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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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香典が届く
拙者が横浜に行っていた留守中に現金書留が何通も届いていた。
先日送った喪中の葉書を見て友人やら遺族会の方々が香典を送ってきてくださったのだ。
感謝!感謝!申し訳なし。
ありがたいのではあるが・・・

お手紙なども一緒に入っている。
これはこれでまたまた嬉しいのではあるが・・・
お返事を書かねばならないのである。
この「お返事を書く」というのが筆不精の拙者にとっては拷問のように辛いのである。地獄の苦しみなのである。(笑)
参ったぁ~

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日記 | 10:25:41 | Trackback(0) | Comments(0)
デート!
午後1時、品川駅に到着。
待ち合わせまで15分しかないので昼食は諦める。
お会いするのは“シオハラさん”という女性。
拙者の慰霊の旅などの話が聞きたいというメールを頂いたので今回お会いすることとなったが・・・
お互いに初対面。
拙者の特徴は伝えておいたが、更に「一見、ヤクザか刑事のどちらかにみえます」と加えておいた。(笑)

携帯電話で連絡を取りながら・・・無事にお会いする。
こういう待ち合わせの時は本当に携帯って便利だなぁ~
開口一番「刑事に見えます」と言われた。(笑)

駅前のレストランで一緒に昼食。
彼女は声優さん。
この業界も競争が激しく何かと大変だそうだ。
思いがけず「声優」の話題で盛り上がる。
実は拙者も声優さんが大好き。
特に海外ドラマの吹き替え・・・・大好き!
小学1年生の頃は『ララミー牧場』のファン。
ファンレターを書こうと思ったら、相手は外人で日本語が分からないことを知った。
え?いつも日本語で話してるじゃん!
これが海外ドラマの吹き替えの声優さんとの最初の出会い。

小学生当時の大好きだった声優さんは“家弓家正”という人。
なんて読むのか今もって知らないが、拙者は勝手に「かゆみいえまさ」と呼んでいた。
確か・・・「不死身の男」とか「ラットパトロール」とかに出ていたと記憶している。
それにしても、最近この方の声を聞いていないなぁ~
どうしちゃったのかなぁ~
そんな思い出話をしたのだが・・・
彼女とは話が合わない・・・
それもそのはず、彼女は拙者より一回り以上年下なのだ!
拙者が小学生時代に見ていたテレビドラマを見ているわけがない。
生まれてないんだから・・・(笑)

近くのホテルのラウンジに移動しても、まだまだ話は尽きない。
「声優」の話題で大盛り上がり。
小学生から今まで好きだった声優さんの話になるが・・・
なかなか番組名と声優さんの名前が出てこなくて苦労する。
最近の人では、NHKの「ホワイトハウス」で吹き替えをしていた“石塚運昇”さんかな。
亡き母もこの人の声が好きだったんだよねぇ~

当初の目的の戦没者慰霊の話は殆どせず、全く違う話題で延々とおしゃべりをしてしまい、あっという間に6時間!(笑)
最終の1本前の特急に乗らねば!
話はまだまだ尽きないし、肝心の話を殆どしていないのだが・・・
やむを得ぬ。

いつも戦友会の超高齢の“おじいちゃん”とか遺族会の“おばぁちゃん”とばかりおしゃべりをしているから・・・・
若い女性とお茶を飲みながらおしゃべりするのは何年ぶりだろうか?(笑)
いやぁ~楽しかったなぁ~
これは拙者にとっては久しぶりの“デート”である!(笑)
“シオハラさん”には申し訳ないけど・・・
一人で大いに楽しんでしまった!(笑)

日記 | 23:34:38 | Trackback(0) | Comments(0)
神奈川運上所跡
DSC08258.jpg


神奈川運上所跡

開港にともない、関税と外交事務を扱う神奈川運上所が、今の神奈川県庁所在地に設けられ、神奈川奉行の支配に属していた。
慶応2年(1866)類焼、翌年新築、横浜役所と称した。
明治元年(1868)明治政府に移管され同5年(1872)横浜税関に改められた。

(説明板より)

神奈川運上所跡

史跡 | 15:13:34 | Trackback(0) | Comments(0)
神奈川県庁本庁舎
DSC08257.jpg


神奈川県庁本庁舎

外観の全体構成はクラシックであるが、細部は幾何学的な独自の意匠が用いられ、後の帝冠様式の先駆けでもある。
スクラッチタイル貼りの外壁と中央の高塔が特徴的で、その塔は「キング」の愛称で親しまれている。

所在地:中区日本大通1
構造・規模:SRC造5階、地下1階、塔屋付
建築年代:昭和3年(1928)
指定・認定:国登録有形文化財 平成8年(1996)12月
設計:小尾嘉郎
施工:大林組

(説明板より)

