投稿日:2009-04-30 Thu
英語ができないと嘆いていても仕方があるまい・・・・(笑)何か少しでもせねば・・・・
“キングさん”の手紙に触発されて・・・・
ちょっとでも英語に触れておこうかな・・・・と思う。
何もせずにいるより、少しでも触れていれば少しは違うんじゃないか?
ちょいと甘い考えだとは思うが・・・・
この甘さが拙者が進歩しない最大の原因とはわかっているのだが・・・・
性格だからどうしようもない。(笑)
で・・・・考えたのは・・・・英和辞典を読むこと。(笑)
だいたい、辞書というものは“引く”ものである。
意味のわからない単語を見つけたら、辞書を“引いて”調べるのである。
だから・・・英和辞典というのを最初から最後まで、すべてのページに目を通すということはない。
必要なページしか見ないんだから・・・・永遠に開かないページもあるわけ・・・・
特に拙者のように英語が嫌いな人は・・・・(笑)
で・・・読むことにしてみた。
Aから始まって・・・・・
なんとも退屈な読書であるが・・・・
アルファベットに少しでも触れていれば、そのうち何かの役に立つ日が来るかも。(笑)
しかし、どうしても英単語を見ると、「暗記せねば・・・」と思ってしまう。
いや、イカン、イカン・・・・
暗記をしようなんて思っちゃいけない。(笑)
これは、あくまでも「読書」なんだから・・・・・
そう自分に言い聞かせながらページをめくるが・・・・
う~ん・・・・つまらねぇ・・・・(笑)
初日は2ページで飽きてしまった・・・・・
さて・・・こんなバカバカしいことをいつまで続けられるだろうか・・・・(笑)
三日坊主で終わりそうな予感がするなぁ~
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投稿日:2009-04-30 Thu
海外からエアメールが届いた。誰かなと思ったら・・・・“キングさん”
この間のグアム島でお世話になった方である。
日本で働いたことがあるそうで、日本語はペラペラ・・・・
手紙はワープロを使って日本語で書かれている。
完璧な日本語の手紙には驚いた。
先日、ポナペ島へ行った時に日本軍の軽戦車を操縦してきたそうで、その時の写真も同封されていた。
いやぁ~うらやましい限りである。
そうかぁ~ポナペ島には実際に動く戦車が残っているのかぁ~
行ってみたいものである。
それにしても“キングさん”の日本語はすごい。
それに比べて拙者は英語が読めない書けない話せない。(笑)
この違いは一体何だろう?
そもそも拙者には語学の才能がないのだろうなぁ~
“キングさん”が日本語を使いこなすのと同じくらい、拙者が英語を使いこなせたら、さぞかし面白いだろうなと思うのだが・・・・・
夢のまた夢・・・・だな。(笑)
投稿日:2009-04-29 Wed
さて・・・無事にフィリピン旅行も終わり・・・・ホッと一息・・・・といきたいところだが、そうはいかない。(笑)アルバムを作らねば!
今回の旅で撮影した写真は339枚。
これを全部プリントして・・・・
アルバムを作る。(笑)
簡単な説明文も付けておかねば、たぶん、どこへ行った時の写真なのかわからないだろう。
で・・・・丸一日を費やしてアルバム作り。
やり始めたら、いやぁ~こりゃ大変である。(笑)
プリンターのインクが途中で無くなって買いに行かねばならないし・・・・
夜遅くなって、ようやくアルバムが1冊出来上がった。
これを見れば、旅の様子が娘さんたちにもわかるだろう。
いわば、報告書のようなものである。(笑)
で・・・・こいつを郵送するのも大変だ。
5月3日に岡山で慰霊祭があり、その時にお会いする約束をしていたので、お土産代りに持って行って、その時に手渡してあげよう。
ちょっと荷物になるが・・・・まぁ、いいだろう。(笑)
投稿日:2009-04-28 Tue
さて・・・・今日は“フジイさん”を大阪に送る日である。特に時間は決めていないので、のんびりとしたものである。
適当な時間にホテルをチェックアウトして、スカイライナーで上野に向かい、そこから東京駅へ・・・・
新幹線の切符を買って、大阪まで・・・・・
大阪では娘さんに出迎えに来ていただく。
もし、“フジイさん”の体調が思わしくないようだったら、拙者も大阪まで同行するつもりでいたが、旅の疲れも見せずお元気なので一人で帰っていただくことにした。
が・・・・それでも高齢者・・・・ちょっと心配・・・・
ということで、大坂止まりの新幹線に乗せることにして、娘さんに連絡する。
終点が大阪なら、万が一寝入ってしまっても大丈夫だろう。(笑)
お別れのとき・・・・・
“フジイさん”が半べそかいて拙者の手を離さない・・・・・
「ありがとう」の連発・・・・
今生の別れ・・・・というわけじゃないんだけど・・・・拙者も、なんとなく別れるのが辛い。
不思議なものである。
64年間の夢が実現して本当に良かった。
思い切ってお連れして本当に良かった。
拙者にとっても最高の旅だった。
“フジイさん”にはお子さんは娘さんだけで息子さんはいない。
今回の旅が息子と親父の二人旅・・・・ってな感じでいい思い出になってくれたらありがたい。
無事に家に着いて・・・・拙者は爆睡・・・・(笑)
さすがに疲れがドッと出た!
投稿日:2009-04-27 Mon
今日は日本に帰国する日である。飛行機は午後の便なので、通常なら午前中、どこか1ヶ所ぐらい観光するところだが・・・・
“フジイさん”は、特にどこに行きたいでもないらしい。
ならば、部屋でゆっくりくつろぎましょう・・・・ということにした。
で・・・帰りの荷造りを手伝う。
成田を出発時点で、“フジイさん”のカバンはパンパンに膨らんでいたのである。(笑)
だから、今回の旅では、毎日、拙者が荷物の詰め直しをしてあげていた。
そうしないと、カバンのチャックが締まらないのである。(笑)
で・・・最終日も・・・・
洋服類をたたみ直して、スペースを作って、そこにお土産のドライマンゴーの袋を詰める。
よっしゃ!これでなんとか収まったぞ!(笑)
11時半、ホテルをチェックアウト。
“ステラさん”に空港まで送ってもらい、空港内では職員の“サンデーくん”に搭乗手続きを頼む。
彼とは何度も会っているので旧知の仲である。
無事に搭乗、成田に向かう。

機内食を食べて・・・・
そうだ!忘れるところであった・・・・・“フジイさん”に食後の薬を飲ませねば!(笑)
で・・・スチュワーデスを呼んで水をもらい、薬を飲まそうとした瞬間・・・・
前に座っていた日本人のおばさんが、いきなり思いっきり座席の背もたれを倒してきた!
あぶねぇ!
「あの!ちょっと、あんた!背もたれをいきなり倒すんじゃない!一言後ろに声をかけなさい!」と言ったら・・・・・
振り返って拙者の顔を睨めつけて・・・・プイ!
なんだ・・・この野郎!
“逆切れ”っていう奴である。
で・・・このババア!(笑)
隣の友人に・・・「食事が終わったんだもの背もたれを倒したっていいじゃない!」と話しかけている。
この馬鹿・・・・
てめぇが食事を終えたら何をしてもいいって言うのかよ!
後ろから思いっきり頭を小突いてやろうかとおもったが・・・・やめた。(笑)
この間のグアムの帰りでも不愉快な思いをしたが・・・・
始末が悪いのは、こういう中年のババアである。(笑)
絶対謝らない・・・・・
こういう馬鹿が子供を産んで育てるんだから、最近のガキが非常識なのもわかる。
親がバカなんだから子供だけを責めても仕方がない。
で・・・しばらくのち・・・・
“フジイさん”が何かを落としたらしい。
それを拾おうとして前かがみになった・・・・・
ヤバイ・・・・
この狭いエコノミーの座席でそういう姿勢になっている時に座席の背もたれを倒されては一大事である。
「“フジイさん”!危ないからやめて!私が拾いますから!前に座っている人は常識がない人ですからね!いきなり背もたれを倒してきますから!首の骨でも折ったら大変なことになりますから!私が拾います!とにかく、前に座っている人は非常識な人間ですからね!!あぶないですから!」
・・・とわざと大声で叫ぶ!(笑)
これには“フジイさん”も苦笑・・・・
これだけ大声で叫べば、どんな馬鹿にでも聞こえただろう。
ざまぁみやがれ!
クソババア!(笑)
この大声が聞こえたのだろう、前に座っている非常識で逆切れしたオバタリアンは二度と背もたれを倒してはこなかった。(笑)
無事に成田に到着して、大阪の娘さんに帰国の連絡を入れる。
ちょうど昨日、豚インフルエンザとか何とかで大騒ぎだとか・・・・
へぇ~そうだったの?(笑)
「“フジイさん”・・・・二人でゲホゲホと咳をしながら空港内を歩いてみませんか?もしかしたらテレビに写るかもしれませんから・・・・やってみませんか?俺達有名人になれますよ」と言って二人で大笑いする。
今晩は成田のホテルに一泊する。
午後9時・・・・さすがに腹が減った・・・・
“フジイさん”は何も食べなくていいというので、拙者だけホテル内のコンビニで弁当を買ってきて夕食をとる。(笑)
投稿日:2009-04-26 Sun
さて・・・午後はどこへ行こうか・・・・折角だからマニラ周辺の観光でもしましょうか?
「俺は、マニラには何の思い出もないよ」と“フジイさん”
マニラ湾に停泊した輸送船からマニラの町を見ただけで上陸はしていないという。
で・・・そのままミンダナオ島へ向ったという。
だから、マニラの町には特に何の感情もないという。
「マニラ市内は日本と同じ感じだから面白くないねぇ~やっぱりミンダナオ島のほうがフィリピンらしくていいなぁ」と言う。
確かに・・・・そう思う。
マニラ市内を観光って言っても、ラサール広場かフォートサンチャゴか・・・・
でも、スペイン統治時代の城壁を見ても仕方があるまい。
しかも、結構歩かねばならないし・・・・
出来るだけ長時間の徒歩は避けたい。
散々悩んだ挙句、モンテンルパに行くことにした。
“フジイさん”はメインの目的地であるミンダナオ島へ行けただけで十分だという。
「どこでもいいよ~あんたの好きなところで・・・」
拙者としても、特に好きなところはないのだが・・・・(笑)
一応、話のタネとして・・・・モンテンルパがいいだろう。
午後1時半、「モンテンルパ平和祈念公園」に到着。
お線香をあげてお参りする。
ここの管理人・・・・以前にも会ったような気もするが・・・・
拙者の記憶はあいまいだが、彼の方がよく覚えてくれていて、「あんたのことは、覚えているよ」と言われる。
いやぁ~拙者の記憶力の悪さ・・・情けない。(笑)

まぁ、ここには何度も来ているからなぁ~(笑)
いわば、日本人観光客の観光ルートの一つである。
帰りにモンテンルパ刑務所の前で記念写真でも撮りますかぁ~
ということで・・・警備の警官に許可をもらったはいいが・・・・
何を思ったか“フジイさん”・・・・その警官たちに一緒に写真に写ろうと誘ってしまった。
「あっ、ちょっとマズイですよ」と“ステラさん”が言ったが、すでに遅し・・・・である。
で・・・写真を撮って・・・・「じゃぁ!バイバイ!」で済むわけがない。(笑)
ピッタリとくっついて来られて・・・・しつこく要求される・・・・
何を言っているのかというと・・・・「金をくれ」・・・・である。(笑)
このしつこさには呆れるほどである。
拙者は英語がわからないふりをしてトボケ通したが・・・・(笑)
あまりのしつこさに、仕方がないということで、“ステラさん”が我々の代わりにチップを払ってくれた。
「こうなるだろうと思ったので、マズイって言ったんですけどねぇ~」と憮然としている。
「私・・・あの人たち・・・嫌いなんですよね。警官のくせにお金を要求してくるから・・・」
う~ん・・・なんとも困った連中だ・・・・
こういう調子だから、この国は発展しないんだ・・・・と思う。
ついでに、もう1ヶ所・・・・
同じ敷地内になるが、日本海軍の高射砲が置いてある場所を案内する。
ここは“ステラさん”も初めて知ったという。

時刻は2時半・・・・
マニラに戻り、ホテルにチェックインする。
部屋で、フィリピンで使ったお金を計算してみる。
今日のモンテンルパ行きの車は運転手付きでチャーターしたもの。
日本円に換算して、一人2250円である。
これに、コーヒー代、コーラ代、各種チップを足しても・・・・・大した金額じゃない。
2人で1万円も使ってないなぁ~(笑)
「ん?そりゃおかしい・・・あんた、計算間違ってるだろ~」と“フジイさん”
確かに、拙者は数学が苦手だが・・・・足し算と掛け算ぐらいはできる。(笑)
どう考えても、この程度しか使っていないんだけどなぁ~
「いや、絶対おかしい・・・安すぎる。あんた、もう1回計算し直して見て」と言うので3回も計算したけど・・・・
やっぱり、1人5000円も使ってませんけど・・・・(笑)
これに、成田のホテル代(2泊)、スカイライナー代(往復)、マニラとダバオの空港税、“ステラさん”へのチップなどを足しても・・・・一人3万円くらい・・・・
しかし、“フジイさん”はどうしても安すぎると言って納得してくれない。(笑)
変なところでさんざんもめる・・・・(笑)
投稿日:2009-04-26 Sun
午前9時、ダバオ空港を離陸してマニラに向かう。帰りの便は、窓側の席を取ってもらった。
“フジイさん”だけで良かったのだが、窓側を縦に2席取ってもらったので拙者も外の景色が見られて助かった。


