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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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大学院の教授にお会いする。
ホテルをチェックアウトして、新宿に向かう。
先日、神奈川在住の写真家で九州産業大学大学院教授の“エナリさん”からメールをいただいた。
拙者のホームページを見て、ルソン島から生還した戦争体験者から色々とお話を伺いたいので誰か紹介してもらいたいというメールだった。
メールのやり取りだけでは、趣旨がよくわからなかったので、ちょうど東京にいることだし・・・
直接お会いしたほうが話が早いだろうということで急遽、新宿の京王プラザホテルで待ち合わせすることになった。
今日も防衛研究所で調査をする予定だったが、昨日でなんとか一区切りが付いたので、予定変更!
こういうことは状況に応じて柔軟に対応せねば・・・・

待ち合わせより1時間も早く到着してしまったが、読書をするには丁度よい。
コーヒーラウンジで読書をしながら待つ。

まもなく無事にランデブーに成功。
自己紹介を兼ねて、お互いの価値観についての話などで花が咲く。
失礼かとは思ったが、過去にNHKの番組制作に協力してディレクターに半分騙されたような形になり大いに不愉快な思いをさせられていたので、生還者をご紹介するにも慎重を期さねばということで、わざわざ東京に来てもらった。
氏は写真家として先の大戦をテーマにして30年も活動しているという。
いわゆる「十五年戦争」・・・・
日本にとって大きな出来事にもかかわらず、近代史を疎かにしている現在の社会科教育のおかげで、後世に伝わっていない。
これを少しでも後世に残さねば・・・・という点では大いに共感する。

氏の著書を自己紹介を兼ねてお土産にいただく。
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拙者は手ぶら・・・・いやぁ~申し訳無し!

今回の要望のご趣旨もよく伺い納得。
誰か適当な人を探してご紹介してあげよう!

今回の拙者の上京の目的等や現在の活動についてお話したところ・・・・
「なかなか貴重なお仕事をされているんですねぇ~]と言われてしまった。
お仕事?
「いえ、いえ、趣味でやっているだけです!(笑)」
氏は拙者よりふた周りも年上の方である。
拙者など“エナリさん”の足元にも及ばない「若輩者」であります!(笑)
「貴重なことをされているんだから、記録として後世に残せるように本を書いてはどうか?」と言われた。
氏は毎日新聞社にもいたことがある方。
「あのぉ~本の書き方を教えてください!(笑)」

“エナリさん”は真珠湾攻撃の地であるハワイを始め、いくつもの南方の島々の戦跡を巡ってきているという。
今度はラバウルに行きたいとのこと。
「ラバウル!いやぁ~拙者も行ってみたいなぁ~」
「じゃぁ、良かったら一緒に行きますか?」
これまた話が大いに盛り上がる。
こうなると・・・同志?(笑)

別れ際に「もうそろそろ目標を立てていかなくちゃダメですよ」とご教示いただく。
う~ん・・・・確かに・・・・
「浪士」になって3年目・・・・・
そろそろ何か目標を立てて行動せねばイカンだろうなぁ~
ダラダラと生きてちゃダメだよなぁ~
大いに啓発された。
よし、頑張らねば!

またまた、いい時間を得た。
感謝、感謝である。

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日記 | 23:15:00 | Comments(0)
第4回総合危機管理講座
今回の講師は佐々淳行さん。
この危機管理講座の主催者でもある。
テーマは『最近の危機管理の事例から』

危機管理上の日本の一つの問題・・・・
それは、日本には「外出禁止令」がないということだという。
つまり、何か事が起っても国は国民に外出を禁止することができない。
ということは・・・・野次馬的国民や動揺した国民があちこちを歩き回ることを押さえられない。
当然被害は拡大する。
しかし問題はそれだけではない。
救助作業にも支障が出る。
かの阪神淡路大震災の時は、あの時に会社に出社しようとする車のために交通渋滞が起り、緊急車両の通行に大いに障害となったという。
この時に「外出禁止令」が出ていたら・・・・ということになる。
しかしこの「外出禁止令」は憲法違反となるということで施行されることはないという。
「自由と人権」の問題だという。
さて・・・こんなことで国家の危機管理は出来るのだろうか?

政府のシステムにも問題があるという。
内閣法第7条・・・・
総理大臣には指揮権がない・・・・恐るべき法律である。
総理大臣はあくまでも閣僚会議の議長。
決め事は全閣僚の満場一致でないと決められないことになっているという。
1分1秒を争う緊急事態に閣僚全員を集めて会議をするというのだ。
しかも一人でも閣僚が反対したら緊急事態への対応は・・・・パー!(笑)
総理大臣が独自の判断でテキパキと指示を出すなんてことは法的にありえない。
ありゃぁ~・・・・・これで大丈夫かね?

睡眠不足で時々睡魔が襲ってきたが・・・・
居眠りをせず講義を聴く。
う~ん・・・このくらい熱心に学生時代にも勉強をしていたら・・・・と思う。
中学、高校、大学と・・・・授業中に居眠りばかりしてたからなぁ~(笑)

講義終了後、上野に向かってホテルにチェックイン。
ようやく横になれる!(笑)
ようやくハードな一日が終わった・・・・




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日記 | 23:43:40 | Comments(0)
戦史調査2日目
午前8時半起床!
ゲ~ッ・・・・3時間しか寝てねぇじゃないかぁ~(笑)
頭はボ~ッ・・・・(笑)
シャワーを浴びてチックアウト。
近くの喫茶店でモーニングセットの朝食をとり、今日もまた防衛研究所に向かう。

昨日は“ナカジマさん”の資料調べだけで終わってしまったので、今回は少しでも多くの人の資料を見つけねばならない。
が・・・・しかし・・・・二日酔いと睡眠不足で、調査に取り掛かる前からフラフラ・・・・(笑)
若いつもりで無理しちゃったのがいけなかったぁ~(笑)

“コウノさん”のお父さんは105師団司令部要員として山岳州ムロングで戦病死。
「ムロングってどこでしょうか?」とのご質問。
105師団の資料は一つしか見つからなかったが、そこから司令部の行動を抽出して組み立てる。
ムロングは、どうやら山奥の小さな村らしい。
次回、フィリピンへ行った時に訪問しようかと思っている場所に近い。
現地に行けないこともなさそうだ。

“マシコさん”は叔父さんが第147飛行場大隊の大隊本部要員として戦没。
この部隊の陣中日誌の一部を見つける。
残念ながらこの方が戦没した終戦間近なころの資料はないが、この部隊についての凡そのことはわかった。

“モリさん”は独立速射砲第20大隊。
残念ながら資料は見つからない。
独立部隊の調査はとにかく難しい。
現地で臨時編成されている場合が多いので資料が残っていないのだ。
これは別の角度から再度攻めねばなるまい。

昼食も食べずに資料室に籠もって必死に資料を漁るが、3人分の調査が精一杯。
眠いわ、腹が減るわ・・・・
拙者は苦行僧か?(笑)

あっという間に夕方・・・・・

今晩は第4回の危機管理セミナーがある。
真っ直ぐ飯田橋に向かいたいのだが・・・・
睡眠不足と疲労で頭がボーッ・・・・(笑)
どうやって行けばいいかわからない!
JRで行くべきか地下鉄で行くべきか・・・・頭が働かない。
で・・・いつの間にか無意識のうちにJRに乗っている。(笑)
ん?何でこれに乗ってるの?
私は誰?ここはどこ?(笑)
何とかかんとか運に恵まれて、ちゃんと地下鉄飯田橋駅に到着する。
いつものように近くの喫茶店へ行き、サンドイッチとコーヒーの昼食。
しかし・・・時刻は夕方6時。
う~ん・・・これは昼食か夕食か・・・・わからない。

今日の講師は佐々淳行さん。
間違いなく講義は時間内では収まらない。(笑)
ということで・・・・上野にホテルを予約しておいたので、今日は焦って帰らなくてもいい。
今日は時間を気にしなくていいが、その代わり居眠りをするんじゃないかというほうが気になる。
寝てはイカン!頑張って起きていなくては・・・・と思いながら喫茶店でコーヒーをお替りして飲むが、喫茶店内でコックリコックリ・・・・(笑)

