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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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役に立つのか?
夜、“ウメちゃん”と食事をした時のこと・・・・
“ウメちゃん”が新しく腕時計を買ったと見せてくれた。
かなり高価な時計である。
時計なんて時間がわかればいいんだから、1万円以下のものでも十分ではないかと思うのだが・・・
桁が違う!(笑)
うそぉ~!信じられない!・・・・という値段なのである。

「あ~もったいねぇなぁ~時計なんかにそんなに金を使って・・・その金で海外旅行に行けるでしょ?その金を僕にくれりゃ、フィリピンに1回行けるんだけどなぁ~」
「何言ってるんだよぉ~」
「時計と海外旅行・・・どっちがいいと思う?」
「海外に行けないから時計を買ったの!」
「だから・・・僕が代わりにその金で行って来て報告してあげるって!」
「なんでお前が俺の金で海外に行くんだ?」
「まぁ、いいじゃない?」

「で・・・何でそんなに高いの?その時計・・・・」
「この時計・・・100年経っても1秒も狂わないっていう時計なんだぞ~すごいだろ?」
「100年?あんた・・・今、何歳?あと何年生きられるの?」
「・・・・」
「100年間狂わないって・・・どうやって確認するの?」
「・・・・」
「あと20年ももてばいいんじゃないの?」
「おい、おい・・・」

さらに・・・文字盤が素晴らしいと“ウメちゃん”は自慢するのだが・・・
え~と・・何だろ・・・この文字盤・・・
小さなグルグル回る針がいくつか付いてる。

「ねぇ、何?この小さな針・・・」
「何が?この針?・・・・え~と・・・ねぇ・・・」
“ウメちゃん”はメガネを上げたり下げたりしながらしばらく見ていたが・・・
「何だろ?よく見えねぇなぁ~・・・・秒かな?」
「じゃぁ・・・こっちは?」
「う~ん・・・見えないなぁ~・・・曜日?いや・・・日にち?」
「見えないの?」
「う~ん・・・小さすぎてよく見えない・・・」
「見えない時計って役に立つの?それ・・・」
「うるせぇなぁ~いいだろ、何だって!」

わからん・・・こういうのに大金を使う人の気持ちが・・・・わからん・・・(笑)

ちなみに、拙者の腕時計は・・・5000円!(笑)
しかも・・・アナログ!(笑)
以前は、デジタルの腕時計だったのだが、海外に行く時に不便なのである。
時差があるから、時計の針を進めたり戻したりというのは、デジタル表示の時計はやりづらいのである。
そこでアナログに戻した。
これなら、ツマミをグルグルと回すだけですむ。
簡単!簡単!(笑)

時計というのは、時間がわかればいいんだし・・・・
目的に合わせて使いやすいほうがいい・・・
目が悪くて文字盤がよく見えない人は文字の大きな時計じゃないとね・・・3000円くらいの・・(笑)
何十万円もする、文字盤の良く見えない時計って役に立つの???(笑)
今晩は“ウメちゃん”を大いにからかって遊ぶ。(大笑)


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日記 | 00:38:55 | Comments(0)
これも何かの縁?
今日は法人会地区会の総会。
会長が所用で遅れるということで、今回は“マツヤマ副会長”が議長を務める。
で・・・最初に議事録署名人の指名。
いきなり、拙者の名前が呼ばれたのには驚いた!(笑)
なんと!事前の打ち合わせもなしにいきなりである!
あとで聞いたところ、事務局側が、拙者が来ているのは確認していたが、どこに座っているのかわからなかったので、指名されることを伝えるのが出来なかったという。
あのね・・・拙者は広報担当なんだから一番後ろの角の所がいつも定位置でしょ~
なんで気がつかないんだよぉ~(笑)
拙者は存在感がない???
それにしても・・・あ~心臓が止まる思いだったぞぉ~(笑)

DSC06805_convert_20100825161005.jpg(総会)

総会後は記念講演会。
今回の講師はTBS報道局の解説・専門記者室長(局長待遇)である、杉尾 秀哉 氏である。
演題は、報道マンが語る「政権の行方と日本経済の展望」・・・

DSC06818_convert_20100825161435.jpg(講演会)

その後・・・懇親会。
講師の杉尾氏にも参加していただいた。
いつもは、講師を囲んで“お偉いさん”方がお相手しているので、拙者は挨拶に行くということはないのだが・・・
今回は何故か、講師がポツンとしている時間があり、間が持たない御様子・・・・
では・・・ということで、ご挨拶に伺う。
話題は、この間行ったミッドウェーの日米合同慰霊祭の話・・・・
「TBSのクルーが取材に来てましたよ」とお話ししたところ、「参加されていたのですか!」と驚かれていた。
慰霊祭の件を御存じだとは、こちらのほうが驚いてしまう。(笑)
いやぁ~さすがだねぇ~
いつ放送されるのか知らないのだが・・・とお話ししたところ、後日社内で確認をして連絡をくれるとのこと。
いやぁ~このタイミングって何だろう・・・・
何かの縁・・・とはこういうものか?(笑)
会員の“スナカワくん”が、「写真を撮りましょう!」と言って拙者のカメラで杉尾氏とのツーショットを撮った。
拙者は、これまでに講演会を主催する側の一員として講師をしてくださった“有名人”と一緒に写真を撮る機会がいくらでもあったが・・・
いまだかつて一度も講師と一緒に写真に収まった事はないのである。
全てお断りしてきたのである。
が・・・どういうわけか今回は写真に収まっちゃった。(笑)
と・・・それを見て、会場の皆さんが“順番待ち”で並んでしまった。
懇親会から講師との撮影会に変わってしまったのである。(笑)
杉尾さんにはご迷惑をおかけしてしまったかなぁ~・・・申し訳なし。

2次会はクラブで・・・

その後の3次会は“スナカワくん”と2人でウロウロ・・・
フィリピンパブに行ってみたいというので、偶然見つけたフィリピン人のスナックへ行ってみる。
初めての“飛びこみ”で入ったのだが、フィリピン人の女の子が2人しかいない小さな店。
お客さんが誰もいない・・・・(笑)
まぁ~いいかぁ~ということで、ここで飲みはじめ、女の子とおしゃべりをしたら・・・
なんと!ひとりの子がスリガオの出身だというではないか!
昨年のスリガオ海峡海戦式典に参列した話などをして大いに盛り上がる。
いやぁ~これも何かの縁というものだろうか?(笑)

久し振りに酔って帰宅する。

日記 | 00:34:27 | Comments(0)
ようやく完成!
遅れに遅れていた我が戦友会の会報の原稿が出来上がった!
本来は5月には発行する予定だったのだが、モタモタしていて今頃になってしまった。

今年の会報は昨年より少し「読み物」を増やしたのでページ数が少し増加した。
以前、ある会員から「もっと読みごたえのある読み物を掲載してくれ」と連絡を頂いたことがある。
しかし、その反対に「もう高齢で文字を読むのが大変なんだから写真を多く掲載してもらいたい」という要望も届いている。
それぞれの希望に沿うように構成するのも大変である。(笑)

従弟の“シンゴちゃん”に自宅に来てもらい原稿のデーターを渡す。
あとはゲラの校正と、発行だから・・・・発行は7月末ぐらいになるかなぁ~(笑)
とにかく拙者の手を離れてホッとした。




日記 | 11:48:38 | Comments(0)
早くも予定変更かい!
夕方電話が・・・
福岡の某住職である。

今日の用件は・・・・
昨日のガダルカナル島行きの予定が変更となったという。(笑)
どうも現地のホテルに、その日は東京からの慰霊団か何かが来て一杯なのだそうだ。
というわけで・・・延期!(笑)
変更後の日程は11月16日から25日とのこと。
で・・・私の場合はJTBの担当者と直接打ち合わせをしてシンガポールまで来てくれとのこと。(笑)

「まさかのガダルカナル」の連絡の次は、「まさかの延期」か・・・・
また数年前の悪夢の繰り返しか?(笑)
とりあえず予定は空けておくが無理はしないようにした方が賢明だな。
予定が入ったらガダルカナルには行かない。
それがいいだろう。
また振り回されるのはお断りである。

日記 | 00:07:32 | Comments(0)
ルソン戦記(下)
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(1989/08)
高木 俊朗

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第6章 川霧の中から

第7章 狂気と正気

第8章 ベンゲット道脱出

第9章 死んだ兵隊はどうなるのか

第10章 最後のベンゲット移民

著者は、この「ルソン戦記」を「ベンゲット道」と「バレテ、サラクサク峠」の2部に分けてまとめる計画だったようである。
その第1部がこの「ベンゲット道」である。
証言と史料に基づきかなり細かく書かれている。
また、その矛盾点や関係者が隠そう誤魔化そうというものに対しても言及している。
歩兵第71連隊の林連隊長に関する記述などがそれだが・・・
ただの戦記ではなく、本質的なものに切り込まなければ・・・という筆者の思いからだろう。
「文庫版のためのあとがき」で、筆者は第2部の「バレテ、サラクサク峠」では、餓死作戦の崩壊の経路をたどることを企図している・・・と書いている。
平成元年の文である。
筆者は平成10年に89歳で他界されたが、この第2部は結局未完(未刊)で終わってしまったようで、第2部はお目にかかった事がない。
なんとも残念である。
筆者が「ルソン戦は最初から見殺しの作戦であった」と断言しているこのバレテ峠とサラクサク峠の2大山岳戦をどう書いてくれるのだろうかと期待していたのだが・・・
永遠に見ることが出来なくなったのは残念である。
サラクサク峠での緒戦は拙者の祖父が指揮官として戦っていたので、当然、祖父についても何らかの記述があるだろう。
そもそもの戦いは祖父の捜索第10連隊を基幹とする「鈴木支隊」と米第32師団の激突から始まっているのだから・・・
祖父は平成3年に他界したが、それまでに高木氏から取材を受けたような話は聞いていない。
取材を受けていたが拙者には教えてくれなかったのかも知れない。
祖父のことがどう描かれるのか・・・是非読みたかった・・・・
第2部が未刊というのは何とも残念である。



今年の読書:28冊目



読書 | 10:38:46 | Comments(0)
まさかのガダルカナル
夜、電話が鳴った・・・・
出てみると・・・
福岡県のお寺の住職だという。
で・・・いきなり・・・
「ガダルカナルですが、11月2日に出発となりましたので・・・」と言うのである。
はぁ?
いったい、何事??
「以前、お話しが行っていると思いますが、ガダルカナル島の件です」
「さぁ・・・何のことやらわからないんですけど」
「とにかく11月2日に決まったのでお知らせします」
はぁ?

