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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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迷子!迷子!
水沢駅に到着した時は、まさに日が沈みかかっていた。
で・・・記憶がない・・・
16年前にも来たことがあるはずの水沢・・・・
記憶がない・・・・(笑)
あの時は、新幹線駅ではなかったのだろうか?
駅からタクシーで在来線の「水沢駅」へ向かう。
新幹線駅の「水沢江刺駅」からは、かなり離れている。

水沢駅に到着したが、それでも思い出せない。
駅前の風景も記憶がない。(笑)
まったくもって記憶力の悪い男である。
で、駅構内のキオスクで地図を買おうと思ったのだが、売っていない。
仕方がないので駅前のホテルに向かい、チェックイン。

町の名所のマップは入手可能だが、困ったことにすべての地図がイラストマップなのである。
一見、便利そうで実はこんな不便な地図はない。
イラストマップは距離がいいかげんなので、近いのか遠いのか、歩いて行けるのか行けないのかの判断が付かないのである。
あくまでも、ただの「参考」にしかならない。
結局は、正確な「市街地図」を購入して、これと照らし合わせて、行動計画を練るのだが・・・・
この市街地図が入手できないと、明日からの行動に支障が出てしまうのである。

ホテルの方に近くのスーパーを教えてもらい、そこへ行ってみる。
が・・・ここにも地図らしきものは売っていなかった。
そのかわり、特設会場で「斎藤實生誕150年記念事業展」の展示があった。
時間が午後5時を過ぎているせいなのか・・・・
見学者は誰もいない!
閑散としている。
おかげでじっくりと見学できた。(笑)

DSC03016_convert_20091222150632.jpg(展示会会場)

さて、危うく本来の目的を見失いところであった。
今度はコンビニを探す。
コンビニには地元の市街地図なんかが売っているからなのだが・・・・
ようやく見つけたコンビニには・・・・地図が売っていない!
なんと、他にはコンビニはないという。
当然、本屋もない!
なんとも不便な町である。
コンビニの女の子に聞いたら、徒歩で20分ぐらい歩くと幹線道路に出るので、そこにお店が結構あるという。
じゃぁ、ということで歩いていく。
真っ暗な夜道をトボトボ・・・・
足元は真っ暗で良く見えない。
後ろから走ってくる車のヘッドライトの明かりだけが頼みの綱である。(笑)
う~ん・・・そういえば、こういう経験を以前、別な町でしたなぁ~
・・・・と、昔の旅を思い出す。

幹線道路に出て、ようやく見つけた本屋は「古書店」だった。
で・・・悪い虫が騒ぎ・・・古書を2冊も買っちゃった!(笑)
店員に他に本屋がないか尋ね、数軒を教えてもらい、さらに歩く。
行ってみたら、ビデオショップの一角に本が置いてあるが地図は売っていなかったり・・・・
「はずれくじ」ばかり・・・・
ついに最後に訪れたスーパーの2階にある本屋で地図を見つける。
やった!
すでに出発して1時間が経っていた。

お店のおばさんに「この地図を買うために駅からずっと歩いてきたんですよ!」と言ったら呆れられた。(笑)

で・・・ここで問題が発生・・・・
さて・・・ここは・・・どこ?(笑)

まさか、まもなく50歳にもなろうという男が「ここはどこですか?」と尋ねるのもおかしいだろう。
そういう勇気を拙者は持ち合わせていない。(笑)
外に出て、途中までは戻れたが・・・・
あれ?どこをどう曲がったのやら思い出せない!
疲れが出てくると、頭が全然働かない!
周囲は真っ暗・・・・
来るときには目印になったはずの建物が見つからない。
時刻は7時・・・・
建物の電気も看板の電気も消えていて真っ暗!
なんという田舎に来てしまったのやら。
街灯の下で地図を開いて見たが・・・・
だいたい、現在地がわからねば、地図というものは役に立たないのである。(笑)
ギョェ~迷子になっちまったぁ~!!
地図を持っているのに迷子になっちまったぁ!!
中年男の「迷子」ほど、みっともないものはない。
周囲を見回しても、歩いている人が一人もいない!
とんでもねぇ田舎だ・・・・

仕方がないので、勘を頼りに適当に目印になる場所を探して夜道を歩く。
心細いったらありゃしない。
歌でも歌いながら歩かないと、怖くて歩けねぇぞ~(笑)
ようやく目印となる公共施設を見つけ、地図と照らし合わせて、現在地を確認。
なんとかかんとか駅まで戻れた・・・・(笑)

時刻は8時・・・・
もうクタクタである。
今晩は駅前の食堂で夕食する。

DSC03019_convert_20091222153750.jpg

旅行 | 14:09:30 | Comments(0)
原敬生家
DSC02969_convert_20091219235557.jpg

保存建造物指定
原敬生家

指定番号 第13号
昭和52年12月20日指定

この建物は、宰相原敬の生家で、祖父直記が嘉永3年に建てたもので、現在5分の1程度しか残っていないが、歴史的に貴重な建造物である。

盛岡市

(説明板より)

原敬生家
盛岡市指定有形文化財(建造物)
平成7年4月26日指定

この武家屋敷は平民宰相原敬の生家です。
原家第7代当主盛岡藩家老原直記芳隆が嘉永3年(1850)に大改築を行いました。
200坪もある大きな屋敷であり藩主を迎えるために「御成座敷」も特別に作られました。
この家の造りは幕末の嘉永3年の工法や用材を現在に伝え屋敷の茅葺きとともに貴重です。
原敬は安政3年(1856)この家で生まれ明治4年15歳で上京するまで生活し少年期を形成しました。
その後原家第9代当主原恭(原敬の兄)は明治6年に御成座敷等不要となった部屋を廃却しましたので、現在は居間の直記の間、次の間、隅の間、女中部屋など当時の5分の1が残っています。

(説明板より)


より大きな地図で 原敬生家 を表示

史跡 | 13:52:34 | Comments(0)
盛岡城跡
DSC02822_convert_20091219232825.jpg

国指定史跡
盛岡城跡

所在地 盛岡市内丸1番地ほか
指定年月日 昭和12年4月12日

盛岡城は、三戸8さんのへ)から不来方(こずかた)に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお)(盛岡藩初代藩主)が、慶長2年(1597)に嫡子利直(としなお)(2代藩主)を総奉行として築城を始めたと伝えられ、翌慶長3年(1598)の正式許可の後、築城工事が本格的に進められました。
城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ、北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵に本丸・二の丸・腰曲輪(こしくるわ)などを配し、それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(うちくるわ)(御城内・ごじょうない)としています。
さらに、内曲輪の北側は起伏の激しかった現在の内丸(うちまる)地域を平坦にして堀で囲み、南部氏一族や藩の家臣たちの屋敷を配置して外曲輪(そとくるわ)としました。
また、外曲輪の中津川対岸の城下を堀で囲み、武士や町人たちの屋敷街である遠曲輪(とおくるわ)(総構え・そうがまえ)が配置されています。
築城工事は、北上川や中津川の洪水にみまわれながらも続けられ、築城開始から36年後の寛永10年(1633)二南部重直(なんぶしげなお)(3代藩主)が入城して以来、藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。
盛岡城は、廃藩置県(はいはんちけん)の後明治5年(1872)に陸軍省所管となり、明治7年(1874)には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃しましたが、明治39年(1906)に近代公園の先駆者である長岡安平(ながおかやすへい)の設計により岩手公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。
平成18年(2006)には開園100周年を記念し、「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。

平成21年10月 盛岡市

(説明板より)


より大きな地図で 盛岡城跡 を表示


史跡 | 11:25:44 | Comments(0)
盛岡の旅(4)
朝、みんなで食事後、チェックアウト。
3人は車で家に戻り、拙者はこの後、またまた盛岡市内を観光して水沢、仙台へと旅を続ける。
盛岡での会議だというのに、青森から旅をし続け南下して、さらにこの後も旅を続けると言ったら、みんなに呆れられた。(笑)
そりゃ、そうだ・・・・
みんなは仕事があるから戻らねばならんだろうが、拙者には仕事がない・・・(笑)
せっかくだもの、旅をしなければもったいない。(笑)