拙者の前の席に座っている“フジイさん”はどういう気持ちでこの景色を見ているのだろうか?
機内食は軽食・・・・クラッカーとコーヒーだった。

10時40分・・・・マニラ上空に到達する。
やっぱりマニラは大都市だわぁ~
全然景色が違う・・・・・
どちらかといえば、ダバオの方が南国っぽかったなぁ~(笑)

国際線だったら、着陸直前にデジカメで写真を撮っていたらスチュワーデスに注意されるところだが・・・・
国内線は甘いのかな?(笑)
ちゃっかりと写真が撮れた。
それにしても、あのうるさい注意って何なのだろうか?
携帯電話を使ってはいけないのはわかるけど・・・・写真くらいはいいんじゃないかと思うんだけどねぇ~
デジカメで写真を撮ったくらいで墜落するような飛行機では困るんだけど・・・最近の飛行機ってそういう飛行機なのか?
11時過ぎ・・・・
マニラ市内の日本料理屋へ直行!
今日の昼食は日本料理。
サンマの塩焼き定食!(笑)

なかなかこれがおいしいのである。
海外で食べる日本食なんて不味くて大したことがないとずっと思っていたのだが・・・・
こりゃおいしかった。
“フジイさん”もご満悦。
で・・・ついでにかわいいウェイトレスとツーショット写真を撮る。
彼女は“フジイさん”に頬寄せてニッコリ・・・・“フジイさん”はデレ~ッとニヤケていて・・・・
ん?この写真・・・マズイかも・・・
娘さんたちに見られたら誤解されちゃうかも・・・・(笑)
でも、目の前にサンマの塩焼きが並んでいるから・・・・大丈夫だよな・・・
変な所へ行ったんじゃないかなんて揉めないよな?
カワイイ女の子と写真に写るというのも・・・これもまた、いい記念でしょ?(笑)
慰霊碑にお線香をあげている写真ばかりじゃ・・・・ねぇ~(笑)
投稿日:2009-04-25 Sat
ダバオ市中心街に戻る途中、南国のフルーツ「ドリアン」の話題となった。話では聞いたことがあるが食べたことはない。
嫁さんを質に入れても食べたくなるほどおいしいのだそうだが・・・・(笑)
じゃぁ、食べてみますか・・・・ということで、探してみたが、季節がちょっと外れていて、熟している物が入手できない。
道路沿いの屋台の果物屋で、冷凍ドリアンならあるという店を見つけたので、これを買ってみる。
さて・・・問題はどこで食べるかだ・・・・・
匂いがきついので、ホテルなどへの持ち込みは厳禁という果物である。
できるだけ周囲に迷惑をかけない場所・・・・・どこか広い場所で食べねば・・・・
ということで選んだのが旧ダバオ空港ターミナル・・・・(笑)

ここの駐車場なら広いので、匂いがきつくても大丈夫だろう。
このターミナル・・・・以前、爆弾テロで爆破され、そのまま放置されている。
殆ど廃墟状態。
で・・・滑走路を挟んだ反対側に現在のダバオ空港ターミナルを新設したらしい。
たった1回の爆弾テロで建物を放棄したというのだから信じられない。
外観では窺い知れないが、修復不能なほど内部が破壊されたのだろうか?
まだ使えそうに見えるんだけどなぁ~

で・・・ここの誰もいない駐車場で「ドリアン」を食べてみるが・・・・
う~ん・・・・どこがおいしいんだろう?(笑)
嫁さんを質に入れてまで食べたいというほどじゃないんだけど・・・・・(笑)
決してマズイわけじゃないが、かといって、頬っぺたが落ちるほどおいしいというわけでもなかった。
(慌てて食べてしまったので・・・・写真を撮るのを忘れた!)
このダバオ空港は、戦時中は日本軍の滑走路があった場所ではないかと思う。
「ササ」という場所に日本海軍の航空基地があったが、位置的に、このばしょがその「ササ基地」のように思われる。
“フジイさん”は海軍の少年兵だったが、所属は海軍航空隊の飛行場整備部隊だったという。
尋ねてみたが・・・・当然のことながら思い出せないという。
当時はわけもわからず、とにかく爆撃された滑走路の穴を埋めたり、上官の命令であっちこっちに飛び回っていたので、自分がどこにいたのかよく覚えていないという。
そういうものかもしれない。
とにかくダバオ周辺のいくつかの飛行場の何ヶ所かを転々としていたというから、多分、ここにも来ていたと思う。
が・・・・当時を物語るものは何も残っていない。
時刻は6時・・・・・
そろそろ夕食にしよう・・・・ということで、市内の海鮮レストランで食事をとることにする。

このレストランは、どうやら韓国人のお店らしい・・・・
客はほとんどが韓国人だった・・・・
味は悪くない・・・・結構おいしかった。

今日の旅はこれで終わり。
“フジイさん”もお元気で一日中見て回ってくれたのでホッとした。
ダバオは今日が最後・・・・明日はマニラに戻る。
“フジイさん”にとって、今回の旅の一番の思い出は、同じ元少年兵の“アモイさん”に会ったことだという。
「最高の旅だった」と言っていただきホッとした。
投稿日:2009-04-25 Sat
一息ついて・・・・ここからUターンして戻ることにする。もう少し奥地まで走ってもいいのだが・・・・
あてもなく走るというのも“フジイさん”を疲れさせてしまうだろう。
今回は、ここで引き返すこととする。
で・・・・カリナンの町まで戻ったところ、「ここには歴史資料館がある」とドライバーが言う。
「行ってみますか?」とのことなので・・・・ぜひ!(笑)
資料館や博物館は拙者の「好物」(笑)
ここは我がままをさせてもらい、“フジイさん”にはお付き合い願う。
住宅街の中の細い道を右へ左へと曲がり・・・・到着。

門の所に大きな看板と横断幕があるが、幹線道路際に看板らしきものが見当たらないので、知る人ぞ知る・・・という感じ。
看板には「フィリピン・ジャパン・ヒストリカル・ミュージアム」と英語で書かれている。
もう一つの看板には「フィリピン・ニッケイジンカイ・インターナショナルスクール・オブ・ダバオ」と英語で書かれている。
この資料館には日系人会が運営している日本語学校が併設されているらしい・・・
いや・・・日本語学校に併設されている歴史資料館なのかもしれない。
常駐のガードマンに門を開けてもらい敷地内に入る。
不思議なことに、彼はなにも尋ねず、すんなりと中に通してくれた。
まぁ~どこから見ても我々は日本人にしか見えないもんなぁ~(笑)

内部にはダバオと日本人の歴史に関する資料が展示されていた。
原住民の古写真、日本人移民の古写真、戦前の町の手書き地図(○○商店とか××床屋などと書き込まれている)などが展示されている。
更に、日本語学校の生徒の研究発表らしきものが日本語で展示されていた。
それによれば、初日に行った捕虜収容所跡には、どうやら記念碑があったらしく、現在は別の場所に移転されていることがわかった。
いやぁ~こりゃ、なかなかお勉強になる。(笑)
ここに立ち寄って正解であった。

時刻は3時過ぎ・・・・・
まだもう少し動き回れそうだ・・・・
次に向かったのが、カタルナングランデというところにあると言われている慰霊碑。
これまた正確な場所はわからない。
このへんかな・・・というところで何人かの住民に尋ねたら、トライシクル(オートバイに座席を付けた3輪車)のお兄ちゃんが先導して案内してくれた。
あれ・・・この道・・・・さっき通った・・・・
我々は通り過ぎていた!(笑)
この幹線道路の脇道を少し入ったところに、その慰霊碑があった。
目立たないよなぁ~
これじゃ通り過ぎるのも無理はない。

慰霊碑は「YAMADA MUMON」という人が建てた「平和」という碑と、「眠」と書かれた個人の戦没者の慰霊碑。
もう一つ、1986年に歩兵第9連隊戦友会が建てた碑のコンクリートの土台が残っていた。
上部が破壊されているので、どういう碑だったのかはわからない。
歩兵第9連隊はレイテ島で玉砕しているはずだが・・・・
このミンダナオ島にも一部が派遣されていたのだろうか?

この慰霊碑にお線香をあげてお参りをする。
と・・・・この土地の持主の“じい様”がやって来て、やたらとしつこく話しかけてくる。
しかし・・・この“じい様”の話がさっぱりわからん。
それもそのはず・・・・ビサヤ語らしい。(笑)
この“じい様”の娘さんたちは英語が話せるので通訳してもらったところ、「最近は日本人が全然来ないので資金不足だ」という。
「慰霊碑の周辺も整備したり、道ももっと良くしたいのに金がない。」
だから・・・・「金をくれ」・・・・ということらしい。
言いたい気持ちはわからんでもない。
日本人が慰霊碑を建てたはいいが、その後は高齢になったり、戦友会が解散したりで、誰も来なくなり放置状態・・・・
土地を提供した人にとっては、当初は収入源でも現在では「お荷物」である。
しかし・・・・道を良くするとか、という前に、道路際に看板を立てたらどうだろうか?
慰霊碑がどこにあるのかわからないので我々は通り過ぎてしまったのである。
道路際に看板を出しておけばすぐにわかる。
周りには何もない直線道路なんだから・・・・・
そうすれば、日本人観光客も立ち寄るかもしれないし、多少の寄付ももらえるだろ?
「まずは看板を立てなさい。看板に日の丸を描けば日本人がすぐわかるから、そういう看板を立てなさい」と伝えて、看板代を渡す。
さて・・・実際に看板を立てるか、それとも酒でも飲んで使っちゃうのか・・・・知らないけど・・・(笑)
いつか確認に来てみようか?
もし看板が立っていなかったら・・・・この“じい様”をとっちめてやろう(笑)
投稿日:2009-04-25 Sat
昼食後、一服して・・・・・更に北の山の方へ向う。
目的地はタモガンという場所。
ここに慰霊碑があるという。
約1時間走る・・・・・
ダバオ川に流れ込むスワワン川という支流がある。
略図では、これが目印・・・・・
あの川がそうじゃないか?
この川がそうじゃないか?
・・・・と散々迷うが・・・・
スワワン橋という名がついた橋があったので・・・・これがスワワン川であろう。

ということは・・・タモガンの近くに来ているということになる。
付近の住民に日本の慰霊碑が近くにないかと尋ねながら車を走らせる。
そのうち、日系人が日本の慰霊碑を守っているとの情報を得た。
とにかく、その人の家に行ってみよう・・・ということで、その人の家探し。
その方のお名前は“アモイさん”という。
日本人名は“サカイさん”
何故かみんな彼の名前を知っている。
あとでわかったことだが・・・・“アモイさん”の息子さんはここの村の村長さんだった。(笑)
幹線道路から細い脇道に入り、まもなく小さな集落に出合う。
ここに“アモイさん”の家があり、ご本人が在宅とのことで、お会いすることができた。
綺麗で丁寧な日本語で挨拶されて驚いた。
ご自宅の敷地内に慰霊碑があるというので御案内いただく。

慰霊碑は独立歩兵第353大隊(山田部隊)の生還者が建てたものだった。
“アモイさん”は日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた日系二世。
日米開戦時には給仕として日本軍に協力したという。
終戦間際に現地召集され兵隊として日本軍に入ったという。
そういうわけで、自宅の土地を提供して、今でも慰霊碑を守っているという。
現在82歳・・・・ということは・・・“フジイさん”より1歳年下。
この話に“フジイさん”が大感激!
泣きださんばかりの顔をして「お互い長生きして頑張ろう」と握手。
海軍の少年兵と陸軍の少年兵・・・・・
直接の関係はないが、同じ少年兵・・・同じ年代で同じ場所で戦ったということで、やっぱり特別な感情が生まれるのだろう。
二人して手を握り合って・・・・ウン、ウンうなずいてばかりいる。
“アモイさん”は戦前にフィリピンで生まれた日系人。
戦後はフィリピンに留まったが・・・・
今日までの苦労は並大抵ではなかっただろうなぁ~と思う。
終戦直後は迫害も受けたのではないだろうか?
今では息子さんが村長さん。
村でもそれなりの評価を受けているということだろう。
これも“アモイさん”の人柄か・・・・
“アモイさん”に現在地をお尋ねしたら、「スワワン・マリログ地区」と言う。
戦時中は「タモガン」と呼ばれていたそうだ。
タモガンというのは、かなり広範囲な地域を指していたようである。
戦後の行政区分か何かで細かく名称がつけられたのだろう。
ご家族に別れを告げて、更に北に行ってみる。
10分も走らないうちに道路わきに小さな公園があり、その中に慰霊碑が建っていた。
日本語で「平和友好」「納骨堂」と刻んである。
日本語と英語の碑文も刻んである。
2003年に邦人ダバオ移民100周年記念、20005年に終戦ダバオ引揚60周年記念の文字も見える。
ここにもお線香をあげてお参りする。

拙者の略図の資料では「陸軍拠兵団慰霊碑」がタモガンにあると記載されているが、これは別の慰霊碑のようである。
本来の目的地ではなさそうだが・・・
まぁ、今回は慰霊碑めぐりが目的じゃないから、ここでいいということにしよう。

