチトースト)

途中、JAICAからペリリュー島の小学校に派遣されている女性教諭の“イチハシさん”の家に立ち寄り彼女をピックアップする。
“カゲヤマ団長”“シラカタさん”“ヤナギモトさん”は前回の巡拝慰霊の時に彼女に会っている。
久し振りの再会らしい。
昨晩の夕食時にホテルに来てもらい一緒に食事をした。
その時に、一緒に戦跡の調査に同行したいというので、一緒に行くことになったのである。

DSC07127_convert_20101106153758.jpg

海兵隊の記念碑の所で“ジョン上級曹長”と再会!
彼は拙者を覚えていてくれた!
「いやぁ~お久し振りです!」
慰霊祭は形式ばったものではない。
日米が並んで、“ジョン上級曹長”が簡単にスピーチして終わり。(笑)
あとは、我々日本側が一列に並んで記念碑に一礼して敬意を表わす。
みんなで記念写真を撮って、ここで解散!
また会いましょうということで別れ、我々は「某所」へ向かう。

DSC07129_convert_20101106162652.jpg

「某所」では、日本軍の大砲の砲身を見つける。
どうも九四式37ミリ速射砲(対戦車砲)のようである。
また、洞穴前にドラム缶が並べてある場所もあった。
どうもドラム缶で防護壁を作っていたらしい。

DSC07137_convert_20101106170929.jpg

ここを出て、別の「某所」には、日本海軍の「短20センチ砲」と言われている砲があった。
拙者はこの「短20センチ砲」というのは知らない・・・
そういう砲があったのか?

DSC_1460_convert_20101106175831.jpg

DSC07139_convert_20101106180328.jpg
(写真左の林が捕虜収容所跡、戦後降伏した日本人が収容されていたという)

収容所跡の脇には米軍の水陸両用戦車が置いてあった。
続いて、「某所」に向かう。
ここは先日訪れた場所でもある。
ここで問題が発生!
“イチハシ先生”がヘルメットを持ってくるのを忘れた!(笑)
う~ん・・・洞穴に入るには、ちょっとマズイ・・・・
というわけで、拙者のヘルメットとヘッドライト、LEDの懐中電灯を渡す。
で・・・拙者は??
当然、洞穴には入らない。(大笑)
どうせ、内部に入ってもゆっくり写真を撮る時間は与えてもらえませんから・・・(笑)
それより、洞穴の入り口でタバコでも吸いながら周囲の景色を見ていたほうがいい。
当時は、このジャングルの草木も焼き尽くされ、岩山が露出していたはずだ・・・
どういう景色だったのだろうか・・・
洞穴の入り口に歩哨が立ったのなら、その歩哨はこの景色を見ていたんだろうなぁ~
草木が1本もない景色を想像しながら、一人ポツンとジャングルに佇む・・・・
う~ん・・・こういう時間が拙者は好きなのだ。
バタバタとした“見学”は好きではない。
“イチハシ先生”のおかげで、逆にいい時間を得ることが出来た。
感謝である。
その後、全ての洞穴で、この調子で洞穴の外に佇む。(笑)
う~ん・・・・満足!

DSC07152_convert_20101106181808.jpg(ジャングル)

いくつかの洞穴を巡って、午前の戦跡調査は終了。
“イチハシ先生“の発案で、村で唯一の養豚場を見学に行く。(笑)

DSC07154_convert_20101106220617.jpg(養豚場)

豚の餌は、バナナの木の幹を煮込んだものだという。
へぇ~そんなものを食うのかと驚いた。
ここの作業員はフィリピン人。
フィリピンでもそうやっているのだろう。
オーナーはパラオ人らしい。

DSC07157_convert_20101106221216.jpg(餌を煮込むための大鍋)

DSC07158_convert_20101106221533.jpg(餌のバナナの幹)

いつものように、お昼になったのでホテルに戻る。

旅行 | 12:30:24 | Comments(0)
ペリリュー島(4)
今日は「水戸山」と呼ばれる地区方面の戦跡調査である。
朝食後、早速出発する。

DSC07076_convert_20101105230559.jpg(朝食)

ここの食事は、団長曰く・・・「多分毎回同じものを食わされると思うから覚悟した方がいい」の言葉に反して、毎回、メニューが違う。
今日の朝食はサンドイッチである。
同じものを出さないよう工夫してくれている。
しかも、おいしいから食事に関しては全く文句なしである。

「某所」の洞穴陣地を探索する。

DSC07079_convert_20101105231149.jpg DSC07081_convert_20101105231422.jpg

「北波止場」の近くには、隣りにある「ゲドブス島」と繋がっていた橋の残骸(橋げた)があります。

DSC_1425_convert_20101105232802.jpg(橋の残骸)

「某所」へ移動する途中の道路脇にコンクリート製のトーチカが・・・・

DSC_1427_convert_20101105233244.jpg(トーチカ)

「某所」からジャングルの中に入り「某所」に向かう。(ややっこしい書き方だが・・・仕方がない)(笑)

「某所」は「某部隊」の大隊本部壕。
崖をよじ登り・・・張り出した岩にしがみつき・・・冷や汗をかきながらの“進軍”である。
洞穴は落盤があったのか、それとも最初から狭いのか・・・・かなりの狭さである。
わずかな隙間から内部に入るような感じであるが、内部はかなり広かった。
(内部で何を発見したかは今のところ非公開)(笑)

DSC07095_convert_20101106001650.jpg

更に別の「某所では日本軍の大砲を見る。
三八式野砲か九五式野砲ではないかと思うのだが・・・
このすぐ近くに洞穴があり、そこから砲まで道が出来ていたので、通常は洞穴の中に隠しておき、砲撃の際に洞穴から引き出して使用したものと思われる。
防楯板に貫通痕があり、また砲身も途中で折れている。
砲身の折損箇所には砲身の中で砲弾が破裂したようなめくれた様子もないので、敵の攻撃により破壊されたものだろうか・・・
また、周囲には砲弾がいくつも散乱していた。

DSC07108_convert_20101106000411.jpg DSC07113_convert_20101106000640.jpg

続いて「電探山」へ向かう。
電探って言うんだから頂上にはレーダーが置かれていたのだろう。
完全な三角山という感じの場所らしい。
さすがに拙者はバテてきた。
正直言って、このままホテルに帰って少し休みたい気分なのだが・・・・
“団長”は几帳面な方なので、お昼の12時までは歩きまわるつもりらしい。
さて・・・どうしようか・・・
“団長“は何度も登っているので、今回は登らず麓で休んでいるという。
で・・“団長”に尋ねたら「15分ぐらいで頂上に着くから、行ったらいい」とのこと。
ジャングルの中の僅かな距離を歩くのにも軽く15分はかかる。
ということであれば、往復で30分だから大したことはないだろうと思い「電探山」に登ることにした。
が・・・これが大失敗!甘かった!(笑)
急斜面が延々と続く。
案内役の“シラカタさん”は“団長”の「往復30分」が気になるのか、途中、休みもなしでドンドン先に行く。
こちらは普段の運動不足のおかげで、完璧に息が上がってしまった。
貧血を起こさなかっただけましだが、呼吸困難!
なんとかかんとか頂上に登ったところ、そこにはレーダーが据え付けられた基礎が残っていたが、周囲には木が茂っていて何も見えない。
この木がなければ、さぞかし景色もよく、島を一望できたかもしれないが・・・・
何も見えない!
何のためにここまで登ってきたのやら・・・・
昔は途中まで遊歩道が出来ていて、頂上にも木は生えてなく展望が利いた場所だったという。
最近は誰もこの山には登らないのだろう。
遊歩道も無くなっていると“シラカタさん”が言う。

結局、往復1時間弱かかってしまった。
まぁ~拙者が喘ぎながら歩いたせいもあろうが・・・
“カゲヤマ団長”の言葉を信じた拙者が馬鹿だった。(笑)

時刻はお昼・・・・ホテルに戻って食事・・・となる。
今日のお昼ご飯はカレーだった。

DSC07116_convert_20101106004122.jpg

ところが・・・体調がおかしい・・・・
とにかく眠くて仕方がないのだ。
頭痛はない、吐き気もない、どこも痺れてはいない、手も震えてはいない・・・・
特に体調に異常はないと・・・・目をつぶりながら自己診断。
とにかく目が開けられないのである。
おかしい・・・目が開かない・・・
電池が切れかかっているロボットじゃあるまいし・・・どうにもこうにもならない。
食欲もあるので全部食べたいのだが、目が開けられないので、食べようがない・・・
みんなから「大丈夫ですか?」としきりに声をかけられるが・・・・
反応したくても目が開かない、言葉が出ない、意識はしっかりしているのに思考能力がガクンと落ちている・・・・
なんだろ・・・これ・・・