みんなと別れて向かったのは盛岡城。
いやぁ~紅葉が綺麗である!
携帯電話で写真を撮って妹に送ってやる。(笑)

DSC02869_convert_20091219224841.jpg

たっぷり2時間もかけてお城跡を散策する。

お昼前に近くの喫茶店でコーヒーを頼んで一服。
コーヒーと一緒に出てきたのは、器にたっぷりと入ったホイップされた生クリーム!
ん?これは・・・・
コーヒーと一緒に生クリームというのは、滅多にない・・・・
九州の久留米の喫茶店では、どこでもこうだったが、そのほかの喫茶店では見かけたことがない。
もしかして・・・と思い、喫茶店のおばさんに久留米出身ですかと尋ねたら・・・・はずれ!(笑)
このホイップされた生クリームを出すのは昔からだという。
近所のもう1軒の喫茶店でも同様とのこと。
ふ~ん・・・不思議だなぁ~
どこか、久留米の喫茶店の雰囲気があるんだよな・・・この生クリーム・・・・(笑)
どこかで久留米と接点があるんじゃないかなぁ~

続いてタクシーで「原敬記念館」に向かうが・・・・
ここにも16年前に訪れたはずだが・・・・
周辺の景色に全く記憶がない。
こんな新興住宅街みたいな場所にあったっけ?
運転手に尋ねたら、昔は周辺には何もなかったが、ずいぶん開発されたそうだ。
いやはや、10年ひと昔とはよく言ったものである。

2時ごろまで見学して、タクシーで駅まで戻る。
で・・・ふと気が付いたのだが・・・・
写真を撮りすぎて、メモリーカードに余裕がない!
1ギガバイトのカードを2枚持ってきているが、すでに1枚は使い果たしている。
1枚に約700枚記録できるのだが、すでに2枚目に突入して、それも残り少ない・・・・
へっ?このままいったら軽く1400枚以上撮影ということになりそうである。

で・・・記憶を辿りながら・・・確か、駅の向こう側に家電量販店があったような・・・・
新幹線に乗るまでに時間がない。
急いで走って行き、メモリーカードを買う。
これで、一安心・・・・
新幹線に乗って水沢へ向かう。

旅行 | 10:39:00 | Comments(0)
啄木新婚の家
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啄木新婚の家

詩人石川啄木は、明治38年(1905)5月、東京で処女詩集「あこがれ」を出版しそれをみやげに帰郷の途についたが、金策の必要から途中仙台に下車して土井晩翠をその居に訪ねた。
仙台医学専門学校には郷友、猪狩見竜、小林茂雄らが在学中で、彼らと遊んで滞在すること10日におよんだ。
その間、盛岡市帷子(かたびら)小路八番戸の借家には月末の30日に結婚式を挙げるべく婚約者の堀合節子がその帰宅を待ちわびていた。
しかし啄木は遂に姿を見せなかった。
そこでその夜級友上野宏一(画家)の媒酌で珍妙な「花婿のいない結婚式」がおこなわれた、それがこの家である。
仙台をたった啄木は盛岡駅を素通りして渋民に行き、ようやくこの家に顔を見せたのは6月4日だった。
ここではじめて新婚の夫婦と両親、妹光子の5人が揃って家庭をもったのである。
時に啄木は20歳。
この家でこう稿を起した随筆「閑天地」は連日、岩手日報の紙上をにぎわし、「我が四畳半」はよく新婚の夢あたたかな情景を描いている。
ほかに「妹よ」、「明滅」、「この心」の作がある。
啄木一家がここに在ること3週間、6月25日には中津川のほとり加賀野磧(かわら)町四番戸に転居した。
現在、盛岡市内の啄木遺跡といえるのは「啄木新婚の家」だけである。

(説明板より)


より大きな地図で 啄木新婚の家 を表示


史跡 | 12:09:24 | Comments(0)
盛岡の旅(3)
時刻は3時過ぎ。
拙者は一人でホテル周辺の史跡巡りということにする。

まず、向かったのが「日赤岩手乳児院」・・・・
ここに佐野常民の銅像がある。
が・・・・敷地内・・・・
道路から敷地内を覗き込んでいたら、職員の方が気が付いてくれた。
窓越しに「銅像の写真を撮っていいですか?」と尋ねたら・・・・
「銅像?あ、その銅像?はい、どうぞ~」
周りの職員が吹き出す。(笑)
「あら、いやだぁ~、そうじゃなくて・・・どうぞぉ~・・・あら、いやだぁ~」
彼女は「銅像」と「どうぞ」をシャレで言っているわけではないのだが、どうしても「どうぞ~(銅像)」になってしまう。
みんなで大笑いである。
たしかに、銅像って・・・こういう場合は言いづらいよなぁ~(笑)

続いて向かったのが「原敬別邸跡」だが・・・・
ここにはレンガの塀しか残っていなかった。

その次は「啄木新婚の家」
道路に大きな案内板が出ていたので、すぐわかった。
時刻は4時過ぎ・・・・
この季節は日が沈むのが早いので薄暗くなってしまい、うまく写真が取れず残念である。
家の中を自由に見学できるようなので、勝手に見学させてもらう。

その後、ブラブラと材木町のほうへ向かい、商店街にある宮沢賢治の銅像を撮影するが・・・・
昨日の原敬の銅像と同様、もう暗くて限界ギリギリ。
果たしてうまく撮影出来たやら・・・である。

午後5時ホテルに戻り、みんなに合流して、懇親会場に向かう。

DSC02799_convert_20091219205547.jpg(大懇親会)

旅行 | 11:32:40 | Comments(0)
法人会全国青年の集い
今日は午前中に部会長会議があり“オノザキくん”はそちらへ・・・
我々3人は、特に何もない。
・・・・というわけで、3人で「盛岡市先人記念館」を見学に行く。
ここには今から16年前に一度来たことがあるのだが・・・
その時は、同業者の先輩が一緒で、結局ゆっくりと見学ができなかった。
で・・・今度こそは、一人で・・・と思ったら・・・・
他の2人も一緒に付いてくるというので、3人で見学ということになる。
久しぶりの訪問だが・・・・
人間の記憶というのは(というより拙者の記憶力とは)案外いい加減なものかもしれない。
16年ぶりの訪問だが・・・・入口ってこんな感じだっけ?

DSC02735_convert_20091219202040.jpg

展示方法も少し変っているのか、どうも拙者の記憶に残っている内容とかけ離れているのである。
まぁ、それはそれで新鮮味があっていいのだが・・・・
他の2人は勝手にそれぞれ見学してくれたので、気を使わず、邪魔にもならず、十分じっくりと見学ができた。

お昼になり、会議を終えた部会長を会場で拾ってお昼を食べに行く。

DSC02736_convert_20091219202408.jpg

食後、会場に戻り、式典に参加。
まぁ、例年通りの式典である。(笑)

DSC02740_convert_20091219202722.jpg

式典の後は、記念講演会なのだが・・・・
記念講演は聞かずに外に出よう部会長・・・・
じゃぁ、そうしますか・・・と外へ出てから気がついたのだが・・・
拙者は広報担当の副部会長である。
ん?講演会を聞かないで報告書が書けるか?(笑)
もう外に出ちゃったし・・・まぁ~いいかぁ~(笑)

この後は、「自由行動」ということで・・・・
夕方にホテルで待ち合わせして、懇親会に参加するということにする。

旅行 | 10:09:42 | Comments(0)
禁煙ルーム!
さんざん歩きまわって、疲れたので、偶然見つけた喫茶店で一服。
そこへ、前部会長の“ケムちゃん”からホテルにチェックインしたとの電話が入る。

明日は、法人会青年部の全国大会。
前部会長の“ケムちゃん”と新部会長の“オノザキくん”、委員長の“ヤマちゃん”の3人が車で盛岡入り。
ホテルで合流することにしていたのだが・・・・
さて・・・拙者がいるところは・・・どこ?
地図を開いてみてみたら、なんと、今晩から宿泊する予定のホテルのすぐ近くにいるではないか!
が・・・
拙者は昨晩宿泊した駅前のホテルに荷物を預かってもらったまま出かけていたので、すぐ目の前にいるのに、駅まで戻って荷物を受け取ってこなければならない。
コーヒー飲んで、ホッとしたのもつかの間、またもやテクテクと駅前のホテルまで歩く。

