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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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内モンゴルの旅(5)
DSC06636.jpg
(烏拉山脈)
“安北”を出発して「烏拉山脈」の裾野を回りこむように車で走ること約2時間。
“包頭”から44キロ地点の“中難(チュウナン)”という場所に着く。
ここに連隊から1個中隊が派遣されて駐屯していたというのだが・・・
面影は全くない。
DSC06637.jpg
(中難の町)

当時は城壁も無く、高さ30センチ程度の低い土盛りで囲まれた中に駐屯していたとか。
はぁ?そんな低い土盛りじゃ簡単に跨げちゃうじゃない?(笑)
今では道路沿いに建物が建っているが、当時は道路も無い。
平原に“道”らしき人が通った痕跡があるくらいの砂と土の大平原。
民家は泥で作った粗末な小屋がポツリポツリとあった程度だという。

時刻は5時。
さぁ・・・帰りますかぁ~
更に車を走らせる。
「途中に“沙埧子”という町があるはずなんですが・・・」と拙者。
「え?その町がどうしたの?」と“ヒルマさん”
“前口子”という町に駐屯していた友軍の蒙古軍が攻撃を受け、救援要請を受けた騎兵第14連隊が“安北”から駆けつける途中、その町で敵の攻撃を受けたのだ。
「へぇ~そんなことがあったのかい?」と87歳。
あれ?知らないの?(笑)

そういうわけで、“沙埧子”という町にも立ち寄りたいと拙者は思っていたのだが・・・
残念ながら現在ではその名の町は存在しないという。
町が消滅しているのか、名前が変わってしまったのか・・・・

仕方が無い。
そのまま“包頭”に向かって車を走らせる。
その途中、“包頭”まで、あと10キロ程度という場所に“前口子(チンコーズ)”という町がある。
「あのぉ~この町で小林連隊長が戦死されたんですよね?」と言ったところ、「話では聞いたことはあるが、行ったことはないんだよね。あんた、知ってるの?行ったことがあるの?ちょっと立ち寄ってみようかぁ~」と87歳。
あのぉ・・・拙者は連隊長が戦死した時にその場にいたわけじゃないですよ。(笑)
生まれて初めて来た場所だからよくは知らないけど・・・
話として知っているだけなんですが・・・
確かこのあたりで戦死したんだよなぁ~
“ヒルマさん”は、連隊長が戦死した時には、どこにいたんだろうか?(笑)

DSC06638.jpg
(前口子の町)
連隊は“沙埧子”で敵の攻撃を受けたため、山の中に入り迂回して、この“前口子”に辿り着いたが、前線で敵情視察中に敵弾3発を受けて小林連隊長が戦死した。
「確か・・・山のほうへ1キロほど入ったあたりのはずなんですが・・・」
「あんた、よく知ってるねぇ~」
こうなると、どっちが戦争体験者かわからない(笑)
地形から見て、敵情視察するとすれば、少々高い場所ということになる。
この平原で高いところで、しかも山の近くとなると・・・
ありゃ?高速道路が通っているあたりか?
あれれ・・・そういうことになっちゃうか?
結局、「戦死の地」はわからないまま、この町を去ることになってしまった。
う~ん、残念だぁ~
申し訳なし!連隊長殿!

それでも“ヒルマさん”は「連隊長が戦死した場所に来られて良かった」と喜んでくださったので・・・これでいいかなぁ~(笑)
「あのね・・・“前口子”の“前口”って、女性の“あそこ”を意味する言葉なんだよ~」と“ヒルマさん”
あのねぇ~どうしてそういうことは詳しいの?
87歳の割には若いんだよなぁ~(笑)
しかし、そういうことを聞いちゃうと・・・とんでもねぇ名前を町につけちゃったもんだ!
住んでる人は恥ずかしくて自分の住所を他人に言えないんじゃないか?(笑)

DSC06639.jpg
(前口子の町)
時刻は午後6時を過ぎた。
日も暮れ始めて暗くなりつつある。
さぁ~急いで“包頭”に帰ろう!
結局、今日は烏拉山脈をグルリと1周したことになる。
走行距離は約700キロ!(唖然・・・)

