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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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パプアニューギニアの旅(1)
成田空港に夕方5時に到着。
念のため1万円を米ドル(99ドル)に両替して、旅行保険も申し込んで・・・・
あとはコーヒーショップで読書!
空港内には若い連中が目立つ・・・・特に女の子・・・・
品のないキャピキャピギャル達である。
う~ん・・・・その格好って・・・・外国へ行ったら売春婦に間違えられるんじゃないかという格好の連中が多い。(笑)
ん?大学生か?
大学は休みか?
あ~まずい時期に旅行を企画したもんだ。(笑)
キャーキャーうるさい連中・・・・・
あんまりはしゃいでいると自分は田舎者ですって言っているようなもんじゃないのかね?
旅慣れている人間は空港でははしゃがないものだ。

6時35分・・・・チェックイン開始。
“エナリ先生”はバスが遅れて少々遅刻。
ニューギニア航空のカウンターには長蛇の列ができてしまっている。
ほとんどが若い連中である。
どうやらサーフィンやスキューバーダイビングに行く連中らしい。

夜9時5分発なのだが・・・・
7時59分着の飛行機が来ていない。
40分以上も遅れて到着。
いやぁ~こりゃまずいぞ~
来週はこの飛行機で帰国するのだが・・・・
予定より1時間近く遅れるようでは、その先が思いやられる。
40分以上も遅れてきた飛行機が折り返し飛ぶのだから・・・・・
当然、出発も大幅に遅れる。
その間、拙者が作った資料を先生に渡して読んでおいていただく。
拙者はその間、タバコを吸いに行く。(笑)

パプアニューギニアなんかには誰も行かないだろうから機内はガラガラだろうと思っていたら大間違い!
飛行機はほぼ満席である。

成田からパプアニューギニアの首都ポートモレスビーまで約6時間半の飛行である。
機内泊・・・・翌朝に到着予定。
時差は日本時間にプラス1時間となる。

このニューギニア航空の飛行機は・・・・ボーイング767-300。
かなりのオンボロである。(笑)
読書をしようと読書灯をつけたが、“あさって”の方向を照らしていて我が席を照らさない。
しかも機内の電灯が点いたり消えたり・・・・
電気系統の接触不良かぁ?(笑)
目がチカチカして読書どころではない。
先生はいびきをかいて寝ておられるが・・・拙者はさっぱり寝られぬ。
機内食が出て食べ終わる頃は午前0時・・・・
夜の便はキツイ・・・・
ほとんど寝られぬ。

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旅行 | 22:45:23 | Comments(0)
いざ、ラバウルへ!
さぁ、今日からパプアニューギニアへ旅立ちます!(笑)
昨日の雪には心配したが・・・
なんと!今日は快晴!
いやぁ~神のご加護か。

午後9時過ぎのニューギニア航空機で首都ポートモレスビーへ・・・・
機内に1泊して明日の午前4時半に到着。
一度外に出て朝食を食べて・・・国内線に乗り換える。
う~ん・・・髭はいつ剃ったらいいんだろう・・・などと変なことに心配する。(笑)
約1時間半でマダンに到着。
ここの戦跡を2日間にわたって見て歩き・・・・
3日目の3月3日にラバウルへ向う飛行機に乗る。
1時間10分でラバウルに到着。
ここに5日間滞在して戦跡めぐり。
なにせ、1週間に1便、毎週土曜日にしか成田への便が飛ばないので仕方がない。(笑)
嫌でも何でも土曜日までいるしかない!(笑)
最終8日目の3月7日の朝にラバウルを経ち、ポートモレスビーで乗り換えて、成田へは午後8時ごろ到着。
で・・・・
フィリピンへ行った時もそうなのだが、この午後8時頃到着というのは、拙者にとっては非常に不便な時間帯なのだ。
この時間の到着だと成田からスカイライナーで上野に出ても最終の特急に、あと一歩というところで間に合わないのである。(笑)
というわけで・・・東京に1泊するしかない。
で・・・帰宅は3月8日となる・・・・

あれ?
親父には1週間・・・って言ってしまったが・・・・
正確には9日間留守にすることになるのか~
嘘ついちゃった!
まぁ~いいかぁ~(笑)

そういうわけで・・・ブログも9日間は更新されません!(笑)
(帰宅してもすぐにはブログは書けないでしょうから・・・・10日以上はこのままだね・・・たぶん・・・)


日記 | 13:29:08 | Comments(0)
パパは牛乳屋?
夜、小学5年生の姪から電話。
「おじちゃ~ん!明日、パパワギューニューヤに行くんだよね?気をつけて行って来てね!」
「なぬ?」
「パパワギューニューヤだよね?」
「パパは牛乳屋?・・・・パプアニューギニヤなんだけど・・・」(笑)
どうやらパパがからかって教えたらしい。(笑)
「本当は何?」
「え~と・・・パパワギューニクヤ(パパは牛肉屋)」
本当のことをちゃんと教えろと怒られた。(笑)
「え~と・・・パプア・・・」
「パプア?」
「・・・・・ニューギニア」
「ギューニギア?」
「そうじゃなくて・・・・え~と・・・あれ?何だっけ?」
ダメだぁ~こっちがおかしくなっちゃったぞ!(笑)
あれ~・・・・・拙者はどこへ行くんだっけ?「パプア・・・・あれ?」

日記 | 20:24:03 | Comments(0)
生前のお姿を・・・
水戸藩士の“シミズ君”からお電話・・・・
「生前のお姿を最後に見たいと思いまして・・・・」(笑)
・・・と、お昼か夜にでも会いませんかとのお誘いである。
なんと縁起の悪い誘い方か!(笑)
ということで・・・お昼を一緒に食べることにした。

お昼に出掛けたら・・・・
外は雨から雪に変わりつつあった。
なんたることぞ~
明日は成田へ行かねばならんというのに・・・・この寒さ・・・・
雪でダイヤが狂わねば良いが・・・
食事をしながら1時間ばかり雑談をして別れる。
一応“壮行会”の昼食会である。
“送別会”じゃなくてよかった・・・・(笑)

で・・・
帰宅して間もなく、今度は“ウメちゃん”から電話。
訃報の連絡であった。
拙者の母の葬式に来てくれた“フルカワさん”のお母さんが亡くなられたという。
で・・・葬儀は・・・・
当然、行けるわけがない。
というわけで、香典を頼みに“ウメちゃん”の会社にお邪魔する。
ご本人は拙者が明日旅行に行くことをすっかり忘れいていたようである。
「え?明日?パプアニューギニア?へぇ~本当に行くの?(笑)」
「え?だから・・・香典を頼みに来たんじゃないか~」
「あ・・・そうか・・・」

期せずして“ウメちゃん”にも出発の御挨拶をすることとなる。
なんというか・・・こういうのって・・・いやだなぁ~(笑)
本当に生前最後の姿を見せるようで・・・・(笑)

日記 | 18:06:15 | Comments(0)
資料作成完了!
コンビニに行って資料をコピーしたり・・・・ドタバタドタバタ・・・・
あれやこれやと目を通した文献をまとめてワードで資料を作成する。
防衛研究所で集めた資料には全部目を通していないが・・・・これは、コピーしたものを機内で読めばいいだろう。
え~と・・・あと、どこかに資料に抜けはないか?

普通の観光旅行なら、ガイドブックを1冊持っていけば十分だ。
これが団体旅行ならガイドブックすら持っては行かぬ。
ガイドの後ろにくっついて歩いていればいい。(笑)
しかし、今回はそうはいかぬ。
現地のガイドが案内してくれることになっているが・・・・英語しか話せないそうだ。(笑)
オイ、オイ・・・・
どう考えてもトンチンカンな会話になりかねない。
で・・・事前に知識を頭に入れておかねば。
戦跡に案内されても、それがどういうものなのか・・・という突っ込んだ話はできまい。
こっちがある程度知識を持っていなければ、「へぇ~」で終わりかねない。

我々が目にするのは戦後60年以上も経った現在の姿である。
その姿を見ながら当時の景色が頭に浮かんでこなければ意味がない。
昭和18年から20年にかけての当時の景色・・・・
これが頭に浮かばないと・・・・・目に映るのはただのジャングルや椰子の林だけ・・・ということになってしまう。
だから、どうしても資料を集めて頭に叩き込んでおかねばならない。
現地を歩きながら・・・頭の中は過去へタイムスリップするのである。
また、これが楽しいのだから・・・・・拙者は、ちょっと変?(笑)

この資料集めにはちょっと時間がかかってしまったが・・・・
洞窟陣地内部の見取り図、各部隊の配置図・・・・等々・・・・資料は少ないが、できる限りのことはやった。
それをようやくまとめることができたのである。
いやぁ~「やっとの思い」・・・・とはこのことぞ。(笑)
ギリギリセーフ!
あは・・・実際に現地に行って見てみなくてはわからない。
さて、さて、この資料が役に立つか、無駄骨だったか・・・・楽しみである。(笑)



昭和11年の今日は・・・・
2・26事件が起こった日である。



日記 | 10:28:09 | Comments(0)
飛行機が落ちた!
オランダで旅客機が墜落したらしい。
あ~あ~
不吉なニュースではないか!
昔からそうだが、なぜか航空機事故というのは一度起こると次々と起こるのである。
この間はアメリカで墜落しているし・・・・
参ったなぁ~
今度は自分の番じゃないかとついつい思ってしまう。

だいたいねぇ~
旅客機を操縦している人の顔って見たことないんだよね。
これがタクシーなら・・・・
ちょっと嫌だなと思えば、やり過ごして別のタクシーに乗ることもできるのだが・・・
飛行機の場合はそうはいかない。
顔も知らない奴に自分の命を預けるんですよ~(笑)
拙者には選ぶ権利がないのであります!

ニューギニア航空・・・・・大丈夫かね?
一応、パプアニューギニアの国営航空会社なんだけど・・・(笑)
頼むよ~
ちゃんと飛んで、ちゃんと着陸してくれよ~




日記 | 20:07:48 | Comments(0)
カメラを忘れた!
今日は法人会青年部会主催の新春講演会。
何だかんだとドタバタしていて・・・・家を出るのがギリギリとなる。
で・・・・会場に向かっている途中で気が付いた!
しまった!カメラを忘れた!
広報委員長がカメラを忘れては“仕事”にならんのだが・・・・・
家に引き返したのでは、遅刻してしまうので、そのまま車を走らせる。

幸い、会長の“ケムちゃん”がデジカメを持ってきていたので、それを借りて撮影することになった。
今回の講師は“クラウン”の大棟耕介氏。
“クラウン”というのは、ピエロと同じ道化師だと思っていたのだが、そうではないということを初めて知った。
外国では“クラウン”というのはかなり地位が高いのだそうで、一目置かれる存在なのだそうである。
まぁ、それはそれとしていいのだが・・・・
問題は・・・
講師がやたらと動き回りながら話をするのである!(笑)
パフォーマンスを交えて話をしてくれるのはいいのだが・・・・
他人のカメラって非常に使いづらいのである。
シャッターチャンスえがうまく捕えられない。
ストロボがオートになっているので、シャッターが下りるまでに時間がかかる。
このタイミングが拙者のカメラとは違うのでうまくいかない。
で・・・ストロボを禁止させようとしたのだが・・・・
どこを押せばいいの?(笑)
モタモタといじりまわしているうちパフォーマンスが終わってしまった。
あ~やっちゃったぁ~大失敗!
“使えない”広報委員長になっちゃった!(笑)

講演会終了後、いつもの懇親会。
で・・・これが終わったら帰ろうと思っていたのだが・・・・
そうは問屋はおろしてくれない。
OBに誘われて飲みに行く羽目に・・・・・(笑)
あの・・・旅行の準備とか、何だかんだで忙しいんですけど・・・・

で・・・結局、午前0時・・・・
代行で帰宅したのはいいが・・・・
酔っているので仕事にならない。(笑)
あらら・・・またまた予定が狂ってしまったぁ~

「厳しさを正しく課すのは自分自身から」・・・・
今から200年ぐらい前のフランスの作家、スタール夫人の言葉である。
あ~・・・・自分に甘かった・・・・(笑)

日記 | 19:23:14 | Comments(0)
こういう時に限って・・・
「もっと早く終わるように少し休め」とは、今から400年ぐらい前のイギリスの詩人で神学者のG・ハーバートという人の言葉である。
が・・・・
休めるか!(笑)
今までのんびりと構えていたバチが当たったのである。
いやぁ~大変だぁ~間に合わねぇ~

という・・・・こういう時に、足を引っ張る人がいる。
親父である。
「う~ん・・・ちょっと調子が悪いんだよなぁ~」と体調不良を訴えてきた。
あのねぇ~
ひとの体調なんて考えている余裕なんかないんですけど!