今晩から2泊するホテルは法人会が手配したホテルである。
で・・・チェックインしたら・・・・禁煙ルーム!
喫煙ルームはないのかと尋ねたが、ないとのこと・・・・
トホホ・・・である。
我々4人のうち3人はタバコを吸う。
だから・・・文句タラタラ・・・である。
こんなことなら、自分で個人的にホテルをとればよかったと後悔・・・・
喫煙できるのは、ロビーの隅っこにある喫煙コーナーのみとのこと。
夜中に、わざわざここまで来て吸わねばならんのか・・・・

“オノザキくん”は部会長会議に出かけ、残った我々3人は、“ケムちゃん”がガイドブックで探した盛岡城近くの居酒屋へ行き夕食をとる。
1合、1300円もする日本酒を頼み飲む。
さすがに値段が高いだけあっておいしい。
滅多に酒を飲まない拙者でも、「おいしい」と感じるんだから「おいしい酒」なんだろうなぁ~これ・・・(笑)

と・・・そこへ“オノザキ部会長”が会議から戻ってきたのだが・・・
なんと、女の子を2人従えている。
ん?なんだ?
懇親会で会ったコンパニオンを連れてきたという。(笑)
で・・・このあとは・・・彼女たちが勤めているスナックへ行って飲むこととなる。

日記 | 19:18:18 | Comments(0)
盛岡の旅(2)
雨の中、傘をさしてテクテク歩く。
駅まではかなり遠いようだが、地図もあるし・・・少し運動のためにも歩いてみようと思う。
時刻はお昼。
さすがに腹が減った・・・・
どこかで飯を食わねばと食堂を探すが、そういうときに限って店が見つからない。(笑)
ようやく見つけたのが、「ジャージャー麺」の店。
「ジャージャー麺」ってなんだか知らないけど・・・(笑)
空腹に耐えられず店に入る。

お店の女の子に尋ねたら「ジャージャー麺」って名物らしい。
初めて食べる人向けに説明書まで用意されていた。(笑)

DSC02695_convert_20091217225228.jpg(説明書き)

DSC02691_convert_20091217225508.jpg(ジャージャー麺)

DSC02692_convert_20091217225745.jpg
この麺をグジュグジュに混ぜて・・・(笑)食べるのだそうだ・・・・

DSC02693_convert_20091217230143.jpg
最後に少し麺を残して、それに生卵を入れ、そこへスープを入れる。
これを「チータン」というらしい。

「チータンにしますか?」と店の女の子に言われ、やってみた。
「このくらい麺を残せばいいですかねぇ~」と見せたら・・・・
「あらぁ~お上手!」・・・だって・・・
いい歳して、なんともはずかしや・・・・(笑)

で・・・完食!

DSC02694_convert_20091217230721.jpg

しかも、食べるたびに写真を撮影していたので店の女の子に笑われる。
「いやぁ~ちょっと、ブログにに載せたいので・・・」(笑)

店を出て雨の中、あてもなく、とにかく駅の方向へ向かって歩く。
途中、「中央公民館」に寄ってみる。

DSC02717_convert_20091217231640.jpg(中央公民館)

ここにある郷土資料展示室を見学する。
ここは昔は盛岡城で使用される薬草を栽培していた「御薬園」で、江戸時代後期には藩校が置かれ、明治維新後は南部伯爵の別邸となった場所。
庭園は南部伯爵別邸として造園されたものだそうで・・・・
雨の中、傘をさして庭園の中も散策する。

DSC02711_convert_20091217232824.jpg

DSC02696_convert_20091217233243.jpg

お天気が雨というのが残念・・・・
薄暗いし・・・・
天気が良ければ、もっといい写真が撮れただろうという気がする。

ふと、過去の旅のことを思い出したのだが・・・・
不思議と雨の日に庭園を訪問していることが多い。
なぜなのかわからないが・・・

時刻は3時過ぎ・・・・
さらに駅に向かって歩く。
公会堂の一角に原敬の銅像。
時刻は4時過ぎ・・・・
薄暗くてうまく撮影できない。
参ったぁ~
銅像は雨に濡れるとテカテカに光ってしまうものが多い。
こうなると、凹凸がはっきりせず、銅像の表情がうまく写らない。
さらに、薄暗いということでストロボを使って撮影してしまうと凹凸が無くなってしまうので、ノッペリとした顔に写ってしまう。
本来は凹んでいる部分が影となって、いい感じの表情になるものが、ストロボのおかげで凹みまで明るく写ってしまうからである。
かといって、ストロボを使わずに撮影すると、真黒か、手ぶれを起こしてしまい、奇麗には撮れない。
今日のような雨が降って、薄暗いという天気は銅像撮影には最悪のコンディションである。
使い物になる写真になるかどうかわからぬが・・・・とにかく何枚か撮っておくことにする。
駄目だったら・・・・いつかまた盛岡にくることもあろう・・・(笑)

旅行 | 11:46:00 | Comments(0)
戦友宅を訪問
今日は、我が戦友会の会員のお宅を訪問してインタビューする日である。
訪問する時間は午前10時過ぎ・・・・
で・・・昨晩から気になっていたのだが・・・・
どうも昨日、何かを忘れていたような・・・
で・・・気がついた!
盛岡八幡宮へ行ったときに、そこに建っているはずの米内光政の銅像の写真を撮るのを忘れていた!
大失敗である!(涙)
戦友宅へお邪魔するまで時間があるので、急ぎタクシーで盛岡八幡宮へ向かう。
あ~あ~2日も連続で来るなんて・・・・二度手間である。

今日は朝から雨・・・・
傘をさしながらの撮影である。
で・・・この後、タクシーで戦友宅へ向かう。

訪問した“コガリマイさん”とは初対面。
今度発行する会報に「会員紹介」として記事を書くための取材である。
氏は戦車第7連隊から戦車第2師団司令部通信隊へ異動した方。
「戦時中のことは、あまりよく知らないんだけど・・・」と言いながら取材に応じてくださった。
そもそも、商業系の学校出身なのに召集されて戦車連隊に配属になったこと自体が不思議だという。
確かに、言われてみればそうである。
戦車連隊なら、機械いじりに長けている工業系出身者を配属するのが当然なような気がする。
戦車第2師団が満州に駐留している時点で、通信兵の試験に合格して師団通信隊に転属となり、その後、師団と一緒にフィリピンへ・・・・
原隊である戦車第7連隊は米軍の上陸の際に壊滅。
もし、通信隊へ転属になっていなかったら、この時点で戦死していた可能性が高いという。
通信兵になったのは、甲種と乙種の2つの幹部候補生試験に落第し、最後の最後、通信兵の試験に合格したからだという。
何が不幸で何が幸いになるかわからないものである。
もし、幹部候補生試験に合格していたら・・・たぶん戦死していただろう。
幹部候補生試験に落ちたのは商業学校出身のためだったらしい。
ということは・・・畑違いの商業出だったことが幸いしたのか・・・
よく、受験に失敗して落ち込んだり自暴自棄になったり自殺する「馬鹿」がいるが、そういう連中に聞かせてやりたい話である。
一時、不幸に思えても、最終的にはどうなるかはわからないのである。
何が幸いするかわからない・・・・まさしくその好例といえるのではあるまいか?
氏は師団司令部と行動を共にし、常に前線から離れた場所にいたので、直接大規模な戦闘には巻き込まれることはなかったらしい。
このため、原隊の戦車第7連隊の壊滅状況も詳しくは御存じない。
このことが「当時のことはよく知らない」という言葉になったようだ。
食料調達では、ジャングルの中で何人もの戦友を失ったが、上官である小隊長の「通信兵が敵のゲリラと戦って勝てるわけがないのだから、極力戦闘は避けて命を大切にせよ」の言葉で生きながらえることができたという。
それでも、終戦間近の時点で、多くの戦友が餓死・病死し、次は自分の番だと確信していたという。
マラリアで動けなくなり林の中に見捨てられたが、通りがかった通信隊の最後のトラックに拾われて一命を取り留める。
戦後、慰霊団の一員としてフィリピンに渡った時に、この時トラックを運転していた兵も同じ慰霊団にいたそうで、「あんたを拾ったのはこのあたりだ」と教えてもらったが、「当時は意識朦朧としていたので覚えていない」という。
同乗していた小隊長が林の中に倒れていた“コガリマイさん”を見つけて、荷台の隙間に乗せたそうだ。
荷台には通信機材等が満載されていたが、運よく隙間があったそうで、もし、隙間なく機材が載せられていたら、間違いなく乗せてはもらえなかったという。
当時は人命より機材の輸送の方が優先されていたそうである。
偶然にも荷台の人一人分の隙間が氏の運命を左右したわけである。
なんとも運のいい方だ。
多くの生還者が紙一重で生還しているのだが、この方も同様である。
話は戦時中のことよりも戦後の復興期の話の方が長かったが・・・・(笑)
戦後、実業家として成功したのも、「あの時死んでいたと思えば・・・」との思いで努力したおかげだという。

