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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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ラバウル(8)
ラバウルの町に入る途中にある、2日目に訪れた地震観測所がある山の麓の横穴群を探検する。
この間、ここを通った時に気になっていたので・・・・確認である。
地震観測所の山は後ろに聳える「姉山」の尾根づたい・・・・・
この「姉山」には「金剛洞」と呼ばれた南東方面艦隊司令部の一大地下壕があった。
約1千名がここにいたというのだから、かなり大きなもののはずである。
この横穴は、その一部かも・・・・と思い内部に入ってみる。

DSC_0143_convert_20090402000349.jpg
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トンネルの内部はそれほど広くない。
違うな・・・司令部の壕にしては小規模である。
単なる退避壕か?

“先生”は、なぜか、ここを熱心に撮影・・・・
拙者は外でタバコを吸いながら暇つぶし・・・・
大したことがない横穴なので撮影はすぐに終わってしまったのだ。
すると・・・・山から下りてきた一人の少年がずっと洞窟の前に立ったまま動かない。
変な奴だな・・・何だろう?
声をかけてみたら理由がわかった。
彼はジャクソン君(17歳)・・・・この山の持主だという。(笑)
「いやぁ~そうだったの?洞窟の写真を撮っているんだけど・・・撮っていいよね?」と言ったら、うなずいてくれた。
彼から見たら我々の方が「変な奴」だったわけである。
「勝手に人の土地に入って何をしているんだ?」と我々に尋ねることもなく・・・・
ただただじっと見ていたのである。
で・・・・折角だから・・・ポーズをとれよ・・・写真を撮ってやるから・・・・と言ってパチリ!(笑)

DSC02128_convert_20090402002806.jpg(洞窟前にジッとたたずむジャクソン君)

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デジカメを見せてやったり、片言英語でおしゃべりしたりしたせいだろうか・・・・
彼が自分のカバンの中から椰子の実を差し出した。
ん?
彼が水筒代わりに持ち歩いていた椰子の実らしい。
のどが乾いたら、この汁を飲むつもりだったのだろう。
いやぁ~悪いね~いいの?これ・・・もらっちゃって?
椰子の実の上の部分を持っていた刀で切り落としてくれた。
いやぁ~おいしい!
お礼にあげるものがなく申し訳なかったが・・・・
何かしらお礼にあげる物を常時カバンの中に用意しておくべきだと反省する。

この山の更に下・・・・幹線道路わきにも横穴があるので、そこへも行ってみる。

DSC_0190_convert_20090402003912.jpg

内部に入ってみたら・・・・これがすごい!
かなり広くなっていて、しかも奥までずっと続いている。
坑道は縦横に何本も走り・・・・いやぁ~こりゃすごい!
またまたペンライト1本を頼りに奥まで行ってみる。
途中には落盤している場所もあったが・・・・なんのその・・・・
(本当は危険だと思うのだが・・・誘惑には勝てない・・・)
途中で気がついて歩数を数えてみたら、横に走る坑道はゆうに30mを超えている。
縦に走る坑道はそれ以上の長さがあるから100mくらいあっただろうか・・・
落盤で奥まで進めなかったので、本来はもっと奥まで続いているかもしれない。
大地下要塞である!
残念ながら日本軍がいたという証拠になるようなものは何もなかった。
壁面にも日本語で書かれたようなものは見当たらなかった。
サミエル君の話では、これはドイツ軍が造った地下要塞だという。
ドイツ軍が造ったの?
と言う事は・・・・第1次世界大戦の時っていうこと?

