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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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標注圖畫 東奥紀行
標注圖畫 東奥紀行 附北越七竒
長久保赤水 著
長久保中行 標注
長久保片雲 編著
発行 (株)暁印書館
平成13年(限定復刻)
定価 2,000円+税

この本は、水戸藩士の“シミズくん”が貸してくれた本。
地政学者の長久保赤水が東北地方を旅した時の日記である。
この紀行文・・・・発行されたのは寛政4年(1793年)、赤水が75歳の時のことである。
しかし、旅行をしたのは彼が43歳の時のこと。
32年も経ってから発行されたのであるが、それを行ったのは甥の長久保中行。
赤水はこの紀行文を出版する目的で書いたわけではないのだろう。
甥が32年後、貴重な紀行文だということで校注をつけて大阪で出版したらしい。
それにしても寛政4年に「出版社」があったんだねぇ~

これはその本の復刻版だが、原本は漢文・・・・
読めるわけがない。(笑)
これに、読み下し文が付き、更に現代文に訳されている。
というわけで・・・読み下し文と現代文を読み比べながら読み進む。
結構これが大変なのだが、反面、また面白い。
今では使われていない言葉が出てくる。
例えば・・・
浴斛(よくこく)=風呂
行厨(こうちゅう)=弁当
など、など・・・・
しかし、こういう昔使われていた言葉はいつ消えてしまったのだろうか?

紀行文に『多賀城碑』の話が出てくる。
ここは・・・“ウメちゃん”と一緒に見に行ったぞ!
へぇ~昔も今も変わっていないんだねぇ~

紀行文には付記として「北越七竒を探るの記」というのがある。
いわゆる北越の七不思議を訪ねた時の訪問記である。
その中の一つが臭水(くそうず)・・・・
臭い水・・・・つまり原油である。
へぇ~今ではどうなっているんだろう?

新発田に到着した時の新発田藩溝口侯の「養老の政」という話が面白い。
新発田藩ではこの当時、領民の中で70歳に達した者は1年に一口糧(いちこうりょう)の米を賜って一生を終えることができるという。
つまり、70歳以上の老人は死ぬまで米がもらえるのである。
だから、新発田藩の若い者は年寄りに長生きしてもらうよう大事にするという。
長久保赤水は昔、この話を聞いて嘘だと疑っていたらしいが、実際に現地に行ってみたら本当だということで感激している。
これは仁政である・・・・と・・・・
それに比べ現在はどうだ・・・・
「後期高齢者~」といって、高齢者の年金から天引きで保険料を徴収しているのである!(笑)
ついに「仁政」という言葉も現代では死語になってしまったらしい。

更にこの付記には「那須の国造碑」の話も出てくる。
おお!ここは・・・“シムズくん”と訪れたぞ!
へぇ~ここにも赤水は来ていたんだぁ~

昔の紀行文というのも読んでみると面白いものである。

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読書 | 20:26:22 | Comments(0)
焦がすなって言ってもねぇ~
さて・・・今日の夕食は・・・・
ちょいと肌寒いので何か暖かいものを・・・・・
というわけで、今晩のおかずは・・・・クリームシチュー!(笑)

鍋に野菜と肉を入れて、焦がさないように炒めるのだそうだが・・・
なんと!
入れた途端に焦げたんですけどぉ~(笑)
一生懸命かき回しているんだけど・・・・でも、焦げるんですけどぉ~
焦がさないように・・・って言っても無理なんじゃないの、これ・・・

以前、一度作ったが、焦げたせいでホワイトクリームシチューのはずが茶色くなったからなぁ~
今回は早目に炒めるのをやめて水を投入!
そして、ルーを投入して、更に牛乳を加えて出来上がり!

よし!
前回のように茶色くならなかったぞ!(笑)

DSC09738.jpg


日記 | 20:33:29 | Comments(0)
外交崩壊
外交崩壊―中国・北朝鮮になぜ卑屈なのか (文春文庫)外交崩壊―中国・北朝鮮になぜ卑屈なのか (文春文庫)
(2006/10)
古森 義久

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多額のODAを投資しながら、さんざんコケにされる日本の外交とは一体なんだろう?
日本の外務省は日本の「国益」を全然考えていないんだろうな・・・と思っていたが、やっぱり・・・である。
外務官僚だけではなく、政財界・報道機関にも、いわゆる「媚中派」といわれる、日本の国益よりも中国に媚びる輩が多いというのには呆れるほかはない。
どうしてそういうことになってしまうのか・・・・
なぜ、中国や北朝鮮に媚びなければならないのだろうか?
日本の国益はどこへやら・・・・
中国や北朝鮮に媚びることが日本の国益になるのだろうか?
まさしく、「外交崩壊」である。

序章:日本外交の大試練
中国の東シナ海での天然ガス開発・・・・
これは中国の領土戦略の一つであり、エネルギー戦略、軍事戦略でもある。
中国は弱いと見た相手には強く出るといういつものパターン・・・
さて、これに対する日本の対応は・・・・???

第1章:日本の外交の欠陥とは
受身で消極的な日本の外交。
いつも外国から要求を受け、抗議をぶつけられても、とにかくじっと耐え、“暴風雨”が去ることを念じて待つ。(笑)
あらら・・・である。

第2章:亡国の素人外交官僚
無能官僚が天下りするのは国内の「特殊法人」ばかりではない。
国際機関にも出向という形で天下りをしているということを知った。
任地や出向機関の実情に無知、未経験、外国語も話せない・・・・
「国益」よりも「省益」・・・・
“不適格外交官”がいかに」多いか・・・・

第3章:中国から襲う「反日」の嵐
アメリカでうごめく中国の「反日団体」・・・・
うっすらとその存在は知っていたが・・・・そのえげつなさには呆れるばかり。

第4章:中国の「反日」教育の実態
中国の教科書に戦時中の日本を批難する記述があるのは誰もが知っているが・・・・
戦後の日本については全く記述されていないという。
片手落ちといえば片手落ち・・・・
どれほど自国が日本から経済援助をされたかなどとは書かれていない。
日本は戦時中の日本のまま・・・というイメージを子供たちに刷り込んでいるわけである。
これはアメリカについても同じようで・・・・
さすがにブッシュ大統領は中国の教科書はアメリカの実態を正しく教えていないと批判をした。
が・・・日本は?

第5章:対中外交を正す
日本の対中ODA・・・・
毎年2千億円を供与し、既に総額3兆円を超える。
で・・・教科書問題や靖国問題でさんざん文句を言われ・・・ですか・・・(笑)
ODAを受けながら中国は軍事力を増強させ、更には中国自身が他国にODAを行う始末。
ODAとは強い豊かな国が弱く貧しい国を救うための処置なのである。
となると・・・日本のやっていることはおかしいじゃないか?

第6章:軍事大国・中国の実像
アメリカで活躍した中国人女性スパイ・・・・2003年逮捕されたが・・・
二重スパイとしてFBIに浸透、“女性の武器”を使いながら情報収集。
あのアメリカに対してもこのくらいのことをするのであるから・・・・
日本にはどのくらい浸透しているだろうか?
考えただけでも寒気がする。

第7章:中国経済の正しい読み方
私は以前から中国への工場進出、投資には批判的だし、それを業界で訴えたこともあるのだが・・・
国を挙げての中国進出のお祭り騒ぎ。
現代版の「満蒙開拓団」であると言っても誰も耳を貸してくれない。
本書を読んで、やっぱりね・・・との感を深めた。
日本経済新聞は対中投資により直面する障壁や落とし穴については殆んど伝えていない。
中国市場の危険でゆがんだ側面も・・・である。
ましてや、中国から撤退せざるおえなくなった日本企業も少なくないといわれているのに・・・
それについても殆んど伝えられない。
さぁ~これから何が起こるか・・・俺はしらねぇぞ~・・・・である。

第8章:北朝鮮政策での日本の孤立
日本人拉致問題・・・・
この事件を長年にわたって無視続けた外務官僚。
小泉首相の訪朝で一部解決したように見えたが、外務官僚は相変わらずらしい。
北朝鮮との国交正常化、経済協力という形での賠償を拉致問題より優先。
“無法者”金正日に媚びようとするんだから、世界の安全保障という観点からもマズイよなぁ~
アメリカのジャーナリズムから日本の政策に批判の声があがるのも当然だ。

第9章:米韓同盟崩壊の危機
2002年、韓国の盧武鉉政権が誕生してすぐ反米姿勢をしめした。
これに対して米国は駐韓米軍の撤退を示唆。
さんざん駐韓米軍を批判していたら、あっさり撤退に応じるって言い出したのだから韓国は真っ青。(笑)
しかし・・・これ・・・いつか日本でも起るかも。

第10章:アメリカをみる目のゆがみ
アメリカをどう見るか・・・というのは日本の死活問題。
アメリカの多数派、または主流派の考え方を正確に知ることは重要なのだが・・・
果たしてどうだろうか?
どうもマスコミは正確に伝えていないように思われる。

