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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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ドリアンを食べる
ダバオ市中心街に戻る途中、南国のフルーツ「ドリアン」の話題となった。
話では聞いたことがあるが食べたことはない。
嫁さんを質に入れても食べたくなるほどおいしいのだそうだが・・・・(笑)
じゃぁ、食べてみますか・・・・ということで、探してみたが、季節がちょっと外れていて、熟している物が入手できない。
道路沿いの屋台の果物屋で、冷凍ドリアンならあるという店を見つけたので、これを買ってみる。
さて・・・問題はどこで食べるかだ・・・・・
匂いがきついので、ホテルなどへの持ち込みは厳禁という果物である。
できるだけ周囲に迷惑をかけない場所・・・・・どこか広い場所で食べねば・・・・
ということで選んだのが旧ダバオ空港ターミナル・・・・(笑)

DSC_0452_convert_20090705113902.jpg

ここの駐車場なら広いので、匂いがきつくても大丈夫だろう。
このターミナル・・・・以前、爆弾テロで爆破され、そのまま放置されている。
殆ど廃墟状態。
で・・・滑走路を挟んだ反対側に現在のダバオ空港ターミナルを新設したらしい。
たった1回の爆弾テロで建物を放棄したというのだから信じられない。
外観では窺い知れないが、修復不能なほど内部が破壊されたのだろうか?
まだ使えそうに見えるんだけどなぁ~

DSC_0454_convert_20090705114545.jpg(フェンスの隙間から駐機場を撮影)

で・・・ここの誰もいない駐車場で「ドリアン」を食べてみるが・・・・
う~ん・・・・どこがおいしいんだろう?(笑)
嫁さんを質に入れてまで食べたいというほどじゃないんだけど・・・・・(笑)
決してマズイわけじゃないが、かといって、頬っぺたが落ちるほどおいしいというわけでもなかった。
(慌てて食べてしまったので・・・・写真を撮るのを忘れた!)

このダバオ空港は、戦時中は日本軍の滑走路があった場所ではないかと思う。
「ササ」という場所に日本海軍の航空基地があったが、位置的に、このばしょがその「ササ基地」のように思われる。
“フジイさん”は海軍の少年兵だったが、所属は海軍航空隊の飛行場整備部隊だったという。
尋ねてみたが・・・・当然のことながら思い出せないという。
当時はわけもわからず、とにかく爆撃された滑走路の穴を埋めたり、上官の命令であっちこっちに飛び回っていたので、自分がどこにいたのかよく覚えていないという。
そういうものかもしれない。
とにかくダバオ周辺のいくつかの飛行場の何ヶ所かを転々としていたというから、多分、ここにも来ていたと思う。
が・・・・当時を物語るものは何も残っていない。

時刻は6時・・・・・
そろそろ夕食にしよう・・・・ということで、市内の海鮮レストランで食事をとることにする。

DSC_0463_convert_20090705115915.jpg(レストラン)

このレストランは、どうやら韓国人のお店らしい・・・・
客はほとんどが韓国人だった・・・・
味は悪くない・・・・結構おいしかった。

DSC02781_convert_20090705120254.jpg

今日の旅はこれで終わり。
“フジイさん”もお元気で一日中見て回ってくれたのでホッとした。
ダバオは今日が最後・・・・明日はマニラに戻る。
“フジイさん”にとって、今回の旅の一番の思い出は、同じ元少年兵の“アモイさん”に会ったことだという。
「最高の旅だった」と言っていただきホッとした。

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旅行 | 16:14:51 | Comments(0)
歴史資料館へ行く
一息ついて・・・・ここからUターンして戻ることにする。
もう少し奥地まで走ってもいいのだが・・・・
あてもなく走るというのも“フジイさん”を疲れさせてしまうだろう。
今回は、ここで引き返すこととする。

で・・・・カリナンの町まで戻ったところ、「ここには歴史資料館がある」とドライバーが言う。
「行ってみますか?」とのことなので・・・・ぜひ!(笑)
資料館や博物館は拙者の「好物」(笑)
ここは我がままをさせてもらい、“フジイさん”にはお付き合い願う。