このタモガン山中には多くの日本兵や在留邦人の骨が埋まっている・・・・・
公園に来ていた子どもたちに飴をあげたりして「親睦」(?)を図り・・・・
公園にはトイレも完備されていたので“フジイさん”には「強制的に」(笑)トイレに行ってもらう。
で・・・・・このトイレ・・・・表記が面白い。

日本語で「女」、その下に英語でSHE(彼女)と書かれている。(笑)
男子の方は、日本語で「男」、英語でHE(彼)である。
まぁ~意味がわからんでもないが・・・・彼とか彼女というのは面白い。(笑)
投稿日:2009-04-25 Sat
さて・・・時刻は10時ちょっと過ぎ・・・・ちょっとお腹が空いたなぁ~バナナでも食べたいものである。(笑)
ということで、途中で道草してバナナを買うことにする。
“フジイさん”は戦時中、ダバオでバナナを食べた記憶があると言っていたので・・・・食べましょう!
懐かしいでしょ?64年ぶりのダバオのバナナですよ~(笑)
今じゃバナナなんて珍しくもないが・・・・
いつでも食べているんだろうけど・・・
ダバオのバナナをダバオで食べるってことに価値があるというものである。

今回の旅は残念ながら記録をつけながら・・・・というわけにはいかない。
自分のことより“フジイさん”の様子を常に見ていなくてはならないので、どうしても記録をつけるというのを忘れてしまう。
で・・・このバナナを買った場所の名前も聞くのを忘れてしまった。
20分ほど走り、ダバオ川を渡る。
ということは・・・・南東から西に向かうってことだな・・・・

川を渡って今度は北上。
ミンタルという町の近くにある墓地に行く。
ここはもともと戦前は日本人墓地だった場所。
いまでも昔の日本人のお墓が2つばかり残っているが、戦後ははフィリピン人の墓地となっている。
ここに「戦争犠牲者の慰霊碑」という慰霊碑があるのでお参りする。

墓地には、お墓参りに来ていた家族がいた。
おばあちゃんと一緒に子供達がたむろしていた。
で・・・“フジイさん”・・・・
バッグの中から飴を取り出して子どもたちに配り始めた。
日本語で何か言いながら突然飴を配り始めたので子どもたちも一瞬戸惑ったようだが・・・
しかし・・・こういうちょっとした交流はいいものだ。
お互いにいい思い出が残ってくれたらありがたい。

旧日本人墓地から10分もかからない近い場所に「日本の記念碑」があるという。
どうやら、このダバオにあった太田興業(株)の記念碑らしい。
“フジイさん”はこの会社の事はよく覚えていた。
戦前からダバオでは有名な会社だったそうだ。

この記念碑は学校の敷地内にあるが、残念ながら門が閉まっていたので遠くから眺めるしかなかった。
この学校・・・・実は戦前は日本人小学校だった場所である。
ミンタル日本人小学校というらしい。
戦後、フィリピンの公立学校に変わっている。
ここから更に20分弱ほど車を走らせ・・・・時刻はちょうど12時。
多分・・・・カリナンという場所だと思うんだけど・・・・
どこかでお昼を食べねば・・・・と・・・選んだ場所は・・・・パン屋さん!(笑)
今日のお昼はお弁当・・・車に積んである。
だから、パンを食べようというのではない。
パン屋の軒先を借りようっていう話らしい。(笑)
お店の「看板娘」にお願いしてテーブルと椅子を借りて、そこでお食事となる。
で・・・タダで借りたんじゃ悪いから・・・コーラを買う。(笑)



投稿日:2009-04-25 Sat
更に北上する。略図の資料によると、カラワという場所に海軍の第32特別根拠地隊の慰霊碑があるらしい。
で・・・そこに向かったのだが・・・・
部隊名は日本語では知っているが・・・・英語では何て言うのだろう・・・・
「え?何ていう碑があるんですか?そこに・・・」と“ステラさん”に尋ねられても「根拠地隊」としか言いようがない。
彼女は日本語が流ちょうだが、さすがに「根拠地隊」の意味はわからない。
となると・・・当然、ドライバーにも伝えられない。
「とにかく、そのカラワとか何とかって言う場所に向かってくれ!」と言って車を走らせる。

北へ向かう道・・・・一部が舗装されているだけで、ほとんどがガタガタ道・・・・
とにかくスピードが出せない・・・・
何たることぞ・・・・舗装すりゃ、もっと交通の便が良くなるのになぁ~と思う。
途中でトイレ休憩・・・・・といっても“フジイさん”のための「立ちションベン」休憩である。(笑)
「神社山」から1時間ぐらいガタゴト揺られてやって来たところ・・・・そこはバナナ畑であった。
道路がバナナ畑を突っ切っている。
で・・・ここで一度下車して一服することにした。
長時間車に揺られるのも辛いものがある。
ガタゴト揺られて、お尻も痛いし・・・・同じ姿勢で座っていて「エコノミー症候群」になっても・・・ねぇ~
“フジイさん”をあまり疲れさせても良くない。

ここのバナナは輸出用のバナナで、日本などに輸出されているそうだ。


このバナナ園から更に車を走らせること約10分で、どうも目的地周辺に到着したらしい。
「で・・・どのへんでしょう?」と“ステラさん”。
拙者は知らないって!(笑)
近くのおじさんに「この近くに日本軍の慰霊碑があるか?」と尋ねたら、自転車で先導して案内してくれた。

さて、これが探していた海軍第32特別根拠地隊の慰霊碑かと思ったら・・・
あれ?
『第103海軍軍属・経理・運輸部ダバオ支部工員の碑』となっている・・・・
あれれ?どうも違うぞ・・・・
しかし、まぁ、これも縁というものである。
お線香をあげてお参りする。
で・・・特別根拠地隊の碑はどこにあるのだろうか?
村人に聞いても知らないという。
日本の慰霊碑はこれだけだという。
略図だけを頼りに来たからなぁ~
村の名前を間違えたのか・・・・それとも村人もよく知らないどこか近くに別にあるのか・・・
そもそも、この資料自体が間違っているのか・・・・
と・・・この慰霊碑を管理しているおばあさんがお店をやっているというので、ぜひ立ち寄ってくれと言われる。
「どうします?」と“ステラさん”に言われたが、せっかくだから挨拶に伺うことにした。

「お店に寄ってくれというのは、いくらかでもお金を落としてくれってことじゃないでしょうか?」と“ステラさん”
「まぁ~いいんじゃない?何か買ってあげましょう!そうだ、コーラでも飲みますか!」
というわけで、案内してくれた自転車のおじさんにもコーラを差し上げ一服・・・・・
隣の建物の周りに人が集まっている。
ゴーゴーとすごい音を出しながら機械らしきものが動いているので見に行ったら、その建物は精米らしい。
写真を撮ったら・・・
「こんなもの何が面白くて写真なんか撮っているのだろう?」という顔でみんなはキョトン!(笑)
「いやぁ~すみませんね~ちょっと、お邪魔しますよ~」


おばあさんが、「昔の写真があるので見ますか?」と言うので、ご自宅にお邪魔させていただき昔のアルバムなどを見せてもらいながらお話を伺った。
そもそもこの慰霊碑のために土地を提供したのは、今は亡きご主人だそうで、その後、戦友会や関係者がこの御夫婦を日本に招待して、かなり長期間日本中を旅行させてもらったという。
昔は手厚く感謝の意を表していたようである。
今では、慰霊碑に訪れる人はほとんどいないとか・・・・
果たしてそれでいいのだろうか・・・・と考えさせられる。
30分ほど写真を見ながら思い出話を伺う。
で・・・帰るときに「これからも慰霊碑の管理をよろしく」ということで、拙者が代表して少しばかりお金を渡した。
で・・・みんなに見送られ・・・・出発!
略図では、このまま先へ進めるような気がするのだが、ドライバーは一度来た道を戻って、それから次の場所へ向うという。
単純に言えば、道路はダバオの中心街を起点としたV字型をしている。
ダバオまで戻ってそこからまた別の道を北上するというのだ。
う~ん・・・略図ではV字の頂点を横切る道、形で言うと逆三角形(▽)となる道があるんだけど・・・
なんでまた遠回りするのか・・・・わからん・・・・
しばらく走っていて・・・・ふと、思った・・・・
あれ?コーラ代・・・・誰が払ったんだろう?
“ステラさん”に尋ねたら払っていないと言う!
拙者も払った覚えがない!
ということは・・・・・・・やっちゃった!
おばあさんとのおしゃべりに夢中になって、お店で買ったコーラ代を払うのを忘れた!(笑)
今頃・・・怒っているんじゃないか?
お金は持っているけど・・・・無銭飲食・・・しちゃった!
「あのおばあさんにいくらか渡したんでしょ?」と“ステラさん”
それならいいんじゃないか・・・・と彼女は言うが・・・・
それとこれとは違うでしょ。
今更戻って・・・・というのも何だしなぁ~(笑)
あ~あ~コーラ代を踏み倒しちゃった!(笑)
投稿日:2009-04-25 Sat
午前5時過ぎ起床!6時に“フジイさん”の部屋を訪ねたら、すでに準備万端整えて待っていた!(笑)
6時半、朝食。
レストランのウェイトレスが話しかけてきたので、片言の英語で話をする。
彼女のおじいさんは日本人だという。
つまり、彼女はクォーター。
日本語は話せないが、おじいさんが日本人ということで日本人に親近感をもっているようである。


(朝食はパンとオムレツとコーヒー)
今日はダバオ中心から北西の内陸部へ入って行く予定。
とはいっても・・・・ダバオからは離れない。
ミンダナオ島の西部は、明らかに危険地域・・・・フィリピンゲリラの勢力範囲。
北部もあまり安全ではなさそうである。
だから・・・・無茶はしない。

移動途中の車窓から大きな山が見えた・・・・・
「アポ山」である。
標高2,954m、フィリピンの最高峰だという。
う~ん・・・・・山の形のせいだろうか?
最高峰っていうふうには見えない・・・・(笑)
まず最初に向かったのが、ラパンダイという名前の地域にある「神社山」と呼ばれた場所。
だが・・・「神社山」は日本軍が名付けた場所だ。
ドライバーもガイドの“ステラさん”も知らないという。
拙者の手元には略図しかない・・・・
略図じゃ正確な位置がわからない・・・・
「神社山」には海軍陸戦隊がいて、昭和20年6月7日から8日にかけて米軍と激しく戦った。
しかし、その「神社山」の手前には「嵐山」と名付けられた場所もある。
ここには海軍陸戦隊本部と戦闘指揮所があったらしい。
こうなると・・・わからねぇぞ~(笑)
“ステラさん”はしきりに「どのあたりですか?」と尋ねてくる。
う~ん・・・・こうなると、どっちがガイドかわからない。(笑)

この山じゃないかなぁ~という場所で車を止める。
で・・・「誰か地元の人に、この山に日本軍がいたかどうか聞いてくれ」と“ステラさん”に頼む。
で・・・彼女が尋ねた相手は・・・近くをブラブラしていた若い男女。
「知らない」という・・・・
あのね・・・そんな子供が知っているわけないでしょ!
尋ねる相手が的外れ・・・・(笑)
もっと年寄りに声をかけなくっちゃ・・・と言っても、年寄りが見当たらない。
この三角山・・・・直観的に「神社山」っていう感じだ。
確証は全くないが、暫定的に、ここを「神社山」っていうことにしよう。(笑)
等高線入りの正確な地図が欲しい・・・・
入手しできたら再確認だ。
投稿日:2009-04-24 Fri
ホテルは一見、どことなくスペイン風の建物である。中庭にはプールがあり、フィリピン人の子供達がキャーキャー騒ぎながら遊んでいた。
プールの脇を通り、その奥のレストランの中を通りぬけて狭い階段を上ると客室がある。
階段かぁ~・・・・
杖をついて歩く“フジイさん”には、ちょっと申し訳ないな・・・・
チェックインして部屋に入ると・・・・なんと殺風景な・・・・

話によれば、ダバオは観光地のため、ホテル代が高いのだそうだ。
同レベルのマニラのホテルで比較すると、マニラよりダバオのほうが高いのだそうだ。
というわけで、かなり苦労して安いホテルを探してくれたらしい。
が・・・外観はいいのだが・・・部屋の設備は全くと言っていいほど充実していない。
「安宿」か「合宿所」のような感じ・・・・
まぁ、仕方があるまい。
“フジイさん”とは別々の部屋。
ここに2泊することになる。
それにしても、ダバオって観光地?
どうみても観光地のような感じには見えないのだが・・・・
我々が、そういうところを歩いていないからわからないだけなのか?
リゾート地っていう感じにはどうみても思えないのだが・・・
で・・・今日の夕食は、ホテルのレストランで中華を食べる。

時刻は6時40分・・・・
だいたい予定通りの行動である。
食後にコーヒーを飲みながら雑談。
一応、明日は1日中、山の方を走り回ることになる。
もし、体調がすぐれない時は、ホテルに戻ってそのまま休憩することにした。
無理をしても仕方がない。
無理は禁物であることを“フジイさん”に念を押す。
今日は、“フジイさん”のいつもの生活パターンとほぼ同じ時刻に就寝してもらう。
で・・・拙者は・・・
ダバオは禁煙都市(?)らしい。
当然、ホテルの部屋は全て禁煙ルーム・・・タバコが吸えない!(笑)
ヘビースモーカーとしては、これは苦しい。
プールサイドに灰皿があるので、寝るまでの間、ちょくちょくプールサイドまで行ってタバコを吸う。
投稿日:2009-04-24 Fri
さて、次に向かったのは・・・・・何やらよくわからない施設・・・・・(笑)
これまたレジャーランドみたいな感じのところである。
日本軍の洞窟をそのままレジャーランド化しているらしい。
で・・・名前もそのまま「ジャパニーズ・トンネル」
「ファミリーリゾート&レストラン」と書いてある。
ファミリーリゾートなのか?
話によると、大きな日本軍のトンネルがあり、その中に人形とか色々な物が展示されているという。
で・・・そのトンネルの脇にレストランがある。
いわゆる商業施設だ。
現地の子供にとっては「お化け屋敷」のようなもので、結構怖くて面白いんだとか・・・
「どうします?」
“フジイさん”は一言・・・・「見なくていい・・・・」
敷地内でUターンして次に向かう。