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(この先の落盤しているところを乗り越えて・・・)
DSC_0172_convert_20090402005512.jpg

ふと気がつくと・・・後ろには誰もいない!
ゲゲッ!
中に入ったのは拙者だけか?
マズイ・・・帰らねば!
またもや方向音痴・・・・・
しかし、落盤跡や坑道の広さに特徴があったりしたので、今度は迷わず戻れた。
しかし・・・本当はこういうのは危険なんだよなぁ~
後になってから気がつくんだから間抜けである。
奥のほうまで行ったのはいいが・・・・もし空気が無かったら・・・・酸欠で倒れたかもしれないのである。
いやぁ~危ないことをしてしまった~
で・・・外に出たら・・・・
みんなは車の中に乗って待っていた・・・・唖然・・・・
万が一、拙者に何かがあっても助ける気はなかったということね・・・・

時刻は4時半を過ぎた・・・・
ここで今日の戦跡訪問は終了、ココポのホテルに向かう。
5時20分・・・ホテルに到着。
ところが・・・ホテルの前で何かやっている。
何だろう?
サミエル君に尋ねたら・・・・要領を得ないのだが・・・
どうやら新しく知事に就任した人の祝賀セレモニーか何かをしているらしい。
なるほど・・・・
それで突貫工事でエントランスのところを整備し、建物にはペンキを塗っていたんだ。

DSC_0193_convert_20090402010822.jpg

さて・・・明日の件ですが・・・
“先生”だけ追加料金を払ってツアーに出かけてもらうことにする。
ドライバーとサミエル君に案内してくれるよう頼み、拙者は一人でココポの海岸を散策することにする。
これで先生も満足だろう。
サミエル君にココポの海岸に日本軍のトーチカが残っているはずなので尋ねたら・・・・
「知りません。トーチカなんかはないですよ。見たことないです」と言う。
う~ん・・・君の「ないですよ~」は信用できないからなぁ~(笑)
ここは自分の勘に頼って探してみたい。

今回の旅で残念だったのが、「花吹山」麓にあるはずの「戦犯処刑地跡」に行けなかったこと。
正確な場所はわからないが・・・
戦後、ここで戦犯の処刑がオーストラリア軍の手で執行された。
その戦犯として処刑された中に馬場正郎閣下がいる。
馬場さんは騎兵出身。
昭和16年、開戦直前に京都で第53師団が編成されたが、その初代師団長が馬場さん。
で・・・その時に副官だったのが拙者の祖父。
馬場さんは祖父の上官だった方である。
馬場さんは終戦時には東京にいたが、部下たちがラバウルの戦犯収容所にいると聞いて、無実の部下を助けようと思ったのか、自ら進んでラバウルへ向ったのである。
が・・・飛んで火にいる夏の虫・・・とは、このことである。
馬場さんは陸軍中将・・・
将軍が自らやってきたのだから、これを殺さない手はない。
戦争犯罪は犯していないにもかかわらず・・・・絞首刑に処せられてしまったのである。
畜生!・・・・である!
だから拙者はオーストラリア人は嫌いなのである!(笑)
馬場さんが処刑された跡地へ行って慰霊をしたかったが・・・・
残念ながら火山が噴火していては近づけない。
なんとも残念であった・・・・
馬場さんが祖父に宛てて書いた手紙を読ませていただいたことがある。
やさしくて綺麗な字を書く方だった。
当然お会いしたことはないが、その人柄が偲ばれる手紙だった・・・・
馬場閣下!
申し訳ございません!
副官の孫です!
すぐ近くまでは来たのですが・・・・お線香をあげに行けません!申し訳ございません!
心の中で叫ぶしかない・・・ツライ・・・
思わず涙が出てくる・・・・

さて、夕食だが・・・
新しく決まった知事さん(?)の祝賀パーティーでレストランは貸し切り状態・・・・
あれ・・・我々の夕食はどうなるの?
とりあえずレストランに顔を出したら・・・顔見知りのウェイトレスに、パーティーに参加して食事をしてくれと言われた!(笑)
はぁ?

