投稿日:2007-06-30 Sat
朝、小4の姪っ子が奇妙なことを言った。「あのね、朝ね、洗面所のところにね、オオママ(=拙者の母のこと)が白い服を着て立っていたんだよ」
ゲゲッ!見たの?見えたの?
普通なら「何を馬鹿なことを言っているんだ!」となるのだろうが・・・・
羨ましい・・・・見たのかぁ~
拙者は未だに母に会えないでいるのだ。夢にも出てきてくれないのだ。
やっぱり怒っているのか?
怖がり屋の姪は何故だかニコニコと嬉しそう。
相手が“オオママ”なら怖くないのだろう。
それにしても・・・・悔しいなぁ~
何で姪の前に現れて拙者の前には現れてくれないのだ。
それとも、拙者が迂闊にも気が付かないでいるのか?
衆議院議員の“オカベちゃん”が「遅くなってゴメンね~」と言って弔問に来てくれた。
昨日まで国会におり、公務の合間に弔問に来てくれた。
ありがたし。
現在の政局の話等雑談。
「余計なお世話だけどさぁ~」と拙者の今後の身の振り方についても心配してくれる。
「俺の秘書っていうのもなぁ~」
「駄目駄目、人の顔も名前も覚えられないんだから・・・それに言うこと聞かないし・・・」
「秘書になるくらいなら政治家を選ぶタイプだもんな~」
「議員も無理だと思うよ。清濁合わせて飲むのは出来ないし・・・」
「そうだよなぁ~もう少し大人になってくれればねぇ~」
彼とはJCで良くぶつかっていたので、拙者の性格を良く知っている。
補佐役の拙者の進言をなかなか聞いてくれず、やきもきしてよくぶつかった。
拙者はどうしても「イエスマン」になれないタイプ。
これじゃ、人に使われるサラリーマンにはなれない。
「どちらかといえば、コンサルタント向きかな?人にアドバイスするのは向いてるよねぇ~」
「う~ん・・・・そう言われるとそうかも・・・」
現実にどうのこうのというより、そういう会話が出来ることだけでありがたい。
感謝、感謝。
『日立レディース会』の方々も来宅。
お花を持って来てくださった。
母の部屋には更にお花が増えた。
花の大好きだった母も大喜びだろう。
部屋中に花の香りが漂う。
この香り・・・・母に嗅がせてやりたかったなぁ~
バタバタしていたというか、ボ~ッとしていたというか・・・
そういえばその後“ウメちゃん”に連絡していなかったなぁ~
携帯電話で彼に電話をかけた瞬間・・・・切れた?
あれ?発信音も鳴らないうちに、何で切れたんだろう?
と・・・携帯にメールが届く。
“ウメちゃん”からのメール!
嘘でしょ~このタイミング!
「その後どうしてる?少しは落ち着いたか?時間があったら明日会おう」とのメール。
早速、電話をかけなおす。
以心伝心とはまさしくこのことか・・・・
告別式の28日は小4の姪の誕生日だった。
まさか、告別式後の夜に誕生会をやるわけにもいかず、今日となる。
万年筆が欲しいと言うので姪を連れて文房具店へ。
店員が3万円も4万円もする高級な万年筆を薦めてきた。
あのねぇ~・・・小学4年生だよ・・・・いくらなんでも高価すぎるだろ!
結局、姪には我慢してもらい5,000円の万年筆にする。
これをおじいちゃんからのプレゼントとする。
他に赤ボールペンと原稿用紙が欲しいと言うので、これは拙者からのプレゼントとする。
姪は“女流作家”にでもなるつもりか?
支払いは全て拙者の自腹。
親父は1円も出さずに孫からの「おじいちゃん、ありがとう!」の言葉にご満悦。
おい、親父!それはねぇだろ!金払えよ!
妹がケーキを買ってきて、夕食後にお誕生会。
妹からは小さなウサギのぬいぐるみのプレゼント。
「これは“オオママ”からのプレゼントだよ」と妹。
「え?オオママから?・・・・オオママ!ありがとう!」
おい、おい、どこを見て言ってるんだよ~
そこにいるのか?見えるのか?
怖いなぁ~・・・・も~ぅ・・・
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投稿日:2007-06-29 Fri
今日は『お寺参り』8時半自宅を出発。
10時に母の実家の菩提寺の『松岩寺』に到着。
通夜、告別と天気に恵まれたが、今日は雨!
生前の母は「晴れ女」だったけど・・・亡くなっても「晴れ女」だった。
ここ肝心な時は必ず晴れる。
皆さんには迷惑をかけないように、身内だけの時に雨を持ってきたか・・・・
伯母達にも来てもらい、『初七日』の法要も行なう。
母が亡くなって丁度7日目・・・・早いなぁ~
母の葬儀で導師をお願いし、戒名もつけてもらったので、今回を機に檀家となる。
母も喜んでくれるだろう。
住職から曹洞宗についてのお話や般若心経についてのお話を頂く。
そして・・・般若心経の読経。
拙者は祖父母の法事などに参列して、いつも読経をしていたが・・・
正直言って、小さな声でボソボソとやっていた。
ところが・・・
中3と小4の姪っ子が声高らかに読経をし始めた。
しかも、段々とスピードが速くなる。
住職の読経はいつも法事で聞いているのでお馴染みなのだが、その住職の声がいつもと違う。
拙者の耳には“嬉しそう”に聞こえる。
しかも、子供達に合わせて必死に読経しているように聞こえる。
思わず噴出しそうになるのを堪えながら、拙者も大声で読経する。
とにかく子供達のスピードに住職が引っ張られている。
こんなに早くないんだよなぁ~・・・いつもは・・・(笑)
何とか住職のスピードに戻してあげねば・・・・
拙者が大声で読経して、スピードをコントロールしようとすると、子供達が更に大声で・・・
いやはや・・・すばらしい読経となってしまった。
仏様も大喜びだろう。
法要後、お茶を頂きながら住職と雑談。
子供たちは、お経を大声で読んでいたら、すごく気分が良くなったという。
中3の姪は「お経って気持ち良いなぁ~尼さんになろうかな~」と言い出す始末。
オイ、オイ・・・・
次の法要は『三十五日』というのがあるそうだ。
そこで、『三十五日』と『四十九日』を一緒にやってもらうため住職と日程の打合せをする。
弟の希望で7月15日にしたのだが・・・
うっかりしていたのだが、この日は靖国神社の『みたま祭』
騎兵第14連隊の総会の日だ。
しまったぁ~と思ったが・・・・
下手に日程を動かしたら、それを理由に弟が何を言うかわかったもんじゃない。
「当初の予定なら行けたんだけど、お兄ちゃんが予定を変更したから・・・」なんて、『四十九日』にも顔を出さないことにでもなったら、親戚から弟が大ヒンシュクを買うのは明白。
ここは自分の予定を犠牲にするしかあるまい。
位牌もお寺に注文することにする。
どんな位牌がいいのやら、さんざん迷った挙句ようやく決まる。
7月15日の法要までに位牌も出来上がるので、『開眼供養』も一緒に行なうこととなる。
この時に母の遺骨も持ってきて、お墓を建てるまでの間、お寺に安置してもらうこととした。
10時から1時間弱くらいかなと思っていた『初七日』の法要が、このように何だかんだでお昼になってしまった。
山奥の田舎の村のため、食堂のような食事をする場所はない。
コンビニもないから弁当も買えない。
11時前には解散するだろうと思い、お昼の用意は考えなかった。
従姉妹が実家でお茶の用意をして待っていてくれていると言うので、お邪魔して1時半頃までみんなで雑談。
結局、伯母達に食事も差し上げず解散となる。
大失態!