DSC06640.jpg
(しゃぶしゃぶ)
無事に“包頭”に到着。
ホテルにチェックインする前に市内のレストランで「しゃぶしゃぶ」の夕食!
午後8時、ホテルに到着。
う~ん、車に乗っているだけでも疲れたぞぉ~
チョロチョロとしか出ないぬるいシャワーを浴びて早々に寝る。

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旅行 | 21:30:03 | Trackback(0) | Comments(0)
内モンゴルの旅(4)
車で走ること約10分で目的地“安北(アンポク)”に到着。
この町は騎兵第14連隊が駐屯していた場所だが、“安北”は当時の呼称なので、今では誰も知らない。
現在は“大奈太(ターナータ)”と呼ばれている。
町の名前が変わってしまっているのである。
DSC06630.jpg
(旧:安北、現:大奈太の町)

“ヒルマさん”は10年ほど前にここに来たことがあるという。
その時に会った薬屋のおじいさんと一緒に写った写真を持参してきていた。
このおじいさんは、昔の“安北”のことを知っている唯一の証人とか。
しかし・・・今ではもうお亡くなりになっているのではないだろうか・・・
「じゃぁ、その薬屋さんを探してみましょう!」とガイドさん。
10年も経つと町並みも変わり、どこにそのお店があったのかもわからない。
通行人に写真を見せ尋ねたり、小学校・中学校へ行き先生などに尋ねまわって、やっと消息がわかった。
やっぱり、あのおじいさんは既に亡くなられていると言う。
その息子さんが病院の医師をしているというので会いに行く。
DSC06631.jpg
(息子さんとお会いする)
息子さんに写真をプレゼントし、10年前の思い出話。
「是非、家に来てくれ」と言われたが、我々はこれから廻らねばならぬところがあって、お宅を訪問する時間はない。
ここから100キロも先の“包頭”に戻らねばならぬのだ!
ご親切な申し出に感謝しつつお別れして、安北の城壁を探しに出かける。

DSC06632.jpg
(城壁跡)
地元の人の案内で城壁跡に辿り着く。
昔のままの泥で出来た城壁が今も一部が残っている。
厚みが1.5メートル以上もある分厚い城壁である。
この城壁内に連隊が駐屯していた。
門は4箇所。
各門に衛兵が立ち警備をしていたという。
DSC06635.jpg
(城壁跡)
今では町が形成されているが、駐屯していた当時は、周囲は砂漠。
砂漠の中に、この城壁で囲まれた砦がポツンとあったというのだから、まさしくアメリカの西部劇に出てくるような感じ。(笑)
「何もなかった場所なのに、変わっちゃったねぇ~」と87歳。
まぁ~70年近く前のことですからねぇ~
仕方ないなとは思うけど・・・
それにしても、よく、この城壁が残っていたもんだ。
これには驚く。

DSC06633.jpg
(安北山という名の山)
城壁のところから見た「安北山」
ここからあの山までどのくらいあるかわからないけど・・・
ず~っと平原!
この景色は当時のまま今も変わっていない。
あの向こうから敵の騎兵が一列になって砂埃を上げながら突進してきたんだろうなぁ~
想像しただけでも怖いぞ~
頼みの綱は・・・泥で作った城壁だけ。
“ヒルマさん”は何がなんだか分からないまま、ここに1年ぐらい駐屯していたと言う。
「へぇ?こんな辺鄙な場所に1年も?」
拙者は・・・命令されてもお断りしたいねぇ~(笑)

DSC06634.jpg
(オート三輪)
昔懐かしいオート三輪。
内モンゴルでは、この車がやたらと走っている。
どこへ行ってもオート三輪を見かける。
型も全て同じ。
色も全て青。
何故か緑とか黄色とか赤とかじゃなくて・・・青!
青しかない!(笑)
個性がないと言えば個性がない・・・・
それにしても・・・試しに運転してみたいなぁ~(笑)

