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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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長浜公園
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長浜公園

「長浜公園・野鳥観察園」にある大きな池は、明治28年、長浜検疫所開設時につくられた船たまり(港)あとで、現在ある公園敷地のほとんどは海の中でした。
昭和40年代後半になると金沢沖の埋立がはじまり「長浜公園」は埋立事業当初より、計画的に公園として配置されました。
そこで、水路によって海とつながり、潮の満ちひきによって水位が変わる大きな池を活かし、ヨコハマではじめての人工干潟をつくり、すぐれた自然環境を楽しめる公園として整備しました。

(説明板より)

長浜公園




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史跡 | 19:16:34 | Trackback(0) | Comments(0)
楷樹
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楷樹(孔子木)
(かいじゅ)(こうしぼく)

この木は昭和14年11月8日に植えられたもので、植物学上うるし科に属し、和名を「トネリバハゼノキランシンボク」、一般には楷(かい)の木と呼ばれている。
しかし世界的な植物学者牧野富太郎氏によって新たに孔子木と名づけられた。
中国と台湾に多く産するが、日本ではほとんど見ることができない。
わずかに孔子信仰と関係ある東京湯島の聖廟、足利市の足利学校などに植樹されている。
栴檀(せんだん)や黄櫨(こうろ)の木に似ているが、それより品良い葉形をしており、若葉の頃がもっとも美しい。

(説明板より)

楷樹


史跡 | 18:00:59 | Trackback(0) | Comments(0)
北条顕時・金沢貞顕の墓
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北条顕時・金沢貞顕の墓

顕時(1248~1301)は北条実時(さねとき)の子で、鎌倉幕府の重職であった引付衆(ひきつけしゅう)、評定衆(ひょうじょうしゅう)などを歴任しました。
1285年の霜月騒動(しもつきそうどう)によりまして一時政界を退きましたが、その間、禅に傾倒し、五山版(ござんばん)のさきがけとなります『伝心法要(でんしんほうよう)』の開版をおこないました。
貞顕(1278~1333)は顕時の子で、六波羅探題(ろくはらたんだい)をつとめたのち、第15代執権(しっけん)となりました。
和漢の書物を多数収集し、金沢文庫(かねさわぶんこ)を国内屈指の武家の文庫に創りあげるとともに、称名寺の伽藍(がらん)や庭園の整備につくし、その最盛期を築きました。
1333年、新田義貞(にったよしさだ)の鎌倉攻めにあい、北条高時および北条氏一族とともに鎌倉の東勝寺で滅びました。
墓地は、従来、向かって右の五輪塔(ごりんとう)貞顕、左の五輪塔が顕時の墓とされていましたが、1935年に右の五輪塔から青磁壺(せいじつぼ)(重要文化財)が発見され、さらに、その五輪塔の様式等から右の五輪塔が顕時、左の五輪塔が貞顕で南北朝期の供養塔と確認されました。

平成6年3月31日
横浜市教育委員会

(説明板より)

北条顕時・金沢貞顕の墓


史跡 | 17:04:15 | Trackback(0) | Comments(0)
中世の隧道
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中世の隧道(史跡・称名寺)

この隧道(すいどう)(トンネル)は、中世につくられたものです。
称名寺の伽藍が完成した元亨3年(1323)に描かれた「称名寺絵図」には、阿彌陀堂のうしろの山麓に両開きの扉があり、その洞門(どうもん)の位置に一致します。
江戸時代には、隧道の向こう側には「文庫がやつ」という地名があったことが、記録されており、鎌倉時代の金沢文庫の遺跡の有力な候補地です。
県立金沢文庫の建設直前の発掘調査では、この隧道に続く中世の道路が検出されております。
なお、東側は風化が進んでいますが、西側は、比較的旧状を残しており、扉の支柱の痕跡も見られます。
この隧道は、国指定の史跡称名寺と金沢文庫をつなぐ重要な遺跡で、永久に文化財として保存されます。

(説明板より)

中世の隧道


史跡 | 16:32:02 | Trackback(0) | Comments(0)
北条実時の墓
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〔金沢(かねさわ)北条一門の墓〕
北条実時(ほうじょうさねとき)の墓