またまた母は怒っているだろう・・・
帰りに祖父母、伯父伯母の墓参りを計画したのだが・・・
弟夫婦は「真っ直ぐ帰るから」と墓参りには不参加。
唖然・・・・
拙者はフィリピンへ慰霊に行ったり、戦友会の慰霊祭に行ったりした時は必ず墓参りをして祖父や伯父の墓に報告をすることにしている。
今回も同様に母が亡くなった報告と檀家に入った報告をせねばと思ったのだが・・・
価値観の違いだね。
これは親父も同じ。
お線香をあげたらサッサと「帰るぞ!早くしろ!」
祖父母にゆっくり報告も出来やしない。
弟も弟なら親父も親父・・・・同類だ。
拙者には理解が出来ぬ。
帰り道、父方の祖父母の墓にも寄ってご報告。
こちらでも慌しい墓参りとなる。
あ~ぁ、こんなことなら一人で来ればよかった・・・
またまた大失敗。
夕方、中3の姪が東京に帰る。
妹と小4の姪は日曜まで残って身の回りの手伝いをしてくれると言う。
小4の姪は自分の町のお祭りがあって、その出店に行くのを毎年楽しみにしているそうなのだが、今回は行くのを我慢してこちらに残って“おじいちゃん”の面倒を見ると言う。
下手な大人より子供のほうがしっかりしている。
ありがたい。
投稿日:2007-06-28 Thu
荼毘の後、火葬場から告別式場に戻る。拙者が骨壷を持ち、孫たちに遺影等を持たせる。
こういう経験が後々まで母の思い出として孫たちに残ってくれたらと願う。
昨晩、さんざん悩んで弔電の順番を決めたのだが、本日、更に弔電の追加があり・・・・やり直し。
親父の兄弟は全員が揃ったので一安心。
東京の伯父さんには赤ん坊の時から大学時代まで大変お世話になったのだが、その後の親戚間のいざこざで疎遠になってしまった。
伯父に会った途端、涙がこみ上げてきてしまった。
こんな形でお会いしたくなかったのだが・・・・
20年以上ぶりの再会。
不義理をしていて本当に申し訳なし。
指名焼香者が指定席に座っておらず、一般席に紛れている様なので、こちらとしてはハラハラドキドキ。
名簿の確認っていっても・・・来ているのかどうかもわからない人がいる。
已む無し、このまま読み上げてもらうしかない。
弔辞を読んでくれる『日立レディース会』の“キクチさん”は自分から進んで司会者と打合せをしてくれていたので大助かり。
小学4年の姪が、突然、自分も弔辞を読みたいと言い出した。(笑)
そりゃ、孫に弔辞を読んでもらったら母もさぞかし喜んではくれるだろうが・・・・
ドジを踏んだら大混乱だぞ~
何度も懇願されたが・・・・可哀想だがこれは却下。
姪の気持ちもよくわかるが、他に弔辞を読む人がいなければ飛び入りでやらせるのだが、他にいるからねぇ~
“キクチさん”に失礼になるから・・・・駄目!
弔辞をいただいている間、涙がこみ上げてくる。
やっと・・・というか・・・母のことを思い泣くことができた。
感謝、感謝。
告別式も無事終わったが・・・・
『日立レディース会』並びにゴルフ関係者の多くが、母の“突然の死”にショックを受け、多少の混乱を生じているらしい。
そのため、関係者の皆さんに残ってもらい、拙者から皆さんに病気のこと、入院中のことなどを説明させていただき、納得していただく。
とにかく病状を隠してお付き合いしていたのだから、騙していたに近いのだが・・・・
母の「元気な姿をみんなに印象付けてこの世を去る」というポリシーの為だったことをご理解いただく。
ゴルフがなかったら母はこんなに長くは生きられなかったであろうことは明らか。
ゴルフ仲間のおかげでここまで生きてこれたのだ。
感謝、感謝・・・・そして、騙していて申し訳なし。
「精進落とし」
食事をしながら東京の伯父とゆっくり話せるかと思ったら、さにあらず・・・
料理がかなり残っている。
こんなことなら母の友人たちにも残ってもらえば良かったと思ったが、時既に遅し。
これまた大失敗。
親戚の人数把握も正確にできず、当日の様子を見て臨機応変に動いてくれる人もいない。
全て拙者がやらなくてはならないというのは無理だ。
だいたい親戚だけで・・・なんて思っていたのが大間違いだったな。
母の親しかった人たち皆を集めて“大食事会”にしちゃえば良かったんだ。
余れば、何個かづつ持ち帰ってもらえばいいんだから・・・
多分・・・「なんて気が利かない子なんでしょ!」と母は怒っているだろうなぁ~
途中で香典の確認を葬儀社から言われて別室へ。
戻ってきた時は、みなさんお帰りになられていた。
何たることぞ!伯父さんと話ができなかったぁ!
また、やっちまったぁ~
全ての儀式を終え・・・・帰宅。
と思ったら・・・足がない!
そう、拙者は霊柩車に乗って来たんだっけ!
帰る車がない!
弟の車は・・・「乗れねぇ~よ~、タクシーでも頼めば?」
仕方がないので葬儀社の軽乗用車に乗せてもらい送ってもらう。
昨晩のうちに自分の車を持ってきておけばよかった・・・
帰宅後、無性にコーヒーが飲みたくなった。
義妹にコーヒーを入れてくれるように頼んだのだが・・・
夫婦でペーパーフィルターを買いに行ったまま帰ってこない。
帰宅したのは約2時間後。
そんな馬鹿な・・・・
言い訳によれば・・・知り合いのところへ葬儀参列のお礼に行って話しこんでいたと言う。
「あのねぇ~、一度帰宅してから行けばいいんじゃない?」
待っている人のことなどお構いなし・・・・相変わらずのマイペース。
疲れているところにありがたい追い討ち。
こんなことなら自分で買いに行けばよかった・・・・
頼んだ拙者が馬鹿だった。
またまた失敗。
投稿日:2007-06-28 Thu
疲れのため寝坊をするかもしれないと思っていたが、不思議なことに午前6時には目が覚めてしまった。早速、母の亡骸に朝のご挨拶。
今日で母とはもう会えない。
自宅にいた親父や妹たちが到着。
午前8時半、『お別れ会』が始まるのだが・・・
何故か伯母達も従姉妹達も・・・・来ない!
おかしいなぁ~
「誰か時間をちゃんと伝えたのか?」
誰も答えない。
そう、午前8時半に“お別れ”するということが親戚に伝わっていないのだ!
拙者もバタバタしていたし、妹も弔問に来た友人達の対応で手一杯。
頼みの綱のはずの弟は・・・・マイペース。
別に何の役割を買って出ることなく、近くにいたり、いなかったり・・・
こんなことになるとは思っても見なかった。
親戚からも質問されなかったので、みんなは知っているものだと思い込んでいた。
弟に親戚との連絡係を命じておくべきだった・・・
やっちまった!どうしよう!
伯母達の携帯を呼び出しても誰も出ない。
仕方がないので家族だけの少人数で寂しい“お別れ”をする。
我が家の庭で母が育てた花を棺に入れ・・・・
『日立レディース会』のユニフォームも入れ・・・
“マコトちゃん”が贈ってくれた千羽鶴も入れ・・・・
そして、釘で棺の蓋が閉じられた。
“お別れ会”の後、火葬場に移動したら・・・・
伯母達がいるではないか!
「9時から火葬」だと聞いていたので、直接火葬場に来ていたと言う。
あ~・・・何たることぞ!
従姉妹達も駆けつけてきたが・・・異口同音に・・・
「9時だよね?」
“お別れ”は8時25分から本館の式場で行われることと日程表に書かれているのだが、この日程表を誰も親戚に配っていなかったのだ。
親戚はみんな火葬場で“お別れ会”をしてから荼毘にされると思っていたのだ。
結局、親戚は誰もお花を棺桶に入れることなく“お別れ”することになってしまった。
申し訳ないことをしてしまった。
母が荼毘にされている間、控室で従姉妹たちと談笑。
「談笑」である。
笑いが絶えないのである。
これは母方の血だな。
とにかく明るい。
不思議なことに涙一つ出ない。
祖父が亡くなった時は涙が止まらず、気分も落ち込み、控室でお茶を飲みながら待つことが辛かったというのに・・・
同居していて毎日いつも一緒におしゃべりをしていた母だったから、祖父の時より更に辛い思いをするだろうと思っていたのだが・・・
おかしい・・・
何にも感じない・・・
1時間20分後、“骨上げ”
父方の祖父が亡くなった時は、真っ白い骨が目に入った。
頭蓋骨もその形を留めており、拙者はショックを受けて涙が止まらなかった。
拙者が大学2年の時、初めての“骨上げ”の時のことである。
しかし・・・・
母の遺体は、その形がなんとなく分かる程度に粉々になっていた。
頭蓋骨もほとんど形を留めていない。
焼きすぎちゃったのか?
これは本当に母の骨なのか?
