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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
49歳
独身

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頭痛!
まさか午前4時まで起きていたせいではなかろうが・・・
今日は朝から頭痛がひどい。
とにかく目を開けていられないくらい頭痛がひどい。
こりゃ、脳みその血管がプチプチ切れているんじゃあるまいな?(笑)
旅行出発直前というのに・・・

今日は寝ておいたほうが良かろう。
というわけで、寝たり起きたりの1日。

ここ一番の「正露丸」も効き目が薄い。
ついでに風邪薬も飲んだら少し痛みが和らいだ。
ん?
また風邪を引いちまったのか?

夕方は夕食の買い物のため出かけねばならぬ。
頭痛だろうがなんだろうが・・・行かねばならぬ!
とにかく親父の夕食の買い物をして、拙者は「お粥」にする。

日記 | 20:58:28 | Trackback(0) | Comments(0)
旅行の計画!
来月早々、法人会青年部会の全国大会参加のため松山に行く。
内モンゴルから帰ってきてから計画を立てようなんて思っていたら・・・
もう30日!
マズイ!
何も計画をしていない!
毎度の事ながら準備が悪い。
そのうち・・・ボチボチと・・・なんて思っていたら、この有様。
参ったなぁ〜

深夜までかかって計画を練る。
全国大会は、ただ出席すればいいだけだから、どうでもいい!(笑)
それより・・・ついでに行う拙者の「ぶらり旅」のほうが重要だ。(笑)
生まれて初めての四国である。
う〜ん・・・行きたいところがたくさんある。
とにかく今回は愛媛県だけに限定するが・・・・
それでも行きたい所が山ほどだ。

11月5日から8日間で愛媛を廻ることに決定!(笑)
まるで海外旅行並みの長期国内旅行だぁ〜
この時期は日が沈むのが早いので、どれだけ見て廻れるか・・・
そこが心配だが・・・
とにかくネットでホテルを予約。
宇和島に2泊、大洲に1泊、松山に2泊、西条に1泊、川之江に1泊。
移動は全てJRを使う。
今回は飛行機は使わない。
なんとなく・・・落ちる気がする。(笑)
というよりも、拙者の場合はJRを使ったほうが安く旅が出来るのだ。

移動の計画はネットの路線検索で一発で計画が出来るのだが・・・
これが案外と曲者なのである。
岡山で新幹線から在来線の特急に乗り換えするのに7分間しかない!
慣れない拙者が7分で乗り換え出来るか?
新幹線が2分遅れたら乗り換えは5分しかない。
これではどう考えても不可能だ。
ネット検索はあくまでも参考程度。
昔ながらのやり方で時刻表をペラペラめくって計画を立てる。
何度も練り直して、やっと出来たのが午前4時!
ヒェ〜
もういい加減、寝なくては!

日記 | 23:57:32 | Trackback(0) | Comments(0)
遺品返還の相談
アメリカ在住の日本人の方からメールが届いた。
この方の知り合いの元米兵がフィリピンから持ち帰った日本軍の軍刀を遺族に返したいと言っているという。
そこで、返還先を調べて欲しいとの協力依頼のメール。

よぉ〜し!やるかぁ〜!
何故かこうなると元気が出てくるのである。
この軍刀の持ち主の部隊も名前も分かっているので、そんなには難しくないだろう。
まずは・・部隊関係者に連絡をしてみたが・・・
来月初旬までフィリピンに慰霊に行っていて不在とのこと。
オットット・・・出鼻をくじかれた〜(笑)

まぁ、落ち着いてボチボチやるかぁ〜

日記 | 22:39:36 | Trackback(0) | Comments(0)
愛馬負傷
DSC06698.jpg


我が愛馬・・・三菱ディアマンテの給油口の蓋が無くなっている!
以前から錆びてグラグラしていたのではあるが・・・・
まさか無くなるとは・・・
親父に尋ねたら、高速を走っていたら何かしら四角い板のようなものが飛んでいくのをバックミラーで見た・・・という。
ヒェェ〜
時速何キロで走っていたのか・・・

いやぁ〜悲惨な姿だぁ〜

以前から自動車整備工場の“トシちゃん”には頼んでいたんだけど・・・
モタモタしているうち、ついに蓋が飛んじまった!(笑)
「お前はやることが遅いんだよ!蓋が飛んじまったぞ!」と自分のことを棚にあげて“トシちゃん”をいじめる。(笑)
中古部品を探していたが、どれも肝心な部分が錆びているとか。
ということは、そもそも耐久性がないんだな・・・この蓋。
給油口の蓋が飛ぶなんて今までで初めての経験だぞ〜
仕方がないから新品の部品を取り寄せるように指示する。
部品が届くまでは、しばらくは哀れな姿で愛馬を走らせるしかない。
トホホ・・・

日記 | 20:36:17 | Trackback(0) | Comments(0)
支店長にお餞別
お世話になった銀行の支店長が急遽人事異動で別の支店に行くと言う。
他の支店に支店長として転任するが、いくつかの支店を管理する総括本部長のような立場になるという。
栄転である。
これは急いで「お餞別」を届けねば!

来月の旅費を口座からおろすついでに挨拶に行く。

出金を待っている間、読書。
拙者はいつも文庫本持参で銀行に行くのである。
間が持たないから読書をして待つのだが・・・
いつもはツンツンしていてニコリともせず事務的に処理する窓口の女の子が・・・・
「何の本を読んでいらっしゃるのですか?」と尋ねてきた。
「私・・・本を読む人って、尊敬しちゃうんですよね」
ヒェェ〜どうしちゃったの?
いきなりの私的な会話!
あのツンツンしていた人がニコニコして話しかけてくるんだから・・・
あまりの意外な出来事にこちらはドギマギ(笑)
どうしちゃったの?・・・・君・・・(笑)

そこに外から支店長が帰ってきた。
2日後には転任するので引継ぎ等でお忙しい中、「コーヒーでも飲んでって!」と声をかけていただき、しばし応接室で雑談。

「いやぁ〜参ったよ〜」
「どうしたんですか?」
「あっちの支店に挨拶と引継ぎに行ったんだけどね・・・」
「はぁ〜」
「ケーキ持参でね」
「はぁ〜」
「そのケーキ・・・行員達が食べるのはいいけど、俺の分は出してくれないんだよね。コーヒーを飲みますか?って言うからコーヒーを頼んだらさぁ〜インスタントコーヒーしか出てこないのよ!(笑)」
「ケーキ・・・無しですか?」
「そう、俺の目の前で行員達はケーキ食べてるんだけど・・・俺の分は無し。まぁ、みんなのために買ってきたんだからそれはそれでいいんだけどさ〜その次はね・・・取引先のへの引継ぎ挨拶を終えて帰ってきたら、お茶を飲みますか?って言うのよ」
「はい」
「行員達はお客さんからもらった煎餅を食べてお茶飲んでたので、煎餅も一緒に出てくるのかなぁ〜と思ったら・・・」
「はぁ?出てこなかったんですか!」
「そう、お煎餅・・・出てこない!お茶だけ・・・目の前でみんなは煎餅食べてるんだよなぁ〜俺、煎餅好きなのによぉ〜」
「嘘でしょ!」
「しかも・・・自分の湯飲みを用意してきてくださいね!って抜かしやがるんだぜ」
「へぇ〜」
「煎餅・・・食べたかったなぁ〜美味そうだったんだよなぁ〜(笑)それがいい香りがするのよ。パリッ、パリッっていい音出して行員らが食べてるのよ」
「食い物の恨みは大きいですよね?」
「俺・・・支店長なんだよ?普通は一緒に煎餅を出すだろうよ〜煎餅!ちくしょう!せんべ〜い!」
もう、笑うしかない!(笑)
とんでもねぇ支店に“ご栄転”である。
「俺、辞令を受け取るのを断ろうかな〜」
「え?辞令拒否の理由は・・・煎餅をくれなかったからって?(笑)」
「そう・・・煎餅!・・・そういうわけにはいかないかぁ〜」
ご愁傷様・・・である。