日記 | 14:37:47 | Comments(2)
“ヨシくん”と2年ぶり(?)に会う
今晩は、今から24年ほど前、米国に遊学した時に知り合った“ヨシくん”と久しぶりに会うことにする。
前回会ったのは確か会社を廃業した後だから・・・・2年か3年前。
よくは覚えていないんだけど・・・・(笑)
米国遊学中、彼とはクラスが違うので滅多に会話を交わしたことはないのだが、何故か帰国後も付き合いが続き・・・・ついに24年にも及ぶ。
あの当時、ほとんどが日本にいられなくて「留学」と称して家を追い出されてきたような連中が多かった。
その中で、まともだったのが“ヨシくん”(笑)
東京・錦糸町の酒屋の息子。
帰国後、彼のお店はコンビニへと変身。
ちょうど年1回の業界の会合が彼の店の近くで開催されていたので、1年か2年に1回ぐらい彼と会って1時間ぐらい近くの喫茶店でおしゃべりをしたものだ。
それがいつの間にか24年も続いたとは・・・・驚きである。

前回会った時は、拙者が「浪士」になった報告をした。
ちょうどその時にコンビニの本部から近くに出来た大型複合ビルへの出店の話があった。
当初はコンビニは彼の店くらいしかなかったが、その後24年の間に前後左右に他のコンビニが乱立。
目と鼻の先に5軒ものコンビニが建ったのだから呆れるほかはない。
そこへ、同じ会社のコンビニが更に出店するという。
どう考えても客を持っていかれるのは明白。
同じコンビニ同士で客の奪い合いになる。
本部も何を考えているのか・・・・素人の拙者には理解できない。
出店しないのなら他の人間に出店させるという。
進むも地獄、進まぬも地獄である。

今ある店の他にも2号店に手を出して経営すべきか・・・・と相談を受けた。
拙者の判断は「やるべし」
他の経営者に出店されて客を取られたのでは「ジリ貧」となる。
ここは「押さえる」しかなかろう。
・・・・・とアドバイスしたのが、出店契約の期限の前日のこと。
彼は結局、出店することに決めたが・・・・その後拙者は2年もの間連絡をしていなかった。
いやぁ~なんという無責任なことか。(笑)

その後、どうしているだろうと気になり彼と会うことにした。
午前0時過ぎじゃないと体が空かないというので、ホテルにチェックインした後、錦糸町の町の中をウロウロして時間つぶしをする。
昔、業界の連中と一緒に食事した中華店で一人寂しく夕食をとり(笑)、よく行った飲み屋を記憶を辿って探し当てて、そこで酒を飲んで時間を潰す。
下手にホテルの部屋にいたら、寝ちゃうかもしれないからねぇ~(笑)
なにせ日中は資料探しをしたのでクタクタだから・・・・
外にいればうっかり寝込んでしまうということはありえまい!(笑)

午前0時過ぎ、待ち合わせをしてカフェバーへ行き、久しぶりのおしゃべり。
その後の状況は・・・・なかなか厳しいらしい。
現在のコンビニ業界はなかなか厳しい。
とにかく利益が出ないという。
2号店は1日に軽く100人以上も客が来るが利益が少ないと言う。
客が増えれば増えるほど利益が出るというならわかるが、フランチャイズはそうはいかない。
1号店は予想通りに客が激減したが、利益率としては2号店よりはマシだという。
「2号店の損益がトントンならいいが、赤字に転じたらすぐに手を引くほうがいいんじゃないか?」とアドバイスする。
店が大きいだけに2号店の赤字が一気にわずかな黒字を食いつぶす可能性が高い。
そうなったら1号店も2号店もパーになる。
問題は1号店。
2年後に契約更新の時期を迎えるという。
さぁ~どうするか・・・・
フランチャイズは手を出しやすいが維持するのは難しい。
契約更新してコンビニを続けるべきか、契約をやめて別の事業を展開すべきか・・・・
2号店がキーポイントとなるなぁ~
1号店と2号店の損益バランス次第だな。
契約更新までには2年の猶予があるが、2年なんてあっという間だ。
ボケ~ッとしていたら手遅れになりかねない。

そんなこんなを話しているうち・・・・なんと午前4時半!
外は明るい!
ヒェ~・・・・こんなことならホテルなんかいらなかったじゃないかと2人で大笑い。
テクテクとホテルまで歩いていって就寝したのは午前5時過ぎ!(笑)
まぁ~たまにはこういうことがあってもよかろう?

日記 | 23:28:02 | Comments(0)
久々の防衛研究所
今日は早起きして東京へ・・・・
恵比寿の防衛省防衛研究所へ戦史の調査に行く。
前回来たのは1年以上も前ではないだろうか?
その後、何人もの戦没者遺族から調査依頼が来ていたのだが、「そのうち防衛研究所に調査に行って来ます」と安請け合いして調査に来ていなかった。
さすがにこんなに遅くなったのではマズイよなぁ~(汗)

まずは、多くの情報を寄せてくださっている“ナカジマさん”のお父さんの戦没状況の調査から始める。
“ナカジマさん”のお父さんは海軍の方。
戦死公報では呉海兵団からフィリピンの比島航空隊へ派遣され、クラーク地区で戦死されていることになっている。
クラーク地区の防衛部隊はほとんどが玉砕部隊で生還者は殆どいない。
いつのまにかバラバラになって「消滅」しているため、最期の状況を掴みたくても資料はないものと考えたほうがいい。
直接、部隊名で検索しても出るまい。
となると・・・・得意の勘に頼っての調査となる。
何百枚もの索引カードをとにかくめくっていくのである。
それだけで数時間はかかる。
入室してから延々と索引カードをめくり続けている拙者を不審に思ったのか、女性職員の方が声をかけてきた。
「何をお探しですか?見つかりましたか?」って言われてもねぇ~
自分でも何を探しているのか・・・・わかっていないんだから答えようがない。(笑)
とにかく部隊名で探しても出てこないのだから、聞いてもわかるまい。
今までの経験から言うと、多くの資料は一つにまとまっているわけではない。
例えば、「比島航空隊」を調べるのに、「比島航空隊」という名で資料がファイルされているわけではない。
「比島方面海軍作戦」とか、「クラーク地区防衛作戦経過概要」とか、「比島関係資料」とか、なぜか別の名称のいくつものファイルにバラバラにファイリングされていることが多い。
そのため一発で見つかるということはまずありえない。
どうしてこういう表題でファイルするんだろうと首を傾げてしまうようなファイルもある。
また、表題と中身が違うものもあるのだ。
例えば「昭和16年度」と表記していながら、中身は「昭和17年度」だったというようなこともある。
「役所」のやることは所詮こんなもんだ。(笑)
かの社会保険庁ですらいい加減なんだから、戦後の史料編纂でいい加減にファイルされてもおかしくはなかろう。
そこで、どういう名のファイルに紛れ込んでいるだろうか・・・と想像して調べるのである。
そのため片っ端から索引カードをめくって勘に頼ってファイルを探し出すのであるから時間がかかる。

ようやく、当たりをつけた資料を請求して書庫から出してもらい・・・・
今度は解読作業!(笑)
戦後の生還者からの聞き取り調査メモなどは手書きの崩し字・・・・
読めない!(笑)
生還者の報告書類も崩し字・・・・
読めない!(笑)
もう古文書解読と同じである。
資料は全部手書きで書き写すので時間がかかる。
解読するのに時間がかかり、書き写すのに時間がかかるから最後には大忙し。
書き写しながら「断片」を組み立てて新たな疑問が出たら更に資料を探す。
そうなると・・・・どんどん枝葉のように広がっていく。
これが調子がいいとドンドン面白いように進む。
ジグソーパズルが出来上がっていくときのような感じ。
最初は何処から手をつけていいかわからないが、そのうち次々と隣のパーツがわかってきて組み上がっていくような感じ。
そうなると凡そ調査報告書が書けるくらいの域まで達するのだが・・・・

今回の“ナカジマさん”の場合・・・・
いくつもの断片的な資料を見つけ出したはいいが、困ったことになった。
戦死公報に書かれていることが矛盾しているということが明らかになってしまった。
参ったなぁ~これ・・・・
どう纏めようか・・・・
戦死公報では第17戦区の宮原部隊に所属してタルラック附近で戦死していることになっているのだが、宮原部隊は第16戦区の部隊で、タルラックとはかなり離れた「イバ街道」を突破した場所で消滅している。
戦後の混乱の中で、とにかく戦没地を認定しなくてはならないから、現地のことをよく知らないにもかかわらず、適当に地名をつけて公報を作成してしまったのか?
ご遺族にとってはいい加減では困る。
茨城で戦死したのか栃木で戦死したのかでは全然違うだろう?
九州のほうの人からすれば、「同じ関東地方だから同じようなものじゃねぇか」となるかも知れぬが・・・
やっぱり、茨城と栃木では違うぞ~
完璧とはいかなくても、少しでも確信の持てる戦没地を見つけてあげなくては亡くなった英霊に申し訳がない。
誰が好き好んでフィリピンのド田舎で死ぬもんか。
家族の誰にも知られず死んでいったのだ。
そのご遺族に見当違いの場所で慰霊をされては英霊は地団太踏んで悔しがるだろう。
「そこじゃねぇよ!こっちだぞ!」って・・・・・
拙者が戦死した人の立場だったら怒るぞ。
「何やっているんだ、バカヤロウ!」って・・・・・

