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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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飲み会!
“シミズ君”を自宅に送り届け、急いで帰宅。
今晩は“ケムちゃん”と飲み会なのである。
帰宅して直ぐにお迎えが来る。
ギリギリセーフ!(笑)

面白いことに、今度は先輩の“ケムちゃん”の運転する車に拙者が乗せてもらって飲みに行くことになる。
世の中はうまく出来ているのだ・・・・・(笑)

最近出来たばかりの和風のお店でお食事。
そこに“ネモケン”が合流。
彼は年齢では拙者の1年後輩、JCでも後輩という仲・・・・
で・・・・仲が悪い。(笑)
彼が工事したお店だということで、彼の勧めもあって“ケムちゃん”がここに決めたのだろう。
で・・・彼も呼んだのだろう。

「お前等は仲が悪かったもんなぁ~」と“ケムちゃん”
仲が悪いなんてものじゃない。
絶交状態だったんだから・・・・(笑)
ん?
“ケムちゃん”は我々を仲直りさせるために仕組んだのか?
もう10年近く前の話だもんなぁ~
今更・・・という気がしないでもない。

今から10年ほど前・・・なんで拙者が怒り心頭に達して絶交状態になったのか・・・・
10年経って少しはわかっただろうかと思って“ネモケン”に尋ねてみたが・・・・
彼は「覚えてない」ととぼけるばかり・・・・
あらら・・・やっぱりわかっていなかったか・・・

彼は簡単に言うと・・・・
上司の命令を聞かない。
筋論は無視、自分の感情中心で動く。
上司の名を語って自分勝手な方針を推し進める。
まるで、旧陸軍の悪弊を地で行く行為。
彼は戦史には全く知識がないのに、何故か旧陸軍の悪弊を継承しているのだ。
ということは・・・・
日本軍人だから・・・という問題ではなく、そもそも日本人にはこういうところがあるのかもしれない。

拙者が怒り心頭に達した事件は・・・
JCのある企画を相談しに彼が訪ねてきた時に拙者はその企画に反対をした。
ところが・・・根回しの段階で、拙者に相談をして了承を得たと触れ回ったのである。
「まさか、こんな企画を承諾するはずはない」と疑いを持った理事数名が拙者に確認の電話をして来て事の次第が発覚!
彼を呼びつけて怒鳴りつけたが・・・彼は意に介せず・・・・
「何が悪いんですか?」
「勝手に俺の名を語ったろ?俺は反対だって言ったはずだぞ!」
「仕方がないじゃないですか~この企画を理事会で通したかったんだし・・・」
「何で嘘をつくんだよ!」
「そう怒らないでくださいよ」
もう、話にもならん。
お粗末な企画が実行されて問題が起これば承諾したことになっている拙者も責任を問われるのである。
部下の勝手な行動で、拙者が戦犯として処刑されるようなものだ!
そこまでして自分の企画を通そうとするその神経がわからない。

その後も、「相談」と称して拙者に会いに来たが門前払い。
「相談した」が、いつの間にか「承諾してもらった」に変わってしまうんだから、危なくて会うことも出来ない。
というわけで・・・絶交!(笑)

「何であの時絶交したかわかってる?」と尋ねたが・・・・
「そんなことがありましたかねぇ~」との答え。
ダメだ・・・・わかっていない・・・・・

その後、彼の会社は倒産した。
彼個人に関する借金は返済して、今は細々と何とか商売をしているとの事。
たいしたものだ。
そういう点は評価する。
拙者にはそんな根性はない。
だから・・・倒産する前に自主廃業したのである。
倒産したら従業員に給料も退職金も渡せない。
彼は従業員に現物支給で勘弁してもらったそうだが・・・・・
拙者の会社の場合はそうはいかない。
廃業の道を選べば、従業員には現金を渡せて次の働き口を探す余裕も与えられる。
玉砕したのではいかんのです。
指揮官は部下が生き残れるように考えなければいかんのです。

彼は倒産しても頑張っているんだからたいしたもんだ。
大いにこの点は褒めたのだが・・・・
「女の子にもてないんですよね~このまま一生終るんでしょうかねぇ~」と馬鹿なことを言い出した。(笑)
おい、おい・・・・
倒産したにもかかわらず、逃げ出さずに支えてきてくれた奥さんがいるだろう?
「今までやってこれたのは、奥さんのおかげだろ?感謝しないとバチが当るぞ!」
「それはそうなんですが・・・でも、女の子にもてたいんですよねぇ~」
「浮気をしたいって言うのか?」
「・・・・」
「俺は独身だから恋愛は自由だけど・・・お前は・・・ダメ!」(笑)

スナックを2軒ハシゴするが・・・・
話はそのことばかり・・・(笑)
ウジウジといつまでも言っているので、さすがにスナックの女の子が避け始める。(笑)
そういう暗い雰囲気だと逆効果なんですけど・・・・(笑)
「俺はダメなんですよねぇ~」
あのね・・・同情してもらおうってすると逆に女の子が離れていくんですけど・・・(笑)
「はぁ~・・・」彼はため息ばかりつく。
参ったなぁ~暗くて酒が不味くなるぞ~
「あのな、お前のその性格・・・その性格を直せよ!」
酔った勢いで、もうボロクソである。(笑)

ようやく解散・・・・
「“ネモケン”は相変わらずだな」と“ケムちゃん”が一言・・・・
ドドッと疲れが出た~
疲れる「飲み会」だったぁ~

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日記 | 21:48:56 | Comments(2)
回天館
DSC09415.jpg

回天館の由来

元治元年(1864)3月27日、尊王攘夷の旗をひるがえして、筑波山に挙兵した藤田小四郎・田丸稲之衛門等のいわゆる天狗党の志士達(当初72名)は、幕府討伐軍や水戸の佐幕派と、各地で激戦を展開した。
やがて小四郎達は、武田耕雲斎(元水戸藩執政)を総大将にあおぎ、その尽忠報国(じんちゅうほうこく)の至誠を、禁裏(きんり)守衛総督として京都に滞在してた一橋慶喜(のちの15代将軍徳川慶喜)を通して朝廷に歎訴のため、常陸大子(ひたちだいご)に結集し、同年11月1日京都へ向けて出発した。
総勢1千余名の志士達は、下野(しもづけ)、上野(こうづけ)(下仁田しもにた)、信濃(しなの)(和田峠)、などにおいて、幕命を受けた諸藩兵と戦い、厳寒の中を飛騨(ひだ)から越前へと深い厳しい雪道の難行軍が続いた。
12月初旬、越前国(福井県)に到着したところで、頼みとする慶喜公が一行に対する討伐を命じたとの報を得て、軍議の結果12月17日加賀藩に降伏した。
志士達823名は越前敦賀(つるが)の三寺院に分散収容され、加賀藩の永原甚七郎らの手厚い保護を受けたが、翌慶応元年(1865)正月29日、幕府討伐軍々監田沼玄蕃頭意尊(げんばのかみおきたか)によって、敦賀にあった16棟の鰊(にしん)(鯡)倉に押し込められ残酷きわまりない処遇をうけた。
同年2月4日から23日の間、総大将の武田耕雲斎や藤田小四郎達353名がl、この鰊倉から引き出され、敦賀の松原において斬首された。
斬首を免れたその他の志士達も流罪・追放などの刑を受け、大半の志士達は故郷に帰ることなく無念の死を遂げた。
以来90余年の時を移した昭和32年、維新回天の大業に殉じた天狗党の忠誠の魂と無念の血涙とがしみ込んだ16棟の鰊倉のうちの1棟が、敦賀市の厚意によって水戸市に寄贈され、常磐(ときわ)神社の境内に移築復元されて「回天館」と名付けられました。
同館は往時を偲ぶ展示館として、拝観者に深い歴史的感銘を与えてきた。
しかし、復元後30数年を経て建物も老朽化し、危険な状態になったところから、この歴史的建物を保存し後世に残すため、水戸の有志が集い、平成元年2月「回天館移築保存会」が設立され、広く浄財を募って、志士達を祀る回天神社の境内に移築再建の事業が進められたのが、この「回天館」である。
「回天」とは混乱、衰微した時勢や国勢を正しい状態に盛り返すことを意味する言葉で、藤田東湖の「回天詩史」の書名も同じ趣旨からつけられたものである。