北条実時(1224~1276)は、鎌倉幕府の第2代執権であった義時(よしとき)の孫で、貞応(じょうおう)3年に実泰(さねやす)の子として生まれました。
実時は、引付衆(ひきつけしゅう)や評定衆(ひょうじょうしゅう)など幕府の要職を歴任し、文永(ぶんえい)3年(1275)には越訴奉行(おっそぶぎょう)をつとめています。
政治面で活躍する一方、広範な分野の学問にも力をつくし、文武ともにすぐれた知識人で、現在の称名寺がある地に別業(べつぎょう)を開き、金沢文庫の礎を築きました。
墓地内中央の宝篋院塔(ほうきょういんとう)は、実時の墓と伝えられ、さらに左右の五輪塔(ごりんとう)は一門の墓といわれています。
また、江戸時代この墓地を修理したときは、素焼きの壺の類が出土したといいます。

平成7年3月31日
横浜市教育委員会

(説明板より)

北条実時の墓



史跡 | 15:07:36 | Trackback(0) | Comments(0)
称名寺
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国指定史跡
称名寺境内

大正11年10月12日 指定
追加 昭和47年1月31日 指定
(史跡面積 155.245㎡)

称名寺(しょうみょうじ)は、金沢山(きんたくざん)称名寺と号し、真言律宗(りっしゅう)の別格本山として西大寺末の律院(りついん)で、本尊には木造弥勒菩薩立像(みろくぼさつりつぞう)(鎌倉時代、重要文化財)が安置されています。
本寺には、金沢北条(かねざわほうじょう)氏一門の菩提寺で、草創の時期は明らかにしていませんが、正嘉(しょうか)2年(1258)、金沢氏の祖と称されている北条実時(さねとき)(1224~1276)tが、六浦荘(むつらのしょう)金沢の居館内に営んだ持仏堂(じぶつどう)から発したと推定されています。
その後、称名寺の基礎が定まるとともに伽藍(がらん)の整備が着手され、実時の子、顕時(あきとき)(1248~1301)の時代には、弥勒堂(みろくどう)、護摩堂(ごまどう)、三重塔(さんじゅうのとう)などが建立され、さらに、顕時の子、貞顕(さだあき)(1278~1333)は伽藍の再造営を行い、元亨(げんこう)3年(1323)には、苑池を中心として弥勒来迎板絵(らいごういたえ)(重要文化財)に荘厳された金堂(こんどう)を初め、講堂(こうどう)、仁王門(におうもん)など、七堂(しちどう)伽藍を備えた壮麗な浄土曼荼羅(じょうどまんだら)にもとづく伽藍を完成させました。
しかし、元弘(げんこう)3年(1333)、北条氏の滅亡により鎌倉幕府の崩壊を契機として伽藍の維持が困難として、江戸時代に入ると創建当時の堂塔の姿を失いました。
大正11年、称名寺の内界である中心区域が国指定を受け、更に、昭和47年、境内背後の丘陵を含めた範囲が指定されるとともに、昭和62年には、庭園苑池の保存整備事業が行われました。

平成6年3月
横浜市教育委員会
史跡称名寺境内愛護会

(説明板より)

称名寺境内



史跡 | 14:44:08 | Trackback(0) | Comments(0)
忠魂碑
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忠魂碑

明治二十七八年戦役戦死者
故陸軍歩兵軍曹 布川 玉尊
明治三十七八年戦役戦死者
故陸軍歩兵一等兵勲八等 長嶋 寅吉
故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 中川 伊助
故陸軍砲兵一等兵勲八等 岩室 次之助
故陸軍歩兵軍曹勲七等功七級 渡邊 寅吉
大正六年軍艦筑波爆沈遭難者
故海軍三等機関兵 北見 芳雄
昭和九年満洲事変戦死者
故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 黒川 梅吉