戦死公報の内容が正しい、もしくは妥当だという裏付けがとれれば問題はなかったのだが・・・
矛盾しているとなると・・・・
「戦死公報はいい加減に書かれています」という報告をすることになる。
「じゃぁ、本当はどうなんですか?」と聞かれてもねぇ~
「17戦区」の記述が正しいのか、それとも「宮原部隊」の記述が正しいのか・・・
どちらかが正しくてどちらかが間違っているのだが・・・
その決め手となる資料が見つからない!(涙)
そうなると・・・・「わからない」としか言いいようがない。

ご遺族から送られてきた軍歴書や日本遺族会が調査した報告書を見た時に、戦死日や戦没地は、ちょっと怪しいなぁ~と思っていたが・・・・勘が当っちゃった~

結局、閉館ギリギリまでねばって調べられるだけ調べる。
こんなに集中して「勉強」ができるなら、学生時代になぜしなかったのだろう・・・・
あのころこれぐらい一生懸命勉強していたら東大へいけたかも・・・・・(笑)
クタクタ、ボロボロ、フラフラになって防衛研究所を出て、喫茶店でコーヒー飲みながら、もう一度書き写した資料を整理する。
それにしても、今日はたった一人の方の分しか出来なかった。
時間がかかりすぎた~

今晩はホテルに泊まり夜は“ヨシくん”と2年ぶりに会う予定。
明日もまた来て調査をすることにする。
今回は大好きな史跡めぐりはお預けだ。

日記 | 22:27:59 | Comments(0)
またもや地震か!
午前0時26分・・・・・
家がユサユサと揺れる・・・・
またもや地震か~
このところ地震が多い。
速報によれば岩手のほうで震度6弱とのこと・・・・

このところ東北地方に集中して地震が多いが・・・・
おかしいんだよなぁ~
拙者の勘によれば、そろそろ南か西のほうで地震が起こってもいいはずなんだが・・・
なぜか東北ばかり・・・
適当に他の地方でも揺れないと逆に危ないような気がしてならない。
大坂や名古屋のほうでドカンと大きな地震が起きかねない気がする。


日記 | 21:41:25 | Comments(0)
第3回総合危機管理講座
今回の講師は軍事評論家の江畑謙介氏。
テーマは『実践(現実)的テロの可能性と対策』
現在増えつつあるのがNBCREと呼ばれる核・生物・化学・放射能・高性能爆薬によるテロである。
その発生度合いとしては、現在、成功の実績は殆どないが、将来の可能性が否定できないのが生物兵器によるテロ。
例えば米国の農産物に対してテロ攻撃がなされた場合は、米国のDNPの1/4が農産物関係のため、大打撃を受けることになる。
これは米国一国の問題では済まない。
全世界にもこの経済破壊の影響は広がる。
過去の「スペイン風邪」を例にすると、終息までには約3ヶ月がかかる。
そこから考えると、各家庭で3ヵ月分の食料や生活用品を備蓄しておかねばならないということになるが・・・これはどう考えても難しい。
こういう大規模な備蓄は「地区毎」に行なわれるべきとなるが・・・
日本国の政策として、これがなされる可能性は・・・・・???
危機管理とは難しい。

核兵器によるテロ攻撃は可能性が小さいが、化学兵器によるテロ攻撃は最も可能性が高い。
が・・・除染や治療は?どうする?
大威力爆発装置によるテロ攻撃は既に世界各国で実績がある。
身近な材料や技術で製造可能なんだから始末が悪い。
これらの対策は?どうする?

私利私欲の政治家や官僚、次元の低いマスコミ、ノーテンキな国民・・・・
どこまで危機を意識できるかにかかっているよなぁ~
日本人はちょっとしたことで直ぐに大騒ぎするひ弱な国民だからなぁ~(笑)
テロに対する危機管理はなかなか難しいような気がする。
事前に対応策を立てておくということは無理だろう。
マスコミが騒ぎ立てるだろうし・・・
ということは・・・かなりの犠牲者が出てからじゃないと何も行なわれない・・・・ということになる。
テロに対しては運を天に任せるしかないか?




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日記 | 21:05:58 | Comments(0)
2日連続墓参り
今日は母の祥月命日。
突然何を思ったか、東京から妹と小5の姪が墓参りに来るという。
それはそれで嬉しい話なのだが・・・
「昨日墓参りに行っちゃったよ!」
「なんで?」
「夕方に東京に行くからさぁ~」
「じゃぁ、お昼までに、そっちへ行けばいいよね?」

というわけで・・・常磐自動車道を飛ばしてやってきた!
「一緒に行く?」
「あのね・・・一緒に行かないわけにはいくまい?(笑)」
自宅の前からは拙者が運転を交代して母の墓参りに行く。
持って行くのはお線香と水だけでよかろう?
お花は昨日あげたんだし・・・・(笑)

2日連続のお墓参り。
「また来たの?」って、母も呆れてるだろうなぁ~(笑)

帰りに遅いお昼をがどこかで食べようかと思ったが、電車に遅れてはマズイし・・・
ということで、途中で弁当を買って自宅で食べることにする。
妹たちは日帰りの予定なので、一緒に車に乗って東京へ行ってもよいが、万が一渋滞に巻き込まれたら、これまた困る。
遅い昼食を食べ、急いで服を着替えて駅へ向かい特急に飛び乗る。
妹たちには少しゆっくりしてもらい親父の相手をしてもらうことにする。

それにしても、なんとまぁ~忙しい一日だろうか。
これからいつもの危機管理セミナーに出席。
終電でまた帰宅するのである。
すでに電車の中で疲れが出てコックリ、コックリ・・・・
読書が捗らない・・・・(笑)

日記 | 19:31:50 | Comments(0)
墓参り
「先月は墓参りに行かなかったから今月は墓参りに行く」と親父が言う。
母の月命日は明日・・・・
しかし、明日は危機管理セミナーを受けに東京へ行くので、墓参りに行って電車に乗り遅れたらマズイ。
というわけで・・・前日の今日、墓参りに行くことにする。

帰りに親父がまたもや突然、自分の親の墓参りもしたいと言い出した。
何を突然思いついたのか・・・
父方の祖父は昭和57年に、祖母は平成6年に他界したが、その後、親父が自主的に自分の親の墓参りに行ったことはない。
全く以て考えられないことなのだが・・・・
自分の親の墓参りに行かないのである。
筋金入りの親不孝者である!(笑)
昔は無理矢理連れて行ったが、いつも不機嫌になるのでその後は親父は無視して母と二人で墓参りに行った。
それが・・・である。
どうしたことか今回は自分から言い出したから驚いた。

どうせついでだから父方の墓所にも立ち寄る。
長時間車に乗っていたせいか、車から降りて歩き出した父は・・・・
「ずっと乗っていたら腰が伸びない。まるで年寄りのような歩き方でみっともない。ジジイみたいで情けねぇ~」とブツブツ言い出した。(笑)
どうしてそういうくだらない愚痴をこぼすかねぇ~
いつまでも若い気でいるのである。
「あのね・・・自分は何歳だと思ってるの?もうそろそろ自分の親が死んだ歳になるんだけど・・・」
「ん?そうか?」
「自分の父親がいつ何歳で死んだか覚えてねぇだろ?」
「・・・・・」
まったく困った親父である。

「あとまもなくで自分の父親が死んだ歳になるんだからね!爺さんみたいって言っても、もう爺さんだろ?」
「・・・・・・」
「孫もいるんだから・・・」
「まぁ・・・・そうだけど・・・・」
しかし、どうしても自分が「ジジイ」だということは受け入れたくないらしい。(笑)

それにしても祖父はどう見ても「おじいちゃ~ん」というおじいちゃんだったが・・・
親父は若く見える。
おかしい・・・・
祖父が亡くなった歳に近づいているというのに・・・・おかしい・・・・
息子の目で見ているから若く見えるのか?
食生活の違いか?
それとも着ている服が影響しているのか?
祖父と親父の違うところは・・・祖父は、くだらない愚痴をこぼさなかったところ。(笑)
黙々としてこの世を去ったイメージがある。
拙者が「孫」だったから愚痴のこぼしようがなかったのかも知れないが・・・・(笑)
う~ん・・・それに比べて親父は愚痴が多すぎる。
「人間は歳を取るんだから仕方がねぇだろ」って言っても納得しない。(笑)
困ったものである。