よくよくお話しを聞いてみたら・・・
福岡の歩兵連隊の遺族会の事務局長である“ウエムラさん”がお亡くなりになったという。
あらら!
それでようやくわかった。
もう何年も前から“ウエムラさん”にガダルカナルの慰霊に同行してくれと言われていたのである。
が・・・毎年、延期!
「今年は、その日は都合が悪いので・・・」と断ると・・・
「今年こそは実行しますから、是非参加して下さい」と言うので、法人会の理事会日程を変更してもらったりと都合を付けて待っていると・・・またもや延期!!!
散々迷惑をかけられて少々頭に来ていたのである。
その後、“ウエムラさん”は体調を崩し入院され、その後退院したという連絡の葉書が届いた。
「改めてご連絡します」とのことだったが、音信は途絶えたまま。
どうせいつもの事だろうと、そのまま放置していたが・・・お亡くなりになったのかぁ~

“ウエムラさん”とはお会いしたことはない。
電話で2度ほどお話しをしただけ。
その電話も2度とも「中止」の連絡である。(笑)
1度目は「団長をお願いしていた方が都合が悪くなったので・・・」
2度目は「キャンセルされた参加者がいて参加者数が減ったので・・・」
団長がいようがいまいが、参加者が少し減って旅費が少し上がっても、行ける時に行くべきじゃないかと思ったのだが・・・一方的な電話。
用件のみを伝えて電話を切るんだから話にならない。(笑)
この一方的な物言いの仕方は福岡県の県民性か?(笑)

で・・この住職も同じ・・・一方的な話・・・(笑)
どうもこの住職は2度ほどガダルカナルに同行された方らしい。
今回、“ウエムラさん”の遺骨を現地で散骨するため慰霊の旅を企画したらしい。
「以前、お話しが行っていると思いますが・・・」と言われても、その「以前」は数年前のことである。(笑)
その時の名簿が住職のところに回ったのだろう。
住職はとうとう寺の名前も自分の名前も言わないで電話を切ったので・・・この人が誰なのかはわからない。(大笑)
個人情報が流出してるジャン!(笑)

「11月2日に出発して11日に福岡に戻ります」
「福岡?」
「あ~あなたは成田からですね?」
「そうなりますね」
「じゃぁ、シンガポールで待ち合わせして合流しましょう。詳しい話はまた後ほど。JTBが全部やりますから。では、11月2日よろしく」・・・プツン・・・・プープープー(笑)
へぇ?
拙者は参加するともしないとも言っていないんですけど・・・・
拙者の参加の意思は確認しないの?(笑)
大丈夫かなぁ~・・・こういう人と一緒に行って・・・・(笑)

降って湧いたガダルカナル行き・・・・
行きたい気持ちは山々なれど・・・
悩むところである。

日記 | 23:30:05 | Comments(0)
プラモデルが届く
先日、衝動買い(笑)で、ネットでプラモデルを2つ注文・・・
それが今朝届いた。

昨晩、“ウメちゃん”と夕食を食べた時にプラモデルを注文した話をしたのだが、その時に大いに馬鹿にされた。
「いい歳してプラモデル・・・作るの?」
何を言うか!!(笑)
控えおろ~!
拙者は素晴らしい構想を持っておるのだぞ!(笑)

今回購入したのは・・・
「日本陸軍75mm機動90式野砲」・・・・
これはそうそう手に入らないんじゃないか?
我が戦車第二師団の機動砲兵第2連隊で使用していた大砲だと思う。
もうひとつが・・・
「日本陸軍九四式六輪自動貨車」・・・つまり6輪トラックである。
これもそうそう手に入らないのでは?
このプラモデルのデカール(シール)に我が戦車第二師団の戦車第7連隊材料廠のマークが含まれているのだ。

というわけで・・・
この2つのプラモデルを作って写真を撮り、それを会報に載せようと考えたのである。
名付けて『プラモデルで見る我が戦車第二師団』!!!
どんなもんだい!
凄い構想だろう?(笑)
購入金額は送料・代引き手数料を含めて2つで7,423円なり!
スナックで酒でも飲んだと思えば安いものである。(笑)

以前に、我が戦車第二師団隷下の戦車第6連隊、戦車第7連隊、戦車第10連隊用のものを作る為、九七式中戦車、九五式軽戦車のプラモデルは購入済みである。
問題は・・・まだ作れる環境にないということ。(笑)
まずは部屋を片付けなくては・・・(大笑)
とにかく本に埋もれていて、プラモデルを作れるような状況ではない。

いつになったら手が出せるかわからないが・・・
ハッキリ言えることは、現在編集中の今年の会報には間に合わないという事。(笑)
来年の会報に間に合うように作ればいいかぁ~
とにかく物を確保しておけば安心である。(笑)

日記 | 23:18:41 | Comments(0)
馬鹿じゃないの?
市報が届いたので読んでいたら、「慰霊巡拝事業」の「おしらせ」があった。
その文面は以下の如くである・・・・

厚生労働省主催による慰霊巡拝事業が実施されます。
申し込みが出来るのは、戦没者の遺族(配偶者、父母、子、兄弟姉妹)とその遺族の配偶者及び孫(条件あり)で、原則80歳以下のかたです。

馬鹿じゃないの?
この「おしらせ」・・・・(怒)

戦没者の配偶者で80歳以下の方がどれだけいるのだろうか?
昭和20年に19歳で嫁いだ人も今年84歳である。
14歳で嫁いだのなら79歳・・・・
いるの?そういう人??
戦没者の父母に至っては論外である。
ん?戦後何年経っていると思っているのか?
戦没者の父母って生きてるの???
昭和20年に14歳で戦死した少年兵がいたとして、その母親が15歳で産んだ子としよう。(有り得ないと思うが・・・)
とすると、昭和20年時点で母親は29歳である。
それから65年経っているんだから、現在94歳ということになる。
戦没者の父母で80歳以下は間違っても存在しないのである。
80歳以下の戦没者の父母がいるならお目にかかってみたいものである。(笑)
戦没者の子供は問題ない。
昭和20年生まれの子供なら65歳である。
が・・・兄と姉は常識的に言って無理だろう。
戦死した弟が15歳の少年兵として、1歳年上だとしたら81歳である。

どうしてこういう馬鹿げた記載をするのかねぇ。
厚生労働省からの通知をそのまま載せたのだろうが・・・
厚生労働省に「この記述はおかしい」と誰も異議を唱えないのだろうか?
おかしいとは分かっているが・・・というのでは、我が市の社会福祉課はレベルが低いと言わざるを得ない。
「こんな馬鹿げた募集要綱は市報に載せられません!」と厚生労働省に抗議べきである。

よくわからないのが、孫・・・
「条件あり」となっている。
この条件って何よ?
直系の孫、本家の孫じゃないと駄目ってことかい?
条件を設けている意味がよくわからない。

だいたい、戦没者の慰霊は遺族だけがやるものなのだろうか?
国のため亡くなった方なのである。
職業軍人は別として、徴兵で召集された人は、行きたくもない外地へ送り込まれて、死にたくもないのに「殺された」のである。
「お国のために・・・」と言われて・・・・
職業軍人は軍人という職業であるから、職務として戦い死んだので、ある意味本人はあきらめもつくだろうが、職業軍人じゃない人はあきらめはつくまい。
だから職業軍人の慰霊をしなくてもいいとは言わないが・・・
外地で死んだ人の中には軍人以外にも軍属や在留邦人もいるのである。
そういう方々も分け隔てなく慰霊をしてあげたいものである。
ましてや、独身で亡くなった方には子孫はいないのである。
子孫がいない人の慰霊は誰がしてくれるの?
だから・・・国民みんなが慰霊すべきだと思うのである。
巡拝慰霊に制限を設けるのは間違っているのではないか?
心ある人であれば、どんどん慰霊をしてやって欲しい・・・というのが国家の正しいスタンスであるべきではないだろうか?

まぁ、厚生労働省の官僚なんてこの程度のものだということである。
国民挙げての慰霊をしないで「平和、平和」と叫んでも、平和なんて無理なんじゃないか?

エッセイ | 00:13:03 | Comments(0)
ルソン戦記(上)
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ずいぶん以前に一度読んだことがある本である。
久し振りにまた読んでみた。

第1章 戦跡の巡礼者

第2章 リンガエンの海と丘

第3章 沈まない月

第4章 ベンゲット道の花と散れ

第5章 抗命の夜



今年の読書:27冊目



読書 | 21:24:05 | Comments(0)
マニュアル人間
先週、親父が腰の筋を痛めたらしく、腰が痛いので代わりに図書館に本を返しに行って来てくれと頼まれた。
・・・ということで市立図書館の分館へ行く。
この分館は初めての訪問である。

「親父が本を借りていたのですが、代理で返しに来ました。返却の仕方を教えてもらえますか?」とカウンターの職員に声をかけた。
「図書カード・・・ありますか?」
「はい、持ってきました」
彼女はパソコンで貸出の記録を確認。
「はい、3冊ですね」
「はい」
「では、持ちだした棚に戻しておいて下さい」
「棚に?」
「そうです。ジャンル別になっていますから、正しい場所に戻しておいてください」
「そう言われても・・・借りたのは親父ですからねぇ~僕は代理だから、親父がどこの棚から持って来たのか知らないですよ」
「え?わかりませんか?」
「わかるわけないでしょ。代理で来たんだから」
「元の場所に戻してもらうことになっているんですけど・・・」
「だから・・・代理で来たんだから・・・私が借りたわけじゃないんだから、どこから親父が持ってきたかなんてわからんでしょ!」
「持ちだした棚の元の場所に戻してくれるだけでいいんですけど・・・」
「だから、借りた本人じゃないんだから、元の場所は知らないって言ってるでしょ!」
「じゃぁ、そこのカートの上に置いて下さい。あとで戻しておきますから・・・」

馬鹿じゃなかろうか?
代理で来たんだから「元の場所」なんかわかるわけないだろ?
どうして、こうマニュアル通りの応対しか出来ないんだろうか?
腹が立つんだよなぁ~こういうの・・・・

日記 | 21:00:12 | Comments(0)
思い出すことが供養だ
今日は、東京から妹家族が墓参りに来てくれた。
23日が母の月命日である。

高校生の甥っ子に河原井さんが亡くなった事を話す。
「あの時はよくわからなかったけど、今だったら少しは話が理解できるようになったと思っていたのに・・・」と絶句していた。
覚えていてくれたのか!
平成19年に甥っ子を連れて京都に行った時、河原井さんにお会いしていたことを覚えていてくれたとは嬉しい。
もう二度と直接話を聞く機会は無くなってしまったが・・・
これから歳を取って、拙者と同じ年齢になった時に、ふと、河原井さんを思い出してくれたら有難い。
それこそが河原井さんへの供養になるんじゃないだろうか?
その時には拙者もこの世にいないかもしれない・・・・
一緒に思い出してくれたら・・・こんな嬉しいことはない。


日記 | 17:24:28 | Comments(0)
抗命
抗命―インパール 2 (文春文庫)抗命―インパール 2 (文春文庫)
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秘史の録音

牟田口文書

インド進攻

撤退の決意

アラカン越え

コヒマ戦線

独断命令

豪雨と飢えと

暗夜の対決

師団長解任

精神異常者

戦いの跡

人間の責任~あとがきにかえて~

異常・無謀な作戦~文庫版あとがき~

かの有名なインパール作戦を“強引に”推し進めたのが牟田口廉也中将。
この無謀な作戦のため多くの兵が餓死、病死したことから牟田口中将は悪名が高い。
生還者からも遺族からもかなり恨みを買っていた人物である。
その牟田口中将が戦後、国会図書館の取材に答えた証言録音の存在から話が始まる。
自ら小冊子も出し、昭和40年のNHKの番組にも出演している。
が・・・自己弁護に終始し、反省の色は全くない。
その根拠は・・・
敵である英軍の将校から、牟田口中将の統率について称賛の手紙をもらったからだという。
作戦も9分9厘成功していたと英軍は讃えているから、私は間違っていなかったと、ある意味、開き直っていたらしい。
最前線の各師団長は、補給もない中では戦えないと、この作戦の継続の無謀を説いたが、牟田口中将はこれら自分に反論を述べる参謀長を始めとする各師団長を次々と更迭した。
ある意味、異常である。
本当に英軍の将校が戦後称賛するような作戦だったのだろうか・・・という検証が本書。
牟田口中将は昭和41年に亡くなったが・・・・
最後の最後まで自分を正当化していたらしい。

軍人である以上、戦って敵弾に当たって死ぬのは覚悟の上だろうが・・・
食糧も医薬品ももらえず、餓死と病死では兵隊たちはたまったものではない。
その責任は牟田口中将だけに押し付けていものやら・・・
上級部隊のビルマ方面軍司令部にも責任はあるはずだが・・・・
結局、この作戦の責任は誰もとっていない。
司令官も、参謀も、誰も責任をとらないという無責任さ・・・・
これが最大の問題である。

「戦争は悲惨だから繰り返したくない」という言葉をよく聞くが・・・
「戦争が悲惨」なのではなく、「悲惨な戦争」にしてしまったのである。
その原因はどこにあるのか・・・・
エリートといわれる司令官や参謀連中の自己保身や自己弁護、無責任、特権階級意識ではないだろうか?
「戦争は悪いこと」という一言で片づけてしまっては本質には迫れない。
反省もなされないから、同じようなことは繰返されるんじゃなかろうか?
現に、今の世でもエリートと呼ばれる官僚は国家、国民のために何をしているか・・・
今も昔も本質的に変わっていないのは、敗戦の本質的な反省をしていないからではないだろうか?
本書から大いに学ぶべきだと思う。



今年の読書:26冊目



読書 | 16:30:55 | Comments(0)
河原井さん、逝く
京都の“ニシムラさん”から珍しくお電話があった。
用件は何かと思ったら・・・・
河原井さんがお亡くなりになったとのこと。
お亡くなりになったのは先月の18日とのことで、拙者がちょうど戦友会の永代神楽祭に参列するため上京した時だった。
その後、拙者は、北海道、ハワイと旅に出ていたため連絡が取れず、ちょうど1ヶ月経った今日、ご連絡を頂いたのである。

