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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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やっぱり牛タンでしょ
仙台駅に到着した時は、外はもう真っ暗。
駅からまっすぐホテルへ・・・・と思ったのだが・・・
さて・・・拙者は何というホテルに泊まるんだっけ?
疲労がピークに達しているようである。
全然頭が働かない。

とりあえず、一服せねば・・・・
駅前のアーケード街をウロウロしてコンビニを探し地図を買う。
で・・・コーヒーショップで一服。

地下鉄の「何とか」っていう駅の近くにあるホテルを予約したはずだが・・・
こう頭がボケていたのでは地下鉄なんかに乗れそうもない。
駅からタクシーでホテルに向かうことにする。
が・・・・運転手さんもホテルの場所がよくわからないらしい。

仙台は思ったより大きな町で、大通りが縦横に走っているような感じ・・・・
さて・・・どこをどう走っているのかもわからない。
しかも、最近のホテルは看板が目立たないのだ。
シャレたつもりで間接照明なんかにしているから、すぐ目の前まで来なければホテル名が読めない。
格好をつけるのも善し悪しである。
ホテル名がボンヤリとしか見えないような照明では意味がなかろう。

チェックイン後、夕食を食べに外にでる。
繁華街の場所を聞いていたので、とにかくその方角に向かって歩く。
さて・・・仙台って言ったら「牛タン」だろう。
というわけで・・・適当に歩き回り、牛タンの店を見つけ、そこで牛タンを食べることにした。
このお店は牛タン専門店らしい。
「御食事ですか?」と聞かれたので、「そうです」と答えたら、そのまま奥に引っ込んでしまった。
あれ?注文は?
まもなく勝手に定食が運ばれてきた!(笑)
まぁ、これが食べたかったんだから、これでいいんだけど・・・・
いやはや、驚いた。

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偶然、適当に入った店だったが・・・いやぁ~おいしかった!
大満足で店を出て・・・・あれ?
また、やっちゃった!
ここはどこ?・・・・である。
いつもの方向音痴・・・・(笑)
さぁ~困ったぞ・・・・拙者のホテルは・・・どっちの方向だ?
で・・・勘に頼ってしばらく歩いていたら、市街地図の案内板が出ていた。
それを見たら・・・ありゃぁ~全く正反対の方へ歩いていたぁ!
長期間の旅行を続けると疲れが溜まって勘も鈍るらしい。(笑)

なんとか、かんとかホテルに戻ったが・・・・
あの牛タンのお店・・・・
どこにあったのか思い出せない。(笑)
あ~あ~二度と行けないなぁ~(笑)

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旅行 | 20:33:07 | Comments(0)
姥杉
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三之曲輪(さんのくるわ)「姥杉(うばすぎ)

水沢城は1629(嘉永6)年、伊達家一門の留守宗利(るすむねとし)が入城してから幕末までの約230年間、1万6千石の留守氏の居城でした。
城は、正確には水沢要害(ようがい)と呼ばれ、一之曲輪(本丸)、二之曲輪(二の丸)、三之曲輪(三の丸)、南曲輪などにわかれ、曲輪を囲む土塁(どるい)に杉や松が植えられていましたが、現在は、この姥杉1本だけが残っています。
市役所、県合同庁舎敷地が三之曲輪にふくまれ、市役所正面玄関北側付近に大手門や太鼓櫓(たいこやぐら)、後に子弟の教育の場であった立生館(りゅうせいかん)が置かれました。

(水沢市指定天然記念物)
水沢市

(説明板より)


より大きな地図で 姥杉 を表示

史跡 | 14:12:42 | Comments(0)
後藤新平旧宅
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武家住宅
後藤新平旧宅(公開)