夕方・・・・
またもや地震!
昨日に引き続いて福島県沖で・・・・震度3

日記 | 11:14:32 | Comments(2)
おや、地震だ~
夜、8時半・・・・
ユサユサと家が揺れる。
ん?
地震だ・・・・
しかも、これは・・・・北のほうだな・・・・
揺れ方でわかるのである。
まもなく、地震速報。
福島県沖が震源らしい。
宮城、福島で震度4。
当ったぁ~(笑)


日記 | 10:40:59 | Comments(0)
芋焼酎をもらう
水戸藩士の“シミズくん”が奥さんに車を運転してもらって芋焼酎を持ってきてくれた。(笑)
昨日のドライブの時に彼が芋焼酎は体にいいという話をしてくれたのだが・・・
拙者は外で酒を飲むことはするが、自宅で酒を飲むということは滅多にない。
晩酌というのはやらない。
正月にお屠蘇を飲むのと、帰省した兄弟に付き合ってビールを飲むくらいだから、1年に2~3回しか酒を飲まない。
夏は風呂上りにビールというのが定番だろうが・・・・
そんなことしたことがない!(笑)
飲みたいとも思わない。
どうせ飲むなら・・・・熱いお茶だな!(笑)
風呂上りに熱いお茶!
かなりジジイ臭い・・・・・(笑)

彼から話を聞いても、こういう調子なのだから実行に移すはずはない・・・・と彼は気付いたのであろう。(笑)
わざわざ芋焼酎を届けに来てくれた。
ありがたい!感激である!
拙者の健康を気遣ってくれるとは・・・・申し訳なし!
早速、今晩から芋焼酎の晩酌をすることにする。
親父にも勧めたが・・・・・
昔は晩酌をしていた親父は「今ではもう酒を飲みたいという気力がないから・・・いらない」と言う。
う~ん・・・人間、気力がなくなったらおしまいだな~(笑)
あとは死を待つのみか?
「これは薬だぞ~」と言ってもダメ。
頑固である。
仕方がない、折角頂いた芋焼酎・・・・拙者だけで楽しもう。

拙者は滅多に焼酎などは飲んだことがない。
外ではビールかウィスキーの水割りである。
最近は戦友会のみんなに付き合って日本酒が多い。
「お酒は強くないんで・・・あまり飲めません」と言い訳を言いながら結構飲まされている。
今日からは焼酎の晩酌である。
飲んでみたら、これがなかなか美味しいのである!
ん?これでは「お酒は強くない」なんて嘘になるか?
飲めちゃう・・・・
イカン・・・
水割りをグラスで1杯だけ・・・・これを毎日チビチビとやることにする。
薬だからね・・・・(笑)

日記 | 10:12:35 | Comments(0)
鉄塔婆
DSC09444.jpg

鉄塔婆
【国指定文化財】(昭和25年8月29日指定)(旧国宝 明治44年8月9日指定)
高さ/約330cm 幅/約30cm 厚さ/約6.6cm 重さ/約320kg

この鉄塔婆(てつとうば)は、鎌倉時代終わりころの正和元年(1312)、宇都宮8代城主貞綱(さだつな)が、亡き母の13回忌の供養のために鋳造し奉納したものである。
表面は、梵字(ぼんじ)や阿弥陀三尊(あみださんぞん)、文字が浮き彫りになっている。
鉄製の塔婆は全国的に類例がなく、大変貴重なものである。
江戸時代終わりころの嘉永2年(1849)、暴風雨によって三つに折れたので、明治44年(1911)に修復した。
その後、腐食が進んだので、平成8年(1996)に保存処理を施した。

(説明板より)

国指定重要文化財
鉄塔婆
明治44年8月9日指定
高さ3.3メートル
幅0.3メートル

この鉄塔婆は、鎌倉時代の正和元年(1312)の8月に、宇都宮8代城主貞綱が亡き母の13回忌の供養のために建立したといわれる。
塔婆の上部には阿弥陀を表わす梵字(ぼんじ)と阿弥陀三尊の浮彫りがあり下部には90字の願文がある。
我が国最古であり、かつ唯一の鋳鉄製(ちゅうてつせい)の大塔婆であることから当時の宇都宮氏の政治、経済的な力ばかりでなく文化的・宗教的な水準の高さを示している貴重な資料である。

(説明板より)

鉄塔婆


史跡 | 15:54:26 | Comments(0)
蓮生法師の墓
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蓮生法師の墓

宇都宮5代城主頼綱(よりつな)(1178~1259)は、鎌倉幕府の御家人として重要な地位にあったが、元久2年(1205)、謀反の疑いをかけられたため、出家して蓮生(れんしょう)と名のった。
和歌を好んだ蓮生は、京都嵯峨野(さがの)の小倉山(おぐらやま)の麓(ふもと)に山荘を建て、藤原定家(ふじわらのていか)の息子、為家(ためいえ)に娘を嫁がせるなど、交流を深めた。
蓮生は山荘の襖(ふすま)に貼る和歌をしたためた色紙を定家に頼んだ。
これが、「百人一首」のもとになったといわれている。
蓮生の墓は京都の三鈷寺(さんこじ)にあるので、ここにある墓は後世の供養塔と思われる。

(説明板より)

宇都宮5代城主頼綱と芳賀高照・高継の墓所

この頼綱が「小倉百人一首」の生みの親だったことを知る人は少ない。
鎌倉幕府の幕臣だった頼綱が27才(西暦1208年)政争に巻き込まれるのを避けて出家、法然上人の門に入り、法号を実信房蓮生と名乗った。
蓮生は和歌にすぐれ、京都二尊院近くの小倉山麓に山荘を構え当代一流の文化人といわれた藤原定家と姻戚関係を結んだ。
これが縁で嘉禎元年(西暦1235年)蓮生は山荘の障子に貼る色紙の執筆を定家に依頼、定家が色紙1枚、1枚に天智天皇以来の秀作を一首づつ書いた。
これが、「小倉百人一首」の原型となり、その後、鳥羽、順徳両天皇の作品を加えて、補訂してまとめた和歌集が小倉百人一首です。
蓮生の歌は「新勅撰」「続古今」「続拾遺」などの和歌集に収められている。
多くの歌人、武将が生まれたのも蓮生の大きな功績です。
建保3年(西暦1215年)蓮生は、後の清巌寺となる念仏堂を宿郷村に草創した。
此々にある蓮生法師の墓碑の両脇に並んでいる墓は一族だった芳賀高照(兄)と高継(弟)の墓です。

(説明板より)

蓮生法師の墓





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史跡 | 14:44:40 | Comments(0)
樋爪氏の墓
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樋爪(ひづめ)氏の墓

ここ三峰山(みつみねさん)神社の中の二つの五輪塔は、文治5年(1189)、源頼朝が奥州の藤原氏(東北の豪族)一族を攻めたとき、祈願成就(きがんじょうじゅ)のお礼の生贄(いけにえ)として二荒山(ふたらやま)神社に献納された、樋爪俊衡(としつら)と弟季衡(すえひら)の墓と伝えられている。
この墓を、樋爪季衡とその子経衡(つねひら)のものとする説もある。
なお、この二つの墓には、二荒山神社にかかわる悲話(ひわ)が伝えられている。

(説明板より)

樋爪氏の墓



史跡 | 14:27:53 | Comments(0)
宇都宮貞綱・公綱の墓
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宇都宮貞綱(さだつな)・公綱(きんつな)の墓

境内に、宇都宮貞綱・公綱の墓といわれている五輪塔(ごりんとう)がある。
宇都宮貞綱(1264?~1316)は8代宇都宮城主で、弘安4年(1281)、元(げん)軍の襲来のとき、16歳で大将軍として九州に出陣した。
晩年に出家して法名を「蓮昇(れんしょう)」、法号を「興禅寺(こうぜんじ)」といった。
寺の名はこの法号によるものである。
宇都宮公綱(1302~1356)は貞綱の二男で9代城主となり、鎌倉時代から南北朝の動乱期にかけて活躍した武将である。
大坂四天王寺(してんのうじ)に陣を構えた楠木正成との戦いは、宇都宮氏を中心とした東国武士の武勇を示すものとして名高い。