住宅街の中の細い道を右へ左へと曲がり・・・・到着。

DSC_0434_convert_20090703154253.jpg

門の所に大きな看板と横断幕があるが、幹線道路際に看板らしきものが見当たらないので、知る人ぞ知る・・・という感じ。
看板には「フィリピン・ジャパン・ヒストリカル・ミュージアム」と英語で書かれている。
もう一つの看板には「フィリピン・ニッケイジンカイ・インターナショナルスクール・オブ・ダバオ」と英語で書かれている。
この資料館には日系人会が運営している日本語学校が併設されているらしい・・・
いや・・・日本語学校に併設されている歴史資料館なのかもしれない。

常駐のガードマンに門を開けてもらい敷地内に入る。
不思議なことに、彼はなにも尋ねず、すんなりと中に通してくれた。
まぁ~どこから見ても我々は日本人にしか見えないもんなぁ~(笑)

DSC_0437_convert_20090703155234.jpg(左の建物:日本語学校、右の建物:資料館)

内部にはダバオと日本人の歴史に関する資料が展示されていた。
原住民の古写真、日本人移民の古写真、戦前の町の手書き地図(○○商店とか××床屋などと書き込まれている)などが展示されている。
更に、日本語学校の生徒の研究発表らしきものが日本語で展示されていた。
それによれば、初日に行った捕虜収容所跡には、どうやら記念碑があったらしく、現在は別の場所に移転されていることがわかった。
いやぁ~こりゃ、なかなかお勉強になる。(笑)
ここに立ち寄って正解であった。

DSC_0401_convert_20090703173357.jpg(資料館内部)

時刻は3時過ぎ・・・・・
まだもう少し動き回れそうだ・・・・
次に向かったのが、カタルナングランデというところにあると言われている慰霊碑。
これまた正確な場所はわからない。
このへんかな・・・というところで何人かの住民に尋ねたら、トライシクル(オートバイに座席を付けた3輪車)のお兄ちゃんが先導して案内してくれた。
あれ・・・この道・・・・さっき通った・・・・
我々は通り過ぎていた!(笑)
この幹線道路の脇道を少し入ったところに、その慰霊碑があった。
目立たないよなぁ~
これじゃ通り過ぎるのも無理はない。

DSC_0450_convert_20090703193247.jpg

慰霊碑は「YAMADA MUMON」という人が建てた「平和」という碑と、「眠」と書かれた個人の戦没者の慰霊碑。
もう一つ、1986年に歩兵第9連隊戦友会が建てた碑のコンクリートの土台が残っていた。
上部が破壊されているので、どういう碑だったのかはわからない。
歩兵第9連隊はレイテ島で玉砕しているはずだが・・・・
このミンダナオ島にも一部が派遣されていたのだろうか?

DSC_0448_convert_20090703194222.jpg

この慰霊碑にお線香をあげてお参りをする。
と・・・・この土地の持主の“じい様”がやって来て、やたらとしつこく話しかけてくる。
しかし・・・この“じい様”の話がさっぱりわからん。
それもそのはず・・・・ビサヤ語らしい。(笑)
この“じい様”の娘さんたちは英語が話せるので通訳してもらったところ、「最近は日本人が全然来ないので資金不足だ」という。
「慰霊碑の周辺も整備したり、道ももっと良くしたいのに金がない。」
だから・・・・「金をくれ」・・・・ということらしい。
言いたい気持ちはわからんでもない。
日本人が慰霊碑を建てたはいいが、その後は高齢になったり、戦友会が解散したりで、誰も来なくなり放置状態・・・・
土地を提供した人にとっては、当初は収入源でも現在では「お荷物」である。
しかし・・・・道を良くするとか、という前に、道路際に看板を立てたらどうだろうか?
慰霊碑がどこにあるのかわからないので我々は通り過ぎてしまったのである。
道路際に看板を出しておけばすぐにわかる。
周りには何もない直線道路なんだから・・・・・
そうすれば、日本人観光客も立ち寄るかもしれないし、多少の寄付ももらえるだろ?
「まずは看板を立てなさい。看板に日の丸を描けば日本人がすぐわかるから、そういう看板を立てなさい」と伝えて、看板代を渡す。
さて・・・実際に看板を立てるか、それとも酒でも飲んで使っちゃうのか・・・・知らないけど・・・(笑)
いつか確認に来てみようか?
もし看板が立っていなかったら・・・・この“じい様”をとっちめてやろう(笑)

