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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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マニラ東方高地の旅(6)
次は・・・
近くにあるバグンバヤン小学校へ表敬訪問・・・・
しかし、時刻は既に夕方。
もう学校は終わっているんじゃあるまいか?
行って見たら・・・校門は閉まっており誰もいない。
前回の平成17年11月に、偶然にこの小学校を訪問した。
そういうことで、今回も是非訪問しようということで日程に組み込まれたはずなのだが・・・
「え?閉まってるって・・・・事前に連絡してなかったの?」と参加者から尋ねられたが、拙者だってそんなことは知らない。ガイドじゃないんだから・・・・(笑)
どうやら現地旅行社はこの学校と事前に何の打ち合わせもしていないらしい。
何ということか・・・・
「じゃぁ~折角のプレゼントはどうするの?」
前回撮影した写真を先生に渡そうとわざわざ用意してきてる人もいる。
「明日、モンテンルパに行きますから、その時に集まってくる子どもたちにでも渡してください」とガイド。
唖然・・・・・
縁が出来たこの学校の生徒のためにと、わざわざ日本から学用品を持ってきたのではないか?
貧民街の子ども等に渡すために持ってきたのではあるまい?
何でもかんでもバラ撒けばいいというもんじゃない。
どうして、こういう気持ちがわからんのかねぇ~
「じゃぁ、村長さんを探して、村長さんに預けて、あとで学校に渡してもらいましょう」とガイド。
そうしよう!そうしよう!・・・・ということになったが・・・・
ガイドは村長を探すそぶりをみせない。
ドンドン、バスは走る。
「あれ?村長に渡すって話・・・・どうなったの?」と参加者から尋ねられたが・・・・
拙者だって知らないよ~
口先だけでなだめたんでしょ。皆さんの事を・・・・
あっという間にバグンバヤンの隣にあるサンタマリアに入る。
すると、そこに小学校が・・・
子どもたちもいる。
「どうしましょうか?ここの子どもたちにでも渡しましょうか?」とガイド。
よ~し!停めろ!停めろ!
DSC08574.jpg

この「タランカ小学校」で急遽学用品の贈呈式を行う。
学校の先生に声をかけて子どもたちに集まってもらう。
先生も驚いただろうなぁ~
通りすがりのマイクロバスから突然日本人が降りてきて学用品やお菓子を差し上げたい・・・・なんて言い出したんだから・・・・・(笑)
DSC08575.jpg

先生がプレゼントを配り出したら大騒ぎ!
ん?
数が足りないんじゃないか?
俺・・・・しらねぇぞ~(笑)
後は・・・・先生方にお任せするしかない。
無責任といえば無責任かな?
果たして、こういう風に何かしらを配るというのは良いことなのかどうか・・・
数が足りず、もらえない子どものことを考えると複雑である。

もう日が暮れ始めたのだが・・・
ガイドは今からカリラヤへ行くと言う。
前回も行ったけど・・・・あんな場所へ行ってどうするの?
行く必要ないんじゃないか?
“卒塔婆を燃やさないと意味がないし、卒塔婆を燃やすにはカリラヤに行くしかない」と“ニシムラ”さん。
「バグンバヤンでは近所の人にお菓子などを配ったんだから、最後の慰霊地で卒塔婆を焼かせてくれと頼めば良かったんじゃないんですか?」
お菓子など、いろいろなものをもらった以上、相手も嫌だとは言うまい。
そのお礼に・・・・ということで配ることにすればいいのであって、何でもタダでバラ撒いたんじゃ意味がないでしょ?
拙者は宗教的なことは知らないが・・・・
慰霊地の椰子の木陰で卒塔婆を焼いちゃ駄目なのか?
何で、日が暮れるって言うのにわざわざカリラヤまで行かねばならんのか・・・
無駄だよなぁ~
こういうことになるからガイドは先を急ぐわけですよ。
だから慰霊の方がお粗末になっちゃうんですよ!