(説明板より)

宇都宮貞綱・公綱の墓


史跡 | 14:11:39 | Comments(0)
御橋
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御橋(みはし)

ここには、釜川を渡るための橋が架けられ、御橋と呼ばれていました。
この橋は、宇都宮城主が大手門から二荒山神社に参拝するときに渡ったといわれ、元和5年(1619)、本多正純(ほんだまさずみ)が大手門を江野町(えのまち)に移してからは、一般の人も渡れるようになったと伝えられています。

(説明板より)

御橋

史跡 | 13:37:39 | Comments(0)
二宮金次郎墓域
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二宮金次郎墓域
二宮町指定史跡

二宮翁の娘文子(富田亮慶夫人)は嘉永6年(1853)真岡東郷陣屋で難産(死胎分娩)で逝去し、親子とも両親の指示により当院に葬られた。(行年30才)
二宮翁は安政3年(1856)、日光神領復興仕法 中今市役所で逝去され(行年70才)、今市の如来寺にに葬られたが門人横山平太(桜町陣屋代官)がその遺髪を奉じて娘墓の側に葬った。
領主宇津釩(はん)之助は明治5年(1872)東京で逝去され目黒の安養院に葬られていたが(行年81才)明治15年桜町三村の旧領民がその功績を慕って、墓石を建立し供養した。
横山周平は天保4年江戸で逝去したが(行年36才)、息平太桜町陣屋代官として赴任し、明治維新当地に永住することになったので、父子ともに当院に葬られた。
吉良八郎の娘素今は文久2年(1862)真岡東郷陣屋で逝去、両親の手で当院に葬られた。
父八郎は明治5年桑島村(宇都宮市)にて逝去、娘墓の側に葬られた。

(説明板より)

二宮金次郎墓域


史跡 | 13:03:48 | Comments(0)
桜町二宮神社
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桜町二宮神社(さくらまちにのみやじんじゃ)

二宮尊徳没後50年の明治38年(1905年)に、二宮尊徳の遺徳を偲び、霊を祀って隣の桜町陣屋内に創建されました。
昭和11年(1936年)の二宮尊徳没後80年に現在の位置に移り、社殿も新たになりました。
毎年、二宮尊徳の命日である11月17日8(旧暦の10月20日)に祭礼が執り行われます。
なお、当神社の南の蓮城院には、二宮尊徳のお墓があります。

環境省・栃木県

(説明板より)

桜町二宮神社


史跡 | 12:52:19 | Comments(0)
桜町陣屋跡
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国指定史跡 桜町陣屋跡現存建物

この建物は、二宮尊徳が桜町領復興の拠点として、居住したものです。
文政6年(1823)の尊徳着任時に建設されました。
建物は、数度の改築や修復を経ています。
一時期、現在の建物より西側に建物が伸びていたことも、発掘調査などから分かりました。
平成9年から12年の建物解体修復工事では、これまで地元の人々が大切にしてきた経過を尊重し、尊徳が居住した天保10年(1839)当時の姿に復原しました。
この年に屋根の茅を葺き替えていますが、その記録と現在の規模が一致するためです。

二宮町教育委員会

(説明板より)

国指定史跡 桜町陣屋跡
所在地 栃木県芳賀郡二宮町大字物井105番地13他
敷地面積 21,297.69㎡(史跡指定内 14,322.46㎡)

桜町陣屋跡は、二宮尊徳(金次郎)がこの一帯の農村復興に務めた拠点です。
文政6年(1823)に着任し、以来26年間の永きにわたり桜町陣屋に居住しました。
陣屋の建物は、尊徳が着任したときに建設され、その後増改築を経て現在に受け継がれています。
当時、陣屋内には、主屋(役所兼住居)ばかりでなく、長屋・木小屋などがありました。
発掘成果をもとにその位置が示してあります。
桜町陣屋は、元禄12年(1699)に小田原藩大久保家の分家宇津家が、この地に陣屋を構えたことにはじまります。
桜町領(物井・横田・東沼村)は、公称4000石とされる豊かな土地になりましたが、100年後には、実質1000石にも満たないほどに田畑は荒れ果て、人口も激減してしまいました。
疲弊した桜町領を復興したため、二宮尊徳が抜擢されました。
尊徳は、相模国栢山村(神奈川県小田原市)出身の農民ですが、小田原藩家老服部家の財政再建において、すでに実績を認められていました。
尊徳は家族そろってこの地に移り住み、さまざまな苦労の末、桜町領の再興を果たしました。
「桜町仕法」と呼ばれる尊徳の復興手法は、相馬藩・小田原藩などでも実践され成功を収めています。
明治元年(1868)桜町陣屋は廃止され、昭和7年(1932)国の史跡に指定されました。

(説明板より)

桜町陣屋跡


史跡 | 11:27:35 | Comments(0)
専修寺
史跡 専修(せんじゅ)寺境内
二宮町大字高田1482番地
境内面積464アール(1406坪)
昭和42年7月6日 国指定

親鸞は承元元年(西暦1207年)法難にあって越後国に配流されたが5年ののち罪を許されて関東に入り常陸国稲田に滞在布教の為この地に巡鍚されたとき大内氏一族の懇請によって一宇がつくられたのが専修寺の始まりと伝えられている
信州善光寺感得の一光三尊仏を本尊としのち真仏(二代)さらに顕智(三代)にうけつがれ東国における初期真宗教団の根本道場として隆盛をみるに至った
寛正6年(西暦1465年)真慧(十代)は伊勢一身田に専修寺をつくり本山としたので以来この土地は下野国旧本山と称されるようになった
御影堂如来堂等その大半は江戸時代の再建にかかるものである
後堀河天皇(第86代)勅願所としても世に知られている。

(説明板より)

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重要文化財建造物
総門
昭和56年6月4日国指定

親鸞上人によって建立された専修寺の伽藍は嘉禄2年(1226)にととのったが、その後2回の火災によりほとんどの建物が失われてしまった。
この総門は唯一つ残った草創当初の建物と伝えられている。
現在境内の建物のうちで最も素朴で萱葺の薬医門である。

昭和56年12月
二宮町教育委員会

(説明板より)

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重要文化財建造物
楼門
昭和56年6月4日国指定

総門と如来堂との軸線上に建っているこの楼門は、元禄年間(1688~1703)の建築である。
『高田山』の扁額は前天台座一品公猷親王の筆である。

昭和56年12月
二宮町教育委員会

(説明板より)

重要文化財建造物
如来堂
昭和56年6月4日国指定

親鸞上人の建立から2回建てかえられ、現在のこの御堂は元禄14年(1701)に再建されたものである。
屋上には菊の紋章が掲げられており、向拝の上に大きな千鳥破風があり、周囲に縁高欄を回すなど精巧をきわめ、元禄時代の特徴が良く現れている。
また礎石には巨大な自然石が用いられ、親鸞建立時のものと伝えられている。
この堂奥の金庫には善光寺伝来の一光三尊仏が秘仏として安置されており、17年に1回開扉されるが平素は御前立の三尊仏のみが拝される。

昭和56年12月
二宮町教育委員会

(説明板より)

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重要文化財建造物
御影堂
昭和56年6月5日指定

今から凡そ250年昔の建造物で中央の大きな御厨子に御開山の親鸞上人を祀る木像は上人自刻の等身の御影といわれる、右奥に真仏上人左奥に顕智上人を安置する、三像何れも県指定の重要文化財である。
屋根は茅葺・瓦葺・銅板葺と変わっている 間口13間 奥行11間半 当地方では珍しく大きな建造物である。
真仏、顕智両上人は国重文になりました。(平18年)

高田山専修寺

(説明板より)

専修寺

史跡 | 10:50:14 | Comments(0)
宇都宮へドライブ!
水戸藩士の“シミズくん”から「宇都宮方面へ史跡めぐりに行きませんか?」とのお誘いを受けた。
どこを巡るかは、いつものように彼にお任せ。
「このクソ暑い中、わざわざ暑い宇都宮に行くの?」とからかいながら・・・・行こう!行こう!(笑)
家の中でゴロゴロしていても仕方がない。
引っ張り出していただき、ありがたい!