午後からの戦跡調査は無理して行けば行けないこともないとは思うが・・・・
ここは無理をせず部屋で休んでいたほうがよさそうである。
多分過労だな。(笑)
昼寝をすれば、すぐ元に戻るだろう。
ということで・・・みんなに同行せず、午後は昼寝をして過ごすことにする。

夕方、戻ってきた“シラカタさん”にどこへ行ったか聞いたのだが・・・
なんと!拙者が今回参加する本来の目的地へ行って来たという。
拙者はそこに行くのが目的でこのツアーに参加したというのに何ということか!
これじゃ、ペリリュー島へ来た意味がないではないか!
参ったなぁ~・・・・ショックである!
午後からの予定を知っていれば、「電探山」には登らず体力の温存を図ったのに・・・・
だから困るんだよね~
行き当たりばったりに近い行動では・・・・
何度も予定を確認しているのに曖昧だから、こっちの体調管理がうまくいかない。
まさか、午前中にキツイ場所に行き、午後は比較的楽な平坦な場所に行くとは思ってもみなかった。
あ~ショックである。

朝出した洗濯物を受取に「洗濯屋さん」に行く。
この「洗濯屋さん」はフィリピン人の女性。
ここペリリューでは、フィリピン人やパキスタン人の出稼ぎ労働者が多い。
ホテルに併設している「コンビニ」はパキスタン人の店員である。
パラオ人は働かないのか?(笑)
パラオ人は何をして生計を立てているのだろう・・・不思議だ・・・

DSC07117_convert_20101106011944.jpg(洗濯屋さん)

夕陽を撮影しようと思い、ホテルの裏の海岸に“ヨコハマさん”と一緒に向かう。
波がない海・・・・なんとも不思議な景色である。

DSC_1443_convert_20101106010359.jpg DSC07123_convert_20101106011154.jpg

昼寝をしたら、すっかり体調が戻った!
いつものように夕食もモリモリ食べる。(笑)

DSC07124_convert_20101106012302.jpg(夕食)

旅行 | 23:00:59 | Comments(0)
ペリリュー島(3)
今日は本格的にジャングルの中を調査するが・・・
“シラカタさん”との打合せで、戦跡等に関してあまり詳細には公表しないということになる。
写真も同様である。
場所の特定などが出来るような記述も同様・・・・
つまり、関係者としては戦跡が“荒らされる”のを避けたいというのである。
そうなると・・・・情報発信が出来なくなる。
まさか、今日一日の行動は“白紙”というわけにもいかない。
公表を避けるという処置は十分納得がいくので、取り決めに抵触しない範囲で公開することとする。

ホテルから歩いてすぐのところに「洗濯屋さん」があるという。
一袋いくらという料金で選択してくれるそうだ。
種類や枚数などは関係ないらしい。
適当な大きさの袋なら一袋いくら・・・なのだそうだ。
昨日の下着や洗濯ものをそこへ頼むことにする。
朝出せば、夕方には出来あがっているとのこと。
洗濯を“シラカタさん”に持って行ってもらい・・・その後、出発!

まず最初に向かったのは・・・・「某所」(笑)
ここの洞窟は入口は狭いが、内部は恐ろしいほど広い。
天井までの高さは3mくらいあるんじゃないか?
内部はコンクリートで固められていてガッチリしたもの。
多くの遺品が残っていた。
(どんなものが残っていたのかは今のところ公表できない)

DSC_1346_convert_20101101161917.jpg(某所の洞窟入り口)

次に向かったのも「某所」(笑)
ここは自然に出来た鍾乳洞の洞窟。
入口もかなり大きく、更に奥地に入るところは狭いが、その先は立って歩ける広さ。
右へ左へと入り組んでいる。
遺品もかなり残っている。
一番奥はコウモリの棲みか。
拙者以外の4人は全員メガネをしているのだが、拙者だけは目がいいのでメガネをしていない。
「メガネがあったらメガネをしておいたほうがいい」と団長に言われたが・・・そういうものは持っていない。
仕方がないのでサングラスをすることにする。
真っ暗な洞窟内でサングラスをしたのでは、ライトを点けても見づらいではないか?(笑)
ゴーグルを買ってくれば良かったと後悔。
で・・・一番奥・・・・
スズメほどの大きさのコウモリが無数にいる。
これが人の気配に驚いたのだろう・・・・一斉に飛び回る。
コウモリというのはレーダーがあって、そのレーダーで障害物を避けると思っていたのだが・・・
何万匹か知らないけど、一斉に飛び回りパニックを起こしているのだろうか・・・
拙者の体に次々とぶつかってくるのである!!
ギョェ~!ギャァ~!ゲゲゲッ!
拙者一人が大騒ぎ。(汗)
お前らのレーダーはどうなっているんだ?
もう顔も上げられない。
顔にもぶつかってくるので、どうりでメガネをした方がいいと言うわけだ・・・
生温かいコウモリの感触!
ウェ~!気持ち悪い!!
・・・・と声を上げると、口の中に入ってきそうな感じ・・・・
タオルかマスクで自分の口を塞げば良かったと思っても時すでに遅し・・・・
ヒッチコックの「鳥」という映画以上の悲惨な状態である。(笑)
床はコウモリの糞でドロドロ状態・・・・しかも、臭い・・・・
これには参ったぁ~!

DSC06981_convert_20101101164600.jpg(某所)

DSC06990_convert_20101101164909.jpg(コウモリの大群!)

もうお昼だ!・・・・ということで・・・
午前の調査はここまで。
ホテルに戻り昼食をとる。

DSC07014_convert_20101101213621.jpg(昼食)

午後の行動開始!
今度は海岸の方へ行く。
そこは米軍が上陸した場所で、米第81師団の記念碑が建っている。

DSC_1360_convert_20101101212731.jpg(記念碑)

DSC_1364_convert_20101101213202.jpg(米軍上陸海岸=オレンジビーチ)

次が「某所」にある零戦の残骸を見に行く。
道路からすぐのジャングルの中にある。
この場所は湿地帯なんだろうなぁ~
水溜りの中にあるという感じ。
問題は写真・・・・
草に覆われていて良く見えない。
肉眼では、わかるのだが、写真に撮ると何が写っているのかがわからない。
草を取り払ってしまえば良く見えるのだが、沼のようなところなので近づけない。
取りあえず撮影してみたが・・・・残念!

DSC_1371_convert_20101101221043.jpg(零戦の残骸)

続いてジャングルの中で日本軍の大砲の砲身や米軍の水陸両用戦車などを見る。

DSC_1382_convert_20101101221806.jpg(米軍の水陸両用戦車の残骸)

この後、ペリリュー島の最南端にある「ペリリュー平和記念公園」に行く。
日本政府が作った、例によって例の如くの公園・・・慰霊場である。
碑文もパプアニューギニアにあったものと大して変りない面白くないもの。
「西太平洋戦没者の碑」・・・・・
どこの部隊がどこで戦い、何人戦死傷したのかが書かれていないという慰霊のモニュメントである。
日本はこの公園の維持に毎年お金を支払っているのだとか・・・・
ふ~ん・・・である。
相変わらず胸くそ悪くなるモニュメントである。
設計者はパプアニューギニアのラバウルにあるモニュメントと同じ人物である。

DSC_1395_convert_20101101222748.jpg(西太平洋戦没者の碑)

DSC_1393_convert_20101101223038.jpg

このモニュメントの上部に銀色の“目玉”がある。
“団長”の話によると・・・・雨が降ると、ここから雨水が垂れるのだそうだ。
目から涙が流れるように・・・・
なにそれ?・・・・アホらしい・・・・開いた口が塞がらないとはこのことぞ。(怒)
どうしてこんなものを作るかなぁ~

向こうに見える平たい島は「アンガウル島」・・・・
この島も激戦地である。

DSC_1387_convert_20101101224151.jpg(アンガウル島)

次は「大山」と呼ばれた地区へ向かう。
ここにペリリュー島守備隊の「顕彰碑」がある。

DSC07031_convert_20101101224750.jpg(顕彰碑)

碑文の銘板に「昭和64年2月」と日付が入っているが・・・
有り得ない日付である。
建立する時期に合わせて早めに「平成64年2月」と刻んだが、これが出来あがった時に昭和天皇がお亡くなりになられてしまったのである。
で・・・年号は平成になる。
昭和64年1月7日の翌日、1月8日に改元となり、この日は平成元年1月8日となったのである。
だから「昭和64年2月」は幻になってしまったのだが、そのまま嵌めこんだそうである。
考えようによっては、そのほうが昭和天皇を思い出すからいいんじゃないかなぁ~と説明を聞きながら拙者は思った。

「大山」の頂上に登る。
ここには小さな展望台と、大きな米軍の第323歩兵連隊の記念碑が建っている。

DSC_1406_convert_20101101230654.jpg

頂上から米軍の上陸地点を見る・・・・周囲はジャングルばかりである!

