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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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八戸の旅
約1時間で八戸駅に到着。
ちょうどお昼なので、駅の構内の食堂でトンカツを食べる。

DSC02285_convert_20091214122313.jpg

八戸の町というのは、この新幹線が乗り入れている「八戸駅」ではなく、ここから在来線で、ちょっと移動した「本八戸駅」が繁華街らしい。
なんという辺鄙な場所に駅を作ってくれたものか・・・・
わざわざ在来線に乗り換えなければ町に行けぬとは・・・・

DSC02286_convert_20091214122903.jpg(本八戸駅)

ここから地図を頼りにテクテクと歩く。
時刻は午後2時半である。
最初に向かったのが・・・「八戸城」であるが・・・・
あらら・・・ただの公園!(笑)
がっかりである。

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DSC02290_convert_20091214131114.jpg(三八城公園)

公園の隣・・・公会堂や市庁舎の前では「菊祭り」が行なわれていたようである。
時刻は午後3時、ちょっと暗くなり始めたせいなのか・・・閑散としていて、もう「閉店」といった感じだった。

DSC02355_convert_20091214161152.jpg

ちょいと腹が減ってきたので、町の中の喫茶店に入る。
手作りピザが“売り”の店らしいので、ピザとコーヒーを注文して一服。

DSC02365_convert_20091214161623.jpg

店内にはマスターと拙者の2人だけ・・・・
いつまでたっても誰も店に入ってこない。
そのうち、マスターとおしゃべりが始まったのだが、話題が「ねぷた祭」に及んだとき・・・・
「じゃぁ、以前、テレビで放送されたものをお見せしますよ」とマスター
スクリーンを用意して・・・なんと!ビデオ観賞会が始まってしまった!(笑)
このマスター・・・・かなりのお祭り好きらしい。
貸し切り状態で、祭の話、町興しの話などで盛り上がる。(笑)

DSC02366_convert_20091214162317.jpg

いやはや、まさかのビデオ鑑賞会!
1時間以上も、おしゃべりをして、思いがけずに充実した「お茶飲み」となった。
時刻は5時・・・・
外は日が落ちて暗くなっていたので、ホテルに向かいチェックイン。

今晩の夕食は、ホテル内の居酒屋でとる。

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旅行 | 12:20:07 | Comments(0)
革秀寺
弘前市指定 史跡
曹洞宗津軽山 革秀寺
住所 弘前市大字藤代字川面116外
面積 18807.41?

革秀寺は、津軽藩初代藩主為信により津軽家の菩提寺である長勝寺の格翁和尚の隠居寺として、慶長3年(1598)藤崎村(現 藤崎町)に創建され、間もなく現在地に移されたと伝えられています。
為信は、津軽一統後、高岡城(のちの弘前城)の築城を計画しましたが、その完成を見ることなく慶長12年(1607)京都において卒去されました。
二代信牧(のぶひら)は、亡父の菩提を弔うためここに霊屋を建立し、境内全域を聖域化して庶民だけでなく藩の武士の立ち入りも厳しく制限したといわれています。
境内には、霊屋のほか江戸時代初期に建てられた本堂なども残されており、文化8年(1811)の絵図にも示されている東側の池や霊屋周囲の二重の土塁も現在に引き継がれています。
また本堂西側にある庭は、当地方で最も古い庭園と考えられています。
現在に至るまで初代藩主為信の菩提寺として崇敬された歴史と共に、建造物を含めた境内地の構成を今日までよく保存継承していることから、長勝寺構(国指定史跡)などと共に津軽藩の寺院政策を知る上で貴重な遺構の一つとなっています。

弘前市教育委員会
管理者 革秀寺

(説明板より)

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重要文化財
革秀寺本堂
平成5年8月17日指定

津軽山革秀寺は、長勝寺格翁(かくおう)禅師に師事した津軽藩祖為信(ためのぶ)が、慶長3年(1598)藤崎に造営したのに始まり、間もなく現在地に移築したが、いくばくもなく火災に遭い、その後再建され今日に至ったと伝承されている。
その再建年代は、慶長15(1610)とも慶長17年ともいわれる。
現存する本堂は、正面桁行九間、梁間(はりま)八間、屋根は一重入母屋(いりもや)造りの茅葺(かやぶき)平入(ひらい)りで、正面玄関を式台(しきだい)構えとする。
いかにも古雅な外観ではあるが、内部の扉や欄間(らんま)、木鼻(きばな)等の彫刻、あるいは、天井などに桃山時代の手法を数多く残している本格的建築物で、当地方における曹洞宗寺院の古い典型を示すものとして極めて貴重である。

管理者 革秀寺
弘前市教育委員会

(説明板より)

DSC02271_convert_20091214114611.jpg

重要文化財
津軽為信霊屋
昭和28年11月14日指定

本寺(津軽山革秀寺)は、津軽藩初代藩主津軽為信が自分の禅の師匠である長勝寺八世住職格翁(かくおう)禅師のために建てた寺と伝えられる。
為信は、慶長12年(1607)に京都で亡くなったが、この遺骨を二代藩主信枚(のぶひら)が持参し、格翁禅師を導師として葬儀を行い、革秀寺を廟所(びょうしょ)としている。
この霊屋(たまや)は、桁行一間梁間一間の正面が正方形の建物である。
柱は円柱、軒は二重繁棰(しげたるき)入母屋造り、妻入りで前面に小さく唐破風(からはふ)をつけている。
内部には四十九院板塔婆を張り付け、後ろの壁に寄せるように石造塔婆を安置している。
小振りではあるが、彩色豊かな体裁の整った美しい建物である。

管理者 革秀寺
弘前市教育委員会

(説明板より)


より大きな地図で 革秀寺 を表示



史跡 | 11:00:05 | Comments(0)
初雪!
朝、目が覚めると、外は雪景色!
夜中に雪が降ったらしい。
初雪である。

DSC02266_convert_20091214081445.jpg(ホテルの部屋から見た景色)

ホテルをチェックアウトして、昨日のタクシーの運転手さんと待ち合わせ。
運転手さんは、昨晩、実家に行って父親の戦時中のアルバムを持ってきていた。
で・・・コンビニの一角にある喫茶で、コーヒーを飲みながらアルバムを見せてもらう。
「いやぁ~こりゃ、“お宝”写真が一杯じゃないですか!」
「そうなの?俺には分からないけどねぇ~」
「いいなぁ~この写真!これ、コピーとってくれませんかね?」
「そう?じゃぁ、このアルバム貸してあげるから持って行きなよ。今度、弘前に来るときに返してくれればいいから」
へっ?(笑)
いくらなんでも、お父さんの遺品のアルバムを借りるっていうわけにはいかないだろ~
それに、今度・・・って言っても、弘前に来る予定はないし・・・(笑)

今日は、これから八戸に移動予定だが、まだ、時間がある。
コーヒーを飲んで、おしゃべりしているうち、ザァ~と降っていた雪が止んだ!
よし!今のうち、どこか1か所ぐらいを見学して帰ろう!

向かったのは、初代藩主・津軽為信の菩提寺である「革秀寺」
ここには為信の霊屋があるが、近づけないので、遠くから見るに留まる。

DSC02279_convert_20091214092317.jpg

この後、駅まで送ってもらい、運転手さんとはここでお別れ。
またまた「後輩」ということで、料金を格安にしてもらった。(笑)
ありがたし。

これから「特急つがる」で八戸に向かう。

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DSC02282_convert_20091214094148.jpg(特急つがる)

車窓からは・・・・一面・・・雪景色!

DSC02283_convert_20091214094456.jpg

旅行 | 08:09:20 | Comments(0)