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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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検事の現場検証
検事の現場検証 (中公文庫)検事の現場検証 (中公文庫)
(1986/03)
村上 久

商品詳細を見る


本書は、私が生まれた頃(昭和35年前後)に発生した、いくつもの事件を取り上げて書かれた、事件捜査の体験談である。
その中には、後世にも語る継がれている事件もあれば、すでに多くの人の記憶から消え去っているであろう事件もある。
私が生まれた頃の話だから、逆に新鮮味を感じて、興味深く読むことができた。
本書は一般人にもわかりやすく書かれた新人検察官向けの「指導書」という感じの本である。
が・・・読めば読むほど、なるほどねぇ~と思う。
こりゃ、大変である。
最終的には、検事の人間としての能力にかかってくる。
現在の検察官が、学歴偏重、官僚的で、人間としての質や動物的な勘が衰退していないことを期待するのみ・・・である。

現場に臨んで
検事にとっての現場
自他殺の判別
家宅捜査
臨場、思い出すまま

現場における観察と推理
宿直父子強殺事件
男娼殺人事件

被害者の身元割出し
小岩のバラバラ白骨事件
荒川バラバラ殺人事件
被害者が加害者
捜査の難しい通り魔事件

自白をめぐって
犯人でなければ知らないこと
小松川女高生殺人事件
食肉店主殺人事件

証拠隠滅
ある強盗殺人犯の肉親の苦痛

「消去捜査」
完璧な捜査をめざして
ある暴力団員殺人事件

精神鑑定
精神分裂症を装った殺人犯

検事認知事件
ある税務署員の汚職

犯人像
雅樹ちゃん誘拐事件
強盗殺人事件の被疑者たち



今年の読書:62冊目



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読書 | 15:15:45 | Comments(0)
保険の請求
この間、偶然、郵便局の保険担当者とおしゃべりしていたら、保険金の請求漏れがあるのがわかった。
そうそう、もう1年も前の「痔ろう」の手術と入院である。
生命保険のほうは、入院費等の請求をとっくに終えていたのだが、郵便局の保険のほうはすっかり忘れていたのである。
だいたい、郵便局っていうとお金を預けるという感覚・・・・
保険に入院特約を付けていたことなんか、すっかり忘れていた。(笑)
というわけで・・・担当者に来てもらい、手術費と入院費の請求を行なう。

ちょっとしたことでも、くだらないおしゃべりって必要だな。
そこから「抜け」に気がつくこともある。

日記 | 15:09:32 | Comments(0)
久しぶりに、おしゃべり
市役所の帰り、近くの特定郵便局に立ち寄る。
ここの郵便局長さんである“カワウチさん”は、その昔、『助川海防城保全会』で一緒に活動した仲である。
“廃業”前後にお会いしたのが最後のような気がするので、かなりご無沙汰している。
で・・・しばらく前に、偶然、シビックセンターの駐車場でバッタリ。
「たまには顔を見せに来てよ。これは儀礼的な挨拶じゃなくて、本当に来てよ~」と声をかけられた。
それから、またまた時間が経ってしまっていたのである。

なかなか、こっちの方まで出かけることも少ないので、この機会に顔を出さねば、また何年も過ぎてしまうだろう。
というわけで・・・いきなり郵便局にお邪魔する。

丁度、遅い昼食をとりに出かけるところだったので、一緒に郵便局を出る。
と・・・道の向こう側を歩いている年配の方が、お辞儀をしたのに気がついた。
だれだろう?
拙者にしたのだろうか?
軽く会釈をして“カワウチさん”に尋ねたら・・・・
「え?あの人、助川海防城保全会の“サトウさん”じゃないですか?え?忘れちゃった?」と言われて愕然!
ありゃぁ~やっちまったぁ~!
すっかりお顔を忘れている。
もう何年も会から離れ、実質、退会しているので・・・
しかも、悪いことに“サトウさん”とはその後も毎年年賀状のやり取りだけはしているのである。
年賀状を出している相手の顔を忘れているなんて・・・
あ~あ~とんでもない失礼をしちゃったぁ~
拙者がキョトンとしていたので、向こうでも呆れただろうなぁ~
本当に、何で拙者はひとの顔とか名前とかが覚えられないのだろうか?
かなり頭が悪いことは確かである。

昼食を食べる“カワウチさん”にお伴して、すぐ隣の喫茶店でおしゃべりをする。
喫茶店には写真のパネル等が飾られていたが・・・・
この写真・・・ほとんどのものが“カワウチさん”の撮影した風景写真である。
へぇ~プロ見たい!
「写真を撮るのが趣味なんですか?」と言ったら・・・・
何をいまさら聞いてるんだという顔で・・・
「だから、保全会がやった武者行列の時に写真撮影を担当してたんでしょ」と言われ・・・
あれ?そうだっけ?(笑)
あ~また、やっちゃったぁ~
すっかり当時の事が記憶から消え去っている。(笑)
自分でも、ここまでバカだとは思わなかった・・・・

それにしてもプロ並みの腕前である。
いやぁ~すごい写真だ。
郵便局の写真コンクールでも入賞した腕前だそうだ。
切手にも使用されたんだとか・・・
いやぁ~こんなすごい写真なら、そりゃそうだろう。

春に写真家の“エナリさん”と一緒にパプアニューギニアへ戦跡の撮影旅行へ行った話などをする。
拙者の場合は、ホームページに載せたりするための単なる「記録写真」なので、こういう芸術的な写真ではないが・・・
後日、いくつかお見せするためにプリントして持参することを約束して別れる。

いやぁ~久しぶりの局長さんとのおしゃべり・・・楽しいものである。
やっぱり、人間、引き籠っちゃ駄目だよなぁ。
「引き籠り」をしている人間の気が知れぬ。

日記 | 21:30:45 | Comments(0)
役所って大したもんだ~
今日は、市役所の資産税課というところに行く。
市役所に行くのは、母が亡くなった時以来だから、久しぶりの訪問である。(笑)
普段、これといった用事があるわけじゃないから当然だが・・・・
資産税課というところは初めての訪問である。

この間、工場の建屋一部を取り壊したので、その報告をしておかないと、税金が今まで通りかけられてしまうので、報告に行ったのだが・・・
要件を伝えたら、意外にも既に台帳に建屋抹消の記載がしてあった。

担当者に尋ねたら、役所の方で常時、パトロールのようなことをしているそうで・・・・(笑)
正式な解体日はわからないが、建屋が取り壊されて更地になっているのを確認したので、台帳の記載を抹消したのだという。
へぇ~驚いたぁ~
ちゃんと仕事をしてるんだぁ~!(笑)
一気に尊敬の念が湧いてきちゃいましたよ~
で・・・一応、正式の解体日を伝えて、要件はこれで終わり。
「電話でもよかったのに」と担当者に言われたが・・・
電話でも済む内容であることは確かだが、やっぱり直接顔を合わせて話をしないと気が済まない性格なのである。
コミュニケーションとは本来そういうものではないか?

