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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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今年最後の食事会
お昼に建築士の水戸藩士“シミズくん”から電話が・・・・
「お昼でも一緒にどうですか?」とお誘いの電話。
願ったり叶ったり!
どうせ大掃除なんかする気はないし・・・・
喪中だから正月の準備をする必要もないし・・・・
実は暇を持て余していたのである。
いやぁ~助かったぁ~!(笑)

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日記 | 18:41:08 | Trackback(0) | Comments(0)
遺骨収集延期!
電話が鳴った・・・
ナンバーディスプレーを見てみると、見知らぬ市外局番・・・・
これって・・・・どこ?(笑)

電話は福岡の歩兵連隊遺族会の“ウエムラさん”からだった。
2月のガダルカナル島遺骨収集の延期の連絡だった。
これで3度目の延期・・・・(笑)
最初は春の予定だったが、これは厚生労働省から各団体バラバラの遺骨収集と巡拝慰霊は遠慮して、政府主管のものに便乗してくれとの要請で延期。
二度目は10月の予定だったが、参加者の体調不良等により延期。
そして、今回・・・・
参加予定者の中から体調不良によるキャンセルが出てしまって人数が減ってしまい団体としての扱いにならず、旅費がかなり高額になるというので延期となったという。
まぁ~これはどうしようもあるまい。

拙者は遺骨収集をする先発組。
数日後、巡拝慰霊団の後発組と合流する予定。
つまり、2つのグループに分けたため微妙な人数になってしまったらしい。

延期後の予定は5月17日から6泊7日と決まったらしい。
今日中にキャンセルしないとキャンセル料が発生してしまうそうなので電話で了承を求めてきたわけである。
「何度も延期になって申し訳ない」と言われたが、別にこれといって用事があるわけではないから・・・・
「大丈夫ですよ!」と返事をしたのだが・・・・
あっ!
電話を切ってから思い出した!
5月には戦没者遺児数名とフィリピンに巡拝慰霊に行く予定だった!
しまったぁ~!(笑)
しかし、フィリピンのほうは拙者が行かなくても何とでもなるだろうからガダルカナルを優先するかぁ~。

5月の遺骨収集は、グループを一つにまとめて行くことにしたという。
団体扱いギリギリの参加者数のグループを2つ作ったのでは、キャンセルが出たらアウト!
一つにまとめて人数を増やせば回避できる。
賢明な判断である。
戦後60年以上も経つと参加者は激減なのだろうから、こうするしかあるまい。

しかし、年末のギリギリで、このような騒ぎ。
“ウエムラさん”は本当にご苦労様である。
心労で体調を崩されねば良いのだが・・・・

日記 | 09:41:03 | Trackback(0) | Comments(0)
ありがたい差し入れ
今日は日中、断続的な雷雨。
この時期に雷がなるなんて・・・・・初めてじゃない?
本当は「大掃除」をしなくてはならないのだろうが・・・・
全然その気が起こらない。
母がいた時は、よく一緒に大掃除をしたものだが・・・・
親父は今まで大掃除を手伝ってくれたことはない。
親父と二人きりだしなぁ~
母もいないしなぁ~
拙者一人で大掃除をしてもねぇ~
大掃除なんて・・・やってもやらなくても同じようなものだし・・・(笑)
というわけで、とうとう何もせず終わる。

夕方・・・・
“ウメちゃん”が自分で打った蕎麦とうどんを持ってきてくれた。
毎年この時期に彼は蕎麦とうどんを打つのである。
ありがたい!
でも・・・・どうやって汁を作ればいいんんだ?(笑)
拙者は自慢じゃないが料理は苦手。
う~ん・・・どんな感じだったかなぁ~
母が作ってくれた汁を思い出しながら・・・・多分・・・・こんな感じだったかな?(笑)
適当に作ってみたら、奇跡的に(笑)うまく出来た!

仏壇の母にもお供えして・・・・ご報告。
「今年も“ウメちゃん”の手作りの蕎麦とうどんを頂いたよ~」
母が喜んでいる顔が浮かび思わず涙・・・
ありがたい・・・ありがたい・・・・

日記 | 01:42:50 | Trackback(0) | Comments(0)
久しぶりの談笑
夜、土建屋の“ウオちゃん”と食事に出かける。
“ウオちゃん”と食事をするのは1年ぶりかな?
会ってゆっくり話をしたのは母が亡くなった直後が最後。
久しぶりの「会談」である。(笑)

本当は材木店の“ウメちゃん”も一緒・・・・の予定だったが、風邪気味とのことでキャンセル。
“ウオちゃん”は拙者より年上なのだが、JC(青年会議所)では拙者の後輩。
教育係として拙者が指導に当ったので、何故か今もって拙者が「先輩」(笑)
もうJCも卒業しているので、本当は一般社会に戻って拙者が「後輩に」ならねば
ならぬのだが・・・・
どういうわけか今でも昔のことを引きずってしまい、拙者が「先輩」。
この年下の拙者が先輩に説教じみたことをついつい言ってしまうのだ。
それでもお互いに違和感がないのだから・・・・こりゃ、問題だぁ~(笑)

仕事の事や痔の話(笑)やら、昔の思い出話やら・・・・・
ファミリーレストランに居座ること8時間・・・・(驚き!)
午前1時半・・・・店の看板の電気が消えた!(笑)
「じゃぁ~閉店らしいから・・・・お開きにしますかぁ~」

日記 | 01:46:12 | Trackback(0) | Comments(0)
忘れてた!
大本営特殊情報部の“カワライさん”から葉書が届いた。
「この間、北海道のホタテを宅配で送ったのだが届いているのだろうか?」という内容。
しまった!
お礼の連絡をするのを忘れていた!
あ~やっちゃった!
急いでお電話をかけて謝る。
脳梗塞を患い不自由な手で書かれた葉書。
何の連絡もないので心配して葉書を書かれたのだろう。
何とも申し訳なし。
大失態である。
ちょうど宅配便が届いたのは拙者が横浜に入院中の事。
親父は料理が出来ないので妹のところに転送して食べてもらい、入院のお見舞いの時に妹に2個ばかり持ってきてもらって食べたのだが・・・・
妹が持参してきたので、“カワライさん”から送ってもらったことをすっかり忘れていた。

三重県にお住まいの戦没者遺族の“コンドウさん”からお漬物が届く。
確か・・・去年も頂いたような気がする。
しかし・・・・何の御礼もしていなかったような・・・・
参ったなぁ~
今度、どこかへ旅行した時にでも旅先からお土産でもお送りせねば・・・・

