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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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島津家庭学校跡
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(鹿児島県鹿児島市)

島津家庭学校跡
ここには、明治26年(1893)、30代島津忠重(明治19年10月生まれ)のために島津家庭尋常小学校がつくられ、市内の大竜小学校から30名の生徒が選抜されて共に学びました。
のちに島津家庭尋常高等小学校となりましたが、忠重の弟達が全員卒業した明治34年(1901)に廃校となりました。
校長にははじめ中村宏が、のちに東京から視学官色川圀士が任じられました。
校舎は、木造平屋建の本舎と別棟に剣術道場があり、のちに理化学実験器具や標本用の一室もつくられました。
校庭は100坪(のちに倍加)とほかに馬場があり、「棒倒し」や「艦長あそび」が行われていました。
また、周囲には、子供達が立派に成育するようにと栴檀の木が植えられました。

(説明板より)

島津家庭学校跡


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史跡 | 22:14:45 | Trackback(0) | Comments(0)
近代薩摩焼発祥の地
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(鹿児島県鹿児島市)

近代薩摩焼発祥の地
極東の宝石といわれ、西欧諸国で「SATSUMA」と呼ばれて珍重され近代薩摩焼はこの地で誕生した。
幕末の薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)は、西欧の近代産業を導入した工場群「集成館(しゅうせいかん)」をこの地に設置し、軍艦製造を中心としたさまざまな産業をおこした。
そして、その一環として、海外との積極的な貿易振興を目的に、在来の薩摩焼の製法に改良を加え、貿易品としての近代薩摩焼を創製した。
斉彬はこの地に御庭窯を築き、多くの陶工たちとともに研究を重ね、藩窯としての風格を備えた華麗な焼物を完成させている。
また、「SATSUMA」の名は、明治時代以後日本各地で製造され海外に輸出された美しい陶器の総称にもなった。

(説明板より)

近代薩摩焼発祥の地


史跡 | 21:56:57 | Trackback(0) | Comments(0)
鶴燈籠
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(鹿児島県鹿児島市)

鶴燈籠
この石燈籠(いしどうろう)は、日本で初めてガス灯を点した燈籠です。
28代島津斉彬(しまづなりあきら)は、蘭学者らにガス灯の用法を書いた蘭書を翻訳させ、安政(あんせい)4年(1857)8月に磯別邸の浴室付近にガス室を設置し、園内の鶴燈籠(つるどうろう)をはじめとする石燈籠に点火しました。
横浜でガス灯が点火したのは明治5年(1872)のことですが、薩摩でガス灯が点火したのはそれより15年も前のことでした。

(説明板より)

鶴燈籠

史跡 | 21:45:03 | Trackback(0) | Comments(0)
反射炉跡
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(鹿児島県鹿児島市)

反射炉の建造と集成館の設置
アヘン戦争で中国がイギリスに敗れたという情報は、島津斉彬(なりあきら)に大きな衝撃を与えました。
嘉永(かえい)4年(1851)、薩摩藩主となった斉彬は、日本が西欧諸国の植民地にされるのではないかという危機感を抱き、海洋に多くの領地を有する薩摩藩こそ、「大砲と船」に象徴される軍備の近代化と産業育成に力を注ぐべきだと考えました。
反射炉は鉄製の大砲を鋳造するために築かれたもので、嘉永5年に着工し、安政(あんせい)3年(1858)ようやく鉄製砲の鋳造に成功しました。
また反射炉を中心に溶鉱炉やガラス工場など様々な工場が整備され、これらの工場群は「集成館(しゅうせいかん)」と命名されました。
生麦事件に端を発した文久(ぶんきゅう)3年(1863)薩英戦争では、イギリス艦隊7隻を相手に、ここで造られた大砲が大活躍しましたが、その後解体され、現在は基礎部分だけがのこされています。

(説明板より)

反射炉跡


史跡 | 21:35:05 | Trackback(0) | Comments(2)
電信使用の地
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(鹿児島県鹿児島市)

電信使用の地
島津第28代藩主斉彬は、安政4年(1857年)本丸からここ探勝園までの間に日本で初めて電信通信を始めました。
線の長さは、約三百余間(500~600メートル)ありました。

(説明板より)