日記 | 20:18:09 | Comments(0)
寂しい忘年会
今日は、法人会青年部会の忘年会・・・・
予定時刻に忘年会会場である「お座敷」に到着したら、そこには前部会長の“ケムちゃん”だけ・・・
参加予定者は6人しかいないらしい・・・・
うそ!(笑)
たったこれだけ?

ほぼ時刻通りに集まったのは、この間、盛岡の全国大会に行った4名・・・・
なんだこりゃ・・・
全国大会の時の「思い出話」で盛り上がるしかない。(笑)

後の2人は大遅刻・・・・

いやはや、寂しい忘年会だった。

日記 | 15:10:25 | Comments(0)
墓参り
今日は、母の墓参り。
今回は一人で行く。

お墓は山奥の村の中・・・・
走っている間に山間の田んぼに雪が残っている。
ゲゲッ!
ということは・・・・ヤバいんじゃないか?
途中、橋の上が凍結していたようだ・・・・車の「お尻」が振られた。
ギョェ~・・・スリップしたぁ~
ノーマルタイヤのままだった・・・・
しまった・・・スタッドレスタイヤに交換しておくのを忘れてた。

平地の我が町は連日晴れてポカポカ陽気・・・・
が・・・一歩山に入ったら、この有様である。

墓所まで急坂を車で登るのは危ないので、徒歩でお墓まで歩いていく。

母の墓参りの後、いつものようにご先祖様の墓参りもする。
16日の伯父の命日にお墓参りに来なかったことを伯父の墓前で謝る。
「毎月来てるんだから、それでいいということで・・・勘弁してね」(笑)

日記 | 14:19:23 | Comments(0)
嬉しい訪問客
今日は、昔、同業者だった東京の“ツヅキさん”が観光を兼ねて我が町に来た。
どうせ近くだからと、我が家の近くのホテルに宿泊。
夜、一緒に食事をすることになった。
いやぁ~嬉しいなぁ~
“廃業”して3年経つから、お会いするのは3年以上ぶりである。
業界の青年部では拙者が入会して以来、なにかとお世話になった方である。
こうして、拙者が“廃業”して業界から遠ざかっても、覚えていてくれて声をかけてくれるというのは、本当にありがたいことである。

やはり茨城と言ったら、この時期は「あんこう鍋」でしょ!
とはいうものの・・・地元に住んでいながら「あんこう鍋」なんて食べたことがない。(笑)
飲食店を経営している青年会議所の後輩に尋ねたら、「あんこう鍋」があるというので席を予約する。

日本酒を飲みながら、鍋をつつき・・・・“廃業”以来の3年分の話をする。
“ツヅキさん”の会社も、この時節、かなり厳しい状況に陥っているという。
「廃業ってどういう感じ?」とアドバイスを求められる。
6歳以上も年上の先輩に“アドバイス”なんて、とんでもない話だが・・・・(笑)

頑張りすぎて、無理をして“倒産”したらお仕舞いである。
かといって、あまり早目に諦めて、“廃業”するのも、いかがなものか・・・・
そのタイミングが難しい・・・・
とにかく、財務状況に目安を付けておいて、どのラインに達したら“廃業”するか、考えておくことだ。
そして、従業員の給料を支払うために借金をしなくてはならないようになったら、即、“廃業”すべきである。
・・・・というのが、「経験者」の拙者の考えである。
見栄や外聞を気にして、借金をしてまで会社を運営したら、必ず“倒産”してしまうだろう。
同じ借金でも、設備投資なら将来利を生む可能性はあるが、従業員のための借金は利を生むことはない。
“倒産”したら、すべてを失ってしまい、下手したら再出発することすらできなくなってしまう。
よく、「従業員の生活を考えて・・・」と“廃業”をためらう人もいるが・・・・
倒産したら、経営者は夜逃げしかない。
無いものは無いんだから、従業員の給料も、下請けへの支払いも、購入品の支払いも何もできない。
いきなり倒産して従業員を路頭に迷わせるより、廃業なら、前月の給料も支払えるし、退職金も払える。
そのほうが結果としては、従業員には大きなダメージを与えなくて済む。
下請け等の業者さんにも迷惑をかけずに済む。
設備の売却等で、一時的な「収入」が得られるので、それを支払いに当てて、うまく残れば、再起も図れる。
夜逃げせず、じっくりと考える時間も得られる。
会社の“最期”は“倒産”ではなく、“廃業”を選ぶべきである。

とか、なんとか、酔った勢いで偉そうに先輩に「講演」をしてしまったぁ~(笑)

大いに語り合い、鍋をつつく・・・・
この「あんこう」の「どぶ汁」・・・・うまい!絶品である!
“ツヅキさん”も大感激してくれた。
しかも、安かったので、「これ、何かの間違いだろ!」と驚かれる。

その後、更に、どこかで飲もうという話になったが、今日は日曜日・・・・
果たして、日曜日にやっているスナックなんかあるかな?
偶然、ホテルの近くのスナックに電気が点いていたので入ってみる。
拙者は地元のスナックには行ったことがないので、残念ながら、全くの「冒険」である。(笑)
店内には客が誰もおらず、貸し切り状態・・・
ママさんと話が合い、これまた楽しい飲み会となる。

と・・・そこへベロンベロンに酔った「じいさん」が入ってきた。
う~ん・・・茨城の恥である。(笑)
この「じいさん」が、なかなか金を払わず、無銭飲食か・・という状態・・・・
このジジイを相手するのに苦労する。(笑)
東京弁だと、ちょっとキツイ言い方になる。
“ツヅキさん”が「おじさん、ちゃんと金を払えよ~」と話しかけているうち、この酔っ払いのジジイが怒り出した。
拙者はこのジジイに茨城弁で話しかけて、なだめながら、金を支払わせるので、“ツヅキさん”は唖然・・・・
「それ、茨城弁?」
「そう、こういう人には茨城弁で話しかけるのが一番効果がありますから・・・」
「へぇ~・・・大したもんだ~」(笑)

結局午前2時近くまで、帰るに帰れず、なんとか、この酔っ払いジジイを店から追い出し・・・・
ようやく帰途に着く。(笑)
“ツヅキさん”をホテルまで送り届けて、テクテクと家まで歩く。

かなり拙者も飲んだと思うのだが、気分が悪くならない。(笑)
普段、全くと言っていいほど酒は飲まないから、こんなに飲んだら、さぞかし悲惨なことになると思っていたのだが・・・
やっぱり、楽しい酒は、飲めちゃうんだなぁ~
ルンルン気分で家に着く。(笑)

日記 | 13:20:55 | Comments(0)
不時着
不時着―特攻 「死」からの生還者たち (文春文庫)不時着―特攻 「死」からの生還者たち (文春文庫)
(2006/12)
日高 恒太朗

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副題の『特攻―「死」からの生還者たち』から、生還者たちの証言集、体験談集かと思ったら、そこまでの本ではなかった。
拙者がよく陥る勘違い・・・である。