あっという間にお昼となる。
約2時間弱のインタビューを終え、帰りに、弟さんが“コガリマイさん”の戦後の活躍を描かれた著書をいただき、御自宅をあとにする。
“コガリマイさん”は87歳・・・・
長生きしていただきたい・・・・そう心から思う。

旅行 | 10:56:48 | Comments(0)
盛岡の旅
八戸から盛岡まで新幹線で移動。
丁度、お昼前に到着。
駅の構内のレストランで昼食をとる。

DSC02448_convert_20091216204010.jpg

食後、駅構内の土産物屋を「視察」(笑)
到着早々、土産物を買うわけではない。
あくまでも下見である。

駅からタクシーで岩手県護国神社に向かう。

DSC02452_convert_20091216204730.jpg

ここにはマニラ東方で活躍した歩兵第31連隊の慰霊碑とビアク島守備隊の慰霊碑の2つが建立されていた。
宝物館のカギを開けてもらい、館内を見学。
なかなか内容の充実した素晴らしい展示物の数々。
郷土部隊の歴代連隊長の写真が飾られていたが、特に驚いたのが、馬場正郎中将の写真。
馬場さんは騎兵第24連隊長と騎兵第3旅団長を歴任されている。
それでここにお写真が飾られているのだが・・・・
いやぁ~お懐かしいお姿!
馬場さんが京都の第53師団長の時に拙者の祖父が副官としてお仕えしていたのだ。
拙者の祖父の上官である。
終戦後、戦犯容疑でラバウルで処刑されてしまったが・・・・
馬場さんは、全く戦犯事例とは関係がないにも関わらず、部下を助けるために現地に赴き無実の罪で処刑されてしまったのである。
今年、ラバウルへ行ったが、処刑地跡を訪れることができなく残念だった。
が・・・まさか、ここで馬場閣下のお写真にお会いできるとは・・・・

さらには、斎藤義次中将の写真も・・・
騎兵第8連隊長を歴任していたとは知らなかった。
この方も祖父の上官。
確か昭和5年か6年ごろ、中国の大興安嶺の探検調査の時の支隊長で、当時は中佐。
拙者の祖父は、その探検隊の護衛をした機関銃小隊の小隊長。
斎藤閣下はサイパン島で師団長として玉砕されている。

なんともおかしな話だが、知っている方々のお写真に出会えてうれしくて仕方がない。
こういう気持ちは誰にもわからないだろうなぁ~(笑)

この他に、ガダルカナル島の遺骨収集状況の写真の展示などもあり、今後の戦跡訪問・慰霊の旅に大いに参考になる。
こじんまりとした館内をじっくり見学したら1時間ちかくかかってしまった。

護国神社隣の盛岡八幡宮の茶店で一服。

DSC02612_convert_20091216231006.jpg

頼んだのは甘酒なのだが・・・・
なぜか、タクアンと佃煮が一緒に付いている。
ん?甘酒っていったら、普通はショウガが付くんじゃないのか?
変ってるなぁ~(笑)
と・・・ここで気がついた!
まだ、八幡宮をお参りしていない!
甘酒飲んで、酒気を帯びてお参りしていいのだろうか?
バチが当たるんじゃあるまいか?
などと、茶店の「おばちゃん」と大笑い。

お参りを済ませ、神社の前でタクシーを拾い、大慈寺にある原敬の墓所へ向かう。
原敬はキリスト教徒だったはずだが、お墓は中国式のお墓である。
続いて向かったのは、円光寺にある米内光政海軍大臣のお墓。
で・・・その後は、事前に調べておいた盛岡市内の銅像巡り。
時刻も3時半を過ぎ、曇り空も手伝って少々薄暗いのだが、新渡戸稲造、石川啄木の銅像の写真を撮る。
午後4時には、ほとんど撮影不可能な暗さとなったため、ここで断念。
盛岡駅前のホテルにチェックイン。
今晩の夕食は海鮮丼。

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旅行 | 20:37:12 | Comments(0)
旧八戸小学校講堂
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明治記念館(旧八戸小学校講堂)

明治記念館の由来
明治記念館は八戸市堀端に八戸小学講堂として、明治14年(1881)8月に竣工した、県内に現存する最古の洋風建築である。
洋風の下見板張りの外壁が真壁として納まり、柱頂部には飾を載せ、胴蛇腹と軒蛇腹とを備えている。
明治14年の明治天皇東北御巡幸に際し行在所として用いられた。
昭和4年には八戸市図書館となり、御聖蹟として維持される。
昭和37年に櫛引八幡宮境内へ移築し、その際窓回り等に若干の改造が加えられてはいるが、「明治」の雰囲気を色濃く伝えており、「明治記念館」として現在に至る。
(現在は直会所・神前結婚式控室・会議室等に使用している。県重宝平成3年3月13日指定)


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建物 | 15:14:51 | Comments(0)
旧八戸城東門
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旧八戸城東門

八戸市有形文化財
平成5年6月3日指定

この門は、八戸城の東門で安政6年(1857)の大風のため倒れ、家臣の木幡(こばた)氏の門として建て替えられました。
伝承によればもともと根城にあった門を八戸城に移したといわれています。

(説明板より)


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史跡 | 14:38:43 | Comments(0)
昌益思想発祥の地
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昌益思想発祥の地

浄土宗法海山天聖寺の歴史は八戸町の誕生とともに始まる。
八戸の街地がほぼ形成されたのは、江戸時代の初頭、承応年間(1652~1654)のことであるが、このとき八戸の人々の信仰の拠り所として町の中心部のこの地に建立されたのが当寺である。
所伝によると、往時は、根城にあり、涼雲山善道寺と称し、のち現在地に移転して天聖寺を名乗ったという。
寛文4年(1664)八戸藩が誕生すると、領内「近回り五か寺」の一つに数えられ、燈明料五駄が与えられた。
元禄年間(1688~1703)には、鐘楼などの諸堂が整備され、城下の町寺として極楽往生を願う人々の厚い崇敬を集めた。
寛保3年(1743)、当寺8世則誉守西は「糠部三十三観音巡礼」を定めて、信仰の道を説いた。