河原井さんがお亡くなりになった・・・・・
利根川さんに引き続き、ショックである!
戦争体験者とお知り合いになるのは嬉しいが、こういう具合に次々と訃報を聞くのは本当に辛い。
自分で好きでやっていることだが・・・何の因果かとも思ってしまう。

河原井さんに初めてお会いしたのは平成16年。
今から6年前になる。
拙者がフィリピンの慰霊巡拝を一人でしていた時に偶然見つけた慰霊碑の残骸が出会いのきっかけ。
河原井さんは元・大本営特種情報部員として米国の暗号解読を担当されていた。
原隊は野砲兵部隊で、その部隊の慰霊碑の残骸を拙者が見つけてHPで紹介した。
そのことが嬉しかったとのことで拙者に連絡を取ろうとしたが、拙者の連絡先は知らない。
我が市に手紙を出して拙者を探してくれと頼んだらしいが、市としては個人情報保護の点から拙者の連絡先は教えられない。
しかし、課長の独断で一応調べるだけ調べようと、拙者の連絡先を調べたそうである。
河原井さんは直接拙者のHPは見ていない。
HPを見た遺族会の事務局長さんから連絡を受けたらしく、事務局長さんからはメールを頂いていた。
そのことを昼食時に家族に話して食後、拙者は会社へ・・・・
その直後、市役所から電話がかかってきたが、電話に出たのは親父・・・・
「川北大隊?そんなの知らない!」と答えた途端、母が電話を取り返し、「今、息子からその部隊のことを聞いたところです」と答えてくれた。
すぐに市役所へ来てくれとのことで、市役所へ向かい、担当者と面談。
事情を教えてもらって、こちらから連絡を取ることにした。
この時、初めてお電話でお話ししたのである。
あの時の興奮は今でも忘れられない。
偶然、拙者が家族に話したのと、母が電話を父から換わったという幸運のおかげで、河原井さんと連絡が取れたのである。
河原井さんとはそれからのお付き合い。
あっという間の6年であった・・・・
お亡くなりになられた時は91歳・・・・
そんなお歳だったかと思わず思ってしまった。
拙者の記憶の中では、どうしても初めてお会いした時の年齢のままなのである。

この間の北海道旅行の時に、現地からお土産をお送りしたのだが・・・
その時には既にお亡くなりになっていたのだ。
手紙を書くのも不自由になったという話を伺っていたので、同封した手紙には御礼の返事はいらないですよ・・・と書き添えておいたので、返事が来なくても気にしていなかったのだが・・・
お亡くなりになっていたとは・・・
あ~ショック・・・・

ご家族も、何だかんだと忙しくて、拙者には連絡も出来なかったのだろう。

一日中・・・ショックでボ~ッとして過ごす。
次から次へと河原井さんとの思い出が頭に蘇ってくる。
あ~つらい・・・・

日記 | 15:27:12 | Comments(0)
“オヌマさん”宅を訪問
この間、人を介してご連絡をいただいた“オヌマさん”宅を訪問する。
どうやら、以前、ロータリークラブで拙者が行なった講演の内容を会報を見て興味を持って頂いたようで・・・
是非、直接会って話を聞きたいとのこと。
午前10時、お宅を訪問。
“オヌマさん”ご夫婦も戦没者の慰霊に活動をされているとのこと。
大いにおしゃべりをしているうち、お昼・・・・
失礼しようと思ったら、お昼を用意しているからということで、御馳走になり・・・・
更に話が盛り上がり・・・・夕方・・・・
夕食の時刻になったので帰ろうと思ったら・・・・夕食も・・・ということになり・・・(笑)
そのまま更におしゃべりが続き・・・・
結局、おいとまをしたのは午後9時!
いやぁ~初対面だっていうのに・・・・
ついつい調子に乗っておしゃべりをし過ぎてしまった!
やっちゃったぁ~(笑)
本当に申し訳ない!!


日記 | 15:14:24 | Comments(0)
久々に母を見る
昨晩の夢・・・・
久々に母が出てきた!
台所の床をぞうきんがけをしていた。
「あれ?お母さん・・・いたの?」
すくっと立ち上がった母の髪の毛の色が、いやに赤茶色っぽかったのが印象的だった。
あれ?母の髪の色は真黒だったはずだが・・・
まぁ、それでも久し振りに母と会えてうれしかった。
が・・・母は何やらブツブツ文句を言っている。
どうやら親父のことについてらしいのだが・・・・
何で怒っているのかわからない。
台所を綺麗にしろ・・・ということなのか?
「え?何?」と尋ね返したら・・・・
夢から覚めてしまった!
何で母は怒っていたんだろ???

で・・・朝食を食べようかと台所に行ったら・・・
ゲゲッ!
親父が台所に掃除機をかけているのである!
なんという偶然か・・・・
台所をお掃除している!(笑)
なに・・・これ・・・
唖然・・・・

まさか、親父も同じ夢を見たんじゃあるまいな?

日記 | 23:22:58 | Comments(0)
B29撃墜記
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第1章 初邀撃
遠い日の重い記憶
戦果の陰にあるもの
未知なるものへ挑戦
夜間来襲機に備えて
姿を見せたた超大型機
B29に初見参する!

第2章 不惜身命
樫出、B29一機撃墜
戦闘さらにたけなわ
2機目の敵を捕捉
新たなるB29飛来す
伝えられた敵の情報

第3章 開眼
老練の操縦者出動
密接なる連繋プレー
高々度、必殺の一弾
僚機、果敢に突っ込む
苦闘2時間の末に

第4章 激突
高々度、B29撃墜の要諦
B29が狙う本土三角爆撃
沈黙の破れる日が来た
責任感に燃える若者たち
わが追悼のための一戦
困難な要地防衛に悔いなし
敵機の退路を遮断する

第5章 嵐の前
戦果偵察のB29を追う
わすれ得ぬ野辺重夫軍曹
リスボン発の情報
B29邀撃専門部隊となる
「ライター防衛隊」の奮戦
敵大編隊はどこへ来るか

第6章 怒涛の敵
こっこく迫る敵編隊
敵の先頭編隊を捕捉
真紅の焔に包まれ敵機墜つ
怒涛のごとき戦いの末

第7章 突進
撃ち尽くした37ミリ弾
一糸乱れぬ夜間空中戦
華麗なる空地の立体戦
混戦、乱戦、齟齬の渦中で
再びリスボンからの戦果

第8章 屈辱
敵の意表をつく暁の邀撃戦
関門上空、最後の空中戦


著者は終戦までにB29を26機も撃墜した陸軍最高のベテラン搭乗員。
日本軍はB29に全く歯が立たなかったのかと思っていたら、そうでもないことを知った。
これは意外であった。
37ミリ砲の威力も凄かったようで、1発でB29を仕留めることが出来たという。
ただ、装弾数が少なかったのが残念・・・・
もっと飛行機の数が多かったら・・・・
もっと熟練パイロットがいたら・・・
と、ついつい思ってしまう。
緒戦からの人命軽視思想のツケが本土防空にも現れている。
「屠龍」も同様で、敵弾が命中するとすぐ火を発する。
被弾したら体当たりをするしかない・・・・
そしてまた優秀なベテラン搭乗員を失ってしまうのである。
本書は、飛行第4戦隊の防空戦闘記・・・・
他の部隊も同様に本土防衛のために命をかけて戦ったんだろうなぁ~



今年の読書:25冊目



日記 | 16:10:30 | Comments(0)
習志野三笠会に出席
今日は東京で「習志野三笠会」の総会である。
毎年、この会合に参加するのが大の楽しみ。

毎回会場は3つのテーブルに分かれて座る。
いつも指定席で、拙者は三笠宮崇仁殿下から一番遠い「第3テーブル」が定位置。(笑)
参加者の中で最年少なのだから末席に位置するのは当然なのだが・・・
今回はどういうわけか「第1テーブル」を指定された。
座席表を渡され・・・自分の名札の場所に座る。
と・・・真正面が殿下である。
緊張しないわけがない!(笑)
こんなに間近に座らせていただき嬉しいことは嬉しいが・・・
いやぁ~困ったなぁ~
拙者としては、遠くからお姿を拝見しているだけで満足なんだけど・・・

DSC06798_convert_20100820120125.jpg

殿下の真正面というのは緊張するぞ~(笑)
簡単にサラッと総会を終了させて、懇親会・・・・
以前は総会に結構時間を割いていたが、殿下から「もうみんな歳なんだから、会計報告のような難しい話はその辺にして、懇親会に時間を多く割くべきではないか?」とのお言葉を賜り、以後、懇親会重視の会合となった。(笑)
英断である。
いつもは殿下とは挨拶程度の言葉しか交わしたことがない。
「お元気でしたか?」「はい!」・・・・で終わりである。(笑)
今回は、食事をしながら雑談・・・・
いやぁ~言葉づかいに神経を使う。
いかに普段、丁寧な言葉づかいをしていないか・・・・(汗)
緊張していても食事がのどを通らないということはない。
食が進まなかったら・・・「どうしたのですか?」と殿下に質問されるのは明らか。(笑)
大いに飲み、大いに食べねばならぬ!(笑)

殿下は昭和10年に陸軍士官学校をご卒業になられ、騎兵第15連隊に見習士官として着任された。
この時の中隊長が拙者の祖父。
拙者は殿下の上官の孫だから・・・偉いのか、偉くないのか?(大笑)
偉いわけないよなぁ~(笑)
今回は思いもかけず、大いに殿下とお話しが出来たのには大感激である。

しかし、どうして今回、拙者がこの位置を指定されたのだろうか?
殿下は御年94歳であらせられる。
今回が最後になるかも知れないので・・・という配慮では・・・などと思ってしまう。
94歳で3時間近くかかる会合はかなり大変だろう。
珍しく幹事の“アシナさん”に「そろそろお開きにしてはどうか?」と何度もささやく。
かなりお疲れのご様子である。

どうかまた来年もお会いしたい・・・・そう願う。

母が生きていたらなぁ~
殿下と親しくお話しをさせて頂いたと報告したら、どんなに喜んだことだろう。

亡き祖父はあの世からこの様子を見ていただろうか?(笑)
大丈夫だよね?おじいちゃんの顔に泥を塗るような言動はしていないよね?(笑)

日記 | 11:52:44 | Comments(0)
戦車戦入門
戦車戦入門―日本篇 (光人社NF文庫)戦車戦入門―日本篇 (光人社NF文庫)
(2006/11)
木俣 滋郎

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序章 戦車発達の足跡

文明開化
先見の明があった日本陸軍
日本初の「戦車隊」創設
いよいよ国産化にのりだす
試製第1号戦車
装甲自動車
八九式中戦車の登場
知られざる装甲車
主力戦車の開発
九七式車載重機、採用さる
九七式中戦車改と一式中戦車
最後の三式中戦車
一式砲戦車
水陸両用戦車

第1章 大陸の総攬

1 九二式重装甲車の登場
九二式重装甲車の誕生
第1騎兵旅団、満洲へ
馬占山、脱出す
第4騎兵旅団、熱河省へ
2 上海の市街戦
クロスレイ装甲車
中国の精鋭、第一九路軍
装甲車の出血
第5大隊の到着
3 精鋭第1戦車大隊出撃す
戦車隊の出撃
日本軍攻勢を開始
作戦の結末
4 ノモンハンの死闘
ノモンハンの荒野
第1戦車団
戦車の激突

第2章 日本軍の快進撃

5 マレー半島を南下せよ
対戦車毒ガス「チビ弾」
イギリス装甲車の弱点
第5師団の上陸
ジットラ陣地を突破
スリム河の激戦
6 比島の日米軽戦車戦
ルソン島のM2軽戦車
日本軍の進攻
マニラ入城
7 シンガポール要塞陥落
東洋のジブラルタル
九九式重門橋
ブキテマ高地を奪え
8 チモール島の攻防戦
オランダの装甲車
チモール島クーパン
伊東支隊の九四式軽装甲車
9 ビルマ進攻作戦
ビルマの第15軍
イギリス第7機甲旅団
イギリス戦車対日本兵

第3章 連合軍の反攻

10 ガダルカナルの激闘
第17軍の苦悩
九七式中戦車の上陸
マタニカウ河の激闘
11 中部ソロモン諸島の戦い
ニュージョージア島
南東支隊
スチュアート軽戦車現わる
ムンダ飛行場争奪戦
12 九五式軽戦車、ニューギニアへ
ラビ飛行場を占領せよ
待ちうけるオーストラリア兵
溝に落ちた九五式軽戦車
13 マチルダ戦車の追撃
第18軍の戦闘序列
ワルツを踊るマチルダ姫
ラエ放棄
マチルダ戦車現わる