DSC_1401_convert_20101101231146.jpg

頂上から島の南端、遠くに「アンガウル島」を見る・・・・これまた周囲はジャングルである!(笑)

山を降りながら「某所」に向かう。

DSC07034_convert_20101101231819.jpg(ジャングルの中)

とにかくジャングルの中は薄暗く写真が撮りづらい。
しかも案内役の“団長”はドンドン先に進んでしまうのである。
こちらとしては立ち止って写真を撮る暇もない。
写真を撮って、ふと前を見ると・・・・・どこに行ってしまったのか姿を見失ってしまうのである。
こんなジャングルの中で迷子にはなりとうない!(笑)
後ろを追いかけるので精一杯。
うっかり撮影などして遅れた分を取り戻すのは大変なのである。
ということで、自然と写真の撮影が出来なくなる。
ベストポジションを探して、撮影のモードをいくつか設定して、何枚か撮ってみる・・・なんていうことは不可能。
ストロボを使うと手前の葉っぱや木の幹、蔓などが光ってしまうので、ストロボは使いたくない。
そうなると、「手ぶれ防止機能」付きであっても手ぶれが起る。
慌てて撮影するからなおさら失敗作が積み重なる。(笑)
撮り直す時間的余裕はない。
最悪である。

水も自由に飲めない。
“団長”から「小休止!」の声が出ないとリュックを降ろしてペットボトルを取り出すことが出来ないのである。
そういう時間的余裕がないのである。
これにはさすがに参った。
相手のペースに合わせて歩くというのは本当にキツイ。
湿度が高く、暑いため、リュックに入れて持ってきたミネラルウォーター4本は半日で消費してしまう。
そのくらい喉が渇くが・・・自由に飲めない。(笑)

どんどん奥地に入り、仕舞いにはサンゴで出来た崖をよじ登るはめになる。
複雑に凸凹になっている岩にしがみつき、登ったり降りたりしながら「某所」の洞窟へ行く。
なんとか合間を見ながら写真を撮ったが・・・公開は出来ない。(笑)
岩の形で場所が特定される可能性がある。
今のところ・・・・未公開。

帰りにいくつかの洞窟を確認しながら、もう一つの日本軍の慰霊碑に立ち寄りお参りする。

DSC07057_convert_20101101234651.jpg(鎮魂の碑)

ここは歩兵第2連隊本部の壕がある場所である。
「終焉の地」という銘板が嵌められているので、ここが中川連隊長が自刃した壕と紹介されているが、実際はここではない。
ここは当初の本部壕であり、最後の本部壕は別の場所にある。
が・・・場所は言えない。(笑)
その現場をこの目で確かめたが・・・・
「某所」の壕が最後の連隊本部壕である。
この碑の建っている場所では半日とはもつまい。
徹底抗戦の指揮はとれない。
「終焉の地」というのはこの「大山」一帯ということだろう。

「大山」の麓(?)中腹(?)にある、「ペリリュー神社」に立ち寄る。
この神社は日本の右翼団体が造ったという話である。
そういう話を聞いてしまうと正直言ってお参りする気が起らなかった。

DSC07068_convert_20101102003919.jpg(ペリリュー神社)

この神社のすぐ近くに米海兵隊の記念碑が建っていた。

DSC07072_convert_20101103150451.jpg(海兵隊記念碑と「大山」)

本日の「調査活動」はこれまで。
時刻は午後5時になる。
“団長”は、なぜか時刻に正確な方で・・・5時になったら・・・終わり!(笑)

洗濯物は“シラカタさん”に受取に行ってもらう。
出来上がりはたいして期待していなかったが、なんと綺麗にたたんであるではないか!
お~完璧である!

DSC07075_convert_20101103155247.jpg(夕食)

毎晩のことだが・・・・
“カゲヤマ団長”と“シラカタさん”はよく酒を飲む。
帰ってくるとすぐに・・・酒!
拙者はタバコはよく吸うが酒はそれほど飲まない。
特に旅先では酒を飲むことはまずない。
体調を崩すのと、酔って判断力がにぶるのが怖いからなのだが・・・・
別段、他人がお酒を飲むことには反対しないが・・・
困ったことに、幹部2名が早々と酔っぱらってしまうためまともな話が出来ないのである。
今日行った場所の確認、明日の予定はどうなのか、何を持って行くべきなのか・・・
尋ねても話は一転二転・・・要領を得ない。
これには参った。
だめだ・・・こりゃ・・・

夜中になると土砂降りが降る。
やはり雨季だからなのだろう。
ちょっとやそっとの土砂降りではない。
幸い日中は降らないので助かるが、この調子で天気がもってくれと祈る。

旅行 | 12:17:36 | Comments(0)
ペリリュー島(2)
続いて向かったのは飛行場跡。
その昔、日本海軍の飛行場だった場所。
当時は数字の「4」の字の形をした滑走路だったが、今は滑走路が1本残っているだけである。
凸凹の滑走路だが、今でも現役。
時々チャーター便のセスナ機などが着陸するのだとか・・・

DSC_1271_convert_20101101095640.jpg(旧日本海軍の滑走路)

DSC_1273_convert_20101101100103.jpg

これが・・・「ペリリュー空港ターミナル」!!(大笑)
嘘のような本当の話し・・・・
日本の田舎のバス停よりひどい・・・(笑)


より大きな地図で パラオ空港 を表示

この飛行場跡周辺のジャングルを探索する。

DSC_1275_convert_20101101100714.jpg(水上機のフロートの残骸)

DSC_1283_convert_20101101101044.jpg(ドラム缶の山)

DSC_1287_convert_20101101101305.jpg(トーチカ?)

コンクリート製のトーチカのような建造物。
鉄の扉が今もしっかりとある。
銃眼らしきものが2ヶ所あるが・・・・形状から言って、トーチカにしては銃眼の数が少ないような気がしないでもない。
これに似たものは15年ほど前にサイパンへ行った時に飛行場跡で見たことがある。
日本陸軍とは違う、日本海軍独特のトーチカなのかもしれない。

DSC_1296_convert_20101101102028.jpg(陣地跡)

ペリリュー島は隆起サンゴ礁の島である。
ということで、地面の至るところに自然に出来た洞窟がある。
これもその一つ。
地面に開いている「穴」で、入口は人一人がやっと入り込める大きさである。
この穴の奥は、そこそこの広さになっているらしい。
こういう「穴」「割れ目」を陣地として利用して、ここに立て籠もり米軍と戦ったのである。
“カゲヤマ団長”と“ヨコハマさん”がヘルメットにヘッドライト姿で中に入り調査・・・
拙者は、敢えて入らなかった。
そうそう初日から張り切ったのでは体力が持たない。(大笑)
報告によれば、内部に遺骨があったとか・・・・

このジャングルを抜け出し、次の場所へ移動することにする。
が・・・どこへ行くのかは拙者は知らない。
すべて“カゲヤマ団長“次第である。
事前に、細かいスケジュールを“シラカタさん”が作ってくれていたが、困ったことにその通りに行ってくれないのである。
すべて“カゲヤマ団長”の気の向くまま・・・・(笑)
おかげで、どこへ行くのか、どこへ行ったのかさっぱりわからない。(笑)

途中で日本陸軍の九五式軽戦車の残骸を見る。
これは、観光用に道路脇の広場にポツンと置かれているもの。

DSC_1299_convert_20101101103237.jpg(九五式軽戦車の残骸)

次に向かったのは「日本海軍司令部」跡。
コンクリート製の建物が今も残っていて観光名所となっている。
が・・・説明板も何もない。

DSC_1311_convert_20101101103758.jpg(海軍司令部跡)

DSC_1314_convert_20101101104324.jpg(内部)

