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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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松本で見つけた建物
DSC00519_convert_20081111220941.jpg

長野県松本市中央3丁目・下島歯科


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建物 | 23:40:03 | Comments(0)
鉄道給水源跡
DSC00517_convert_20081111215728.jpg

鉄道給水源跡

明治35年6月15日国鉄篠ノ井線松本駅開業ノトキヨリコノ地籍ノ湧水ヲ蒸気機関車ノ給水等ニ供シタ記念トシテ遺ス

昭和59年1月吉日建立
国鉄OB会松本支部

(碑文より)

鉄道給水源跡


史跡 | 23:30:19 | Comments(0)
旧松本高等学校
DSC00460_convert_20081111211821.jpg(旧松本高等学校本館)

重要文化財 旧松本高等学校 本館、講堂
指定年月日 平成19年6月18日
所在地 長野県松本市県3丁目1番1号
所有者・管理者 松本市

大正8年に創立開校された旧制松本高等学校の本館と講堂である。
戦後の学制改革により信州大学文理学部の校舎となり、昭和48年3月まで使用された。
この両建築は、大正期の旧制高等学校の木造洋風建築の作例としては規模も大きく保存状態も良好である。
また、この建物は西洋建築様式を簡略化して木造建築に応用した代表例である。

本館
木造二階建、屋根瓦葺寄棟造、玄関周囲に切妻破風及びマンサード型破風を付す。大正9年建築
講堂
木造平屋建一部二階建、屋根銅板亀甲葺、切妻造、屋根の一部に小塔及び切妻破風を付す。大正11年建築

松本市教育委員会

(説明板より)




信州大学文理学部跡

戦後の学制改革により1949年文理学部は旧制松本高等学校を母体としてこの地に誕生しました。
爾来22年間で1300名の卒業生と医学部、農学部、工学部の教養課程の学び舎としても使用されてきました。
文理学部の改組により人文学部、理学部、経済学部が旭町キャンパスに新築移転され、その歴史を閉じました。
しかし主要な校舎は、先輩諸氏の献身的な保存運動と、市当局をはじめ関係各位の温かいご理解により文化財として保存され、市民の文化活動に活用されると共に憩いの場として愛されております。
開学50周年にあたり、この地で過ごした青春のありし日の己を象徴した青年像「蒼穹」を記念碑として中庭に建立しました。

1999年10月
信州大学文理学部同窓会

(説明板より)

旧松本高等学校


史跡 | 23:20:05 | Comments(0)
筑摩神社
DSC00454_convert_20081111195854.jpg

筑摩神社の文化財
所在地 松本市大字筑摩

件名及び由緒

1.重要文化財 筑摩神社本殿
室町時代の永享11年(1439)信濃の守護小笠原政康が再建献納したもので建築様式は三間社流造、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)、様式、組物等によく時代の特長が残り、優れた建造物として昭和5年旧国宝、同25年重要文化財の指定をうけている。

2.長野県宝 筑摩神社拝殿
慶長15年(1610)松本城主石川康長の建造奉献したもので建築様式は入母屋造、屋根は杮葺(こけらぶき)、桃山時代の特長をあらわしており昭和41年長野県宝の指定をうけている。

3.松本市重要文化財 筑摩神社銅鐘
室町時代の永正11年(1514)信濃の守護小笠原長棟の奉鋳献納したものでよく時代の特長をあらわしており松本平最古の銅鐘である。

昭和56年3月
松本市教育委員会

(説明板より)

筑摩神社


史跡 | 23:10:01 | Comments(0)
松本の旅(2)
午後2時過ぎ、“ミヤザワさん”のお宅を辞してテクテクと帰路につく。
来る時はタクシーを利用したが、帰りは徒歩。
天気は相変わらずどんよりと曇って薄暗い。
昨日に引き続いて、再度松本城へ行って写真を撮影しなおそうかと思ったが、この天気じゃ昨日と同じような写真しか撮れまい。
行っても無駄なら、慌てて帰ることも無い。(笑)
近くをブラブラしながら駅に向かうことにする。