日記 | 19:38:43 | Trackback(0) | Comments(0)
昔の彼女から電話
突然、拙者の携帯に昔の彼女から電話。
もう10年以上も前に別れた彼女なのだが・・・・
今頃、どうして?

彼女は当時多額の借金を抱えていて、結局他の男に走って去っていったが、拙者の予想通りに半年後には離婚。
その後すぐに別の男と結婚したが、これも破綻。
彼女の頭には金の事しかないから、どうしてもトラブルを起こしてしまう。
拙者と付き合ったのも、拙者が会社を経営していて経済的に裕福とみたためだろう。

2年前が彼女からの最後の電話。
ちょうど彼女が3回目の離婚をした直後のことだった。
そして・・・・拙者が会社を廃業した直後のこと。
会社を廃業したんだと伝えたら・・・・
あっさりとしたもんだ。
その後ピタリと電話がかかってこなくなった。(笑)

その彼女が一体どうして今頃になって電話をしてきたのか?
どうやら経済的についに破綻しつつあるらしい。
アパートの家賃が2ヶ月も払えず追い出されそうだと言う。
ふ〜ん・・・
昔なら、こりゃ一大事というわけで何とか助けてやろうと思っただろうが・・・
拙者も成長したのだろうか?
自分でも不思議なくらいクール。

「お互いに同じ境遇になっちゃったね」と言われたが・・・
そんな馬鹿なぁ〜
拙者は違うだろ?
充分幸せに暮らしておるぞ!(笑)
「一度会いたいんだけど・・・」と言う。
何で?
「最後に頼れるのはあなただけ・・・」とでも言いたいのだろうか?

金を追いかけるから金に見放されるんだよなぁ〜
相変わらず・・・・である。
彼女の不幸は自分で招いた結果だということがわかっていない。
これじゃ、いつまでたっても這い上がれないだろう。
冷たいようだが・・・
彼女の声の感じから彼女の下心は見え見えだ。
いつまでこんなことを繰り返すのかねぇ〜
可哀想だが・・・君に関わっている暇は今の拙者には無い!
やりたいことがたくさんあるのだ!(笑)

日記 | 23:29:03 | Trackback(0) | Comments(0)
友人の父親の通夜に参列
夕方、青年会議所の元メンバーである友人の父親の通夜式に参列する。
今までは身内に不幸がなかったが、今回は母を失って初めての他人の葬儀への参列。
以前とは、どことなく葬儀への臨み方が違ったような気がする。
あ〜自分もこういう立場だったんだよなぁ〜
・・・と、母の葬儀の事を思い出す。

葬儀には他にも青年会議所のOBが来ていて何人もから声をかけられる。
みんな一様に拙者を見て驚いたような表情で「元気?!」
廃業してから初めて会う人もいるので、その後、拙者がどうしているのかと思っていたのか?
意外にも元気なのと、他人の葬儀に参列するという社会的行動をしていることに驚いているのだろうか?
別に倒産して夜逃げしたわけではないのだが・・・(笑)
はぁ?
拙者が人前に出るのがそんなに不思議かぁ?
まぁ拙者が元気なのを皆が喜んでくれていると解釈しよう!
その昔は「鬼の副理事長」と言われ怖がられた我輩は健在なり!

元女性会員の“アヤちゃん”が拙者を見て驚いて駆け寄ってきた。
彼女が手を差し伸べてきたので、つい拙者も無意識に手を出して握手をしてしまったのだが・・・
あれ?
葬儀で握手の挨拶って・・・なんかおかしいような・・・(笑)
何で女性と握手での挨拶になっちゃったんだろう?
男同士ならわかるんだけど・・・(笑)
彼女とは現役時代には、ほとんど口をきいたことがない。
(なにせ「鬼の副理事長」だったからねぇ〜)
青年会議所を辞めてから何故か彼女は、どこかで会うと駆け寄って挨拶をしてくれる。
普通なら縁遠くなるのが当然だと思うんだけどねぇ〜
不思議なんだよなぁ〜(笑)
「で・・・今でも、あそこに住んでるの?」と彼女。
だから・・・拙者は夜逃げしたわけじゃないって!(笑)
「元気?」
「元気だよ〜好きなことをして楽しんでるよ〜」
彼女は拙者と再会できて嬉しそうに見えるのだが・・・
何で?
拙者は間違っても皆から愛されるような男ではないはずなんだが・・・
なぜか皆はニコニコしながら声をかけてくれる。
ありがたいことはありがたいのだが・・・
何とも不思議な気分である。


日記 | 23:37:40 | Trackback(0) | Comments(0)
海岸で昼寝
朝、東京から妹と小学4年生の姪が遊びに来た。
昨晩来る予定だったが、台風のため今日の朝に延期。
日帰りという忙しい訪問だが、「おじいちゃん」の様子を見に来たと言う。

お昼・・・
「海に行きたい!」と姪が言うので、おにぎりを持って妹と3人で海岸へ行く。
空気の抜けたフニャフニャのサッカーボールも持参。(笑)
「これで遊ぼうよ!」と言うので、砂浜でドッジボールとサッカーをして遊ぶが・・・
さすがにクタクタ〜
すると・・・
「おじちゃんは少し運動不足だからちょうどいい運動だったでしょ?」と姪に言われる。
ヒェェ〜
拙者が遊んであげてやったつもりだったが、実は姪に遊んでもらっていたのかぁ!(笑)

妹と姪が釣りをしている人達を見に行ってくる・・・というので、拙者は砂浜で一人お昼寝。
台風一過の晴天!
ポカポカ陽気に心地よい風。
これに波の音が加わり・・・・
う〜ん・・・最高だぁ〜
いつの間にか爆睡!

日記 | 23:27:14 | Trackback(0) | Comments(0)
訃報
夜、歩兵第10連隊の佐野中隊長さんがお亡くなりになったというメールがお孫さんから届いた。
これには、ショック!