本忠魂碑ハ當町出身ノ戦病歿陸海軍軍人ノ英霊ヲ吊祭センカ為メニ建設ス
明治大正昭和ト相次イテ起リシ前代未聞ノ戦役ニ諸子ハ大命ヲ奉シテ勇躍皇師ニ従ヒ各地ニ転戦シ時ニ清國ト武ヲ競ヒ勃海湾頭ノ波ヲ鎮メ亦日露ノ國交破ルゝヤ敵将の心膽ヲ奪ヒ遂ニ四面環海ノ神州ヲシテ一等國ノ班ニ列セシム斯クシテ満洲ノ野ニ真如ノ月圓カニ満蒙ノ鎮王粤ニ堅ク我國今日ノ進展ヲ致セルモノハ偏ニ之等将士カ一死以テ國ニ殉セラレシ賜ニシテ外ニハ國威ニ幾段ノ光輝ヲ添ヘ内ニハ士気ヲ萬世ニ鼓舞シ以テ東洋平和ノ基礎ヲ確立ス其ノ偉大ナル功績ハ炳トシテ日月ノ如ク景仰追慕措ク能ハサル所ニシテ畏クモ其ノ神霊は靖國神社ニ合祀セラレ其ノ勲功ハ永久ニ青史ニ綴ラル嗚呼誰カ感奮セサルモノアランヤ先ニ金澤町在郷軍人分會主唱ノ下ニ忠魂碑建設基金ヲ募集セシニ翕然賛同ヲ得テ地ヲ称名寺境内ノ清域ニ相シタルニ時ノ侍従武官長本庄繁大将閣下ノ標額ノ御揮毫ヲ辱ウシ芳譽彌々加フ本會ノ光栄之ニ過クルモノナシ
今茲ニ其ノ戦功ヲ後昆ニ傳ヘントシテ由来ヲ刻シテ以テ銘トス
昭和十一年歳次丙子春四月
帝國在郷軍人會金澤町分會長鈴木貞次

(碑文より)

忠魂碑



史跡 | 13:09:12 | Trackback(0) | Comments(0)
称名寺塔頭光明院表門
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横浜市指定有形文化財(建造物)
称名寺塔頭光明院表門(しょうみょうじたっちゅうこうみょういんおもてもん)
平成4年11月1日 指定

構造及び形式
四脚門、切妻造茅葺(きりづまづくりかやぶき)、袖塀付(そでべいづき)

時代
寛文5年(1665)

光明院は、称名寺の塔頭のひとつで、「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」に「光明院、仁王門に向って左にあり、五院の第一■(ろう)なり、本尊地蔵春日(はるひ)の作なり」とあり、江戸時代後期には、5つの塔頭の一位を占めていました。
この表門は、小規模な四脚門ですが、和様を基調に禅宗様を加味した意匠となっています。
また、市外から近年移築された三渓園の建造物などを別にすれば、造営年代が判明する市内の建造物のなかで最も古く、極めて貴重です。

平成5年3月
横浜市教育委員会

(説明板より)

称名寺塔頭光明院表門


史跡 | 12:41:13 | Trackback(0) | Comments(0)
大宝院
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大宝院(だいほういん)略縁起

当院は奈良西大寺の末寺で、金沢山弥勒院称名寺の一坊であった。
鎌倉時代、金沢文庫を経営した北条氏が、4代にわたって称名寺の伽藍を造立した頃僧坊として建立されたものと思われる。
文明16年(1484)に記された称名寺の僧鏡心の「鏡心(きょうしん)日記」に当院の名がみえる。
本尊は聖観世音菩薩。
江戸時代の中頃には金沢札所の第3番に数えられ、所願成就の観音霊場として多くの参詣者で賑わった。
明治30年(1897)に明治憲法の草案作りのため金沢の地を訪れていた伊藤博文によって、境内に金沢文庫と閲覧所が復興されたが関東大震災により倒壊し現在は庫裏(くり)の一部として残存しているのみである。
本尊は観音堂正面の厨子(ずし)に祀られている。

平成6年4月
大宝院 住職

(説明板より)

大宝院


史跡 | 10:43:09 | Trackback(0) | Comments(0)
通院とデート!
ホテルをチェックアウトして病院へ・・・・
通勤ラッシュの電車に乗るのも嫌なので、ここはタクシーで・・・・(笑)
近くだから・・・まぁ~いいかぁ~
ご年配の運転手さんとおしゃべり。
「先週の雪・・・すごかったでしょ?結構タクシーさんも忙しかったんじゃないですか?」
「いやぁ~あの日は休みました」
「え?何で?」
「事故でも起こしたり巻き込まれたりしたら大変ですからねぇ~いくら稼いでも修理代やら何やら・・・それに修理が終わって車が戻ってくるまで商売ができなくなっちゃいますからね」
この運転手さんは個人タクシーさんだった。
「そう言われれば・・・そうですよねぇ~」
「桜木町駅前だって、あの日はタクシーは2,3台しかいなかったっていうよ」
「へぇ~そうなんですかぁ~」
「まぁ、その人たちは結構稼いだようだけど・・・私は休んだね~」
結局、それなりに稼ぐにはリスクが伴うか・・・・
どんな商売も大変だねぇ~

