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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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会社の決算
会計税理事務所の“フクシマ君”が来る。
会社の決算の作業。
とはいうものの・・・実質、廃業しているから昔ほど大変な作業ではない。
以前は、月次決算をして常に会計の動向をチェックしていたが、今は、業務は何もしていないのだから、大した量ではない。
問題は・・・拙者がちゃんと普段からキチンと会計処理をして、記録や領収書等を整理しているかどうかにかかっている。(笑)

昨年の11月に一度、中間で確認作業をしてもらったが・・・
その後、ベテラン担当者の“ワタナベさん”が急逝。
相談相手がいなくなって心細かったが・・・・
“フクシマ君”が担当者として引き続き残ってくれたので助かった。

「こういう書類が税務署から届いてませんでしたかね?」
「こういう通知が証券会社から届いてませんでしたか?」
などと、いくつかの指摘を受ける。
そういえば・・・・見たことがあるような・・・・ないような・・・・(笑)

自分の部屋に戻り、郵便物の山をゴソゴソと探してみたら・・・・あった!
ちゃんと整理していたつもりでも結構抜けがあるものである。

わずか1時間程度で決算作業は終了!
あとの細かいことは事務所に戻って作業すると言って“フクシマ君”は帰る。
よし!これでひとつ大きな(?)仕事が終わったぞ!(笑)

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日記 | 15:21:03 | Comments(0)
タケノコ掘り
今日は、「昭和の日」で祝日。
拙者には平日も祝日も関係ないが・・・・(笑)
“ウメちゃん”の会社はお休み。
ということで・・・またまた奥さんの実家へ行ってタケノコを掘る。
今回は拙者は30本以上掘る。
27日にも、午後からタケノコ掘りをしたのだが・・・・
あれから2日しか経っていないというのにねぇ~
いつの間にか、ポコポコとタケノコが頭を出しているのである。




日記 | 14:52:02 | Comments(0)
“ウメちゃん”のHP更新
しばらく“ウメちゃん”のホームページの更新をしていない。
この間、ようやくデーターの入力をして、「さぁ~更新するぞ」という段になったら・・・
あれも追記しよう、これも追記しよう・・・ということになり、更新できなかった。
で・・・「じゃぁ~今度ね!」ということで終わったのだが・・・

あれから、またしばらく時間が経ってしまった。
「さて・・・・で・・・・何だっけ?」と拙者。
「何だっけ・・・って、何だっけ?」と“ウメちゃん。
「完成したぞって俺が言った時に、ついでにこれも書いてくれって言ったんだよね?」
「そう・・・確かに言った」
「で・・・それは・・・・何だっけ?」と拙者。
「それなんだよね・・・・え~と・・・何だっけ?覚えてない?」
「え~と、何かを書き加えてくれって言われて、次回それを書き加えてからアップしよう・・・って俺が答えたんだよね?それは覚えてるんだけど・・・何だっけ?」

二人して「何だっけ?」の連発で、話がさっぱり先に進まない。(笑)
え~い!
呆け中年2人組!
時間ばかりがドンドン過ぎてゆく。

結局、今日は何をするのか・・・・二人して思い出せないままホームページを更新する。
まだお互い若いのにねぇ~
呆けちゃったねぇ~
この先、どうなるんだろうか・・・・・(笑)

日記 | 14:28:20 | Comments(0)
ヤスダさんからの宅急便
大分県別府にお住まいの“ヤスダさん”から段ボール箱が届いた。
中には『戦車第2師団の会(旧・撃友会)』の古い会報がドッサリと入っていた。
貴重なのは第1号。
創刊号を今でも持っている会員は少ないのではなかろうか?
いやぁ~貴重な資料!
ありがたい。

更に、昔の戦時中の写真も入っていた。
映画『明日への遺言』で藤田まことが演じた岡田資中将。
この方は、戦車第2師団長も歴任されており、その時の集合写真。
貴重な資料である。

以前、お電話で「私は男みたいな女だって、よく言われてたんですよ」とおっしゃられていたが・・・
女子軍属の仲間で一緒に撮った写真も入っていた。
着物姿で師団司令部前で撮られた写真。
“ヤスダさん”は、目鼻立ちがキリッとした、ちょっと勝気そうな小柄な女の子。(笑)
20歳前半の頃だろう。
今なら「モーニング娘」の一員にいてもおかしくないくらいの美人。
う~ん・・・・64年前にお会いしたかった!(笑)
戦時中の写真に一目ぼれ。(笑)
自分から志願して軍属となり、師団司令部の電話交換手になったというが・・・・
このキリリとした雰囲気から、充分想像が付く。
モタモタしていたら尻を蹴飛ばされるくらいの雰囲気を感じる。
「男の癖に・・・情けない!」とカツを入れられそうな気魄がある。(笑)
「男みたいな女」とよく言われたという意味がわかる。
写真の添え書きに他の女性たちは今もって生死不明と書いてあった。
写真が撮られたのは師団がフィリピンに派遣される前の中国にいた時のもの。
部隊は後にフィリピンへ派遣され、軍属の彼女たちは中国に残った。
“ヤスダさん”は無事に帰国できたが、他の女性たちは終戦の混乱で行方不明となったのか・・・
胸にグサリと「生死不明」の言葉が刺さる。
この写真を撮られた時には、その後の自分たちの運命を知るはずもない。
写真を見ていると涙が出てくる。
ツライなぁ~

「男のような女」と言われていたという“ヤスダさん”
「実は針仕事が得意なんですよ」と以前、電話でお話になっていた。
当時を知る戦友からは「想像もつかない」とからかわれたと笑っていた。
拙者の干支が「ねずみ」ということで、ねずみをデザインしたパッチワークの壁掛けが箱の中に入っていた。
“ヤスダさん”お手製の素晴らしい壁掛け!
大感激!
何と言えばいいだろうか・・・
まるで自分の実の祖母から贈ってもらったような・・・そんな感じ。
胸がキュッとなるような・・・嬉しいような・・・寂しいような・・・
一針、一針、縫ってくれたんだよなぁ~
拙者のために・・・・
涙がこみ上げてくる。
嬉しくて涙が出てくるのです。

お手紙によれば・・・・
「自分もこの先が短いから、自分が死んだら全て捨てられてしまうだろう。だから、今のうちにあなたに送るので、もらって欲しい」・・・・そういうことが書かれていた。
「ご迷惑でしたら処分していただいても結構です」とも書かれているのだが、処分するなんてとんでもない!
“ヤスダさん”の思いを考えたら益々涙が止まらない。

