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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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観濤所
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観濤所(かんとうしょ)
市文化財指定 昭和46年9月21日 名勝・工芸品
所在地 ひたちなか市磯崎町3602

江戸時代の天保4年(1833)頃、第9代水戸藩主徳川斉昭(烈公)がこの地を訪れ、聞きしにまさる雄大な景観に感動し、水戸藩内随一の波浪の見どころとして「観濤所」と命名し、水戸八景の番外景勝地として碑を建てさせたといわれています。
碑は、江戸時代から磯崎石として広く知られた海岸の自然石を用い、碑面には斉昭公自筆の隷書が刻まれています。
昭和10年に、この碑を風化から保護するために、当時の平磯町で大谷石の碑覆堂(ひふくどう)を造りました。
当地を訪れた多くの文学者達もこの観濤所を高く評価し、明治時代の文豪大町桂月(おおまちけいげつ)の紀行文「水戸の山水」や、菊池幽芳(きくちゆうほう)の小説「乳姉妹(ちきょうだい)」などの作品にも描写されています。

(説明板より)

DSC06896_convert_20100925143136.jpg(観濤所から見た景色)



より大きな地図で 観濤所 を表示


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史跡 | 13:56:15 | Comments(0)
反射炉
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茨城県指定史跡
那珂湊反射炉跡

幕末、那珂湊沖にも異国船が出没するようになり、水戸藩第9代藩主徳川斉昭が、海防の要を唱えて領内各地に砲台を築くため、大砲鋳造を目的として当吾妻台に建設したのが反射炉(大型の金属溶解炉)である。
建設にあたっては、薩摩藩士竹下矩方、三春藩士熊田宗弘、南部藩士大島高任らの協力を得て、那珂湊の大工飛田与七や瓦職人福井仙吉が尽力した。
安政2年(1855年)に1号炉(西炉)、同4年に2号炉(東炉)が完成した。
高さ約15m、使用された耐火煉瓦は約4万枚といわれている。
元治元年(1864年)元治甲子の乱で破壊され、昭和12年に現在の模型が、ほぼ原型どおりに復元された。

指定日 平成16年11月25日
設置者 ひたちなか市教育委員会

(説明板より)


より大きな地図で 那珂湊反射炉跡 を表示

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史跡 | 13:29:18 | Comments(0)
山上門
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山上門
ひたちなか市指定建造物

平成4年6月25日指定
ひたちなか市栄町1丁目10番

この門は、水戸藩江戸小石川邸(現在の東京都文京区小石川町)正面右側の門で、江戸時代後期に勅使奉迎のために特に設けられた門である。
小石川邸の建物はこの門のほかは全て失われており、今日残存する邸唯一の建築物である。
名前の由来は、後に小石川邸内の山上に移築されたことによるという。
幕末動乱期には佐久間象山(兵学者)、横井小楠(政治家)、西郷隆盛(政治家)、江川英龍(兵学者)、橋本左内(思想家)ら幕末、維新史上重要な役割を担った諸藩の志士たちもこの門をくぐりm、小石川邸に出入りしたといわれる。
形態的には薬医門である。
薬医門は本柱と控柱を結ぶ梁の中間に束をおき切妻屋根をのせた門で、江戸時代後期の典型的な屋敷門である。
昭和11年に那珂湊出身の深作貞治氏が、当時の陸軍省から払下げを受け、那珂湊の当地に移築し保存したもので、昭和32年に那珂湊市へ寄贈されている。

ひたちなか市教育委員会

(説明板より)


より大きな地図で 山上門 を表示


史跡 | 12:46:14 | Comments(0)
久し振りのドライブ
水戸藩士の“シミズくん”からお誘いの電話。
「水戸の護国神社にいきませんか?」という。
拙者は毎日暇である。(笑)
ホイ、ホイ、と誘いに乗ることにした。

今日は「終戦記念日」である。
正しくは「敗戦記念日」だと思うのだが・・・世間では「終戦記念日」と言っている。(笑)
靖国神社は、さぞかし大混雑だろう。
さて・・・護国神社の場合はどうなんだろうか・・・・
そういう興味もあるので行ってみる。
で・・・その結果は・・・
唖然!
誰もいない!(笑)
若いお母さんと子供の1家族だけがお参りに来ていただけ・・・・・
う~ん・・・これはどういうことだ?
「終戦記念日」というと、いつでも靖国神社が話題になるが・・・・
護国神社は無視か?
護国神社がなんたるかを誰も知らないのか?
こうなると、8月15日に靖国神社に参拝する人が、益々ミーハーに見えてくる。
わざわざ茨城から靖国神社へ参拝に行く奴がいたらミーハーである。
お参りしたいなら地元の護国神社に行くべきだろう。
地元出身の英霊が祀られている(ことになっている)んだから・・・
東京在住の人だけが靖国神社にお参りに行けばいい。

拙者はこの時期に靖国神社にはお参りにはいかない。
8月15日だけを特別な日のように扱っている世間への反発からである。(笑)
英霊たちにとっては毎日が“命日”なのであるから・・・・
普段からお参りしているから、なにもことさら8月15日に行くことはないだろう。

護国神社お参り後、境内にある「ペリリュー島戦没者慰霊碑」にお参りする。
来月、現地に行く予定なので・・・・

昼食は、市内のうなぎ屋さん。
う~ん・・・なかなか美味しかった。
栄養補給完了!
店の近くに栗田寛の銅像があったので撮影!
銅像をゲットしたぞ~!
満足、満足・・・である。

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せっかくだから・・・・
那珂湊周辺をドライブすることにする。
確か、那珂湊には「反射炉」があったはずなのだが、拙者は一度も行ったことがない。
鹿児島、萩、佐賀の「反射炉」には訪問しているが地元には行ったことがないのである。
ここをゲットすると・・・残るは韮山の反射炉だけかな?(笑)
“シミズくん”の運転だから気が楽である。
あっちに行きたい、こっちに行きたいと拙者は希望を言うだけ。(笑)

DSC06857_convert_20100925123729.jpg(反射炉)

う~ん・・・・これまた感激!
水戸藩士君のおかげである。

その後、あっちをウロウロ、こっちをウロウロとドライブしながら帰宅する。
地図を持参してのドライブなら、もっと効率よく史跡巡りができたであろうが・・・・
行き当たりばったりのドライブもまた楽しいものである。

日記 | 12:10:17 | Comments(0)