石材店の“カミナガさん”からも宅急便が・・・
今日はよく宅急便が届く日だ。

多くの方々からいろいろなものをお送りいただくのだが・・・
誰に御礼をしたのか・・・・
もうゴチャゴチャになってさっぱりわからない。
こういうことではイカン・・・・とは思うのだが・・・・
なんとも申し訳なし。
きちんと記録を付けておくべきだった・・・・
今更後悔しても遅いかもしれないが・・・・

日記 | 01:44:00 | Trackback(0) | Comments(2)
御隠殿跡
DSC08386.jpg


御隠殿跡(ごいんでんあと)
台東区根岸2丁目19番10号 薬師寺

輪王寺宮一品法親王(りんのうじのみやいっぽんほうしんのう)は、天台座主(てんだいざす)に就き、東叡山・日光山・比叡山の各山主を兼帯したので「三山管領宮(さんざんかんりょうのみや)」とも呼ばれ、第三世から幕末の第十五世まで、親王あるいは天皇の猶子(ゆうし)(養子)を迎え継承されてきた。
当地は、この輪王寺宮の別邸「御隠殿」があった所である。
御隠殿の創建年代は明らかではないが、幕府編纂の絵図『御府内沿革図書(ごふないえんかくずしょ)』には、宝暦3年(1753)7月に「百姓地四反一畝」を買い上げ、「御隠殿芝地」としたという記述があり、同年までには建造されていたようである。
敷地はおよそ三千数百坪、入谷田圃の展望と老松の林に包まれた池をもつ優雅な庭園で、ことにここから眺める月は美しかったと言われている。
輪王寺宮は1年の内9ヶ月は上野に常在していたので、その時は寛永寺本坊(現、東京国立博物館構内)で公務に就き、この御隠殿は休息の場として利用した。
また、谷中7丁目と上野桜木2丁目の境からJRの跨線橋へ至る御隠殿坂は、輪王寺宮が寛永寺と御隠殿を往復するために設けられたという。
慶応4年(1868)5月、御隠殿は彰義隊の戦いによって焼失し、現在ではまったくその跡を留めていない。

平成12年3月
台東区教育委員会

御隠殿跡

史跡 | 20:25:51 | Trackback(0) | Comments(0)
寛永寺本堂
DSC08385.jpg


寛永寺本堂(かんえいじほんどう)
台東区上野桜木1丁目14番11号

旧本堂(根本中堂)は現在の国立博物館前の噴水池あたりにあったが、慶応4年(1868)彰義隊の兵火で焼失した。
そのため明治9年(1876)から12年にかけて、埼玉県川越市の喜多院の本地堂(ほんじどう)が移築され、寛永寺の本堂となったのである。
寛永15年(1638)の建造といわれる。
間口・奥行ともに七間(17.4メートル)。
前面に三間の向拝(こうはい)と五段の木階、背面には一間の向拝がある。
周囲には勾欄付廻縁(こうらんつきまわりえん)をめぐらしており、背面の廻縁には木階を設けて、基壇面に降りるようになっている。
桟唐戸(さんからど)(正面中央など)、蔀戸(しとみど)(正面左右など)、板壁など、すべて素木のままである。
屋根は入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺、二重棰(にじゅうたるき)とし、細部の様式は和様を主とする。
内部は、内陣が土間で、外陣(げじん)と同じ高さの須弥壇(しゅみだん)が設けられている。
須弥壇の上の本尊その他の仏像を安置する。
内陣を土間とする構造は中堂造(ちゅうどうづくり)と呼ばれ、天台宗独特のものである。
現在は仮の板が張られ、内外陣ともにすべて畳敷になっている。

平成16年3月
台東区教育委員会

寛永寺本堂



史跡 | 19:11:39 | Trackback(0) | Comments(0)
銅鐘
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銅鐘(どうしょう)
(台東区有形文化財)
台東区上野桜木1丁目14番11号 寛永寺境内

本鐘の大きさは、総高177.2センチ、口径91.8センチ。
厳有院殿(4代将軍家綱)の一周忌にあたる、延宝9年(1681)5月8日に厳有院殿廟前の鐘楼に奉献された。
明治維新以降に、寛永寺根本中堂の鐘として、当所に移されたと伝えられる。
現在は、除夜の鐘や重要な法要の際に使用されている。
作者の椎名伊予守吉寛は、江戸時代前期(17世紀後半)に活躍した江戸の鋳物師で、神田鍋町に住した。
延宝元年(1673)から貞享3年(1686)にかけて、銅鐘を中心に17例の作例が知られている。
その中には増上寺や寛永寺などに関わるものも含まれており、幕府との関係の深さが窺える。
本鐘は、将軍家霊廟の儀式鐘で、近世初期の鋳物師の活動や鋳造技術を知る上でも貴重な遺品のひとつである。
平成18年に台東区有形文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。

平成19年3月
台東区教育委員会

銅鐘


史跡 | 18:51:37 | Trackback(0) | Comments(0)
虫塚
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虫塚(都指定旧跡)
台東区上野桜木1丁目14番11号 寛永寺境内

虫塚は、伊勢(現、三重県)長島藩主である増山雪斎(ますやませっさい)の遺志により、写生に使った虫類の霊をなぐさめるため、文政4年(1821)に建てられたものである。
増山雪斎は、宝暦4年(1754)の生まれ。
本名は正賢といい、雪斎はその号であるが、玉園・蕉亭・石顛道人・巣丘隠人など多くの別号がある。
江戸の文人大田南畝(おおたなんぽ)や大坂のの豪商木村兼葭堂(きむらけんかどう)など、広く文人墨客と交流を持ち、その庇護者としても活躍した。
自ら文雅風流を愛し、清朝の画家、沈南蘋(しんなんぴん)に代表される南蘋派の写実的な画法に長じ、多くの花鳥画を描いた。
中でも虫類写生図譜『虫豸帖(ちゅうちじょう)』は、その精緻さと本草学にのっとった正確さにおいて、殊に有名である。
文政2年、66歳で没した。
虫塚は、当初、増山家の菩提寺、寛永寺子院勧善院内にあったが、昭和初期に寛永寺に合併されたため、現在の場所に移転した。
勧善院は、4代将軍徳川家綱の生母で、増山氏の出である宝樹院の霊廟の別当寺として創建された。
碑は自然石で、正面は、葛西因是(かさいいんぜ)の撰文を大窪詩仏(おおくぼしぶつ)が書し、裏面は、詩仏と菊池五山(きくちござん)の自筆の詩が刻まれており、当時の有名な漢詩人が碑の建設に関わったことが知られる。