以前、NHK岡山放送局制作の『兵士の証言』に出演され、証言を行っていたが、この時の取材の様子をご家族から聞き、また、拙者に対して担当ディレクターから情報提供依頼のメールもいただいていて、この番組には多少なりとも首を突っ込んでいた。
取材後の佐野中隊長の衰弱ぶりをご家族から知らされ心配していたのだが・・・
ついに、お亡くなりになってしまったのか!
愕然・・・・

佐野さんには直接お会いしたことはないが、もう、ずいぶん前からご家族の方々とのメール交換のお付き合いだったのだが・・・
自分の祖父を失った時に匹敵するくらいのショック。
偶然にも昨晩、再放送された番組を録画しておいたものを見たばかり。
その後どうされているのかなぁ〜と思っていたのだが・・・
翌日にまさかの訃報。
このタイミングは一体なんだろう?
昨晩、番組の中で佐野さんのお姿を拝見したばかりなので、何とも信じられないが・・・・
心からご冥福をお祈りする。

日記 | 23:26:24 | Trackback(0) | Comments(0)
台風下でお買い物
昨晩、そろそろ内モンゴルで撮影した写真を印刷して参加者に送ってあげようと思い立った。
まずは、一番たくさん写真を撮った騎兵第14連隊の“ヒルマさん”に送ってあげよう!
作業を始めてまもなく・・・・写真用紙が足りない!
しかも・・・あと2枚!
あと2枚あれば、終わると言うのに・・・・
結局、昨晩の作業は中断。

今日は台風接近のため風雨が強いが・・・
買いに行かねばなるまい?
今日、やらねば・・・いつになるかわからん。
雨の中家電量販店に行き、写真用紙とプリンターインクを購入!
驚いたことに、この雨の中、かなりのお客さんが来ているのである。
台風だって言うのに・・・・
気が知れない・・・・(笑)

今日は、“ヒルマさん”始め従姉達等、写真に写っている人達全員のプリントを行う。
あっという間に100枚を使い切る。
いやぁ〜意外にもたくさん撮影したんだぁ〜
デジカメだと、ついつい撮っちゃうんだよねぇ〜

月曜日に、みんなに郵送しよう!

日記 | 22:34:47 | Trackback(0) | Comments(0)
ナチ・ハンターズ
ナチ・ハンターズ ナチ・ハンターズ
チャールズ アッシュマン、ロバート・J. ワグマン 他 (1992/01)
時事通信

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「ナチ・ハンターズ」とは、第二次世界大戦時に“ナチス”に賛同した戦争犯罪者をとことん追い詰め追及してその罪を償わそうとしている人達を指す。
“ナチス”のユダヤ人に対する残虐行為に加担した者を、大物であろうと小物であろうと戦後も延々と捜し求めているのである。

驚くべきことは・・・
元国連事務総長のワルトハイムも“ナチ”の一人であったという暴露。
ワルトハイムはオーストラリアの大統領にまでなった人物である。

更には・・・
多くの“ナチ”が戦後、アメリカやイギリスに移民して市民権を得ているという。
彼らの過去を暴いて市民権を剥奪し、裁判に引きずり出すという一連の活動が語られているのだが・・・・
さすがに、このしつこさには閉口する読者もいるかも。
もう、いい加減、いいんじゃないか・・・と思う読者も出かねないほどネチネチとした追及である。
ユダヤ人の性格なのかね?

1984年・・・・
拙者はアメリカにいたが・・・・
その時も元“ナチ”に対するアメリカの市民権剥奪の裁判などが行われていたのである。
これには驚いた。
拙者は何も知らず生活していたが・・・・
そういうことが現実に続いていたとは・・・・

戦後の混乱期に当局の過失により、多くの“ナチ”が米国内に潜入。
良心的な市民として市民権を得ている。
また逆に、故意に“ナチ”と知って技術者や人体実験に係わった医学者などを入国させて市民権も与えている。
これは戦後の東西冷戦とも関係があり、やむをえない処置だったかもしれないが・・・
これを探し出して弾劾するのである。
相手が老い先短い老人であろうとも、過去の罪を償わせるために・・・
う〜ん、ちょっと考えさせられるなぁ〜
過去に目をつぶる日本人とは、ちょっと思考回路が違うようだ。

南米には多くの“ナチ”が亡命し、その国の庇護の下に置かれ、ドイツ人社会を形成している。
ここにも弾劾の手は伸びる。
とにかく地の果てまでも追い続けるのである。

2007年の現在もこの活動は続いているのだろうか?
最後の一人まで“ナチ”が生きている限り追い続けるんだろうなぁ〜
ある意味では・・・狂気に近い。

日本ではいい加減な証拠と裁判でA級、B・C級の“戦争犯罪人”が処刑されたが・・・
本当の“戦争犯罪人”の多くは、その罪を責められることもなく戦後も生き続け、そして他界している。
もしこの日本で同様の追及がされていたらと思うと寒気がしてくる。
かなりの大問題、国自体が大きく揺らいだだろう。
勿論、天皇の地位もどうなっていたかわからない。

とことん追及すべきなのかどうか・・・・考えさせられる問題である。

読書 | 23:47:10 | Trackback(0) | Comments(0)
哀れな客
夜、パブのフィリピン人の女の子から「久しぶりに来ないか?」との誘いの電話。
半年に1回ぐらいしか行かないお店・・・
まぁ〜ちょっと“ご無沙汰”しているから行くかぁ〜(笑)

彼女はミンダナオ島から“出稼ぎ”に来ている。
昔はマニラから来る女の子が多かったが、何故か最近はミンダナオ島から来る女の子が多い。
拙者はミンダナオ島には行ったことがないが、いつかは行かねばならんと思っているので、彼女を通じて情報収集。
なにせゲリラが“お元気”な島だからねぇ〜(笑)
ある程度の情報は入れておかないと・・・・

店で彼女と久しぶりにおしゃべりをしていたら・・・・
花束とプレゼントを持参してきた客が入ってきた。
拙者に電話してきたのは“マヤちゃん”という年配の“女の子?”
この客のお目当ては若くて、そこそこの美人でスタイルのいい新人の女の子らしい。
へぇ〜花束とプレゼント持参とはねぇ〜
どうも話によると、今日はその子の誕生日なんだとか・・・
へぇ〜拙者は、そんなことをしたことは一度もないけど・・・
いるんだねぇ〜世の中には・・・・

「アリガトネ!」とプレゼントを受け取った女の子・・・・
そのまま、他のテーブルへ行き、他の客とキャーキャー騒いでいる。
はぁ?
何それ?
折角プレゼントを持ってきてくれた客は“放置”かい?

この客・・・拙者より少し年上に見えるから、いい歳した“オヤジ”である。
お目当てじゃない別の子が横に座り・・・話も盛り上がらず・・・・
ただただジッと耐えている。
哀れだよなぁ〜(笑)
どこから見ても間抜けだよなぁ〜(笑)
ついつい、その客が気になってしょうがない。(笑)
2時間ほど経ったであろうか・・・
「もう、帰る!」と客が言い出した。
そうだろう、そうだよねぇ〜当然だよ・・・
すると・・・例の彼女がやって来て・・・
シャンパンか何かをおねだりして・・・・乾杯!
ちょっと客のご機嫌を取ったら、さっさと別の客のところへ行ってしまった!