旅行 | 15:02:02 | Comments(0)
少年兵同志・・・・
昼食後、一服して・・・・・
更に北の山の方へ向う。
目的地はタモガンという場所。
ここに慰霊碑があるという。
約1時間走る・・・・・
ダバオ川に流れ込むスワワン川という支流がある。
略図では、これが目印・・・・・
あの川がそうじゃないか?
この川がそうじゃないか?
・・・・と散々迷うが・・・・
スワワン橋という名がついた橋があったので・・・・これがスワワン川であろう。

DSC_0354_convert_20090703131214.jpg

ということは・・・タモガンの近くに来ているということになる。
付近の住民に日本の慰霊碑が近くにないかと尋ねながら車を走らせる。
そのうち、日系人が日本の慰霊碑を守っているとの情報を得た。
とにかく、その人の家に行ってみよう・・・ということで、その人の家探し。
その方のお名前は“アモイさん”という。
日本人名は“サカイさん”
何故かみんな彼の名前を知っている。
あとでわかったことだが・・・・“アモイさん”の息子さんはここの村の村長さんだった。(笑)

幹線道路から細い脇道に入り、まもなく小さな集落に出合う。
ここに“アモイさん”の家があり、ご本人が在宅とのことで、お会いすることができた。
綺麗で丁寧な日本語で挨拶されて驚いた。
ご自宅の敷地内に慰霊碑があるというので御案内いただく。

DSC_0355_convert_20090703132828.jpg

慰霊碑は独立歩兵第353大隊(山田部隊)の生還者が建てたものだった。
“アモイさん”は日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた日系二世。
日米開戦時には給仕として日本軍に協力したという。
終戦間際に現地召集され兵隊として日本軍に入ったという。
そういうわけで、自宅の土地を提供して、今でも慰霊碑を守っているという。
現在82歳・・・・ということは・・・“フジイさん”より1歳年下。
この話に“フジイさん”が大感激!
泣きださんばかりの顔をして「お互い長生きして頑張ろう」と握手。
海軍の少年兵と陸軍の少年兵・・・・・
直接の関係はないが、同じ少年兵・・・同じ年代で同じ場所で戦ったということで、やっぱり特別な感情が生まれるのだろう。
二人して手を握り合って・・・・ウン、ウンうなずいてばかりいる。
“アモイさん”は戦前にフィリピンで生まれた日系人。
戦後はフィリピンに留まったが・・・・
今日までの苦労は並大抵ではなかっただろうなぁ~と思う。
終戦直後は迫害も受けたのではないだろうか?
今では息子さんが村長さん。
村でもそれなりの評価を受けているということだろう。
これも“アモイさん”の人柄か・・・・

“アモイさん”に現在地をお尋ねしたら、「スワワン・マリログ地区」と言う。
戦時中は「タモガン」と呼ばれていたそうだ。
タモガンというのは、かなり広範囲な地域を指していたようである。
戦後の行政区分か何かで細かく名称がつけられたのだろう。

ご家族に別れを告げて、更に北に行ってみる。
10分も走らないうちに道路わきに小さな公園があり、その中に慰霊碑が建っていた。
日本語で「平和友好」「納骨堂」と刻んである。
日本語と英語の碑文も刻んである。
2003年に邦人ダバオ移民100周年記念、20005年に終戦ダバオ引揚60周年記念の文字も見える。
ここにもお線香をあげてお参りする。

DSC_0373_convert_20090703141302.jpg

拙者の略図の資料では「陸軍拠兵団慰霊碑」がタモガンにあると記載されているが、これは別の慰霊碑のようである。
本来の目的地ではなさそうだが・・・
まぁ、今回は慰霊碑めぐりが目的じゃないから、ここでいいということにしよう。

DSC_0381_convert_20090703141839.jpg(記念碑から見た景色)

このタモガン山中には多くの日本兵や在留邦人の骨が埋まっている・・・・・

公園に来ていた子どもたちに飴をあげたりして「親睦」(?)を図り・・・・
公園にはトイレも完備されていたので“フジイさん”には「強制的に」(笑)トイレに行ってもらう。
で・・・・・このトイレ・・・・表記が面白い。