たかが1週間ほど拙者が留守にするっていうだけなのに・・・
気が弱いのか・・・・体調不良を訴えて同情を買おうとしているのである。(笑)
困ったものだ・・・
旅行に行くのはやめてほしいと言うつもりなのだろうか?
こういう時は・・・聞こえなかったふりをして・・・・無視!(笑)

考えようによっては、母が先に亡くなったのは、拙者にとっては幸運だったかもしれないと思うのである。
これが、親父が先に亡くなって、母が残ったとしたら・・・・
母親思いの息子ですから・・・・(笑)
ちょっと、1週間も旅行には行けない。
体調不良を訴えていたらなおさらである。
が・・・しかし・・・・幸運(?)なことに・・・・
生きているのは親父のほうであるから・・・・
親父は・・・別にどうなってもいいやぁ~・・・・と放り投げることができるのである。(笑)
まぁ、親父と息子の関係なんて、そんなものである。
それにしても、どうして「留守は俺に任せろ!」って言えないのかねぇ~

これ以上、余計な問題は起こさないでもらいたい。
こっちは、パニック状態なんだから・・・・(笑)

日記 | 17:56:51 | Comments(0)
ゆっくりと急げ
「ゆっくりと急げ」とは、ローマ皇帝アウグストゥスの言葉だが・・・・
あ~
それって・・・・難しいんだよねぇ~(笑)
旅行の準備をしなくちゃならないのに、ゆっくりしていたら間に合わなくなりそうな状況になってしまった。
ヤバイ・・・・
たかが1週間ぐらいの旅行なのに、旅行に出かけるとなると、あれやこれやと色々やっておかねばということが頭に浮かぶ。
で・・・・旅行の準備のほうが後回し。(笑)
ヤバイ・・・非常にヤバイ・・・・
「ゆっくりと急げ」は難しい!
パニックである!(笑)



日記 | 17:42:09 | Comments(0)
日本以外全部沈没
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(2006/06)
筒井 康隆

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日本以外全部沈没―自選短篇集〈3〉パロディ篇 (徳間文庫)日本以外全部沈没―自選短篇集〈3〉パロディ篇 (徳間文庫)
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この映画・・・
筒井康隆さんの本が原作らしいが・・・・
この映画を見てみたら・・・・
あまりのお粗末な出来に唖然とした。(笑)
よくもまぁ~こんな駄作を作ったもんだ。
原作もこんなにくだらない内容なのだろうか?
いや~そういうふうには思いたくないのだが・・・どうだろう?
原作を読んでみるべきだろうか?(笑)

見ていてバカバカしく思ったのだが・・・・
余りのお粗末さに惹かれて最後まで見てしまった。(笑)
我ながら情けない・・・・(笑)

それにしても、こういう映画がこの世に出てくるんだから・・・日本の映画界もおしまいだ~
もう少し何とかならなかったのかねぇ~(笑)

テレビ・映画 | 11:47:34 | Comments(0)
今頃、原稿が・・・・
先週、戦友会会報の原稿を印刷会社に渡したばかりなのだが・・・・
ん?
今日、戦友会会長から封書が届いた。
ん?
嫌な予感・・・・・(笑)
中を見たら・・・やっぱり・・・
会報に載せる原稿が入っていた。
ありゃりゃ・・・・
原稿は会報発行までには間に合わないと聞いていたので“見切り発車”したのだが・・・
こりゃ、大変だ。(笑)
まさか、会長の原稿を無視するわけにもいかぬ。
で・・・
早速、パソコンで「印刷用原稿」を作成しなくてはならないのだが・・・・
おや、おや・・・・
原稿を読んでみると、かなり文面が乱れている。
言い回しが意味不明の部分もある。
お歳だからなぁ~
こりゃ、責められないよなぁ~
なんとか拙者の方で手を入れて体裁を整えねばなるまい。
しかし、これが結構大変なのである。
う~ん・・・・頭を抱える。(笑)

日記 | 11:38:56 | Comments(0)
下山事件最後の証言
下山事件最後の証言 完全版 (祥伝社文庫 し 8-3)下山事件最後の証言 完全版 (祥伝社文庫 し 8-3)
(2007/07)
柴田 哲孝

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本書の著者はジャーナリスト。
で・・・ひょんなことから自分の祖父が「下山事件」に関わっていたのではないかと思い、調べ始めたら・・・・という話である。
いやぁ~下手なサスペンス小説より数段面白い。
過去に何冊かの「下山事件」に関する本は読んだが、これはなかなかのもの。
核心に迫っていると言っていい。
そういう意味では、この本を読む前に過去に読んだ他の「下山事件」に関する本を読みなおしておけばよかった・・・・と後悔した。
本書を先に読んでしまっては、他の本がイマイチ・・・というふうに感じられてしまうからである。
たとえて言えば、ミステリー小説の結末を先に読んじゃった・・・という感じになるからである。(笑)
というわけで・・・初心者はこの本を先に読んではいけない!(笑)
まずは、矢田喜美雄の『謀殺・下山事件』とか、松本清張の『日本の黒い霧』などを読んでから、本書を読んだ方がいい。
そうしないと、本書の内容がいかにすごいのかが分からないと思う。

さて・・・先日、テレビで『下山事件』の映画を見た。
その時に、我が業界に関係する企業のシーンが映ったので驚いたのだが・・・・
本書では、その企業名が実名で出ていたので更に驚いた。
永年、我が社が材料を購入していた材料メーカーである!
この会社が何らかの形で「下山事件」に関わっていたとは・・・・
いやぁ~驚くとともに興奮した。

第1章 血族
1.祖父・柴田宏(ゆたか)
2.下山総裁謀殺事件
3・謎だらけの下山事件
4.情報屋・李中煥(イチュンファン)
5.『下山白書』の怪

第2章 証言
1.母・菱子の思い出
2.自他殺論争
3.亜細亜産業の実態
4.秘密サロンの人脈

第3章 総帥・矢板玄
1・轢断現場
2.情報の真偽の狭間
3.亜細亜産業の遺物
4.斎藤茂男との対話
5.旧731部隊員の証言

第5章 下山総裁はなぜ殺されたのか
1.攪乱
2.鉄道と国家
3.冷戦下の占領政策
4.ドン・シャグノンの手紙

終章 慟哭(どうこく)



今年の読書:13冊目



読書 | 13:40:57 | Comments(1)
慰霊祭の打ち合わせ
ホテルをチェックアウトして靖国神社に向かう。
6月に靖国神社で戦車第二師団の慰霊祭を開催する予定。
で・・・・今までは、“おじいちゃん”たちが設営していたが、「もう歳だから・・・」と言って投げ出されてしまった!(笑)
で・・・やむをえない・・・・拙者が動くしかない・・・・
前回はどうやったのか拙者は全く知らないので、一から始めなければならない。

まずは、総会と懇親会、宿泊場所を選定するため、市ヶ谷駅の近くのホテルに行く。
ここはその昔、拙者が業界の青年部会長の時に総会や勉強会をを開催したことがあるホテル。
久々の訪問である。
ここで担当者に宴会、宿泊について相談に乗ってもらう。

つづいて・・・靖国神社。
ホテルから拙者の足で徒歩約8分。
これなら慰霊祭後歩いてもホテルに行けそうだし、もしお年寄りの皆さんが歩くのが大変ならばタクシーでワンメーターで行けそうである。

靖国神社祭儀担当者と祭儀についての打ち合わせを行う。
「祭典名はどうされますか?」
「祭典名?」
「祭典名が決まらないと話が先に進みませんよ(笑)」
さて・・・『戦車第二師団慰霊祭』にすべきか、それとも『戦車第二師団の会慰霊祭』にすべきか・・・
「会」の字を入れるか入れないか・・・
一つ間違ったら、口うるさい“おじいちゃん”“おばあちゃん”たちから何を言われるかわからぬ。(笑)
いやはや、最初から暗礁に乗り上げ大笑い。
その他細かいことまでお教え頂き、とりあえず午後1時からの祭典という事で仮押さえをする。

で・・・時刻はお昼。
携帯が鳴った・・・・“シミズくん”からの昼食のお誘いである。
いやぁ~タイミングが悪い!(笑)
拙者は東京にいるのである・・・・

いつものように遊就館の喫茶でコーヒーを飲んで一休み。
で・・・慰霊祭のお昼はどうしようか・・・
靖国神社境内にある靖国会館の個室を借りようかぁ~
で・・・今度は社務所へ行って担当者と打ち合わせ。
個室を仮押さえして、仕出し弁当の資料もいただく。
お昼休みの時間に突然打ち合わせに来て申し訳なし。
とりあえず、これでお昼、慰霊祭は何とかなりそうだ・・・・

で・・・つづいて別のホテルに向かい、ここでも宴会と宿泊の相談に乗ってもらう。
かなり豪華なホテルなので、ちょっと気になったのだが・・・・やっぱり・・・・
担当者の話では、宴会料理は最低一人1万円かかるという。
ありゃぁ~こりゃダメだ。(笑)
担当者からも「他のホテルの方がいいかと思いますが・・・」と言われてしまい・・・退散!(笑)

近くのファミリーレストランで昼食をとり、今度は近くの旅行会社へ。
こちらは今月の28日に延期になった「ラバウル旅行」の資料受け取り。
延期になってからチケット等が届かないので電話をしたら「今から郵送するところです」とのこと。
ちょうど、目と鼻の先に行くので、郵送してもらわず直接受け取りにお邪魔することにした。
コーヒーを頂きしばし雑談。

帰りに神田の古書街に久しぶりに行ってみる。
あらら・・・昔、訪れた古書店が無くなっている!
あ~あ~・・あの店には結構欲しい本があったんだよなぁ~
あの時に買っておけばよかったなぁ~失敗したぁ~(笑)
その他のお店も中華料理店に変わっていたり、ファーストフード店、駐車場になっていたり・・・・
あらら・・・・・ずいぶん変わっちゃったなぁ~
数軒の古書店を覗いてみたが、これといって欲しい本は見つからなかった。

さて・・・今日の夕食はどうしよう・・・・
そうだ!駅弁にしよう!(笑)
ということで・・・・親父の分と駅弁を2個買って帰宅する。(笑)

日記 | 12:26:59 | Comments(0)
総合危機管理講座最終回
前期と後期・・・通算24回の講座も今日が最終回である。
で・・・・最終回の講師は・・・・
「首都大学東京」の理事長さんである高橋宏氏。
テーマは『日本の教育界の危機と大学の危機管理』
・・・・だが・・・・
お話は、この「首都大学東京」の設置された経過やら石原都知事、この講座の主宰者である佐々淳行さんとの関係の話など・・・・
その合間に教育の話などが入る。
とにかく“気骨のある”人である。
聞いていて面白い。