やられてるねぇ〜(笑)
完璧になめられてるねぇ〜(笑)
それでも、その客は耐えている。(唖然・・・)
拙者がついついそっちを気にしているので・・・・
「あの子が好みなの?」と尋ねられてしまった。
「いや、ああいう風に客の気持ちを大切にしないような奴は、若くても美人でも俺は嫌いだな!」
そう言った途端・・・・“マヤちゃん”がニコリと笑って擦り寄ってきた!
へぇ?
何か勘違いしていないか?
ん?
そういう意味じゃないぞ!

「若くて美人でも嫌いだ!」とは言ったけど「若くて美人な人は嫌いだ」とは言ってないぞ。
だから年配のあなたが好きだという意味じゃないんだけど・・・・(笑)
あれ?
日本語通じないのかな?
参ったなぁ〜・・・・これ・・・・(笑)

日記 | 23:33:11 | Trackback(0) | Comments(0)
知将 秋山真之
知将 秋山真之 知将 秋山真之
生出 寿 (1992/04)
徳間書店

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来月は松山に行く。
秋山真之(あきやま・さねゆき)は松山出身の海軍軍人。
というわけで・・・この本を読むことにした。

秋山は日本海海戦の時の連合艦隊参謀。
東郷平八郎司令長官を補佐してロシア艦隊を壊滅させた戦術家である。
この時、秋山は36歳か37歳。
拙者よりも10歳も若い時に国家の命運を決める作戦を立てるんだから・・・・
へぇ〜昔の人には偉い人がいたもんだ・・・と思う。
現在の36歳には・・・さて、ここまでの人はいるだろうか?

その戦術は、日本古来の瀬戸内海賊の兵法からヒントを得たもの。
勉強家である。

秋山真之は陸軍の「日本騎兵の父」と言われた秋山好古(あきやま・よしふる)の弟。
真之は兄より先にこの世を去っている。
大正7年、47歳。
天才というものは扱いが難しいが、その天才をうまく育て、その能力を引き出したのが東郷平八郎だと思う。
上司が無能ではいかに天才が作戦を立てても成功しまい。
その東郷が昭和6年、13回忌の時に建てられた真之の銅像に揮毫している。
『智謀如湧(ちぼうわくがごとし)』
この4文字で真之の全てを語っていると言っていいのではないか?

是非、松山に行ったら、この銅像を見てこよう!
秋山兄弟の生家跡にも行ってみよう!

追悼式の席上で、兄の好古は「ただ真之が終始一貫お国を中心に考えていたことだけは確かであります」と述べたと言う。
今・・・こういう人物が官僚の中にいるかね?
「終始、国の事を考えている」という官僚・・・・
優秀なだけでは駄目なんだよねぇ〜
死んだ時に、こう言ってもらえるような生き方をしないと・・・

読書 | 23:45:54 | Trackback(0) | Comments(0)
お墓に帰国の報告
午後、お墓参りに行くことにする。
今日は母の命日・・・・なのだが・・・
実は、昨晩の従姉からの電話があるまで、すっかり忘れていたのだ!(笑)
相変わらずの“親不孝者”である。

住職が不在のため、勝手に位牌堂に入り込み・・・・(笑)
母の遺骨にお線香をあげて帰国のご報告をする。
以前に不在の時には勝手に位牌堂に入る許可をもらっているからいいかぁ〜
お花はお寺さんが供えてくれているので、母の分は持参してこなかったが・・・
やっぱり1輪ぐらいは持って来るべきだったかな?(笑)
花が好きな母だったからなぁ〜
今度、お墓が出来上がったら、いやと言うほど花を供えることにして勘弁してもらおう。
母の遺骨にお線香だけをあげて、帰国の報告をする。

続いて墓所に行き、祖父・祖母・伯父・伯母・・・それと祖父が生前建てたフィリピンのサラクサク峠での戦没者の観音様にそれぞれ花を供える。
この観音様の下には、生前祖父が遺骨収集で持ち帰った戦没者の遺品が埋められている。
従姉からの電話の通り、内モンゴルの旅に行く前に供えた花が元気良く咲いていた。
あれぇ〜?
そんなに長持ちするのか?
でも間違いなく拙者が供えた花なんだよなぁ〜
不思議だ・・・
何で、こんなに長持ちしてるんだろう?

出発前にそれぞれ1束づつ花を供えて、帰国後また1束づつ花を供える。
これでお墓には2つづつ揃って・・・・完璧!(笑)
これがいつもの拙者の“作法”である。
これをやらないと、どうしても気分が悪い。

拙者はお盆やお彼岸より、何かあったらお墓参りに行くという方を大事にしている。
だから、戦友会の会合や、海外へ慰霊に行くときなんかには報告のお墓参りをすることにしている。
年に1,2回のお墓参りじゃ皆さん寂しかろう?
何か理由をつけてちょくちょく会いに来れば喜ぶんじゃないか?

自分も死んだらそうしてもらいたいから、そうしているのだが・・・
ん?
まてよ・・・
拙者には子供がおらんぞ!
拙者が死んだら・・・・誰が墓参りに来てくれるんだ?(笑)
しまった!
うっかりしておった!
結婚して子供を作るのを忘れてた!(笑)

しかし・・・ものは考えようである。
子供がいても、墓参りに来てくれない子供なら・・・
いないほうがいいな。
そう思って諦めるか〜(笑)

帰国の報告を終え、気分爽快で帰宅する。

日記 | 20:46:33 | Trackback(0) | Comments(0)
データが消えた!
さて、旅行から帰ってきて一息ついたので、そろそろホームページの更新作業をやろうかな・・・
ところが・・・何かおかしい!
ん?
データの一部が欠損しているではないか!
旅行前に新しいハードディスクに移動したはずなんだが・・・
ありゃりゃ〜
こりゃ大変なことになっちまったぞ!

そこで“フクちゃん”に助けを求めて家に来てもらったのだが・・・
事情と内容を説明中・・・・
「うるさいから、黙ってろよ!」と一喝され・・・
チョチョチョ〜と何やら操作して・・・
「これをやれば復旧するから、同じように他のものもやって!じゃぁ・・・」と言って帰っていった。
はぁ?
何をどう・・・いじったのかな?
参ったなぁ〜
何がなんだかわからねぇぞ〜(笑)

う〜ん、サーバーから拙者のパソコンにデータを転送して、新たなファイルを作って、その中に入れればいいのかな?
理屈は想像つくのだが・・・
実際には、どこをクリックすりゃいいのか・・・・(笑)
確か・・・このあたりをチョチョッといじっていたような・・・
思い出しながら、やるしかない。

拙者のホームページは内容が濃いせいか、ファイルが5000にも及ぶ。
このホームページが3つ。
つまり・・・1万5千ものファイルがあるのである!
こいつを転送するだけで・・・・何時間かかるやら・・・・
ウェ〜ン・・・毎日ボチボチやるしかないかぁ〜

それにしても社会保険庁の不明データが5000万件というのから比べれば、拙者の欠損したファイル数や再転送するファイル数など大したことはないのだが・・・
でも、これ・・・大仕事だぞ〜(笑)