あっという間に病院に着き、相変わらずの混雑の中1時間以上待って診察を受ける。
今回が最後の診察だろう・・・・と思ったら、また来月も来てくださいとのこと。
手術後3ヶ月は診察することになっていると言う。
ということで・・・3月が最後の診察となるのだそうだ。
丁寧だねぇ~
もう全然問題はないのだが・・・
まぁ、お医者さんの言うとおりにしましょう。

思ったより早く診察が終わってしまったので、どこかを「ぶらり旅」したいなぁ~
ということで・・・金沢区へ行ってみることにした。
向かうは「称名寺」と「金沢文庫」
簡単な地図を見ながら歩く。
駅を出て東に向かえばいいんだろうが・・・
歩いているうちに太陽が真正面にきた。
ん?お昼に太陽が真正面ということは・・・・もしかして南に向かって歩いているのでは?
やっちゃった!
得意の方向音痴!(笑)
途中で昼食をとり、思いっきり遠回りして「称名寺」に到着する。
「称名寺」は金沢北条氏の菩提寺。
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(仁王門)
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(仁王像)
巨大な仁王様・・・・いい顔しているなぁ~
すばらしい仁王像である。
仁王像は金剛力士像とも言ったような・・・・

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「称名寺」の庭園は橋の部分が改修工事中!
う~ん、なんとも残念。
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裏山に北条実時の墓があるらしいので行ってみたが・・・・
山道は思ったより急坂。
しかも雨のせいか雪のせいか・・・・泥濘。
拙者はブレザーにネクタイ姿で革靴を履いている。
こんな格好で山を歩く馬鹿は拙者くらいなものである。(笑)
ここ・・・どうみてもハイキングコースじゃん!
どう見ても場違いな格好。
しかし、ここまで来たら引き返せない。
えぇい!このまま山頂まで行くかぁ~!
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(山頂から見た景色)
眼下に「称名寺」、向こうに海が見える。
へぇ~こんなに海の近くだったのかぁ~
汗びっしょり・・・息切れ甚だしい・・・・普段の運動不足のツケだな・・・
一山越えて・・・・「県立金沢文庫」脇に出てくることができた。
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(県立金沢文庫)
ここはいわゆる“歴史博物館”である。
さっそく見学!
じっくり見学していたために時間をうっかり忘れていた!
そろそろ帰るかぁ~

駅は・・・西の方だよな?
それにしても・・・来る時にどこで道を間違えたのか・・・
そのうち一度通ったことのある道に出た!
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ここ・・・通ったよなぁ~
ん?小さな案内板がある!
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こんな目立たない場所に小さくて文字が薄れている看板じゃ見落とすのも無理はない!
どういう神経してるんだろうか?
管理ができてないぞ!(笑)

真っ直ぐ金沢文庫駅に向かうのも面白くない。
もうすこし「ぶらり旅」をしてみるか・・・・
ということで、向かったのは「横浜検疫所」!
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(横浜検疫所)
ここには、その昔・・・野口英世が勤務していた検疫所の建物が今も残っている。
それを見学したいと思ったのだが・・・
門の守衛さんに尋ねたら関係者以外は立ち入り禁止とのこと。
そりゃそうだろうなぁ~考えてみれば、ここは検疫所だからなぁ~
話によれば、野口英世が勤務していた建物は普段は一般公開していないという。
年に一度だけ一般公開するが、今年の公開日は未定とか・・・
「道路わきの外から見てください」とのこと。
わざわざテクテク歩いてきたのに・・・・残念!
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(野口英世が勤務していた検疫所の建物)

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(横浜市のマンホール)
マンホールの絵が面白かったので撮影。(笑)

「長浜公園」を抜けて「京急富岡駅」へ・・・
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(京急富岡駅)
今日は久しぶりに結構歩いたと思うが・・・・
万歩計を忘れたのでどのくらい歩いたのか解らない。
大失敗!
この駅の直ぐ近くに駐輪場に利用されている小さなトンネルがある。
DSC08687.jpg