どんな内容なのか気にならないでもないが・・・・
仕方がない・・・・いつか一人で来た時にでも見てみるかぁ~
南へ30分ほど走る。
向かった先は「ダリアオ」という場所。
ここには終戦時、捕虜収容所があり、降伏した日本兵達が収容された場所である。
当然、“フジイさん”もここに収容されたはずなので、お連れすることにしたが・・・・
さて・・・どのあたりが収容所跡だったのかわからない。
ドライバーもガイドの“ステラさん”もわからないという。
とにかく近くの町で適当に尋ね歩く。

偶然会った地元のおじさんが案内してくれると言ってバイクで先導してくれた。
このあたりが収容所跡です・・・というところに到着。
ウトウトとしていた“フジイさん”に「着きましたよ!」と声をかけたら・・・・
「う~ん・・・眠くて仕方がない・・・ちょっと横にならせてくれ・・・・」と言ってバタンと横になり寝てしまった。
あらら・・・・
折角、思い出の地に来たのになぁ~
仕方がない・・・近くを散策してみるか・・・
こういう場合は自動車ではなく徒歩で歩き回った方が何か見つけることができる可能性が高い。
“フジイさん”を“ステラさん”に任せて、一人で周辺を歩く。


今回の旅行にも一眼レフを持ってきた・・・・(重いけど・・・)
首からぶら下げてウロウロ、キョロキョロしながら、あちこちをパチパチと撮影する。
と・・・地元の、ちょっとゴツイ・・・ちょっと恐そうな・・・お兄ちゃんたちから声をかけられた!(笑)
ゲゲッ!マズイ!
彼らが何を言っているのかわからない。
多分、ビサヤ語かなにかなんだろう・・・・
まぁ、彼らからしたら見知らぬ男がやたらと写真を撮りまくって歩いているんだから「不審者」と思ってもおかしくはない。
片言英語で、ここが収容所跡なのか、何か当時のものが残っていないかを尋ねたが・・・
この周辺が収容所跡だったらしいという話は聞いたことはあるが、正確にどこがそうだったのかはわからないと言う。
まぁ~仕方がないか・・・・
当時は広大な土地を鉄条網で囲ってテントを建てていたらしいから・・・
戦後60年以上も経てば、その痕跡は何も残っていないのが普通かもしれない。
事後承諾となったが、写真撮影の許可を得て・・・車に戻る。
で・・・“フジイさん”・・・・
ぐっすり眠っている・・・・無理に起こしたのではかわいそうだ。
「じゃぁ、ホテルに向かいますかぁ~」ということで、ダバオの中心へ向うことにした。
帰り道は交通渋滞・・・・
時刻は5時を過ぎた・・・・退勤時間とぶつかったか?
ドライバーの話では、道路はこれ1本しかなく、迂回する道はないと言う。
あらら・・・
周囲は開けているんだから片側2車線か3車線の広い道路を造りゃいいのにねぇ~
ふと、“フジイさん”の様子を見たら・・・・あれ!
ピクリとも動かない・・・・
収容所跡を出発した時の姿勢のまま・・・・ピクリとも動いていない!
うそ!
まさか・・・死んじゃった?
ゾォ~ッ・・・・思わず背筋が冷たくなる。
普段、大らかな“ステラさん”ですら「大丈夫でしょうか?」と不安げな顔で拙者を見る。
おい、おい、冗談じゃねぇぞ・・・・まさか・・・そんな・・・・
脳梗塞再発か?
でも、いびきをかいているわけじゃないから脳に問題があるわけではないだろう。
かすかに、お腹が動いているから呼吸はしているようだ・・・・
ということは・・・心臓は動いているよな?
起こすべきかどうか・・・迷うところである。
寝返りも打たず・・・ピクリともしない場合は、一度声をかけて起こすべきだろうか?
こういう場合の対処の仕方がわからない。
とにかく外の景色を見ているどころじゃない!
横になっている“フジイさん”の姿をずっと見続けて、万が一変化があったら・・・と監視する。
とにかくこのまま、そっとしておいたほうがよかろう。
下手に起こしても良くないだろう。
血圧が急に上がるとか、驚いて心臓に負担がかかるとか・・・なにかあったら大変だ。
1時間半後・・・・ようやくホテルに到着する。
と・・・ガバッと“フジイさん”が起きあがった!
こっちの心臓が止まる思いである!(笑)
「いやぁ~寝ちゃったよ~・・・・あ・・・ホテルに着いたの?」
意外にもケロッとしている。
あ~良かったぁ~
「ピクリともしないので、死んだかと思いましたよ~」と言ったら、“フジイさん”は大笑い。
「いやぁ~すまん、すまん、どうしても眠くて我慢できなかったんだ」
本人はかなり緊張していたのかも。
疲れがドッと出てしまったのだろう。
いや~笑いごとで済んで良かったが・・・
こっちの寿命が10年は縮まった・・・・(笑)

投稿日:2009-04-24 Fri
時刻は1時を過ぎた・・・・まずは、どこかで昼食を・・・・
ということで、郊外のレストランへ行ってバイキングの昼食をとる。


ミンダナオ島に関しては、事前に資料を集めてみたが・・・・
なかなか、これといったいい資料が見つからなかった。
幸い、曙光会の“カメイさん”が簡単な地図などを提供してくれたので助かった。
それでも、おおよそ・・・しか、わからない。
なので・・・自分がどこにいるかわからない。(笑)

肉や野菜とご飯をゴチャゴチャに混ぜて食べるのが好き!(笑)
食後、ドライバーと打ち合わせ。
“フジイさん”は、どこへ行きたいという事もない。
当時、自分がどこにいたのかわからないという。
とにかく景色が見られれば、それでいいという。
さて・・・そうなると・・・どうするか・・・・
とにかく、日本の慰霊碑がある場所を訪ねて歩こうか・・・・
さて、郊外を走っている途中、ドライバーが「日本軍機がある場所があるんですけど、行ってみますか?」と言ってきた。
なに!日本軍機が!あるのか!
そりゃぁ~行かねばなるまい!!(笑)
で・・・向かったのは、小高い丘・・・・
「ジャックス・リッジ」と名付けられた、どうみても観光施設である。
あれ・・・なにか嫌な予感・・・・
話によると、離陸に失敗した日本軍機が山の斜面に突き刺さったままになっているという。

さて・・・どこに日本軍機があるのかな?
ドライバーが指さす先は・・・・プールの上の斜面・・・・
はぁ?どこ?
近づいて見て・・・・唖然~

確かに突き刺さっているようにみえるけど・・・・
確かに日の丸がかかれているけど・・・・
どう見ても、あれはセスナ機じゃないか!
ドライバーは「え?日本のマークが書いてあるから日本軍の飛行機でしょ?」と言う。
あ・の・な・・・・・この野郎!(笑)
さて・・・愕然としたが・・・・周囲を見たら横穴が掘られていた。
ん?こりゃ、日本軍の陣地跡だ。
あれ・・・もしかしたら、ここは日本軍名の「ダバオ丘」という場所だろうか?
だとすると・・・昭和20年5月8日ごろに海軍陸戦隊の渋谷中隊が全滅した場所ということになる。
このレジャー施設の中にレストランがいくつかあるのだが・・・・
またまた唖然~

レストランの入り口に日本兵の人形が立っている!(笑)
何を考えてるのやら・・・・・
カーネル・サンダース似の人形が立っているっていうなら、まだしも・・・・
よりによって、日本兵とは・・・・
それにしても、よく壊されないよなぁ~
ダバオには反日感情がないのか?
不思議である。
展望台からダバオ市内方面を見る・・・・・

あれ~・・・・マニラに次ぐフィリピン第2の大都市っていうような話を聞いた覚えがあるのだが・・・・
あれ~・・・ビルが乱立している大都市かと思ったら・・・・ビルらしきものはほとんど見当たらない。
本当にあそこがダバオの中心部なのか?
ドライバーに尋ねたら・・・・「ダバオ!」と言う。
ふ~ん・・・・意外だなぁ~(笑)
どうもわからんぞ・・・ダバオって・・・・(笑)
投稿日:2009-04-24 Fri
今日は、今回の旅行のメイン・・・・ミンダナオ島へ行く日である。朝食はホテルのバイキング・・・・
で・・・あれ?
“フジイさん”がバナナを食べている・・・・・
おかしい・・・デザートのコーナーにはバナナなんて置いてなかったはずだが・・・・
「あの・・・そのバナナ・・・どこにあったんですか?」
「ん?あそこ!」
指さすところを見たら・・・・ありゃ!
レストランを飾り付けているフルーツの盛り合わせのところからバナナをもぎ取って来ていた!(笑)
「あの・・・それ・・・飾りなんですけど・・・(笑)」
二人で大笑い!
ご高齢者は何をしでかすかわからない。(笑)
“ステラさん”が迎えに来て、一緒に空港へ向かう。
この旅には全行程“ステラさん”に同行願う。
現地まで我々だけで飛んで、ミンダナオ島のガイドに案内をしてもらうほうが安上がりなのだが・・・
彼女は拙者が信頼を置いているガイド・・・・
万が一、“フジイさん”に何かあったときには信頼関係のあるガイドじゃないと任せられない。
そこで、彼女の飛行機代もホテル代もこちらで負担しても一緒に来てもらうことにした。
昨日、マニラに到着してすぐに国内線でミンダナオ島へ行くこともできたのだが・・・
日本から4時間、国内線に乗り換えて2時間近く狭い機内に閉じこもっていたのでは疲れるだろうからということで、マニラに1泊した。
少しは現地に慣れたのかもしれない・・・・“フジイさん”は今日はニコニコ顔である。

セキュリティチェックが、また面倒である。
腕時計、財布、鍵、携帯電話・・・
ショルダーバックに全部入れさせ、靴を脱がせて、上着も脱がせ、帽子も脱がせて・・・・
「はい!これで大丈夫!」・・・・と、先に行かせる。
先に行ってから迷子になられたのでは困る。
拙者も急いで通過して、荷物を受け取り追いかける。(笑)
ご高齢者の特徴なのだろうか・・・・几帳面なのである。
鍵や財布、携帯電話・・・などなどをまたポケットにしまい込む。
「どうせ、またチェックがありますから、使わないものはそのままカバンの中に入れておいたほうがいですよ」と言うのだが・・・・几帳面にもまた最初の場所に戻す。(笑)
まぁ、仕方がないか・・・・そのほうが何となく安心なのだろう。
「ダバオまではどんな飛行機に乗るんだ?」と尋ねられたが、拙者も初めて乗るのでわからない。
「まさかプロペラ機ではないと思いますけど・・・(笑)」

「おお!まともなジェット機だ!」と“フジイさん”(笑)
ミンダナオのダバオって結構大きな町だと聞いていたが、マニラからの便は少ないのだという。
一番多いのはセブ島へ行く便なんだとか・・・・
便数が少ないだけに機内は満席である。
で・・・・自分の座席に座って気が付いた!
しまった!やっちまった!
チェックインは“ステラさん”にお願いしてやってもらったのだが・・・・
なんと!我々の座席は飛行機の真ん中の列・・・・つまり・・・外が見えない!
ミンダナオ島を空から見せてやろうと思っていたのに・・・・・あ~失敗した!言うのを忘れていた!
帰りの便は、席がバラバラになってもいいから“フジイさん”を窓側に座らせるよう“ステラさん”に頼む。
しかたがない・・・空からの景色は帰りに楽しんでもらうしかない。

