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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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中村城跡
DSC09960.jpg

福島県指定史跡
中村城跡(なかむらじょうあと)
昭和30年2月4日指定
所在地 相馬市中村字北町
所有者 相馬市ほか

中村城は一名馬陵城(ばりょうじょう)ともいわれる。
古くこの地は天神山といわれ、中世にはその一部に館が構えられたこともあった。
慶長16年(1611)7月、相馬利胤が木幡勘解由(かげゆ)長清を責任者として築城に着手し、11月に完成、12月2日小高城よりここに移った。
以後明治初年に廃されるまで、約3百年にわたる相馬氏歴代藩主の居城として、藩政の中心となった。
城の正面の東南部には外大手門がある。
ここより中門跡を経て廊下門を渡ると内大手門跡があり、本丸に達する。
搦手門跡は、本丸の南西部に位置する。
築城された慶長16年に、天守閣が本丸南西隅に建てられたが、寛文10年(1670)落雷のため焼失した。
その後は再建されていない。
本丸のまわりには郭(くるわ)・濠・溜池・土塁(どるい)・空濠(からぼり)などをめぐらし、二の丸を東・西・南・北に、三の丸を東・西・北に配している。
更に岡田塁(岩崎塁)・西館・円蔵郭・お花畑・蓮池などをおき、この城をより堅固なものとしている。
本城は大規模とはいえないが、築城当時の姿をよく残しており貴重である。

福島県教育委員会

(説明板より)

DSC09885_convert_20081010223847.jpg

福島県指定史跡「中村城跡」
本丸及び天守閣跡

本丸御殿は、現在のフジ棚を取り囲むようにあった。
現在も諸所に礎石や庭園の配石の跡が見られる。
また、三重の天守閣は、築城時の1611(慶長16)年、本丸西南隅に建てられたが、1670(寛文10)年落雷で焼失し、以後再建されることはなかった。
本丸跡中央の相馬神社は、明治13年に相馬氏の祖の相馬師常を祭神として創建されたものである。

相馬市教育委員会

(説明板より)

中村城跡


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史跡 | 15:17:18 | Comments(0)
妙見曲輪と相馬中村神社
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福島県指定史跡「中村城」
妙見曲輪と相馬中村神社

西二ノ丸の一角にあって、藩主相馬氏の氏神である「妙見」を祀ったところを特に妙見曲輪と言い、相馬氏の居城には必ず設けられた。
中村城内の妙見社(現相馬中村神社・国指定重要文化財)は、1643(寛永20)年に建てられた相馬地方最古の神社建造物であり、権現造りの社殿は、全体的に簡素な意匠であるが、木割(きわり)は太く力強く屋根はこけら葺である。

相馬市教育委員会

(説明板より)

妙見曲輪と相馬中村神社


史跡 | 14:01:19 | Comments(0)
小高城跡
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福島県指定史跡
小高城跡(おだかじょうあと)
昭和33年8月1日指定
所在地 相馬郡小高町小高字古城・城下・八景前・金谷前
所有者 相馬胤敏ほか
管理者 小高町教育委員会

小高城は、小高川の氾濫原(はんらんげん)に舌状にのびた台地の上にあり、その台地の頸部を切り空濠(からぼり)とし、四周を削り、濠及び池をめぐらし、頂には土塁を築いている。
元亨(げんこう)3年(1323)4月、相馬重胤が下総国(今の千葉県)流山から移るにあたって、はじめ太田(現原町市)の別所館に住み、嘉暦元年(1326)この城に移った。
建武3年(1336)に次子光胤に命じて修築させ、以後相馬氏の本拠として、南北朝の乱には北党の重要な位置を占めた。
小高城攻防戦は相馬文書のほか、岡田・大悲山・飯野文書などによって明らかである。
慶長2年(1597)に相馬義胤が原町市の牛越城に移り、当城を支城としたが、同7年再びもどり、同16年(1611)に相馬利胤が相馬の中村城に移って廃城となった。
城内の相馬小高神社は相馬氏代々の守護神である妙見を祀(まつ)った社で、相馬三妙見のひとつに数えられ、「相馬野馬追」の野馬懸はここで行われる。
なお、小高城は別名紅梅山浮舟城とも称されていた。
城郭としては小規模であるが、原形がよく保存されており、本県の中世城郭として注目すべきものである。