どちらかといえば観念論が多いような気もするが・・・
哲学の話も出てきた。
『哲学は役に立つか』とかという本は是非読んだ方がいいという。

大学の統計資料・・・・
1992年の18歳人口は205万人、大学数は523校である。
で・・・2008年の18歳人口は124万人・・・・約半分に減っているが・・・・
大学数は765校と逆に増えている。
で・・・大学というのは補助金が7割、自己調達が3割で運営されているという・・・・
ということは・・・
大学生になる人口が減っているのに大学を増やして大丈夫なんだろうか・・・という素朴な疑問が出る。
しかも・・・補助金漬けである。(笑)
こりゃ・・・危機だよなぁ~

ちなみに考えられない統計が・・・・
2007年の日本の大学数は756校、在学者数は251万人。
それに対して、2005年のデータであるが・・・
中国の大学数は701校で在学者数1200万人だという!(笑)
中国の大学って・・・・どんな大学?
ホントかよ~
まぁ・・・あの中国の言うことだからあてにはできない数字だが・・・
とにかく話がデカイ!(笑)

最後にいつもの質疑応答。
どうして女性というのは要領を得ない「質疑」をするのだろうか・・・
質問より、自分の意見の「ご披露」のほうが長い!(笑)
で・・・結局、何を尋ねたいのか自分でも分からなくなるらしく要領を得ない「質問」となる。
なんでもかんでもしゃべりゃぁいいっていうもんじゃないだろ?(笑)
うんざりである。

その後、閉講式を経て記念写真を撮影して解散。
この講座は今年が最後。
公的な予算も援助ももらえず、講師のボランティアで約3年間続けられていたという。
たしかに・・・こんな格安なセミナー料で、これだけのそうそうたる講師が呼べるわけがない。
講師がボランティアで受けてくれなければ無理。
本来ならば高額な講師料を払わなければ聞けない話を聞かせてもらい感謝、感謝である。
延べの受講者数は744名だという。
拙者には無理だろうが・・・この中から「危機管理」で活躍する人が続々と出てきたら嬉しい。
昨年の夏から前期、後期と1回も欠席せず受講した自分に自画自賛。(笑)
う~ん・・・・振り返ってみると、よくやったもんだ。

さて・・・これからは、東京に行く楽しみがなくなっちゃったぞ~
また、何か考えねば・・・・(笑)

日記 | 16:27:22 | Comments(0)
たかられる大国日本
たかられる大国・日本―中国とアメリカ、その驚くべき“寄生”の手口たかられる大国・日本―中国とアメリカ、その驚くべき“寄生”の手口
(2000/04)
浜田 和幸

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帯に書かれている文章を読んだだけで、もう、内容が分かってしまうという本!(笑)
「ここまで“食いもの”にされて黙っているのか!」
「中国への経済援助6兆円!原爆を落としたアメリカ米軍に『思いやり予算』6600億円!」

この本は2000年に書かれたものなので、本書で使用されている各種データーは2000年より以前のものである。
本書が世に出てから8年は経っているから・・・・
古い話ということにはなるかもしれないが・・・
でも・・・もしかしたら・・・この当時も今も変わっていないかもしれない。(笑)

1章 世界の国から、たかられる日本
~国益に合わない「巨額の経済援助」をいつまで続けるつもりなのか~

例えば中国・・・・
中国は、日本のODA(政府開発援助)を6兆円も受けている。
が・・・その援助が軍事費に回されているのは衆知の事実・・・
にもかかわらず・・・日本は中国へのODAをやめない・・・・
で・・・悲しいことに、そこまでやっても感謝をされない。(笑)
お金持ちの“ボンボン”が不良グループに、たかられている構図そのままである。
また、国連の分担金・・・・
日本は米国に次いで世界第2位の分担金・分担率であるが・・・・
1999年のデーターでは米国はその分担金を支払っていない。
つまり・・・滞納!
だから、日本が実質的に一番多く支払っていることになる。
しかし・・・日本は国連憲章の「敵国条項」で「敵」と位置付けられたままである。
その「敵」に一番お金を出させるんだから・・・う~ん・・・やっぱり「たかられている」と言ってもおかしくないよなぁ~

2章 中国は「戦争責任」を口実に、いくら日本からむしり取ってきたか
~「過去」を蒸し返しては、「金」と「技術」を奪うその手口~

もう、見出しを見ただけで十分!(笑)
知ってるよ~その通り!・・・・である・・・・

3章 アメリカが、日本に仕掛ける「司法戦争」
~「訴訟」を武器に、日本はここまでたかられている~

米国で売られた任天堂のポケモン・カードが「犯罪的行為」として訴えられた話には呆れた。
米国でポケモン人気が過熱・・・・
子供達がポケモンに夢中になって小遣いを使いすぎる、親の財布から金を盗んでカードを買っている、子供同士でカードの売買をしている、それに伴い詐欺事件まで起こっている・・・・
これは社会的・教育的大問題である・・・・
というわけで・・・ポケモン・カードを販売していた任天堂は・・・「犯罪的行為」をしているとして集団訴訟を起こされた!
まさしく・・・“いちゃもん”である。
任天堂だけではない・・・・トヨタも同じような訴訟にあっている。
夫の運転ミスで車が横転したことを棚にあげ、シートベルトをしていたにもかかわらず車外に放り出されて怪我をしたと妻が訴えた。
で・・・この奥さん・・・プール付きの豪邸を手に入れた!(笑)
同様に東芝もこの「司法戦争」に負け・・・・全米での10年間の利益をフイにしている。
まぁ~あれやこれやと色々な手を使って日本企業から、たかるものだと感心する。

4章 日本を「金ズル」としか思わない同盟国
~国と企業に寄生する超大国アメリカの真実とは?~

米国は真の同盟国か?
あらら・・・である・・・・
本書を読んでみると、同盟国というより「金ズル」というほうが正しい表現としか思えない。

5章 「情報戦」後進国・日本がいま気づくべきこと
~隠された米中関係を知らなければ「たかり」からの脱却はない~

さぁ~ここですよ・・・・問題は・・・
なるほどねぇ~という話なのだが・・・
一番大事なことは、本書が書かれたのは2000年だということ。
そして、その当時の大統領は・・・・ビル・クリントンだったということである。
で・・・今は・・・オバマ大統領・・・・
その国務長官は、ビル・クリントンの奥さんのヒラリー・クリントン・・・・
「隠された米中関係」は過去の話ではない。
これからも続く・・・・と見ていい。
こりゃ、日本にとっては非常にマズイ状況だ。
オバマ!(小浜)、オバマ!(小浜)と喜んでいる愚かな日本人が多いようだが・・・(笑)
喜んでいる暇はない。
ヤバイ・・・・私はそう感じる。

2000年に書かれた本ではあるが、将来の日米関係、世界の中での日本の“たかられ方”を推測するのにも、今読んでも十分得るものがある好著ではないだろうか?
できれば続編を読んでみたいものである。



今年の読書:12冊目



読書 | 14:49:56 | Comments(0)
陸軍重爆隊
陸軍重爆隊 (新戦史シリーズ)陸軍重爆隊 (新戦史シリーズ)
(1996/07)
伊沢 保穂

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「重爆」というのは重爆撃機のこと。
アメリカではB-17やB-24、B-29など4発重爆撃機(エンジンが4つ)があげられる。
が・・・日本は・・・というと・・・・双発(エンジンが2つ)である。
しかも航続距離は短いし、爆弾の搭載量も少ない。
アメリカと比べると、とてもじゃないが「重爆」と言えるような代物ではないような気がするのだが・・・・(笑)
4発のエンジンを積んだ爆撃機を開発する能力がなかったせいもあるかもしれないが・・・
爆撃に対する思想の影響にもよるものらしい。
日本の「重爆」がどういう思想のもとで生まれ開発され、どういう変遷を辿って終戦を迎えたのかということを1冊にまとめたのが本書。
また、各重爆隊の活躍についても記載されている。

関係部隊名
飛行第7戦隊(飛行第7連隊)
飛行第12戦隊(飛行第12大隊・飛行第12連隊)
飛行第14戦隊(飛行第14連隊)
飛行第58戦隊
飛行第60戦隊
飛行第61戦隊
飛行第62戦隊
飛行第74戦隊
飛行第95戦隊
飛行第98戦隊
飛行第107戦隊
飛行第110戦隊

1.発端
2.重爆の採用と爆撃隊の誕生
3.大陸にはばたく
4.中国大陸での戦い
5.中国大陸での航空撃滅戦
6.ノモンハンと中国奥地
7.太平洋戦争に突入
8.ビルマ上空、熾烈な航空戦
9.苦難のニューギニア作戦
10.急迫した戦局のなかで
11.フィリピン決戦
12.日本本土をめぐる戦い



今年の読書:11冊目




読書 | 10:35:23 | Comments(0)
コンサートを聴きに行く
今日は東京へ姪っ子達のコンサートを聴きに行く。
上京する特急の中で叔母と合流して親父と3人で東京に向かう。
で・・・車内では叔母とおしゃべり・・・・
おしゃべりをしているうちに、あっという間に1時間半が過ぎ東京に到着。
親父からは「よくもまぁ~そんなにしゃべることがあるもんだ」と呆れられる。(笑)

コンサートは小学1年から高校2年までの子供達が出演する。
まず、最初が弦楽合同演奏・・・・
曲は「ボレロ」・・・・
中2の甥っ子がチェロ、小5の姪がバイオリン奏者として演奏に加わっている。
「ボレロ」はよく聴くポピュラーな曲なので聴いていて楽しい。
続いて小学1年生、2年生のピアノのソロの発表。
これまた楽しい。
やっぱり小学1,2年となるとかわいい。
が・・・レベルは高い。
こんなに難しい曲をよく弾けるものだと感心。

小5の姪の演奏した曲は・・・・
ハイドンの「ソナタ ホ短調 Hob.XVI-34」・・・・・・?????
何のことだかさっぱりわからん。(笑)
わからんのだから・・・・うまいのか下手なのかもわからん。(笑)

コンサートはピアノだけではなく、バイオリン、チェロ、マリンバ、などの演奏や声楽、合唱などもあるので変化に富んでいて聴いていて飽きない。

で・・・コンサート最後の“トリ”は、我が高1の姪・・・・
ベートーヴェンの「ソナタ「告別」変ホ長調 Op.81a」・・・・?????
これまた、何ことやらわからぬ。(笑)
しかも・・・・曲が長い!
長いので・・・・ついついウトウトとしてしまった~(笑)

ちなみに・・・・
ベートーヴェンの「ヴ」という字を学校で教わった覚えがない。(笑)
小学生の時に学校の音楽室に「ベートヴェン」の絵が飾ってあった。
この「ヴ」の字が分からない・・・・・見たことない・・・・(笑)
で・・・「ウ」に濁点が付いたこの字はなんと読むのかと先生に聞いて、初めて「ヴ」という字を知ったのである。(笑)
さて・・・「ベートーベン」は正しくは「ベートーヴェン」なのか「ヴェートーヴェン」なのか「ヴェートーベン」なのかは知らないが・・・・「ヴ」の字を見かけると音楽室に掲げてあったベートーヴェンの肖像画を思い出すのである。

コンサート後は・・・・これが大変。
花束やらプレゼントやらで大荷物となる。
パパはこの荷物を運ぶ係・・・・(笑)
折角の休日に御苦労さんなことである。
つくづく独身で良かった・・・・と思う瞬間である。(笑)
あまりにも荷物が多いので・・・・
「おじちゃんのカバンには若干の余裕があります!チョコレートなどのお菓子類はおじちゃんが戴いて帰ってもいいですけど・・・」と言ったら子供たちから睨まれた。(笑)

夕食はみんなで一緒にホテルの中華レストランで食事会。
義弟が設営してくれた。
が・・・我々は9時の特急で帰らねばならない。
時間がない!
デザートを食べる前から親父は時計と睨めっこ。(笑)
デザートが出てきて一気に食べたら、挨拶もそこそこにレストランを飛び出し上野駅に向かう。