誰か他人の骨を拾うような感じ。
何とも感じない。
涙もこみ上げてこない。
まるっきり他人事のように思っている自分がいる。
形がよく分からないというのは良いことなのかもしれない。
もし、形がはっきりしていたら・・・・
多分、座り込むくらいのショックを受けたに違いない。
毎日揉んであげた母の脚・・・・
そんなのが目に入ったら・・・・
こんなもんじゃすまなかったろう。
投稿日:2007-06-27 Wed
早朝、弟夫婦が東京より到着。午前中は住職へのお布施の用意やら雑用をして、合間を見て横になり体を休める。
午後3時少し前に伯母達や従姉妹達が到着。
その後住職が到着。
『枕経』を行ってもらう。
午後3時半、出棺。
近所の人達が見送りに来てくれた。
ありがたし。
拙者は母の遺影を持って霊柩車に乗り葬祭場へ向かう。
葬祭場に到着後直ちに生花の配置の打合せ。
いわゆる“格付け”をするのだが・・・・
親類関係はいいとしても会社関係、友人関係の上下の位置付けは難しい。
母の棺の上には“日立レディース会”のジャケットを乗せて飾ってあげる。
夕食後、早々とやってくる弔問者の為に式場に立つ。
言葉をかけられると思わずググッとこみ上げるものがあるが・・・・
冷静に分析してみると、この涙は母を亡くした悲しみから起こるものではない。
わざわざ来てくれたという嬉しさからくる“うれし涙”のような気がする。
不思議な気分だ。
通夜式開始までの僅かな時間に指名焼香者のリストの確認。
本当に来てくれるんだろうかと少々心配。
続いて遺族・親類の焼香順の確認。
全てリストは拙者が作成しただけに何とも不安。
しくじったら全ての責任は拙者にある。
司会者との打ち合わせ中にも弔問者から挨拶を受けなければならない。
中には長々と話が途切れない方もいる。
お気持ちはありがたいのだが・・・時間がないのです。
あれやこれやとやらねばならんことがあるのです。
こうなると相手の話など上の空。
頭の中では違うことを考えている自分がいる。
失礼かとは思うのだが・・・
開式直前に親父の兄弟たちがやってきた。
全員じゃないので、誰が来ていて誰が来ていないのかリストを再確認。
もうハラハラドキドキじゃ!
マイペースも程ほどにしてもらいたいものだ。
従兄が自分の数珠を貸してくれる。
拙者は数珠など持っていなかったのだが、どうも遺族は数珠を持つべきなのだそうだ。
知らなかった・・・・
通夜式はこれといった失敗もなく無事に終了。
拙者と弟家族3名、義弟と甥、姪の3名の7名が今晩葬祭場に泊り込む。
本来は“蝋燭番”をするために泊り込むのだが、今では蝋燭は夜8時には消してしまうことになっているという。
それならば泊まりこむ必要はないような気がするが、母の遺体を置いて帰宅するというのも気が引ける。
母も寂しがるだろうから泊まる。
葬祭場には寝泊りできる和室と風呂場の施設が併設されている。
しかも・・・綺麗!
しかし・・・管理人は帰ってしまい葬祭場には宿泊者の我々のみになるんだとか・・・
なんとも寂しいぞ・・・これ。
こう言っては不謹慎だが、いかにも不気味・・・・
ちょくちょく式場に安置されている母に会いに行くが・・・・
怖くないといったら嘘になる。
式場の隅に誰かいるような気がするんだよなぁ~
投稿日:2007-06-26 Tue
午前10時『納棺』(“にっかん”と言うらしい)従姉妹たち(母の姪達)、母の姉である伯母、母の妹である叔母が集まるが、父の兄弟たちは誰も来ない。
父の兄弟たちは昔から常識のない連中だから「やっぱり・・・」ということで驚きもしないが・・・
弟夫婦までが来ないのには参った。
従姉妹たちや伯母たちもさすがに驚くやら怒るやら・・・
「あんたがもっと厳しく言わなければ駄目じゃない!」と拙者が責められたが、弟の性格を知っているだけに何を言っても無駄なのをよく知っているので・・・・なんとも・・・返す言葉がない。
実母の納棺に立ち会わないなんていうのは非常識この上ないというのは重々承知の上だが・・・・
その常識が通じる相手ではない。
この弟のおかげで精神的に疲れる。
棺の中に母が愛用していたゴルフのジャケットを入れようと思っていたが、つい躊躇してしまう。
通夜式の時に棺の上に飾っておいてあげたい。
このジャケットは『日立レディース会』のユニフォーム。
キャプテン会議やコンペの時に常に着用していたもの。
告別式前の火葬の時に棺の中に入れてあげようかな。
でも・・・燃やしてしまうのは何となく寂しい気もするし・・・
どうしようかな・・・と未だに決めかねている。
納棺後、親戚も帰った頃に“マコトちゃん”が来てくれた。
我儘で人付き合いの下手な親父も「マコトちゃんは今日はきてくれないのかなぁ?」などと言うので妹と二人で呆れる。
ちょうどそういうタイミングでやって来てくれたのだから感謝!感謝!
まるで実の娘のような感じになってしまい、本当に彼女には申し訳なし。
それに比べて・・・弟夫婦は株を落としてしまったな。
仕方がないか・・・母に対する思いの違いか・・・末っ子の甘えか・・・
「遠くの親戚より近くの他人」が現実のものとなってしまった。
夜になっても、ポツリ、ポツリと母の寂しさを紛らわしてくれるように弔問客が続く。
ありがたいことだ。
母も喜んでくれているだろう。
投稿日:2007-06-25 Mon
母が亡くなって3日目。昨晩は午前4時まで眠れなかった。
クタクタに疲れているのに眠れない。
今日の朝刊に“訃報のお知らせ”が載ったので、新聞を見て知った友人などから電話が入ったりと忙しい。
いけねぇ~連絡するのを忘れていた・・・・という友人が何人もいる。
頭が混乱していたとはいえ、友人達からすれば直接連絡をもらえなかったというのは気分のいいものではないだろう。
「俺はその程度なのか・・・」と思われても弁解できない。
申し訳なし。
頭の中では、母が亡くなったら誰と誰に連絡して・・・・と考えていたのだが、いざとなったら抜けが出る。
やっぱり紙に書いておくべきだった。
昨日に引き続き母の教え子の住職と電話で打合せ。
お布施や戒名についてざっくばらんにお教えいただく。
以前に何度か祖父母や伯父伯母の法事でお会いしていることもあり、また拙者が年下ということもあって、本来はあまり金額のことは言わない人らしいのだが、そこのところはざっくばらんにお教えいただく。
ありがたい。
また、母を実家の菩提寺の檀家に入れることにした。
この寺は母の先祖が開祖。
松岩寺といい、県指定文化財の樹齢300年の山桜がある。
この桜の木がある頃から寺があったらしいから、少なくとも300年ぐらいの歴史はあるお寺さんだと思う。
檀家に入ったことを母は喜んでくれるだろうか?
死後3日目の母。
連日、少々蒸し暑かったせいか母の表情に変化が現れる。
あの微笑みは消え、なんとも哀しそうな表情になっている。
まるで「もういい加減にして早く火葬にしてよ」と言っているように見える。
口元が緩んできてしまったようで口が開き始めた。
しかも顔色も黒ずみかかってきた。
「折角いい顔して帰宅したのに・・・・」と怒っているだろうな。
「みっともない顔は見せたくないんだから早くしなさいよ!」と怒っているんだろうな。
またまたやっちゃったかなぁ~
母の思いを裏切ってしまったかも。
葬儀社に連絡して化粧直しをしてもらう。
「もうお顔には触れないようにしてください。限界ですから・・・」と言われる。
今日は父と妹と3人で弔問客に対応。
頼みの綱の“マコトちゃん”は今日は来ない。
当然だ。家族でもないし親戚でもないんだから・・・
弟夫婦が手伝いに来ないのに他人に手伝いに来てくれなんて申し訳なくて言えない。
投稿日:2007-06-24 Sun
昨晩、妹は着替えを取りに東京へ帰っていったため不在。親父と拙者だけなので今日は朝から閑散としている。
やっぱり信じられないな。
蒲団に横たわるお母さんは死んでいるのか?
本当は寝ているのではないか?
妹不在のため弔問客にお茶を出す人が必要でしょうということで、“マコトちゃん”が来てくれた。
その心遣いが本当にありがたい。
弔問客の接待と葬儀社との打合せ、お寺さんとの打合せなど結構忙しい。
なるほどねぇ~
こういうバタバタとした慌しさのおかげで悲しみも癒されるんだろうなぁ~
悲しんで落ち込んでいるどころではない。
やらねばならぬことが次々と出てくるので頭はそのことで一杯。
全てを拙者が仕切らねばならぬのだから、悲しんでいるどころではないが、親父はどうしていいかわからぬ様子。
かといって親父に仕切らせたらメチャクチャになるから駄目だ。
ここは長男である拙者がやらねば。
“マコトちゃん”に親父の話し相手にもなってもらい大助かり。
午後に妹が到着。
“ウメちゃん”も来てくれて、拙者の友人関係への連絡係を買って出てくれる。
ありがたし。
母のゴルフ仲間も次々と弔問に来てくださった。
母も大喜びであろう。
母は日立ゴルフクラブの日立レディース会の会長を20年も務めていたほどの大のゴルフ好き。
会員が「会長!会長!」と号泣、その“会長”という響き・・・拙者の母はそんなに偉かったのかと改めて認識した。
そんなに皆から慕われていたのか・・・・
「お母さんのおかげで日立は県下一まとまりの良いチームだって有名なんですよ」と言われる。
やったね!母さん!最高の弔辞をもらったね!