平成8年7月
台東区教育委員会

虫塚


史跡 | 18:18:30 | Trackback(0) | Comments(0)
徳川家綱霊廟勅額門
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徳川家綱霊廟勅額門(とくがわいえつなれいびょうちょくがくもん)
(重要文化財)
台東区上野桜木1丁目16番

4代将軍家綱は、慶安4年(1651)4月に父・家光の死に伴って、わずか10才で将軍の座につき、延宝8年(1680)5月8日に39才で没した。
法名を厳有院(げんゆういん)という。
病気がちであった家綱時代の政務は、主として重臣の手に任されていたが、とくに後半の政治を担当した大老・酒井忠清が有名である。
時代は家綱の襲職直後に起こった由比正雪(ゆいしょうせつ)の乱の解決を機に、ようやく安定期に入った。
家綱の霊廟の一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失したが、この勅額門と水盤舎(すいばんしゃ)(ともに重要文化財)は、その廟所と共に、これらの災いを免れた貴重な遺構である。
勅額門の形式は、四脚門(しきゃくもん)、切妻造(きりづまづくり)、前後軒唐破風付(ぜんごのきからはふつき)、銅瓦葺(どうかわらぶき)。
なお、このうち水盤舎は延宝8年に家綱のために造立されたものであるが、この勅額門は昭和32年の改修時に発見された墨書銘によって、もと家光の上野霊廟の勅額門であったものを転用したものと考えられる。

平成6年3月
台東区教育委員会

徳川家綱霊廟勅額門


史跡 | 17:55:05 | Trackback(0) | Comments(0)
お墓巡り
さて、今日は真っ直ぐ家に戻るのももったいない。
少し、“ぶらり旅”をしてから帰宅することにする。

浅草方面に向かって歩いてみる。
まずは・・・
葛飾北斎のお墓のある誓教寺。
敷地内に入ったら銅像を発見!
写真を撮っていたら住職に声をかけられ、ご住職にご案内いただき、お墓の前でご説明などを頂く。
続いて・・・北上し・・・・源空寺。
10年ぐらい前だろうか・・・・このお寺の前を歩いたことがあるのだが・・・
その時の記憶とは全く景色が違っているので驚いた。
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(源空寺)
あれ?こんなお寺だったっけ?
ここには江戸時代中期の暦学者・高橋至時(よしとき)のお墓、伊能忠敬のお墓、江戸初期の任侠・幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)のお墓、江戸後期の文人画家・谷文晁(たにぶんちょう)のお墓がある。
道を挟んだ隣の敷地に墓地があり、そこにお墓があるらしいのだが・・・
谷文晁のお墓だけはどうしても見つけることが出来なかった。

今度は東のほうに向かい・・・・
とにかく適当にぶらぶら歩いているうち辿り着いたのが宗恩寺。
ここに明治時代の僧侶・織田得能(とくのう)のお墓がある。
織田得能は我が国初の仏教辞典を著した人だということが寺前の史跡説明板に書いてあった。
更に歩くと・・・
正定寺。
ここには直心影流島田派の剣客・島田虎之助のお墓、江戸から明治にかけての画家・伊豆長八のお墓があった。

それにしても・・・・
いつの間にか、お墓めぐりをしている・・・・・
こうなったら、今日は「お墓巡り」に徹するか?
続いて・・・海禅寺。
ここに安政の大獄で投獄された梅田雲浜の墓があった。
今度は北西に向かい・・・・
台東区生涯学習センターに行く。
DSC08380.jpg
(台東区生涯学習センター)
ここには『池波正太郎記念文庫』があるので、見学してみたが・・・
図書館の隅の一角に、ちょっとした展示物がある程度。
がっかり・・・・
ここからドンドン歩き、上野駅の隣駅・鶯谷(うぐいすだに)駅前を通過して寛永寺へ。
途中で、重要文化財の徳川家綱霊廟勅額門、徳川綱吉霊廟勅額門を見る。
寛永寺は徳川2代将軍秀忠が天台宗の僧・天海に寄進したことから始まるという。
DSC08384.jpg
(寛永寺)
境内には、尾形乾山(おがたけんざん)墓碑、慈海僧正墓などがある。

寛永寺を抜けて更に歩き・・・・
谷中霊園の中に突入!
ここまでどのくらい歩いただろうか・・・・・
万歩計を忘れてきたのが残念。(笑)

とにかく広い霊園・・・・
適当に歩いてみる。
明治大学創立者・岸本辰夫先生の墓碑。
徳川慶喜のお墓。
幕末期の公卿・大原重徳(しげとみ)のお墓。
江戸幕府の幕臣で小笠原島の開発をした小花作好(おばなさくすけ)のお墓。
江戸中期の歴史人物画家・菊池容斎(きくちようさい)のお墓。

横山大観のお墓。
鳩山一郎のお墓。
伊達宗城のお墓。
渋沢栄一のお墓。
この4つのお墓には史跡としての説明板はない。

このまま墓地の中をウロウロしていてもキリがないので、今日はここまで。
上野駅へ行き、特急に乗って帰宅。

夜は“ウメちゃん”の会社に行き、今までご無沙汰だった彼の会社のホームページの更新をする。

日記 | 13:33:40 | Trackback(0) | Comments(0)
またもや上京!
今日は、東京の“カジさん”と忘年会。
愛媛でお会いして食事をして以来・・・・久しぶりの再会。
本当は入院前に食事会をするはずだったのだが、何だかんだで時間が取れず、退院後の食事会となった。

まずは上野駅前のホテルにチェックインしてから待ち合わせ場所に向かう。
食事はいつものトンカツ屋。
定番である。
忘年会シーズンだが、“カジさん”はお酒が飲めないので、いつものコーヒーショップでコーヒーを飲みながらおしゃべりをする。
これがまた楽しいのだ。
男同士でお酒も入らずコーヒーだけで話が弾んでしまうのだから面白い。
不思議と拙者にはこういう友人が多い。
何だかんだと5時間もおしゃべりをして解散。
ホテルに帰ってテレビを見てゴロゴロ・・・・

ウトウトしていたら、廊下がやけに騒がしい。
時刻は午前3時を過ぎている。
あれ?
このホテルは門限が午前2時だったはず・・・
ドカドカ・・・ワイワイ・・・ガヤガヤ・・・
とにかくうるさくて仕方がない。
注意しようかと思ったが・・・・
さすがに寝巻き姿では格好がつかない。(笑)
“うるせぇオヤジ”は早くも挫折!(笑)
ドタバタドタバタは午前4時過ぎまで続き・・・・
完璧に寝不足になってしまった!