      時世

  武田耕雲斎
咲く梅の花ははかなく散るとても
               馨(かおり)は君が袖にうつらん

  山国兵部
行くさきは冥土(めいど)の鬼と一勝負(ひとしょうぶ)

  藤田小四郎
かねてより思い染めにし言(こと)の葉を
               今日大君(おおきみ)に告げて嬉しき

平成元年10月吉日
回天館移築保存会
冥々の裡に記す

(説明板より)

回天館



史跡 | 21:40:33 | Comments(0)
水戸殉難志士の墓
DSC09413.jpg

水戸市指定史跡
水戸殉難志士の墓

徳川時代の末、尊皇攘夷をめぐり元治元年(1864)春、「元治甲子の変」いわゆる「天狗党の変」が起った。
この年の秋、那珂湊において幕府軍に降伏した水戸藩執政榊原新左衛門等1千余の志士は、茨城古河、千葉館山、埼玉川越、東京佃島等十数カ所の獄舎、寺院に幽閉され、降伏から明治維新により救出開放される4年間に斬死、幽死、獄死した志士の数は、4百人とも5百人とも云われている。
明治2年、新政府の初代の水戸藩知事となった徳川昭武公は、明治維新の礎として殉難したこれらの志士の遺骸を収容して、常磐共有墓地の一角(現回天神社境内)に埋葬し、同所に「殉難」碑を建立、慰霊顕彰した。
大正3年、「元治甲子の変」より50年を期して斎行された慰霊祭を機に、殉難志士の氏名、年齢、死因、殉難地を調査した結果、371名について判明し、その氏名を刻して墓を建てたのが現在の1号墓所、2号墓所であり、その墓列の総延長は370余メートルと長大なものとなった。
昭和29年、この墓所は水戸幕末の英魂鎮まるところとして、水戸市指定史跡に指定され、歴史的遺産として保存が図られてきたが、近年に至り荒廃が著しく、大政奉還130年目にあたる平成9年秋、水戸市の補助、遺族、崇敬者の寄金、回天神社の拠金により改修事業に着手、平成10年春完了、往時の姿に戻したものである。
国に殉じた志士の鎮魂と、また、これを慰霊し顕彰のために建墓された先人の遺徳が偲ばれる。

平成10年3月
水戸市指定史跡水戸殉難志士の墓保存会

(説明板より)

水戸殉難志士の墓


史跡 | 19:01:41 | Comments(0)
諸生党殉難碑
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諸生党殉難碑・由来碑

尊王思想の志厚い水戸藩主徳川光圀は、明暦3年(1657)『大日本史』の編纂に着手し、その後、130余名の学者などが携わった。
第6代藩主治保の時、半知借上をしても窮迫化の藩財政面から編纂継続の是非をめぐり、彰考館史局内部では、立原総裁派と藤田幽谷派が対立し、立原派は去ったが、明治39年(1906)に4部397巻が完成した。

幕末にいたり、第9代藩主徳川斉昭、藤田幽谷、その子東湖、会沢正志斎らに代表される後期水戸学は、内圧と外圧の現実の問題を深刻に受けとめ、大義名分論に基づき尊王の思想に攘夷論を附加し、独特の学風にしたのでこの攘夷論をめぐる学問上、政治上の抗争と、朝廷より水戸藩に下賜された戊午(ぼご)の密勅の取り扱いや薩長との密約(薩長は建設・水戸藩は破壊)による行動等で対立、藩論が二分、三分し、悲劇の水戸藩朋党(天狗、諸生党)の乱を生むに至ったが、両派とも尊王敬慕の思想では一致していた。

この乱の被害は、栃木、千葉県迄及びさらに水戸藩士のほか婦女子、農民などまでまきこみ、2千数百名の尊い人材を維新の祭壇にさゝげつくした。

諸生党の係わる主な碑は、千葉、茨城、新潟にある。
最後の地、千葉県八日市場の有志は、大正15年4月弔魂碑を建立した。
また新潟県西山町の有志は、諸生党などが戦死した灰爪の丘に平成元年10月北越戊辰の役戦没者供養碑を建てた。
なお、明治17年諸生党の有志が、水戸市神應寺に記念碑(篆額は会津藩主・松平容保公の書)を建立したが、戦災で破損して拓本のみがある。

ここ祇園寺の諸生党殉難碑は昭和9年秋、22名の方々が建立、今年で60周年となるのを機に、歴史に関心もつ有志が主体となり整備の上、諸霊を供養するものである。

平成6年7月吉日
来栖平蔵 撰文

(碑文より)

諸生党殉難碑


史跡 | 16:43:52 | Comments(2)
八幡宮本殿
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国指定重要文化財
建物 八幡宮本殿
昭和29年9月17日指定

本殿は水戸城主となった佐竹氏の守護神の社殿として、慶長3年(1598)に建立されたことが羽目板裏の墨書から推定される。
構造は入母屋(いりもや)造り、こけら葺き、桁行(けたゆき)3間、梁間(はりま)2間、向拝(こうはい)3間をもち、内部は内陣(ないじん)と外陣(げじん)とに分かれ、内陣は3室になっている。
当初は八幡小路(こうじ)(現北見町)に鎮座し、元禄7年(1694)に那珂西(なかさい)村(現常北町)に移り、宝永4年(1707)に現在の地に移築された。
このように本殿は2回にわたり解体移築され、後世の模様替えがあるものの総体に手の込んだ手法で、組物や彫刻などにも、桃山時代の時代色と地方色を現代に伝えている。

水戸市教育委員会

(説明板より)

八幡宮本殿


史跡 | 16:23:35 | Comments(0)
大祓式に行く
水戸藩士の“シミズくん”に誘われて水戸へ行く。
八幡宮の「夏越の大祓式」に行きたいという。
彼は病み上がりで医者から車の運転は止められているので、拙者が運転手として彼を乗せていくのだが・・・・
奥さんには「先輩を運転手に使うなんて非常識だ」と怒られたそうだ。(笑)
な~に、どうせ暇なんだし・・・・
誘われねば外に出かけないような出不精だし・・・・
拙者にとっては外に引っ張り出してもらえるのだから好都合。
「先輩だから・・・・」などという遠慮は要らぬ。
そんなことを言ったら、親父に洗濯や洗い物をさせている拙者は極悪非道である。(笑)
「立っている者は親でも使え」である・・・・

DSC09409.jpg

大祓式では「茅の輪くぐり」の神事が執り行われるのだそうだ。
真ん中のあの輪をくぐるのか?
ふ~ん・・・・
拙者は信心深いように思われているが、実は全くそうではない。
靖国神社にはよくお参りに行くし、昇殿参拝をして代表として玉串奉奠もする。
しかし、それは英霊に対して慰霊の気持ちで行なっているだけのこと。
自分のためにお参りなどはしたことはない。
旅先で神社仏閣にお参りする時も「近所に来たのでご挨拶に伺いました」という程度の挨拶しかしたことはない。
「大祓式」とは今年半年間の自分が犯した罪やけがれを祓い清める儀式らしい。
ん?
拙者は罪を犯した記憶はないぞ・・・・けがれてもいないぞ・・・(笑)
この自覚のなさが罪深いといわれれば罪深いかもしれぬが・・・・(笑)

DSC09408.jpg

「参加しないんですか?」と“シミズくん”に誘われたが拙者はお断りして木陰で式の模様を見学する。
参列者は炎天下の中1時間半以上も座り続ける。
「罪深い人たち」の苦行である!(笑)
当然、その中には「罪深くけがれ多い」“シミズ君”も参列している。(笑)
300人以上は参加したであろう「茅の輪くぐり」の神事。
拙者は“シミズくん”をカメラに収める。
証拠写真!「罪深き、けがれ多き」男が清めてもらっているところの証拠写真!(笑)

遅い昼食をデパートの中の中華レストランでとり・・・・
さて・・・大好きな史跡めぐりをしましょうか?