最初に向かったのは栃木県芳賀郡二宮町。
偶然見つけた『さむらい刀剣博物館』に立ち寄る。
個人でやっている博物館のようで、我々以外に客はいない。
鎧兜や刀剣が展示されている。
ここをサラリと見学して、専修(せんじゅ)寺へ。

DSC09431.jpg

この寺は親鸞上人が建立したとかで、親鸞上人のお墓がある。
境内をブラブラして親鸞のお墓に参る。
拙者は曹洞宗であるが・・・・まぁ、いいかぁ~(笑)

続いて『二宮尊徳記念館』という小さな資料館を見学。
入場無料である。
しかも展示品を個別に撮影しないのであれば館内の撮影をしてもいいと許可が出た。
「ホームページに写真を載せたいんですが・・・」と話したら、「大いにアピールしてください」と気持ちのよいお言葉を職員の方から頂く。
うるさいことを言う施設が多い中で、こういうことを言ってもらえると嬉しいものである。
気さくな職員の方とおしゃべりをして、裏手にある『桜町陣屋』を見学。
この陣屋は二宮尊徳がこの一帯の農村復興を行った拠点である。
つづいて直ぐ隣にある『二宮神社』をお参りする。

ここから直ぐ近くにある『蓮城院』というお寺に向かう。
ここには二宮尊徳のお墓がある。
二宮尊徳という有名な人のお墓があるにしては、パッとしないお寺・・・・(笑)

その次は・・・・拙者の希望で宇都宮市内の『宇都宮城』へ。
途中、適当に入った中華料理店でマズイ焼きそばを食べ(笑)、城跡に向かう。
その昔、まだ城跡がただの原っぱだったころ来たことがある。
お城が復元されたというので来てみたのだが・・・・
なに・・・これ?

DSC09439.jpg
DSC09440.jpg

なんともお粗末で中途半端な「復元」・・・・・
ダメだこりゃ~
「復元」なんてとんでもない。
櫓の形を模した公衆便所と変わらないくらいのお粗末な「城跡」である。
ガッカリ・・・・
こんな中途半端な施設のために何億のお金を投じたのだろうか?
城址の公園は防災公園としての機能ももたせているらしい。
その為、土塁のど真ん中をくり抜き公園への出入り口を打ちっ放しのコンクリートで作っている。
この時点で、既に「復元」ではない。
土塁のど真ん中をくり抜くなんていう馬鹿なアイディアを出したのは誰なんだろうか?
お城マニアには絶対評価されない施設である。
同じ金をかけるなら嘘でもから天守閣の形の郷土資料館でも建てたほうが良かったのではないか?(笑)
あ~あ~呆れかえってため息しか出ない。

車は市内の100円パーキングに駐車して、徒歩で市内を移動。
下手に車でウロウロ走り回るよりこのほうがいい。

東小学校内に、蒲生君平(がもうくんぺい)の銅像を発見!
蒲生君平は「寛政の三奇人」の一人。
「寛政の三奇人」とは、蒲生君平、高山彦九郎、林子平である。
続いて興禅寺で宇都宮第8代城主の宇都宮貞綱の銅像をゲット!
「おおっ!」とはしゃぐ拙者を横目に“シミズくん”は苦笑い。
銅像の写真が撮れれば拙者はご機嫌なのだ!(笑)
興禅寺内の墓所を散策する。

続いてテクテク歩き、偶然、三峰山神社という小さな神社の前に来た。
その中に「樋爪(ひづめ)氏の墓」というのがあったが・・・・
「ん?誰?その人・・・・」(笑)

続いて『清厳寺』に向かうが、おしゃべりをしながら向かったので注意散漫・・・・
間違って隣の関係ないお寺に入ってしまった。
が・・・偶然とは恐ろしい・・・
墓所の一番手前に「陸軍中将 那須弓雄の墓」が・・・
なにげなく墓石を見てみたら、なんとガダルカナル島で戦死されている。
あらぁ~9月にガダルカナル島に慰霊に行く予定なのだ!
なんという偶然であろうか!

境内を散策して間違ったお寺に入ったことに気がつく。
ここは『妙正寺』であった!
二人で大笑い。

『清厳寺』には「鉄塔婆(てつとうば)」という鉄製の塔婆がある。
この鉄製の塔婆は全国的にも例のない貴重なものだというので、それを見ようということでこの寺を訪ねた。
で・・・・境内を散策したら・・・・
あっ!み~つけっ!(笑)
「第3飛行隊戦友の碑」!!
こういう碑があるとは知らなかった!
おお~・・・・っと相変わらず大喜びしたので・・・またもや“シミズくん”に呆れられる。
碑文によれば正式には陸軍航空輸送部第3飛行隊。
戦闘機などの空輸補給に従事していた部隊らしい。
ほぉ~こういう部隊があったのですかぁ~
しかし、なんでこのお寺に「慰霊碑」が建っているのだろうか?
何らかの縁があるんだろうけど・・・・

さて、本来の目的である鉄塔婆は倉庫のような建物の中にある。
「ご自由にご見学ください」の貼紙を見つけたので勝手に扉を開けて中を覗くと、ガラスで仕切られた内部に展示されていた。
へぇ~これが鉄塔婆か・・・・・・
それほど興味があるわけではないので、「ふ~ん・・・」で終わる。(笑)

今回の史跡めぐりはこれで終わり。
時刻は5時・・・・・
うっかり忘れていたが、ここは栃木県なのである。
早く帰らねば帰宅時間が結構遅くなってしまうぞ~(笑)
しかし、どうせだから途中で夕食を食べちゃおう!
どこかで・・・・と思いながら車を走らせているうち、茨城県常陸太田市・・・・・
このままだと、夕食も食べられずに家に着いちゃうぞ!
というわけで・・・・市内の焼肉屋に入って夕食に付き合ってもらう。

途中で夕食に付き合ってもらったせいで、かなり遅い帰宅となってしまった。
“シミズくん”を家に送り届け帰宅する。
彼のご家族には帰宅が遅くなり大変申し訳なし。
しかし・・・今回も充実したドライブ・・・・・
長時間お付き合いいただきありがたし!
感謝!感謝!

日記 | 10:07:07 | Comments(0)
残留日本人の比島戦
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(2007/02)
藤原 則之

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昭和5年に移民としてフィリピンに渡った著者の体験記。
戦前の現地の様子は興味深い。
大東亜戦争が勃発して在留邦人の著者も現地招集となる。
マニラ東方で戦う黒宮支隊に配属されるが部隊は玉砕する。
話は戦闘より、その後の逃避行が殆どだが、良くぞ生き残ったものだと感心するばかり。
私も現地の慰霊に行っているだけに、その景色が目に浮ぶ。
お兄さんと一緒に逃避行をするが、兄は途中で亡くなる。
なんとも悲惨な話である。

本書には、著者の言葉でタガログ語の会話が散らばめられている。
タガログ語を知るにもなかなか面白い。

「まえがき」に著者は以下のように書いている。
「日本人は損得の感情を抜きにして隣国フィリピンに援助の手をさしのべるべきであると私は思う。大和の国日本は、いつの時代でも世界平和に貢献する精神を忘却してはならない。崇高なる大和魂は、政治家にも軍閥にも宗教家にも悪用されてはならない。有色人種であるアジアの諸国民は、現在、欧米の白色人種に比較して同等の待遇を享受しているとは思えない。戦時中、帝国政府の提唱した大東亜共栄圏の構想は、天意だと私は信じて疑わない。ただ軍閥の首脳が大和の精神を悪用したために、天意の成就が一頓挫したものと私は思っている」

私も同感である。
それにしても在留邦人としてかなりの苦労と悲惨さを体験したであろうに、こういうことが言えるとは、さすが海外で活躍していた人は違うと感じた。
被害者意識ばかり強い「戦争体験談」が多い中で、どことなく淡々とした著者の体験談に好感が持てた。

読書 | 13:16:20 | Comments(0)
俺しかいないだろ?
今朝、親父がボソボソと言う。
「今日気がついたんだが、お風呂や洗面台がピカピカになっているんだよなぁ~不思議なこともあるもんだなぁ~」
「はぁ?」
「いつの間にか綺麗になっているんだよなぁ~不思議なんだよなぁ~」
「・・・・・あのね・・・・」
この家には親父と拙者の2人しか住んでいないわけですから・・・
自分じゃなければ、誰がやったのかは想像がつくと思うんだけど・・・・
「おぉ~お前が磨いたのか?不思議だなぁ~と思っていたんだが、お前かぁ~」
なんとも困った親父である。
ボケたか?

