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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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内モンゴルの旅(7)
10時45分、『召君墓』に別れを告げて、これから、皆が待つ“伊金霍洛旗(エジンホロキ)”に向かう。
ここからは、とにかく移動だけの一日。

車でわずか15分程度で砂漠地帯に突入!(笑)
DSC06654.jpg
(砂漠地帯を走る道)
ガイドさんの話によると、ここは「ゴビ砂漠」の南の端だと言う。
そう言われても・・・「ゴビ砂漠」ってどこにあるのかわからない。(笑)
「ちょっと降りて写真でも撮りましょう!」
DSC06655.jpg
(砂漠)
おお~砂漠じゃ!砂漠じゃ!
砂は日本の砂とは大違い。
パウダー状なのである。
風紋がまた綺麗なんだよねぇ~
しかし・・・このパウダー状の砂が「黄砂」として日本に影響を与えているんだから、そうそう喜んでもいられない。

午後2時。
“東勝(トウショウ)”という町に到着。
砂漠の中の町だが・・・
近代的なビルやアパートがいくつも建設中。
広い新しい道路が縦横に作られつつある巨大な住宅街。
「そろそろお昼にしましょう!」
ということで、出来たばかりのビルにあるレストランで食事をすることにする。

そういえば、中国に来てまだ1回も「お米のご飯」を食べていない。
粥か饅頭しか食べていない。
「ご飯をお願いします!」・・・・と頼んだら・・・
DSC06656.jpg
(ご飯)
ゲゲッ!
何・・・この大盛り!(笑)
木の器に、こんもりとご飯が・・・・
写真の手前に写っているのが箸袋。
中には箸と濡れた「お手ふき」が入っているセットなのだが、驚いたことにタダではない。
このセットは1元(約15円)・・・・別料金なのである。
このお店は最近出来たばかりのお店らしい。
それにしても・・・箸のお金を取るとは驚きである。
箸は、どこにでもある割り箸なのだが・・・

DSC06657.jpg
(魚料理)
たまには魚も食べなきゃ・・・ねぇ~
というわけで、カラリと揚げた魚にトロリと「あん」がかかっている、中華料理の定番のような魚料理を頼んだ。
しかし・・何かおかしい・・・
この「あん」・・・ナタデココや、マンゴー、サクランボなどが入っている!
ん?まさか・・・
一口食べて驚いた。
フルーツ缶詰に片栗粉でとろみをつけて魚にかけただけ。
甘いのなんのって・・・最悪!(笑)
新興中華料理は恐るべし!(笑)

午後3時20分、“伊金霍洛旗(エジンホロキ)”のホテルに到着。
到着時間が少々遅くなったので、他の団員は町に出ていて不在。
ここでガイドさんにこの2日間の別行動の費用を払いお別れ。
さて・・・どうしますか・・・
夕食の集合時間は5時半。
「昼寝でもしますか?」
「いや、少し散歩でもしよう。電動バスにも乗りたいし」と87歳。
お元気だなぁ~疲れを知らないなぁ~
こっちは車に乗っているだけでクタクタに疲れているのだが・・・
まさか「ご老人」を一人で散歩に行かせるわけにもいかぬので、拙者も同行する。

テクテクと町を散策。
途中で雑貨市場などを覗きながら1時間以上も歩く。
帰りは“ヒルマさん”ご希望の「電動バス」で帰ることとする。
DSC06658.jpg
(電動バス)
このバスは乗車賃は無料で、市内を循環している。
「電動バス」というよりゴルフ場の「電動カート」
12人乗りである。
「4路」と書かれているバスがホテルに戻るバスのはず。
「何で知ってるの?」
「ホテル近くのバス停に4路って書いてありましたから・・・」
「じゃぁ、あれは駄目なのかい?」
「あれは1路って書いてありますから、多分ホテルには行きませんよ」
始発のバス停で4路のバスの若い女性運転手に声をかける。
もちろん・・・日本語!(笑)
「このバスはホテルまで行きますか?発車時間は何時ですか?」
身振り手振りに腕時計を指さしながらの質問。
拙者も度胸が付いたもんだ。(笑)
しかし・・・彼女もさるものひっかくもの・・・
中国語で答えてくるんだからたいしたもんだ。
メモとボールペンを出して書いてくれって頼んでも書いてくれない。
拙者の腕時計の12の数字と4の数字を指して何か言っている。
“ヒルマさん”も心配そう。
(自分で乗りたいって言っていたくせに・・・・笑)
ここは自分の勘を頼るしかない。
「何だって?何時に出るって?」
「5時出発、5時20分ホテル到着です」
「そう言っているの?」
「わかりませんが・・・私の勘です!」(笑)

バスに乗って待つこと約10分で発車。
ほら・・・当たった!5時だ!
途中のバス停で見たことのある一団が・・・
あれ?
拙者の従兄達だ!
「乗って!乗って!」と声をかけ、2日ぶりの再会を果たす。

拙者の隣に座った若い女の子が何やら話しかけてきたのだが・・・
わからねぇって!中国語はわからねぇって!
そう日本語で言ってもひるむことなく中国語の攻撃!
「これ、隣の女の子たちに配ってあげて」と、今度拙者の母のお墓を作ってくれる石材店の“カミナガさん”から「のど飴」を渡される。
いや・・あのぉ・・この子達・・・知り合いじゃないんですけど・・・(笑)

