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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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お迎え担当!
昨日のキャッチボールのおかげで、今日は筋肉痛!(笑)
情けねぇ~

今日は“ウメちゃん”は水戸駅前のホテルで業界の会合に出る。
懇親会で酒も出るので電車で向かうという。
帰りは寒い中、各駅停車の“鈍行”で帰ってくるの?
そりゃ、辛いでしょ?
ということで、“毎日が日曜日”の拙者が車で迎えに行くことにした。

懇親会が終わる頃に合わせてホテルに到着。
ロビーで待っていたら、エレベーターから県知事が降りてきた。
拙者に気がつき「ヨッ!」と声をかけてくれたので・・・・
思わず・・・拙者も・・・「ヨッ!」と言いそうになる。(笑)
危うくとんでもねぇことになるところだった。
慌ててお辞儀をし・・・「どうも~こんばんわ~」と誤魔化す。(笑)

“ウメちゃん”と落ち合いラウンジでコーヒーを1杯。
さて・・・水戸の町を久しぶりに散策してみますかぁ~
もう10年ぐらい前になるだろうか、時々会合などで来たついでに飲み歩いたのだが・・・
最近はめっきりご無沙汰。
車で繁華街を走ってみたが・・・・
ありゃぁ~
なんと往時とは大違い。
閑散として人が歩いていない!
こんなにも寂れてしまうとは・・・・驚きである。
往時の活気は全く見られない。
こりゃ“不景気”だなぁ~
どこから見ても・・・・

さら~っと車を流して、途中のファミレスで雑談して帰宅する。

日記 | 17:43:56 | Trackback(0) | Comments(0)
今度はキャッチボール
今日はみんなで常陸海浜公園に行こうということになる。
中3の姪は“おじいちゃん”に付き合ってお留守番。
前回は寒さの中、サイクリングして酷い目にあったので、今回は皮手袋を持参。
案の定・・・・中1の甥と二人乗りの自転車でサイクリングとなる。
「おじちゃん、前に乗ってよ」
「いやだよ~お前が前に乗れ~」
誰がこの寒さの中で風を受けながら自転車に乗る?
甥っ子を風除けにして乗るのだ!(笑)
絶対後ろの席は譲らんぞ!(笑)

DSC08803.jpg
(常陸海浜公園・歩いているのは妹家族)

サイクリングしながら広場まで移動して、ここでキャッチボール。
甥っ子はパパと・・・・
拙者は小4の姪と・・・
この姪がなかなか上手なのだ。
いつの間に・・・と思ったら・・・
妹の話では毎日壁にボールを投げて一人で練習をしているのだそうだ。
お兄ちゃんに邪魔者扱いされるので悔しくて一人で練習しているようだ。

小4の女の子だからといってナメてかかれない。
姪のほうが拙者よりコントロールがいいから困ったものだ。
「おじちゃん、大丈夫?そろそろ休もうか?」と気遣ってもらい、“おじちゃん”形無しである。(笑)

夜、妹一家が東京へ帰る。
一気に家の中に寂しい空気が流れる・・・

日記 | 17:22:24 | Trackback(0) | Comments(0)
料理本を買う
毎日、スーパーの惣菜というのも飽きるものだ・・・
仕方がない・・・
やるしかない・・・
自分で作るかぁ~(笑)
ということで、料理の本を購入する。

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(2007/10)
主婦の友社

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「主婦の友」という字に抵抗はあるが・・・(笑)
まぁ、こいつを見ながら何か作ろうか・・・・
と、やる気を出した途端・・・

夜、妹たち家族が東京からやって来た。
先日、甥っ子が来たばかりだが・・・
中3の姪の受験が終わって、無事に合格したという。
そういうこともあって、遊びに来てくれた。
またまた賑やかになった。
ありがたい。

中1の甥っ子がオセロをやろうというので付き合う。
生前母が「この子はオセロが強いんだよ~」と誉めていたが・・・
ここは“おじちゃん”の貫禄で連勝!
どんなもんだい!
甥っ子は大いに悔しがる。
ムフフ・・・これでバッティングセンターでの空振りは帳消しだな!(笑)
ところで・・・
「オセロは茨城県の水戸が発祥の地なんだぞ!」と言ったら・・・
みんなは・・・シ~ン・・・・
あれ?誰も反応しない。
「どうせ嘘でしょ」と誰も信じてくれない!(笑)
「いや・・・本当だって!」
シ~ン・・・・
冷たい視線・・・・
寄りによって、そこまでホラを吹くのかという顔をしている。
オイ、オイ、信じてくれぇ~
普段、冗談ばかり言っていたツケが回ってきてしまった!
“おじちゃん”の面目丸つぶれとなる。

日記 | 15:18:45 | Trackback(0) | Comments(0)
花屋さん
仏壇のお花を交換せねば・・・
というわけで、お花屋さんに仏壇用の花を買いに行く。

この花屋のオバサン・・・・
ニコリともしない愛想のない人なのだが・・・
「母の仏壇用のお花を何か見繕ってください」と頼んだら・・・
「お母さんは、こんなイメージの人だったんだよねぇ~」と言って花を選んでくれた。
生前、母はこの花屋さんには何度も花を買いに来ていた。
「あんなに愛想がなくて大丈夫かねぇ~」と言いながら母はこの花屋さんがお気に入りだった。
確かに、愛想は全くない。(笑)
そのオバサンが「私がもっている、あなたのお母さんのイメージは淡い色の花なんだよねぇ~」とボソッと言って花を選んでくれている。
思わず目頭が熱くなってしまった。
母の事をちゃんと覚えていてくれていたんだぁ~
何とありがたい一言であろうか。
「前回は・・・この花だったから、今回はこっちの花にしよう」と、またボソッと独り言のように言う。
え?前回買った花を憶えていたんだぁ~

愛想はないが、気持ちのいい人。
饒舌であれば良いというものではない。
心だな~
やっぱり・・・・

この花に花屋のオバサンの気持ちが入っている。
そう思うと泣きたくなるくらいありがたい。
こうやって花を選んでもらえたら母も大喜びだろう。
感謝!感謝!

日記 | 11:58:38 | Trackback(0) | Comments(0)
知覚過敏?
最近、歯がしみる。
冷たいものを飲んでも暖かいものを飲んでも・・・・
更には冷たい空気を吸っただけでも歯がしみる。
ん?虫歯にでもなっちまったか?

今日はバレンタインデー
チョコレートの食べすぎで虫歯になりました・・・って言ってみたいものだが・・・

というわけで・・・歯科医の“キタミさん”のところに行く。
調べてもらったら虫歯はないとのこと。
「知覚過敏じゃないかな?」
12年前に撮った歯のレントゲン写真と今回のものとを比較してみたが、さほど変化はない。
1年に0.1ミリ骨が溶けるという。
12年で1ミリちょっと。
写真では殆ど判らない程度の骨の溶け方。
そのわずかに溶けた部分で知覚過敏が起こるらしい。
「タバコはやめたほうがいいんだよねぇ~」と言われる。
タバコは歯に良くないそうだ・・・・
それでも拙者はいいほうだという。
ひどい人は1年で1センチも骨が溶けるのだそうだ。
そうなると歯はポロポロと抜けてしまうらしい。
頑丈な骨をもったことが幸い。
こりゃ、母へ感謝だなぁ~
12年で1ミリ程度なら生理的現象・・・つまり、加齢による自然な骨の溶け方らしい。
人間は歳を取るに従って骨が溶けていくという。
う~ん、ショック!
歳は取りたくねぇもんだ。
ついでに歯石を取ったり・・・という「お手入れ」をしてもらう。

それにしても、拙者は何歳ぐらいで入れ歯を入れるようになってしまうのだろうか?
考えただけでも憂鬱になる。
歯が元気なうちに、思う存分肉を食うかぁ?(笑)