ここから100キロほど離れている“包頭”へ戻る。

旅行 | 21:12:15 | Trackback(0) | Comments(0)
内モンゴルの旅(3)
さて、一路“安北”に向かうのだが・・・
“ヒルマさん”が希望するルートとは違う道を途中から走り出した。
あれ?
何で山の中に入るの?
「新しい道を走りましょう!」とガイドさん。
「それじゃわからなくなるんだけどなぁ~古い道を走ってもらわないと・・・」と“ヒルマさん”が言ったが無視!(笑)
「新しい道がいいですよ~早く着きますよ~」
そういう問題じゃないんだよねぇ~
思い出を辿る旅なんだからさぁ~
昔の道を走ってくれないと困るんだけどなぁ~
DSC06537.jpg
(烏拉山脈の中)
岩だらけの山道を走る。
この景色・・・それなりに素晴らしい!
しかし、これ・・・・どこかで見た景色だ。
今から15年前に祖父が亡くなった後、夢に出てきた景色そっくりなのだ!
これには驚いた。
体中が鳥肌!
夢の中の祖父は騎兵として馬に乗って、この山すその河川敷を進んで行く。
それを馬に乗った拙者が追いかけるのだが・・・・
何故か荷物満載のロバ2頭を連れていたので、ドンドン遅れる。
「おじいちゃ~ん!おじいちゃ~ん!」
いくら声をかけても祖父は振り返ってもくれず・・・・そして山の向こうに消えていった・・・
荒涼とした山の中に一人取り残されて寂しいやら寒いやら・・・
というところで目が覚めた!
そういう夢を見たのだが・・・その山が目の前にあるんだから驚いた!
あの夢で見た風景と全く同じなのである。
いったい・・・これは何だろうか?

約1時間半後、“明暗鎮”という集落に到着。
時刻は午後1時30分。
ここで少し遅いお昼を食べることにする。
DSC06542.jpg
(明暗鎮)

DSC06543.jpg
(明暗鎮の食堂)

“明暗鎮”は文化大革命以前は“明暗郷”と呼ばれていたという。
ここのお店に、さっき訪れた“竜泉寺”の“轉龍蔵”の水で作られたお酒があると言うので飲んでみることにした。
DSC06538.jpg
(轉龍液という名のお酒)
その名も『轉龍液』・・・・液とは・・・異様な名前だなぁ~(笑)
これが飲んでみるとかなり強いのである。
さすがに拙者は1杯でお断り。
87歳のおじいちゃんは平気で飲んでいる!(唖然・・・)
DSC06540.jpg
(昼食)
お昼はたっぷりと食べたいと“ヒルマさん”が言うので、豪華な昼食となりました。
最初はこんな店の食事って大丈夫かと思っていたのですが・・・
これが何と意外にもおいしかったのです。
この地方の家庭料理だとか・・・
ホテルのレストランの食事よりおいしい!
トマトもピーマンもジャガイモもしっかりとした本来の味がする!
懐かしい昔の味!
これには感激です。

ここで出会った“おじいさん”にうっかり“ヒルマさん”が元日本兵だと言う話をしたため、この人と戦時中の話で盛り上がってしまった!(笑)
他の客も興味津々で聞いている。
会話は全て同行したガイドさんに通訳してもらったのだが・・・
この“おじいさん”のお兄さんが、この周辺に駐屯していた日本兵に飴をもらったりして非常に可愛がってもらったと言う。
「日本兵は親切でいい人ばかりだった」と言う。
「もしかして、あの時に兄に飴をくれた日本兵はあんたじゃないか?」と言ってきたが、残念ながら“ヒルマさん”はこの地には駐屯していない。
でも・・・このおじいさんは、「絶対あんただよ!」と言って譲らない。(笑)
まぁ~いいかぁ~・・・そういうことにしちゃおうか~

店を出てから“ヒルマさん”曰く。
「あの時は生きた心地がしなかったよぉ~もし、日本兵にひどい目に合わされたなんて言われたらどうしようとハラハラしていたんだけど・・・いやぁ~よかったぁ~日本兵は親切だと言われて本当によかった~」と言う。
元日本兵の心の中には敗戦の傷跡は今も残っている。
何も悪いことをしていなくても後ろめたさを持たざるを得ないとは・・・

さて、移動する前にトイレに行こう!
「トイレはどこ?」
庭にあると言うので行ってみたが・・・・見当たらない!
厨房にいた中国人が指差したのはレンガで囲まれた一角。
ここがトイレか?
DSC06541.jpg
(トイレ)
レンガで囲まれただけで、ドアも何もない!
丸見えである。(笑)
しかも・・・穴の中にはこんもりと“あれ”が山になっている!
しかも、その臭いの凄いこと!(笑)
「オエェ~オエェ~」と否応なしに咽ながら用を足す。
こりゃ、キツイわぁ~
しかし、これが田舎の普通のトイレなのである。
危うく食べたものを吐きそうになりながら車に戻る。(笑)