建物 | 14:05:05 | Trackback(0) | Comments(0)
日本大通
DSC08256.jpg


日本大通

慶応2年10月20日(1866.11.26)に運上所・改所・官舎など日本人街の3分の2、英一番館など居留地の4分の1を焼失した豚屋火事が契機となり、「横浜居留地改造及び競馬場・墓地等約書」(第3回地所規則)が、同年11月23日締結されました。
約書には、居留地と日本人街に区画整理を行い、そのまん中に延焼を防ぐため、広さ120フィート(36m)の街路を海岸より公園(後の横浜公園)まで通すように規定しましたが、約束どおりにはできず明治政府に引継がれました。
明治4年(1872)英国人ブラントンの設計により工事が進められ、中央車道60フィート、歩道・植樹地帯左右各30フィートの近代的な道路として誕生し、明治12年、町名にもなりました。

(社)横浜国際観光協会
横浜市教育委員会文化財課
平成3年3月




日本大通り

旧外国人居留地と日本人街を区分する街路で、慶応2年(1866)の大火災後に防火帯を兼ねて計画・整備された日本における近代街路の発祥地である。
当初は12mの中央車道の左右に3mの歩道と9mの植樹帯が設けられていた。
設計者ブラントンは、横浜公園や旧居留地下水道など横浜の都市基盤整備に主導的な役割をはたしたイギリス人技術者である。
沿道には、神奈川県庁本庁舎、旧英国総領事館、旧横浜商工奨励館、旧横浜地方裁判所、三井物産横浜ビルといった歴史的建造物が集積し、横浜でも有数の歴史的景観を形成している。

所在地:中区日本大通
構造・規模:幅員36m
建設年代:明治4年(1871)~明治12年(1879)
設計:R.H.ブラントン
施工:不明

(説明板より)

史跡 | 13:49:19 | Trackback(0) | Comments(0)
旧英国総領事館
DSC08254.jpg



旧英国総領事館

英国工務省の設計で、昭和6年(1931)に建てられました。
鉄筋コンクリート造3階建一部地階付、銅板葺屋根をもつ邸館風建築で、古典主義建築の秀作です。
英国総領事館は、昭和47年(1972)に横浜での業務を停止しました。
昭和56年(1981)この建物を利用して、横浜開港資料館が開館しました。

旧英国総領事館

建物 | 12:37:53 | Trackback(0) | Comments(0)
日米和親条約締結の地
DSC08251.jpg


日米和親条約締結の地

安政元年(1854年)2月から3月にかけて、日米代表が横浜村の海岸で会見、和親条約を結んだ。
これは、神奈川条約ともいわれ、日本の開国を促し、本市の誕生の遠因ともなった。
歴史的舞台となった応接所のあとは、現在の神奈川県庁の付近である。

(説明板より)

日米和親条約締結の地

史跡 | 11:27:45 | Trackback(0) | Comments(0)
横浜を“ぶらり”
今日は午後に人に会う予定が入っているが、それまでの間、少し時間が取れる。
よし!
少し近くをぶらついてみようかぁ~
DSC08250.jpg
(氷川丸)
そうそう、母と一緒に乗ったなぁ~
内部は全く記憶にないのだが・・・
艦内に展示されていた水槽の中にワニがいるとかいないとか・・・って騒いだような気がする。
今は、艦内の見学は出来ないようだ。

山下公園を散策しながら『横浜開港資料館』へ行き、ここを見学。
DSC08252.jpg

ここに前回訪れたのは・・・15年ぐらい前だろうか・・・
記憶が薄れている。
内部の展示の仕方が変わっているように思い、職員に尋ねたら「昔から変わっていません!」と憮然とした顔で言われた。
ふ~ん・・・そうかなぁ~
変わったと思うんだけどなぁ~
それにしても愛媛の宇和島の人達とは違って、愛想がねぇなぁ~(笑)
DSC08255.jpg

「日本大通り」・・・・・
拙者はずっと「日本大学の通り」だと思っていた。(笑)
横浜に日本大学ってあったかなぁ~と不思議だったのだが・・・
「にほん・おおどおり」と読むらしい。
アマチュア画家の皆さんが絵を描いていた。
寒い中、ご苦労さん・・・である。

横浜スタジアムまで歩く。
大学生時代に一度だけ来たことがある。
もう27年ぐらい前になるだろうか・・・
アメリカンフットボールの関東大学リーグかなんかで来たような気がする。
各大学の選手達が防具を着用して、このスタジアム前に整列して入場行進をしたようなのだが・・・
整列したことまでは憶えているのだが、入場行進した記憶がない。
入場行進して・・・その後、何をしたのかも憶えていない。
記憶とは本当にいい加減なものだ。
断片しか残っていない。
しかし・・・確かに27年前にこの場所にユニフォームを着てヘルメットをかぶって・・・フル装備で並んだんだよなぁ~

関内駅前の喫茶で一休み。
時刻は12時・・・・ヤバイ・・・
1時15分に品川で待ち合わせなのだ。
ここから品川まで何分かかるんだ?
調べておくのを忘れた。
昼飯を食べるどころじゃないぞ!
急がねば・・・

日記 | 10:49:56 | Trackback(0) | Comments(0)
シャンソンを聴きに横浜へ
シャンソン歌手の藤原素子さんからお誘いのメールを頂いたので、横浜で開催されるディナーライブに出かける。