拙者は2度ほどカリラヤの日本政府が造った慰霊碑に行ったが・・・・
正直言って、ここは好きじゃない。
遺族会などの慰霊団にとってはお決まりのコース。
ここに来ても拙者は何も感じないのである。
英霊が集まっているとは思えないのである。
DSC08576.jpg

日が落ちて薄暗い中、慰霊碑に向かって最後の締めくくりの追悼の辞を述べるのは・・・・
なんと!拙者の役目!
拙者は遺族でもなければ戦友でもない。
しかもこの遺族会の代表でもない。
にもかかわらず最後の締めくくりが拙者の役目っておかしいでしょ?(笑)
「嫌だ」と言っても聞いてもらえない。
「いいから早くやって!」と“ニシムラ”さんに急かされる。
拙者は前回にもやらされコリゴリなのだが・・・
前回同様、原稿なんか書いてきていない。
全てそのときのアドリブである。
こんな有難くもないモニュメントの前で、戦場でもない山の上で、英霊もいなにのに追悼を述べるのか。
馬鹿馬鹿しくて仕方がない。
どうして、こういう形に拘るのかわからない。
白々しい・・・・
ましてや、拙者の祖父の部下は北部ルソンに眠っているんだ。
ここから何百キロも離れている全く正反対の場所に眠っているのだ。
こんなところで何を言おうが伝わるわけがない。
仕方がないので、適当に簡単に何か喋って・・・・・終わり!
何を言ったのか・・・・当然ながら自分でも覚えていない。
生還者の“ナルカワ”さんも「ここは何の意味もない場所だから好きじゃないし、来る気も起こらない・・・」と言う。
同感である。
便宜上、造られた慰霊地。
どこか一箇所で簡単に済ませましょう・・・というだけで造られた場所である。
自分の母親の墓参りに行って隣の他人の墓にお線香をあげてしまったような、そんな気分の悪さ・・・・・
あ~自己嫌悪・・・・・

これで、とりあえず慰霊に関しては全て終了!
日が落ちて真っ暗になった中、ロスバニオスのホテルに向かう。
ここは前回も宿泊したホテル。
DSC08577.jpg
(ホテルの部屋)

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旅行 | 19:30:54 | Trackback(0) | Comments(0)
マニラ東方高地の旅(5)
続いて向かったのはカルカッタモンドというところにあるマーママラクリーク。
今回の参加者の中に船舶工兵のご遺族の方がおられ、この方のお父様がお亡くなりになった所。
我々も初めて行く場所。
DSC08557.jpg

途中、道路脇に不思議な光景が・・・
お墓にしてはおかしい・・・
尋ねてみたら、これは闘鶏用の鶏の養鶏場。
一羽一羽が別々に離されて育てられているのだとか。
一つ一つが鶏の小屋。

地図で見ると、あとわずか1~2kmというところで、舗装された道路が途切れた。
ここから先は少々ぬかるんだ荒道。
ここで、ガイドが近くを通ったトラックの運転手に何か尋ねて・・・・Uターン!
なんで?
あともう少しで目的地に着くというのに・・・・
「カルカッタモンドを通り過ぎたそうですから引き返します」とのこと。
そんな馬鹿なぁ~
地図とGPSによれば、もう直ぐ目の前まで来てるのに!
ガイドが持っているのは縮尺の大きな略地図。
拙者が持っているのは5万分の1の地図。
そこにはっきりとカルカッタモンドとマーママラクリークが書かれている。
それにポケナビのGPSで現在位置をチェックしているのだ。
「このまま真っ直ぐ2kmほど行けば着きますよ!」と何度言っても・・・・無視!
バスはドンドン戻ってしまう。
なんたることぞ!
結局、6~7kmほど戻り、バス停らしき建物のある場所で下車。
「ここがカルカッタモンドです!」とガイド。
しかし・・・そうだと証明する町の名を示す標識も何もない。
現地の人に聞いたらそう言っていた・・・・というだけのこと。
徒歩でドンドン奥地に入る。
おい、おい、他人の土地に無断で入って良いのか?
DSC08569.jpg

マーママラクリークと言われる小川。
クリークとは小川のことであるから・・・確かに小川といえば小川である。
「近所の方に聞いたら、確かにここはカルカッタモンドで、これがマーママラクリークとのことです。この上流にゲリラの本拠地があって、この周辺で多くの日本兵がゲリラに襲われたそうです」とガイドの説明。
しかし・・・現地の人が本当にそう言っているかどうかはわからない。
何しろ我々は誰一人として現地語を知らないから・・・・
そう言うなら・・・そうなんでしょう・・・・と言うしかない。
ガイドと喧嘩しても仕方がない。
諦める・・・
DSC08570.jpg

川の側で慰霊祭を執り行う。
参加者からは「本当にこんなところで亡くなったの?」と尋ねられたがご遺族の気持ちを思うと答えようがない。
拙者としてはいいかげんな場所では慰霊はしてもらいたくないのだ。
少しでも納得していただける場所で慰霊をしてもらいたいのだが・・・・
前回もこのガイドは場所を誤魔化したことがあるからなぁ~
しかし、あまり騒ぎ立てたのではご遺族に申し訳ない。
黙るしかない・・・・悔しいが・・・