本書では副題として「中国・北朝鮮になぜ卑屈なのか」とあるが・・・・
その答えをズバリと書いているわけではない。
なんで媚びるのだろうか?
国民性?(笑)
読み方が浅いせいか、ハッキリした答えは私には得られなかったが・・・・
日本の外交は崩壊直前、もしくは既に崩壊しているかも・・・という感を強く持った。

読書 | 12:28:07 | Comments(0)
畜霊之碑
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畜霊之碑

碑文

当綾瀬市は早くから県下でも有数な畜産都市としてその名声を博し 特に優良高座豚の産地として知られ 現在では豚2万5千頭更に乳牛7百頭鶏17万羽の多きに達し農家経営に寄与貢献していることは計り知れないものがあります
そこで幾多の畜霊の恩恵に思いをいたし永久にその霊を慰めるため会員並びに関係者の特志により ここに その供養塔を建立したものであります

昭和55年11月21日
綾瀬市畜産協会

畜霊之碑


史跡 | 21:12:32 | Comments(0)
東郷氏祖先発祥地碑
DSC09736.jpg

物見塚と東郷氏祖先発祥地碑

早川城本郭の西側に位置するこの塚は、物見塚と呼ばれています。
南北21m、東西23m、高さ約2mの塚です。
発掘調査の結果、表土直下に宝永火山灰(ほうえいかざんばい)(1707年、富士山の噴火による火山灰)が見られることから江戸時代初期以前に築かれていることは明らかです。
また塚の作り方が土塁と同様の版築(はんちく)(黒土と赤土を交互に敷きつめて突き固めたもの)であることから、城郭の関連遺構の一つであり、外敵の侵入を見張るため築かれた塚であると思われます。
物見塚の上には、昭和7年に祖先発祥地東郷会により建てられた「東郷氏祖先発祥地碑」があります。
この碑は日露戦争で有名な旧海軍元帥(げんすい)である東郷平八郎の先祖の地であることを記念して建てられたものです。
東郷家は、早川城主であったと伝えられる渋谷氏の末裔の一つでした。

綾瀬市

(説明板より)

東郷氏祖先発祥地碑


史跡 | 19:46:55 | Comments(0)
旧陸軍士官学校遥拝所方位盤
DSC09735.jpg

史跡
旧陸軍士官学校遥拝所方位盤(ようはいじょほういばん)
建立 昭和15年(1940)

由来
昭和12年(1937)東京からこの地に移転開校した陸軍士官学校の生徒は、毎朝、点呼後に雄健(おたけび)神社に参拝し、続いて遥拝所に赴き宮城(皇居)・明治神宮・伊勢神宮及び各自の原隊や故郷に向かって遥拝するのが日課となっていた。
この方位盤は、その遥拝するための方位と、国内外・朝鮮半島・中国東北部の主要都市の方位を矢印によって表示したもので校内では最も重要なところとされていた。

位置 旧浅間神社跡(浅間神社は明治42年〈1909)、座間神社に合祀された)
なお、ここは南地区で北地区の遥拝所もあったが現在はキャンプ座間内に礎石だけが残っている。

平成18年7月
座間市教育委員会

旧陸軍士官学校遥拝所方位盤


史跡 | 19:30:50 | Comments(0)
厚木周辺散策
今回の拙者の訪問に備えて“オグラ”さんが事前に厚木周辺の史跡を調べておいてくれた。
なんと!
ありがたい!
お言葉に甘えて・・・・車に乗って史跡めぐり。
楽チン、楽チン・・・ありがたし。(笑)

まずは・・・
座間市にある「高座海軍工廠」の地下壕がある芹沢公園に案内いただく。
ここには空襲を避けるため造られた地下工場や物資倉庫の地下壕があったという。
入口は塞がれて中には入れないが、小高い丘の斜面に何箇所かの横穴が残っている。
ここを蚊に刺されながら見学。(笑)

続いて細く急な坂を登って・・・・富士山公園へ・・・
事前に調べてくれていたとはいえ、よくもまぁ、こんなところまで・・・と感激。
事前に現地調査をしたというのだから驚きである。
こんな細い道・・・・拙者だったら一人では運転しないよ~(笑)
ここには「旧陸軍士官学校遥拝(ようはい)所方位盤」の跡が残っている。
小高い丘の頂上にある。
地元の人も、こういうものがあるのは知らないんじゃないかな?
目立たない公園だが、麓は座間基地。
東京から移転した陸軍士官学校があった場所である。

続いて綾瀬市に・・・
どこをどう、どっちに向かって走っているのか・・・方向音痴だからさっぱり分からんが・・・(笑)
城山公園に行く。
“オグラさん”の話では、城山っていう名前だが、お城跡じゃないとのこと。
しかし・・・登ってみると・・・・
どうもお城跡っていう雰囲気があるんだよなぁ~(笑)
ここには『東郷氏祖先発祥の地』の碑があるというので案内してくれた。
東郷氏とはかの有名な東郷平八郎の祖先のことである。
へぇ~東郷平八郎の祖先ってここに住んでいたのか~
本人は確か鹿児島で生れたと思うのだが・・・・
で・・・他の説明板を見たら・・・・
やっぱり!ここはお城跡じゃん!早川城跡って書いてある。(笑)
近くにもう一つ石碑が・・・・
近づいて見てみたら「畜霊之碑」・・・・
ほぉ~珍しい!
あまりに喜んで写真を撮るので“オグラさん”に呆れられる。(笑)
「これ・・・そんなに面白いですか?」
折角、東郷氏祖先発祥の地を案内したのにあまり喜ばなかったと思ってガッカリした様子だが・・・・
最初から分かっていて訪れると・・・・
ほぉ~なるほど~・・・っていうリアクション。
で・・・全く期待していないのに意外な発見!・・・・となると・・・
おお~!・・・・っていうことになる。
それだけのことなのだが・・・
「畜霊之碑」に興味があるわけではない。
ただ、この碑文を読むと、綾瀬市が昔から畜産の盛んな場所だということがわかる。
しかも、大金を叩いて豚や鶏などのために立派な慰霊碑を建てているんだから、関係者のその心意気には感動するであろう?

続いて同じ綾瀬市にある深谷神社に向かう。
いやぁ~車での移動って楽チン!(笑)
ありがたし、ありがたし・・・・
この神社麓に「日露戦役招魂碑」がある。
乃木希典の題字である。
乃木閣下の字が刻まれた石碑があるということでご案内いただいたが、この手のものは全国各地に建立されている。
だからといってガッカリ・・・・というわけではない。
石碑の裏の碑文がすごい!
この町から出征して戦死した人の戦死日、戦死場所、名前のほか、死因まで詳細に刻まれているのである。
頭部貫通銃創・・・・とか・・・・
なんと丁寧な・・・・
感動である。
なかなかこういう招魂碑には出会わない。

今度はまた厚木基地方面まで戻って、大和市にある深見神社に連れていってもらう。
ここに小さな「厚木空神社」がある。
厚木海軍航空隊の守護神であり戦没者を祀るこの神社は、戦後、基地内からこの深見神社に移された。
神社の前に「雄飛」の石碑・・・・・
終戦時に徹底抗戦を叫んで「厚木事件」を起こした第302航空隊の小園司令の奥様の揮毫である。
歴史的な事件でもあるのだから、何らかの説明板が欲しいところであるが、何もない・・・・(笑)

これで、今日の散策は無事終了。
ファミリーレストランで軽く食事をしながらおしゃべり。
いやぁ~1日中、車に乗せていただき、各地を案内していただき感謝、感謝である。
おしゃべりしているうち、ここがどこなのかすっかり忘れていた。(笑)
ここは・・・・神奈川県だ!
というわけで・・・・駅まで送っていただき、急いで上野駅に向かう。(笑)
無事に午後7時の特急に乗り、駅弁を食べながら帰宅。

いやぁ~おかげさまで充実した一日を過ごせたぁ~
感謝、感謝!

日記 | 18:52:07 | Comments(0)
厚木基地見学!
“オグラさん”と「さがみ野」駅で待ち合わせ。
車で迎えに来ていただき、まっすぐ厚木基地へ・・・・

DSC09733.jpg

ゲートを通過して、隣の建物で入場の手続き。
訪問の目的は・・・・“オグラさん”の職場の見学!(笑)
身分を証明するものとして免許証を提出したが、それからしばらく待たされる。
ん?
何を調べているんだ~?
ようやく入門の許可証が出来上がり、馬鹿でかい米兵に英語でサインをしろと言われる。
はぁ?
久しぶりの英語を聴いて・・・・キョト~ン(笑)
へぇ?ここに書けばいいのか?