「つい先日まで元気にゴルフをしていたのに・・・」と母の突然の死には皆さんが驚かれる。
先日の北海道へのゴルフの裏話をご披露する。
もしかしてゴルフ中に容態が急変して死ぬかもしれないが、好きなゴルフ中に死ねれば本望だろうと思いながら送り出したこと。
既に末期的症状になっているのを隠していたことを謝る。
母は元気なイメージを壊したくなかったし、「これが最期のゴルフ」なんて気を遣われるのも嫌がる人だったので・・・すみません!
それにしても母のゴルフにかける思いの深さは驚くべきもの。
どう見てもクラブを振ることは無理じゃないかと思うほど体調が悪く衰弱していたのに・・・・・
2日間もゴルフをして、しかもいつもより飛ばしていたという。
これでは誰もが「信じられない」と言うのも無理はない。
投稿日:2007-06-23 Sat
昨晩9時に“コントミン”を投与してもらい11時には利き始めたようだが、母は目を開けたまま唸っている。寝ているのか・・・起きているのか・・・
意識があるのか・・・意識がないのか・・・
さっぱりわからぬ。
夜中に妹夫婦が様子を見に来てくれた。
この時には母は目をつぶり熟睡。
容態も安定。一安心。
妹は残るかどうか迷ったが、この調子なら大丈夫だろうと帰宅させ、拙者も簡易ベッドに寝る。
約2時間おきに母の体位を変えるため看護師が部屋に来るので、その度に起きて様子を見るが、さすがに午前4時の時は熟睡してしまい気が付かなかった。
午前6時に体位を変換。血圧が少々低めだがまず大丈夫だろうと思い再度寝るが、何故か10分ごとに目が覚めてしまう。
午前7時、再度血圧を測ったら異常に低くなっている。
拙者は半分寝ぼけていた。
ナースセンターで心電図はモニターしているが、部屋にモニターを持って来るといって看護師が部屋から飛び出す。
心電図モニターを見たらグラフが異常な波形をしており、血圧も急激に下ったり上がったり・・・
60くらいから一挙に35、20、そして・・・・ゼロ。
と思ったら・・・いきなり35
母は目をカッと見開き必死に呼吸をしているが・・・もう駄目だ。
「ご家族に連絡されたほうがいいですよ」と看護師。
妹と弟にそれぞれ連絡する。
その間、更にグラフは乱れ、数値も乱れる。
もしかして機械が故障でもしているのか?
「ご家族が到着するまで何分かかりますか?」
「2時間ぐらいかな」
「それまでは・・・持ちませんが、どうします?」
「延命はしないよ。そう約束しているから・・・自然にまかせてください」
母とは生前、延命処置はしないことで約束していたのだ。
妹や弟には悪いが、これは拙者の独断で決めさせてもらう。
そのために拙者が毎晩病室に泊まっているんだから・・・
「お母さんに何か声をかけてください!」
そう言われても・・・・何と声をかけていいものやら言葉が浮ばない。
そして10分後・・・
波形が一本棒になってしまった・・・・
主治医が駆けつけ死亡を確認。
7時40分。
母は旅立ってしまった。
母は目を見開き、口を大きく開けて息絶えてしまった。
とても“穏やかに”亡くなったとは言いがたい。
拙者は眠ったままス~ッと息が絶える姿を想像していたのに・・・
顔をしかめたりはしなかったが、必死の形相にはショック。
なんとか生きようとしたのだ。
まだ死にたくなかったのだ。
「皆さんが来てから処置しましょうか?」と看護師。
「いや、すぐにやってください」
新しいパジャマに着替えさせてもらうことにする。
その間・・・拙者はタバコを吸いに病院の外に出る。
何という親不孝者か。
こんな時にタバコを吸うとは。母も呆れていることだろう。
妹が駆けつけた時には母は口はポカンと開いているが目を閉じられていて穏やかな姿となっていた。
苦しまずに逝ったことにしよう。
母もそう願っているはずだ。
最期の姿は拙者だけが知っていれば良いこと。
今晩は弟が病室に泊まる予定だったが、弟が不安げだったので、急いで今日の朝に逝ってしまったような気がしてならない。
弟が当番の日に逝ってしまったのでは可哀想だと思ったのかもしれない。
その弟は・・・11時にようやく到着。
拙者が連絡してから4時間ちかく経過していた。
やっぱり延命処置はしなくてよかった。
やっていたら母を4時間も苦しませることになっただろう。
叔母に母が亡くなったことを報告。
友人の“ウメちゃん”にも・・・
そして従姉妹にも・・・
母の友人にも・・・
それから母の教え子の住職にも連絡して葬儀の導師を務めてくれるようお願いする。
最後に葬儀社に連絡。
あとは・・・どこへ連絡していいものやら・・・とにかく頭の中は混乱。
最後の処置、化粧をしてもらい霊安室へ。
主治医、看護師にお線香をあげてもらい拙者と妹が搬送車に乗って家路に向かう。
家では従姉妹たち、伯母や叔母、妹の友人の“マコトちゃん”が待っていてくれてお迎え。
従姉妹たちが全ての準備をテキパキとこなしてくれていた。
なんとありがたいことか。
母は本当に幸せ者。
拙者は挨拶もそこそこに直ぐに葬儀社と打合せ。
こんなに忙しいものなのか?
従姉妹たちと話も出来ない。
従姉妹たちが帰った後は妹の友人の“マコトちゃん”が全て行ってくれた。
感謝!感謝!
拙者は寝不足とショックのせいか頭痛甚だしい。
正直言って体の芯からクタクタだ。
何故か両足が筋肉痛で二階に上がるのも辛い。
ボロボロに疲れているが・・・・寝たいという気になれない。
「少し休んだら」とみんなに言われるが・・・
みんなに申し訳なくて寝られない。
我家の床の間の部屋に安置された母の姿に驚く。
病院を出たときには口が半開きだったのに、いつの間にやら口も閉じて少し口の端が上がり笑みを浮かべているのだ。
そんなことがあるのだろうか?
まるで家に帰って来て喜んでいるとしか思えない。
母には騙された。
安定していると思って安心していたらいきなり逝っちゃうし・・・・
必死の形相だったはずなのに笑みを浮かべて弔問客を迎えるんだから・・・
騙された。やられちまった。
「俺に任せろよ。大丈夫だから」と母を騙した拙者より母のほうが1枚上手だった。
夜になって義弟や弟家族も駆けつけ一時は賑やかになったが・・・
午前0時過ぎ、一気にみんなが帰り、家の中には父と拙者だけとなる。
何か夢でも見ているような気分。
本当に母は亡くなったのだろうか?
母の遺体を目の前にしても実感が湧かない。
母がいきなり起き上がって「や~い、引っかかった!」と冗談を言うんじゃないかという気がして仕方がない。
駄目だ。拙者は疲れ過ぎている。
頭がおかしくなっているのではなかろうか?
投稿日:2007-06-22 Fri
早朝、妹に病院に来てもらい付き添いを交代してもらう。拙者は今日は一旦家に帰る。
妹に昨晩の母の状況を説明し、主治医に投薬に関する拙者の意見とお願いを言付ける。
帰宅し、午後一番で銀行員に来てもらい各種打合せ。
その後、風呂に入り、買い物等の雑用を少々。
メールを確認するが返事を書く時間がない。
手紙類も届いているが返事を書く時間も当然ない。
自宅にいたのは、わずか4時間弱。
急ぎ上京。
午後から付き添いは妹から弟に交代。
その弟と夜交代し、今晩も拙者が母に付き添う。
昨晩の反省から“コントミン”を予定通り午後9時に投与。
今晩は良く眠ってくれるだろう・・・・と思ったのは大間違い。
うつろな目が宙をさ迷い、唸り声が続く。
全然寝てくれない。
顔を覗き込んでも何の反応もない。
拙者の顔を見ても何の反応も示さない。
やっぱり昨晩のことを怒っているのだろうか?