武士が農民を支配する封建社会を激しく批判した思想家として名高い安藤昌益(あんどうしょうえき)は、ここ天聖寺においてその思想を初めて八戸の人々に語った。
延享元年(1744)12月、八戸にやって来た昌益はここで数日にわたる講演を行った。
参会者は則誉守西、当寺9世延誉短擔阿をはじめ、藩士、藩医、神官、僧侶、商人など八戸の主だった知識人たちであった。
彼らは昌益の話に深い感銘を受け、「大医元公昌益、道の広きことは天外にもなお聞こえん、徳の深きことを顧みれば地徳もなお浅し」と賛辞を贈った。
昌益42歳のときである。
その後、当寺には岡本高茂や神山仙庵、高橋大和守などの檀徒、さらに中居伊勢守、中村忠平、関立竹、上田祐専などといった昌益の門弟が集まり、談論風発して親交を深めた。
やがて、寛延2年(1749)の猪飢渇(いのししけかじ)から始まる飢饉の頻発は昌益を社会批判に向かわせた。
昌益は『統道真伝』や『自然真営道』を執筆しながら、すべての者が「直耕」する平等な社会とは何か、そこにおいて最も人間らしい生き方とはどのようなものか、さらに人間と自然とはどのように相互依存して共生できるかなどを追い求め、「自然の世」という理想社会の実現をめざした。
宝暦8年(1758)頃、全国の門人が集まり、シンポジュウムが開かれた。
場所は恐らくこの八戸、想像すると天聖寺と思われる。
これに参加した門人は、八戸は神山仙確、福田定幸、北田静可、高橋栄沢、中村信風、嶋盛慈風の6人、他は松前の葛原堅衛、須賀川の渡辺湛番、江戸の村井中番、京都の明石龍映・有来静香、大阪の志津貞中・森映確の7人である。
昌益は八戸に来てから確龍堂良中と号するが、昌益の「良(りょう)」が八戸の地で到達した最終的思想を門弟に「演(の)」べ、これを門弟の「哲(てつ)」たちが「論(ろん)」ずるという形で討論が進められた。
この討論は確門第一の高弟といわれた仙確の手により稿本『自然真営道』巻二十五に「良演哲論」として編さんされた。
仙確とは昌益の号にちなんで名付けられた仙庵の号名である。
昌益はこのシンポジュウムを最後に、15年にわたって過ごした八戸の地を旅立ち、故郷の大館の二井田へ向かった。
このように天聖寺は昌益の八戸在住時代に門弟たちと交流を重ねた場所であり、昌益思想を独創的に深化発展させるうえで、大きな役割を果たした所である。
紛れもなく昌益思想はこの地より発祥したものといえよう。

平成8年10月14日
安藤昌益基金
天聖寺

(説明板より)


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史跡 | 13:42:12 | Comments(0)
八戸城角御殿表門
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県重宝
八戸城角御殿表門

ここは、寛政年間には角御殿(すみごてん)と呼ばれていた。
寛政4年(1792)御者頭(おものがしら)煙山(けむやま)治部右衛門がここに居住し、八戸城にふさわしい門と玄関を建てるよう命ぜられた。
門はその5年後に建てられ、その時の棟札が残されているが、資金繰りの苦心談が八戸藩日記にうかがわれる。
昭和53年、風雪のため倒壊したとき、毘沙門天(びしゃもんてん)像が門の冠木(かぶき)の中央から発見された。
像高3.6センチの小さなものであるが、精巧な像で、棟札にも「奉修毘沙門天秘法」とあることから創建時のものであることが知られる。
この寛政9年の棟札の他に、嘉永4年(1851)、明治42年(1909)修理の棟札もある。
昭和55年、創建当初の形に復原した。
門の構造は棟門(むなもん)といわれ、通常は2本の柱の上部を冠木でつなぎ、切妻屋根をのせるものであるが、この門の場合は、4本の柱を一列に並べて冠木でつなぐ大規模なもので、平衡を保つため裏側に2本の支柱を取付けるという特異な構造となっている。

昭和57年3月

八戸市教育委員会

(説明板より)


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史跡 | 12:41:44 | Comments(0)
八戸の旅(2)
早朝、ホテルをチェックアウト。
現地に来て知ったのだが・・・・
昨日の喫茶店の近くに「安藤昌益居宅跡の標柱」が建っているようなので行ってみる。
道路わきに目立たない標柱が建っているだけだが、拙者にとっては「お宝」ゲツトである。(笑)
続いて、「天聖寺」に向かう。
ここは「安藤昌益思想発祥の地」
思想発祥の地・・・って、よく意味がわからんが・・・・(笑)
とにかく行ってみる。

DSC02380_convert_20091215105126.jpg(天聖寺)

ここからタクシーに乗り込み、次に向かったのが「八戸市博物館」
ここには「根城」という城跡の公園がある。
博物館は今日は閉館日・・・・
それは知っていたのだが、「根城」のほうも閉場で、見学できなかったのは残念。
南部師行の騎馬像の写真を撮影しただけで終わる。

DSC02426_convert_20091215110937.jpg(櫛引八幡宮)


続いて「櫛引八幡宮」へ行く。
タクシーは貸し切り状態である。
ここの宝物館を見学。
職員の方としばし雑談をする。
鎧兜の展示説明は、わかりやすく、これはなかなか良い展示方法をしている。
こういう丁寧な展示解説をしている所は滅多にないので、「博物館巡りマニア」としては感激である。

ここには旧八戸小学校講堂の建物が「明治記念館」として移築されている。
明治天皇巡幸の時の行在所として使われた建物である。

八戸の旅は、これで終わりとして、タクシーでそのまま八戸駅へ向かう。
八戸は昔からの駅と新幹線駅とが離れているので、町の開発も分散してしまっているようである。
新幹線利用者は、単なる乗り換え客が多く、わざわざ在来線駅まで移動してまで観光をするという人が少ないらしい。
結局、どちらの駅前も中途半端な状態となっているらしい。
そんな話を運転手さんから聞きながら移動・・・・・

DSC02439_convert_20091215111612.jpg(八戸駅)

時刻は10時半・・・・
新幹線までには時間があるので、近くの物産会館のようなところをブラブラしてみる。
ここに山車が展示してあった。
いやぁ~なかなかのスケールである!
昨日の喫茶店のマスターから話を聞いていたので、興味深く見学することができた。
人との出会いというのは、本当にありがたいものである。

DSC02440_convert_20091215112103.jpg(山車)

旅行 | 10:40:10 | Comments(0)
八戸の旅
約1時間で八戸駅に到着。
ちょうどお昼なので、駅の構内の食堂でトンカツを食べる。

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八戸の町というのは、この新幹線が乗り入れている「八戸駅」ではなく、ここから在来線で、ちょっと移動した「本八戸駅」が繁華街らしい。
なんという辺鄙な場所に駅を作ってくれたものか・・・・
わざわざ在来線に乗り換えなければ町に行けぬとは・・・・

DSC02286_convert_20091214122903.jpg(本八戸駅)

ここから地図を頼りにテクテクと歩く。
時刻は午後2時半である。
最初に向かったのが・・・「八戸城」であるが・・・・
あらら・・・ただの公園!(笑)
がっかりである。

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DSC02290_convert_20091214131114.jpg(三八城公園)

公園の隣・・・公会堂や市庁舎の前では「菊祭り」が行なわれていたようである。
時刻は午後3時、ちょっと暗くなり始めたせいなのか・・・閑散としていて、もう「閉店」といった感じだった。

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ちょいと腹が減ってきたので、町の中の喫茶店に入る。
手作りピザが“売り”の店らしいので、ピザとコーヒーを注文して一服。

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店内にはマスターと拙者の2人だけ・・・・
いつまでたっても誰も店に入ってこない。
そのうち、マスターとおしゃべりが始まったのだが、話題が「ねぷた祭」に及んだとき・・・・
「じゃぁ、以前、テレビで放送されたものをお見せしますよ」とマスター
スクリーンを用意して・・・なんと!ビデオ観賞会が始まってしまった!(笑)
このマスター・・・・かなりのお祭り好きらしい。
貸し切り状態で、祭の話、町興しの話などで盛り上がる。(笑)

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いやはや、まさかのビデオ鑑賞会!
1時間以上も、おしゃべりをして、思いがけずに充実した「お茶飲み」となった。
時刻は5時・・・・
外は日が落ちて暗くなっていたので、ホテルに向かいチェックイン。

今晩の夕食は、ホテル内の居酒屋でとる。

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旅行 | 12:20:07 | Comments(0)
革秀寺
弘前市指定 史跡
曹洞宗津軽山 革秀寺
住所 弘前市大字藤代字川面116外
面積 18807.41?