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で・・・支払は・・・・義弟。
つまり・・・「食い逃げ」してしまったのである。(笑)
いやぁ~申し訳ない。
電車の時間ばかり気になってうっかりしていた。
無事に発車5分前に上野駅に到着したので、あそこでモタモタしていたら、どうなっていたか・・・
冷や汗ものであった。(笑)

今回も充実した一日を過ごすことができた。
いやぁ~満足、満足・・・・である。
義弟には申し訳なかったが・・・・



明治10年の今日は・・・・「西南の役」が始まった日である。



日記 | 15:13:04 | Comments(0)
大いにたかる!
昨日のこと・・・・
後輩の“トシちゃん”から電話があり、夜、遊びに出かけませんかという。
どうせ拙者は暇だし・・・・
「夜の9時半にお迎えに行きますから・・・」と言うので待っていたのだが・・・
待てど暮らせど・・・・来ない!(笑)
ついに1時間が過ぎ、夜10時半・・・・
彼の携帯に電話してみたが・・・・出ない!(笑)
やっちゃったなぁ~

そして・・・・今日。
彼から電話がかかって来た。
子供を寝かしつけている間に自分が寝てしまったという。
気がついた時は午前1時だったという。
やっぱりねぇ~
以前にも同じことがあったので、もしかしたら・・・・と思っていたら・・・当たっていた。
で・・・「今日のお昼はどうですか?」という。
「約束をすっぽかした責任を取って御馳走してくれるんならいいよ~」(笑)
午後12時半ごろに迎えに来るという。
で・・・12時20分・・・・
「ちょっと遅れますが、すぐ行きます」と電話が入る。
しかし・・・・1時を過ぎても来ない!(笑)
おい、おい・・・・・
携帯に電話をしたら「今、そちらに向かっています」とのこと。
おい、おい、寿司屋の出前じゃねぇだろ~なんだそれ・・・
で・・・ようやく迎えにきたので・・・・
さぁ!飯を食いに行こう!・・・・・となるはずだったが・・・・
「ちょっと用事があるのでそこに寄ってもいいですか?」と言う。
「いいよ~」と言ったのが大きな間違い。
それから2ヶ所を廻り・・・・・拙者は彼の車の中で空きっ腹を抱えて待たされることとなる。
いやぁ~自分でも言うのもなんだが・・・お人よしにも程がある。(笑)
ちょっと昔の拙者なら怒鳴りまわしていたところだが・・・・
まぁ~いいかぁ~

ようやく食事にありつけたのが午後2時過ぎ・・・・
「12時半の昼食が2時過ぎとはねぇ~」
「すみません・・・」
「別にいいけど・・・で・・・御馳走してくれるんだよね?」
「はい」
ムフフ・・・・・では・・・・
ということで・・・一番高いステーキを頼み・・・・
ついでにデザートまで頼み・・・・(笑)
大いにたかる!
かわいそうに、拙者がステーキを注文したもんだから、彼はハンバーグに格下げとなる。(笑)

「これからもステーキを御馳走してくれるなら、いくらでも約束を破ってくれていいよ~(笑)」
「勘弁して下さいよぉ~」

彼はどういう神経なのか時間にルーズなのである。
いくら注意しても治らない。
だから・・・少しは痛い目に遭わせたほうがい。(笑)
でも・・・性格だから治らないだろうなぁ~(笑)

後輩に散々たかって満腹、満足・・・・・で・・・・帰宅する。(笑)

日記 | 13:55:00 | Comments(0)
またもや衝動買い
今まで散々延び延びになっていた「戦車第二師団の会」の会報のデータを仕上げ、印刷屋さんで従弟の“シンゴちゃん”の所へ届ける。
当初の予定では1月末には原稿を渡すことになっていたのだが・・・
拙者が散々もたもたやっていたせいで今頃になってしまった。
15日には姪っ子たちのピアノの発表会があり、それに叔母さんさんが来てくれるというので、それじゃ一緒に行きましょうという事で、叔母さんの電車の切符も届ける。
で・・・事務所で少々雑談。

帰宅途中に「ブック・オフ」に立ち寄る。
久しぶりの「ブック・オフ」である。
で・・・・やっちゃった!
13冊も買っちゃった!(笑)
1ヶ月に7冊程度しか読めないのに・・・・13冊も買っちゃった!
問題だよな・・・この性格・・・・

日記 | 12:20:06 | Comments(0)
ビルマ戦線とインパール
★無名戦士の記録シリーズ
ビルマ戦線とインパール
~一小隊長の戦闘手記~
著者:塩坪辰実
発行所:旺史社
1987年8月15日 発行
定価 1800円

著者は中国、ビルマ戦線で勇名を馳せた第33師団(弓兵団)の歩兵第214連隊の小隊長。
この連隊は昭和14年に福島県の会津若松で編成された。
兵員は栃木、新潟、群馬、福島から集められて編成。
会津若松で編成されたことで、「白虎隊」にちなんで「白虎部隊」とも呼ばれ、軍帽の星章の上に白虎のバッジを縫い付けていたという。
この白虎の印を見ると中国軍は戦わずして逃げたと言われる。

そういう部隊がインパール作戦に投入されるが、結局、この作戦は失敗。
投入から撤退までの部隊の動きを、一小隊長の目で描いたのが本書である。

が・・・・情けないことに・・・・
ここに出てくる地名を見てもピンとこない。
フィリピンのルソン島のことなら何となくわかるのだが、ビルマとなると畑違い。
地図を見てもよくわからない。
こりゃ・・・一度現地を歩かねばいかんかもしれないなぁ~

第1部 インパール作戦まで
第1章:上陸第一歩ビルマ戡定作戦
第2章:ラングーン攻略戦
第2部 インパール作戦
第1章:インパール前哨戦
第2章:インパール盆地の罠
第3章:ビシンプール決戦
第4章:弓師団の壊滅
第5章:戦場を生きのびて
第3部 崩壊する戦線
第1章:撤退する師団を掩護
第2章:イラワジ会戦に向かって
第3章:メイクテーラ会戦
第4章:敗戦への傾斜



今年の読書:10冊目



読書 | 11:46:20 | Comments(0)
旧笠間城八幡台櫓
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茨城県指定文化財
旧笠間城八幡台櫓

笠間城は藤原時朝によって今を距る740年余り前の文暦元年佐白山頂上に構築され、天守閣をはじめ八幡台、宍ヶ崎の両櫓等を備えた要害堅固を誇る山城として、13代の城主等により700余年受け継がれて来たが明治維新の際廃城となった。
此の建物は元八幡台に据座していた物見櫓で、正保2年浅野長直が播州赤穂へ國替えとなる前修覆されたと伝えられているが、明治13年當山寺号復活の年檀頭園部清兵衛等の尽力で払下げを受け、原形のまゝ山頂からこの地に移築されたものである。
尓来當山所有の仏堂として七面大明神 三十番神 鬼子母神の三尊神が奉祀され通称七面堂と呼ばれ親しまれている。
然るに太平洋戦争によって城廊建造物としては県内唯一のものとなってしまったため、昭和44年12月1日県教育委員会はこれが保存の必要を認め、文化財保護條例によって正式に茨城県指定有形文化財に指定し、次いで昭和47年4月県補助事業として大修理を施すこととなり、市當局當山檀信徒並に市民有志協力の下、49年3月まで2ヶ年を費やして完成した。

昭和53年4月識
眞淨寺

(説明板より)

旧笠間城八幡台櫓


史跡 | 11:16:56 | Comments(0)
久しぶりのドライブ
水戸藩士の“シミズくん”からお誘いのお電話。
よし!今回はどこかにドライブに行こう!
ということで・・・笠間に向かう。
常磐自動車道・水戸インターを降りてすぐの所にある中根寺に寄ってみる。
ここは水戸藩士で居合術で名高い和田平助正勝という人が何の理由か分からぬが藩を追放されて自刃した場所だという。
境内に墓も建っている。
でも・・・・
和田っていう人ねぇ~・・・・・全然知らない。(笑)

今回のドライブには例の一眼レフ・デジカメも持参してきた。
大きくて邪魔なのだが・・・(笑)
旅行に行く前に、少しでも“馴染ませ”ないと・・・・
でも、やっぱり使い慣れた小さなデジカメも持参する。(笑)
2つのカメラでパチパチと写真を撮る。
何ていうことのないものでも、とにかく写真を撮る。(笑)

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梅の花が咲いていた・・・・

続いて笠間の街に入り・・・・真浄寺に立ち寄る。
ここには笠間城の櫓が移築されている。
お掃除をしていた住職の娘さんと雑談。
こういう出会いがまた“旅”の楽しいところである。

で・・・次はどこへ行こうか・・・・
「日動美術館はどうですか?」と“シミズくん”
『画家・岸田劉生の軌跡』という企画展が開催されているという。
ん?岸田劉生?
拙者の嫌いな絵だ!(笑)
が・・・まぁ、構わぬ・・・・気が進まぬが見てみるか・・・ということで見に行く。
どうもこの人の絵は好きになれぬ。
美しいものをわざとバランス悪く且つ醜く描いているとしか思えぬ。(笑)
その“醜さ”の中に“美”があるとでも言うのだろうが・・・そんなのは屁理屈だ!(笑)
常設展示ではピカソやドガ、セザンヌ、シャガール、ミロ、ルノワール、ゴッホなどの絵があるが・・・
う~ん・・・・全部嫌い!(笑)
あのボヤァ~とした色彩が嫌い!(笑)
拙者は抽象画的なものより写実的なもののほうが好きなんだよねぇ~
「なに・・これ・・・この中途半端な空間・・・」
「それがいいんですよ~」と“シミズ君”
「こんな隅っこに描いちゃってさぁ~このバランスの悪さ・・・俺が同じ絵を描いたら美術の先生に怒られるぜ・・・こんなバランスの悪い絵・・・」
「この空間がいいんですよ~」
「うそぉ~下手くそだろ~これ・・・」
だいたいねぇ~有名な画家が描いた絵はどんな絵でも褒められるんだよね?
「味がある」とか・・・「心に訴えている」とか・・・
で・・・俺が同じように描くと「下手くそだ」って言われちゃうんだ。
芸術なんていい加減なもんだって。
「この絵も嫌い・・・この絵も嫌い・・・この絵は下手くそ・・・」と1枚1枚ケチをつけて歩く。
もうボロ糞である。
終始、著名な画家の絵をボロ糞に言う拙者に腹も立てず付き合うんだから“シミズ君”は大した男である。(笑)

閉館時間も迫り帰途につく。
嫌いな絵をたっぷりと見て改めて思った・・・・
拙者のほうが上手だ!(笑)
そういう意味では、大いに収穫があったぞ!(笑)

帰宅途中、喫茶店に寄って一服する。

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コーヒーとシフォンケーキ・・・・
ストロボを使って写真を撮ると店の中で目立ってしまうのでストロボを使わなかったら・・・・この出来である。(笑)

で・・・夕方も遅くなったので、ついでに夕食も食べようということになり・・・・
地元のちょっと洒落た日本料理店(?)でお食事!

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豪華なコース料理を食べ、焼酎を飲み・・・・運転代行で帰宅。
う~ん・・・・充実した一日だったぁ~!