日記 | 18:56:18 | Trackback(0) | Comments(0)
犯人は誰だ?
従姉から電話・・・
先日の内モンゴルの旅のお礼の挨拶に続いて意外な話が・・・
昨日は伯母(従姉の母親)の命日。
そこで、お墓参りにいったら、既にお花が供えてあったと言う。
まるで、さっき来たばかりのような花だったと言う。
誰だろう?
ということで、お寺さんに訪ねたり、いろいろな人に尋ねたがわからない・・・・
もしや・・・と思い電話をしてきたと言う。

そうです!
犯人は拙者です!(笑)

中国へ行く前にね。
祖父母と伯父伯母の墓参りと我が母の遺骨に出発の挨拶に行ったんだけどね。
その時にお線香とお花をあげてきたんだけど・・・
まさか1週間も前に供えた花が元気良く咲いていたとはねぇ〜
へぇ〜山の中は涼しいのかな?
結構長持ちしたんだぁ〜(笑)

それにしても、あっちこっちに聞きまわったというのだから、大げさな話になっちまったなぁ〜(笑)
すごく迷惑をかけちゃったようで申し訳なし。

日記 | 00:46:00 | Trackback(0) | Comments(0)
黒羽城
DSC06695.jpg


黒羽城の由来

黒羽城は天正4年 大関高増 新に築いて余瀬の白旗城より移った
北(玄武)に高山の丘陵連り東(青竜)(せいりょう)に流水の前田川走り南(朱雀)に汙地(くぼち)の阿久津村あり(田町と称す)
西(白虎)に那珂川を隔てて大道の石井沢村通じて(向町と称す)四神相応の地相を占めた城造りで本高1万8千石であった
其の後慶長5年 嗣子資増の代 會津の上杉景勝が徳川家康に叛いたので 家康はそれに備える為臣下を黒羽城に遣し資増に命じて更に修築させ且つ鉄砲を給与した
築城と共に余瀬から寺院大雄寺 帰一寺 新善光寺が移転した
明治4年 廃藩置県となるまで295年間大関氏累代の居城であった
幕末に当り肥後守増裕は出仕して陸海軍奉行の重職を奉じ勝海舟と並びて偉名を天下にとどろかせた
且つ ひそかに開国勤皇の志を抱いて深く謀る所があったが不幸慶応3年卆去した
行年31
大正7年 朝廷 増裕生前の功を賞して正四位を贈られた

昭和40年10月
黒羽町観光協会

(説明板より)

黒羽城

史跡 | 17:58:27 | Trackback(0) | Comments(0)
那須神社・金丸塚
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金丸塚

人皇第16代仁徳天皇の御宇下野国造奈良別命国家鎮護の為め金瓊(けい)(黄金の玉)を埋め塚を築き祠を建て天照皇大神、日本武尊、春日大神を祀ったと伝えられている
又、金丸という地名もここから出たといわれています

那須神社保存会

(説明板より)

史跡 | 16:45:56 | Trackback(0) | Comments(0)
那須神社手水舟
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手水舟 1基
有形文化財(建造物)
昭和48年12月18日 指定

那須神社会館前の水屋の手水舟は、野石を加工したものと思われ、横157センチメートル、縦90センチメートル、高さ77センチメートルの大きさで、寛永19年(1642)黒羽城主大関土佐守高増が、氏神である那須神社に祈願成就処として奉納したもので、前面に次のような銘文が刻されている。

奉造立 手水舟一所願成就処
千時寛永十九年壬午五月吉祥辰日欽日
施主 大関土佐守高増

(説明板より)

史跡 | 16:21:36 | Trackback(0) | Comments(0)
那須神社本殿と石灯籠
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栃木県指定有形文化財(建造物)
那須神社本殿
附 寛永大修理銘銅板1棟・1枚
三間社流造 銅板瓦葺

現在の社殿は天正5年(1577)の建造と称され、その後寛永18年(1641)に大修繕が行われた。
本殿の基壇は土台の下に縁下布石を廻らし、向拝には浜縁をつけている。
向柱は和様の三斗組で丸桁をうけ、身舎正面は三間共幣軸立ての板唐戸である。
内部は内、外陣に分かれ間仕切は板唐戸である。
屋根は元茅葺か杮葺であったが現在は銅板瓦棒葺である。
本殿は総体に彩色が施され、向拝柱には金襴巻の跡が残っており、長押、頭貫、斗郷栱、身舎丸柱に至るまで各種の彩色が施され、特に、丸柱には牡丹唐草で彩色し、幣軸に金箔押し、鴨居、方立、下長押しは黒漆塗、板唐戸は春慶塗の上に彩色が施されている。
寛永大修理銘銅板には、施主、大関土佐守丹氏高増 千時寛永18年辛巳 孟夏吉祥辰日欽日 奉行、大沼助左右門貞清 小滝喜右衛門 真坂与五右衛 大工、高宮次右衛門 同市兵衛 鍛冶、且右衛門包秀と記されている。
(昭和32年8月30日 指定)

(説明板より)



石燈籠 一対
有形文化財(建造物)
昭和48年12月18日 指定

那須神社拝殿前に配置されている石燈籠は、寛永19年(1642)3月、黒羽城主大関土佐守高増が祈願成就処として奉納したmおのである。
石質は芦野石と思われ、基礎から宝珠までの全高は約2.9メートル。
基礎・中台・火袋・笠・請花は共に六角形で、笠の蕨手は大きく渦巻き模様であり、竿は円筒形で直径約45センチメートル、中間に節がある。
この部分に大関土佐守高増奉納の銘文が刻されている。

(説明板より)

史跡 | 15:09:06 | Trackback(0) | Comments(0)
那須神社楼門
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栃木県指定文化財(建造物)
那須神社楼門 1棟
三間一戸入母屋造 重層銅本瓦葺

本殿の和洋に対して、楼門は唐様の建築である。
下層は三間二面で、中央間通路は四半石敷としている。
丸柱下には礎盤を据え腰貫を通して金剛柵をたて、正面左右に随神を床上に安置しているが、創建時は仁王像があり、随神は背面に置かれていたもので、現在は背面には飾りはない。
上層は三間二面で、正面のみは本殿の正面と同様縁板より一段高く長押をつけ、中央に幣軸建ての板唐戸を建てている。
この上層の軸部全面に黒竜と波や雲が描かれ、正面及び背面の三間を通して竜の図で装飾されている。
屋根はもと茅葺か杮葺であったが、現在では銅板葺である。
楼門の左右に袖塀が二間宛菱格子を嵌めて作られており、それに接続して長床二棟左右に建っている。
この長床は、城主・貴賓の参拝の折の供待ちの建物で県内ではここのみである。
(昭和32年8月30日 指定)

(説明版より)

那須神社楼門

史跡 | 14:45:41 | Trackback(0) | Comments(0)
那須国造碑
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(笠石神社)

那須国造碑
(なすのくにのみやつこのひ)