この武家屋敷は、留守家御小姓頭(るすけおこしょうかしら)を勤めた後藤佐伝治の屋敷で、後藤新平は、1857(安政4)年にこの家で生まれ、留守家奥小姓(おくこしょう)として幕末をむかえています。
江戸時代に、この吉小路は「給主小路(きゅしゅこうじ)」とよばれ、大手小路に次いで上級家臣の武家屋敷がおかれたところです。
屋敷には、冠木門(かぶきもん)、茅葺(かやぶき)の母屋(おもや)と厠(かわや)、板倉(いたぐら)、井戸、表庭の老松などが残り、武家屋敷景観をとどめています。
母屋は18世紀中頃の建築で、現在の建物は晩年の後藤新平が修理したものを保存しています。

(岩手県指定有形文化財)
水沢市

(説明板より)


より大きな地図で 後藤新平旧宅 を表示


史跡 | 13:50:42 | Comments(0)
高野長英旧宅
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国指定史跡
高野長英旧宅
所在地 水沢市大畑小路七番町

近世日本の先覚者、高野長英は文化元年(1804)5月、留守(るす)氏家臣後藤惣介(そうすけ)の三男として吉小路(きちこうじ)に生まれた。
長英は9歳のとき父が没したため、大畑小路(おおばたけこうじ)の母美也(みや)の実家、高野家の養子となった。
この家は長英が幼少の頃、養父玄斎(げんさい)から蘭学を、祖父玄端(げんたん)から漢学を学んで育ったところである。
家は明治9年(1876)に一部改築されたが、階下の八畳・六畳は長英の居室として、当時の状態がよく保存されており、この階下二室が昭和8年4月13日、国の史跡に指定された。

昭和62年8月

水沢市

(説明板より)


より大きな地図で 高野長英旧宅 を表示




史跡 | 12:52:55 | Comments(0)
高野長英墓
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高野長英墓

1839(天保10)年長英は、鎖国政策を批判する「夢物語」を書いて、幕府に弾圧され「蛮社の獄(ばんしゃのごく)」で投獄されました。
その後火災に乗じて逃亡生活のすえ、江戸で1850(嘉永3)年10月30日幕府の捕方に襲われ自決してその生涯を閉じました。
国の将来を憂い、近代日本の魁(さきがけ)となった高野長英の偉業と生涯は、今日もなお高い評価を受け顕彰されています。
長英の著述書等58点が「歴史資料」として平成8年6月27日、国の重要文化財に指定され、高野長英記念館に保管展示されています。

水沢市

(説明板より)


より大きな地図で 高野長英墓 を表示


史跡 | 11:36:19 | Comments(0)
水沢の旅
今日は、水沢の町を散策する。

まずは、ホテルの近くの「大安寺」に行く。
ここに高野長英の墓がある。
ここには留守氏の墓所もあるが、ちょうど墓所を整備している最中のようで、どの墓石が誰なのかわからなかった。

DSC03020_convert_20091222180804.jpg(大安寺)

DSC03034_convert_20091222181050.jpg(留守氏の墓所)

続いて、「水沢公園」へ・・・・
ここには後藤新平と斎藤實の銅像がある。
16年前にも、ここに来て銅像の写真を撮ったことは覚えているんだが・・・
銅像の周辺の景色は全く記憶にない。

この公園には、高野長英記念館がある。

DSC03081_convert_20091222181728.jpg

ここにも16年前に訪れた。
16年ぶりの再訪問・・・・
建物の外観は覚えているのだが、展示内容は全く記憶にない。
ここで高野長英に関する本を買ったことは覚えているのだが・・・・
1時間弱、じっくりと見学し、職員の方ともおしゃべり。
資料を特別に分けてもらったり・・・と、結構楽しめた。

続いて向かったのは、「高野長英旧宅」
ここには16年前には来ていない。
どうしてだろう?
たぶん、タクシーを使って主だった場所しか見て回らなかったのではないか?
あの頃は、博物館めぐりが好きだったから、博物館・資料館だけを見て回ったのかもしれない。
どうも当時の記憶があいまいである。
やっぱり徒歩で歩きまわらねば、史跡巡りは楽しめない。(笑)
旧宅は非公開となっている。
外観のみ、門のところから「のぞき見」である。
で・・・隣が「高野医院」という病院。
もしかして、高野長英の子孫の方なのだろうか?