無事にミンダナオ島のダバオ空港に到着!
早速、“フジイさん”にはトイレに行ってもらう。(笑)
小さい空港の小さなトイレは・・・・大混雑。
しかし、とにかくこのタイミングでトイレに行っておいてもらわねば・・・
その間、拙者はターンテーブルのところで荷物が出てくるのを待つ。
と・・・やたらと職員が声をかけてくる。
荷物を取ってやろうか?・・・・ということらしい。
チップ目当てなんだろう。
断っても、次々と別の奴がやって来て声をかけてくるから困ったものだ。(笑)
ようやく荷物を受け取って空港の外へ・・・・
マニラよりこころなしか暑いような気がする。
ここダバオでの移動に運転手付きのワゴン車を用意してもらっている。
が・・・・来ない!(笑)
駐車場に陣取ったまま、ピックアップに来ない!(笑)
仕方がないので、駐車場まで歩いて行く。
“フジイさん”はここダバオに駐屯していた海軍の少年兵。
64年ぶりにダバオの地を踏んだ。
が・・・本人は・・・・キョト~ン!(笑)
仕方がないよな・・・ずいぶん変わっちゃっているだろうから・・・・
投稿日:2009-04-23 Thu
無事に(当然ですが・・・)マニラ空港に到着。荷物を受け取って、迎えの現地旅行社社員と合流。
彼は、以前にも拙者を迎えに来てくれたことがあったので、知った顔・・・・(笑)
空港の外でガイドの“ステラさん”を待つ。
が・・・・“フジイさん”の様子がおかしい・・・・・
憧れのフィリピンに来て大喜びしてくれるかと思ったら・・・・二コリともしない・・・・・
あれ?顔がこわばっていますけど・・・・・(笑)
緊張の極致・・・・と言ったところか?
大丈夫かな?
迎えのワゴン車に乗ってホテルに向かう。
“ステラさん”がチェックインの手続きをしてくれている間、コーヒーラウンジでコーヒーを飲んで待つ。
「このホテルはいつも私が泊まるホテルでしてね。毎回ここに泊まるので、ホテルの従業員も私の顔を覚えてくれているのが結構いるんですよ」
「へぇ~」
「で・・・ここに到着したら、毎回、まずはここでコーヒーを1杯飲むことにしているんです」
「へぇ~そうなの?」
「そう、前回もこの席に座ってコーヒーを飲んでました」
「そう?いつも?(笑)」
ようやく“フジイさん”がニコリと笑ってくれた。(笑)
あ~よかった。
チェックインの手続きも済み、次は両替・・・・・
“ステラさん“個人に両替を頼む。
多少の手数料は取るのだろうから、彼女にとってもメリットがあろう。
それでもホテルのフロントや銀行よりはレートはいいんじゃないか?
「じゃぁ、俺も・・・」と“フジイさん”が財布を取り出した。
「いや、いや、私が両替して、今回の旅行の支出は私が行いますから・・・・」
「え~でも・・・」
「下手に財布を出したりすると何かあるといけませんから、お金のことはすべて私が管理しますよ。でも、何か個人的にお買い物なんかでお金を使いますか?」
「いやぁ~何も買うつもりはないけど・・・」
「じゃぁ、両替は必要ないです。帰国した時にまとめて請求しますから・・・」
お年寄りですからね~
街の中でお財布なんかを不用意に出されたのでは危なくて仕方がないもんね。(笑)
これで今日の予定は終了!(笑)
今日はマニラに泊まるだけ・・・・
まだ、午後3時・・・・・充分時間はあるので、普通なら近くを散策するか、観光・・・・というところだが・・・
今回の旅のメインはミンダナオ島である。
初日からハードスケジュールで疲れさせてはマズイだろう。
ここは、部屋でゴロゴロとゆっくり過ごしてもらった方がいい。
ということで・・・観光はしない。(笑)
今日からのフィリピンでの宿泊は別々の部屋を用意した。
当初は、旅費を安くするため一緒の部屋に泊まろうと思ったのだが・・・
なんと!“フジイさん”の生活パターンは夜7時に寝て朝の4時か5時には起きるという。
ゲゲゲッ!(笑)
いくらなんでも、夜7時は早いでしょ!(笑)
拙者は午前0時になってもなかなか寝られない男である。
付き合ったとしても午後9時だな・・・・午後7時就寝は・・・無理!(笑)
ここで“フジイさん”の生活パターンをあまり変えると体調を崩す恐れがある。
というわけで・・・“フジイさん”とは別々の部屋にした。
”ステラさん”が気を利かしてくれて部屋はドア1枚で行き来できるコネクティングルームをとってくれた。
こりゃ便利である。
いちいち廊下に出なくても部屋がドアでつながっているから楽である。
夕食はホテルのレストランでバイキング。
好き嫌いがないというので助かったが・・・・
このホテルのバイキングは種類が豊富なのである。
洋食はもちろん、中華も日本食もある。
で・・・・“フジイさん”・・・・・
バイキングの一番端から一つ一つ取って行った・・・・
あの・・・それ・・・全部・・・チキンですけど・・・・(笑)
「フジイさん!端から取って行ったのでは全部食べきれませんよ!間違いなくデザートまで行きつくことはないと思いますけど!(笑)」
「え?そう?」



今日はこのくらい食べれば拙者は十分である。(笑)
デザートだけでも・・・・こんなにあるんだから、食べきれない。

食後、部屋でおしゃべりして・・・・・
午後7時・・・・
“フジイさん”には、いつもの時間に就寝していただき、拙者は自分の部屋でテレビを見ながらゴロゴロする。
無事何事もなく、一日が終わってくれた・・・・ありがたし。
投稿日:2009-04-23 Thu
朝食をとり、ホテルの送迎バスで成田空港へ・・・・ここで、旅行会社の社長の“クラツさん”と会って、航空券(Eチケット)を受け取り、チェックインカウンターへ・・・・・
予定より少し早目に到着したのだが・・・・フィリピン航空のカウンターの前は長蛇の列・・・・
なに・・・これ・・・
相変わらず乗客はフィリピン人の女性が多いが、日本人と結婚したのだろうか、家族連れも結構いる。
で・・・荷物も多い・・・そのせいか、チェックインがなかなか終わらないので全然前に進まない。
だいたい、フィリピンの女って強引で生意気なのが多いんだよなぁ~
どうせ重量オーバーで揉めているんだろう。(笑)
いつもは、リュック一つなので、機内に持ち込んでしまうから預ける荷物はない。
それで、別のカウンターに案内されて早々とチェックインしてしまうのだが・・・今回はそうはいかない。
延々と列に並んで待つ・・・・
と・・・・「ちょっとトイレに行ってくる」と言って“フジイさん”が列から抜けた。
あ~こりゃ参ったなぁ~
一緒について行ってあげたいけど、ここで列から抜けたらまた一番後ろに並び直さねばならない。
しかし、一人で行かせたら・・・・迷子になりはしないか?ちゃんと戻って来れるだろうか?
こういう事態になることを想定していなかった。
やっぱり一人で面倒をみるというのはなかなか難しい。
仕方がないので、一人でトイレに行ってもらい、拙者は列に並んで待つ。
かなりの時間待つが・・・・“フジイさん”が戻って来ない・・・・
まずい・・・迷子になっちまったか?
まもなく、“クラツさん”に連れられて戻ってきた!(笑)
いやぁ~彼女がいてくれて助かった。
昔は、代表者だけがチェックインの手続きをすれば良かったと思ったが、今は、そうじゃないらしい。
昔は誰か一人にチェックインを任せてみんなでどこかに座って待っていたもんだが・・・
一緒に乗る人もカウンターの所にいなければならないそうだ。
“フジイさん”を延々と立たせておくというのも気が気ではない。
疲れてぶっ倒られたら一大事だが、どうしようもない。
ようやく拙者の順番がきた。
もたもた遅かったのは、乗客のせいの他に、どのカウンターに並ぶかを指図する女性職員の要領の悪さにもよるものだった。
馬鹿じゃないか・・・・と思うくらい要領が悪い。(笑)
これじゃ、いつまでたっても前に進まないはずだ。
で・・・我々のチェックイン・・・・スムーズに行くかと思ったら・・・・
カウンターの女子職員が近くの男子職員を呼んで何やら耳打ちをした・・・・
すると男子職員がいきなり拙者に向かってこう言ったのである。
「そのお顔はどうされました?」
「なに?顔?」
「ええ、お顔です・・・」
「俺の顔がなんだっていうの?」
「お熱でもあるように見受けられますが・・・・そのお顔・・・・どうされました?」
「熱なんてないけど」
「むくんでますよね?お顔・・・」
なんだこの野郎!
言葉は丁寧だが、言っている内容はかなり失礼な内容である!
どうして今の若い連中ってこういう奴が多いんだろうか?
言葉は馬鹿丁寧・・・・敬語の乱立だったりするが・・・・(笑)・・・その内容は全然丁寧じゃなかったりするのである。(笑)
「顔?おれの顔?むくんでなんかないけど」
「いや、どうみてもむくんでいるように見えますけど・・・」
「なんだって?むくんでるって?じゃぁ、むくむ前の俺の顔を見たことがあるのか?」
「いえ・・・なんでもなければ、それでいいんですけど・・・・」
この野郎、ぶん殴ってやろうかなと思ったが・・・・“フジイさん”の前で喧嘩するわけにもいかぬ。
“クラツさん”もさすがに顔色を失ったが・・・
「私も以前、眼の下に“クマ”があると言われて搭乗を拒否されそうになったことがあるんですよ」と言う。
最近のフィリピン航空では病気ではないかと疑わしい者に対しては搭乗を拒否することにしているそうだ。
それならそうと、まず質問する理由を言ってから拙者の顔のことをとやかく言えばいい。
いきなり「顔!顔!」と言われたんじゃ不愉快極まりない!
だいたい、日本からフィリピンへ病気を持ち込まれたのでは困ると言わんばかりのあの態度は何だ!
フィリピンから日本へ病気を持ち込む可能性のほうが高いのではないか?
日本より公衆衛生の悪い国のくせしやがって!
自分の国の公衆衛生の方をなんとかしろと言いたい。(怒)
「ふん!顔がむくんでいるんじゃない、俺は顔がデカイんだ!顔がデカくて何が悪い!チクショ~」(笑)
なんだかんだで不愉快な思いをしたが・・・・
まぁ、フィリピンではいつものことだ。
必ず1回はどこかで不愉快な思いをさせられるが・・・まさか、出発前の成田空港で不愉快な思いをさせられるとは思わなかった。
“クラツさん”の見送りを受けて、急いで出国手続きへ・・・・
早目に搭乗口まで行って、そこでゆっくりしよう!
で・・・もう1回、“フジイさん”にはトイレに行ってもらって・・・・・(笑)
はい!無事に搭乗!