DSC02132_convert_20090402013832.jpg(パーティー!)
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(民族衣装を着た(?)人たちが歌や音楽で会場を盛り上げていた)

で・・・・我々の食事・・・・
ウェイトレスがテーブルに食事を運んできてくれたが・・・
大盛りのサンドイッチとエビの天ぷらと・・・・何だかわからない葉っぱの炒め物・・・・
ん?これだけ?(笑)
ホテルの社長さんもやってきて「ドンドン食べて下さい。たくさん用意してますから・・・」と声をかけてくれた。
が・・・たくさんって言っても・・・・3種類だけ?(笑)
飲み物は無料で何でも飲んでいいという。
おお~そりゃうれしいが・・・・
今晩の夕食はサンドイッチとは・・・・・(笑)
こうなったら「ヤケ食い」である。
一皿全部食べてやった!(笑)

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旅行 | 23:54:54 | Comments(0)
ラバウル(7)
さて・・・今日のお昼は・・・・
昨日と同じ、ラバウル旧市街の中の「ラバウルホテル」のレストラン。
中華である。
なぜか、我がホテルのレストランもそうなのだが、中華のメニューが多いのである。
華僑が経営しているのだろうか?
ラバウルには日本軍が進駐してきた昭和17年以前から華僑が住んでいて中国人街があった。
その子孫でも経営してるんじゃないか?(笑)

で・・・今回の食事には、ガイドのサミエル君とドライバーも一緒に誘うことにした。
お金は俺達が出してやるから・・・・ということで、同席させる。
で・・・何を頼もうか・・・・
「サミエル!お前が好きなものを選べよ」
「この店で食べるのは初めてなので・・・・わかりません」
「なんだそれ?ダメだぞ、ガイドがこの店の料理がうまいかマズイかわからんようでは・・・これも今後のため・・・・お前が頼め」
ところで・・・昨日も料金の事でもめたが・・・今回はどうだろう?
サミエル君に尋ねたら・・・・
「食事代は一人45キナまでなら大丈夫ですから・・・2人で90キナまでならOK・・・旅行代金の中に含まれます。それを超えたら払ってください」と言う。
なんということか!やっぱり・・・食費の想定が決まっていたじゃないか!
一人45キナまで?
それならそうと最初に言えよ!(笑)
今まで45キナ(約1800円)以内で食事をしちまっていたぞ。
あ~損をした~
そうと知っていたら、毎回ビクビクして注文することもなかったのに・・・・
で・・・我々の食事代90キナ以内で料理を注文して4人で食べる。(笑)

DSC02122_convert_20090401202302.jpg

食後、すぐに動くかなと思ったらそうではない。
午後1時半までは休憩時間だという。
なんと・・・几帳面な・・・(笑)
仕方がないのでホテルの敷地内を一人でブラブラ・・・
レストランの裏手に軍艦旗が描かれたコンクリートを発見!・・・・なんだろう?

DSC_0001_convert_20090401191344.jpg

近くにいた“じいさん”が、中を案内してくれるという。
入ってみたら・・・・コンクリートでしっかりと造られた防空壕のようだ。
壁面には何やら絵が描かれている。

DSC_0002_convert_20090401191840.jpg

このホテルが建っている辺りは、戦時中は日本軍の各種部隊の司令部などの建物が建っていた場所である。
その時の防空壕なのだろう。
昨日来た時はまっすぐ帰ってしまったので気がつかなかったが、こうやってブラブラ散策するのも無駄じゃない。
早速、“先生”にもこのことを教える。
で・・・先生が中に入って撮影中、拙者はホテルの敷地から出て、周囲の撮影をすることにした。

DSC_0012_convert_20090401192409.jpg(ラバウルホテル前の道・左がホテル)

火山灰で埋もれた昔の町の上に道路を造り・・・・ホテルが建っている。
この道の両側に戦時中は日本軍の多くの建物が建っていたはずであるが・・・・
今ではゴーストタウンのような感じになっている。

で・・・ホテルに戻ったら先生が「あの防空壕でいくら取られた?」と言う。
先生はあの案内してくれた“じいさん”からお金を取られたらしい。
「はぁ?僕は・・・タバコを1本あげただけでお金は取られませんでしたけど・・・」
先生・・・大いに悔しがる。(笑)