日記 | 11:48:19 | Comments(0)
お中元が届く
このところ戦友会の方からお中元が届く。
送り主は拙者よりもはるかに年上の方々である。
目上の方々からお中元をいただくというのも変な気持ちである。(笑)

今日は愛媛の“ヤノさん”からお中元が届いた。
早速、お礼のお電話をかける。
「いやぁ~元気で生きてるよ~・・・という報告で送っただけだから」とおっしゃる。
いやはや、かたじけない。
「あんたの活躍はあちこちから伺っているよ。これからも頑張ってくれよ~」とおっしゃる。
ん?あちこち・・・ってどういうこと?(笑)
そんなに噂になっておるのか?(笑)
嬉しいやら恥ずかしいやら・・・・である。

しかし、お礼はどうしようか・・・・
なんとも困ったぞ。
お中元を頂いたから、急いでこちらもお中元を送ったら「そういう意味で送ったんじゃない!」と叱られそうだしなぁ~
やっぱり旅先からお土産を送るのが「自然」でいいような気がするんだけど・・・
そうなると、早くどこかに旅行に行かねば・・・・(笑)

次々と「おじいちゃん」達からお中元が届くので親父は呆れ顔。
お中元の量でははるかに親父を凌ぐのである。(笑)
どうだ!息子の偉大さがわかったか!(笑)

日記 | 11:29:46 | Comments(0)
第2回総合危機管理講座
今回の講師は手嶋龍一氏。
元NHKのワシントン支局長。
NHKのニュースで何度もお顔を拝見した方である。
今回のテーマは『大統領選に見る新しいアメリカ』
2008年米国大統領選挙の話。
まずは、民主党候補のヒラリーとオバマの選挙の話。
我々はあまり彼らのことをよく知らないが、今回の話でお二人ともかなり優秀な人だということを知る。
「天才的才能」の持ち主。
日本の政治家とは「格」が違う。
ヒラリーのわずか10分ほどのスピーチには恐ろしいほど豊富な内容が盛り込まれているという。
翻訳された日本語字幕では書ききれないくらいの内容だという。
そうなると・・・じかに英語で聞き取れないとダメだなぁ~
やはり英語は大事か・・・・
英語ができないとイカンなぁ~
少し勉強しようか?今からでは遅いかもしれないかも知れないが・・・(笑)
そのヒラリーが予備選でオバマに負けたのは「賞味期限切れ」だという。
中々面白い分析。
「マスコミに出ていい事なんかないですよ。私もマスコミに出ていいことは一度もなかった。みなさんもマスコミに出ようなんて思わないほうがいい。ろくなことはありません」と笑いを取る。
あの“ホリエモン”もあれほどマスコミに出なければ、あんなことにはならなかっただろうという。
拙者もそう思う。
マスコミは諸刃の剣である。
時代の寵児ともてはやされて、その後引き摺り下ろされた例はいくらでもある。

続いて民主党候補者オバマ氏と共和党候補者マケイン氏の政策比較等のお話。
マケインについてのエピソードは聴講していた佐々淳行さんからのご披露もあり、なかなか面白いお話だった。
日本にとって誰が大統領になると得なのか・・・・
各候補者のスタッフを含めて考えねばならない。
日本の国益という視点で見守らねばなるまい。

日本のマスコミについて・・・・
「ジャーナリズムとは“演説”することではない」と手嶋氏はいう。
情報番組等がテレビで氾濫しているが、「けしからん」と延々と“演説”することはジャーナリストがすることではない。
食品の偽装問題にしても国民誰もが「けしからん」と思っていることを毎日“演説”することはジャーナリストがやることではない。
国民の殆どが知らないことを伝えるのがジャーナリストである。
ごもっとも!

最後に質疑応答。
3人目の女性聴講者の質問にはさすがに呆れた。
ダラダラと自分の意見を述べながら・・・・結局何を聞きたいのかさっぱりわからない。
すでに時間は8時40分!
意味不明の質問で大幅に時間がロス。
これは主催者側の「危機管理」のミスである。
既に時間は過ぎているのに欲張って「もうお一人」と3人目の質問を受け付けてしまった結果である。
こちらは9時30分の最終の特急に乗らねばならぬ!
焦る焦る!
今晩もホテル探しをする羽目には陥りたくない!(笑)
またもや終了と同時に会場を飛び出し・・・・
ギリギリ終電に間に合う。

東京に勉強に行くのも楽ではない・・・・(笑)




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日記 | 10:29:51 | Comments(0)
戦車第2師団みたま祭
今日も靖国神社・・・・
昨晩帰宅してまたもや上京!(笑)
我ながら呆れるここ数日・・・・

今日は戦車第2師団の会員と会う予定。
前回の時に、今日、また会いましょうという話になったので来たのだが・・・
集合時間の6時にやってきたのは“イイヅカ曹長殿”。
90歳の曹長殿がヒョコヒョコと現れた。(笑)
お年の割には身が軽い。(笑)
が・・・その後は誰も現れない。
あれぇ~?????
1時間も経って、ようやく来たのが遺族の“イシワタさん”の娘さん。
彼女の話によれば、“サトウ軍曹殿”は足の調子が悪いので欠席、“マツナガさん”は昨日お参りしたので今日は来ないとのこと。
おい、おい・・・・言いだしっぺが誰も来ないなんて・・・・
「みたま祭り」といっても我が戦友会は昇殿参拝するわけじゃない。
各自に拝殿でお参りして、集合時間に間に合うように集まって、どこかで食事をしながらおしゃべりをしようという、戦友会の有志の非公式の会合。
こういう機会に会の運営の話やらの打ち合わせもするのだが・・・
あらら・・・誰も来ないなんて・・・・

3人で近くの居酒屋に行き食事。
“イシワタさん”の娘さんは子供のこともあるので・・・と途中で帰る。
ということで・・・“イイヅカ曹長”と拙者の二人となる。
まさかこんなことになろうとは・・・・
連日の東京日帰りになるのはキツイなぁと思っていたが、やっぱり来てよかった。
これで拙者が来ていなかったら大変なことになっていたぞ。
“イシワタさん”は1時間も遅刻なんだから・・・・
90歳の曹長殿が一人で靖国神社の境内をウロウロということになるところだった。
寂しい思いをさせて一人で帰ってもらうことになるところであった。
これじゃ、拙者が毎回、何があっても来なくちゃならないなぁ~と思う。

ビールで乾杯後「日本酒を飲もうよ」と曹長殿。
「何がいいですか?」
「生酒で・・・甘口のお酒がいいなぁ~」と言う。
お酒が出て一口飲んだら・・・・
「ん?これ甘いね~」
「はい、甘口ですから・・・」
「これやめて・・・やっぱり辛口にしよう。これ、あんたが全部飲んでね!」
ヒエェ~!!
「これ・・・私が全部飲むんですか!(笑)」
参ったなぁ~
拙者は普段あまりお酒は飲まないのである。
にもかかわらず、すでにビールを飲んでるし・・・更に今度は日本酒ですかぁ~(笑)
う~ん、やむを得まい。お付き合いじゃ!
「は~い、いただきま~す!」(涙)

酒を飲んで大いにおしゃべりをし・・・・時計を見たら・・・・そろそろヤバイ・・・
「もうそろそろ帰らないと・・・」
が・・・しかし・・・なかなか話が終らない。
ようやく一段落ついてお店を出て地下鉄九段下駅へ。
「で・・・曹長殿はどうやって帰るんですか?」
「ん?東西線の神保町で乗り換えて・・・」
「はぁ?東西線には神保町って言う駅はないですよ。それは、半蔵門線でしょ?」
「いや、東西線で来たんだから間違いない」
マイッタァ~うっかりしていたぁ~
90歳が酒を飲んだらどうなるか・・・・予想していなかったぁ~(笑)
危機管理セミナーを受けていながら危機管理ができていない。(笑)
駅員に尋ねたらやっぱり半蔵門線だというので、半蔵門線乗り場まで案内して別れる。
ちょっと心配だが・・・こちらも時間がない。
ちゃんと電車に乗るところまで確認したいのだが、こちらも上野に急いで行かねばならぬ。
気にはかかるが・・・・やむをえない。
予想外の時間ロス!
早歩きで歩くと酔いが回る~(笑)

ようやく上野駅に着いたが・・・・
時刻は9時32分!
終電の特急に乗り遅れたぁ~!2分遅かったぁ~!(涙)
こんなことならホテルを予約しておけばよかった・・・・
今晩はホテル探しとなる。
トホホ・・・・

日記 | 13:53:20 | Comments(0)
騎兵第14連隊会みたま祭
今日は靖国神社の「みたま祭り」
これに合わせて、騎兵第14連隊会が靖国神社に集まる。
集合時間は11時。