大和特攻の海で
著者が、この本を書こうと思ったきっかけについて書かれているだけ・・・・

荒木虎美特攻伝説
昭和47年、養子に入った先の妻子3人を殺害し、「3億円保険金」を手に入れようとした荒木虎美という男。
自称「特攻隊員」・・・・
2度出撃し、エンジン故障で生き残ったと吹聴していた男・・・・
昭和55年、死刑判決を受け、上告中の平成元年に獄中で死亡。61歳。
果たして、この男は本当に元特攻隊員だったのか・・・・
その調査、取材から見た「特攻」の話。

不時着
以前、私が読んだ『串良 ある特攻隊員の回想』という本を取り上げ、これを中心に描かれているので、残念ながら新鮮味が感じられなかったが、補足としてはいいかも・・・・

防人たちの聲が聞こえる
内容は、取材記に近いかな・・・・

幻の予科練
これも取材記と各種資料の引用・・・・

8月15日の記憶

沖縄つつじの墓標

この本は、予科練出身の元特攻隊員たちを訪ね歩いた取材記・・・・・
ルポルタージュ集・・・・
しかし、読み終わって・・・何の感想も浮かばない。
なんでだろう?
サラリと読んで・・・なにも頭に残らないのである。
著者は戦後生まれ。私より8歳年上・・・・
その著者が取材して書き上げたのだから、著者と同じ感慨を持ってもおかしくはないと思うのだが・・・
何の感慨もない。
強いて言えば、荒木虎美の話は知らなかった話なので、この話ぐらい・・・
あとは、大体、私の頭の中に既にある話やイメージと同じなので、驚きもしなければ感動もしない・・・・
入門書としてはいいかもしれないけど・・・
題名に惹かれた勘違い、期待はずれが尾を引いているらしい。(笑)




今年の読書:61冊目



読書 | 23:27:01 | Comments(0)
やっちゃった!
ふと・・・なんとなく・・・・胸騒ぎ・・・・
手帳を見てみたら・・・・ありゃ!
2時から、水戸で法人会の講演会がある!
只今の時刻は、午後1時45分・・・・
どう考えたって間に合うわけがない・・・・
あ~あ~やっちゃった!

旅行に行くと、どうも気が抜けてしまうのか、リフレッシュしすぎてしまうのか・・・
あとの予定のことを全然考えなくなってしまうのである。
で・・・手帳に目を通すこともなく毎日を過ごし・・・・
その結果が、これである。(笑)

カレンダーに予定を書くのすら忘れているんだから、どうしようもない・・・・

さらに・・・・
ありゃ!
16日は伯父の命日だった!
あ~すっかり忘れていたぁ~!
あ~あ~・・・こりゃどうしようもないわぁ~
今頃気づくとは・・・・・

16日に、背中に激痛が走ったのは・・・・このことか?
命日をすっかり忘れている拙者の背中を伯父が思いっきり殴ったのかな?(笑)
その可能性は十分あるなぁ・・・・(笑)
それでも全然気がつかなかったとはねぇ~
出来の悪い甥っ子で申し訳ない・・・・(笑)

日記 | 17:53:24 | Comments(0)
HPの打ち合わせ
午後、“ウメちゃん”の会社で、業者とのHPの打ち合わせがあり、立ち会いを求められたので出かける。
“ウメちゃん”の会社のHPは、拙者が作っているのだが・・・・
あくまでも「無いよりはマシ」という程度のもの。
だいたい、拙者が作るんだから、そうそう洒落たものなど作れるわけがない。(笑)
それは自覚している。
とにかく、デザイン重視より内容重視が拙者の方針である。
これに対して、“ウメちゃん”の奥さんは・・・・デザイン重視。(笑)
「もっと見た目のいいものが出来ないの?」と言う。
決して、拙者のHPにケチを付けているわけではないのだろうが・・・・
一つ間違えれば、ケチを付けていると思われかねないので、“ウメちゃん”は殊更、拙者に神経を使う。
拙者は素人だから限界がある。
デザインを重視するならプロに頼むのが一番である。
で・・・拙者のHPを叩き台にして、新しいHPを業者に作ってもらうことを提言しておいた。

その後、この件は奥さん主導で話が進んでいたのだが・・・・
どうも、なかなか先に進まないらしい。
今回、業者との打ち合わせに、できれば参加してくれとの要請がかかってきた。(笑)
あらら・・・こりゃ、大変だ・・・

打ち合わせに参加したが、業者側も、今までのHPの作成者の拙者が立ち会うのだから神経を使う。
あ~あ~かわいそうジャン!(笑)
で・・・奥さんはデザインの細かいところの指摘ばかり・・・・
そうじゃないんだけどなぁ~
デザインコンテストじゃないんだから・・・・(笑)
奥さんの考えは、他社のHPが洒落たデザインなので、自分の会社のものも洒落たデザインじゃないと嫌だというだけのこと。(笑)
で・・・・他社と同じような洒落たものになれば受注にも繋がるだろうという、拙者からみると、よくある安易な考えに思える。
う~ん・・・他社と同じようなデザインにすると、個性が無くなっちゃうんですけど・・・・(笑)
しかし、本人がそうしたいって言うんだから・・・反対は出来ない。

なんとか話をまとめたが・・・・
業種にもよるが、HPで受注を・・・というのは、そうそう簡単なものじゃない。
それができたら、日本中の会社は苦労はしないよなぁ~(笑)

“ウメちゃん”とは、今までの拙者が作ったHPは維持して、2本立てでいくことの了解を得ている。
大事なことは、内容の充実と更新の継続である。
コツコツやらねば、効果は出ない・・・・
見栄えだけでは、絶対無理である。
拙者はそう信じている。

日記 | 19:41:44 | Comments(0)
激痛!!
郵便物を取りに外に出て・・・
クルリと振り返って、玄関まで戻ってきたら・・・・
ガ~ン!!
背中に激痛!!
痛いなんていうもんじゃない。
息ができぬほどの激痛である。
おもわず、しゃがみ込んでしまったくらいの激痛。
う~ん・・・来たかぁ~・・・やっちまったかぁ~?
どう表現すればいいんだろうか・・・
バットで殴られたというのが適当だろうか?
背中から心臓へ矢が刺さったような感じである。
(そんなこと経験したことないからわからないけど・・・笑)
一瞬の痛みだが・・・・いやぁ~痛い・・・・
もしかして、心筋梗塞?
それとも肺に異常が出たか?・・・・肺癌か?