日記 | 21:45:56 | Trackback(0) | Comments(2)
大がかりな嘘
大がかりな嘘―だれがケネディを殺ったのか大がかりな嘘―だれがケネディを殺ったのか
(1992/05)
マーク レーン

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この本は例のケネディ大統領暗殺事件に関連する本であるが、内容が他の同種の本とは異質である。
暗殺犯は誰なのか・・・という切り口が違うのだ。
この本での切り口は、元CIA高官のハワード・ハントが「ハワード・ハントがケネディ暗殺に関与していた」という記事に対して出版元を名誉毀損で訴えた裁判を分析したものである。
マイアミの地方裁判所に持ち込まれた民事訴訟を通して、暗殺に関与した人物が暴かれていく。
ケネディが暗殺されたのは1963年11月22日。
拙者が3歳の時である。
そして、この裁判が行われたのは20年後・・・・
拙者がアメリカに滞在中に裁判が進行していたのである。
とうに過去の話かと思っていた「ケネディ大統領暗殺事件」は、あの時もまだ尾を引いていたのか・・・さすがに驚いた。
かなりの厚みの本で読み応えがある。
翻訳本なので、ちょっとわかりづらい言い回しもあるが・・・
アメリカの法制度についてもよく書かれており、法律を勉強している人などは面白く読めるのではなかろうか?


読書 | 21:15:26 | Trackback(0) | Comments(0)
駐蒙軍の歌

黎明興亜の新天地
皇みいくさの御旗の下に
瑞気みなぎる長城越えて
輝き進む駐蒙軍


聖戦寒熱幾千里
山西懐来八達嶺
挺進遠く五原を衝きて
士気旺んなり駐蒙軍


息吹きは新た蒙彊に
断乎進めよ重なる山河
これぞ民族東亜の栄
護り築かん駐蒙軍

雑記メモ | 23:09:28 | Trackback(0) | Comments(0)
北支派遣軍の歌

御稜威のもとに丈夫が
一死を誓う皇軍の
堂々進む旗風に
威は中原を圧しつつ
厳たり北支派遣軍


長城万里堅むとも
黄河の流れ乱すとも
猛追やまぬ陸と空
東西四方に頑敵を
撃破す北支派遣軍


非道に民を虐げて
抗日叫ぶ賊徒らの
破壊のあとに打建てる
新たな秩序永遠の
道あり北支派遣軍

雑記メモ | 23:03:55 | Trackback(0) | Comments(0)
騎兵第14連隊歌

仰げ旭日の御光の 満蒙の野に輝けば
東亜の天地明らけく 忠誠勇武の誉良夫が
樹てたる勲いくそ度 誉ぞ高き我が連隊


日露の戦雲急を告ぐ 明治三十四師走
かたじけなくも大君の 心協せて皇国を
保護せよとぞ宣いて 授け給いぬ吾が連隊


天柱くだけ地維かくも 我等が生くるその限り
国に仇なす敵等を 討ち殲さんと明勅に
堅き誓は今もなお 将士の胸に新たなり

雑記メモ | 22:48:19 | Trackback(0) | Comments(0)
戦友会の忘年会に出る。
騎兵第14連隊会の忘年会は靖国神社の近くにある偕行社で午後の1時から・・・・
ん?
ここから靖国神社まで何分かかるんだ?
事前に全然調べていなかった。
とにかく急げるだけ急いで行かねば!
到着したのは午後1時10分!
10分の遅刻をしてしまった。
既に皆さんがお集まりになり忘年会は始まっていた。
「おお!よく来た!待ってたよ~!遠方からご苦労さん!」
皆さんからお声をかけていただき嬉しいことこの上なし。

「ところで・・・体を悪くして入院していたって?どこが悪いの?」
事前に事務局長さんには入院することを伝えておいたのだが、その情報が既に伝わっていた。
「あのぉ~痔です」
「なんだって?」
「ですから・・・痔の手術で入院を・・・・」
「なんだって?」
皆さんお耳が遠い。
何度言ってもわかってもらえないので、ついつい大声になってしまう。
「痔なんです!」(笑)
何で忘年会にこんな話を大声でしなくちゃならないんだろう。
あ~恥ずかしい。(笑)

「痔?痔かぁ~俺なんか脳梗塞だぜ!まだ少し痺れが残ってるんだぜ。お前は何だっけ?」
「ん?なに?病気?あ~俺は癌!3回手術したんだ」
「お~そうそう、お前は癌だったよな~(笑)」
あのねぇ・・・・
拙者は世代が違うんですから・・・・
皆さんとは同じじゃないんですけど・・・
いつの間にか“戦友”になっちゃうんだよなぁ~(笑)

「まぁ~まぁ~飲んで!飲んで!」
ビールに日本酒・・・・
さっき医者からOKが出たからねぇ~(笑)
飲んじゃえ!(笑)
ちょっとぐらいなら大丈夫だい!

DSC08298.jpg

この忘年会に集まったのは拙者を含めて15名。
10月に一緒に内モンゴルに行った“ヒルマさん”も参加されていた。
久しぶりの再会。

拙者は先日、内モンゴルで撮影してきた写真をワードに取り込んで小冊子を作成して持参してきたので、これを皆さんに回覧して見てもらう。
皆さん懐かしがってくれたので、持参してきて良かった。
「これ、もらえないかなぁ~」
「10部くらい作って配ったら?」
「人数分作ってもらいましょう。付き添いの家族は除いて・・・12人分!」
「了解!」
とは言ったものの・・・・1冊18ページだから・・・・270枚!(笑)
270枚もプリントアウトしなくちゃならない。
酔った勢いで軽く引き受けちゃったが・・・・参ったぞ~
こりゃ、大仕事だ!(笑)