帰宅後、チョコレートを食べる。
先日、東京でお会いした“シオハラさん”から頂いたチョコ。
直ぐに食べようかな~と思ったが、今日まで我慢して取っておいたのだ。(笑)
なにせ、今日は誰からもチョコをもらえないのは明白だからなぁ~
これは唯一の貴重なチョコなのです。(笑)
虫歯じゃないことがハッキリしたので、思う存分チョコを食べる。(笑)

日記 | 11:37:18 | Trackback(0) | Comments(0)
男たちの履歴書
男たちの履歴書―いかにして道を拓くか男たちの履歴書―いかにして道を拓くか
(1998/01)
早坂 茂三

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著者は、誰でも知っている田中角栄の元秘書。
その昔、いつだったか忘れたが、講演をお願いして来てもらった事がある。
しかし、何故か講演内容が思い出せない。
多分、拙者は“裏方”をしていて講演を聴いていなかったに違いない。
講演後、早坂さんと寿司屋に行って寿司を食べたのは憶えているのだが・・・演題は何だったのかなぁ~
その時、何故か拙者は早坂氏の隣に座らされ、緊張でろくに寿司が喉を通らなかった。
今でも憶えているのは早坂氏が寿司屋の座敷に座った時の開口一番の発言。
「君達はそれでも青年ですか?」
何でそう言われたのか発言のきっかけが思い出せないのだが・・・
我々の生気がなかったのか・・・特に拙者が老けて見えたのか・・・・(笑)
寿司を食べながら田中角栄の人柄やエピソードや政界の裏話などを聞かせえてもらったが、その殆どは忘れている。
拙者の耳に今でも残っている早坂氏の声は「それでも青年ですか?」だけ・・・
それから拙者は“血気盛んなる青年将校”を標榜して組織の中で暴れまわった。(笑)
早坂さんのおかげである。

この本は7つの章で成り立っている。
信用される人間になる
~日本社会が人間を評価する尺度~
一人では生きられない
~本当の友とは、どんな存在か~
親方、覚悟すべし
~どんな男に人はついていくか~
子どもを潰すな
~小秀才が氾濫すれば国が滅びる~
軸のある人生
~環境の産物から意思と努力の結晶へ~
生きた爪跡を残す
~一度きりの人生をどう生きるか~
足元を見て生きる
~まず自分の正体を知れ~

「男たちの履歴書」という名の本書であるが・・・
内容は「人生訓」
田中角栄の話を中心に、歴史上の人物も登場するが・・・
やっぱり田中角栄の話が面白い。
小学校を出て東京の建設会社に入社した時に知り合った友人が、生涯の友となる“入内島金一”という人。
田中角栄も凄い人だが、この“入内島さん”が素晴らしい。
こういう友人が持てる角栄さんがうらやましい。
田中角栄が盛岡の騎兵第24連隊にいたとは知らなかった。
ここで出合った戦友が“細井宗一”という人。
田中角栄がいくら誘っても断り続け、独自の道を歩む。
角栄さんに近づいて「おこぼれ頂戴」をする人はたくさんいるが、断り続ける人は珍しい。
共産党員で国労の中央執行委員になる。
自民党の角栄さんの友人が共産党?
これが角栄さんの魅力の一つかも。
そして・・・秘書である早坂茂三氏も早稲田大学に入学と同時に共産党に入党したという人物。
面白い取り合わせだがわからないでもない。

拙者の大学時代の友人に“ノムラ”という男がいた。
入学早々初対面で周囲が真っ青になったほどの激論を戦わせた相手である。
拙者は中小企業の経営者の息子。
彼は労働組合の委員長の息子。
右翼と左翼の激突である。
しかし・・・何故かその後仲が良くなった。
他の友人からも「何で右翼と左翼がそんなに仲がいいんだ?」とよく不思議がられた。
お互いに「敵ながらあっぱれ」と言い合うんだから仲が悪くなるわけがない。(笑)
“ノムラ”は大学卒業1年後に自らの命を絶った。
死ぬ前に送ってきた葉書に書かれていたのはたった1行・・・・
「会いに来てください」
北海道は遠いから・・・と会いに行かなかったことが今も悔やまれる。
本書を読みながら久しぶりに“ノムラ”を思い出した。

本書は「人生訓」でありながら「田中角栄伝」でもある。
著者の早坂氏は平成16年(2004年)に肺がんでお亡くなりになられている。
73歳。
今になって、もっとこの方とおしゃべりがしたかったと思う。

読書 | 15:10:36 | Trackback(0) | Comments(2)
バッティングセンター
午前中、N生命保険会社が来宅。
新しく保険に入らないかと母が亡くなった直後から勧誘が続いている。
まぁ~熱心なこと。(笑)
でもねぇ~・・・・・
3月には大腸ポリープの手術をするんですけど・・・
そうなると話は別ということになる。
手術を控えているのであれば新規には保険に入れないそうである。
そうでしょ?(笑)
ということで・・・お帰りいただく。
手術が終わってしばらく経ったら・・・・考えましょう。

保険会社の外交員とおしゃべり中に、甥っ子が昼食を作り親父と二人で食べていた。
感心、感心。
たいしたもんだ!
親父は今日も「おいしい、おいしい」と大喜び。

午後から、昨日に引き続いて甥っ子とバッティングセンターに行く。
「今日は、おじちゃんもチャレンジしてみるかぁ~」
バッティングセンターって、小学6年生の時に2~3度しか行った事がない。
ということは・・・35年ぶり?(笑)
どうなるかと思ったら・・・・やっぱり・・・
空振りの連続である!(笑)
周りの人たちの冷ややかな視線を浴びながら・・・・空振り!
足元にボールがゴロゴロ・・・・
足の踏み場もないとはまさにこのことぞ。
わざわざお金を払って“素振り”をしているわけです。
アホか?(笑)

仕方がない・・今度はピッチングにチャレンジ!
ボールを投げるのなら何とかなるだろう!(笑)
しかし・・・・
甥っ子は軽く90キロのスピードの玉を投げるのだが・・・
拙者は・・・なんと・・・・65キロが限界!(笑)
格好悪~い!
しかも・・・的に届かない!
届いてもストライクゾーンに入らない!(笑)
またもやお金の無駄遣いをしてしまった~

いかに、おじちゃんは運動神経が鈍いかということをご披露して帰宅となる。(笑)

夕方、甥っ子が東京へ帰る。
ご苦労さんでした!

日記 | 14:49:25 | Trackback(0) | Comments(2)
甥っ子と料理
朝、中1の甥っ子から電話がきた。
「今日、遊びに行っていい?」
「ん?今日は月曜日だぞ。学校はどうした?」
「おじちゃ~ん、大丈夫?今日は建国記念日なんだけど・・・」
ありゃ、今日は祝日かね?
建国記念日?
そうなのかぁ~(笑)
毎日が“祝日”のようなもんだからねぇ~
さっぱりわからんのですよ・・・・

甥っ子の学校は明日は試験休み。
ということで・・・1泊で東京から遊びに来た。

到着早々・・・夕食の献立の話。
「何を作ろうかなぁ~」と言う。
どうやら料理を作って少しでも役に立とうとやって来たらしい。
その前に・・・
「おじちゃ~ん、少し運動をしたほうがいいよ」とゴルフ練習場に行こうと言う。
仕方がない・・・付き合うか。
しかし、途中で気が変わり・・・バッティングセンターへ。
甥っ子は野球部員。
結局、甥っ子が運動して・・・・拙者は見学!(笑)

帰りにスーパーに寄って夕食の買い物。
カレーを作るといっていたが・・・またもや気が変わったようで・・・
シチューに変更となる。(笑)
それに加えてサラダも作ると言って野菜も買い込む。
う~ん、3人前ねぇ・・・・
かなり買い込んでいるので、1食の価格がかなりの金額になるような気がするんですけど・・・・(笑)
まぁ、いいかぁ~
ここはお金より甥っ子の気持ちを大切にしてやろう。

