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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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棚倉城の門
本日最後の訪問地は・・・・長久寺・・・・・
ここの山門は、棚倉城の二の丸南門を移築したものだという。
棚倉城の建造物で唯一現存するものである。

DSC03090_convert_20090923172246.jpg(長久寺山門)

今日のドライブはここで終了。

「南湖へ行って団子でも食べませんか?」と言われたが・・・・・
この案は却下!(笑)
南湖には平成15年に一度だけ一人で行ったことがある。
6年前になる。
南湖には松平定信の銅像があるので写真を撮り直したいのだが・・・
時刻は午後5時間近・・・
今から行ったのでは、日が暮れていい写真は撮れまい。
果たして5時過ぎに団子屋が開いているかどうかも疑問である。

というわけで・・・・南湖に行かず帰ることにした。

帰宅途中、塙町の和菓子屋へ立ち寄る。
塙駅の近くのこの店の名物に「コンニャク餅」という菓子がある。
拙者はこれが大好物。
幼い頃に家族でドライブした帰りには必ずここで、この菓子を買って帰ったものだ。
で・・・最後に買ったのは・・・・いつだったか・・・
多分、南湖に行った帰りに買ったはずだから6年前だろう。
久しぶりに食べたくなった!
が・・・店に行ったらシャッターが閉まっていた。
定休日なのか商売を辞めてしまったのか・・・・
ショックである!
幼い頃からここの「コンニャク餅」が好きだった拙者としては大ショック!(笑)
よもや、この思い出のお菓子が無くなってしまったんじゃあるまいな。

塙町の「道の駅」に立ち寄り、お買い物・・・・
「コンニャク餅」の棚は売り切れになっていた。
これまたショック!(笑)
ここでも売っているとは知らなかった。
しかし、とにかく「コンニャク餅」がいまだに現存していることだけは確認できたのでひと安心である。
またいつか買う機会もあろう。
何年後になるかわからんが・・・・

今晩の夕食は“シミズくん”に付き合ってもらい外食である。
今日は、史跡巡りをして気分爽快。
出発が遅い時間だった割には結構廻れたのには驚く。
しかも、外食で栄養補給して、これまた満足。
いやぁ~今日はおかげさまで充実した一日であった。


より大きな地図で 長久寺 を表示


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日記 | 17:16:37 | Comments(0)
棚倉城跡に行く
さて・・・・途中でおにぎりを食べたが・・・・腹が減った・・・・(笑)
時刻は2時半・・・・どこかで飯を食おう!
ということで・・・中華店に入り遅い昼食を取る。
なにせ・・・ここは田舎である。
そのうち、どこか食事ができる場所があるだろうなどと言いながら走っているうち、なにもないということになる。
こりゃダメだ・・・ということでUターンして、道を戻り改めて食事場所を探すという無駄な行動を取ってしまった。(笑)
で・・・結局、この店となる。(最初からここに入ればいいものを・・・笑)

DSC03024_convert_20090919231119.jpg(あんかけ焼きそば)

拙者はなぜか初めて入る中華店では焼きそばを頼むことが多い。
なぜだかわからんが、とにかく焼きそばになってしまうのである。(笑)
で・・・初めて入る蕎麦屋の場合は・・・あればカツ丼・・・ということになる。
初めて入った店で蕎麦を食べることは滅多にない。(笑)
自分でもわからないが、変なこだわりがあるのである。

食事を済ませて、ようやく棚倉城跡へ・・・・
7年前に来た時より周辺が整備されている感じ・・・・
前に来た時はこんな感じだったっけ?(笑)
拙者の記憶は結構いいかげんである。

わずかに、あの時はあまり写真を撮らなかったことだけが記憶として残っているのみである。
よって今回は・・・写真を撮るが・・・・いい構図が見つからない!(笑)
だから写真をあまり撮らなかったんだっけと気が付く。
棚倉城は寛永2年(1625年)に丹羽長重(にわながしげ)が築き始めた城である。
で・・・慶応4年(1868年)、戊辰の役で・・・確か、板垣退助の率いる軍の攻撃を受けて落城したのである。
本丸跡にある公民館へ行き、資料が何かないか職員の方に尋ねて、残り少ないリーフレットをもらう。
「展示室は見ましたか?」と尋ねられる。
ん?そんなものがあったのか?
公民館の中に展示室があるとは知らなかった。
立ち寄ってみて正解である。
ここを見学して、お城の土塁のところにある「元帥畑俊六終焉之地」の碑を見に行く。
ここがなぜ畑俊六の終焉の地かというと・・・・
昭和37年に、この棚倉町の忠霊塔の除幕式に畑俊六が来て、祭文を読み終えて席に戻った時にお亡くなりになられたようなのである。
碑文には「焉星と化して昇る」という表現をしているので、死因は不明だが・・・
心臓発作であろうか?