休憩時間も終わり・・・・「小牧丸桟橋」へ向う。
それはホテルのすぐ近くの港にある。
この桟橋・・・日本の高速輸送船である「小牧丸」の残骸を桟橋として使っているのである。
この「小牧丸」は昭和17年に空襲を受け爆発・着底した。
大したことのないようなものであるが・・・・(笑)・・・ラバウルでは著名な戦跡である。

DSC_0032_convert_20090401193926.jpg(桟橋となった小牧丸の残骸)

“先生”は、ここの撮影にかなり時間をかけているので・・・・
その間に、拙者は一人で隣の港湾施設まで歩いて行く。
この港湾施設からなら「小牧丸桟橋」の全体像が撮影できるのではないか・・・と思ったからである。
職員に敷地内に入る許可を求めたら・・・これが意外や意外・・・ガードが厳しい。(笑)
敷地内の立ち入り目的を話して、身分証明としてパスポートを見せて・・・・
(目的遂行のためなら俄然英語が喋れるようになるから不思議だ・・・笑)
ようやく許可を得て敷地内に入り職員監視の下で撮影をする。

DSC_0036_convert_20090401200440.jpg
(三角形の尖っているのが「小牧丸」の舳先である)

このアングルで撮影する人は、まずいないだろう。
なにせ・・・港湾施設へ立ち入らなければ撮影できないんだから・・・・
苦労した甲斐があった!
満足!満足!

次に「サブマリンベースへ行きます」とサミエル君。
で・・・車はラバウルの町を離れ、山を越えて向こう側へ向っている。
ん?どこへ行くの?
日本海軍の潜水艦隊司令部は「小牧丸桟橋」のすぐ隣だと思うのだが・・・
何度確認しても「サブマリンベース」へ行きますと言う。
拙者にはどこへ行くのか・・・わからねぇ~
で・・・お決まりの・・・(笑)・・・先生の一言・・・・
「そこには何があるの?」
「知りません!」(笑)
困ったことに、サミエル君も知らないらしい・・・・(笑)
で・・・またまた先生がグズグズ言いだした。
「行かなくてもいいんじゃないの?」

ラバウルを出て約30分ほど走り、島の反対側の岬に到着する。
「ここがサブマリンベースです!」とサミエル君。
ん?潜水艦基地????
あ~わかった!
正確にはここは「潜水艦基地」ではない。
この岬の沖合に日本軍の潜水艦が来て、この岬に補給物資を陸揚げしたのである。
戦局が不利になり輸送船での補給が出来なくなった日本軍は潜水艦で細々と補給をしたのである。
だから・・・正確には「補給物資揚陸地点」とでも言おうか・・・・
現地の呼称では「タブイポイント」
海岸に向けてなだらかな傾斜のついた切り通しのスロープがある。
多分、潜水艦から物資を乗せ換えるために使用される「大発」用のスロープであろう。
丘の上には96式25ミリ連装機銃があった。

DSC02124_convert_20090401205839.jpg(96式25ミリ連装機銃)

ここナオンという村の住民達の案内で周辺を見て回る。

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波打ち際の岩壁に桟橋の基礎と思われる錆びた鉄くずと洞窟があった。
またもや冒険!(笑)
一人・・・・洞窟に入ってみる。
洞窟は人工的に削られて造られたもので、陸揚げした物資を一時保管したのか、それとも陸揚げ用のボートでも隠したのか・・・・かなり奥深くまで真四角に掘られていた。

DSC_0074_convert_20090401222902.jpg

続いて、岬の丘の上に登る。
これが急な坂で結構キツかったが・・・・登ってみたら・・・・
なんと!そこには砲台が!
いやぁ~こりゃすごい!
コンクリート製の掩体は後ろ半分しか残っていないが・・・・
その後ろには観測所らしきコンクリートの建物も残っていた。

DSC_0087_convert_20090401230033.jpg

更にその上の小高い丘に登ったら・・・・
監視哨に使用していたと思われる横穴が・・・・
入ってみると、かなりしっかりとしたトンネルである。
で・・・海に面して穴が開けられている。
多分、ここから水平線を監視していたのではなかろうか?