早速、お電話をしてお礼を述べたいが・・・
駄目だ。
今日は、とてもじゃないが電話なんかできる状態じゃない。
涙が止まらなくて電話など出来ない。
申し訳ないが、日を改めて電話することにする。

日記 | 11:54:05 | Comments(0)
柿の木
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柿の木の由来

明治30年、京都・産寧坂の愚庵の庵に長いこと滞在した桂湖村が帰郷する時、園中の柿(つりがね)15顆と松茸を彼に託して、子規の病床に届けた。
その時、子規は俳句をものし、礼状と共に届けようとしたが、投函が遅れた。
愚庵は、子規からの便りのないことを怪んで、湖村への便りに次の一首を加えた。

まさをかは まさきくてあるか かきのみの
          あまきともいはず しぶきともいはず 

湖村は、これを子規に示した。
子規は、早速愚庵宛に書簡を書いた。
この内容は、先ず愚庵の歌について、ひときわ目立っていることをうらやましく思うと評価し、6首の歌を書き送った。
これは、子規の従来の歌とは明瞭に一線を画し得るもので、歌人の産声とも聞こえるものである。

みほとけに そなえし柿の あまりつらん
           我にぞたびし 十あまり五つ

柿の実の あまきもありぬ かきのみの
           渋きもありぬ しぶきぞうまき

2首のみをあげたが、子規の短歌への移行が明らかで、一つの契機と捉えることが出来る。
産寧坂・愚庵の柿の木は既にない。
この木のいわれを絶やさぬため、実生して育てられたのがこの柿の木で、中柴邸(平・仲間町)より移植したものである。
これをご覧になり、愚庵と子規の関係や、子規が短歌革新を進めるに至った経緯を想起して頂ければ幸いであります。

(説明板より)

柿の木


史跡 | 23:31:07 | Comments(0)
丹後沢
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丹後沢の由来

平城は、1603年(慶長8年)鳥居忠正公が築城しました。
丹後沢はその内堀として築かれましたが、大雨が降って一夜のうちに内堀の堰が崩れてしまったということが三度も続きました。
そこで、菅波村(現平菅波)の箱崎丹後という人が人柱になり、これを完成することができたことから、その功績を称え命名されたといわれています。
その後、平城は内藤家、井上家、安藤家と引き継がれ、幕末に老中として活躍した安藤対馬守信正公が藩主の時、1868年(明治元年)に戊辰戦争により落城しました。
現在は、丹後沢公園の一部に当時の面影を残しています。

(説明板より)

丹後沢


史跡 | 23:00:45 | Comments(0)
八橋検校の碑
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顕彰
八橋検校の碑


筝曲六段の作曲家八橋検校は慶長19年(1614年)奥州磐城平 鳥居忠政の城下に生れた
盲人であったが 幼少の頃江戸に出て三絃を学び 山住匂当と称した
肥前諫早の慶巖寺の僧玄恕が筑紫筝の大家であることをきゝ 言語に絶する困難とたゝかい 九州の地をたづね遂に筑紫筝の奥義を極めた
慶安の頃 京都の六角西に居を定め研究を続け 筑紫筝に「半音」を入れてこれに成功し 組曲13曲をつくった
この間多数の門人を擁して生田 北島 継山などの諸流をつくり わが国筝曲の開祖となった
貞享2年(1685年)6月12日72歳の生涯を閉じた
墓は京都黒谷金戒光明寺に在る
検校生誕350周年に当り磐城が生んだ一世の天才筝曲家八橋検校の業績をたゝえこれを後世に残すため 生誕の地に顕彰の碑を建立する所以である

昭和39年6月12日
八橋検校顕彰会

(碑文より)

八橋検校の碑


史跡 | 22:45:29 | Comments(0)
吉田松陰先生遊歴之地
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殉国 吉田松陰先生遊歴之地

吉田松陰先生著、東北遊日記抄
嘉永 壬子 五年正月廿三日、翳、出野口家、 云々 、越勿來故關在山上、而今道則山下海濱也、過關田荒蜂大島、渡鮫川、宿上田、行程四里、至平潟、常陸盡焉、水戸領則止于大津、大津以東、小國封地参錯、平潟為棚倉侯松平周防守所領、關田、上田、為平侯安藤長門守所領、、荒蜂、為泉侯本多越中守所領、是日、彌八任口唱曰
 君不見叱咤生風楚項王 一曲悲歌涙数數行 又不見一劍驅敵旭将軍
 帳中之涙落粉々 英雄元是多情緒 不似凡士輕留去 風雨宿蕭々日将夕
 來宿勿来關下驛 與君分手無多日 休言英雄有泣癖、
余乃歩其韻云、
 吾無骨相似侯王 且向蝦夷為啓行 吾無斧鉞統六軍 且向世議破粉々
 丈夫功名固多緒 須卜西就與東去 與君追随幾晨夕 踏盡山亭又水驛
 報國策定泣何妨 遠遊豈為雲煙癖、夜雨、

皇紀二千六百二年舊正月廿三日建之
縣社松蔭神社社司陸軍大佐
正五位勲四等校五級舊萩藩士
市川一郎 敬書

(碑文)

吉田松陰先生遊歴之地



史跡 | 22:30:26 | Comments(0)
福島県いわき市方面へドライブ(2)
ちょっとお昼を過ぎてしまったが、そろそろ昼食でも・・・・
さて、何を食べるかが問題だ。
「この近くにおいしいラーメン屋があるんですよ」と“シミズくん”
「お~!ラーメンにしようか?」
「いや、僕はラーメンを食べるわけにはいかないんですよ」
「はぁ?何だそれ!食べられないものを言うな!」(笑)
何を食べようか・・・・と迷いながら車を走らせ・・・
ついに、思い切って目に飛び込んできた和食レストランに入る。
食事制限中の後輩を気遣うふりをしながら・・・・拙者は寿司やら蟹やらを頼む。(笑)
拙者は相変わらずの「鬼」である。(笑)
一応、今日に限り奥さんから「美味しいものを食べてきてもいい」と言われたといって、豪華な昼食に付き合ってくれたので安心したが・・・
でも、大丈夫かね?
まぁ、あまり神経質になってもね・・・・
たまには・・・いいんじゃないか?
などと勝手な言い訳を作って拙者の我儘を通す。(笑)

食後、たっぷりとおしゃべりをして・・・・
近くに『平(たいら)城の城門』が民家に移築されているというので見に行く。

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これが城門?
例の如く、説明板も何も設置されていないが、確かに地元の人の話でも、これが移築された城門だとのこと。
ふ~ん・・・・