激痛はその時1回だけ・・・・
その後は、一日中、背中がズキンズキンする。
蜂に刺されたっていうわけじゃないよな?
それにしても、気分が悪くなるわけでもないし、手足にしびれがくるわけでもない・・・・
ということは、脳の方じゃないよな?
何だろ・・・これ・・・・

日記 | 17:04:01 | Comments(0)
親父と一緒に東京へ
今日は、音楽大学で姪っ子たちの発表会・・・・・
話によると、姪っ子がオーケストラを従えてピアノを弾くという。
特別に選ばれたんだとか・・・こういうことは二度とないことだから、是非来てくれと言われたので親父を連れて一緒に上京する。
が・・・・
音楽の世界の事はさっぱりわからん。
オーケストラと一緒に演奏するのって、そんなに凄いことなのか?(笑)

その昔、姪っ子がまだ小さい時には、舞台に出てくる姪っ子を見ていて、ハラハラドキドキ・・・・
演奏を聴いていても、音を外すんじゃあるまいかとハラハラドキドキ・・・・
とてもじゃないが、心臓に悪い・・・・

それが、今では、まず安心して聴いていられる。
が・・・よくわからない難しい曲を弾くので、上手いんだか下手なんだか・・・・(笑)
それでも、わかったような顔をして聴く・・・・(笑)

毎度のように顔を出すので、拙者もそこそこ顔を知られている。
で・・・音楽ホール内をウロウロしていると・・・いろんな人に会釈されるのだが・・・
正直言って、相手がどこの誰だかわからない。
どこの誰かと思ったら、あとで音楽大学の教授だったりするから困る。(笑)
「あらぁ~伯父様~お久しぶりです~」ってどこかの美人の奥様に言われても・・・・
へへへッ・・・で・・・あんた・・・誰?(笑)
笑ってごまかすしかないわなぁ~
どうやら姪っ子の友達の母親らしい・・・・でも・・・誰の親?(笑)
さっぱりわからん・・・・

演奏会後は、いつものようにみんなで食事をして最終の特急で帰宅する。

日記 | 16:39:53 | Comments(0)
烈士と呼ばれる男
烈士と呼ばれる男―森田必勝の物語 (文春文庫)烈士と呼ばれる男―森田必勝の物語 (文春文庫)
(2003/06)
中村 彰彦

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昭和45年11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷台で割腹自決をした時に、一緒に自決したのが、本書の主人公である森田必勝である。
この事件は当時小学生だった拙者にとっては、大きなショックだった。
担任の“オオウチ先生”が、森田必勝が三島由紀夫を介錯したこと。介錯というのは日本刀で首を刎ねること。森田というのは、すごい剣の使い手だ・・・・などという話をしてくれたことが記憶に残っている。
“首を斬り落とした”という話は、ショッキングで、今でも、この話を聞かされた時の風景が記憶に残っている。

だから、森田必勝という人は、すごい人なんだなぁ~とずっと思っていたのだが・・・・
本書を読んでみて意外にも、拙者が思い描いていた人物とは正反対の人物だったことを知った。
正直言って「失望」である。
同時代に彼と会っていたら、絶対彼とは付き合わなかっただろう。
決して軽蔑しているわけではない。
48歳の自分から見て、当時の彼が幼稚だと思っているわけでもない。
理解しがたい部分と、大いに理解できる部分が共存しているのだが、「理解できる部分」があるから、逆に失望に転じてしまうのかもしれない。
当時、小学生だった拙者にとっての「憧れの人物像」が、ガラガラと崩れたのである。
これは、48歳になって拙者自身に「純粋性」が無くなったためなのだろうか?

とにかく拙者が抱いていた人物像ではない・・・・
この「三島由紀夫事件」は、昭和史に残る一大事件なのだが、本当に「三島由紀夫事件」と名付けていいのだろうか?
本書でも触れているが、この事件は三島由紀夫が森田必勝に“引きずられて”発生した事件ではなかろうかと思うのである。
この死への旅路では、師弟関係は逆転していたのではあるまいか?
「師」が森田で、「弟」が三島・・・・
三島由紀夫が森田に出会わなければ、もしかしたら、このような「自決」はしなかったのではないだろうか?

本書は別の角度から「三島由紀夫事件」を見た好著である。

題名の中の「烈士と呼ばれる」というのも意味深である。
「烈士と呼ばれた」という過去形ではない。
これはどういう意味か・・・・分かる人には分かる・・・・

第1章 名物学生
第2章 ノサップ
第3章 惜別の時
第4章 市ヶ谷台にて
第5章 野分の後




今年の読書:60冊目



読書 | 19:09:25 | Comments(0)
ブロック会議
お昼から法人会のブロック会議。
お昼をいただきながらの会議である。
で・・・議題の一つは、会員増強の話・・・・
いつものことだが、「会員を増やしましょう!」という話だが、はっきりいって他人事である。(笑)
「心がけます」と、その場で言っても本気で勧誘をする人などいない。(笑)
だいたい、法人会に入会しても何のメリットもないのだ。
以前から、税務署署長や統括官には提言をしてきたが・・・・
なにせ、役人のことであるから、有効な対策を講じるわけがない。
基本的に、なぜ会員を増やさねばならんのか・・・ということすらわかっていないのだから、何を言われても真剣には受け止めない。

未入会企業のリストが配布され、誰がどこの企業に勧誘に行くのかという話になったが・・・
「私はここへ勧誘に行きます!」などと調子のいいことを言っても、その場限りの話である。
本気じゃないのは明白・・・・(笑)
拙者の知っている企業名もあったが・・・・
経営者が一癖も二癖もある人物・・・・
こんなところへ勧誘に行っても嫌味を言われて不愉快な思いをさせられるのは明白。
とてもじゃないが、行く気になんかならない。

それより先に、我々会員自体が何か会に入会しているメリットを作り出さねばなるまい?
だいたい、この会議に招集された人の名前自体も知らないのだ。
お互いが誰なのか知らないまま会議が進行するのだから、気兼ねしてか意見も出ない。
だから、形だけの会議となってしまい、何の成果も上げられないのである。
ブロック長が“ケムちゃん”ということもあり、「斬り込み隊長」は拙者が買って出て意見を言わせてもらう。
一部の会員から「形ばかりの会議より、お互いの親睦を図る懇親会を企画した方がいいのではないか?」の意見も出る。
お互いがどんな人なのか知らなくては、会に入っている意味がない。
ごもっともである。

今回の会議は結構内容のある話が出て良かった。

で・・・会議後・・・・
“クドウさん”“ケムちゃん”“スナカワくん”を誘って4人で喫茶店に行き雑談。
このブロック会議は年に何度か集まって昼食を食べながら・・・・というもの。
適当な議題について形だけの会議をしたら解散・・・・
あとはなにもない・・・・
これでは、マズイだろうということで、懇親会を企画する話がまとまる。
善は急げで・・・年内に、集まれる人だけでも集まって「忘年会」を開催することに決した。

一歩前進である。

日記 | 17:05:02 | Comments(0)
告別式に出る。
夕方、6時・・・・
友人の“シライシさん”のお母さんの告別式に参列する。
彼とは、青年会議所の仲間・・・・
帳場は「青年会議所関係」で出ていたので、そこで記帳する。
で・・・昔懐かしい仲間たちと再会。
いやはや、こういう場でないと再会できないというのも、いかがなものかとは思うが・・・
「おお!元気なの?」とみんなに驚かれるのは・・・いつものことである。(笑)
廃業していても、拙者は元気なのである。
いや、この時代だからこそ廃業している方が元気なのかもしれない・・・・(笑)