最後に、ペリリュー島の一番北・・・・
我々が上陸した「北波止場」より少し北の海岸に行く。
この辺りが、「三つ子島」を経由して援軍としてやってきた高崎歩兵連隊が上陸した場所ではないかと思われる。

DSC_1330_convert_20101101105051.jpg(上陸地点)

行ってみたら・・・あらら・・・
ちょうど干潮で、浅瀬が広がっている。
どうも増援部隊もこういう時に到着したのか、舟艇がかなり手前で座礁してしまい、このような浅瀬を歩いて上陸したらしい。


より大きな地図で 歩15連隊増援部隊上陸地点(推定) を表示

今日の散策はこれで終了。
下着も作業服も汗でビショビショ・・・気持ちが悪い。
ホテルに帰り、シャワーを浴びる。
トイレ、シャワーは共同である。

DSC07240_convert_20101101105800.jpg

お湯と水の両方が出るようになっているが・・・・お湯は出ない!(笑)
水は雨水をタンクに貯めたものだそうである。
お湯はそれをボイラーで熱するんだと思うのだが・・・
結局、行水・・・となるが、どうせ暑いから水を浴びても寒いという感覚はない。

DSC06964_convert_20101101110338.jpg(夕食)


旅行 | 15:45:32 | Comments(0)
ペリリュー島(1)
DSC_1213_convert_20101030153217.jpg
(北波止場、正面の船は定期船のフェリーらしい)

北波止場に到着し、迎えのワゴン車に乗りホテルに向かう。
ホテルは平屋建ての質素なもの。
部屋は5部屋程度しかなく、10畳ほどある大きな部屋は“カゲヤマ団長”が使用する。
昔、戦友会の慰霊団などは、この部屋にみんなで雑魚寝したのだという。
他の人はそれぞれ一部屋づつ。
拙者は“シラカタさん”とツインの部屋に宿泊することにした。
部屋にはエアコンとベッドだけ・・・・
質素である。

DSC06946_convert_20101030154017.jpg
(ホテル、右の建物が宿泊所、左に雑貨店が併設されている)

DSC06945_convert_20101030154510.jpg(昼食)

さっそく、昼食をいただく。
食事の味付けはなかなかのものである。
美味しい!(笑)
当地はこの季節、雨季だそうで、いやはや暑いのなんのって・・・・
隣りの“コンビニ”(?)で、ミネラルウォーターを買い込みリュックへ入れる。
“カゲヤマ団長”と“シラカタさん”はこの島の酋長さんのところへ挨拶に行きながら車を借りに行く。

作業服に着替えて、ミネラルウォーターを4本入れたリュックを背負い、首から一眼デジカメをぶら下げて・・・・出発!(笑)
運転は“カゲヤマ団長”・・・・車は酋長の日本製軽ワゴン車・・・

まず、最初に行ったのが墓地。
ここに歩兵第2連隊等の慰霊碑があるので、お線香をあげて簡単な慰霊祭を行なう。

DSC_1217_convert_20101030155911.jpg(慰霊碑群)

移動途中にある横穴陣地跡に入ってみる。
内部には遺品がゴロゴロ転がっていた。
が・・・ここパラオでは、遺骨を含め、こういうものに手を触れることは許されていない。
見つかれば懲役1年か、日本円で約150万円の罰金を科せられる。

DSC_1243_convert_20101030161335.jpg(入口)

DSC_1237_convert_20101030161612.jpg(内部)

さらに移動途中で、米軍の水陸両用車の残骸を見かける。

DSC_1245_convert_20101030163018.jpg

続いて向かった洞窟は、内部がかなり広い洞窟だった。
当然、内部は真っ暗・・・・
LEDのかなり輝度の高い懐中電灯が役にたったが、写真撮影の方は全然ダメ!!
三脚でカメラを固定して、露出を開放して撮影しないと駄目なようだ。
カメラ内蔵のストロボを使って撮影したのでは、凸凹がないノッペリした写真になってしまうので、拙者はストロボを使いたくないのである。
で・・・ストロボを使わないと真黒で何も写らない・・・・
肉眼では結構見えているのだが、写真に撮ると駄目・・・
洞窟内部の撮影の難しい所である。
撮影技術がないからなぁ~
しかもじっくり構えて考えながら撮影する時間はない。
とにかく忙しいのである。(笑)
参ったぁ~・・・・目的が違う人たちと一緒だと落ち着いて撮影が出来ない。

DSC_1250_convert_20101030165025.jpg(洞窟陣地入口)

次に向かったのは、多分、「海軍無線方位測定所」・・・・だと思う。
“だと思う”・・・というのは、拙者は地図も何も持っていないのだ。
とにかく連れて行かれるままに一緒に行っているだけという情ない状態。
いったい、どこをどう走っているのか、北に向かっているのか南に向かっているのかもわからない。
簡単な略図は戦記からコピーして持参したが、リュックの中から取り出す余裕はない。
ポケットに入れていたら汗でビショビショになり半日でボロボロになりそうなのでポケットにも入れられない。
口頭で聞いてもメモをする余裕もなければメモ帳も汗でビショビショになるのでポケットに入れられない。
いちいちリュックから取り出すのも面倒・・・・
結局、わかったような、わからないような・・・で、事が進む。
もう少し時間的な余裕があれば、細かく記録も付けられるのだが・・・・そういう時間は・・・ない。
というわけで・・・多分、これが「海軍無線方位測定所」なんだろうと思うということになる。(笑)

DSC_1254_convert_20101030170018.jpg

旅行 | 14:24:37 | Comments(0)
ペリリュー島へ向かう
DSC_1164_convert_20101027175906.jpg
(部屋のベランダから見た景色)

昨晩、到着したので、周囲の様子が全くわからなかった。
部屋代を節約するため海側の部屋ではない方の安い部屋を予約したそうだ。(笑)
海側の部屋は景色はいいがちょっと値段が高いという。
う~ん・・・こういうところが個人旅行と違うところである。
個人だったら、ちょっと高くても景色のいい部屋を予約しちゃうんだけどなぁ~(笑)

DSC06927_convert_20101027180549.jpg(朝食)

朝食はバイキング・・・・
このホテルは台湾資本のホテルだそうだが、日本人の女性スタッフもいるので不便はない。
台湾資本のせいか、台湾人らしき宿泊客が結構多い。
当然日本人も多いが・・・性別でいうと台湾人、日本人とも女性が多いような気がする。
何でだろ?(笑)
時期的なものなのか?

DSC06928_convert_20101027181642.jpg
(ホテル内の吹き抜け、中央がエレベーター、右が海の見える部屋、左が海の見えない安い部屋、笑)

朝食後、先に到着して別のホテルに宿泊していた“ヨコハマさん”と合流。
さぁ~出発だ!
まずは、“カゲヤマさん”の知人の墓参り。
名前を聞いたが、どういう人なのか良くわからない。
どうも戦友会の慰霊団が長年お世話になった方らしい。

小さなボート乗り場に行き、ここからチャーターしたモーターボートでペリリュー島へ向かう。

DSC06929_convert_20101027224608.jpg(ボート乗り場)

チャーターしたモーターボートが来るまで、しばらく待っていたら、韓国人の団体がワイワイガヤガヤとやってきた。
どうも彼等もどこかの島へ行くらしい。

DSC_1170_convert_20101027225759.jpg(出発!)

午前9時、ボート乗り場を出発!
景色は絶景である!
コバルトブルーの海!
珊瑚礁に囲まれているのか、波がないので湖の上を走っているような感じである。

DSC06930_convert_20101028133939.jpg

途中で、船着き場に来ていた韓国人ツアーのボートに追い抜かれる。
手を振ったが、手を振り返してくれた者はいない・・・・
どうせ、韓国人なんてそんなもんだよな~!!(怒)
面白くねぇ連中だ!(笑)
しかも追い越されたとなってはなおさら面白くない!!
こちらのボートはエンジンが1つだが、むこうはエンジンが2つついてるから速いんだと“カゲヤマ団長”
う~ん・・・悔しいなぁ~(笑)

DSC_1179_convert_20101028134653.jpg

出発して約40分後、ある小島に到着する。
日本軍名は「三つ子島」・・・・・
パラオ本島からペリリュー島への航路の途中に中継基地を設けていたらしく、ペリリュー島が危機的状態に陥った際には増援部隊がこの中継基地を利用しながら舟艇で移動したのである。
この島はその中継基地。
早速、上陸して島内を散策することにする。
今まで見かけた他の島々には砂浜らしきものが見当たらなかったが、ここには僅かに砂浜がある。
が・・・桟橋はない。
ボートを浅瀬ギリギリまで後進で寄せて、靴を脱ぎ、ズボンの裾をまくって海に飛び込み上陸する。
で・・・飛び込んだら・・・案外深かった!(大笑)
ゲゲッ!ズボンが濡れちまった!