帰宅後、早速調理にかかるが・・・
「おじちゃ~ん!皮むき器どこにあるの?」
「何、それ?」
「ニンジンの皮をむくんだけど・・・」
「包丁でむけよ」
「包丁?包丁じゃできねぇよ~」
大騒ぎである。(笑)
何とかかんとかシチューが出来上がった。
で・・・サラダは?
「サラダ?あ~サラダね・・・・面倒臭くなっちゃったから・・・やめにした!」
あのなぁ・・・どうすんだよ・・・こんなに材料買っちゃったのに・・・(笑)
甥っ子は気まぐれな男である。

親父は大感激。
そうだろう、そうだろう・・・まさか孫の手料理を食べるとは思ってもなかったのだから・・・

夜、小4の姪から電話。
「お兄ちゃんがシチュー作ったって?大丈夫?食べられた?」(笑)
お兄ちゃんが料理をしたらしいが我々が食べられるような代物だったかどうか心配になって電話をしてきたのである。
向こうの家では、みんなして大騒ぎか?(笑)

日記 | 22:18:28 | Trackback(0) | Comments(0)
重い腰を上げるかぁ~
天気予報では今日は雪が降るとかって言っていたが・・・
全然そういう気配はない。
天気予報なんて占いと変わらないくらいいい加減なものである。(笑)

さて・・・何をしようか・・・
というより、やらねばならぬことがあるのだが・・・
なかなか気が乗らず手をつけずにいた問題・・・・
戦友会の会報!
これの編集制作をやらねばならぬ。

う~ん・・・どうも気が乗らぬのだが・・・
そういうわけにもいかぬ。
原稿がさっぱり集まらず内容の薄いものになりそうなのが嫌なのだが・・・
そこを何とかせねばならぬ。
あ~頭が痛いが、ボチボチ始めるしかない。

日記 | 21:10:15 | Trackback(0) | Comments(0)
宿命
宿命―「よど号」亡命者たちの秘密工作 (新潮文庫)宿命―「よど号」亡命者たちの秘密工作 (新潮文庫)
(2000/07)
高沢 皓司

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「よど号」事件は、1970年(昭和45年)に起こったハイジャック事件。
あの時は・・・拙者は小学生。
祖母に「よど号」事件の説明をしたところ、「よく知ってるねぇ~偉いねぇ~」と褒められたことを憶えている。
この本を読んでみて、その事件の更に詳細がわかった。
ハイジャック後、犯人の日本赤軍の連中は北朝鮮へ行き・・・・そのまま国民の記憶から消えてしまったような気がする。
だれも「よど号」の犯人のその後の事は気にもしていまい。
犯人たちが向かった先が北朝鮮だからということもあるのかもしれないが・・・・

旅客機をハイジャックして北朝鮮へ・・・・
何の意味があるのかさっぱりわからない。
どうして北朝鮮を目的地に選んだのかさっぱりわからない。
犯人は「変人」の集まりか?
彼らにとっての北朝鮮は憧れの地だったのだろう。
そこで何らかの訓練を受けさせてもらい日本に帰国して日本に革命を起こす。
今の日本を良くしようという考えだったらしい。
が・・・しかし・・・・
そのまま囚われの身となり、否応なしに北朝鮮の「チュチェ思想」の手先にさせられる。
彼らはいかに思慮浅かったか・・・・ということになるが・・・
これは悲喜劇である。

犯人だけが悲惨な目にあうだけなら「ざまぁみろ!」で済むのだが・・・
問題は、これに「よど号の妻たち」と呼ばれる日本人女性が加わる。
この女性・・・騙されて北朝鮮に連れてこられた日本人女性達らしい。
いわゆる拉致ということになるのだろうが・・・・
更にこの「妻たち」が海外で日本人男女を騙して拉致するのだから、「妻たち」は被害者なのか加害者なのか・・・・
言葉巧みに誘って、結果的に北朝鮮に拉致したわけである。
日本海沿岸などで発生した強引な拉致とは違う。
拉致被害者も甘言に乗ったわけだから自業自得。
まぁ~「騙される奴も悪い」と言えばそうなるか?

「よど号」事件は1970年のあの時に終わった事件ではない。
それからも水面下で延々と続いていたわけである。
1995年(平成7年)、「よど号」事件主犯が北朝鮮で突然死亡した。
しかし、だからといって「よど号」事件は終わったわけではあるまい。
今も水面下でまだまだ動いているのかもしれない。

著者は赤軍派にいたことのある新左翼青年運動家だったらしい。
「よど号犯人」と離婚して日本国内にいる「よど号の妻」の一人と交際・同居していたとも言われている。
そういう人が書いた話だから・・・との批判の声がないわけではない。
「よど号」の犯人たちは勿論の事、その昔左翼系活動家だった“仲間”からも批判されているが・・・
一応、講談社ノンフィクション賞を受賞した本書。
読み物としては結構面白い。
事実か創作か・・・・それは北朝鮮という国が崩壊でもしてくれなければわからないだろうなぁ~

読書 | 19:46:15 | Trackback(0) | Comments(0)
長浜公園
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長浜公園

「長浜公園・野鳥観察園」にある大きな池は、明治28年、長浜検疫所開設時につくられた船たまり(港)あとで、現在ある公園敷地のほとんどは海の中でした。
昭和40年代後半になると金沢沖の埋立がはじまり「長浜公園」は埋立事業当初より、計画的に公園として配置されました。
そこで、水路によって海とつながり、潮の満ちひきによって水位が変わる大きな池を活かし、ヨコハマではじめての人工干潟をつくり、すぐれた自然環境を楽しめる公園として整備しました。

(説明板より)

長浜公園




史跡 | 19:16:34 | Trackback(0) | Comments(0)
楷樹
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楷樹(孔子木)
(かいじゅ)(こうしぼく)

この木は昭和14年11月8日に植えられたもので、植物学上うるし科に属し、和名を「トネリバハゼノキランシンボク」、一般には楷(かい)の木と呼ばれている。
しかし世界的な植物学者牧野富太郎氏によって新たに孔子木と名づけられた。
中国と台湾に多く産するが、日本ではほとんど見ることができない。
わずかに孔子信仰と関係ある東京湯島の聖廟、足利市の足利学校などに植樹されている。
栴檀(せんだん)や黄櫨(こうろ)の木に似ているが、それより品良い葉形をしており、若葉の頃がもっとも美しい。

(説明板より)

楷樹


史跡 | 18:00:59 | Trackback(0) | Comments(0)
北条顕時・金沢貞顕の墓
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北条顕時・金沢貞顕の墓

顕時(1248~1301)は北条実時(さねとき)の子で、鎌倉幕府の重職であった引付衆(ひきつけしゅう)、評定衆(ひょうじょうしゅう)などを歴任しました。
1285年の霜月騒動(しもつきそうどう)によりまして一時政界を退きましたが、その間、禅に傾倒し、五山版(ござんばん)のさきがけとなります『伝心法要(でんしんほうよう)』の開版をおこないました。
貞顕(1278~1333)は顕時の子で、六波羅探題(ろくはらたんだい)をつとめたのち、第15代執権(しっけん)となりました。
和漢の書物を多数収集し、金沢文庫(かねさわぶんこ)を国内屈指の武家の文庫に創りあげるとともに、称名寺の伽藍(がらん)や庭園の整備につくし、その最盛期を築きました。
1333年、新田義貞(にったよしさだ)の鎌倉攻めにあい、北条高時および北条氏一族とともに鎌倉の東勝寺で滅びました。
墓地は、従来、向かって右の五輪塔(ごりんとう)貞顕、左の五輪塔が顕時の墓とされていましたが、1935年に右の五輪塔から青磁壺(せいじつぼ)(重要文化財)が発見され、さらに、その五輪塔の様式等から右の五輪塔が顕時、左の五輪塔が貞顕で南北朝期の供養塔と確認されました。