このトンネル・・・・戦跡の一つでもある。
昭和20年6月10日のこと。
米軍の空襲を受け、空襲を避けるため臨時停車した電車の乗客がこのトンネルに避難したのだが・・・
このトンネルの両側に爆弾が落下して、トンネル内に避難していた人たちが犠牲となった。
ここに避難した数十人の乗客の手足が吹き飛び、トンネル内の電線に遺体の一部がぶら下がり・・・トンネルの壁は血で塗られ・・・内部は血の海という悲惨な現場なのである。
そういう場所なのだが、なぜか慰霊碑らしきものは見当たらない。
このトンネル内では福島県から学徒動員されていた相馬中学校の生徒2名も犠牲になったという。
今では、その史実を知ってか知らずか・・・駐輪場。
暗くなってからここに自転車を取りにくるのは・・・拙者だったら・・・ちょっと考えちゃうなぁ~
ここに自転車を置いている人は、そういうことがあった場所だというのは知らないんだろうなぁ~

日が暮れてしまった!
マズイ・・・・
ここから品川駅へ向かわねば・・・・
“シオハラ”さんとの待ち合わせに間に合うか?
急げ、急げ、「デート(?)」に遅刻してはマズイ!(笑)
思ったより早く駅に着いたので、先に駅前のホテルにチェックイン。
「本日シングルのお部屋をご予約で・・・よろしかったでしょうか?」とフロント。
「24㎡の部屋って聞いていたけど・・・それって広いんですか?」
「はい、ベッドの周りが少し広いのですが・・・よろしかったでしょうか?」
「ええ、広いなら結構ですよ」
フロントの人はゴソゴソと何やらやっていて・・・
部屋のカードキーを渡しながらこう言った。
「本日はシングルが大変混んでおりまして・・・え~・・・ツインのお部屋をご用意させていただきました」
「はぁ?」
「いえ・・・あの・・・料金はシングルの料金で結構でございます」
あのねぇ~・・・・
たった今、シングルの話をしていて・・いきなり「ツインのお部屋をご用意いたしました」はおかしいだろう?(笑)
今までの我々の会話は何だったわけ?(笑)
でも・・・ありがとう!

“シオハラ”さんから予定より15分早く待ち合わせ場所に着けそうだと携帯にメールが入った。
急げ!(笑)
待ち合わせ場所の改札口前は大混雑。
どこにいるのかわからな~い。(笑)
今日は「花の金曜日」かぁ~
どうりで混んでいるわけだ・・・・

夕食は拙者の無理を聞いてもらいホテルのレストランでフランス料理のフルコース!
奮発しちゃったぞ!(笑)
なにせ“老人”との二人暮らし・・・・
まともなものが中々食べられない。
ステーキなんてもってのほか。(笑)
こういう時じゃないとねぇ~
しかもホテルの最上階のレストランで夜景を見ながらのフルコースとなれば・・・
女性と一緒じゃないとね~
いくら仲良しの“ウメちゃん”との食事でも男二人では絵にならない!(笑)
「飛んで火にいる夏の虫」じゃなかった・・・「渡りに船」とはこのことぞ。(笑)
麗しき“シオハラ”さんにお付き合い頂き贅沢なディナー!
「夕食」ではなく「ディナー」なのである!
う~ん・・・久々だなぁ~こういうことをするのって・・・(笑)
前回同様、殆ど拙者がおしゃべりして自己満足に浸ってしまった。
申し訳なし。
彼女が曙光会に入会希望との事なので会報のコピーを渡す。
それと、“ヤノ”さんが書かれた本も読みたいというので、これも貸してあげる。
お酒を飲みながら食事をして・・・
その後、1階のバーでまたお酒を飲んでおしゃべり。
東京は景気がいいのだろうか?
どうしてこんなに人がいるんだというほど混んでいる。
これが地域格差というものか?
わが町なんぞは週末でも閑散としているというのに・・・・

あまり遅くならないうちに解散。
今回も楽しい「デート(?)」ができて大満足!(笑)
部屋に戻り、有料テレビで「硫黄島からの手紙」を見る。
この映画は母と二人で見に行った最後の映画。
思い出の映画である・・・・
今日は最高に充実した一日を過ごせた。
感謝、感謝。

日記 | 09:42:46 | Trackback(0) | Comments(0)