DSC06931_convert_20101028140342.jpg

島はサンゴ礁でできた島・・・・
隆起した珊瑚礁の岩山をよじ登る。
岩山を登った向こうに広い池があり、その周囲に横穴壕がいくつもあった。
棲息壕であろう。
海辺の近くの斜面にも横穴がある。
形状からして、物資の保管か、小舟の格納壕のようである。
奥行きはないので大発(大型発動艇)の格納は無理。
ペリリュー島への移動は大発を使っていたはずだが・・・大発はどこに隠したんだろう。

DSC_1194_convert_20101028142257.jpg

若手の“シラカタさん”、“ヨコハマさん”は更に岩山を登って奥地まで行ってみるという。
とにかく足場が悪い。
珊瑚の岩に樹木の太い根が貼り巡っている。
湿度も高く、僅かな土や落ち葉はヌルヌル状態・・・・
慣れないことはやらない方がいい。(笑)
ここで無理して怪我でもしたら損である。
ということで・・・彼らには付き合わず、僅かにある砂浜で一服することにした。

DSC_1198_convert_20101028142933.jpg

群馬県高崎の歩兵第15連隊の一部がペリリュー島へ増援される時にも、ここに一時立ち寄ったはずである。
彼等日本兵達もこの景色を見たんだろうなぁ~
どういう思いで見たのやら・・・
戦時中であっても、今と同じような平和な景色だったに違いない。
時々、米軍の偵察機が上空を飛ぶくらいか?
それさえなけりゃ・・・ここは楽園・・・・だな・・・

DSC_1202_convert_20101028143802.jpg(三つ子島)

「三つ子島」から約20分ほどで「ペリリュー島」が見えてきた。
平たい島である。
こんな島で激戦があったのか?
米軍がこの平坦な島を見て、すぐに占領できると思ったのも無理はないだろう。
が・・・実際は、水戸の歩兵第2連隊を中心とする守備隊は頑強に抵抗し続けたのである。

DSC_1206_convert_20101028145615.jpg(ペリリュー島)


より大きな地図で ペリリュー島北波止場 を表示

旅行 | 09:54:04 | Comments(0)
パラオへ行く
今回の旅はグループ旅行である。
目的はペリリュー島の戦跡と遺骨の調査。
リーダーは歩2会事務局長の“カゲヤマさん”、サブリーダー(?)は広報部長の“シラカタさん”。
そこに有志として拙者、青森県から“ヨコハマさん”、長野県から“ヤナギサワさん”が加わり、総勢5名である。
最高齢は“カゲヤマさん”で、続いて拙者、他の3名は拙者より年下・・・・
いつの間にか、拙者は“高齢者”に仲間入りしていたのである。(笑)
どこにいっても拙者は最年少者だったはずだが・・・不思議な気分である。

青森の“ヨコハマさん”は単独ですでにパラオに行っているというので、成田からは4名で出発する。

午前11時5分発、コンチネンタル航空でグアム島に向かう。
出発まで時間があったので、出国手続き後、成田空港内を一人でブラブラして時間つぶしをすることにした。
と・・・・胸にIDカードをぶら下げた何かの職員から英語で声をかけられた。
ん?何????
「日本にはどのくらい滞在されていたのですか?」という質問らしい。
流暢な早口の英語だったので、一瞬、聴きとりづらかったが・・・・
どうも、アンケート調査らしい。
へぇっ?
え~と・・・・???
何て答えたらいいものやら・・・(大笑)
間もなく、相手が気付いた・・・・
「あっ!日本人の方ですか!失礼しました!」と言う。(笑)
しかし・・・拙者をどこの国の人間だと思ったんだろうか・・・この人・・・・
非常に気になったが、尋ねられなかった。(笑)
失敗したぁ~

DSC06919_convert_20101026131513.jpg(機内食)

午後3時半過ぎ、グアム島に到着。
ここで、コロール島行きのコンチネンタル航空に乗り換えるのだが、一応、入国審査を受けるのだそうである。
またもや指紋の採取と顔写真の撮影・・・・
5本の指・・・・って言われても、指がないんですけど・・・(笑)
どの指がいいですか?
係官が毎度、「あ~・・・」と絶句するのである。(笑)
本当に申し訳ないんだけど・・・指がないんだから・・・仕方がないんだよね。(大笑)


より大きな地図で グアム国際空港 を表示

入国審査後、他の乗客とは別れて乗り換え者は近くのドアの前に集合。
ここで乗り換え客の名簿と照合してもらい、ドアを抜けて搭乗口へ向かう。
うっかり他の人にくっついて行くとグアム空港の外に出てしまうので注意が必要だが、幸いにも最近、グアムには来ているので、勘違いを起こさずに済んだ。

さて・・・ここからが問題である。
乗り換え便の出発は午後7時35分なのである。
軽く3時間ほど時間がある。
ということで、ここで自由解散ということになり各自で時間つぶしをすることになる。
拙者は・・・・
タバコが吸いたい!!!(笑)
しかし、喫煙所が見当たらない!!!
幸い、タバコが吸えるお店が1ヶ所あった。
ウェイトレスに尋ねたら、タバコが吸えるというので、ここでタバコを吸いながら時間を潰すことにする。

ハンバーガーを食べながら読書をして時間を潰すが、3時間というのはなかなか潰れるものではない。(笑)
仕方がないから、こんどは焼きそばを頼む。
いやぁ~タバコを吸うにも余計な経費がかかるものである。(大笑)

DSC06922_convert_20101026133957.jpg

ふと、気付くと・・・・
店内に客が誰もいない!
客だけではない、店員もいない!
店の中には拙者一人・・・・
こうなると不安になるものである。(汗)
日本とグアムは1時間の時差があるが・・・・
たしか、時計の針は直しておいたよな?間違いないよな?
まさか、もう飛行機は行っちゃった・・・なんてことはないよな?(笑)

DSC06920_convert_20101027164842.jpg(だれもいない!)

しばらく読書を続け・・・そろそろ店を出ようかと思ったら店員がいない!!
ん?マズイだろ?喰い逃げ出来ちゃうぞ~(笑)
厨房の中まで探してウェイトレスをみつける。(笑)
さて、支払い・・・・
「ヤキソバですね?」と言う。
おい、おい、その前にハンバーガーと・・・コーヒーも飲んだぞ~
「ハンバーガーも食べたんですか?コーヒーも?」
あんたに注文したのに、もう忘れているのか?
可愛いウェイトレスなのだが・・・どこかボケている。(大笑)

搭乗口でメンバーと無事合流。
午後7時半過ぎ、コロール島へ向け出発!

DSC06923_convert_20101026140909.jpg(機内食)


より大きな地図で ヤップ国際空港 を表示

この便は途中のヤップ島を中継する便なので、ヤップ島に着陸。
ここで搭乗客の半数が強制的に地上に降ろされる。
通路を挟んで右と左のどちらかの乗客・・・・
で・・・機内には半数が残り、降りた乗客の座席を最初にセキュリティチェックして、その後、半数を確認を終えた反対側の席に移動させて、残り半数の座席のチェックをするのだそうだ。
拙者は地上組の座席だったので、地上に降りて、小屋のような小さな空港ターミナルの中で待つことになった。

ヤップ島って・・・戦跡があったような気がするんだけど・・・
外は真っ暗なので何も見えないが・・・
今度機会があったら、ヤップ島を散策してみたいものである。

再度搭乗して、今度こそコロール島に向かい出発!
午後10時過ぎにコロール島に到着。
時差はない。日本と同じなので、グアム島で修正した時計を日本時間に戻す。
現地旅行社の社長さんがお迎えに来てくれて、その車でホテルに直行。
今日の夕食は・・・ない。
機内食が夕食である。
グアム島で焼きそばを食べておいて正解だった。(笑)

部屋割は“シラカタさん”と同室。
部屋の中は禁煙というわけではなさそうで、灰皿があったので助かったが、彼はタバコを吸わないので、申し訳ないからベランダでタバコを吸うことにする。
とにかく一服・・・したい!(笑)