まず祇園寺に行く。
DSC09412.jpg
ここには飯村丈三郎や中村彜の墓などがある。

続いて回天神社へ・・・・
隣接する墓地には水戸の志士たちの墓や藤田東湖の墓を初めとする多くの郷土の偉人の墓があった。

DSC09414.jpg

夕方までブラブラと墓地内を散策して帰宅する。
う~ん・・・充実した1日であった!

日記 | 14:15:44 | Comments(0)
おしべを取る!
母の1周忌ではたくさんのお花を頂いた。
その中にはユリの花が結構あった。
妹の友人の“ミホちゃん”の話では、ユリの花のおしべを取り除くと花が長持ちするという。

DSC09406.jpg

ということで・・・・
花が開くと、せっせとおしべを取り除くことにした。
う~ん・・・・なんとなく長持ちしているような気がしないでもない。(笑)

DSC09407.jpg
(おしべを取り除いたあとの花)

せっかく頂いたお花である。
出来るだけ長持ちさせて、亡き母を喜ばせてやらねば!

日記 | 14:07:33 | Comments(0)
正論 6月号
正論 2008年 06月号 [雑誌]正論 2008年 06月号 [雑誌]
(2008/05/01)
不明

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本書の最初の部分に4人のコラムが掲載されていた。
何気なく読んでいたら・・・・あれ?
私が4月に参列した「戦没馬慰霊祭」の話が出ていた。
このコラムを書いている女性の方の肩書きは「キャスター・ライター」となっている。
ん?もしかして・・・あの人かな?
当日の慰霊祭には戦友会関係者以外の方と思われる方々が数人加わっていたが・・・
そのうちの、ある女性がいきなり私に声をかけてきた。
正確には覚えていないが・・・「作家の方ですか?」とか「もの書きをされている方ですか?」とか、そのように尋ねてきたように思う。
多分、開会前に“オビカワさん”など戦友会の方々が、「いやぁ~この間は会報に原稿を書いてくれてありがとう!」と私に声をかけてくれていたのを聞いていたのであろう。
不思議なことに、彼女が近づいてきた時に「あ、マスコミ関係者だな」となんとなく感じたこともあり、また、慰霊祭の真っ最中でもあったので、「違います!」と簡単に答えてあしらった。
彼女は「あ~そうですか~」と苦笑して立ち去ったが・・・・
自分の素性を明かさず私の素性を探るというのには少々不愉快な思いをしたので覚えていた。
自分が欲しい情報を得られると思うとしつこく近づくが、得られないと思ったら手のひらを返すようにそっぽを向くという戦没者遺族などを何人も見てきているから・・・この人も同じタイプだろう。
「これも何かの縁」ということでお付き合いするタイプの人ではない。
人との交流より情報だけが欲しい・・・そういうタイプである。
多分このコラムは、あの人が書いたものだろうな・・・・(笑)

特集は北京五輪とチベット紛争の話が並ぶ。
「こんな弾圧を許せるか!チベット僧が語った容赦なき拷問の日々」~トゲ付きの手錠、性器への電気ショック、極寒地に長時間放置・・・中国はチベット人をこの地上から消すつもりだ~
「福田さん、それでも“熱烈歓迎”ですか」
~「友好」の名のもとに人権弾圧を容認したら日本は世界の物笑いになる~
「日本のアスリートに告ぐ!北京五輪開会式で抗議の意思を示せ」
~中国の政治宣伝に与してはならない。真のスポーツマンシップを発揮せよ。~
「チベットの惨状を黙過してはならない。日本人はなぜかくも卑怯になったのか」
~あえて言おう。騒乱の拡大しか人権問題解決の糸口はない~
「中国軍はいかにしてチベットを支配したか」
~“祈り”の地から今や核の戦略拠点に~
「フランスの中国“抗議”の背景にある神聖への畏怖」
~天晴れサルコジ大統領。「冷静に」と呼びかけただけの福田首相と彼我の違いとは~
「中国は五輪を開催する資格があるのか」
~チベットのデモはオリンピックの政治利用への抗議だ。今すぐ中国はダライラマ法王と対話せよ。~

題名を見ただけでも内容はわかる・・・・・
「ごもっとも」である・・・・

驚いたのは、「日本人となるのに忠誠心は必要ないのですか」という記事。
中国人評論家の石平氏が日本国籍を取得した時の話を対談形式で書かれているのだが・・・
日本国籍取得手続きが、日本への忠誠心や帰属意識を確かめることもなく、いとも簡単に取得できたという話・・・・・
当のご本人が呆れているんだから・・・・・
日本という国は一体どういう国なんだろうか・・・・

沖縄戦集団自決訴訟関連の話。
「なぜ大江健三郎“勝訴”なのか。論点をすりかえた判事の支離滅裂」
素人の目から見ても「勝訴」するはずのない裁判なのだが・・・
証人の証言は無視、証拠は都合のいいように解釈・・・・
そういう裁判なら私でも判事が務まるなぁ~(笑)

一番楽しいのが「NHKウオッチング」という連載コラム。
筆者は獨協大学名誉教授の中村粲氏である。
あれもこれも「ごもっとも」の話だが・・・
一番面白かったのが、NHKの24時間放送についてのコメント。
「エコ」だの「地球環境」という報道をしていながら24時間放送をして、電力を浪費し、二酸化炭素排出量を増やしてるんだからねぇ~
まずは、NHK自身が率先して「エコ」をやらねばなるまい?(笑)
そうだ!そうだ!

もう一つの面白い記事。
「“顔”だけで台湾総統に選ばれた馬英九」
~ハンサムなマー様に1票を投じた追っかけオバサンの心理。台湾庶民はすぐに国民党政権に飽きる~
台湾にもミーハーな低レベルのオバサンがいるんだぁ。
日本と変わらねぇなぁ~(笑)

「捕鯨を環境テロリストの“玩具”にされたままでいいのか」
~犯罪行為に手をこまねいていれば次は必ずマグロ、カジキが標的になる~
シー・シェパードの攻撃は国連条約上の「海賊行為」ですが・・・・
日本政府は何をしてるのか・・・・
「海賊」を黙認している日本国民とマスコミは国賊だわなぁ~(笑)

表紙にも載っていない小さな記事・・・・
「アルピニスト野口健がフィリピンに尋ねた“英霊の声なき声”」
~戦後60余年・・・どれほど祖国に帰りたかったろう。平成の日本よ、数十万の遺骨を放置したままでいいのか~
場所はフィリピン・・・・
野口健という人が、こういう活動もしているのを初めて知った。
NPO法人と一緒に遺骨を探す活動・・・・
大したものだと感心する。
遺骨は政府の遺骨収集団しか日本には持ち帰られないことになっている。
個人で遺骨を見つけても日本には持ち帰れない。
だから・・・私はフィリピンでは遺骨収集をしようとは思ったことがない。
いつも慰霊だけで済ませているし、遺骨の情報を集めようとも思わない。
他の人からも日本大使館の対応の悪さはよく聞いているので・・・・
不愉快な思いをするくらいなら、やらないほうがいいと思って、何もしないことにしているが・・・・
こういう活動をしているNPO法人があるんだねぇ~
初めて知りました。
純粋な気持ちで行なうなら大いに結構なことです。
セブ島の遺骨で埋め尽くされた洞窟の写真が載っていたが・・・・
こんなに簡単に(?)見つかる場所に大量の骨があるのに何で今まで政府の遺骨収集団は遺骨を収集していないのか?
不思議である・・・・・

読書 | 00:18:02 | Comments(0)
PTAの講演会
“ウメちゃん”から「今日は暇か?」との電話。
ん?何と失礼な!
「拙者はいつも暇です!」(笑)

今日はPTAの講演会があるので見に来ないかと言う。
「部外者なんだけど・・・・大丈夫?」
「大丈夫なんじゃないかな?」と結構いい加減な返事。(笑)
「僕は市のPTA連合会の役員だし・・・同じ役員仲間っていうような顔して座ってりゃわからないって」
おい、おい・・・・そんなぁ~(笑)