今日は「建国記念の日」・・・・・
「建国記念日」ではない。
社会党が散々抵抗したらしい。
で・・・“の”の字を入れて「建国記念の日」ならいいという妥協で決まったという。
“の”が入ろうが入るまいが変わらないような気がするが・・・
政治はよくわからん。そういうつまらない事で無駄な時間を使う。
この「建国記念の日」は『日本書紀』に伝えられる神武天皇を中心とする建国創業の歴史を偲び、日本人として国を愛する心を養う日なのだそうだ。
昔は紀元節と言っていた。
で・・・制定されたのは昭和41年。
「建国記念の日」をこの2月11日ではなく別な日に・・・という話もあったらしい。
が・・・・この日を「建国記念の日」にしろと頑強に唱えていたのはある大物右翼だったという。
で・・・その大物右翼の“お世話に”なっていた時の総理が、その意向に沿って、この日を「建国記念の日」にしたという話があるが・・・・どうなんだろ?
しかし、戦前と戦後に一線を引いて・・・と考えるならば、“新生日本”の建国記念日は昔の紀元節と同じ日ではまずいと思うんだよねぇ。
たとえば、連合軍の占領から解放された日にするとか・・・さぁ~

で・・・明治22年の今日は大日本帝国憲法が発布された日でもある。

さらに・・・明治23年の今日は金鵄(きんし)勲章が制定された日でもある。
金鵄勲章は、それ相当の武功のあった軍人・軍属のみに与えられる勲章で、戦後、廃止されている。
が・・・どういう因縁か・・・今日は「文化勲章」が制定された日でもある。
昭和12年、時の広田弘毅総理の発案だそうだが・・・こちらのほうは現在でも続いている。
授与式は11月3日の文化の日。
文化の日は文化勲章が制定された日と思いがちだが・・・・そうじゃない。(笑)
この文化勲章の方は戦前から引き継いでいるのによく左翼は問題にしなかったもんだ。(笑)



日記 | 10:18:16 | Comments(0)
第23回総合危機管理講座
今回のテーマは『コンプライアンスとクライシスマネジメントの本質』
講師は郷原信郎氏。
元・検事・・・・・
で、経歴が不思議・・・・東大理学部を卒業して検事になっている。
はぁ?
法学部じゃなくて・・・理学部?
で・・・司法試験に受かったの?(笑)
そのへんの話は全く出なかったから、よくわからないけど・・・・
そういう人だから逆に考え方が面白い・・・・のかもしれない。
「法令遵守」が日本を滅ぼすって言うんだから尋常じゃない。(笑)
とてもじゃないが、元検事さんのお言葉とは思えない。(笑)

コンプライアンスとは、世間では「法令遵守」と解釈されているが、これがそもそも間違っているという。
つまり、法令を順守していれば、あとは何をしてもかまわないよね?・・・ということになる。
遵守すべきものは「法令」だけでいいのか?
コンプライアンス=法令遵守ということになると、遵守すべきものは法令だけで良い、他には遵守すべきものはないという「遵守すべき範囲」の問題となってしまうのだ。
確かにおっしゃるとおりである。
拙者も同感!

特に問題となるのが、この「法令を遵守していればいい」という考えが「思考の停止」につながってしまうという点。
そのことが「日本を滅ぼす」ということにつながるという。
どういう目的で法令が定められたのかを考える力が無くなるとおかしなことが起こる。

例えば…耐震強度偽装問題。
一人の愚かな設計士が建築基準法を破ったいいかげんな設計をしたために大騒ぎ。
しかし、この建築基準法・・・・
最低限の基準を定めただけであって、法にのっとって建築確認をしたからといって安全が完璧に保証されているわけではない。
あくまでも「最低限のルール」である。
で・・・この耐震強度を偽装した建物の耐震性能はどうなの?ということになり・・・・
「震度5強で倒壊する恐れはあるのか?」との問いに、「可能性の有無ということであれば・・・ある」ということになったから大騒ぎとなった。
ハッキリ言って、基準を満たしていても倒壊する恐れが無いとは言えないのである。(笑)
つまり可能性の有無による2分法の誤りである。
で・・・ここに「法令遵守」が出てくる。
1981年に建築基準法が改正されたのだが、今回の問題は改正基準法に違反した行為。
だから、この基準法を守ればいいじゃん!という話だけで済んでしまう。
問題は、1981年以前の旧基準法で建てられた建物の耐震強度はどうなのか・・・
このことには誰も触れない。(笑)
我々の住む町の中に2種類の基準で建てられた建物があるのである。
つまり「二重基準問題」
基準以下の建物が放置されているということを放置しているモラルハザードについてはどうなのよ?
そもそも建築基準法は最低限安全な建物を国民に提供するための法律である。
ところが、この偽装問題で規制が厳しくなり、建築確認が大幅に遅れる結果を招いた。
おかげで、住宅建築数が激減。
よって、この法律が国民に家を与えないための法律に向かってしまっているのである。
本来の目的がどこかに行ってしまい、「法令遵守」ばかりに重点が置かれたいい例である。
「法令遵守」が「思考停止」につながっているいい例でもある。

この件に関しては拙者も以前から疑問と不満を持っている。
改正基準法以前に建てられたオンボロ雑居ビルが、基準法通りに建てられたビルに倒れかかって来た時はどうなるの?
法令通りの設計でも、倒れかかって来た隣のビルの加重までは計算していないよね?
ということは、当然、法令通りのビルでも外圧によって倒壊する可能性は高いわけですよ。
そういう時に「どちらのビルも法令を遵守していましたから問題ないでしょ」でいいのだろうか?
倒壊による人命の損失はあるわけですからねぇ~
人命の損失を防止するための法令でしょ?本来は・・・
誰もそこを指摘しない。
改正以前の基準法に基づいた建物は大丈夫なのか?
そこまで言ったら騒ぎが大きくなるから見て見ぬふりで避ける。(笑)
まさしく「思考の停止」である。

講義の中で、この他にもいくつもの事例をあげて「法令遵守」の偏った認識がどれだけの問題を引き起こしているかの話を伺うことができた。
なるほどねぇ~・・・・である。
本来のコンプライアンスとは何か・・・・
間違った方向に誘導しているマスコミにも問題があるよなぁ~

今回の講義は、前回の分を取り戻すくらい有意義な内容だった。(笑)

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日記 | 14:44:21 | Comments(0)
壊滅状態!
今晩は、法人会青年部会の理事会。
2年間の任期を終えて、今年の総会で改めて人事を決めなくてはならない。
青年部会の定年は50歳。
で・・・・今年は18名が“卒業”する。
残る会員は40名。

部会長の“ケムちゃん”も、ついに今年で卒業!
副部会長の“オノザキくん”が新部会長予定者となる。
で・・・・“万年”広報委員長だった拙者は副部会長に昇格予定となるが・・・・
下打ち合わせが済んでから気がついたのだが・・・・
実質廃業している拙者が副部会長という要職に就いていいのだろうか?(笑)
どうも、みんなは拙者が廃業しているっていうことを忘れて推薦しているような気がするのだが・・・・(笑)
まぁ、人材不足なのだから、拙者が副部会長に昇格しても仕方がないか~(笑)
10年以上も広報委員長をしていたような気がするのだが・・・・
できれば、そのまま永遠に広報委員長を続けて“卒業”したかった。

で・・・問題は拙者の昇格問題ではない。
残る会員の年齢である!(笑)
「青年部」といいながら、実質はかなり“高齢”である。(笑)
人事は3月31日現在の年齢を基準とされるが・・・
49歳=1名。
48歳=13名。
47歳=2名。
46歳=1名。
45歳=7名。
・・・・・と続くが、拙者と同世代の48歳は13名と断トツ。
我々が“卒業”してしまうと、組織は・・・・・壊滅状態となる。
マズイ・・・・
役員の任期は1期2年である。
今回の人事で役員に選ばれると平成21年、22年と2年間役員を務めるが・・・・
この平成22年の3月31日現在の拙者の年齢は49歳。
この年の5月に総会。
5月4日が拙者の誕生日なので総会時点では50歳である。
3月31日時点の年齢が基準となるので、50歳だが、そのまま会員として残ることになる。
そこで更に再任されると1期2年なので、22年、23年と役員を務めることになり・・・・
平成23年の3月31日現在では51歳。
で・・・5月の総会でめでたく“ご卒業”となる。
拙者の場合は、、この年の総会は満52歳で迎えることになる。
今、48歳の人間をなんとか引き延ばしも平成23年には定年を迎えるわけである。
マズイ・・・・
下の者を育てなければ・・・・
現在の役員は全員48歳なのである。(笑)

こりゃ、「大危機」である!
みんなは、あまり真剣には考えていないかもしれないが・・・・危機だ!



今日は「ふくの日」・・・・
「ふぐ」を下関のほうでは「ふく」と発音するので、語呂合わせで2月9日を「ふくの日」にしたという。
で・・・・その「ふぐ」をどうしようっていうんだ?この日は・・・
たくさん食べましょう!っていうのか?



日記 | 15:38:03 | Comments(0)
沈まぬ夕陽
沈まぬ夕陽―満蒙開拓の今を生きる中島多鶴沈まぬ夕陽―満蒙開拓の今を生きる中島多鶴
(2004/03)
中 繁彦

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本書は、中国残留孤児・残留婦人の帰国に生涯を捧げる一人の女性・中島多鶴の物語である。
今まで、本を読んでいて涙が溢れてくるなんてことはまずなかった。
いや、皆無だったと思うが・・・
さすがに、この本を読んでいるうち涙が溢れて来たのには参った。
読まなければよかったかぁ・・・なんでこの本を買ってしまったんだろうと多少後悔した。
話は満蒙開拓団の話だが・・・・悲惨な話である。
主人公の多鶴は、15歳の時に家族そろって満蒙開拓団員として満洲に渡った。
そして終戦となり、家族と離れ離れになり九死に一生を得て一人で帰国。
その間に見たこと、体験したこと・・・・悲惨である。

満蒙開拓団は国策として満洲に送られた。
国策とは国の政策である。
にもかかわらず・・・・国は満蒙開拓団員を見捨てたのである。
親を失った幼い子供達は中国人に拾われて“中国残留孤児”となる。
このころの中国には“売買婚”という古いしきたりがあった。
中国人が金や米を持ってきて、日本人の娘や主婦を買いに来たのである。
一家が餓死するか、中国人の妻となって生き延びるかの選択を迫られる。
そして、中国人の妻となったのが“中国残留婦人”である。

この中には考えられないような悲惨な話もある。
自分の夫を義理の兄弟ということにして中国人と結婚した日本人女性。
これで、とりあえず餓死しなくて済んだが、一つの屋根の下に“日本人の夫”と“中国人の夫”と一緒に住むことになる。
で・・・“中国人の夫”との間に子供が生まれ・・・・
平和な時代になり“日本人の夫”は一人で日本に帰国を果たす。
この「日本人夫婦」の苦しみはいかばかりであったろうか・・・・

「運命に翻弄され・・・」という言葉があるが・・・
満蒙開拓団の場合、本当に「運命」という言葉で済ませていいのだろうか?
国策である・・・・

一人で無事に帰国した中島多鶴は、これら残留孤児や残留婦人の帰国のために奔走するが、そうそう簡単な話ではない。
本人にとっては日本は故郷でも、その家族にとっては中国が故郷である。
家族を残して自分だけ日本に帰国するというわけにもいかない。
家族を連れて日本に来ては、子や孫などの家族から中国という故郷を奪うことになる。
日本語が話せない“残留孤児”・・・・・
自分が日本人か中国人かわからない・・・・
日本に住んでいる親戚は受け入れてはくれない。

満蒙開拓団員の“不幸”は終戦時だけではない。
戦後も延々と引き継がれていくのである。
子、孫、ひ孫・・・・
あ~なんたることぞ・・・・

中国へ進出する日本企業に対し、拙者は「第二の満蒙開拓団になる可能性がある」と言い続けてきた。
しかし、ほとんどの人は、この「満蒙開拓団」という言葉を知らない。
この歴史を知った上で進出するならまだいいが・・・・
何も知らず、安易な考えで行くべきではないと思うのである。
当時の状況とは必ずしも同じではないので、必ず同じことが起こるとは限らないが・・・
“王道楽土”を夢見て満洲へ向った開拓団員と、たいして変わらないのではないか?
国策とまでは言えないかもしれないが、政府機関、地方行政機関が日本企業の中国進出を斡旋しているのは、当時と似ているではないか・・・・
中国進出を煽るマスコミも、当時の風潮と似ているではないか?
そして・・・その結果の責任は誰が取ったか・・・・
誰も取っていないのである。