より大きな地図で パラオ国際空港 を表示



旅行 | 00:09:19 | Comments(0)
最終チェック
今日は旅行の最終チェックでドタバタである。
毎度のことながら、余計なものをついつい入れてしまう。
で・・・入れたり出したり・・・・
ついでに駆け込みの買い物まで発生する。
よせばいいのに・・・(笑)
新しくシャツを買っておこうとか、Gパンを買おうかとか・・・
で・・・シャツなどは安売りのものを買って喜んで帰って来て・・・・
自宅に帰って着てみたら体に合わない!(笑)
どうもキツイ・・・
シャツの出来が悪いのである。
サイズは合っているのだが、脇の下の余裕がないようで、腕を動かすとキツイのである。
どうも形が悪いのか、それとも初めからどこかサイズを間違えた不良品なのか・・・・
「安物買いの銭失い」である。
安いものはやっぱりこんなものである。
どこかおかしい・・・・
中国製だからなんだろう。(笑)
あ~もったいないことをしてしまった。

お昼は、出発前に栄養をつけておくか(大笑)ということで鰻を食べに行く。
だいたい、これで忘れ物はないよなぁ~
・・・・と思っても、やっぱり駄目だ。
重量もあまり重くなるとマズイ・・・・
またもや出したり入れたり・・・・(笑)
こりゃ、キリがない。

夕方、大きなスーツケースをガラガラと引きながら駅に向かう。
今回使用するのは30年前に買ったスーツケースである。
ヘルメットだの余計なものがあるので、いつものよりも大きなものでないと駄目だ。
「サンダーバード1号、出動!」である。(笑)
今まで訪れた国のステッカーなどをベタベタ貼った“特製”のスーツケース。
一番古いステッカーは、30年前に宿泊したタイのバンコクのホテルのステッカー
その次にマレーシア、シンガポール、香港・・・と続く。
最後に使ったのは母との最後の旅行の時。
わずかに残る“余白”にフランスやイタリアのステッカーを貼りたかったが入手できなかった。
またまた、ふと、母との旅行を思い出してしまった。
あの時は・・・・“ウメちゃん”に送ってもらったんだっけ。
まさか、先輩を今回もこき使うわけにはいかないから・・・・(笑)
今回はスーツケースを引きながら駅に向かう。

今晩は京成成田駅近くのホテルに泊まる。
最近、拙者の定宿化したホテルである。
夕食後、部屋にマッサージさんを呼んだら、昨年の10月にお世話になった“フクダさん”だった!
「あれ~?お客さん、前に会ったことがありますよね?」
「あれ?もしかして“フクダさん”?」
昨年の10月にフィリピンから帰国した時にお会いしている。
マッサージさんも、あの時に話したフィリピンの話などを覚えていてくれた。(笑)
へぇ~あれからもう1年近くも経つの?
それにしても、いやぁ~こういう偶然ってあるもんなんだねぇ~
「旅行に行く前に凝りをほぐしてもらわねば・・・・と思ってねぇ~」
「今度はどこに行くんですか?」
「パラオ!ペリリュー島!」
「へぇ~・・・・それ・・・どこなんですか?」(笑)
「だよね~・・・誰もわかんないよねぇ~」(笑)
大いにリラックスしてグッスリ寝る。

日記 | 00:17:05 | Comments(0)
税務教室講師研修会
午後1時半から税務署の会議室で「税務教室講師研修会」に参加する。
我が法人会からは事務局の“アサヒさん”と拙者の2名だけの参加である。
なんと情ない人数か・・・・
税務教室とは、小学校へ出向いて行なう税金についての特別授業のことだそうで、その講師になる為の研修が今日のこの研修会である。
主催は「租税教育推進協議会」・・・・
へぇ~そんな組織があったのか?(笑)
ここが講師の派遣の取りまとめを行なっているそうで、講師の研修を受けたからといって勝手に法人会が単独で講師を務めるというわけにはいかないのだそうだ。
この手の“協議会”というのは、山のようにあるが、果たしてどこまで有効に機能しているのやら・・・
“協議会”は本当に“協議”しているのやら・・・・(笑)

研修会には我が法人会の他に、市役所や公認会計士の組織、税務署から担当者が参加していた。
我が法人会が2名というのはちょっと寂しい。(涙)
法人会としては公益事業の一つとして「租税教育」も視野に入れておかねばならない。
が・・・講師をしていいのは、この研修会修了者のみである。
ならば、事前に研修会を受けておけばいいわけで・・・・
「租税教育」をやるかやらないかは後で決めればいい。
そういうことも考えて受講することにしたのだが・・・
法人会の他の役員、理事、会員は、そういう考えがないようだ。
そのくせ、「租税教育をやりましょう!」なんて話が出てくるんだから困ったものである。
まずは、講師の研修を受けろって!
それが先だろ~
口先ばかりで、さっぱり行動しない。
本当に経営者の集まりかと疑いたくもなるというものである。

研修内容は、いたって簡単なもの。
ザックリとした話である。
これを履修しただけで講師が務まるだろうか?(笑)
租税教育用のツールは税務署にあるので貸し出しをするという。
う~ん・・・役所が作った教材って面白くないような気がするんですけど・・・(笑)
やっぱり自分で教材は作りたいのだが・・・
教材も教える内容も教え方も決まっているなら、なにも研修なんか受けなくてもいいような気がする。
DVDか何かの教材映像を流して子供たちに見させればいいだけなんだから・・・

ここで素朴な疑問・・・・
なんで小学生に租税教育をするんだろうか?
中学校、高校、大学と進んでいくうちに忘れちゃうんじゃないの?(笑)
それより、高校を卒業してすぐに社会人になる生徒に話した方が有効じゃないの?
社会人になったら税金を納めなくっちゃならないんだから・・・
管轄が「税務署管内の・・・」ということになっているので、県立高校での特別授業は難しいとか、いろいろあるそうだ。
だから市内の小学生・・・ということになるのだそうだ。
しかし、本音は小学生なら大人しく話を聞くだろうということなんじゃないか?(笑)
高校生では、真面目に話は聞かないだろうし、ひねくれた質問で講師や補助役の税務署職員を困らせる可能性があるからということで、高校生を避けているんじゃないか?(大笑)
果たして小学生に税金の話をしてどこまで効果があるか・・・
「鉄は熱いうちに打て」・・・はわかるが・・・
社会人になる直前の人間に教育した方が効果があると思うんだけどなぁ~
「租税教育推進協議会」とやらは、その効果についてどういう見解を持っているのだろうか?

さて・・・
それはそうと、明後日からペリリュー島へ行くのだが・・・
海外旅行の直前に、こんな研修を受けることにしてしまった。
講義を受けながら、頭の中は旅行の準備のことで一杯である。(笑)
それじゃ、ダメじゃん!
明晩は成田空港の近くのホテルに前泊しなければならない。
正直言って、研修どころではないのだが・・・(笑)
なんで、こんな研修を受けるって言っちゃったかなぁ~(大笑)

日記 | 16:18:27 | Comments(0)
ルソン戦線最後の生還兵
ルソン戦線 最後の生還兵―マニラ陸軍航空廠兵士の比島山岳戦記ルソン戦線 最後の生還兵―マニラ陸軍航空廠兵士の比島山岳戦記
(2009/05)
高橋 秀治

商品詳細を見る


プロローグ~最後の弔砲
司令部の所在はいずこ
キヤンガンの吊橋
勤兵団は在パクダン
火傷した台湾軍属

第1章~馬尼刺航空廠への道
馬尼刺航空廠の行方
被爆するサンチャゴ橋
ドンガヨップ橋
ボンハル集落の邦人
現われる観測機
一泊したバスカラン
バガバック歩哨線
日比混血家族の嘆き
戦車撃滅隊
生と死の境界線
岩重伍長の行方
兄を慕う弟
アイタペ攻撃作戦
磯田大尉の集落

第2章~長距離砲の砲声
早川武雄主計中佐
バカール村
親日家族の協力
憲兵伍長
水牛盗難騒動
P-38の爆撃目標
バレテ急変
昭和20年6月1日
馬頭橋に迫る敵戦車
バカール村を発つとき
敗走の始まり
ラムット橋
ファーム・スクール
サントドミンゴ峠
不可解な共産主義
悲痛な母の叫び声
果たせぬ仮小屋の夢
パクダンへの道
メンコの数
落下傘ニュース
シラミ退治
アシン河谷の日本人
山岳民族イゴロット
マゴック村の守護神
保護証明書
集落の生活
芋と兵隊

