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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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市川勢の軌跡
市川勢の軌跡 (いばらきBOOKS 2)市川勢の軌跡 (いばらきBOOKS 2)
(2008/03)
市村 真一

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市川勢の軌跡

この本も“シミズくん”から借りた本。
幕末の我が水戸藩は藩内の内部抗争で明け暮れていた。
大きく分けて2つの派閥に分かれる。
一つは天狗党、もう一つは諸生派。
天狗党は尊王攘夷に共鳴し、藩主・徳川斉昭の藩政改革を支持する軽格の藩士や領民のグループ。
諸生派は徳川幕府を重んじる保守門閥の重臣や領民を主体とするグループ。
この二派の他にも中間派などが幾つもあったようだが、大きくこの二派が殺し合いをしたのである。
なんで、そこまで2つに分かれてそこまでしたのか・・・・
実際には、どういう考えを持ち、なぜ激しく対立したのか、その中にいた当事者さえ明確に答えられないという。
ただの足の引っ張り合いか?
そもそもの始まりは、徳川光圀で有名な大日本史編纂をめぐり、師である立原翠軒と弟子の藤田幽谷の学問上の対立から始まったといわれている。
それが、政治と関係し、世継ぎ問題や藩政改革をめぐり対立・・・・
さらに権力闘争となり・・・・殺し合いか・・・

市川勢というのはこの諸生派のうちの家老・市川三左衛門が率いたグループのことである。

攘夷派の天狗党は諸生派と抗争しながら、武田耕雲斎に率いられ徳川慶喜を頼り京都に向かう。
しかし・・・その慶喜に見放され、加賀藩に降服し、敦賀で処刑される。
350人以上の処刑は日本史上例のない大量処刑である。
これで、天狗党と諸生派の抗争に決着がつき、諸生派は藩内の武田耕雲斎の家族を処刑し天狗党関係者を弾圧する。
諸生派の世になったもつかの間・・・・
慶応3年の王政復古で幕府が崩壊すると状況が一転。
天狗党が復権し、今度は諸生派に復讐となったのである。
このため血みどろの抗争ということになった。
この時、市川勢500人は水戸を脱走して会津・新潟と転戦。
水戸に戻って戦い、更に南下。
この間、追討軍は天狗党・・・・
しかも官軍と賊軍の様相を呈しているので、他藩からも市川勢は攻撃を受ける。
最終的に市川勢は千葉の八日市場で壊滅した。

この転戦というか、逃避行というか・・・・は、231日間、移動距離1000キロにも及ぶ。
天狗党についてはある程度知られているが、諸生派市川勢については殆んど語り継がれていない。
そこで、歴史の闇に消すことのないようにと書かれたのが本書。

読んでみて残念なのが・・・・
人物名、地名など固有名詞にルビが振られていないということ。
これじゃ、ちょっとわかりづらい。
なんとも残念だ。
第1部は「市川勢の軌跡」として、壊滅までのストーリーが・・・
第2部は「写真で綴る市川勢の軌跡」として、著者が取材のため市川勢の行軍の跡を辿ったときの写真で、「軌跡」を書いている。
普通は写真は本文に挿入されるのだが、わざわざ第2部としてそこに集めた編集方法は珍しい。
同じ話を2回読むことと同じだから、二度手間という気もしないでもないが・・・・(笑)

この「市川勢の軌跡」・・・・・
そういえば、去年の10月に“シミズくん”と栃木の馬頭郷土資料館で開催された「郷土の天狗党と諸生派関連の事蹟」という企画展を見に行った時に、そういう展示パネルを見たような・・・・(笑)
あの時は、わかったような、わからないような・・・・であったが・・・・(笑)
この本で、ようやくわかったぞ!
あ~そういうことね。(笑)

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読書 | 23:16:39 | Comments(0)