一度に何人もの人が同時に話しかけてくる。
皆さんお耳が遠いので・・・・・自分以外に話をしている人がいるのがわからないのである。(笑)
同時に複数の人の話を聞き、それぞれの話に相槌を打たねばならぬから大忙し。(笑)
とにかく皆さんは話がしたくて仕方がないらしい。
大いに語り・・・・大いに飲む。

ある会員から「俺は脚がちょっと不自由だから行きたくても歩くのが一苦労なので遠慮していたんだけど・・・死ぬ前にもう一度“安北”に行きたいんだよなぁ~」と言われる。
「ツアーか何かでは行けないのかい?」
「ちょっと、そういうツアーは無いですね。でも、個人で旅行を計画して行けますよ。」
「え?そうかい?個人で行けるのかい?ツアーじゃなくて?」
「は~い!その時は私もお供してもいいですよ。“安北”の駐屯地跡に車で横付けしちゃいますから歩かなくても済みますよ!」
「おお!本当?行きたいねぇ~よし、行こう!行こうよ!」と大喜び。
またまた酔った勢いで安請け合いをしてしまったったが・・・
でも、喜んでいただけるなら何としてでもお連れしたい!

皆さん酔いが廻って・・・・ついに歌が出てきた。
まずは軍歌!
当然、連隊歌である!
「え~・・・注目!この連隊歌を作詞された方のお孫さんが・・・この人であ~る!」と会長さんからのお言葉。
そうなのです!
連隊歌を作詞したのは拙者の祖父なのであります!(笑)
作曲は戸山学校軍楽隊。
皆さん大声で連隊歌を歌うのですが・・・悔しいことに孫の拙者は歌えない。
メロディーを知らないのである。(涙)
レコードとか、ないのかなぁ~
憶えたいんだけどなぁ~
皆さんは毎日のように歌っていたから体で覚えているのかもしれないが・・・・
それにしても60年以上も前の歌ですよ~
よく憶えているよなぁ~
拙者なんか小学校の校歌だって忘れちゃっているのに・・・・
「騎兵第14連隊歌」に続き「駐蒙軍の歌」「北支派遣軍の歌」が歌われる。
ひぇ~・・・拙者は付いていけな~い。(笑)

拙者の持参した「写真集」を見ながら大いに思い出話に花が咲き・・・・
大いに軍歌を歌い・・・・更には浪曲まで飛び出し・・・・
忘年会はお開き。

最後の忘れ物の点検は拙者のお役目である。
これを若い拙者がやらずに誰がやる?(笑)
結構、皆さん・・・お歳のせいか忘れ物をするのである。

一番最後に偕行社を出て、千鳥足の会員を近くの地下鉄の駅までお送りする。
「ご苦労様でありました!敬礼!」と敬礼されるが・・・
さすがに、この人通りの多い道端で答礼する余裕などない。
しかも拙者のほうが下なんだから・・・
敬礼なんてされたら照れちゃいますよ~(笑)

皆さんを見送って、拙者は一人・・・・神保町の古書店街へ向かい、数件の古書店を覗くが、これといった本が見つからず真っ直ぐ上野駅へ行き特急に乗り帰途につく。
家に帰る途中、“ウメちゃん”の会社に立ち寄り、夕食に付き合ってもらい久々のおしゃべりをする。
“ウメちゃん”のお父さんも、つい先日、車をぶつけたそうだ。
同じ世代だから・・・似たようなことをする。(笑)
「言うことを聞かないんだよ~」
「そうだろ~そうなんだよなぁ~素直じゃないんだよなぁ~」
大いにお互いの親父を語り盛り上がる。

日記 | 21:58:21 | Trackback(0) | Comments(0)
第2回目の通院
午前9時から診察の受付。
拙者は、ちょっとゆっくりと病院へ行き、到着したのは9時半。
診察開始から30分後に訪れたのだが・・・
なんと!拙者の受付番号は78番!
ひぇ~っ・・・既に77人もが待っているのか~

1時間後に受付番号は120番を突破している・・・(唖然~)
退院後最初の診察は、「退院後最初の診察」のカードを添付して受け付けたので、優先的に診察してもらい1時間以内に全てが完了したが・・・
2回目も同じくらいの時間で終わるかなと思っていたのは甘かった・・・・
待つこと2時間・・・・
ようやく拙者の順番となる。

今回お尋ねしたかったのは・・・・
①もう酒を飲んでも良いか?
②車を運転しても良いか?
・・・・の2点。
実は、診察後、午後から戦友会の忘年会があるのである。(笑)
できれば・・・ご一緒に酒を飲みたいしなぁ~
車の運転については、これは切実な問題!(笑)
これ以上、親父の運転する車には乗りたくない!

先生の回答は・・・
「お酒を飲むなとは言えません」とのこと。
つまり、タバコを吸うと癌になるからタバコを吸うなとは強制できないのと同じなのだという。
タバコを吸うと必ず癌になるわけじゃない。
タバコを吸わなくても癌になる人もいるし、タバコを吸っても癌にならない人もいる。
しかし・・・できればタバコを吸わないほうが好ましい。
これと同じで、お酒は痔にはよくないことは明白だが・・・
お酒を飲むと必ず痔が悪くなるとは言い切れない。
だから・・・酒を飲んではいけないとは強制できないと言う。
「ということは・・・ちょっとぐらいはいいですよねぇ?」
「まぁ、忘年会シーズンですからネェ~多少は仕方がないでしょう」ということで、OKをもらう。
問題は・・・・車の運転。
「知らず知らずのうちに1時間以上も運転したら良くないんだよなぁ~」と言う。
本当は1ヶ月ぐらいは我慢して欲しいというのだが・・・
1ヶ月も親父の運転する車に乗ったら絶対死ぬぞ!(笑)
自殺行為だぞ!
「う~ん、10分か15分ぐらい・・・・近所に買い物に行くくらいなら良いでしょう」との了解を得る。
やった!助かった!
これで死なずに済む!(笑)

今回は投薬は無し。
会計を済ませるまでの時間は2時間20分なり。
もうお昼になる。
マズイ!
午後1時から忘年会だっていうのに・・・・間に合うか?