講演会は午後からなので、一緒に早めの昼食を食べにファミレスに行く。
で・・・・話は8月の“ウメちゃん”家族の海外旅行。
5人家族なので数字がチョット悪い。
2人部屋だと一人余ってしまう。
で・・・・奥さんと娘さん3人なので男は“パパ”一人。(笑)
なんとも心細いということで、この間、拙者も誘われていたのである。
これで男2人、女4人・・・部屋割りもちょうどいいんじゃない?
で・・・旅行の行き先は・・・・台湾!
近場で・・・となると台湾が良かろうということになったという。
「はい、はい、拙者は暇ですからどこへでもお供しますよ~」(笑)
「子供たちに一度は海外旅行を経験させないとね~」と“ウメちゃん”
「そりゃそうだけど・・・ん?あれ?まさか・・・・」
「何?」
「子供たちって・・・・パスポート持ってるの?」
「パスポート?・・・そんなの持ってないけど」
「あのね・・・海外に行くにはパスポートっていうものが必要なんですけど・・・・」(笑)
「あっ!」
「忘れているでしょ?」
「あ~・・・・俺も嫁さんも期限が切れてると思う!」
「あのね・・・・・」(唖然)
大丈夫だろうか・・・・この家族・・・・(笑)

午後、講演会場へ・・・・
担当のPTA会長は拙者のJC時代の後輩。
現役時代は“鬼軍曹”としてビシビシと彼をしごいていたので、突然、拙者が会場に入っていったら「マイッタァ~」という顔をして苦笑していた。(笑)
ムフフ・・・どうだ、驚いたろ?あとでアンケートにみっちりと批評を書かせてもらうからな!(笑)

校長先生も来ておられていたので・・・・
何を思ったか“ウメちゃん”・・・・
突然、拙者を校長先生に紹介した!
「校長先生!あの・・・これは私の友人で・・・“戦史研究家”なんです。戦争のことについては詳しいので、何でも聞いてください」
ヒィエ~・・・・・!!
いつの間に拙者の肩書きが“戦史研究家”になっちまったんだ!(驚)
「そうですかぁ~戦争に詳しいのですかぁ~あとで、ゆっくりお話を聞かせてください」
「いや、あの、その・・・」
シドロモドロである。(笑)
マイッタァ~

日記 | 22:48:17 | Comments(0)
戦時中の写真
この間の『戦車第二師団の会』総会に遺族の“イノウエさん”が戦時中の写真を4枚ほど持参してきた。
これは貴重な写真!
4枚のうち2枚は初代師団長である岡田中将が写っている写真。
岡田中将は、この間映画館で封切られた『明日への遺言』という映画の主役である。

明日への遺言 特別版明日への遺言 特別版
(2008/08/08)
藤田まこと富司純子

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是非ともコピーさせていただきたく、お借りしていたのだが、うっかり返却するのが遅れてしまった!
こりゃいかん!
その後どうなったかと心配しておられるだろう。
急ぎ、本日、返送する。

さて・・・この写真・・・
次回の会報編集時に掲載させてもらおう!

日記 | 22:38:10 | Comments(0)
Voice 6月号
Voice (ボイス) 2008年 06月号 [雑誌]Voice (ボイス) 2008年 06月号 [雑誌]
(2008/05/10)
不明

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この雑誌を購入した理由・・・・
それは、特集記事である「知事が日本をダメにする!」が目に入ったから・・・(笑)

地域経営研究会なる団体(?)が採点した「47都道府県知事・ワーストランキング」・・・・
ワースト1は広島県の知事・・・
で、ワースト47・・・つまりベストワンは福岡県の知事さん。
当然気になるところが、我が茨城県の知事さん!(笑)
人間力、構想力、決断力、経営力、発信力とそれぞれ採点され、総合評価点で競われているわけだが・・・・
その「総合評価」には次のように書かれていた。
「大きな失敗もない代わりに全国が注目する成功例も少ない、現行制度のなかでの優等生といえる」
う~ん・・・・確かに・・・・当ってる・・・(笑)

他の知事さんのことは知らないので、このワーストランキングの評価が正当かどうかは知らないけど・・・
ここまで書いちゃって大丈夫なんだろうかと少々心配・・・・(笑)





読書 | 22:09:59 | Comments(0)
草むしり
今日は庭の草むしりをする。
この間やったばかりだと思ったら、もう雑草が伸びている。
何たることぞ~
かといって・・・・まさか庭に除草剤を撒くというわけにもいくまい。
ボチボチとやるしかないかぁ~

庭の草むしりは母の仕事だった・・・・
拙者が手伝ったことは今まで1~2回くらいしかない。
最後の年・・・・母は一人で草むしりをしながら何を考えていたのだろうか・・・・
来年は、もうこの草を抜くことも出来ないだろうと思いながら雑草を抜いていたのだろうか・・・・
そして・・・母は亡くなり・・・今年は拙者が一人で草をむしる。
あの時・・・一緒に付き合って草むしりをすれば良かったかなぁ・・・・
ふと、そんなことが頭に浮んだ。

夕方は・・・“ウメちゃん”と夕食会。
筋肉痛~
草むしりをちょっとやり過ぎてしまったか?

日記 | 21:23:35 | Comments(0)
足がつった!
早朝・・・・
寝ていて突然足がつった!
その痛いことったら・・・・
七転八倒の苦しみである!
声も出せないほど痛いのである!(笑)
しかし・・・目が覚めたわけではない。
半分夢の中のような感じ。
これは現実に足がつっているのか、それとも夢の中で足がつっているのか・・・・よくわからない。

時々このように足がつることがあるのだが・・・・
前回、足がつったのはいつだっただろうか・・・・などと七転八倒しながら思ったりする。
確か母はまだ生きていた頃だったと思うから、多分、1年以上ぶりに足がつったんだろうな・・・・
などと母の亡くなった時期を基準に考えるんだからおかしなもんだ。

それからどのくらいたったのか・・・・
ハッと目が覚めた。
ん?
足がつった夢を見たような・・・・

しかし、これは夢ではなかった。
1日中、足が痛くて仕方がなかった。
やっぱり、夢ではなかったのだ。

それにしても、あれほど痛いのによくもまぁ目が覚めなかったもんだ。
これでは泥棒に足を踏まれてもわからないだろうなぁ~(笑)

日記 | 21:15:41 | Comments(0)
丁度1年目の墓参り
今日は母が亡くなって丁度1年目の命日である。
昨年の今日・・・母は息を引き取ったのか・・・・
もう1年も経つのか・・・・
どうもピンとこない。

毎月、命日には墓参りをしているが・・・・
今日は特別である。
20日に引き続いて「日立レディース会」の「会長派」を自負する“ニシヤマさん”と“タカギさん”のお二人も墓参りに来てくださるという。
このお二人には是非とも母のお墓の場所を知ってもらいたかったので、ありがたい。

昨日、親父の留守中に親父の友人が花束を持参でお線香をあげに来て下さった。
もしかしたら、今日も誰か来るかもしれないので・・・・
ということで、親父には留守番をしてもらい拙者だけで墓参りに出かける。

お墓で母の妹の“カズコ叔母さん”と東京から駆けつけた妹と友人の“ミホちゃん”と待ち合わせ。
そこに“ニシヤマさん”“タカギさん”が合流して6人でお墓参り。
墓前で1時間以上も賑やかなおしゃべり!
連日雨が降っていたが、今日は快晴!
「晴れ女」の母の仕業だな・・・・(笑)

母もこの賑やかなおしゃべりに喜んでくれているだろう。
が・・・・時刻はお昼を過ぎている。
どこかでお昼でも・・・・といきたいところだったが、ここは山の中の過疎化した村。(笑)
食堂なんていう洒落たものはどこにもない。
失敗したぁ~
こんなことならおにぎりでも買って来ておけば良かったか?
折角来て下さった“ニシヤマさん”“タカギさん”“カズコ叔母さん”には何ももてなすことも出来ずお帰りいただいてしまった。
申し訳なし。