DSC03119_convert_20091222182928.jpg

さらにテクテク歩いて、今度は後藤新平旧宅へ・・・・
ここは内部を公開している。

そのまま更にテクテク歩きながら周囲をキョロキョロしていたら・・・・
銅像が目の隅に入ってきた。
ん?誰?
近づいて見てみたら・・・
あら!椎名悦三郎さんの銅像!
う~ん・・・名前を聞いたことがあるぞ~
え~と・・・国会議員だよな・・・・
生誕地の石碑も建っていたので、どうやらここが生誕地らしい。

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(道路の左側の生け垣のところが椎名悦三郎生誕地)

銅像の写真を撮った後、さらに歩くと、左側に高野長英生誕地・・・・
小さな公園となっていて、石碑が建っているだけ。

さらに歩いて行くと、「斎藤實記念館」・・・・
ここには16年前に来ていることは確かなのだが、外観が全く記憶にない。
ましてや、庭に銅像なんて建っていたか?
館内を見学。
書庫に斎藤實が収集した貴重な本がたくさんあったのはよく覚えている。
この本・・・読みたいなぁ~って思ったんだから・・・・
これだけはよく覚えているのだが・・・・あとは、全く記憶にない。(笑)
職員の方と2・26事件の話などをする。

時刻はお昼を過ぎているが、周辺には食事ができそうな店がない。
市役所の方へ行ってみて、近くの喫茶店に入る。
何か食べるものは・・・と尋ねたら・・・・
何もないとのこと。
うそ・・・
サンドイッチぐらいはあるかと思ったら、パンを切らしているのでなにもないとのこと。
仕方がないので、コーヒーだけの昼食となる。(涙)

目の前の奥州市役所は、水沢城跡らしい。
が・・・全然お城跡に見えない。
「姥杉」という杉の大木が残っているだけ・・・・

DSC03227_convert_20091222192734.jpg

続いて向かったのは「水沢市公民館」・・・・
職員の方に内部を案内していただき、撮影の許可もいただく。
この公民館は、日本で最初に「公民館」という名称がつけられた建物。
読売新聞社社長の正力松太郎から水沢町に寄付されたものだという。
話によれば、正力松太郎が新聞社を興す時に後藤新平から資金援助を受けたので、その恩返しなのだという。
それで、入口に後藤新平と正力松太郎の銅像が建っていたのか・・・・
当時のままの建物。
歴史的ないわれもあり、古くて貴重な建物なのになぜか文化財には指定されていない。
今もって現役の公民館として使用されているが・・・・
この不景気・・・運営資金には苦労しているようである。
で・・・その打開策とか、文化財指定を受けた場合の損得の話などをしていたら・・・
「あのぉ~文化財保護関係の仕事をされているのですか?」と言われてしまった。(笑)
え?拙者が役人に見えます?(笑)
大いに話が盛り上がり、30分もお邪魔してしまった。

次に向かったのは、すぐ近くにある「後藤新平記念館」
この建物の外観は記憶に残っているが、内部は全く記憶にない。(笑)
展示品の一部しか覚えていない・・・・
日本の鉄道を広軌にしたほうがいいという案の線路の幅を示した図面。
それと、ボタンを押すと後藤新平の演説が聴けるというラジオか何か・・・・
あれから16年もたっているので、展示替えをされていて、当時のイメージと違う・・・・
40分ほど見学。

時刻は午後2時半過ぎ・・・・
駅まで歩いて行き、ここからタクシーで新幹線駅である「水沢江刺駅」に向かうことにする。
が・・・そのついでに、斎藤實の墓所に寄ってもらう。

DSC03328_convert_20091222194801.jpg(水沢江刺駅)

午後3時20分だというのに、日が落ち始め・・・・
駅前の後藤新平の銅像は逆光!
うわぁ~写真がうまく撮れねぇ~
日が短いこの季節は本当に困ったものだ。

駅構内でサンドイッチとコーヒーの遅い昼食をとり、次は仙台へ向かう。

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旅行 | 10:00:37 | Comments(0)