DSC_0117_convert_20090401231241.jpg
DSC_0108_convert_20090401231602.jpg
(海に向かって開けられた穴から水平線を望む)

この丘の約4m四方しかない頂上にも立ってみる。
と・・・草むらの中に探照灯らしき機器の一部が放置されていた。
もしかしたら・・・・ここから沖に浮上した潜水艦に向かって光で合図を送っていたのかも・・・・

この丘を下りて行く途中、案内してくれた少年が横穴を教えてくれたので・・・・
またまた、この横穴の中に潜り込んでみる。
もう、こうなったら歯止めが利かぬ。
“先生”を放り出して勝手に単独行動である。(笑)

DSC_0126_convert_20090401232532.jpg(横穴の入口)
DSC_0131_convert_20090401232824.jpg(横穴の内部)

時刻は3時過ぎ・・・・さて・・・そろそろ帰ろうか・・・となったところ・・・
この周辺を案内してくれた“じいさん”がお金を要求してきた。
地主が丘の上と下とでは別々なので、それぞれ10キナ(約400円)、しかも写真を撮ったのだから1人5キナで、2人で10キナ・・・合計30キナ(約1200円)を払ってくれと言う。
写真の撮影代まで請求されるとは驚いたが・・・・まぁいいでしょ!
ということで、このしたたかな“じいさん”に30キナを支払う。
ラバウルに来て、面と向かってお金を請求されたのは初めてである。
パプアニューギニア人は必ずしも「お人好し」ばかりではないということだ。(笑)
何らかの現金収入も必要なんだろうから・・・これはこれで仕方がないだろう。

DSC_0138_convert_20090401233727.jpg(したたかな・・・じい様・・・・笑)

次は・・・・また、山を越えてラバウルを目指す。

旅行 | 18:58:12 | Comments(0)
ラバウル(6)
ラバウルはマダンと比べてさほど湿度もなく過ごしやすい感じ。
夕方になると尚更である。
が・・・夜中・・・・
ドド~ン、ズシ~ン、ゴロゴロ・・・・
ん?
雷か?
そうではなさそうだ・・・火山が噴火している音のようである。
日中は気にならないのに、なぜか夜中にはよく聞こえる。

さて・・・今日が戦跡ツアーの最終日。
明日は予備日・・・・「自由行動」としてツアーの予定は入れていない。
で・・・朝から先生のいつもの「ご質問」・・・・
「今日はどこへ行くんですか?」
だ・か・ら・・・・拙者はガイドではないって言ってるでしょ!(笑)
サミエル君が我々をどこへ案内してくれるか・・・・彼に聞いてみないとわからない。
「どうせ、大したところにはいかないですよね?」と先生。
「彼に聞いてみないとわからないですよ」
「いや、多分、大したことないんじゃないか?それより昨日行ったところへもう一度行った方が・・・」
「いや、いや、行ってみなきゃ分からんでしょ?」
「どうせ無駄じゃないの?」
「いや、無駄かどうかは行ってみなきゃわからんでしょ」
「じゃ、今日はどこへ行くんですか?そこには何があるんですか?」
「だから・・・私だって知りませんよ!初めて来たんだし・・・ガイドじゃないんだから!」
もう・・・朝から大もめである。
そのために「予備日」を設けているのである。
天気の都合でうまく撮影できなかったところへ、もう一度撮影に行くとか・・・
時間的に回りきれなかったところへ行くとか・・・
そのために明日は空けてあるんだから、今日は今日で新たな場所を訪ねるということでいいじゃないか?
しかし・・・先生は頑固である。(笑)
「どうも、価値観が違うようですね」と言う。
「あ・・・先生と私のですか?そのようですね・・・」
「明日の予定ですが・・・」と、先生は今日の予定もわからないのに明日の話をし始めた。
とにかく一人で回りたいそうだ。
大発のあった洞窟と東飛行場跡をもう一度撮影したいという。
「あなたは同じ場所へ一緒に行っても仕方がないでしょうから・・・」と一人で行きたいことを強調する。
なら・・・どうぞ!
さすがに拙者もプチンとキレた!(拙者は短気なのである!)