横浜へ行く途中・・・
大森駅で途中下車し、「大森貝塚」に行ってみる。
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(大森貝塚跡)
モース博士が発見した貝塚で教科書にも載っていて有名な場所。
我が国で最初に発見された貝塚である。
このビルとビルのの間のわずかな隙間に石碑が建っていたが・・・
こんなちっぽけな場所が・・・・そうなのか?
もう少し付近を散策したかったが、時間の関係で断念して横浜へ向かう。

ディナーライブなんて生まれて初めての経験。
一人で参加するので間が持たない気もするが・・・・
今年最後のライブとのことなので思い切って行くことにした。
当然、日帰りは無理とみてホテルを予約。
横浜・・・
昔、昔、その昔・・・母と一緒に泊まった『ニューグランドホテル』に泊まることにした。
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(ニューグランドホテル)
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(旧玄関)
今から約40年前・・・・母とこのホテルに泊まった時、この階段を見て大喜びした思い出がある。
その当時は絨毯は青色ではなく赤色だったと記憶している。
「うわぁ~お城見たいだぁ~」と叫んだのを憶えている。
この階段を登ってみたが・・・そこからの記憶が残っていない。
当時のままのレイアウトのはずだが・・・
仕方がないかも・・・・当時は小学校低学年だったからなぁ~
DSC08247.jpg

客室の廊下を歩いても・・・記憶が残っていない。
重厚な雰囲気だけは昔のまま。
拙者がこういう雰囲気が好きなのは、幼い時にこのホテルに泊まったせいなのかもしれない。
DSC08244.jpg

ホテルの方に伺うと部屋の内装等はリニューアルされているとのこと。
ツインルームだったことしか覚えていない。
部屋は違うが・・・・しばし昔を懐かしむ。
母をもう一度連れてきたかったなぁ~
「あの時は、ああだったよねぇ~こうだったよねぇ~」と思い出話をしたかった。
失敗したなぁ~
もっと早く思い出して実行すべきだったなぁ~
そう思うと、止め処もなく涙が出てきた。

DSC08245.jpg

ラウンジでコーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせる。
今から40年前というと・・・母は30歳前後か・・・
早いなぁ~40年って。
あっという間だなぁ~
あの頃は、格式のあるホテルに泊まるということで、ジャケットに蝶ネクタイという格好で泊まったが・・・
今はその格式も薄れてしまい、ロビーには普段着の客がたむろしている。
ネクタイをしなくちゃ駄目という格式がどことなくあって、それがまた大人になったような心地よい思いがしたものだが・・・
今では薄汚くだらしない格好をしていても金さえあれば泊まれるのか・・・
はぁ~・・・・ため息しか出ねぇなぁ~

あの時はレストランではハープの生演奏があって、ハープなんていう楽器を見たのはあの時が最初で最後。
珍しくて近くまで寄って見たものだ。
あの時演奏していた若い“お姉さん”も・・・今では60歳を越えているだろう。(笑)
どうしているかなぁ~
レストランの人が特別サービスでプリンをくれたことがある。
「よろしかったら、どうぞお召し上がりください」と拙者の目の前に差し出した。
あの時の驚きと嬉しさは今でも忘れられない。
その思い出のホテルに40年後一人で泊まる。
なんとも悲しく寂しい・・・・

ライブ会場には30分も早く到着してしまった。
後援会会長、藤原さん、バンドの方々と挨拶を交わす。
参加者は中高年の方々が結構多い。
みなさん奥さん同伴や友人同士で参加。
一人で参加した拙者を気遣ってか隣のご夫婦が話かけてくださり、思いがけず楽しいディナーとなる。
DSC08246.jpg

ライブ終了後、いつもは最後まで残って関係者とおしゃべりをするのだが・・・
今回は早めに挨拶して失礼する。
ホテルに戻って再び思い出に浸る。

日記 | 23:33:32 | Trackback(0) | Comments(0)
納骨式
今日は「石塔開眼式」と「納骨式」の日。
昨晩、我が家に到着した妹は徹夜で布袋を作った。
この「さらし」で作った布袋・・・
母の遺骨を骨壷から移して収めるもの。
早く「土に返す」ために布袋に移し変えるので・・・と住職に言われてたので作ることになったのだ。
この風習は西日本ではポピュラーらしいのだが、東日本では珍しいかも。
裁縫の苦手な妹に縫わせて・・・拙者は大笑い。
「多分、お母さんは苦笑してるだろうなぁ~、なによ、この袋!ちゃんと裁縫を教えておけばよかった!」と言うだろうなぁ~
もしかしたら「こんな袋には入りたくない!」と嫌がるかもね。
・・・と拙者は無責任にもからかう。
しかし、なかなかの出来栄えの袋。
あれ?ちゃんと出来るじゃない。(笑)
母も娘の縫った袋に入れられて喜ぶだろう。
いい供養だ・・・