国宝 昭和27年11月22日
総高 148センチメートル
石材 花崗岩

この碑は、今から1300年前(西暦700年)、那須国造(なすのくにのみやつこ)であった那須直移韋堤(なすのあたいいで)の遺徳をたたえるため、その息子意斯麻呂(おしまろ)らによって建立された碑です。
文字の刻まれた碑の上に笠状の石を載せた特異な形をしていることから、この地域では「笠石(かさいし)さま」とも呼ばれています。
碑には、8行に各19字ずつの計152字が刻まれており、その書体には中国の六朝(りくちょう)時代の書風が感じられます。
また、碑文冒頭には「永昌(えいしょう)」という唐(とう)の則天武后(そくてんぶこう)の時代に使用された年号が用いられているなど、その当時に朝鮮半島の新羅(しらぎ)から渡来してきた人々の影響が色濃く残されています。
この碑の保存には、江戸時代の水戸藩主、徳川光圀も関わっています。
長い間倒れ埋もれていたこの碑を、旅の僧が発見し、馬頭(ばとう)村小口(こぐち)郷(現馬頭町)の里正(さとまさ)、大金重貞(おおがねしげさだ)に話したところ、やがてその地域を領地としていた徳川光圀のもとへこの碑の話が伝えられました。
そして、この碑が貴重なものであることがわかったことから、元禄(げんろく)4年(1691)碑堂を建立して、碑を安置しました。
これが、現在の笠石神社となっています。
なお、多賀城碑(宮城県)・多胡碑(たこひ)(群馬県)とともに日本三古碑として知られています。

(説明版より)

那須国造碑

史跡 | 13:50:07 | Trackback(0) | Comments(0)
武茂氏墓碑
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馬頭町指定文化財(昭和43年3月13日指定)
武茂(むも)氏墓碑

武茂氏は、下野国中央部に勢力を誇った宇都宮氏の支族で、鎌倉幕府高位官僚の評定衆として、執権の補佐にあたった宇都宮7代城主景綱の三男、泰宗を始祖とする一族です。
泰宗が武茂氏を起こしたのは鎌倉時代末期の正応・永仁年間(1288〜98)の頃とされ、15世紀中頃から16世紀初頭にかけて一時断絶期間がありますが、戦国時代末期の文禄4年(1595)までの約300年間、馬頭町域一帯を支配しました。
乾徳寺は武茂一族の菩提寺で、この石塔類は一族に関係するものと考えられ、古文書により、江戸時代の享保16年(1731)に散逸していたものをここに整理したことが知られています。
現在10基ほどの宝篋印塔(ほうきょういんとう)・五輪塔がありますが、完全なものは3基で、他は石組みが乱れています。
一部鎌倉時代から南北朝時代にかけて造られたものもみられますが、宝篋印塔の相輪部・笠の突起部・基壇の簡略な石刻みの手法からみて、戦国時代末期のものが大半を占めています。
このほか境内には、完全な形ではありませんが、40基近い宝篋印塔・五輪塔が散在しており、これらも武茂一族に係わるものと推定されます。

那珂川町教育委員会

(説明版より)

武茂氏墓碑



史跡 | 13:23:33 | Trackback(0) | Comments(0)
静神社と武茂城跡
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(静神社)

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(武茂城跡)

静神社と武茂城跡のご案内
静神社は、大同年間(806〜809)誉田別命を祭神として、字若宮に祀られていました。
元禄年中(1688〜1703)に徳川光圀公の命によって、上郷地の山腹に遷座、手力男命を併祀して静神社と称しました。
明治6年に村社となり、同33年に武茂城跡のこの地に奉遷されました。
本殿は、間口1間(1.8M)奥行1.5間(2.7M)周囲に玉垣をめぐらしてあります。
境内からは、市街地が一望でき憩いの場となっております。

武茂城跡は、宇都宮城主景綱の三男泰宗が正応永仁(1288〜293)の頃、武茂庄十余郷の領主となって武茂氏を名乗り子孫に伝いましたが、応永14年(1407)宇都宮に世子がなかったので、持綱(6代)本宗を綱ぎ武茂氏は一時途絶えました。
その後持綱の曽孫正綱が武茂氏を再興しましたが、正綱も本宗が継ぐことになり三男兼綱が相続して一万石の領主となりました。
戦国抗争の世に入って、武茂氏は佐竹、那須両氏の抗争に係わり豊綱の代慶長4年(1599)遂には佐竹に降り常陸大賀村に移され、武茂城は佐竹の臣太田五郎左衛門の居城となりました。
慶長7年(1602)佐竹氏も秋田に移封され廃城となりました。
武茂城、天剣を利用した鎌倉時代中期の築城によるもので、山城初期の城郭の様子が良く保存されており、馬頭町指定文化財となっております。

(説明版より)

静神社と武茂城跡

史跡 | 12:46:28 | Trackback(0) | Comments(0)
栃木にドライブ!
水戸藩士の“シミズくん”からドライブのお誘い。
「馬頭の郷土博物館へ行きませんか?」
ここで、現在『郷土の天狗党・諸生派の事蹟』という企画展が開催されているという。
行かねばなるまい!(笑)

こうなると不思議なもので、今までの胃の痛みが消えている。
「病は気から」とは言うが・・・・
好きなことになると痛みを忘れてしまうというのだから、まぁ、今回の胃痛なんて大したものではあるまい。

午前9時、拙者の「愛馬」・・・三菱ディアマンテで馬頭町に向かう。
我が「愛馬」にはカーナビが付いておるのだが・・・
純正のカーナビというのは駄目だねぇ〜
地図が更新されないから新しい道路の表示がないのである!
ナビの指示通りなどでは、旧道ばかりを走ることになるので、ナビを無視して走る。

市町村合併も良し悪し。
昔は栃木県那須郡馬頭町と言っていたが、今は、栃木県那須郡那珂川町馬頭となっている。
馬頭町が那珂川町になっているから、わけがわからん。

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(那珂川町馬頭郷土資料館)

展示は主にパネル展示が多いが、それでも勉強にはなった。
「天狗党」については漠然としか知らないが、「諸生党」の動きについては全く知らない。

天狗党と諸生党の争いは、いわば我が水戸藩の政争である。
馬頭町史によれば・・・・
天狗の名は、斉昭の天保の改革の際に登用された藤田東湖・会沢正志斎らの学者で、軽格武士の改革派に対して、保守門閥派が学問を鼻にかける成り上がり者として軽蔑して『天狗』と呼んだことに始まる。
他方、斉昭は『天狗』とは義勇の変え名で、『天狗』こそ正義を意味するものと自認し、改革に反対する保守門閥派を『姦物』『俗論派』などと非難した。
『諸生』とは、弘道館の学生=書生(諸生)の意で、一般に反天狗派を指す。
その構成は複雑で、藩内で門閥派ではないが天狗党に属さない者、尊攘派ながら激派に対立した鎮派(柳派)の者が、保守派と同調して『反天狗派』となったのである。
これらを『諸生党』と呼ぶのは天狗党討伐には弘道館の諸生が中心勢力となったからである。
それがのちになって、保守門閥派の別名になったり、反天狗派の総称に用いられるようになった。
・・・と書かれている。

まぁ〜水戸藩は、このように内部で殺し合いをしちゃったから、優秀な人材を失っちゃったんだよねぇ〜
県民性といえば県民性かな?
水戸藩の人間で活躍したのは脱藩した浪士!(笑)
やはり「浪士」でなければ・・・ねぇ〜

