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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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海軍落下傘部隊
海軍落下傘部隊 (新戦史シリーズ)海軍落下傘部隊 (新戦史シリーズ)
(1994/11)
山辺 雅男

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落下傘の本家本元はソ連で、1929年(昭和4年)に武装兵集団降下を組織的に研究し始め、1936年(昭和11年)にパラシュート部隊の大々的演習を行っているが、落下傘部隊を最初に実戦で応用したのはイタリアだという。
我が日本では野中肖人という人が発明し、欧米数ヶ国の特許を取っていた野中式パラシュートというのがあったが、陸海軍が落下傘部隊に関心を持ち取り組み始めたのは昭和15年末ごろになってからである。
日米開戦直前頃にバタバタと研究に着手したとは驚いた。
この草創期のテストパラシューターが筆者。
当時は、必ずしもパラシュートは100%開くわけではないという中で、実験を重ね殉職者を出しながらもパラシュートの研究と改良を行う。
高所恐怖症の私としては命令と言えども勘弁したいものだ・・・・(笑)
筆者を含めた26名の「研究員」が海軍落下傘部隊の初代メンバー
落下傘降下、着陸に適応した身体を作るべき研究もおこなう。
それが「デンマーク式体操」
徹底して長時間の体操をして体を作ったというのだから驚く。

横須賀海軍航空隊で降下実験に当たっていた「研究員」が落下傘部隊の「指導員」となり、館山海軍砲術学校に「講習員」として入校してきた飛行特技兵(=落下傘兵)の指導にあたる。
そして、昭和16年9月20日付で横須賀鎮守府第1特別陸戦隊(落下傘部隊)が編成され、日米開戦直前には、それぞれ750名の降下員を基幹とした横須賀鎮守府第1陸戦隊(堀内部隊)と横須賀鎮守府第3特別陸戦隊(福見部隊)の2つの部隊を編成した。
なんとも慌しい話である。

開戦早々の昭和17年1月に実戦に投入され、セレベス島のメナドに降下するが・・・・
味方の水上機に誤って撃墜されるわ、敵飛行場に降下した部隊は敵味方混戦の中、次々と指揮官クラスが戦死する。
今まで「華やかな」降下作戦だと私は思っていたのだが、実際はそうではなく実際はかなり悲惨な戦闘だったことを知った。

続いて2月にはチモール島のクーパンに降下するが、降下作戦を展開したのはこの2つだけ。
その後は、戦局が悪化し、降下部隊の出番は来ない。
一部が潜水艦からの奇襲作戦に参加して潜水艦と共に消息を絶ち、サイパン島にいた降下部隊は米軍の上陸に伴い陸戦で玉砕した。
最後には、サイパン、テニアン、グアムのB-29を攻撃目標にした強行着陸作戦、いわゆる「特攻」に投入される予定だったが、実行直前に終戦となり幻の作戦となる。

それにしても、陸軍にも落下傘部隊はあったわけで・・・・
どうして陸軍と海軍で別々に研究、改良をしながら部隊を編成していったのだろうか?
今で言う「省益」優先か?
そう考えると、今も昔も変わっていない。

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読書 | 11:59:29 | Comments(0)