第4章 戦線の崩壊

14 タラワに現わる水陸両用戦車
海軍の軽戦車
水陸両用戦車ワニ
血に染まる浜辺
15 サイパン島の夜襲
戦車第9連隊の出陣
米海兵隊の上陸
日本戦車の夜襲
待ちうけるバズーカ砲
16 ビアク島の米軍を追い落とせ
歩兵第222連隊の南下
マッカーサー軍の上陸
夜襲成功
シャーマン対九五式軽戦車
17 レイテ島の日本戦車隊
アメリカ軍の来襲
フィリピンの主
シャーマン戦車の仕返し
第30師団の応援
山下奉文大将
シャーマン中戦車の活躍
特二式内火艇の逆上陸
18 ルソン島、日米最大の戦車戦
撃兵団
フィリピン戦線へ
戦車第3旅団の出撃
肉弾戦
19 沖縄の小砲台
第32軍司令官・牛島満中将
戦車第27連隊
水際作戦の放棄
沖縄防衛軍全滅
20 B29基地を蹂躙せよ
敗戦前夜
戦車第3師団の西進
シェンノート少将の妨害作戦
老河口飛行場へ突入
戦車第3師団、苦戦す


戦車第3旅団の戦車は九七式中戦車から一式中戦車に移ったということが書かれていたが・・・
一式中戦車は配備されていたのかなぁ~?
「九七式改」だったような気がするんだけどなぁ~




今年の読書:24冊目



読書 | 01:20:35 | Comments(0)
帰国!
今日は、帰国する日・・・・

相変わらず引率者は参加者の面倒を見ず、さっさとチェックインして先に行ってしまった。(笑)
出国手続きに手間取っている人達・・・最後のグループをとりまとめて拙者が引率することにする。
搭乗するまでには、かなり時間があるが・・・
ホノルル空港の場合、出国手続きの場所から搭乗口までかなり歩かなければならない。
免税店やお土産屋を覗いてみたいという人を説得して、とにかく一度搭乗口まで行って、場所を確認してから自由行動をしてくれるよう頼む。
そうしないと、搭乗直前に搭乗口を探してウロウロとされかねないのだ。

帰国の時の気の緩みがどんなトラブルを発生させるかわかったものじゃない。(笑)
一番危ない感じなのは・・・“マツオさん”だな・・・(笑)
一人でフラフラとどこかに行ってしまい、みんなとはぐれそうになることことがしばしば・・・だったから。
この人だけは要注意だ・・・・
ということで、“マツオさん”を誘って2人でコーヒーを飲むことにする。
身近にいてもらえれば、大丈夫だろう。(笑)
「コーヒーを飲みたいので付き合って下さいよぉ~」と頼んで同行してもらう。(笑)
しかし、これもまたいいもので・・・・
今回のツアー中、ゆっくりとお話しが出来なかったが、コーヒーを飲みながら、色々なお話しがうかがえた。
最後の最後になって交流が出来たのは良かった。

搭乗時間となり、各地に散らばっている方々を探して、搭乗口に集め・・・・飛行機に乗り込む。
よし、これで大丈夫!
無事帰国できそうだ。(笑)




日付変更線を越して・・・・成田に到着したのは7日である。
昨年の12月にハワイに行った時は、この日付変更線のことをすっかり忘れて、忘年会の予定を入れて大失敗をやらかしてしまった。
成田に到着した翌日に忘年会を予定したつもりだったのだが・・・・
日付変更線を越して1日進むということを忘れていたのだ。
このため、成田に到着した時点で忘年会が始まっていた・・・・(大笑)
当然、遅刻どころじゃなく欠席である!
今もって、この時のことをからかわれているのである。
今回は2回目のハワイだから大丈夫。
1日進むことはちゃんと理解した。(笑)

「飛行機を降りた段階で解散!」と引率責任者の“シブイさん”から指示が出ている。
まぁ、なんとあっけないというか、そっけないというか・・・・(笑)
「ご苦労様」の挨拶もなしに解散とはね・・・・

とにかく、無事に帰国。

組織の役員としての目で見ると、不満の多いツアーだったが・・・(笑)
個人的には、そこそこに、いろいろと見られたし、経験できたから、満足のいく旅行だった。(笑)

旅行 | 00:41:40 | Comments(0)
陸軍博物館へ行く
今日は自由行動日。
殆どの方々は“シブイさん”の引率(笑)で、ミズーリー号などの見学に行ったらしい。
アメリカ側で「オプショナルツアー」として企画したらしい。
が・・・拙者はこれには不参加。
今日は一人で「U.Sアーミーミュージアム」に行くことにした。
昨年の12月に来た時に、たまたま休館日で見学できなかったのである。
今度こそは是非見に行きたいと思っていたので、この機会を逃すわけにはいかない。

朝食はいつもと同じマーケットの片隅にあるカフェテラスでサンドイッチとコーヒーの朝食。
このツアー・・・・朝食は付いていない。
各自で自由に・・・とのことなので、いつも同じカフェテラスで一人で食事をする。
毎日同じ店で食事をしていると、店のスタッフと顔なじみになるので、会話がしやすくなるのだ。(笑)

食事を済まして、地図を片手に博物館へ向かう。
かなりの距離だが・・・・
やっぱり、徒歩で町の中を歩かねば面白くない。(笑)
時間はたっぷりあるのだ。

DSC_0977_convert_20100817223117.jpg(アメリカ陸軍博物館)

前回来た時にも撮影したが、今回ももう一度、博物館前に展示されている日本軍の九五式軽戦車や一式機動速射砲を撮影する。

DSC_0980_convert_20100817223951.jpg(一式機動速射砲)

DSC_0988_convert_20100817224711.jpg(九五式軽戦車)

博物館は見学無料とのこと。
こりゃありがたい!(笑)
一見、大したことのない博物館だろうと思っていたのだが・・・
完璧に予想を裏切ってくれた。
いやぁ~見ごたえがある!!
もう、ワクワクしながら見学する。
う~ん、これは一人で来て正解である。
グループなんかで来たのではじっくりと見学できない。

DSC_1004_convert_20100817225323.jpg

この博物館は昔の要塞を利用して作られているらしい。
要塞当時の模型が展示されていた。

日本軍関係のものも展示されていた。
九二式歩兵砲!
完璧な形のものを初めて見た。
こりゃお宝だな・・・・

DSC_1018_convert_20100817230427.jpg(九二式歩兵砲)

当然、真珠湾攻撃に関する資料の展示もあったが・・・・
この中で驚いたのが、空母加賀搭載の九七式艦上攻撃機の残骸の一部が展示されていたこと。
昨年、“ハシモトさん”と二人で撃墜された空母加賀の九七式艦上攻撃機の搭乗員の慰霊に来たのである。
この機体の一部は、撃墜された5機のうちの1機のもの。
もしかしたら・・・武田友治の搭乗機のものかもしれない・・・・
いやぁ~これは“ハシモトさん”に教えてあげねば!

DSC_1055_convert_20100817232407.jpg

DSC_1093_convert_20100817232857.jpg(日本軍の武器)

この他、ハワイで編成された部隊の活躍や、ハワイの日系人部隊の活躍についての展示など盛りだくさん。
たっぷりと満喫させてもらった。
真珠湾攻撃の九七式艦上攻撃機の残骸の一部があるなら、ここを会として見学コースに入れておくべきではなかったか?
・・・・と思ったが、説明は全て英語だけなので、多分、これを見ても参加者は気がつかないかも。(笑)
ハワイは日本人観光客が多いが、こういう博物館を見学する人は少ないのだろう。
多ければ、日本語の表示があってもおかしくないはずだ。
「半馬鹿平和ボケ日本人」はワイキキビーチで海水浴か、ショッピングモールでお買い物・・・
博物館なんかには来るわけないし・・・そういう連中に見に来られても迷惑かも知れない。(笑)

屋上にもヘリコプターが展示されていたが、ちょうど改装中らしく立ち入り禁止。
しかし・・・作業者は何故か迷彩服を着ている。
なんでだろう?もしかしたら・・・・工兵隊?
ちょうど階段の踊り場ですれ違った作業員に尋ねたら「工兵隊です」とのこと。
それにしても彼の言葉は丁寧である。
拙者との会話の返事には必ず「サー」を付けるのである。
別に拙者は軍人ではないのだが・・・
こういう博物館には元軍人も多く来るだろうから「サー」を付けて会話をした方が間違いないということであろうか?
日本ではこういう敬意の表し方はないだろうなぁ~
自衛隊ではどうなんだろ?
それにしても軍事関係の博物館の修理や維持管理は工兵隊が担当というのは面白い。
人件費はかからないのだろうから・・・(笑)
材料費だけかな?かかるのは・・・・
民間の業者に頼むより安上がりかな?
日本も自衛隊を使って公共施設を修理したりしたら、かなり安く出来るんじゃなかろうか?(笑)

見学後、ミュージアムショップで本を買う。
その後、近くの海岸(たぶん、ワイキキビーチ・・・だと思う)(笑)へ行ってみたが・・・
う~ん・・・みんな水着姿・・・・
服を着ているのは拙者だけ・・・しかも首から一眼レフカメラをぶら下げている・・・
完璧に・・・“浮いてる”な・・・ということで、早々と退散!(笑)
どうもビキニ姿の女の子たちには目のやり場がないんだよね。
ビキニと下着の違いはどこにあるのかね?
拙者には区別がつかないのである。(笑)
見ちゃいけないものを見ているようで・・・・落ち着かぬ。(大笑)

DSC_1133_convert_20100817235215.jpg DSC_1132_convert_20100817235441.jpg

博物館前の公園にハワイにゆかりのある部隊(・・・だと思うが)のモニュメントがあったので立ち寄る。
第100歩兵大隊とか、第442歩兵連隊とかのプレートが嵌められていた。
碑文の内容は・・・わからない。(笑)
日本に帰って辞書でも引かなくちゃ・・・・わからない。(笑)

DSC_1140_convert_20100818000742.jpg(モニュメント)

テクテク町の中をホテルに向かって歩く。

DSC_1155_convert_20100818001324.jpg

さすがに歩き疲れて喉も乾いた・・・
途中のお店で「フレッシュジュース」を飲む。
レモネードを頼んだら、本当にその場でレモンを搾って作ってくれたのには驚いた。(笑)
本当に「フレッシュジュース」なんだぁ~(笑)
拙者の後ろに並んでいた女の子は・・・すごい美人!
まさか正面から写真を撮るわけにもいかないし・・・・(笑)
「写真を撮らせて下さい」とも言いづらいし・・・・(笑)
というわけで・・・後ろ姿を・・・パチリ!
何を考えているんだか・・・この中年オヤジは・・・(大笑)

DSC_1156_convert_20100818005017.jpg(ジュース屋さん)

ようやくホテルに到着した時にはかなりお昼を過ぎていた。
遅い昼食をホテルの1階にあるレストランでとる。
完璧にお昼を過ぎていたので・・・お客さんは誰もいない。(笑)

DSC06785_convert_20100818005855.jpg(遅い昼食)

ちょうど、“オプショナルツアー組”がホテルに戻って来たので参加者に“ハシモトさん”が戻ったかどうか尋ねたのだが・・・・誰も知らないという。
知らないというのは・・・どの人が“ハシモトさん”なのかわからないというのである。(笑)
自己紹介もなく、結局参加者が何人なのかもわからないというツアーのおかげで、顔と名前が一致しない。
(拙者も同様なのだが・・・)
目立たない大人しい人だと、名前を言われても「そういう人・・・いたの?」の世界である。
聞くところによると、オプショナル参加組は現地でバラバラになってしまったらしい。
まぁ、引率しない引率者が引率するんだから・・・そうなってもおかしくないか・・・
しかし、参ったぞ・・・
陸軍博物館の閉館時間前には“ハシモトさん”に教えてあげねばと思うのだが・・・
どこへ行っちゃったのやら・・・・(笑)
結局、教えてあげることは出来なかった。

夕方、ボウフィン博物館(潜水艦博物館)のチャールズさんに会いに行こうかと思い博物館に電話をするが、留守のため伝言を頼む。
昨年お会いして大変お世話になったので、今回、潜水艦に関する本をプレゼントしようと思い持参したのである。
英語での電話というのはなかなか難しいのでドキドキしたが・・・・
なんとか用件が通じたので助かった。(笑)

今晩の夕食は各自でとることになっている。
パーティー以外は「自分でなんとかしろ」というツアーである。
これに参ったのは年配者。
どこで食べたらいいかわからず、初日にはとんでもない店でマズイものを食べる結果となった人達もいたようである。
この「勝手にどうぞ」は彼等にとっては最大の悩みらしい。
そこで、拙者が初日に行った日本の居酒屋へ4人ばかりをお連れすることにした。

DSC06787_convert_20100818011925.jpg DSC06789_convert_20100818012202.jpg

「いやぁ~やっとまともな食事が食べられた~」と皆さんに喜ばれた。
お連れした甲斐があった・・・・(ホッ!)