続いて・・・場所はどこかはわからないが・・・(笑)
鹿島神社に立ち寄る。
小山の斜面に立つ小さな神社。

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社殿の天井に、消えかかった菊の御紋と日の丸、海軍旗が描かれていた。
これは珍しい~!
更に、境内には内閣総理大臣を歴任した陸軍大将の林銑十郎がここに立ち寄り記念植樹したことを示す石碑が建っていた。
へぇ~驚いた~
こんな小さな神社にねぇ~
来たの?林さんが・・・
とはいうものの・・・肝心の植樹したという木は見当たらなかった。(笑)

続いて、JRいわき駅近くの『小太郎町公園』に行く。
ここに、銅像が3体ほど建っている。

更に、駅の向こう側にある『平(たいら)城跡』に向かう。
これが大変な場所!
道は狭いし曲がりくねっているし・・・・
車1台がやっとという道幅の急斜面を車で登るが・・・・正直言って・・・怖い!(笑)
一人では絶対ここまでは登れない。
“シミズくん”と一緒だから、なんとな~く安心してアクセルを踏み込む。(笑)
どうにかなったら・・・彼がいるからなんとかなるだろうという他力本願。
しかし・・・この斜面に家がギッシリと建ち並んでいるんだから驚きだ。
冬はどうするんだろう?
雪が降ったら身動きができないのではないか?
登るに登れず降りるに降りられず・・・・じゃなかろうか?

山の頂上に本丸跡があるが、民家の敷地となっているので入れない。
相変わらず説明板は建っていない。
なんだ・・・この町!
平城は戊辰戦争で落城した城。
そのくらいの話をどこかに掲示していてもいいのではないかと思うのだが・・・
歴史を重んじない土地柄なのか?

直ぐ近くに明治天皇の立派な銅像が建っていた。
由来はどこにも記されていない。
敷地もちょっと荒れている。
歴史を大切にしているのかしていないのか・・・さっぱりわからぬ町だ。(笑)

平城の山を、おっかなびっくりしながら降りて・・・・
『飯野八幡宮』に行ってみる。

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なかなか趣がある神社なれど・・・
由来を記したものがない。
やっぱり・・・ねぇ~・・・・ため息しか出ない。(笑)

続いて『松が岡公園』に行く。
ここには5年前に一人で来たことがある。
その時に、偶然、『天田愚庵邸』を見つけ、ホームページに載せたのだが・・・
なんと!
この5年の間のいつの間にかに天田愚庵の銅像が建っているではないか!
ラッキー!
銅像の写真・・・・ゲット!(笑)
愚庵邸も前回来たときは垣根もボサボサで全く整備されていないように見えたが、今回来てみたら綺麗に整備されていた。
管理者は・・・・いわき市の教育委員会。
ふ~ん・・・一応・・・活動はしているんだぁ(笑)

小山を登り、頂上に立つ『安藤信正』の銅像を見に行く。
前回、夕方ということもあり逆光。
しかも、カメラも古かったので、望遠に限界があり、いい写真が撮れなかった。
で・・・今回は・・・と思ったが・・・・
時刻は4時40分・・・
暗い・・・
しかも、このカメラ・・・
ズームは満足できたが、画質がねぇ~・・・気に入らぬ!
はぁ~ガッカリ・・・(笑)
まぁ、前回よりは少しマシな写真が撮れたと思うが、でも、気に入らない。(笑)

驚いたことに銅像の前に『安藤對馬守信正公銅像の記』という説明板が建っていた!
平成18年12月に建てられたらしい。
建てたのは、「磐城平藩主安藤家入部250年記念事業実行委員会」
教育委員会ではない。
ふ~ん・・・・やっぱりねぇ~(笑)
銅像の側には『安藤對馬守信正公銅像ノ記』という大正11年に建てられた石碑があるのだが、何の説明板もないので、石碑の碑文が読みづらいのだからわかりやすい説明板でも設置したほうがいいのではないかとホームページに書いた。
まさか、関係者がそれを見たからというわけでもないだろうと思うのだが・・・
なんと!
わかりやすい説明板が設置されていたのには驚いた。
感激である!(笑)

帰りに喫茶店に立ち寄り休憩。
またまた拙者の我儘が噴出!(笑)
「ケーキが食べたい!」
本来ならば・・・食事制限中の後輩を前にして言える言葉ではないのだが・・・(笑)
やっぱり拙者は「鬼」である。
“シミズくん”もケーキを食べる羽目になる。
ムフフ・・・君のこれまでの努力もこのケーキで全て水の泡だねぇ~(笑)

拙者が頼んだのは「カトルカール」という名のケーキ。
ケーキセットで890円なり!

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“シミズくん”を家まで送り・・・・解散!
今日は充実したいい一日だった!
彼にとっては、折角のダイエットが水の泡になった最悪の日だったかも知れぬが・・・(笑)

日記 | 22:07:15 | Comments(0)
福島県いわき市方面へドライブ(1)
今日は、水戸藩士の“シミズ殿”からのお誘いで、いわき市方面へドライブに行く。
どこへ行くかは・・・よく知らない!(笑)
“シミズ君”のご案内。
脳梗塞で倒れた後の彼の健康状態が多少は気になったが・・・
本人が大丈夫だって言うんだから大丈夫なんでしょ。(笑)
人間・・・死ぬ時は死ぬんだし・・・・(ちょっとヒドイ言い方か?笑)
それより、精神的に参ってしまうほうが心配だ。
たまには好きなことをして気分転換も必要だろう。
・・・・なんて、拙者にとって都合のいい解釈を付けて・・・出かける!(笑)

まず、最初は・・・・いわき市植田の鮫川河川敷公園。
ここに『吉田松陰先生遊歴之地』という石碑が建っているという。
残念ながら、教育委員会等により「説明板」の設置はされていなかった。
教育委員会とか観光協会は何をしておるのかねぇ~
こういう石碑があるんだからさぁ~
ちょっとした「説明」が欲しいよなぁ~

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続いていわき市勿来市民会館前の星一(ほしはじめ)の銅像の写真を撮る。
お~星さん!
星一とは確か、作家の星新一のお父上ではございませんか?
へぇ~いわき市の出身だとは知らなかった。
星製薬(株)の創業者で、星薬科大学の前身の星薬学専門学校の創立者。
拙者が小学生~中学生時代によく星新一のショートショート集を読んだ。
あ~あの人のお父さん!