DSC00457_convert_20081111173708.jpg(筑摩神社)

近くに「筑摩神社」という神社があったので立ち寄ってみる。
かなり古い神社らしい。
“ミヤザワさん”の家の近所だから・・・・氏神様といっていいかな?
というわけで・・・お参り。
“ミヤザワさん”ご夫婦をお元気でもっと長生きさせてくれるよう神様にお願いする。
頼むぞ!神様!(笑)

つづいて、立ち寄ったのが「松本市あがたの森文化会館」
タクシーで来る時にチラリと見えたので、帰りに寄ってみようと思った場所。
ここには旧制の松本高等学校の本館と講堂が保存されている。

DSC00514_convert_20081111174738.jpg(松本市あがたの森文化会館)

内部は文化会館として利用されているため、内部を見ても雑然としていているが・・・・
まぁ、とにかくここでコーヒーを飲んで一服。(笑)
敷地内をウロウロしたり館内をウロウロする。
スーツを着ているとウロウロしていてもあまり疑われないから便利である。
職員のような顔をして・・・・あっちこっちを覗き込む。(笑)

時刻は3時半・・・・そろそろ帰りますかぁ~
ということで・・・真っ直ぐ松本駅に向かって歩く。

午後4時過ぎの特急に乗って長野に向かう。
所要時間は1時間弱。
さすがにドドッと疲れが出て爆睡である。(笑)
“ミヤザワさん”は大丈夫だろうか?
少々心配。

駅前のホテルにチェックインしてから駅前を散策。
まずは、お土産!
先に長野にどんなお土産があるのか調査せねば・・・・
で・・・買うのは最終日。
まずは下調べである。
今晩の夕食は駅前でうな重を食べる。
すこし栄養をつけておかねば・・・・(笑)

そういえば・・・
時々拙者の“デート”に付き合ってくれる“シオハラさん”は松本の出身。
で・・・“ミヤザワさん”にお会いしに行った話をメールで送ったら・・・
「松本のどのあたりに“ミヤザワさん”はお住まいなのですか?」と訊かれたので・・・
「こういう場所です」と住所を教えたら・・・・
なんと!
彼女のお祖母さんが、“ミヤザワさん”のお宅の直ぐ近所にお住まいとのこと。
ええっ~
うそぉ~(笑)
道路1本向こう側・・・という近さ!
偶然というのは恐ろしいものであるが、こんなこともあるんだねぇ~
嘘みたいな本当の話。
いやぁ~驚いた~
これも何かの縁?(笑)
勝手に“縁”にしちゃっているけど・・・(笑)

今日の歩数、1万814歩、約5.9km。
今日は殆んど座ってお話を伺った一日だったので、それほど歩いていない。(笑)

旅行 | 23:00:53 | Comments(0)
戦友会会員に会いに行く
ホテルをチェックアウトして駅のコインロッカーに荷物を預け・・・・・
タクシーで戦車第2師団の会・会員の“ミヤザワさん”宅に向かう。
“ミヤザワさん”宅をお訪ねするのは初めて、当然お会いするのも初めてである。
事前に地図で調べておいたが、奥さんから近くに来たら携帯から電話をくれと言われていたので電話したところ・・・・
多分、あのあたりの家だろうと思っていたところから“おばあさん”が飛び出してきた!(笑)
「いやぁ~初めまして!」とご挨拶をしながらご自宅へ。
ご自宅の玄関に“ミヤザワさん”がニコニコしながら杖を手に立っておられた。
「最近、足が弱ってねぇ~」と言う。
「お幾つになられましたか?」と尋ねたら、奥さんが「93歳です」という。
ええっ!93歳!
全然93歳には見えない!
腰が曲がっていることを除けば、どうみても80歳である拙者の親父より若く見えるのである!