わずか10kmもない地域に同じ名前の集落と同じ名前の小川が流れているだろうか?
片方は地図に記載されており、もう一つはガイドが言っているだけの場所。
どちらを信じるべきか・・・
良心的に解釈すれば、日本軍が言っているカルカッタモンドとマーママラクリークは現地人がここがそうだといった場所を記録したものと推定すると、今回同様、現地人が言っているこの場所の可能性がないとも言えない。
まぁ、そう解釈するしかあるまい。
90%以上納得できないが・・・(笑)

DSC08571.jpg
(民家の近くで見つけたバナナの木)

ここからもう一つの慰霊地・・・・バグンバヤンに向かう。
そこは前回の平成17年にも訪れた場所だが・・・
拙者はこの地域の地図は入手していないので正確な場所がわからない。
ポケナビに表示された緯度・経度を記録して後日、地図を入手したら確認しよう。

DSC08572.jpg
(ハラハラ峠から見たラグナ湖)
「ハラハラ峠」の名前の由来は日本軍が付けたものなのか、現地の名称なのかわからないが・・・・
東海岸に展開していた部隊はこの峠を越えて奥地に移動したらしい。
敵の攻撃を受けながら峠越えするので「ハラハラ」と言ったという話もある。
それなら「ドキドキ峠」でもよさそうなものだが・・・・(笑)
やはり「ハラハラ」は現地語か?

DSC08573.jpg
(バグンバヤンでの慰霊祭)
「この場所で慰霊祭をしましょう!」とガイドが安易に適当な場所を指示してきた。
そういうわけにはいかねぇぞ!
前回も来てるんだから、このガイドが憶えていないわけがなかろう?
さては・・・またもや手抜きか?
前回と同様の場所でやらねば意味がない!
今度は勘弁ならねぇ~(笑)
拙者が先頭を切って前回慰霊祭を行った場所に案内する。
「そんなに奥のほうでしたっけ?」と前回参加した方からも言われたが・・・・
拙者には自信がある。
1本だけスラリと伸びた椰子の木がある場所が目印なのだ!
方向音痴の割には変なところは記憶力が良い。(笑)
参加者も思い出してくれたようで・・・「そうそう、この椰子の木!憶えてる!」
でしょ?ここでしょ?(笑)

ここは川北大隊の“オリタ”さんの義父が亡くなられた場所。
この周辺で亡くなったのだろうということで、ここで前回慰霊祭をしたと記憶している。
実父のほうは、もっと北の山の方。
以前、調査をしてお手紙でご報告させていただいた。
「その場所には行けますか?」と尋ねられたが・・・地図には道路が記載されていない。
近くまで車で行ったとしても、そこからはかなりの距離を歩くようだろう。
しかもフィリピンゲリラの勢力圏内の可能性もある。
拙者が一人で行って確認するようかなぁ~(笑)
いつか機会があったら確認しに行く・・・・ということで勘弁してもらう。

旅行 | 18:42:33 | Trackback(0) | Comments(1)
マニラ東方高地の旅(4)
続いてレナチン川へ向かう。
今日は結構ハードスケージュールでの移動となる。
とにかく3泊4日で廻るんだから大変だ。
後日のショッピングや観光なんかはどうでもいいから、場合によってはキャンセルしてでも慰霊に時間を割くべきだと思うのだが・・・・
これがなかなか難しい。
現地のガイドも「都合」っていうものがあるんだろう。
いい顔をしない。
こういうのが団体を組んだときの一番嫌なところである。
やっぱり個人行動のほうが拙者は好きだ。

DSC08548.jpg
(武勲山)
相変わらずポケナビの座標と地図をにらめっこ。
どうやら「武勲山」の裾野を回り込むように走っているらしい。

DSC08549.jpg

サンアンドレスという集落に到着。
ここから山道を走ることになるので、我々のマイクロバスでは無理。
ジプニーに乗り換えることになる。
DSC08550.jpg

とにかく山道は凸凹道。
揺れるなんてもんじゃない!
座席に座って両足を踏ん張りながら天井の鉄パイプを握っていても、時々思いっきり尾てい骨を打つぐらいの揺れ方なのである。
早目に痔ろうの手術をしておいてよかった・・・・(笑)
DSC08551.jpg