電信使用の地



史跡 | 21:12:51 | Trackback(0) | Comments(0)
九州旅行(6)
さぁ、今日は旅の最終日だ!
今日は一日、市内観光をする。
ホテルをチェックアウト後、目の前の『照国神社』を参拝。
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(照国神社)
『島津斉彬像』『島津久光像』『島津忠義像』がある。
『照国文庫資料館』を見学。
ここからタクシーで『鹿児島県護国神社』へ。
途中、『平田靭負屋敷跡』に立ち寄る。
まぁ、拙者に付き合わされるんだから子供達も迷惑だろうが・・・
早くも子供の一人がグダグダし始める。
タクシーの運転手さんから声をかけられても返事もしない。
プチン!拙者は切れてしまった~!
「運転手さんが何度も声をかけてくれているのに返事をしないとは何事だ!」
「はぁ~」
なんとも冷めた表情で返事を返してきた。
この野郎~・・・と思ったが、よく考えたら相手は小学生。
今の子供は・・・・呆れるばかり。
『鹿児島県護国神社』を参拝。
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(鹿児島県護国神社)
拙者は慰霊碑や記念碑等の写真撮影で大忙し。
子供達は・・・完全に飽きてしまいジュースを飲んでおしゃべり。
ここからタクシーで仙巌園に向かう。
ここで昼食を食べ御土産買い。
7年前にもここでお土産を買って送ったのだが、今回も同じ店でお土産を買い、戦友会のお世話になっている方や友人などにお土産を送る。
7年前にも来たことなどを店員とおしゃべりしながら送り状を書く。
かなりの量のお土産を発送したので、お店の人が2箱ばかりをタダにしてくれ、更に消費税分もサービスしてくれた。
ありがたし。
子供達もお土産を購入したようである。
あとで足りない場合は空港で買えばいい。
『尚古集成館』を見学。
『鶴嶺神社』参拝。
更にタクシーで『南州神社』に向かう。
本来は徒歩やバスを利用して移動したいのだが、今日は最終日。
とにかく出来るだけ多くの場所を見て歩こうとするとタクシーを利用するしかない。
『南州顕彰館』を見学。
またもや例の一人の子供が資料館内部で携帯でおしゃべりしたりメールを送信したり。
更に他の子供を巻き込んで、とうとう最初から最後までゲームについて何やらおしゃべり。
「あのなぁ~ちゃんと見学しろよ!」
躾が出来てないというか・・・
この子供、全く興味もないのにこの旅に加わったらしい。
親から言われたから・・・・というだけで加わったのだから当然自覚などない。
別にどうでもいい・・・というのが見え見え。
参ったなぁ~
続いて直ぐ脇の『西郷隆盛の墓』『南州神社』に行く。
このあと、駐車場で昼寝中の運転手に頼んで城山まで乗せてもらう。
途中、『西郷隆盛最期の地』『西郷隆盛洞窟』に立ち寄る。
『城山の展望台』で休憩。
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(城山展望台から見た景色)
ここから桜島が見えるのだが、今日は黄砂のせいで霞んでしまいよく見えない。
ここからタクシーを拾って今度は『西郷隆盛生誕の地』へ向かう。
途中で『西郷隆盛像』に立ち寄るが逆光!
夕方じゃ駄目だ!朝のうちに訪れるべきだった・・・失敗!
運転手さんが「記念写真を撮ってあげますからみんな並んで~」と言ってくれたのだが・・・
子供達は・・・シラァ~として応じない。
全くこいつらは・・・・拙者一人、仕方がないから記念写真を撮ってもらう。
『西郷隆盛誕生地』でタクシーを降りてここからは徒歩で観光。
『大久保利通生い立ちの地』『大久保利通像』『樺山資紀邸跡』を見て歩き駅に向かう。
5時10分のバスで鹿児島空港へ。
空港で夕食。
最後の食事だから・・・ということでステーキを頼む。
旅の途中で各自から更に1万円の拠出を行い、今回の旅での現地での経費は各自2万円で納まる予定だったが・・・
ステーキの他に子供達がフルーツパフェを頼んだので赤字となる。
まぁ、仕方がない。
最後なんだからケチっても仕方あるまい。
7時10分発全日空630便で羽田へ。
8時45分羽田着。
新宿駅で子供達を迎えに来た親たちに引渡し解散!
拙者は甥っ子と一緒に妹の家に向かい宿泊。
無事に旅が終ったぁ~
怪我や病気などの事故がなくてよかったぁ~

旅行 | 18:45:58 | Trackback(0) | Comments(1)