日記 | 17:30:14 | Trackback(0) | Comments(1)
奇遇
さて、ホテルにチェックインして、風呂に入ってマッサージを呼ぶ。
やって来たのが若い女の子。
はぁ?
マッサージ師といえば“オバチャン”じゃないの?
しかも、言葉遣いからして日本人ではなさそうだ・・・
「君・・・国はどこ?」
「内モンゴルです」
「え?内モンゴル?この間、内モンゴルに行ってきたよ!」
何ということか・・・この偶然!
「どこに行ったんですか?」
「包頭とか・・・フフホトとか・・・」
「フフホト!そこにお母さんが住んでいます!」
あらら・・・益々奇遇だねぇ~

ところが・・・この女の子・・・・
共通の話題が出来たことに興奮して話のほうが一生懸命。
あのねぇ・・・手が止まっているんですけど・・・・(笑)
マッサージはどうなっちゃってんの?
ちゃんと揉んでくれよぉ~(笑)

「内モンゴルって言っても、どこにあるのは全然わかってもらえないんですよねぇ~朝青龍のモンゴルと同じだと思っている人が多いんですよね~」
確かにそれは言える。
内モンゴルは中国の中にある。
つまり・・・内モンゴル自治区。
朝青龍の故郷のモンゴルは外モンゴルで、中国とは関係がない。

彼女は生粋のモンゴル人。
日本の大学に通っていて、マッサージはアルバイトなのだそうだ。
へぇ~・・・・とうとうマッサージにまで"モンゴル人”が進出してきたのか。
彼女はモンゴル語、中国語、英語、日本語の4ヶ国語が話せるという。
へぇ~・・・頭がいいんだぁ~
同じ大学生でも日本人の大学生とは大違いだなぁ~
こりゃ、日本はいずれは負けるぞ~
内モンゴル自治区のモンゴル人でモンゴル語が話せない人は多い。
ほとんどのモンゴル人は中国語を話す。
このため内モンゴルにはモンゴル人のためのモンゴル語の塾がいくつもある。
彼女は自分の祖母と話しをするために家の中ではモンゴル語を使い、外では「漢語=中国語」を使うという。
文字も内モンゴル自治区と“外モンゴル”といわれるモンゴル国では全然違う。
内モンゴルでは昔の独特の形をしたモンゴル文字を使うが、外モンゴルではロシア文字に似た文字を使っていたと記憶している。
そんなこんなの共通の話で盛り上がったのだが・・・・

とうとうおしゃべりが主体で、マッサージは中途半端のまま時間が来てしまった!(笑)
マッサージを呼んで良かったのか悪かったのか・・・・
損したような気もするが・・・(笑)
まぁ、こういうのもたまには良かろう。

「今度、フフホトに来たら私の実家に遊びに来てください」と言われたが・・・
あのね・・・住所を知らないんだから行けるわけないじゃん?(笑)

日記 | 17:59:45 | Trackback(0) | Comments(1)
今の若者は・・・・
明日は横浜の病院に第2回目の通院。
前回からもう1週間が経ってしまうのか!
早いなぁ~
というわけで・・・今日は横浜に行き前泊する。

駅のホームでタバコを吸っている若いアベックを見かける。
喫煙所はホームの一番端にあるのだが、禁煙場所で堂々とタバコを吸っている。
これを見過ごしてなるのもか!(笑)

「おい!ここは禁煙場所だぞ!タバコを消せ!」
茶髪の“ヤンキー”なおにいちゃんは素直にタバコを消したが・・・
一緒にいるネェちゃんのほうはタバコを消さない。
「おい、消せよ!消せ!」
「なんで?もったいないじゃん!」
今の若い連中は男のほうが意外にも素直である。
それに対して、女の子の方は・・・・・どうしようもない。
しつこく言ってタバコを消させたが・・・・
そのタバコをホームにポンと捨てやがった!
「おい!タバコを拾え!」
どうしようもねぇなぁ~この女!
拙者が持っていた携帯灰皿に捨てさせる。
「おい、うるせぇ~オヤジと思っているだろ?」と言ったら・・・
「そういう人が少なくなりましたねぇ~」と男のほうが言う。
馬鹿か、お前は・・・・人に注意されるようなことをしておいてよく言うよ。
「どうせ何をやっても注意されないと思って、悪いとわかっていてやったんだよな?」と言ったら、この男はウンと頷いた。(笑)
「ど~しようもねぇなぁ~・・おにいちゃんよぉ~悪いと知っててやったのか?」(笑)
女のほうはヘラヘラしている。
カチン!
「おい、いずれはあんたも母親になるんだろ?」と言ったらキョトンとしている。
その昔、山下奉文陸軍大将が戦犯として処刑される時に日本の女性に託した言葉を教えてやろうかと思ったが・・・・
山下将軍なんて知らねぇだろうから・・・・やめた!(笑)
「そんなことで自分の子供を躾られるのか?よく考えてみろ~」
彼氏のほうは神妙にして頷いていたが・・・・
彼女のほうはヘラヘラ・・・・・
なんてぇことだ・・・・
日本ももうお仕舞いだな・・・・
こんなのが将来母親になって非常識な子供をポコポコと生むんだろうなぁ~(笑)
その子供がまたポコポコと子供を生み・・・・
そうなると日本は内部崩壊するなぁ~

よし!
拙者の来年の抱負が決まったぞ!
来年は1年間「うるせぇ~オヤジ」に徹しよう!(笑)
そう思っていたらちょうど拙者の乗る予定の特急がホームに入ってきた。

日記 | 12:38:51 | Trackback(0) | Comments(0)
ほらね・・・
朝、親父が車を運転してどこかに行って帰ってきて・・・・
「あの・・・ねぇ、ちょっと・・・」
「なに?」
「う~ん・・・ちょっと、車を修理に出さなくっちゃならなくなった」
「なんで?」
「そのぉ~なんだぁ~・・・・車をぶつけてね・・・・」
「なに!」

駐車場へ行って見てみると・・・
バンパーが・・・・
DSC08297.jpg

「ありゃぁ~!」
やってくれたねぇ~
自宅の駐車場に入れるときに、隣の我が家のもう1台の車にぶつけて擦ったらしい。
もう1台のほうは、会社で使っていたライトバン。
こっちが凹んでくれりゃ良かったのに・・・・なぜか擦り傷のみでご健在。(笑)
まぁ、他人様の車にぶつけなかっただけでも不幸中の幸いだが・・・
余計な出費を作り出しやがって!
親父は・・・・金を払うのは俺じゃないから・・・という顔をしている。
先々、この親父と二人で生活していくのか・・・・
半ボケ老人の面倒を見るのは大変じゃぁ~(笑)



日記 | 10:28:43 | Trackback(0) | Comments(0)
恐怖の墓参り!
今日は母の祥月命日。
昨晩、突然親父が墓参りに行くと言い出した。
マズイなぁ~
あの運転でお墓参りに行くのか?
先月は墓参りに行かなかったのに、どうして今月は突然行きたいなんて言い出したんだ?