第3章~密林の中の敗走
早川中佐、出頭命令
怖いアメーバ赤痢
役に立たない証明書
病死者の遺体処置
迫撃砲攻撃目標
マゴックの老夫婦
老婆の愛情
迫撃砲の弾痕
谷を襲う鉄砲水
柳沢上等兵の人間性
アシンに生きる人
宿舎の鼠を食う男
稜線を狙う迫撃砲弾
三軒屋の勤司令部
師団長津田美武少将
主計軍曹の序列
河谷に漂う屍臭
籾集積所に迫る銃声
散乱する白骨
人を襲う山蛭
ゴムシートの中身
終戦を知らせたビラ
戦いの跡
一軒屋の後方参謀
参謀と統帥権

第4章~日本軍の降伏
ポツダム宣言
惜しかった獲物
ゴロテの1ドル銀貨
戦没者合同慰霊祭
戦後殺された理由
武装解除前夜
降伏する山下軍司令官
山を降りるとき
降伏地に集まる住民
武器を捨てた兵隊
武装解除
取られたライター
見えた文明の光
サンホセ駅発車
南へ走る貨車
フィリピン人の対日感情
軍人勅諭と戦争犯罪

第5章~捕虜収容所
戦争犯罪容疑
囚われの身
嘘だった米軍給与
袋叩きになるPW
始まる捕虜生活
キャンプ組織
空腹との闘い
兎の糞
暴行を加える米兵
藤井さんと腕時計
捕虜のプライド
PWの中隊指揮班
帰国を夢見て
演芸大会の果てに
再編成後の行き先
4コンの戦犯容疑者
容疑尋問はじまる
戦犯容疑者心得
訓示する武藤参謀長
裁かれる悲劇の将軍
バターン死の行進
クリスマス・イブ
高野さんと中野さん
PW煙草拾い作戦
戦犯容疑者首実験
身を救う嘘の報告
BC級裁判の実態
ヤクザの賭け事
勢力広げる右翼団体
右翼ボス逮捕
赤蟻の行列
4コン雑記ノート

第6章~望郷の日日
高橋教授の英語講座
2世下士官へ報復
第2キャンプ暮らし
カロカン地区作業隊
日本人に対する憎悪
シスターの贈物
お汁粉の味
ガソリンで焼く糞尿
被服泥棒の旨味
嬉しい内地の便り
横行する窃盗団
モンキーハウス
乗船待機
帰還への不安
マニラ北港埠頭
引揚船VO29号
さらば!マニラよ
比島決戦参加人員と戦没者数
生還の記
上陸した名古屋港
兵士を捜す肉親
廃墟の跡
東西に別れるとき

エピローグ~懐かしき故郷
コロナの値段
わが家に帰る

『最後の生還兵』というのは、ちょっと大げさな名付け方だなという気がするが・・・
筆者がルソン島から一番最後に生還したというわけではないのだから・・・
インパクトのある書名を付けたものだとある意味、感心した。
筆者は当初はニューギニアにいたが、その後、フィリピンに移動。
第4航空軍経理部に所属し、その後マニラ航空廠、最後は第105師団(勤兵団)経理部に所属した主計軍曹である。
私も訪れたことのあるルソン島北部の地名が出てくるので親近感をもって読んだが、残念ながら戦記としては、作戦や戦闘状況がそれほど詳しく書かれているわけではない。
歩兵などの本職の戦闘員ではない主計だから仕方がないだろう。
ルソン島北部を転々とした話だが、それなりに参考にはなりそうだ。
筆者は平成19年にお亡くなりになられているので、二度とは聞けない話である。
挿図のバスカラン町、バカール村の筆者手書きの略図は、貴重な資料だと思う。



今年の読書:43冊目



読書 | 12:54:21 | Comments(0)
何か忘れてる・・・
10日にペリリュー島へ向かう。
大体、用意は出来たよなぁ・・・
しかし、なんとも落ち着かない。
今までこんなにスムーズに用意が出来たためしがないのだから・・・(笑)
何か抜けているんじゃないか?
と・・・思い出した!
お金!!!
旅行に持って行くお金がない!(大笑)
急いで銀行へ行き、お金をおろす。
あぶねぇ~あぶねぇ~
金も持たずに出掛けるところだった。(笑)


日記 | 12:47:39 | Comments(0)
ヘルメット!
今日は旅行のお買い物。
ペリリュー島では洞窟内に入るのでヘルメットを用意すること・・・とのこと。
ヘルメットねぇ~(笑)
そんなもの持っていないから買いに行くしかないか~
折畳のヘルメットってないのかなぁ~
これ・・・邪魔なんですけど・・・・(笑)
荷物が増えてしまうんですけど・・・

拙者がヘルメットを被った事は人生で一度しかない。
“ウメちゃん”の家を新築している時に、ビデオ撮影のために建築現場に入った時だけ。
大工の棟梁から「ヘルメットを被れ!」と言われて被った。
これが我が人生、初めてのヘルメットである。(笑)

そうだ!“ウメちゃん”の会社のヘルメットを借りちゃおうか!
・・・とも思ったが・・・
帰国の時に邪魔だったら現地に捨てたいしなぁ~(笑)
まさか、借り物のヘルメットを捨ててしまうわけにもいくまい。(笑)
やっぱり自分で買うことにする。

“ワークマン”へ行く。
白いヘルメットと黄色のヘルメットがあったが・・・
黄色では、いかにも工事中ですっていう感じだからやめようか。(笑)
散々迷ったあげく、白いヘルメットを購入する。
優柔不断な拙者はヘルメットひとつ買うのにも時間がかかるのである。

ついでに作業服も1着購入。
昔、仕事で使っていたものが2着ほどあり、もう使う事はあるまいと捨てる予定だったが、取っておいてよかった。
これと合わせて3着を持って行けば間に合うだろう。
ペリリュー島のジャングルがどういうものか知らないけど、取りあえず夏物の長袖・長ズボンの作業服を持って行けば何とかなるだろう。

日記 | 12:21:11 | Comments(0)
お土産を忘れた??
今日は、妹家族が我が家にやってきた。
この間の“ヨーロッパ武者修行”の報告に来たのだ。
事前に子供たちからは「お土産を持って行くからねぇ~!」と電話をもらっていたのだが・・・・
ん?ん?ん?
いつまでたってもお土産が出てこない・・・・
ん?ん?ん?
姪っ子曰く・・・「持ってくるの忘れた・・・・」
「ほんとうかぁ~?それ~・・・本当はお土産なんか買ってないんじゃないかぁ?」(笑)
餞別を渡し損ねた“伯父”は、自分を棚にあげて姪っ子をからかうのである。(笑)

お土産は、品物より“土産話”のほうがいい。
なんと!
留守番役をしていたパパが昨晩必死にアルバムを作って持ってきてくれた。
それを見ながら“土産話”を聞く。
それにしても・・・パパも大変である。(笑)
夜なべ仕事でアルバムを作らされたのである。(大笑)
本来は、旅行に行った本人たちが作るべき物じゃないか?(笑)

子供たちの話はどうも曖昧・・・・
ん?
出発前に、「あとで旅行記が書けるように日記を付けておけよ」と話しておいたのだが・・・
どうも日記を付けていなかったらしい。
どこで何をしたのか・・・
「う~ん・・・忘れた~」の連発である。(笑)
貴重な経験をしたというのに・・・・
しかし、それもよかろう。
大人になった時に、「あの時、ちゃんと伯父ちゃんの言うように日記を付けておけばよかった」と後悔するであろう。(笑)
ということは・・・伯父ちゃんと同じ程度の人間にしかなれないぞ・・・と・・・
偉大なるこの伯父ちゃんを超えることは無理だぞ・・・と・・・
まぁ、そういうことになるのだが・・・(笑)

今回の経験がいつか役に立つ時が来る。
細かいことを覚えていなくても経験したという事が大きい。
子供たちがどう成長して行くのかが楽しみである。
すでに成長が止まって将来の無い伯父ちゃんはそう思うのでありました。(大笑)

日記 | 12:02:09 | Comments(0)
地獄の戦場ニューギニア戦記
地獄の戦場 ニューギニア戦記―山岳密林に消えた悲運の軍団 (光人社NF文庫)地獄の戦場 ニューギニア戦記―山岳密林に消えた悲運の軍団 (光人社NF文庫)
(2003/11)
間嶋 満