拙者と妹たちは自宅に戻って昼食を食べることにする。
時刻は午後3時。
遅い昼食となる。
妹の大学時代の友人の“ミホちゃん”は約20年ぶりの来宅である。
「大学4年生の時に初めてお邪魔したんですよ~懐かしいなぁ~」と言う。
あれから・・・・もう20年も経つのかぁ~
あの時は母が「“ミホちゃん”は美人さんでしょ~」としきりに拙者に言うのでさすがに困ったことを覚えている。
「おばさんが亡くなったなんて今もって実感が湧かない」と言う。
そうだろうなぁ~
家の奥から「あらぁ~よく来たわねぇ~」と出てきそうだもんなぁ~(笑)

妹は高校時代の友人の“マコトちゃん”も呼んでいた。
彼女は拙者たちが家に到着する前に既に我が家に来ていて親父の話し相手をしていてくれた。
ありがたい!感謝!感謝である。
母が生前、実の娘と同様に可愛がっていた“娘”たち2人が加わり・・・・
女3人が揃ったのだから仏壇の前は賑やか賑やか。

久しぶりに「楽しい命日」となった。
母も話の輪に入りたかったろう・・・・・・

日記 | 16:07:30 | Comments(0)
「赤報隊」の正体
「赤報隊」の正体―朝日新聞阪神支局襲撃事件 (新潮文庫)「赤報隊」の正体―朝日新聞阪神支局襲撃事件 (新潮文庫)
(2005/04)
一橋 文哉

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この事件・・・・
昭和62年5月3日に、朝日新聞阪神支局に何者かがやってきて、新聞記者を散弾銃で射殺したという事件である。
この事件は116号事件と呼ばれ、犯人は「赤報隊」と右翼団体のような名を名乗っていたが、結局、犯人はわからずじまいとなった事件である。

昭和62年・・・・・
この頃の記憶はあまりない。
米国から帰国して親父の会社に入って2年目の頃だ。
とにかく仕事、仕事の毎日で、生活パターンが同じだったからなのかもしれない。
だが・・・この事件のことは微かに記憶に残っている。
不思議なことに「衝撃的事件」という記憶はない。
新聞記者が射殺されたというのにもかかわらず・・・・である。
この時の第一印象は「まぁ、朝日新聞だから右翼に襲われても仕方がないよなぁ~」くらいの感覚だったような気がする。
(失礼かもしれないが・・・・)
しかし、不思議なことは・・・・
この後の事件の進展が記憶にないのである。
拙者の家では朝日新聞ではなく毎日新聞を購読していたせいだろうか?
これは殺人事件であり、それも新聞社という報道機関に対する暴挙であるにもかかわらず、その後の進展が詳しく報じられたという記憶がないのである。

言論に対するテロなのだから、被害者の朝日新聞はさぞかし徹底して・・・・と思うのだが、どうもそうじゃない印象を受ける。
本書を読んでみると、警察はかなり詳細に捜査をしていたようなのだが・・・・
どうも朝日新聞社側が非協力的であったらしいことも書かれている。
「やっぱりねぇ~」という印象を受けたが・・・・
それでは、殺された新聞記者は浮ばれまい?
筆者がジワジワと、右翼やら暴力団やら「闇の世界」に迫ると共に政財界の関連も出てくる。
とにかく広範囲で深い・・・・・
右翼が新聞社を襲ったという単純な話ではない。

こうなると・・・・
誰もが怖くて真相部分は突っつきたくないだろうなぁ~
警察でも新聞社でも・・・・
こういう構図なら二の足を踏むよなぁ~

『「赤報隊」の正体』という名の本書であるが、“正体”は何なのか・・・・
行間からしか読み取るしかない。
それにしても、よくここまで迫ったものだと驚く内容である。
あとは・・・読み手の我々の能力にかかってくる。

犯人が誰かということを知るより、我々が生きているこの「社会」がどんなものであるかを知るにはいい本だと思う。

読書 | 12:53:40 | Comments(0)
ガダルカナルは9月?
福岡の歩兵第124連隊の遺族会から手紙が届く。
例のガダルカナル島慰霊巡拝の案内である。
再三延期になって・・・・・今度は9月8日から8日間の予定で決まったというお知らせ。
大丈夫かぁ?(笑)
もう3回も延期、延期で・・・・
友人の“ウメちゃん”には「嘘つき」呼ばわりされて笑われているのである。
「いつになったらガダルカナルに行けるのかね~(笑)」
「いや、今度こそは大丈夫だよ」
と言って・・・・・もう3回も予定変更だからなぁ~(笑)

是非、遺骨収集にご協力いただきたいということでお誘いを受けていたので最優先で予定を入れているのだが・・・・
毎度毎度、出発直前に延期の連絡が入る。
さて・・・今回はどうなるのだろうか?
本当に大丈夫なのだろうか?
取りまとめている方も大変だということはわかるが・・・・
2年にも亘って延期延期ではさすがに痺れを切らしちゃうんですけど・・・・(笑)
今回も最優先で予定を組み入れておくことにするが・・・・

企画書を見てみたら・・・あれ?
前回の延期の連絡ではドタキャンの参加者が出た(続出?)ので、福岡班、成田班の2つに分けたためツアーが成り立たなくなったので、次回は成田から1グループで出発すると言っていたのだが・・・・
企画書では当初の予定のまま。
成田空港出発組はシンガポールで福岡空港出発組と合流することになっている。
大丈夫か?
2つに分けるほどそんなに参加者がいるのか?
なんだったら拙者が福岡まで行って一緒に福岡から出発してもいいんだけど・・・(笑)
嫌な予感がするなぁ~
また直前にドタキャンが続出して、またもや延期になるんじゃあるまいか?

参加者の気持ちもわかるのだが・・・
シンガポールとオーストラリアのブリスベンで乗り換えて、機内泊しながらガダルカナルに向かうのである。
しかも8日間の旅程。
ご高齢者のご遺族は、気持ちは現地に行きたいので申し込みはするが、いざ出発直前になったら、自身の健康状態が気になりドタキャンとなる。
お気持ちはわかるので、これを責めるわけにはいかないが・・・・
主催者側はドタキャンが出ることを前提に参加者数をカウントしなくてはなるまい?
この企画で・・・今回は大丈夫なのだろうか?
拙者は部外者だからとやかく言えないが・・・・
またもや延期になるのではと思いながら旅行の準備をするというのも辛いものがある。
少人数になっても、多少旅費が高くなっても決行してくれないかなぁ~(笑)
ただただ、今度こそはガダルカナル島に行けることを夢見るのみである。

午後・・・・
“シミズくん”を誘って喫茶店へ行きいつもの雑談をする。

日記 | 11:01:30 | Comments(0)
母の友人たちが来る
今日、母のゴルフ仲間の友人たちが1周忌という事でお参りに来てくれる。
さぁ~大変だ~(笑)
親父は茶の間のお掃除!
玄関周りを掃除しようかと思ったが間に合わない。(笑)
今更、ドタバタと掃除しても間に合わない。
まぁ~普段からちゃんとお掃除をしていないんだから・・・・・
急にあれもこれも・・・・っていっても出来るわけがない。
ドタバタしているうち、あっという間に夕方!

