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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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八高寮歌伊吹颪碑
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八高寮歌伊吹颪碑

「伊吹おろし」は第八高等学校の寮歌である。
大正5年作詞中山久氏作曲三橋要次郎氏によって成り、中京の代表的学生愛唱歌として、八高生は勿論広く一般青少年に親まれた。
今年八高創立50周年に当り同窓生相会し懐旧の情に堪えず、旧八高校舎に程近い鶴舞公園内にこの碑を建て名曲を後世に残さんとするものである。
昭和33年6月1日
八高創立50年記念事業実行委員会

(碑文より)

伊吹おろしの碑

旧第八高等学校の寮歌「伊吹おろし」を刻んだ記念碑。
八高創立50年を記念して昭和33年、鯱ヶ池ほとりのこの地に建てられた。
鯱ヶ池は明治41年につくられた池で、雌雄2頭の鯱(シャチ)の形をしていた。
戦後埋め立てられ、昭和37年からはベビーゴルフ場となっている。

(説明板より)

八高寮歌伊吹颪碑


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史跡 | 15:35:06 | Comments(0)
旧昭和塾堂
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城山八幡宮昭和塾堂(末森城二の丸跡)

昭和3年、愛知県により青年教育・社会教育を目的とし、「人づくりの殿堂」として建設されたものである。
4階建ての塔を中心に下部には2階建て鉄筋コンクリート造りの本館が三方に伸び、「人づくり」を表現するものとして、真上からも横からも「人」文字形に見える様に設計されている。
内部には300人収容の講堂・教室他、諸設備を整え、総合社会教育施設として活用されたものである。
現在は県より移管を受けた八幡宮の施設として管理保存されている。
又、ここは末森城二の丸跡でもある。

城山八幡宮社務所

(説明板より)

旧昭和塾堂




建物 | 15:11:57 | Comments(0)
城山八幡宮
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城山八幡宮略記

沿革
当宮は往古、末森城の麓に鎮座し500年以上前から産土神(うぶすなのかみ)・勝運守護の神として崇敬を集めてきたと伝えられており、昭和11年に境内地であった現末森城址に遷座した。
末森城を築いた織田信秀(信長の父)信行(信長の弟)を始め尾張藩主等、戦国・江戸時代を通じ武将の篤い崇敬を集め、現在も名古屋の東の守り神として「厄除開運・交通安全・勝運守護」の御神徳が信仰されている社である。
二重堀を廻らした約10000坪の境内地はその殆どが史跡末森城址と重なり、室町時代末期における平山城(ひらやまじろ)の城址として原形に近い姿を伝えている。
社殿は本殿、弊殿、拝殿、廻廊からなり、末社には山神社、神明社、津島社、豊玉稲荷社を祀っている。
境内には堀を廻る散策路に沿って「茶室洗心軒」「末森城址碑」「昭和塾堂」「連理木(れんりぼく)」「殉国碑」等の見所がある。

城山八幡宮社務所

(説明板より)

城山八幡宮


史跡 | 14:44:42 | Comments(0)
相応寺
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相応寺

宝亀山と号し、浄土宗鎮西派。
寛永20年(1643)尾張藩祖徳川義直が、母相応院おかめの方の菩提のため建立した。
慶安3年(1650)義直の遺体を当寺に安置して供養し、のち定光寺に葬った。
山門額と本堂の額は義直の直筆で、本堂は寛永20年創建当時のものである。
この寺はもとは東区山口町にあったが、昭和の初めにこの地に移された。

名古屋市教育委員会

(説明板より)

相応寺


史跡 | 14:30:45 | Comments(0)
名古屋(2)
さて・・・次に向かったのは近くの相応寺。
名古屋の相応寺にフィリピンで戦っていた独立歩兵第11連隊の慰霊碑があると聞いたことがある。
しかし、調べてみると名古屋には「相応寺」というのは2ヶ所あるらしいことがわかった。
さて・・・どちらの相応寺に慰霊碑があるのだろうか・・・・
ということで、勘に頼って千種区にある相応寺に行ってみる。

ちょいと狭い道に入り目立たない場所にあるので探すのにちょっと苦労したが、なんとか辿りついた。

DSC02671_convert_20090523214233.jpg(相応寺)

しかし、門から中に入るにはちょっと勇気がいる。
小さなお寺なので、どうしても個人の家の庭に入るような感覚・・・・
不審者に間違われるんじゃないかと少々ドキドキしながら境内を歩く。
で・・・・探したら・・・・あった!あった!慰霊碑が・・・・
勘が当たった!
さすがである!(自画自賛)

DSC02663_convert_20090523214910.jpg(慰霊碑)

更に境内を散策・・・・
石段のところで間近に桜の花を見ることができたので・・・・パチリ!(笑)

DSC_0044_convert_20090523215249.jpg

ここから10分ほど歩いたところに「城山八幡宮」という神社があるらしい。
どんな神社なのか行ってみるかぁ・・・・
何か石碑のようなものでもあるのでは・・・・
で・・・境内を散策したら・・・・あった!
なんと!末森城跡の碑!
あらぁ~ここは昔、お城だったのかぁ~

DSC02672_convert_20090523220236.jpg(城山八幡宮)

神社周辺を散策。
お城跡と言っても、残っているのは空掘りのみ。
二の丸跡には「旧昭和塾堂」という古い建物が建っていた。
なぜかこういう昭和初期の建物を見ると懐かしく感じるのである。