ふと気が付いたのだが・・・・
帳場にいたのは全員、拙者と同い年である。
で・・・なぜか、みんな・・・眼鏡をかけている。(笑)
「ん?何でみんなメガネなんかかけてるんだ?」
「見えねぇんだよ~」と“シノハラくん”
「ん?見えない?」
「もう、そういう歳なんだよ!俺たちは!」
「へぇ~そうなの?」
「何でお前メガネかけてねぇんだ?目・・・悪くないのか?」
「ほい!」
俺たちはメガネをかけねば、香典袋の文字も読めないような歳になっちまったのか・・・・
なのに・・・メガネをかけなくても大丈夫ってことは・・・・
ムフフ・・・拙者は若いってことだよね?(笑)
優越感、優越感・・・・(笑)

葬祭場は、拙者の母の告別式を行った場所・・・・
ついつい、当時のことが思い出される・・・・
辛いものがある。

告別式後、友人たちと4人でファミリーレストランで食事をとる。
“ウメちゃん”“アライちゃん”“シミズくん”・・・・
なぜか、拙者以外の3名は建築士。(笑)
部品製造業だった拙者なのに、友人は住宅建築関係者というのも不思議なものだと改めて思う。

日記 | 15:52:34 | Comments(0)
ミンドロ島ふたたび
ミンドロ島ふたたび (中公文庫)ミンドロ島ふたたび (中公文庫)
(1976/06)
大岡 昇平

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本書は、5篇の短編で成り立っている。

ミンドロ島ふたたび
この「ふたたび」ってなんだろうと思ったら、著者の大岡昇平がフィリピンのミンドロ島を訪れた話である。
大岡昇平という名は『レイテ戦記』で著名なので、知っていたが、この方が戦時中にミンドロ島に派遣された従軍者だったとは知らなかった。
これは戦後、現地に訪れた「戦跡訪問記」である。
だから「ふたたび」なんだ・・・・

比島に着いた補充兵
この補充兵とは・・・・筆者自身のこと。
筆者の従軍記である。

忘れ得ぬ人
筆者の戦友たちの思い出の記。

ユー・アー・ヘヴィー
筆者が補充兵として配属されたミンドロ島サンホセの警備隊の60余名はほとんど戦死し、生き残ったのは筆者を含めた5名。
終戦後、俘虜となった筆者の「俘虜記」である。

改訂 西矢隊始末記
筆者が配属されたのは、第105師団(勤兵団)隷下の独立歩兵第359大隊臨時歩兵第1中隊。
この中隊長の名を冠して「西矢隊」という。
で・・・この中隊の部隊史が、これで、いわゆる行動資料である。

ミンドロ島はマニラがあるルソン島のすぐ南にある島・・・・
ルソン島守備がメインとなっていたため、兵力の多くはルソン島に配置され、この島には400名程度の「警備隊」が配置されていたにすぎない。
戦史にも取り上げられないような僻地である。
だからこそ、本書は貴重だ・・・・

いつか、この島を訪れてみたい・・・・そう思った・・・・



今年の読書:59冊目



読書 | 22:25:09 | Comments(0)
さらば空中戦艦富嶽
さらば空中戦艦富嶽?幻のアメリカ本土大空襲さらば空中戦艦富嶽?幻のアメリカ本土大空襲
(2002/01)
碇 義朗

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アメリカのB-29を凌駕する「超重爆撃機・富嶽」の開発の話である。
が・・・この爆撃機は結局完成せず幻に終わった。
で・・・「富嶽」がどんな爆撃機だったのか・・・という話かなと思ったら・・・・
話の中心は、この爆撃機を作ることを考えた「飛行機王・中島知久平」の伝記である。
内容からいくと「中島知久平伝」という感じなので、ちょっと、本書の題名には問題があるかな?(笑)
しかし、中島知久平を語らなければ、この巨人機の計画の話にはできないことは確かである。

第1章 出奔
第2章 異端の海軍士官
第3章 飛行機製造へ転身
第4章 代議士中島知久平
第5章 「おばけ」と「バカ鳥」
第6章 「隼」は征く
第7章 しのびよる転機
第8章 決戦機「富嶽」スタート
日本は資源も生産力もとうていアメリカに太刀打ちできない。したがって、相手と同じパターンの戦争をやっているかぎり、単純な算術計算でこちらが負けるのは明らかだ。ならば、技術で勝負する以外にない。知久平はかねがねそう信じていたし、戦艦の建造をやめて飛行機の開発に金をかけるべしと、30年以上も前に主張したのも、貧弱な日本経済を考えての合理的な発言と言えよう。
・・・と本書にある。
で・・・6発エンジンの巨大爆撃機のプロジェクトがスタートするわけである。
この人がもっと早いうちに国家のリーダーにでもなっていたら・・・とついつい思ってしまう。
第9章 戦う技術者たち
第10章 先を越したアメリカ
第11章 巨星墜つ



今年の読書:58冊目



読書 | 20:12:51 | Comments(0)
片倉小十郎邸跡
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堀・片倉小十郎邸跡

三の丸は堀と土塁で堅固に囲まれており、現在「長沼」と呼ばれているこの地は東側の堀にあたり、正保の城絵図では南北の長さ約252m、深さが約4.5mあったとされている。
また、堀の東側には、延宝5年(1677年)から幕末まで、伊達家の重臣片倉小十郎の屋敷があった。
片倉小十郎は、慶長7年(1602年)より白石城主として伊達領南方の防備を担っており、知行はおよそ18000石と、伊達家における有数の大身侍であった。
この白石城は、江戸時代の原則であった「一国一城制」の例外として公式に「城」と認められたものであった。

(説明板より)


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史跡 | 16:48:13 | Comments(0)
昭忠塔
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昭忠塔

この塔は、明治4年日本の護りとして仙台に鎮台(後の陸軍第2師団)が設置されてより、西南の役(明治10年)、京城事変(明治17年)、日清戦争(明治27、28年)等の間、日本の内外の戦いで、東北各地の将兵が多く戦死しました。
これらの人々が日本の独立と平和の為に戦った志と、その死を悼み、慰霊の為に、知事、市長、第2師団長等が発起人となり、広く募金により明治35年11月竣工しました。
塔は頂上の鵄(トビ)迄約20メートル、鵄は青銅製で翼幅6.7メートル、、重量17.5トンで、遠く大陸を睨んでいると言われます。
「昭忠」の字は小松宮彰仁親王の親書です。
招魂社(現護國神社)完成迄、この場所で毎年慰霊祭が行なわれました。

宮城県郷友会

(説明板より)


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史跡 | 15:22:14 | Comments(0)
仙台藩御用酒発祥の地
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仙台藩御用酒発祥の地