妹や弟が声をかけると反応を示すというのに・・・
お気に入りの看護師の声を聞くと「ありがとう」とはっきり言うというのに・・・・
「殺してくれ」と頼んだのに頼みを聞かなかった拙者への恨みか・・・
母は拙者に対して無言の抵抗をしているとしか思えない。
投稿日:2007-06-21 Thu
連日、利尿剤を投与されているのだが・・・既に腎臓も肝臓も機能していないというではないか。
何故それでも投与し続けるのか?
理屈が合わぬではないか?
利尿剤の点滴パックを持ってきた看護師に訊いた。
「利尿剤を投与しても1滴もオシッコが出ないんだから、利尿剤を入れても仕方ないんじゃない?」
「そうですよね?どうします?」
「それ、もうやめようよ」
「先生に聞いてみましょうか?」
「利尿剤が毎日体内に蓄積されるだけなら、本人のためにも良くないんじゃないかなって言っているって訊いてくれる?」
主治医からも「そろそろやめようかと思っていました・・・」と言われ、利尿剤投与は中止されたが・・・
本当かな?それ・・・
拙者が言わなかったら、ず~っと入れ続けたんじゃないのか?
母は時々ビクッと大きく痙攣を起こす。
これは何なのかわからない。
神経が侵されたのだろうか?
夜になりウトウトしてからも、この痙攣で覚醒してしまう。
これさえなかったらグッスリと寝られるだろうに・・・・・
やがて体位を変換する時間となり、右向きから左向きへと体を動かしたところ、母が痛がる。
意識朦朧で言葉も明確に話せなくなっていたのに、この時は「痛い!痛い!」と、はっきりした声で叫ぶ。
「ごめんねぇ~」と言って体を動かしても、“ごめんね”では済まされない。
本人にとってはかなりの苦痛らしい。
午後9時から眠り薬の“コントミン”を投与することになっているのだが、これは拙者が断った。
不安を取り除く鎮静剤なのだそうだが、意識を失わせる“人工冬眠”作用もある薬だからである。
副作用は突然死・・・等。
できればモルヒネの投与量を増やして何とか痛みを和らげたい。
素人の処方である。
2時間後の夜11時の体位変換時も母は痛がり大騒ぎ。
しまいには「何とかしてよ!もう・・・どうででもいいから・・・」と叫ぶ。
「殺して!殺して!」と叫ばれたときには、さすがの拙者も血の気を失った。
気丈な母がこんなことを口にするとは・・・・
やむを得ず“コントミン”を投与してもらうことにした。
時すでに遅し・・・・か・・・
母は唸り続け、拙者を恨めしそうに見る。
「こんなに頼んでいるのに何故こんな仕打ちをするのか」と思っているに違いない。
午前3時頃まで覚醒したままで、なかなか眠ってくれない。
痛みがひどくて薬が効かないのか?
拙者もクタクタだが眠れない。
やっぱり早めに投与すべきだったのだろうか?
薬漬けにして意識を失わせて死なせるほうが本人の為か?
散々悩む。
母に声をかけても全く無視されてしまった。
顔を覗き込んでも視線をはずされる。
怒っているな・・・
親不孝をしてしまった・・・・
母から一番の信頼を受けていたのに、拙者は母の期待を裏切ってしまったようだ。
投稿日:2007-06-20 Wed
昨晩、眠り薬の“コントミン”を投与したせいで母の様子は意識朦朧。「夜の間だけよく眠らせましょう」との主治医の話だったが、“夜だけ”では済まされず翌日まで影響があるではないか。
これでは困る。
先日、肺炎を引き起こしてダウンしてしまった叔母が見舞いに来れるようになるまでは、なんとしてもしっかりとした意識を持っていてもらいたいのだ。
廃人のようになられては困るのだ。
話しかけるが、反応はあったりなかったり。
どうみても視点の定まらぬ目で宙を見ている。
天井の隅を指差して何か言おうとしているようなのだが・・・
母は何を見ているのだろうか・・・・
福島県から80歳になる伯母が一人で見舞いに来る。
茨城県から妹の高校時代からの友人の“マコトちゃん”が見舞いに来る。
彼女は先日千羽鶴を折って郵送してくれた子。
母が自分の娘のようにかわいがっていた子で、この期に及んで母が「会いたい」と言ったというので来てもらったそうだ。
だから・・・意識がしっかりして会話が出来るときに呼び寄せておくようにと何度も母に言っていたのに・・・
母は頑として拙者の進言を拒み・・・今頃になってかよ~
参ったよなぁ~
当初の予定では今日から付き添うことにしていたのでホテルは予約済み。
キャンセルも考えたが・・・・ちょっと待てよ。
風呂に入りたい!
夕方、ホテルに向かい事情を説明してチェックイン。
風呂に入り、マッサージを呼んでマッサージをしてもらい3時間後にはチェックアウト。
正規の料金を払って、たった3時間の滞在ではバカバカしいようだが・・・
これで気分がリフレッシュできたのだから良しとしよう。
病院に戻り今晩も付き添いで病室に泊まる。
拙者は独身で妻もいなければ子もいない。
しかも仕事もない自由人。
だから・・・・拙者がやらねば誰がやる。
廃業したのは結果的には大正解となったな。
これで会社を経営していたら、付き添いなんて出来やしない。
兄弟同士で押し付け合いをして・・・・それこそ母を悲しませる結果となるだろう。
グッドタイミングだ。
こんな幸せなことはない。
今晩は熟睡防止のため携帯電話のアラームを1時間おきにセットして寝る。
投稿日:2007-06-19 Tue
早朝、病院からの電話で起こされる。家にいるからといってゆっくりできると思うのは甘かった。
電話は看護師からのもので、母が拙者と妹に来るようにと言っているとのこと。
どうやら昨晩一人でいたので不安になりパニックになったようだ。
それほど緊急を要する内容ではなさそうなので、雑用をこなしてから上京することにした。
今日はやることがいくつかあり、そのために2日間帰宅することにしていた。
メインの用事はNHK岡山放送局から依頼を受けたビデオの郵送。
8月に終戦特集番組を放送予定しているらしく、岡山連隊を中心としたフィリピンのバレテ峠での戦いについての証言集の番組を制作するという。
この番組制作の協力依頼があり、現地の状況(戦跡)を知りたいとの事なので、拙者が撮影したビデオをお送りする約束をしていたのだ。
少なくとも、これはやっておかないと遅れに遅れてしまう。
先に母のところへ到着した妹の電話では、かなり意識もおかしくなり「何で側にいないんだ!」と拙者の姿が見えないことに腹を立てているという。
この時の電話では容態に特に問題はなさそうだったので、安心したのだが・・・・
次の電話では主治医が家族全員、出来るだけ多くの方々に集まってもらい説明したいと言っているという。
しかも時間は午後3時。
おい、おい、午後になってから午後3時集合ってなに?
俺たちが東京に住んでないのを知ってるでしょう?
そういうことは朝一番の電話の時に言えよ!
親父を連れて急ぎ上京。
主治医の説明では、腎臓、肝臓、胆嚢も機能をしておらず処置なしとのこと。
胃も細胞が犯され出血し、胃からのチューブから血液が出てきている。
後は・・・・時間の問題。
何か機能回復のための方法はないのか?
主治医のポリシーで楽に死なせる方法の選択を迫られるが・・・
拙者は何とも納得できない。
体内の老廃物が処理されず体内を循環するので、脳にも影響を与え、言動に異常をきたすという。
それを見ずに済ませるほうが家族のためにもいいというが・・・
投薬して意識を失わせるほうが本人も辛い思いをせずに済むというが・・・
う~ん、どうしよう。
やっぱり、声をかけて反応を示してくれないと寂しいしなぁ。
4人部屋から個室に移ったので、今晩部屋に宿泊可能とのこと。
それじゃ拙者が泊まって付き添うことにしよう。
この目で容態を確認しながら考えよう。
予約しておいたホテルをキャンセルして今晩は病室に宿泊することにしたが、そういうことをするのは生まれて初めてのこと。
正直言って、付き添うといっても何をしていいのやら。
母の様子を見ているうち眠気に襲われ、結局、簡易ベッドでグーグーいびきをかいて寝てしまった。
投稿日:2007-06-17 Sun
午前10時過ぎ、病院に到着。母は思ったより元気そうに見える。
昨日に引き続き自宅に一度帰るという話となる。
「下(しも)の世話が大変だからねぇ~妹の都合に合わせようと思っているんだけど・・・」
途端に母がケラケラ笑い出した。
「今、死後の世話って聞こえて・・・」
おい、おい、どういう耳をしてるんだよ!