福島県教育委員会

(説明板より)

小高城跡


史跡 | 13:26:28 | Comments(0)
旧渡部家住宅
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福島県指定重要文化財(建造物)
旧渡部家住宅 一棟
昭和49年5月7日指定
所在地 双葉郡浪江町大字北幾世橋字北原
所有者 大聖寺

この住居は、もと浪江町大字幾世橋字荒井にあったもので、昭和48年に現在地に移築し、原形に戻された。
口伝によれば相馬藩の在郷給人のもので、規模などもそれを裏付ける造りとなっている。
四室列型で、外縁(そとえん)をまわし、窓をつけない簡素な座敷構え、太い「だいこく」「えびす」の両柱、下屋とり込みをしない架構など、江戸時代後期のこの地方の上層農民の生活と住居とをよく表わしている。
特に「えびす」柱上部の通しほぞの間には、文化8年(1811)2月22日の建築月日以下工人名などを記した墨書板が挿入されており、「なんど」境の柱のほぞ書きにも同年号がみられる。
移築復原にあたって、棟続きの「なや」および「うまや」が失なわれてはいるが、浜通り地方に比較的早期で建築年代を確定できる遺構が存することは、比較資料として貴重であり、また、この種の柱書きやその挿入技法の例として貴重であり、また、この種の柱書きやその挿入技法の例としても貴重である。

福島県教育委員会

(説明板より)

旧渡部家住宅


史跡 | 12:37:48 | Comments(0)
大聖寺のアカガシ樹群
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福島県指定天然記念物
大聖寺(だいしょうじ)のアカガシ樹群(じゅぐん)
昭和50年5月30日指定
所在地 双葉郡浪江町大字北幾世橋字北原
所有者 大聖寺

アカガシはブナ科の常緑広葉樹で、元来は暖温帯山地に樹林を形成し、その自然分布の北限は福島県北部から宮城県南部にかけての海岸地帯にある。
この樹群は、大聖寺境内の南部から西部にかけての斜面に群生し、胸高直径40センチメートル以上の大木が39本、他に同直径25から35センチメートルのものが4本みられる。
39本の大木のうち、山門の西にある同直径188センチメートルのものが最も大きく、同直径176センチメートルのものがこれについで大きい。
このような大木はめずらしく、単木としても貴重です。
この大木群は、2本の巨樹をはじめとして大木が多数生育し、しかもほぼ自然の状態を保っているところから学術的にも価値が高い。

福島県教育委員会

(説明板より)

大聖寺のアカガシ樹群




史跡 | 11:18:47 | Comments(0)
相馬へドライブ
今日は水戸藩士の“シミズくん”とドライブ!
行き先は、福島県の相馬・・・・・
早起きせねばなるまい・・・・と思えば思うほど・・・昨晩はさっぱり寝られなかった。(笑)
これじゃ、まるで遠足前の子供である。(笑)
結局、寝たのは午前3時過ぎ・・・起きたのは7時近く・・・・
3時間半程度しか寝ていない。
長距離を拙者が運転せねばならぬというのに・・・・

午前8時、“シミズくん”宅へ迎えに行ってピックアップ。
具体的に、どこに行くかは全て彼が調べておいてくれたので大助かり。
はい、はい、全てお任せします!拙者は車を運転するだけ~(笑)

常磐自動車道を北上して終点の「常磐富岡IC」で降り、海岸に向かって走る。
最初に訪れたのは「小良ヶ浜灯台」がある岬。
「小良ヶ浜」は「おらがはま」と読むのだそうだ。
「ここは、おらの浜だ~!」から名付けられた地名らしい。(笑)