投稿日:2009-04-22 Wed
今日は、靖国神社の春の例大祭・・・・いつものように、我が戦車第二師団の会も参列する予定であるが・・・・
今日、大阪から“フジイさん”が上京して、一緒に成田に泊まることになっている。
例大祭に出て、東京駅に迎えに出て・・・というのは、あまりにも忙し過ぎるので、例大祭のほうは欠席とした。
で・・・・午前中、フィリピン旅行の最終確認をする。
事前の打ち合わせで、拙者は私物をリュックに入れて背負い、“フジイさん”のスーツケースを持って旅をしようと考えていた。
しかし、娘さんの話では、スーツケースを持っていないので、リュックを父に背負わせるようにしますという。
リュックが2つではさすがに拙者も荷物運びができない。
“フジイさん”には杖だけを持たせて、その他は何も持たせないようにしようと思っている。
相手もリュックなら・・・じゃぁ、拙者の荷物をスーツケースに入れればいい。
“フジイさん”のリュックを拙者が背負えば同じことだ。
で・・・昨晩、スーツケースに荷物を入れて、ほとんど準備は完了した。
さて、あと1時間ほど経ったら駅へ行って特急に乗らねば・・・・というタイミングで、娘さんから電話が入った。
「父にリュックを背負わせようと思いましたが、キャスター付きのカバンを見つけたので、それを持って行くことにしました」と言う。
ゲゲッ!荷物変更?
こりゃ、大変だ!
スーツケースに入れた荷物を急いでリュックに詰め替えるが・・・・
だいたい、容量が違うんだから、リュックに入りきらない!(笑)
ありゃりゃ・・・・
大急ぎで持ち物を選別し直し、荷物の量を減らしてリュックに詰め込む。
急げ!急げ!電車に間に合わなくなる!
まさか、出発直前に、こういうことになろうとは・・・・(笑)
こういう移し替えの時の怖いのは、うっかり移し替えるのを忘れてしまうものが出るということ。
忘れ物をして“フジイさん”の面倒をみるどころではない・・・なんてことになったら大変だ。(笑)
なんとか、荷物もまとまり、リュックを背負って特急に飛び乗り東京へ・・・・
待ち合わせ時間前に無事に東京駅に到着する。
“フジイさん”は大阪に住んでおられるので、関西国際空港からマニラへ行くのが簡単なのだが・・・
“フジイさん”は関空を使ったことがない。
そりゃそうだ、今回の旅行のためにパスポートを作ったくらいなんだから・・・・
で・・・拙者も当然関空から海外へ行ったことはない。
関空を知らない2人が早朝からウロウロというのもいかがなものか・・・・
成田なら拙者はよく知っているので、申し訳ないが東京まで来てもらうことで了承してもらう。
2人の娘さんの妹さんの方が同行して東京駅まで来て下さった。
ホームで出迎え、挨拶もそこそこに、構内のレストランで食事をしながら旅行の再確認。
娘さんはここからまた大阪へとんぼ返り・・・・いやぁ~申し訳ない。
我々は上野駅まで向かう。
東京駅から成田エクスプレスで成田まで行けるが・・・・
東京駅の構内をかなり歩くことになる。
杖をついて人ごみの中を歩くのも大変だろう。
それより、上野へ移動した方が楽なんじゃないだろうか?
ということで・・・スカイライナーで成田へ行くことにした。
で・・・山手線に乗ろうとしたら・・・・
「切符を買わなくていいのかい?」と“フジイさん”
「え?切符は持っていますよね?」
「ん?持ってないよ」
「え?だって・・・大阪からの切符はどうしました?」
「さっき、駅で機械の中に入れたけど・・・・」
「あれ?乗車券が出てきたでしょ?」
「ん・・・何か出てきたけど気持ち悪いから・・・置いてきた・・・」
ありゃりゃぁ~やっちゃったぁ~(笑)
新幹線口で乗車券をそのまま置いてきちゃったらしい。(笑)
うっかりしていた。拙者がちゃんと確認しておけばよかった・・・・・
上野駅の改札で事情を説明して東京駅から上野駅までの料金を支払って構外へ・・・・
京成電鉄のスカイライナーに乗り京成成田駅へ・・・・
ホテルの無料送迎バスに乗ってもいいが、乗り降りが大変だろうから、ちょっと贅沢してタクシーでホテルに向かいチェックイン。
今晩はツインルームを予約して一緒に泊まる。
何とか無事に成田までは来たぞ!(笑)
さぁ~明日から大変だ!(笑)
投稿日:2009-04-21 Tue
今日は、鉢の植え替えの日・・・・・とはいっても、拙者が一人でやるわけではない。
だいたい、どうやればいいのかわからないのである。
で・・・・庭師の“エバトさん”に手伝ってくれるように頼んでおいた。
明日、成田へ行かねばならないので、ちょっと忙しいのだが・・・・
今日しか空いている日がないので今日やることにした。
植え替えするのはシンビジウム・・・・
鉢一杯に根っこが廻りギュウギュウ詰め状態。
昨年やろうと思っているうち1年が経ってしまっていた。
それがいけなかったのだろうか・・・・
今年はなぜか1輪も花を咲かせなかったのである。
母が育てていた思い出の花である。
母が亡くなって、早々にダメにしてしまうわけにはいかない。
一つの鉢から3つほどの鉢に分けて、妹にもあげようと思うが・・・・
しかし・・・どうして今年は花が咲かなかったのか?
“エバトさん”の話では「ちょっと早目に家の中へ入れてしまったんじゃないですか?」とのこと。
そういえば、そうかもしれない・・・・
昨年は、冬近くまで外に置きっぱなし。
亡くなる前、母からは寒くなったら家の中へ入れるように言われていたのを忘れていたのである。
それで、今年は忘れる前に早々と家の中に入れたのだが・・・・
これがいけなかったのかもしれない。
それに・・・栄養もそんなに与えていなかったしなぁ~
「植え替えを教えてください」などと頼んでいながら、結局、“エバトさん”に全部やってもらっちゃった。
あらら・・・である。
母もあの世から見ていて呆れているだろう。
さて・・・これからが問題だ・・・
うまく育ってくれるか・・・・
花とは不思議なものだ・・・
母が亡くなる前・・・
家中のいろいろな花の鉢が花を咲かせ続け、いつまでたっても終わらない。
もうそろそろ花が終わる季節だ・・・と思っていたのに次から次へと咲き続けたのである。
これには母もビックリ。
「なんでまだ咲いてるの?」
二人で大笑いしたことを思い出す。
が・・・母が亡くなってからは・・・鉢も元気がない。
まぁ、母の手入れが良くて、拙者の手入れが悪い・・・ということもあろうが・・・・
でも、あの時は何であんなにいつまでも咲き続けていたのだろうか?
母の死を予感して最後にいい思いをさせようと咲き続けていたような気がしてならない。
花は花で、母へ最後のお別れをしていたのかも・・・・
たのむぞ・・・今度は拙者のために花を咲かせてくれよ・・・・
投稿日:2009-04-20 Mon
![]() | 政商 小佐野賢治 (徳間文庫) (1986/02) 佐木 隆三 商品詳細を見る |
小佐野賢治・・・・・
ロッキード事件の被告として有名な人である。
名前だけは知っていたが・・・・
さて、どんな人なのかというと・・・・実は知らない。
なんか・・・ブローカーみたいなのをしていた人だよねぇ~ということぐらいしか知らないのである。
で・・・何か悪い人・・・というイメージ。
小佐野賢治は大正6年、山梨県東山梨郡に生まれた。
家は小作農だというから豊かではない。
小学校時代はガキ大将。
しかし、成績は優秀だったので卒業時に優秀賞をもらえるはずだったが、普段の素行が悪いということでもらえなかったという。
当時の担任の話によれば、なにしろ強すぎるので教師から憎まれたらしい。
本当は礼儀正しく、受けた恩は決して忘れないという性格だが、こうと思ったら後には引かない性分が災いしたという。
う~ん・・・・これじゃまるで偉人と言われるような人の少年時代ではないか?
おかしい・・・その人が何で悪いイメージの人になってしまったのだろうか?
優等賞ももらえなかったのが良かったともいう。
「なにくそっ!」と燃えたから、その後の政商・小佐野賢治になれたのだろうと・・・
それは言えるな・・・
私は「なにくそっ!」と思ったことがないから偉くなれなかったのだ。(笑)
小学校の高等科を卒業して16歳までの2年間、トラック運転手の助手をする。
「百姓をしていては偉くなれん」が口癖の小佐野少年は、昭和8年、16歳で上京。
自動車部品商に住み込みで働く。
昭和12年、徴兵で軍隊に入り、中国戦線で負傷して除隊。
東京に出て自動車部品商に勤め、のちに独立して会社を設立する。
たしたもんだ・・・24歳で会社を作るんだから・・・・
で・・・この頃から、隠れた商才・・・・押しの強さが頭をもたげ始め・・・・面白いように儲かったという。
う~ん・・・なるほどねぇ~
押しの強さ・・・・私にはこれがない・・・・(笑)
これがなきゃ、商売はうまくいかないわけだ・・・・
その後、企業買収や乗っ取りをする。
いやはや、私にはこういうことは無理。
この時点で私は「成功者」のレールから完全に脱線だ。(笑)
その当時の時代に助けられたという部分もあるかもしれないが・・・・
戦時中は軍と取引をして面白いように儲けたという。
百姓育ちの頑丈な体・・・・
朝早くから夜遅くまで働いたというのだから大したものだ。
これまた怠け者の私には無理。(笑)
ただ、負けん気が強く、押しが強く、機を見るに敏であり、多少の汚い手を使っても買収や乗っ取りをする・・・それだけではダメなのだろう。
やっぱり働き者でなければ成功しないんだろう。
読めば読むほど自己嫌悪になってくるぞ・・・これ・・・・(笑)
大金持ちの成功者になるには、こうでなくては・・・・
あ~あ~道を誤った・・・・
絶対、性格的に自分には無理な世界だ。
改めて自分は「商売人」ではないことを自覚した。(笑)
「刎頚の友」と言われた田中角栄は少年時代のエピソードはかなり語られているのに、この小佐野賢治という人の少年期の話は自らも語ろうとしなかったという。
そういうなかで、よく少年期、青年期について調べ上げたものだと感心する。
そして・・・話はロッキード事件へと入って行く・・・・・
で・・・「日本一の富豪」と呼ばれた小佐野賢治の話は、だいたい昭和60年までぐらいのところで終っている。
本書が刊行されたのちに69歳で亡くなっている。
ちょっと早いなぁ~
死因はストレス性潰瘍らしいから・・・そんなにストレスを感じるくらいの人なら本物の「ワル」ではなさそうな気もするのだが・・・・
世間の小佐野賢治を見る目は、ちょっとうがっているのではなかろうか?
それにしても商才とは学歴とは全く関係ないようだ・・・・
ロッキード事件がなければ、偉人としてこの世を去れた人だったかもしれない・・・・
そんな気がした。
今年の読書:20冊目
投稿日:2009-04-18 Sat
今日は、午前中、靖国神社で慰霊祭。いつもの昇殿参拝。
で・・・そこで神官から声をかけられた。
「こんどの戦車第二師団の慰霊祭、よろしくおねがいいたします」
ん?
あ・・・そうだ・・・
我が戦車第二師団の慰霊祭の打ち合わせをした担当者だ。
まったくもって情けない・・・・
打ち合わせでお世話になっていたというのに顔を覚えていない。(笑)
相手の方が拙者の顔を覚えていて声をかけてくれた。
いやぁ~失礼しました~
参拝後は遊就館の見学。
「あなたが、みんなを誘導してください」と頼まれ、誘導係を務める。
で・・・拙者は見学はしない。(笑)
喫茶コーナーでコーヒーを飲んでゆっくりくつろぐ。(笑)
さて、午後からは靖国神社近くの九段会館大ホールで開催される「第32回帝国陸海軍軍楽隊大演奏会」に行く。
事務局で幹事の“ホンマさん”から「軍歌の会の集まりで、今回は軍装をしての軍歌の会だから、みなさん懐かしがると思う」と言われていたのだが・・・・
行ってみたら・・・・あらら・・・・
軍服を着た若い連中が入口に立ち・・・・
その他、陸海軍それぞれの軍服を着た若い連中がたむろしている。
なんとも異様な雰囲気・・・・(笑)
会場は全席指定席。
我が会員に事前に入場券を渡すと失くすといけないから・・・と“ホンマさん”が全員分を持っている。
で・・・拙者が遊就館のほうの面倒を見ている間に、先に会場に行き準備をしておくと言っていたのだが・・・
何故か大騒ぎ・・・・(笑)
我が会が押さえた指定席にはお昼のお弁当や記念品などを置いておいたのはいいが・・・
それが間違った場所に置いてあったからたまらない。
一般の方の席にまで置いてある。
で・・・当然、指定券を持った方が来れば・・・もめるのは当然。
「あとはお願いね!何とかして!私は忙しいんだから!もう、大変!」と言って“ホンマさん”はどこかへ逃げた!(笑)
おい、おい・・・・
ここの責任者は誰なんだよ?
俺だってしらねぇぞ・・・・・
とにかく「忙しい」「大変だ」と騒ぐばかりでどうにもならん。
拙者だって何のことやらわからんのだ・・・だいたい、この企画自体知らないんだから・・・
とにかく何とか仕切って、席を入れ替えたりして、どうにかまとめるが・・・
このゴタゴタは拙者の責任ではないのだが、あれやこれやと文句を言われる。
内心・・・「俺に言うな!」って言いたいが・・・・そう言っても仕方がない。
どうして女性というのはこうなんだろうねぇ~
ドタバタ騒ぐだけ騒いでどこかへいなくなってしまう。(笑)
仕舞には弁当が足りないという騒ぎ。
「一般の人が持って行っちゃったんじゃないの?」
「あなた、何とかしてよ!」
「何で俺が?俺・・・ここの担当じゃないんだけど・・・」
「とにかく何でもいいから何とかして!」
「誰が弁当の手配をしたの?」
「ちゃんと人数分手配したんだけど・・・・」
「で・・・それはどこにあるの?」
「全部、それぞれの椅子の上に置いたんだけど・・・」
「誰が?」
「・・・・・・」
「間違った席に置いたら、他の人が持って行っちゃうのは当然だよね?」
「・・・・・」
「ここの準備を担当した人が責任もってやることじゃないの?」
「とにかく・・・何とかして!私は忙しいんだから!じゃぁ!」と言ってまた逃げ出した。
ウソ~・・・・・・
で・・・開会・・・・
軍服を着た人が壇上に上がって軍歌を歌うのはいいが・・・・
軍服を着た若い連中が会場内を行進する。(笑)
いやはや・・・なんともマニアックな・・・・