母の友人たち8名が続々と到着した。
大きな花束をいただく。
花瓶!花瓶!・・・・またまたドタバタ。
「お線香だけをあげさせてもらって直ぐ帰りますから・・・」とのことだが・・・・
それでは申し訳ない。
お茶の1杯でも差し上げねば・・・・亡き母が許すまい?(笑)
お茶!お茶!・・・・・またまたドタバタ。(笑)
こういうときは女手がないと不便である。
結局、「お客様」にお茶を入れるのを手伝ってもらうというおかしなことになってしまった!(笑)
申し訳ない。
こういう時に、結婚しておけばよかったと後悔するのであるが・・・
まてよ・・・気の利かない嫁をもらったら更に悲惨だし・・・
下手に気の利かない嫁がいるより、独り者のほうがいいよなぁ~(笑)
多少気が利かなくても「男だから・・・」ということで許してもらおう。(笑)

お茶を差し上げてしばし雑談。
お集まり頂いた母の友人は「日立レディース会」の面々。
母はこの会の初代会長。
20年間も会長を務めていた。
第2代会長の“キクチさん”を頭に8人が来てくださったのだ。
母も大喜びであろう。
母亡き後、会の試合の成績も伸び悩みとか・・・・
「いい報告が出来なくて・・・・」と恐縮される。
ご協力したいのは山々なれど・・・
なにせ、この会は女性の集まりだからなぁ~
男の拙者の出る幕はない。(笑)
申し訳ない・・・・

お参りに来てくださったお礼に、ほんの気持ちばかりのお菓子を各自に渡す。
散々恐縮されてしまったが・・・・・
わざわざ母の1周忌に来てくださったのであるから、拙者の「気持ち」である。
が・・・・
よく考えれば、先日の大阪旅行でお土産を買ってくればよかったと後悔。
「大阪旅行のお土産」ということなら相手も受け取りやすかったかも。
ちょっと気が利かなかったな・・・・
失敗、失敗・・・・

日記 | 10:20:57 | Comments(0)
軍旗はためく下に
軍旗はためく下に (中公文庫 A 13)軍旗はためく下に (中公文庫 A 13)
(1973/01)
結城 昌治

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軍旗はためく下に

この本は5つの話から構成されている。
話は著者が関係者にインタビューするという形で書かれている。

1.敵前逃亡・奔敵
ある兵隊が敵と遭遇して負傷、自決を図るが果たせず、気絶したところを捕虜となる。
そこから脱走して日本軍憲兵隊に自首したが・・・
軍法会議で敵前逃亡と奔敵の罪で死刑を宣告される。
占領地で好きな女が出来て、その家に行き帰る途中で敵と遭遇したわけだが、これが敵前逃亡ということになってしまった。
奔敵とは「敵に奔(はし)る」という意味だが、意識不明のところを捕虜になったのだから、敵に奔ったわけではないのだが・・・
脱走して戻ってきたのだから問題なかろうと思ったら死刑判決。
この兵隊は処刑前に自ら首を吊って自殺したという。

2.従軍免脱
従軍免脱とは自ら怪我をして従軍を免れようとする行為のことである。
ある兵隊が前線を顧みず後方で酒色に浸る連隊長や、軍の糧秣を私物化する主計将校の所業に腹を据えかねて、自分の薬指を切って血書をしたため師団長に直訴した。
しかし・・・・その直訴の内容は無視され、反対に、自分の指を切った行為は従軍免脱であるとして軍法会議で即日死刑となってしまったという話。
軍隊では直訴は通じないらしい。
腐敗を告発しようとしたら・・・・法によって逆に裁かれてしまったのである。

3.司令官逃避
この話はフィリピンのバギオあたりで敗戦間近な頃に起った事件らしい。
陸軍刑法では「司令官が敵前で尽すべき所を尽さずに隊兵を率いて逃避したときは死刑」とされている。
ある地点で守備についていた中隊が補給も途絶。
中隊長は飲料水のある地点まで部隊を独断で一時退避させた。
ところがそこに連隊副官がやって来て勝手に守備位置を離れたことを責めて中隊長を滅多打ち。
自決するか軍法会議にかけるかと脅す。
罪名は「司令官逃避」である。
中隊は別命あるまで守備位置に戻ることになるが、その別命が来ないまま、その地で中隊は全滅した。
その頃には他の部隊は別命で全て撤退していたという。
副官は、わざとこの中隊だけを全滅させたのだろうか?
中隊を死に追いやった副官は、戦後復員してアメリカ軍の出入り商人になり金儲けをしたという。
この変わり身の早さよ。
戦後、この中隊の生き残りと偶然会った元副官は当時のことを忘れたふりをしたという。
が・・・しかし・・・まもなく何者かに刺殺されたとか。

4.敵前党与逃亡
ある軍曹が数名の下士官と何らかの理由で隊を離れたため、それが戦没者名簿に「敵前党与逃亡罪により死刑」と書かれた。
しかし、事実は生還者の記憶でもハッキリしない。
本当に逃亡したのか・・・・誰も知らない。
本当に正式な軍法会議で死刑の宣告を受けて処刑されたのか・・・誰もハッキリしない。
彼の死因は・・・誰も知らない。
彼の最後は・・・誰も見ていない。
にもかかわらず、なぜか戦没者名簿に「逃亡兵」の烙印が押されている。
逃亡兵の汚名を着せられたために靖国神社にも合祀されず、遺族は遺族年金がもらえない。
本当に逃亡兵だったのだろうか?
生還者を訪ねて証言を集めるが、生還者たちの証言は煮え切らないもの。
このインタビューの推移を読んでみると、いかに汚名をそそぐことが困難なのかがわかる。

5.上官殺害

南のある島での出来事。
部下に横暴の限りを尽くす小隊長がいた。
おかげで部下の中には死に至らしめられた者も出る。
下士官兵は中隊や大隊本部に小隊長の横暴を訴えるが無視され、ついにある軍曹を中心とした数名が、この小隊長を殺害する。
戦後、捕虜になり、この殺害事件が明るみに出る。
上官を殺害した関係者が、この事件を知っている上官を「戦犯」で脅したため、反対に「上官殺害」を公表されてしまったのである。
敗戦となり陸軍刑法は無効になっていると関係者は思っていたらしいが・・・
実際は連合軍の了解の下に陸軍刑法は敗戦後しばらくは存続していたのである。
このため犯行者のうち3名が死刑となり、あとの3人は無期懲役で復員前に現地で病死した。
上官殺害は事実であり、処罰されてもやむをえまいが・・・・
部下を虐待して死に至らしめた小隊長は不問。
その小隊長の暴虐を知っていながら放任していた中隊長や大隊長は責任を問われていない。
なぜ上官を殺害しなければならなかったのか・・・・などは関係ない。

この5話、いずれも実際にあった事件に基づいて書かれている。
しかし、筆者は「あくまでもフィクションとして書いたので、誤解を避けるため架空の地名を随所に用いている」と“あとがき”に書いている。
どうしてフィクションとして書いたのだろうか?
本篇は「中央公論」に昭和44年から45年にかけて連載されたものに若干の筆を加えて出された。
戦後25年ぐらいではノンフィクションとして出すにはまだ早すぎるということか?
「誤解を避けるため」と筆者は書いているが「誤解」とは何を指すのか?
フィクションにしたため、どこまでが事実なのかがわからなくなってしまっている。
しまいには、そんな「事件」も架空ではないかと思われてしまうのではなかろうか?
なんとも残念だ。

戦争は人間同士の殺し合い。
だから、戦争はやめよう・・・・というだけでは甘いと思う。
戦争とは仲間同士、友軍同士の、こういう悲惨な「事件」も起こさせるのである。
それを知るには良い本だと思う。

読書 | 19:53:55 | Comments(0)
大塩平八郎終焉の地
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大塩平八郎終焉の地

大塩平八郎中斎(1793~1837)は、江戸時代後期大坂町奉行所の与力で、陽明学者としても知られ、世を治める者の政治姿勢を問い、民衆の師父と慕われた。
天保8年(1837)2月19日飢饉にあえぐ無告の民を救い、政治腐敗の根源を断とうとして、門人の武士・農民等を率いて決起した。
乱後大塩平八郎・格之助父子は、この地に隣接した靭油掛町の美吉屋五郎兵衛宅に潜伏したが、同年3月27日幕吏の包囲のうちに自焼して果てた。
民衆に呼びかけた檄文は、密かに書き写され、全国にその挙を伝えた。
大塩の行動は新しい時代の訪れを告げるものであり、その名は今もなお大阪市民に語り継がれている。
決起160年に当たり、全国の篤志を仰いでここに建碑する。

1997年9月
大塩事件研究会

(碑文より)

大塩平八郎終焉の地


史跡 | 22:17:38 | Comments(1)
靭海産物市場跡
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靭海産物市場跡

鰹節・干鰯などの干魚を商う海産物市場で 豊臣時代には生魚を商う市場とともに北船場にあった
元和8年(1622)にこの地に移り 海部堀川や永代浜の建設で大きく発展した

(碑文より)