碑文に面白いことが書いてあった。
星さんの言葉だろうか・・・

『親切第一』
自己に親切なれ
何人にも親切なれ
職務に親切なれ
物品に親切なれ
時間に親切なれ
金銭に親切なれ
親切は平和なり
繁栄なり 向上なり
親切に敵なし
親切は世界を征服す

それにしても・・・・
デジカメで写真を撮ってモニターで確認してみたが、どうも気に入らない。
これをパソコンの画面で見るとなおさら気に入らない。
この間の旅先で買ったデジカメ・・・・
画像が以前のものよりもシャープではないのだ。
どこか設定を間違えているのだろうかと思うほどシャープではない。
写真の明るさのコントラストも気に入らぬ。
同じメーカーで、しかも画素数も以前のものより多いという機種なのに・・・
最新の機種のほうが綺麗に撮れて当然だと思うのだが・・・
一昔前の機種のほうが画像が綺麗って・・・どういうこと?
使い捨てカメラで撮った写真と一眼レフで撮った写真ほどの差があるのだ。
おかしい・・・・絶対、おかしい・・・・
う~ん・・・面白くない!(笑)

続いて、いわき市金山町にある金山公園に行く。
ここは「安寿と厨子王ゆかりの地」らしいのだが・・・
名前はどこかで聞いた覚えがあるが・・・・安寿って誰?厨子王って誰?
母子像が建っていたので、写真を撮る。

時刻は、ちょうどお昼だが・・・
ここに来る前に、途中で見かけた神社に銅像らしきものがチラリと見えたので戻ってみる。

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行ってみたら・・・・出羽神社という名の神社。
小山の頂上にあるらしい。
この山は、「汐谷城」または「塩谷城」という城跡らしい。
急傾斜の石段を登らねばならぬのだが・・・

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“シミズくん”大丈夫かね?
「こんな急な石段を登っている途中で脳の血管がプツンと切れたら冗談じゃすまねえぞ~」
「多分・・・大丈夫でしょう」というので、意を決して二人で石段を登ったが・・・・
なんと!
息が切れてヘトヘトなのは拙者のほう。(笑)
あ~キツイ!
「病人」の“シミズくん”は平気な顔をしている。
毎日、食事制限をして摂取カロリーの調整と運動をしてコレステロールの低減に励んでいるのだという。
毎日の運動のおかげで息も切れないのだろう。
「健康体」であるはずの拙者のほうが息を切らせているようでは・・・問題だ。(笑)
他人を心配するどころではない。
拙者のほうが危ない!(笑)

頂上に上ったが、そこには神社の社殿がポツンとあるだけ・・・・
城跡の説明板もなにもない!
この町には教育委員会というものは無いのか?
説明板を建てる金も無いのか?
城跡で、しかも厨子王の「ゆかりの地」ならば、石碑とか説明板を建ててもよさそうなもんじゃないか?
息を切らして登ってきたっていうのに・・・・ガッカリじゃ。

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が・・・しかし・・・頂上からの景色は絶景だったので許すかぁ~(笑)
また、急な傾斜の石段をトボトボと降りる。
ただただ自分の体力の無さを実感しただけで終わってしまったが・・・
いつものスーツ姿じゃなかっただけ良かったとするかぁ~

日記 | 21:08:30 | Comments(0)
1周忌の案内状
従弟で印刷会社の“シンゴちゃん”が1周忌の法要の案内状を持ってきてくれた。
先日、急遽、彼に印刷を頼んだのであるが、忙しいであろうに、あっという間に作って持ってきてくれたのである。

当初は、法要の案内を口頭で伝えることにしたのだが・・・・
母のほうの親戚はそれで良かったが、親父のほうの親戚からは猛烈なブーイング!
「文書で知らせるのが筋だろう!」とのこと。
確かに、細かいことを言えばそういうことになる。
本来は1周忌には母の親しかった友人やお世話になった人も呼んで行うべきだと思うのだが・・・・
親父がどうしても嫌だというのである。
何を言っても「必要ない!」を連発。
一度言い出したら人の話に耳を貸さない。
頑固である。
で・・・・後になって・・・・「失敗したぁ~」となるのだが、毎回それを経験しても反省しない。(笑)
「学習能力」が無いんだな~(笑)

ということで、法要に呼ぶのは親戚だけ。
そうなると、身内だけなのだから電話でよかろう・・・・と親父は考えたが・・・甘かった。
「非常識だ!」と猛烈な反発をくらった。
他人に法要の案内をするなら文書でするのが礼儀だろうが・・・
身内だからねぇ~・・・・・というのは通用しない。
まぁ、親父の兄弟だから・・・どっちもどっち・・・である。
人を「非常識」呼ばわりできるほど相手は「常識」があるのかといったら・・・・そうでもない。(笑)
「じゃぁ、言わせてもらいますけど・・・」となったら、いくらでも相手の過去の非常識は指摘できちゃうのだが・・・(笑)
どうしても、そうしろって言うなら・・・ということで、急遽“シンゴちゃん”に印刷を頼んだ。

“シンゴチャン”の母親は拙者の母の妹。
つまり、案内状を送る相手に案内状の印刷を頼むという変な話になってしまったが・・・・
「商売ですから~」と快く受けてくれたので助かった。
急遽、ドタバタで、短納期でお願いしたのにねぇ~
これが親父の親戚だったら再び「非常識」呼ばわりされただろう。
頼んでも「非常識」、親戚を使わず他社へ頼んでも「非常識」
どちらに転んでも「非常識」と言われる。(笑)
“シンゴちゃん”が母方の親戚でヨカッタァ~(笑)

忙しい中に納品してもらったが、家に上がってもらい・・・雑談!
いわゆる「馬鹿話」!(笑)
大いに笑って楽しむ。

日記 | 12:00:38 | Comments(0)
タケノコご飯!
“ウメちゃん”から電話・・・・
奥さんのお母さんがタケノコご飯を作ったから拙者に取りに来るようにと言っているという。
「迷惑だろうけど・・・どうだろうか?」とのこと。
とんでもない!
ありがたい!
今年はタケノコご飯は食べられないものと諦めていたのだが・・・
いただけるのなら、いただきたい!(笑)

ゴルフ会員権の営業マンを追い出して(笑)から、急ぎ“ウメちゃん”の奥さんの実家へ器を持って向かう!(笑)
ホカホカのタケノコご飯を頂き・・・・帰宅!
今晩の夕食はタケノコご飯だ!
ついでに頂いた菜の花を使って味噌汁も作る。
ありがたし!
感謝!感謝!