DSC_0385_convert_20090703142453.jpg

日本語で「女」、その下に英語でSHE(彼女)と書かれている。(笑)
男子の方は、日本語で「男」、英語でHE(彼)である。
まぁ~意味がわからんでもないが・・・・彼とか彼女というのは面白い。(笑)

旅行 | 14:48:35 | Comments(0)
ミンタルの日本人墓地
さて・・・時刻は10時ちょっと過ぎ・・・・ちょっとお腹が空いたなぁ~
バナナでも食べたいものである。(笑)
ということで、途中で道草してバナナを買うことにする。
“フジイさん”は戦時中、ダバオでバナナを食べた記憶があると言っていたので・・・・食べましょう!
懐かしいでしょ?64年ぶりのダバオのバナナですよ~(笑)
今じゃバナナなんて珍しくもないが・・・・
いつでも食べているんだろうけど・・・
ダバオのバナナをダバオで食べるってことに価値があるというものである。

DSC_0318_convert_20090630180647.jpg

今回の旅は残念ながら記録をつけながら・・・・というわけにはいかない。
自分のことより“フジイさん”の様子を常に見ていなくてはならないので、どうしても記録をつけるというのを忘れてしまう。
で・・・このバナナを買った場所の名前も聞くのを忘れてしまった。

20分ほど走り、ダバオ川を渡る。
ということは・・・・南東から西に向かうってことだな・・・・

DSC_0323_convert_20090630181520.jpg(ダバオ川)

川を渡って今度は北上。
ミンタルという町の近くにある墓地に行く。
ここはもともと戦前は日本人墓地だった場所。
いまでも昔の日本人のお墓が2つばかり残っているが、戦後ははフィリピン人の墓地となっている。
ここに「戦争犠牲者の慰霊碑」という慰霊碑があるのでお参りする。

DSC_0335_convert_20090630182411.jpg(旧日本人墓地)

墓地には、お墓参りに来ていた家族がいた。
おばあちゃんと一緒に子供達がたむろしていた。
で・・・“フジイさん”・・・・
バッグの中から飴を取り出して子どもたちに配り始めた。
日本語で何か言いながら突然飴を配り始めたので子どもたちも一瞬戸惑ったようだが・・・
しかし・・・こういうちょっとした交流はいいものだ。
お互いにいい思い出が残ってくれたらありがたい。

DSC_0332_convert_20090630193709.jpg

旧日本人墓地から10分もかからない近い場所に「日本の記念碑」があるという。
どうやら、このダバオにあった太田興業(株)の記念碑らしい。
“フジイさん”はこの会社の事はよく覚えていた。
戦前からダバオでは有名な会社だったそうだ。

DSC_0343_convert_20090630211148.jpg

この記念碑は学校の敷地内にあるが、残念ながら門が閉まっていたので遠くから眺めるしかなかった。
この学校・・・・実は戦前は日本人小学校だった場所である。
ミンタル日本人小学校というらしい。
戦後、フィリピンの公立学校に変わっている。

ここから更に20分弱ほど車を走らせ・・・・時刻はちょうど12時。
多分・・・・カリナンという場所だと思うんだけど・・・・
どこかでお昼を食べねば・・・・と・・・選んだ場所は・・・・パン屋さん!(笑)
今日のお昼はお弁当・・・車に積んである。
だから、パンを食べようというのではない。
パン屋の軒先を借りようっていう話らしい。(笑)
お店の「看板娘」にお願いしてテーブルと椅子を借りて、そこでお食事となる。
で・・・タダで借りたんじゃ悪いから・・・コーラを買う。(笑)

DSC_0348_convert_20090630232454.jpg(お店の前の道)
DSC_0349_convert_20090630232739.jpg(パン屋さん)
DSC_0353_convert_20090630232947.jpg(お弁当)

旅行 | 12:54:43 | Comments(0)
コーラ代を踏み倒す!
更に北上する。
略図の資料によると、カラワという場所に海軍の第32特別根拠地隊の慰霊碑があるらしい。
で・・・そこに向かったのだが・・・・
部隊名は日本語では知っているが・・・・英語では何て言うのだろう・・・・
「え?何ていう碑があるんですか?そこに・・・」と“ステラさん”に尋ねられても「根拠地隊」としか言いようがない。
彼女は日本語が流ちょうだが、さすがに「根拠地隊」の意味はわからない。
となると・・・当然、ドライバーにも伝えられない。
「とにかく、そのカラワとか何とかって言う場所に向かってくれ!」と言って車を走らせる。