チャールズさんに再度電話をかけたところ、今日は残業で遅くなるという。
とにかく拙者としては今晩しか時間がないので仕事帰りにホテルに立ち寄ってくれるよう頼む。
ホテルの前は長時間の駐車が出来ないので、路上で待機して、本を手渡し、昨年の御礼を言って別れる。
ほんのわずかな時間だったが、再会できて嬉しかった。
「またハワイに来た時は連絡をください」と言われたが・・・・今度はいつになるか・・・
ハワイは拙者にとっては面白くない町なのである。(笑)
拙者にとっての楽しみは博物館くらいかなぁ~(笑)

旅行 | 22:17:16 | Comments(0)
シンポジウム
昼食は博物館内にある食堂でとることになった。
博物館内には一般見学者用にレストランが用意されている。
我々が案内されたのは展示スペースの裏にある、どうも職員食堂のような場所だった。
ここでバイキングの昼食をいただき、しばし休憩。

DSC_0942_convert_20100817132140.jpg

食後、博物館内のミニシアターでシンポジウム。
最初に元軍人の方だと思うが、「ミッドウェーの8つの奇蹟」というテーマで講演がなされた。
通訳はいないので、全部英語・・・・(笑)
講演会というのは日本語だろうが英語だろうが、あまり関係ない・・・・
椅子に座って聴いているうち・・・いつの間にかボ~ッとしてしまうのである。
拙者は基本的に集中力がないのである。
というわけで・・・・話は半分ぐらいしかわからなかった。(笑)

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続いてもうひとつ、講演が・・・
講師は戦史研究家のディマジリオ氏である。
彼とは昨年会って、真珠湾攻撃の式典に連れて行ってもらったが、彼の不審な行動に嫌気がさして途中で帰ったという経緯がある。
この時のトラブルのそもそもの原因は彼なのだが・・・
その彼が講師とはね・・・・“ここで会ったが100年目!”である。(笑)
講演内容はミッドウェー海戦の一般的な話。
この時、博物館で日本語のボランティアガイドをしているハワイ在住の日本人がいきなり通訳に指名された。
それはそれで通訳して頂けるというのはありがたいのだのだが・・・・
ディマジリオの奴・・・長々と得意然として“語る”のである。
もっと細かく分けて話さないと通訳できないじゃないか・・・・
と・・・思ったら、案の定・・・通訳はディマジリオ氏の話した半分程度しか日本語に訳せない。
彼はいきなり指名されメモも取れない状態なので、これは仕方がないことである。
相変わらず自分勝手な奴だな・・・あの野郎・・・とムッときた。
で・・・拙者が写真を撮るために立ち上がった途端・・・彼が驚いたような表情をした。
ヘッヘッヘッ・・・驚いたかい?
今回、日本側参加者に拙者も加わっておるのだよ!
それにしても、彼が講師とはねぇ~
彼はそんなに著名な戦史研究家なのか?
面白くない!(笑)
いつか、彼をギャフンと言わせられるような戦史研究家に拙者はなりたい・・・と思ったのでありました。(笑)

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講演が終わって、質疑応答・・・・
まず最初の講演に対して、日系人の参加者から疑問が出された。
それは、戦艦榛名がミッドウェーで沈没したというような説明がスクリーンに表示されたからである。
「戦艦榛名はミッドウェーでは沈没していませんよ。あれは東京で終戦を迎えているはずです」とのこと。
これに対して、講師は本を掲げて、「この本にそう書いてあったから・・・」との答え。
おい、おい、そういう答えってあるの?(笑)
質問者は繰り返し、間違っていることを強調した。
よく言った!その通り!!
拙者はこの質問者に盛大に拍手を送る。

続いて、日本の魚雷についての質問が別の参加者から出た。
一瞬・・・誰も答えない・・・・
一応、パネルディスカッションのつもりか、日米双方から代表が前面の椅子に陣取っていたが・・・
質問は日本の魚雷の要目のようである。
直径がいくらで、航続距離はいくらだったんだ?・・・・という質問のようである。
う~ん・・・拙者も詳しくは知らないが・・・・
多分九三式酸素魚雷のことなのだろう。
あれは・・・直径61センチなんだよなぁ~2万メートルくらい走行できたはず・・・
しかし、61センチって何インチ?(笑)
インチとかフィートとかヤードとかという単位がわからない。
う~ん・・・これでは駄目だ・・・代わりに答えてあげようと思ったのだが・・・断念。(笑)
ようやくディマジリオが答えたが・・・
彼が言っている数値が正しいかどうか検証できない。
あ~あ~ここで彼をギャフンと言わせてやろうかと思ったが、英語が出来ないから・・・駄目だぁ~(笑)
なんとも情けない話である。

日本側参加者の中には“歴戦の勇士”がおられる。
ミッドウェー海戦に参加した零戦パイロットの“ハラダさん”や夜間戦闘機月光でB-29の迎撃をしていた“カワベさん”などである。
こういう方の講話をしたほうが米国側にとっても有意義だったのではあるまいか?
“ハラダさん”は紹介されて簡単にお話しをされたが、下打ち合わせがマズかったのか、要領を得ない話で終わってしまったのは残念。
ちょっと、企画がお粗末だったように感じる。

シンポジウム後は自由時間・・・・
ミュージアムショップを見て時間をつぶすが、昨年、欲しいものはみんな買っちゃったのでこれといって欲しいものはない。(笑)
この時、ディマジリオ氏から声をかけられた。
軽く挨拶して・・・・終わり!(笑)
嫌みのひとつでも言いたいところなのだが、そういう英語が話せない。(笑)
う~ん・・・・英語が出来ないと喧嘩も出来ないというのは面白くないなぁ~
思いっきり昨年の件で文句を言ってやりたかったのだが・・・残念である。


夕食は、我々のホテルのすぐ近くのホテルで日米合同の食事会。
元太平洋艦隊司令長官の副官が奥様を同伴してやってきた。
その奥様があまりにも美人なので・・・ポカ~ンと口をあけて見とれていたら・・・(笑)
「私の家内です」と紹介された。
いや、こりゃ、どうも・・・
情ないことに拙者は「こんにちわ~」としか言えない。(笑)
「あまりにお美しいので見とれていました」とか「映画の女優さんのようですねぇ~」とかと言えたら、話は面白かったのだろうが・・・
情ないことに・・・・英語が出来ない・・・・
トホホ・・・である。

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旅行 | 12:56:49 | Comments(0)
太平洋航空博物館
今日は、フォード島にある「太平洋航空博物館」の見学とシンポジウムに参加する。
ここには昨年の12月に“ハシモトさん”と一緒に見学に来ているので2回目の訪問である。
今回は、日本人スタッフによる解説も付いたので、これはありがたかった。(笑)

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今回は、スタッフの案内で、この博物館のすぐ並びにある格納庫も見学させてもらった。
これには感激である!
前回は、こういう場所があることを知らなかったし、勝手に敷地内を歩き回れなかった。

DSC_0875_convert_20100815003748.jpg(整備格納庫)

当時の整備格納庫が現在の博物館のレストア工場となっているようである。
この工場の窓ガラスに真珠湾攻撃時に被弾した弾痕が残っている。
零戦の20ミリ機銃のものなのか?
それとも7.7ミリ機銃のものなのか?

DSC_0888_convert_20100815010108.jpg(整備格納庫内部)

DSC_0890_convert_20100815010508.jpg(弾痕)

整備格納庫にはレストア中の機体がいくつもあった。
うらやましいなぁ~
こういうの・・・一度やってみたいものである。(笑)

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この後、格納庫を出て周辺の見学となる。
アメリカ人スタッフが説明をしてくれた。

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当然、英語での説明だが・・・
今回は、日本人の博物館スタッフが同行しているおかげで日本語に通訳してもらえたので助かった。
で・・・彼の解説を聞きながら・・・ふと、思った・・・
この人・・・誰かに似てるんだよなぁ~
誰だっけ?
口元、口の動き、声の質、喋り方、全体の雰囲気・・・
誰かに似てるんだよなぁ~
「L.A コンフィデンシャル」っていう映画に出ていた俳優さん!
え~と・・・ラッセル・クロウ・・・じゃなくて・・・
どうも名前が思い出せない!
そう、そう、あの人にそっくりなんだけど・・・(笑)
え~と・・・誰だっけ?
(後になって、思い出したが・・・ケヴィン・スペイシーさんだった)(笑)
(もっと早く思い出せば、似てますね~と、話が出来たのに・・・残念)(笑)

このフォード飛行場の護岸部分に日本軍の機銃弾の弾痕が残っているという説明を受けた。

DSC_0932_convert_20100815015051.jpg DSC_0931_convert_20100815015557.jpg

しかし、どう見てもこの「弾痕」は不自然である。
真珠湾を攻撃した攻撃機の後部旋回機銃(7.7mm機銃)による弾痕だというのだが・・・・
いくら超低空を飛ぶとしても、かなりの高速だろう。
少なくとも時速200km以上は出していたのではあるまいか?
後部座席に取り付けられている旋回機関銃から1分間に何発、弾が出るのか知らないけど・・・・・
1分間に何m飛ぶのか知らないが、その飛行機から撃った弾の跡が、こんなに綺麗に一列で、しかも1発1発の弾痕の間隔がこんなに狭いというのは・・・・いかがなものであろうか?
拙者には、どうしても信じられないのである。
他の参加者にも尋ねたら「そう言われりゃ、そうですよね~。不自然ですよね~」と言う。
「そうでしょ?おかしいですよね~?」
“事実は小説より奇なり”ということもあるから、絶対おかしいとは言えまいが・・・(笑)
理屈的には合わないんじゃないのかなぁ~
アメリカ側は、そう信じているようであるが・・・
いわゆる“ヤラセ”・・・・証拠の“捏造”じゃないのかねぇ~?(笑)
素直に信じられないんだよね・・・これ。

旅行 | 00:19:46 | Comments(0)
食事会
今晩の夕食は、とある丘の上にある日本料理店らしい。
ここで食事会らしい。

DSC06763_convert_20100814184210.jpg

この店は、太平洋戦争開戦時頃、「春潮楼」と呼ばれていた日本料亭だったという。
建物もほとんど当時のままのものらしい。
開戦時、諜報活動をするため海軍から吉川猛夫少尉がホノルル総領事館に派遣され、この「春潮楼」を頻繁に訪れて、ここの2階から真珠湾を監視したという話を聞いたことがある。
その彼が訪れた2階の部屋で、今回の食事会が開かれる。

DSC06776_convert_20100814211059.jpg(2階の窓)

DSC06772_convert_20100814232810.jpg(窓から見た景色)

窓から外の景色を見てみたが・・・・
あっちの方角が真珠湾なのか?
う~ん・・・あれが真珠湾?(笑)
ここから真珠湾が一望できると想像していたが、「一望」なんていう言葉は当てはまらない。
ほんの一部しか見えない。
ということは・・・吉川少尉は何を監視していたのだろう?
もしかしたら、入港や出港は見えたかもしれないが、在泊艦艇の数を数えるというのは無理なんじゃないか?
何を見ていたんだろう?
あ~気になるなぁ~(笑)
“現場”に来てみて初めてわかる・・・・
やはり“現場”を訪れるというのは大事である。

DSC06769_convert_20100814234215.jpg(食事会)

“ヨシダさん”の知人の元米軍人たちとの食事会・・・・
2つのテーブルに分かれ、元米軍人たちの相手をするのは役員たちなので、我々は別テーブル。
ある意味、外人に気を使わないですむので気楽な日本人だけの食事である。(笑)