で・・・・茶の間に案内されて、ご挨拶もそこそこに、体験談をお伺いすることに・・・・
なにせ、耳が遠くて全然拙者の話は聞こえないらしい。(笑)
「耳が全然聞こえないからね」と言われて直ぐに自分の経歴を語りだした。
なんと!氏は近衛歩兵第3連隊にいたという。
「近衛歩兵だったんですか!」と言っても聞こえないらしい・・・・(笑)
ニヤッと笑って話が続く。
昭和10年に近衛歩兵第3連隊に入隊したのが軍隊生活の始まり。
で・・・・翌年に例の2・26事件が勃発。
氏の所属する中隊がこの事件に参加したという。
何がなにやらわからぬうちに非常呼集で出動。
途中で隊列が止まり前の方から実弾が配られてきた時に・・・あれ?と思ったという。
中隊はそのまま高橋是清蔵相邸へ。
中隊は2つに分かれて1番の部隊が蔵相邸へ、自分は2番の部隊として外で待機。
するとまもなく・・・・パン!パン!と銃声が・・・・
はて?今の銃声は何だろう?(笑)
そのうち1番の部隊はそのまま首相官邸へ向かってしまい、自分たちはそのまま“放置”されてしまったという。
仕方がないので、皇居へ向かい、坂下門(だったかな?)そこで、“警備”についていたら憲兵隊に囲まれて・・・・
「お前たちは反乱軍である!」と言われて捕まっちゃった。(笑)
何がなんだかわからんうちに反乱軍として捕まったんだよな~
大笑いである。(笑)

それにしても、まさか2・26事件に参加していたとは知らなかった。
いやぁ~驚いた!
2・26事件といえば、拙者の祖父も参加の打診を受けたが祖父は参加を断ったという。
当時、祖父は中尉、青年将校である。
参加していたら・・・処刑されていただろう。
で・・・・事件後、どういう因縁か、祖父は人事異動で事件を起こした第1師団留守部隊の副官に転任して事件の首謀者の処刑に関わっている。
しかも、どういう縁なのか、拙者の大学時代の恩師は、この事件首謀者を処刑する銃殺隊の一員。
しかも自ら頼み込んで陸軍士官学校の同期生を撃ったという。
仲のよかった親友を他の兵の手で殺させたくない。
どうせなら自分の手で・・・と上官に頼み込んだという。
“ミヤザワさん”は当時、初年兵だったので罪には問われなかったそうであるが・・・・
それにしても何という縁だろうか。
まさか、2・26事件という共通話題があるとは・・・・
しかし・・・この話をしても、氏には通じない。
キョトンとして・・・・「いやぁ~耳が遠くて聞こえないんだ。すまんねぇ~」と言われてしまった。(笑)
で・・・話は更に続く。

相手が93歳というご高齢ならば・・・・ということで、お話を聞くのは1時間ぐらいということにしていたのだが・・・・
氏の一方的な話は途切れない。
「堰を切ったように・・・」という言葉がそのまま当てはまるようなほど一気に離し続けること2時間。
さすがにこちらとしても相手の体調が気になりハラハラする。(笑)
ついに時刻はお昼!

拙者が来るというので、事前に奥さんが近くの山へ行って松茸を取ってきて松茸ご飯を作ってくれていた。
で・・・お昼を食べてくれという。
ありゃりゃ~
まさか、お昼までお邪魔するつもりは無かったんだけどなぁ~
午前中に帰るつもりだったんだけどなぁ~
しかし、話はまだ続いているし・・・・(笑)・・・・帰るに帰れない。(笑)
氏は食事どころではない、延々と話し続ける。
で・・・拙者は松茸ご飯をパクパクいただきながら話を聞く。
初対面だというのに何という失礼なことかと思ったが・・・・
食べねば奥さんが気にするし・・・・
話も聞かねばならんし・・・・
こちらは大忙しである。(笑)
で・・・いつの間にか気がついたら3杯もおかわりをしていた!(笑)
奥さんが山から取ってきた天然の松茸ですよ!
美味しくないわけが無い!(笑)
美味しい、美味しいと3杯!
やっちまったぁ~
なんということか・・・・理性が食欲に負けた~いや、松茸に負けたぁ~(笑)