時刻はちょうどお昼・・・・
腹も減った・・・・
神社周辺には何もないので、大通りに出て喫茶店を見つけ、そこでランチを食べる。

さて・・・次は・・・・
地下鉄とJRを乗り継いで鶴舞駅前にある鶴舞公園へ行く。
ここに伊藤圭介という人の銅像があるはず・・・・
この人・・・名古屋が生んだ科学者らしい・・・・
日本最初の理学博士なのだとか・・・・(よく知らないんだけど・・・)
中央図書館の前にそれはあった。
見っけ!見っけ!(笑)
さぁ、写真を撮ろうと思ったら、銅像の後ろに20代の女の子が隠れている。
邪魔なんだけど・・・・
あんたが写っちゃうんだけど・・・・
カメラを構えて待つこと数分・・・・
彼女と睨めっこ・・・・
だいたい、カメラを構えている人が目の前に立っていたら・・・・普通はわかるでしょ?
あ~邪魔なんだなって思って移動するでしょ?
ところが彼女は動かない・・・・
まもなくその理由がわかったのである。
彼氏とかくれんぼをしていたのである!
馬鹿か・・・こいつら・・・・いい歳して・・・・

その後、公園内を散策したが・・・・
ここは桜の名所らしいが、今日は月曜日。
平日だからそれほど人はいるまいと思ったのが間違い。
やたらと人が多い。
公園内の公会堂で名古屋工業大学の入学式をやっていたのである。
お昼過ぎで入学式が終わったのか、学生や父兄が周辺の桜の木の下にたむろしている。
これに「お花見」の客も混じって大混雑。
そそくさと人ごみの中をかき分け鶴舞駅に行き、そこから名古屋駅に向かう。

DSC02721_convert_20090524001616.jpg(鶴舞公園の桜)

今日は東京へ移動して1泊の予定。
というわけで・・・夜は時間が空くので、いつもの上野で“カジさん”と5時半に待ち合わせする約束をしている。
久しぶりにお会いして食事しながらおしゃべりをすることにした。
遅刻したら大変である。
名残惜しいが(笑)、名古屋の「ぶらり旅」はここで切り上げて急いで新幹線に乗り東京へ向かう。

旅行 | 13:34:12 | Comments(0)
日泰寺奉安塔
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日泰寺奉安塔

日泰寺は、タイ国王(当時シャム国)より贈られた仏舎利(釈迦の遺骨)を奉安するため、明治37年(1904)いずれの宗派にも属さない単立寺院として創建された。
この奉安塔は仏舎利を祀るもので、この姿はガンダーラ式と呼ばれ、日本や中国の仏塔の祖形と考えられる。
高さ15メートル、全国でも稀に見る一大石造塔である。
昭和62年1月、県の有形文化財に指定された。

名古屋市教育委員会

(説明板より)

日泰寺奉安塔

史跡 | 12:53:58 | Comments(0)
日泰寺
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覚王山 日泰寺

タイ(シャム国)国王から寄贈された釈迦の舎利(遺骨)をまつるため、明治37年(1904年)建立されたわが国唯一の超宗派の国際的寺院である。
山号は釈迦を表わす“覚王”、寺号は日タイの友好を願い“日泰寺”と名付けられた。
ガンダーラ式奉安塔は、全国でもまれな一大石造塔である。

(説明板より)

日泰寺



史跡 | 11:42:06 | Comments(0)
名古屋(1)
昨晩、名古屋に宿泊したのは特に理由はない。
真っ直ぐ東京へ戻っても良かったのだが、それもつまらないので名古屋に泊まることにしただけ。
で・・・・困った・・・・・
さて・・・・今日1日をどうやってつぶそうか・・・・(笑)

いつも名古屋駅周辺を歩くので、今回はちょっと離れたところを「ぶらり旅」してみるか・・・・
ということで、千種区周辺を歩くことにする。
地名と言うのは難しいもので、「千種」って「ちだね」と読むのかと思ったら「ちぐさ」と読むらしい。
なんで「種(たね)」を「くさ」って読むのだろうか?
わからねぇ~

最初に行ってみたのが「日泰寺」・・・・
地図に赤字で書かれていたお寺なので、なにか有名なお寺なのかな?・・・と思ったので行ってみる。

DSC02630_convert_20090523160819.jpg(日泰寺)

かなり大きなお寺である。
説明板によると、タイの国王から寄贈された釈迦の骨を祀るために建てられたお寺だそうで、日本とタイとの友好を願って「日泰寺」と名付けられたそうだ。
境内でタイのチュラルンコン大王と言う人の銅像をみつけ!
ラッキー!(笑)
どういう人か知らないけど・・・とにかく銅像の写真を撮る。
境内の桜は満開!!
う~ん・・・いい時期に来たぁ~(笑)

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さて・・・次はどこへ行こうか・・・・
少し離れた所に「日泰寺舎利殿」というのがあるらしいので行ってみることにした。

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ここの奉安塔は県の有形文化財に指定されているらしいのだが・・・・
手前までしか入って行けず、それ以上は立ち入り禁止。
で・・・肝心の奉安塔は見られない。(笑)
文化財に指定されているのに見られない!
なんとケチな話か・・・・ガッカリである。
ガンダーラ式の全国でもまれに見る高さ15メートルもある一大石塔・・・と説明板に書かれているのだが・・・
見られないのでは、ガンダーラ式ってどんなものなのかわからんじゃないか!
大石塔と言われてもねぇ~
見せてもらえないんじゃどのくらい大きいのかわからんじゃないか?
わざわざ歩いて来て損をした。(笑)

ついでに周辺を散策。
日泰寺霊堂の近くに何やら古い大きな塔を発見!
あの形・・・・軍関係の塔である!

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塔の一番てっぺんの砲弾の形をしているところに「第1軍戦死者記念碑」と書かれている。
どうも日露戦争の記念碑らしい。
珍しいものを見つけてしまった。(笑)

旅行 | 10:47:24 | Comments(1)