平成6年3月31日
横浜市教育委員会

(説明板より)

北条顕時・金沢貞顕の墓


史跡 | 17:04:15 | Trackback(0) | Comments(0)
中世の隧道
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中世の隧道(史跡・称名寺)

この隧道(すいどう)(トンネル)は、中世につくられたものです。
称名寺の伽藍が完成した元亨3年(1323)に描かれた「称名寺絵図」には、阿彌陀堂のうしろの山麓に両開きの扉があり、その洞門(どうもん)の位置に一致します。
江戸時代には、隧道の向こう側には「文庫がやつ」という地名があったことが、記録されており、鎌倉時代の金沢文庫の遺跡の有力な候補地です。
県立金沢文庫の建設直前の発掘調査では、この隧道に続く中世の道路が検出されております。
なお、東側は風化が進んでいますが、西側は、比較的旧状を残しており、扉の支柱の痕跡も見られます。
この隧道は、国指定の史跡称名寺と金沢文庫をつなぐ重要な遺跡で、永久に文化財として保存されます。

(説明板より)

中世の隧道


史跡 | 16:32:02 | Trackback(0) | Comments(0)
北条実時の墓
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〔金沢(かねさわ)北条一門の墓〕
北条実時(ほうじょうさねとき)の墓

北条実時(1224~1276)は、鎌倉幕府の第2代執権であった義時(よしとき)の孫で、貞応(じょうおう)3年に実泰(さねやす)の子として生まれました。
実時は、引付衆(ひきつけしゅう)や評定衆(ひょうじょうしゅう)など幕府の要職を歴任し、文永(ぶんえい)3年(1275)には越訴奉行(おっそぶぎょう)をつとめています。
政治面で活躍する一方、広範な分野の学問にも力をつくし、文武ともにすぐれた知識人で、現在の称名寺がある地に別業(べつぎょう)を開き、金沢文庫の礎を築きました。
墓地内中央の宝篋院塔(ほうきょういんとう)は、実時の墓と伝えられ、さらに左右の五輪塔(ごりんとう)は一門の墓といわれています。
また、江戸時代この墓地を修理したときは、素焼きの壺の類が出土したといいます。

平成7年3月31日
横浜市教育委員会

(説明板より)

北条実時の墓



史跡 | 15:07:36 | Trackback(0) | Comments(0)
称名寺
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国指定史跡
称名寺境内

大正11年10月12日 指定
追加 昭和47年1月31日 指定
(史跡面積 155.245㎡)

称名寺(しょうみょうじ)は、金沢山(きんたくざん)称名寺と号し、真言律宗(りっしゅう)の別格本山として西大寺末の律院(りついん)で、本尊には木造弥勒菩薩立像(みろくぼさつりつぞう)(鎌倉時代、重要文化財)が安置されています。
本寺には、金沢北条(かねざわほうじょう)氏一門の菩提寺で、草創の時期は明らかにしていませんが、正嘉(しょうか)2年(1258)、金沢氏の祖と称されている北条実時(さねとき)(1224~1276)tが、六浦荘(むつらのしょう)金沢の居館内に営んだ持仏堂(じぶつどう)から発したと推定されています。
その後、称名寺の基礎が定まるとともに伽藍(がらん)の整備が着手され、実時の子、顕時(あきとき)(1248~1301)の時代には、弥勒堂(みろくどう)、護摩堂(ごまどう)、三重塔(さんじゅうのとう)などが建立され、さらに、顕時の子、貞顕(さだあき)(1278~1333)は伽藍の再造営を行い、元亨(げんこう)3年(1323)には、苑池を中心として弥勒来迎板絵(らいごういたえ)(重要文化財)に荘厳された金堂(こんどう)を初め、講堂(こうどう)、仁王門(におうもん)など、七堂(しちどう)伽藍を備えた壮麗な浄土曼荼羅(じょうどまんだら)にもとづく伽藍を完成させました。
しかし、元弘(げんこう)3年(1333)、北条氏の滅亡により鎌倉幕府の崩壊を契機として伽藍の維持が困難として、江戸時代に入ると創建当時の堂塔の姿を失いました。
大正11年、称名寺の内界である中心区域が国指定を受け、更に、昭和47年、境内背後の丘陵を含めた範囲が指定されるとともに、昭和62年には、庭園苑池の保存整備事業が行われました。

平成6年3月
横浜市教育委員会
史跡称名寺境内愛護会

(説明板より)

称名寺境内



史跡 | 14:44:08 | Trackback(0) | Comments(0)
忠魂碑
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忠魂碑

明治二十七八年戦役戦死者
故陸軍歩兵軍曹 布川 玉尊
明治三十七八年戦役戦死者
故陸軍歩兵一等兵勲八等 長嶋 寅吉
故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 中川 伊助
故陸軍砲兵一等兵勲八等 岩室 次之助
故陸軍歩兵軍曹勲七等功七級 渡邊 寅吉
大正六年軍艦筑波爆沈遭難者
故海軍三等機関兵 北見 芳雄
昭和九年満洲事変戦死者
故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 黒川 梅吉

本忠魂碑ハ當町出身ノ戦病歿陸海軍軍人ノ英霊ヲ吊祭センカ為メニ建設ス
明治大正昭和ト相次イテ起リシ前代未聞ノ戦役ニ諸子ハ大命ヲ奉シテ勇躍皇師ニ従ヒ各地ニ転戦シ時ニ清國ト武ヲ競ヒ勃海湾頭ノ波ヲ鎮メ亦日露ノ國交破ルゝヤ敵将の心膽ヲ奪ヒ遂ニ四面環海ノ神州ヲシテ一等國ノ班ニ列セシム斯クシテ満洲ノ野ニ真如ノ月圓カニ満蒙ノ鎮王粤ニ堅ク我國今日ノ進展ヲ致セルモノハ偏ニ之等将士カ一死以テ國ニ殉セラレシ賜ニシテ外ニハ國威ニ幾段ノ光輝ヲ添ヘ内ニハ士気ヲ萬世ニ鼓舞シ以テ東洋平和ノ基礎ヲ確立ス其ノ偉大ナル功績ハ炳トシテ日月ノ如ク景仰追慕措ク能ハサル所ニシテ畏クモ其ノ神霊は靖國神社ニ合祀セラレ其ノ勲功ハ永久ニ青史ニ綴ラル嗚呼誰カ感奮セサルモノアランヤ先ニ金澤町在郷軍人分會主唱ノ下ニ忠魂碑建設基金ヲ募集セシニ翕然賛同ヲ得テ地ヲ称名寺境内ノ清域ニ相シタルニ時ノ侍従武官長本庄繁大将閣下ノ標額ノ御揮毫ヲ辱ウシ芳譽彌々加フ本會ノ光栄之ニ過クルモノナシ
今茲ニ其ノ戦功ヲ後昆ニ傳ヘントシテ由来ヲ刻シテ以テ銘トス
昭和十一年歳次丙子春四月
帝國在郷軍人會金澤町分會長鈴木貞次

(碑文より)

忠魂碑



史跡 | 13:09:12 | Trackback(0) | Comments(0)
称名寺塔頭光明院表門
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横浜市指定有形文化財(建造物)
称名寺塔頭光明院表門(しょうみょうじたっちゅうこうみょういんおもてもん)
平成4年11月1日 指定

構造及び形式
四脚門、切妻造茅葺(きりづまづくりかやぶき)、袖塀付(そでべいづき)

時代
寛文5年(1665)

光明院は、称名寺の塔頭のひとつで、「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」に「光明院、仁王門に向って左にあり、五院の第一■(ろう)なり、本尊地蔵春日(はるひ)の作なり」とあり、江戸時代後期には、5つの塔頭の一位を占めていました。
この表門は、小規模な四脚門ですが、和様を基調に禅宗様を加味した意匠となっています。
また、市外から近年移築された三渓園の建造物などを別にすれば、造営年代が判明する市内の建造物のなかで最も古く、極めて貴重です。