相変わらず、今日はどこへ行くのか?そこには何があるのか?の質問攻め・・・・
成田を出発するときに事前に拙者が調べておいた資料や地図を先生にも渡してある。
しかし、先生はそれには一切目を通していない。
で・・・質問攻めである。
「あのですね・・・私は先生に資料を渡してありますよね!どうしてそれを見てくれないんですか!」
苦労してまとめた資料である。
資料はあくまでも資料・・・・撮影するに値する場所かどうかは行ってみなくちゃわからない・・・

確かに先生と拙者では考え方が違うようだ・・・・
先生が興味を示すのは、すでに世間でも知られている有名な戦跡だけである。
他の雑誌や写真集で取り上げられている場所で、他の写真家が撮った同じアングルで撮ろうとする。
わからないんだよなぁ~そういうのが・・・・
いわゆる「手あか」がついたものを取り上げても仕方がないような気がするのだが・・・・
拙者は、他の人が見落としたものや、まだ取り上げられていない戦跡を探し出して撮影したい。
これぞ戦跡探しの醍醐味ぞ!・・・・というところなのだが・・・
これほど「価値観」が違っていると・・・・もめないわけがない。
たとえ相手が日本で著名な写真家であろうと・・・遠慮なく拙者は刃向う・・・・
そういうところが拙者の欠点である。(笑)
だから・・・移動する車中で・・・・大もめである。(笑)

「お~い!サミエ~ル!今日はどこへ行くんだ?」
「ブナカナウの飛行場跡です」
ブナカナウ・・・・聞いたことがある名前だが・・・・事前の調査で漏れた飛行場である。
ラバウルにはいくつかの飛行場があったらしい。
資料によって呼び名がマチマチ・・・・
東飛行場、西飛行場、南飛行場・・・・と書かれているものもあれば・・・
第1飛行場、第2飛行場・・・・と番号で書かれている資料もあるし・・・
ココポ飛行場、トベラ飛行場・・・などと書かれているものもある。
こうなると、どれがどの飛行場なのかチンプンカンプンである。(笑)

「え?ブナカナウ飛行場?そこには何かあるの?」と、またもや先生。
「いや、何もないです」とサミエル。
「何もないなら行く必要ないんじゃないの?」と先生。
「いえ、行ってみなくちゃわからないでしょ?本当に何もないのかも知れないし、何かあるかも知れないし・・・・」と拙者。
先生は相変わらず拙者の意見にはご不満なようだが・・・・
拙者は戦跡を廻る時には全面的に現地のガイドを信じては廻らない。
実際に現地に自分の足で立って、自分の目で見て、自分の知識と勘で遺物を探すことにしている。
だいたい戦跡を訪れるということは、これといって何も残っていなくても、そこで往時を偲ぶということが大切なのではなかろうか?