旅行 | 18:37:36 | Comments(0)
海原会の慰霊碑
次に向かったのは・・・・パンチボウル。
またもや墓地に向かう。
行ったり来たりであるが・・・(笑)
今度は、ここにある「海原会の慰霊碑」に行くという。

DSC_0802_convert_20100812181753.jpg(途中の景色)

DSC_0835_convert_20100812182237.jpg(パンチボウル)

ここにはアメリカの陸・海・空・海兵隊等の部隊記念碑が並んでいるが、その中に日本の“海原会”の記念碑もある。
「慰霊碑」ではなく「友好の記念碑」である。
ここにこの碑が建てられたのは、特別な配慮なのだろう。
多分、“ヨシダさん”あたりがアメリカと交渉したのかも・・・
その付き合いが、今回のミッドウェー訪問まで続いたということなのだろう。
多分・・・・(笑)
なにせ、そういうような説明を日米双方でしていたようであるが・・・
正直言って、拙者は全くそういう話には興味がないので、少し離れたところからみんなを撮影して“遊んで”いた。
(だから何の話をしていたのかはよく知らない・・・笑)

DSC_0817_convert_20100812183208.jpg(記念碑を囲んで何やら説明)

当然、みんなと離れていたので・・・・記念撮影には参加していない。(笑)
逆にみなさんを撮影。

DSC_0828_convert_20100812201749.jpg(記念撮影)

この後、坂を登ったところにある展望台で自由行動の“休憩”・・・・
拙者は、ここには昨年の12月に来たので、半年ぶりの訪問である。
ここからの景色は昨年見たので、景色より灰皿がどこかにないかと探しまわる。
が・・・ない!(笑)

まもなく、「それじゃぁ~行くよ~!」の声が遠くで聞こえた・・・・
ん?もう帰るのか・・・と坂を下りている途中で気がついた!
展望台の奥の方に誰かいたんじゃないか?
まさか・・・
慌てて坂を戻る。
と・・・案の定、3名ほどが“置き去り”になっていた!
「行くよ~・・・の声、聞こえませんでしたか?」
「そんなの聞こえなかったぞ~」とのこと。
「みなさん、もうバスの方へ向かってますよ!」
「えっ!行っちゃったの?またかよ~また、置き去りかよ~!」
「はい、いつものように・・・置き去りです(笑)」
相変わらず引率責任者の“シブイさん”は自分の周辺の人だけに声をかけて、さっさと先に行ってしまったのである。
俺の近くにいないのが悪い・・・と言われればそれまでだが・・・
このツアーは別名「サバイバル・置き去りツアー」だな・・・(大笑)
もう、こうなったら・・・どうにでもなれ・・・である。

旅行 | 17:02:06 | Comments(0)
飯田房太郎の墜落現場
DSC_0742_convert_20100812100315.jpg(ホテルの部屋から見た景色)

今日は、ハワイの各地を見て廻る日。
最初に向かったのは、パンチボウルにある墓地。
何でここに連れてこられたのか要領を得ない。
とにかくまともに解説してくれる人がいないのである。
墓地の中で、何か発掘しているらしい。
当初は、戦死者の埋葬に立ち会う・・・というような“噂”もあったが、行ってみると、逆にお墓から発掘しているようで、棺を軍の車に乗せている。
そのセレモニーに立ち会ったのだが、何で我々が立ち会うことになったのかは全くわからない。

DSC_0744_convert_20100812101446.jpg(セレモニー)

いろいろと尋ねてみると、どうも、ベトナム戦争か朝鮮戦争で戦死した氏名不詳で埋葬された遺体を掘り起こしてDNA鑑定をするらしい。
その遺体発掘作業のセレモニーに我々は立ち会ったらしいのだが・・・・
何で日本人の我々が立ち会う必要があったのかはわからない。
誰が企画して誰の指示で動いているのか、我々参加者には全く知らされていないのである。
だから・・・何だかわからないまま墓地の片隅にたむろしてボケーッと立つようなことになったのである。
こんなみっともない話はない。
最初にきちんと説明されていて、遺体に対して敬意を表するようにとの指示が出ていれば、こういう間抜けな態度はとらずにすんだろうに・・・・
米国側は我々日本人団体をどう見ていただろうか?
想像しただけで寒気がする。

次にに向かったのが、カネオヘ海兵隊基地。
ここに真珠湾攻撃時に戦死した飯田房太郎大尉の墜落現場に慰霊碑があるという。
そこを訪問して慰霊するらしい。
海兵隊基地内なので、許可がなければ入れない。
こういう時でなければ訪問できない慰霊碑である。

DSC_0758_convert_20100812161634.jpg

最初に訪れたのは硫黄島の記念碑。
米海兵隊にとって硫黄島での戦闘は特別のものらしい。
ここで日米合同で記念撮影。

次が・・・昼食。
海兵隊の士官食堂で昼食とのことだったが・・・・
どう見ても、一般兵の食堂である。
ここで、バイキングの食事を摂る。

DSC_0782_convert_20100812162411.jpg

食後の食器は各自、食器返却場所へ持って行くらしいのだが・・・・
さて・・・どこが返却場所だ?
近くの兵隊に尋ねたら・・・「あっち!」とのこと。
「あっち!」って「どっち」????(笑)
食堂内を食器を持ってウロウロ・・・・
ようやく食器返却場所を見つけて返却する。
いやぁ~兵隊さんたちにジロジロ見られて恥かしかったぁ~(笑)

で・・・あとでわかったことだが・・・・
ここの食堂の奥の一角に士官専用の食事場所があって、先方では我々のため席を確保してくれていたという。
ところが、誰も案内してくれないので、手近かな席に座って食事を始めてしまったらしい。
引率者はいったい何をしていたのか?
リーダーがハッキリしないからこういうことになる。
受け入れ先に対して失礼してしまった。
まったく・・・相変わらず間抜けな日本人“観光客”である。

食後に向かったのが・・・・本命の「飯田房太郎の慰霊碑」

DSC_0783_convert_20100812163710.jpg(飯田大尉墜落現場)

ここにはアメリカ側が建立した「慰霊碑」がある。
それと一緒に、説明板も建てられていたのだが、なぜか「Fusata Iida」となっている。
「房太郎」ではなく「房太」とは、どういうことなのか・・・?

ここに集まっていた時のこと・・・・
米側から同行していた元軍人(たぶん海兵大佐ではないかとおもうのだが・・・)が、海兵隊の報道担当の女性カメラマンに、私を指さし「He is ○×△※・・・・」と言った。
私のことを説明したらしいが、何と言われたのかは聞き取れなかった。
途端にこの女性隊員が「オ~グレイト!」とかと言って拙者を写真に撮りはじめた。
ん?何だ?何事だ????(笑)
すると、今度は現役の海兵隊中佐(たぶん中佐だとおもう)が、「写真を一緒に撮っていいですか?」と話しかけてきて、拙者は腕を掴まれ慰霊碑の前まで連れて行かれた。
ん?何で拙者となんかと写真を撮りたがるんだ?(笑)
わけがわからず、二人並んで・・・・広報担当の女性隊員がパチリ!(笑)
う~ん・・・わからん・・・
こりゃ、一体どういうことか?
拙者は、どちらかというと体格がいいほうなので、そういうことも関係があるのかもしれないが・・・
海外では軍人と間違われることがよくある。(笑)
目つきがそうなのか?
身のこなしが軍人ぽいのか?
職業軍人だった祖父の血を引いているせいで「軍人のオーラ」でも発しているのか?(笑)
もしかして・・・そういうことなのかな?
すごい勘違いをされたような気がする。(大笑)

DSC_0795_convert_20100812165459.jpg(慰霊)

旅行 | 10:00:34 | Comments(0)
ホノルルに帰る
時間を持て余すほどの“休憩”・・・・・
そのうち、「海原会は空港へ向かいます!急いで!」と叫ぶ声が聞こえた。
近くの人に声をかけてカートまで向かう。
が・・・相変わらず人数確認はしない。
「行くよ~!急いで~!」と声をかけたが、みんなが集まったかどうかは確認しない。
取りあえず、言うだけは言ったんだから後は知らない・・・ということである。
引率責任者は相変わらずである。
仕方がないので、拙者が各カートを廻り、おおよその人数を確認したが・・・
だいたい、総勢何人なのか最初からわからないんだからどうしようもない。
とにかく、成田空港から乗った仲間だけは把握しておくか・・・
と・・・
やっぱり、一人いない!
“マツオさん”である。
この方は、従軍経験者のおじいちゃんだが、あっちこっちを歩き回り、通じようが通じまいが片言英語でおしゃべりをする豪快な方である。
こういう度胸は是非見習いたいものである。(笑)
そういうわけで、みんなと離れて行動し、よく置き去りにされそうになる方なので、要注意人物。
その方の姿が見当たらない。
こりゃまずい・・・と小屋まで戻り探してみたが見つからない。
で・・・戻ってきたら、既にみんなはカートで移動。
カートに乗り遅れた日本人が数名残っていた。
相変わらずの「置き去り」である。
“マツオさん”は拙者が探している間に行き違いでカートに乗り込んで先に行ったらしい。
まぁ、それならいいけど・・・・

第2陣として空港へ向かう。
滑走路脇の倉庫のような建物が特設の出国手続き場となっていた。
ここでパスポートの確認とセキュリティチェックを受ける。

DSC_0738_convert_20100811135638.jpg

搭乗時間までここで待たされたが・・・
一人のアメリカ人の“おばあさん”が拙者に「どういう関係の方ですか?」というようなことを話しかけてきた。
そこで参加の目的等の雑談をしたのだが・・・・
「あなたはハンサムですねぇ~」とおっしゃる。(笑)
はぁ?拙者がハンサム?
「いやぁ~ハンサムじゃないですよ」
「いえ、ハンサムですよ~是非一緒に写真を撮りたいのですがいいですか?」というようなことをおっしゃる。
拙者がハンサムとは・・・・?????
この“おばあさん”は目がかなり悪いのではあるまいか?(笑)
いや、それとも日本女性の価値観と米国女性の価値観は違うのだろうか?(笑)
なんだか狐か狸にだまされているような気がしないでもないが・・・一緒に写真に収まる。(笑)

あっという間に日が落ちて・・・・真っ暗となる。
投光器で照らされた滑走路を歩いて飛行機に乗り込みホノルルに戻る。
さらば・・・ミッドウェーよ!

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旅行 | 14:38:58 | Comments(0)
日本の慰霊祭
次は、我々日本側の参加者だけの慰霊祭。
その場所に移動する途中、アホウドリ親子の仲のいい姿を見る。(笑)

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「日本の慰霊祭」をする場所は、『滄海よ眠れ』というミッドウェー海戦慰霊碑がある場所。
こういう碑がミッドウェーにあったんだ~
ここで「慰霊祭」をするという。
内容は“カンノさん”という方が持参して来た、撃墜されたB-29の搭乗員の遺品の水筒の水を捧げるというものらしい。
昨年も、硫黄島で同じようなことをしたのだが・・・
どうしてB-29の搭乗員の遺品の水筒の水をかけるのかはわからない。
この人の何かの“こだわり”なのだろうが・・・・
米軍の水筒と日本の慰霊の関係がわからない。(笑)

DSC_0707_convert_20100810155747.jpg(ミッドウェー海戦慰霊碑)

さて・・先にカートで出発した引率責任者達がいない!
どこかで道草を喰っているようだ。
“カンノさん”が慰霊祭の準備を始めたが・・・
「誰かビデオを撮ってもらえないですかねぇ。私が主宰なので自分で撮影するわけにはいかないので・・・」と、拙者に向かって言う。
「誰か・・・」と拙者に向かって言われては、拙者がやるしかないんじゃないの?(笑)
「写真とビデオと両方では大変でしょうが・・・」と言われたが、確かに両方は無理である。
なにせ、一眼レフなんだから、右手でビデオ、左手で一眼レフというのは無理である。(笑)
そのうち、ボチボチとカート組が集まってきた。
その中に見知らぬアベックがいたのだが・・・
準備が整う間、この方とお話をしてみたら、どうもホノルルの領事夫妻のようである。
「ようである」というのは、まさか「どなたですか?」とも聞けないし、相手も身分を言わないのでわからなかったのだが、話の内容からして領事夫妻のようである。
あらら・・・
そういう方が参列されるなら、ちゃんと参加者全員にご紹介すべきではないか?
失礼だと思うんだよねぇ~相手に対して・・・・