平成5年3月
横浜市教育委員会

(説明板より)

称名寺塔頭光明院表門


史跡 | 12:41:13 | Trackback(0) | Comments(0)
大宝院
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大宝院(だいほういん)略縁起

当院は奈良西大寺の末寺で、金沢山弥勒院称名寺の一坊であった。
鎌倉時代、金沢文庫を経営した北条氏が、4代にわたって称名寺の伽藍を造立した頃僧坊として建立されたものと思われる。
文明16年(1484)に記された称名寺の僧鏡心の「鏡心(きょうしん)日記」に当院の名がみえる。
本尊は聖観世音菩薩。
江戸時代の中頃には金沢札所の第3番に数えられ、所願成就の観音霊場として多くの参詣者で賑わった。
明治30年(1897)に明治憲法の草案作りのため金沢の地を訪れていた伊藤博文によって、境内に金沢文庫と閲覧所が復興されたが関東大震災により倒壊し現在は庫裏(くり)の一部として残存しているのみである。
本尊は観音堂正面の厨子(ずし)に祀られている。

平成6年4月
大宝院 住職

(説明板より)

大宝院


史跡 | 10:43:09 | Trackback(0) | Comments(0)
通院とデート!
ホテルをチェックアウトして病院へ・・・・
通勤ラッシュの電車に乗るのも嫌なので、ここはタクシーで・・・・(笑)
近くだから・・・まぁ~いいかぁ~
ご年配の運転手さんとおしゃべり。
「先週の雪・・・すごかったでしょ?結構タクシーさんも忙しかったんじゃないですか?」
「いやぁ~あの日は休みました」
「え?何で?」
「事故でも起こしたり巻き込まれたりしたら大変ですからねぇ~いくら稼いでも修理代やら何やら・・・それに修理が終わって車が戻ってくるまで商売ができなくなっちゃいますからね」
この運転手さんは個人タクシーさんだった。
「そう言われれば・・・そうですよねぇ~」
「桜木町駅前だって、あの日はタクシーは2,3台しかいなかったっていうよ」
「へぇ~そうなんですかぁ~」
「まぁ、その人たちは結構稼いだようだけど・・・私は休んだね~」
結局、それなりに稼ぐにはリスクが伴うか・・・・
どんな商売も大変だねぇ~

あっという間に病院に着き、相変わらずの混雑の中1時間以上待って診察を受ける。
今回が最後の診察だろう・・・・と思ったら、また来月も来てくださいとのこと。
手術後3ヶ月は診察することになっていると言う。
ということで・・・3月が最後の診察となるのだそうだ。
丁寧だねぇ~
もう全然問題はないのだが・・・
まぁ、お医者さんの言うとおりにしましょう。

思ったより早く診察が終わってしまったので、どこかを「ぶらり旅」したいなぁ~
ということで・・・金沢区へ行ってみることにした。
向かうは「称名寺」と「金沢文庫」
簡単な地図を見ながら歩く。
駅を出て東に向かえばいいんだろうが・・・
歩いているうちに太陽が真正面にきた。
ん?お昼に太陽が真正面ということは・・・・もしかして南に向かって歩いているのでは?
やっちゃった!
得意の方向音痴!(笑)
途中で昼食をとり、思いっきり遠回りして「称名寺」に到着する。
「称名寺」は金沢北条氏の菩提寺。
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(仁王門)
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(仁王像)
巨大な仁王様・・・・いい顔しているなぁ~
すばらしい仁王像である。
仁王像は金剛力士像とも言ったような・・・・

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「称名寺」の庭園は橋の部分が改修工事中!
う~ん、なんとも残念。
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裏山に北条実時の墓があるらしいので行ってみたが・・・・
山道は思ったより急坂。
しかも雨のせいか雪のせいか・・・・泥濘。
拙者はブレザーにネクタイ姿で革靴を履いている。
こんな格好で山を歩く馬鹿は拙者くらいなものである。(笑)
ここ・・・どうみてもハイキングコースじゃん!
どう見ても場違いな格好。
しかし、ここまで来たら引き返せない。
えぇい!このまま山頂まで行くかぁ~!
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(山頂から見た景色)
眼下に「称名寺」、向こうに海が見える。
へぇ~こんなに海の近くだったのかぁ~
汗びっしょり・・・息切れ甚だしい・・・・普段の運動不足のツケだな・・・
一山越えて・・・・「県立金沢文庫」脇に出てくることができた。
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(県立金沢文庫)
ここはいわゆる“歴史博物館”である。
さっそく見学!
じっくり見学していたために時間をうっかり忘れていた!
そろそろ帰るかぁ~

駅は・・・西の方だよな?
それにしても・・・来る時にどこで道を間違えたのか・・・
そのうち一度通ったことのある道に出た!
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ここ・・・通ったよなぁ~
ん?小さな案内板がある!
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こんな目立たない場所に小さくて文字が薄れている看板じゃ見落とすのも無理はない!
どういう神経してるんだろうか?
管理ができてないぞ!(笑)

真っ直ぐ金沢文庫駅に向かうのも面白くない。
もうすこし「ぶらり旅」をしてみるか・・・・
ということで、向かったのは「横浜検疫所」!
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(横浜検疫所)
ここには、その昔・・・野口英世が勤務していた検疫所の建物が今も残っている。
それを見学したいと思ったのだが・・・
門の守衛さんに尋ねたら関係者以外は立ち入り禁止とのこと。
そりゃそうだろうなぁ~考えてみれば、ここは検疫所だからなぁ~
話によれば、野口英世が勤務していた建物は普段は一般公開していないという。
年に一度だけ一般公開するが、今年の公開日は未定とか・・・
「道路わきの外から見てください」とのこと。
わざわざテクテク歩いてきたのに・・・・残念!
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(野口英世が勤務していた検疫所の建物)

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(横浜市のマンホール)
マンホールの絵が面白かったので撮影。(笑)

「長浜公園」を抜けて「京急富岡駅」へ・・・
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(京急富岡駅)
今日は久しぶりに結構歩いたと思うが・・・・
万歩計を忘れたのでどのくらい歩いたのか解らない。
大失敗!
この駅の直ぐ近くに駐輪場に利用されている小さなトンネルがある。
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このトンネル・・・・戦跡の一つでもある。
昭和20年6月10日のこと。
米軍の空襲を受け、空襲を避けるため臨時停車した電車の乗客がこのトンネルに避難したのだが・・・
このトンネルの両側に爆弾が落下して、トンネル内に避難していた人たちが犠牲となった。
ここに避難した数十人の乗客の手足が吹き飛び、トンネル内の電線に遺体の一部がぶら下がり・・・トンネルの壁は血で塗られ・・・内部は血の海という悲惨な現場なのである。
そういう場所なのだが、なぜか慰霊碑らしきものは見当たらない。
このトンネル内では福島県から学徒動員されていた相馬中学校の生徒2名も犠牲になったという。
今では、その史実を知ってか知らずか・・・駐輪場。
暗くなってからここに自転車を取りにくるのは・・・拙者だったら・・・ちょっと考えちゃうなぁ~
ここに自転車を置いている人は、そういうことがあった場所だというのは知らないんだろうなぁ~

日が暮れてしまった!
マズイ・・・・
ここから品川駅へ向かわねば・・・・
“シオハラ”さんとの待ち合わせに間に合うか?
急げ、急げ、「デート(?)」に遅刻してはマズイ!(笑)
思ったより早く駅に着いたので、先に駅前のホテルにチェックイン。
「本日シングルのお部屋をご予約で・・・よろしかったでしょうか?」とフロント。
「24㎡の部屋って聞いていたけど・・・それって広いんですか?」
「はい、ベッドの周りが少し広いのですが・・・よろしかったでしょうか?」
「ええ、広いなら結構ですよ」
フロントの人はゴソゴソと何やらやっていて・・・
部屋のカードキーを渡しながらこう言った。
「本日はシングルが大変混んでおりまして・・・え~・・・ツインのお部屋をご用意させていただきました」
「はぁ?」
「いえ・・・あの・・・料金はシングルの料金で結構でございます」
あのねぇ~・・・・
たった今、シングルの話をしていて・・いきなり「ツインのお部屋をご用意いたしました」はおかしいだろう?(笑)
今までの我々の会話は何だったわけ?(笑)
でも・・・ありがとう!