「シモの世話だよ!死後に何の世話をしろっていうの?」
そうだ!「死後の世話」の話のついでに確認しておこう。
母は若い時に小学校の先生をしていた。
その時の教え子にお坊さんがいる。
ならば・・・
「戒名は教え子のお坊さんにつけてもらおうか?」
「そうしてもらえると嬉しいね」と母。
「葬式の時もお経をあげてもらおうか?」
「そりゃ、そうしてもらえれば言うことなし」と母。
恐るべしこの会話。
母の病室は4人部屋。
各ベッドはカーテンで仕切られているとはいえ会話は筒抜け。
病人に戒名だの葬式だのの話をするんだから、同室の患者さん達はこの息子は悪魔かと思っただろうなぁ~
病室ですべき話じゃないし、不謹慎だとは思うけど・・・
生きている間に知っていたほうがいいと思うんだよねぇ。
気になると思うんだけど・・・・自分が死んだ後の事って・・・
いつものように母の足裏マッサージをしてあげるが・・・
ダメダァ~
拙者の方がかなり疲労が溜まってきている。
病室の折畳椅子に長時間座っていると腰はだるいし、揉んでいるうち眠くなるし・・・・
我慢の限界に達する。
クタクタだぁ~
弟は風邪をひいたらしく体調不良との電話あり。
妹も風邪気味で体調がイマイチらしい。
ということは・・・最後の砦は拙者だけか?
だが・・・拙者ももう限界に近い。
ベッドに横になって手足を伸ばして今すぐ寝たい!
今日の母の体調は、少々悪い。
腎臓がかなり弱ってしまっているようで、足にも少し浮腫みが出ている。
シャックリも2日連続で出てきている。
これは横隔膜に癌が進行でもしたのだろうか?
栄養剤に痛み止めを入れてあるので母は何の痛みも感じていないが・・・
顔色も悪く肌の色も黒ずんできているような気がする。
その母に「あんた、相当疲れているみたいよ」と言われるんだから拙者も情けない。
夕方、妹が来たので交代。
もうクタクタ・・・・ボロボロ・・・
早く家に帰ってベッドに横になりたい。
夜8時の特急で帰宅。
帰宅早々、親父が母のゴルフクラブの処分について相談してきた。
カチン!
疲れているところにこの話だからつい話が荒っぽくなる。
「まだ、そんなことはしなくていいだろう!」
そう言っても理解できないらしい。
何故早く母の物を片付けたがるのか・・・
どういう神経しているんだ?馬鹿親父!
「そういうことは、お母さんが死んでからにしろ!生きている間にやるな!」
クタクタになっているところに親父に追い討ちをかけられた。
獅子身中の虫とはこのことか。
家に帰っても疲れる。
投稿日:2007-06-11 Mon
コンサルティングも終了し、T社の社長さんと雑談。社長さんとは業界の青年部でお互い会長職を務めた間柄。
拙者の先輩になる旧知の仲。
次回のコンサルティングの日程は、取引先の監査が2件入っているというので、7月を予定することとなったが・・・
そうなると母の事でドタキャンになる可能性もある。
というわけで・・・事情を話したところ・・・・
社長のお母さんも現在入院中との事。
拙者の母の入院している病院名を教えたら・・・
「俺のお袋と同じ病院じゃないか!」
「え?何階ですか?うちの母親は5階なんですけど・・・」
「うちも5階だよ」
エエッ!
5階のエレベーターを降りて右に行くとA病棟。
ここに拙者の母が入院している。
社長のお母さんはエレベーターを降りて左に行ったB病棟。
まさか、お互いの母親が同じ階に入院しているとは!
こんな偶然ってある?
投稿日:2007-06-11 Mon
今日はT社のコンサルティングに行く日。病床の母からも、母親のことでコンサルティングの仕事を投げ出すようなことはするなとしつこく言われた。
「あなたはいつものように行動しなさい」
ありがたい母親の言葉だが・・・何とも気持ちが落ち着かぬ。
10時に先方に到着するよう8時に自宅を出たのだが・・・
常盤自動車道に乗って加速したら・・・・
あれ?
ハンドルに振動が・・・・
時速90キロまで加速したら、更に振動が激しくなり運転不可能に近い状態となる。
一体何が起こったのか・・・・????
ここで事故死するわけにはいかぬ!
母より先に死ぬわけにはいかぬ!
こんなことは生まれて初めての経験。
よりによってこんな時に何たることぞ。
ハラハラ、ビクビクしながらようやく近くのサービスエリアに車を入れて足回りを点検したら・・・
なんと!左の前輪から煙が出ているではないか!
アレレ・・・何これ!
自動車整備の“トシちゃん”に電話して代車を持って急いで来てくれるよう頼む。
待つこと1時間弱。
荷台に乗用車を積んだキャリアーで“トシちゃん”が到着。
持つべきものは友達なり。
挨拶もそこそこに、拙者の車を載せて帰ってもらい、拙者は代車でT社に向かうことにしたが・・・・
さて、途中で車を変えてしまった場合、料金の支払いはどうなるのだろうか?
通行券には拙者の車のナンバーが記録されているはず。
高速を降りる時にナンバーが違っている場合はどうなるんだろうか?
今度は別の意味でハラハラ、ドキドキしながら運転。
高速の料金所で係りの方に事情を話したところ・・・・
「ああ、さっきキャリアーがUターンして行ったからわかっていますよ。あの車でしょ?」
「いや、ここまでキャリアーが来るわけないんですけど・・・」
「え?でも、ちゃんとこの目で故障車を乗せたキャリアーを見たから確かだよ~間違いないって!」
あれれ?
これはどういうこと?
多分この人が見たのは別の故障車だと思うのだが・・・
あまり否定しても何だし・・・・そういうことにしちゃおうか!(笑)
事情はわかっていますということで、難なくスムーズに料金所を通過できてしまった。
運が良いというか・・・地獄に仏というか・・・
神の御加護だな。
何だかんだで1時間遅刻でT社に無事到着し、仕事に取り掛かる。
投稿日:2007-06-07 Thu
夜9時の消燈まで母に付き添い、帰る途中、病院のコンビニの前で一服していると・・・コンビニに入ろうとした一人の女性が拙者をジッと見ている。
何だろうか?
すると近寄ってきて・・・・
「経営学部ですよね?」
「はぁ?」
いきなり何という質問か・・・・
「亜大の経営学部ですよね?」
「はぁ・・・亜大の経営学部卒ですけど・・・」
「やっぱりそうだ!」
「あんた・・・誰?」
「旧姓“オクダ”です」
「“オクダさん”ねぇ~・・・海外研修団に参加した人で“オクダ”って子がいたような気がするけど・・・」
「あっ!やっぱりそうだ!台湾!台湾に行きましたよね!」
顔はすっかり忘れてしまっていたが、名前だけはなんとなく微かに覚えていた。
へぇ~結婚しているんだぁ~・・・・って当たり前だろうけど・・・45歳だそうだから・・・(笑)
「俺は独身だよ」
「へぇ~あんた、いい奴なのにねぇ~」
「嘘つけ!怖がっていたくせして・・・」
「最初はね、初対面の時は怖かったけど、でも、話してみるといい奴だよねぇ~」
誉められているのか何なのか複雑じゃ。
24年ぶりの再会。
「それにしても、よく憶えていたね~俺のこと」
「あんたの顔は忘れないよ」
ゲゲッ!何、それ・・・・
しばし大学時代の思い出話に花が咲く。
彼女のお母さんが6階に入院していて見舞いに来たんだとか。
偶然だねぇ~こういう偶然ってあるんだねぇ~
ただただ驚くばかり・・・
今晩は隣り駅にあるホテルに宿泊。
ツインしかないというのでツインのシングル使用で予約したのだが・・・
チェックイン時に「申し訳ございません、当方の都合で、少し広めのデラックスツインを用意させていただきました」と言われる。
ツインでも広くて落ち着かないだろうと思っていたのに・・・デラックス?
部屋に行って驚いた。
まるでちょっとしたスイートルームじゃないか?
落ち着かない。
叔母に今日の母の状況を電話で伝えて、この部屋のことを話したら大笑い。
「神様がプレゼントしてくれたんでしょ。チョット贅沢してゆっくり休みなさいって・・・」
「いやぁ~オバチャ~ン、落ち着かなくて眠れそうもないよ~この部屋!逆効果だぁ~(笑)」
贅沢にもコーヒーとフルーツの盛り合わせのルームサービスを取ってくつろぐが・・・
やっぱり落ち着けずなかなか眠れなかった。
投稿日:2007-06-07 Thu
この間、母が北海道に行った時に友人が撮ってくれた写真が出来上がったという。「そのうち郵送で送りますから・・・」と言われたが、その“そのうち”の余裕があるかどうか・・・
「今日、上京しますから、できれば持ってきてくれませんか?」と無理を言って家に届けに来てもらう。
当初の予定より2時間ほど遅れて特急で上京。
拙者が来るのが遅くて寂しく思っているだろうが・・・・
元気なうちに写真を見せておかねば!