DSC_0719_convert_20100810165429.jpg(慰霊祭の準備中)

どうもこの慰霊祭は“カンノさん”が個人的にやりたくて企画されたものらしい。
だから・・・仕切りは“カンノさん”である。
式が始まり、拙者はビデオの撮影を開始する。
式の流れが全く分からないので、撮影し出したらぶっ通しで録画する。
これが基本的に拙者の撮影姿勢。
途中でチョコチョコと録画ボタンを切ったりすると、そういう時に限って“ここぞ”といういいショットを逃してしまったりするのである。
で・・・TBSのカメラマンは拙者とは逆サイドに陣取っていた。
そこでは、アングルが悪いと思うのだが・・・と思った瞬間、さすがはプロである・・・・
すぐさま気が付き、撮影しながらこちらに移動して来る。
ナイスポジションは拙者の位置である・・・が・・・砂山で足場が悪い。
お互いに録画中なので、声を出すわけにはいかない。
ここは以心伝心となるか・・・?
拙者は腰をかがめながら撮影を続け、TBSのカメラマンのカメラが拙者の頭上を通過するようにした。
とにかく、テレビ局の撮影の邪魔にならないようにする。

撮影しながら移動中・・・アホウドリの雛の足を踏んでしまった!
なにせ、モニターを見ながらの移動なので、足元に雛がいたのに気がつかなかったのである。
アホウドリは人間に対し恐怖感がないらしく、近づいて行っても絶対動かない。
自分の位置を確保したまま阿呆(あほう)のようにチョコンとしているのである。
だから・・・踏んじゃうんだよね。
踏まれた方は堪ったものじゃあるまい。(笑)
怒って拙者の足をくちばしで突いて来た!
突然の痛みでつい「ギャ!痛てぇ!」と声をあげてしまった。
アッ!やっちまった!拙者の叫び声がビデオに記録されてしまった!(笑)

式では、各自がお線香をあげ、慰霊をしたが・・・
拙者は撮影していたので何も出来ず仕舞い。
しかも写真も撮れなかった。
いやぁ~参ったなぁ~(笑)
またまた“お人好し”をしてしまった。

式典後、TBSのカメラマンと雑談。
「撮影を途中でやめた時に限って、いいシーンが・・なんてことがよくあるんですよねぇ~だから、カメラのスイッチは途中で切れませんよね?大変だったでしょう?」と言ったら・・・
カメラマンとアナウンサーが顔を見合わせて苦笑いをした。
ん?あれ?もしかして・・・いいシーンを逃したのかな?やっちゃったのかな?(笑)

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(慰霊碑のところから見た海!この青さは素晴らしかった!)

この後、すぐ近くの小屋で、飲み物と軽食のサービスがあるというので移動する。
すでにアメリカ側の参加者は軽食を食べながら談笑中。
その中に加わるが・・・交流はない。
日本人は日本人、アメリカ人はアメリカ人・・・である。(笑)

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DSC_0722_convert_20100811133240.jpg

オードブル類は無料でいただけるらしい。
ビールを飲んで談笑している米国人たちから「どうぞ」と勧められる。
が・・・悲しいことに「サンキュー!」としか言えない。
なんと語彙のない男か・・・・
何かもう少し気の利いた言葉を使いたいものだが・・・何の英単語も頭に浮かばないんだから情ない。

旅行 | 13:28:58 | Comments(0)
島内観光!
さて、これからどうしようか?
会場にいた米国側の参加者はどこかにいっちゃったし・・・・
残っているのは、式典会場のテントを片付けているスタッフと“置き去り”にされた我々だけである。(笑)

アメリカ内務省魚類野生生物局の担当官(たぶんそうだと思う)が声をかけてきた。
「あなたは英語が話せますか?」
「はい、少しだけ話せます」(汗)
「じゃあ、私が島内を案内致しましょうか?」
いやぁ~助かったぁ~!!
ここで1時間半後の次のセレモニーまでどうしようかと思っていた。
しかも、次のセレモニーの場所は・・・・知らない!(笑)
島内の地図なんてもらっていないから、移動先を知らないのだ。
島内観光をしながら、最後に次のセレモニー会場まで連れて行ってくれるようお願いする。

で・・・皆さんを呼び集める!
「みなさ~ん!こちらの方が、島内を案内してくれるとのことなのですが・・・どうでしょうか?」
“渡りに船”とは、このことぞ!
「いやぁ~助かったぁ~お願いしましょう!」の声。
しかし・・・一人の“おばあさん”が、この炎天下の中を歩くのはキツイからここに残る・・・と言う。
確かに、この暑さの中を1時間半も歩くのは厳しいかもしれない。
この方の御主人は“従軍経験者”なので、カートに乗って港に行ってしまい、奥さんだけがここに残されてしまったのである。
御夫婦で参加しているんだから、一緒に連れて行ってあげればいいのに・・・可哀そうではないか?
「従軍経験者だけ!」などと言うから、奥さんはカートに乗らなかったのである。
「おばあさんだけ置いて行くわけにはいかないから私達も残ります」と他の女性陣から声が上がった。
そりゃそうだ・・・そうしていただけるとありがたい。

結局、“置き去り組”は2つに分かれることになった。
さぁ~大変である!(笑)
近くにいた自然保護の女性担当官に声をかけ、1時間半後にカートでこの人たちを次の会場へ送ってくれるよう頼む。
女性のことは女性に頼むのが良かろう?
しかし、拙者の英語では、ちゃんと伝わるのかが不安・・・・(笑)
何度もしつこく話して、「絶対送ってあげて下さいね!」と念を押す。
「大丈夫です。1時間半後にカートで次の目的地に送るんですね?任せて下さい」との答えを得た。
おっ!拙者の英語が通じた!(大笑)

男性陣を引率して自然保護の男性担当官と一緒に徒歩で島内観光に出発する。
拙者はこの中では一番若いが、生来の“お節介焼き”と青年会議所で培った“仕切り屋”の性格は押さえられない。(笑)
勝手にリーダーとなりみんなを引率する。
で・・・通訳も兼任!(笑)
英語が大の苦手で大嫌いなのだが・・・「俺がやらねば誰がやる?」の精神で、無茶なことに首を突っ込んだ。(大笑)

最初に向かったのが・・・え~と・・・何の建物だ?
当時の通信施設か?(笑)
昭和16年12月7日に、日本の駆逐艦の砲撃を受けたという。
ん?12月7日って・・・・真珠湾攻撃の時だよな?
それとミッドウェーと何の関係があるの?
この時の攻撃で米海兵隊員の士官が犠牲となったらしい。
この人は、名誉勲章を受けたらしい。
担当官の話は断片的にしか理解できない。(笑)
ゲゲッ!ヤバイ・・・通訳なんかできない!(大笑)

DSC_0650_convert_20100808175708.jpg

コンクリートが剥がれているのは、これは日本軍の攻撃によるものじゃなくて、塩害によるものだとか。
いや・・・そう言っているように聞こえた・・・(笑)
何とも頼りない通訳である。

DSC_0646_convert_20100808180157.jpg
(昭和16年12月7日に戦死したキャノン少尉の慰霊顕彰碑)

DSC_0652_convert_20100808180737.jpg

どこもかしこも、アホウドリで一杯である!
次に向かったのは、戦時中の飛行艇の格納庫。
ここで、別の担当官が、この格納庫について説明してくれるという。
ちょうど、米国人参加者へ説明中のため、しばし待つ。

DSC_0667_convert_20100808182041.jpg(見学中のアメリカ人参加者)

我々を連れて来てくれた担当官が「ゆっくり話せば英語が理解できそうですから、よろしく」とこの担当官に引き継いでくれた。
いやぁ~お恥ずかしい~(笑)
申し訳ない!
ゆっくり話してね!(笑)
おかげさまで、お話の殆どが聞き取れたので、なんとか通訳を務めることが出来た。(大笑)
「英語が出来るって、いいねぇ~」と参加者から言われたが・・・
へぇ?拙者は実は全然英語は駄目なんだけど・・・・(笑)

DSC_0655_convert_20100808182433.jpg(飛行艇の格納庫)

この格納庫は昭和15年に建てられたらしい。
基本的には当時のまま・・・・だそうである。
(と・・・言っているように聞こえた・・・笑)

DSC_0665_convert_20100808183150.jpg(格納庫の中)

DSC_0672_convert_20100808193900.jpg(20mm機銃弾が当った跡を指す担当官)

この格納庫には零戦の銃撃を受けた時の跡がある。
担当官によれば「日本の史跡と呼べるものは、このミッドウェーには、これしかない」とのこと。
「あなたがたの唯一の歴史遺産です」と笑っていた。

丁寧なご説明に御礼を言って、次の場所に移動する。
その間、引率者の担当官がミッドウェーで見られる鳥の話をしてくれた。
が・・・鳥・・・・
拙者は日本語でも鳥の知識がないのである。
日本語で知識がないんだから・・・英語ではもっとわからない。(笑)
戦史に関してはなんとか理解できたが・・・鳥の話は・・・わからない。

DSC_0677_convert_20100808200426.jpg

木の上で寝ている、この白い鳥・・・
絶対地面には降りないのだという。(・・・・と話していたと思う・・・笑)
「こういう鳥は日本にいますか?」と尋ねられてもねぇ~
全然、鳥のことは知らないから・・・・答えようがない。(笑)
あ~駄目だ・・・日常会話の英会話って出来ないんだけど・・・
拙者の場合・・・戦争の話以外は思考回路が完璧に稼働しないんですけど・・・(笑)

移動の途中で「日本人の墓」を発見した。
どうも古い時代のものらしく、「櫻井又五郎 外4人」の合祀墓。
ミッドウェー近海で遭難か死亡した漁師とかの墓なのだろうか?
詳しいことは何も記されていないのでわからない。

DSC_0675_convert_20100808212413.jpg(日本人の墓)

次に向かったのが「メモリアルパーク」のような「小公園」。
「小公園」といっても、周りが公園みたいなのだから、どこからどこまでが公園なのか知らないけど・・・(笑)
ここに米軍の大砲や、記念碑があった。
ここで小休止。

DSC_0680_convert_20100808224238.jpg

次が「ダウンタウン」と呼ばれる場所。
昔、ここに町があったらしい・・・・
とは言っても・・・米軍の施設だろうが・・・
映画館やボウリング場などの娯楽施設とか・・・・
そういうのがあったらしい。

DSC_0696_convert_20100808213527.jpg DSC_0697_convert_20100808213901.jpg
(ダウンタウン)

「今でも使われているのですか?」とか「あなたもボウリングをするのですか?」「何もない島なので退屈でしょう?」「普段はどんな仕事をしているのですか?」などという簡単な英語が情ないことに頭に浮かばない。
日常英会話は99%駄目なのである。(笑)
こうなると、一方的に話を聞いているだけなので、コミュニケーションが図れない。
なんとも参った・・・・
自己嫌悪甚だしい・・・
どうして、こうも頭が悪いんだろうか?(笑)
拙者が話せる英語は・・・「トイレはどこですか?」「タバコはどこで吸えますか?」くらいである。(大笑)

この一画のある建物に到着。
どうやら今回の式典のために「お土産屋」を特別に開設したらしい。(笑)
ここでは、すでに港に行った連中が買い物をしていた。
例の“シブイさん”は「ご苦労様」でもない。
何の言葉もない。
正直言って頭に来るんだよなぁ~そういう態度・・・・

拙者はお土産を買うよりタバコが吸いたい!(笑)
生まれて初めての“通訳”で神経がクタクタである。
ここで一服して・・・一息入れたいのだ。
灰皿を見つけたので、そこで一服する。
近くに図書室らしきものがあったので覗いてみたら、日本の文庫本が数冊置いてあった。
なんで、日本の文庫本なんかがあるんだろう?
職員に尋ねてみたら、日本から来た研究者が置いて行ったらしい。
ときどき、日本から鳥などの研究者が来るらしい。

そろそろ次のセレモニーの時間である。
次は、場所を移動して、日本だけの慰霊祭を行なうという。
じゃぁ、出発しましょう・・・と、なったが・・・
港へ行ったグループはカートで移動。
引率責任者の“シブイさん”は「じゃぁ!先に行ってるから!」と行ってしまった!
またもや我々は置き去りである!
みんなから「またかよ~!なんだ、あの野郎!」の声が上がる。
どうすんの?次の場所ってどこなのか誰も知らないんだけど・・・
「先に行くから!」はないでしょ?
またもやみんながブツブツ言いだした。
我々を引率してくれた担当官に我々を次の場所まで連れて行ってくれるよう頼む。
で・・・置き去り組に、この担当官が連れて行ってくれるから安心してくれと伝えたのだが・・・
この時、担当官が驚いた声で「オ~!ノー!」と叫んだ。
ん?何?どうしたの?
どうも彼は「そんなひどいことは言っていない」と必死に否定している様子。
何が?ひどいって・・・え?何が?
どうやら、拙者の英語がマズかったらしい。
簡単に言うと・・・どうも拙者は「殺す」とか「ひどい目に合わせる」とかという意味の単語を使ったか、そのように聞き取れるような発音をしたらしい。(笑)
「私はそんなこと言ってませんよ~!」と担当官が大慌て。
こっちだって慌てるわぁ~(笑)
「この人が我々をひどい目に合わせてくれます」・・・・ではマズイだろ~
あれ~??どこで間違っちゃったかなぁ~(大笑)
ちょっと待ってね・・・もう1回、言い直すから・・・・
ようやく、わかってもらえたようである。
どうも発音を間違えたらしい・・・・

他の人は何事が起ったのかわからなかったようだが・・・
拙者と担当官は大笑い。
あ~情ねぇ~俺の英語・・・・
駄目だわぁ~やっぱり、英会話って・・・・拙者には無理だわぁ~(笑)

旅行 | 12:28:04 | Comments(0)
置き去りにされた!
DSC_0568_convert_20100808112937.jpg

無事にミッドウェーに到着!

