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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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禁煙ルーム!
さんざん歩きまわって、疲れたので、偶然見つけた喫茶店で一服。
そこへ、前部会長の“ケムちゃん”からホテルにチェックインしたとの電話が入る。

明日は、法人会青年部の全国大会。
前部会長の“ケムちゃん”と新部会長の“オノザキくん”、委員長の“ヤマちゃん”の3人が車で盛岡入り。
ホテルで合流することにしていたのだが・・・・
さて・・・拙者がいるところは・・・どこ?
地図を開いてみてみたら、なんと、今晩から宿泊する予定のホテルのすぐ近くにいるではないか!
が・・・
拙者は昨晩宿泊した駅前のホテルに荷物を預かってもらったまま出かけていたので、すぐ目の前にいるのに、駅まで戻って荷物を受け取ってこなければならない。
コーヒー飲んで、ホッとしたのもつかの間、またもやテクテクと駅前のホテルまで歩く。

今晩から2泊するホテルは法人会が手配したホテルである。
で・・・チェックインしたら・・・・禁煙ルーム!
喫煙ルームはないのかと尋ねたが、ないとのこと・・・・
トホホ・・・である。
我々4人のうち3人はタバコを吸う。
だから・・・文句タラタラ・・・である。
こんなことなら、自分で個人的にホテルをとればよかったと後悔・・・・
喫煙できるのは、ロビーの隅っこにある喫煙コーナーのみとのこと。
夜中に、わざわざここまで来て吸わねばならんのか・・・・

“オノザキくん”は部会長会議に出かけ、残った我々3人は、“ケムちゃん”がガイドブックで探した盛岡城近くの居酒屋へ行き夕食をとる。
1合、1300円もする日本酒を頼み飲む。
さすがに値段が高いだけあっておいしい。
滅多に酒を飲まない拙者でも、「おいしい」と感じるんだから「おいしい酒」なんだろうなぁ~これ・・・(笑)

と・・・そこへ“オノザキ部会長”が会議から戻ってきたのだが・・・
なんと、女の子を2人従えている。
ん?なんだ?
懇親会で会ったコンパニオンを連れてきたという。(笑)
で・・・このあとは・・・彼女たちが勤めているスナックへ行って飲むこととなる。

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日記 | 19:18:18 | Comments(0)
盛岡の旅(2)
雨の中、傘をさしてテクテク歩く。
駅まではかなり遠いようだが、地図もあるし・・・少し運動のためにも歩いてみようと思う。
時刻はお昼。
さすがに腹が減った・・・・
どこかで飯を食わねばと食堂を探すが、そういうときに限って店が見つからない。(笑)
ようやく見つけたのが、「ジャージャー麺」の店。
「ジャージャー麺」ってなんだか知らないけど・・・(笑)
空腹に耐えられず店に入る。

お店の女の子に尋ねたら「ジャージャー麺」って名物らしい。
初めて食べる人向けに説明書まで用意されていた。(笑)

DSC02695_convert_20091217225228.jpg(説明書き)

DSC02691_convert_20091217225508.jpg(ジャージャー麺)

DSC02692_convert_20091217225745.jpg
この麺をグジュグジュに混ぜて・・・(笑)食べるのだそうだ・・・・

DSC02693_convert_20091217230143.jpg
最後に少し麺を残して、それに生卵を入れ、そこへスープを入れる。
これを「チータン」というらしい。

「チータンにしますか?」と店の女の子に言われ、やってみた。
「このくらい麺を残せばいいですかねぇ~」と見せたら・・・・
「あらぁ~お上手!」・・・だって・・・
いい歳して、なんともはずかしや・・・・(笑)

で・・・完食!

DSC02694_convert_20091217230721.jpg

しかも、食べるたびに写真を撮影していたので店の女の子に笑われる。
「いやぁ~ちょっと、ブログにに載せたいので・・・」(笑)

店を出て雨の中、あてもなく、とにかく駅の方向へ向かって歩く。
途中、「中央公民館」に寄ってみる。

DSC02717_convert_20091217231640.jpg(中央公民館)

ここにある郷土資料展示室を見学する。
ここは昔は盛岡城で使用される薬草を栽培していた「御薬園」で、江戸時代後期には藩校が置かれ、明治維新後は南部伯爵の別邸となった場所。
庭園は南部伯爵別邸として造園されたものだそうで・・・・
雨の中、傘をさして庭園の中も散策する。

DSC02711_convert_20091217232824.jpg

DSC02696_convert_20091217233243.jpg

お天気が雨というのが残念・・・・
薄暗いし・・・・
天気が良ければ、もっといい写真が撮れただろうという気がする。

ふと、過去の旅のことを思い出したのだが・・・・
不思議と雨の日に庭園を訪問していることが多い。
なぜなのかわからないが・・・

時刻は3時過ぎ・・・・
さらに駅に向かって歩く。
公会堂の一角に原敬の銅像。
時刻は4時過ぎ・・・・
薄暗くてうまく撮影できない。
参ったぁ~
銅像は雨に濡れるとテカテカに光ってしまうものが多い。
こうなると、凹凸がはっきりせず、銅像の表情がうまく写らない。
さらに、薄暗いということでストロボを使って撮影してしまうと凹凸が無くなってしまうので、ノッペリとした顔に写ってしまう。
本来は凹んでいる部分が影となって、いい感じの表情になるものが、ストロボのおかげで凹みまで明るく写ってしまうからである。
かといって、ストロボを使わずに撮影すると、真黒か、手ぶれを起こしてしまい、奇麗には撮れない。
今日のような雨が降って、薄暗いという天気は銅像撮影には最悪のコンディションである。
使い物になる写真になるかどうかわからぬが・・・・とにかく何枚か撮っておくことにする。
駄目だったら・・・・いつかまた盛岡にくることもあろう・・・(笑)