ブナカナウ飛行場跡・・・・・行ってみたらただの原っぱだった・・・・
当然・・・先生からはブーイング。(笑)

DSC_0042_convert_20090401130038.jpg(ブナカナウ飛行場滑走路跡)

滑走路脇の椰子の林の中に民家が数軒あった。
ちょっと聞いてみるか・・・・
ここの住人に、この場所が日本軍の滑走路だった跡なのか、そして、この周辺に、何か日本軍のものは残っていないか尋ねる。(拙者は、こういう時にはなぜか多少英語が話せるようになるのである。笑)
ここの“おばちゃん”によると、確かに日本軍の滑走路跡だが、当時のものは何も残っていないという。
う~ん・・・残念だ・・・
すると、自分の庭に植えてあるミカンの木からミカンを取ってきてくれて拙者にくれた。

DSC_0044_convert_20090401140218.jpg(ミカンをくれた“おばちゃん”)

「少し酸味があっておいしいよ」と言う。(こういう時は、なぜか英語が聞き取れる・・・笑)
なんと人のいい“おばさん”なのだろう。
いやぁ~うれしいねぇ~
拙者のほうは・・・・お返しに差し上げるものがなにもない。
申し訳ない・・・・
このミカン・・・確かにおいしかった!感謝!感謝!

で・・・次に向かったのが・・・・
どこなのかよくわからない丘の上・・・・(笑)
「サミエ~ル!どこだ?ここ!」
「景色が綺麗な場所です!」
「なぬ?景色?景色を見に来たのか?」
「そうです!」
「あのなぁ・・・・ん?もしかして・・・ここは・・・コーストウォッチャールックアウトという場所か?」
「あ!そうです!コーストウォッチャー!」
「ん?・・・ということは・・・日本軍の防空指揮所があった場所じゃないか?」
「さぁ~知りません」
「何か残っているだろ?指揮所跡とか・・・確かこの丘の斜面に横穴もあるはずだけど・・・」
「いや、何にもありません!」

DSC_0048_convert_20090401142007.jpg

どうも信用できねぇなぁ~絶対何かこの辺に残っていていいはず・・・・
拙者の勘がそう言うのである。(笑)
近くの民家の敷地を覗いてみたら・・・・あった!
謎のコンクリートの建物!

DSC_0111_convert_20090401145520.jpg

鉄製円形の何かの台座も残っている。
機銃台座ではなさそうである。
探照灯かレーダーか・・・・何か回転するものを乗せていた台座のようだ・・・
ということは・・・やっぱり防空指揮所だろ!
みっけ!みっけ~!勘が当たった!(笑)
ちょうど、ここの住民の“おじさん”が出てきたので尋ねたら、日本軍の施設だとの事。
で・・・その昔、この上空を米軍機が2機飛んで・・・それを日本軍の大きな大砲が、ドカン!ドカン!と撃ったんだ・・・・と話してくれた。
しかも、他にもいろいろあるので見せてくれるという!
いやぁ~ありがたい!

「サミエ~ル!この野郎!あるじゃねぇかぁ!」
「あ・・・本当ですね・・・ありました~」
「お前・・・何もないって言ったんだよな?」
「いやぁ~ここには初めて来ました・・・だから・・・初めて見ました」
「なぬ・・・?」

この“おじさん”の家の裏に・・・なんと、測距儀の一部らしい残骸が物干しざお代わりに使われていた。
おお~これは測距儀の一部ではないか?
“おじさん”に説明してあげる。
残念ながら本体は見当たらなかったが、測距儀本体が残っていたら、こりゃお宝だぞ!
隣の敷地には96式25ミリ対空機銃が・・・・
あらら・・・あるじゃないか!いろいろ・・・・
更に・・・近くの小学校の下の斜面にトンネルがあるので案内するという。
おお!そりゃすごい!
やっぱり拙者が事前に調べていた通りだ!
もう、ワクワク気分で坂を下りる!(笑)

そこにはいくつかの横穴の入り口が・・・
一つはコンクリートでしっかりと造られているものだった。

DSC_0069_convert_20090401151620.jpg

もう一つは素掘りの狭い坑道・・・・かなり奥まで縦横に坑道が走っている。
地元の子供が内部を案内してくれたが・・・・
子供は背が低いからいいけど・・・拙者には狭くて・・・こりゃキツイ・・・(笑)
内部は真っ暗・・・
頼りとするのは拙者の持参しているペンライト1本のみである。

DSC_0078_convert_20090401152156.jpg

縦横に走る坑道を右へ左へと曲り・・・・突き当たり・・・・
この坑道には結構コウモリが生息していた。

DSC_0084_convert_20090401160655.jpg(コウモリ!)