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日記 | 11:44:42 | Comments(0)
ゴルフ会員権売買
夕方、東京からゴルフ会員権の件で業者がやってきた。
先日、電話で勧誘を受けたのだが、面白そうなので話を聞こうと思い呼んだのである。
何が「面白そう」なのかというと・・・・
拙者が持っている会員権が、いまどき、60万円になるという。
そんな値段が付くはずがないのだが・・・・(笑)

さて、話を聞いてみたら驚いた。
まず、拙者のゴルフ会員権を「下取り」という形で買い取ってもらう。
が・・・これは値段が付かないからタダ。
お金にはならない。
あくまでも「下取り」。
その代わり、いくばくかのお金を払って中国のゴルフ場の会員権を買う。
すでにこの会員権の買い手が決まっているので、そこに売る。
すると、手数料等を差し引いても・・・60万円が拙者の手元に入るとのこと。

「おお!こりゃ、美味しい話だ!」と言いたいところだが・・・・(笑)
話の筋が通らぬ。
だいたい、中国のゴルフ会員権を購入するのにタダ同然の拙者の会員権を差し出さねばならない理由がわからぬ。
そんなことをしなくても、ストレートに中国の会員権を買えばいいだけじゃないか?
自分の会員権をタダで渡して、更に数百万円を払って会員権を買うのか?(笑)
それに、既に買い手が決まっているので間違いなく60万円が得られるというが、それなら何も拙者に話を持ちかけなくてもよかろう?
自分で買って儲ければいいじゃないか?(笑)
開いた口がふさがらないとはこのことぞ。

30代の営業マン。
本気でこんなことを信じて仕事をしているのか?
詐欺同然の営業ではないか。
下手したら、自分の会員権は取られるし、中国の会員権は売れないし・・・で、大損害を受けるのは目に見えてるではないか?
呆れちゃうよなぁ~
だいたい、東京から電車に乗って拙者に会いに来たという。
ん?その経費はどこから出るのかね?(笑)
で・・・「給料はいくらもらっているの?」
「手取りで・・・50万円ぐらいです」
はぁ?
ゴルフの会員権売買で管理職でもない一営業マンが月給50万円も取れるかね?
嘘か本当かはわからないが・・・・(笑)
その話が事実だとして、その給料はどこから出てくるの?
売買手数料だけでは無理だろう?
益々怪しい話ではないか?(笑)

雑談をしているうち何を思ったか彼は拙者の事を“その筋”の人と勘違いしたらしい。(笑)
ならば・・・そういうことにしよう!
「誰を相手に商売するつもりなんだ?ん?相手を見て話をしろよ」と凄んで見せたら、「すみません」と言って帰っていった。(笑)

拙者と同じゴルフ場の会員である“ケムチャン”に連絡をして、ことの次第を報告して注意を喚起する。
営業マンに尋ねたところ会員名簿を見て営業をかけているという。
とりあえずゴルフ場の理事をしている“ケムチャン”に話をしておけば、他の会員にもこの件は伝わるだろう。

日記 | 11:06:59 | Comments(0)
山桜、満開!
今日は母の祥月命日。
母の墓参りに行く。

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村の入り口にあるお寺には大きな山桜の木がある。
丁度、桜が満開!
県指定の天然記念物。
公式には樹齢300年と言われているが、400年との説もある。
このお寺を開いたのは、拙者のご先祖様。
ご先祖様がお寺を開いた時か、その前からか・・・この山桜はここでずっと毎年花を咲かせていたのである。
母のお墓からは直接、この桜を見ることは出来ないが・・・
直ぐ近くに眠っているからこの満開の花を喜んでくれているのではなかろうか?
今月は花見を兼ねた墓参りとなる。
ここにお墓を立てて本当に良かったと、改めて思う。

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帰りに本屋に立ち寄り本を買い、ついでに花屋にも寄って花を買う。
またまた玄関前に植えることにする。(笑)

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(ボンザマーガレット)

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(オステオスペルマム)

絶対覚えられない名前である。(笑)
どうして、こんな舌を噛みそうな名前を付けるのかねぇ~
キク科の花で別名はアフリカンデージーという。
こっちの名前のほうがわかりやすい・・・・

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(カリブラコア)

別名はリリカシャワー(ディープイエロー)
ナス科の花だという。
へぇ?
この花が・・・ナス?
黄色い小さな花が咲くはずなのだが・・・・果たしてどうなるか・・・(笑)

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頭にくるのがこの花・・・・松葉菊!
以前、植えてから一度も花を咲かせないのである!
この大バカ野郎!
裏切り者め!
蕾ばかり立派なだけで、全然咲こうとしない。
お~い!起きろ!目を覚ませ!(笑)

日記 | 13:13:42 | Comments(0)
オオモリさんの体験談
野砲兵第22連隊の“オオモリさん”から著書が届いた。
以前、会報に自分の戦時中の体験談をまとめた本を自費出版した記事が載っていたので、是非読ませてもらおうと思っていたのだが、連絡が延び延びになっていた。
そのうち・・・『曙光会』の会合でお会いすることになったので、手紙でお願いするより直接お願いしようと、この間の会合の時にお願いしておいた。
忘れずにお送りいただき感謝、感激!

拙者が撮った“オオモリさん”の写真をお送りしたのは昨日だから・・・・
写真が届いたお礼にお送りいただいたわけではないのは明らか。

“オオモリさん”は野砲兵第22連隊の本部にいた方。
野砲兵第22連隊は京都の第16師団隷下の部隊。
私の祖父は第16師団の副官をしていたことがあるので・・・・
そう考えると、不思議な縁で結ばれている。

部隊はレイテ島へ向かったが、氏は病気のためルソン島に残された。
入退院を繰り返しながら、なんとか部隊の後を追おうとしたが、時既に遅し・・・
部隊はレイテ島で全滅してしまう。
その少し前に、偶然、マニラ近郊のパコ駅のプラットホームで連絡業務でマニラに来ていてレイテ島に戻る上官に偶然出会う。
これが上官と会う最後となろうとは・・・・
氏は病院へ入院し、上官はレイテ島へ戻り戦死した。
そのパコ駅には、これまた不思議なことに拙者は2回ほど訪れている。
現在では鉄道は廃線となり、駅舎だけがポツンと残っている。
あ~あの駅か・・・・本を読んでいて現地の様子が目に浮ぶ。

氏は戦局の悪化に伴い北部山岳地帯へ移動。
拙者の祖父が米軍の進攻を必死に食い止めて血みどろの戦いをしている峠を越えて、更に北部に移動するが、ゲリラに襲われ捕まる。
目の前で他の兵士がゲリラに虐殺され、次は自分の番・・・・
その時に一人の現地人女性の一声で虐殺から助け出される。
氏はこの女性のことも知らないし、何で助けてもらえたのかもわからないという。
会ってお礼を言いたいが、彼女の顔も覚えていないと言う。
観念して下を向いていたので、彼女の足しか見えなかったらしい。
その後、米軍に引き渡されて捕虜となり、戦後、無事に復員。
運の強い方である。