さて、供物・・・・
何を持って行こうかな。
庭に母が植えたミカンの木には今年はたくさんの実がなった。
しかも・・・甘い!
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これを中1の甥に取らせて供物とする。
また、拙者がアメリカから帰国して我が社に入社した時に植えた柿木。
これにも今年は大きな実がたくさん成った。
しかも・・・甘い!
これももって行く事にする。
今年は豊作で、しかも出来が良い。
何で母が死んだ後にこうなるのかねぇ~
食べさせてやりたかったなぁ~
これに“オオタニさん”から頂いた「ラ・フランス」とか、その他もろもろの海の物、山の物、野の物、の供物を持参する。

「石塔開眼式」では、お墓の除幕を親父と弟にやってもらう。
本来は建立者の拙者がやることなのかも知れないが、弟の出番を作ってやらないとねぇ~
何のためにわざわざ来たのかわからなくなって可哀想だからねぇ。
お墓の建立に関わった・・・という思いをさせてあげないとなぁ。

お昼は従兄弟の協力を得て母の実家で食事会。
参加者は伯母と叔母の2人以外は従姉達。
母にとっては姪や甥。
嬉しいねぇ~
とにかく嬉しい、ありがたい。
母も大喜びだろう。
供物として持参した母のミカンを皆さんに供養として食べていただく。
大いにおしゃべりをして解散。

これで、大きな行事が一つ終わった。
こんどは・・・1周忌ぐらいかなぁ~
とにかくホッとする。

日記 | 00:56:20 | Trackback(0) | Comments(2)
育毛剤を使い切る
ボチボチと思い出した時だけ使っていた育毛剤が遂に無くなった。
この育毛剤・・・
母が買ってくれたものである。

母は抗がん剤治療を受けていたが、普通の生活が出来る程度に、余り副作用が出ないように・・・
そのように抗がん剤をコントロールして投与してもらっていたのだが・・・
それでも髪が抜けて気にしていた。
拙者から見ると、どこも変わったところはないと思うのだが・・・
女性というのは必要以上に気になるのかも知れない。
全然薄くなんてなっていないんだけどなぁ~

母は髪が抜けるのを気にして育毛剤を使い始めたのだが、その時に、「男性用」の育毛剤も購入して私にくれたのである。
ということは・・・・
母は拙者の髪が段々後退しつつあることを認めていたということになるかぁ。今思えば・・・・(笑)

「ちゃんと使っているの?」といわれた時だけ思い出してチビチビと使っていたが・・・
遂に使い切ってしまったぁ~

悲しいかな、また一つ母の思い出が消えた・・・

日記 | 02:23:08 | Trackback(0) | Comments(0)
お墓の確認
20日までに完成するといっていたお墓・・・
今日になっても何の連絡もない。
大丈夫か?
親父はイライラして拙者に当るが・・・
そういわれてもねぇ~
拙者が墓を作っているわけじゃないんだから・・・

今日は母の命日。
位牌堂の母の遺骨にお参りするついでにお墓の様子を見に行く。
DSC08241.jpg

お墓は無事に完成している。

親父が「正式な引渡しの連絡がないというのはおかしい」と言い、どうしても石材屋へ行くと言う。
今日は祝日だから休みじゃないかと思うのだが・・・
「どうしても行く!」と言うので渋々隣の市にある石材屋まで足を伸ばす。
“カミナガさん”は不在だったが、奥さんがいらっしゃったのでお話をする。
「とにかく請求書を出してくれ」と親父。
早くお金を払わないと気が済まぬという。
お金を払わないと自分のものになった気がしないと言う。
でも・・・お金を払うのは建立者の拙者なのだが・・・(笑)

奥さんの話によれば、お墓を建てたのは良いがお金を払わない人がいるという。
信じられない話なのだが、実際にそういう人がチラホラいるという。
そういう人は見栄っ張りな人なのだろうなぁ~
立派で豪華な墓を建てたはよいが・・・お金はない。
お金がないならお墓を建てなきゃいいのにと思うのだが・・・
そういうことをしては亡くなった人の供養にはならんと思うのだが・・・
お金を払わないくせしてお墓参りはしているのだそうだ。
世の中にはとんでもない人がいるものである。

この業界も大変なんだなぁ~
あ~嫌だ、嫌だ・・・(笑)

日記 | 01:00:12 | Trackback(0) | Comments(0)
お手紙を書く
山形の“オオタニさん”へようやくお礼の手紙を書く。
どうも筆が進まず、何度も挫折して、今日になってしまった。
手紙を書くというのは苦手じゃ。
一晩かかっても書けない。
あ~嫌だ、嫌だ。
自己嫌悪甚だし。
スラスラと書ける人がうらやましい。
こんなことをしているからタイミングを外しちゃうんだよなぁ~
わかっちゃいるけど・・・
どうしようもない。
何とかならんか!
この性格・・・・


日記 | 00:58:24 | Trackback(0) | Comments(0)
喪中の葉書を出す
従弟が急いで届けてくれた喪中の葉書・・・
折角、急いで届けてくれたのだが、今頃になって宛名書きをする。
「宛名書き」と言っても、パソコンで印刷するだけなんだけど・・・
そういう簡単なことをするのも面倒臭い。
後で・・・後で・・と今頃になってしまった。