なんとしても、今、持って行かねば!
母に写真を届けたら大喜び。
よかった、よかった。
元気が出てくれたようだ。
今日もいつものように足裏をマッサージしてあげる。
片足30分で、両足で1時間揉み続ける。
これを1セットとして1日に何度か行なう。
母は「気持ちがいい~」と喜んでくれる。
それはそれでいいのだが・・・・
足の裏のどこを押しても痛くないという。
おかしいな?
よく、足の裏を押して痛いところがあれば、例えば「胃が悪いですね~」とか言うでしょ?
それなのにどこも痛くないってどういうこと?
おかしいな?
痛がる場所があっていいはずなんだけどな~
足裏のツボがどうのこうのって・・・・本当かな?
拙者はその道のプロじゃないから、1時間も指圧を続けるとさすがに疲れる。
やってみるとプロの人はさすがだなと思う。
よく疲れないものだ。
投稿日:2007-06-06 Wed
朝、親父が打合せをしたいと言ってきた。何かと思ったら・・・・母の葬儀のこと。
まぁ、気が早いというか何というか・・・
気持ちはわからないではないが、そう慌てることはあるまいと思うのだが・・・
先日、母の遺体をどうやって東京から運ぶかを病院に尋ねたらしい。
婦長さんから「そんなことを尋ねる家族は今まで見たこともない」と呆れられたという。
当たり前だ。
どういう神経をしているのか・・・
にもかかわらず・・・今度は葬儀の話か・・・
いざとなってからで充分だと言っても聞かぬ。
仕方がないので、友人の葬儀社へ連絡する。
この葬儀社は祖父(父の父親)の教え子がやっている会社。
今では代替わりもしているが、縁ある会社であることを親父が知らぬわけがないのだが・・・
人との縁を大事にしない親父のことゆえ、思い当たらなかったようだ。
ここの孫娘と拙者は以前にJC(青年会議所)で一緒に活動した仲。
「あれ~久しぶりです~どうしたのぉ~」
「あのね。実はね・・・」と事情を話し担当者に来てもらう。
担当者から亡くなってから遺体搬送、お通夜、通夜式、告別式・・・と手順を話してもらい親父に納得してもらう。
もう、情けないというか、みっともないというか・・・
大体、葬儀を予約できるわけじゃないでしょ。
いつ息を引き取るかわからないんだから・・・・
「家に到着しましたら2日ほどお休みになられて・・・」と担当者。
「え?2日も安置するの?すぐに火葬するんじゃないの?」
「あのぉ・・・遠くからお帰りになられたんですから、ご自宅で2日間くらいお休みさせてあげてください」と担当者。
親父の言い方を聞いていると、どうみても早く“処分”したいような言い方ではないか。
参ったなぁ~
別の意味で親父の面倒も見るようか?
母よりも手がかかるぞ。
トホホ・・・・
投稿日:2007-06-05 Tue
本来は拙者一人が宿泊して、父は日帰りする予定だったが、急遽、父も昨晩東京に宿泊した。今日も夜まで母に付き添うといって言っていたが、ここで体調を崩されては堪らん。
午後になって、さすがに疲れが出たのだろう、自分から「もう帰る」と言って早々と帰ってくれた。
地下鉄の駅まで見送る。
「ここから上野駅までは行けるよね?」
「多分・・・え~と、どこで乗り換えるんだ?」
おい、おい、頼むよ~ボケるには早いだろ。
拙者は残って夜まで母に付き添ってから帰宅。
父は既に寝ていたが・・・・
まさか、死んでないだろうな?
投稿日:2007-06-04 Mon
今日は父が母を見舞いに早朝上京。拙者は郵便局で個人向け国債の解約(買取)手続きや洗濯やらの雑用をする。
銀行の投資信託解約書は昨日母に作成してもらったので、これを銀行員が取りに我が家に来てくれるはずなのだが・・・
来ない!
まもなく3時になるというのに来ない!
今日は3時過ぎの特急で上京して夜7時から主治医と打合せをしなくてはならないのだ。
午後一番に来てくれるように頼んでおいたのだが・・・
やむを得ない。直接こちらから出向くしかない。
銀行に行ったら我が家に来るはずの副長がちゃっかり椅子に座っていた!
「何してんだ!ずっと待ってたんだぞ!」
「あ~・・・すみません・・・」
この野郎!
ついついカッと頭に血が上ってしまった。
文句を言っても副長殿はケロケロとしている。
頼りにならねぇ~
特急の発車時刻まであと10分。
急いで駅に向かい走る!
役立たずのおかげでひどい目に遭った。
今日、母は造影剤を入れて検査。
昨晩帰宅前に看護師に痛み止めは本人が希望するまでは入れないように頼んだのだが・・・
この若い新人看護師はツンツンとして返事もしない。
「主治医に聞いてもらえますかね?痛み止めを入れたら今日みたいにぐったりしちゃうだろうから明日の検査が出来なくなる可能性が高くなるんじゃないの?」
「でも、指示されていますから」
「じゃぁ、主治医に聞いてみてよ。そう家族が言っているって」
「・・・・」
「素人考えで悪いけどさ」
「そうですねっ!」
何だこの野郎!素人が口を出すなというその態度!
結局昨晩、主治医から痛み止めの投与を中止してもらったおかげで検査は無事に済んだという。
くだんの看護師も「痛み止めを入れなくて良かったです」と夜勤明けに妹に言って帰って行ったとか。
よし!拙者の判断は間違いなかったな。
午後7時から主治医と検査結果の打合せ。
父も弟夫婦、妹も一緒に参加。
しかし・・・主治医は何の資料も持参していない。
造影剤を入れてレントゲンとかCTとか何か撮影したんだろうから画像資料を持って来るべきだろうに・・・
ただ口頭とメモだけでの説明。
どうも納得いかないんだよな。こういうのって。
今流行の言葉「説明責任」を果たしてないんじゃないか?
検査結果は拙者の予想通り。
癌が腸を圧迫して塞いでしまっている状態だという。
腸全体にも癌が蔓延しているという。
が・・・しかし・・・画像を見せてもらっているわけじゃないので、どうもピンとこない。
本当かね?口頭だけではどうも納得出来ないんだけど・・・
じゃぁ、その癌をどう取り除くんだ?
取り除けば食事も出来るようになるだろう?
外科的処置で取り除けないのか?
話は堂々巡り。
前回同様・・・考え方が違うからこちらの納得行く話にならない。
「そんなことしたって・・・」の回答ばかり。
ノラリ・・・クラリ・・・か。
主治医に席を外してもらい家族で打合せ。
3年前に母が「子宮体癌」とかという癌で子宮を摘出する手術をした。
手術は成功したので家族は安心したのだが・・・
その時に主治医は余命は3年ぐらいと言ったという。
摘出はうまくいったが、既に癌が散らばっており手がつけられない状態だったという。
「そんな話・・・聞いた?」
だれも「余命3年」というのを言われた記憶がない。
3年前に言った言わない、聞いた聞かないと今更言っても仕方がないのだが・・・
どうもはっきりとしたものの言い方を主治医がしないから充分相手に伝わっていない。
「良くなっている方向に進んでいると思っていた」というのが父や弟の印象。
ショックを与えまい、希望を持たせようという善意からオブラートに包んでものを言うからこういうことになる。
拙者はこういう希望を持たせようなんていう小細工には反対だ。
「余命3年!」を明確に宣言して、さて、それをどう延ばすか・・・を考えるほうがいい。
3年前の手術の時は拙者は仕事の為立ち会えなかったし、主治医とも話をしていない。
ただ、一緒に生活していて癌が完治していないなぁとは感じていた。
昨年の夏に腫瘍マーカーの値が高くなり、このままでは11月までもつかどうか・・・という話を聞かされた。
だから、わざと12月にイタリア旅行を企画したのだ。
12月の旅行を目標に頑張ってもらおうと考えたら、意外にも母は頑張ってくれて現実に旅行が出来た。
続いて、新年は家族みんなで京都で迎えるのはどうだろうかと投げかけたが、誰もその企画には乗ってくれなかった。
母の誕生日は1月1日、元旦なのだ。
京都で正月を誕生日をみんなで祝うというのも乙なものだと思うし、母の生きる気力を持続させたかったし・・・
来年は誕生日は迎えられない可能性が高いんだし・・・
みんな、やっぱり忘れちゃうんだよな。
11月に死ぬはずの人間が12月に生きているんだから奇跡と言うべきなのに・・・・
検査の結果と病状は拙者から母に伝えることとした。
正直に癌腫瘍によって腸の部分が押しつぶされていることを伝え、これを何とかする方策を考えていることを伝える。
「外科手術で取り除けないの?」と予想通りの質問。
「開腹手術を下手にやると癌細胞が飛散して取り返しの付かないことになる可能性があるから駄目だな」
いくつもの選択肢を拙者が考えて、それを主治医にぶつけて絞り込んでいくから安心してくれるように言う。
母は主治医より拙者のほうを信用してくれているのだ。
「俺に任せりゃ大丈夫!(笑)」
「そうだよね。あんたは私の主治医だから(笑)」
今晩は上野に戻りビジネスホテルに1泊する。
投稿日:2007-06-03 Sun
今日は母の姉と妹が母に面会するため上京。拙者は東京に不慣れな伯母たちを迎えに妹の家から上野駅に向かう。
母の姉は東北新幹線で上野に無事到着。
母の妹は常磐線で上京し、10時30分に待ち合わせのはずが、人身事故のため大幅に遅れる。
何たることぞ!よりによってこんな時に!