ゲリラに捕まった場所はバヨンボンという町の近くらしい。
あの町には9年前に一度行ったことがあるが・・・・
夜中に到着して早朝に出発してしまったので、町の景色をよく覚えていない。
それでも、当時はどんな感じだったのか・・・・なんとなく感じることが出来る。
不思議なのだが・・・
本を読んでいても自分のことのように思えてくる。
当時の雰囲気・・・風・・・臭い・・・・
感じるのである。

日記 | 12:39:02 | Comments(0)
あっ、検査!
新たに生命保険に入るため、今日は病院の診断を受けに行く。
N社の2名の外交員がお迎えに来て付き添い。
何だか護送される囚人みたい・・・・(笑)

「簡単な検査と問診がありますから・・・」と言われ・・・・
あれ?
検査?
昨日・・・・お酒を飲んじゃった!(笑)
大丈夫かね?
検査ねぇ~すっかり忘れていた。

ところが病院に行ったら緊急の手術が入ったため診察にしばらく時間がかかるという。
「今まで10数年間やってきたけど、こんなことは初めて」と外交員の“アライさん”
仕方がないので、病院近くの喫茶店で時間を潰し、再度病院へ戻るが・・・
看護師の話では「いつ先生の手が空くかわからない」とのこと。
今日の受診は諦めて家に戻る。
う~ん・・・・ナイス!
外交員二人は散々ぼやいていたが・・・・(笑)
拙者は、こりゃ幸運だと内心思う。


日記 | 12:27:00 | Comments(0)
まさかの遅刻!
先日の『曙光会』で撮影した写真をプリントして手紙を添えて送る。
全部で9名。
昨晩から作業をしたのだが・・・
面倒臭いのは・・・手紙!(笑)
手紙を書くのが大の苦手。
モタモタして中々進まず、ようやく書き終えて封をして・・・・郵便局に行く。

さて・・・
1週間も旅行をしていたので、どこかしら“浦島太郎”状態。
今週以降の予定ってどうなってたっけ・・・・
久しぶりに手帳を見てみた・・・
ん?ん?
あれ?
「4月21日6時から法人会青年部会の理事会」と書いてある。
あれ?
今は・・・・6時10分!
あ!
やっちまった!
今日は理事会だ!
すっかり忘れてた!

部会長の“ケムチャン”に電話を入れて、30分以上遅刻する旨を伝えて、急いでスーツに着替える!
親父には申し訳ないが夕食の準備はしてやれない。
「適当に冷蔵庫の中のものを食ってくれ!」と言って飛び出す。(笑)

大幅に遅刻して会議に参加。
今回の会議は来月の総会に関する打ち合わせ。
すでに議事の半分が終わっていたが・・・・
参加することに意義がある。(笑)
とは言うものの・・・食事をしながらの会議なので、拙者の場合は食事をしに来たような感じになってしまった。(笑)

会議後“ケムチャン”に誘われクラブに飲みに行く。
「考えられねぇよなぁ~」と言う。
「何が?」
「普通は、遅刻するとなったら、そのまま欠席するのが普通なんだけどね。今から行きますと言われたときには驚いたよ。当然、ドタキャンの電話だと思っていたから・・・・」と言う。
え?そうなの?
でもなぁ~「出席します」って通知を出していたからねぇ~
「出席」って言っておいて欠席したのでは拙者の気がすまない。
大幅に遅刻しても会議中に間に合うなら・・・・行かねばなるまい!(笑)
しかし・・・自分でも驚いたが・・・・よく、6時10分に気が付いたよなぁ~
その直前まで全く頭の中になかったからねぇ~
“何者か”が拙者に教えてくれたとしか思えない。

「遅刻しても駆けつけてくれたのが嬉しい」と言って支払いは“ケムチャン”
あらら・・・
遅刻した挙句、お酒までご馳走になってしまった!
なんとも申し訳なし!
が・・・ありがたし!

日記 | 12:12:43 | Comments(0)
タケノコ掘り。
今日は“ウメちゃん”の奥さんの実家に行き、タケノコ掘り!
この季節恒例の拙者の行事である。
“ウメちゃん”は午前中から早くも山に入ってタケノコ掘りをしており、拙者は一足遅れて午後から参加。
“二人”仲良く並んでいるタケノコを発見!
ゲット!ゲット!(笑)

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1シーズンで大体700~800本ぐらいタケノコを取る。
今日は約100本。
そのうち拙者が掘ったのは20本程度。
あとはみんな“ウメちゃん”の戦果。
たった20本程度なのだが、山の斜面で鍬をふるっての作業なので結構キツイ。
汗でビッショリとなる。
しかし・・・これが、またいい運動なのである。
拙者の場合は遊び半分。
普段、運動なんかしていないから、タケノコ掘りはいい運動になるのだ。

作業後に、“おばさん”手作りのタケノコの味噌汁を御馳走になる。
掘りたてのタケノコですからねぇ~
美味しいのなんのって・・・・

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玄関先に座り込んで味噌汁をいただく。
「帰りに何本か持って帰って!」と言われたが・・・・
母が亡くなったので・・・・持って帰っても料理のしようがない。
生前、教えてもらっておけばよかった・・・・
毎年、何本かもらって、毎日タケノコご飯を食べていたのだが・・・・
もう、それも出来ない。

「タケノコ掘りの手伝いに来てもらって手ぶらで帰すわけにはいかない」と“おばさん”
茹でたタケノコをお土産にいただく。
拙者としては運動のために来ているので・・・・お土産なんかもらったのでは申し訳ないのだが・・・・
たった20本しか掘ってないし・・・・(笑)
味噌汁をご馳走になり、更にお土産までいただいて帰る。
ありがたし!

日記 | 11:46:49 | Comments(0)
豆腐の差し入れ
突然、小学生時代の友人である“ムラタ君”がやって来た。
彼は豆腐屋。
豆腐を届けに来た。
「ろくなもんを食ってねぇだろうから・・・・」と言って玄関先に置いて行く。
「上がったら?」と声をかけたが、「忙しいから」と言って帰っていった。

彼とは小学生からの付き合いだが、マイペースな男なので他の同級生からは相手にされない存在だった。
20年前まではよく喫茶店でコーヒーを飲んでおしゃべりをしたものだが・・・
その後、いろいろあって喧嘩別れをして疎遠になっていた。
昨年、母が亡くなったのを知り、焼香にやってきたのが久しぶりの再会。
その後、時々いきなりやって来て豆腐を置いて行く。
しかし・・・なぜか、いつもタイミングが悪い。
拙者が旅行中で不在の時に来たり・・・・・
ようやく会えたかと思ったら「忙しい」の一言で帰ってしまうから困ったもんだ。
相変わらずマイペースな男ではあるが・・・
20年も疎遠になっていても気にしていてくれていたのか・・・と嬉しく思う。

日記 | 17:29:37 | Comments(0)
今日も雨だ!
今日は風雨強し!