灯台入口で車を停め、松林の中を、ちょうど釣りに来ていた人に案内してもらい徒歩で灯台まで・・・
“シミズくん”の調査では、ここに「慰霊碑」があるという。
DSC09942.jpg(慰霊碑)
この慰霊碑・・・・
玉砕したアッツ島から横浜海軍航空隊に向かった九七式大型飛行艇が、昭和18年6月9日にこの岬に激突したという。
慰霊碑には15名の殉職者の名が刻まれている。
この飛行艇は乗員9名のはず・・・
定員オーバーで飛んでいたのかな?
慰霊碑が建立されたのは平成5年だから最近といえば最近・・・・
地元の方や遺族が建てたものらしい。
関係者しか知らない慰霊碑である。
これは貴重なものを調べてくれた。
“シミズくん”に感謝、感謝・・・・
しかし、この方々はどこの部隊の人たちだったのだろうか?
う~ん・・・防衛研究所に調べに行くようかぁ~?
DSC09943.jpg(小良ヶ浜灯台)
DSC09944.jpg(岬から見た景色)

その後、国道6号線を北上。
双葉郡浪江町に入り、ここにある大聖寺を訪れる。
ここは相馬中村藩第5代藩主・相馬昌胤が隠居していた場所。
DSC09945.jpg(大聖寺)
裏手には墓地があり、その中に「相馬家御廟所」があった。
昌胤公と奥さん(徳川光圀の姪)、昌胤の息子とその奥さんの墓である。
DSC09948.jpg(相馬家御廟所)

更に国道を北上。
南相馬市の小高(おだか)区にある小高神社に寄る。
この小高区は昔は相馬郡小高町だった。
町村合併で南相馬市が出来て小高区となった。
どうも昔の地名が聞きなれている者としては町村合併は迷惑である。(笑)
この小高神社・・・・小高城の跡である。
DSC09949.jpg(小高神社=小高城跡)
この小高城・・・・
相馬氏の居城で、南北朝の乱の時には北朝方の重要拠点だったらしい。
今は、土塁、堀跡らしきものが残るのみである。

更に北上を続け、今度は南相馬市原町区へ入る。
昔は原町(はらまち)市・・・・
駅名は「はらのまち」と「の」が入るが、地名は「の」の字が入らず「はらまち」である。
なんともわかりづらい。(笑)
拙者はついつい「はらのまち」と呼んでしまっている。

ここで、まず、南相馬市立博物館に寄ってみる。
地図には「野馬追の里市立博物館」と記されているが、この名称は町村合併前の名称のようだ。
DSC09950.jpg(南相馬市立博物館)
DSC09951.jpg(相馬野馬追いのジオラマ)
博物館の建物がこじんまりしているなと思ったら中もこじんまりしていて、あっという間に見学終了!(笑)
拍子抜け・・・・である。
写真撮影可能な場所は、このジオラマのみ。

続いて「夜の森公園」(よのもりこうえん)へ行く。
何で「夜の森」という名なのかは知らないけど・・・・
同じ名前の公園が、常磐自動車道終点の富岡町にもある。
我々が走ってきたコース上に同じ名前の公園が2つもあるのだから迷惑な話である。(笑)
この「夜の森公園」には誰かの銅像があるということを知っていたので、是非とも寄りたかった場所。
ただし・・・富岡町のほうなのか、原町のほうなのか・・・・知らなかったが・・・
行ってみたら・・・あった!
銅像!ヒャッホ~!
”シミズくん”は呆れ顔。(笑)
DSC09952.jpg(夜の森公園の銅像群)
DSC09953.jpg>(夜の森公園)