革秀寺は、津軽藩初代藩主為信により津軽家の菩提寺である長勝寺の格翁和尚の隠居寺として、慶長3年(1598)藤崎村(現 藤崎町)に創建され、間もなく現在地に移されたと伝えられています。
為信は、津軽一統後、高岡城(のちの弘前城)の築城を計画しましたが、その完成を見ることなく慶長12年(1607)京都において卒去されました。
二代信牧(のぶひら)は、亡父の菩提を弔うためここに霊屋を建立し、境内全域を聖域化して庶民だけでなく藩の武士の立ち入りも厳しく制限したといわれています。
境内には、霊屋のほか江戸時代初期に建てられた本堂なども残されており、文化8年(1811)の絵図にも示されている東側の池や霊屋周囲の二重の土塁も現在に引き継がれています。
また本堂西側にある庭は、当地方で最も古い庭園と考えられています。
現在に至るまで初代藩主為信の菩提寺として崇敬された歴史と共に、建造物を含めた境内地の構成を今日までよく保存継承していることから、長勝寺構(国指定史跡)などと共に津軽藩の寺院政策を知る上で貴重な遺構の一つとなっています。

弘前市教育委員会
管理者 革秀寺

(説明板より)

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重要文化財
革秀寺本堂
平成5年8月17日指定

津軽山革秀寺は、長勝寺格翁(かくおう)禅師に師事した津軽藩祖為信(ためのぶ)が、慶長3年(1598)藤崎に造営したのに始まり、間もなく現在地に移築したが、いくばくもなく火災に遭い、その後再建され今日に至ったと伝承されている。
その再建年代は、慶長15(1610)とも慶長17年ともいわれる。
現存する本堂は、正面桁行九間、梁間(はりま)八間、屋根は一重入母屋(いりもや)造りの茅葺(かやぶき)平入(ひらい)りで、正面玄関を式台(しきだい)構えとする。
いかにも古雅な外観ではあるが、内部の扉や欄間(らんま)、木鼻(きばな)等の彫刻、あるいは、天井などに桃山時代の手法を数多く残している本格的建築物で、当地方における曹洞宗寺院の古い典型を示すものとして極めて貴重である。

管理者 革秀寺
弘前市教育委員会

(説明板より)

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重要文化財
津軽為信霊屋
昭和28年11月14日指定

本寺(津軽山革秀寺)は、津軽藩初代藩主津軽為信が自分の禅の師匠である長勝寺八世住職格翁(かくおう)禅師のために建てた寺と伝えられる。
為信は、慶長12年(1607)に京都で亡くなったが、この遺骨を二代藩主信枚(のぶひら)が持参し、格翁禅師を導師として葬儀を行い、革秀寺を廟所(びょうしょ)としている。
この霊屋(たまや)は、桁行一間梁間一間の正面が正方形の建物である。
柱は円柱、軒は二重繁棰(しげたるき)入母屋造り、妻入りで前面に小さく唐破風(からはふ)をつけている。
内部には四十九院板塔婆を張り付け、後ろの壁に寄せるように石造塔婆を安置している。
小振りではあるが、彩色豊かな体裁の整った美しい建物である。

管理者 革秀寺
弘前市教育委員会

(説明板より)


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史跡 | 11:00:05 | Comments(0)
初雪!
朝、目が覚めると、外は雪景色!
夜中に雪が降ったらしい。
初雪である。

DSC02266_convert_20091214081445.jpg(ホテルの部屋から見た景色)

ホテルをチェックアウトして、昨日のタクシーの運転手さんと待ち合わせ。
運転手さんは、昨晩、実家に行って父親の戦時中のアルバムを持ってきていた。
で・・・コンビニの一角にある喫茶で、コーヒーを飲みながらアルバムを見せてもらう。
「いやぁ~こりゃ、“お宝”写真が一杯じゃないですか!」
「そうなの?俺には分からないけどねぇ~」
「いいなぁ~この写真!これ、コピーとってくれませんかね?」
「そう?じゃぁ、このアルバム貸してあげるから持って行きなよ。今度、弘前に来るときに返してくれればいいから」
へっ?(笑)
いくらなんでも、お父さんの遺品のアルバムを借りるっていうわけにはいかないだろ~
それに、今度・・・って言っても、弘前に来る予定はないし・・・(笑)

今日は、これから八戸に移動予定だが、まだ、時間がある。
コーヒーを飲んで、おしゃべりしているうち、ザァ~と降っていた雪が止んだ!
よし!今のうち、どこか1か所ぐらいを見学して帰ろう!

向かったのは、初代藩主・津軽為信の菩提寺である「革秀寺」
ここには為信の霊屋があるが、近づけないので、遠くから見るに留まる。

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この後、駅まで送ってもらい、運転手さんとはここでお別れ。
またまた「後輩」ということで、料金を格安にしてもらった。(笑)
ありがたし。

これから「特急つがる」で八戸に向かう。

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DSC02282_convert_20091214094148.jpg(特急つがる)

車窓からは・・・・一面・・・雪景色!

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旅行 | 08:09:20 | Comments(0)
旧弘前偕行社
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重要文化財
旧弘前偕行社(きゅうひろさきかいこうしゃ)

旧弘前偕行社は、日清戦争後に増設された6個師団のひとつである第8師団の開庁に伴い、建設された。
建物は、南北に長い敷地のほぼ中央に北面して建つ。
明治40年11月の竣工で、建設後は師団将校の交流施設や物販・厚生施設に供されたが、第二次大戦後は財団法人 弘前女子厚生学院の所有となり、近年は同学院の記念館などに活用されている。
木造平屋建で、東西に長い主体部は桁行(けたゆき)48.8メートルの規模をもち、左右両端を前後に突出させる。
正面は中央部が張出し、玄関ポーチを設ける。
大規模な洋風建築で、ルネサンス様式を基調とし、華やかな細部意匠(いしょう)は高く評価される。
東北地方に現存する陸軍関係施設の代表的遺構であるだけでなく、陸軍省営繕組織による建築意匠の展開を示すものとしても貴重である。

管理者 財団法人 弘前女子厚生学院
弘前市教育委員会

(説明板より)


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史跡 | 14:31:27 | Comments(0)
誓願寺山門
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重要文化財
誓願寺山門


この山門は京都誓願寺山門を模し江戸時代中期に建立されたと推定されているものである。
誓願寺は、慶長年間に南津軽軍大光寺より本地に移されたのであるが以後数次の火災に遭遇した。
しかし幸いにも山門は片扉を失っただけで今日に伝えられている。
こけら葺、妻入りの重層四脚門で高さ6.9メートル正面に切妻破風の妻を配置し少しも小さく感じさせない量感あふれる力作で桃山時代の手法を残し珍しい形とともに地方色豊かな建物として高く評価されている。
屋根軒下部分に飾られている懸魚に鶴と亀とが付けられていることから鶴亀門と呼ばれ市民に親しまれているものである。

弘前市教育委員会
管理者 誓願寺

(説明板より)


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史跡 | 14:07:49 | Comments(0)
弘前の旅(2)
一服した後は、城跡内にある「青森県護国神社」に向かう。
社殿が想像以上に小さいのには驚いた。
あらら・・・こんなに小さな神社なの?
なんともさびしい・・・・
お参りをして境内を散策するが、これといった記念碑、慰霊碑は「軍艦津軽」のものだけ。
あとは、かなり古いもの・・・
たぶん、日清日露戦役のものだろう・・・・文字が薄れて読みづらい・・・・

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続いて、お城の近くの「誓願寺」に行ってみる。
ここの山門は独特の形をしていて面白い。
墓所を散策してみたが、これといった有名人の墓はない。
え~と・・・だれか歴史上の人物のお墓がここにあると思っていたのだが・・・思い違いか・・・
時刻は12時半・・・・
お城まで戻って、近くの喫茶店で昼食をとることにする。
このころから、ついにチラチラと雨が降り始め・・・ついにはみぞれ交じりとなる。
あらら・・・ついに来ちゃったか・・・(笑)

DSC02177_convert_20091202124634.jpg(サンマの塩焼き定食)

ギリギリセーフで、お城の写真は撮り終わっていたので、雪交じりの雨が降っても・・・安心!(笑)
さて、これからどうしようか・・・・
「コープ・松原店」というところが、騎兵第8連隊跡らしいので、そこまでタクシーで行くことにする。
喫茶店の前で、ちょうど通りがかったタクシーに乗る。

で・・・この運転手さんとおしゃべりしていたら・・・・なんと!
この人は、我が大学の出身者!(笑)
こういう偶然も珍しい!
昭和39年入学の方なので、拙者の大先輩ということになるのだが、大いに大学の話で盛り上がる。
この運転手さんは、経済学部で、“ナカノ先生”に大変お世話になったという。
拙者は経営学部だが、“ナカノ先生”とは大学改革案で大いに議論を戦わしたことがある。
いやぁ~懐かしいなぁ~
残念ながら“ナカノ先生”は今年の3月にお亡くなりになられたと同窓会新聞に出ていた・・・・
が・・・ここ弘前で“ナカノ先生”の話が出るとはねぇ~

途中、「弘前第3中学校」の前を通る。
たしか・・・ここに野砲兵第8連隊の記念碑があったはず・・・・
タクシーを止めてもらい記念碑を写真撮影!