総枚数228通。
郵便局へ持っていって投函・・・
さて・・・こういう場合は全部に切手を貼るのが正式なのか、それともスタンプでも許されるのか・・・
局員に相談したら「どちらでもいですけど・・・枚数が枚数ですからね~」とのこと。
今から228枚の葉書に切手を貼るのも大変だ。
ということで・・・スタンプを押すことにしたが・・・
「こちらでやっておきます」とのこと。
な~んだぁ~そういうことなら切手を貼ってくれって頼んじゃえば良かったかなぁ~(笑)

日記 | 00:57:40 | Trackback(0) | Comments(0)
今日はオジヤ~
昨晩の「水炊き」の残り・・・・
貴重なスープである。
「絶対捨てるなよ!」と親父に指示しておいたのだが、気が気ではない。
拙者の眼を盗んで何でもかんでも勝手に捨てるのが親父の特技。(笑)
今までにどれほど貴重なものを捨てられたか・・・
「捨てるな」と言うと何故か必ず捨てるのである。(笑)

「食い物の恨みは恐ろしい」ということを知っているのか・・・
珍しく「水炊き」の残りは捨てられていなかった。
よし!
今日は「オジヤ」だぁ~!

追加で鶏肉をぶち込み・・・
ご飯をぶち込み・・・
完成!
できた!(笑)

しかし・・・
2人の生活というのは微妙。
食が細い親父だから、どうしても余ってしまう。
ということで・・・・
昼も夜も・・・「オジヤ」!(笑)
普段の食事なんて空腹が満たされればそれでいい。

日記 | 23:37:09 | Trackback(0) | Comments(0)
今夜は鍋!
さて、夕食はどうしようか・・・
さすがにスーパーの惣菜に飽きてきたと思っていたところ・・・
親父がどこからか白菜を丸々1個もらってきた。
「どうする・・・これ・・・」
でかい白菜・・・

よし!
水炊きにするかぁ!
その昔、拙者が大学生の頃よく作った「水炊き」!
スーパーで鶏肉を買ってきて包丁で細切れに・・・・
そうなるはずが・・・切れない!(笑)
鶏肉の皮の部分が切れない!
「なんだ、この包丁!」
包丁研ぎ器か何かなかったかなぁ~
台所中を探してみるが・・・わからない。
母がいないと・・・わからない。
マイッタァ~

何とか苦労してぶった切り・・・なべの中に放り込む。
白菜もぶった切って・・・放り込む。
これで終り!
完成!
できた!(笑)

親父が「へぇ~料理が出来るんだぁ~たいしたもんだなぁ~」と言う。
ん?
これ・・・料理のうちに入らないと思うんだけど・・・
まぁ、いいかぁ~
そういうことにしておくかぁ~(笑)

日記 | 22:33:57 | Trackback(0) | Comments(0)
原稿書き
今日は、この間行った内モンゴルの旅の戦友会会報用の原稿を書く。
“ヒルマさん”に頼まれていたのだが、気が乗らず延び延びになっていた。
これ以上はいくらなんでも延ばせまい。
仕方がない・・・・書くかぁ~(笑)

会報に載せるとなると結構神経を使うんだよなぁ~
下手に知ったかぶりして戦史などを書いて間違ったら最悪だからなぁ~
だいたい、この会報を読む人の殆どが、若かりし頃、現地にいたことがある人達だからね。
下手なことは書けねぇぞぉ~
更に戦後、現地に行ったことがない人にも懐かしんでもらえる内容じゃないとね。
なかなか気を使うのです。

ようやく完成したので・・・・
まずは“ヒルマさん”に内容を確認してもらおう!
それから事務局に送ることにする。

それにしても・・・・
他の部隊の会報の原稿を書いたは良いけど・・・
自分が作っている『戦車第二師団』のほうの会報の原稿はどうしよう。
まずいなぁ~
全然案が浮かばない・・・

日記 | 23:30:33 | Trackback(0) | Comments(0)
胃がやられた!
昨晩、“ウメちゃん”と外食したのだが、この時に食べた「牡蠣」に当ったような気がする。
夜中に気分が悪くなり、午前4時まで眠れなかった。

その昔・・・・
高校生の時に「牡蠣」に当って一晩中苦しんだことがある。
この時は死ぬかと思うくらい吐き続けた。
おかげで、それから20年以上も「牡蠣」が食べられなかったのだが、最近になってようやく食べられるようになったというのに・・・

今回は吐くまではいかなかったが、あの時と同じような腹痛を感じるから、やっぱり当ったんだろうなぁ~(笑)
抵抗力が弱まっていたのだろうか?
フィリピンでは何でもかんでも食べて平気だったというのに・・・
昔、ソフトボール大会で出た仕出し弁当で参加者全員が食中毒にあったというのに拙者だけは平気。
「普段、どんなものを食べているんだ?」と馬鹿にされたほどの“猛者”だったのになぁ~(笑)
昨年の内モンゴルの旅でも、お腹を壊した人が多く出たのに、拙者は絶好調!
従姉達から呆れられたほどの“胃丈夫”だったのになぁ~