以前、御祖父さんがこの連隊出身だというお孫さんの“オグラさん”からメールをいただいていた。
残念ながら拙者の祖父と“オグラさん”の御祖父さんとには接点はない。
拙者の祖父が騎兵第15連隊に異動した後、騎14に来られているので擦れ違い。
みたま祭り後の直会に参加してみたいとのことなので、今回、戦友会にお連れして皆さんにご紹介することにした。
が・・・メールのやり取りだけでお会いしたことはない。
会ったことのない人を紹介するというのは難しいよなぁ~(笑)
ということで、集合時間より1時間ばかり早い10時に遊就館の喫茶コーナーで待ち合わせをすることにした。

そうなると・・・当日では遅刻してしまうので、昨晩上京してホテルに前泊。
一昨日はセミナーに日帰りで出席して、昨日はホテルに宿泊である。
まぁ~東京を行ったり来りと忙しいこと。(笑)

無事に予定通りにお会いして自己紹介。
「御祖父さんに関する資料なんかを持参すると皆さんと話しやすいですよ」と伝えておいたので、資料を持参されて来たが、よく御祖父さんの足跡を調べられている。
大したものだ。驚いた。

集合場所で記念写真を撮り、偕行社で直会。
元空挺部隊の筋金入りの猛者である“タナカ会長”より、「君から紹介したまえ!」と命じられ(笑)、“オグラさん”をご紹介する。
彼の御祖父さんを知っている可能性がある人となると13年兵か14年兵。
そうなると“タカギさん”くらいしかいないかなぁ~
でも、御祖父さんを知ってる知らないにかかわらず、どんどん会員に話しかけるように“オグラさん”に伝え、拙者はあまり首を突っ込まないようにした。
拙者が首を突っ込んじゃうと他の話で盛り上がっちゃうかもしれないからねぇ~(笑)
初めての参加で心細いだろうが、ここは本人一人で当ってもらったほうがいい。

いつものように酒を飲み盛り上がって解散。
我等2人は近くの喫茶店でおしゃべり。
「“タカギさん”が祖父と同じ戦場で戦ったことがあるって言ってました」と“オグラさん”は大喜び。
いやぁ~もしかしたら・・・と思っていたが、やっぱり“カタギさん”かぁ~
よかったぁ~
多少でも収穫があって本当に良かった。
紹介した甲斐があった。
その後、彼は遊就館を見学に、拙者は真っ直ぐ帰ることにして別れる。

彼は元自衛隊員、退職後、現在は厚木基地に勤めているという。
「厚木基地をご案内しますからどうぞ取材に来てください」とのお話をいただく。
これまた嬉しい話。
そのうち是非、お邪魔しよう!(笑)

日記 | 11:46:39 | Comments(0)
第1回総合危機管理講座
この間、どうせ暇なんだし・・・・ということで、首都東京大学オープンユニバーシティ特別講座『総合危機管理講座』の受講申し込みをした。
前期・後期合わせて24回の講義で、来年の2月まで続く。
今日は、その第1回の講義である。

夕方、特急に乗って上京。
オープンユニバーシティはJR飯田橋駅前にある。
少し早目に到着して、近くの喫茶店で読書をしながら時間調整。

第1回目の講師は森本敏氏。
受講者は軽く100名を越える。
自治体、防衛省、警察、一般企業の危機管理担当者などが参加しているという。
今回のテーマは『国家の危機管理と日米同盟』
話はほとんどが日米安保条約の話・・・・
配布資料で条約文を生れて初めて見た。
本当はこんなことじゃダメだよなぁ~
学校で少しは勉強しておくべきだよなぁ~
社会科で現代史を全然勉強しないというのはマズイだろう。
一般国民はそのまま大人になってしまうのである。
我が国にとって国家存亡の要となる日米安保条約とは何かも知らずに・・・・・
まさしく、これこそが国家的危機ではないだろうか?

夜7時から8時半までの講義。
質疑応答で少し時間がオーバー。
我が家に帰るには9時半の終電に乗らねばならぬ!
急げ!
終了と同時に真っ先に会場を飛び出す。(笑)
終電15分前に上野駅に到着し、駅弁を買って無事に帰途に着く。
しかし、これを毎回繰り返すのか~
結構ハードなスケジュールだなぁ~(笑)




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日記 | 10:55:08 | Comments(0)
鬱か?
今日はとにかく調子が悪い。

いつものように午前3時に就寝・・・・
目が覚めたのが午前6時前・・・
で・・・もう1回寝て・・・(笑)
それからは1時間に1回の割合でチョコチョコと目が覚める。
が・・・・起きられない。
さすがに親父が心配して部屋を覗きに来たのが12時。
「どうした?」と声をかけられたのは覚えているが寝ぼけていたのか意識朦朧。
結局、完璧に目が覚めたのが午後1時!
当然、腹が減っているはずなのだが、あまり空腹感がない。

朝食兼昼食をとり・・・
じゃぁ~何かをするかというと・・・・何もする気が起きない。
とにかく眠い。
あれほど寝たのにまだ眠いのだ。
ボ~ッとしているうちに夕方!

な~んにもやる気が起らないままに1日が過ぎてしまった・・・・
マズイ・・・・
人生・・・短いというのに・・・・
鬱か?
まさか・・・・

やらねばならぬことが山積・・・・
読まねばならぬ本が山積み状態。
いつまでたっても進まない。
手紙の返事を書かねばならぬ相手が何人もいて・・・・
メールを出さねばならぬ相手が、これまた何人もいて・・・・
作成せねばならぬ書類があって・・・・
調べ物も課題が山ほど残っている。
ホームページも更新しなくちゃならないし、ブログも書かねばならないし・・・・
あれもこれも遅れに遅れている!

これがいけないのか・・・
毎日、これを何とかせねば・・・・と思ってばかりいたから、精神的におかしなことになってしまったのだろうか?

体調はどこも悪くないのだが・・・
脳みそがおかしい・・・・

マズイ・・・非常にマズイ・・・・
明日はなんとか元の調子に戻さねば・・・・・

日記 | 23:21:17 | Comments(0)
生体解剖
生体解剖―九州大学医学部事件 (中公文庫 M 168-2)生体解剖―九州大学医学部事件 (中公文庫 M 168-2)
(1982/01)
上坂 冬子

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本書は、戦時中に九州大学医学部で起ったB-29搭乗員を生きたまま解剖したという事件についての話である。
なんともショッキングなテーマである。
題名が「生体実験」ではなく「生体解剖」というところが異様な事件であったことを物語る。
筆者は関係者に取材を試みるが、「触れられたくない事件」に関係者の口は重いが・・・
戦犯裁判記録と関係者の証言から徐々にこの事件が明らかになってくる。

撃墜されたB-29から脱出し日本軍に収容されていた搭乗員のうち8名が九州大学医学部に送られた。
そこで「実験」が行われたと一般には噂されていた事件だが・・・・
その内容は克明に記載されていて、医学の知識がない私でも読んでいて気分が悪くなるほどである。
筆者も、この部分に関しては一切の引用を認めないと但し書きするほどの内容である。
「実験」なら、その記録が残り、何らかの成果もあるはずだが、その記録はない。
ただ、米兵を切り刻んで殺してしまったというだけである。
医学の発展のため寄与したわけでもない。
だから・・・「解剖」なのである。

本書は、単に米兵を解剖して殺してしまったという凄惨な事件を暴露したという単純な話ではないと思う。
これは収容していた米兵を管理する軍の命令だったのか・・・・
戦後、戦犯として収容され、自殺した医学部関係者が首謀者だったのか・・・
この「解剖」に加担した医学部関係者の教授、助教授、助手などの関係は現在でも通じる話である。
非人道的で無意味な「解剖」を実行し、部下に加担を命じる上司に従ってしまう人間の弱さ・・・・
勝手に「軍の命令だろう」と思い込む当時の状況。
米兵の「処置」と、生きたままの献体を得て、臓器見本が手に入るという「一石二鳥」の発想・・・
大学医学部とは本来は何をすべき場所なのか・・・・
「捕虜の処置」ということなら、こういうことに大学医学部が関与すべきではない・・・を口に出せない状況。
こういうことのほうが問題かもしれない。
更には摘出した米兵の肝を食べたという事実無根の「食肉事件」の尾ひれまでついてしまう。
思わせぶりな態度から派生した「身から出た錆」的な事件だが・・・・
なぜ「さもありなん」という事件がでっち上げられてしまったのか・・・
すべて・・・・人間性の問題ではないだろうかという気がする。

周りの状況次第では、まともな人間も流されて非人道的な行動をしてしまうという人間の弱さがわかる好著であると思う。

読書 | 10:37:18 | Comments(0)
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