拙者を案内をして一緒に坑道に入った子供が・・・・
「死ね!コウモリ!」と言ったかと思ったら床に落ちていた石を天井のコウモリめがけて投げつけた!
ズシン!
ギョェ~!!!!
「あぶねぇ!馬鹿野郎~天井が崩れるじゃねぇか!」と、思わず日本語で叫んだら・・・・
あ・・・こんな風に崩れちゃうんだよね?ゴメン、ゴメンと身振り手振りで謝った。
あれ?
日本語が通じちゃったの?(笑)

さて・・・戻るぞ!
が・・・しかし・・・
どうやって戻るんだ?
坑道を右へ左へと適当に曲がっちまったので・・・・帰り道が分からない!
やっちまったぁ~得意の方向音痴!
頼りのペンライトは単3電池2本使用の小さなもの。
このまま電気をつけたままでいては、いつ電池が切れるかわからない。
うっ・・・マズイ・・・
電池が切れたら闇の中に取り残される!
ヤバイ!
狭い上に、ペンライト1本の薄暗い坑道の中・・・・パニックに陥りそうである。(笑)
落ち着け・・・・
で・・・来た道を思い出しながら・・・右へ左へと曲り・・・・
おおっ!明かりが見えた!
出られたぞ!助かった!
で・・・外に出てみたら・・・・そこはジャングル・・・・
あれ?・・・・見たことがない景色・・・・入った時とは違う出口だ~
やっぱり拙者は筋金入りの方向音痴である!(笑)

DSC_0099_convert_20090401163852.jpg
(ここを案内してくれたおじさんに“救出”され・・・地下基地の出口を記念撮影!)

さて・・・冒険はこれで終わり。
地下基地から丘を登って小学校わきを通り帰る。
歩いた感じでは、あの坑道は、この小学校の真下ぐらいまで伸びている感じがする。

DSC_0105_convert_20090401164813.jpg(マルマルアン小学校)

近くの売店の“おばちゃん”が「マルマルアン小学校!」と拙者に向かって叫んだ。
ん?なんだ?
「その建物はマルマルアン小学校っていうんだ」と“おばちゃん”
「マルマルアン小学校?」
「そう、マルマルアン!」
「じゃぁ~ここはマルマルアンなのですか?」
「そう、ここはマルマルアン」
なんと!
「お~い!サミエ~ル!ここはマルマルアンなのか?」
「そうです・・・マルマルアンです」
「なぬぅ~それを早く言え!」
マルマルアンなら知っている。
戦時中、日本軍が「中央高地」と名付けていた場所である!
ここが「中央高地」かぁ~
帰る時になって、ようやくここがどこなのかがわかった。(笑)

村人の見送りを受けて・・・・昼飯を食べにラバウルの町に向かう。
この丘から町へ向う道は、戦時中、日本軍が作った道だそうで、現地の名前は「プーマ道」という。
「日本軍が造った道は立派です。運転しやすいです」とドライバーが言う。
たしかに・・・他と比べたら、いい道だ・・・・

DSC_0134_convert_20090401165657.jpg(プーマ道)

この道の斜面にいくつもの横穴がある。
退避壕のようである。
拙者が調べた文献では「大坂道」に50m間隔で退避壕を造ったとある。
ということは・・・この道は日本軍名「大坂道」なのだろうか?
たしかに「大坂」というくらい“大きな坂道”ではある・・・・

車を止めて、この退避壕の一つに入ってみる。

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時刻は11時半を過ぎた。
腹も減ったし・・・・道草はこれくらいにして・・・・ラバウルの旧市街へ向う。

旅行 | 10:06:58 | Comments(0)