歳のせいかぁ?(笑)
それとも母を失ったショックで知らぬうちに胃が痛んでいるのか?
ん?
胃癌かぁ~?(笑)

日記 | 20:29:34 | Trackback(0) | Comments(0)
喪中の葉書
叔母さんに「喪中の葉書を作るの忘れていない?」と言われ慌てて従弟に印刷を頼む。
いつも年賀状は年末ギリギリに作成しているので、ついつい、12月になってからでもいいかなぁ~などと思っていた。

そういえば、他からはもう喪中の葉書が届き始めている。
やっぱり11月に出さないといけないのか~
しかし、あまり早く出しすぎると、年賀状を書く時に喪中だというのを忘れられてしまうのではないか?
・・・とか、自分に都合のいい言い訳をする。(笑)

印刷を頼んですぐに従弟が届けに来てくれた。
わざわざ持ってきていただきありがたし。
先日、彼が書いた小説をメールで送ってきたので読んでみたのだが・・・
2年もかけて書いたというだけに、これがなかなかの秀作。
しかし・・・
最後の部分が、殆ど駆け足状態。(笑)
「おい、最後のところで手を抜いただろう?」
「わかっちゃいました?」
大笑いである。

文才のある人はいいよなぁ~
こっちは、さっぱり文才がないから、書いてみたいけど書けぬ。
手紙ですら四苦八苦して書くくらいだからなぁ~
小説なんて・・・とても、とても・・・である。

日記 | 20:28:49 | Trackback(0) | Comments(0)
坊ちゃん
坊っちゃん 坊っちゃん
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夏目漱石といえば・・・『坊ちゃん』
松山といえば・・・『坊ちゃん』

誰でも知っている有名な小説である。
登場人物も「赤シャツ」とか「マドンナ」とか・・・・
知っているのに何故かストーリーが思い出せない。
読んだ記憶もない。
読んだ記憶がないのに何で登場人物を知っているのだろう?
国語の教科書か何かで一部分を見かけたのだろうか?

『坊ちゃん』?
あ~あの『坊ちゃん』ね~
知ってるよ~
・・・・となるのだが、本当に拙者は知っているのだろうか?
「知ったかぶり」なのではなかろうか?

というわけで・・・松山へ向かう電車の中で『坊ちゃん』を読む。
読んでいて気がついた。
はぁ?こういうストーリーだったの?
意外な発見に感動!

読書 | 12:03:04 | Trackback(0) | Comments(0)
ラ・フランス
山形の“オオタニさん”の奥様から「ラ・フランス」が1箱届いた。
突然の事ゆえ驚く。
ん?お歳暮?
“オオタニさん”は『戦車第二師団の会』の前会長。
お亡くなりになられて2年経つ。

“オオタニさん”に最後にお会いしたのは・・・・平成16年。
京都で開催された戦友会でお会いしたのが最後。
昔、心臓のバイパス手術をされたそうだが、そこが詰まってしまい体調不良を訴えていた。
その後、再手術をしたが、平成17年の慰霊祭には欠席。
そこで、拙者が慰霊祭の様子をビデオに撮影してお送りした。
「私の気持ちを察してくれてありがとう」との毛筆の手紙を頂いたのが最後の交流となる。
次回の戦友会には必ず参加すると、体力回復のための散歩をされていたが、散歩から自宅の玄関まで戻ってきた時に突然心臓が止まり・・・・そのまま旅立ってしまったという。
拙者がビデオをお送りして間もなくのことだった。
さぞかし無念だったろう。
今でも、最後に頂いたお手紙を見るたび涙が出てくる。

山形での葬儀には拙者も参列させていただいた。
ご家族は会員の継承をしないとのご意向だったので、その後は縁が遠くなってしまったのだが・・・
まさか「ラ・フランス」が届くとは!
お手紙を拝見すると、ありがたいお言葉が並んでいる。
若輩者ゆえ戦友会には大して貢献していないのであるが・・・・
労をねぎらう言葉が並んでいる。
もう大感激である。
早速仏壇にお供えして母に報告する。

「ラ・フランス」を頂きながら“オオタニ前会長”を思い出す。
どうしても涙が出てしまう。
ありがたい・・・申し訳ない・・・懐かしい・・・会いたい・・・
色々な思いが巡る。

日記 | 13:10:27 | Trackback(0) | Comments(0)
お寺に打ち合わせに行く
我が家のお墓・・・・
今月中には完成するはずなのだが、石材屋さんの“カミナガさん”に完成予定日を尋ねても明確な答えがなかなか出てこない。
さすがに親父がイライラしてきしまった。
「おい、25日にするぞ!」
“カミナガさん”に確認したら、「20日ぐらいには出来上がると思うよ~」と軽く言われる。
本当に大丈夫かね?