仙台藩祖伊達政宗公は慶長13年(1608年)柳生但馬守宗虚矩の仲介により大和の榧森(かぐのもり)又五郎を仙台に召下し、榧森の姓と、切米10両、10人扶持を給し、清水門の南側御太鼓部屋下に自ら地を相し縦16間、横5間の酒蔵を建て御城御用御酒屋(ごしゅや)と称した。
酒造用水にはこの付近の清泉が使われた。
榧森家は初代又五郎より12代孝蔵に至るまで仙台城御酒御用を務め、その醸造する酒は夏氷酒、忍冬酒、桑酒、葡萄酒、印籠酒など20余種にも及び仙台領内の酒類醸造に多くの影響を与えた。
以来仙台藩に於てはいわゆる町酒屋と御用御酒屋とが競い合い酒類醸造技術の向上と藩の経済に大いに貢献した。
御酒蔵跡と名水の湧出する地は宮城県産清酒の源流の地である。

(碑文より)


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史跡 | 15:00:00 | Comments(0)
魯迅の碑
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「魯迅の碑」碑文

中国の文豪魯迅は1904年秋から1906年春まで仙台に留まり東北大学医学部の前身である仙台医学専門学校に学んだ。
しかし故国の危機に心をいため、民族の魂を救うことが急務であるのを知り、文学に志すようになった。
仙台は転機をもたらした土地である。
中国の新しい文学の暁を告げる数多くの作品・評論を書いた魯迅の、若き日の留学を記念し、敬慕する人人の手で碑をたてて、偉大なるおもかげを永遠に伝える。

(説明板より)


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史跡 | 13:42:17 | Comments(0)
針の碑
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針の碑

碑文

人間がこの世で生活していく上において最も大切なものは衣食住であり、その第一番目にあるのが衣生活である。
凡そ衣生活に於ては太古の昔より生物の骨・竹・石・貝などの針が使用されていた。
韓国には既に5千年も前に現在の針に近い物が古墳より出土している。
現在、鋼鉄製各種様々数多くの針によって人々の受ける恩恵は限りないものがあるが、人間この世に生まれ、終生まで一日たりとも針の恩恵に浴さない者はいないだろう。
この針に対し報恩感謝の思いを深く顧みて、ここに社団法人日本和裁士会宮城県支部創立30周年を記念しこの地に針の碑を建立するものである。

昭和60年2月吉日 建立


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史跡 | 12:13:05 | Comments(0)
仙台の旅(2)
本丸跡に、かの有名な伊達政宗の騎馬像がある。
へぇ~こんな場所にあるんだぁ~
で・・・薄暗いし・・・・そこに来てまたもや逆光である!

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続いて、本丸跡にある宮城県護国神社にお参りしたが・・・
観光客が訪れる場所にあるせいか、なんともゴチャゴチャした感じ・・・・
他県の護国神社とはかなり雰囲気が違う。
どこにでもある神社・・・っていう感じかな?
で・・・訪れる観光客の声を聞くともなく聞くと・・・
ここが「護国神社」であるという意識が全くない発言をしている。
若い連中はもとより年配の“おばちゃん”ですら「護国」とか「英霊」とかという言葉を知らないようだ。
あ~あ~なんたることぞ・・・・
ここが、どういう神社なのか全然わかっていない!
国民レベルの低さが感じられて、さすがに嫌気がさしてきた・・・・・

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「英霊顕彰館」という資料館を見学する。
館内の撮影、ホームページとブログへの掲載の許可を得たので、写真撮影をしながらじっくり見学する。

DSC03615_convert_20091226235756.jpg(英霊顕彰館)

神社の方には観光客が結構来ているが、この「英霊顕彰館」には誰もやって来ない。
またまた、何たることぞ・・・と思うが、拙者個人としては写真撮影もしたいので、見学者がいない方が助かる。
しかし、やっぱり誰も見に来ないというのも寂しい限りである。
う~ん・・・複雑な気持ち・・・・

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特別展として、軍艦模型の展示があった。
なかなか精密な模型で素晴らしいのだが、ショーケースに入っているため、ガラスが反射して写真撮影がうまくいかない。
説明文も読みづらい・・・
これは残念である。
こういう模型のうまい展示方法ってないものだろうか?

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時刻は2時半・・・・
本丸跡に到着して、もう1時間半もいる。
さすがに腹が減ったぁ~
というわけで、軽く食事をすることにする。

DSC03623_convert_20091227002441.jpg(ずんだ餅)

で・・・ついでにお土産屋でお土産を買ってしまった!
お土産というより、我が家の夕食のおかず・・・・(笑)
で・・・カバンにお土産を入れてから気が付いた。
ここは山の頂上である。
荷物を増やしてしまった~!
重い・・・
カバンを重くして山を降りるなんて馬鹿丸出しである。(笑)
しかも、雨が降り出してきた。
あ~あ~・・・・
お土産なんて駅の売店で買えばいいじゃないか・・・・
迂闊だった・・・・

時刻は3時半・・・・
テクテクと山を降りる。
うまい具合に途中で雨が止んでくれた。
まもなく、大手門跡近くで支倉常長の銅像を見つけるが、薄暗くて、うまくいい写真が撮れない。
3時半過ぎで、この暗さ・・・・
あ~嫌になる。

途中、またまた雨が降ったり止んだり・・・・
傘をカバンから出したり入れたり・・・・
1時間半ほど歩いて仙台駅に到着。
いやぁ~よく歩いたもんだ~
我ながら感心、感心・・・・
万歩計を忘れてきたのが悔やまれるが・・・・いい運動になった。

で・・・さすがに「ずんだ餅」だけでは腹が減ってしまったので、駅の構内の店でハンバーガーとコーヒー。

午後6時過ぎの特急で帰途につく。
夕食は駅弁。

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旅行 | 11:18:25 | Comments(0)
仙台の旅
仙台の旅は、ホテルの近くの「匂当台公園」からスタート。

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ここには、力士の谷風、志賀潔の銅像が・・・
すぐ近くの県庁脇の公園には林子平の銅像・・・・
さっそく銅像の撮影である。
いやぁ~嬉しいなぁ~(笑)

ここから市役所、市民会館を経由して桜ケ岡公園を抜け、「桜岡大神宮」へ行ってみる。
「大神宮」っていうんだから、さぞかし大きな神社なんだろうと思ったら・・・・
拍子抜けするほど小さな神社・・・・
わざわざ立ち寄って損をした感じ・・・ガッカリ(笑)

DSC03374_convert_20091226214525.jpg(桜岡大神宮)

ホテルを出発して約2時間歩き続け、広瀬川を渡って「宮城県美術館」に着く。

DSC03379_convert_20091226215211.jpg(美術館)

ここは、野砲兵第2連隊の跡地で、連隊跡の碑がどこかに建っているはずなのだが・・・・
敷地内をさんざん探しまわったが見つからない。
今日は月曜日で休館・・・・尋ねたくても人がいない・・・・
今度は外周をぐるぐる回って、裏口の通用門の近くで、ようやく見つけた!