飴をあげたもんだから更に会話はエスカレート。
中国語と日本語でかみ合うはずも無いのだが・・・何故か延々と「会話」が続く。
そうこうしているうちバスはホテル近くのバス停に・・・・
降りる時は「シャー!」と叫べば止まってくれるとガイドさんから聞いていたので叫んでみたのだが・・・止まってくれない!(笑)
ゲゲッ!
マズイ・・・・
バス停を通過して・・・何故かホテルの玄関前に・・・
乗る時は無愛想だった女性運転手がニコニコしながらホテルを指さしている。
あら?思ったより親切な人じゃない?
「そうそう!ここ、ここ、このホテル!」
「どうもねぇ~ありがとね~」
拙者は全て日本語である。(笑)
一緒に乗っていた女の子たちが中国語でキャーキャー言いながら笑顔で手を振ってくれる。
ん?
意外にも拙者はもてるのか?
あら・・・もしかして・・・拙者がタイプなのか?
愛してるってか?
何を言っているのか分からないというのは便利である。
どうとでも解釈できちゃうからねぇ~(笑)

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旅行 | 20:41:31 | Trackback(0) | Comments(0)
内モンゴルの旅(6)
DSC06642.jpg
(朝食)
真ん中の器に入っているのがミルクティー。
右の器に入っているのが粟(あわ)粥。
簡単な食事を終えて8時半ホテルをチェックアウトして出発!

DSC06641.jpg
(ホテル前の景色)
“包頭”は人口230万人だという。
そのうち市内の人口は140万人。
古い町並みから新しい町並みまで23キロもあるという大きな町。
この町は市内区4区、市外区5区の9区から成り立つ。
市内には『中国兵器』という戦車を作っている軍需工場がある。
話によると人口の半分がこの工場で働いているというのだが・・・
半分って・・・100万人?
100万人で戦車を作っているのか?
どうも話が大きすぎるんだよなぁ~
工場には学校も専用の火力発電所もあるというのだから、巨大な企業というのはわかるんだけど・・・
それにしても、話が大きすぎないかい?(笑)
そして残りの人口半分は西部にあるコンビナートで働いているという。
今は、ドンドン新しい洒落たデザインのアパートが建設中。
バブルだ!バブルだ!(笑)

今日の予定は・・・『召君墳』という場所にに行くらしい。
拙者はスケジュールを全く知らない。
全て“ヒルマさん”が一人で決めている。
拙者は、ただ付いて行くだけ~(笑)
というわけで、どこをどう走っているのか、どっちの方角に向かっているのかも分からない。
大体・・・地図も持っていないんだから・・・

DSC06644.jpg
(黄河の浮橋)
ホテルを出発して約1時間後、「黄河」に到着。
ここに浮橋がかかっている。
この橋を徒歩で渡ってみることにした。
この写真は橋を渡り終えて対岸を写したもの。
昔はこの橋はなく、小船で両岸を往復していたという。
そのため、1個分隊(7名)がこの岸に派遣され、小船でやってきた人の荷物の検査などをしていたという。
時は昭和18年頃ではないかと思う。
この頃には騎兵第14連隊は機動歩兵第3連隊に改編され、第3大隊の第9中隊がこのあたりに駐屯していたからである。
“ヒルマさん”に尋ねたが・・・・
「いつだったかなぁ~・・・とにかく1年間いたんだよねぇ~ここに」とのこと。
まぁ、87歳だから仕方が無いかぁ~(笑)

DSC06643.jpg
(黄河に映る自分の影を撮影)
黄河は確かに黄色い!
水の中で砂が渦巻いているのが見えるくらい多量の砂が混じっている。
一見、ドロドロの泥水のように見えるのだが、実は泥ではなく砂という感じ。
これをすくってしばらく置いておくと、砂が沈殿するので透明な上澄みを生活水として利用するのだという。

DSC06645.jpg
(召君墳)
浮き橋のところから車で10分も走ると、平原にヒョコンと小山が見えてくる。
これが『召君墳』
日本軍では当時は『召君墳』とも『召君噴』とも書き(ショウクンフン)と呼んでいたらしいが、もしかして現在、内モンゴル各地にあるという『昭君墓(しょうくんぼ=チャオチュンムー)』の一つではなかろうか?
『昭君墓』は紀元前33年に和親のために、対立する国の王に嫁いだ悲劇の美女、王昭君の墓だという。

DSC06648.jpg
(召君墳)
大平原にポツンとある小山のふもとに1個中隊が駐屯。
この山に兵隊1名が登って交代で黄河対岸の敵の動きを監視したという。
“ヒルマさん”もその一人だったという。
自分が監視のため上り下りした道が今も残っている。

DSC06646.jpg
(頂上から黄河対岸=北方を見る)
黄河の向こうの山のほう(写真では霞んでいて見えないが・・・)を監視したらしいのだが・・・
「ずいぶん遠いんですが・・・ここから見えるんですか?」
「あ~・・・トラックが1台でも走れば砂埃があがるのですぐに分かるんだよねぇ」
黄河の向こうの山の向こうはソ連。
冬には黄河が凍るのでソ連側からスパイが歩いて川を渡ってきて“包頭”まで潜入したという。

DSC06647.jpg
(頂上から西のほうの平原を見る)
見晴らしはいいが・・・寂しい場所だなぁ~
「こんなところに1個中隊の小部隊がいて何の役に立ったんですか?敵が来たらあっという間に全滅しそうな気がするんですが・・・」
「いや、ここに日本軍がいるっていうことが大事だったようだね。私は何も分からず、とにかく頂上に登って監視していただけ。何がなんだかわからないんだよね。当時は・・・」
「で・・・敵の動きが見えたら・・・どうするんですか?」
「そこだよなぁ~問題は・・・どうするんだったかなぁ?」
はぁ?
もう笑うしかない。
何とのんびりした話か・・・


旅行 | 18:56:43 | Trackback(0) | Comments(0)