“シオハラ”さんから予定より15分早く待ち合わせ場所に着けそうだと携帯にメールが入った。
急げ!(笑)
待ち合わせ場所の改札口前は大混雑。
どこにいるのかわからな~い。(笑)
今日は「花の金曜日」かぁ~
どうりで混んでいるわけだ・・・・

夕食は拙者の無理を聞いてもらいホテルのレストランでフランス料理のフルコース!
奮発しちゃったぞ!(笑)
なにせ“老人”との二人暮らし・・・・
まともなものが中々食べられない。
ステーキなんてもってのほか。(笑)
こういう時じゃないとねぇ~
しかもホテルの最上階のレストランで夜景を見ながらのフルコースとなれば・・・
女性と一緒じゃないとね~
いくら仲良しの“ウメちゃん”との食事でも男二人では絵にならない!(笑)
「飛んで火にいる夏の虫」じゃなかった・・・「渡りに船」とはこのことぞ。(笑)
麗しき“シオハラ”さんにお付き合い頂き贅沢なディナー!
「夕食」ではなく「ディナー」なのである!
う~ん・・・久々だなぁ~こういうことをするのって・・・(笑)
前回同様、殆ど拙者がおしゃべりして自己満足に浸ってしまった。
申し訳なし。
彼女が曙光会に入会希望との事なので会報のコピーを渡す。
それと、“ヤノ”さんが書かれた本も読みたいというので、これも貸してあげる。
お酒を飲みながら食事をして・・・
その後、1階のバーでまたお酒を飲んでおしゃべり。
東京は景気がいいのだろうか?
どうしてこんなに人がいるんだというほど混んでいる。
これが地域格差というものか?
わが町なんぞは週末でも閑散としているというのに・・・・

あまり遅くならないうちに解散。
今回も楽しい「デート(?)」ができて大満足!(笑)
部屋に戻り、有料テレビで「硫黄島からの手紙」を見る。
この映画は母と二人で見に行った最後の映画。
思い出の映画である・・・・
今日は最高に充実した一日を過ごせた。
感謝、感謝。

日記 | 09:42:46 | Trackback(0) | Comments(0)
横浜に行く
明日は横浜の病院に通院。
というわけで・・・今日のうちに横浜へ行き桜木町駅前のホテルに前泊することにした。

“ウメちゃん”に言わせると「信じられない!世の中、間違っている!」ということになるらしい。(笑)
定職も持たず・・・フィリピンへ行って帰ってきたかと思ったら東京に行き、また帰ってきたかと思ったら今度は横浜!
「働いてない人のほうが優雅っておかしいだろ!」と言う。
ごもっともである。(笑)
でも、働いてないから出来るのであって・・・
これが、働いていたら、そうそう飛びまわれるわけがない。(笑)

夕食はコンビニの弁当を買ってホテルの部屋で食べる。
母が亡くなった後・・・・多分、毎日がコンビニの弁当になっちゃうだろうなぁ~と思っていたのだが・・・・
世の中は、そうそう予想通りには進まないものである。
なぜか親父はコンビニの弁当を食べない。
そうなるとスーパーで惣菜を買ったり拙者が何かしら簡単なものを作るしかない。
しかも、親父は、たくさんの種類をほんのチョットだけ食べたいと言う。
鶏の唐揚げなら1個、焼き魚なら半分か3分の1。
それならコンビニの弁当のほうがいろいろなものが入っていて安いからいいだろうと思うのだが・・・食べない!(笑)
我儘な男である。
毎日、何種類もの惣菜を買うのだが、ほんのチョットしか食べないから残り物は全て拙者が食べねばならぬ。
こうなるとコンビニ弁当なぞ食べる機会はない。
お~久しぶりのコンビニの弁当!
感激である。(笑)
昔は、こういうものは食べたいとも思わなかったのだが・・・

しかも、明日は通院後、夜には“シオハラ”さんと会う予定。
久しぶりにステーキか何か肉が食べたい。
親父に合わせて“老人食”なので、なかなか肉が食べられないのだ!(笑)
明晩の食事を思って・・・今晩は“粗末な”夕食に甘んじよう!
夜景を見ながらコンビニの弁当を食べる・・・これもまた楽しいものである。

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(ホテルの部屋から見た横浜の夜景)

日記 | 19:10:26 | Trackback(0) | Comments(0)
指名玉串奉奠
今日は“ワタナベ”さんの告別式。
午後1時からだから・・・少し早めにお昼過ぎには出かけるか・・・
と・・・親父を誘ったら・・・
「何で俺が行かなきゃならないんだ?」と言う。
そんな・・・馬鹿な!
「どうして俺が行くんだ?ただの勤め人の葬式だぞ!俺が行く必要はないだろ。お前・・・少し頭がおかしいんじゃないか?」と言う。
もしかして・・・と、多少は予想していたが・・・
まさか、そこまで言うとは思わなかった。
「永年、世話になっていたんじゃないか?告別式ぐらいには出るのは当然だろ?」
「なに言ってるんだ?世話なんかになった憶えはない!俺には関係ねぇ!何でそこまで拘っているのか、お前のその神経がわからねぇ!」
怒鳴りあいの喧嘩になったが・・・常識のない奴に通じるわけもない。
人の道を80歳の親父に説くわけにもいくまい。
“はらわたが煮えくり返る”とは、まさにこのことぞ!(怒)
“馬鹿は死ななきゃ直らない”とは言うが、この男の場合は死んでも直るまい。
義理も人情もない・・・・
あ~我が親とは言え、こんな奴が生きていて、まともな人が先に死んでいく。
なんと不条理なことか・・・
せめてもの慰めは、この言葉を母が聞かずに済んだこと。
これを聞いたら激怒しただろう。
こんな男が拙者の親とは・・・・情けない・・・・

結局、一人で告別式に参列することにする。
馬鹿を連れて行っては“ワタナベ”さんに失礼だ。
受付で市会議員の“シラト”さんに捕まる。
「指名玉串・・・指名しますからお願いしますね!」
「いや・・・偉い人たちがたくさん来ているんですから・・・」
「いや、そう言わず・・・お名前を呼びますから!」と言って走り去った。

参ったなぁ~
指名玉串奉奠の作法を知らないわけじゃないが・・・
最後にやったのは・・・
数年前に靖国神社で昇殿参拝し、戦友でも遺族でもないのに代表でやらされた時が最後。
拙者が代表して玉串奉奠して、拙者に合わせて後ろに並ぶ戦友の皆さんがお辞儀するという・・・なんとも不思議な光景に見える玉串奉奠。
あれから一度もやってないからなぁ~
大勢の人の視線を背中に浴びて・・・・ミスを犯さず無事にできるだろうか?
心臓がバクバクして周りに聞こえているのではあるまいか・・・というほど緊張する。

名前を呼ばれた瞬間・・・頭の中は真っ白!(笑)
落ち着け・・・落ち着け・・・
「専務なら大丈夫ですよ。ちゃんとできますよ~」と“ワタナベ”さんの声が聞こえる。
思わず涙が出そうになる。
しっかりとお別れをせねば・・・・
多分・・・無事にミスもなくちゃんと出来たと思うのだが・・・
手と足がどう動いていたのか・・・・
緊張しすぎてよく憶えていない。