神風特別攻撃隊敷島隊の中野磐雄の銅像!
そう、そう、この人が飛び立ったフィリピンのマバラカット飛行場跡には何度か行ったことがある。
この人が原町出身者だったことを思い出した。
そして、もう一人・・・・
第4神風特別攻撃隊零戦隊の志賀敏美の銅像・・・・
失礼ながらこの方は知らなかったが、この方も原町出身でマバラカットから特攻出撃し、戦死されているらしい。
いやぁ~ここでお会いできるとは・・・・感激である。

確か別の公園にも誰か特攻隊員の慰霊碑があったような・・・・
「陣ヶ崎公園墓地」!
そこへも行ってみようということになり、一度来た道を南下して引き返す。
現地に付いてみたら・・・・あれ・・・・
原町飛行場関係の慰霊祭が終わった直後。
まだ関係者が残っている。
慰霊碑は・・・・あった!
陸軍航空隊の特攻隊である「鉄心隊」の隊長がモデルとなっている特攻兵の像が慰霊碑。
しかし、その前に祭壇が設けられている。
これじゃ、写真の撮り様がないし・・・・
「どちらさんで?」なんて声をかけられても説明するのが面倒臭いし・・・・
一人ならまだしも、“シミズくん”が一緒だから、余計なことに巻き込まれて時間を割いたら申し分けなし。
この慰霊碑の撮影はまたの機会として退散。(笑)

午後2時・・・・
さすがに腹が減った・・・・
ということで、駅の近くの食堂で昼食!
DSC09954.jpg(ひつまぶし)
拙者は「ひつまぶし」を頼む。
これ・・・名古屋の名物らしいが、拙者が生れて初めて食べたのは、4年前・・・・
三重県護国神社を訪問した時に、津駅の前にある店で食べた・・・
他の客が食べているのを見て、店員に尋ねたら「ひつまぶし」だと言う。
「暇つぶし?」
「いえ、ひつまぶし・・・です」(笑)
「名古屋の名物ですけど・・・知らないんですか?」と言われた。(笑)
拙者は名古屋には何度も行っているが・・・・お目にかかったことがない。
じゃぁ、試しに食べてみようということで食べてみたら美味しかった。
今回、人生2度目の「ひつまぶし」である!(大げさか?)
福島県で出会うとは思いもよらなかった~感激である!

食後、更に北上!
途中、旧陸前浜街道の松並木を走る。
DSC09955.jpg(旧陸前浜街道の松並木)
日光の松並木とは比較にならないが・・・それなりの風情があっていい。

途中見かけたお菓子屋さんに立ち寄り饅頭などを買って車内で食す。
う~ん・・・これでは“シミズくん”の摂取カロリーはオーバーである!
あ~あ~俺しらねぇよ~・・・また奥さんに怒られちゃうんじゃない?(笑)
拙者と一緒にいてはダイエットは・・・・無理である。(笑)

最終目的地の相馬市に到着。
馬陵公園に向かう。
ここは中村城跡。
歴史は古く平安時代からあったらしい。
その後、相馬氏が小高城からここに移った。
仙台の伊達氏の南下に備えた城らしい。
DSC09956.jpg(外大手一ノ門)
この城跡には2つの神社が建っていた。
DSC09958.jpg(中村神社)
その一つが中村神社である。
承平年間(931年~937年)に奥州相馬氏の先祖である平将門が今の千葉県に妙見宮を創建したことから始まり、相馬家代々の氏神様とのこと。
ほっ?相馬氏のご先祖様は平将門ですか?
知らなかった・・・・(笑)
拙者は何にも知らないで旅をしているのである。(笑)
この神社にお馬さんがいた。
DSC09957.jpg(お馬さん)
我々が境内に足を踏み入れたら“いななく”のである。
ん?番犬ならぬ「番馬」か?(笑)
DSC09959.jpg(オブジェ)
神社の石段の手摺に珍しいものが・・・・
さすがは「相馬」である。
馬のオブジェだ。