歴史を勉強するべきだ。
そのためにも本書は好著である。

「財産をなすのも失うのもただ一言で十分だ」とは、紀元前のギリシャの詩人であるソフォクレスの言葉である。
この場合・・・「王道楽土」の一言で失ったと言えるかも・・・・



今年の読書:9冊目



読書 | 13:20:01 | Comments(1)
影の相談役?
今日は“ウメちゃん”の会社の新年会。
下職が集まっての新年会。
で・・・・電話が・・・
「申し訳ないんだけど・・・今日は時間はあるの?ヒマ?」
「あのね・・・いつもヒマなんだけど・・・・(笑)」
「こう言っちゃ申し訳ないんだけどね・・・・うちの新年会に来ない?」
「はぁ?下職の新年会に?」
「急きょ、一人欠席しちゃってね・・・食事が余ってもったいないから・・・」
「はぁ~」
「申し訳ないんだけどさぁ~・・・もったいないし・・・結構おいしいんだよね~そこの料理・・・で・・・タダだし・・・(笑)」
“ウメちゃん”はやたらと「申し訳ないんだけど・・・」と連発するのだが・・・
申し訳ないのは、こちらのほうで・・・
新年会に誘っていただけるなんて・・・いやぁ~申し訳ない!
折角のお誘いである!
行かねばなるまい!(笑)

まさか、タダで・・・というわけにはいかないから、寸志を持参して行ったが・・・・
下職の会の会長の大工の棟梁に絶対受け取らないと言われて突っ返される。
「ご招待なんだから・・・・」と言うのだが。
いやぁ~でも、“タダ食い”っていうわけにはいかんだろ~
でも・・・頑強に断られ・・・・結局タダで御馳走になってしまった。

集まった下職さん達は約30名ほど・・・・
土建屋の“ウオちゃん”は、欠席予定だったが、拙者が来ると聞いて参加したという。
水道屋の“カサハラ君”は、高校の同級生で、青年会議所では同期。
拙者が参加していることに何の疑問を持っていない。(笑)
瓦屋の“タンさん”は青年会議所の先輩である。
「なんで、お前がここにいるの!」と驚かれた。(笑)
知り合いがいたので、飛び入り参加でも何とかなった。

で・・・「え~ちょっと、見慣れない顔が一人いるんですけど・・・」と“ウメちゃん”から皆さんに紹介された。
「え~この人は・・・我が社の影の相談役でして・・・・」と紹介されてビックリ!(笑)
笑いも起こらず、会場は・・・・シ~ン・・・・・(笑)
参ったぁ~
「我が社の営業や業務、経営に関して影の相談役をして頂いてますので、本日お呼びいたしました!」
エエッ!そんな~
「顔から火が出る思い・・・」とは、まさしくこのことぞ!(笑)

「では・・・どうぞ~」って言われてもさぁ~
ん・・・・拙者は何て自己紹介すればいいのよ~(笑)



昭和18年の今日・・・・
ガダルカナル島からの撤退が完了した日。
約3万1千名のうち約1万名が撤退。
「撤退」では恰好がつかないので「転進」とされたが・・・・
撤退できなかった約2万名のうち約5千名が戦死だが、1万5千名が餓死と病死である。
「撤退が完了した」と言われているが、島に残された人は結構いたようである。
最後の日本兵が投降したのは昭和22年だったと言われている。

今日は「北方領土の日」でもある。
北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るために制定された記念日だというが・・・
ん?世間は静かである・・・・(笑)
安政元年(1855年)日本と帝政ロシアの間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれたのが今日なので、今日を「北方領土の日」とした。



日記 | 18:43:31 | Comments(0)
28年前の記憶
今日、e2スカパーの「日本映画専門チャンネルHD」で映画『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』を見る。
この映画は1981年の作品。

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(2002/06/19)
仲代達矢山本圭

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この映画は拙者が大学時代に見た映画・・・・
その後、テレビでも放映してくれないかなぁ~と思っていたが、とうとうお目にかかることもなく27~8年が経ってしまっていた。
いやぁ~ついにまた見ることができる!
久しぶりの“再会”である・・・・が・・・・・
映画が始まって・・・・・あれ?
全然記憶にないのである。
あれだけもう一度見たいと念願していたのに・・・・実際に見てみたら・・・・
すべてのシーンが記憶にない!
そんな馬鹿な・・・・・

「下山事件」は、昭和24年に初代国鉄総裁の下山定則が常磐線の線路上で轢死体で発見された事件である。
当時国鉄の大量人員整理で国鉄労組と大もめしていた時だけに、自殺か他殺かで大騒ぎしたが、うやむやのまま時効になった。
この映画では他殺(謀殺)説に基づいて描かれている。
原作は、当時朝日新聞記者の矢田喜美雄の『謀殺・下山事件』
この本を読んだ後に、偶然この映画の公開があることを知り、映画を見に行ったように記憶している。

ストーリーは原作者の矢田がモデルとなっている新聞記者を中心に進められている。
これはこの間見た「帝銀事件」と同じようなストーリー設定である。
新聞記者が事件を追いかけて真実に迫ろうという話である。
が・・・この設定自体、まったく記憶にない。(笑)
主役は新聞記者役の仲代達矢である。
う~ん・・・全然記憶にない・・・・(笑)
いくらなんでもおかしい・・・・・
28年前に一度しか見ていない映画でも、主役も記憶にない、新聞記者がメインで話が展開していくというストーリーも覚えていないということがあり得るだろうか?
この映画は、1981年制作だが全編が白黒映画である。
モノクロの映画だということは覚えている。
で・・・下山総裁役の人が実際の下山総裁にそっくりな人だったというのも覚えている。
しかし、この2つしか記憶がない。
どのシーンを見ても記憶が蘇ることがない。
すべて「初めて見た」という感覚である。

この映画で新たに発見したことがある。
下山総裁の死体の衣服に油がべっとりと付着していたということから、近辺の油を扱う工場等を廻り、主人公が油のサンプルを収集する。
で・・・・事件後かなり経ってから、別件である会社に訪れ、この会社が下山総裁の衣服に油が付着した現場ではないかと推測するシーン。
この会社・・・・鋼材会社なのだが・・・・ピアノ線を作っている会社。
で・・・映画の画面にスプリング(バネ)が陳列されているのが映るのである!
あれ~!
我が社の同業者?
このシーンが事実に基づいて描かれたものなのか、創作なのかはわからないが・・・・
いやはや・・・バネ業界の会社が取り上げられるとは・・・
しかし、それすら拙者の記憶には残っていない。

もしかして・・・拙者が記憶している映画は別の映画なのだろうか?
確か・・・この映画を見た時に“プログラム”を購入したことは覚えている。
部屋のどこかにあるはず・・・・
ということで、探し回り“プログラム”の束を見つける。
当時、映画を見に行くとよく“プログラム”を購入していており、結構懐かしい映画のものがいくつもあった。
20年以上ぶりにこの“プログラム”の束を見る。
で・・・その中に、この映画の“プログラム”もあった。
当時の価格は350円・・・・・
やっぱり、仲代達矢主演のこの映画だった・・・・
間違いない・・・・

あれ~・・・・・ということは、間違いなくこの映画を見たんだよな?
28年前に一度しか見ていないとはいえ、“プログラム”まで買った映画の内容を全く覚えていないというのはどういうことか。
再度見れば少しぐらい記憶が蘇ってもいいはずなのに、全然思い出せないというのはどういうことか・・・

この28年で記憶が消滅してしまったのだろうか・・・・
それとも、そもそも頭が悪いのか・・・・
ショックである・・・・・

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今日、2月6日は・・・「海苔の日」
これは、大宝2年(702年)の2月6日に大宝律令が発布され、その中で、海苔を租税品の一つとして指定されたという言われから来ているという。
で・・・記念日として制定されたのが1966年。
つまり・・・拙者が6歳の時・・・・
ということは・・・これまでの42年間、2月6日は「海苔の日」だったということになるのだが・・・
全然知らなかった!(笑)
制定されて42年目に初めて知るとは・・・・(笑)



日記 | 22:12:39 | Comments(0)
ズケズケと・・・・(笑)
夜、“ウメちゃん”の会社に行く。
以前、何度も彼の会社のホームページを更新するためお邪魔するのだが、どうしてもおしゃべりのほうが多くなり作業に取り掛かれない。
さて・・・・そろそろ始めますか・・・という時には夜8時を過ぎている。
で・・・・夕食を食べに行こうよ・・・と言われ、いつも更新ができないでいた。
最後に更新したのは11月である。
マズイだろ~いくらなんでも・・・・もう2月だぞ~
「今回は何が何でもホームページの更新作業をするからね!」と言って訪問する。

で・・・到着早々・・・・
「あれ?やけに頭がスッキリしてるんじゃないか?(笑)」と“ウメちゃん”に言われる。
ちょうど大工の棟梁も来ていて久しぶりに会う。
その棟梁が言う・・・・
「ずいぶん生え際が後退したんじゃないかぁ~(笑)」
よくも、そんなにズケズケとよく言うよなぁ~(笑)
「おい、おい、前の方が地肌が見えて絶滅寸前ってな感じだぞ~(笑)」
「そうそう・・・もう危ないねぇ~それ・・・」
「ずいぶん髪の毛が減ったよね?」
あのね・・・・そう次々と二人揃って言わなくてもいいんじゃない?(笑)
「たぶん・・・この辺りまで後退しそうな気がするんですけどね~(笑)」と拙者が説明したら大笑い。
「どうなのよ、コマーシャルでやっているでしょ?髪の毛が増えるとか生えるとかっていうやつ・・・あれ、やってみたら?」と棟梁。
冗談じゃないですよ・・・・あんなのに金を使えますか?
外見なんかにこだわってもね・・・・
どうせ死ねば棺桶に入って火葬場で燃やされちゃうんですからね。
髪がフサフサでも、薄毛でも、ハゲでも・・・・どうせ灰になっちゃうんですよ。
そんなことにお金をかけるより、ほかのことにお金をかけるべきです!
外見に金かけるなんてもったいない。
ハゲる奴は何をしてもハゲるんです!(笑)
と・・・・持論を話したら棟梁が神妙な顔をして「そりゃ、そうだな・・・・」と言う。(笑)

いずれにせよ、拙者が外見のことにこだわらない性格なのを知っているから二人ともズケズケと拙者の髪の毛が少なくなったことを言うのだ。
それを知っているから彼らに指摘されても全然傷つかないのであるが・・・(笑)
それでも・・・ねぇ~
多少は気になるよねぇ~(笑)
あれぇ~
そんなに急激に髪の毛が減ったのかなぁ?
おかしいなぁ~
それほど減っているとは自分では思わないんだけど・・・・(笑)

日記 | 22:12:44 | Comments(0)
太平洋戦争人物列伝
太平洋戦争人物列伝太平洋戦争人物列伝
(2005/07)
昭和史研究会

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太平洋戦争に関係した日本の主要な人物53名について書かれている本。
こういうことにあまり詳しくない人がさらりと読むにはいい本だろう。
一人に対して平均4ページしか書かれていないから読みやすいと言えば読みやすい。

昭和天皇 1901~1989
差しさわりがあるので、あえてコメントはしない。(笑)

阿南惟幾(あなみ・これちか) 1887~1945
陸軍大将。
終戦時の鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣で終戦前夜に自決した。
五男の惟茂(これしげ)は小泉政権下の中国大使。
その時の言動が中国におもねっているとの批判を受けているのが気になる。
親父の顔に泥を塗らねばいいが・・・・・

甘粕正彦(あまかす・まさひこ) 1891~1945
陸軍憲兵大尉。
関東大震災の時の大杉栄らを殺害したとされる。
満洲帝国建国に暗躍したとされ、のちに満映理事長。
終戦時に自殺。