主催は栃木県の那須にある戦争博物館らしい・・・・
拙者も軍装というのは嫌いじゃないし、海軍の第二種軍装を自分でも持っている。
が・・・人前で着たのは友人の結婚式の仮装パーティーの時だけ。(笑)
“ホンマさん”は「みなさん、懐かしいでしょう?」とご満悦だが・・・・
果たしてそうだろうか?
生還者の中には懐かしいと思う人もいれば、そうじゃない人もいるのではないだろうか?
ましてや遺族となれば・・・果たして懐かしいと思うかどうか・・・・
近くの遺族数人に尋ねてみたら・・・・「ちょっとねぇ~」という答え。
やっぱりね・・・・
こういうのは興味のある人が個人で参加すべきで、団体で行くべき企画じゃない。
我が会は生還者と遺族の親睦団体であるはずなんだから・・・・
右翼の団体ではない・・・・(笑)
この演奏会が悪いとは言わないし、軍歌を歌ったり聞いたりするのは個人の自由。
拙者も軍歌を歌うこともあるし・・・・(笑)
しかし、団体で参加というのは、ちょっと違うんじゃないかねぇ~
“ホンマさん”の趣味で、勝手に一方的な思い入れで、みんなを引き連れて参加というのはいかがなものか・・・・
途中で退出した我が会員が何人かいた。
一応、「用事があるから」というのが理由だが・・・
本当にそれが理由ならいいけど・・・・
生還者である“コンドウさん”が会長で、“ヤマシタさん”が事務局長の時は政治色もなく本当の「親睦」でよかったのだが・・・・
このお二人が御高齢で引退後、スタッフが入れ替わったら雰囲気が変わってしまった。
どうも政治色が出てしまっている気がする。
拙者は昔から「右翼」とレッテルを貼られてきた人間だが・・・・
その拙者ですら・・・ちょっと首をかしげてしまう。
我が会は「親睦」団体ではなかったのか?
演奏会も大詰め・・・・
軍歌に合わせて会場内の参加者が日の丸や軍艦旗の小旗を振る。
いやぁ~なんともゾッとする景色である。(笑)
当然・・・拙者は旗は振らない。(笑)
とてもじゃないが、そういう気にはなれない。
閉会となり、我が会は、ここで自由解散。
拙者は他のスタッフと一緒に会場に残されたゴミの片づけを手伝いってから帰宅する。
う~ん・・・・今回の「親睦」の企画・・・・
やっぱりマズイだろう・・・・
これに懲りて来年の参加者が減らなければいいが・・・・
それだけが心配である。
投稿日:2009-04-17 Fri
今日は、曙光会の東京大会・・・・準備を手伝ってもらいたいと連絡があったので、昨日、上京して前泊。
お昼前にお茶の水駅ちかくにある今回の会場となるホテルに向かう。
スタッフと昼食を食べて・・・・
集合時間より早めにくるであろう参加者のため、スタッフと手分けして駅前に幟を持って立つ。
まぁ~目立つこと・・・・
だいたい「曙光会」って、他の人には何の団体かわからないだろう。
知る人ぞ知る・・・の団体である。
「曙」とか「光」っていう文字から推測すると・・・どこかの宗教団体のようにも思われてもおかしくはない。
どこかに「戦友会」とか「遺族会」とかの文字が欲しいところである。
多くの乗降客からジロジロ見られて・・・まさしく晒し者だが・・・・
これも皆のため・・・・我慢、我慢・・・・・
参加者は何に乗って来るかわからない。
JRなのか地下鉄なのか・・・はたまたタクシーか・・・・
で・・・JRの駅と地下鉄の出口、そして駅からホテルまでの交差点等に幟を持った案内係を配置。
スタッフとして比較的若い遺族の方々がその役をする。
が・・・拙者が見回ってみると、目立たない所に立って仲間同志でおしゃべりしていたり、いつのまにかいなくなっていたりと何とも無責任極まる。
ハッキリ言って・・・・役立たずである。
参加者の殆どが高齢者である。
その方々が道に迷わないようにするのが我々の役目だというのに・・・・・
どうして「団塊の世代」と言われる人やそのちょっと上の世代の人はこうも無責任なのだろうか?
拙者より年長者だから説教はしないが・・・・
これが青年会議所の後輩だったら怒鳴りまくって説教ものである。
ホテルの会場にいるスタッフと携帯で連絡が取れないので、駅とホテルを往復して状況把握に務める。
ところが・・・受付の情報が錯綜。
いったい何人が到着しているのか誰も明確に答えられない。
受付担当者がその調子だから他のスタッフの情報はいいかげんなもの。
自分で確認せず「たぶん・・・」という数字を平気で伝えてくる。
遅刻の連絡があった人を除いて、おおよそ全員が揃ったであろうというタイミングで外で案内係をしているスタッフに撤収するよう伝える。
こういうことも誰がやるのか、まったく決めずに「じゃぁ!お願いしま~す」という調子でやるから、あとでドタバタと大騒ぎとなる。
仕方がない・・・「俺がやらなくて誰がやる」の精神で自分でやるしかない。
肝心な判断は人任せ、命令待ち・・・・・自分の頭で考えない。
怠ける時にはいち早く自己判断で勝手に持ち場を離れる。
これが青年会議所のイベントだったら、絶対、後日の理事会で吊し上げとなる内容である。
そう考えると、青年会議所で経験を積んでいてよかったとつくづく思う。

総会では、例によって例の如く、参加者全員の紹介。
毎年お会いする懐かしい方もおられるし、初めて参加される方もおられる。
今回参加したきっかけが拙者との出会いだと拙者の名前を挙げる方が何人も居られたので会場に失笑が漏れる。
う~ん・・・拙者は「手配師」ではないのだが・・・(笑)
以前、メールとお手紙を頂き、戦没されたお父上の調査をしてあげた“ナカジマさん”が初参加。
お会いするのは初めて・・・・
同じく”オオタさん”も初参加。ご遺族である娘さんとそのお子さん家族とで一家でのご参加。
“オオタさん”もメール、手紙、電話でしか「お会い」していなかったので初顔合わせである。
昨年初参加だった“フルサワさん”も今回来てくれた。
いつか一緒にミンダナオ島へ行きたいと思っていたが、一足先に行くことになったことを伝える。
同じく“シオハラさん”も参加してくれた。
彼女とはプライベートでも会っていたが、最近ご無沙汰してしまい申し訳なし。

懇親会は大盛況。
指定された拙者の席は“オオタさん”ご家族と同じテーブル。
以前、御子息からメールいただき戦没状況等の調査や調査のアドバイスなどをしたので、そのことへの感謝の言葉をいただく。
いやぁ~嬉しいやら恥ずかしいやら・・・照れる。(笑)
少しでもご遺族のお役に立ったのならそれで満足である。
同じテーブルには野砲兵第22連隊の大森さん御夫妻も居られた。
1年ぶりの再会。お元気そうで嬉しかった。
91歳の“ハセガワさん”は拙者を探していたそうだ。
どうしたのかと思ったら、お土産を渡したかったという。
兵庫県からわざわざ拙者へのお土産持参での参加である。
いやぁ~ありがたい。感謝、感謝である。
その他・・・あげたらきりがないほどの懐かしいお顔と再会した。
また、新しい人との出会いもあった。
お父様がレイテ島で戦死された“マキハラさん”である。
いろいろと自分でも調べたのだが・・・と資料を持参。
で・・・「他の方に聞いたら、あなたが調査の手伝いをしてくれるというので・・・」と声をかけてきたのだ。
じゃぁ、後日、調査してみましょうということになる。
またまた忙しくなりそうだ。(笑)
拙者は昔からパーティーというのは間が持たないので好きではないのだが、戦友会の集まりはなぜか楽しくて仕方がないのである。(笑)
大懇親会もお開きとなり、続いて有志だけで2次会となる。
いつもの“常連”が一室に集まっての酒盛りである。
さて・・・その席上での事。
ある、若い女性会員に対する非難の声が一部の会員から上がった。
会員名簿を入手したことをいいことに、生還者を訪ね歩き取材をしているらしい。
それはそれはそれで構わないだろうが・・・
問題はその取材をした内容を書いたもの自体にあるらしい。
どうもあまり「よろしくない」書き方をしてあるそうで・・・・
それを投稿という形かなにかで、公に出しているらしい。(拙者は見ていないから何とも言えないが)
「どうしてあんな人を入会させたのか?」
「除名すべきだ!」との声が上がった。
まぁ、無理もないかもしれない。拙者が見ていても若いくせに何の手伝いもせず、いそいそと生還者に声を掛け・・・用がすんだら早々と帰って行ったようだから・・・・
遺族ではないので、「入会の動機が不純なのでは?」と反感を買うのも仕方がないかも・・・・
また、会報を勝手にコピーして色々な人に配布している人もいるという。
この人への批判の声も一部の会員から上がる。
会報には新入会員の住所や連絡先等も載っている。
そうそう安易に会員以外に配布してはマズイというのは常識のはずなのだが・・・
そういう常識のない人も会員の中にはいるのである。
「それは、個人情報保護の観点からも総会の時にはっきりと全会員に言うべきではないか?」と言ったら・・・・誰も返事をしない。
あれ?ただ愚痴を言っていただけ?(笑)
騒ぎ立てるのはいいが、じゃぁ、どうするかという話になると大人しくなってしまう。
これまた困ったものだ・・・(笑)
あとはいつものように一部の生還者が自分の自慢話を延々とする。
これにはいつも閉口するが・・・
こういう人に限ってお元気で毎回参加されるのである。(笑)
生還者の“カワムラさん”から「あなたのおじいさんは立派な方だったので、ぜひ、あなたのおじいさんについて何かご披露してもらえないか?」と言われる。
しかし・・・拙者にはそれはできない。
個人的に話すなら別ではあるが・・・・
多くの人の前で、いわば「自慢話」的なものを披露するのは亡き祖父は良しとはしないだろう。
そばに祖父がいたら絶対反対するはずである。
ということで・・・その旨をお話し鄭重にお断りした。
(ちょっと嫌味をこめて言ったつもりだが、声高に自慢話をしているある生還者には理解できたかどうか・・・)
2次会もお開きになったとき・・・・・
一人の遺族が拙者にこう言った。
「生還者の自慢話ばかりで、とうとう遺族の話が全く出ないで終わってしまったけど・・・遺族をないがしろにしてるんじゃないでしょうか?」
確かに・・・このおばさんの言う通りだ・・・・
どうしても声の大きな人間がその場を仕切ってしまう。
それが生還者で、しかも「俺は何でも知っている」とばかりに自慢話をされたのでは・・・・そう言われても仕方がない。
まさしくごもっともである。
さて・・・来年は、この生還者をどう大人しくさせるか・・・・(笑)
何か名案がないものか・・・・
困ったものだ・・・・
投稿日:2009-04-15 Wed
今日は一日中会議である。お昼・・・法人会の親会の広報委員会。
ホテルの会議室でお昼を食べながらの会議である。
で・・・夕方6時半からは法人会青年部会の理事会。
これは昼とは別のホテルのレストランで夕食を食べながらの会議である。
で・・・その後はいつものように部会長と飲みに行く。
今日は会議で一日が終わった。
で・・・昼と夜・・・2食が外食である。
ここで栄養を摂る。(笑)
決して栄養を摂るため会議に出ているのではないが・・・・(笑)
投稿日:2009-04-15 Wed
今日は、午後から茨城県法人会連合会の青年部の総会。う~ん・・・・正式名称はなんたらかんたらと長かったような・・・・・
どこの誰がこんな長い名称を付けたのか・・・・
正式名称はさっぱり覚えられない。
今回、地元の法人会青年部で副部会長になったことで、この県の青年部にも出向することになった。
いいのだろうか・・・・廃業してるんだけど・・・・(笑)
総会の司会は我が法人会青年部会長の“ケムちゃん”である。
水戸駅前のホテルが会場・・・・・
車を運転して行ってもいいが、田舎者だから県庁所在地の水戸市内を走るのはどうも苦手・・・・(笑)
久しぶりに各駅停車にでも乗って行こうかな・・・・
“ケムちゃん”と一緒に各駅停車の「鈍行」に乗って水戸駅に行く。
水戸駅前で黄門様ご一行の銅像を撮影!
銅像の写真!ゲット!(笑)
“ケムちゃん”に呆れられるが・・・仕方がないのである・・・・病気なんだから・・・・(笑)
銅像を見かけると、写真を撮らねば気が済まないという病気なのである。
この総会に参加するのは初めてだが・・・・
会場では、知り合いもチラホラ・・・・拙者は覚えていないが相手は拙者を知っているようで、挨拶される。(笑)いやぁ~申し訳なし・・・・・
途中から次年度部会長となる“オノザキくん”も駆けつけ、我が会からは3名の出席である。
県内各地から集まった割には・・・・総会の参加者は意外にも少ない。
この会場の狭さ・・・・なに・・・・これ・・・・(笑)

総会後は別会場で懇親会・・・・
料理は立食ではなく、各自にフルコース・・・・贅沢である。(笑)
が・・・総会より更に人数が減ったようで、料理が大量に余る・・・・
なんともったいないことか・・・・
各会で参加費を払っているので、自分の財布は痛くない。
だからドタキャンして懇親会に出ないで帰っても構わない・・・・ということなのだろうが・・・・
こんなに料理を捨てるようになるようでは問題ではないか?
エコだの、地球環境だの、何だかんだ言っている割には、やることが伴っていない。
青年とはいえ、中小企業の経営者である。
その経営者がこんなことでいいのかねぇ~
モラルが問われるべきではないか?