資料館の裏山・・・武茂城跡に行く。
長く急な石段をゼーゼー言いながら登り山の中へ・・・
運動不足を痛感する。
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(武茂城本丸跡)

直ぐ近くの乾徳寺の前で、武茂泰宗の銅像を発見!
よし!ホームページのネタをゲットしたぞ!(笑)
乾徳寺は武茂氏の菩提寺。
境内を散策。

昼食は郷土資料館脇にある馬頭広重美術館に併設されている喫茶で食べる。
歌川広重には興味がないので、ここは見学せず大田原市方面へ向かう。

途中、車中で“シミズくん”が笠石神社の『那須国造碑』について話をしてくれていたとき・・・
あれ?笠石神社の案内板が・・・目に入った。
何たる偶然・・・寄ってみよう!
神社で神主さんから説明を頂き、国宝の『那須国造碑』を見せてもらう。
『那須国造碑』は日本三古碑の一つだという。
群馬県の『多胡郡碑』、宮城県の『多賀城碑』と、ここの『那須国造碑』が日本三古碑。
拙者は『多賀城碑』を見たことががるので、三古碑のうちの2つの碑を見たことになる。
こんな目立たぬ田舎の小さな神社に国宝の古碑があるとは驚いた。
“シミズくん”は神主さんの許可を得てこの古碑を撫でている。
ゲゲッ!国宝だぞ!
恐るべし水戸藩士・・・素手で国宝を撫でている〜(唖然・・・)

次に向かったのは、車で15分ほど離れたところにある那須神社。
ここの楼門が素晴らしいと水戸藩士が言うので行ってみたが・・・
確かに楼門は素晴らしい。
しかし・・・神社自体は何とも哀れな感じがするほど寂れている。
栃木県文化財に指定されているほどの由緒ある神社なのに・・・
十分に観光資源となるだろうに・・・管理不十分!(笑)

隣の『道の駅・那須与一の郷』で那須与一の銅像を発見!
ニヤリ・・・・(笑)
この敷地内に「大田原市那須与一伝承館」が今月開館したと笠石神社の神主さんから聞いていたので、早速見学する。
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(那須与一伝承館)
展示室を見学し、ついでに、からくり人形風ロボットが演じる「平家物語」の「扇の的」の物語の劇を見学。
まぁまぁの出来かな?(笑)
那須与一・・・・名前は知っているけど、どういう人だっけ?
残念ながら那須与一に関する書籍の販売はなかった。
なんとも残念だ〜
そんなことやらを係りの小母さんとしばし雑談して、今度は黒羽城へ向かう。

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(黒羽城跡)
想像以上に大きな城跡。
堀などがしっかりと残っている。
この城跡内に『黒羽芭蕉の館』という資料館がある。
ここで松尾芭蕉と曽良の銅像を発見!
またまた・・・ニヤリ・・・(笑)

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(黒羽芭蕉の館)
主として黒羽に来た時の松尾芭蕉に関する展示と黒羽城主・大関氏に関する資料展示、甲冑・刀剣の展示だが・・・・
まぁ・・・予想通り内容はお粗末。
お金をかけて作ったのだろうが・・・・内容は薄い。(笑)
過去に松尾芭蕉に関するいくつもの資料館に訪れたが、どこも似たり寄ったり・・・・
芭蕉の詠んだ句の展示と足跡を現す地図や年表のパネル展示。
面白くも何ともないので、あっという間に見学終了!(笑)

日も暮れてきたので、ここで史跡巡りの旅を終了し家路につく。
途中で鮎の塩焼きを購入。
今晩のおかずにしようと思ったのだが・・・
帰宅が遅くなり、親父は既に夕食を食べ終わっていた!(残念!)
親父の分を冷蔵庫に入れて、拙者のみ鮎の塩焼きで夕食を食べる。
腹は卵で一杯!
まるで子持ちシシャモを巨大にした感じ。
卵以外は食べるところがないくらい。
これで500円・・・・安かったかな?(笑)
とりあえず、いつもとは違うおかずだから・・・満足、満足。

今日は期せずして有意義なドライブが出来た。
水戸藩士殿に感謝!感謝!

日記 | 09:19:03 | Trackback(0) | Comments(0)
体調最悪!
夜中・・・急に気分が悪くなった。
あれ?
何か食べ物にでも当たったのかな?
吐きたくても吐けないという気分の悪さ・・・
食中毒か?風邪のせいか?それとも・・・気の緩みか?
いずれにせよ旅先で起こらなくて良かった。
帰国しちゃえば、あとはどうなろうと構わんからねぇ〜(笑)
とにかく『正露丸』を飲んで寝る。
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『正露丸』は拙者が幼少の頃からの愛用薬。
車酔いだろうが頭痛だろうが、これを飲めば直ぐに治った。
まぁ、こうなると精神的なものであろう。

しかし・・・今回はなかなか利かない。
朝になっても気分が悪い。
旅の疲れかぁ?
そんな馬鹿な・・・・
出発前は風邪のため体調不良だったが、現地に着いたら調子が戻っていたというのに・・・
何で帰国したらまた体調不良になるんだ?

胃がやられているのかも知れない・・・・
というわけで、滅多に飲まない胃薬を飲み、どこにも行かずゴロゴロする。

日記 | 20:42:28 | Trackback(0) | Comments(0)
内モンゴルの旅(13)
午前5時半モーニングコール。
6時15分にチェックアウトしてから朝食を摂り出発!
真っ直ぐ空港へ行き、9時40分発の飛行機に乗るが・・・
1時間以上も離陸が遅れる。
拙者は機内で居眠りをしていて気がついたらいつの間にか空を飛んでいた。(笑)

成田到着、午後1時55分のはずが、午後3時20分!
「中国国際航空」め・・・とんでもねぇ飛行機だ。
空港で解団式を行い各自帰途に着く。
1時間以上も到着が遅れた人たちは可哀想である。
我々は貸し切りバスが来ているので安心だが・・・

さぁ〜バスに行きますか!
すると・・・
石材店の“カミナガさん”が・・・
「あっ!忘れた!」と突然叫んだ。
ん?どうしたんですか?
「ターンテーブルのある荷物を受け取るとこに荷物を一つ置いたまま出て来ちゃった!」
はぁ?(笑)
「直ぐに戻ってもらい係員に言って荷物をもらってきてください!」

旅行中、団員の皆さんからは87歳の“おじいさん”の面倒を見て大変だったでしょうと同情されていたが・・・
実は“ヒルマさん”より、この“カミナガさん”のほうが手がかかる。(笑)
完璧にボケてるぞぉ〜(笑)
大丈夫かねぇ〜我が母のお墓・・・
ちゃんと作ってくれるのかなぁ〜(笑)

高速道路を降りてもらい自宅近くのバス停で降ろしてもらい、従姉達親戚一同とお別れ。
自宅に帰ると既に親父は食事を終えており、米もないと言う。(笑)
外食するしかねぇなぁ〜
ということで、“ウメちゃん”に一緒に夕食を付き合ってもらう。
「疲れてないか?」と言われたが、興奮しているせいか全く疲れていない。(笑)