商品詳細を見る


本書は、独立工兵第30連隊に所属していた陸軍准尉が書いた戦記。
体験に基づいた戦記であるから、広範囲なニューギニアの一部の話になるが、太平洋戦争の全般的な話も含めて語られている。
基本的にはニューギアで戦った第18軍の話ということになる。
ただ、残念なのは、ニューギニアの各地の地名が本文にいくつも出てくるのだが、地図の掲載がないので、どのあたりの話なのか位置関係がよくわからないというところか。
この手のものは、できれば地図や略図などで、位置関係や配置関係をわかりやすくビジュアル化しないとわかりづらい。
題名は「地獄の戦場」なのだが、ちょっと語り足りないせいか、「地獄」という印象をあまり受けなかった。
かといって、故意に話を膨らませ、無理矢理ショッキングな話に持って行こうとする戦記というのも困ったものである。
そういう意味では、正直な等身大の戦記といえる。

第1章 死守玉砕
珊瑚礁の島
崩壊の第一歩
戦雲急を告げる
恐怖の海で
真珠湾奇襲の誤算
高価な犠牲
小田健作少将の自決

第2章 神話の崩壊
南十字星の戦場
地獄の1丁目
禁固7ヵ月
凶暴な野獣

第3章 死出の旅路
転進命令
例なき架橋
パプア人の村
樹海からの脱出
地獄絵図の現実

第4章 最悪の戦場
サルワケットを越えて
地獄であった仏
万策つきる
グンビ岬の敵
屍を乗り越えて
無限地獄



今年の読書:42冊目



読書 | 11:05:06 | Comments(0)
毛利甲斐守邸跡
DSC06911_convert_20101013142246.jpg

東京都指定史跡
毛利甲斐守邸跡

所在地 港区六本木6丁目9番
指定 昭和18年3月16日

この地は、吉良邸(きらてい)討入りに加わった元赤穂藩士47人のうちの10人が預けられた長門長府藩(ながとちょうふはん)毛利家麻布(もうりけあざぶ)日ヶ窪(ひがくぼ)上屋敷の一部である。
中国地方の戦国大名毛利元就(もうりもとなり)の孫に当たる秀元(ひでもと)を初代とする毛利家は、現在の山口県下関市に藩庁を置いた外様大名(3万6千2百石)である。
赤穂事件当時の3代藩主毛利綱元(つなもと)(1650~1709)は、56年間の在任中に家臣団の整備や財政の建て直しを図り、藩政を確立させるとともに、歌集「七石集(しちせきしゅう)」を著すなど、和漢の学に長じた名君として知られている。
元禄15年(1702)12月15日、藩主毛利綱元は、家臣田代(たしろ)要人を請取人(うけとりにん)として江戸詰藩士(えどつめはんし)3百余人を大目付仙石(せんごく)伯耆守(ほうきのかみ)邸(現在の港区虎ノ門2丁目8)に遣わした。
岡島八十右衛門常樹(おかじまやそうえもんつねき)、吉田沢右衛門兼貞(よしだざわうえもんかねさだ)、武林唯七隆重(たけばやしただしちたかしげ)、倉橋伝助武幸(くらはしでんすけたけゆき)、間新六光風(はざましんろくみつかぜ)、村松喜兵衛秀直(むらまつきひょうえひでなが)、杉野十兵次次房(すぎのじゅうへいじつぐふさ)、勝田新左衛門武堯(かつたしんざえもんたけたか)、前原伊助宗房(まえばらいすけむねふさ)、小野寺幸右衛門秀富(おのでらこうえもんひでとみ)の10人の日ヶ窪の江戸屋敷に収容された。
元禄16年(1703)2月4日、幕府の裁きにょり10人は、使番(つかいばん)斎藤次左衛門利常(さいとうじざえもんとしつね)(千7百石)、目付(めつけ)鈴木次郎左衛門福一(すずきじろうざえもんよしかづ)(5百石)の立会いのもと、この屋敷で武士の本懐を遂げた。
この時、本藩である長州(萩)藩からも藩士が派遣されており、長府毛利家は、本来の保護を受ける立場であり、義士預かりに慎重を期したことが伺える。

(説明板より)


より大きな地図で 毛利甲斐守邸跡 を表示


史跡 | 14:20:25 | Comments(0)
水交会へ行く
今日は、「水交会」へ行く。
「水交会」は旧海軍士官の親睦団体である。
事前に電話で午後に面談してくれるよう頼んでおいた。
ホテルをチェックアウトしたが、時間に余裕があるので・・・
折角、六本木にいるのだから、「六本木ヒルズ」ってどんなところなのか見に行ってみることにした。
“田舎者”である。(笑)
ホテルからテクテク歩いて行く・・・が・・・暑い。
9月だというのに・・・暑い。
残暑である。
「六本木ヒルズ」は洒落た街並みである。
なぜかやたらと外人に出くわす。
ここは「外国人居留地」か?(笑)
小さな公園があったので立ち寄ってみたら、「毛利甲斐守邸跡」という説明板が建っていた。
へぇ~・・・である。

DSC06913_convert_20101013135141.jpg

隣りにテレビ朝日の本社ビルがあった。
ふ~ん・・・である。(笑)
「六本木ヒルズ族」とか「セレブ」とかという言葉を聞くが・・・・
なにが「セレブ」だ、馬鹿野郎・・・・という気がしてならない。(大笑)
しかし、ここは開発前はどういう感じだったのだろう?
一度ぐらいはこの周辺を歩いたことがあるんじゃないかという気もするのだが・・・
当時の景色を全然思いだせない。
もしかしたら、来たことはないのかも・・・(笑)

グルリと「六本木ヒルズ」を見て、原宿に向かうことにする。
「水交会」は東郷神社の中にあるので、昼食は原宿でとることにする。
原宿の「竹下通り」を久々に歩いてみることにする。
高校3年の時、大学受験の模試を受けるために上京した際に訪れたのが「竹下通り」の初めてである。
あの頃は、もっとお店も多く人通りも多かったような気がしたが・・・・
それでも外国人や若い“ガキ”(笑)連中でかなり混雑していた。
こういうところをスーツ姿で歩くのはちょっと気が引ける。(大笑)
お店の女性店員さんから声をかけられる。
オムライスが自慢のお店らしい。
折角“ナンパ”されたのだから・・・(笑)・・・ということで、このお店で昼食をとることにする。
硬派な顔していて実はかなり美人に弱いのである。(大笑)

DSC06914_convert_20101013135425.jpg

このお店のオーナーが、またおしゃべり好きな人なので・・・・(笑)
暫くの間、あれやこれやとおしゃべりに花が咲く。
ちょうどお昼だというのにお店にはお客さんがいない・・・・
おしゃべり好きも結構だが、これでやっていけるのだろうかと余計な心配をする。(笑)
しかし、オーナーは“趣味”でレストランをしているようなのである。
不景気に対する愚痴が一つも出てこない・・・・
こういう人との会話は楽しいものである。

午後、「水交会」にて役員の方々と面談。
今回の用件は、毎年10月25日にフィリピンのスリガオで開催されている「スリガオ海峡海戦記念式典」についての話である。
昨年、拙者が日本代表として参加した経緯と報告をし、もし関係者がおらられば是非一緒に参加してもらえないだろうかという御案内である。
本来ならば、昨年の報告は昨年のうちにやっておくべきだったが、いつものようにグズグズしているうち今頃になってしまった。
来月の話なので、急に今から関係者を探してくれと頼んでも無駄なのは承知。
一応、こういう式典が現地で開催されていますという御案内だけとなる。
「水交社」は海兵出身の海軍将校の集まりなので、部隊ごと、艦船ごとの戦友会に関しては関知していないとのこと。
とりあえず、会合の折などでスリガオの話が出たら紹介してくれるよう頼む。

夕方、上野駅で我が戦友会の“マスダ君”と待ち合わせ。
その間、時間があるので、「アメ横」で、今度のペリリュー旅行の買い物をする。
LEDの強力な懐中電灯やリュックサック等・・・・
そのうち待ち合わせ時間に遅れてしまい、彼には申し訳ないことをしてしまった。
上野駅構内の、いつものコーヒーショップで面談。
この間、彼がオーストラリアの博物館から入手した我が戦車第2師団関係資料のコピーの内容等の確認をする。
いやぁ~貴重な資料をよく入手したものである。
拙者には出来ぬこと。
大したものである。
英語が出来る人がうらやましい。(笑)

その後、特急で帰宅。
この2日間はかなり充実した2日間であった。
いつも自宅に籠りっきりなので、なおさら痛感する。
満足、満足・・・・・

日記 | 12:40:42 | Comments(0)
次のページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。