旅行 | 11:46:00 | Comments(0)
戦友宅を訪問
今日は、我が戦友会の会員のお宅を訪問してインタビューする日である。
訪問する時間は午前10時過ぎ・・・・
で・・・昨晩から気になっていたのだが・・・・
どうも昨日、何かを忘れていたような・・・
で・・・気がついた!
盛岡八幡宮へ行ったときに、そこに建っているはずの米内光政の銅像の写真を撮るのを忘れていた!
大失敗である!(涙)
戦友宅へお邪魔するまで時間があるので、急ぎタクシーで盛岡八幡宮へ向かう。
あ~あ~2日も連続で来るなんて・・・・二度手間である。

今日は朝から雨・・・・
傘をさしながらの撮影である。
で・・・この後、タクシーで戦友宅へ向かう。

訪問した“コガリマイさん”とは初対面。
今度発行する会報に「会員紹介」として記事を書くための取材である。
氏は戦車第7連隊から戦車第2師団司令部通信隊へ異動した方。
「戦時中のことは、あまりよく知らないんだけど・・・」と言いながら取材に応じてくださった。
そもそも、商業系の学校出身なのに召集されて戦車連隊に配属になったこと自体が不思議だという。
確かに、言われてみればそうである。
戦車連隊なら、機械いじりに長けている工業系出身者を配属するのが当然なような気がする。
戦車第2師団が満州に駐留している時点で、通信兵の試験に合格して師団通信隊に転属となり、その後、師団と一緒にフィリピンへ・・・・
原隊である戦車第7連隊は米軍の上陸の際に壊滅。
もし、通信隊へ転属になっていなかったら、この時点で戦死していた可能性が高いという。
通信兵になったのは、甲種と乙種の2つの幹部候補生試験に落第し、最後の最後、通信兵の試験に合格したからだという。
何が不幸で何が幸いになるかわからないものである。
もし、幹部候補生試験に合格していたら・・・たぶん戦死していただろう。
幹部候補生試験に落ちたのは商業学校出身のためだったらしい。
ということは・・・畑違いの商業出だったことが幸いしたのか・・・
よく、受験に失敗して落ち込んだり自暴自棄になったり自殺する「馬鹿」がいるが、そういう連中に聞かせてやりたい話である。
一時、不幸に思えても、最終的にはどうなるかはわからないのである。
何が幸いするかわからない・・・・まさしくその好例といえるのではあるまいか?
氏は師団司令部と行動を共にし、常に前線から離れた場所にいたので、直接大規模な戦闘には巻き込まれることはなかったらしい。
このため、原隊の戦車第7連隊の壊滅状況も詳しくは御存じない。
このことが「当時のことはよく知らない」という言葉になったようだ。
食料調達では、ジャングルの中で何人もの戦友を失ったが、上官である小隊長の「通信兵が敵のゲリラと戦って勝てるわけがないのだから、極力戦闘は避けて命を大切にせよ」の言葉で生きながらえることができたという。
それでも、終戦間近の時点で、多くの戦友が餓死・病死し、次は自分の番だと確信していたという。
マラリアで動けなくなり林の中に見捨てられたが、通りがかった通信隊の最後のトラックに拾われて一命を取り留める。
戦後、慰霊団の一員としてフィリピンに渡った時に、この時トラックを運転していた兵も同じ慰霊団にいたそうで、「あんたを拾ったのはこのあたりだ」と教えてもらったが、「当時は意識朦朧としていたので覚えていない」という。
同乗していた小隊長が林の中に倒れていた“コガリマイさん”を見つけて、荷台の隙間に乗せたそうだ。
荷台には通信機材等が満載されていたが、運よく隙間があったそうで、もし、隙間なく機材が載せられていたら、間違いなく乗せてはもらえなかったという。
当時は人命より機材の輸送の方が優先されていたそうである。
偶然にも荷台の人一人分の隙間が氏の運命を左右したわけである。
なんとも運のいい方だ。
多くの生還者が紙一重で生還しているのだが、この方も同様である。
話は戦時中のことよりも戦後の復興期の話の方が長かったが・・・・(笑)
戦後、実業家として成功したのも、「あの時死んでいたと思えば・・・」との思いで努力したおかげだという。

あっという間にお昼となる。
約2時間弱のインタビューを終え、帰りに、弟さんが“コガリマイさん”の戦後の活躍を描かれた著書をいただき、御自宅をあとにする。
“コガリマイさん”は87歳・・・・
長生きしていただきたい・・・・そう心から思う。

旅行 | 10:56:48 | Comments(0)