DSC08552.jpg

レナチン川の川原で慰霊祭を行う。
ここでは平成17年11月にも慰霊祭を行った場所。
川幅はかなり広いのだが、乾季のため川が干上がっている。
つまり・・・我々がいる場所は、実際は川の中ということになる。
ここにはマニラ東方高地で戦っていた各種部隊や残留邦人の避難民で当時はごった返していたという。
そしてかなりの数の白骨死体で川原が埋まっていたという。
今は亡き生還者の話では、避難途中の在留邦人(民間人)の家族が荷車の下で白骨化していたとか。
米軍の追撃で逃げ場を失い右往左往。
しかも飢えと病気とも戦わねばならない。
この川原では多くの人が命を落としているのである。
その遺骨はここにはあるまい。
雨季の濁流で全て流されているに違いない。
祭壇には拙者は三笠宮殿下から頂いた菊の御紋の入った「恩賜のタバコ」を供えさせていただいた。

続いて少し戻って、そこから北上してサンイシドロという集落に向かう。
前回の時にもサンイシドロに向かったが、ジプニーに乗り換えたサンアンドレスの町に案内され、ガイドから「ここがサンイシドロです。名前が変わったのです」と言われて慰霊祭を執り行った。
あの時も、どうもおかしいと思っていたのだが、今度は拙者がナビを持参して地図とチェックをしているので誤魔化しは効かないと思ったのだろう。
本当のサンイシドロに向かって走った。(笑)

DSC08553.jpg
(壊れた橋と水浴びをする水牛)

ちょうど渡る地点で、橋が無くなっているのでこれ以上の北上を断念。
ここはナビの座標ではサンイシドロ川とレナチン川の合流地点あたり。
ここの川原で慰霊祭をすることにする。
ここでの慰霊祭は今回初めてである。
“ニシムラ”さんは大感激。
川の上流に見えるのは標高549mの「高根山」と名付けられたバングバング山であろう。
現在地点を皆さんにお教えして、周辺の山々の位置関係をお知らせする。
それにしても・・・このコンクリートの橋。
ガイドの話では川の氾濫で流されたというのだが・・・
本当だろうか?
雨季にはそんなにすごい流れになるのだろうか?
ここから北のほうはフィリピンゲリラの勢力範囲内のはず。
政府軍の討伐に抵抗して橋を破壊したのではなかろうか?
そういう気がしないでもない。
確証はないが・・・・
DSC08555.jpg
(慰霊祭の祭壇)
DSC08554.jpg

我々が乗ってきたジプニーの向こう側に見えるのがサリリド山。
この山の向こうにサンイシドロの集落があるはず。
川北大隊はこのサンイシドロから北の「高千穂原」へ向かい、そこで玉砕したのである。
戦っての玉砕ではなく、実際には餓死であろう。
ここから真っ直ぐ2kmほど北上して左折してサリリド山を回り込めばサンイシドロなのだが・・・
どういうわけか真っ直ぐ北上する道がない。
わざわざ川を渡り左岸に出てまもなく、また川を渡って右岸に戻るという遠回りの道しかないのだ。
渡河地点から3km弱でサンイシドロ、そこから北西へ2km進めば「高千穂原」のはずなのだが・・・・
すぐ近くまで来ているのになぁ~
全くもって残念。
DSC08556.jpg

そのとき、向こう岸からジープが川の中を渡ってきた。
ん?結構浅いじゃん!
あれが走れるんなら我々のジプニーも渡れるじゃん!
しかし・・・行こうとは言わない。
ガイドとしては、この辺で引き返して次の目的地に行きたいのだろう。
こういうところが困るんだよなぁ~
本来の目的は慰霊なんだからさぁ~
今までもチクチクと意見具申はしていたが、無視し続けられているからなぁ~(笑)
まぁ、団体では限界か。
あまり言い過ぎてもまずかろう。
個人で確認に来るしかないかぁ~

ガイドに従ってここでUターン。
サンアンドレスでマイクロバスに乗り換え、更に東に向かう。

旅行 | 17:38:44 | Trackback(0) | Comments(0)
マニラ東方高地の旅(3)
昨晩は部屋で地図とにらめっこしながら戦跡の確認をする。
3箇所ばかり停車してもらい説明する場所が見つかる。

午前8時、ホテルを出発。
日本でネットで天気予報を確認した時は、晴れとか雨とか、どの予報を信じていいのか・・・
という具合であったが、幸運にも天気は晴れ。
先週までは雨の日が続いていたというから、これも英霊のご加護か。

DSC08543.jpg

昨日通った道をもう一度通って、ボソボソの高台でバスを降りて景色を見学。
初めて来た人はわからないようだが、ここからボソボソ地区の山々が一望に見ることが出来る。
ポケットナビで現在地点を確認し、方位を確認して各陣地があった日本名の付いている山々を確認する。
しかし、何故かナビの方位が定まらない。反応が遅い。
添乗員の“ヒラヤマ”さんが持参してきた方位磁石のほうが正確なのには参った。