石井四郎(いしい・しろう) 1892~1959
陸軍の軍医中将。
満州で細菌戦の研究をする。
「731部隊」で有名。
捕虜を使った人体実験の話ばかりが有名だが、この人が発明した石井式濾水器は細菌防御のための無菌濾過器で、かなり優秀なものだった。
大いに貢献もしているのだが・・・・・評価されていないのが残念だ。
それにしても、拙者が生まれる1年前まで御存命だったとは・・・・・

石原莞爾(いしはら・かんじ) 1889~1949
陸軍中将。
もし、この人の言うことに聞く耳を持つ人がいたら、日本の戦争の結果は違ったものになっただろうと言われる人物。
そう言うと、いかにも良識派のように聞こえるが、満洲事変を拡大させたのはこの人・・・・
まともな部分と理解出来ない部分が極端なように拙者には感じられる。
天才肌というのだろうか・・・・

板垣征四郎(いたがき・せいしろう) 1885~1948
陸軍大将。
石原莞爾と一緒に満洲建国の中心的役割を果たした人。
終戦後A級戦犯として処刑された。
当然だな・・・・同情の余地はない。

井上成美(いのうえ・しげよし) 1889~1975
海軍大将。日独伊三国同盟締結に激しく反対した「良識派」として有名。
軍人というよりは教育者っていう感じだよなぁ~

今村均(いまむら・ひとし) 1886~1968
陸軍大将。
ラバウルの南方方面司令官としてラバウルを要塞化して自給自足をやったことで有名。
戦後は戦犯として10年間を部下とともにマヌス島で過ごした。
帰国後は自らの責任を問い続けて3畳一間の小屋の中に82歳で亡くなるまで蟄居。
そこまで自分を責めなくても・・・・と思うのだが・・・・
そこまでの大罪は犯していない人なんだけど・・・自分に厳しい人だった。

宇垣纏(うがき・まとめ) 1890~1945
海軍中将。
開戦時には連合艦隊参謀長つぉして山本五十六長官の下で真珠湾攻撃に参画。
で・・・問題は、終戦時の行動。
玉音放送後に部下を引き連れて沖縄へ特攻。
死にたけりゃ、一人で死ねばいいものを・・・若い人間を道連れにして・・・との批判が残る。
この人の真意はいまだに謎。

牛島満(うしじま・みつる) 1887~1945
陸軍大将。
沖縄防衛軍司令官として上陸してきた米軍に徹底抗戦をしたが、最後は自決。

梅津美治郎(うめづ・よしじろう) 1882~1949
陸軍大将。
終戦時に阿南惟幾と一緒に本土決戦・徹底抗戦を強硬に主張した参謀総長。
その当人が終戦の時にはミズーリー号での降伏文書調印式に出席させられるという皮肉な結末。
しかも、なぜかA級戦犯として終身刑となる。
なんでこの人がA級戦犯になるのか・・・拙者にはわからないのだが・・・
巣鴨プリズンに服役中に癌のため67歳で亡くなった。

及川古志郎(おいかわ・こしろう) 1883~1958
海軍大将。
第2次・第3次近衛内閣の海軍大臣。
この時に日独伊三国同盟に賛成・・・・
日米開戦の可否では首相に一任して・・・逃げる。
とにかく優柔不断、気が弱い・・・というイメージが強い。
かなりの読書家だったというから、軍人には不向きだったかも。
終戦後、好きな学問の研究に没頭して75歳で亡くなった。
なんで、この人がA級戦犯にならなかったのか・・・・拙者には理解ができぬ。
この人が、もう少ししっかりしていてくれたら、日本の運命は変わったかもしれないのに・・・・
戦犯だろ?普通なら・・・・

大島浩(おおしま・ひろし) 1886~1975
陸軍中将。
駐ドイツ大使館付武官時代に日独防共協定を提唱。
駐ドイツ大使になった時は、日独伊三国同盟を推進し締結する。
とにかくドイツに心酔していた人。
戦後A級戦犯として終身刑の判決を受けるが・・・・昭和30年に釈放。
89歳まで生きて昭和50年に死去。
本当なら死刑になっていて当然だったんじゃないかなぁ~

大西瀧治郎(おおにし・たきじろう) 1891~1945
海軍中将。
「特攻の生みの親」と言われ悪評が高いが、拙者はそうとは思わない。
正確にいえば、「生みの親」ではなく実戦で組織的に運用した初めての人・・・というだけのことではないだろうか?
「生みの親」は別の人だろう?
後世の評価が不当だと思うんですけど・・・・
終戦時、徹底抗戦を主張して、最後には自決する。
若者を特攻に行かせた責任を取らない指揮官がいる中、この人の最期は評価してあげたい。

小沢治三郎(おざわ・じさぶろう)1886~1966
海軍中将。
最後の連合艦隊司令長官。
戦後は自宅に引きこもり世俗との交際を断っていたという。

加藤建夫(かとう・たてお) 1903~1942
加藤隼戦闘隊で有名。
ビルマ上空で戦死後、軍神となる。

木戸幸一(きど・こういち) 1889~1977
内大臣。
木戸孝允の孫。
天皇陛下の第一の側近で、大きな影響力を持っていたにもかかわらず、東京裁判では戦犯として終身禁固刑となる。
おかしいだろ~それ・・・・
昭和30年に仮釈放。昭和52年、87歳で死去。
立場上、A級戦犯として死刑になっていいはずなのに・・・・納得がいかぬ。

草鹿龍之介(くさか・りゅうのすけ) 1892~1971
海軍中将。
真珠湾攻撃では南雲司令長官の下で参謀長を務めたが、真珠湾の追加攻撃をせず引き返す。
その後、南雲・草鹿コンビでミッドウェー開戦に臨んだが、空母全部を失い大敗北。
さて・・・・参謀長に向いていたんだろうか・・・この人・・・・

栗田健男(くりた・たけお) 1889~1977
海軍中将。
我が茨城県出身。
昭和19年のレイテ沖海戦で、レイテ湾を目の前にして「謎の反転」をして逃げ帰る。
この作戦の囮となった他の艦隊は“無駄死に”してしまった。
なぜ、あの時に反転してしまったのか・・・・
その疑問に答えること無く戦後を生きながらえ、88歳で死去。
多くの兵を“犬死”させた罪は重いと思うのだが・・・・

栗林忠道(くりばやし・ただみち) 1891~1945
陸軍大将。
硫黄島の守備隊長として玉砕。

黒島亀人(くろしま・かめと) 1892~1965
海軍少将。
連合艦隊の先任参謀として真珠湾攻撃を立案。
大戦末期には特攻兵器開発に特異な才能を発揮したという。
戦後は、家族とも別居して孤独な隠遁生活を送り、昭和40年、肺癌により72歳で亡くなる。

来栖三郎(くるす・さぶろう) 1886~1954
外交官。
日米開戦直前の交渉の時に野村駐米大使を補佐するため渡米したが、駐独大使の時に日独伊三国同盟に調印した本人であることが災いして、日米交渉は決裂したとも言われている。
本人は「不本意ながら調印した」らしいが・・・・
そういう言い訳は通用しまい。
最終的にはハル・ノートを突き付けられ、日米交渉決裂・・・・で・・・日米開戦。
なぜこの人を渡米させて交渉に当たらせたのか、その上の人の考えが分からないよなぁ~

源田実(げんだ・みのる) 1904~1989
海軍大佐。
戦闘機パイロット出身。
第一航空艦隊参謀として真珠湾攻撃の立案と指導にあたる。
戦後は、航空自衛隊航空幕僚長。
その後、参議院議員となる。
平成元年、85歳で死去。

小磯国昭(こいそ・くにあき) 1880~1950
海軍大将。
東条内閣総辞職後の内閣総理大臣。
戦後、戦犯として服役中に病死する。
70歳。

古賀峯一(こが・みねいち) 1885~1944
海軍大将。
山本五十六戦死後の連合艦隊司令長官。
全然目立たない、拙者にとっては印象が薄い人なんですけど・・・
パラオからミンダナオ島へ移動途中、乗っていた二式大艇が消息を絶ち殉職と認定された。
59歳。

近衛文麿(このえ・ふみまろ) 1891~1945
首相。
この人がもう少ししっかりしていたら・・・・と、ついつい思ってしまう。
戦後、戦犯に指名されるや服毒自殺をする。
最後の最後まで「ひ弱」だった。
この人がA級戦犯として処刑されなかったために、他の人が繰り上がったのではないかとさえ思うのである。
最後くらいはしっかりしてくれよ・・・・情けない・・・・

斉藤義次(さいとう・よしつぐ) 1890~1944
陸軍中将。
サイパン島防衛の師団長として米軍と戦うが部隊は玉砕し、自決する。
この人が中佐だった時に中国の大興安嶺の探検を行っている。
この時に護衛として付いて行った小隊長が拙者の祖父。
というわけで・・・・縁があるので、サイパン島へ慰霊に行ったことがあるが・・・・
残念ながら自決した洞窟がわからず帰ってきたことがある。
また、もう一度行きたいなぁ~

迫水久常(さこみず・ひさつね) 1902~1977
内閣書記官長。
2・26事件や終戦時の玉音盤奪取事件に際して活躍。
終戦の詔勅草案作成でも貢献した。
戦後は、池田内閣で経済企画庁長官や郵政大臣などを務める。

佐藤賢了(さとう・けんりょう) 1895~1975
陸軍中将。
軍務課長、軍務局長として東条内閣を支える。
戦後、A級戦犯として終身刑を受ける。

重光葵(しげみつ・まもる) 1887~1957
外務大臣。
終戦時、降伏文書に調印する首席全権となる。
日独伊三国同盟に反対していた人だが、東条内閣の外相に就任したことが理由なのか、戦犯として指名を受け禁固7年の判決を受ける。
釈放後は衆議院議員。
鳩山内閣の副総理兼外相となり、日ソ国交回復に尽力した。
69歳で永眠。

嶋田繁太郎(しまだ・しげたろう) 1883~1976
海軍大将。
開戦時の海軍大臣。
周囲に敵を作らないという処世術に長けていたのが裏目となったか・・・・
今の世なら優秀な人物として評価されたろうが、有事には不向きな人だろう。
陸軍との正面衝突を避けたため、「東条英機の“腰ぎんちゃく“」と揶揄される。
おかげで海軍も開戦に賛成ということになってしまった。
戦後はA級戦犯として終身刑となるが、昭和30年に釈放。
昭和51年に92歳で死去。
有事には向かない性格のなのに重要な位置に就いたことが不幸である。
本人も、国家も・・・・

杉山元(すぎやま・はじめ) 1880~1945
陸軍大将。
開戦時の参謀総長。
情けと能吏の人と伝えられているが・・・・
この人も平時向きのタイプのようだ。
有事に参謀総長や陸軍大臣などの要職に就くべき人ではなかったと思う。
昭和20年9月、ピストル自殺を図ったが死にきれず、最後に毒薬で自決したと言われている。

鈴木貫太郎(すずき・かんたろう) 1868~1948
海軍大将。
終戦時の首相。
2・26事件では襲撃を受け重傷を負うが一命を取りとめる。
まさしく運命というものだろう。
この時に殺害されていたら・・・・
終戦があのようにうまくいったかどうか・・・・

瀬島龍三(せじま・りゅうぞう) 1911~
陸軍中佐。
本書が書かれた時にはまだ存命していたが、2007年に老衰で95歳で他界。
本人が生存していることから、本書の内容も多少手加減しているような気もするが・・・
関東軍参謀として終戦を迎えシベリアに抑留される。
復員後、伊藤忠商事の興隆に尽力し、経済界の重鎮にもなったが・・・・
戦争責任を回避しているという批判の声もある。
ちなみに、拙者が在学中、我が大学の理事長さんだった・・・・・会ったことはないけど・・・・