朝、目覚めると外は雨!
助かった!
これで墓参りに行かぬ理由が出来たと喜んだのもつかの間・・・・
直ぐに雨が止んで晴れてきてしまったではないか!(笑)
案の定、親父が墓参りに行くと言い出した。
やむを得ぬ・・・・・行くしかあるまい・・・・

例の急発進に急ブレーキ、蛇行運転の車に同乗して墓参りに行く。
母のお墓は山奥の過疎化した村にある。
クネクネと曲がりくねった山道を走るのだが・・・・
親父はカーブを減速せずに曲がるのである!
路面は雨の後で濡れているのに・・・・
「あぶねぇって!」
ボケると恐怖感はないらしい・・・親父は全然わからないようだ・・・・
「タイヤがスリップしてるだろ!」
親父はヘラヘラ笑いながら運転を続ける。
ガードレールを突き破れば、その先は崖下の川に転落してしまうのだ。
「病院から退院したのに交通事故なんかでは死にたくねぇぞ!俺を殺す気か!」
思わず怒鳴ってしまったが・・・・
「俺のほうがお前より長年運転してるんだ!俺のほうがうまいんだ!」と全然耳を貸さない。
“馬鹿は死ななきゃ治らない”とはまさしくこのことぞ!(笑)
しかし、死ぬ確立は助手席の拙者のほうが高い。
運転手のほうが生存率が高い。
なぜなれば・・・助手席側が崖になっているからである。(笑)
命がけの墓参りになるとは・・・・
母には申し訳ないが・・・・今回は来たくなかった。

母の墓参りと、祖父母・伯父・伯母の墓参りもして運を天に任せての帰宅。
軽く10年は寿命が縮まった。
多分、拙者は親父より先に死ぬことになりそうだ。(笑)

日記 | 10:01:08 | Trackback(0) | Comments(0)
ガダルカナル
ガダルカナルガダルカナル
(1983/01)
五味川 純平

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知る人ぞ知る「ガダルカナル島」
戦後になって別名“餓島(がとう)”とも言われた多くの日本兵が餓死した島。
この島がオーストラリアの近くにあるということを知っている人は少ないだろう。
こんなところまで日本軍は進出していたのである。
そして・・・ろくな補給も受けることもできずバタバタと死んでいったのである。

来年の2月にガダルカナル島へ遺骨収集に行く。
というわけで・・・少しでも当時の事を知っておかねばということで読む。
しかし・・・なかなか覚えきれない。
全く知らずに行くよりはよかろうが、中途半端じゃ意味がない。
これは出発前にもう一度読み直すべきかもしれないなぁ~

読書 | 17:12:29 | Trackback(0) | Comments(2)
還ってきた紫電改
還って来た紫電改―紫電改戦闘機隊物語 (光人社NF文庫)還って来た紫電改―紫電改戦闘機隊物語 (光人社NF文庫)
(2006/02)
鴻農 周策、宮崎 勇 他

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海軍第343航空隊戦闘機搭乗員が書いた作品。
愛媛に行ったときに訪れた「紫電改展示館」で購入した。
当時の海軍のベストメンバーを集めて作られた航空隊による戦闘の記録と戦後、海底から引き上げられた紫電改について少しだけ書かれている。
この飛行機がもっと早く開発されていたら・・・
この飛行機がもっとたくさん生産されていたら・・・
こういう航空隊がもっと多くあったら・・・
ついついそう思ってしまう。

読書 | 12:18:59 | Trackback(0) | Comments(0)
撃沈
『撃沈』―日米海戦記 (光人社NF文庫)『撃沈』―日米海戦記 (光人社NF文庫)
(1999/05)
豊田 穣

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この作品は3つの作品から出来上がっている。
『四本の火柱』
ガダルカナル島沖で演じられた日米最初の戦艦同士の戦いについて書かれた作品。
『シドニーの岸壁』
特殊潜航艇・甲標的の乗組員のオーストラリアのシドニー湾での戦いについて書かれた作品。
いつか、シドニーに行ってみたい・・・そう思った。
『総員退艦セヨ!』
ミッドウェー海戦での空母機関員達の話。
悲惨といえば悲惨な話・・・・


読書 | 11:52:42 | Trackback(0) | Comments(0)
恐怖のドライブ!
今日は日立法人会青年部会の理事会。
どうやって行こうか・・・
これが問題だぁ。
電車で隣駅まで行って歩くか、家から1時間かけて歩くか・・・
運動のために1時間歩こう!

ところが・・・・
親父が車で送ってくれると言う。
どうも親父の運転は危ないので乗りたくはないのだが・・・
断っても断っても、しつこい!
どうしても送って行ってやると言ってきかない。
仕方がない・・・・車に乗るかぁ~
それが恐怖の始まり。

とにかく、急発進、急ブレーキの連続!
赤信号で停車中の車に向かって加速していく。
「危ないって!」
思わず拙者の右足に力が入る。
そして・・・・急ブレーキで追突直前に停車!
本人はケロッとしているのである。
こちらは寿命が縮まる思い。
地獄である。
拷問である。
高齢で運動神経が鈍っているのに、前車との車間距離を殆どとらず猛スピード。
「あのね、車間距離をちゃんと取りなよ!」
「大丈夫だ!」と全く素直じゃない。
“頑固じじい”は本当に迷惑だ。
加えて蛇行運転・・・・
「おい!おい!左により過ぎ!ぶつかるって!あぶねぇ~!」
「そうなんだよねぇ~この車・・・どういうわけか左に寄るんだよなぁ~」
あんたは馬鹿か!(笑)
ハンドルを握っているのは自分でしょ!