DSC_0281_convert_20090624170108.jpg

北へ向かう道・・・・一部が舗装されているだけで、ほとんどがガタガタ道・・・・
とにかくスピードが出せない・・・・
何たることぞ・・・・舗装すりゃ、もっと交通の便が良くなるのになぁ~と思う。
途中でトイレ休憩・・・・・といっても“フジイさん”のための「立ちションベン」休憩である。(笑)

「神社山」から1時間ぐらいガタゴト揺られてやって来たところ・・・・そこはバナナ畑であった。
道路がバナナ畑を突っ切っている。
で・・・ここで一度下車して一服することにした。
長時間車に揺られるのも辛いものがある。
ガタゴト揺られて、お尻も痛いし・・・・同じ姿勢で座っていて「エコノミー症候群」になっても・・・ねぇ~
“フジイさん”をあまり疲れさせても良くない。

DSC_0288_convert_20090624170904.jpg

ここのバナナは輸出用のバナナで、日本などに輸出されているそうだ。

DSC_0289_convert_20090624171336.jpg(バナナ畑)
DSC_0287_convert_20090624171554.jpg(バナナの花)

このバナナ園から更に車を走らせること約10分で、どうも目的地周辺に到着したらしい。
「で・・・どのへんでしょう?」と“ステラさん”。
拙者は知らないって!(笑)
近くのおじさんに「この近くに日本軍の慰霊碑があるか?」と尋ねたら、自転車で先導して案内してくれた。

DSC_0300_convert_20090625130650.jpg(道の左側のフェンスに囲まれた中に慰霊碑がある)

さて、これが探していた海軍第32特別根拠地隊の慰霊碑かと思ったら・・・
あれ?
『第103海軍軍属・経理・運輸部ダバオ支部工員の碑』となっている・・・・
あれれ?どうも違うぞ・・・・
しかし、まぁ、これも縁というものである。
お線香をあげてお参りする。
で・・・特別根拠地隊の碑はどこにあるのだろうか?
村人に聞いても知らないという。
日本の慰霊碑はこれだけだという。
略図だけを頼りに来たからなぁ~
村の名前を間違えたのか・・・・それとも村人もよく知らないどこか近くに別にあるのか・・・
そもそも、この資料自体が間違っているのか・・・・

と・・・この慰霊碑を管理しているおばあさんがお店をやっているというので、ぜひ立ち寄ってくれと言われる。
「どうします?」と“ステラさん”に言われたが、せっかくだから挨拶に伺うことにした。

DSC_0302_convert_20090625141443.jpg(慰霊碑の管理人さんのお店)

「お店に寄ってくれというのは、いくらかでもお金を落としてくれってことじゃないでしょうか?」と“ステラさん”
「まぁ~いいんじゃない?何か買ってあげましょう!そうだ、コーラでも飲みますか!」
というわけで、案内してくれた自転車のおじさんにもコーラを差し上げ一服・・・・・

隣の建物の周りに人が集まっている。
ゴーゴーとすごい音を出しながら機械らしきものが動いているので見に行ったら、その建物は精米らしい。
写真を撮ったら・・・
「こんなもの何が面白くて写真なんか撮っているのだろう?」という顔でみんなはキョトン!(笑)
「いやぁ~すみませんね~ちょっと、お邪魔しますよ~」

DSC_0305_convert_20090625151003.jpg(精米場?)
DSC_0306_convert_20090625151251.jpg(精米機?)

おばあさんが、「昔の写真があるので見ますか?」と言うので、ご自宅にお邪魔させていただき昔のアルバムなどを見せてもらいながらお話を伺った。
そもそもこの慰霊碑のために土地を提供したのは、今は亡きご主人だそうで、その後、戦友会や関係者がこの御夫婦を日本に招待して、かなり長期間日本中を旅行させてもらったという。
昔は手厚く感謝の意を表していたようである。
今では、慰霊碑に訪れる人はほとんどいないとか・・・・
果たしてそれでいいのだろうか・・・・と考えさせられる。