スピーチでは「100年に一度の不況」という言葉が頻繁に聞かれる。
実は拙者はこの言葉が大嫌いなのである。(笑)
誰が100年前の前回の不況を知っているというのだろうか?
誰か見たのか?誰か経験したのか?・・・・前回の100年に一度の不況を・・・・
マスコミが流がす「100年に一度」の言葉に安易に乗ってしまうこの軽薄さ・・・・・
青年経営者がそんなことでいいのかね?
さて・・・久しぶりの水戸という事で・・・・酒を飲むかぁ~ということになる。
拙者が水戸で酒を飲むのは何年振りだろうか?
軽く10年ぐらい飲んでいないのではないだろうか?(笑)
“ケムちゃん”“オノザキくん”の知っている店に行って飲む。
そこへ水戸の連中が・・・・で・・・・大騒ぎ・・・
しかし、最低限の礼儀を守って彼らは先に店を出て行った。
問題はその後である。
まもなく大はしゃぎしながら入ってきた「ニイチャン」が3人・・・・
日立の製造業の連中らしい。
“ケムちゃん”も“オノザキくん”も知っている連中らしいが・・・・こいつら・・・うるさい!
拙者の隣に座って大はしゃぎ・・・仕舞にはこちらの話にまで首を突っ込んで大ふざけ・・・・
カチ~ン!!!
拙者の隣に座ったガキは、拙者の顔の前に指を突き出して振り回す。
この馬鹿・・・・
どこかで見たことがある顔だが思い出せない・・・・
さすがに店の外へ引きずり出して2~3発お見舞いしてやろうかと思ったが・・・・
酔っていたが、かろうじて自制心が働いた。(笑)
“ケムちゃん”は拙者の顔を見て顔色を変えた。
気が付いたようである・・・・・(笑)
まぁ、我慢するしかあるまい・・・・
彼らの前で暴れるわけにはいかん・・・・我慢、我慢・・・・
しかし、今度どこかで会った時はみっちり締め上げねばなるまい。
マナーを知らないガキをのさばらせるわけにはいかぬ。
どうせ、こっちは廃業した身・・・・しがらみがないから怖いものはない。(笑)
ムカムカしながら帰宅する。
すっかり酔いが醒めてしまった・・・・・(笑)
投稿日:2009-04-12 Sun
23日から”フジイさん”とフィリピンに行くが・・・・「ご家族の方の承諾を得たのですか?」と尋ねると、「大丈夫」の一点張り。
本当だろうか?(笑)
少々心配・・・・
“フジイさん”には嫁いでいる娘さんがお二人いるというのだが、その方の連絡先を教えてくれない。
そういう話になると・・・なぜか耳が遠くなるらしい。(笑)
で・・・ついに、先方から電話がかかってきた。
「お父さんが突然フィリピンに行くというので、冗談だと思っていたら本当らしくて驚きました」と言う。
そりゃそうだろうなぁ~
で・・・誰と行くのかと尋ねても名前は教えてくれたが連絡先を教えてくれない。
それで、父親の家に来て、電話の着信履歴を調べて、多分この電話番号だろうという事で電話をかけてきたのであった。
いやぁ~申し訳ない。
こちらも是非お話をせねばと気をもんでいたところである。
どうやら“フジイさん”は娘さんたちに反対されるのを恐れて詳しく話をしていなかったらしい。(笑)
完全な事後承諾になってしまったが、娘さんから改めて承諾を得て旅行の打ち合わせをする。
“フジイさん”は83歳。過去に脳梗塞を患い半身がちょっと不自由なので杖をついて歩く。
今でも薬を飲んでいるというので、その薬の数・・・朝何錠飲んで、昼何錠飲んで・・・と細かいことまでご説明を願う。
こういうこともキチンと把握しておかねば・・・・
それから娘さんから見た客観的な“フジイさん”の体調・・・・
食事の好き嫌い、1日のトイレに行く回数、普段の生活のリズム・・・・等々・・・・・
こちらとしても万全の態勢で臨みたいので、細かく伺う。
で・・・・「旅費はいくらなのでしょうか?」と尋ねられたが・・・・
実は、旅費がいくらになるのかは拙者も知らないのである。(笑)
いやぁ~申し訳ないのだが・・・・
フィリピンの現地旅行社から日本の旅行社に見積もりがまだ届かないのだ。
過去の経験から言うと・・・このくらいだと思うんですけど・・・・としか言えない。
考えてみれば、旅費がいくらかかるかわからない旅行なんて失礼な話である。
「死ぬ前一度行きたい」という目的なら安いから行く、高いからいかないというわけはないだろうと勝手に思っていた。
家族にしてみれば、いくらかかるのかは不安だろう。
拙者の、こういう経済観念がないところを、亡き母は心配していたのだが・・・
やっちゃったぁ~(笑)
出発前までに間に合わなければ、帰国後に支払ってくれればいいと旅行社から言われているので気軽に考えていた。
娘さんは、出発前に1円も支払わないでいいと言われて戸惑っているようだが・・・・
いつも使っている旅行社なので支払は帰国後でもいいという特別待遇なのだ。(笑)
とにかく娘さんとも直接話ができてよかった。
これで安心して出発できる。
投稿日:2009-04-11 Sat
![]() | 「北方領土」上陸記 (文春文庫) (2005/11/10) 上坂 冬子 商品詳細を見る |
「北方領土」上陸記・・・・という題名に騙されたといえば騙された・・・・(笑)
北方領土って、どんなところなんだろうか・・・・と思って読んでみたのだが・・・
上陸した話は第1章の「北方領土に上陸」の一部に書かれているだけ。
内容を要約したら、わずか数ページ程度のもの。
ありゃぁ~騙された。(笑)
しかし、本書の凄いところは、この後の200ページ以上に及ぶ部分である。
北方領土問題について実にわかりやすく書かれている。
さすがは上坂冬子さんだと思った。
第1章 北方領土に上陸
参加を断られる
国境ではなく“通過地点”
古いレーニン像と新しい教会の国後島
おしゃれが目立つ択捉島
村長夫婦、「あとは幸運と健康を望むだけ」と
島は永久に返らない?
第2章 四島(しま)を追われた人々
「四島とわたし」絵本コンクール
恍惚の母が「私の家はしべとろ」と
「島民に告ぐ」
最後に引き揚げた女教師
水晶島からの脱出
命がけの登記簿持ち出し
「何分の沙汰あるまで待て」
終戦後、上陸してきたソ連軍の監視の目をかいくぐり、登記簿を本土に持ち帰った役人がいる。
国後出張所の書記の方だが・・・
機転を利かしてやったことだが、本来、登記簿の外部への持ち出しには司法大臣の命令が必要だという事で、勝手にやったことが評価されなかった。
終戦時の大混乱の中、北方の小さな島で司法大臣への要請など出来るあろうはずはない。
大殊勲にもかかわらず、お役所的な対応・・・・処遇・・・・
この登記簿が現存している事で、所有権が主張できる根拠となっているにもかかわらず・・・・
第3章 90歳記念の島の私有地訴訟
権利書あれど権利なし
マスガタ訴訟の陰の人々
死んでも死にきれないと陳述
「おい、勝っちゃったよ」
マスガタの死、そして敗訴
土地の権利書を持っていても権利はない・・・・
そんな馬鹿な・・・であるが、北方領土の島民はそういうことらしい。
で・・・私有地訴訟・・・・
そういう訴訟があったのか・・・・初めて知った。
第4章 日本で最初に返還を唱えた男
マッカーサーに直訴状
日本の領土という根拠
町長、公職追放令に
アメリカなら返すだろうが、ソ連は返すまい
「それでも、やり遂げねばならない」
風雪にさらされた「四島のかけ橋」
ソ連の不当な占拠をいち早く指摘し、戦後、日本人としていち早く北方領土返還を訴えたのは、当時の根室町長の安藤石典(いしすけ)という人。
マッカーサーに直訴状を出したんだからすごい人だ・・・
そんな早い時期からこの返還運動は始まっていたのである。
第5章 「日ソ共同宣言」の愚
電信電話の海底ケーブル
他国の領土であるはずがない
ソ連は講和条約に署名していない
きっかけは日付も署名もない文書
日ソ交渉の裏で保守合同のひずみ
重光外相の豹変
ダレスの“恫喝”
北方領土と沖縄の抱き合わせ返還案
やっぱり政治家がしっかりしていないとダメだよなぁ~
第6章 国連前で返還アピール
高碕達之助の決意
岬から1.85キロ先には行けず
ソ連の本心は平和条約より善隣協力条約
日本は、まだ占領されている
北方領土返還要求ニューヨーク大会
各国大使の反応
社会教育課長、本籍を択捉島に移す
昔は国連前でアピールなんかをしたんだねぇ~知らなかった。
その後、その熱意はどこへ行っちゃったんだろう?
それにもまして、北方領土に本籍を移せるっていうことを知ってビックリ
そういう法律があるんだぁ~
第7章 拿捕
国後島に不時着したリンドバーグ
国後島の名門一家
高校生も拿捕される
レポ船
人道的支援という底抜けの善意
主権を侵されていながらソ連に「人道支援」をしている日本という国は確かに間抜けだ。
第8章 ドラマ仕立ての如き変転
各国の地図から見た北方領土
ソ連外相、「根拠のない領土要求をするな」と
エリツィン、突然の訪日キャンセル
領土問題解決、目前に迫る
主役降板、万事休す
何ともタイミングが悪い話ばかりが並ぶ。
日本の首相はコロコロと替わるし・・・・
2000年返還の言い出しっぺのエリツィンは辞任・・・
もうちょっと・・・というところで返還は幻に化す。
第9章 日ロの戦後は終わっていない
「父上は抑留者だったのか」
会談は森首相の父上の墓地で
領土問題、北朝鮮の話題でかすむ
返還を強硬に拒否するサハリン州
問題の先送りは許すまじ
北方領土問題・・・・難しいよなぁ~
日本固有の領土だし、追い出された旧島民もいるし・・・・
しかし、その反面、島にはロシア人が住んでいる。
若いロシア人から見れば、祖父の代から住んでいる我が故郷である。
そうそう簡単に返還しろと言われても納得できまい。
今度はロシア人を追い出すことになる。
当然、ロシア人から見たら「奪われた」ということになる。
どうすればいいんだろうか・・・・
両国の国民が納得いく方法・・・・・何かないものか・・・・
北方領土問題を知る好著であった。
題名にちょっと騙されたけど・・・・(笑)
今年の読書:19冊目
投稿日:2009-04-10 Fri
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夏目漱石といえば・・・・・「坊ちゃん」か「吾輩は猫である」と思っていた。
が・・・・「こころ」という作品も案外有名なのだそうだ。
(知らなかった・・・・笑)
ということで・・・試しに読んでみよう・・・・と思って読み始めたのだが・・・・・
正直言ってつまらない。(笑)
あまりにも、つまらないので、なかなか先に進まない。
なぜつまらないのだろうか?
これは文豪といわれている夏目漱石の作品ぞ。
文豪の作品が「つまらない」わけがないはずなのだが・・・・
どうにもこうにも私の「肌」に合わない。(笑)
とにかく、話の内容がくどくどとしつこいのだ。(笑)
もう少しなんとかならんか・・・・
テーマはわかる。
言いたいことも、わからないでもない。
いや、わかるといえば、わかる・・・・極々普通の話では・・・と思ったりもする。
でも・・・・ネチネチとしていて面白くない。
漱石は胃潰瘍で苦しんでいた時期だから・・・・
そういう時に書かれたからネチネチしているのか?
いや、そういう時なら逆に手を抜いてさっさと仕上げてしまうのが普通だろう。
そうかんがえると、さすがは文豪・・・・
体調が悪くてもネチネチとしつこい話を書き続けたのだから凄いと言えるかもしれない。
でも・・・正直言って・・・・内容的には期待はずれの1冊であった。(笑)
今年の読書:18冊目
投稿日:2009-04-09 Thu
さて・・・時刻は3時を過ぎた。そろそろ帰りましょうか・・・・・
で・・・山を降りるが・・・・
いやぁ~クネクネ道の下り坂・・・・車は軽乗用車・・・・運転するは86歳・・・・
・・・・とくれば・・・・どのくらい怖いか・・・・(笑)
ブ~ンと飛ばして・・・・急カーブをキキキッ~
あの・・・拙者とはブレーキを踏むタイミングが違うので・・・・手に汗握っての同乗となる。(笑)
で・・・どこをどう走っているのかわからないが、とにかく北上していることは間違いない。
途中で適当な駅で降ろしてくれれば・・・・と頼んでおいたのだが・・・・
あれれ?
そのうち「大阪府」の標識が・・・・
「あのぉ~どこまで行くんですか?」
「ん?まぁ~そうねぇ~・・・・・」
「あのぉ~JRでも近鉄でもどこでも構いませんから・・・・適当なところで・・・・」
「はい・・・」
そのうち「左に曲がると岸和田」とか、「堺」という標識が出てきた。
岸和田も堺も一度行ったことがあるので、位置関係がようやく分かってきた!
ゲゲゲッ!どうなってるの?
「新大阪まで送りますよ」と“ハナオカさん”
いやはやとんでもないことになってしまった。
すでに運転してから2時間は経過している。
参ったぁ~
“ハナオカさん”は現役時代は営業マンとして全国を車で移動していたので、車の運転は苦ではないと言うのだが・・・・
もう86歳だしなぁ~
とにかくどこでもいいから近くの駅で降ろして欲しいといくら言ってもダメ。(笑)
結構頑固なのである。
で・・・新大坂ではなく手前の大阪駅で降ろしてもらうことで話がついた。
いやぁ~申し訳ない!
こりゃ、どうしよう!
で・・・ここから“ハナオカさん”の家までは2時間ぐらいだから大丈夫という。
更に2時間も運転するの?
いや・・・参ったなぁ~
とにかく駅前なので挨拶もそこそこにお別れする。
で・・・急いでご自宅にいる娘さんにお電話!
大阪駅まで送ってもらったことと、今から2時間ぐらいかかって帰宅するだろうことを伝えて・・・・とにかく平謝り・・・・・
大失敗だぁ~
86歳を一人で帰してしまった。
日が落ちて暗くなったし・・・・途中で事故にでもあったらどうしよう・・・・・
家族は高野山方面に行っていると思っているのだから、念のため大阪から家に向かっていることを伝えておけば何かあっても、全くの「行方不明」は避けられるだろうが・・・・
それにしても大失敗・・・・
拙者の判断ミスである。
危機管理が不十分である。
今朝、家を出発する時にご家族から「荷物を家に置いたままでいいですよ」と言われたのだが、途中でどこかの駅で降ろしてもらうことを考えて荷物を持って車に乗ってしまったのである。
よく考えてみれば、ご自宅に一緒に戻れば、ご家族も安心されたであろう。
途中で降ろしてもらうということは、その後は一人で家まで運転させるということになる。
ご家族のことを考えると・・・・この判断はマズかった・・・・・
夕方にご自宅に一緒に戻ったのでは、ご家族にまた気を使わせてしまうだろうと思ってのことだったのだが、裏目に出てしまった。
とにかく無事にご帰宅されることを祈るばかり・・・・
で・・・・ところで大阪駅から新大阪駅まではどうやって行けばいいのだろうか?(笑)
とにかく一服して落ち着こう。
駅構内の喫茶店でコーヒーを飲んで一息つける。
それにしても不便である・・・・
新幹線に乗るのにわざわざ新大阪駅まで行かねばならぬ。
オロオロしながら、なんとか新大阪駅にたどり着き、新幹線に飛び乗って東京へ・・・・
上野駅発の最終の特急にギリギリ間に合い無事帰宅する。
あと少し遅かったら東京に1泊しなくてはならなくなるところであった。
危機一髪!
これで5泊6日の旅も無事に終了・・・・・
ドドッと疲れが出る。(笑)
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