ゲートの直ぐ近くにマッカーサーの銅像があるので写真を撮る。

DSC09734.jpg

基本的に厚木基地内の写真撮影は禁止である。
が・・・・銅像ぐらいは大丈夫だろう?
ゲートの警備員に注意されたら・・・・“オグラさん”に助けてもらおう!(笑)
基地内は広いので、車でグルグル走り回り見学する。
絶対写真を撮ってはいけない場所には看板が出ている。
これは絶対写真を撮っちゃいけないんだろうが・・・・
じゃぁ、その他の場所はどうなんだ?
基地内には自衛隊も同居しているので自衛隊機も駐機している。
こっそり・・・なら、写真を撮っても・・・という誘惑に駆られるが・・・・(笑)
いや、いや、万が一見つかったらマズイ。
エスコート役の“オグラさん”が解雇されたら目も当てられない。(笑)
入門許可の条件の一つは、エスコートする人が全ての責任を負うことになっているからである。

お昼になったので、基地内のカフェで食事をとることにする。
コーラが1.25ドル、ピザ1切れ(といってもかなり大きい)が2.35ドル・・・2人分で7ドル20セント。
で・・・支払いは・・・日本円でいいですかぁ~?
愛想のいい黒人の店員が流暢な日本語で答えてくれた。
あら!日本語通じるの?(笑)
1000円出したら、1ドル50セントのおつり・・・・(笑)
ドルでおつりをもらってもねぇ~(笑)
1ドル100円くらいかなと思ったら、そうではないらしい・・・(笑)
1000円は8ドル70セントか・・・・

レシートには、こう印字されている。
Thank you for joining us today.
日本のお店なら・・・
「お買い上げありがとうございます」と印字されるのだろうが・・・・さすがはアメリカである。(笑)
joining us・・・だからねぇ~
で・・・この意味は何?(笑)
店内で食事をしていると、ここが日本だということを忘れる。
海外に来ているような・・・・
やっぱりここは日本の中のアメリカなんだなぁ~

最後にもう1回、マッカーサーの銅像のところに行き、再度写真を撮影。
念のため、念のため・・・・(笑)

これで今回の厚木基地見学は終了。
ここからは周辺の史跡めぐりをする。

日記 | 17:27:50 | Comments(0)
肩身が狭い・・・・
朝、ホテルをチェックアウト。
ホテルのレストランで朝食を食べるのはやめる。
拙者はバイキングは落ち着かないので基本的には好きではない。
しかも朝は大混雑というのが普通。

以前、椅子に荷物を置いて場所を確保して、食事を取って戻ってきたら・・・・
拙者の荷物を勝手に隅っこに追いやって、ちゃっかりと韓国人が座っていたことがある。
日本人ならまずやらないようなことをこいつ等は平然とやりやがる。
韓国人、中国人の観光客のマナーの悪さは天下一品である。
朝から不愉快な思いはしたくない。
というわけで・・・・
ホテルの他に食事が出来そうな場所があれば、極力ホテルでの食事は避けるようにしている。

今回も、そういうわけでホテルでの食事を避けて、横浜駅構内の喫茶へ・・・・
で、モーニングセットを頼んで待つ。
まもなく、食事が運ばれてきた。
ん?意外に早いんじゃない?
すると・・・周りの客からブーイング!
「おい!こっちが先に頼んでいたのに・・・どうなってるんだよ!」と隣の席の親子連れ。
すると反対側の席のおばさんも・・・「あたしのほうはどうなってるの?」
アララ・・・・
お店の人は平然と・・・「もうしばらくお待ちくださ~い」
おかげで、なぜか周囲から拙者が睨まれるはめに・・・・(笑)
あのね・・・俺のせいじゃないんだけど・・・・
これ・・・食べていいの?食べちゃ悪いの?
まいったなぁ~
隣の客はいつまでもブツブツ文句を言い続ける。
「針の筵」状態である。(笑)
どうして拙者のほうが一番先に出されちゃったんだろうか?
早いに越したことはないが・・・・
こう周りから嫌味を言われたんじゃ落ち着いて食事も出来ぬ。(笑)
「間違えました」といって持って行ってくれれば助かるのだが・・・・
店員は平然としている。
やむを得ぬ・・・・
周囲の冷たい視線を浴びながら・・・・パンにかじりつく。(笑)

こんな思いをするならホテルのレストランでバイキングでもよかったか・・・・
落ち着かぬ朝食を済ませ、相模鉄道に乗り“オグラさん”と待ち合わせ駅まで移動する。

日記 | 16:11:21 | Comments(0)
焼肉!
明日は“オグラさん”のご案内で厚木基地の見学・・・・
というわけで、前日に上京することにして・・・・
それならついでにと、久しぶりに“シオハラさん”に会うことにした。

予定の2時間前に現地到着。
なにせ、もう1本後の特急ではギリギリになるので、この間のような事故があったら遅刻してしまう。
ここは、ちょっと早すぎるが1本前の特急に乗る。
田舎から出てくるというのは本当に不便であるが・・・
遅刻して焦るより早めに到着して喫茶店で読書でもしていたほうが気が楽である。

JR蒲田駅前で待ち合わせする予定が急遽変更。
直接、前回一緒に行った焼肉屋さんで待ち合わせというメールが入る。
しかし・・・実は、前回行った焼肉屋さん・・・・
名前も場所も全然覚えていないのである!(笑)
こりゃマイッタァ~
断片的に記憶にあるのは・・・・
①大きなカーブを曲がったことがある。
②横断歩道は1回しか渡っていない。
③右に一度曲がって、その右側に店がある。
この3つだけ・・・・
なにせ、おしゃべりしながら歩いていたので全然景色を見ていない。
しかも生来の方向音痴である。(笑)
頭の悪さは天下一品である。
注意力なし、集中力なし、観察力全くなし、加えて危機管理能力もなし・・・・(笑)

とにかく断片的な記憶を辿って店を探す・・・・
大体このくらいの時間を歩いて・・・このあたりの横断歩道を渡ったか?
横断歩道は一箇所しか渡っていないから・・・このあたりで右に曲がったか?
と・・・・なんと!
奇跡が起こった!(笑)
ドンピシャと店の前に辿り着いたのである!(笑)
店の名前は覚えていなくても店構えだけは記憶に残っていた。
間違いない!

一足先に店内に入り、彼女が来るのを待つ。
お店のママさんが拙者を覚えていてくれて、遠くからわざわざ来てくれたと喜んでくれた。
まもなく“シオハラさん”が到着して、焼肉の夕食!
彼女はちょっと体調を崩していたようなのだが無理して拙者の夕食に付き合ってくれた。
ありがたし。
感謝、感謝・・・・

前回会ったのは・・・いつだったか・・・・
記憶力が悪いから覚えていない・・・(笑)
いずれにせよ久しぶりの再会である。
前回、彼女が戦争物のドキュメンタリーなどを見るのが好きだと言うので、拙者が昔から録りためていた戦記物のドキュメンタリー番組のビデオを2本ばかり持参した。
これをお貸しする。
本来ならばダビングしてプレゼントしたいところだが、なにせ昔録画したものなので元々の画像が悪い。
ということで“原本”をお貸しするということになる。
彼女のほうは・・・・「声優」の仕事は相変わらず大変なようである。
12月には声優仲間で歌のCDを出すのだそうだ。
今度は歌手?(笑)
何だかんだと大変らしい・・・・

食事を終えて帰るとき・・・・
お店のママから「今度はいつこちらにいらっしゃられるんですか?」と声をかけられたが・・・
さて・・・いつになりますか・・・

駅で“シオハラさん”とお別れして、横浜へ向かう。
今晩は横浜駅前のホテルに宿泊である。

日記 | 15:16:35 | Comments(0)
どちら様でしたっけ?
上京する特急列車の中・・・・
久しぶりに、ある車内販売の女の子に会った。
「あらぁ~お久しぶりです!」と笑顔で挨拶され・・・
「おお!久しぶり!元気?」と答えたものの・・・・
実は、この人が誰なのか知らない。(笑)

彼女と“初めて”会ったのは数年前・・・・
車内販売でカートを押しながらやってきて・・・・
拙者の顔を見て、驚いた表情でこう言った。
「お久しぶりです。私、今、この仕事をしているんです!」
どこかで会ったことがあるような・・・という気はしたが思い出せない。
何となく顔は記憶にあるような気がしたのだが、名前は思い出せない。
この人とどこであったのだろうか?
しかも・・・「今は、この仕事をしているんです」と言う。
そう言われても・・・・じゃぁ、前の仕事は何だったんだ?(笑)
その“前の仕事“の時に拙者はこの人と会っているのか?
ど~しても思い出せないのだが、こう親しげに声をかけられたら、「あんた誰?」と尋ねるわけにもいかない。(笑)
結局、話を合わせて・・・・「いやぁ~久しぶり!元気?」と答えてしまった。
なんと調子のいいことか・・・・(笑)

その後、この数年の間に2~3回、車内で彼女に出会うのだが・・・
その度に“親しい”ご挨拶。
他の乗客から見たら「旧知の仲」・・・・というように見えるのだろうが・・・・
今もって・・・・内心は「あんた・・・誰?」なのである。(笑)