「なに?こういうの・・・興味があるの?」
「はい、私の得意分野でして・・・」
「へぇ~変ってるねぇ~(笑)」

続いて、目的地の「コープ松原店」へ・・・・
ここには「騎兵第8連隊跡」の木柱しか立っていないが・・・・
あれ?お店の建物は・・・・レンガ造りである!
ん?当時の騎兵連隊の建物を流用しているのか!
驚き!
当時は何に使われていたのかわからないが・・・
形から言って、屋内馬場のような気がしなくもない。
いずれにせよ、貴重な遺跡である!(大興奮!)
来てみてよかった!

で、本来はここでタクシーを降りて、適当に歩きながらあちこちを見学しようかな・・・と思っていたが・・・
運転手さんが、わが大学のOBならば・・・・貸切で動いちゃえ!(笑)

で・・・今度は「旧弘前偕行社」へ行くことにする。
「偕行社」は旧陸軍の将校社交の場であり、ここには当時の建物がそのまま残っているという。

DSC02208_convert_20091202200229.jpg(旧弘前偕行社)

館長さんに案内していただき、館内を見学する。
いやぁ~素晴らしい・・・・
窓ガラスは当時のままのものが結構残っている。
が・・・面白いのは、この地は大雪が降り積もるというのに、雨戸がないのである。
それでよく窓ガラスが割れずに残っているものだと驚いた。
ここは、学校法人の管理下に置かれているようだが、いつまでも残してもらいたいものである。
館長さんからは、当時の資料がなかなか見つからないという話を伺った。
できれば、当時の室内の様子や会合の様子の写真があったら・・・・とのこと。
で・・・おせっかいの拙者は、その調査のお手伝いをすることにする。(笑)
防衛研究所あたりに写真が残っていないか・・・・調べてみるかぁ~

タクシーの運転手さんが、「そんなに戦時中のものに興味があるのなら、赤レンガの建物が残っている場所があるから・・・」と連れて行ってくれた。
で・・・場所は、どうも弘前大学らしい。
細い道沿いに古い赤レンガの倉庫のような建物があった。
何に使われていたものかは不明・・・・
道が狭いので、車を止められず、車窓から見ただけ。(笑)
いつか、また来た時に、一人でじっくり見てみよう。
続いて、「弘前中央病院」の真向かいに、大きな倉庫のような赤煉瓦の建物があった。
さて・・・これは何だろう?
窓らしきものもない・・・・・旧軍の施設なのだろうか?

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すでに雪交じりの雨も止んでいるが、午後3時過ぎなのに、どんよりと曇って薄暗い。
今日のところは・・・・ここまでか・・・・
ホテルまで送ってもらうこととする。

その車内で、昨年亡くなった運転手さんのお父さんのアルバムの話が出る。
戦時中のアルバムらしい。
「あんたに、見せてやりてぇなぁ~」としきりに言う。
今晩のうちに実家に行って持ってくるというので、明日、また会う約束をする。(笑)

ホテルに戻ってから・・・何か忘れているような・・・・
どこかに行かねばならないと予定していた場所を忘れているような・・・
と・・・気がついた!
「師団長官舎!」
弘前市役所の近くにあるらしいのだが、そこに立ち寄るのを忘れていた!
まだ、なんとか写真が撮れるだろう・・・ということで、徒歩で現地に向かう。

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その建物は、市役所の駐車場の中にあった・・・・
「師団長官舎」・・・のちに「市長官舎」となる。
登録有形文化財に指定されているらしいが・・・・説明板らしきものは見当たらない。
う~ん・・・何でだろう?

時刻は4時過ぎ・・・・
写真撮影は限界である。
帰り道、市役所のところで面白い旗を見つけた。

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「毎月5日はりんごを食べる日」と書いてある。
なんで5日なのかは、わからない・・・・(笑)
「りんご」だから「ご」なのか?

今晩の夕食は、ホテルのフロントで教えてもらった、和食と居酒屋の店。
昨日は定休日のため食事ができなかったが、今晩はここで食事をとることにした。
お店の人とカウンターで雑談しながら食事をする。
これまた楽しい。

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旅行 | 13:26:08 | Comments(0)
弘前城天守
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重要文化財
弘前城天守
建築年代 文化7年(1810) 9代藩主 津軽寧親(やすちか)
指定年月日 昭和12年7月29日
棟高 16メートル

弘前城は、津軽を統一した津軽為信(ためのぶ)が計画し、2代藩主信枚(のぶひら)が慶長16年(1611)に完成させた。
当初の天守は5層で本丸西南隅に構築されていたが、築城から16年後の寛永4年(1627)に落雷により焼失した。
現在の天守は、江戸時代末期の文化7年(1810)9代藩主寧親により、本丸辰巳櫓を解体新造したものである。
建築年代は新しいが、濠側の東・南両面には鉄扉窓をつけず、矢狭間だけとし、また、1・2層にはその中央に張り出しをつけ切妻破風、石落しを設けるなど古形式になっている。
江戸時代に建築され、現存する天守としては、東北地方唯一のものであり、小規模ではあるが、全国の城郭天守の中でも代表的なものである。

弘前市

(説明板より)


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史跡 | 12:59:44 | Comments(0)
旧弘前市立図書館
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旧弘前市立図書館

明治39年3月に竣工したこの建物は、斎藤主・堀江佐吉らが東奥義塾の敷地に建てて、市に寄付したものです。
設計・施工は堀江佐吉で、木造洋風・ルネッサンス様式を基調とした手法に和風様式が随所にとり入れられています。
外観は石積基礎に白しっくい塗り壁、屋根はレンガ色の鉄板葺き、各階の軒先蛇腹・窓の形・屋根飾り・八角形の双塔を左右に配して柱型を強調するなど、洋風技法の水準の高さを感じさせています。
その後、昭和6年まで市立図書館として利用されましたが、図書館の移転にともなって堀江家の子孫に払い下げられ、市内富野町に移築されていたのを平成2年7月市制百周年記念施設のひとつとして、現在の場所に復原したものです。
一階は旧図書館の形態を復原して公開し、旧図書館の関連資料の展示を行なっています。
二階は郷土の出版社の出版物を展示し、郷土の文学の動向や文芸団体の活動を紹介しています。
またビデオ映像によって文学碑めぐりを放送しています。

(説明板より)


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建物 | 12:52:35 | Comments(0)
青森銀行記念館
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重要文化財
昭和47年5月15日 文部省指定
青森銀行記念館

この建物は、当行の母体となった旧第五十九銀行(明治12年―西暦1879年―1月第五十九国立銀行として創立)本店として明治37年(西暦1904年)に建築されたものである。
昭和18年(西暦1943年)10月第五十九銀行ほか数行合併して青森銀行が創立された後は弘前支店に転用して来たが昭和40年(西暦1965年)5月に支店新築にあたり、この地に移転し、第五十九銀行時代の貴重なる記念物として又当地方における明治期の文化財として永く保存することにしたものである。
設計施工は、当時名匠といわれた当市の棟梁堀江佐吉の手によるもので構造は木造(欅材を多く用う)ルネッサンス様式の洋風建築として、この地方に極めて貴重なものとされる。

昭和47年10月1日
青森銀行

(説明板より)


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建物 | 10:55:15 | Comments(0)
学都弘前之碑
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学都弘前之碑