次は川北大隊にとって大切な戦跡。
今回ナビと地図で探し当てた場所。
DSC08544.jpg
(御楯山)
移動するバスの中でナビと地図をにらめっこしながら・・・・
「ここ!ここで止まって!」
道路脇の木々の間から見えるのは「御楯山」
ボソボソの南に位置する標高338mの山。
この「御楯山」とボソボソ村の中間地点、つまり我々のバスが走っている道路周辺で川北大隊第8中隊の10センチ榴弾砲1門(大野中尉指揮)が玉砕している。
できればここで第8中隊の慰霊祭を執り行いところだが、今回判明した場所のため急には慰霊祭は行えない。
拙者から簡単な説明を行なうだけにして、再び車を走らせる。

次に見えるのは・・・・「決勝山」
「御楯山」のすぐ近くにある山のはずだが・・・・
第6中隊の佐々木小隊がここに陣を敷いたが遮蔽物がないことを野口兵団の参謀に指摘され、直ぐ隣の「吉野山」へ陣地を移動した。
その場所を案内しようと思っていたが・・・道路脇の木々に遮られてよく見えない。
1箇所だけそれらしき山が見える地点があるのだが・・・・
「停めてくれ!」と言っても直ぐには止まらず・・・・通過してしまった!
チラリと眼に入ったのは、周辺には遮蔽物が何もない三角山。
あの山に違いない。
あそこに陣を張ったら、拙者でも陣地転換を命じるという山である。
その山のすぐ隣になだらかな斜面をもつ山がある。
いかにも「吉野山」と名付けられておかしくない形の山。
バスがしばらく走ってしまい、道も山裾を回りこんでしまったため、ついに再び見ることは出来なかった。
次回、一人で訪ねて再度確認するようだなぁ~
適当なところで、バスを停めてもらい、戦跡の説明をする。
DSC08545.jpg

さて・・・問題はこの山である。
この山が「吉野山」なのか、それともその東にある「国守山」なのか・・・
方向と位置的には間違いないのだが・・・
別の角度からも検証してみないとわからないのだが、その余裕はない。
道路の位置からすると、手前に「国守山」がくるので、「吉野山」はこの山の向こうに隠れてしまっているかもしれない。
山の確認というのは本当に大変だ。
見る方向によって違ってくる。

更にバスを走らせ、当初からの目的地、「御光山」の「野口兵団慰霊碑」に向かう。
川北大隊は自分の慰霊碑が損壊した後、この野口兵団の慰霊碑に合祀したので、ここで慰霊祭を執り行うのだ。
いわゆる「御光山」。
「ごこうざん」とも「みひかりやま」ともその読み方はさまざまなのだが・・・・
前回の平成17年に来た時に拙者はどうしてもこの山が納得いかなかった。
ここは「御光山」ではないのでは?
直感である。
今回、ポケナビの座標で確認したところ・・・やっぱり思ったとおりだ。
ここは皆が言っている「御光山」ではない。
「御光山」はもっと北に位置している。
ここは「赤誠山」である!
そのことを“ニシムラ”さんに伝えたら・・・
「じゃ、本当の御光山を今度確認に行ってきてね!」と、いとも簡単に言われる。
「へぇ?更に奥地に?一人で?・・・・」(笑)
言う人は簡単に言うけど・・・行く人は大変なんですけど・・・(笑)

DSC08546.jpg

慰霊碑前で慰霊祭を行う。
この慰霊碑がある場所は民家の庭。
平成18年に一人で再訪問した時にお会いした、この家のお爺さんもお元気。
拙者のことも覚えていてくれていて拙者の顔を見るなり驚いた顔で笑いかけてくれた。
「お元気でしたか!」
慰霊祭では「砲兵の歌」を歌う。
“ニシムラ”さんに今まで何度も無理やり歌わされているうち、何故か拙者も歌えるようになってしまった。(笑)
拙者の祖父は騎兵だったんだけど・・・・
その孫は砲兵の歌が歌えちゃう・・・・(笑)
マズイよなぁ~今は亡き祖父は何と思っているか・・・・(笑)

DSC08547.jpg

慰霊祭を終了して撤収中に・・・・雨が・・・・
「これは・・・英霊の涙雨だね・・・・」
会いに来たことが伝わったかな?

旅行 | 10:27:10 | Trackback(0) | Comments(2)