今日の夕食は親父なんかとは一緒に食べたくはない。
“ウメちゃん”に付き合ってもらい外食する。

日記 | 23:07:41 | Trackback(0) | Comments(0)
拙者は紳士?
今日は“ワタナベ”さんの通夜式。
親父を誘ったら・・・・「行かない」と言う。
「なにも2日も行くことはないだろう。お前が行きたければ行けばいい」と言う。
どういう神経をしているのか・・・この男・・・

散々世話になっていたので、ここは生花を送ろうと独断で親父と拙者の連名で生花を送る。
母が生きていたら絶対そうしたはずである。

通夜式は神式だった。
参列者もちょくちょく立ち上がって“低頭”しなくてはならないのだが・・・
ふと・・・前の席に座っている若い女性のお尻に目が行ったら・・・
ありゃ!
お尻のところが真っ白!
ティシュペーパーと一緒に洗濯機に入れたらこんな感じになるだろうというほど何やら白いものがたくさん付いている。
こりゃ・・・目立つなぁ~
マズイだろう・・・
何とか教えてやらねば・・・と思うのだが、周りはシ~ンと静まり返っている。
どんなに小さな声で話しかけても他の人に知られてしまう。
ましてや、いきなり後ろから肩を叩いたのでは・・・・驚いて叫び声でも上げられたら大変だし・・・(笑)
散々悩んだが、名案が浮んだ!
そうだ!名刺に書いて渡せばいいや~
ということで、「失礼かとは思いますが・・・」と名刺に書いて、今のうちに一旦退場して確認するように促す。
大成功!
彼女は一旦退場して“処置”して戻ってきた。
はぁ~よかったぁ~
周りの人にも気付かれずに済んだ。
と・・・まもなく「指名玉串」で、この女性が前に出て行った!
危機一髪!
まさか・・・指名される方とは知らなかった!
教えてあげてよかったぁ~
あのまま教えていなかったら・・・・彼女は大恥を掻くところだった。

通夜式が終わって帰ろうとしたら、市会議員の“シラト”さんから声をかけられた。
「まさか来ているとは知らず申し訳ない!」
「は?何が・・・でしょうか?」
「指名玉串でお名前を呼ばなくて・・・申し訳ない!」
いやぁ~何で拙者が指名されなくちゃならんのだろうか?
そんなに偉くないのに・・・・(笑)
誰を指名して玉串奉奠をしてもらうかは“ワタナベ”さんの親友で市会議員の“シラト”さんが仕切っているらしい。
そういうこともあって、県知事までもが参列していたんだぁ・・・・
県知事や衆議院議員の秘書さんたちも存じ上げているが・・・
何で・・・その中に入って拙者が玉串奉奠をしなくちゃならんのか?
「明日も来ていただけるのかな?」
「当然、参列させていただきますが・・・指名玉串はいいですよ~偉くないんだから・・・」

市会議員殿にようやく解放されて帰りかけたら・・・・
先ほどの女性がお礼を言いにやって来た。
「本当にありがとうございました!とても紳士的な教え方をしていただいて・・・本当に紳士で・・・」と、やたらと“紳士”の連発。(笑)
そんなに言われちゃうと照れてしまう。
まさか指名されていたとは知らず・・・でも、教えてあげて良かったなと・・・
病院関係の代表で指名玉串をしたという。
一緒にいた他の女性からも「うちの代表ですから・・・恥を掻かずに済んで本当に良かったです。助かりました」と散々お礼を言われる。
勇気を持って教えてあげてよかったと思う。
「で・・・すみませんが・・・あの名刺・・・頂きたいのですが・・・」と言う。
は?拙者の名刺?
名刺は彼女に渡して読み終えたなと思った時に彼女の手から取り上げていたのである。
「え~!いやぁ~あの名刺ねぇ~」
意外な申し出に驚いた!
どうしても・・・というので、お渡ししたが・・・
こんなことになるなら、もう少し丁寧な字で書けばよかった・・・・
急いで書いたから汚い字なんだよね。
普通に書いても下手くそなのにさぁ~(笑)
恥ずかしくて改めて見てもらいたくないんだけど・・・(笑)
それより・・・名刺に「独身」って書いておくべきだったなぁ~(笑)

ちなみに・・・この名刺・・・
法人会青年部会広報委員長の名刺!(笑)
住所も電話番号も法人会事務局のもの。
だから・・・拙者には連絡はつかない・・・
法人会の宣伝にはなったかもしれないけど・・・
後日、会いたいって言われても・・・(期待し過ぎか?)(笑)
不謹慎か・・・こういうことを考えるのは・・・
“ワタナベ”さん。ごめんなさい!

日記 | 20:13:26 | Trackback(0) | Comments(3)
ショックな訃報
朝、税理会計事務所の所長から電話。
親父の同級生である。
「“ワタナベ”君が亡くなった」とのこと。
「“ワタナベ”君って・・・同級生ですか?」
「そうじゃないよ。うちの“ワタナベ”だよ」
「エエッ!」
自分でも驚くような大声を上げてしまった!

“ワタナベ”さんとは先月お会いしたばかり・・・
長い間、我が社の税理・会計を見てもらっていた担当者。
何かと世話になっている。
まさか・・・
急性心不全だったらしく62歳でお亡くなりになった。
う~ん・・・ショックだ~
身内を失ったくらいのショックだぁ~

日記 | 14:37:08 | Trackback(0) | Comments(0)
雪の東京へ行く
今日は東京に行かねばならんのだが・・・・
テレビのニュースを見たら・・・東京は雪!
こちらは雪は降っていないのだが・・・・
あ~嫌だなぁ~
わざわざ雪が降っている東京に行くの?
面倒臭いなぁ~(笑)

心配して甥が電話をしてきた。
「雪がひどくなる前に早めに東京に来たほうがいいよ!」
ヒェ~
「来なくていいよ」って言ってくれるかなと思ったら・・・早く来い・・・かぁ~(笑)
甥っ子の頼みだからなぁ~
行くしかないかぁ~

コンサートは午後3時からだと言うので、都内の交通機関が麻痺していても何とか会場にたどり着けるように少し早めに家を出る。
DSC08661.jpg
(武蔵野音大の前)
無事に会場に到着。
親父とも合流する。
コンサートは、音大付属の音楽教室の発表会。
ヴァイオリン、ピアノ、チェロ、フルート、打楽器などの各演奏やら弦楽の合奏や合同合唱などが披露される。
出演者は選抜された下は幼稚園児から上は高校3年生。
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(弦楽合同合奏)
オープニングは弦楽合同合奏。
中1の甥っ子が中にいるのを発見!(笑)
続いてトップバッターのピアノの演奏は幼稚園児。
「ネコ踏んじゃった」程度の曲かと思いきや・・・・かなりのハイレベル。
本当に幼稚園児なの?
唖然・・・・
DSC08663.jpg
(チェロ)
しばらく後・・・・今回初出場で二度と選ばれることはあるまいと噂されている(笑)中1の甥っ子のチェロの番・・・・
伴奏は中3の姪。
つまり姉弟でステージに・・・・
息が合ってくれれば良いけど・・・
まさか、兄弟喧嘩なんてことになるまいな?(笑)
ドジを踏むんじゃあるまいかとハラハラドキドキである。
あんな広いステージに上がったら、拙者だったら頭の中は真っ白!
絶対演奏なんかできないぞ~(笑)
まぁ~たいしたもんだ~
無事に甥っ子の演奏も終わり・・・・ホッ・・・
まもなく弦楽合奏が・・・・
ん?
その中に・・・小4の姪っ子がいるのを発見!(笑)
ヴァイオリンなんかを弾いてる・・・・
いつもはピアノで出演しているのだが、どうやら今回は選ばれなかったようで・・・
出番は無いと思っていたら、ちゃっかりヴァイオリンの合奏に出ていた!(笑)
その後も各演奏が続く。
いつもなら途中で居眠りをしてしまうのだが・・・(笑)
なにせ、どこで姪や甥が出てくるか・・・と思うと寝ているわけにはいかない。(笑)
DSC08664.jpg
(合同合唱)
最後の合同合唱までちゃんと起きていた。
お~我ながら感心、感心。
ん?
合唱の中に中3の姪が・・・・
毎回ソロでピアノを発表する姪が今回は伴奏として出演。
それだけかな・・・と思っていたらちゃっかり歌を歌っているではないか。(笑)
あらら・・・
途中で、伴奏を代わり、姪がピアノを弾く。
そして・・・コンサートは終了。
ご苦労さん!ご苦労さん!