30分ほど写真を見ながら思い出話を伺う。
で・・・帰るときに「これからも慰霊碑の管理をよろしく」ということで、拙者が代表して少しばかりお金を渡した。

で・・・みんなに見送られ・・・・出発!
略図では、このまま先へ進めるような気がするのだが、ドライバーは一度来た道を戻って、それから次の場所へ向うという。
単純に言えば、道路はダバオの中心街を起点としたV字型をしている。
ダバオまで戻ってそこからまた別の道を北上するというのだ。
う~ん・・・略図ではV字の頂点を横切る道、形で言うと逆三角形(▽)となる道があるんだけど・・・
なんでまた遠回りするのか・・・・わからん・・・・

しばらく走っていて・・・・ふと、思った・・・・
あれ?コーラ代・・・・誰が払ったんだろう?
“ステラさん”に尋ねたら払っていないと言う!
拙者も払った覚えがない!
ということは・・・・・・・やっちゃった!
おばあさんとのおしゃべりに夢中になって、お店で買ったコーラ代を払うのを忘れた!(笑)
今頃・・・怒っているんじゃないか?
お金は持っているけど・・・・無銭飲食・・・しちゃった!
「あのおばあさんにいくらか渡したんでしょ?」と“ステラさん”
それならいいんじゃないか・・・・と彼女は言うが・・・・
それとこれとは違うでしょ。
今更戻って・・・・というのも何だしなぁ~(笑)

あ~あ~コーラ代を踏み倒しちゃった!(笑)

旅行 | 11:43:07 | Comments(0)
神社山?
午前5時過ぎ起床!
6時に“フジイさん”の部屋を訪ねたら、すでに準備万端整えて待っていた!(笑)
6時半、朝食。
レストランのウェイトレスが話しかけてきたので、片言の英語で話をする。
彼女のおじいさんは日本人だという。
つまり、彼女はクォーター。
日本語は話せないが、おじいさんが日本人ということで日本人に親近感をもっているようである。

DSC02777_convert_20090621210129.jpg DSC02778_convert_20090621210400.jpg
(朝食はパンとオムレツとコーヒー)

今日はダバオ中心から北西の内陸部へ入って行く予定。
とはいっても・・・・ダバオからは離れない。
ミンダナオ島の西部は、明らかに危険地域・・・・フィリピンゲリラの勢力範囲。
北部もあまり安全ではなさそうである。
だから・・・・無茶はしない。

DSC_0275_convert_20090621231047.jpg

移動途中の車窓から大きな山が見えた・・・・・
「アポ山」である。
標高2,954m、フィリピンの最高峰だという。
う~ん・・・・・山の形のせいだろうか?
最高峰っていうふうには見えない・・・・(笑)

まず最初に向かったのが、ラパンダイという名前の地域にある「神社山」と呼ばれた場所。
だが・・・「神社山」は日本軍が名付けた場所だ。
ドライバーもガイドの“ステラさん”も知らないという。
拙者の手元には略図しかない・・・・
略図じゃ正確な位置がわからない・・・・
「神社山」には海軍陸戦隊がいて、昭和20年6月7日から8日にかけて米軍と激しく戦った。
しかし、その「神社山」の手前には「嵐山」と名付けられた場所もある。
ここには海軍陸戦隊本部と戦闘指揮所があったらしい。
こうなると・・・わからねぇぞ~(笑)
“ステラさん”はしきりに「どのあたりですか?」と尋ねてくる。
う~ん・・・・こうなると、どっちがガイドかわからない。(笑)

DSC_0280_convert_20090621225954.jpg

この山じゃないかなぁ~という場所で車を止める。
で・・・「誰か地元の人に、この山に日本軍がいたかどうか聞いてくれ」と“ステラさん”に頼む。
で・・・彼女が尋ねた相手は・・・近くをブラブラしていた若い男女。
「知らない」という・・・・
あのね・・・そんな子供が知っているわけないでしょ!
尋ねる相手が的外れ・・・・(笑)
もっと年寄りに声をかけなくっちゃ・・・と言っても、年寄りが見当たらない。
この三角山・・・・直観的に「神社山」っていう感じだ。
確証は全くないが、暫定的に、ここを「神社山」っていうことにしよう。(笑)
等高線入りの正確な地図が欲しい・・・・
入手しできたら再確認だ。

旅行 | 10:56:46 | Comments(0)