この地 秀峰岩木山を仰ぎ古来人材多し
津軽氏 城を築き町を興す 故なきにあらず
元に高岡後に弘前と称す
藩風文武を分たず学問を重んず
つとに稽古館を設け儒学を講じ幕末には蘭学堂を加え洋学をも授けたり
明治維新を迎え廃藩置県ありて学制頒布せらる
弘前はよく学区を整え小学校を開き不学の人なきを期す
ことに藩校を継げる東奥義塾は海外より教師を招き新時代を担うべき逸材を養成せり
これより公立私立の別なく中等学校の設立相次ぎ教育の実大いにあがる
大正時代に入るや弘前市に高等学校誘致の議起こる
市民の熱意と好適なる環境は国家の要請に合致し10年4月ついに弘前高等学校の開校実現す
数えて65年前なり
俊秀全国より集まり破帽に大鵬を徽章とかざす
ともに勉励し心を練て青春有為の時を刻みぬ
昭和25年3月閉校に至るまで これに学びし者 4千8百有余人なりとす
今 弘前市は総合大学たる弘前大学を中心に東北女子大学 弘前学院大学その他短期大学など林立し初等中等教育の充実と相俟ちて学都たるの名を誇るに足れり
我等 貞石を得て碑とする所以は他なし
この地 永遠に美しき教育環境たらんことを希望するにあるのみ

撰文 小野正文

母校創立65周年記念祭に当り之を建て弘前市に贈る
昭和60年4月29日
旧官立弘前高等学校同窓会

(碑文より)


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史跡 | 10:20:27 | Comments(0)
弘前教会
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「弘前教会」のあらまし

弘前教会は、明治8年(1875)10月、「弘前公会」の名で創設された東北最古のプロテスタント教会です。
同年6月、東奥義塾の英語教師ジョン・イングの感化によって14名の学生が洗礼を受けたことがきっかけとなり、塾長の本多庸一が初代牧師となって出発しました。
以来聖書を唯一の基準とする福音主義の立場に立ちつつ、メソジスト派の果敢な伝道精神を受けついで、津軽一円にキリストの愛の教えを広めて来ました。
また、弘前学院(聖愛高校)もこの教会から誕生しました。
現在の礼拝堂は明治39年(1906)に建てられたもので、弘前教会の長老桜庭駒五郎の設計、名工堀江佐吉の子斉藤伊三郎の施工によるものです。
明治の洋風ゴシック式木造建築として極めて貴重な建物です。

弘前市

(説明板より)


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建物 | 09:18:29 | Comments(0)
弘前の旅
今日は、朝から精力的に走り回らねばならない・・・・
天気予報によれば、午後から天気が崩れて雪になるかもしれないというのだ。
雪などに降られたら、銅像の写真なんか撮れなくなる。
頭に雪が乗った姿の銅像では絵にならない・・・・
8時半、スタート!(笑)

まず、向かったのが、「弘前文化センター」

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ここの掲示板に「プラネタリウムは機械故障のためしばらくお休み」と掲示されていた。
「しばらく」っていつまでだろう?(笑)
別に見たいわけではないが・・・
やっぱり市の財政が厳しいのかな?修理代の予算が計上できないのかな?(笑)
余計なお世話だろうけど・・・・

ここにある「藩祖・津軽為信像」を撮影!
この人は、戦国時代、南部氏が支配していた津軽地方の独立を果たし、豊臣秀吉から津軽地方の領有を認められた人らしい。

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ここの目の前が、弘前城の東口門なのだが・・・・
いや、いや、ここで焦って弘前城を見学してはなるまい。
それより、周辺を散策して細かいところを見て歩かねば・・・・(笑)
地図を片手にお城の周辺の散策をする。

と・・・ここで気がついた・・・・
万歩計!忘れた!
あ~あ~・・・何か忘れてきたような気がしていたんだよなぁ~
国内旅行の時は、いつも万歩計を付けて歩いているのに・・・・・やっちゃったぁ~(涙)

「吉田松陰来遊の地」という場所に行くが・・・・・
ここは、現在、幼稚園になっているらしい。

DSC01954_convert_20091129163030.jpg(吉田松陰来遊の地)

ここは津軽藩士の邸宅跡で、ここに吉田松陰が来て国事を論じあったたらしい。
その時の一室が「松陰室」として残っているらしく、史跡となっているようなのだが・・・・
説明板の文字は薄れて読みづらいし・・・・見学には事前に幼稚園に許可をもらわねばならないということで、なんとも「不便な史跡」である。
説明板の文字を苦労してメモして、外観だけを撮影・・・・
あまり幼稚園の前なんぞでウロウロしていたら変質者と思われかねないので退散する。(笑)

続いて、「東奥義塾」「旧弘前図書館」という古い建物がある「弘前市立観光館」へ行く。
ここには「ミニチュアの建造物」が敷地の一角にあって、結構おもしろい。

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約30分ほどかけて、この2つの建物の中を見学。
まだ、他の観光客が来ていない・・・・一番乗りである。

続いて・・・本命の「弘前城」の見学に移る。
時刻は10時20分・・・・

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「弘前城」って、小さな天守閣があるだけかと思っていたら、門や、櫓もあったのには驚いた。(笑)
結構、見どころがある。
こういうのは、現地に来てみないとわからないものだ。

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この季節は、「弘前城 菊と紅葉まつり」が開催されている・・・・
が・・・・今日は月曜日のせいか・・・・静か・・・・(笑)
お城の写真を撮る人よりも、紅葉の写真を撮るアマチュアカメラマンが多い。
が・・・・こいつら・・・・
拙者がカメラを構えているにもかかわらず、カメラの前を平然と横切るのである!
また、自分が撮影したら、さっさとどけばいいものを、そのまま平然とたたずむのである!
なんとマナーを知らないやつらなんだ!
腹が立つったらありゃしない。
アマチュアカメラマンなんて、この程度の連中なのだ!
機材は立派でも、人間のほうは全然立派ではない・・・・(怒)

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時刻は11時30分・・・・
さすがに、ちょっと疲れたので・・・・休憩!(笑)

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期間限定の「りんご紅茶」(300円)をいただく。
紅茶と一緒に出てきたのが、「りんごのジャム」
これが・・・おいしい!絶品である!
お店の“おばちゃん”に尋ねたら、“おばちゃんたち”の手作りジャムなんだとか・・・・
市販されていないのが残念である。

旅行 | 08:09:42 | Comments(0)
東北旅行
今回の東北旅行・・・・
本来の目的は、6日に開催される法人会青年部会の全国大会に行くことなのである。
が・・・・(笑)
おとなしく、その会議だけに行くなんてことは・・・・ありえない。
場所は岩手県の盛岡・・・・
盛岡往復だけで済むわけがない・・・・(笑)

で・・・考えたのは、とりあえず、最初に行けるところまで行って・・・・という行動計画である。
目的地は・・・・青森県の弘前・・・・
友人たちからは、「盛岡で会議なのに、なんで弘前に行くんだ?」と呆れられたが・・・・
仕方がないでしょ・・・拙者の性格なんだから・・・・(笑)

朝、仙台行きの特急に乗って出発!
約3時間で仙台駅に到着。
それにしても、仙台ってそんなに遠かったのか?(笑)
3時間もかかるとは・・・・・
仙台駅で「牛タン弁当」を買って、新幹線に乗り込み、八戸に向かう。
八戸駅で新幹線から在来線に乗り換え。
1時間ほど余裕があるので、構内でコーヒーを飲んだり、本屋に行ったりして時間を潰す。
八戸駅から特急で弘前に向かう。

DSC01896_convert_20091127223553.jpg(八戸駅)

青森駅に到着すると、今度は前後が逆になって走るらしい。
後ろ向きに走ることになるので、自分で椅子を回転させて進行方向に直さねばならないそうだ。
弘前駅に到着したのは午後4時半頃。
結局、今日は一日中移動だけで潰れてしまった。

駅を出たら、外は雨・・・・
タクシーでホテルに向かう。

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ホテルにチェックイン後、夕食を食べに外に出るが・・・・
居酒屋ばかりで、これといって、食事ができそうな店が見つからない。
そのうち、ピンサロの呼び込みの“おじちゃん”に捕まってしまった。(笑)
まずは、腹ごしらえが先だということで、近くの蕎麦屋を紹介してもらう。
蕎麦屋でカツ丼の夕食・・・・
食事を終えて外に出たら、先ほどの呼び込みの“おじちゃん”が見張っている!(笑)
こりゃ、まずい・・・・と、こっそり路地を抜けてホテルに戻る。(笑)

旅行 | 17:46:33 | Comments(0)
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