妹の家に行き、夕食をご馳走になって早めに親父と上野駅に向かう。
思ったよりスムーズに到着したので駅構内の喫茶で時間調整。
親父はホットミルクを頼んだのだが・・・
出てきたのは泡立てられたミルク・・・・
「これ・・・泡ばかりじゃねぇか!これ・・・いくら?」
「450円だけど・・」
「なに?450円?泡だらけの牛乳でそんなに取るのか?詐欺だ!これは詐欺だ!」と文句を言い出した。
おい、おい、声が大きいって!
参ったなぁ~
親父と一緒だと恥かくなぁ~(笑)
余計なことを言うなって!

日記 | 13:40:48 | Trackback(0) | Comments(0)
父、上京する。
昨晩遅く、中1の甥から電話。
何事かと思ったら・・・・日曜日の音大のコンサートに出るので聴きにきてくれという。
今までも何度か行った事はあるが、その時は姪が出演した時。
甥は初めて選ばれたそうで・・・・是非!とのこと。
妹の話では「二度と選ばれることはあるまい。今回は奇跡に近い」とのこと。(笑)
母がいれば母が行ったであろうが・・・
ここは久しぶりに拙者が出かけてやるか~
「おじいちゃんも一緒にね!」と言われ・・・ガクッ!(笑)
土曜日に前泊してくれというのだが、親父は2人して家を留守にするのは嫌だと言う。
孫が楽しみにしているんだから親父を留守番に・・・というわけにもいかぬ。
「親父!親父が先に行って泊まれば?」
ということで、出不精の親父を無理やり東京に行かせる。
早めに出かけて上野の博物館とか美術館でも見学して・・・夜は娘のところに泊まればいい。
拙者は当日向かえばいいんだから・・・
たまには“おじいちゃん”が泊まりに行けば孫たちも喜ぶだろう。
(もしかしたら迷惑かもしれないが・・・)(笑)

というわけで、早朝、無理やり親父を送り出したので・・・・
今日は一人!
親父の食事の心配なんてしなくていい!(笑)
天国じゃ!天国じゃ!

日記 | 16:41:23 | Trackback(0) | Comments(0)
撃墜
撃墜―日米空戦記 (光人社NF文庫)撃墜―日米空戦記 (光人社NF文庫)
(1999/06)
豊田 穣

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この本は7つの話から構成されている。

若桜最後の撃墜王
双発複座の夜間戦闘機「月光」を駆使して、B29撃墜王となった遠藤幸男の生涯について書かれている。

ラバウル最後の爆撃機
ラバウルでエンジンの無い壊れた九九式艦上爆撃機を修理して飛ばした「最後の爆撃機」の話。
修理のためのエンジンと尾翼を探しに出かけ、パプアの集落で現地人と結婚している戦死したはずの上官に出会う。
そんなことが現実にあったのか?
修理した艦爆は単機で米空母を攻撃・・・・被害を与えて無事に帰還したという。
異色の戦記といってもいい作品。

ワレ本日二機撃墜
厚木航空隊の高杉義三中尉の話。
戦後、主人公と撃墜157機といわれる高杉元中尉が芋焼酎を酌み交わしながら会話をする回想という形で書かれた作品。
無理をせず、毎日2機しか撃墜しないというペースを守って生還。

消えた操縦士
海上に不時着した艦上爆撃機に操縦者が見当たらない・・・・
戦死扱いにしたが、その後、上官が街中でその男に会う。
死んだはずの男が生きている・・・・ミステリー。

い号作戦発動!
空母「飛鷹」所属の艦爆隊を中心として書かれた「い号作戦」

紫電改戦闘機隊
松山海軍航空隊・343空の戦闘301飛行長である菅野大尉を中心に描かれた紫電改の活躍の話。

われ特攻に参加せず
艦上爆撃機「彗星」を夜間戦闘機として使用していた芙蓉部隊。
指揮官美濃部少佐の方針により部隊は特攻には参加せず、夜間隠密裏に敵空母を攻撃、特攻の尖兵として挺身攻撃を続ける。
特攻の方針に反対し続け、上層部・特攻部隊からは白眼視。
その異色の部隊の戦記。

読書 | 15:09:39 | Trackback(0) | Comments(0)
請求書の効果
先日、戦友会の会費の請求を会員にお送りしたら・・・
続々と訃報の連絡が来た。
さすがに封筒の表書きに「請求書」の印が押されていたら開封しないわけにはいかなかったのだろう。
効果的面である。
「昨年亡くなっているのだが、会費は納入する必要があるのか?」との問い合わせが多い。
すごい方になると、「2年も前に亡くなっているのですが・・・」という人もいる。
ということは・・今まで送っていた会報や名簿、各種通知はどうなっていたんだと言いたくなる。
もうお亡くなりになられているのなら、今更過去に遡って会費を頂くわけにもいくまい。
会費の支払いはしなくてもいいことを伝える。
ついでに、会員の継承をお願いするのだが・・・
殆どの方々からお断りを受ける。

生還したご本人は熱心に慰霊など会の運営に貢献されてきたのだが・・・
そのご家族となると・・・
「関係ありません」ということになるらしい。

拙者にはその感覚が理解できないのだが・・・
拙者の祖父は連隊長である。
連隊長は部隊の要、戦死や自決したのでは部隊は消滅、部下は散り散りになってしまう。
通常は後任の連隊長候補者がいて交代できるが、殆どの将校は戦死か負傷。
第一線の激戦地では代わりがいないのである。
だから死ねない。
部下もそれがわかっているから連隊長を死なせないようにする。
祖父は戦場で敵の砲爆撃により何度も壕の中で生き埋めになっているが、真っ先に救出されている。
これが一兵士だったら助けてはもらえなかったかもしれない。
そして、多くの部下が戦死している。
祖父が生還できたのは祖父自身の運の強さにもよるだろうが、多くの部下のおかげであることは否めないのではないか?
そう考えると、祖父が生きて帰ってこれたのは戦死した多くの部下たちのおかげであると考えてもいいのではないか?
祖父を生きて帰してくれたことに感謝をして戦死した方々を慰霊するのは生還者の子孫としてあたりまえのことではないだろうか?
拙者はそう思うから戦友会のお手伝いをさせてもらっている。

しかし、残念ながら、会員を継承されない方々はこういう考えはお持ちではない。
拙者が説教するべきことではないので「あ~そうですかぁ~」で済ませているが・・・
何とも複雑な心境である。
生還者が年々亡くなっていき、その後は戦没者遺族がやればいいということか・・・
戦没者遺族、特に遺児は父親を殺された上、会の運営を任され、慰霊祭を企画し、更に慰霊碑の維持管理までやらされることになる。
父親がいない母子家庭で苦労して育った挙句に、更に苦労するのか?
果たしてこれで良いのだろうか?

これは生還者の自分の子や孫への教育にも問題があろうが・・・
「親父は親父の人生で、自分は別ですから関係ありません」でいいのだろうか?
それで恒久平和、「戦争は二度と繰り返しません」・・・・は実現できるのだろうか?
常に戦死した方々の事を忘れないようにしなくては実現できないのではなかろうか?
「関係ありません」で良いわけがないと思うのだが・・・

日記 | 12:27:36 | Trackback(0) | Comments(2)
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