今回、中国から持参して来た携帯で“ウメちゃん”に電話をかけてみたが・・・
ウンともスンとも言わない。(笑)
海外で使えるように設定してもらったはずなのだが・・・
役に立たぬ携帯だ!
携帯電話が悪いのか、中国という国が悪いのか・・・
今度はフィリピンで試してみよう!(笑)

旅行 | 18:06:11 | Trackback(0) | Comments(0)
内モンゴルの旅(12)
“北京”に到着して真っ直ぐ市内のレストランへ行き夕食。
意外にもレストランは日本から来た修学旅行生で一杯!
へぇ〜修学旅行で中国に来るんだぁ〜
団員の一人が生徒の一人に尋ねたところ、鳥取から来たという。
中学生か高校生かは知らないが・・・

我々は同じ会場の隅っこのテーブル2つを使って夕食。
ふと・・・目をやると・・・
先生達らしきテーブルにはビールが並んでいる。
我が団員の中から「先生が生徒の前で酒なんか飲んでいいのか!」という声が上がった。
「写真を撮って教育委員会に送ったほうがいいんじゃないか?」との声も上がる。
“先生方”は、ほろ酔い加減でワイワイやっている。
生徒よりもうるさい。
教師があんな調子じゃまともな生徒が育つわけはないよなぁ〜
突然“先生方”のテーブルで「ハッピバースデ〜ツゥ〜ユ〜」の歌が・・・
「ここは貸切じゃねぇぞ!」の声が我が団員から上がったが・・・
無視!
生徒達が大拍手をしたから、こいつらは間違いなく修学旅行関係者。
最初はガイド達かとも思ったが、この中の誰かが誕生日だからといって一斉に生徒達が拍手を送るだろうか?
やっぱり・・・こいつらは教師だな・・・

まもなく・・・生徒達がゾロゾロと退席。
どうもホテルに戻ったようなのだが・・・
なんと!
この“先生方”は残って酒を飲んでいるのである!
生徒達が帰った後も30分近くも残って酒を飲んでいるのである!
いったい誰が生徒を引率して店を出たのだろうか?
事故でも起こったらどう言い訳をするつもりなのだろうか?
夕食とはいえ職務中だぞ!

さすがに我がテーブルからブーイング・・・
しかし、この方々は意に介さない。
平気でワイワイやっている。
そんな馬鹿な〜
「おい、誰か説教しに行ったほうがいいんじゃないか?」という声が上がったが・・・
「拙者が言ってもいいですが・・・喧嘩になりますけど、いいですか?」と確認したら誰も返事をしない。(笑)
じゃぁ、駄目だ。
酔っている連中と関わる場合は喧嘩になることを前提にせねばならぬ。

ましてや相手が教師ともなれば・・・多分殴り合いになるだろう。
拙者はこれでも教員免状を持っている。
しかし、教師にはならなかったのは、こういう連中と同じ職場では働きたくなかったからである。
拙者には教育に対する「こだわり」がある。
修学旅行中に生徒の前で酒を飲むなど言語道断!(怒)

我がテーブルでブツブツ文句を言っていたのに気がついたのか・・・
“先生方”は突然立ち上がりそそくさと帰り始めた。
「あれ?日本人の方ですか?イェ〜イ!」
「おい、酒なんか飲んでいいのか?」と団員の一人が言ったが返事をしない。
話をそらして「誕生日なんですよ!誕生日なんですよ!」を連呼。
思わず後ろから蹴りを入れてやろうかと思ったが・・・・(笑)
我慢、我慢・・・
こちらは団体だからねぇ〜
個人旅行じゃないから、事件を起こせば団長や団員に迷惑をかけてしまう。
結構拙者も大人になったもんだ・・・(笑)

我が団員は全国各地から集まっているので、それぞれの学校の“先生方”の出来の悪さの暴露話でしばらくは盛り上がったが、溜飲は下がらぬまま。
我がテーブルでは不愉快な思いでムカムカしながらの食事となってしまった。
中国最後の夜の食事がこんな結果となるとは・・・・

旅行 | 17:20:49 | Trackback(0) | Comments(2)
文化が発達するって?
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(包頭市内のレストランのトイレ)

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(トイレに貼られていた標語)

女性には理解できないかもしれないけど・・・
中国語は読めないが、何となく意味するところは・・・
「もう少し便器に一歩近づけば、文明が一大進歩する」ってことかな?(笑)
う〜ん・・・相変わらず大げさな話。
まぁ・・・便器から外れてオシッコをこぼす人が多いのでしょうな〜
だから・・・もうちょっと前進してオシッコをしろ・・・かぁ。
それは理解できるんだけど・・・
でも、それで文明が大きく進歩するかどうかは別問題だと思うんだよなぁ〜(笑)

看板・標識・標語など | 16:39:56 | Trackback(0) | Comments(0)
内モンゴルの旅(11)
ここから1時間弱で「黄河」に到着。
「黄河」を見学って言っても、ただ岸をブラブラするだけ。
ここに「黄河大橋」という橋が架かっている。
何やら有名な橋らしいのだが・・・
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(黄河大橋)

拙者が先日“ヒルマさん”と浮き橋を渡った場所は、ここより遥か上流とのこと。
岸から見るより、浮き橋の上から見たほうが面白かった。
ここは・・・正直言ってつまらない。(笑)
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(地元の漁師さん)
川岸で地元の漁師さんが釣った魚をさばいていた。

この橋を渡った向こうに“東大社”という村が昔あった。
昭和18年頃だったと思うが・・・
この「黄河」が氾濫して「東大社」近くの村人250人が取り残されたことがある。
そのため、日本軍の機動歩兵第3連隊に救出命令が出て、この村人を救ったのだが・・・
この時に、「関沢兵長」という人が救出作業中に水死してしまった。
村人はこの日本兵のために自費で慰霊碑を建立した。
「へぇ〜そういう話があるの?」と“ヒルマさん”
あれ?ご存じない?
「で、今もその慰霊碑はあるのかい?」
「いや、東大社という村も慰霊碑も今は消滅しているそうですよ。ねぇ、ガイドさん?」
ガイドの話ではそういう名前の村は今は存在していないという。
それは昨年来た時に確認済みである。

中国共産党が中国を支配したらこういうことになる。
日本軍の美談も何もかもが消し去られてしまっている。
伝えられているのは日本軍の悪行のみ。
当時、草木の無い“包頭”の町に何万本という植樹をした機動歩兵第3連隊の事績も消し去られているのである。
吉松連隊長が部下に命じた植樹のボランティア。
その事実さえ伝えられていない。
何が「中国4000年の歴史」だ!(怒)
全く悔しい話だが・・・これが中国だ。

“包頭”の市内のレストランで遅い昼食をとり、市内の市場を散策して少々時間つぶしをして空港へ向かう。
空港では日本人商社マンと思われる方に会う。
ここは鉱物資源の宝庫で、特にICチップなどに使われる貴重な鉱物が埋蔵されているとか。
その調査のために来ていたらしい。
へぇ〜こんな場所にねぇ〜そういう貴重な鉱物資源があるのかぁ〜

夕方4時45分発の国内線で“北京”に向かう。

旅行 | 16:09:31 | Trackback(0) | Comments(0)
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