DSC03044_convert_20090919234317.jpg(元帥畑俊六終焉之地の碑)

棚倉城跡を見学後、蓮家寺ヘ行く。
特にこれといったものはなかったが・・・・
墓地に、戊辰の役の土佐藩士の墓があったり、ガダルカナル島で戦死した陸軍の兵士の墓があったりと結構拙者としては感動ものであった。

続いて、都々古神社に行く。
日本武尊がでてくる時代の古い神社らしい・・・・(笑)
が・・・特にこれといったものはなかった。

お寺や神社をやたらとお参りするので、お賽銭をそのつど賽銭箱に入れるものだから、とうとう10円や5円といった小銭がなくなった・・・・(笑)
おいおい、100円は多すぎるだろう・・・・(笑)
“シミズくん”とドライブする時は10円玉をたくさん持って行かねばならないなぁ~こりゃ・・・


より大きな地図で 畑俊六終焉の地 を表示

日記 | 13:04:59 | Comments(0)
塙町を走る
続いて向かったのが・・・・「向ヶ岡公園」
小さな公園である。
ここは寛政5年(1793年)に名代官といわれた寺西重次郎が造った庶民の公園なのだそうだ。
やっぱり・・・「重」という字が名前につく人は偉い人が多いんだよなぁ~(笑)
ここにある石碑などを見て歩く。
その中に、今は亡き伯父の名を発見!
顕彰碑の発起人に名を連ねていた。
久しぶりに伯父の名を見て、伯父を思い出す。
やっぱりこうやって名が残っているというのはいいことだよなぁ~

続いて向かったのが・・・・「安楽寺」
まぁ~なんと素晴らしい名前のお寺だろうか!
成仏出来そうな名前である。
で・・・・ここの墓所に田中愿蔵の墓があるという。
ちょいとわかりづらい細い道を車で登ってお寺に向かう。
こういう時は一人より二人の方が便利である。
こっちは運転するので必死!(笑)
看板や目印までは気が回らない。(笑)

このお寺・・・・
天文23年(1554年)に佐竹義重がが創らせたお寺らしい。
そもそもここにお寺ができた理由は・・・・
むかし、ここは古戦場だったらしく、夜な夜な亡霊が現れ合戦をする音が聞こえ、これに村人たちが怖れてお役所に訴えたらしい。
で・・・領主の佐竹義重が空誉上人というお坊さんを遣わせて回向したところ妖怪が消えたという。
お~怖ろしやぁ~
このあたりに妖怪が出たのかい!
ギョェ~である。(笑)
それで「安楽寺」?
すごい名前を付けたものである。

お墓をお参りして、さて・・・本命の棚倉城跡に向かう。

DSC03004_convert_20090919224418.jpg(田中愿蔵の墓)


より大きな地図で 安楽寺 を表示


日記 | 11:21:53 | Comments(0)
突然のドライブ!
午前10時過ぎ、水戸藩士の“シミズくん”から電話・・・・・
「お天気もいいことですし・・・棚倉にでも行きませんか?」という突然のドライブのお誘いである。
願ったり叶ったり!
どうせ1日中家の中にいたのではよろしくない!(笑)
引っ張り出してくれる友人がいるというのはありがたいものである。

陸軍大将畑俊六の終焉の地が福島県の棚倉城跡。
突然、行きたくなったという。
大いに結構!どこでもいいよ~連れ出してくれるなら~(笑)

早速、車を飛ばして“シミズくん”をピックアップして棚倉に向かう。
以前、かなり前に棚倉城には行ったことがあるのだが・・・・調べてみたら、2002年の1月だった。
ということは・・・7年ぶりの再訪問ということになる。

まずは、途中の塙町にある「田中愿蔵刑場跡」を見る。
「刑場跡の碑」は、「道の駅」にある。
そのすぐ脇を流れる川の河原が刑場跡だったそうで、道の駅が出来た時に、碑をここに移したという。

DSC02987_convert_20090919221716.jpg(刑場跡の河原)

時刻は軽くお昼を過ぎている。
出発が遅かったので仕方がないが・・・・
「道の駅」のコンビニでおにぎりを買って、とりあえずの腹ごしらえ。


より大きな地図で 田中愿蔵刑場跡 を表示




日記 | 10:41:28 | Comments(0)