昭和15年に、陸軍は航空隊と戦車部隊の増強に着手。
近衛歩兵連隊から大量に転出することになり、飛行機は墜落すると死ぬから戦車だったら大丈夫だろうということで戦車を希望したんだとニコニコと笑う。
そして・・・・希望が通って戦車第6連隊に転属。
昭和16年・・・日米開戦と同時にマレー侵攻作戦に参加。
マレーシアからシンガポールに一気に戦車で突っ込みシンガポールを占領。
その後、大戦末期にフィリピンへ・・・・
勝ち戦と負け戦のどちらも経験したんだよねぇ~と笑う。

氏は少尉候補者制度で将校になったという。
少尉候補者制度とは、優秀な下士官の中から選抜されて特別に士官学校に入校し、将校となる制度。
実は拙者の祖父もこの制度で将校になっている。
少尉候補者(略して少候)第9期・・・氏は少候25期。
祖父の後輩だった・・・・
しかし、この話も氏には通じない。(笑)
マイッタァ~

しかし運命とは恐ろしいものである。
同期生が同じ部隊にいたが、なぜかその同期生が先に少尉に任官してしまった。
で・・・その同期生は将校という事で、選抜されてレイテ島へ派遣されて部隊は玉砕。
氏は任官が遅れたため、選抜されずルソン島に残された。
あの時、俺が先に任官していたらレイテで死んでいたよ・・・・という。
何で任官が遅れたのかは知らないけど・・・・運命だよなぁ~
あいつはかわいそうなことをしたなぁ~と涙を浮かべた。

氏は少尉となって指揮班長を務める。
指揮班は戦車には乗らない。
乗用車に乗って走り回っていたというが、その後、乗用車は他の部隊に差し出すことになり、その後は徒歩で戦車の後を追いかけて指揮していたという。
あの時に戦車に乗っていたら死んでいただろうなぁ~と言う。
戦車は敵の攻撃で全滅。
徒歩だったおかげで助かったらしい。
戦車を失い歩兵となってサラクサク峠へ。
そこでは拙者の祖父が米軍と対峙して戦っていた。
氏は“マツ陣地”にいたというから、位置的には祖父の陣地のはるか北方だから、戦場で祖父と会ってはいない。
が・・・同じ戦場で戦っている。
いやはやなんという縁か・・・・・

斬り込み隊に参加して足を負傷したが、無事に生還・・・・
戦後、不慮の事故で右目を失明したという。
で・・・耳が遠くなり、今度は足が不自由になったというが・・・
話は4時間を越す。
その間、全く休憩なしで話し続けるのだから、その体力には驚かされた。
拙者の祖父は93歳で他界したが、その頃は1時間話をするのが限界だったのだ。
1時間も話をしていると疲労が顔に出ていたのだが・・・・
“ミヤザワさん”は最後まで張りのある声で疲れ知らず。
48歳のこっちのほうが聞いているだけで疲労困憊である。(笑)
いやはや驚いたが・・・
さすがに氏の体調が気になってどうしようもない。
もう、この辺で・・・・ということでお宅を辞することにした。

お別れに握手をしたが・・・・その力強いことには驚いた。
グッと手を握られたとき・・・・思わず胸にこみ上げてきて言葉にならない。
どうか・・・お元気で・・・・

耳が遠くなる以前にお会いしていたら、拙者の祖父のこと、2・26事件のこと、少尉候補者のことなど、氏との縁の話など、拙者の話を聞いてもらえたのだが・・・・
それが伝えられず残念。
右目を失明しているので字を読むのも大変なんだと言っていたから、手紙に書いても無理かなぁ~

ご夫婦にはお子さんはいないという。
奥さんが、これから先が不安だと言っておられた・・・・・
なんとお返事していいものやら・・・言葉が見つからなかった。

でも、思い切ってお会いして本当によかった。
93歳まで生きていてくださって本当に感謝、感謝である。

氏の近衛歩兵時代の写真を戦友会の会報に載せるためお借りしてきたので、返却は郵便じゃなく、また直接松本までお返しに来ようかな・・・・

日記 | 22:40:15 | Comments(0)