更に追い討ちをかけるように母から携帯に電話が入る。
か細い弱々しい声で「胃液でパジャマを汚してしまったので、パジャマを買って来て欲しい」と言う。
膝を痛めて歩くのが一苦労という母の姉に無理してもらい3人でパジャマ探しで上野を歩く。
申し訳なし。
今日、野球の試合のある中学1年の甥っ子は何やら画策をしたようだ。
どうも故意に試合に遅刻したのである。
遅刻したために試合に出させてもらえず追い返されたらしい。
家には帰らずまっすぐ拙者の母のいる病院へ行くとの電話があったという。
どうやら“大ママ(=拙者の母、つまり祖母)”に会うためわざと試合出場を放棄したらしい。
その甥っ子が母の携帯を使って電話をかけてきた。
「おじちゃん?おじちゃん・・・・」
プツンと切れた!
おい、おい、勘弁してくれよ~
何が起こったんだよ~
しばらく後、あと何分で病院に着くのかとの電話が入る。
こちらはパジャマ探しで大わらわ。
便利なようで都会は不便じゃ!
これが田舎なら洋品店に行きゃ、すぐにパジャマなんか見つかるのに・・・・
デパートに行っても、病院で着るようなパジャマが見つからぬ!
12時過ぎに漸く病院に到着。
我々の顔を見ると甥っ子は脱兎の如く部屋を飛び出して行った。
母はベッドの中で体をくの字に曲げてぐったりしている。
我々が到着するまでの数時間、甥っ子は一人で母の側に付いていたのは良いが、この母の姿を見て相当不安だったのだろう。
なんとも可哀想なことをした。
我々に続いて弟夫婦も到着。
入れ代わり立ち代り賑やかとなる。
母もようやく元気を取り戻してくれた。
話を聞くと、昨晩、痛くもないのに痛み止めを投薬されたため、午前中、体調不良を起こしていたという。
そりゃ無理もない。
痛み止めは、麻薬に近い強い薬のはずなのだから・・・
それにしても本人が痛がっていないのに、どうして投薬したのか?
解せない。
当初、面会に来たがっている伯母たち姉妹に会うことに難色を示していた母も、いざとなったらご機嫌で話をしてくれた。
自分のやせ衰えた惨めな姿はみせたくないと言っていたのだが、元気なうちに姉妹くらいには会うべきだと思い設定した甲斐があった。
夕方までたっぷりと心置きなくおしゃべりをしてもらい、地下鉄を乗り継ぎ上野駅まで送る。
4年前に弟を癌で亡くし、今度は妹である拙者の母がこの世を去ろうとしている。
姉としての伯母の気持ちはいくばくか。
これは妹である叔母も同じ。
母が癌になったのは拙者のせいではないが・・・・申し訳なし。
叔母たちを見送って再度病院にとんぼがえり。
1時間ほど母の様子を見て上野に戻り帰宅する。
さすがにクタクタ。
風呂上りに体重を量ったら・・・・・
今までいくら歩いても体重が82キロと現状維持だったのに、わずか数日で78キロになっていた。
なんと4キロも減量!
精神的ダメージというのは、こんなにも体重が減るのか?
投稿日:2007-06-02 Sat
母の見舞いのため1泊2日で上京。母は鼻から胃へ管を通して寝ていた。
胃の内容物を外へ排出する管。
やっぱり胃から腸へ食べ物が流れていないようだ。
ちょうど義妹が来ていたので義妹と2人で主治医と打合せ。
十二指腸あたりが潰されて胃から腸へ食べ物が流れていないらしい。
やっぱり拙者の思った通りだ。
ここを外科的手術で取り除くことは出来ないのだろうか?
拙者の意見を述べたが・・・・
主治医は乗る気じゃない。
どうせ死ぬんですから何もそんなに痛がるようなことをしなくても・・・
楽に死なせてあげましょうよ・・・・
という考えらしい。
母も拙者も打てるだけの手を打って、それが駄目だったら諦めるという考え。
何もせず手をこまねいて見ているというのには反対。
しかし・・・これがわかってもらえない。
「痛くても辛くてもやってみなくちゃわからないでしょ?」
「そう言ってもねぇ~」
「ところで・・・免疫療法というのはどうでしょうか?効果ありますか?」
「今から?そりゃ出来ないことはないけど今更時間的にもう無理でしょ」
体内から取り出したリンパ球を増やしてまた体内に戻すという治療だが、リンパ球を増やすのには2週間かかるという。
その2週間目には多分本人は死んでいるだろうから無駄でしょう・・・ということらしい。
あのね~「今更・・・」って何?
早ければ出来たわけ?
何でその治療法を選択肢の中に入れてなかったの?
「かなりの高額になりますよ~」
1回100万円以上かかるらしい。
それをやるかやらないかは我等が決めることで主治医が治療費を気にする必要はない。
「熱も出ますよ~かなり辛くなりますけど・・・」
だから何だ?
本人は何らかの手を打ってもらいたいって言ってるんだから発熱ぐらい我慢できるだろ?
どうも主治医と価値観が合わない。
どうせ死ぬにしても「死に方」っていうのがあるだろう。
母には納得した上で死んでもらいたいのだ。
もっと他に手があったんじゃないかと思いながら死なせるわけにはいかぬのだが・・・・
「死なせるな」とは言ってないんだけど・・・・
こういう考えはわからぬ人にはわからんのだろうなぁ~
今日は妹のところに1泊して医師の義弟とも打合せをする。
投稿日:2007-06-01 Fri
今日は銀行の母の預金の処分についての手続きの仕方を尋ねに銀行に行く。窓口の女子行員に尋ねている時に支店長に見つかってしまった!
「どうぞ、こちらへ・・・」って招かれてもねぇ~
参ったなぁ~
こっそりやろうと思っていたのになぁ~
「先日、お母さんが歩いているのを見ましたよ」と支店長。
「いつですか?」
「29日かな。クラクション鳴らして挨拶したんだけどね」
「それは母じゃないですよ」
「いや、見間違うはずはないって。間違いなくお母さんですよ!」
「そんなはずないですよ。母は29日に東京に入院したんだから・・・」
「えっ!入院したの!」
仕方がないので支店長と副長に事情を説明する。
支店長はどうしても母に会ったと言い張って納得してくれない。
「支店長・・・母の生霊でも見たんじゃないですか?(笑)」
「そんなぁ~」
いずれにせよ、事情が事情なので母の預金は全て解約する方向で理解していただく。
ここは杓子定規なことは抜きにして、よく知った仲なので拙者が代理人として母の預金を解約する手続きをすることに対して全面的な協力をしてくれるという支店長の約束を取り付けた。
感謝、感謝。
母の普段のお付き合いの賜物なり。
「あの元気なお母さんがねぇ・・・・うちの女子行員が知ったら悲しむだろうなぁ~人気があったから・・・」と支店長から言われ嬉しい。
副長は・・・
「お母さんの投資信託・・・かなり利益が出ているんだけどなぁ~もったいないなぁ~」
あのねぇ~利益が出ていようと出てまいと関係ないの!
とにかく解約して現金にするんだから!
わかってないなぁ~
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