辻政信(つじ・まさのぶ) 1902~1968(?)
陸軍大佐。
一応、優秀な人・・・・なんだろうけど・・・・
作戦参謀としてこの人がたてた作戦は杜撰だという批判の声がある。
また、越権行為も多く、強引・・・・・で・・・ことごとく失敗。
人物としては中隊長クラスの人物だという話もある。
この人が現われてひっかきまわした後は問題ばかり。
捕虜の大量虐殺・・・・他の人が戦犯として処刑される。
ガダルカナル戦・・・・多くの兵士が餓死。
敗戦とともに地下に潜行して逃げ回る。
戦後、国会議員となるが、僧侶に変装してラオスへ行き消息を絶つ。
今もってその最期は謎である。

東郷茂徳(とうごう・しげのり) 1882~1950
外務大臣。
父親は400年前に島津義弘に連れてこられた朝鮮人陶工の末裔。
開戦時の東条内閣の外務大臣となるが、東条と意見の対立から途中で辞職。
終戦時は鈴木貫太郎内閣で外相となり終戦工作に奔走。
にもかかわらず・・・開戦時の外相ということで、A級戦犯。
禁固20年の判決を受けたが、2年後に心臓病で67歳で死去。
肩書だけで戦犯にされてしまった感じがしてかわいそうだ。

東條英機(とうじょう・ひでき) 1884~1948
陸軍大将。
開戦時の首相。
有名なので・・・コメントは割愛。(笑)

豊田副武(とよだ・そえむ) 1885~1957
海軍大将。
古賀連合艦隊司令長官殉職後の連合艦隊司令長官。
日独伊三国同盟には反対、日米開戦にも反対して徹底的に陸軍と対立した人だったのだが・・・・
なぜか終戦の時には陸軍と一緒になって徹底抗戦を主張したという、よくわからない人。

土肥原賢二(どひはら・けんじ) 1883~1948
陸軍大将。
陸軍屈指の中国通で、中国語は中国人よりうまいといわれるほどペラペラ。
満州事変の演出者として「満州のローレンス」などと呼ばれる。
戦後、満洲皇帝溥儀(ふぎ)の偽証が決定打となりA級戦犯として処刑される。
拙者の祖父は、この土肥原さんの副官をしていたことがある。
戦犯として処刑されるような人ではない。
あの溥儀の野郎・・・・・今でも許せない。

永野修身(ながの・おさみ) 1880~1947
海軍大将。
開戦時の軍令部総長で、対米強硬派。
広田内閣では海軍大臣。
要職を歴任しているが、優秀な人なのかどうかさっぱりわからない人。
A級戦犯に指名されたが審理中に病死。

南雲忠一(なぐも・ちゅういち) 1887~1944
海軍大将。
真珠湾攻撃では不徹底な指揮ぶり。
ミッドウェー海戦では大敗北したが艦と運命を共にせず、リベンジを乞う。
そのため、あまり世間の評価は高くないような気がする。
で・・・最後はサイパンで米軍に攻められて自決。
陸上で自決するくらいならミッドウェーの時に艦と運命を共にしていたほうが本人の為だったか?

西竹一(にし・たけいち) 1902~1945
陸軍大佐。
男爵の家に生まれたので「バロン・西」とも言われた。
昭和7年の第10回ロサンゼルス・オリンピックの馬術大障害競技で個人優勝。
昭和19年に硫黄島で戦死。
この時、米軍がオリンピックの英雄の命を助けるため投降を呼びかけたという美談が有名だが、この伝説は生き残った戦友たちが作り上げた美談だとも言われている。

野村吉三郎(のむら・きちさぶろう) 1877~1964
海軍大将。
開戦時の駐米大使。
ハル国務長官と日米交渉をするが、成功せず開戦となる。
これは誠実な野村が、したたかなハルの戦術に負けたといわれている。
戦後、参議院議員。
日本ビクターの社長も務めた。
昭和39年、老衰により86歳で亡くなる。

東久爾宮稔彦(ひがしくにのみや・なるひこ) 1887~1990
皇族で陸軍大将。
終戦後初の内閣を組閣した総理大臣。
「一億総懺悔」論を提唱する。
その後、皇籍を離脱するが・・・・そこまでは・・・・いい。
問題はそこから。(笑)
闇市に店を出してみたり喫茶店を経営してみたり・・・・で・・・全部失敗。
最後には新興宗教の教祖様にまでなったが、宗教法人の認可が下りず断念。
元・内閣総理大臣としては滅茶苦茶なことをやった人。
平成2年、102歳で亡くなった。

広田弘毅(ひろた・こうき) 1878~1948
外務大臣。
2・26事件直後に首相に就任。
就任10ヶ月ほどで陸軍などからもみくちゃにされ総辞職。
その間に現役の軍部大臣復活や日独防共協定締結をおこなったことになっているので、そのことがまずかったか・・・・
近衛内閣では外相。
就任1ヶ月で盧溝橋事件が勃発。
運が悪いとしかいいようがない。
このせいなのだろうか、日中戦争の責任を問われ、文官としてただ一人、彼だけが戦犯として絞首刑になる。
絞首刑になるほどのことはしていないと思うのだが・・・・
なんで絞首刑になったのかさっぱりわからない。
絞首刑になっておかしくない人は他にもいるだろうに・・・・
不幸な人である。

本間雅晴(ほんま・まさはる) 1887~1946
陸軍中将。
イギリスやインド駐在が長く、文学好きだったせいもあり、陸軍内部では「英米派で軟弱」とみられていた。
軍人というより、どちらかというと学者タイプか?
開戦と同時にフィリピンを攻め、マッカーサーを追い落とした。
が・・・・バターン半島攻略にてこずったため、作戦途中で司令官を解任され予備役に編入されてしまった。
で・・・問題は戦後。
「バターン死の行進」の責任を問われ戦犯として銃殺刑に処せられたのである。
本人は「死の行進」が何のことか知るはずもない。
マッカーサーの私怨だな・・・・これ・・・・

松井岩根(まつい・いわね) 1878~1948
陸軍大将。
中支方面軍司令官、上海派遣軍司令官として中国の南京を攻略。
戦後、東京裁判で30万人を虐殺した「南京事件」の責任を問われ絞首刑となる。
30万人もの虐殺があったのかどうか・・・・・今もって議論されているが・・・・
どうやらこの「南京大虐殺」は事実無根のようだ。
本人も、それほどの大規模な虐殺があったとは寝耳に水。
しかし、部下の罪は我が罪として、一切の弁明をせず処刑される。
松井は昭和15年に復員して熱海の伊豆山に興亜観音を建立して、戦没した日本兵だけではなく敵の中国人将兵の霊も祀っている。
ここへは拙者も一度お参りに行ったことがあるが・・・・
こういうことをする人を無実の罪で処刑するとは・・・・

松岡洋右(まつおか・ようすけ) 1880~1946
第2次近衛内閣の外務大臣。
全権として国際連盟脱退演説をして会場を去ったことで有名。
しかし、松岡はこの時に「脱退」とは一言も言っていない。
議長が閉会を宣言する前に日本代表団を引き連れて退場してしまっただけのことなのだが・・・・
1ヶ月後に政府が正式に脱退宣言をしたため、松岡は英雄になってしまったらしい。
しかし、自他共に認める「自信家」は徳富蘇峰などの大物に持ち上げられて調子に乗る。
ヒトラーと手を結び日独伊三国同盟を締結。
スターリンと日ソ中立条約を締結。
彼の活躍が日本の行く末に大きな影響を与えたことは確かだ。
終戦後、英雄は一転してA級戦犯に指名されるが、肺結核のために病死する。
なんとも残念である。
絞首刑になって当然の人物が病死とは・・・・・
さんざん松岡を持ち上げて国論を誘導した徳富蘇峰は戦犯にもならず94歳まで生きた。
不公平である。

山口多聞(やまぐち・たもん) 1892~1942
海軍中将。
識見もあり、勝負度胸もある人・・・・という高い評価を受けている人。
しかし、ミッドウェー海戦で沈みゆく空母に残り運命を共にした。
「勇将」との評価が強い人ゆえ、機動艦隊の総指揮を取らせたかったと言われている。
拙者も同感。
南雲よりも山口のほうが良かったのではないか?
なんとも惜しい人材を失った。
南雲は艦とともに運命を共にしなかった。
それは総指揮官なので、1隻でも船が残っていればそれに移乗して指揮を執れるからである。
それに対して山口は空母2隻で編成された部隊の指揮官。
2隻とも沈められてしまうと、一緒に死なねばならない。
なんたることぞ・・・・
この艦隊に駆逐艦でもいいから数隻の船が含まれていたならば、理屈上は駆逐艦に移乗して生還する道もあったのに・・・・
本当に残念だ。

山崎保代(やまざき・やすよ) 1891~1942
陸軍中将。
2500名のアッツ島守備隊長として1万1千名の米軍と交戦して玉砕。
没後二階級特進して大佐から中将となる。
「玉砕」という言葉が使われるようになったのは、このアッツからである。
山崎は戦時中、軍神と呼ばれ、妻は軍神の妻と呼ばれたが、戦後は一転して「戦争屋の未亡人」とさげすまれた。
こういうところが嫌なんだよなぁ~
どうしてそういうふうに平気で手のひらを反すことができるのかねぇ~
こういうレベルの低い国民だから戦争が起こるのは当然だろう。
軍人だけが悪いと言えるか?

山下奉文(やました・ともゆき) 1885~1946
開戦時のマレー作戦で有名となる。
「マレーの虎」とも呼ばれた。
終戦時はフィリピンで第14方面軍司令官。
マニラでの戦争犯罪を理由に絞首刑第1号となるが・・・・
これは明らかにマッカーサーの私怨によるものである。

山本五十六(やまもと・いそろく) 1884~1943
海軍大将。
連合艦隊司令長官で有名。
昔は尊敬していたのだが・・・・
その後、いろいろな本を読んでみると首をかしげざるを得ないものが結構ある。
う~ん・・・・偉いんだろうか偉くないんだろうか・・・・
最近では名将ではないよなぁ~と思うのである。

米内光政(よない・みつまさ) 1880~1948
海軍大将。
良識派の提督である。
海軍兵学校の成績はそれほど優秀ではなかったらしいが、人間としては優秀だと思う。
日独伊三国同盟に強硬に反対したことは有名。
また、2・26事件では、一瞬の迷いもなく決起部隊を反乱軍と位置づけたことでも有名。
首相にもなったが、陸軍の抵抗にあり半年で総辞職。
終戦時から戦後にかけて海軍大臣として終戦工作と戦後処理に奔走した。
昭和23年に早々とこの世を去られたのは残念である。
こういう人こそ長生きをしてもらいたいのだが・・・・
そうはうまくいかないのが世の中か?



今年の読書:8冊目



読書 | 00:52:37 | Comments(0)
鬼は親父?
今日は節分です!
豆まきの日だそうです!

スーパーから買い物をして帰ってきたらテレビのニュースで豆まきの話をしていた。
「おい、豆買ってきたか?」と親父。
「ん?豆まきの豆?買ってこなかったけど・・・・豆まきやるの?」
「いやぁ~別に・・・・」
「豆まきやってもいいけど・・・お父さんに豆をぶつけるっていうのも悪しなぁ。だから豆は買ってこなかったんだけど・・・」
「ん?何で俺に豆をぶつけるんだ?」
「はぁ?だって・・・鬼は外!って豆をぶつけるんだろ?」
「だから、何で俺なんだって!」
「だって・・・鬼の役は父親がやるって昔から決まっているんじゃないの?」
「・・・・・・」
一瞬にして親父は不機嫌になってしまった・・・・・(笑)

80歳を過ぎた親父に50歳近い息子が豆をぶつけている姿はおぞましい・・・・
しかし・・・まてよ・・・・
節分に鬼に豆をぶつけていたのは幼稚園児の頃の話か・・・・・
ん?
大人になったらそういうことはしないよなぁ~
あれ?
節分はどうやるんだっけ?

日記 | 19:27:04 | Comments(2)
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