雨の中、傘をさして銀行に行く。
いつも車で行くが、たまには歩いていくのもよかろう。
風雨が強いときに何でそういう考えが浮んだのか・・・自分でもわからない。
傘が散々あおられる。
思ったよりも風が強い。
ちょっと気を抜いていると、いきなり傘を持っていかれそうな強い風。
いやぁ~こりゃツライ。

昨日、帰宅してよかった。
無理をして、もう1泊なんて考えていたら悲惨な結果となっていたに違いない。
この雨と風じゃJR常磐線もダイヤが乱れるだろうし・・・・
拙者の判断は正しかった。
昨日のうちに帰ってきておいてよかった・・・などと変なときに変な納得をする。(笑)

日記 | 17:19:38 | Comments(0)
雨だ!
天気予報が外れてくれればいいな~と思っていたが・・・・
こういうときは何故か外れない。(笑)
外は・・・雨!

今日は、出来れば犬山城でも見てから帰ろうと思っていたのだが・・・・
雨の中、お城を見に行くのは・・・・ねぇ~
億劫なので、ホテルをチェックアウトして、そのまま家に帰る事にする。


日記 | 17:16:04 | Comments(0)
河村瑞賢宅跡
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河村瑞賢(ずいけん)宅跡

瑞賢は、元和3年(1617)伊勢国に生まれ、後に江戸へ出て土木建築を請け負い、巨富を得て江戸屈指の材木問屋となった。
彼の才知は、海運・治水の事業に最も発揮された。
日本海沿岸から江戸へ年貢米を運ぶ東廻(ひがしまわり)航路、西廻(にしまわり)航路を確立すると共に、淀川の治水にも貢献した。
また尾張藩に招かれてこの地に住み、御用水や堀川等の水行の便について意見を述べたといわれる。

名古屋市教育委員会

(説明板より)

河村瑞賢宅跡


史跡 | 21:15:28 | Comments(0)
東照宮
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東照宮

由緒記 東照宮
御祭神 徳川家康
例祭日 4月17日
創建 元和5年9月17日

当社に奉斎する家康公は尾張徳川家中興の祖にして名古屋の地を開き、城を築きて第9子義直公(尾張藩祖)を以て始めて居城せしめられ、名古屋開府の祖神にして恩神でもあります。
家康公逝去後3年即ち元和5年(1619)9月17日に義直公は日光山鎮座の式に準じて城郭内三の丸に社殿を創建し天台宗尊寿院並びに神主吉見氏を以て奉斎せられ社領1千石を附せられたが廃藩と共に廃せらる。
明治5年5月村社に列せられ、同年8月8日県社に昇格、同9年10月旧藩立校明倫堂跡地即ち現在地に遷座される。
建物は創建以来の権現造の本殿、渡殿、楼門、唐門、透塀、楽所、社務所等極彩色の国宝の諸建造物が並び輪郭の美を極めていたが戦災を被り烏有に帰す。
現在の本殿は昭和28年10月尾張徳川家より藩祖義直公の正室高原院殿(春姫)の霊廟(慶安4年(1651)建立)を移築し、社殿とする。
昭和35年6月愛知県重文に指定さる。
例祭は家康公三年忌に当る元和4年より斎行せられ名古屋祭と称し16日は舞楽を奏し、17日は神幸の儀が行われ、神輿を始め山車9両が若宮八幡社迄渡御す。
山車は戦災に依り悉く焼出せり。

(説明板より)

東照宮


史跡 | 20:42:13 | Comments(0)
明倫堂跡
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明倫堂跡

明倫堂は尾張第9代藩主徳川宗睦(むねちか)が、藩士の子弟の教育のために建てた学問所(藩校)である。
天明3年(1783)4月、細井平洲(へいしゅう)を初代総裁に迎えて開講した。
平洲は在職9年の間、明倫堂を中心に広く各地で教えを説き、武士をはじめ農民・町人の別なく彼の講義に列することを許した。
明倫堂は明治4年(1871)廃藩置県により廃校となるまで、名古屋をはじめ尾張全域にわたって政治的にも社会的にも大きな影響を与えた。

名古屋市教育委員会

(説明板より)

明倫堂跡


史跡 | 19:24:06 | Comments(0)
那古野神社
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那古野(なごや)神社

延喜11年(911)の創建といわれ、素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祭神とする。
もとは天王社又は亀尾(かめのお)天王社ともいい、城内三の丸にあった。
慶長15年(1610)名古屋城築城の際、徳川家康が御神籤(おみくじ)でもって神意を伺ったところ、遷座不可と出たため、そのまま城内に留まり城の鎮護、名古屋の氏神として祀(まつ)られた。
明治9年(1896)現在地に移され、明治32年那古野神社と改称された。
かつて6月15日・16(現在は7月15・16日)の例大祭には車楽(だんじり)が曳(ひ)きだされ、また近隣からも山車が集まって、夏の城下町名古屋を鮮やかに彩った。

名古屋市教育委員会

(説明板より)

那古野神社


史跡 | 18:36:18 | Comments(0)
「ニッポン号」世界一周飛行達成記念
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「ニッポン号」世界一周飛行達成記念

1939年(昭和14年10月20日)毎日新聞社機「ニッポン号」が、世界各国親善友好のため太平洋・大西洋無着陸翔破、世界一周飛行の大偉業をなしとげました。
(所要時間 194時間、全航程 52,886km)
ここにその壮挙を記念して銘石「紫雲石」を奉納するものなり。

毎日新聞中部懇話会

(説明板より)

「ニッポン号」世界一周飛行達成記念




史跡 | 17:58:01 | Comments(0)
人見璣邑宅跡
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人見璣邑(ひとみきゆう)宅跡

人見弥右衛門(号璣邑)は、享保14年(1729)幕府の儒官人見家の次男として生まれ、尾張藩士であった叔父の養子となった。
9代藩主徳川宗睦(むねちか)に用いられ、世子治休(はるよし)の教育を担当し、治休の死後は、国用人、国奉行に抜擢されて改革の推進者となった。
庄内川分水、日光川潮入り工事などの治水や明倫堂の開設など幾多の重要な藩政に貢献し、寛政9年(1797)この地で没した。
墓は昭和区石仏町1の80善昌寺にある。

名古屋市教育委員会

(説明板より)