この神社の隣の丘に、もう一つの神社・・・「相馬神社」がある。
DSC09960.jpg(相馬神社)
ここは中村城本丸の跡。
当時は三重の天守閣があったらしいが、寛文10年(1670年)に落雷で焼失してしまったという。
なんとももったいない・・・・
この相馬神社は相馬氏の祖である相馬師常が祀られている。
2人でお参りしていたら・・・一人のご老人に声をかけられた。
神主さんかと思ったらそうじゃない。
相馬氏の家来の子孫で東京の会社の社長さん。
83歳だったか、86歳だったか・・・
今日、例大祭があったので氏子総代(?)として昨日からこちらに来ていたという。
「わざわざ遠いところからお参りに来ていただきありがたい!」とすこぶるご機嫌。
「いやぁ~ちょっと立ち寄っただけでして・・・・」
この社長さんは我々を見て相馬氏と縁がある人かと思って声をかけてきたようだ。
「これも何かの縁ですね~」などと言われて名刺を差し出された。
こちらは休日のドライブである。名刺を持ち歩いていない。
失敗したなぁ~やっぱり名刺は常に持ち歩くべきだな。反省、反省・・・・
それにしても、今もって家臣の子孫までが参加して例大祭をしているというのだから・・・すごい!

時刻は4時半・・・すでに日が暮れてきた。
そろそろ帰るかぁ~
帰り道、城跡に二宮尊徳の像を発見!
写真撮影・・・・しかし・・・・暗い!
ストロボを使用すると銅像の凹凸が光ってしまい綺麗な写真が撮れない。
しかし、こう暗いとストロボを使わないと画質は荒くなるわ、ブレるわで、これまたうまくいかないのである。
この時期は日が落ちるのが早いので本当に苦労する。
かといって・・・・三脚持参で歩き回りたくないしねぇ~(笑)
四苦八苦して、なんとか写真を撮影する。

城跡の外側に銅像を見つけたので、路上に車を停めて、またもや撮影。
すると・・・運悪くパトカーがゆっくり走ってきた。
マズイ・・・・(笑)
銅像に向かってパチリパチリと写真を撮っている拙者に呆れたか・・・・
ス~ッと我が愛車の横を抜けて立ち去って行った。
おお~たすかったぁ~(笑)
車内に残っていた“シミズくん”もハラハラしたことであろう。すまぬ!(笑)

市役所か、どこかそのあたりにも二宮尊徳の銅像があるらしいと“シミズくん”が言うので、銅像探しをする。
行ってみたら市役所にはない・・・・
ありそうな場所といったら・・・と、キョロキョロしながら運転していたら・・・・見つけ!(笑)
相馬市中央公民館の庭の中にチラリと見えた!
日が落ち、ほとんど真っ暗~
最後のチャンスである!
何とか写真を撮り終え・・・・さぁ~真っ直ぐ帰りますかぁ~
DSC09961.jpg(相馬市中央公民館)

駐車場に戻ると目の前に中継所の鉄塔が・・・・
「ん?あの鉄塔の近くだったっけ?」
「何が?」
「原町飛行場の隊門跡があるの・・・・」と拙者。
「原町?あのぉ~ここは相馬なんですけど・・・・」と“シミズくん”
「相馬?あっ!ここは相馬だったっけ?」
ダメだぁ~自分がどこにいるのかわからなくなっている~
2人で大笑い。
方向音痴どころの話ではない。
拙者が認知症になって「徘徊」するようになるのも時間の問題か?(笑)

時刻は5時・・・・
国道をひたすら南下して我が家に向かう。
わが町に戻ってからスパゲティー屋さんで遅い夕食を食べて、彼を自宅へ送り届けて帰宅する。
いやぁ~走った走った。
何百キロ走っただろう?
迂闊にもチェックしていなかったので残念。
かなり走ったぞ~(笑)

それにしても、今回もまた楽しいドライブであった!
いやぁ~楽しかったぁ~

日記 | 10:06:18 | Comments(0)