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しかし、「何よ・・・これ・・・」である。
連隊跡碑の周囲は完全に植え込みに囲まれているのである。
たぶん、石碑の裏側に、連隊の由来等、何らかの碑文が刻まれていると思うのだが・・・
近づくことができない!
こういう扱いはいかがなものだろうか?
連隊跡碑を撤去したいが、そうもいかないので、周りを植え込みで囲んで目立たないようにしているとしか思えない。
無性に腹が立ってきた!(怒)
これは宮城県の県民性なのか?仙台市の市民性なのか?
連隊跡碑を、わざと見えないようにしているとしか思えない!
どういう神経をしているんだ!ここの連中は!
これを見つけるために拙者は20分もグルグル歩き回ったので、なおさら腹の虫が収まらぬ!

続いて「仙台国際センター」へ向かう。
ここには工兵第2連隊他の工兵連隊があった場所。
ここにも連隊跡碑があるはずだが・・・・
やはり20分ほどグルグル歩き回り、ようやく見つける。
目立つ場所にあるのかと思ったら、敷地内の隅っこに小さな石碑・・・・
これじゃ、なかなか見つからないのも当然か・・・・

次に向かったのは、仙台城三の丸跡に位置する「仙台市博物館」
すでに時刻はお昼を過ぎているが、周囲に食事ができるような店が見当たらない。
已むを得ない・・・昼飯抜き・・・・(涙)
今日は月曜だから休館だが、ここに来た目的は敷地内の銅像の撮影だから支障なし。

DSC03416_convert_20091226222512.jpg(博物館)

ここには、島野仙台市長、魯迅、伊達政宗の銅像がある。

この博物館から山の方へ登っていくと仙台城本丸があるらしい。
だいたい、仙台城について何にも事前に調べていなかったので知らなかったのだが・・・・
仙台城って・・・山の上にあるの?(笑)
この坂道・・・結構登るのが辛い・・・・

DSC03471_convert_20091226223849.jpg(清水門跡)

山道をトボトボ歩くこと約20分で頂上の本丸跡に到着する。
いやはや、結構な運動である。
しかも、天気が不安定で、チラチラ雨が降ったり止んだり・・・・

DSC03484_convert_20091226224904.jpg

本丸跡の石垣は、すごい!
が・・・逆光!
あ~なんたることぞ~
ガッカリ・・・・

旅行 | 10:12:40 | Comments(0)
やっぱり牛タンでしょ
仙台駅に到着した時は、外はもう真っ暗。
駅からまっすぐホテルへ・・・・と思ったのだが・・・
さて・・・拙者は何というホテルに泊まるんだっけ?
疲労がピークに達しているようである。
全然頭が働かない。

とりあえず、一服せねば・・・・
駅前のアーケード街をウロウロしてコンビニを探し地図を買う。
で・・・コーヒーショップで一服。

地下鉄の「何とか」っていう駅の近くにあるホテルを予約したはずだが・・・
こう頭がボケていたのでは地下鉄なんかに乗れそうもない。
駅からタクシーでホテルに向かうことにする。
が・・・・運転手さんもホテルの場所がよくわからないらしい。

仙台は思ったより大きな町で、大通りが縦横に走っているような感じ・・・・
さて・・・どこをどう走っているのかもわからない。
しかも、最近のホテルは看板が目立たないのだ。
シャレたつもりで間接照明なんかにしているから、すぐ目の前まで来なければホテル名が読めない。
格好をつけるのも善し悪しである。
ホテル名がボンヤリとしか見えないような照明では意味がなかろう。

チェックイン後、夕食を食べに外にでる。
繁華街の場所を聞いていたので、とにかくその方角に向かって歩く。
さて・・・仙台って言ったら「牛タン」だろう。
というわけで・・・適当に歩き回り、牛タンの店を見つけ、そこで牛タンを食べることにした。
このお店は牛タン専門店らしい。
「御食事ですか?」と聞かれたので、「そうです」と答えたら、そのまま奥に引っ込んでしまった。
あれ?注文は?
まもなく勝手に定食が運ばれてきた!(笑)
まぁ、これが食べたかったんだから、これでいいんだけど・・・・
いやはや、驚いた。

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偶然、適当に入った店だったが・・・いやぁ~おいしかった!
大満足で店を出て・・・・あれ?
また、やっちゃった!
ここはどこ?・・・・である。
いつもの方向音痴・・・・(笑)
さぁ~困ったぞ・・・・拙者のホテルは・・・どっちの方向だ?
で・・・勘に頼ってしばらく歩いていたら、市街地図の案内板が出ていた。
それを見たら・・・ありゃぁ~全く正反対の方へ歩いていたぁ!
長期間の旅行を続けると疲れが溜まって勘も鈍るらしい。(笑)

なんとか、かんとかホテルに戻ったが・・・・
あの牛タンのお店・・・・
どこにあったのか思い出せない。(笑)
あ~あ~二度と行けないなぁ~(笑)

旅行 | 20:33:07 | Comments(0)
姥杉
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三之曲輪(さんのくるわ)「姥杉(うばすぎ)

水沢城は1629(嘉永6)年、伊達家一門の留守宗利(るすむねとし)が入城してから幕末までの約230年間、1万6千石の留守氏の居城でした。
城は、正確には水沢要害(ようがい)と呼ばれ、一之曲輪(本丸)、二之曲輪(二の丸)、三之曲輪(三の丸)、南曲輪などにわかれ、曲輪を囲む土塁(どるい)に杉や松が植えられていましたが、現在は、この姥杉1本だけが残っています。
市役所、県合同庁舎敷地が三之曲輪にふくまれ、市役所正面玄関北側付近に大手門や太鼓櫓(たいこやぐら)、後に子弟の教育の場であった立生館(りゅうせいかん)が置かれました。

(水沢市指定天然記念物)
水沢市

(説明板より)


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史跡 | 14:12:42 | Comments(0)
後藤新平旧宅
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武家住宅
後藤新平旧宅(公開)

この武家屋敷は、留守家御小姓頭(るすけおこしょうかしら)を勤めた後藤佐伝治の屋敷で、後藤新平は、1857(安政4)年にこの家で生まれ、留守家奥小姓(おくこしょう)として幕末をむかえています。
江戸時代に、この吉小路は「給主小路(きゅしゅこうじ)」とよばれ、大手小路に次いで上級家臣の武家屋敷がおかれたところです。
屋敷には、冠木門(かぶきもん)、茅葺(かやぶき)の母屋(おもや)と厠(かわや)、板倉(いたぐら)、井戸、表庭の老松などが残り、武家屋敷景観をとどめています。
母屋は18世紀中頃の建築で、現在の建物は晩年の後藤新平が修理したものを保存しています。

(岩手県指定有形文化財)
水沢市

(説明板より)


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史跡 | 13:50:42 | Comments(0)
高野長英旧宅
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国指定史跡
高野長英旧宅
所在地 水沢市大畑小路七番町