死ぬような思いをして理事会会場のホテルに到着。
理事会では会議後に中華の食事会。
「痔の手術をしたばかりなのでお酒は駄目よ~」とお酒は辞退してお茶を飲む。
保険会社の営業所長から「痔で死ぬ人が年間10人ぐらいいるんですよ」と怖い発言。(笑)
冗談だと思ったら本当の話らしい。
「だから・・・痔も馬鹿に出来ないんです」と言う。
死因が痔というのも・・・・格好悪い。
ここは自重しよう。
2次会の飲み会を断ってタクシーで帰宅する。

日記 | 11:23:09 | Trackback(0) | Comments(0)
帰るに帰れない・・・
今日は適当な時間に妹の家を出て帰ろうと思ったのだが・・・・
妹は所要で外出、中3と小4の姪は学校、義弟は仕事。
中1の甥っ子が終業式も済ませ、今日は野球部の練習もなくお留守番だという。
「おじちゃんのお見舞いに行けなかったから今日は僕が面倒を見るから・・・」
そう言われちゃうと帰るに帰れない。(笑)
こりゃ、お言葉に甘えてゆっくりするかぁ~
逃げるようにして帰るわけにもいくまい。

昼に風呂に入ってさっぱりし・・・
「おじちゃん!何か食べたいものある?作ってあげるよ!」というので食事も甥っ子に甘え・・・
「勉強をしている間、DVDでも見てて!」と言われ、居間でゴロゴロとDVDの映画を見る。
う~ん・・・楽チン!楽チン!(笑)
ゴロゴロ、うとうと・・・しながら一日を過ごす。
ついに拙者も甥っ子に面倒を見てもらう歳になってしまったのか?
ちょっと前までは拙者が面倒を見ていたはずなのだが・・・・(笑)
「お世話をしたい」と言ってくれるとは・・・・こいつも随分大人になったものだ。

夕食も一緒に食べてから帰ってくれと言われたが・・・・
そんなに遅くまでいるわけにも行かぬ。
親父のほうが心配だからなぁ~
6時の特急で帰宅する。

日記 | 14:41:26 | Trackback(0) | Comments(0)
佐藤惣之助の碑
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佐藤惣之助の碑

わが国の近・現代文学に多大な功績をのこした佐藤惣之助(さとうそうのすけ)は、明治23年(1890)、橘樹(たちばな)郡川崎町砂子(いさご)(現在の川崎区本町)の旧川崎宿・上本陣(かみほんじん)(佐藤本陣)の次男として生まれました。
詩人・惣之助は、生涯で数多くのすぐれた作品をのこしていますが、その活動は俳句・小説・作詞などの分野にもおよんでいます。
しかし、真の評価は詩作にあります。
惣之助は友情にあつく、数多くの仲間と活発な創作活動を展開しましたが、特に大正14年(1925)には、川崎の自宅を「詩の家」と名づけ、同人誌『詩之家』を刊行しました。
同人の数は、多いときには70名にも達しました。
また、詩人としての才能を生かして、「赤城の子守唄」「緑の地平線」「青い背広で」「湖畔の宿」「人生劇場」など、今でも多くの人々に口ずさまれている名曲を作詞し、昭和17年(1942)、52歳の生涯を閉じました。
この碑は、惣之助を顕彰するため、川崎市文化協会の発意によって昭和30年10月に建立(こんりゅう)されました。
碑文は詩集「華やかな散歩」の序詩から選ばれ、文字は惣之助が尊敬していた武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)が揮毫(きごう)したものです。

平成2年2月
川崎市教育委員会

佐藤惣之助の碑


史跡 | 12:54:54 | Trackback(0) | Comments(0)
歯車
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プラネタリー熱間圧延機(ねっかんあつえんき)フィードロール減速機用歯車
株式会社YAKIN川崎(旧日本冶金工業株式会社川崎製造所)寄贈

この「プラネタリー熱間圧延機フィードロール減速機用歯車」は、川崎の産業を支えてきた歴史的にも価値のある工都(こうと)川崎を象徴するものです。
多くの市民の憩いの場である富士見(ふじみ)公園にモニュメントとして展示することにより、川崎のものづくり文化を再認識してもらうとともに、次の世代に継承・発展させるメッセージとします。

本体のプラネタリー熱間圧延機は、厚さ150mmのステンレス鋼板(こうはん)を一度の圧延で最薄(さいはく)2.3mmに圧延する機械です。
世界に16基しかないといわれているうちの1基で、同方式としては世界最大です。
大径(だいけい)のバックアップロールの周りに、圧延を行う小径(しょうけい)のワークロールを多数配置した圧延機であるため、ワークロールが惑星(プラネット)のように見えるのが「プラネタリー」のゆえんです。
フィードロールとは、鋼板を圧延機の入り側(がわ)で保持し、一定量づつ送り込む役割を果たす部分で、その減速用に使われたのがこの歯車です。

日本冶金(やきん)工業株式会社では、昭和41年(1966年)から平成8年(1996年)まで川崎製造所(現(株)YAKIN川崎)において稼動させていました。
当時、この圧延機導入によって、初めて同社内でのステンレス鋼一貫生産体制が確立して、生産性が飛躍的に向上し、大量生産が可能となりました。
その後、経済成長につれてステンレス鋼の需要が急増し、生産量も増加していきました。

このようにプラネタリー熱間圧延機は日本の産業発展に大きく貢献した京浜工業地帯の中枢(ちゅうすう)である川崎において、高度成長時代を支えた、工都川崎を象徴す機械のひとつです。

2003年9月
川崎区役所区政推進課
環境局南部公園事務所

歯車


史跡 | 12:26:51 | Trackback(0) | Comments(0)
御神木大銀杏
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御神木大銀杏(ごしんぼくおおいちょう)

このご神木大銀杏は、樹齢約1千年といわれ、当神社の長い歴史と尊い由緒を物語っています。
江戸時代には東海道を旅する者に「山王さまの大銀杏」として知られ、安藤広重(あんどうひろしげ)の「武相(ぶそう)名所旅絵日記」などに当時の神々(こうごう)しい姿が描かれています。
また、別の書物には「この大銀杏の周囲を回りながら願い事をするとことごとく叶う。特に縁結び、子授(こさず)け、子育て、学問・習い事の向上に霊験(れいけん)があり、参拝者が絶えない」と書かれています。
さらに、色紙に願い事を書いて枝に結び、葉のある頃には一葉をとって御守とするとよい、と伝えられています。
戦前は神奈川県指定の天然記念物となっていましたが、惜しくも昭和20年、戦火を浴びて大きく損傷してしまいました。
しかし、年とともによみがえり、その生命力の強さは御神霊(ごしんれい)のなせるわざと人々はいよいよ篤い信仰を寄せています。
と同時に近年、平和のシンボルとしても仰がれるようになりました。
(以下略)

(説明板より)

御神木大銀杏

史跡 | 11:48:53 | Trackback(0) | Comments(0)
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