人見璣邑宅跡

史跡 | 16:42:07 | Comments(0)
二之丸大手二之門
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二之丸大手二之門

この門は二之丸西側にある枡形の外門となるもので、内門である大手一之門(現存せず)と共に古くは西鉄門といわれ、二之丸正門を形成していた。
俗に枡形御門ともいい、一間一戸、屋根切妻造本瓦葺で、高麗門の形式をとる。
なお、二之丸東側には東鉄門と称されていた二之丸東二之門があったが、現在は本丸東二之門跡に移築されている。
共に国の重要文化財に指定されている。

名古屋市教育委員会

(説明板より)

二之丸大手二之門


史跡 | 16:10:59 | Comments(0)
名古屋を歩く
ホテルにチェックインして荷物を置いて・・・・また出かける!
雨が降り出しそうな空模様。
明日はどうやら雨になるらしい。
ならば・・・今日のうちに回れるところを回っておかねば!(笑)

タクシーで県警本部前まで向かう。
以前には全く知らなかったのだが、この周辺は旧陸軍の施設があった場所らしい。
記念碑等の写真を撮るのが今回、名古屋に1泊する目的の一つなのである。

先ず最初が・・・
県警本部近くにある名古屋第3師団司令部の遺構。
煉瓦塀の一部が残っているのみ。
この煉瓦塀の由来を示す説明板等の設置はされていない。

続いて名古屋城二の丸へ向かう。
ここには歩兵第6連隊があった。
行ってみたら・・・
思った以上にいくつもの記念碑等が敷地の隅に建立されていた。
ちょうどホームレスの“おじさん”もいたが・・・移動していただき・・・(笑)・・・写真撮影!
連隊の兵営があった場所には現在、愛知県体育館が建っている。

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次ぎは・・・・名古屋市役所。
騎兵第3連隊跡の碑があるが・・・碑の前の歩道には自転車がズラリ・・・・
放置自転車なのか、違法駐輪なのか・・・
歩道上だから駐輪場とは思えないのだが・・・・
ここにも説明板は設置されていない。

お隣の名古屋県庁には大きな看板が・・・・

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この看板によれば・・・
2010年は名古屋城開府400年になるのだそうで、本丸御殿を復元するらしい。
う~ん・・・楽しみである!

官庁街をウロウロ・・・グルグル・・・歩き回り・・・
法務局隣の公園にある野砲兵第3連隊跡の碑を撮影!
しかし・・・碑文が薄くてよく見えない。
やむを得ない・・・書き写すしかあるまい。
道行く人の怪訝そうな視線を背中に感じながら・・・(笑)・・・碑文をメモする。

時刻は午後5時を過ぎた。
一応、名古屋でのメインの目的は達成!
まだ、少し明るいので、近くの『愛知県護国神社』に寄ってみる。
前回ここに来たのは平成15年・・・・5年前のことである。
そんなに経つのかなぁ~

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護国神社の裏に『桜華会館」という建物があり、ここに資料館がある。
平成15年に来た時に、立ち寄るのを忘れてしまったので、今回、寄ってみたのだが・・・
残念ながら資料室の開館時間は午後4時までとのこと。
すでに閉館から1時間半も経っているが、会館の職員の方がご親切にも資料室の担当者に連絡をして確認してくださった。
が・・・やっぱり・・・無理とのこと。
申し訳なさそうに言われたが、閉館後1時間半も経っての訪問なんだから、これは当然だ。
逆に、わざわざ交渉してくださったことに感謝である。
それにしても、4時に閉館とは早いよなぁ~
次回、名古屋に来たら・・・今度こそ早い時間に寄ってみよう。

さて・・・あとは・・・ホテルへ戻るだけ。
タクシーで戻ったのでは面白くない。
運動がてら歩いて戻ることにする。

『那古野神社』に立ち寄ってみたら、隣に『明倫堂跡の碑』があった。
意外な発見!
その隣りに『東照宮』があるが、何やらお祭をしているようで・・・狭い敷地に人だかり。
なにやら舞台で“舞い”を舞っている。
何の神事かわからぬが・・・
フラフラ歩いていると、こういうものに偶然出会うから面白い。

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時刻は6時・・・
チラチラと雨が降ったり止んだりだが・・・傘をさすほどではない。
日も沈み薄暗くなりかけたところで・・・
河村瑞賢宅跡』を偶然発見!
おお!ナイスタイミング!感激である。

約3時間の“名古屋市内ぶらり旅”を終えてホテルに無事帰還。
う~ん・・・充実した一日だった~
今日は2万1708歩、約11.9キロ歩いた!

日記 | 15:38:21 | Comments(0)
東照公遺訓碑
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東照公遺訓碑

人の一生は重荷を負(おい)て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず、不自由を常とおもえば不足なしこころに望(のぞみ)おこらば困窮(こんきゅう)したる時を思いだすべし、堪忍(かんにん)は無事長久(ぶじちょうきゅう)の基(もとい)、いかりは敵とおもえ勝事(かつこと)ばかり知りてまくる事をしらざれば害(がい)其身(そのみ)にいたる、おのれを責て人をせむるな、及ばざるは過(すぎ)たるよりまされり。

慶長8年正月15日

人はただ身のほどを知れ草の葉の 露も重きは落つるものかな。

(説明板より)




東照公遺訓碑由来

この東照公遺訓碑は、額田郡岩津町奥殿(岡崎市奥殿町)出身の加藤賢治郎翁が岡崎市へ寄贈されたものである。
翁は、岡崎銀行(東海銀行の前身)を創立し、長く同行頭取、相談役として金融界に尽力されたのをはじめ、岡崎商工会議所会頭として、本市の経済界の発展に寄与され、昭和18年3月98歳の天寿を全うされた。
翁は、終生、徳川家康公の遺訓を座右の銘とされ、これを後世の市民の教化育成に資するため、家康公研究者柴田顕正氏と相図り、この実現の為に時の小瀧市長の賛意を得て建立に至った。
碑文の文字は田安家徳川達孝氏に、礎石は万年の亀を据え、碑頭には竜城を象徴する竜を配し、制作施工は岡崎石工研究所長池上年氏に委ねられた。
碑裏面には、昭和11年4月16日建立とのみ刻み、寄贈者名は翁の意思により省略されたままであるが、本年は、遺訓碑が建立されて50年、また、岡崎市制70周年の記念すべき年にあたり、記念事業の一環として、この遺訓碑建立の由来を記し、あわせて加藤九十八翁を顕彰する次第である。

昭和61年12月26日
岡崎市長 中根鎭夫

(説明板より)

東照公遺訓碑


史跡 | 14:25:52 | Comments(0)
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