どうしてこう拙者は記憶力が悪いのだろうか・・・・
彼女に会うたびに自己嫌悪に陥るのである。

日記 | 14:57:35 | Comments(0)
レイテ・ミンダナオ戦
レイテ・ミンダナオ戦―人間の記録〈前篇〉 (徳間文庫)レイテ・ミンダナオ戦―人間の記録〈前篇〉 (徳間文庫)
(1992/08)
御田 重宝

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この本・・・・
福山の歩兵第41連隊を中心にその生還者の証言や日記をもとに書かれた戦記。
この部隊・・・・
2度にわたって“壊滅”するという珍しい経験を持つ部隊。
別な言い方をすると、「運の悪い部隊」ということになるか・・・・
昭和18年に東部ニューギニアで壊滅し、わずかに残った生還者は朝鮮に行き、兵員を補充して再度部隊を編成。
翌年にはフィリピンに投入されて主力はレイテで消滅・・・・つまり2度目の壊滅をするのである。

第1部:不運な部隊、福山四一連隊
第2部:ミンダナオの四一連隊
第3部:連合艦隊、レイテに消ゆ
第4部:日本陸軍、レイテの壊滅

と・・・・・4部で構成されているが・・・・
本書は「前編」。
この本は古書店で見つけて購入したのだが、店内には「後編」が見当たらなかった。
まぁ、「前編」だけでもいいから読んでみるかと思い購入したのだが・・・
読み終わってみると、「後編」が読みたくて仕方がない。(笑)
参ったなぁ~
「後編」にはどんなことが書かれているのだろうか?

南方戦線については、ルソン、レイテ、ニューギニアなどについては多くの戦記が世に出ているが、ミンダナオ島について書かれたものは滅多に目にすることはないので、少なくともこの「前編」は貴重な1冊であると思う。

読書 | 11:18:09 | Comments(0)
第8回総合危機管理講座
今回のテーマは『情報と危機管理』
講師は杉田和博氏。
警察出身の方で、警備局長、内閣情報官、内閣危機管理監等を歴任、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、北朝鮮のテポドン発射事件、北朝鮮武装工作船事件、米国同時多発テロなどの近年の緊急事態への対応に携わっていた。

いつもは受付で資料の配布があるのだが、今回は資料の配布はないという。
あらら・・・(笑)
講義が始まってその理由が分かった。
自分の経験談を中心とした話なので、レジュメの作りようがなかったのだろう。
基本的には危機管理のための人的、物的、知的資源の3つの整備が基本だという。
現在の危機管理体制は実際の危機対応でいくつもの失敗を繰り返しながら、徐々に改善されてきているという。
法的整備はそこそこ整いつつあるが、問題はその運用。
いざとなった時にどこまで柔軟に運用できるか・・・・・
具体的な話は控えねばならないと思うのでここに書くわけにはいかないけど・・・・(笑)
う~ん・・・
基本的には行政担当者向きの話だなぁ~
いや、これは政治家に聞かせたほうがいいかもしれない。

JOCの核施設の事故では、私はその発生時に現場近くにいたので、その後の自治体等の対応については体験している。
呆れるほどのお粗末な対応には腹が立ったことを覚えている。
あれからどれほど改善されているかはわからないが・・・・
多分、あまり変わっていないのではないだろうか?
同じ事故が発生しても、又同じような対応になるのではないだろうか?
講義を聞きながら、ふと、そんなことが頭に浮んだ。
要は・・・・人間の質の問題である。

日記 | 10:44:53 | Comments(0)
ねんきん特別便
すっかり忘れていたのだが・・・・
7月頃に「ねんきん特別便」が届いていたような・・・(笑)
年金記録の回答を出していない!
ゴソゴソと書類の山の中から探し出し・・・・回答書を作成する。

「お前は大事な書類も突っ込んだままにするから、これからはちゃんとしなさい」と生前、母に注意された。
それも亡くなる直前にである。
いわば母の遺言に近い言葉なのだが・・・・
相変わらず・・・・である。
いやぁ~性格はなかなか直らんものである。(笑)

回答書の作成は簡単。
なにせ、自分の会社にしか勤めたことがないから確認も何もあったもんじゃない。
たった1行だけなんだから・・・簡単、簡単。
それに比べて職を転々とした人は大変だろうねぇ~
ふと、昔、雇っていたある従業員の事を思い出した。
この男・・・・嘘はつく、怠ける、誤魔化す・・・というどうしようもない男だったので採用してまもなくクビにしたのだが・・・
解雇してまもなく取引先から「あの男を解雇して正解だよ。実は、あれはうちにも勤めていた事があるんだが使い物にならない奴でね。この当たりの会社を片っ端から転々としていて、せいぜい1~2ヶ月しか勤められなくて1年に何社も渡り歩いている札付きだよ」と言われた。
そうならそうと早く教えてくれればいいものを・・・と思ったものだが・・・・(笑)
彼の履歴書では何回か職を変えているが、1社に数年以上勤めていることになっていた。
つまり、履歴書は嘘である。
まぁ、本人としては正直に書くわけにもいかなかったのだろうが・・・
あの男の場合は大変だろうなぁ~
年金の確認って言っても、彼の場合は、いつどこに勤めていたかなんて覚えきれないだろう。
まぁ、そういう奴は自業自得だと思うが・・・・
散々いい加減なことをして迷惑をかけてきた奴は苦労すればいい。
年金をもらえなくても仕方ないんじゃないか?
そんな男の事をふと思い出しながら・・・回答書を書く。

が・・・・どうも違和感がある。
何でだろう?
通常、役所に提出する書類には印鑑を押すところがあって、必ず印鑑を押すわけだが・・・
この回答書には印鑑を押す場所がないのである。
どうも、このことが拙者にとっては違和感として感じることに気がついた。
いいのかね~印鑑を押さなくて・・・・
なんとも落ち着かないんだよね~
名前と住所を書いて、「間違いありません」というところに丸印を付けるだけ?
あまりにも簡単すぎて落ち着かない。(笑)

なんとも落ち着かないのだが・・・・投函しないわけにはいかぬ。
最後の最後まで、これでいいのかなぁ~と思いながらポストに投函する。

日記 | 01:18:21 | Comments(0)
久しぶりにピアノを聴く
10:06分発の特急に乗るため親父と一緒に徒歩で駅に行く。
親父は車に乗って行きたかったようだが・・・・
そうはいかぬ。歩け!(笑)
こういうときに歩かねば、いつ歩くというのだ?
“老いては子に従え”である。(笑)

まもなく特急が来るというその時である・・・・
2つ手前の駅で踏み切りで車が脱輪したため電車が停止していると放送があった。
うそぉ~
「救出をする予定でおります。しばらくお待ちください」の放送。
うそぉ~
いつになったら到着するんだろ?
常磐線はちょくちょくこういうことが起こる。
人身事故だったり、車両事故だったり・・・・
というわけで、1時間ぐらい余裕を持って、この電車にしておいた。
姪達のピアノの発表会は13:30開場、14:00開演である。
まもなく、今度は自動車が駐車場のフェンスを破って線路に侵入したため・・・・と電車が来ない理由を訂正した放送が流れた。
おい、おい、どうなっているんだ?
親父は「間に合うのか?」としきりに心配するが・・・
今までの拙者の経験では、よほどのことがない限り1時間以上も遅れることはない。
不思議なことに大体50分ぐらいの遅れが普通なのである。
「大丈夫!危機管理はちゃんとやってるよ。1時間遅れても十分間に合うように予定を組んであるから・・・」
30分ほど遅れてようやく特急が到着。
しかし・・・今度はダイヤが乱れたため予定外の駅に停車しながら上野に向かうという。
ますます遅れるじゃないか!
参ったなぁ~
我々は余裕があるが・・・・
羽田から飛行機に乗る予定の客は顔面蒼白で車掌を質問攻め。
その気持ち、よくわかります。(笑)
拙者は、こういうこともあろうかと思い、昔から乗り換えには1時間の余裕を持つようにしているのです!(笑)
このお客さん・・・・あ~あ~かわいそうに・・・・・

11:30頃に上野駅に着く予定が、12:15・・・・・
ほらね、思ったとおり45分の遅延だ。(笑)
上野駅で昼食をとることにする。
「何がいい?」
「パン・・・う~ん・・・サンドイッチがいい」と親父。
ということで、コーヒーショップでサンドイッチを食べることにした。
ところが、お昼で店内は混んでいる。
「こういうゴチャゴチャと人がいるところは嫌いなんだよなぁ~日本料理店がいいなぁ~」と親父。
「あのね・・・日本料理店にサンドイッチがあるわけねぇだろ!」
なんとも我儘な親父である。(笑)