旅行 | 20:35:08 | Trackback(0) | Comments(0)
内モンゴルの旅(2)
寝台車で揺られること約11時間。
午前7時、内蒙古自治区・呼和浩特(フフホト)に到着。
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(フフホト駅に到着)
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(フフホト駅ビル)
外に出て驚いた!
何だこの駅ビルは!
うちの町の駅よりでかいじゃないかぁ~(笑)

ここで、他の団員14名とはお別れして、騎兵第14連隊の“ヒルマさん”87歳のお供をして初日から別行動!
「あれ?何であんたらは別行動なんだい?」と事情を知らない人たちから言われたが・・・
「はっ!私は“ヒルマさん”の当番兵なもんですから・・・」と言ったが・・・この冗談は通じなかった。(笑)
皆さんは、ここからバスで市内観光、その後は夜に現地の自治政府の歓迎会に参加する。
我々2名は“ヒルマさん”が若かりし日本兵の頃、駐屯していた場所等の思い出の地を訪ねる旅に出る。
運転手付の車1台に乗りガイドを付けてもらい移動する。

まずは・・・・朝飯!
87歳のおじいちゃんが「粥が食べたい」と言うので、適当な食堂に入り朝食を摂る。
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(朝食)
左手前が粟(あわ)の粥。
その向こうの茶色いのが揚げパンです。

食後、車を飛ばして包頭(パオトウ)へ向かう。
約3時間後、包頭に到着。
これからどこへ行くのかは拙者は全く知らない。
全て“ヒルマさん”次第なのだが・・・
「あのぉ~竜泉寺っていう場所はどこなんでしょうね?」
「ん?あんた、行った事ないの?行ってみる?」
昭和14年、騎兵第14連隊は、この包頭に駐屯していたが、この包頭の西の城門を迂闊にも開けたところ中国軍に攻め込まれ大激戦となった場所。
この時に、城門内には一部の留守部隊と在留邦人が約1千名住んでいた。
この城を奪取するために、いち早く抑えたのが城門近くの竜泉寺と呼ばれた高地。
話としては知ってはいたが、見たことはない。
「是非お願いします!」ということで、竜泉寺の高地に向かうことになり、最初から予定外の行動となる。
「それにしても・・・よく竜泉寺なんか知ってるねぇ~」と驚かれる。
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(竜泉寺高地)
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(竜泉寺高地から見た包頭の古い町並み)
包頭には今も古い家屋の残る町並みが存在している。
戦前は泥で作られた家、戦後はレンガで作られた家。
それらが混在している。
そのすぐ脇は近代的なコンクリートのビルが建つ。
何とも不思議な光景である。
その昔は城壁で囲まれていたが、その城壁は今は無い。
そのうち、この古い町並みも消えてしまうのだろうなぁ~
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(竜泉寺高地から見た包頭城東門跡付近)
向こうに見える橋は、その昔はあんなに立派ではなかったという。
細い小さな粗末な橋だったと言う。
その橋を渡った所(写真の橋の右側)に東門があった。
包頭城には5つの城門があり、東門はそのひとつ。
今はその痕跡は何も無く、ビルが建ち近代都市として整備されている。

騎兵第14連隊の兵営は、城門の外、竜泉寺高地のふもとにあったらしいのだが・・・今ではそれがどのあたりなのか全くわからない。
戦史の勉強には、現地に立つのが一番大切だと思う。
当時の状況を思い出し、地形をこの目で確認して、自分の足で立ってみる。
そうすると・・・・「なるほどねぇ~」ということになる。
まぁ・・・マニアックな趣味だよな・・・これ・・・(笑)

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(轉龍蔵)
竜泉寺には、何やら地元では有名な水が出ている場所がある。
『轉龍蔵』と呼ばれる泉。
地元の人たちが水汲みに何人も来る。
この水を使ったお酒が有名なのだそうだが・・・
大丈夫かねぇ~・・・この水・・・・(笑)

さて、ここから“ヒルマさん”の予定していた“安北(アンポク)”という場所に向かって移動する。

旅行 | 13:43:04 | Trackback(0) | Comments(0)