靭海産物市場跡

江戸時代、この地には、干物(ひもの)や塩魚(しおざかな)、鰹節(かつおぶし)など、生魚以外の海産物を売り買いする市場がありました。
豊臣時代には、海産物の市場はひとつで、今の北浜のあたりにありましたが、江戸時代のはじめ、元和4年(1618)には、生魚と、干物などを扱う市場に分かれて、生魚の市場が本町のあたりに移りました。
元和8年(1622)には、干物などを扱う市場も、ここ靭の地に移ってきました。
寛永元年(1624)には、海部堀川(かいふほりかわ)という水路が開かれました。
その時に人工的につくられた永代浜(えいたいはま)が、荷あげ用の岸として使われるようになると、取引の量も増えて市場も広がり、江戸時代を通して栄えました。

大阪市教育委員会

(説明板より)




永代浜跡

靭公園のこの附近一帯は、江戸時代以来塩干魚・鰹節など海産物の市場として靭の中心をなしていた。
これらの商人が荷揚の便をよくするために寛永元年(1624)海部堀川を開削し、阿波堀川とこの川をつなぐ永代堀の屈折点を永代浜と称し、海産物の荷揚浜として賑わった。

(説明板より)

靭海産物市場跡


史跡 | 18:42:29 | Comments(0)
中天游邸跡
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中天游邸跡

中天游(なかてんゆう)は江戸時代に大阪で活躍した医師・蘭学者です。
天游は別名で、本名は環(たまき)といい、耕助、融とも名のりました。
天明3年(1783)に丹後に生まれ、文化2年(1805)に江戸に出て、大槻玄沢(おおつきげんたく)、稲村三泊(いなむらさんぱく)に蘭学を学び、文化6年には京都で、海上随鴎(うなかみずいおう)の塾に入って蘭学を学びました。
大阪にやってきたのは文化14年ごろで、はじめは靭本町、次に江戸堀で開業しました。
その後、当時は坂本町と呼ばれたこのあたりに移り、天保6年(1835)に亡くなるまで住んでいました。
著述や翻訳も多く、中でも『視学一歩』という本は、目のしくみについて書いた日本で最初のものです。
医者の仕事は妻のさだにまかせ、天游は思々斎塾(ししさいじゅく)という学塾を開き、いろいろな学問をひろめました。
弟子の中には、幕末に活躍した有名な医師の緒方洪庵がいます。

大阪市教育委員会

(説明板より)

中天游邸跡


史跡 | 18:18:31 | Comments(0)
此花乃井
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此花乃井

江戸時代、もと石見津和野藩蔵屋敷のあったところで屋敷内のこの井戸から湧き出る飲料水は大阪では珍しく良質のものであった
慶応4年(1868)明治天皇が大阪に行幸されたとき、この井戸水を用水に供し「此花乃井」の名を与えられ、大阪の名水として評判が高かった。

(説明板より)

此花乃井


史跡 | 18:04:31 | Comments(0)
玉江橋
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玉江橋

この橋の架かる堂島川に 本格的な架橋が始まったのは元禄初期(1690ころ)と考えられる
この玉江橋も そのころから堀江橋の名で架かっていた
その後 元禄11年(1698)になって堀江川が開削され そこに同名の橋が架けられたので 玉江橋に改名されたという
当時の堂島川は 大川につぐ大きな川幅をもち 安永9年(1780)の記録によると橋長約90.1m 幅員約4.1mの規模をもつ反りの大きい橋であった
江戸時代 この橋の南詰めに薬師堂があって 縁日には多くの人出で賑わった
参詣の人々は 橋の上からその延長方向(南東方向)を見ると はるかかなたに四天王寺の五重塔が望見できたので 橋上から遥拝する慣習があった
高層建築物に囲まれた今日では 想像もできない情景であるが 当時の各所図絵の類には多く登場している
現在の橋は 昭和4年9月の第一次都市計画事業によって橋長77.0m 幅員12.3mの橋に架け換えられた
それ以後 地盤沈下対策で 昭和42年に約2m嵩上げすると同時に 下流側に橋長77.8m 幅員12.3mの橋が新しく架けられた

平成10年 大阪市

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(説明板より)

玉江橋

史跡 | 16:53:14 | Comments(0)
福沢諭吉誕生地
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福沢諭吉誕生地

幕末明治の大教育家福澤諭吉先生こゝに生る
時に天保5年12月12日(西暦1835年1月10日)
こゝは舊豊前中津藩倉屋敷の長屋跡である
先生の父百助は一画に於いて、経学者、詩文家であったが、然も、理財の道に精通した循吏であった、金穀會計の俗役に奔走して其生涯を終った人である
彼は妻お順が、大きな瘠せて骨太な五番目の子を産んだ時「これはよい子だ、大きくなったら寺へ遣って坊主にする」と語ったと傳へられてゐる
封建門閥の世に下級士族が其子をして名を成さしめる道はこれを佛門に入らしめる以外にはなかったのであらう
當時に於いて、この子が後年、西洋文明東道の主人となり、封建的観念形態の打破に努力するに至る将来を誰が豫見し得たであらうか

昭和29年1月
慶應義塾社中建之
題字 小泉信三
撰文 高橋誠一郎
書  西川寧

(碑文より)

福沢諭吉誕生地


史跡 | 16:26:32 | Comments(0)
梅花女学校発祥の地
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梅花女学校発祥の地

明治11年1月この地で大阪で初めての府知事認可による梅花女学校が創立者澤山保羅によって始められた

創立120年を記念してこの碑を建てる

平成9年10月
学校法人 梅花学園

(碑文より)

梅花女学校発祥の地


史跡 | 13:46:52 | Comments(0)
大阪府立中之島図書館
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重要文化財
国指定昭和49年5月21日
大阪府立中之島図書館
本館左右翼 三棟

この建物は 住友吉左衛門が図書館として本府に寄附されたもので 住友本店技師長野口孫市氏及び技師日高胖氏の設計監督のもとに明治33年に着工同37年1月に竣工したものである
建物は 煉瓦及び石造三階建てで中央に円屋根をつけた十字形平面の本館と左右翼(大正11年増築)からなっている。
外観では高い4本の柱の列立する正面ポーチとその後方に挙げられた円屋根が意匠の要であり 内部では 半球形のドームを頂く円形ホールがもっとも特徴的である
全体としてネオ・バロック様式の傾向が見られるが これをよく消化して独自の造形美を形成しており明治時代の日本人建築家による極めて水準の高い作品である

大阪府教育委員会

(説明板より)

大阪府立中之島図書館


建物 | 12:18:47 | Comments(0)
大阪市中央公会堂
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重要文化財
大阪市中央公会堂
大阪市北区中之島1丁目1番27号

大阪市中央公会堂は明治44年(1911)に大阪市民の岩本栄之助(いわもとえいのすけ)氏から公会堂のために寄付された100万円をもとに、建設されました。
日本最初の懸賞設計競技で選ばれた岡田信一郎(おかだしんいちろう)の設計原案をもとに、辰野金吾(たつのきんご)、片岡安(かたおかやすし)という当時を代表する人たちによって設計されました。
大正2年(1913)6月から5年4ヶ月をかけた工事では、延(のべ)18万人を越える人々が働き、大正7年(1918)11月17日に開館しました。
西洋の建築の歴史から生まれた形や材料をよく学んで高い水準に造られており、赤煉瓦(あかれんが)の公会堂として市民に愛され、親しまれてきた、大変貴重な建物です。
昭和63年(1988)に永久保存が決定され、より良く使っていけるよう平成11年(1999)3月から3年半の工事がおこなわれました。
平成14年(2002)11月1日に再び開館、同12月26日に国の重要文化財(建2419)に指定されました。

建築様式は、当初記述に「復興式中の準パラディヤン式」とあり、ネオ・ルネッサンス様式を基調としたものと解される。
外観は左右対称を基本にコーニス、片蓋柱、ペディメント付開口部等による厳格な構成と、正面の壮大な半円アーチ、ジャイアントオーダーなどのバロック的な壮麗さをあわせ持ち、柱頭飾りを幾何学図形化するなど細部にはセセション様式の浸透もみられる。
外壁表面は地階部分が花崗岩積、地上階は、化粧煉瓦小口貼りに、腰の帯石と窓廻りを花崗岩、蛇腹と片蓋柱、パラペット廻りを擬石モルタル洗い出しとし、屋根は銅板葺きで一部を天然スレート葺き、側面と四隅に屋根窓を配す。
平面規模は、間口43.6メートル、奥行き61.8メートルで、建築面積2164.17平方メートル、鉄骨煉瓦造、地上3階、地下1階建。
耐震性能強化のため基礎下の新たな構造体と上部構造の補強によって免震レトロフィットを実施。
主要室の構成は、1・2階/大会議室(ホール)、中・小集会室・特別室、地階/会議室(展示室)・レストラン。