サンドイッチとコーヒーの軽い昼食を食べて地下鉄に乗る。
向かうは港区立高輪区民センター。
ここには何度か母と一緒に姪のピアノを聴きに行っている。
母と最後に行ったのが2年前の7月・・・・
抗癌治療でかなり参っていた頃だ。
母との思い出があるこの場所に今度は親父を連れて行くのかぁ~
なんか・・・変な感じ・・・・

「どこで乗り換えるんだ?次か?」と親父はうるさい。
「あのね・・・降りるときは合図するから・・・」と言ってもきかない。(笑)
一駅ごとに尋ねる。(笑)
子供じゃないんだから・・・静かに乗っててくれよ~(笑)
拙者も歳を取ったら、こうなってしまうんだろうか・・・・
30年後の自分を見るようで・・・・つらいなぁ~(笑)

今回のピアノコンサートは、この間終了したコンクールの入賞者による発表会らしい。
各部門毎に入賞者がピアノを弾く。
小5の姪は小学生の部門で賞を取り、更に全体の大賞まで受賞したので2回登場!
お姉ちゃんの高1の姪も高校生の部門で賞を取り、その他の特別賞も受賞したので2回登場!
高1の姪は前回は準大賞を取っているので、今回は残念ながらランクが下ってしまったことになる。
しかも妹に大賞を持っていかれたのだからショックだろう。

昔・・・姪達が小さかった頃はハラハラドキドキしてとてもじゃないが落ち着いて聴くどころじゃなかったが、今は安心して聴いていられる。
ということで・・・拙者は殆んどウトウト状態。(笑)
離れたところに座っていた我が妹は、拙者や親父がいねむりをしていびきをかくんじゃないかと心配していたらしいが・・・(笑)
ん?拙者はウトウトとはしたが、熟睡はしなかったぞ!(笑)
なんとなく・・・聴いていたぞ!半分・・・・夢の中で・・・(笑)

発表会終了後、妹の友人たちと一緒に近くのホテルに行き食事会。
妹の友人たちはみんな音楽大学卒だから、さすがに批評が厳しい。
拙者には何の話なのか・・・さっぱりわからん。(笑)
小5の姪はなぜかご機嫌斜め。
ん?何があったのだろうか?ドジでも踏んだか?
拙者はウトウトしていたから気が付かなかったが・・・(笑)
尋ねても「誰にも言えない」の一点張り。
なんだろう?
多分、納得のいく出来じゃなかったのだろう。大賞受賞者としては・・・(笑)

車で上野駅まで送ってもらい19:00発の特急で帰途に着く。

日記 | 23:57:44 | Comments(0)
秋のお彼岸!
今日はお彼岸の墓参りに行く。
できれば明日が命日なので、明日にしようかと思ったが、明日は姪達のピアノの発表会を聴きに行かねばならない。
というわけで・・・・親父と二人で今日、墓参りに行くことにしたが、午前中は雨・・・・
午後、雨が止むのを待って出発。

まずは、最初に親父の方のお墓に寄って墓参り。
続いて母の墓参り。
霊園の他のお墓には既に新しい花が供えられていたが、我が母の墓の花はボロボロに枯れていた!
いやぁ~みっともねぇ~
母もさぞかし怒っているだろう。
新しいお墓に枯れた花が供えてあるのって、すごく目立つんだよねぇ~
秋のお彼岸は23日の春分の日を中心に前後3日だそうで・・・・
ということは、今日は2日目ということになるわけですが・・・・
やっぱり昨日お参りに来るべきだったかなぁ~
申し訳なし。
お墓へのお供え物はなし!
カラスにいたずらされて霊園が汚れては申し訳ない。
というわけで・・・・何もお供えしない。
許せよ、お袋。
続いて母方のご先祖様のお墓参り。
祖父母、伯父・伯母、サラクサク峠で戦没した祖父の部下を祀った観音様にお花を供える。

墓参りの帰りに明日上京する電車の切符を買っておこうということで、駅の「ビュープラザ」に立ち寄る。
明日は親父と二人で上京予定。
親父は「ジパングクラブ」の会員になっているので割引があるという。
で・・・・
「このカードで支払ってくれ」とジパングのカードを渡された。
「クレジットカード?こんなもの持っていたんだ~」
「う~ん、なんだか分からんけど、このカードを使って切符が買えるんだよな~お金は後で口座から引かれるんだわ~」
「だ・か・ら・・・それをクレジットカードって言うんだよ」
「ふ~ん・・・・なんだかわからねぇけど・・・」

切符を頼んで・・・・支払いに親父のカードを渡す。
しばらくして・・・「あのぉ~このカード・・・・有効期限が切れているんですけど・・・」
「なにぃ~!期限が切れてるって?」
ちくしょう!やられたぁ~
拙者の分まで払ってくれるって、どうも話がうまいと思ったんだ!(笑)
仕方がないので、拙者のカードで支払いをする。
結局、俺が金を出すことになっちまったじゃねぇか!

車に戻り、車内で待つ親父にカードを返す。
「あのね・・・このカード・・・有効期限が切れてたぞ」
「ん?有効期限?」
「そう、7月で切れてたんだけど。新しいカードが届いていなかった?」
「ああ~そういえば・・・何かカードが来てたな・・・」
「それが新しいカードなんだけど・・・それ、どうしたの?」
「そんなにたくさんはカードはいらねぇなぁ~と思って、どこかにやっちゃったなぁ~」
「はぁ?まさか捨てたんじゃねぇだろうな?」
「いや、捨ててはいないけど、何枚もカードはいらねぇんだよな~」
「そうじゃないって!有効期限が切れたから新しいのを送ってきたんだって!」

カードが使えなかったから、拙者のカードで支払っておいたぞと言ったら、親父はニヤッと笑った。
ん?
まさか・・・ボケたふりしてわざと拙者に支払わせたんじゃないだろうな?(笑)
どうも怪しい・・・・

日記 | 14:32:04 | Comments(0)
帝銀事件の真実
帝銀事件の真実―平沢は真犯人か?帝銀事件の真実―平沢は真犯人か?
(1987/03)
ウィリアム トリプレット

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「帝銀事件」とは、昭和23年1月に発生した帝国銀行椎名町支店で発生した強盗殺人事件。
行員と用務員一家に毒物を飲ませ、16人中、12人を殺害したという異様な事件であるが、この死亡者の中に8歳の子供も含まれていたことには驚いた。
事件の概略は知っていたが、8歳の子供も殺されていたとは知らなかった。
犯人としてテンペラ画家の平沢貞通が逮捕され、死刑判決を受けたが、その後、死刑の執行はされず30年以上の年月が過ぎる。

この事件については多くの本が書かれている。
「下村事件」と並ぶ謎の事件である。
多くの本は、この事件は冤罪ではないかというものなのだが・・・・
私が本書に目が行ったのは、この著者が外国人であるという点。
つまり、アメリカ人がこの事件について言及しているというのだから気にならないわけがない。
事件当時日本を“統治”していたGHQの記録を掘り出し、来日して生存者、関係者などに丹念に当たって取材をしている。
アメリカ人から見ても「納得できない事件」なのだから、この事件は本当に異常な事件なのだろう。
しかし、それにしても、この丁寧な取材には脱帽である。
日本での取材の様子が克明に語られているが、言葉が通じない国での取材は大変だったろう。
米国でも日本でも関係者に当たっているが、肝心な部分は口を閉ざされ闇の中・・・・
「真実」は墓場へ持っていくつもりか?
日本国内にも資料があるらしいが、絶対日の目は見ないだろうという。
何があっても公表できない資料・記録とは何か・・・・
謎が謎を呼ぶ。
平沢は犯人ではなく、真犯人は他にいるのではないか?
各種の資料、証言等から、どう考えても平沢は犯人のわけはない・・・ということになるのだが・・・
再審請求は度々退けられ、歴代法務大臣は死刑執行の書類には署名しないから、平沢は延々と刑務所の中・・・・
“蛇の生殺し”状態である。
どうして歴代法務大臣は処刑を執行させなかったのか・・・
謎である・・・・
真相を追究するうちに“霧”の向こうにうっすらとその姿が見えるのだが・・・・
確証はないから断言はできない。
誰もが真相を語らない、語れないのは・・・・そういうことなのだろうなぁ~というところまで迫っている。

平沢は昭和62年5月、95歳で刑務所内で病死する。
本書が発行されたのは昭和62年3月。
執筆したのは、これより少し前であろうから、当然、平沢の最期については言及されていない。
当事者も自然に死んでくれて関係者は一安心か?
これで永久に事件の真相は闇に葬られてしまうのか?
日本で出版された2ヵ月後に平沢が病死するとは・・・・
著者も驚いたことだろう。

アメリカ人が迫った「帝銀事件」・・・・力作である。

読書 | 13:23:45 | Comments(0)
石神城主墓地
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石神城主 小野崎氏墓誌