DSC_0570_convert_20100808113526.jpg(現在は使われていない米空軍のハンガー)

DSC_0630_convert_20100808114034.jpg(ミッドウェー海戦記念碑)

周囲には・・・・アホウドリの雛たちが・・・・(笑)

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この式典には、TBSの取材クルーも参加して取材をしていた。
へぇ~そんな話、全然聞いてないんですけど・・・(笑)
このくそ暑い中、アナウンサーはネクタイをしなくちゃならないから大変である。
取材クルーと、「暑い中、御苦労さんですねぇ~」などと、ちょっとおしゃべりをする。
取材クルーは日本からではなく、米国本土の支局から派遣されたのだという。
本当にご苦労様です。

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国旗の入場!
軍旗なのかもしれないけど・・・・(笑)
「日米合同慰霊祭」なんだけど・・・日本の国旗は・・・・ない!
米国の国旗のみ・・・何で?
「日米合同」って、言葉のあやで・・・・
本当は、米軍の慰霊祭に日本人が混ざっているだけということか?
拙者としては納得がいかない。
拙者だったら、日章旗(日の丸)と旭日旗(海軍旗)を米軍の後から続けて入場させるというイベントを企画しちゃうけどなぁ~(笑)
日米合同慰霊祭なら戦勝国も敗戦国も関係あるまい?(笑)

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(日米合同慰霊祭)

“お偉いさん”が何人も挨拶に立つ。
が・・・当然、英語で話しているから何を話しているのかはわからない。
日本側からは“ヨシダさん”が英語でスピーチ・・・・
結局、通訳がいないので、日本人参加者は話の内容は全くわからない。(大笑)

式典が終わり・・・休憩?(笑)
会場のすぐ脇で、サンドイッチと飲み物のサービス。
ボランティアの人たちであろうか・・・「どうぞ食べて下さい」と声をかけられた。
「このサンドイッチは、ハムとチーズで・・・こっちのが・・・・」と、サンドイッチの中身まで丁寧に教えてくれる。
「食べていいの?」
「どうぞ、どうぞ!」
しかし、英語でのやり取りなので、他の参加者にはわからない。
「みなさん!食事のサービスがあるので、自由にもらって下さい」と皆さんにお伝えする。
(拙者の仕事じゃないんだけど・・・これ)
引率責任者の“シブイさん”からは「ここで1時間ほど休憩するから」と指示が出る。
ところが、まもなく“ダンさん”が来て、「何してるんですか?今からすぐに港に向かいますよ!早く行きましょう」と急きたてられた。
あれ?話が違うぞ・・・

日本人グループは、これから港に移動して、ボートに乗って渡るという。
しかし、ボートに乗れるのは16名だけ。
我が日本人グループは20名以上いる。
島内の移動にはゴルフ場のカートが流用されているのだが・・・
これの台数も参加人数以下のため、乗り切れない。
と・・・“シブイさん”から恐るべき指示が!(笑)
「港に行くのは、従軍経験者だけ!他の人は降りて!」
指示に従ってカートを降りた人の空いた席に“ハシモトさん”が乗り込んだら・・・
「おい!あんた、従軍経験者か?従軍経験者じゃないだろ!降りて!降りて!」と怒鳴られ、無理やり降ろされる。
おい、おい、・・・そういう言い方はないだろう・・・
で・・・「あとの人は適当になんとかして!・・・それじゃ行ってくるから!」
はぁ?

DSC_0640_convert_20100808130222.jpg(港に出発するカート)

残された方々は憤懣やるかたない!
そりゃそうだろう。
16名しか乗れないのはわかっていたが、まさか港までは一緒に行くものだと思っていたのだから・・・
まさか、ここで置き去りにされるとは思ってもみないこと。
しかも、人選は任せてくれと言っていたのに、その人選もせず、出発する時になっていきなり「従軍経験者のみ」では納得がいくまい。
だいたい、従軍経験者ではない戦後生まれの若い人間がチャッカリとカートに乗って降りようともしていないのである。
彼等は“ヨシダさん”の知人ということで参加した人達である。
この差別は何????
海原会のツアーの参加者が置き去りにされて、便乗して参加した“部外者”が優遇されるとはどういうことよ?

「あのやろう!ぶんなぐってやろうか!」という過激な発言も飛び出す始末。
「予科練なんてこんなものか!」
「だいたい最後の方(大戦末期)では何万人もいたんだから、その中には“クズ野郎”だっているよ!」
置き去りにされた、“非従軍経験者”は怒り心頭で文句続出である。

“シブイさん”は引率責任者として絶対やってはいけないことをしてしまったのである。
仲間を置き去りにするとは言語道断!
グループを分けるなら、もうひとつのグループにはきちんとリーダーを選出しておかねばなるまい?
「あとは適当に自分たちでなんとかしろ」では、引率者としては失格である。
間違っても戦友会役員のすることではない!
予科練の名前に泥を塗る行為である!
拙者もかなり頭にきたが・・・それ以上にみなさんから過激な発言が出たのには驚いた。
しかし、怒るのは当たり前である!(怒)

旅行 | 10:21:59 | Comments(0)
ミッドウェーに行く
今日はミッドウェーに行く日。
迎えのバスに乗り、空港へ向かうが・・・・
バスの中に、見知らぬ日本人が・・・・
どうやら、このツアーに途中から合流する人らしい。
が・・・紹介も何もないから、誰なのか知らない。(笑)

空港に着いたら・・・事件発生!(笑)
我々に現地で合流した日本人が一人、パスポートをホテルに置いてきてしまったという。
ミッドウェーに行くには、一応、パスポートが必要なのである。
「だって・・・朝の打ち合わせの時に、パスポートの確認はなかったんですか?」と我がツアーの人に尋ねたら、「そんなものなかったよ」と言う。
「そんなバカな・・・」
「そうだろ?俺もそう思っていたんだけどさぁ~」
ホテルのロビーに集合した時にミーティングがあったが、拙者は参加していなかったので内容は知らない。
なぜかというと・・・
ハワイはどこもかしこも禁煙。
ホテルの中は勿論、ホテルの外も、建物の前は駄目。
で・・・ベルボーイに尋ねたら、ホテルの前の道路の向こうにある小さな公園でならタバコを吸っていい・・・と言われたので、そこでタバコを吸っていたのである。(笑)
どうせ、参加人数の確認すらしないツアーだから、拙者がいようといまいと騒ぎになるまいと思いタバコを吸いに出掛けていたのである。
まさか、ミーティングではパスポート持参の確認ぐらいはするんだろうと思っていたのだが・・・
引率の“シブイさん”は何を考えているのやら・・・

「とにかく、タクシーですぐにホテルに戻ってパスポートを持ってきた方がいいですよ。すぐに戻って!」と指示をしたのは拙者である。
海原会役員の“ヨシダさん”の知人らしいのだが、その“ヨシダさん”は知らぬ顔。
なんとも薄情な・・・

更に問題は続く。
ミッドウェーへはチャーター便で行くのだが、我々日本人の座席が確保されていないという。
そんな馬鹿な・・・
このツアーの企画はミリタリー・ヒストリカル・ツアー社で、日本側の窓口は“ヨシダさん”である。
この人は高齢なのだが、英語がペラペラで、しかも米国側との人脈も豊富ということで窓口となり、今回我々が参加したツアーも企画されたようである。
ということは・・・う~ん・・・誰の責任なの?これ・・・

DSC_0555_convert_20100806222313.jpg(空港の中でゴタゴタ中・・・)

チェックインカウンターでようやくチェックインの手続きが開始された。
ところが、我が日本人は・・・ドドッとカウンターに集まってしまうのである。(笑)
空港職員が日本語で「線の後ろに下がって下さい!」といくら言ってもゾロゾロとカウンターに行ってしまうのである。
あ・の・ね・・・・
日本の恥だろ・・・それ・・・
少しでもカウンターに近づけば飛行機に乗れると思っているのだろうか?(笑)
短気な拙者はついにキレた!
「いい加減、指示に従いなさい!その線の後ろまで下がって!下がって!」と怒鳴ってしまった。(笑)

ところで・・・引率責任者の“シブイさん”は・・・
さっさと先にチェックインして「じゃぁ、先に行ってるから~!」と搭乗口へ向かってしまった!
嘘ぉ~
昨年のグアムの時と同じである。
座席の関係で飛行機に乗れるかどうかもわからない我がメンバーがいるにもかかわらず・・・である。
呆れてものが言えぬ。
仕方がないので、拙者はチェックイン後もみんなが手続きが終わるまで待ってあげる。
途中で参加して来た日本人たちは仲間なのかどうか知らないが、少なくとも成田空港から一緒に来た人たちの面倒は見てやらねばなるまい?
「とにかく僕はここで待っててあげますから、焦らなくていいですよ。手続きが終わったらここに集まって下さい!」と取り仕切る。
「いやぁ~申し訳ないねぇ~助かるよ~」との声をいただいたが・・・
本来は拙者のやる仕事じゃないんだけどなぁ。(笑)

取りあえず成田から来た我が仲間と、パスポートを取りに戻った人は無事にチエックイン出来たようである。
皆さんを引率して搭乗口に向かう。
搭乗口前で今回のツアーの全体説明があった。
ミッドウェーでの注意事項やら、退役軍人のお偉いさんの紹介やら・・・・
しかし英語だから・・・よくわからない。
日本語の通訳はないから、多分、日本人は“ヨシダさん”を除いて誰もわからなかったのではなかろうか?(笑)

DSC_0559_convert_20100806225412.jpg(全体説明会)


ホノルルからミッドウェーまでは、3時間半ほど。

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一応、機内食も出た。

DSC06747_convert_20100807011121.jpg(途中で見かけた環礁)

DSC06749_convert_20100807011915.jpg(ミッドウェー)


より大きな地図で ミッドウェー記念碑 を表示

ミッドウェーが見えた時・・・
反対側の通路側に座っていた“ダンさん”から写真を撮ってくれとカメラを渡されたので、一生懸命写真を撮ってた。
で・・・気がついた!
自分のカメラでは撮っていない!!!
大失敗である!
お人好しもここまでくると・・・・アホである。(笑)
二度と来ることはないだろうミッドウェーの写真は1枚しか撮れなかったのである。

DSC06753_convert_20100807012525.jpg(無事着陸)

DSC06757_convert_20100807012753.jpg(アホウドリの出迎え?)

アホウドリ(阿呆鳥)が滑走路の周辺にいるのが見える。
その数や・・・すごい!
が・・・間違っても滑走路の上にはいないのである。
滑走路は「危ない」と知っているのか?(笑)
いずれにせよ、阿呆鳥という名のわりには・・・・アホ(阿呆)ではないようだ。(笑)

旅行 | 09:58:13 | Comments(0)
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