近世日本の先覚者、高野長英は文化元年(1804)5月、留守(るす)氏家臣後藤惣介(そうすけ)の三男として吉小路(きちこうじ)に生まれた。
長英は9歳のとき父が没したため、大畑小路(おおばたけこうじ)の母美也(みや)の実家、高野家の養子となった。
この家は長英が幼少の頃、養父玄斎(げんさい)から蘭学を、祖父玄端(げんたん)から漢学を学んで育ったところである。
家は明治9年(1876)に一部改築されたが、階下の八畳・六畳は長英の居室として、当時の状態がよく保存されており、この階下二室が昭和8年4月13日、国の史跡に指定された。

昭和62年8月

水沢市

(説明板より)


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史跡 | 12:52:55 | Comments(0)
高野長英墓
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高野長英墓

1839(天保10)年長英は、鎖国政策を批判する「夢物語」を書いて、幕府に弾圧され「蛮社の獄(ばんしゃのごく)」で投獄されました。
その後火災に乗じて逃亡生活のすえ、江戸で1850(嘉永3)年10月30日幕府の捕方に襲われ自決してその生涯を閉じました。
国の将来を憂い、近代日本の魁(さきがけ)となった高野長英の偉業と生涯は、今日もなお高い評価を受け顕彰されています。
長英の著述書等58点が「歴史資料」として平成8年6月27日、国の重要文化財に指定され、高野長英記念館に保管展示されています。

水沢市

(説明板より)


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史跡 | 11:36:19 | Comments(0)
水沢の旅
今日は、水沢の町を散策する。

まずは、ホテルの近くの「大安寺」に行く。
ここに高野長英の墓がある。
ここには留守氏の墓所もあるが、ちょうど墓所を整備している最中のようで、どの墓石が誰なのかわからなかった。

DSC03020_convert_20091222180804.jpg(大安寺)

DSC03034_convert_20091222181050.jpg(留守氏の墓所)

続いて、「水沢公園」へ・・・・
ここには後藤新平と斎藤實の銅像がある。
16年前にも、ここに来て銅像の写真を撮ったことは覚えているんだが・・・
銅像の周辺の景色は全く記憶にない。

この公園には、高野長英記念館がある。

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ここにも16年前に訪れた。
16年ぶりの再訪問・・・・
建物の外観は覚えているのだが、展示内容は全く記憶にない。
ここで高野長英に関する本を買ったことは覚えているのだが・・・・
1時間弱、じっくりと見学し、職員の方ともおしゃべり。
資料を特別に分けてもらったり・・・と、結構楽しめた。

続いて向かったのは、「高野長英旧宅」
ここには16年前には来ていない。
どうしてだろう?
たぶん、タクシーを使って主だった場所しか見て回らなかったのではないか?
あの頃は、博物館めぐりが好きだったから、博物館・資料館だけを見て回ったのかもしれない。
どうも当時の記憶があいまいである。
やっぱり徒歩で歩きまわらねば、史跡巡りは楽しめない。(笑)
旧宅は非公開となっている。
外観のみ、門のところから「のぞき見」である。
で・・・隣が「高野医院」という病院。
もしかして、高野長英の子孫の方なのだろうか?

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さらにテクテク歩いて、今度は後藤新平旧宅へ・・・・
ここは内部を公開している。

そのまま更にテクテク歩きながら周囲をキョロキョロしていたら・・・・
銅像が目の隅に入ってきた。
ん?誰?
近づいて見てみたら・・・
あら!椎名悦三郎さんの銅像!
う~ん・・・名前を聞いたことがあるぞ~
え~と・・・国会議員だよな・・・・
生誕地の石碑も建っていたので、どうやらここが生誕地らしい。

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(道路の左側の生け垣のところが椎名悦三郎生誕地)

銅像の写真を撮った後、さらに歩くと、左側に高野長英生誕地・・・・
小さな公園となっていて、石碑が建っているだけ。

さらに歩いて行くと、「斎藤實記念館」・・・・
ここには16年前に来ていることは確かなのだが、外観が全く記憶にない。
ましてや、庭に銅像なんて建っていたか?
館内を見学。
書庫に斎藤實が収集した貴重な本がたくさんあったのはよく覚えている。
この本・・・読みたいなぁ~って思ったんだから・・・・
これだけはよく覚えているのだが・・・・あとは、全く記憶にない。(笑)
職員の方と2・26事件の話などをする。

時刻はお昼を過ぎているが、周辺には食事ができそうな店がない。
市役所の方へ行ってみて、近くの喫茶店に入る。
何か食べるものは・・・と尋ねたら・・・・
何もないとのこと。
うそ・・・
サンドイッチぐらいはあるかと思ったら、パンを切らしているのでなにもないとのこと。
仕方がないので、コーヒーだけの昼食となる。(涙)

目の前の奥州市役所は、水沢城跡らしい。
が・・・全然お城跡に見えない。
「姥杉」という杉の大木が残っているだけ・・・・

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続いて向かったのは「水沢市公民館」・・・・
職員の方に内部を案内していただき、撮影の許可もいただく。
この公民館は、日本で最初に「公民館」という名称がつけられた建物。
読売新聞社社長の正力松太郎から水沢町に寄付されたものだという。
話によれば、正力松太郎が新聞社を興す時に後藤新平から資金援助を受けたので、その恩返しなのだという。
それで、入口に後藤新平と正力松太郎の銅像が建っていたのか・・・・
当時のままの建物。
歴史的ないわれもあり、古くて貴重な建物なのになぜか文化財には指定されていない。
今もって現役の公民館として使用されているが・・・・
この不景気・・・運営資金には苦労しているようである。
で・・・その打開策とか、文化財指定を受けた場合の損得の話などをしていたら・・・
「あのぉ~文化財保護関係の仕事をされているのですか?」と言われてしまった。(笑)
え?拙者が役人に見えます?(笑)
大いに話が盛り上がり、30分もお邪魔してしまった。

次に向かったのは、すぐ近くにある「後藤新平記念館」
この建物の外観は記憶に残っているが、内部は全く記憶にない。(笑)
展示品の一部しか覚えていない・・・・
日本の鉄道を広軌にしたほうがいいという案の線路の幅を示した図面。
それと、ボタンを押すと後藤新平の演説が聴けるというラジオか何か・・・・
あれから16年もたっているので、展示替えをされていて、当時のイメージと違う・・・・
40分ほど見学。

時刻は午後2時半過ぎ・・・・
駅まで歩いて行き、ここからタクシーで新幹線駅である「水沢江刺駅」に向かうことにする。
が・・・そのついでに、斎藤實の墓所に寄ってもらう。

DSC03328_convert_20091222194801.jpg(水沢江刺駅)

午後3時20分だというのに、日が落ち始め・・・・
駅前の後藤新平の銅像は逆光!
うわぁ~写真がうまく撮れねぇ~
日が短いこの季節は本当に困ったものだ。

駅構内でサンドイッチとコーヒーの遅い昼食をとり、次は仙台へ向かう。

DSC03330_convert_20091222200509.jpg

旅行 | 10:00:37 | Comments(0)
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