石神小野崎氏は、平安時代に秀郷流藤原氏として常陸国久慈郡に勢力を張っていたが、源義光の久慈郡佐竹郷進出にともない、その子孫の佐竹氏の家臣となり佐都西郡小野崎郷を本貫の地とした。
南北朝時代には、足利尊氏方として佐竹貞義・義篤に従い、各地を転戦した。
貞和4年に小野崎通胤が多賀郡友部の櫛形城に本拠を移したが、次男通房は旧地に止まり八百岐城に移り、石神氏の初代となった。
永享4年、山入の乱にともなう石神城合戦で、小野崎越前三郎通房(初代通房の孫)は戦功を立て、鎌倉公方足利持氏より感状を与えられた。
佐竹家内紛である山入の乱は約100年続いたが、その間近隣諸豪族の介入が強まった。
延徳元年、伊達・会津・白川・小山・結城一同が佐竹領に侵入した時、小野崎通綱は佐竹義治の身代わりとなって久慈郡深荻で戦死し、佐竹軍を大勝に導いた。
その功績により、その子通老に那珂郡石神350貫、久慈郡川井350貫の地が与えられた。
山直・石神・額田の小野崎三家は同族の江戸氏とともに佐竹氏の宿老であったが、有力国人として強い独立性を持っていた。
明応3年には、江戸・小野崎氏は岩城氏の仲介で山入氏との同盟を破棄し佐竹義舜と和睦し、永正14年久慈郡薩都宮に佐竹義舜・一門・一族とともに小野崎越前守通老・通長父子も銭を奉納している。
しかし、享徳2年、部垂の乱で佐竹家中が再び動揺すると、石神城主小野崎大蔵太夫通長と額田城主小野崎下野守篤通の間で領地争いが起こり、天文16年には額田氏の攻撃により石神城が落城した。
しかし、永禄元年頃佐竹義篤への戦功により帰城を認められ、石神城鎮守住吉神社を再建し、戦死者の供養を行った。
その後、通長の子小野崎越前守通隆は佐竹義篤・義重の軍事動員に応じ、配下の人衆・足軽を引き連れ陸奥南郷・常陸中南部・下野那須・芳賀郡に進出した。
天正5年には、通老の二男の讃岐守通実が、北条氏の北関東進出を防ぐため結城晴朝を支援し、佐竹義重のもとで350人を率いて参陣している。
文禄4年に佐竹義宣が領内の知行割りを行った際、小野崎千代房(通広)に那珂郡石神のうち900石が与えられた。
しかし、慶長7年、佐竹義宣が徳川家康により秋田への移封を命ぜられると、小野崎義広もそれに従い秋田へ行き、石神城は廃城となった。
(~以下略~)

(墓誌碑・碑文より)

石神城主墓地


史跡 | 23:53:01 | Comments(0)
願船寺のイチョウ
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東海村指定文化財(天然記念物)
願船寺のイチョウ(イチョウ科)
昭和58年4月20日指定

イチョウは中国原産の裸子植物で、中生代(約2億2千万年前~7千万年前)に繁茂した樹木である。
従って、この仲間の化石は多いが、現存しているのはイチョウ一種だけであり、古くから神社や仏閣に植えられ、今日ではかなりの老樹や巨木がある。
また、イチョウは雌雄異株で、樹木であるにもかかわらず精子が作られ、有性生殖が行なわれる珍しい植物である。
このイチョウは樹勢の旺盛な雌株で、枝張りもよく、地上約2.5メートルの所に乳柱の下垂もみられ、イチョウの巨木としての特徴を備えている。
当山開基の親鸞上人(1173年~1262年)の御手植とも伝えられている。

昭和58年5月
東海村教育委員会

(説明板より)

願船寺のイチョウ





史跡 | 23:00:46 | Comments(0)
日本一の毘沙門天
DSC09649.jpg

北方の守護神
日本一の毘沙門天
宇宙最強の神(高さ16メートル)

千年の息吹を今に伝える毘沙門堂は、その昔、桓武天皇の御願所として國の平安を願い延暦年間(平安時代)に創建されました。
鎌倉時代に大仏師運慶により毘沙門天が奉安され、8百年の間、常陸の国(茨城県)に生きた人々の信仰を集めてまいりました。
写実的で力強い姿は、足下に邪鬼を踏みつけ邪悪なものを払い威厳あるお姿です。
代々、水戸城の鬼門よけ、方除けとして、佐竹氏、水戸徳川家にも崇拝されました。
毘沙門天は、武人にも信仰篤く、上杉謙信公は、自身を毘沙門天の生まれ変わりと信じ『毘』を旗印とし、楠正成公は幼名 多聞丸(毘沙門天)といわれております。
吉祥天は毘沙門天の妃(きさき)、善尼師(ぜんにし)童子は、毘沙門天の子といわれております。

日本一の毘沙門天堂内には千体仏と宝塔がおまつりされており、マンダラ(自分と宇宙とが一体となる)の世界を体験できます。

茨城県文化財指定  毘沙門天 吉祥天 善尼師童子
『毘沙門堂に安置されています』

平成19年11月4日 入仏開眼大法要

(説明板より)

日本一の毘沙門天




史跡 | 22:26:11 | Comments(0)
食後のドライブ
食後・・・
“シミズくん”は今日は休日ではなく仕事があるので・・・・
さて、帰りますか~となったのだが・・・・
午前中に仕事を済ませたので時間はあると言う。
ん?じゃ・・・・どこか、ぶらりとドライブしましょうか?
急遽、いつもの調子の“ぶらり旅”

帰り道の途中、那珂市の一乗寺に「日本一の毘沙門天」があるというので寄ってみる。
たしかに・・・・でかい!
が・・・・ちょっと、顔が気に入らない。(笑)
毘沙門天ってもう少しカッコイイ顔をしていたと思うんだよなぁ~

DSC09649.jpg

続いて同じ那珂市にある上宮寺に寄る。
この寺の開基は明法房といい、弁円と名乗っていた頃に親鸞を殺害しようと企てたという。
しかし、それが縁で親鸞から教えを受けて道場を開いたのが、この寺らしい。
う~ん・・・どこかで聞いたような話・・・・勝海舟の命を狙った坂本龍馬みたい。(笑)
親鸞聖人二十四輩第十九番旧跡なのだそうだ。
なんのことやらよくわからんが(笑)、親鸞聖人には24人の高弟がいて、その19番目の人が明法房ということらしい。

DSC09651.jpg(上宮寺)

続いて東海村の願船寺に行く。
この寺は親鸞聖人二十四輩十四番旧跡。
ということは・・・24人の高弟の14番目・・・・定信房が開基。
そもそも願船寺は願泉寺と言ったが、徳川光圀が親鸞の業績に感じ入って一字を改めさせ、「願船寺」とさせたという。
その第2代水戸藩主徳川光圀から7代後の9代水戸藩主徳川斉昭の時に「寺潰し」といわれる廃仏毀釈により水戸藩から焼き討ちにあったという。
この仏教抑圧・排斥運動に抵抗した住職は水戸藩に暗殺されている。
まぁ~凄まじい・・・・・
突然の訪問にもかかわらず、本堂でご住職からいろいろとお話を伺った。
「あなたも浄土真宗ですか?」と尋ねられ・・・・
「いえ、私は曹洞宗です」と澄まして答える。(笑)
“シミズくん”は浄土真宗であるが、拙者は曹洞宗なのだ・・・・申し訳ない・・・・(笑)

DSC09653.jpg(願船寺)

さらにもう1箇所・・・・
同じ東海村にある長松寺に寄る。
何かの銅像があるというので寄ってみたが、住職の銅像だった。(笑)

DSC09654.jpg(長松寺)

今日は、なぜかお「お寺巡り」となってしまった。(笑)
夕方となったので“シミズくん”を家まで送り、帰りにスーパーによって夕食の買い物をして帰宅する。
今回もまた充実した“ぶらりドライブ”となる。

日記 | 22:00:58 | Comments(0)
昼食を食べにドライブ
朝・・・水戸藩士の“シミズくん”から電話。
「お昼でもどうですかぁ~」
いつものように拙者はこれといった用事もないから暇である。(笑)
「よし!食べに行こう!」
11時にお迎えに伺う。

で・・・どこへ行く?
“ゆば”料理のお店があるという。
いいんじゃな~い?
ところが・・・その場所はここから30キロくらい離れているのである。(笑)
おい、おい、たかがお昼を食べに行くというだけなのに、かなり走るなぁ~(笑)

1時間程度で現地到着。
しかし・・・・お店は団体客等が多くて入れない。
やむを得ない諦めて他を探す。
「蕎麦はどうですか?」と水戸藩士。
それもよかろう!
“シミズくん”が「以前から入ってみたいと思っていた店があるが一人では入りづらい」と言う。
現地に到着したら・・・・なるほどねぇ~
こりゃ入りづらいわぁ~(笑)
うっかり写真を撮るのを忘れてしまったのだが・・・
蕎麦屋には見えない。
江戸時代の名主の家みたいな萱葺き屋根の家・・・・
極端な言い方をすると明治の元勲の和風別荘みたいな・・・(笑)
門から玄関まで距離がある。
どこから見ても蕎麦屋には見えない。
本当に、ここ・・・・お店?