とにかく、25日に納骨式を行うということで、住職に頼みに行く。
奥さんの話では、中国から石材が入荷せず、他のお墓も完成日が遅れたらしい。
材料がなければ、いつ出来上がるのかと尋ねられても答えられないかぁ。
住職との打ち合わせで、25日の午前11時に石塔開眼と納骨式を執り行うことに決定!
これで一安心・・・・

日記 | 00:09:02 | Trackback(0) | Comments(2)
偶然にバッタリ!
8日間留守にしていた間、親父が仏壇の生花の水の交換はしてくれていたが、さすがに、もう限界。
新しく花を買いに行かねば!
ということで、花屋に行き、店を出たところ・・・
あれ?
どこかで見たことがある顔・・・・

保険会社のP社の担当者である“ホンマ君”!
彼は東京に住んでいるので、滅多にこちらには来ない。
その彼と偶然にも遭遇!
母の保険金の請求は、このP社を除いて全て完了している。
そろそろ“ホンマ君”に来てもらい手続きをしようかな~と思っていたところなのでちょうどよい。
早速、我が家に来てもらい保険金の請求手続きを行なう。

彼の話では、今日は他のお客さんの用事でこちらに来たという。
駅前通りを車で走っていたら拙者が横断歩道に立っているのを発見。
ところが、Uターンして戻ってきたら拙者の姿を見失ったという。
キョロキョロして探したら花屋の中に拙者がいるのを見つけて車を停めて駆けてきたという。
この偶然に拙者を見かけたことが彼にはよほど嬉しかったらしい。
保険の話より、そっちの話が主体となる。

それにしても、よく拙者を見つけたもんだ。
1分でも違っていたら拙者の事を見つけられなかっただろう。
こういう遭遇も“運命”なのかもしれんなぁ~

日記 | 00:04:11 | Trackback(0) | Comments(0)
川之江八幡神社大鳥居
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川之江八幡神社大鳥居

川之江市指定文化財
昭和59年3月8日指定

この鳥居は八幡神社が畠山から現在地に奉遷されたとき、大庄屋三宅七郎右衛門家経によって献ぜられたものである。
慶安4年(1651)の作で、一石づくりの笠石が特徴となっている。
規模、古さともに現存する鳥居としては全国で2番目である。

形式・・・明神型
高さ・・・約5メートル
幅・・・・約3メートル

川之江八幡神社
川之江市教育委員会

川之江八幡神社大鳥居

史跡 | 23:03:03 | Trackback(0) | Comments(0)
陣屋門
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由緒

この陣屋門は一柳直家公が川之江藩(2万8千6百石)の藩主となっていた寛永13年(1636)から寛永19年(1642)の間、新町にあった陣屋の表門である。
直家公は城山々上に城を再建しようと夢見ていたが、寛永の飢饉などで時期が悪く、志を得ないうちに急病にかかって、江戸で亡くなった。
跡継ぎがないため川之江藩は取り潰しとなり断絶、養子直次は播州小野(1万石)に移っていった。
記録ではその時陣屋にあった表門を宝積寺に(現川之江八幡神社)に賜うとある。
この門は松山城築城の際に用いられている慶長尺(1間=6尺5寸)を使って建てられており、江戸初期の建物であることにまちがいない。
全国的にみても陣屋門が残っている例は少なく、特に二階建ての陣屋門はここにしかない貴重なものである。

平成11年6月29日
川之江市文化財保護審議委員 石川定男
愛媛県文化財保護審議委員 河合勤

陣屋門

史跡 | 22:46:08 | Trackback(0) | Comments(0)
尾藤二洲生誕地
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尾藤二洲顕彰碑

尾藤二洲先生は、延享4年(1747)10月8日宇摩郡川之江村農人町に生まれる。
5歳の時舟溜りに落ち、生涯足疾となる。
14歳の時祖父の勤めて村の儒医宇田川楊軒に就き徂徠学を学ぶ。
24歳で大阪に遊学、片山北海に師事古文辞学を学ぶ。
後に頼春水等と切磋交遊、朱子学を正学とし素餐録を著す。
寛政3年(1791)幕府に登用され昌平黌教官となり、柴野栗山、古賀精里と共に寛政の三博士と称された。
65歳で官を辞する迄の21年間、学識と卓見を以てその名を四海に馳せた。
謹言で洒脱、豪放で磊落、高い識見と大義に厚い性格は、多くの師弟・友人を感化教導して止まなかった。
生涯梅花を愛し、酒を嗜み、故郷の風光を懐かしんだ望郷の念は、いみじくも今に伝わる詩の中に多い。
文化10年(1813)12月4日、67歳で没し、東京都大塚先儒墓所に眠る。

平成15年12月 尾藤二洲顕彰会

尾藤二洲生誕地

史跡 | 21:29:05 | Trackback(0) | Comments(0)
ベンチの標語
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川之江城のベンチ

「麻薬・覚せい剤・シンナーの乱用をなくそう」って・・・
この町には・・・乱用者が多いのか?