大阪市教育委員会

(説明板より)

大阪市中央公会堂



建物 | 11:21:14 | Comments(0)
里程元標跡
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里程元標跡

明治時代に 高麗橋東詰に里程元標がおかれ 西日本主要道路の距離計算は ここを起点として行なわれた

(碑文より)




高麗橋

東横堀川は大阪城築城のとき外堀として改修されたといわれる
高麗橋はそのころにかけられたらしく現在大阪城天守閣に保存されている慶長9年(1604)の銘のある鉄製擬宝珠(ぎぼし)はこの橋のものと伝えられている
江戸時代の高麗橋は幕府管理の12公儀橋の中でも格式高く 西詰に幕府の御触書を掲示する制札場があったほか諸方への距離をはかる起点にもなっていた
明治3年(1870)9月大阪最初の鉄橋にかけかえられ さらに昭和4年(1929)6月に現在の鉄筋コンクリートアーチ橋にかわった
欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷(やぐらやしき)を模した柱は昔の面影をしのぶよすがとなっている

昭和51年春
大阪市

(碑文より)

里程元標跡


史跡 | 10:54:18 | Comments(0)
大阪の旅(4)
今日は大阪の旅の最終日。
今日中に帰宅せねばならないので、それまでに出来る限り歩き回らねば!(笑)

まず、ホテルをチェックアウトして向かったのが大阪商工会議所。
ここに銅像が3体建っている。
が・・・碑文は銅像の後ろ・・・・
壁と花壇に阻まれ碑文がよく見えない!
仕方がないので、商工会議所を訪問して受付嬢に銅像の碑文について尋ねたところ、担当者に問い合わせしてくれた。
館内の電話で担当者に尋ねたところ、資料を探して送ってくれるという。
なんと親切なことか。
ありがたい。
名刺を担当者に渡してくれるよう受付嬢に頼み会館を出る。

続いて向かったのが昨日見学できなかった適塾。
受付で写真撮影について尋ねたところ、ホームページやブログに写真を使用するのであれば許可の申請が必要だとのこと。
まぁ、それはよくある話なのだが・・・・
外観の写真の使用も許可申請が必要だという。
なんで?
「道路に面している部分の写真なんですけど・・・・」
「それも駄目です。著作権の問題があります」という。
建物の内部は撮影禁止というのはわかるが、道路に面していて、いつでも誰でもが目に触れる部分も撮影禁止とは初耳!
この適塾の建物は大阪大学が管理しているのだそうだ。
重要文化財に指定されている緒方洪庵の住宅だが・・・・
国も、とんでもないところに管理させているもんだ。
「著作権」を持ち出して外観の写真を撮ってはならぬとは、なんとも了見が狭い。
大阪大学というのは社会に開かれていない大学らしい・・・・
それなら、高い塀で建物を囲んで外から見えないようにすればいいのにねぇ~
一応、申請書をくれたが・・・・気が乗らぬ・・・・申し訳ないけど・・・・

適塾を出たところでちょうどお昼。
近くで昼食を食べ一息ついてまた歩き出したら・・・・
携帯が鳴った。
ん?
電話に出てみたら商工会議所の担当者から。
「何度もご自宅にFAXを試みたのですが切り替わらないので手動で切り替えてもらいたい」とのこと・・・・
あれ?何を勘違いされているのだろうか?
拙者は今、大阪におるのですが・・・・・(笑)
電話からFAXに切り替えたくても切り替えることが出来ないんですけど・・・(笑)
たびたび起る不思議なことなのだが・・・
拙者が旅に出ている時に、しばしば電話が通じないというクレームを後で受けることがあるのだ。
今回はFAXか・・・・
一体、家にいるはずの親父は何をしているのだろうか?
変なところをいじって電話をおかしくしてしまったのではあるまいな?
担当者には日立法人会広報委員長の名刺を渡しておいたので、法人会事務局へFAXを送ってくれるように頼む。

ここから北上し、土佐堀川を渡り中之島へ・・・
東洋陶磁美術館へ行くが時間がないので内部は見学せず、外にある銅像だけを撮影。
続いて中央公会堂、中之島図書館など歴史的建物を見て廻り、今度は、土佐堀川をまた渡って南下して頼山陽の生誕地を探す。
ようやく見つけたら金光教という宗教団体の建物のところに小さな石柱・・・
わざわざ探してガッカリ・・・・
なんだ・・・これだけか・・・・(笑)

続いて北上!
土佐堀川をまたまた渡って中之島を突っ切り、堂島川を渡って対岸へ行き、福沢諭吉の生誕地を探す。
誕生地碑を見つけたが碑文がかすれていて写真に撮っても読めそうもないので書き写す。
碑を建てたはいいが管理されていないのだろうか?
碑文が読めなければ顕彰になるまい?
何のために建てた碑なんだ?
とにかく時間がないので必死になってよく見えない碑文を読んで書き写していたら、通りがかった通行人が何事かと次々と寄ってくる。
え~い!なんとも鬱陶しいなぁ!気が散るんですけど・・・・・(笑)

またまた橋を渡って南下。
つまり、中之島を中心に北へ南へとジグザグに歩いていることになる。
今度はドンドン南下するが、さすがに蒸し暑く喉がカラカラ・・・・
途中、喫茶店に立ち寄り水分補給!
その後、江戸堀公園という小さな公園へ。
ここは、蘭学者の中天游(なかてんゆう)という人の邸宅跡。
珍しく教育委員会が設置した説明板が建っていた!(笑)

更に南下して靱(うつぼ)公園という大きな公園に行く。
何か銅像でも建っていないかと探してみたが不発!(笑)
更に南下して今度は大塩平八郎終焉の地を探すが・・・・
これが見つからない!
どこかに碑が建っているはずなのだが路地をウロウロ、グルグル、行ったり来りしたが見つからない!
捜索範囲を広げてグルグル回ってようやく見つけた!
天理教の建物の前にあった!
が・・・
碑文を撮影して、更に全体を撮影しようとしたら、通行人が何を思ったか碑の前に立って碑文を読み始めた。
あのね・・・拙者は写真を撮ろうとカメラを構えているんですけど・・・・
そこに立たれては邪魔なんですけど・・・
しかし、この“おじさん”・・・・いつまでたっても動かない!
オイオイ・・・・
しばし、カメラを構えたまま待つ!(笑)

時刻は2時半。
もう限界だな・・・・・
帰らねば・・・
近くにある地下鉄本町駅に向かい、地下鉄で新大阪駅に向かい新幹線に乗る。
車内で読書・・・・のはずが・・・
さすがに疲れが出て爆睡!(笑)

今日の歩数・・・・1万7545歩。約9.6km歩く。

日記 | 10:11:50 | Comments(3)
御堂筋完成五十周年記念碑
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御堂筋完成五十周年記念碑

明治22年鉄道の開通によって、大阪駅を玄関とした南北軸の道路の必要が叫ばれ、大正15年 巾44m 長さ4050mという、当時としては類をみない大規模な街路御堂筋の工事に着手し、昭和12年 3375万円の巨費を投じて完成しました。
その後今日まで、道路の使われ方や周辺の様子は、時代の移り変わりにともなって、幾多の変革をくり返しながらも、道路の構造は完成時と変わることなく、関西の経済・文化を支え、また、都心のオアシスともなっている大阪を象徴するメインストリートです。
御堂筋完成50周年を迎えるにあたり、ここに記念碑を建立します。

昭和62年8月10日 
建設省 大阪国道工事事務所

(碑文より)

御堂筋完成五十周年記念碑


史跡 | 16:48:51 | Comments(0)
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