それまで晴れていたのだが、急に曇ってパラパラと雨が降ってきた。
門からお庭を通って玄関へ・・・・
「営業中」の看板がかかっているが、真っ暗・・・・・
あれ?
まもなく“オバサン”が出てきて電気を点けながら“店内”にご案内。
渡り廊下を通って離れへ・・・・
なかなか古臭くて拙者はこういう雰囲気は大好きなのだが・・・
お昼を過ぎているというのに、客は誰もいない・・・・(笑)

DSC09647.jpg

これで商売をやっていけるのだろうか?
余計な心配を
それまで晴れていたのだが、急に雨が降り出してきた。
静かな店内に雨音が響く。
う~ん・・・いい雰囲気だぁ~

DSC09648.jpg

蕎麦の定食に食後のコーヒーを付けてもらい約2千円の豪華な昼食である。
いかにも手打ちですという太い蕎麦・・・・(笑)
なかなか美味しかった。
他に客もいないし、外は土砂降りだし・・・・ということで、大いにくつろぎ、おしゃべりをする。
すごく贅沢な時間を過ごしたような気がする。

“おばちゃん”と話をしたら・・・・
門から入って、ここはお店じゃないと思って帰ってしまう客や、さぞかし値段が高いのだろうと思って店に入らず帰ってしまう客が多いという。
そうだろうねぇ~
この家を見たら・・・誰でもそう思うよ~(笑)

日記 | 20:28:33 | Comments(0)
ボケ老人とボケ中年
親父が突然何かしらのメモを見ながらテレビのリモコンをいじり始めた・・・・
ん?何をしているのかな?
様子を窺っていたら・・・・
「ダメだ・・・つながらない・・・」とブツブツ言っている。
ん?何がつながらないんだ?
まもなく・・・「あれ?」と言ったかと思ったら突然笑い出した。
「どうした?」
「いやぁ~アハハ・・・ダメだこりゃ~」
「何が?」
「これ、電話じゃないよな?」
「はぁ?」
「電話だと思ってボタンを押していたんだが・・・つながらないと思ったら、これ、リモコンだ~」
あ~来ちゃったかぁ?
ついに来たかぁ~
ボケ・・・・(笑)
「テレビのリモコンと電話を間違えるようじゃ・・・・もうおしまいだな」

しかし・・・・他人のことを笑ってもいられない。
親父を笑ったバチが当たったか?
夕食時・・・・片手に味噌汁のお椀を持って向かったのは炊飯器。
ご飯をよそって気がついた・・・
どうもいつもと違う。
あれ?
なんだろう・・・この景色・・・・(笑)
違和感を感じるんだけど・・・・
あっ!やっちまった!
味噌汁を入れるつもりでご飯を入れちゃった!(笑)
「お前・・・何してるんだ?お前もおしまいだな~」と親父に馬鹿にされた。
畜生~
ボケ老人と一緒に生活しているとボケが移るんじゃ!(笑)


日記 | 11:12:32 | Comments(0)
グッドタイミング!
昨日、上京のため家を出たとき・・・・
ふと気になって郵便受けを確認したら“オオタさん”から封書が届いていた。
“オオタさん”は以前、メールをくださった方で・・・
おじいさんがフィリピンで戦没していて、そのことについて何か教えて欲しいと問い合わせがあった。
とりあえず、役所から軍籍簿を取り寄せて見せてくれるよう頼んでおいたのだが、多分それにちがいない。
グッドタイミングである。
時間がないので、そのまま封書を持って駅に向かい、東京へ向かう列車の中で読ませていただいた。

というわけで・・・(笑)
今日もホテルをチェックアウトして真っ直ぐ防衛研究所へ。
今回は“オオタさん”の調査をする。
メールをくださったお孫さんが親戚から聞いている話と実際に記録に残っている経歴とに違いがある。
これはよくある話・・・
記録によれば所属部隊は第12野戦航空修理廠第1独立整備隊である。
この部隊は陸軍航空隊の航空機の整備・修理・補給を担当する部隊である。
資料を漁ってみるが、予想通り、これといった資料が見つからない。
おおよその部隊の概略はわかったのだが・・・・それ以上の記録が残っていない。
やっぱりダメかぁ~
送られてきた部隊略歴には記載されていない事実が一つだけ判明。
部隊は臨時第5輸送隊に編入されている。
戦没地とされているルソン島の「カワヤン」についての記録はどこにも出てこない。
現地で臨時で編成された部隊の記録が残っていることはまずない。
だから、ご遺族も自分の親や祖父が、どこでどんな体験をしてどうなったのか・・・何も分からずじまい。
部隊が全滅すれば生還者は誰もいないから証言者も当然いない。
わずか数名が生還していたとしても、その方が何らかの本でも書いてくれない限り永遠に不明となる。

こうなると広範囲に資料を漁るしかないかぁ~
関係のなさそうな他の部隊の資料にも目を通してみなければなるまい。
拙者の祖父の場合・・・・
緒戦の米軍との戦闘状況について詳しい当時の状況は残っていない。
生還した祖父も詳しく記録を残していない。
当時、わずか250名程度に減った部下を従えて1個師団1万名以上の米軍と戦っていた様子を記録していたのは、補給を担当していた輜重兵第10連隊の方である。
何度も食料を最前線の祖父の下に送っているのに、祖父からは「食料を送れ」の矢の催促。
あれほど送り届けているのになんと我儘な奴だと不評を買っていたという。
そこで小隊長が自らこの補給に向かったのであるが・・・・
まもなく最前線の祖父の陣地の近くに辿り着くと、ジャングルの中から日本兵の一団が現れた。
「鈴木部隊ですか?」と尋ねると、「そうだ、ここからは俺たちが運ぶから荷物を置いていけ」と言う。
小隊長が部下に尋ねたら、毎回このパターンで、この人たちに渡していたという。
小隊長が自ら最前線まで持っていくと言い張ったら相手の態度が変わった。
服装も何かおかしいと気がついて「貴様等!どこの兵だ!鈴木部隊じゃねぇだろ!」と一喝したら山の中に逃げ込んだという。
この連中は陸軍の航空部隊の兵だったという。
祖父の陣地の後ろに隠れていて、補給が来るとその度に出てきて食料を横取りしていたのである。
つまり・・・山賊に成り下がっていたわけである。
最前線に到着したところやはり今まで送っていた食料は届いていなかったという。
最前線は最悪の状況で、すでに祖父は死を覚悟していたという。
「もう必要ないから・・・」とこの著者にタバコを渡したと書かれている。
著者はこの後、祖父の部隊への補給任務からはずれたため、当然、その後祖父が戦死したものと思って「立派な人だった」と書いている。
しかし、玉砕寸前の祖父は、その後も粘って第一線で半年も戦い続け生還した。
が・・・・祖父自身はこの時の記録を残してはいない。
祖父と一緒に生き残った11名の部下も誰も記録を残していないようである。
この当時のことは、この方が書き残したものだけでしか知ることはできない。
これを書き残した人は昭和34年、つまり拙者が生れる1年前に病気でこの世を去っている。

このように他の部隊の人が詳細に記録を残してくれている場合もある。
それを期待して広範囲に資料を探さねばなるまい。
ちょっと大変だが・・・・
とにかく運を天に任せて調べるしかない・・・・(笑)
あっという間に時間が過ぎて今回の調査も終了。
何年かかるかなぁ~・・・・この調査・・・・

日記 | 09:56:01 | Comments(0)
第7回総合危機管理講座
今回のセミナーの講師は茅原郁生氏。
元陸上自衛隊連隊長・師団幕僚長で、現在は拓殖大学国際学部教授。
テーマは『国家危機管理とアジア地域の安全保障環境』

さすが大学で教鞭を取っているだけに話は聞きやすいしわかりやすい。
豊富な内容のレジュメが配布され、それに従って話が進む。
1.わが国への脅威と危機管理(何から何を守るのか)
2.アジアの地政学的な特性
3.冷戦後のアジアの戦略環境
4.9.11テロ後の安全保障環境
5.当面する東アジアの危機の源泉(予断を許さない北朝鮮の核関連の危機)
6.中長期的な東アジアの危機の源泉(急台頭する中国がもたらす危機)
7.わが国の国防対応能力
6.国際的な危機対応への努力(わが国の国際貢献による危機緩和策)
内容は盛りだくさん・・・・
とてもじゃないが1時間半では時間が足りない。