看板・標識・標語など | 21:24:54 | Trackback(0) | Comments(0)
姫ヶ嶽
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姫ヶ嶽

天正10年(西暦1582年)6月10日川之江城主河上但馬守(かわかみたじまのかみ)が三島宮(みしまぐう)に詣でての帰途、村松字崩(くずれ)の松原に於て、謀臣秋山嘉兵衛の為に謀殺され、城は秋山の内通により轟(とどろき)城主大西備中守(びっちゅうのかみ)の急襲をうけて、落城するに至った。
この時、但馬守の息女(そくじょ)年姫は横死の父のあとを追って、この断崖より燧灘(ひうちなだ)に身を躍(おど)らして、はかなくも花の生涯を閉じたといわれている。
春風秋雨(しゅんぷうしゅうう)380余年、落城の悲話として、今に伝えて、ここを姫ヶ嶽と呼ぶ。

姫ヶ嶽 海に身投ぐる いや果ても
      うまして入りぬ 大名の娘は
                    与謝野晶子
(説明板より)

姫ヶ嶽

史跡 | 20:58:03 | Trackback(0) | Comments(0)
愛媛の旅(10)
今日は川之江の観光。
昨日のドタバタのため地元の地図を買うのを忘れてしまった。
というわけで・・・地図なしでの観光。
まずは・・・川之江城へ行こう!
しかし・・・お城はどっちの方角だ?
ホテルの従業員に尋ねてお城への行き方を教えてもらう。

川之江は旅行ガイドブックにも詳しく紹介されていないほどのマイナーな町。
川之江城って言っても、どうせ城址公園くらいしかないんだろうと思ったら・・・・
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あれ?
天守閣が見える!
天守閣のところまで登ってみたら、天守閣は資料館になっていた。
しかし・・・今日は月曜日!
閉館日である!
大失敗!
事前の調査不足である。
まさか天守閣の資料館があったとは・・・・
やっぱり松山にもう1泊していれば、川之江は火曜日に観光となったんだよなぁ~
あ~失敗した~

お城の外観だけを見て山を降り、途中で地図を買って、今度は『紙のまち資料館』に行く。
どうやら川之江は「紙の生産地」らしい。
確かここには風船爆弾に使われた紙が展示されていたと思うが・・・
月曜日だから、当然閉館!
う~ん、残念だぁ~

続いて『尾藤二洲生誕地』に行ってみる。
テクテク歩くこと約30分で到着!
尾藤二洲という人は「寛政の三博士」と呼ばれた学者の一人らしい。
ついでに近くの「川之江八幡宮」に参拝。
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おやっ?「百度石」に“重兵衛”の名が・・・・
いやぁ~こんなところでお会いするとは奇遇ですなぁ~(笑)

時刻はお昼。
“ウメちゃん”から携帯にメールが入る。
今晩一人なので夕食に付き合ってくれないかとのこと。
いつも拙者の夕食に付き合っていただいておる以上、このお誘いを断るわけには行かぬ。
よし!帰ろう!(笑)
観光はここで中止!
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約15分ほどで駅に着く。
時刻は12時40分。
昼食なんぞは後回し。
とにかく岡山へ行かねば!
12時49分発の特急に乗る。
事前に午後2時46分発の特急の指定席を取っていたが・・・・無視!
禁煙席じゃねぇ~(笑)
当然、自由席の喫煙席で岡山へ向かう。

途中に香川県の丸亀を通過するらしい。
丸亀?丸亀城?
ん?寄ってみるか~?
ついつい誘惑に駆られたのだが・・・
なんと、丸亀に着く前にいつの間にか寝てしまったのである!
眼が覚めたら・・・丸亀を通過して橋の上!
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まぁ、仕方がない・・・
今回は縁がなかったということで諦めよう。
しかし・・・この橋は「瀬戸大橋」?

岡山で既に購入済みの指定席を切り替えて、直近の「のぞみ」に乗る。
昼食は駅で買った駅弁!
2時半になって、ようやく昼食にありつく。
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(『瀬戸内寿司三昧・魚々彩々(ととさいさい)』)
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(ままかり、さわら、小鯛の寿司)
なかなか美味しい駅弁であった。
食後は・・・・熟睡。

無事にわが町の駅に着き、真っ直ぐ“ウメちゃん”に会いに行き、夕食を食べながら旅の報告をする。
これで今回の「愛媛の旅」は終了!
それにしても・・・ついさっきまで四国にいたんだよなぁ~
家に帰ってみるとどうも信じられない。
さっきまで四国にいて、今は関東にいるのか?
夢のような気がしてならない。(笑)

今日の歩数は1万5521歩なり。

日記 | 20:43:08 | Trackback(0) | Comments(0)
頼らないでください!
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愛媛県西条市で見かけた消火器箱

「消火器にたよるな」と書かれている。(笑)
こうなると・・・身も蓋も無い?
当然、意味するところは・・・・
消火器があるからって油断するな!
ということでしょうが・・・・
「俺を頼るなよ~」と消火器に言われちゃうと困るぅ~

看板・標識・標語など | 17:22:49 | Trackback(0) | Comments(0)
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