話を聞いていて、拙者が一番危機感を持ったのが中国・・・・・
前回のゲームの続きではないが・・・(笑)
北朝鮮より中国のほうが、長い目で見たら危ないんじゃないか?
経済は自由経済、政党は共産党の一党独裁である。
共産主義が自由主義の真似事をしているのだから、これは大きな矛盾である。
しかも、今は金持ちの経営者を共産党に入党させているという。
これまたおかしな話で・・・・
共産主義は経営者に対抗する労働者の思想のはず。
そこに経営者を入れてしまうというのでは本来の共産主義と矛盾している。
これでいつまで今までのような国家が維持できるか・・・・
大いに危ない・・・・
にもかかわらず、北東アジアにおける安全保障の枠組みがないのである。
北朝鮮に対しては6者協議があるが・・・・
その他には何もない。
中国に対しての協議の場はない。
国連は中国自身が拒否権を発動すると動けなくなるだろう。
北東アジアの各国が集まって話し合いが持てる安全保障の枠組みは必要だ。
これがないと・・・・
国内に食糧問題、経済格差、失業問題等多くの問題を抱えた中国が国民の目をそらせるために外に打って出たらどうしようもないことになる。
内政問題から目をそらせるため外に打って出るというのは昔からの国際政治の常套手段である。
その時に、日本はどうなるか・・・・
あぶねぇなぁ~(笑)

セミナーは時間通りに終了したが・・・・
相変わらず質疑で時間がオーバー。
その質問も要領を得ないわけのわからない質問ばかり。
どうにかならんものか・・・・
おかげで、またもや9時の特急には間に合わなくなったが、今日もホテルを予約していたので助かった。
どうしても尋ねたいなら個人的に聞いてくれ!(怒)

事務局からの連絡・・・・
この総合危機管理講座は3年間」開催されて、今回が3年目だが、この講座は今年で最後・・・・
来年は開催する予定はないと言う。
へぇ~そうだったの?知らなかった・・・
ということは、最終回ギリギリセーフで受講したわけだ。
思い切って受講して良かった~(笑)
この講座は前期、後期に分かれている。
拙者は両方申し込んでいたが、11月からの後期の受講者が60名程度しかいないという。
今の約半分である。
お知り合いをお誘い願いたい・・・・と言われてもねぇ~
平日水曜日に受講できるような友人はいない・・・・・頼まれても無理だ。(笑)




安全保障から見た中国―日中共存・共栄に向けた視角安全保障から見た中国―日中共存・共栄に向けた視角
(1998/10)
茅原 郁生

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中国は何処に向かう?―その中期展望と対中戦略提言中国は何処に向かう?―その中期展望と対中戦略提言
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日記 | 00:51:23 | Comments(0)
勝海舟
勝海舟 (成美文庫―物語と史蹟をたずねて)勝海舟 (成美文庫―物語と史蹟をたずねて)
(1994/05)
船戸 安之

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勝海舟といえば誰でも知っている歴史上の人物。
咸臨丸に乗ってアメリカに行った人。
西郷隆盛と会談して江戸城を無血開城した人。
大きく分けるとこの2つで有名かな?
幕府のことを思って幕臣として奔走するが、何度も徳川慶喜に裏切られる。
私は徳川慶喜が大嫌いなので・・・・(笑)
やっぱりねぇ~・・・・という思い。
あの“バカ殿”なら、自分の部下を裏切るなんてなんとも思わないだろう。
海舟は、なんとか事態を収拾させようとするが、この“バカ殿”のせいで水泡に帰し、事態は益々悪化してしまい、おかげで後始末と尻拭い。
“バカ殿”は何を考えているのかは知らないが、海舟は確固たる信念があったらしい。
江戸を灰燼に帰さぬよう、江戸城を無血開城させる。
ある面から見れば、幕臣としてあるまじき行為だが・・・・

徳川幕府の“後始末”を成し遂げた時、海舟は46歳。
今の私より2歳も若い。
その年齢で、これほどのことを行なったのか・・・驚きである。
現代の政治家が幼稚に見える。

その後、海舟は明治政府に取り立てられ要職に就く。
これまた旧幕臣としてあるまじき行為。
福澤諭吉から手厳しく批判される。
海舟に対しての世間一般の評価がかなり悪いのは、このようなことがあったからだろう。
しかし、海舟には敵も見方も、幕府も官軍も関係なかった。
思うところは、いかに日本を近代国家にするか・・・・ということだけだったようである。
廃藩置県に際しては鹿児島に飛んで島津久光をなだめ、明治10年の西南戦争では西郷には会わなかったものの画策をし、明治27年の日清戦争でも陰で働いたというが、その功績を自ら消そうとしたという。

しかし、興味をそそられたのが、本書の最後の部分・・・・
明治31年、海舟が奔走したおかげで閑居していた徳川慶喜は参内を許され、明治天皇に拝謁した。
さんざん自分を裏切った“バカ殿”のために明治になっても海舟は奔走したわけである。
明治に入り30年以上も“バカ殿”を頭とする徳川家だけでなく、旧幕臣の生活保護や名誉回復にも尽力したという。
このおかげで、朝廷と旧幕府との対立がようやく解消したといわれる。
こうなると海舟は「旧幕臣にあるまじき・・・」という批判は的を得ていないということになるのではないか?
「最後の仕上げ」をした翌年・・・77歳で海舟はこの世を去る。

海舟には海軍軍人となった息子、小鹿(ころく)がいたが、海舟の晩年に40歳で先にこの世を去る。
そのため、徳川慶喜の十男である精(くわし)が、小鹿の娘婿となり家督を相続した。
へぇ~慶喜の息子が勝家の後を継いだのかぁ~
初めて知った・・・・・
最後の最後になって、慶喜に恩返しをしてもらったことになるのかなぁ?

読書 | 22:12:25 | Comments(0)
福澤諭吉先生永眠の地
DSC09612.jpg

明治34年2月福澤諭吉先生永眠のとき此処に埋葬せらる
先生の生前自ら選定し置かれし墓地なり
昭和52年5月福澤家の意向により同家の菩提寺麻布山善福寺に改葬せらる
よって最初の塋域を記念するため之を建つ

昭和53年5月14日

慶應義塾

(碑文より)

福澤諭吉先生永眠の地


史跡 | 23:15:20 | Comments(0)
本居長世の碑
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童謡は第一流の詩人が子供のために詩を書き第一流の音楽家が曲を付けた世界に誇る日本の児童文化財です。
本居長世は音楽学校で中山晋平、弘田龍太郎を教えるかたわら「七つの子」「青い目の人形」「赤い靴」「めえめえ小山羊」「お山の大将」のような作品を自身作曲して世に送りました。
ことに大正9年、野口雨情の詩に作曲した「十五夜お月さん」はいかにも日本的な旋律に変奏曲的な伴奏を配したもので、この種の先駆的作品として重んじられました
本居はこれらの曲を作ったころ、この目黒不動のすぐ隣に住んでおり、月の夜この寺の境内を散歩しながら想を練ったことでしょう。
今ここに氏の曲の碑を建てて、氏の功績を記念したいと思います。

本居長世を慕う会
童謡の里めぐろ保存会

(説明板より)

本居長世の碑


史跡 | 22:09:04 | Comments(0)
北一輝顕彰碑
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北一輝先生

この碑は北一輝先生の顕彰碑で大川周明氏の文によるものです。
先生は明治16年、佐渡ヶ島に生れた憂国の士で、大正デモクラシーの時代中国に渡り、中国革命を援助し又日本改造論を叫び、国家主義の頭目として、特に陸軍の青年将校を刺戟し多くの信奉者を得た。
時適々満州事変前後より先生の思想はファシスト化し、遂に2・26事件を惹起する要因になった。
勿論直接行動には参加しなかったが、首謀者として昭和12年銃殺刑に処せられた。
然し先生の生涯をささえたものは奇しくも法華経の信仰であったことは有名である。
毎年8月19日の祥月命日には今も尚全国の有志が追悼法要を厳修している。

当山

(説明板より)

北一輝顕彰碑


史跡 | 21:45:46 | Comments(0)
永代橋沈溺諸亡霊塔
DSC09605.jpg

東京都指定有形文化財(歴史資料)
文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑
2基

所在地 目黒区下目黒3-20-9 海福寺
指定   平成3年3月8日

文化4年(1807)8月の江戸深川富岡八幡宮の大祭は、11年ぶりに催されたため大変な賑わいであった。
当日、人びとは永代橋を渡って深川にやって来たが、その折、永代橋が崩落し多数の溺死者を出すといういう江戸はじまって以来の大惨事が発生した。
この供養塔及び石碑は、その落橋事件の溺死者の百日忌・五十回忌・七十七回忌・九十一回忌の折に、深川寺町通り(現・江東区深川2丁目付近)にあった海福寺境内に建立された。
溺死者440名とも言われた空前の大惨事を、江戸市民がどのように受けとめ後世に伝えていたかを明らかにすることができる都内における唯一の資料である。
海福寺は、明治43年(1910)目黒区下目黒3丁目の現在地に移転したが、これら供養塔もそのとき一緒に移設され、現在に至っている。

平成4年3月31日 建設
東京都教育委員会

(説明板より)

永代橋沈溺諸亡霊塔


史跡 | 21:11:00 | Comments(1)
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